赤い黒柳徹子

  『徹子の部屋』で有名な黒柳徹子は、ユニセフの親善大使を務めることを自慢して善人を演じている。元々女優なのだからしょうがない。だがこの人、腹が黒いのに頭は赤い。アフリカ黒人の子供が飢餓や病気で苦しんでいると涙を流すのに、支那人に嬲(なぶ)り殺されるチベット人への同情は無いのだ。黒柳氏は支那大陸に疎いはずがない。なぜか知らぬが支那人が大好きで、パンダに惚れ込んでいる。この愛くるしいジャイアント・パンダがどうやって支那名物の稼ぎ頭になったのかを、我々日本人に紹介しないのだ。

  支那語には表音文字がなく、西欧語でも全て漢字表記である。テレビやホテルは「電視」「飯店」といった風に表記されるのは知っての通り。だが「パンダ」はなぜ漢字表記になっていないのかを、多くの日本人は気がつかなかった。日本の支那学者もマスコミも言及せず、素通りしていたからである。パンダは四川省のアバ・チベット族自治州に棲息するが、そこがなぜ支那領になったかは無視。支那語訳「熊猫」を日本の子供に教えることは、支那共産党がチベットを侵略して併合してしまった事実を暴露することになる。侵略は極悪な帝国陸海軍の十八番(おはこ)であって、善良な支那人はしないことになっていた。今では想像できないが、田中角栄政権の頃は誰も支那の本性を公の席で暴くことが出来なかった。支那人の冷酷性を熟知していた学者はいても、テレビ局に招かれることはなかったのである。

  TBSの『世界ふしぎ発見』という番組にレギュラー出演する黒柳氏は、パンダ見物のため2012年に四川省の成都を訪れた。支那人の長年にわたるチベット人虐殺には興味が涌かないのだ。飼育園で熱をだしたり、すねたりするパンダのほうが、弾圧抗議で焼身自殺するチベット僧より心配なのだ。国境紛争や民族内戦で被害を受けるアフリカ人には、同情して涙を浮かべる心優しい黒柳氏。しかし、チベット人への涙は持ち合わせていない。それなら、『徹子の部屋で』堂々と「わたくしはチベット人なんか、どうなろうが関心ありません」と言えば、まだ正直さがある。同番組でアフリカの現状報告をするくせに、支那におけるチベット人やウィグル人の惨状については一言も触れないのだ。この理由は、支那人に対する徹底した罪悪感を持っているからだろう。この世代の高齢者は、我が国が支那を侵掠して悪事を働いた前科者であると信じている。先頃亡くなった李香蘭(りこうらん)こと山口淑子・元参議院議員と同じ思考をもっているのだ。黒柳氏は、自由主義的精神に満ちたトモエ学園で学んだのに、一党独裁の専制暴君国に惹かれる異常性に気づいていない。若い頃に戦争の惨禍と支那への贖罪意識を刷り込まれてしまったので、中年になっても本当の支那人が分からなかったのであろう。彼女の頭の中では、日の丸より五星旗が飜っているのかもしれぬ。赤柳とでも改名したらどうか。

  
支那人らしくなったアグネス・チャン

  アイドル歌手だった若い頃のアグネス・チャンを覚えている世代の日本人は、現在の彼女に戸惑いを覚えるだろう。清純な感じの支那人娘がたどたどしい日本語で歌っていたのだ。ところが今ではすっかり、狡猾で貪欲な典型的支那人ババアに変貌している。オタマジャクシがガマ蛙になったようなものだ。笑顔の裏に銭ゲバ根性か透けて見える。歌手としては人気がなくなったアグネスは商売換えを行った。紛らわしい「日本ユニセフ」という看板を掲げてチャリティー活動しているのだ。高額な講演料を得るため、お涙頂戴の演説を垂れて、間抜けな日本人を手玉に取っている。こんな帰化支那人がアフリカの子共に同情している姿を披露しているのだから、日本人は本当に舐められているのだろう。

  こんにちの日本人が支那人を理解していないのは、敗戦により過去の学術書や随筆を闇に葬ってしまったからである。戦前までは学者や官吏、冒険家などが支那について色々書いたので、支那人の残虐性や悪習、性癖などが一般人に晒されたのである。ところが、支那大陸侵略者の烙印を押されて、教育現場からそれらの良書が駆逐されてしまった。その代わりに「支那賛美」本が世間に氾濫したのである。今では驚きだが、我が国の知識人が支那人の性格を記した本はたくさんあった。そのうちの一つを紹介する。早坂義雄が支那人について面白い観察をしている。

  「女は品物」  支那のある民謡には、父親が娘に一言も相談せずに娘を売るが、彼女に一文たりとも呉れない。商売で儲けた金できれいな嫁を買う、とい歌詞がある。次か傑作。
      「豚買えば肉が食える、犬飼へば番をする、猫飼へば鼠捕る、子の阿媽媽(あま)育てて難なる」 (早坂義雄『新生支那と明朗支那』 弘文堂 昭和13年 pp.230-231)
    娘を育てるのに利益を求める日本人の親は居るまい。結婚式や披露宴で、娘がいなくなることで寂しくなるので号泣する父親がよくいる。商品と思うことはあり得ない。


