教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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日本人は男尊女卑

  普段だと、馬鹿らしいので地上波のワイドショーなんか無視するに限るが、先日ある場所にいたところ、たまたまテレビを観る機会があったので、テレ朝がやっている「モーニングショー」を見てしまった。番組を仕切るのは羽鳥慎一で、コメンテーターにはレギュラーの玉川徹。その隣には、浜田敬子(はまだ・けいこ)という女性が坐っていた。筆者はこの浜田氏のことを知らなかったが、後で素性を調べてみたら、実は朝日新聞の社員ということが判り、『週刊朝日』の編集員を経て雑誌『AERA(アエラ)』の編集長になった人物であるそうだ。ところが、雑誌編集長を退任すると、浜田氏は社の「総合プロジェクト室」に配属され、現在は米国の『Business Insider Japan』を統括する編集長になっているという。

  おそらく、浜田氏との関連なんだろうが、「モーニングショー」は『Business Insider』が掲載した渡邊裕子の記事を取り上げていた。この渡邊氏は、ハーバード大学のケネディー・スクールを修了後、米国のコンサルティング会社である「ユーラシア・グループ」に就職し、日本担当ディレクターを務めた経歴がある。そして現在は独立し、中東アジアや北アフリカの政治情勢を分析するコンサルタント会社「HSWジャパン」を設立したそうだ。同社を運営する彼女は、複数の企業から依頼を受けて日本戦略のアドヴァイザーになっているらしい。

  在米生活が長い渡邊氏は、去年、エジプト人とイギリス人の男性同僚を連れて東京に出張したそうだ。そこで、彼らは移動手段として、毎日、地下鉄やJRを使っていたが、日本人の乗客が女性や老人に席を譲らない光景を見て渡邊氏は呆れたらしい。歐米人だと老婆や妊婦に対する気遣いがあり、自ら進んで席を譲るのに、我が国の乗客ときたら、電車が到着するや否や、椅子取りゲームのように小走りで駆け込むと、我先にと座席を獲得する。さらに、目的を達成した日本人は、坐った途端に目を瞑(つむ)り、自分だけの世界に没頭するそうだ。(あるいは、携帯電話の画面に釘付けとなり、周囲に何が起きても気づかない振りをする。) こうした日本人の行為に失望した渡邊氏は、当然のように席を譲る歐米人に言及し、次のように述べた。

  彼らを見ていると、こういう行為が本能的に身についていて反射的に自然にできているんだなと感じる。おそらくこれは、幼い頃からのしつけと、長年の習慣の賜物だろう。(渡邊裕子 「『日本人はなぜ席を譲らない?』とツイートしたら『レディーファーストって意味不明』と猛反発された」、Business Insider、2019年3月10日)

  筆者からすると、「やれやれ、またかぁ~」といった感想しか思い浮かばない。バブル景気が持て囃された1980年代、「これからは国際化の時代だ!」という一大ブームがあり、あまたの評論家や大学教授が、こぞってテレビやラジオに出演し、歐米諸国と我が国を比較して、「日本は遅れている!」とか「閉鎖的だ!」と大合唱していた。日本と歐米では歴史や文化が違うのに、仕事や留学で米国や歐洲に住んだインテリどもが、それを詳しく吟味せず、一方的に同胞を断罪する姿は非常に醜い。だいたい、歐米人と表面的に付き合ったくらいで“カルチャー・ショック”を受け、帰国してから同胞に当たり散らすなんて、本当に情けない。日本国民は彼らの劣等感を解消するための捌け口じゃないぞ。一般的に、洋行帰りの連中は、“遅れた”祖国に戻ってくると、テレビ局のプロデューサーや雑誌の編集員に「後進国の日本」を“ご注進”とくる。また、その告げ口を面白がるマスコミは、「ゼニ儲け」のネタになると踏んで、積極的に歐米の駐在員や留学生を出演させて喜ぶ。すると、反省好きの一般国民は、「そうかぁ~、これからは国際化の時代だから、日本人も態度を改めなきゃ・・・」と考える。まったく、何とも「お人好し」な民族だ。

