華麗なる家系のドイツ人神父

Bitter 3
  ブルノー・ビッテル(Bruno Bitter/1898-1987)神父が靖国神社を救ったことは、一般国民にあまり知られていない。こんにち我々が靖国神社に参拝できるのはビッテル神父のお陰と言えよう。そこでビッテル神父のことについて紹介したい。(朝日ソノラマ編集部 『マッカーサーの涙』 昭和48年を参照)

  ビッテル師は聖職者になる前、ドイツ陸軍士官で精鋭部隊に属していた。ブルノー・ビッテル中尉は第一次世界大戦で勇猛果敢に戦い、鉄十字勲章を授与されたのである。ドイツが大戦に敗れ、ビッテル中尉は英国軍の捕虜になってしまう。この勇士は英国で2年間の捕虜生活を送ったとき、大いに考えた末、聖職者になる決意を固めたという。そしてカトリック教会のエリート修道会であるイエズス會に入ったのである。

  ビッテル神父の御尊父フランツ・ビッテル氏は、ワイマール共和国で中央党の指導的立場にあった政治家で、晩年は最高裁判所判事を務められた。その中央党はヒトラー政権の誕生で自然消滅したのである。名門ビッテル家の遺産を象徴するのが、バイエルンのベルヒテスガーデン(Berchtesgaden)だろう。ミュンヘンにほど近い丘の頂に建てられた豪華な邸宅である。ヒトラーが要人を招いた有名な別荘だ。ビッテル神父はヒトラーにも会って話をしたくらいで、名家のご子息であった。

  現在のカトリック教会は深刻な神父不足でドイツから多くの司祭が派遣されることはないが、昭和の末までは優秀な神父がヨーロッパから日本に来ていたのである。たとえば、ヘルマン・ホイヴェルス神父(イエズス會士で上智大学長)やヨゼフ・ピタウ神父(上智大学長で後に枢機卿)、ピーター・ミルワード神父(人気の英語教師でシェイクスピア研究家)、ヨセフ・ロゲンドルフ神父(日本文学専攻)など錚々たる人物がやって来たのである。とくにドイツからの宣教師は有能で立派な聖職者が多かった。上智大学の初代学長を務められたヘルマン・ホフマン(Hermann Hoffman)神父や二代目のホイヴェルス(Hermann Heuvers)神父に加えて、中世哲学の大家で有名なクラウス・リーゼンフーバー神父は、ドイツ出身のイエズス會士である。神父が貴族的雰囲気を醸し出す高貴なヨーロッパ紳士であるのは、やはり立派な家系の出身だからであろう。神父は育ちのよさがオーラとして現れるほどの人格者で、聖トマス・アクィナスに関する一級の碩学である。リーゼンフーバー神父の兄上であるハインツ・リーゼンフーバー(Heinz Riesenhuber)氏は、ドイツの政党CDU所属の政治家で、コール政権では文部科学大臣(Bundesministerium für Bildung und Forschung)を務められたことで有名である。

  これらの偉人に比べたら、同じイエズス會士のルベン・アビト(Ruben L.F. Habito)なんか屁みたいなものである。フィリピン出身のアブト神父はアクネス・チャンと対談して日本への嫌みを述べている。たとえば、「今の日本国歌は侵略の歴史と結びついている歌ですが」と反日のチャン氏に擦り寄っている。( 『アジアのことが気にいらないあなたに』 めこん 1989年 p.124) よく言いやがる。日本の侵略を非難するくせに、スペイン人の血統を持つと自慢したくなるフィリピン人は何だ? 敗戦国スペインがフィリピンを住民附きで、米国に売却したことは周知の事実だ。その中古蛮人を買った米国人に媚びへつらい、英語を公用語にして平然としているフィリピン土人は正常なのか? こんなアホ神父でも精鋭のイエズス會士になれるのだから、時代の変化は嘆かわしい。

