教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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 戦慄のイスラム教

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(写真  /  ヨーロッパで激増する有色人種)

  歐米諸国のみならず、日本でも「移民」という異民族が流入したことで人種的および文化的摩擦が起こっている。アメリカでの人種対立は有名で、白人国家に黒人が混在しているものだから、毎日のように学校や職場で諍いが勃発し、全米ニューズとなれば深刻な社会問題になってしまう。これに加え、宗教が絡んでくれば話は更にややこしくなる。キリスト教徒のヨーロッパ人同士なら、せいぜいカトリック教会とアングリカン教会の棲み分け、あるいはルター派とカルヴァン派との教義的相違くらいで、今さら目くじらを立てるほどではない。だが、ユダヤ教徒やイスラム教徒がイチャモンをつけてくれば、即、信仰の全面対決となるから、適当な妥協点を見出すのは難しい。なぜなら、主流民族のキリスト教徒からすれば、「何で俺達の国でアイツらに譲歩しなきゃならないんだ?」と不満になるし、移住してきたイスラム教徒からすれば、「政治の場で劣勢に立つのは仕方ないが、信仰の面で異教徒に屈服するのは我慢がならない !」と意固地になるからだ。

  神道には壮大な哲学体系とか膨大な経典、厳格な誡律といったものが無いから、日本人はイスラム教やユダヤ教を奇異の目で見てしまう。しかし、アジア大陸のメジャーな宗教を見渡すと、何らかの教義や誡律のある方が普通である。特に、イスラム教は解りやすいというか、いかにも宗教らしい宗教だ。(詳しくは小室直樹著『日本人のためのイスラム原論』を参照。) 礼拝の仕方から食事、断食、巡礼など、具体的なことが詳しく規定され、日々の生活を隅々まで支配している。ところが、日本だと宮司や神主に訊いても、何をしたら願いが叶うのか解らないし、伝統的な参拝方法があっても、各人が勝手気ままに解釈し、違反したからといって処罰がある訳でもない。日本の宗教は性倫理に疎く、正妻、側室、妾、愛人、恋人、何人までが許されるのかも分からないから、日本の男は原則、無制限。日本人はイスラム教徒が4人も妻を持てることに驚くが、日本人は100人だってOK。愛人を全部「養女」にしてしまえば、一緒に住めるじゃないか。(この場合、扶養控除がどうなるのかは分からないけど。)

  誡律があったはずの仏教も、日本で普及すれば、いつの間にか骨抜きにされて「日本教」になってしまう。したがって、タイやベトナムの仏教徒が来日すると、日本の仏教徒を見てビックリ仰天。出家したはずの「比丘(坊主)」が妻子持ちなんだから。しかも、結婚前に女房とデートしたのはディズニーランドで、プロポーズがクリスマス・イヴとなれば、「本当に仏教徒なのか?」と尋ねたくなる。しかも、所有しているクルマが豪華。メルセデス・ベンツとかボルボなんだから羨ましい。中には、お寺が駐車場を経営する場合も。宗教法人には税制優遇がいっぱいだから、お坊さんは結構お金持ちである。(筆者が知っている「兼業坊主」は高価なボルボに乗って葬式場へと向かっていた。もちろん、髪を伸ばしていて、綺麗にパーマがかかっていたから、「坊主刈り」とは無縁である。) 大半の僧侶は真面目な聖職者なんだろうけど、中には“不可思議”な坊さんがいて、檀家の信者に「煩悩を捨てなさい」と説教するが、自身は夫婦生活や子供の進学、銀行ローンで悩んでいたりする。これじゃあ、どっちが心理カウンセラーを必要としているのか判らない。

  大量のアジア移民を許している日本ではあるが、まだ深刻な民族紛争や人種問題が浮上していないので、一般の日本人はまだ異文化の波に鈍感である。しかし、移民の津波を毎年受けている歐米諸国では、日本人みたいにノホホンと構えている事はできない。アフリカやアジアから来るイスラム教徒は、キリスト教世界に住んでも自らの生活を変えることはせず、遠慮なく独自の風習や信仰を貫いている。しかし、受け容れ側のヨーロッパ人からすれば堪ったもんじゃない。例えば、毎年、アーシュラー(Ashura)の日に行われるイスラム教の行事は、不愉快というより鳥肌が立ってしまうほどの恐怖である。ヒジュラ歴(イスラム教のカレンダー)における最初の月の10日目は、「カルバラの戦い」で殉教したフサイン・イブン・アリー(Husayn ibn Ali)を偲ぶ記念日であるという。この祭りは、主にアフガニスタンやイラク、イラン、レバノン、バーレイン、パキスタンで行われているそうだ。

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(写真  /  祭りで身体を傷つけるイスラム教徒)