  筆者も日本人が総て善良とは思わないが、渡邊氏が目にした「日本人」というのは、一体どんな種類の人々だったのか、とても興味が湧く。彼女は電車に乗った時、日本人の乗客がベビーカー(乳母車)を押した女性や、身体障碍者に対して親切ではなかった、と落胆したそうだ。ニューヨークの地下鉄なら、見ず知らずの人に対してでも、近くに居る乗客が「ヘイ、手伝おうか?」と尋ねたり、周りの乗客に対し、「ほら、あんた達、ちょっと手を貸してくれよ!」と声を掛け、自然発生的なチームができるそうだ。渡邊氏は次のように呟く。

  このような、アメリカに住む人たちの、ボランティア精神旺盛で、半ば強引で、もしかしたら日本では「おせっかい」と言われそうな行動や、同僚たちの日本の電車における積極的な親切さを見るにつけ、この違いは一体どこからくるのかと常々疑問に思っていた。(上掲記事。)

  確かに、アメリカ人には気軽に手伝ってくれる人がいるから、「親切な国民だなぁ」と思うことはしばしばあるが、筆者は日本人が道徳的にアメリカ人より劣っているとは思わない。なぜなら、普通の日本人は困っている人を見かければ助けようとするし、妊婦や老人、子供、身体障碍者がいれば尚更だ。渡邊氏が推測するように、電車の中で席を譲らないのは、通勤時間が長く、疲れている人が多いからだろう。しかし、中には「気恥ずかしさ」から声を掛けることができない、という人もいるんじゃないか。また、中高年女性に席を譲ろうしてても、「もう直ぐ降りますから」と断られて、気恥ずかしさを覚えることもあるし、「あら、私そんなに老けて見えるのかしら・・・」とショックを受ける中年女性もいるから、「余計な事はやめておい方がいい」となる。もし、本当に疲れている老人や、大変そうな妊婦、怪我をした人が前に現れば、「どうぞ」と席を譲るのが日本人だ。

「婦人優先」思想の愚かしさ

  でも、渡邊氏は「親切な日本人」のことは紹介したくないようで、代わりに外国人の優しさを紹介していた。例えば、ベトナムやケニアに住んだことのある友人の話を取り上げ、ベトナムの若い子達は年上の人に席を譲るとか、ケニアでも年寄りが大切にされている、と紹介する。また、支那に住んでいた渡邊氏の友人によれば、あのように人口の多い支那ですら、老人と子供を連れた人を見ると、若い人は積極的に席を譲るんだって。へぇぇ~。立派じゃないか。日本国籍を捨てて、支那大陸に永住したらどうなんだ。ついでに、渡邊氏も日本国籍を破棄して、支那国籍やベナム国籍、ケニア国籍を取得してアジアやアフリカに住んでみればいい。日本人はチャンコロ屋の教師から、「支那人は長幼の序を大切にする」と教えられているが、そんなのは身内だけ。評論家の黄文雄も述べていたが、「他人なんか、いつ死んだって構わない」と思っている。だいたい、老人や子供を大切にする民族が、他人の臓器を無理やり摘出して、「裕福な患者さん、いらっしゃい~!」と販売するのか?

  日本人の国民性にケチをつける渡邊氏は、彼女のツィートに噛みつき、「それでも日本は良い国だ」と反論する日本人に反撥を覚えていた。そして、渡邊氏はもっと日本人を批判すべく、「レディー・ファースト(ladies first)」を持ち出す。彼女は読者から寄せられた反論メッセージを紹介し、日本には「レディー・ファースト」というコンセプトを理解できない人がいると評していた。渡邊氏は世界経済フォーラムが発表した「男女平等ランキング」を引き合いに出し、2018年、日本は149ヶ国中110位で、G7最下位を更新しているから、「世界の中で最も男女不平等が激しい国」であるという。

