貧乏鮮人が日本へ来る

  衆議院選挙が近い。選挙とくれば創価学会員や共産党員と並んで朝鮮人が暗躍する。うなるほどの金を持つが卑しい身分であるため、堂々と世間に現れて政治活動が出来ない。不法入国の前科者やその子孫である在日・帰化朝鮮人等は裏金で日本の政治を動かす。とくにパチンコ屋は宗教法人と同じくカネをため込んでいる。宗教法人課税と賭博禁止法案は政界のタブーである。特にパチンコ・マネーは北朝鮮に環流しているから、テロ支援資金である。日本に狙いを定めた核兵器は日本から資金と技術が元になっているのだ。パチンコ屋とは合法商売に見えるが明らかな賭博業である。これを取り締まって撲滅できないのは、やましい賄賂が政界のみならず警察に浸透しているからだろう。そんなパチンコ屋の中でも、大手の「平和工業」の創業者中島健吉が語ったトンデモ話を述べてみたい。(小林靖彦 編 『在日コリアン・パワー』 双葉社 1988年 参照)

  中島は1904年(昭和15年)に朝鮮・清州から単身渡航してきた。またもや貧乏鮮人が希望の黄金郷日本へ潜り込んだのである。彼は19歳になるまでの3年間は南満洲鉄道のボーイとして働いていたのだが、学歴がないと将来の出世が望めないと悟って日本留学を目指したのである。中卒の中島は日本にツテもないのに密航を決めたのだ。当時、朝鮮人は日本上陸にビザは入らなかったが、渡航証明書と日本(内地)に身元引受人が居ないとダメだった。釜山港から船に乗った中島は、移動警察に見つかり、密航がバレてしまった。そして送還者用の船室に監禁されたのである。中島曰く「人を人とは思わない当時の警察官は、韓国人なんか極言すれば動物並みの扱いだったんですね」(p.200)と愚痴をこぼす。おい!鮮人。密入国したお前が悪いんだろ! まったく朝鮮人って自分が犯した罪を棚に上げて日本人を非難するんだから。

  強制送還となったら罪人扱いだ。楽園の日本で大学入学の夢を叶えられなくなる。そこで、この朝鮮人は彼を捕まえた警察官のもとへこっそり行き、所持金30円の中から20円を警察官に握らせた。賄賂はアジア人の常套手段だ。朝鮮人なら馬鹿でも思いつく。パチンコ屋になっても続けていたのではないか? ドキッとする政治家や警察官はご安心してください。公然の秘密だから。

信じられない拷問

  密航に成功した中島は早稲田大学専門部商科に入学したが、途中で拓殖大学商経学部に編入した。元から貧乏なこの朝鮮学生は生活が苦しくなって、沖中士や日傭い人夫、牛乳・新聞配達、左官屋の手伝いなどをする羽目になった。中島は苦学をしみじみ語っているが、劣等民族でも職にありつけるだけ日本は有り難い国だろう。朝鮮なんかまともな職じたいが存在しないのだから。そんな貧乏生活をしていた中島は、昭和16年に警視庁の特高に逮捕され10ヶ月間拘留されてしまった。

  中島の供述によれば「友人からもらった河合栄治郎の著作を持っていたから」という理由である。だが、どうもおかしい。東京帝国大学教授の河合栄治郎は、自由主義的社会民衆政を主張していた学者で、左翼知識人ではない。軍部のファシズム傾向を批判したことで内務省に目を付けられ、著作が発禁処分になっただけ。東大総長の平賀譲(ひらがゆずる)が、自由主義者の河合教授と国家主義革新派の土方成美を罷免して決着を計った事件がある。自由主義者の本を持っていたから特高に捕まったという中島の話は胡散臭い。他に理由があったのではないか? 人には言えない事をしていたのであろう。河合の本だけで特高が引っ張るはずはない。もしかしたら、共産主義思想に相当かぶれていたか、過激派との繋がりがあったのではないか? 当時は過激思想に同調する朝鮮人が多かったから、共産党にもそうとう鮮人党員が居たのである。その中でも金天海は悪名高い。

  中島の話をそのまま紹介すれば、特高の拷問は酷いの一言に尽きる。剣道の竹刀(しない)で殴られ、「しまいには音だけ聞こえて痛いのかどうかさえわからなくなる」そうだ。次に逆さに吊され、ヤカンから水を鼻に注がれたという。また~。韓国が得意の「日本官憲による朝鮮人拷問」の蝋人形館を観てきたんじゃないか? 中島は得意になって回想する。 

