教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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社会規範の喪失

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(写真  /  第19世紀と第20世紀初頭におけるフットボール部のアメリカ人学生)

  日本のマスコミは本当に脳天気である。米国と北鮮の裏取引やアジア地域の軍事情勢をほったらかしで、日本大学アメフト部の悪質タックルを問題にし、毎日厖大な時間を費やしているからだ。こんな大学間のいざこざより、占領憲法の廃棄と国防軍の創設を優先すべきなんじゃないか。誰が考えてみても、日本の軍事力を増強する方が遙かに重要だろう。だいたい、アメリカ人が10日ほどで拵えた憲法なら、我々が1日でポイ捨てしたっていいじゃないか。困るのは反日裁判官と、赤い憲法学者くらいで、一般国民は至って平気だ。スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが言ったように、政府や制度が無くなっても、人々が暮らす社会は残る。江戸幕府が消滅しても、江戸の庶民は全滅しなかったし、明治政府が誕生しても、江戸っ子の日常生活は一年前とほとんど変わりが無かった。だから、マッカーサー憲法が廃止されても、世間はそれほど動揺せず、駅の食堂で蕎麦をすすっているサラリーマンは、緊急特番を観ながら、「へぇ~、新しい憲法が出来るんだぁ」と思うくらい。たとえ、東大の憲法学者が「けしから~ん」と叫ぼうが、電車に乗って帰宅途中の中年男性は、夕刊紙のスポーツ欄やエロ情報の方に夢中なんだから。

  日大の話に戻ると、各テレビ局は悪質なタックルを行った宮川泰介と、それを示唆した内田正人監督を激しく責めていた。当初、筆者はこの事件に無関心であったが、奥山真司の「アメリカ通信」を聞いて興味が湧き、どんなものかとインターネットに上がっている動画を目にしてビックリ。過失のタックルじゃなくて、意図的な反則だ、と直ぐ判った。巷の素人も「あっ、わざとやっている !」と即座に感じたはずだ。案の定、内田監督と宮川選手、並びに井上コーチらが週刊誌に叩かれ、宮川選手は記者会見を開いて謝罪し、内田氏は監督を辞任。最初から素直に謝っておけばいいのに、自己保身を優先してグズグスしているうちに、問題がデカくなってしまった。どうせ、マスコミの内部取材でバレるんだから、隠し通せるものじゃないし、むしろ傷口が拡大するだけだ。

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(左: 宮川泰介   /   右: 内田正人 )

  ワイドショーの制作者と一般視聴者は、前代未聞の悪質行為に仰天し、宮川選手と内田監督を槍玉に上げて楽しんでいたが、問題の本質は内田監督の学内権力とか選手との主従関係ではなく、日本人が持っていた共通規範の喪失にある。「相手のクウォーター・バックを潰せ !」という命令を聞けば、誰だって「そんな反則を意図的にしていいのか?」と躊躇(ためら)うだろう。しかし、宮川選手はレギュラー陣に入りたかったから、自ら進んで暴力タックルを行い、内田監督はそれを黙認して、彼を叱責することはなかった。というより、内田氏は「当然だ」と言わんばかりに、悪質行為を追認する姿勢を取っていたそうだ。後で、選手と監督との間に「解釈や認識の乖離」があったと弁明していたが、そんなの日大アメフト部の選手が聞いたら白けてしまうだろう。

  言葉には表の響きと、裏の意味がある。独裁的な監督が“言外”に示唆した事を選手がくみ取り、暗黙の諒解で選手が実行するのは当り前じゃないか。例えば、関西暴力団の花菱会を率いる親分が、庭を眺めながら山王会傘下の組長について言及し、手下の黒木に向かって、「クロキよぉ、邪魔な雑草は早いとこ摘んでおかなきゃなぁ、あ?!」と呟けば、鉄砲玉の乾分(こぶん)は「へいっ、分かりやした !」と答えるだろう。そして、親分が「おい、道具は若頭にもらっておけ」と言えば、別室にいる若頭のところに行き、「オヤジから命じられたんで、一丁拝借します」と頭を下げるはずだ。この会話を聞いて、「何だぁ、庭掃除でもするのか」とか、「道具って、鎌とか芝刈り機のことかなぁ」と思う日本人は、ロープ無しのバンジー・ジャンプを経験してみろ。目が覚めるはずだ。ただし、別の世界でだけど。

