黒木 頼景
成甲書房
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朝鮮人に生まれてしまった
( 左 : 朝鮮人の老人 / 右 : 子供を背負う朝鮮人の母親 )
敗戦後、日本に居残った朝鮮人や朝鮮半島から密入国した不逞鮮人は、いったい何名いたのか? 彼らの多くは不法状態のまま子孫を増やし、その2世、3世、4世はあたかも「日本人」のように偽装して暮らしている。そればかりか、図々しい在日鮮人は、日本人と結婚したり、帰化申請を行って「日本国民」になっていた。密入国者の分際で日本国籍を獲得するとは、全く以て腹立たしい。(特別永住者の子孫は祖父母と同じく、世襲の特権を維持している。) 本来なら、日本政府が在日鮮人を家族ごと片っ端から拘束し、輸送船に放り込んで強制送還させるべきだった。ところが、「日帝による植民地支配」とか「朝鮮人の強制連行」といった嘘が罷り通っていたので、朝鮮人問題は誰もが避ける“タブー”となってしまい、大量の在日朝鮮人がヌクヌクと暮らせる日本になってしまった。洗脳プロパガンダとは本当に恐ろしいものである。
現在の日系日本人は日本国籍を取得すれば「日本人」と思っているが、果たして「朝鮮系日本人」は日系人と同じく、自然な愛国心を持っているのか、甚だ疑問である。我々はあまり意識していないが、帰化朝鮮人や日鮮混血児の祖父母というのは、紛れもなくチャキチャキの朝鮮人で、日本の歴史や伝統を共有する仲間ではない。日本で生まれ育った日鮮混血児は、自分を友達と同じ「日本人」と思っているが、重大な相違点を見落としている。それは、自分が朝鮮人の血統に属し、朝鮮半島に沢山の「同胞」を持っているという事実だ。確かに、彼らの多くは朝鮮語を話せないから、祖国との絆や鮮人としての自覚は薄く、何となく「遠い国」と感じている。ところが、父(あるいは母)の実家に行けば、朝鮮語を話し、朝鮮人の顔をした伯父や叔母、まだ会ったこともない従兄弟が“ごまん”といるのだ。こうした血縁者を見れば、「私は半分“朝鮮人”なんだ」との認識が生まれてくるに違いない。
だが、彼らは同時に毛細血管が萎縮する程の恐怖を覚える。というのも、自分の体に朝鮮人の血が流れているとなれば、反日を叫ぶ南鮮人に対して露骨な嫌悪感を表せないし、友人と一緒になって日本の国益を擁護すれば、必然的に「民族を裏切る者」となってしまうのだ。日系人の友達は文在寅政権を見ると、「ふてぶてしくて下品な人ねぇ~。わたし大嫌い !」と躊躇なく言えるが、朝鮮系の「日本人」になると、何となく気持ちが淀んでしまい、さっきまで動いていた口が徐々に重くなる。これが鮮人意識に目覚めた混血児になると、日頃の鬱憤が爆発し、「日本側にだって落ち度があるんじゃないのか?!」と反撥するようになり、「日系人」が不倶戴天の敵となってしまうのだ。しかし、日本政府を嫌う混血児の心には、南鮮への愛情よりも、朝鮮人に生まれた悲哀と屈辱感の方が強い。日本で南鮮人が非難されると、まるで自分が非難されたかのように感じてしまい、「朝鮮人だからといってバカにするな !」と叫びたくなる。本心では南鮮側の愚行に気づいているものの、「面子」が邪魔をして、それを口にすることができない。朝鮮人は根っからの「見栄っ張り」である。彼らが時折、信じられない行動を起こすのは、「火病」と「面子」が連動して暴発するからだ。