     これはもう鉄パイプでぶん殴られるよりひどい。気絶するんですよ。あとは南京袋に入れて入り口をしばり、ところかまわずぶん殴る。(p.201)

  ホントか? 昔、支那人が日本人に郵便袋に詰め込まれて火を付けられたとするホラ話があった。特高の日本人が映画の暴力シーンでも演じていたのか? 文字通りの「袋叩き」ではないか。まるでグウォンタナモ収容所のテロ容疑者をアメリカ兵が拷問しているみたいだ。ムスリム・テロリストだって、逆さ吊りにされる奴は相当強情な悪人だぞ。それを日本の警察官が実行したのか? 中島は信じられない拷問を語る。

  警視庁裏手にあった池に放り込まれる。その底には釘か反対に打ってあるから、キリで刺すようにささっちゃう。なんとか這い出そうとしても、蹴とばされてしまうんですね。(p.201)

  もう一度問う。「ホンマか?」 池の底に釘を仕込んだ、だって? 強情な逮捕者を懲らしめるため、日本の警官が釘を打ち込んだ板か何かを池に沈めたのか? そんな映画のセットみたいな拷問道具を仕込んだのか。へぇ~。中島は朝鮮式拷問を想像して語ったのだろう。中島は続ける。特高は彼に「アカだろう」と詰問し、かれが否定すると、どこでその本を入手したのか問いただした。彼は口を割らない。しかし、尋問がきつくなって遂に「アカです」と答えても「このやろう、悪い奴だ」と言われて殴られたそうだ。そうこうして10ヶ月が過ぎて釈放されたそうである。この拘留はもしかしたら、河合の著書を所持していたことが問題なのではなく、本当は中島の仲間を吐かせるためではなかったのか。とにかく中島はひとついいことを語っている。警視庁からシャバに出て、電車通りでしゃがみ込んでいる中島を高齢の通行人が助けたそうだ。その老人が自宅へ中島を連れて行き、治療してくれたという。日本には親切な人が沢山いたのだ。朝鮮人なら誰も助けまい。何やらかんちゃら文句を言っても朝鮮人が日本を去らない訳だ。

悪魔の特高という虚構

  特高警察に関する拷問神話は、左翼の宣伝で拡大されている。戦後になると共産主義者や赤い知識人らによる戦争中や戦前の国家体制への攻撃は凄まじい。軍人や特高に関しては誰も弁護しようとしなかったし、大手マスコミが冷静に実態を報道することはなかった。そこで特高警察について少々述べたい。

  東京大学の伊藤隆教授が特高警察に勤務した宮下弘・元富山県特高課長にインタヴューしたことがある。( 聞き手 伊藤隆・中村智子 『特高の海草 ある時代の証言 宮下弘』 田畑書店 1978年) 当時新米の警部補であった宮下氏は警視庁の特高に配属となった。宮下氏の第一印象は我々が抱く想像と違っている。

  明るかったですね。とにかく天下国家の仕事をしているんですから。バクチや泥棒をつかまえるのとはちがうのだから。(p.60)

  「特高」とくれば、手段を選ばす尋問を行う秘密警察で、極秘裏に捜査をして犯人を逮捕し拷問を加えて殺すことも辞さないイメージがある。だから現代の我々が「警視庁特高課」と聞けば「国家警察の精鋭部隊」のようなイメージがある。東ドイツのシュタージやソ連のKGBみたいなものを頭に描いてしまうだろう。中島氏によれば、

  「特高」としいう名称や、思想取締というところからきたものとおもいますが、しかし実際とはちがいます。わたしは小学校もろくに学べなかった人間ですし、わたしを推薦してくれた千速警部も中学三年を修了しただけです。特高課員の大部分は中学さえ卒業していなかったとおもいます。(p.61)

  では特高警察による取り調べの拷問はどうか。

  特高警察を特別視して、そこで暴力・拷問といった固定概念がつくられてしまっている。しかし、特高警察と一般の警察がまるでちがったものに考えられているのは誤解です。(p.123)