  ただし、この宗教記念日には「タトビール(Tatbir)」という恐ろしい風習(儀式)があるので、ヨーロッパ人やアメリカ人だと到底受け容れることはできない。何と、この祭りに参加するイスラム教徒は、刃物で自分の身体、特に頭を傷つけ、血を流すことで自分の罪を浄化できると信じているのだ。もちろん、これは教義で決められている訳ではなく、民間の俗習というか、慣習的な要因で実践されているらしい。(Christy Cooney, 'Ashura festival sees children left covered in blood as devout Muslims use knives to slice their head open', The Sun, 10 September 2019) とはいえ、自分の頭皮を切り裂いて血を流す訳だから、西歐人がゾッとするのも当然だ。プロレスのリングでラッシャー木村が出血するのは「定番」だからいいけど、一般の平信徒が鮮血を流すなんて異常である。(現在の高校生や大学生が知っているレスラーといえば、蝶野正洋とか天龍源一郎、小川直也くらいだろうが、筆者が子供の頃はアントニオ猪木とか藤波辰爾、ミル・マスカラス、スタン・ハンセン、などが人気であった。悪役レスラーのタイガー・ジェット・シンはいつもサーベルを持って登場するが、なぜか剣先で相手を刺さず、グリップで殴っていた。意外にも、リングを離れると温厚なインド紳士であったから、たぶん八百長を上手に演じるビジネスマンであったのだろう。ちなみに、筆者が小学生の時、リングの側で観戦したときのシンは怖かった。)

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  脱線したので話を戻す。大人のイスラム教徒が血塗れになるのは怖いけど、幼い子供が泣きながら血塗れになるのはもっとおぞましい。歐米の上流階級が目にすれば、きっと眉を顰めるし、敬虔なキリスト教徒の婦人が目にすれば、警察官や児童養護施設の職員に連絡してしまうだろう。もし、“いかつい”顔のイスラム教徒が、パリやロンドン、ベルリンなどで身体に鞭を加えたり、ナイフで頭皮を切り裂いたら、おそらく政治問題となるに違いない。日本だって例外じゃないぞ。もし、上野や新宿、目黒でパキスタン人やイラク人が集結し、息子の頭に刃物を押しつけ、鮮血が吹き出したら、商店街のオっちゃんやオバちゃんは「ギャぁぁぁぁ~ !!!」と悲鳴を上げてしまうだろう。若い女性だと腰を抜かして、その場から逃げるように立ち去り、交番の警官に「不気味な外国人が殺傷沙汰を起こしています!!」と通報したりする。儀式の善し悪しは別にして、イスラム教徒の風習は我が国の気質にそぐわない。神道の儀式では清らかさが重視されるから、羊や牛を屠殺して捧げ物にしないし、子供や女を傷つけるような風習は無いから、アジアの宗教とは異質である。

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異民族の要求に屈する日本人

  日本人はイスラム教徒が溢れ出すフランスやブリテンを横目で見て、「あんな風になったら大変だなぁ~」と暢気に構えているが、我々にとっても異民族の浸透は他人事ではない。何しろ、アジアからの移民にはイスラム教徒が大勢混じっているのだ。以前、渋谷にある在日トルコ大使館前で、トルコ人とクルド人の乱闘があったけど、この光景を目撃した日本人は、「えっ、トルコ人って、こんなににいるの?」と驚愕したはずだ。筆者は先月、夜の10時頃、上野にあるアメ横を歩いてみたが、まるで東南アジアの繁華街を旅している気分になった。御徒町駅付近には、支那人や朝鮮人はもちろんのこと、中東アジア人も結構多く、煙が立ちこめるケバブ料理店の前で群れていた。既に、日本の田舎でもアジア人は珍しくなく、商店街や道路でもよく見かけるし、公共施設でもアラブ人やパキスタン人がいたりする。この前、筆者が公営プールに行ったら、胸毛と髭の濃いアラブ系の男が泳いでいて、「これじゃあ、ドイツと同じだ・・・」と“つい”嘆いてしまった。ドイツでは水泳プールでアジア系移民による性的事件が起こっている。例えば、中東アジアの若者が、水着で肌が露出した若い女性に近づき、性的な“ちょっかい”、あるいは暴力的な行為で逮捕される、という事件があった。

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(左 : 異人種混淆のクラス  /  右 : ヨーロッパに住み着いたイスラム教徒)

  異民族が押し寄せると、以前に無かった問題が発生してくる。しかも、解決しようと図れば、日本人が譲歩を強いられる、という事態が起こってしまう。一般国民は「そんな馬鹿なことはあるまい !」と思ってしまうが、学校教育を見てみれば、「あっ !」と気づくはずだ。学校に通う外国人、主にアフリカ人やアジア人が増えると、多文化・多民族教育が強化され、「異民族に対する偏見はいけません ! もっと寛容な精神を持ちましょう」と勧められるが、そうした注意の大半は強制的なものである。もし、茶色い肌のマレー人やインド人、イスラム教徒のアラブ人やペルシア人がクラスメートになれば、日本の子供は「うわぁぁ、変な奴がいるぞ !」と毛嫌いし、「何だ、あいつら !」と拒絶反応を示す。ところが、担任の先生は「差別をしちゃいけませんよ ! みんな平等なんだから。外見が違っていても仲良くしなさい !」と説教する。でも、子供は正直だから、「えぇぇ~、だって気持ち悪いじゃん・・・」と本能的に反撥するから、中々説得できない。