  こんな戯言を聞くと、「まぁ~た、国際機関の統計をネタにした日本バッシングかよぉ~」、とぼやきたくなる。どうして、こうも歐米で学歴つけたインテリ女性は、よく調べないで国際機関を信用するのか。こんな調査報告書なんか、「どんな連中」が「どんな目的」で作成したのか判らない。渡邊氏は盲目的な国連崇拝者と同じタイプだ。このランキングを見た人なら判ると思うけど、日本より上位の国を知れば「一体どんな評価基準を用いているんだ?」とビックリするはずだ。もちろん、上位は定番の北欧諸国が占めている。(「The Global Gender Gap 2018」にある表からの順位。)

  1位 アイスランド 
  2位 ノルウェー
  3位 スウェーデン
  4位 フィンランド

ところが、5位はニカラグア、6位がルワンダ、8位にフィリピン、10位にはナミビアがつけている。驚くのはまだ早い。ドラム・ロールを附けて紹介したくなるけど、以下の国名を目にしてビックリしちゃいけないよ。

 40位 コロンビア
  41位 エクアドル
  43位 ウガンダ
  44位 ジャマイカ
  47位 ジンバブエ
  48位 ハングラデッシュ

  とまぁ、この辺で厭になってしまうが、更に紹介すると、

  71位 タンザニア 
  76位 ケニア
  79位 スリナム
  87位 エル・サルバドル
  89位 ガーナ
 101位 マレーシア
 103位 支那
 107位 グァテマラ
 106位 フィジー
 109位 モーリシャス
 110位 日本

   ざっと、こんな順位になっているけど、一般国民の中には「モーリシャス(Mauritius)って、何処の国?」と首を傾げる人もいるんじゃないか。世界地図を広げてもらえば判るけど、インド洋側に面したアフリカ大陸の沖合にマダガスカル島があるが、その東に位置するのが「モーリシャス」で、小さな島々から成る共和国。この島は昔、ネーデルラント領になっていたから、ナッソウのモーリッツ公(Maurits van Nassau)に因んで名付けられたという。ちなみに、彼はネーデルラント連邦共和国の初代君主、「沈黙王(Willem de Zwijer)」と呼ばれたオレンジ公ウィレム1世の息子で、「オレンジ公マウリッツ(Maurits van Oranje)」としても知られている。

Bangladesh 1El Salvador 2








(左 : バングラデッシュの女性 / 右 : エル・サルバドールの女性 )

  普通の日本人なら、こんな僻地の島は知らないと思うけど、ここで暮らす女性は、日本人女性よりもランクが上らしい。でもさぁ、日本人女性の社会的地位が、支那人やマレー人のそれよりもずっと低いなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいじゃないか。しかも、「フィジー」に住む南洋土人よりも低いというから、もうアホらしくて聞いていられないだろう。常識で考えてみれば分かるけど、コロンビアやエクアドル、エル・サルバドル、バングラデッシュから逃れてくる難民はいるけど、日本からこれらの国へ逃れる女性がいるのか? 日本人女性を憐れむ渡邊氏は、試しに、中南米で暮らす一般人女性に向かって、「あなた達は日本人女性より恵まれています」と言ってみろ。どんな答えが返ってくるのか楽しみだ。

Filipinos 1Uganda 2








(左 : フィリピンの女性  /  右 : ウガンダの女性)

  とにかく、外国のフェミニストが何と言おうとも、“まとも”な学者が調べれば、日本女性のランクは1位か2位である。日本の順位が低いのは、民間企業とか役所、学校に勤める“うだつの上がらない”能無し女が、日頃の“鬱憤”をぶちまけるからだ。もし、料亭の女将とか職人を率いる棟梁のオカミさん、本家の隠居婆さんなどを調査すれば、「日本女性の地位は物凄い」と分かるはずだ。筆者が小さい時から知っているオバちゃんは、もう引退したけど、以前は敏腕の保険外交員で、上司よりも給料が高く、亭主を尻に敷いていた。こういった有能な女性は、そもそも調査員に会わないし、たとえ会っても愚痴をこぼさない、余計な事は言わない、儲かっていても秘密だから、調査資料には貢献しないものである。しかも、外人の学者は日本語が全くの苦手で、彼らは英語の達者なホワイトカラー女性ばかりに接触し、彼女達から聞き取り調査をするので、どうしても歪んだ日本人像を抱きやすい。

