アメリカを改造するユダヤ人

  ユダヤ人はカッコウ(郭公)と似ている。日本人は童謡『静かな湖畔』を幼稚園で習い、お母さんと一緒に「静かな湖畔の森の影から~」を唄い、「カッコウ、カッコウ、カッコウ」と合唱するだろう。(ドイツ人の子供なら同じメロディーで、「アウフタ・マウアー、アウフタ・ラウアー、ズィンツィ、クライネ・ワンツ(Auf der Mauer, auf der Lauer, sitzt'ne kleine Wanz)」と唄うかもね。) ところが、このカッコウは童謡のイメージとは違って、トンデモない鳥だった。育児放棄とも思えるカッコウの親は、他の鳥、例えば「ホオジロ」や「オオヨシキリ」が巣を離れた隙に、自分の卵を産み付けて立ち去ってしまう。いわゆる「託卵(たくらん)」である。何も知らないホオジロは、3つしかなかった卵が、4つに増えていることが分からない。これに気づかぬホオジロが、いつもの調子で卵を温めていると、カッコウの卵だけが早く孵化する。いち早く殻を破って生まれた雛は、他者のホオジロに餌をねだり、子供から養成された母鳥は、他者の雛とは知らずに、一生懸命餌を運んできて、この図々しいカッコウを育てようとするのだ。母鳥が餌を捜すべく巣を後にすると、この雛はライバルとなるホオジロの卵を後ろ脚で蹴飛ばして、巣から突き落としてしまうそうだ。こうして、餌を分割するライバルがいなくなると、カッコウの雛は運ばれてくる餌を独り占めすることができる。自分の子を抹殺されたと気づかぬホオジロは、熱心に餌を与え続け、カッコウの雛は親鳥よりも大きくなってしまうのだ。

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  自分の卵を蹴り落とした雛とは知らずに、骨身を惜しまず苦労するホオジロは憐れだが、第二次大戦中、ユダヤ難民を引き受けたアメリカ人は、ホオジロよりも憐れで間抜けである。ホオジロは留守中に「託卵」されたが、アメリカ人は自ら進んで有害な異邦人の大人や子供を引き取ったからだ。ナチ・ドイツにより歐洲から叩き出されたユダヤ人は、故郷のパレスチナに向かわず、またもや異教徒のアングロ・サクソン世界、すなわちブリテン島、北米大陸、オーストラリアに住処(すみか)を求めた。難民としてやって来た時には謙虚であったユダヤ人も、戦禍を免れた豊かなアメリカで腰を落ち着けると、徐々に金銭を蓄え政治権力を持つまでに至った。商売が得意な集(たか)り民族は、その本能が疼(うず)くのか、単なる金持ちで満足せず、移住先の政界や財界、学界、メディア界まで浸透し、ホスト国のアメリカをユダヤ人にとって“居心地がいい”社会に変えようとした。ユダヤ人はカッコウのように肥大化し、元から住んでいるアングロ・アメリカ人を押しのけ、居候のくせにふんぞり返っていたのだ。一方、気前良く難民を受け容れたアメリカ人は、札束のビンタ喰らってユダヤ人の足元に平伏(ひれふ)し、自らの伝統を弊履の如く捨て去っても知らん顔。遙か昔に、イエズス・キリストは「片方の頬を打たれたら、もう片方の頬を差し出せ」と言ったが、アメリカのキリスト教徒は、救世主を否定するユダにビンタされるや、「もう片方の頬をビンタしてください」と頼んだようだ。札束を持ったユダヤ人の往復ビンタは麻薬の香りがするのだろう。絶えず「よそ者」が流入する国家において、建国者への敬愛は紙切れほどの価値しかもたない。

  アングロ・アメリカ人にとって、学校で学ぶべき「アメリカ史」とは、独立戦争や南北戦争を経験した祖先の過去である。アメリカ共和国を創ったイギリス人の子孫は、まず入植者の栄光や苦労を傾聴し、彼らの文化を築いた英国ならびに西歐世界へと知的好奇心を伸ばすべきなのだ。それなのに、現在の英国系アメリカ人は、ギリシア・ラテンの古典はおろか、英国の歴史さえ満足に学んでいないのである。自らのの肉体と精神を形成した祖先と文化を放擲し、「よそ者」が宣伝する過去を熱心に学んでいる。アメリカ合衆国はユダヤ人国家の如く、学校で教える歴史カリキュラムの目玉が「ホロコースト」教育になっていた。日本の一般人なら、「まさか」と驚いてしまうが、異民族に支配されたアメリカでは、西歐系の子供たちが自らのルーツより、異質な肉体を持った他民族の悲劇を学んでいるんだから、「バカ」としか呼びようがない。これは我々にとっても教訓となる。支那人や朝鮮人が増えれば、やがて日教組史観に加えて、特定アジアの歴史観まで加算されてしまうだろう。

