他人は別の生き物

  地球儀を眺めると、日本人は何て不幸なんだ、と思いたくなる。支那人や朝鮮人が隣人となっているのだ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する大陸や半島から、我々を守ってくれる玄界灘に感謝すべきだろう。しかし、現代ではその天然防壁は無力化されている。支那人が気軽に大量入国してくるのだ。渡る世間が鬼ばかりか、支那人ばかりになる前に、我々は侵入者を研究しなければならない。

  一口に支那人といっても、ピンからキリまで居るから厄介だ。モンゴル人のように支那人を料理別で分類した方が便利なときもある。だが、地方によってそれぞれ特色がある支那人だが、それでも共通した気質をもつ。どの民族にも良い人悪い人がいるが、支那人の場合は、良い人は砂金より少なく、悪い人とさらに悪い人、極悪人であふれている。そこで濱野斗南の『支那人氣質』(世界出版社 大正15年)を参考にして論じよう。

  集団生活をする人間には、仲間に対する感情(pathos)をもち、彼に何か異変が起これば、それを知ったものは自己の感情が共振するものだ。これが同情(sympathy)である。しかし、家族しか知らず国家をもたぬ支那人には、他人に対する同情がないのである。濱野氏が語る。ある街路に一人の行き倒れが苦しんでいるが、その周囲に大勢の見物人が集まっていたという。しかし、誰一人としてこの急病人を助けようとはせず、警察にも知らせなかったらしい。そこへ人だかりを見つけた巡査が通りかかり、職務上しょうがないから病院に担ぎ込むことになったという。その警官は病人を介護するというより、厄介者扱いをしたのである。(pp.30-31) 日本の警察官ならこんなことは絶対ない。支那人は賄賂も取らずに親切にする警官に驚くだろう。支那人は日本に来て始めて見返りのない他人の親切を経験するのである。

  支那人には他人への配慮も、公共心もない。最近でも2011年に、広東省の仏山市で起きた幼女ひき逃げ事件を思い出す。繁華街の道路で2歳の小悦悦が車にひかれて倒れていたが、側を通る大人は誰も助けようとしなかった。すると別の車がその幼女を再び轢いてしまったのである。監視カメラの映像が世界中に公開されたとき、文明国の人々は驚いた。支那人とは、別の世界に住む非哺乳類である。2012年にも浙江省で、5歳の幼児か轢かれたが、誰も助けなかったので死亡してしまった。(レコードチャイナ 2012年12月12日) そんなことはない。支那人だって人助けをする。しかし、それは倒れた人を介抱する振りをして、ポケットなどを探って金目の物を物色する場合である。子供だと大金を期待できぬから誰も助けなかったのである。幼児がローレックスの高級腕時計をしていわけないだろう。

  支那人の性格を問われたら何が思い浮かぶだろうか。まづ私利私欲を追求し、面子を偏重する形式主義者で旧弊因習を墨守する支那人か。いづれにしても、立派で尊敬に値する支那人を連想するのはまず有り得ない。支那人は物欲・金銭欲がことさら強く、よく言えば節約質素、悪く言えば吝嗇貪欲(りんしょくどんよく)である。その多くは過度の節約と不正な金銭欲に陥っている。たとえば、俥夫が銅銭1文の相違で口論の果てに警察の厄介になることがある。そんなはした金で延々と口論するなど日本人には馬鹿らしくて出来ないが、支那人には時間が貴重で、金銭よりも大切なときがあるとことを理解できない。支那社会を貫くのは、公正とか正義、法律ではなく、金銭を得て享楽を手にするという即物的思考である。政治家や役人の瀆職(とくしょく)はよくあることで、さして珍しくない。賣官(ばいかん)や賄賂(わいろ)もあちこちで行われている。司法組織も例外ではない。司法官が他の官吏を弾劾するとき、依頼者から弾劾料として賄賂を貰うことがあった。正義の女神テーミスは支那にくると目隠しを取り、天秤の皿には金貨が置かれてしまうのだ。

呆れてしまう支那人の面子

  支那人は面子にこだわる。これは朝鮮人にも見られる性質である。どんな下層のつまらぬ人間でも自分の面子を気にするという。たとえば、在日朝鮮人でも金がないのに太腹なところを見せたいから、無理して中古のベンツを乗り回して友人に見せびらかしたりする。金欠なら正直に生きればいいのに、朝鮮人や支那人は過度に見栄を張ったりするのだ。濱野氏がある面白いエピソードを紹介している。

