慣習を無視するマスコミ

  言葉は人間の創造だが人工物ではない。人間の脳による産物だが、頭脳を用いて計画された意思疎通手段ではない、ということ。歴史的経緯によって徐々に形成された遺産なのだ。各民族にそれぞれ特殊な風習があるように言葉にも独特の癖がある。外国人が「お前の母国語は変だ」といっても「よけいなお世話だ、ほっといてくれ」と言えば済むのが世界の常識。日本の役人やマスコミは異常で、朝鮮人や支那人からの「いちゃもん」に毎回ひれ伏している。国名や言語名について日本の慣習を変えろと要求してくる。無視すりゃいいのに「御意」と支那人・朝鮮人様に申し上げて恭順の意を示す。一般国民からの抗議は門前払いなのに東北アジア人には媚びへつらう文部省官僚や朝日新聞、NHKには屁だって呉れてやるのが惜しい。

「支那」は禁止用語

  毛沢東の赤い共和国を「支那」と呼ぶのは差別ではない。高島俊男や呉知英が縷々述べたからここでは繰り返さない。でも、ちょっとだけ言うと、1946年6月6日に外務省の岡崎勝男・総務局長が主要新聞社や出版社に「支那の呼称を避けることに関する件」なる公文書を送った。戦勝国気取りの中華民国が日本政府に対し「支那」の使用を禁止する命令を出したからだ。(伊藤一彦 『中国と「支那」』/ 『中国研究月報』 第49巻 1995年3月号 p. 52) 蒋介石がどんな文句を言おうが断固拒否すればよかったのに、唯々諾々と従ってしまっのが岡崎であり、「お上」に弱い進歩的文化人であった。岡崎は後に外務大臣に昇格。支那人に対して堂々と構えていた副島種臣と比較するのは蒼海伯に対して無礼だが、いやしくも天皇陛下の臣として恥をしれ、と言いたい。
  戦勝国のアメリカ人イギリス人が「チャイナ」と平気で呼んでいるのに、NHKの幹部は「中国」と言い換えている。日本のマスコミは「ビルマ」だって「ミャンマー」と言い換えている。米国ABCニューズのチャーリー・ギブソンがジョージ・ブッシュ夫妻にインタヴューした時、ギブソン氏が「ミャンマー」と呼んでいるのにローラ・ブッシュ夫人はあえて「ビルマ」と言い続けていた。媚びていなかったのが凛々しかった。
   NHKは毎回天気予報で広島県周辺を中国「地方」と呼び、迂闊に「中国」と呼ばぬよう注意を怠らないのである。「中国自動車道」を通行するのにパスポートはいらないし、「中国銀行」は人民元を発行できない。関西修学旅行のついでに「中国旅行」をした高校生はどうやって支那大陸に行ったのか。豊臣秀吉の「中国大返し」は毛利攻めから引き返したときの呼び名である。朝鮮征伐はやったが、小西行長も加藤清正も支那攻撃をしていない。NHKにとって支那は世界の中心「中華(the Middle Kingdom)」だろうが、一般国民にとっては「秦」があった所だ。本朝とは日本であって支那ではない。我々が言う「中国人(チャンコロ)」とは支那語の「チャンコーロー」を日本なまりで呼んだ言葉であるにも拘わらず、侮蔑語とされている。「チャンコロ(中国人)」と毎日呼んでいるNHKが、「支那人」と呼ぶ日本国民を非難するのは滑稽だろう。

南鮮人が嫌う「鮮人」

  「コリア」とは高麗から由来する国名であり、英語圏の一般人はその由来を意識せずに使っている。日本人が朝鮮半島南部国民を「南鮮人」または「韓国人」と呼ぼうが我々の勝手である。「北鮮人」と明確に区別するためマスコミ人は常に「韓国人」と言っている。「コリア」という英語発音はいいが、「チョーセン」という日本語発音は忌避する習性がある。「チャイナ・タウン」はよくて「支那人街」はダメというのと同じ理屈。南鮮人が「チョーセン」という日本語の響きを嫌ったからといって、なぜ日本人が母国語の変更を強制されるのか。鮮人を「チョンコ」や「ヨボ」と呼んでも侮蔑にならない。「チョパリ」と我々を呼ぶ南鮮人の方がよっぽど差別心が強いのだ。マスコミは政府の言論統制なら激怒して反抗するのに、在日南鮮人からちょっと叱られたくらいで盲従するのはどうしてなのか。