  また、実行犯の黒木を逮捕した刑事が、組長宅を訪れ、「黒木にハジかせたのは、アンタだろう !? ネタは挙がってんだ !!」と詰め寄っても、組長は「刑事さんよぉ、オレは世間話をしただけなんだよ。黒木がオレの話を勘違いしんたんじゃねえか?」と“とぼける”だろう。確かに、組長は「雑草を引き抜いてこい」とは告げたが、「撃ち殺してこい」とは命じていない。仮に、警察が極秘裏に組長の会話を録音していたとしても、例え話ばかりで決定的な証拠にはならないはずだ。また、警察がいくら黒木を締め上げたところで、この「使いっ走り」から自白以外のネタは取れない。したがって、組長による「明確な指示」は無かった事になる。でも、これを「よその組員」が信じるとは思えない。週刊誌の記者がこっそり馴染みのヤクザ達に訊けば、彼らは口々に「花菱の組長がタマ(頭)取ってこい、って言ったに決まってんだろう !」と叱りつけるはずだ。アメフト部の会話をヤクザの隠語と比較するのは失礼だが、本質的部分は重なるところが多い。内田監督の記者会見をテレビで聞いた一般国民は、「まぁ、あんな風に弁解するしかないよなぁ」と思ったことだろう。まさか、公の席で「俺が相手のQB(クウォーター・バック)を再起不能にしてこい ! と命じたんだ」とは言えまい。

  毎度の事だからしょうがないけど、正義の味方を気取ったマスコミは、「有罪」が明らかな内田氏を叩いて悦に浸っている。みんなが「黒」と判断する前監督だから、安心して批判できるのだ。しかし、この指導者を非難する各テレビ局だって、本当に叱責するだけの資格があるのか? 例えば、テレ朝はセクハラ騒動で槍玉に上がった財務省の福田事務次官を追求し、録音データを以て彼を吊し上げたが、いかがわしい取材と編集音源が批判の的になるや、早々に財務省と「和解」し、注目された進優子と松原文枝は雲隠れ。そして、他局もテレ朝に配慮したのか、まるで事件が「無かった」かのように特集を諦め、さっさと幕引きにしてしまった。こんな顛末を観れば、下っ端のテレビ局員だって、「おかしいよなぁ。ジャーナリストがジャーナリストの取材を取り止めるなんて」とボヤくけど、上層部が「もう手打ちにしたんだから、ゴチャゴチャ言うな!」と叱り飛ばせば、黙ってうなづくしかない。森友・加計問題にしたって、「下らない特番だよなぁ」と思っても、下っ端のADはチーフ・ディレクターに従うしかなく、冤罪と思いながらも「徹底的に追求します!」と口にする。慰安婦の捏造報道だって、局の方針なら「歴史的事実」にするのがサラリーマンの宿命だ。昇進と給料を考えれば、「白」を「黒」と報道するし、「正義」を騙(かた)って世論を誘導するのがテレビ局員だ。もし、「正義感」に駆られて“おぞましい”内情を世間にバラしたら、即クビになるから、みんな黙っている。誰だって、年収2千万円が消えたら嫌だよねぇ。