Rick Snyder 1(左 / リック・シュナイダー)

  つい最近のことだけど、ミシガン州のリック・シュナイダー(Rick Snyder)知事が或る法案に署名した。これは教育に関する制定法で、州内の高校に於いてホロコーストやジェノサイドの授業を必修科目にするというものである。(Stav Ziv, Invaluable Lessons: More States Making Holocaust, Genocide Education a Must, Newsweek, June 20, 2016) 「ホロコースト」や「民族絶滅」の授業を義務化している州は少なく、2014年までだとカルフォルニア、イリノイ、ニュー・ジャージー、ニュー・ヨーク、フロリダの5つしかなかった。もし、ロード・アイランドの州知事が同様な法案に署名すれば、ミシガンを含めて7つの州で「ホロコースト」教育の必修化が実施されることになるだろう。これはアメリカの公教育にとって大きな損害である。ただでさえ、アメリカの子供はアメリカ史について知識が不足しているのに、ユダヤ人の為に余計な時間を割かねばならないからだ。ヨーロッパ文明にとって重要な影響を与えたギリシア・ローマの文明に比べたら、歐洲の片隅で惨めに暮らしていた寄生民族の悲劇など、数ある惨劇の一つに過ぎない。西歐系アメリカ人にとったら、カトリックとプロテスタントに別れて戦った三十年戦争やピューリタン革命の方が遙かに重要で、ナチ・ドイツによるユダヤ人迫害など、莫大な死者をもたらした歐洲大戦における、異民族の哀しいエピソードと考えるべきだ。ドイツ人はもちろんのこと、イギリス人やアメリカ人、フランス人でさえ多大なる犠牲を払ったのである。なぜ、西歐系アメリカ人が戦歿者を無視してまで、異邦人たるユダヤ人について学ばなければならないのか? どの民族の子供でも、1日は24時間しかない。遊びたい盛りの子供が費やす勉強時間は貴重である。もし、アメリカのユダヤ人がホロコースト授業の必須化を望むなら、一家でイスラエルに移住して、現地の学校へ子供を通わせればいいじゃないか。

  ミシガン州やイリノイ州がホロコースト授業を必須科目にしたのは、ユダヤ人の個人的活動家や政治団体の圧力に起因するものが多い。ロンダ・フィンク=ホィットマン(Rhonda Fink-Whitman)も、そうしたユダヤ人の一人である。彼女はホロコーストを生き延びたユダヤ人を母に持ち、その母親と迫害や収容所を経験したユダヤ人女性93名にインタヴューを行い、『94 Maidens(94名の乙女たち)』という小説を書いた。まぁ、ロンダも「ホロコースト・ビジネス」で飯を食うユダヤ人の類いである。彼女はユダヤ人の「お涙頂戴物語」を布教したく、ペンシルヴァニア州で活動を始めたという。アメリカで「お馬鹿な学生」を捜して接触する事は、支那人の家でゴキブリを発見すること事に等しく、とても簡単である。ロンダはテンプル大学やドレクセル大学、ペンシルヴァニア州立大学、およびペンシルヴァニア大学に赴き、「ホロコースって何?」とか、「アドルフ・ヒトラーが宰相だった国は?」、「いつ第二次世界大戦が起きたのか?」「アウシュヴィッツって何?」「何人のユダヤ人が殺されたか知っている?」といった質問を若者に行ったそうだ。(Renee Ghert-Zand, Pennsylvania fails Shoah 101, The Times of Israel, October 16, 2013) 案の定、ほとんどの学生から得た答えは、「知らないなぁ(I don't know.)」であった。

Rhonda Fink Whitman 1Rhonda Fink Whitman 3









(左: ロンダ・フィンク・ホイットマン / 右: 学生にインタヴューするロンダ)