  小学校から大学に至るまで、左翼教師や人権屋は日本人が持つ「良心」や「道徳心」を突いて、自己反省を促し、異人種に対する警戒心や拒絶心、嫌悪感を抹殺しようとする。普通の日本人は““素直”に「あんな人たち嫌い !」と思ってしまうが、教師に従順な優等生や躾の厳しい家庭の子供は、「先生の言う通りだ。外人だからといって黴菌と思っちゃいけないんだ」と考えてしまう。日本人の幸せを憎む左翼学者は、無垢な日本人を学術用語で惑わし、その倫理道徳観を最大限に利用する。彼らはインテリの口調を以て、「人種差別は倫理的に赦されず、社会正義に反している !」とか、「異民族を嫌う者は視野の狭い頑固者で、理性ではなく感情で物事を判断する低脳児である」と罵る。そして、「正義感の強い教養人は異文化に理解を示し、寛容な精神に溢れています」と言い出す。

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(左 : 白人女性を性的な餌食にした犯罪者  / 中央 : 性犯罪に遭った白人女性  /  右 : 増え始めた異人種のカップル)

  こうして、左翼分子は日本人を優先する愛国者や移民に反対する保守派を牽制すると、レイシズム撲滅の解決策を提示する。例えば、人種偏見を矯正する「モラル・トレーニング」を提唱し、異民族と接触する子供達に人種や文化の相違を気にせず、異文化のポジティヴな側面を見るよう示唆する。次に、イスラム教徒や支那人、朝鮮人などに関する知識を授業で増やし、否定的なステレオタイプを捨てさせ、「人種」などは右翼どもが勝手に作った幻想で、社会的構築物に過ぎない、と諭す。第三に、「異文化や異民族を嫌う日本人の方こそ間違っており、違った文化を受け容れぬ者は井の中に等しく、無知蒙昧の輩である」と教え、外国人を排斥する日本の島国根性をせせら笑い、異民族にオープンな者を称讃する。つまり、彼らは日本人が持つ自然な拒絶反応を批判し、「日本人が自らを変えるべし」と命令するのだ。

  しかし、これはおかしい。なぜ、我々の方が押しかけてきたアジア移民に罪悪感や引け目を感じ、自ら進んで反省しなければならないのか? 招待されたわけでもないのに我が国に移住してくるイスラム教徒が反省すべきだ。彼らの方が日本の文化や國體を尊重し、我々の生活様式に同化すべきなんじゃないか。もし、イスラム教を保持したければ、家の中だけで信仰し、一歩外へ出たら日本社会に合わせろ。日本人のやり方に一々文句をつけるな、と言いたい。西歐社会に住み着くイスラム教徒は本当に図々しくて、学校で出される昼食が「ハラール(イスラム教で赦された食材や料理)」に反しているから、「別のキッチンでイスラム教徒用の料理を作れ」とほざく。日本の学校でもイスラム教徒の子供が増えれば、学校給食が別々になり、日系人用の食事と別の献立が用意されるに違いない。そうなれば、給食費が高騰し、日系人側の保護者から苦情が出るだろう。

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(左 : 激減する西歐系の子供  / 中央 : 西歐で増え始めたアフリカ系の子供  /  右 : 過激派のイスラム教指導者)

  また、アジア移民の親は学校に対し、「宗教的アクセサーや民族衣装を認めよ」と迫るから、「人権思想」とか「異文化尊重」という言葉に弱い教育委員会は、腰砕けになってしまい、人権・宗教上の観点からの「特例」として認めてしまうことが多い。こうなると、教室にブルカやチャドル、サリーを来た女子生徒が現れ、日本の公立学校とは思えなくなる。学校が「多文化主義」という方針を取れば、日本人生徒だって黙っちゃいないだろう。「パーマを認めろ !」、「私は髪を金色に染めたい」、「刺青やピーアスをしてもいいじゃないか」、「ファッショナブルな私服を着て登校したい」など、次々と要求が出てくるに違いない。インド人やアラブ人の生徒に「例外」を認めれば、学校側は日本人の生徒にだって同様の「特例措置」を認める破目になるだろう。かくして、学校の風紀は乱れ、高額所得者や上層中流階級の親は公立学校を避け、名門私立校に我が子を通わせようとする。荒れ果てた公立学校に残るのは、私立に逃避できない低所得者か下層階級の日本人だけ。かつて日本人は民族的な絆を持っていたが、これからは民族や所得、身分、階級でバラバラになってしまうだろう。グローバリストの商人どもは「当然だ」と吐き捨てるが、祖国を愛する日本の庶民は「大変だ ! どうしよう ?!」と後悔するに違いない。「バイきんぐ」の小峠英二なら「なんて日だ !」で済むけど、現実の社会では洒落にならない。「なぁ~、にぃ?!」と言って笑えるのは、「クールポコ」の小野ちゃんくらいだよねぇ~。(それにしても、あのコンビは今どうなったんだろう?)



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