一般の日本人は敢えて言わないが、朝鮮人には全く魅力が無い。NHKは盛んに「お隣の韓国」と宣伝するが、大半の日本人は南鮮人を友人とも隣人とも思っていないはずだ。だいたい、朝鮮語を学んだ日本人は、過去70年間でいったい何人いるんだ? 筆者が高校生の時、優秀な受験生は皆揃って英語を勉強していた。もし、英語の他に専攻する外国語があるとすれば、先ずフランス語かドイツ語だった。「朝鮮語を勉強したい」という生徒なんて存在しなかったし、もしいたら「どうして? 何か特別な事情でもあるのか?」と皆が尋ねてしまうくらい、奇妙で馬鹿らしい言語であった。昭和の頃だと、ハングル文字なんて誰も書けないし、教師から説明されたって「何か、ドンブリの絵柄みたいだなぁ」と笑ってお終いだ。筆者は10代の頃、言語学の知識が無かったけど、担任の教師から楔形文字とかキリル文字について教えてもらったことがあるので、ハングルはモンゴル文字の変形のように見えた。もし、漢字から作った表音文字なら、日本の片仮名みたいになるはずで、あのようにヘンテコな文字にはならない。「朝鮮人は蒙古人の子分だから、親分の文字を真似たんじゃないか?」というのが大方の推測だった。
明治以来、「近代化(西歐化)」がブームとなっている日本では、イギリス人やドイツ人の親を持っていると結構な自慢となる。しかし、朝鮮人の親から生まれた“日鮮ハーフ”なんて「誇り」ならない。何しろ、「朝鮮人」といえば、「不逞鮮人」か「第三国人」を連想するのが普通で、世間にはびこる朝鮮人を見渡しても、「しょうもないロクでなし」か「賭博業者」、「ひがみ屋」、「賤民」、「藝人」といった連中が主流だ。拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で紹介したけど(第5章)、敗戦後の朝鮮人なんか窃盗犯や闇業者でなければ、テロリストやゴロツキだった。(在日鮮人の親が筆者の本を読めば、「なんだ、このヘイト本 !」と怒り狂って焚書にするだろう。「歴史的事実」は否定しがたく、痛いほど胸に突き刺さる。) 朝鮮半島では珍しくないが、米軍将校や警察官を襲撃する一般人なんて、まともな日本人じゃ想像がつかない。
一方、イギリス人や西歐系アメリカ人だと、かなりイメージが違ってくる。例えば、イギリス人の母親を持つ友達の家に行くと、アングロ・サクソン系の婦人がウエッジウッド(Wedgewood)のティー・カップに紅茶とミルクを注いでくれて、上品な甘さのクッキーを添えてくれたりする。まっとうな西歐人の家庭だと、クリスマスになれば樅(もみ)の木を飾ってケーキを食べているし、結婚式となれば、日本人が憧れる白いドレスを着て、ゴシック様式の聖堂に赴く。日本の若い女性なんか、キリスト教徒でもないのに、神父や牧師の前で永遠の愛を誓ったりするけど、いったい誰に誓っているのか? 信じてもいないイエズス(救世主)に「誓います !」なんて、信念を貫く人なら絶対にできない。ここでは関係ないけど、先月、小泉進次郎は滝川クリステルと軽井沢の教会で極秘に結婚式を挙げたそうだ。(だたし、これは「日刊スポーツ」や「スポニチ」の記事だから、どこまで本当なのか疑問である。) 筆者は政治家の個人情報に疎いので、小泉議員がキリスト教徒だとは知らなかった。麻生太郎や石破茂がキリスト教徒なのは知っていたが、まさか進次郎がキリシタンだったとは。
話を戻す。日本人は小学校から大学まで、飽きもせず英語を勉強しているが、大半の人が目指しているのはアメリカの中西部に住む白人やブリテン島のアングロ・サクソン人が口にする標準英語であろう。公立学校の授業はともかく、自腹で英会話を習おうとすれば、ほとんどの日本人は西歐系白人の先生を選ぼうとする。実際には、俳優のユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスは無理だけど、出来るだけ彼らに近い容姿の講師を求めようとするはずだ。(筆者が英会話業界の話を聞いた「英語教師」は、ドイツ人の美人教師だった。彼女によると、日本のビジネスマンは別段ブリティシュ・アクセントに“こだわらない”そうだ。確かに、ゲルマン系美女を前にした「個人レッスン」じゃ気にならないよねぇ~。) またもや脱線したが、英語を話す母親といっても、「ピジン・イングリッシュ」を喋るインド人やフィリピン人じゃガッカリする。