  マスコミの件は脇に置いといて、話を日大の事件に戻すと、事情に詳しくない庶民でも、選手や監督の間に倫理・道徳といった共通規範が無いことに気付くだろう。ただ、悲しいことではあるが、彼らの間には「勝つ」ためなら“どんな”「手段」でも正当化され、「悪い」ことでも「必要悪」として処理される「共通の諒解」だけはあった。今は反省している宮川選手も、試合中は自らの将来を考え、無我夢中で相手にタックルしたはずだ。そこには、「仕方ない」といった“割り切り”がある。内田監督も「チームの優勝が掛かっているんだから、そんな些細な事にイチイチ構ってられるか!」といた意識が常にあったはずだ。だから、悪質タックルが予想外に大スキャンダルになると、急に焦り出し、慎重なマスコミ対策を準備するために多少の時間が必要だったのだろう。

  マスコミ各社は内田監督に狙いを定めて総攻撃を展開しているが、一般国民の不満は日大の体質に限られたものではない。日本人は根本的に「汚いこと」が嫌いなのだ。たとえ禁止ルールに抵触していなくとも、卑劣なプレーをする選手に不快感を催す。例えば、審判にバレなければ、ドサクサ紛れに相手選手の足を踏みつけたり、膝蹴りを食らわせたりすれば、観客は「汚い奴」と判断し、反射的にそっぽを向く。格闘技の試合だと、ファンは八百長判定に敏感となる。特に、外国人選手と日本人選手が対決したとき、KO決着で終わらず、判定に持ち込まれると、日本人側に有利な判定が下されることが“たまに”ある。今年5月に行われたRizinの大会で「朝倉海vsマネル・ケイプ」戦があり、判定で朝倉氏が勝った。しかし、何となく納得できない、疑惑の判定という印象が残った。もしかしたら、日本人選手の人気者を作ろうとして、審判とプロモーターが仕組んだという可能性もある。人気商売だから仕方ないけど、予め日本人選手が勝つような対戦カードを組んで、もし判定になったら甘い評価で勝たせる、という筋書きもあるのだ。

  しかし、こうした「仕込み試合」を見せられると、真剣試合を望む格闘技ファンは白けてしまう。もちろん、秋山成勲みたいに、脚にローションを塗って出場するなんて論外。彼は卑劣な朝鮮人の見本である。秋山が日本で嫌われるのは、単に反則行為を犯したからではなく、その根底に「卑劣さ」染み渡っていたからだ。秋山は違反が発覚しても心からの反省が無く、どことなく「ふてぶてしい」ところがあった。彼はブーイングを行う日本人の観客に対し、“民族的”な憎しみを抱き、それが周りに漂っていた。一方、日本人も彼の内面から臭ってくる怨念を肌で感じていたから、益々嫌いになったのかも知れない。

  日本人は何よりも「汚い」試合を嫌うので、たとえ日本人が負けても、正々堂々とした試合を行えば外人選手を讃える。2006年にTBSが亀田興毅とファン・ランダエタ戦を放送したが、あまりにも怪しい判定決着があったので、勝者の亀田選手と審判団に非難が集中したことがある。プロモーターとTBSは亀田フィーバーを持続させるために、無理矢理にでも勝たせたかったのであろうが、それが裏目に出てしまった。八百長とは言わないが、判定の際、ジャッジに何らかの“さじ加減”があったんじゃないか。そうでなければ、あんなに大勢の人が不満を漏らす訳がないだろう。テレビの視聴者だって疑問に思ったくらいだから、お金を払って会場に赴いた観客なら尚更だ。ボクシングに詳しくない素人の視聴者でも、「なんだぁ、ヤラセかよぉ。ひでえなぁ~」と愚痴をこぼしていた。

米国の球界に広がる薬物汚染

  今回の騒動を以て、各マスコミは稀に見る悪質反則を糾弾したが、似たような不正は他のスポーツ界にもある。海外のスポーツ選手による不正なんか、ちっとも珍しくもない。「名声」と「俸給」が絡めば、大半の者が悪魔に魂を売ってしまうのだ。例えば、アメリカのプロ野球界に蔓延する薬物問題は深刻で、有名なメジャーリーグ選手だって例外じゃない。ロヂャー・マリス(Roger Maris)の記録を破った人気選手のマーク・マグワイアー(Mark McGwire)は、怪しげな“サプリメント”の「アンドロステンジオン(Androstenedione)」、すなわち禁止されている筋肉増強剤を使用し、目覚ましい成績を残した人物である。しかし、この薬物使用が発覚し、本人も認めたので、その名声は地に堕ちてしまった。「栄誉の殿堂(Hall of Fame)」に入るはずが、「恥辱の殿堂(Hall of Shame)」入りになるんだから、人生に於いて一寸先は闇である。