  そりゃそうだろう。ぶらり一人旅じゃないけど、ロンダはカメラとマイクを携えて、各キャンパスをうろつきまわり、手当たり次第に学生に質問をぶつけただけである。この問答をカメラに収めて、後日映像をユー・チューブに流して話題となったそうだ。しかし、通りすがりの学生を捕まえて、いきなりユダヤ人の迫害や強制収容所、ドイツの政治史について尋ねても、即答できる学生なんか限られている。第一、映像を観ている視聴者は、どんな学部の学生なのか、どの分野を専攻しているのかも分からないし、ロンダがどんな編集をしたのかさえ分からない。たぶん、見るからにアホな学生を狙って質問を投げかけたんじゃないか? 彼女の目的は、いかにアメリカの若者がホロコーストについて無知なのかを、世間一般に知らしめることであるから、なるべく呑気そうな若者に声を掛けたとも考えられる。もっとも、無知な学生なら腐るほどいるから、それほど手間は掛からなかったと思う。黒人やヒスパニックの学生は問題外として、たいていの白人学生は歴史に興味が無く、藝能ゴシップを別にすれば、関心がありそうなのはビジネスか人種問題くらい。テレビのトークショーで話題になる政治ジョークなら知っているけど、マスコミが大々的に取り上げない政治問題となると、知識は皆無に等しくなる。だから、ユダヤ人問題に疎くても驚くことではない。こんな些細な事を大袈裟に取り上げるユダヤメディアの方が異常なのだ。

  もし、アメリカ人にホロコースト教育を施すなら、なぜユダヤ人がヨーロッパに住みついたのか、という点から説き起こすべきだ。キリスト教徒が多いアメリカだから、イエズス・キリストが十字架で処刑された時期や、その弟子たちが布教した時代(使徒行伝)に詳しい若者ならいる。しかし、西ローマ帝國が崩壊した後の歐洲史については謎のままになっているから、面倒でも第3、4世紀頃から説明せねばならない。筆者にも経験があるが、アメリカ人の大学生に西歐キリスト教史やローマ史を説明するのは大変だ。『神の国』を書いた聖アウグスティヌスなら知っていようが、東ローマ帝國で有名なヨハネス・クリュソストモスとかラテン・キリスト教会の教父であったテルトリアヌス、クレルヴォーの修道院長ベルナルドゥス、ミラノの聖アンブロシウス、ランスの大司教ヒンクマール、アエギディウス・ロマーヌス、聖ゲラシウス、セヴィリアのイシドールスなどは知らない。それでも、パリ大学のジャン・ジェルソンやウィリアム・ウォッカム、パドウァのマルシウス、ソールズベリーのヨハネスとかなら、ちょっと西歐史を学べば出逢う神学者である。アングロ・アメリカ人の若者が学ぶべき西歐の偉人は多いのに、ユダヤ人の不幸を先に学ぶなど愚の骨頂である。アメリカの歴史教育は多民族教育に毒されており、本来学ぶべきアメリカやブリテンの英雄は省略されるか、扱われてもごく僅かの分量で、ギリシアやローマの歴史に至っては割愛されているのだ。この荒涼たる教育内容を把握できれば、なぜアメリカ人が底抜けの馬鹿なのか、がよく分かるだろう。

敵を絞って批判しやすくする

  尚武の精神に缺(か)けるユダヤ人は、如何にして敵の精神を征服するかに長(た)けている。このことがよく判るのは第二次世界大戦だ。肉体を使って喧嘩をすれば、強靱なゲルマン人に負けてしまうので、ユダヤ人は御しやすいアメリカ人やイギリス人を利用して憎きナチスを葬った。戦後になると、この寄生民族はアメリカ公民権(US citizenship)をフル活用し、新天地アメリカでの地位を不動なものとした。まるで、肥沃な土壌で大繁殖した外来生物のようなものである。しかし、この外来民族は常に嫌われものという運命が待ち構えているので、安佚(あんいつ)を貪るわけには行かないのだ。やっと摑んだ安住の地を確かなものとするため、アメリカ白人を常に服従させておく必要がある。彼らは時折現れる反ユダヤ主義者を叩き潰す一方で、反抗の芽を持つ西歐系アメリカ人を洗脳しなければならない。そこでユダヤ人は、アメリカ白人の倫理観をくすぐることにした。ユダヤ人を迫害したドイツは「極悪」の化身(incarnation of evil)と貶められ、その憐れな民族を助けたアメリカは「自由」の擁護者(defender of liberty)と賞讃されたのである。したがって、英米の軍隊が空爆でドレスデンの民間人を殺しても、それは神による正義の鉄槌であり、戦争に附随する損傷(collateral damage)と見なされるが、ドイツ空軍がブリテン島の住民を攻撃すれば、無辜の民を狙った無差別虐殺にされてしまうのだ。戦後のハリウッド映画では、この勧善懲悪が更に強化され、人間味溢れるアメリカ兵と冷酷残忍なドイツ兵という図式が鮮明になっている。