  満洲旗人(きじん)とは、日本の旗本武士みたいなもので、清朝のころは社会的地位が高かった。その旗人が苦しいときも見栄を張ったという滑稽な話がある。北京の小さな茶館ではたった2文で半日過ごせるし、客がお茶を持参していれば1文で足りるという。ある日のこと、一人の旗人がやって来てボーイに茶を注文した。その旗人はお茶を携帯していて、茶碗に持ってきた茶葉を入れボーイに湯を注ぐよう命じた。そこでボーイが

  「お茶が少な過ぎやしませんか?」と尋ねた。

  すると旗人は「ふふん」と鼻で笑い

  「御前なんかに何が解るもんか、この茶は西洋の、しかもフランスから取り寄せた極上の玉露なんだ。こう三片か四片入れれば沢山なんだ」

  と言ったので、ボーイは黙ってお湯を注いだ。彼は茶碗の中をのぞき込むと、茶葉が二、三片しか浮いておらず、それも平常飲む香片茶であった。お湯を茶碗に注いだものの、黄色い「キ」の字も出ないほどの、ほとんど無色の白湯であった。ボーイは心中おかしくてたまらなかったが、それでも我慢してお客を見ていたという。

  するとその旗人は腰のあたりから2文銭を出して、焼き餅を一つ買ってムシャムシャ食い始めた。いかにも美味しそうに、細かに噛みしめながら食べていたという。一つの焼き餅を一時間も掛かって食い終わったかと思いきや、今度は唾を付けながら人差し指で、テーブルの上に字を書き始めたそうだ。指を嘗めては書くその姿をボーイは不思議そうに見ていた。

  「この人はなぜこんなに勉強するのか」と思いながら、ボーイはどんな字を書くのだろうと注意して観察したのである。

  それを凝視してみてようやくその「習字」の意図が判明したのである。それは旗人が焼き餅を食うとき充分注意したのだが、餅の上にふりかけてある胡麻がどうしてもテーブルの上にこぼれてしまうのである。旗人は舌を出してこぼれた胡麻を嘗めたがったが、ひと目もあることだし、それは恥ずかしくてできない。 手で掃いて拾って食べるわけにもいかない。彼にも面子がある。そこで字を書く振りをして、唾のついた指先でその胡麻を拾っては口に入れていたのだ。旗人はこうして字を書き、テーブルの上には胡麻が一粒もなくなったのである。ところが、今度は何か思案するような態度で、ちょっと考えてはハッと気づくようなしぐさをしては、テーブルをトントン叩き始めた。そうしてまた指に唾を付けて字を書いたのである。その訳とは? 焼き餅から胡麻がこぼれて、テーブルの板と板の継ぎ目に挟まり、いくら指に唾を付けても拾うことができない。そこでわざと物を忘れたかのように振る舞って、急にハッと思い出したかの如くテーブルを叩く。すると板の継ぎ目から振動で胡麻が飛び出す。そして字を書く真似をしてそれを口の中に入れるのである。(pp.22-25)

ここまでくると面子の問題というより、ケチの極み、あるいは「みっともなさ」の見本であろう。これが支那人気質である。

卑劣と残酷の支那大陸

  支那人と日本人の違いがはっきりと現れる点は、戦さに対する考え方にある。武士道を極めた日本人は、騎士道を誇る西欧人とは理解し合えるし、共感や好意をもつことができる。アジア大陸の両端に位置する文明国にだけ、封建制が発達したことは偶然の一致かもしれないが、興味深い歴史的現象である。一方、支那では尚武の精神は誕生せず、野蛮な殺人集団、殺戮の暴徒しか存在しなかったのである。よく耳にする「好鐵不打釘、好人不當兵」の通り、良い人は兵にならない。しかし、良い人とはいっても、これは狡賢い人の意味である。兵卒になって戦場で死ぬより、兵を指揮する地位について勝利の果実を食べるのが賢いのだ。馬鹿は戦い、賢者は指揮する。死んでは何の得にもならないからだ。