Jamaica 1Ghana 2








(左 : ジャマイカの女性  / 右 : ガーナの女性 )

  話を戻す。渡邊氏によると、日本から「レディー・ファーストが消えた」のではなく、そもそも「日本には最初から存在していない」そうだ。そして、彼女は「なぜ、日本の男達はレディー・ファーストができないのか?」と疑問を呈する。だが、渡邊氏が思いつく答えは明快で、日本人男性が「知らない」だけ。なぜなら、日本で育つ男の子は、「真摯たるもの、女性を守り、敬意を持って大切に扱わねばなぬ」という騎士道精神や、「女性をエスコートする際のマナー」の基本を、家でも学校でも教えられていないからだという。そして、女の子の方も、「エスコートのされ方」を教えられていないからである。

  へぇぇ~。なるほど、日本には武士道精神があっても騎士道精神が無いから、女性に対する敬意が無いのかぁ~。要は、女性を自動車に乗せる時に、助手席のドアを開けないとか、重い荷物を運んでやらないからダメということらしい。でも、日本人だって恋人にはドアを開けてやるし、子供が重いバッグを持っていれば助けてやるぞ。(ただ、40年くらい連れ添った夫婦だと、別々に行動する方を好み、「別れない理由は?」と訊かれると、困った奥様は、「そうねぇ~、“人類愛”かしら・・・」なんて答える。何しろ、ペットの猫ちゃんやワンちゃんの方が大切なんだから仕方ない。巷のカミさん達ときたら、ビタミン不足の老犬をいたわり、ちょっと値が張る「高齢用ペットフード」を買うくらい、ペット愛が強いんだから。肝心の亭主にはサバの缶詰くらいなのにねぇ~。) 渡邊氏には分からないだろうが、日本で職場の同僚女性に「レディー・ファースト」を行うと、「何か下心があるんじゃないか?」と疑われる危険性がある。また、トドみたいな体型のオバちゃんとか、ひねくれたブス、難癖をつけそうなフェミニストなんかは、助けようとは思わないし、何かあるとマズいから、「君子危うきに近寄らず」と最初から係わらず、知らんぷりするのが得策だ。

  そもそも、日本人男性に対し、「レディー・ファーストが身についていないわよねぇ~」と文句を垂れる女性って、どんなタイプなんだ? 渡邊氏は日本人の現状に不満を漏らしていたけど、彼女が接する周囲の日本人男性はどうなのか、具体的に知りたい。筆者が米国に留学していた時、図書館で「まともな婦人」を目にすれば、さっとドアを開けてやったし、前方から近づいてくれば、ドアを開いて待ったものだ。女性が重い荷物を持っていれば、「持ちましょうか?」と声を掛けるのは普通だったし、クルマのドアを開けてやるのもしょっちゅうだ。でも、筆者とアメリカ人との違いは、その「心掛け」にというか、「信条」にある。

  筆者の「レディー・ファースト」は総ての女性を対象にしておらず、筆者の好みとか判断に基づき、嫌々ながらの「レディー・ファースト」はしないことに決めている。なぜなら、「明き盲(めくら)」になって平等な親切を義務にすることはできないからだ。一方、アメリカ人は誰にでも“平等”に「レディー・ファースト」を行う。が、それは女性を大切にするからではなく、「レディー・ファーストむを行っている「自分」が好きなだけ。つまり、アメリカ人には偽善者が多く、紳士的な行動を取って、自分の姿を周囲に見せびらかす。彼らは自分が如何に立派な紳士であるかをアピールし、世間の評判を上げようと心掛ける。なるほど、渡邊氏が言うように、アメリカ人の男の子は幼い時から女性を優先するよう躾けられているが、それは「自然」な気持ちからではない。「調教」と言った方がよいだろう。