  アメリカの大衆は本を読んで勉強することがない。特に歴史書は退屈なうえに難解であるから、映画で学んだ方が手っ取り早くて気楽である。しかし、ユダヤ人村のハリウッドで作られる映画には、巧妙な嘘と明らかな間違えが混じっているから、鵜呑みにした観客は出鱈目な知識を得ることになってしまう。それでも、一般のアメリカ人は知識人になるわけじゃないから気にしないのだ。トンデモない知識を得たことで恥ずかしいと思う人間はまだマシで、いい加減な知識だと分かっても一向に恥じないのが大半のアメリカ人である。とりわけ、アメリカの大衆は「終わりよければ全て良し」と考えがちなので、「戦争に勝ったからオレたちは正義だ」と信じ、間違いや欠点を指摘されても反省することがない。アメリカがなぜ戦争を始めたのかを問われれば、「ジャップが真珠湾を奇襲したからだ」としか答えないし、その他の要因については煩雑なので考えないことにしている。まさか、大統領のフランクリン・D・ローズヴェルトが予め日本軍の奇襲を知っており、ハズバンド・E・キンメル少将とウォルター・C・ショート中将をスケープゴートにしたなんて認めたら大変だ。もし、大統領による陰謀を認めてしまえば、英雄であるはずの大統領は、合衆国の共和政原理を蹂躙したことになってしまう。建国の祖父が築いた共和国では、戦争開始の決定は議会にあり、大統領が議会を蔑ろにして戦争を計画するのは、憲政からの逸脱どころか専制君主制の誕生となってしまうのだ。共和政ローマでも、戦争を決めるのは元老院で、執政官は軍の指揮権を委ねられた政務官で、勝手に対外戦争を仕掛ける権能は無かった。

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(左: フランクリン・D・ローズウェルト / ハズバンド・キンメル / 右: ウォルター・ショート)

  戦争とは戦争目的を達成することにある。激戦の話なら知っているアメリカ人でも、「戦争目的」を訊かれると、戸惑って明確に答えられない者が多い。間抜けなアメリカ人になると、合衆国の軍隊はナチ・ドイツや大日本帝國を打倒し、ユダヤ人を救出したことが戦争の目的であったと思っている。対独戦をアメリカ人よりも知っているイギリス人でさえ、何が英独間の懸案事項だったのかはっきりしないのだ。それでも、まだマシな方で、「確か、ポーランドを助けるためだったよな ?」と朧気(おぼろげ)ながら覚えている。しかし、現在の英米国民はユダヤ人と左翼学者に洗脳されているから、ドイツと戦ったのは邪悪な枢軸国を倒すための聖戦と思っているのだ。それなら、なぜ連合国側にソ連がいたのか? 左翼が盤踞する西歐諸国には、「ファシズム対デモクラシーの戦い」なんて単純な構図を信じている連中が大勢いるから頭が痛くなる。「ドイツによるポーランドの侵掠は許さない!」と意気込んだチャーチルが、ヤルタ会談ではポーランドはおろか、東歐諸国をスターリンにプレゼントしたんだから、何のためにイギリス兵が血を流したのか分からない。1944年、チャーチルはモスクワの英国大使館で、ポーランドの指導者ミコワイチクに領土の半分をロシアに割譲するよう圧力を掛けた。偉大なる英国の宰相チャーチルから、念願のポーランド領をもらったスターリンは感謝感激雨あられ。「モナミー(我が友よ) !」と呼んだかどうか知らないけれど、スターリンはこの英国首相が飛行機に乗ってモスクワを発とうとした時、雨が降っているにもかかわらず、白いハンカチを振って見送ったそうだ。よっぽど嬉しかったんだろう。こんな事を知ったらアメリカの若者だって唖然とするだろうが、知らぬが仏。チャーチル崇拝は今も健在だ。(ウィリアム・リンドやラルフ・ラチオによるチャーチルの評価については、また別の機会に述べたい。)

