ゲルマン人の遺伝子を保存する

5















  ナチ・ドイツの人種主義政策はすこぶる評判が悪い。悪いというより“人道に反する犯罪”とか“悪魔の思想”とまで呼ばれている。しかし、ドイツ人が自らの種族を保存することは、そんなに邪悪なことなのか? 戦後の熱気が冷めた現在では、ナチ・ドイツだけが異常だったわけでもない事が認識されている。一般人は別。厄介なのは、ユダヤ人の大量虐殺という「ホロコースト」が絡んでいるからだ。でも、収容所のユダヤ人は、ガス室で殺されたことになっているが、実はチフスの蔓延(まんえん)で死んだのだろう。英米軍が科学的調査を行わなかった理由がそこにある。当時英米軍は大して重要視していなかったのだ ! もし、ユダヤ人を虐殺しなかったら、ナチの人種政策はどのように扱われたのだろうか? おそらく賛否両論て輿論(よろん)が分裂するかもしれぬが、けっこう支持されたのではないか。今だって、アメリカ人は胡錦濤のチベット人皆殺しを責めてはいない。ブッシュ大統領は、平気でホワイトハウスに招待したし、笑顔で握手もしたのだ。敗戦がなければ、ヒトラーだって招待されるだろう。だから、我々は常識で、ナチ・ドイツの人種政策を考えねばならない。

  露骨だが簡単にナチスの人種主義を説明するなら、ドイツ人(アーリア人/チュートン人)の遺伝子を異質なDNAから保護・防御して、なるべく原形を保存しようとする保守主義から発生していた。日本人は保守主義(conservatism)というと、分かっているようで分かっていない。エドマンド・バーク(Edmund Burke)を持ち出して演説を始めたり、神道や歌舞伎、茶道、お祭りを題にして説教を始めるだろう。しかし、日本での保守主義とは、世間の常識で考える態度のことだ。筋の通る解釈や皆が納得するような道徳を思い出せば分かるだろう。「お天道様が見ているから悪いことしちゃいけないよ」とか、「ならぬ堪忍するが堪忍」とか「捨ての神あれば、拾う神あり」、「勝って兜の緒を締めよ」「油断大敵、火の用心」など格言や昔からの言い伝えだ。歴史の中で残る祖先の叡智を大切に守れば、未知の将来に備えることが出来るし、成功しなくても大失敗は避けられるかもしれないという思想である。こう言うと、一般人は「なーんだ。わかりきったこと言うなよ」と反論したくなる。重要なことは難しい言葉で語らなくてもいいのだ。

  しかし、それとて日本人が日本人であり続ける限りにおいて、である。先祖とは似ても似つかぬ容姿になれば、そうした考えは伝承されないだろう。血と肉(flesh and blood)で繋がる親子だから、形にならぬ精神が継承されるのだ。異質な種族の養子だと、ご先祖の家訓を忠実に守るかどうか分かったもんじゃない。たとえば、江戸時代から続く老舗旅館の当主が、有能だが血縁でない支那人の養子を跡継ぎにしたら、家族や親戚、女中、板前らは反対するだろう。親しみも尊敬も湧かないし、経営難に陥ったら外人当主は売却するかもしれない。血を分けた当主の嫡男なら、どんなに苦しくとも、ご先祖様に申し訳ないと思い、資財を抛(なげう)ってでも旅館を守るだろう。家紋を重んずる武士は、藩や家の存続を重視し、命がけで守り抜いた。戦国時代には本当に首をかけて努力したのである。家臣は若い藩主でも、亡き先代の嫡男に仕えたのである。三河武士を見よ。弱小の松平家(德川家)によく仕えた。日本人は庶民でも家系を大切にする。日本人の多くは、10歳とか40歳ではなく、年齢千年か二千年である。民族の血統が繋がっているので、歴史的国民なのだ。アメリカ人などは雑種で祖先が誰なのか不明である。そもそも関心がない。日本人には悠久の皇室があるので、何となく神話から続く安心感がある。なんと言っても、萬世一系の皇統は、血統による継承原理で続いてきたのだ。大地に深く根ざした巨大な樹木のようだ。