やはり、英国のサセックスやケント、ノーフォークといった地域の出身で、中流家庭のクィーンズ・イングリッシュを喋るイギリス人じゃないと。女優のキーラ・ナイトリー(Keira Knightley)やエミリー・ブラント(Emily Blunt)の英語は、何となく響きが良くて、聞いていても心地が良い。その他、試しにユーチューブでダイアナ・モズリー(Diana Mitford Mosley)夫人を検索し、彼女の英語を聞いてみてはどうか。ニューヨークの黒人が話す下層民英語とはかなり違うぞ。
(左 : 「モズリー夫人」となったダイアナ・ミットフォード / 中央 : 犬を可愛がる朝鮮人女性 / 右 : 頭にカゴを載せ、乳房を露わにする朝鮮人女性 )
日本人は結構、イギリス文化に興味を示す。例えば、伝統を重んずる英国だと、パブリック・スクールの制服も品が良く、日本人の女子高生にとっては憧れの的である。都会にある有名私立学校では、イングランドの制服を真似て保守的なデザインのブレザーにチェックのスカートなどを売り物にするそうだ。本来なら、教師の質やカリキュラムを重視すべきなのだが、やはり私立学校にとって人気が命なので、「我が校の制服は英国風ですよぉ~」と宣伝するらしい。幼い子供に読み聞かせる絵本だって、定番の『ピーター・ラビット』や『くまのプーさん』、『スノーマン』、あるいは「マザー・グース」のハンプティ・ダンプティをモデルにした創作絵本とかが好評である。まともな母親で、朝鮮の昔話を教材にしたり、子供が寝る前に朝鮮の子守歌を聞かせてやる日本人がいたら驚きだ。筆者は朝鮮好きの母親なんて 聞いたことがないぞ。
翻って、朝鮮文化だと幻滅する場合が多い。日本の名門校は西歐風の制服にするけど、朝鮮学校(単なる私塾)では見るのも嫌な「チマチョゴリ」ときている。ガッカリするというよりも恥ずかしい。日本文化に染まった朝鮮人娘だと、野暮ったいチマチョゴリを目にすれば「何かの罰ゲーム?」と眉を顰めたりする。現在の南鮮人は歴史を捏造して、色鮮やかなチマチョゴリを着ているが、昔の朝鮮には染料技術がなかったから、大抵は白地のボロ服といったところだ。しかも、乳房を丸出しにして街を歩いていたんだから、現在の在日鮮人は顔から火が噴き出すほど恥ずかしくなる。日本の歴史教科書では、両班の女性しか紹介されないが、乳出しチョゴリの庶民を暴露する写真など一枚も無い。日本の歴史教育は、不都合な歴史を隠蔽することに特徴がある。こんな状態だから、日本の子供が無知蒙昧になるのは当然だ。言うまでもなく、下層民のババアが萎れた乳房を出して、それを赤ん坊が吸っている写真など放送禁止。たとえ、深夜のBS 放送でも流すことはできない。
(左 : 乳房を出したチョゴリ姿の朝鮮人 / 中央 : 赤ん坊に授乳する朝鮮の中年女性 / 右 : 老婆の体を洗ってやる朝鮮人男性)
日本に住み着いている中高年の朝鮮人は、さしたる根拠も無く「朝鮮民族は偉大だ! 我々は日本人に文化を教えてやったんだ !」と若者に説教するが、日本や歐米の文化を知ってしまった在日3世や4世、5世には、五月蠅(うるさ)い雑音でしかない。だいたい、そんなに立派な民族なら、どうして愛する祖国に戻らず、いつまでも「下劣な日本」に居坐っているのか? それに、朝鮮文化など所詮、アジアの辺境に住む弱小民族の風俗でしかない。もし、朝鮮服がご自慢なら、どうして日本に住む鮮人女性や米国へ留学した朝鮮人はチマチョゴリを着て生活しないのか? 鮮人学生の多くは鉱山労働者が穿いていた作業パンツ(ジーンズ)を愛用し、偉大なる民族が作った朝鮮服はクローゼットに永久保存。いつでも取り出せるのに、なぜか授業やパーティーで着ようとしないのだ。乗っているクルマもBMWとかGMのピックアップ・トラック、トヨタのカムリなどで、たまに南鮮の「現代(ヒュンダイ)」を買う変人がくらい。でも、お金に余裕があり、「選択の自由」が生じてくると、真っ先に購入しようとするのはドイツ車とか日本車の方である。