  赴任国日本でビッテル神父は奇妙な再会をはたす。ひょんなことからアメリカ占領軍のチャールス・ウィロビー将軍とビッテル神父は帝国ホテルで会った。将軍に会うとビッテル神父は無意識的に「ワイデンバッハ将軍、ようこそ」と言ったそうだ。ウィロビーはドイツ語の「ワイデンバッハ」にあたる名である。ツェッペ・ワイデンバッハ男爵家といえばドイツのハイデルベルクの名家である。将軍は驚き、「あなたはドイツ人ですか」と尋ね、神父は「そうです」と答えた。将軍のお父上もドイツ人であった。ウィロビー将軍は第一次大戦でアメリカ軍将校として従軍していた。会話を進めるうちに、将軍と神父はヴェルダンで対戦したことを知る。ビッテル神父は第18騎甲歩兵連隊第一歩兵大隊第二中隊に属していたのである。両者とも西部戦線で戦っており、派手な銃撃戦があったという。ウィロビー将軍は昂奮して、神父を自室に招いて語り合ったらしい。神父は部屋に入るとアメリカ軍部隊との交戦を語り、戦闘地点の「ヒル304」を将軍に告げたところ、彼は叫ぶように言った。「私はあなたを狙撃し、あなたは私を狙撃したんだ」と声を上げるや、ウィロビー将軍は神父に握手を求めた。互いの武勇を認め、両名は深い共感を抱いたのである。戦場で一戦交えた者同士の尊敬があった。司令部GIIの将軍はこの元軍人神父を友人としたのである。


上智大学と軍部との対立

bittel 006(左 / 若き日のビッテル神父)
  上智大学の神父らは戦中の国家神道に対して不快な思いを持っていた。上智大学の学生3名が軍事教練で靖国神社まで行軍したとき、配属将校の指示に従わず神殿に参拝しなかった。それを聞きつけた北原一視大佐(上智大配属将校)は、その件をホフマン学長に問いただしたのである。ホフマン学長は「靖国神社については問題があるので、学生を連れて参拝はしません」と答えた。学長の真意は、大学側つまり教会がどちらの立場を取るのか決着が付いていないので、決着が付くまで学生たちを靖国神社に引率するのは控えて欲しい、とのことだった。ところが、北原大佐は、それをかなり誤解したのである。彼は陸軍省に上智大の態度はけしからん、と報告したらしい。学校当局の反応は軍部の反感を買い、この事件は新聞でも取り上げられたのである。昭和7年ににも、靖国神社で満州事変や第一次上海事変で戦没した英霊を祭るとき、カトリック信徒の学生数人が礼拝を頑なに拒否したことがあった。学生を引率してた軍事教官が陸軍省に報告したところ、軍部は激怒したという。だが、当時の陸軍省次官は小磯国昭中将で、丹羽孝三・学長代理が話をつけて丸く納まったことがある。

  今回の事件を読売新聞は「上智大学他二校」のとった態度は「軍教精神に背く」行為であるとみなし、「軍部激怒、文部省狼狽」と見出しをつけた。報知新聞は「カトリック教会は國體(こくたい)を危うくする邪教である」とまで書いた。当時の陸軍大臣は荒木貞夫中将である。皇道派の荒木陸相は、政友会を目の敵にしていたので、政友会の鳩山一郎・文部大臣を攻撃するために、上智大の問題を利用した節がある。上智靖国問題は政争に巻き込まれていたのである。軍人の権勢争いとは別に、一般人の中にはキリスト教徒に怒りをぶつけて、自分の愛国心を誇示したい輩がいたことも確かで、いつの世にも困り者はいるものだ。

  上智大学には右翼団体に属する学生が毎日押し寄せギャアギャア騒ぐし、新聞も軍部の尻馬に乗って上智大を非難する記事ばかり載せたのである。ついには「文部大臣もカトリック側であり非国民だ、天誅を加えるべし」と鳩山文相暗殺計画の噂まで流れたくらいである。青年会館では「上智大学糾弾大演説会」まで開かれた。狂信的連中は「上智大学をつぶせ!」と叫んでいた。丹羽氏は大学を去った。丹羽氏によると、彼のもとに取材に来た各紙の記者は、しきりに軍部の横暴を非難していたが、翌日の新聞を読むと逆のことを書いていたという。新聞記者なんてこんなものである。長いものには巻かれて、強い者にはなびく。羽織ゴロとよばれた新聞屋にガッツがあるわけないだろう。