  そこで我々は自問してみなければなるまい。ドイツ人がゲルマン民族の遺伝子プールの中に、ユダヤ人の遺伝子が混ざらぬよう、それを阻止したら犯罪なのか? イスラエルのユダヤ人は、ラビも含めて、公然とアラブ人との結婚は止めろと発言したり、アフリカ黒人は追い出せと抗議デモを行っているのだ。まさしくイスラエル版ナチズムである。我々はユダヤ人による膨大な書物や映画で洗脳されているから、ドイツ史を「ドイツ国民」の視点から眺めることをしない。もちろん、日本人の視点からも見ないのだ。いつもユダヤ人の立場か、ユダヤ人の用意した色眼鏡でしか、ナチ・ドイツを見る事が出来ない。これでは当時のドイツ人が、なぜヒトラーのナチ党を支持したのか分からないだろう。ユダヤ人学者は恨み骨髄だからドイツ人を何としても貶めたいのは解る。しかし、ドイツ人は「民族」とか「祖国」、「家族」、「名誉」といった要素を大切にする。ミュンヘンでナチ党が集会を開いたとき、聴衆は「人種は命 !」 という呼びかけに同調していた。民衆は、「血統でつながる健全な本能」とか「アーリア人の美しい体型」に賛同していたのだ。(クローディア・クーンズ 『ナチと民族原理主義』 青灯社 2006年 p.129) ユダヤ人の評論家や知識人は、ナチ党の思想が非科学的だとか、低級で下品とか、俗悪な教義と馬鹿にして、教養人なら賛成しないだろう、と嘲る。デューク大学教授のクローディア・クーンズ(Claudia Koonz)は、ホロコーストを研究するユダヤ人学者だから、ドイツ人の人種賛美が気にくわないのだ。でも、アーリア人優越論はドイツ人の手前味噌だから、どの民族だって持っている夜郎自大思想だろう。彼女はヒトラーの総統就任とナチ法理論が量殺戮へ繋がった、と批判する。

   ・・・ヒトラーは、血統でつながる民族ポヒュリズムを動員して、立憲民主主義を新しい体制と取替えた。その体制は道議の名のもとに人を殺すことができるのであり、大半のドイツ国民の目にその正当化をもっともとおもわせるのである。(上掲書 p.139)

  ナチの法理論は別にして、クーンズはドイツ人が血統で繋がる民族意識を持ったからユダヤ人虐殺が発生したし、そのしそうがホロコーストの正当化に使われたのだ、と言いたいのだろう。しかし、民族主義でなくても異民族・外国人への攻撃は正当化されるのだ。アメリカ人は将兵は、軍務だから焼夷弾や原爆を使って大量殺戮を行った。個人的に嫌でも、義務感と愛国心で実行したし、反省などしていない。ユダヤ人がナチ・ドイツを憎むのは、住み慣れたドイツからユダヤ人を排除し、金品を奪って収容所へと送ったからである。ジプシーやアフリカ人を収容所に送っただけなら、ドイツ系ユダヤ人は無関心で暮らしていただろう。ユダヤ人が一番悔しいのは、ナチスがユダヤ人を異質な肉体を持つ異邦人、と“はっきり”認識させてしまったことにある。しかも、その説明に写真や映像といった視覚に訴えかける道具を使ったのだ。遺伝子学や医学、優生学、公衆衛生学なども取り入れて、理論的にユダヤ人を排除したのである。こんなことされたら、ユダヤ人はたまらない。百聞は一見にしかず。大量の写真を前に反論が出来なくなってしまう。

民族の肉体を憂えるナチス

  ユダヤ人の反ヒトラー論は、ヒトラーの人種偏見や民族差別を徹底して糾弾しているが、ユダヤ人とドイツ人は同じ種族だとは言わない。ナチスの人種理論に熾烈な批判を加える学者でも、ユダヤ人の遺伝子がゲルマン民族に混ざることで、ヨーロッパ人的容姿に変化はないとは断言できないのだ。この点を日本人の学者は突かない。怠慢だろう。ヒトラーは英国との同盟を希望した。アングロ・サクソン系国民との混血にも反対しない。これだけはイギリス人も異論なし。両国民が混血しても気づかないし、誰も気にしないだろう。第一、英国王室がドイツ系なのだから。ザクセンとバイエルン在住のドイツ人は見分けがつかないが、ウィーンのユダヤ人とブランデンブルクのドイツ人は区別できるだろう。たとえ一人のユダヤ人を区別できなくとも、百人千人集めれば、ユダヤ人はドイツ人と“肉体的に”違うことが分かるだろう。だから、民族主義に目覚めたドイツ人は、ユダヤ人と肉体関係を持てば、異質な容姿を持つ子供が生まれるんじゃないか、と懸念する。ご先祖様から代々受け継いできた肉体が、ユダヤ人のDNAで変形・歪曲することを嫌悪したのだ。遺伝学者でなくても常識で理解できよう。だから、ナチの科学者は子供や青年の周囲に、ユダヤ人が存在することに異議を唱えた。とくに、若い娘をもつドイツ人の親は、学校や職場でユダヤ人の男が娘に近寄ってくるのでは、と心配でしょうがない。父親からすれば、箱入り娘に下品な顔したセム人男(ユダヤ人)が触れるなんて、想像しただけでも虫酸(むしず)が走る。母親からすれば、自分の体が穢(けが)されたような気分になるだろう。