  NHKの語学講座には昔から色々あって「英会話講座」をはじめとしてフランス語、ドイツ語、イタリア語などの講座が放送されてきた。ところが、「朝鮮語」講座だけは「ハングル」講座になっている。「ハングル」とは無知な下層民のために創られた表音文字で、言語名ではない。「英語講座」を「アルファベット講座」と称したらABCの歌を踊って覚える小学生向けの番組みたいである。テレビ朝日の大下容子アナが昼の番組「ワイド・スクランブル」で、木村拓哉が朝鮮語で舞台挨拶をしたことを紹介するコーナーで「ハングルで挨拶しました」と言っていた。アホらしい。なら大和田莫はカタカナで喋っていたのか。テレ朝社員には一般教養が無くてもいいのだろう。
  筆者が以前、電話でハングル講座についてにNHKに尋ねたことがある。

  筆者 「どうして朝鮮語講座としないのか」
  NHK 「ハングル文字を覚えることを通して韓国語を学ぶのです」
  筆者 「じゃあ、他の講座だって「アルファベツト講座」とか「キリル文字講座」と呼ぶのか」

  問答は続いたのだが、NHKの職員は明確な回答を述べないで煙に巻こうと必死であった。こうした蒟蒻問答のなかで分かったことがある。朝鮮語講座の制作の講師スタッフに意見の対立があったそうだ。北鮮人講師は「朝鮮語」を主張し、南鮮人講師は「韓国語」を採用しろと要求していたので、「ハングル」と呼ぶ妥協案に落ち着いたというのだ。そこには日本人の慣習に対する敬意は全くなかった。筆者はつづけてNHK職員に尋ねた。なぜNHKは昔、ドイツ聯邦共和国を「西ドイツ」、ドイツ民主主義共和国を「東ドイツ」と呼んでいたのに、朝鮮はどうして「南鮮」とか「北鮮」と呼べないのか。冷戦時代に分断されたドイツは略語で呼んでいいのか? 南鮮人の朝鮮語は「韓国語」と呼ばねばならぬのに、オーストリア人の公用語は「オーストリア」語ではなく「ドイツ語」。ベルギーでも「フランス」語が話されるし、リヒテンシュタイン公国では「リヒテンシュタイン語」など聞いたことがない。一般国民はアメリカ大陸の英語をわざわざ「米語」と呼ばない。我々が慣習に従って言葉を話すのは自由。在日朝鮮人がつべこべ口を挟むことではなかろう。さっさと本国に帰ればいいだけのこと。そもそも朝鮮語を学びたい日本人が何人いるのか。


異国の公共放送局

  NHKは日本国民から銭を巻き上げて、朝鮮人の為に使っているのだ。政府に対しては情報公開を要求するくせに、NHK自身の内部情報は秘密にするのだ。他人の銭で番組をつくらせて貰っているのに、受信料を払っている日本国民には無礼で、ずうずうしく居座っている朝鮮人には丁寧である。筆者が質問の電話を掛けたとき、NHKの番組担当者は筆者のことを在日朝鮮人だと勘違いして、いつもの横柄な口調とと違い対応がとても丁寧だった。「皆様のNHK」という宣伝文句を日本人は早合点していたのだ。「皆様」とは朝鮮人・支那人のことで、日本を愛する日系日本人のことではない。
  朝鮮人を敬愛するのはなにもNHKだけではなく、TBSも同類である。在日や帰化鮮人に対する配慮は特別である。李民和みたいな南鮮人を朝鮮人枠で社員に採用したり、卑怯な格闘家で有名な秋山成勲を応援したりするのも、朝鮮人を見下すことの裏返しからくる配慮である。筆者が韓流ドラマについてTBS社員に尋ねたとき、「朝鮮ドラマ」と呼んだら即座に「韓国ドラマ」です、と反論してきた。南鮮はどうしても「韓国」と呼ばねばいけないらしい。あんな野暮ったい低級ドラマを高値で購入して放送する日本のテレビ局は狂っている。NHKなど相当高値で放映権を買ってしまったんじゃないか。いくら値段を聞いても答えないのは、業者から高値で買って担当者がキックバックを貰っているのではないか。国民の受信料を湯水のごとく使って恥じないNHKには受信料を払わないことが゛最大の抗議となる。(筆者も第20世紀末から一銭も払っていない。「会長に直接会わせろ。NHKが抱える闇の問題を聞きたいから仲介を頼む。」といえば「厄介な人物リスト」に載って、集金人も来なくなる。) 

  日本語には罵倒語が極めて少ない。日本研究者だったハーバート・パッシン教授も驚いていた。他人を罵倒侮蔑する単語は山のようにある朝鮮語や支那語と比べたとき、日本語には罵倒する語彙があまりに少なかったことに気づいたのである。アメリカ人が日本語で他人を罵るときに迫力がないのも当然。朝鮮語なら思う存分怒りをぶつけることが出来る。汚い言葉が豊富にあるからだ。こうした事実を教えないNHK語学講座はやっぱり異邦人によって支配されているのだ。

 
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