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(左: ウィンストン・チャーチル / 右: ヨシフ・スターリン)

  第二次世界大戦については色々な意見があるけど、ひとつだけ述べるとすれば、ナチ・ドイツよりソ連方がアメリカにとって脅威だった。だいたい、「ナチズムの脅威」なんてユダヤ人が気にすることで、西歐系アメリカ人なら気にならない。当時のアメリカは「白人至上主義」が当然の社会で、ナチ・シンパのアメリカ人が「アーリア人至上主義」を唱えても異様ではなかった。黒人はもちろんのこと、ユダヤ人や苦力(クーリー)も忌み嫌われていたから、ナチズムなど脅威ではなかったし、ドイツ式ファシズムもほとんど影響は無かったのだ。それよりも恐ろしいのはコミュニズムの方で、ローズヴェルト政権にはロシアのスパイやピンク左翼がウヨウヨ居たし、大学を始めとする教育機関やメディア界、映画界に蔓延(はびこ)る共産主義者や社会主義者は、「獅子身中の虫」以上の脅威だった。英国や米国の一般人からすれば、ヒトラーが共産主義の総本山を攻撃するのは結構な事である。大いにやってくれ。ドイツ兵が血を流すんだから、英米の将兵は高みの見物とを決め込めばいい。でも、そうなって困るのはユダヤ人だ。ヨーロッパでの甘美な生活が掛かっているから、何としても英米の連合軍にナチスをやっつけてもらいたい。グズグズしているとユダヤ人の居場所が無くなってしまうじゃないか、とね。だから、何が何でもドイツを悪魔にせねばならない。アメリカにいるユダヤ人の同胞は、映画や新聞で盛んにドイツ人を悪党に仕立てた。そこではちょっとした工夫があって、悪魔を数人に絞り込んで、大衆が理解しやすいようにしたのだ。ヒットラーやヨセフ・ゲッペルス、ハインリッヒ・ヒムラー、ヘルマン・ゲーリング、アルフレート・ローゼンベルクなど、個人の顔を前面に押し出し、世界征服を企むファシストを印象づけたのだ。例えば、ドイツの宣伝大臣なら、誰でも「ゲッペルス」と答えられるが、「英米で謀略工作を仕組む責任者は誰か?」と訊かれれば、ほとんどの国民は「分からない」と答えるだろう。また、アメリカの大学生でボルシェビキの極悪人を挙げ、その人物の顔と名前をはっきりと認識できる者は何割いるのか? もし、3割以上いたら凄いぞ。こう考えれば、戦後の教育がいかに歪んでいるかが分かるだろう。

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(左: ヘルマン・ゲーリング / ヨセフ・ゲッペルス / ハインリッヒ・ヒムラー / 右: アルフレート・ローゼンベルク)

  歐米の若者はユダヤ人への迫害に同情するが、なぜユダヤ人が迫害されるようになったのか、どうしてユダヤ人はヨーロッパに住みついていたのか、といった基本的な知識を持たないし、そもそもこうした疑問について関心が無い。それでも、多くの人々は、ヒトラーに追放されたユダヤ人を可哀想に思うだろう。ハリウッド映画の影響は甚大だ。しかし、いったいユダヤ人は何時から「ドイツ国民」になったのか? 中世の頃、ユダヤ人がゲットーに住んでいたことはよく知られている。でも、いつの間にかキリスト教徒の一般人と混じって暮らしていたのだ。ズル賢いユダヤ知識人は、民族の悲劇を宣伝する本を書く時、いつもナチスによる迫害から筆を起こす。ナチ・ドイツを糾弾する非ユダヤ系教師でも、授業で“いかがわしい”ホロコーストなら教えるが、“肝心な”ユダヤ人の解放について、詳しく教えようとはしないのだ。(実は、ドイツに於ける「ユダヤ人解放」はナポレオン戦争が切っ掛けだった。でも、これを説明すると厖大になるから省略します。)