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(左: ロヂャー・マリス  / マーク・マグワイアー  / サミー・ソーサ  /  右: バリー・ボンズ )

  こうした不正薬物の使用は、まさしく球界全体に浸透しており、日本でも有名なバリー・ボンズBarry L. Bonds)やサミー・ソーサ(Sammy Sosa)もドーピング疑惑をかけられ、本人たちは否定していたが、周囲の選手やファンは限りなく「クロ」と思っている。米国の野球解説者だって、堂々と二人の「無罪」を口に出来ず、「容疑」という推測にしてお茶を濁していた。ボンズやソーサの筋肉が見る見るうちに変化し、それと比例するかのように打率を上げて行く姿を目にすれば、誰だってステロイド使用を勘ぐるじゃないか。90年代末から「ステロイドを使っているんじゃないか?」と疑われたボンズは、白々しく「筋肉トレーニングとサプリメントを加えた食事療法のお陰だ」、と反論。サミー・ソーサもステロイド疑惑を持たれたが、決定的な証拠が挙がらず、未だに真相は闇の中である。でも、同僚選手やジャーナリスト、野球解説者の間では、ほぼ黒に近い「グレー(灰色)」と思われており、疑惑は晴れない。しかし、米国では一つ一つ容疑を潰してゆけば「無罪」になる。たとえ、検査で陽性反応が出ても、一流の弁護士が理屈を捏ねて「白」にするんだから安心。でも、アメリカの社会的腐敗を指摘するデービット・カラハン(David Callahan)が、著書の中で述べている内情は本当だろう。

  プロスポーツ界は極端な世界だ。成功すれば文化的偶像にして億万長者になれるが、失敗すれば傷つき、破産し、選手生命をほとんど絶たれかねない。こうした状況では、人は極端にふるまう。九十五年に一流選手百九十八人を対象に実施された調査では、すべての競技会に優勝するためなら五年間薬物を使うと、半数以上が回答。たとえ、五年後には副作用で死ぬとわかっていてもだ。(デービット・キャラハン『「うそつき病」がはびこるアメリカ』 小林由香利・訳、 日本放送出版会、2004年、p.98)

Lance Armstrong 1(左  /  ランス・アームストロング)
  実力主義で人気選手に多額の報酬を与えるアメリカでは、その栄光と現金に魅せられ、「薬物で寿命が縮むかもしれない」とか、「倫理的に悪い」と判っていても不正を行う選手が絶えない。自転車競技界でも薬物汚染が“常識”になっており、有名なランス・アームストロング(Lance E. Armstrong)選手の薬物スキャンダルはヨーロッパのみならず、アメリカでも大々的に取り上げられていた。アメリカ人スーパースターのランスは、毎回ツール・ド・フランスに出場し、強豪揃いのフランス人選手達を見事に追い抜いていた。普段から気に食わない、傲慢なヨーロッパ人選手を完敗させるアームストロングだから、アメリカのファンは溜飲が下がる思いだ。ところが、凱旋の英雄は、尊敬に値する偉人どころか、禁止薬物まみれのダーティー・ヒーロー。当時、ヨーロッパのジャーナリスト達はランスを忌々しく思い、彼が捨てたゴミを漁って、何かないかと探しまくり、彼の過去も掘り返して、薬物使用の証拠を見つけ出そうと躍起であった。フランス当局も二年間に亙り、アームストロング選手と彼のチームメイトを召喚して薬物検査と尋問を行ったそうだ。これだけ執拗な調査をされれば、アームストロングが尻尾を摑まれてもおかしくはない。

