娘は父親の心臓

人気ドラマをたくさん抱えるCBSが放送した『ザ・メンタリスト』は重厚な脚本を書くブルーノ・ヘラーが手がけた作品である。主人公パトリック・ジエイン(Patrick Jane) を演じるのは、オーストラリア出身のサイモン・ベイカー(Simon Baker)である。ほぼ無名の役者だったが、そのルックスだけでも女性視聴者を引きつけるら、制作者の選択は正しかった。やはり主役が西欧系のハンサムでなければ視る気がしないだろう。メンタリストという人間の心理を巧妙に操る役に、アダム・サンドラーみたいなユダヤ人俳優を起用したら本当にいやらしい詐欺師に見えてしまう。
  パトリックの人物設定は、カルフォルニア州捜査局の犯罪コンサルタントとして様々な事件を解決すること。彼の目的は給料ではなく、妻と娘を惨殺したレッド・ジョン(Red JOhn)という渾名で呼ばれる連続殺人鬼をみずからの手で殺すこと。レッド・ジョンは一種の異常心理犯罪者で、殺人現場に被害者の血でスマイル・マークを描いて、遺族と警察に誇示する嗜好をもつ。妻子を殺された部屋の壁に描かれたそのマークをパトリックは、まさしく血の気がひいて放心状態になったことがある。最愛の家族を無惨な姿にされたパトリックは、精神が粉々に砕け散ってしまった。一時は精神治療を受けたくらいだ。

  妻を殺されたことも悲しいが、娘の死ははもっと辛い。男にとって妻は愛の対象たる異性だが、父親にとって娘は自分の血と肉を分けた女。イヴがアダムの肋骨から創られた分身なら、妻が産んだ娘は父親の心臓だ。命に換えても守るべき娘を殺されたら、生きる屍になっても仕方がない。墓の前で泣き崩れるくらいなら復讐を誓って生きた方がましである。パトリックは執念をもってレッド・ジョンを探し出し、ついに自らの手で絞殺する。憎い殺人鬼が首を絞められることで、自分が地獄へ堕ちることを覚る。血管が圧迫され呼吸が出来ず、もがき苦しむ。ジェインは氷の表情で、首を絞める手に力を加えながら徐々に息絶えるレッド・ジョンの顔を見つめる。こうしてパトリックの怒りが昇華して行くのがわかる。こうした狂気の復讐こそ残された家族には必要なのだ。

自分の手で仇を討つことの価値


  殺人犯への刑罰は死刑が当然である。死刑反対論者の福島瑞穂の如き愚者は相手にしないことだ。頭に釘を打ち込んだって痛さが分からぬ莫迦は馬鹿。常識ある日本人なら、犯人の処刑は刑務官に任せるのではなく、自分で撲殺か刺殺を要求すべきである。法学者や立法府が屁理屈並べて反対しようが、言い張れば実現するはずだ。被害者家族に選択肢が無いのは不当である。自分の手で死刑囚を二三日掛けてじっくり殺したい者もいるだろう。残酷な死刑は嫌だ思う者は刑務官に委託すればよい。どうしても自分でやらなければ怒りが収まらない者には復讐権を与えるべきだ。職務だから仕方なく死刑を行う刑務官の方が気の毒だろう。
  遺族が被害者の代理人となって報復することがなぜ悪いのか。死んだ人間は生き返らないが、被害者の霊が遺族の魂を鼓舞するのを認めてやってもいいのではないか。死刑反対論者の弁護士が夫人を殺されて死刑賛成に鞍替えした例だってある。自分の身に不幸が降りかかるまで分からぬ阿呆が世の中には多すぎる。今の日本人はナイフで心臓を抉られても、その痛みが脳まで伝わらないのだ。犯人の体が痣で黒く変色するほど殴る時の高揚感。自分の心から怒りの紅涙が流れる開放感が分からないのだろう。この理性では割り切れぬ感情を納得できぬのは、日本人の家族愛が枯れ葉より軽いからであろう。



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