  「心中のない国」  支那の男は十六七歳で五六歳年上の女と結婚するから、男盛りの頃になると、女房は色あせてくる。自然と娼婦に走る。夫が死んで寡婦になった妻は夜の商売につくしかない。それに支那人は享楽的、打算的で恋を擦るにも欲と金である。金の切れ目が縁の切れ目で、日本人のような心中など馬鹿らしくてやってられない。死んだら算盤で金を数えることもできないし、享楽人生も送れない。( 同書 p.234)

  「金を欲しがる心理」  金を欲することが頗る徹底しているのが支那人。その理由は、第一に美しい妻を迎えるため、第二に歓楽を得るため、第三に死後の棺を買うためである。支那人が官吏に成りたがるのは、手っ取り早く大金が手に入って、美女を多く獲得するため。たくさん妾を抱える胡錦壽や習近平を見れば分かる。若い美女を相手に寝床に入るから、不老不死の秘薬や強精剤が必需品となる。支那では美女はもちろん、神様だって買えるのだ。「支那には銭能通神といふ言葉化美佐様に何が供物をすると必ず願いを聴いて呉れる、神さまさへ然り況や人間をや、人間の官吏等は神様より尚金の効能をよく知つてゐるから、金次第で就職も出来れば泥棒も直ちに警人となり、盗まれた者があべこべに罪人となる等は決して珍しい事ではない。」(pp. 242-244)


   早坂氏のような人物は珍しくなかった。支那人を中国人(チャンコロ)と呼んで媚びる大学教授が、日本国民を洗脳したから、こうした支那通が差別主義者に見えてしまうのである。有名な支那学者の内藤湖南や津田左右吉らがアグネスを見たら、すぐに典型的な支那女と喝破するだろう。

  話をアグネス・チャンに戻す。他人のことなど雑草程度にしか思っていない支那人のアグネスは、貧困や病気に苦しむアフリカの子供、あるいは性器切除(Female Genital Mutilation)を強制されるアフリカ人少女に心を痛め嘆き悲しんでいるそうだ。いつでも目から水を出せるチャンは、アフリカ児童兵をテーマにした映画『魔女と呼ばれた少女』のトーク・イベントに参加した。泥沼の紛争が続くコンゴで生きる少女の苛酷な運命を観て、ダルフールの児童兵を思い出してしまったそうだ。銃の軽量化で子供でさえ銃を持たされたり、地雷撤去のために子供が駆り出され、爆死した話を会場で伝えるアグネス。苛酷な現実を語るうちに「アグネスの瞳からは自然となみだがこぼれ」たという。(『』アクネス・チャン、涙・・・アフリカ児童兵士の過酷な現状を訴える 2013年3月10日「シネマ・トゥデイ」)それってワニの涙か。それとも手品の一種か。いつでも泣けるよう楽屋裏で練習した成果だったら名女優。日本との大学で教鞭をとらずに、北朝鮮で「泣き女」の講座を受けもったらどうだ。
  それほどアフリカ人の子供が可哀想だと言うのに、支那官憲によって拷問・強姦・惨殺されたチベット人女性はどうでもよいのか。アグネスの視界には、電気棒を性器にねじ込まれたり、薄汚い支那人男に輪姦されたチベット人娘は存在しないのだろう。

  支那共産党の宣伝塔を務めて利益を得るチャンとしては、日本人の注意をアフリカへと向けることが任務である。2007年には北京の人民大会堂で日中国交回復35周年記念チャリティーコンサートに参加したとのこと。そのタイトルが「世界へとどけ平和への歌声 in 北京」だとさ。(『アクネス・チャン、9月に国交35周年コンサート! 北京語の猛特訓スタート』 2008年8月15日 「レコード・チャイナ」) 北京でチベット人やウィグル人の殺戮指令を発している共産党員に、その歌声が届いたのか。鞭や棒で虐待される異民族の悲鳴は聞こえぬアグネスが、世界へ向けて平和を訴えるなど、漫画にもならない。こうした仕事を貰っているアグネスは、支那で人民解放軍が異民族を虐殺したり、日本企業を襲撃したときに、日本で火消し役を務めるよう仰せ遣っている。この偽善支那人は、慈善活動に熱心なイメージを日本人に植え付けることで、意地汚い品性を隠そうとしている。ビジネスをチャリティーと嘯(うそぶ)いて恥じないところが支那人らしい。

  支那人とは生まれたときから死ぬまで偽りの自分を演じる俳優である。本性は親にも子にも見せない。墓場まで持ってゆく。肚を割って本音で語り合うなど、馬鹿のすること。アクネスの本音は豪邸で一人になったときに現れるのだろう。汚いアフリカで嫌なチャリティー活動を終えた後で、あんな豪邸に帰ればうれしさ百倍である。贅沢を極めた部屋でくつろぐときが、本来の支那人に戻れる至福の時間であろう。




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