日本統治を批判する宣教師

  日本による朝鮮統治は世界史に類を見ない善政であった。いや、善政どころか神の恩寵に匹敵する。モーゼに率いられたユダヤ人が、エジプトを脱出し、その後ヨシュアの指揮下でカナンの地を占領した。しかし、天主(ヤハウエ/God)は土地を呉れたが、住宅や農耕地はユダヤ人が自らが築かねばならい。神様は命令するだけ。一緒に働いてくれなかった。しかし、日本人は朝鮮人に指図をしたが、朝鮮人以上に努力し、資金だって日本から持ち込んだのである。これじゃ日本政府による日本国民の搾取である。日帝への怨みを叫ぶ朝鮮人は、やはり頭が狂っているとしか言いようがない。ドリーム・ジャンボ宝くじ1等賞を10回獲得した朝鮮人が、11回当選しなかったから不幸だと言い出したら、世間は何と思うだろうか。日本統治時代は朝鮮史で唯一の黄金期であった。こんな幸福は今後二度と朝鮮では起きないだろう。

  日本の乞食より貧乏だった朝鮮人が、単なる人間以上の存在、つまり栄光の“大日本帝國の臣民”に昇格できたのに、これを批判したのがアメリカ人宣教師であった。善人面した神の使徒が実はクセ者であるとは、何とも厄介である。彼らは帝国主義者の日本人が、純粋無垢な朝鮮人を征服したとでも思ったのか。否。宣教師が朝鮮でキリスト教徒を増やすために、反抗的朝鮮人に媚びた結果の対日批判であった。朝鮮での信者獲得数が宣教師の業績になるのだ。だから、朝鮮人のご機嫌を取って彼らを教会に連れ込もうとしたのである。こうした宣教師の捏造報告に激怒していたのが、朝鮮総督府学務局長の渡邊豊日子であった。(渡邊豊日子 『正義の勝利』は和田八千穂 藤原喜藏 共編 『朝鮮の回顧』 近澤書店 20年 pp.120-134) 渡邊氏は朝鮮での宣教師について述べている。

  通信映像手段が未発達な当時において、合衆国本土の教会で海外布教の実態を知りたいアメリカ人は、仲間である宣教師の報告しか手に出来ない。第19世紀から20世紀初頭の朝鮮なんて地球の秘境であり、東洋を知らないアメリカ人には想像できない異次元の惑星であった。まぁ、ガリバー旅行記に出てくる奇妙な野蛮人の国だと思えばよい。現在だって、アメリカ人は南鮮がどこにあるか分からないし、支那の隣邦であることを知っていれば、相当の知識人だ。グルジア(Georgia)と聞いたら、南部のジョージア州しか思い浮かばないのが普通のアメリカ人。タートル・ニンジャが好きなアメリカの子供は、日本に忍者がいると思っている。実は、伊賀や甲賀のイベントであることに気づかない。だから、アメリカ人に外国を理解させるのは至難の業である。

  アジアを熟知している人物を除けば、西欧人で嘘を平気でつく支那人や朝鮮人が普通に存在することを信じる者は中々いない。手品のように嘘を次々と口から出す一般人が存在するなんて、彼らの常識では把握できないのである。「独立」という時代を体験したことがない朝鮮人は、日本人から解放されれば、明るい未来が待っている、と信じてしまう。これを「馬鹿」というが、朝鮮人の頭は現実を理解する思考経路がない。ダダを捏(こ)ねると独立が達成できると思っている。宣教師は実際の政治(行政)に責任を持たないから、朝鮮人の妄想を簡単に支持してしまう。腹立たしいことに、朝鮮で布教活動をするアメリカ人宣教師が、しきりに日本の朝鮮統治を誹謗し、その支配は言語道断であるかのごとく、本国に報告していたのである。そこで、キリスト教青年会(YMCA)の会長を務めていたジョン・モット(John Raleigh Mott)博士が、農政に詳しいシカゴ大学のエドマンド・ブルンナー(Edmund De Schweinitz Brunner, PhD.)博士を招き、朝鮮視察を依頼したのである。

  このモット博士は当時、世界的に知られた人物で、今で言うならビリー・グラハム牧師くらいの有名人である。彼は世界キリスト教徒学生連盟(WSCF)の指導者で、1946年には、ノーベル平和賞を受けている。1923年、我が国も彼に勲一等瑞宝章を授与しているのだ。布教活動が盛んなアメリカで大御所的立場にあった権威者と理解すればよい。朝鮮の宣教師が日本統治にケチをつけていることを受けて、モット博士はそれを検証するためブルンナー博士を朝鮮に派遣したのである。伝聞や噂を鵜呑みにせず、専門家を用いて検証(verification)を行うアメリカ人は、支那人と違ってやはり偉い。