  1998年、「フェスティナ(Festina)」というトップ・チームに属するウィリー・ヴォエ(Willy Voet)が、薬物を詰め込んだクーラー・ボックスを数個持っていたところ、フランスの税関に捕まり、大きなスキャンダルとなった。ヴォエによれば、一流の自転車競技選手のほぼ全員が何らかの薬物を使用しているという。薬物を使用していない選手は、「最後尾」をノロノロと走るのがオチであるらしい。記録を伸ばしたいと切望する選手達の間では、エリトポロチエン(EPO)は人気の商品。このEPOは人工ホルモンで、血液が運ぶ酸素の量を増やしてくれる特効薬だ。そして、選手にこうした薬物の「需要」があるなら、製薬会社に「供給」があると考えるのが普通だ。案の定、ジョンソン&ジョンソンをはじめとする、EPO製造を許された製薬会社が“こっそり”と選手達に流していた。EPOは便利な薬で、一年中使う必要はなく、数週間の使用で充分。そのため、選手が不正をはたらいている場合、数週間経ってもその効果は続いているのに、その不正を見つけるとなれば容易ではない。EPOは生理食塩水で薄めると、使用中でも血液検査に引っ掛からないので大変重宝。したがって、専門医を雇う一流選手なら、薬物検査で発覚するようなヘマは犯さないはずだ。

詐欺師まがいの證券アナリスト

  欲望渦巻くアメリカでは、各界で不正や腐敗は当り前。「正直は美徳」という格言は、ベンジャミン・フランクリンが生きていた時代の神話に過ぎない。拝金主義と個人主義が絡まり、不義を行っても成功すれば輝かしい「勝ち組」で、ズルを憎んで地道に働く奴は、何時までたっても貧乏なまま、所謂「負け組」だ。例えば、親のコネやお金で名門大学に入ったお坊ちゃんは、真面目に講義を聴いて勉強せず、有料サイトから模範文をダウンロードして、期末レポートや卒論と称して提出するらしい。凄い奴は大学のコンピューターに侵入し、自分の成績を改竄してご卒業。こうして「ご立派な学歴」をつけた学士様は、一流企業に入って高額所得者に。とは言っても、あくどいカネ儲けと、敏腕税理士を用いた節税(脱税)のお陰だったりする。さらに、ストック・オプションやゴールデン・パラシュートで、早期退職後もリッチな生活が待っているから羨ましい。

  成功したビジネスマンには、ツラの皮が分厚い奴がいて、筆者が覚えている例を紹介すれば、人気證券アナリストだったヘンリー・ブロジェット(Henry Blodget)を挙げることができる。彼はイェール大学卒業後、大手證券会社のプルデンシャルに勤め、1998年にAmazon.comの株高を予測し、それを皮切りに予言者と讃えられるようになった。それから間もなく、彼は300万ドルの契約金でメルリリンチに転職。インターネット株で儲けようとする投資家に大好評で、株式アドヴァイザーや経済評論家としても有名になり、CNBCの番組やCNNの「マネーライン」に出演し、“引っ張りだこ”のアナリストになった。しかし、そんなブロジェットが非難された切っ掛けは、インターネット関連株の「インフォスペース」社を「買いだ」と言い続けたことにある。この「嘘つき」アナリストは、インフォスペース社の株が急落していたのに、それを無視して顧客や視聴者に勧めていたのだ。下落市場(Bear Market)を上昇市場(Bull Market)と語っていたんだから悪質だ。