Houston Stewart Chamberlain(左 / ヒューストン・スチュアート・チェンバレン)

  ヒトラーやナチスの人種理論に影響を与えたH.S.チェンバレン(Houston Stewart Chamberlain)は、アーリア人の優越性を主張していたが、彼は偉大な藝術を遺したギリシア人や最強の軍隊を誇ったローマ人をかなり意識したいた。こうした偉大な文明を研究したチェンバレンなら、ギリシア・ローマの文明と遺産を受け継いで、ヨーロッパ文明を築いたのはアーリア人、つまりゲルマン系民族であると確信しても不思議ではない。イングランドやフランス、ドイツはゲルマン人が国家の主体民族であるから当然であった。彼が古代ギリシア人やローマ人がなぜ衰退し滅亡したかを考えたとき、人種的な堕落がその原因であると推理したのである。たしかに、両民族は奴隷を大量に抱えていたのに、自らの種族の遺伝子を守るために人種隔離政策を徹底しなかった。しかも、ギリシア人やローマ人は軍事的才能に恵まれた尚武の民族であったから、貴族は進んで戦闘に参加し、大量の高貴な血を流したのである。大量の戦死者で名門貴族が断絶する事態になってしまう。戦争で武勇を発揮することは名誉なことなので、貴族の子弟はこぞって剣を持った。しかし、下層民や解放奴隷の子孫は、権利としての従軍を許されなかったし、武勲をたてて貴族になろうともしなかった。それに、名誉を求めなかったから、生存する確率が高かったのである。敵前逃亡をしても恥ずかしいとは思わない。命あっての物種だ。それに、家柄を気にせず、旺盛な生殖活動をしたから、たちまち子だくさん。あっちこっちに妾がいたり、隠し子がいたりと。こうして支配階級たる高貴な家系が衰退し、下郎(げす)な下流階級が大量繁殖するといった逆転現象が起きる。

  ギリシア・ローマの衰亡を教訓にしたチェンバレンは、アーリア人の血統にユダヤ人の異質な血が混じることを危惧した。優秀なゲルマン民族と下劣なユダヤ人が通婚することで、「優秀な」ゲルマン人の人種的堕落が発症し、その卓越した資質が消滅してしまうと警告したのだ。ゲットーの中で不潔な生活をしても平気なユダヤ人は、精神的にもだらしなく、尚武の精神などからっきし持っていない。ユダヤ商人とか高利貸しは知られているが、剣豪のユダヤ人とか軍隊を率いるユダヤ将軍、美顔のユダヤ騎士、なんて聞いたことがない。薄汚いカフタン(長い上着)を着た髭面の中東人が典型的なユダヤ人であった。武藝に精進するより、宗教的巻物を暗記することに熱心な文弱が多かった。しかも、ゲットー解放以降、気持ち悪い顔したユダヤ青年が、金髪の美しいゲルマン人娘に性的な興奮を覚えるのだ。こうした現実をヒトラーはウィーンで目にしたのである。

  黒い髪のユダヤ青年は顔に悪魔のような喜びを見せながらなんの疑念をもたない娘を長い時間待ち伏せして、かれらの血で彼女を汚し、それによってその娘の属する民族から彼女を盗むのである。あらゆる手段を使って、かれらは征服しようとしている民族の人種的基礎を腐敗させようとする。かれら自身は計画的に婦人や娘を堕落させるとともに、より広い範囲にわたって他民族に対して血液的境界線を取り除くことさえもちゅうちょしない。ニグロをライン地方にもたらしたのはユダヤ人であった・・・・ユダヤ人は、そのことによって不可避的に生じる混血化を通じて自分の憎む白色人種を破壊させ、また高度なその文化、政治的位置から堕落させて、自分が彼らの支配者の地位に上ろうと企てるのである。(『わが闘争』 上巻 平野一郎・将積茂 訳 角川文庫 昭和48年pp.463-464)