濃厚で生々しい本家のコリア
(写真 / 戦後の南鮮の風景)
日本で生まれ育った在日鮮人や帰化鮮人は、昭和の頃に撮影された朝鮮の写真を見るのが嫌いだ。というのも、そこには“いかにも”朝鮮人らしい朝鮮人が映っているからだ。いくら日本統治によって多少文明化されても、一般庶民には朝鮮人気質が色濃く残っており、「さすが後進国 !」と呆れることが少なくない。朝鮮について話すと長くなるから詳しく述べないが、隠れた名著『ディープ・コリア』(青林堂 1994年)から、興味深いエピソードを幾つか紹介したい。この本は元々1987年にナユタ出版から刊行された紀行本で、そのオタク性が好評だったのか、1994年に青林堂から再出版されている。ただし、現在は絶版だ。主文は音楽評論家の湯浅学が書いており、漫画家の根本敬と船橋英雄(写真撮影)が協力者となっている。
たぶん、この三人が朝鮮各地を廻って、様々な出来事に遭遇したんだろうが、読んでみると驚きかつ呆れてしまうエピソードが満載だ。日本人の読者なら大爆笑なんだが、朝鮮系の読者が目にすれば気分を害する代物である。とにかく、朝鮮人には奇人変人が多く、やる事なす事、日本の常識から大きく外れているのが特徴だ。昔、『ポールのミラクル大作戦』というアニメがあったけど、そんなファンタジーの世界と違い、朝鮮半島はリアルな怪物屋敷である。現在の日本人が旅行すれば、「行かなきゃよかった」と感想を述べるだろう。こんな賤民が嘗ての「日本国民」だったなんて、鳥肌が立つほど恐ろしい。
(写真 / 1970年代の南鮮社会)
湯浅氏一行は朝鮮に着いたとき、自称フリー・ガイドの尹松淑(ゆん・そんすく)に出逢い、エロ話しを堂々と口にするこの現地人に南鮮各地を案内してもらったそうである。フランスとかイタリアといったヨーロッパを旅行すれば、現地の郷土料理に舌鼓を打つのが普通だが、朝鮮半島の場合は別らしい。腹が減った湯浅氏らは、釜山の街でしょぼくれた食堂に入ったという。そこで彼らはアナゴの刺身を食べたそうだが、これがとてつもなく酷かった。とにかく骨っぽく、噛むのに一苦労。ところが、ガイドの尹松淑はガツガツ、くちゃくちゃと口の中で噛み砕くと、口の中に残った骨をペッペッっと床に吐き捨てた。これって、日本の旅館で鶏の手羽先を食っている支那人とソックリだ。支那人も食堂の床に骨とか皮を吐き捨てるから、清掃係の従業員は堪ったものではない。まぁ、支那人の子供が床に小便や大便をしないだけマシなのかも。(『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』、pp.111-112を参照。)
朝鮮料理と言えば、例のキムチが定番だ。湯浅氏もキムチを注文したのだが、出てきた白菜のキムチは殊のほか不味かった。何でも、「この世のものとは思われぬ不味さ」であったという。ちょっと信じられないが、「小便臭く、苦くて酸っぱい上に辛い」そうだ。まるで、「口の中にゴミが残るような代物」であったという。(『ディープ・コリア』、p.49) 湯浅氏は遭遇しなかったが、「ウジ虫入りキムチ」じゃなくて良かったじゃないか。意地悪な朝鮮人だと、日本人に出すキムチに唾や鼻水を混ぜる奴がいたりするので要注意。
日本で食べる朝鮮料理は、日本人好みに改良されているので、本国の料理とはかなり違っている。(肉にタレをつけて食べるのは日本式であるという。) 湯浅氏は本場の朝鮮料理を経験するうち、「“不味さ”にも種類がある」と解ったそうだ。例えば、朝鮮料理には「爽やかな不味さ」があると思えば、「体力を消耗させる不味さ」があったりする。また、「胃が逆流する不味さ」とか、「唾液が引っ込んでしまう不味さ」、「舌がしびれる不味さ」、「歯が溶けそうな不味さ」、「浮浪者のように横たわる不味さ」などがあるらしい。(上掲書、p.50) いやぁ~、本場の朝鮮料理はバラエティー豊だ。