英国式裁判からの逸脱

  第二次世界大戦について話し出すとキリが無いので、ニュルンベルク裁判についてちょっと語りたい。英米社会には弁護士や裁判官、法学者などか腐るほどいる。我が国の裁判制度と歴史的に違うのは陪審員裁判を持っていたことだ。日本人には「同輩による裁き」というのは馴染みがなく、お白洲で代官が判決を下すというのが定番だった。日本人には元々、被告人が法廷で皆の衆に訴えかけるなんて発想はない。大岡越前や遠山の金さんみたいな偉い人が、別室でよ~く吟味して、妥当な処罰を下した方が安心と考える。まぁ日本の事はともかく、米国は英国の法思想を受け継いでいるので、裁判の形式や手続きが英国風になっているのは確かである。ところが、ニュルンベルク裁判は根本的に英国の伝統に反していた。どちらかと言えば、支那かロシア人の裁きに近い。つまり、「集団リンチ」である。ニュルンベルク裁判では、とりわけ事後法の適用、つまり遡及して裁くことが問題となった。だいたい、「人道に対する罪」とか「平和に対する罪」なんてどうにでも解釈できるし、具体的に何をしたら死刑になるのか分からない。第一、民間人を虐殺したから死刑というなら、日本の都市を空爆して民間人を焼き殺した事(これこそ正に「ホロコースト」)や原爆攻撃で女子供、老人、怪我人、聖職者を意図的に虐殺した事も、「人道に対する罪」となるじゃないか。しかし、カーチス・ル=メイ将軍やレスリー・グローブス准将、スチムソン陸軍長官、トルーマン大統領は、戦犯として処刑されなかった。むしろヒーローだった。

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(左: ハリー・トルーマン / ヘンリー・スチムソン / レスリー・グローヴス / 右: カーチス・ル=メイ)

  東大法学部の憲法学者は一顧だにしないけど、第17世紀に活躍した首席判事エドワード・クック卿(Sir Edward Coke)は、イギリス憲政史における巨星である。民訴裁判所や王座裁判所の判事、王室顧問官ならびに士族院議員を歴任したエドワード卿は、コモン・ロー(英国の慣習法)の生き字引みたいな人物だった。彼を知らないようでは英国史を研究する者として失格である。といっても、極左学者が盤踞する法学部や史学部では、エドワード卿を無視するのが常識になっているから、卒業生が無教養なのも仕方がない。とにかく、英米の法学者や教養人のあいだでは有名な人物だ。

  このエドワード・クックが関与した事件に「ボナム医師訴訟」があった。1606年、トマス・ボナム医師はロンドン王室医師会の許認可を得ずにロンドンで医療行為を行った廉で処罰されたのである。彼は罰金刑を科せられ、こんどまた医師会の許可無くして治療を行ったら投獄するぞ、と脅されていた。それでも、ボナム医師は治療を続け、罰金を支払うことすら拒否したという。というのも、彼は歴としたケムブリッジ大学の医者であるから、ロンドン王立医師会の管轄権に属さないと突っぱねたのだ。こうした態度を取ったことにより、ボナム医師は遂に投獄される破目になった。

Edward Coke 1(左 / エドワード・クック卿)
  そこで、「ボナム医師訴訟」はクック判事のもとにもたらされたという。医師会側はヘンリー8世からの勅許状を楯にボナム医師の処罰を正当化したらしい。だが、クック判事は條文を厳密に読んで判断したそうだ。確かに、勅許状によれば、協会によって承認されていない医師は、ロンドンで医療に従事できないことになっている。しかし、協会は医療過誤を犯す医師ならともかく、きちんとした能力のある医師を罰する権能は無い。クックの見解はもっともで、妥当な判断と言えるが、注目すべきは、彼が指摘した裁判の形式である。王立医師会は事件の当事者なのに、事件を扱う「裁判官」になっていたのだ。クック判事は次のように述べている。

  監察官は判決や刑罰を下す裁判官や執行官、当事者になってはならない。すなわち、召喚を行う官吏、そして罰金の半分をもらう当事者のことである。(George P. Smith, II, Marbury v. Madison, Lord Coke and Dr. Bonham Relics of the Past,  Guidelines for the Present-Judicial Review in Transition ? , University of Puget Soud Law Review, Vol. 2, 1979, p.258.)