   一応、紳士を理想とするアメリカだと、 白人の男の子は、教師や親から「気に入らない女性でも、ちゃんとレディー・ファーストにしなさい」と注意されるので、仕方なく紳士ツラをしている場合が多い。例えば、シンディー・クロフォード(Cindy Crawford)や、A.J.クック(Andrea Joy Cook)、エミリー・ブラント(Emily Blunt)みたいな女性が前に現れれば、率先してドアを開けたり、荷物を持とうとするが、ウッピー・ゴールドバーグ(WhoopieGoldberg)みたいな黒人やサラ・ギルバート(Sara Gilbert)のようなユダヤ人、マーガレット・チョー(Margaret Cho)の如きアジア人、ルナ・ローレン・ヴェレス(Luna Lauren Velez)風のヒスパニック女性だと、何となく「どうでもいいや」と思ってしまい、そのまま通り過ぎたりする。いくら調教されたアメリカ人とはいえ、やはり心の底には「好き嫌い」の感情が渦巻いているから、「レディー・ファースト」をする時の表情や態度に温度差が出てくる。様々な人種が雑居する国では、微妙な差別や表面上の親切が横行しても不思議じゃない。日本人は“偽りの心”で善いことをすることに抵抗があるから、無差別の「レディー・ファースト」に躊躇ってしまうのだ。

  なるほど、「レディー・ファースト」の起源には騎士道精神があるのかも知れないが、アメリカ人は他人の目を意識した「偽善行為」を“自然”にできるので、ある意味すごい。敬虔なキリスト教徒のアメリカ人なら分かると思うが、聖書には次のような言葉がある。

  見てもらおうとして、人の前で善行をしないよう注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとでむくいをいただけないことになる。(マタイの福音書第6章1節)

  アメリカには聖堂や学校で熱心に祈る姿を見せびらかし、自分が如何に敬虔な信者であるかをアピールする輩がいる。もし、本当に天主に祈りを捧げたいなら、学校に行く前、誰も居ない寝室の中で独り静かに祈ればいいじゃないか。外で実践する慈善行為だって同じだ。知り合いが見ていなくても、進んで小汚い下層民や乞食に優しくすればいい。ところが、名門大学を目指すアメリカ人は、どのようなボランティア活動をしたのか、自己推薦文に堂々と書く。ツラの皮が厚い奴になると、面接で蕩々と喋るんだから、聞いている方が恥ずかしくなる。アメリカでよく見かける「レディー・ファースト」だって、ホントに「本心」からの行為なのか怪しいぞ。

  渡邊氏は日本人に「レディー・ファーストの精神が欠けている」と説教するが、そもそも米国には「レディー」がそんなに多くいるのか? 歐米諸国にたって「オバタリアン」や「生意気な小娘」、「ズベ公もどき」、「単なる大人の雌」だってあちこちに居るじゃないか。アメリカ人は街の「立ちんぼ(娼婦)」に対しても「レディー」と呼びかけるが、本来なら、教養とマナーを兼ね備えた中流階級以上の婦人を意味したはずだ。

  昔、クラナダTVが放送した『シャーロック・ホームズ』を観たんだが、ある一つのシーンが今でも印象に残っている。ベーカー街の自室にいるホームズは、ある研究に忙しく、誰とも会いたくはなかった。しかし、家政婦のハドソン夫人は、玄関先で探偵の依頼をする女性の訪問を受けた。そこで、ハドソン夫人は二階にいるホームズの部屋に赴き、依頼の件を告げようとした。ところが、ホームズは研究に夢中で、「今、依頼を受ける暇が無いので、その女性に断ってくれないか」と頼んだ。その時、戸惑うレイモンド夫人はホームズに向かって、「でも、彼女はレディーなんですよ!」と声を強める。すると、この言葉を聞いたホームズは一瞬で表情を変え、「では会いましょう。その婦人を部屋に通してください」とハドソン夫人に告げたのだ。