朝鮮半島では、料理ばかりか、食べる人まで個性的だ。湯浅氏らは大通りに出て、繁華街を散策し、夕食を取るためにプルコギ屋(焼肉店)に入ったそうだ。入店時、彼らの隣には家族連れが食事を楽しんでおり、ハゲ頭の父親が大声で怒ったり笑ったりして、料理を食っていたそうである。だが、その食い方がおぞましい。野獣並みの食いっぷりを見せるハゲ親爺は、肉片が残る大鍋にキムチと白飯をぶち込むと、ギュっと握ったスプーンでかき回し、グチャグチャと混ぜた。何となく想像がつく。しばらくすると、この父親は鍋に顔を近づけ、一気に赤茶色の肉御飯をかっ込んだそうである。(即席ラーメンを鍋のまま犬食いする朝鮮人だから、多少のマナー違反はしょうがないのかも。) だが、このオヤジ、食いながら喋っていたので、口から米粒が飛んでくる。(p.92) これまた、いかにも朝鮮人らしい。朝鮮語を喋るだけでも下品だなぁと思えてくるのに、こんな食い方じゃゾっとするよねぇ~。
朝鮮のホテルはひと味違う
(左 : 頭にカゴを載せてモノを運ぶ朝鮮人女性 / 右 : 現代南鮮の住宅事情 )
日本人観光客からすると、朝鮮には素晴らしい光景より不愉快な体験の方が断然多い。一般人との接触ですら厭なときが少なくない。湯浅氏達が釜山からバスで順天(スンチョン)に向かう時だった。バスは満員で、車内はなぜかニンニク臭く、その臭いがバスの中に充満していたという。(p.82) これは解る気がする。朝鮮人の臭いというのは独特だ。湯浅氏一行が高速バスのバスターミナルでウロチョロしていると、カモを見つけたと思ったのか、朝鮮人のポン引きがどこからともなく近づいてきたそうである。彼の口臭も、これまた、かなり強烈だという。この朝鮮人が「どこから来た?」と尋ねたので、湯浅氏は「日本(イルボン)から」と答えたそうだ。すると、「おう、しゃぺんか。いい娘いるよ !」と誘ってきた。しかし、彼が「いえ、結構です」と断ると、この朝鮮人はクルっと態度を変え、犬を追い払うように右手で「あっちに行け」というジェスチャーを見せたという。(p.82) バス停に売春業者がうろつくなんて・・・。もうコリアはコリゴリだ。
1990年代前半くらいまでか、朝鮮の名物や輸出品といえば売春婦であった。特に、1970年代から80年代、南鮮旅行する農協青年団とか出張サラリーマンは、買春が目的の人が多く、手軽で安い「本番」を求めていたらしい。湯浅氏一行は釜山に着いたとき、どこか泊まれる宿はないか、と街中を探したそうである。彼らが通称「ミドリ町」という地区に足を伸ばすと、そこには売春宿が多く、「Love House」といった看板を掲げる店まであったらしい。毎度のことだが、日本人が街中をうろつくと、どこからともなくポン引きのババアが近寄ってくる。こうした客引きは、ためらう日本人に向かって、「売春婦たちはピルを飲んでいるから大丈夫だ」と交渉するそうだけど、本当に信じたらヤバいことになる。たぶん、ポン引きたちが“売り”にするのは、コンドーム無しの本番なんだろうけど、恐ろしい性病(エイズ、淋病、梅毒)のことは頭に無いんじゃないか。(昔、筆者がある建設業者のオっちゃんと雑談したとき、彼は南鮮での「女遊び」をニャニャしながら話していた。その後、しばらくすると原因不明の病気に罹り他界。あんなに健康な人だったのに、急に「難病」に罹るなんて。奥さんは病名については黙秘。可哀想なんだけど何となく奇妙だ。)