  では、兵になる支那人とはとんな者か。兵卒になる奴はたいてい衣食に困った者が、募集に応じて軍隊に入る。窮民(きゅうみん)が兵卒になるのだから、社会的に尊敬される職業ではない。下人や賤民が兵隊を構成するんなら、指揮官は部下を信用しないのも当然である。逃亡兵が出ないように入れ墨を施したこともあったという。我が軍の将兵も南京戦で、蒋介石の国民党軍がおよそ近代的軍隊でないことを目撃したのである。南京防衛軍総司令官の唐生智(とうせいち)は部下を見捨てて自分だけ逃げた。そのとき支那兵が逃亡しないよう督戦隊が銃で脅していたのである。鎖に繋がれた支那兵を見て我が軍の将兵はビックリ。それでも逃亡兵が出てしまい、督戦隊と支那兵同士の殺し合いが始まったのである。仰天の支那大陸。支那人が殺した支那兵は、日本兵による犯行とされてしまったのはご承知の通り。テレビ朝日やNHKの重役は切腹しろ。

  むかしは海賊と海軍が渾然一体、兼業というのか普通だったが、支那では今でも暴力団と解放軍が表裏一体である。土匪が兵士となり、土匪の頭目か゜軍団長や師団長となる。国家の軍隊と言っても、実態は匪賊が軍服を着ただけの地方軍閥、頭目の私兵である。匪賊をあつめて傭兵にしただけ。これでは戦争になったら、掠奪、強姦、放火のやりたい放題になるのも無理はない。

  こうした半兵半匪の集団は争乱になったら残虐行為のオンパレードである。目抜き通りの至る所で銃殺、斬殺公然と行われ、その屍体は血まみれのまま、数日間は路地に晒される。なかには犬に四肢をかみ切られた無惨な屍体が道端に転がっていたりするが、一般の支那人はこれを目撃しても案外平然としている。支那人は屍体くらいで驚かない。面の皮が厚くと心臓が丈夫。中性子爆弾の全面戦争になったって、最後に生き残るのは支那人だろう。よく知られた張作霖は裏切り者の郭松齢夫妻を惨殺したし、奉天派の張宗昌(ちょうそうしょう)はその残酷性で悪名高かった。直魯聯軍は北京占領後、天端刑場で死刑囚の生首を陳列したし、河南土匪軍は人質を酷刑に処したのである。

  土匪による残虐さを物語る一例を挙げる。広東である富豪が土匪に拉致して家族に5万元の身代金を要求した。家族はその法外な値段を聞き、値切り交渉をなして、4万元から3万元まで値切ったという。最終的に2万元で話がまとまり、家族が現金を持って受け渡し場所に向かったという。しかし、お金はそっくり土匪に取り上げられてしまい、家族は遺族になっていたのである。拉致された富豪は指を切断され、頭髪を焼かれ、身体には蜂の巣の如く銃創を受けていた。この悲劇は交渉が長引いたことで、土匪の頭目が怒りのあまり人質を嬲(なぶ)り殺しにしてしまったのである。(p.50)軍隊でも土匪を捕らえると同じように惨殺を加える。また、強盗が逮捕されると警察は人民への見せしめとしてその犯人を犯罪現場、つまり被害者の家の前に連行して銃殺するのである。時には五寸釘を打ち付けてその屍体を一日中市中に晒すこともあった。

  支那では土匪と一般犯罪者の差がほとんどない。支那には日本人には理解できぬむごい犯罪がしょっちゅう起きる。ある香具師(やし)が五六歳の少年少女を誘拐して秘密の場所に監禁した。やっと身体が入るくらいの樽を作ってその中に一人づつ捕獲した少年少女を押し込める。僅かに手足と首だけが樽の外に出るようにして、食べ物を与えたという。数年ないし十数年かけて人為的に不具者を作り、自然的不具者のごとく偽り、見世物にするという残酷な犯罪があった。(p.51) 動物に行っても残酷なのに、人間の子供に対して何とも感じない支那人がいるのである。現在でも、貪欲な支那人が貧民の子供を利用して乞食にする犯行がある。子供の手足をわざとへし折ったり損傷させて、身体障碍者に仕立てて乞食する。そうした児童乞食が集めた金を巻き上げる非道が公然と行われているのだ。

  日本人は本当にお人好しだ。大量に流入してくる支那人には多数の犯罪者や犯罪予備軍が紛れている。一般人のように見えても、いつ犯罪者に変身するか分からないのだ。日本人はまるで南極のペンギンと同じである。人間が近づいても警戒心がなく、簡単に捕まってしまう。野犬なら腹が膨れるほどペンギンを食べることが出来るだろう。移民の群れを迎えることは、日本人に支那人の遺伝子が混じるだけでは済まない。善良な日本人が殺戮されたり、駆逐されて支那人が日本の主流民族になるのだ。弱肉強食の熾烈な暗黒大陸から支那人はやって来るのである。日本人はもう少し現実を見るべきだ。


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