  ユダヤ人学者はヒトラーを精神異常者に仕立てて、彼がどの程度的確な観察をしたのかを指摘しない。ドイツではヒトラーの思想や行動は全面否定されており、大学生が冷静な研究をして論文を書くなんてことは出来ないし、そんなことをすれば米国に亡命するしかない。ヒトラーの言説を研究する者は、当時の社会状況や言論界を調べないと、まともな判断を下せないだろう。たとえば、当時はチャールズ・ダーウィンの進化論を用いて、ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)らが「適者生存(survival of the fittest)」を言い出して、社会進化論(social evolution)を唱えていた。夏目漱石は英国留学で、この思想を骨身にしみるほど痛感し、ノイローゼになったくらいだ。当時の西欧列強は、植民地獲得の帝国主義全盛期にあって、各国とも軍備増強に熱心で、産業と軍隊の強靱化に人材と国富を投入していた。核兵器が登場していない時代では、いつ第一次大戦のような国家総力戦が起きてもおかしくはない。だから、国家指導者は優秀な兵卒と士官の育成に尽力していたし、そのための社会を健全に保とうとしていたのである。今でもそうだ。特に軍隊にゲイを認めてしまった合衆国軍では、歴戦の勇士や立派な将校が、軍隊の士気が低下することや道徳が頽廃するのを嘆いている。彼らは健全な社会を求めた。保守的風土の南部は良質な兵卒の供給源であったからだ。したがって、ヒトラーやナチスの人種学者が優生学を重視したのもうなずける。優秀な軍人は、良妻賢母から生まれ、健全な家庭で育ち、モラルの高い環境で才能を発揮するのだ。我々はレズビアンの家庭で育つ軟弱な息子を知っているし、厳格な武家で育った立派な軍人を数多く知っている。ヒトラーの言い分にだって一理あるだろう。

女子の体育に熱心だったナチ・ドイツ

nazi girls 14nazi women 3










  フランスには無いドイツの魅力とは、民族(フォルク)の教義、つまりフェルキッシュ・イデオロギー(Die Völkische Ideologie)である。もともとはゲルマン系フランク族が建てた王国なのに、ガリアのケルト人とフランク人はゲルマン語を棄てて、ガロ=ラテン語を話すようになった。ローマ文明を咀嚼(そしゃく)して、自らの民族に吸収したまでは良かったが、近代以降人種混淆がかなり進んでしまい、フランス人とは如何なる種族か分からなくなってしまった。北アフリカのアラブ人や黒人が混じっても平気な国民となってしまったのである。一方、ドイツでは植民地獲得競争に遅れたこともあって、国内に大量の異人種が流入しなかったことが幸いした。比較的人種の保存が保たれたのである。だから、ドイツでは人種=民族イデロギーが普及する素地があった。こうした背景であったから、ドイツではワイマール時代から、人種を題材とした小説がたくさん出版されていたのである。

  西欧人つまりゲルマン系人種の間では、異人種間の性交渉を嫌う傾向が強い。たとえば、南アフリカのボーア人(オランダ人入植者)や北米のアメリカ人(アングロ・サクソン入植者)は、ゲルマン人らしい純粋種族観を持っていた。アルトゥール・ディンター(Artur Dinter)は『血に背きし罪(Die Sünden wider das Blut)』を1918年に出版して、数十万部を売り上げた。この小説は、ドイツ人女性の人種的純潔性が、金持ちのユダヤ人によって冒瀆されるという話である。ところが、たとえ彼女がこの男を棄ててアーリア人男性と結婚しても、彼女の子孫はユダヤ人みたいなタイプに類似し続けたという。これは下劣なセム人種によってアーリア人女性が穢されることへの恐怖を伝えたのである。(p.188) もちろん、こんな話は虚構だが、汚れを知らぬ美しい生娘(きむすめ)が、醜悪な容姿のユダヤ人と交際するなんて、忌まわしいと大衆は思っていた。だからこそ、ベストセラーになったのである。今はどうか知らないが、大正や昭和の日本男子は、見合い相手の娘が数十人の男と性交していたことが判明すると、どうしても結婚をためらった。べつに交際相手の精子が残留しているわけでもないのに、結婚相手には処女性を求めていたのである。

nazi girls 2nazi girls 1nazi girl 5






(写真 / 健康な肉体をもつドイツ人の少女たち )