  この件の解決を計るべく、上智大のロス司教がローマ教皇と連絡を取り、ヴァチカンの公式見解をまとめたのである。それは、靖国神社は祖国のために戦場で斃(たお)れた無名戦士の墓と考えるべき聖域であり、信仰と関係なくすべての人が敬意を評すべき対象である、との趣旨であった。そもそも、神道は他宗教を攻撃したり、頑迷な教義をもつ宗教ではない。「宗教(レリギオ/religion)」といった堅苦しいものではなくて、胸の内側から沸いてくる自然な感情の発露である。ご先祖様に感謝し、こころの中で手を合わせて敬うのが本来の神道である。キリスト教徒に参拝を強制するなど、軍部は我が国の神聖な信仰を貶めていたのである。昭和天皇も靖国強制参拝など望まれていなかっただろう。虎の威を借る狐もどきの軍人が、政治的に国家神道を作り上げただけである。靖国の英霊を参拝することは、キリスト教徒にとって何ら問題はない。キリスト教徒に扮した左翼が靖国神社反対を叫んでいるのである。

占領軍の国家神道解体策

bittel 004(左 / 軍人時代のビッテル神父)
  一般の米国人にとって日本人は邪悪なカルト信仰に鼓舞された未開部族程度にしか見られていなかった。憎きナチ・ドイツと同盟を組んだ全体主義国家というイメージがつきまとうのである。日本人は天皇陛下を神の権化(incarnation)として崇拝して、世界征服を目論む軍国主義者であるから、民衆政体をとる自由主義国のアメリカは正義の代表として、東洋の極悪人を征伐する意気込みであった。アメリカ人がこう考えてしまうのも仕方なかった。まづキリスト教では主イエズスが天主(God)、つまりロゴス(言葉)の受肉化した者であったし(聖ヨハネの福音書 1:1-14)、ローマ帝国では皇帝崇拝があったのである。しかも、日本人はこのゴッド(God)を「神」と訳して慣例化してしまったので、八百万の神が唯一絶対神と同一視されたのである。我が国には便所の神様や野球の神様、最近ではラーメンの神様までいるくらいだから、天地創造の超越神なんて発想はなかった。更に悪いのは、対米戦前に英文科の学者や学生を動員して対米宣伝活動を全くしていなかったのだ。理工系学生は大切に扱っていた軍部も、文学部の学生なんか無駄飯食い程度にしか考えていなかったのである。心理戦や謀略戦について全然分かっていなかったのだ。こんなことでも分かるくらい、軍国主義者なんか一人も日本にいなかったのである。

  ビッテル神父はローマ教皇使節として占領軍総司令部から公認され、ハーバート・ウィラー大佐を通してGHQと協力するようになっていた。1945年11月にマッカーサー元帥の副官ウィラー大佐から、ビッテル神父に電話が掛かってきた。マッカーサー元帥のある覚え書きを示すため、使者を寄越すとのことであった。メモを読むとビッテル神父は、管区長のパトリック・バーン神父を呼んだのである。その覚え書きによれば、司令部の将校らが靖国神社焼却を主張していたのである。そして靖国神社焼却に関して、キリスト教会側の見解を打診してきたのである。総司令部民間情報教育局(CIE)は、国家神道は廃止すべきだが一般信仰の神道は残してもよい、と本国政府からの訓令を受けていた。CIEのダイク准将やバンズ海軍大尉などは少数派で、多数派は強硬論に傾いていた。驚くことに、日本の仏教界、神道系の諸宗派、外務省や文部省の官僚などが神宮神社撲滅に賛成しそうだった。とくに仏教界は強硬論者だった。仏教の僧侶たちは明治維新後の廃仏毀釈を根に持っていたのかもしれない。