  富豪の屋敷に奉公する下女とか、職人の女房、つまらない仕事を持ちかける商人といった、単なる「ウーマン」なら追い返しただろうが、ある程度の身分を持つ貴婦人(lady)となれば話は別だ。たぶん、ホームズは「何らかの差し迫った問題があるに違いない」と察し、一応要件だけは聞いておこうと思ったんじゃないか。まぁ、ドラマだから仕方ないけど、身分の高いレディー役には、ゲイル・ハニカット(Gayle Hunnicutt)みたいな女性が起用されるから、視聴者も親身になって耳を貸したくなる。余談になるが、シャーロック役のジェレミー・ブレットの演技は絶品で、特に美しい貴婦人を相手にするときの表情がいい。一見すると冷たい表情のシャーロックだが、真摯な態度と頭脳明晰な推理は素晴らしい。緻密な論理的思考、他人を圧倒する雄弁さの名探偵を目にすれば、「やっぱり、ホームズ役には、ジェレミー・ブレットしかいないなぁ」と思ってしまう。

  またもや雑談になるが、「レディー・ファースト」について、一つ面白い逸話を紹介したい。婦人優先思想の起源を訊かれたイタリア人が、ある「心中エピソード」を話したことがある。昔、ある村に相思相愛のカップルがいた。しかし、両家の複雑な事情で二人は結婚することができない。というか、許されざる恋であった。そこで、熱愛の二人は、溺死の心中を図ろうとする。二人は船で沖に出て自殺しようとするが、男の方は惚れた女が水中で溺れる姿を見たくない。そこで、自分が先に海へ飛び込み、彼女が後追い自殺をするという事に決めたそうだ。恋人の顔をじっくり拝んだ男は、「えいっ!」と水に飛び込み溺れ死ぬ。ところが、この決死の入水を目の当たりにした女は怖じ気づいたのか、約束の心中を諦め、さっさと家に帰ってしまったそうだ。だから、イタリアでは女が先に飛び込むのを確認してから、男はそれに続くらしい。いやぁ~、「レディー・ファースト」の起源は愉快だねぇ~。たぶん、支那人も似たようなところがあるんじゃないか。エレベーターやローラー・コースターに乗るときは、女性を先に乗せることで安全性を確かめ、男は次の回を待って後から乗る。支那製の自動車とか新幹線は信用できないから、最初に乗車するのは愚かだ。やはり、女を煽(おだ)ててモルモットにしなきゃ。


薄情な日本人が輩出された理由

  「レディー・ファースト」を実践できない日本人の件は、様々な議論の分かれるところだから、ここでは深く立ち入らないが、この問題に関する浜田敬子のコメントは聞き捨てならない。彼女は老人や妊婦、乳母車を押す母親に対し、日本人の乗客が冷淡で、困っている人や助けが必要な人に手を差し伸べないと嘆いていた。浜田氏は弱い者を助けようとしない日本人男性を批判していたが、女子供という弱者を助けないのは朝日新聞も同じだろう。それどころか、朝日新聞は弱者を積極的に見捨てようとした張本人だ。

  もし、浜田氏や朝日新聞の重役たちが、女子供を助けようとする「立派な日本人」なら、どうしていち早く拉致された国民について報道し、武力を用いた同胞奪還を叫ばなかったのか? 筆者でさえ、1980年代に拉致事件の事を耳にしていたから、「おそらく、北鮮による拉致は本当だろう」と思っていた。ただ、日本には防諜組織とスパイ取締法が無いから、警察は大胆な捜査に乗り出せないし、社会党の代議士が邪魔に入るから、公然と北鮮を非難することはできまい、と半ば諦めていた。1980年代だと、まだ社会党や共産党が元気な頃で、土井たか子や高沢虎男が在日北鮮人を守っていたから、税務署や警察は悔し涙を流していた。当時は、まだ気骨のある警官や国民が生き残っていたから、もっと輿論が沸騰したはずなのに、左翼メディアは意図的に隠していたのである。