  日本では「馬」を指して「鹿」と呼べば「バカ」と笑われるが、米国だと「熊」を「牛」と呼んでも馬鹿ではない。「鷺(サギ)」のように賢い奴、と称されるのだ。ただし、ブロジェットの言葉を信じて損をした小児科医のデバセス・カンジラルは激怒した。彼はメリルリンチを相手取って民事訴訟を起こし、結果的に勝利した。当時のニューヨーク州司法当局に属していたエリオット・スピッツァーは、この事件を担当し、衝撃的な実態を暴いたことで世間の注目を浴びることになる。(後に、買春事件で自分が州知事を辞任する破目になるなんて、この頃は想像もしていなかった。) この調査でブロジェットが書いたメモが発見され、その内容があまりに酷いので、アメリカ国民は唖然とし、多くの者が驚いたという。ブロジェットは自分が勧めるインフォスペース株を「ゴミ」と呼び、「カス」と呼んでいた株もあったそうだ。捜査に当たったスピッツァーから見れば、この投資アドヴァイスは、会社側とプロシェットの組織的な證券詐欺にしか思えなかった。結局、メリルリンチ社は1億ドルの和解金を払って事態を収めたそうだ。

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(左: ヘンリー・ブロジェット  /  右: エリオット・スピッツァー)

  ところが、事件の中心人物であるブロジェットは、所有していたメリルリンチ社の株を約500万ドルで手放し、「シリコン・アレー・インサイダー(Silicon Alley Insider)」を設立し、同社のCEO(最高経営者)兼編集長になった。そして2017年になると、有名な経済情報メディアの「ビジネス・インサイダー(Business Insider)」に転職し、これまたCEO兼編集長に納まったのである。それにしても、SEC(米国證券取引委員会)から目を附けられた前科者が、ビジネス誌の編集長だなんて、オーナーは一体どんな頭をしているんだ? しかし、日本も似たようなものである。生まれた時からデフレ経済で苦しむ若者からすれば、バブル景気真っ只中の日本は夢のよう。ところが、当時の日本には悪魔がいた。今では忘れ去られているけど、単なる「総量規制」の通達で、バブル経済を一瞬にして破壊せしめた大蔵省官僚、土田正顕(つちだ・まさあき)の罪は消えることがない。誰かが語り継ぐので、「未来永劫に」だ。この銀行局長は日本国民を奈落の底に陥れたのに、土下座して切腹もせず、あろうことか国民金融公庫の副総裁に天下りし、2000年には東京証券取引所の理事長になった。さらに、この不逞役人は東証を株式会社化すると、その功績で初代社長に就任。いやはや、「すごい」の一言に尽きる。

  でも、バブルが弾けたせで、自分の会社を失った経営者は、この“栄転”と“渡り”を知って、どんな感想を持っていたのか? 「この野郎 !」と拳を握りしめた人も多いだろう。自社が破綻して自宅まで手放した元社長とか、勤め先がいきなり倒産して失業者になったサラリーマン、地価が暴落して人生まで地獄と化したビジネスマンなど、いったい何人が土田を恨んだことか。世間のオっちゃんやオバちゃんは何も知らないから、東大卒のエリート官僚を「すごいわねぇ~」とベタ褒めするが、役人が犯した秕政と失態を味わえば、こんな称讃は直ぐに吹っ飛んでしまうだろう。現在の官僚は一代限りの「エリート」なので、現役中に最大限の利権と財産を貯め込み、退官後も「渡り」を繰り返して蓄財に励む。役人生活でどんな迷惑を国民に掛けようが、「俺の知ったことではない。政治家が決めた事を行ったまでだ」と開き直るんだから、彼らの辞書には「破廉恥」という項目が無い。

  江戸時代の武士と違って、現代のお役人様は転属したり退官すれば「お咎め無し」で、満額の退職金を手にして笑顔でバイバイ。息子が世間の非難を浴びることも無い。「親と子は別」なので、「末代までの恥」なんか最初から無いのだ。公務員の採用試験にだって、人格テストは無いから、頭が赤くてもいいし、反日思想の持ち主とか、天皇陛下を侮蔑するような人物でもいい。土田のようなキャリア官僚にとって一番大切なのは、国家国民の利益じゃなく、大蔵省(財務省)全体の権益を守ること。一般国民なんて、下界の召使い程度。不正を犯しても、所属官庁と同僚に迷惑を掛けなければいい。国民がどれだけ苦しもうが、同期の仲間が助けてくれるし、辞任しても天下り先が確保されているので安心だ。霞ヶ関のお役人様というのは影の実力者なので、大臣なんかアイドル歌手と同じ。「アイドル一年、大臣二年で使い捨て」が常識だ。国民はお上に奉仕する人足以下の存在。だから、日本の「民主主義」は、民衆が主体の代議政体じゃなく、役人が「民衆の主人」となる官僚制衆愚政治の別称である。実際、「民主党」政権を思い出せば分かるじゃないか。