当時、釜山駅近くの連れ込み宿だと、料金は3,000ウォン(約560円)くらいであったというから格安である。これなら、スケベな日本人が大量に南鮮へ殺到したのも当然だ。ところが、湯浅氏らが大邱の「ロイヤル・ホテル」に泊まろうとすると、フロントにいる丸顔の鮮人から、「1部屋9,000ウォン」と告げられたそうである。ちょっと高いと思ったが、湯浅氏らは泊まることにし、ボーイに連れられ部屋に向かうことにした。日本の帝国ホテルやプリンスホテルでは絶対にあり得ないけど、朝鮮人のボーイは湯浅氏らに娼婦を斡旋したそうだ。もちろん、彼らは断った。ただし、彼らも朝鮮の売春産業には興味があったらしく、隣の部屋で派遣された鮮人売春婦が入り口のところで値段を交渉する場面を伝えていた。「やっぱり !」と言っては何だが、朝鮮人の出張売春婦は結構客と揉めるらしい。翌日、湯浅氏氏がチェック・アウトすると、フロントには別の朝鮮人が坐っていて、丸顔の男とは違い「2人で2万ウォンです」と言ってきた。湯浅氏が「昨日のフロントマンは9千ウォンと言ったのだが」と事情を説明する。しかし、このフロント係は謝罪せぬばかりか、「オンドルの部屋は高いんです」と反論し、高額な料金を請求したそうだ。(p.61) いかさま師並の言い草だが、こうした朝鮮人に「正直」や「公正」を求めても無駄である。湯浅氏は不本意ながらも、言われた通りの金額を払ったそうだ。
日本人が思い描く「ホテル」と朝鮮での「ホテル」は根本的に違っていた。湯浅氏らが光州(クァンジュ)に到着した時のことだ。駅の近くで安い宿を探したところ、やっと見つかったのはいいが、その宿泊所がこれまた酷かった。一応、オンドルはあるが、部屋には小さな窓が一つだけ。しかも、泊まった部屋がトイレの横にあったので、強烈な臭いがする。そして、トイレの横には風呂場らしきものがあるが、湯船の代わりに大きな甕(かめ)が一つあるのみ。これで一部屋8,000ウォンであったという。(p.86) 「そんな、べらぼうな・・・、ぼったくりじゃないか !」と言いたくなるくらい、湯浅氏らが泊まった宿は酷かった。とにかく、こうした宿には用心が必要だ。例えば、夜になって寝ようとしたとき、明かりを消したら恐ろしい虫が現れてきたり、と様々な恐怖が待っている。
朝鮮のホテルには、お化け屋敷にも劣らないビックリ仰天のサプライズがいっぱいだ。例えば、西橋洞にある第一ホテルでの出来事は恐ろしかった。湯浅氏は宿泊したホテルで布団を使うべく、従業員に「布団を貸してくれ」と頼んだそうだ。すると、従業員は「わかりました」と答え、しばらくすると部屋に持ってきてくれたそうである。ところが、湯浅氏が布団を床に敷くと、この布団が矢鱈と臭かった。何と、この布団にはウンコが附いていたのだ !! ギャャ~ア~ !! 湯浅氏は堪らずこの布団を畳み、即座に従業員を呼びつけた。湯浅氏と彼の仲間は「どうしたんだよ」と全員で例の「ウンコ」を指さした。というのも、全員で指摘しないと朝鮮人は理解しないからだ。もう、一々面倒くさいのが朝鮮人である。 詰問された従業員は「う~ん」と言って困っていたが、とりあえず直ぐに取り換えてくれたので良かった。あまりにも生々しいので述べたくないが、湯浅氏によると、このウンコは親指くらいの大きさで、ベチョっと附いていたという。(p.329) こんな話を聞くと、悪夢にうなされそうだ。
朝鮮にある「味わい深い喫茶店」
(左 : 伝統を重んずる朝鮮人 / 右 : 現代の自由な朝鮮人)
1970年代の南鮮でも、一応喫茶店くらいはあったそうだが、「日本と同じかなぁ」と思ってはならない。文明国「コリア」のコーヒーは格別である。ある日、湯浅氏らが駅前の茶房に入って、コーヒーを注文したそうだ。ところが、運ばれてきたコップには溶けきらぬインスタント・コーヒーとミルクの粉が浮いており、これまた適当にぬるい。湯浅氏らは我慢して飲んだそうだが、朝鮮での出来事だから、一々目くじらを建てても無駄なんだろう。