  朝日新聞に長年勤めていた浜田氏は、自分の会社が熱心に護憲運動や反軍闘争を支援していた事を知っているはずだ。正式な軍隊を持たない日本が、どうやって非力な女子供と老人を守れるというのか? 実際、日本政府は拉致された同胞を何十年もほったらかしにしてきた。拉致事件が明るみに出ても、自衛隊による奪還作戦は論外となっている。つまり、政府首脳は「必ず助け出します」と毎年叫びながら、その都度「肩透かし」で、実践するのは掛け声ばかり。本音では「早く拉致被害者の親が死んでくれないかなぁ」と思っているのだろう。もし、朝日新聞が助けを叫ぶ少女に同情するなら、どうして国防軍の創設や北鮮への武力攻撃に反対するのか? 子供を攫われた親に向かって、「あと1年待ってください」と言う警官がいたら異常だ。一般の親なら三日ともたない。一日で卒倒し、気が変になるのが普通である。それなのに、拉致被害者の家族は1年どころか、5年、20年、40年も待っているんだから、政府による実質上の「見殺し」と思われても反論できない。

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(左 : 助けを求めて涙ぐむ少女  /  右 : 口を開けて居眠りする呑気な日本人)

  浜田氏が言うように、日本人は弱者に対して冷淡なのかも知れない。しかし、それは朝日新聞やその仲間たるNHK、岩波書店、社会党、共産党、日教組、ピンク左翼が繰り返し子供達に植え付けた反日教育と反軍思想の賜物である。「レディー・ファースト」が騎士道に基づくのであれば、日本人の男も武器を取って女子供を守る気概を持つべきなんじゃないか。もし、西歐の騎士が自分の家族や仲間を拉致され、更なる脅迫や金銭の要求を受けたら、必ずや剣を取り、攫った悪党を斬り殺すだろう。奴隷にされた外国人じゃあるまいし、鎧を身につけた伯爵や公爵が、拉致犯に土下座し、金貨を差し出して、「どうか女子供を解放してください!」と頼むのか? そんな事は絶対にあり得ない。でも、日本人は北鮮に頭を下げ、「話し合いで解決しましょう」と持ちかけている。もう、末期症状だ。さらに情けないのは、国会議員の中には賄賂漬けになって、北鮮の狗(イヌ)に成り下がってる奴がいて、積極的に「友好」を呼びかける議員が盟友になっていることだ。自民党の河村建夫は、どこの政治家なんだ? もしかすると、金丸信の後継者だったりして。

  日本の伝統や文化を嫌うフェミニストや進歩的文化人を批判してもしょうがないが、朝日新聞には札付きのワルが多すぎる。朝日には同胞を救出することよりも、朝鮮人売春婦(鮮ピー)に同情する女がたくさんいて、『朝日ジャーナル』の編集長だった下村満子(しもむら・みつこ)、朝日新聞の編集委員だった例の松井やより、その仲間で早稲田大学名誉教授の中原道子(なかはら・みちこ)、朝日の記者で和光大学の名誉教授になった竹信三恵子(たけのぶ・みえこ)などは悪名高い。朝日は男も劣悪で、社長になった広岡知男(ひろおか・ともお)は支那人ベッタリで、本多勝一に至っては正真正銘、支那人の手先だった。NHKと昵懇の本田雅和(ほんだ・まさかず)と植村隆は朝鮮人の味方で、鮮人娼婦を擁護するが日本人少女は無視。たぶん、朝日新聞には「レディー・ファースト」を実践する男性社員がいたのだろうが、それは朝鮮人に限られており、日本人が対象ではない。「日本人ファースト」じゃなく「朝鮮人優先」がモットーだから、朝日は「チョウニチ」新聞って呼ばれるんじゃないか。凋落した朝日新聞は、日本国民に向けて「スポニチや東スポを買わず、一流新聞の朝日を優先的に買ってくれ!」と懇願するも知れないぞ。だって、「弱っている者を助ける精神」を説いているからね。



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