  司法警察官として検事の命令を受けることもあるし、普通の刑事犯を扱う警官と変わりないのだ。もちろん、取り調べの時はぶん殴るということはあった。しかし、当時の日本では一般社会でも体罰はよくあって珍しくなかった。平成の現在では学校で体罰は厳禁だが、昭和の頃はごっつい体をした体育会系の教師がびんたをしていたし、運動部の顧問も「しばき」や「どつき」が厳しかった。昭和の初めや戦前なら親や教師の折檻(せっかん)など当たり前であった。軍隊でのビンタも普通で、鼻血が出るほど殴られた兵卒だって多かったのだ。取り調べの暴力などはどこの国であることで、特別日本人警官だけが残酷だったわけではない。宮下氏は警察犯処罰令にも言及している。

  警察署長には即座に拘留や科料を決定できる制度がある。無職で住所が一定せず徘徊していればただちに拘留できる、と。こういうこと自体、いまの目で見ればたいへん暴力的かもしれない。(p.124)

  日教組教育を受けた世代の日本人は特高の尋問をことさら残虐なものと刷り込まれている。しかし、拘留された者には、政府転覆や國體(こくたい)破壊を目指す無政府主義者や共産主義者がたくさんいたのだ。宮下氏は、荒っぽい取り調べについて先輩に尋ねたことがある。そうしたら、その先輩に反論されてしまった。

  なにを言っているんだ、なんならむこうに訊いてみろ・・・共産主義者の側からいえば、おれたちは革命をやるんだ、お前たちと戦争をしているんだ、立場が逆になれば、おれたちがおまえたちを取締る、ということでしょう。まかりまちがえばあなたたちを殺しますよ、というわけです。あたりまえの話なんで、不法だなんていうことは言わぬのだ、と。そういうような状態のなかに、取調べる側も取調べられる側もあるので、いまの人たちが考えるように、そうおかしくはないんです。(p.125)

  確かにその通り。日本人は共産主義者の脅威が分かったていないのだ。学校教師やNHKの歴史講座教師などは共産主義者の仲間だから、都合の悪い実態は子供に教えない。たとえばボルシェビキの革命家(ユダヤ人主体の暴力団)は、ロマノフ王家を一家皆殺しにしてしまった。女子供ですら容赦なく虐殺し、油をかけて遺体を燃やして聖なる殉教者にならぬよう抹殺したのである。共産主義者が反対者や民衆を大量虐殺した情報は欧米や日本に衝撃を与え、皇室を戴く我が警察機構は戦慄(せんりつ)を覚えたのである。日本でも共産主義革命は肌で感じるほどリアルであったので、愛国的民衆や統治階級は何としても赤化運動を撲滅しなければならなかった。こうした危機感の無い現代日本人に特高を非難する資格はないだろう。当時の学生でアカに染まらぬ奴は馬鹿にされたくらいだ。軍人や官僚でも社会主義は未来の体制と本気で思っていたのだから、賤民の朝鮮人もぞくぞくと日本人を打倒しようと共産主義者になっていたのだ。

  共産主義の容疑をかけられて拷問された中島だが、なぜか入隊できて第38聯隊に所属した。商科出身だったから、歩兵ではなく主計に回されたそうだ。入隊後一週間で終戦。聯隊本部が群馬県高崎にあったので、除隊後も群馬県に留まった。朝鮮に帰ったら、再入国できなることを恐れた中島は、同胞が帰国するなか日本に残ってパチンコ屋を始める。戦前は一県に2、3店あればいいくらいのパチンコ屋が戦後一変する。子供ではなく大人が手を出すようになったからだ。賭博に夢中になる大人が増えたから朝鮮人博徒や胴元が儲かったという訳だ。

  中島健吉は米国の『フォーチュン(Fortune)』誌にも取り上げられるほどの大富豪になった。パチンコ機製造大手の「平和商会」はルパン三世やゴルゴ13、釣りキチ三平などのキャラクターを使って賭博業に励んだ。参議院のアントニオ猪木議員も広告塔に立ったから国民もよく知っているだろう。そんな中島は2013年12月13日に亡くなった。ついに拷問の真相は闇の中に隠れてしまった。朝鮮人のヨタ話が伝説化して訂正されぬのではないか。バクチ業者の中島は拷問されて恨み骨髄のはずだが、日本に帰化して家族を持ち、大金持ちになって成功者となった。朝鮮人日本人を前にすると「哀号(アイゴー)、あ~い~ご~、ワぁー、人生を返せぇぇぇ。」とわめくくせに、裏ではゼニ勘定してほくそ笑む。鼻水でも舐めて札束を数えているんぢゃないか。鮮人(せんじん)イコール賤人(せんじん)が定理にならぬか、ピタゴラスに訊いてみたい。



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