  こんな初歩的知識なら一般人でも分かっている。米国の裁判で、検事と判事が“組んでいる”なんてあり得ない。例えば、両者が夫婦とか兄弟、従兄弟同士、親友であるならば、不公平な裁判どころか、リンチ目的の「でっち上げ裁判(kangaroo court)」と見なされてしまう。また、陪審員を選ぶ時、検事の先輩や後輩、友人、親戚を混ぜるなんて考えられない。これを踏まえてニュルンベルク裁判を調べてみれば、それが勝者による「八百長裁判」であることは一目瞭然だ。この不正を見抜いたからこそ、アメリカ人の裁判官の中にさえ、異議を唱えた者がいたのである。しかも、犯罪の検証も充分になされていないうえに、被告人となったドイツ人の告白は、拷問により引き出された可能性が高いのだ。驚くべき事に、ドイツ側の弁護士でさえ証人の訊問を許されず、反論しようにも検察側の証拠を自由に見ることも出来なかったという。これじゃあ“まともな”裁判ではない。最初から判決が決まっていたのだ。

  でも、陪審員裁判に慣れ親しんでいるはずのアメリカ人が、なぜこんな茶番劇を肯定するのか? それはアメリカや西歐諸国のユダヤ人が、執拗にナチスの悪を刷り込んでいるからだ。つまり、1960年代以降、テレレビや映画、小説、雑誌、新聞などに潜むユダヤ人や彼らの協力者が、繰り返し「極悪非道のナチ・ドイツ」を宣伝し、一般人を洗脳しているからである。ナチ党員が無罪と言うわけじゃないが、一方的な断罪になれば、西側戦勝国の中に疑問を抱く者が出てきても不思議ではない。西歐人が誇る正義や伝統、倫理、良識を放擲してまで、ドイツ人を裁くことになれば、西歐社会が成り立つ基盤を破壊しかねない。昔、王は法と正義を毀損してはならない、という思想があった。なぜならば、王の地位がそうした法と正義の上に成り立っているからである。もし、王様が正義を蹂躙し、法を枉げることになれば、王様の地位自体が危なくなるのだ。しかし、西歐人の肉体と歴史を持たないユダヤ人にしたら、西歐人の伝統文化なんてどうなってもいい。憎いドイツ人を死刑にできればいいだけだ。法的な処罰ができないから、ナチ党員が釈放だなんて我慢できない。

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(左: ニュルンベルク裁判でのドイツ人 / 右: 米国のロバート・ジャクソン判事)

  アメリカ人の中でも、教養人ならニュルンベルク裁判について忸怩たる思いがあるが、「まぁ、勝ったからいいじゃないか」と自分に言い聞かせて忘れようとする。いつまでも過去にこだわっていたって何の得にもならない。知識人でも、「過去より未来の方が大切だ」と考えてしまうんだから、アメリカ人に歴史の話をしても無駄だ。それに、彼らが大好きなハリウッド映画では、正義の女神が常にアメリカ軍と一緒だから、大衆はアメリカ兵が虐殺や不正を犯したなんて信じない。国内で黒人を縛り首にしていた連中でも、ドイツ兵の魔の手から可哀想なユダヤ人を救出すれば英雄だ。米国内で同じ差別意識があったなんて認めてないんだから、実に都合のいい国民である。ハリウッドのユダヤ人は狡猾で、こうした二重思考のアメリカ人をおだてて、同胞のユダヤ人を純粋無垢な犠牲者に仕立て上げた。戦後、ユダヤ人に対する非難や反論が起これば、「ホロコースト」のトランプを切って、批判者を黙らせることができたのは、彼らが圧倒的“弱者”を人々の心に刷り込んできたからである。こう考えてみれば、マスメディアや教育界をユダヤ人や左翼に握られるというのは、本当に恐ろしい。

  日本人はアメリカ人を笑ってはいられない。我が国でもマスメディアと教育界を左翼分子に支配されているからだ。例えば、NHKやテレビ朝日が制作する歴史教養番組などプロパガンダ放送に外ならない。また、書店に行って第二次大戦のドイツに関する本を捜せば、ナチスを糾弾する本やユダヤ人が出版した洋書の翻訳本、左翼学者の歴史書ばかりで、何とも暗~い雰囲気が漂っている。日本の出版界は左翼偏向が著しいから、トマス・ダルトンの「ホロコーストを議論する(Debating the Holocaust)」ジョン・サックの「(An Eye for An Eye」、R.H.S.ストルフィの「ヒトラー」などは興味深いが、たぶん日本語に翻訳されないだろう。アメリカ人がユダヤ人によってクルクル・パーになるのは構わないが、日本人が彼らに従う理由はない。我々は気に入らない異論でも知るべきで、アメリカの大衆とは違った角度で歴史を検証する必要がある。学校の歴史教科書とNHKのETV特集だけで歴史を学ぶと、朝鮮人のようになっちゃうぞ。



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