  日大の悪質タックル問題とだいぶ逸れてしまったが、要するに、現代の日本人は共通の倫理規範を捨ててしまったということだ。あのような暴力的タックルをすれば、被害者が半身不随になる危険性もあったはずで、宮川選手や内田監督は充分理解していたはずである。しかし、自分が指導するチームが優勝すれば、内田氏は名監督と称讃され、栄光の人生を送ることができる。宮川選手も明るい将来を期待でき、高額報酬を手にできたかも知れない。たとえ、被害者が激痛に苦しもうとも、そんなのは「負け犬」の歎きで、マスコミも負傷者より優勝者を取り上げる。テレビ局にとって、高視聴率こそが一番。「フェア・ブレー」なんてお金にならないから、反則すれすれでも大興奮をもたらす激戦の方がいい。スポーツ界ではトップ選手が持て囃され、凡庸な選手に比べて数十倍ないし数百倍の契約金を得る。だから、選手は「違法」ぎりぎりの不正を行うし、ルールの抜け穴を見つけてズルをしようとするのだろう。(ドーピング検査で「陽性反応」がでなければ、どんな薬を使おうが「大丈夫」という訳だ。)

  昔、山本書店を経営していた山本七平・元陸軍少尉が述べていたけど、親子で共通の規範が無いと、子供の不祥事を叱ることが出来ないという。例えば、少女売春をした娘に対し、父親がその罪を咎めた場合、娘が「野球の長嶋茂雄は肉体を使ってお金を稼いだんだから、私も体を使って稼いだだけよ !」と言い返せば、何も言えまい。「性交を用いて稼ぐことは罪である」という共通認識が無ければ、なぜ売春が悪いのか解らないし、叱責された娘は、世間体のために叱られているとしか思わないだろう。現在の日本人は理屈をつけて道徳を教えているが、本来、そんな屁理屈は必要なく、「駄目なものはダメ」と断言し、たとえ他人が見てなとも、「お天道様はちゃんと見ているんだぞ!」と教えねばならない。アメリカ合衆国を建てたイギリス人も、キリスト教に基づく倫理・道徳を重んじ、それ無くしては共和国の存続は難しい、と考えていた。だから、左翼どもが宣伝する「政教分離」など暴論で、建国者が意図したのは「国教会を樹立しない」ことであり、信仰を排除することではなかったのである。

  日本の教育界は左翼分子が独占しているので、学校では我が国の伝統や庶民の常識が疎かにされている。かつての武士が持っていた倫理に基づく美徳や、国家の名誉、独立不羈の精神、不正を憎み正義を貫く気概、悖徳への嫌悪、生き恥を避ける人生観、卑劣な行為を斥ける道徳心などが、いつの間にか抜かれているのだ。というのも、立派な少年は左翼分子にならないから、学生運動上がりの教師は、出来るだけ愚劣な青年を育成しようとする。彼らは将来の仲間を増やすべく、祖先の叡智を躊躇無く踏みにじって恥じない。学校に我が子を預ける親は、試しに歴史教科書を開いてみるべきだ。そこに書かれている内容や、執筆者の思考様式を知れば、背中に戦慄が走り、「うわぁぁ、どうしょう」と困惑するだろう。日大のタックル問題より、日教組へのタックルを考えた方がいいぞ。(両脚タックルが無理なら、片脚タックルという手もある。ちょっとオタク的意見だけど。)



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