日本の業績を評価する学者

  エドマンド・ブルンナー博士は農政や地域開発を専門とする学者であった。ジョン・D・ロックフェラー Jr.(John David Rockefeller, Jr.)が、300万ドルの巨費を投じて社会・宗教研究所(Institute of Social and Religious Resarch)を設立し、ブルンナー博士はそこの研究員であった。彼は研究所主任のポール・ダグラス(Harlan Paul Duglas)と共著で『The Protestant Church as a Social Institution』を出版している。博士はアメリカの田舎や地方農村の研究もしていたので、朝鮮視察の件が持ち上がったときに白羽の矢が立ったのであろう。朝鮮の田舎を調査したブルンナー博士は、日本統治が朝鮮の発展をもたらしたことに非常な関心を持ち、田舎の現状を無視していた宣教師の報告が事実と違う捏造であることを見破ったのである。(渡邊 上掲書 p.123) それもそのはず。宣教師の多くは生活に便利な都会に住み、不便で不潔な農村を閑却する傾向があった。しかし、朝鮮人の約八割は農民である。(Edmund De S. Brunner,  Rural Korea, in The Christian Mission in Relation to Rural Problems, Volume VI, Oxford University Press, p106/ 引用はは和訳の『外人の観たる最近の朝鮮』朝鮮総督府 昭和7年から引用する) もし、アメリカ人が朝鮮人の魂を救いたければ、まづ農村に出かけて布教すべきであった。しかし、文明国出身のアメリカ人は、蝿や南京虫、虱が群れる朝鮮家屋には泊まれないし、便所は豚小屋より汚く、黴菌の宝庫となっているから、とても近づくことが出来ない。日本人がインフラを整備した京城(現ソウル)くらいにしか住めないのだ。現在の日本人には朝鮮の不潔さを想像できまい。女子高生なら即座に気絶。一生「白雪姫状態」で金星まで旅行が出来る。

  朝鮮の農業や産業、社会状態を調査したブルンナー博士は、学者らしく具体的に朝鮮の実態を把握できた。当時、朝鮮の人口は約2000万人。大正14年(1925年)の国勢調査では、総人口19,015,526人中、朝鮮人は18,543,326人で97.5パーセントを占める。日本人は424,740人で、たった2.2パーセントを占めるに過ぎない。この総数は、17,288,989人であった大正9年(1920年)以来、約10パーセント増加し、大正4年から大正14年の10年間で16.8パーセントの増加を示している。日本人が朝鮮人を支配したら、人口が増えたというのは、生活水準が向上したり、乳児死亡率の低下や医療の普及などの要因があったからである。苛酷な搾取や大量殺戮があったら人口が減るだろう。それが逆に増えてしまった。つくづく思うが、統計や調査が分からない朝鮮人は、実学を無視する、感情だけでわめき散らす儒教バカである。

  ブルンナー博士の調査研究を述べると長くなるから、ちょっとだけ博士の論文を見てみよう。明治40年(1910年)から昭和元年(1926年)までの間に、輸出額は1,822%、輸入額は936%増加した。実際、昭和元年度の輸出額は明治43年度の18倍であり、大正9年度の2倍である。『(外人の観たる最近の朝鮮』p.19)第一次大戦があったから朝鮮の輸出入に変動があったが、全体的にみれば朝鮮経済は着実に成長していたのである。李朝時代には、庶民が金を蓄えると役人や有力者が奪いに来たが、日本人が支配者となる統治時代には、庶民が安心して貯金が出来るようになった。日本統治下では、銀行預金・郵便貯金などの形式で朝鮮人はお金を保有していたのである。大正6年9億821万9千672円に達したが、昭和元年には42.6%増加し45億6千476万276円になった。(p.21) こんなに財産が増えても朝鮮人は、日本人を涕涙(ているい)して責めるのだ。“気違い鮮人”の涙腺は脳味噌に繋がっているのか甚だ疑問である。

  朝鮮発展に不可欠なインフラ整備や学校・病院の設立など、日本人の功績を挙げたらきりがない。ノーベル平和賞が1ダースほど貰えるだろう。日本人による社会資本の投資は素晴らしいの一言に尽きる。たとえば、鉄道の敷設などめざましかった。大正10年から大正14年まで、輸送された三等客の総数は12,0828,014人で、昭和元年から昭和2年にかけては52.3%増加し、人口の五倍の速さであった。(p.24) 当時の朝鮮では、日本人が持ち込んだ列車を眺めるだけで喜んでいた朝鮮人もいれば、ただ乗車することが嬉しく、同じ区間を往復してずうっと乗っていた朝鮮人すらいたのである。粗末な駕籠(かご)しか観たことがない朝鮮人には、内燃機関で動く列車は魔法の機械であった。日本に入国できた朝鮮人は、三越などの百貨店を観て目が眩んだであろう。当時の朝鮮人にとって、日本人は文明をもたらすサンタクロースであった。