その後、彼らが駅前の休憩所でジュースを飲んでいると、ETのキャラクター附ベルトを締めた少年(6歳くらい)がやって来て、湯浅氏が食べているパンや菓子を無心してきた。この少年、ニコニコとした笑顔を見せるが、その服は埃(ほこり)まみれ。しかも、洟垂(はなた)れ小僧らしく、テーブルにジュルジュルと鼻汁が垂れてくる。「おい、こらっ !」と叱りたくなるが、貧乏鮮人の子供じゃ仕方がない。湯浅氏はパンとカッパエピせんを呉れてやったという。少年は優しくされて嬉しかったのか、湯浅氏に馴れ馴れしくなり、寄りかかったり、手を引っ張ったりしたという。だが、その手は真っ黒だった。(p.88) ホント、「我慢」の修行をしたい人は朝鮮に行くべきだ。
意外や意外、1980年代の朝鮮人もコーヒーにはうるさかった。麗水という漁村を散策中、湯浅氏ら一行は「ブラック&ホワイト」という名の喫茶店に入ったそうだ。彼らが席に就いてメニューを見ると、色々な種類のコーヒーが載っており、「ブルーマウンテン」とか「キリマンジャロ」、「モカ」と書いてあった。普通の店では「コッピ(インスタント・コーヒー)」と「ホンチャ(紅茶)」しかないのに、この喫茶店では様々な種類があるんだから凄い。当時の南鮮では、ソウルにある大きなホテルでないと、こんな贅沢は味わえなかったそうである。しかし、湯浅氏には合点が行かなかった。彼は「なんで、こんな漁村の喫茶店で・・・」と不審に思ったそうだ。
ともかく、湯浅氏一行は、それぞれ「俺はキリマンジャロ」、「じゃ、俺はブルーマウンテン」と給仕に頼んだそうである。すると、注文を受けた朝鮮人のボーイは、レジにいる店主の方へ向かい、二人でゴニョゴニョと相談していた。少しすると、「喫茶店のマスター」と思われる男は、カウンターの中に入り、注文されたコーヒーの準備に取りかかった。湯浅氏達は「コーヒーの豆でも挽いているのかなぁ・・・」と思いつつ、しばしの間待つことにした。そして、ようやく注文したコーヒーが運ばれてきたのだが、一口飲んでみると、何てことはない只のインスタント・コーヒー。説明するまでもなく、即席コーヒーの粉をコップに入れて、お湯を注いだだけの代物ときている。「なんだよぉ~」と愚痴をこぼしたくなるじゃないか。
なるほど、店のメニューには色々な銘柄が書いてある。だが、その種類とはインスタント・コーヒーの「銘柄」で、サイフォンもドリップも関係ない、只の粉コーヒー。つまり、店のオヤジが粉コーヒーのメーカーを「豆の種類」にすり替え、勝手に粉を調合して「キリマンジャロ」とか「モカ」と称していたのだ。(p.299) 湯浅氏の推測によれば、この“創作コーヒー”の中身は「マックスウェルの粉コーヒーが3割で、ネスカフェの粉が7割」といった“混合物”である。店のオヤジは配合の仕方で様々な「ブレンド・コーヒー」を作ったつもりなのだが、飲んでみると、どれも同じで、単なるお湯で割ったインスタント・コーヒーに過ぎない。さすが、朝鮮人 ! やることが違う ! ただし、「This Is Korea !」と喜べないところが、これまた朝鮮らしい。
朝鮮では喫茶店ばかりが“香ばしい”場所ではない。湯浅氏らは清州(チョンジュ)に赴き、動物を売っている店を訪れた。しかし、そこは「ペット・ショップ」という名称とは程遠い場所であった。外の路地には金網のカゴがいくつも積み重なっており、その中には痩せこけた動物が詰め込まれていた。生後1~2ヶ月ほどの犬は、荒縄で杭に繋がれており、可哀想という感情しか湧いてこない。まるで、食肉市場だ。しかも、こうした「ペット・ショップ」は動物の鳴き声でけたたましく、インコやニワトリも“取り揃えている”から、店からは異臭がプンプン漂ってくる。また、「商品」を展示する檻が酷い。こうしたケージは金網なので、上の猫が大便をすると、床から素通りとなり、下に居る猫の頭に落ちたりする。その他、20匹ほどのウサギが詰め込まれたケージを覗くと、その中から仔犬がひょっこり顔を現す。店の主人は種類に関係なく、「ペット」を売っているようだ。(p.199.) ちなみに、朝鮮では犬を滅多打ちにしてから殺し、その肉をバーベキューにしたり、鍋で煮込んだり、と調理方法も様々だ。朝鮮人の中には、犬の頭を焼酎に漬けて、その酒を「精力剤」として飲用する人もいるらしい。