  靖国神社の招魂祭を前にして、占領軍はどうすべきか模索していたのである。ビッテル神父は米軍将校たちの単純な発想を推測していた。護国神社が全廃されれば、キリスト教の発展が容易になり、キリスト教会はきっと喜ぶであろう、とアメリカ人将校らは思っていたのである。ウィロビーは我が国を共産主義勢力の防波堤にしようと思っていたから、日本弱体化には反対であった。慎重だったマッカーサーは神父らの反対意見で靖国神社廃絶を防ごうとしていたのかもしれない。

  ビッテル神父はもし占領軍が靖国神社を焼き払ったら、その行為は米国の汚点となり、歴史的不名誉になると諭した。自然法の原理に基づくと、いかなる国家も、祖国の為に死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国、敗戦國を問わず、平等の真理でなくてはならぬ。無名戦士の墓を想起すれば自然と理解できるはずである。靖国神社の焼却は米軍の占領政策に反する犯罪的行為である。神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる信仰であろうとも、国家のために死んだ者の霊はすべて靖国神社に祭られることを進言したのである。ビッテル神父の助言はマッカーサー元帥も反論できなかった。こうしたビッテル神父のお陰で、靖国神社の招魂祭は予定通り行われ、天皇陛下も無事ご参拝なされたのである。

  さすがビッル神父。そんじょそこらのプロテスタント牧師とひと味もふた味も違う。いや桁が違う。月とスッポン、鶴とカラスの違いがある。軍人魂をもつ聖職者ならではの重厚さがある。マッカーサー将軍も、高貴なヨーロッパ人司祭にして、屈強なドイツ軍人の意見を軽んずるわけにはいくまい。軽率なアメリカ人宣教師なら靖国神やその他の神社・神宮の廃絶に喜んで賛成しただろう。だが、ビッテル神父はカトリック教会の伝統を受け継いでいたのである。ヨーロッパがまだ異教世界であった頃、カトリック教会のローマ人宣教師らは、ゲルマン人の信仰をいきなり根絶やしにせず、徐々にキリスト信仰へと導いたのである。ゲルマン人の民族信仰を温存しつつ、キリスト教に収斂(しゅうれん)させる手法をとったのである。こうした古き良きカトリック伝統を、ビッテル神父は体現していたのである。

  我々はいま靖国神社に参拝できる幸せを当然のように考えている。しかし、敗戦直後には、この英霊を祭る招魂社が存亡の危機に瀕していたのである。どんな偉い地位の日本人が占領軍に抗議したところで、そんな反抗など蟷螂の斧(とうろうのおの/非力なもの)である。どんなに愛国心の強い日本人が米軍将校に斬りかかっても、または切腹して抗議しても神道の狂信者、カルト宗教の手先くらいにしか思われず、かえって逆効果になったであろう。こう考えれば、ビッテル神父の反対論は千鈞の重みがある。我々日本国民は英霊を救ったビッテル神父に感謝する日を制定したってよいくらいだ。やれ8月8日は「フジテレビの日」だとか、11月22日は「いい夫婦の日」だ、3月14日は「ホワイト・デー」でプレゼントを買いましょうなどといって、浮かれている日本人は反省すべきだ。

  もし、靖国神社が廃絶されドッグ・レース場にでもなっていたら、生き残った我々は殉死した英霊に対して申し訳がたたない。戦死した我が軍の将兵が仲間と再会する聖域がなくなってしまうのだ。戦場で血を流した英霊が、祖国に還ってきて涙を流すことになったら我々は土下座しても謝りきれない。我々はビッテル神父に心から感謝したい。日本人を理解し、愛したカトリック神父には自然と頭が下がる。昇天なさったブルノー・ビッテル神父の霊に祈りをささげるのは、英霊の子孫たる日本国民の努めであろう。



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