モグラのような朝鮮人

  不名誉なことだが、大阪には在日朝鮮人が多い。地元を愛する大阪人にとって、朝鮮人は目障りで不快な下層民である。近づくのも嫌だし、隣に住まれたら迷惑な存在だ。この朝鮮人はいつごろから、どうして大阪に住み着いたのか一般国民には分からない。一番の原因は日韓併合の悪弊によるものであろう。我々日本人にとって災難・被害・疫病神をもたらす合邦だったが、朝鮮人にとっては宝くじに100回連続当選するほどの幸運であった。朝鮮半島が日本の領土となることで、乞食よりみすぼらしい朝鮮人が我が国にやって来たのである。

  朝鮮人にとり日本はエル・ドラド(El Dorado)、つまり黄金郷であった。原始的貧困生活しか経験したことがない下層民にとって、高度文明国の日本に渡って住むことだけでも夢のような幸せであった。電気が普及し、電車が街中を走り、百貨店で買い物をできて、カフェーでお茶を飲むことが出来たのである。まるでSF映画の世界であった。日韓併合条約でゴキブリ程度の朝鮮人が、一流海軍を有する大日本帝國の国民に昇格したのである。しかし、現実は甘くなかった。黄金の国ジパングに渡ってきても、これといった能力や技術がない鮮人労務者には筋肉労働や単純作業しか選択肢がなかった。

  来日鮮人が従事した職業は、日傭人夫、土方、荷車挽き、野菜の行商人、左官、職工、配達夫などであった。朝鮮人といっても乞食や浮浪者ではなく、しかるべき職業をもっていたのである。一般に朝鮮人は住宅や食物については不思議なほど無頓着だが、服装となれば荷物運びや日傭人夫までもがお洒落な格好をしたがる。少し気取った連中は、借金してまで良い服をととのえるのだ。問題は、彼らの住み家である。

  大阪市社会部調査課によると、合邦後間もない頃、大阪市に流入してきた朝鮮人は大正元年で、男が264人女が248人しかいなかった。ところが昭和5年になると男が33,775人、女が11,358人で計45,133人にまで急増したのである。(『なぜ朝鮮人は渡来するか』 昭和5年 p.36) 大阪市に下層朝鮮人が激増し、朝鮮人が住める住宅が間に合わない事態が生じたのである。そうなれば貧民のゲットーが出現するのは当然であった。

  朝鮮には土幕(どばく)または土窟(どくつ)と呼ばれている簡易な穴ぐら小屋があった。長方形の土地一坪半ばかりを数尺ばかり掘り下げて一方を出入り口にする。上部は古い蓆(むしろ)や炭などを入れる古い袋、亜鉛トタンなどで屋根を覆い、内部は茣蓙(ござ)を敷いた居間と炊事場しかない原始的造りである。建築材料はその辺に落ちている廃物か建設現場から盗んできた物を利用しているのだ。朝鮮人はガラス板の破片や油紙があれば天窓を作ってしまう。至極簡単なつくりなので、せいぜい五六時間もあれば建てられる掘立小屋である。

  一般の後進国より発展が遅れている朝鮮では、所有の概念がない。朝鮮では穴蔵住宅の土幕民が、他人の所有地または市街地近郊に、無断で住み家を建てても黙認する習慣があった。日本に来ても空き地があれば、所有者にはお構いなしで、勝手に家を建ててしまう。簡単に造れる土幕であったから、大阪市でも急激に増加したのである。気づいたら朝鮮人が勝手に市有地や民有地を使用していて、罪悪感もなく平然と暮らしていたのである。(p.39) 現在でも密入国者の子孫は日本に滞在資格がないのに、社会保障を受けたり、学校に通えたり、快適で安全な文明生活を送れるが、その違法性については一切疚(やま)しさを感じない。「恥」という観念がないのだ。どうにかして貧乏から抜け出そうとした朝鮮人のなかには、元の住居を売却して、土幕部落に住み家を建てて、余った資金で商売を始める者もいたのである。また、事業に失敗して故郷に帰れず、京城(ソウル)付近に住み着き土幕民になった奴もいたのだ。要するに、土幕部落とは下人が群がるドヤ街である。

  路上乞食でもない朝鮮人がなぜ土幕民になるのか。この原因は朝鮮人の借家人が総じて家賃を滞納したり踏み倒したりすることにあった。京城府において日本人の為には貸家を経営する者が相当いたが、朝鮮人向けの借家を建てたり、長屋を貸したりする者はほとんどいなかった。朝鮮人が申し合わせたかのように家賃を払わず、家主は一様に苦い経験をしたからである。一方、大阪市では元鶏(にわとり)小屋であった生野国分町のバラックはいずれも3円ないし8、9円の家賃で朝鮮人らに賃貸されていたが、その家賃を完納した者はほとんどなく、大部分は滞納に滞納を重ねていたのである。また、鶴橋木野町の朝鮮人が住む借家20戸中、家賃を完納したのはたったの2戸だけで、残りの者は二ヶ月乃至一年の滞納者であった。(p.44)