ギョっとするコリア体験
(左 : 南鮮の風俗街 / 右 : 引退した朝鮮の元売春婦)
『ディープ・コリア』には、湯浅氏一行の体験談ばかりではなく、別の日本人が遭遇した出来事も紹介されている。例えば、漫画家でAV男優の平口広美は、南鮮へ風俗取材に出かけたとき、ポン引きのババアに出逢ったそうだ。彼はこの鮮人老婆に身を任せ、その案内に従って路地を歩くと、地元の漁師が“馴染み”とする売春宿に辿り着いた。でも、朝鮮での風俗業だから、何か揉め事が起こるのはいつものこと。ババアが彼に「いい娘だよ」と斡旋する娼婦だが、その顔をよく見ると、丸眼鏡をかけた出っ歯のブス。セックスアピールというものが全く無く、マグロ同然だったという。しかも、この鮮人娼婦ときたら最悪で、客の要求を厭がるくせに、何かと言えば金(カネ)、カネ、カネの一点張り。平口氏は「ふざけんなよ!」と激怒。しかし、長時間の「ふっかけ」と「値切り」に疲れた彼は、「発射」せぬまま売春宿を後にする。
ところが、朝鮮劇場はここで幕引きとならない。平口氏が売春宿を後にしようとすると、母屋の方から、主人とおぼしき親爺が怒鳴り声を上げていた。そこで、平口氏が何気なく中を覗くと、その主人には臍(へそ)から下が無い。彼はあたかも象印ポットのように床に置かれていたのだ。(p.276) まるで、映画の『13日の金曜日』か『キャリー』みたいなラスト・シーンだけど、朝鮮人にはタフな人が多い。体が半分でも、口だけは一人前(いっちょまえ)だ。日本のお化け屋敷よりも、朝鮮の売春宿の方が怖かったなんて、江戸川乱歩の小説よりも斬新だ。
朝鮮の仰天エピソードを語り出すとキリが無い。帰化鮮人は朝鮮の過去をバラされると、ムカムカと怒り出すが、怒りの矛先は日本人じゃなく、日本に住み着き離れようとしなかった祖父母に向けるべきだ。日本で生まれ育つから恥ずかしい思いをするのであって、祖国の朝鮮で育てば、どんなに惨めな歴史であっても苦にならない。周りが朝鮮人だらけなんだから、みんなで「昔は大変だったね」で済む話だ。先進国の日本で暮らすというのは、良いことばかりではない。在日鮮人や帰化鮮人の多くは日本人を憎んでいるけど、本当に酷いことをしたのは、出稼ぎ目的で日本に潜り込み、戦後になっても故郷に帰らなかった在日1世のジジイやババアである。帰化鮮人は日本人による差別を糾弾するが、迷惑を被っているのは日本人の方だ。朝鮮人は日本人女性の子宮に精子を注入し、朝鮮人の遺伝子をまき散らしている。つまり、日本人は朝鮮人と性交することで、日系人の数を減らし、朝鮮人は日本人と交わることで混血児を増やしていのだ。
恐ろしい結果なんだけど、朝鮮人は着実に日本で子孫を増やしている。やがて、朝鮮系が総人口の2割を超え、3割、4割と増えて行くだろう。さらに、こうした混血児に支那人とかフィリピン人が混ざるから、日本は確実にアジアの一部となる。地理的には日本列島と朝鮮半島は海で隔離されているが、遺伝子的には「陸続き」となっている。日本の保守派知識人は、南鮮が北鮮化したことで「あちらも大変だねぇ~」とせせら笑っているが、彼らは日本が朝鮮人の植民地になったことに気づいていない。「このままだと韓国は没落しますね」と評している保守派は、日本人の肉体的変質を自分の目で確かめてみるべきだ。
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