  宣教師の期待に反して、ブルンナー博士は日本の朝鮮統治を高く評価してしまった。キリストへの信仰は大切だが、その前に彼らが口にするパンを確保することも同様に重要であることを、博士はそれとなく諭したのである。露骨に同胞のアメリカ人を批判しなかったが、博士は提言している。

  将来朝鮮に送られる宣教師はある方面の専門家たるべきで彼の職務は自分の専門の方面で朝鮮人を教育すべきである。・・・・普通の教養の西洋人は早速為すべき貢献をもっていない、何となれば何千という朝鮮人が彼同様に教育があり、或は更によい教育を受けているからである。(p.107)

  要するにブルンナー博士は、宣教師は聖書の知識だけをぶら下げて朝鮮に来るだけで、朝鮮の産業や生活に資する能力を持っていない、と指摘している。日本人が熱心に朝鮮人を教育したので、西洋人に劣らない人材が育成されていたということだ。

無能なアメリカ人宣教師

  渡邊氏が興味深いエヒソードを述べている。大正8年の独立運動がきっかけで、官立学校を退学してしまった朝鮮人青年が、宣教師の薦めでキリスト教の学校へ入学したそうだ。しかし、その朝鮮人は直ぐに欺されたことに気づいた。官立学校は校舎こそ木造であったが、教師はいずれも有資格者であり、その知識も豊富であるのみならず、授業用具も完備していたのである。しかるに、キリスト教系学校は、煉瓦造りの立派な建物であったが、その教育内容は実に貧弱極まりないものであった。教師は伝道の他に何ら専門知識を持たぬ無教養の素人であったからだ。看板には専門学校と記されていたが、生徒が坐る椅子や机すら不充分で、教室の中で円座になって講義する有様であった。官立学校から転校した朝鮮人生徒やその父兄は、宣教師に対して不満を募らせたのである。朝鮮民衆をバカにした態度の宣教師に憤慨した朝鮮人は、ストライキを起こし、一時は宣教師を茫然自失(ぼうぜんじしつ)の状態に追い込んだ。その後、宣教師らは教育事業から撤退し、病院等の救済事業にのみ専念するようになったらしい。(渡邊 上掲書 pp.128-129)
  
  いかがわしい牧師が混じっていたアメリカ人宣教師団にも、教養と品格を備えた立派な人物がいたことは確かである。しかし、彼らの大部分は本国で生活に窮した餘り、東洋伝道を自ら志願した連中であったので、その人格の劣等にして野卑なることは明らかであった。(渡邊 p.127) 米国では一般社会で優秀な者ならビジネスマンか軍人、政治家、技術者など財産か権力を獲得できる職業に就きたがる。牧師や宣教師などは余程のことがない限り、一般のアメリカ人青年は選ばない。しかも、宣教師団とはその大半がプロテスタント教会から派遣された人物で構成されている。中には神学校で聖書を学んだ者もいただろうが、「天の啓示を受けた」と勝手に思い込んで牧師になる者もいたのだ。カトリック教会と違って聖職者の修練や叙任式がないので、誰でもプロテスタントの牧師になれてしまう。あの評判が悪いジミー・カーター大統領も時々教会で牧師役を務めていたのである。でも、説教ならレーガン大統領の方が面白いだろう。実際、カーター氏は国際政治を取り仕切る最高司令官よりも、ピーナツ畑を所有する田舎牧師が似合っていた。カトリック教会のイエズス會士なら、教養と専門知識を備えた精鋭部隊であるから、日本人も感銘を受けたであろうが、単なるお人好しのアメリカ人では日本人の尊敬は得られない。

  日本人は反日気質のアメリカ人をよく非難する。しかし、アメリカには様々なタイプの人物が、ピンからキリまでいるのだ。日本人は積極的に良質なアメリカ人を勧誘し、彼らに日本への好印象を持たせ、本国で宣伝するよう仕向けねばならない。日本の情報を伝えるのがアメリカ人でもグズに属する人物では、日本の国益を害するだけである。その点、支那人は利用できるアメリカ人はどんな人物だろうが、諦めずに努力して支那の友人にしてしまう。何か道頓堀で振られ続けてもナンパを諦めない関西人みたいだ。(関西人に偏見は無いのであしからず。)日本人は対外積極工作が本当に苦手である。冷戦でも熱戦であっても、宣伝戦は必要なのだ。次回も引き続き、日本を伝えるアメリカ人について述べたい。



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