  家主にとって家賃滞納だけが頭痛の種ではなかった。朝鮮人は貸家に入居したが最後、大勢の仲間を呼びいれては酒を飲んだり、しばしば喧嘩・口論をし始める。がんらい不潔な鮮人は部屋に南京虫をわかすし、畳を破るわ、戸や障子を持ち出したり、さらには床板を剥がして薪代わりにして燃やしてしまう。まったく油断も隙もない、手の付けられぬ不心得者が多い。だから朝鮮人の借家申し込みとくれば、どの大家も渋い顔をして警戒するのが大阪市の実情であった。

  正規に賃貸できぬなら、不正な手段を用いるのが朝鮮人である。大阪に住む全羅南道生まれの朝鮮人二名、金學奉(通名/青木幸一)と林基成(通名/杉本松太郎)は、失業で困っている日本人二人を雇って、紳士風の身なりをさせ賃貸契約を結ばせた。かれらは「某社員が借りる」との口実をもって家主を騙したのだが、ある時家主が貸家を訪ねてみた。すると日本人に貸したはずの家に、朝鮮人が27,8人もゴロゴロしていたのである。家主があわてて「出てくれ」と命じると、朝鮮人は「立ち退き料を出せ」と言い張った。根負けした家主は早く出て行って貰いたいので、立ち退き料を払い泣き寝入りするしかなかった。これに味をしめた朝鮮人らは、住吉区、北区、東成区で同様の強請(ゆすり)を8件行ったところ、警察に逮捕されたのである。この不逞鮮人どもは総額数百円の立ち退き料をせしめたという。日本人家主が朝鮮人を嫌うことを逆手に取った犯罪であった。昔から、朝鮮人は犯罪となると頭が回り実行力を発揮するんだから始末に悪い。

  それにつけても、土幕に住む朝鮮人とはどんな輩(やから)だったのか。土幕民の多くは各地から流れてきた寄合所帯で、その土地に馴染みがないし、お互い見知らぬ他人で付き合いがない。ちょっと油断すればお互いにコソ泥をはたらくし、野合密談が行われる。朝鮮人特有の癇(かん)高い声で口喧嘩がが繰り返されるのだ。日本人はこうした朝鮮人の癖が嫌いである。不潔な土幕でも朝鮮人はそれを8,9円で売買するので、人の出入りも激しかった。朝鮮人の気性は荒く激昂しやすい。ちょっとした言葉の行き違いや感情のもつれで直ぐさま竹槍隊や棍棒隊を組織する。賭博や酒や女を原因として物凄い血の雨が降る。とにかく朝鮮人労務者は物騒であった。(p.46)

  歴史的に弾圧・抑圧されてきた朝鮮人は心が荒んで、僻み根性が抜けないのだろう。内地(日本)に来ると、粗野で下品な風習を馬鹿にされて粗暴・残忍性を増大させるのかもしれない。これに加えて、朝鮮人の生活自体が異常に酷い。衛生観念がないから、野糞野小便を所構わず行い、金蝿が飛び交うし、酸っぱくなった残飯も平気だ。むさ苦しい鮮人が数人転がって穴蔵生活をする光景には、日本人なら背筋が寒くなるし、顔を背けたくなる。こんな不潔な生活をして病気にならないのか不思議ある。仮に病気になっても土幕民はいつの間にか死んでいるのであろう。雨が降れば下水が床下に流れ込んで、土幕民はびしょぬれになったのだから、よく伝染病が蔓延しなかったものである。あったかもしれないが、行政が気づかなかっただけかもしれぬ。

  朝鮮を併合して日本に良いことはほとんど無かった。朝鮮人が「強制連行による移住」といった捏造話を聴いて、謝罪している馬鹿な日本人がいるが、彼らは日鮮の歴史を何も教えられていないのであろう。日本統治で朝鮮人が苦しんだというのは、真っ赤な嘘。真実は、日本人が朝鮮合邦で大損をした上に苦しんだのである。もし、日本人の税金で貧乏鮮人が五星ホテルのスウィート・ルームに泊まれて、苦痛だったと感想を述べたら、いったい何人の日本人がそれを信じるのか。朝鮮人に同情する振りをしている日本人でも、朝鮮人が隣に住んだり、同居し始めたら嫌でたまらない。大阪がどんどん朝鮮人のメッカになることは嘆かわしいかぎりだ。大阪を愛する大阪人は一刻も早く「朝鮮人駆除」運動に参加して貰いたい。 



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