  ナチ・ドイツの人種政策で特徴的なのは、男子に劣らぬ女子の体育、つまり肉体を鍛える教育である。これは伝統的ユダヤ人教育では、決定的に欠落したカリキュラムである。イスラム教徒と同じユダヤ人は、女子が肉体を鍛えて、美しい体を形成し、健康な体を持つ個人として成長することを考えない。女は男の付属品位にしか思っていない。日本では紫式部が古典となる『源氏物語』を書いたが、あれだけ書物が好きなユダヤ人社会では女性の文豪や思想家が現れなかった。しかも、武家の女性みたいに、薙刀(なぎなた)を持って武藝に励むといったことは皆無。想像すら出来ない。男のユダヤ人だって、古代ギリシア人のような格闘技をする習慣がなかった。ボクシングをしている古代ユダヤ人を、イタリアやスペインで見かけないだろう。ナチスは健康で丈夫な子供を産む女子の教育に熱心だった。もともと、古代ゲルマン人は女性に対して畏敬の念を持っていたからだ。これはタキトゥスの『ゲルマニア』で有名である。

  民族教育者は「女性を女性らしく扱う」ことによって、嘗ての「名誉と尊厳」を取り戻すことを誓った。少女たちは「奉仕と犠牲という偉大なる母性のわざを実行」し、結婚するまでは純潔を守り清くあれ、と教えられた。(クーンズ上掲書 p.202) フォルク(ドイツ民族)の体と魂と叡智を保ってきたのは、母としての女性であったからだ。確かに、勇敢なゲルマン戦士がいても、女子がいなければ、次世代は存在しない。ナチスの民族主義者は、少年少女双方に、強くたくましい肉体を持つよう、体を鍛え、心と魂を守るよう訓示したのである。こんなのは武家の教育では常識。文武両道が奨励され、いくら四書五経を暗記したからとて、刀をふるう腕力が無ければ馬鹿にされるのだ。「青びょうたん」とか「文弱」では武士の名が泣く。娘たちも、立派な跡継ぎとなる嫡男を生むことを求められた。ナチズムに共感した教師は、子供たちに、「君の体は君個人の物ではなく、フォルクに属するのだ」と諭した。明治以降、欧米の学校を視察した日本人は、学問と体育を兼ねた女子教育に感銘を受けたのである。少女が均整のとれた肉体を持つよう教育することが、日本の寺子屋には欠けていたのだ。

  教育省は「学生の本分はフォルクとしての自覚にあり。フォルクの未来は人種と遺伝にあることを認識し、それが自分に課せられた責務であることを理解しなければ、卒業出来ない」と指示した。民族の団結をたたき込むため、生徒や学生はある詩歌を暗記したという。(p.190)

  純潔は君の命
  清らかに保て
  血は君だけのものに非ず
  はるけき昔に源を発して
  明日へと流れ行き
  幾多の先祖を
  未来へ伝える
  清らかな流れこそ永遠の命

Walter Gross(左 / ヴァルター・グロス)

  「血は神聖にして犯すべからず」が強調されたのだ。SSの人種政策の責任者で農務相のヴァルター・グロス(Walter Gross)は、「民族の血は大河のごとく滔々と流れる」という比喩を好んだ。「汝の血を清く保て。君だけの血ではない。はるか昔から連綿と続き、未来へ向かって流れていく。それは数千の祖先の血を伝え、未来はその中を流れて行く。汝の永遠の命のケープを清く保て」と主張していた。ユダヤ人はこうしたドイツ人の民族教義を毛嫌いするが、日本人から見れば、彼の思想は極めて健全である。ユダヤ人はドイツ人の血を持たないから批判しても当然である。もし、グロスの思想が間違いなら、その文言の逆を実行してみよ。「汝の血を汚くしても構わない。君の血は君だけのもの。勝手にしろ。その血は君で終わり。未来は関係ない。祖先のことは忘れろ。血管には血液しか流れていないから、祖先がどうしたというのか。どうだっていいじゃないか」と述べたら、普通の日本人はどう思うのか。ドイツ人のある教師は、「血でつながる民族は、人種を中心にすえる。それで人種の純潔が保たれる。子供のなかに国家の貴重な品があるのだ」と説明した。(p.203)

  「健全な精神に健全な精神が宿る」と古代ギリシア人は考えた。健全な精神についいては、古来から多くの哲学者や聖職者が論じてきたから、どんな民族でも反対しないだろう。しかし、健全な肉体となると議論が分かれる。どんな肉体だと賞賛されるのか? メソポタミアの古代文明でもはっきりとしない。ユダヤ人はどんな理想的肉体を描いていたのか? ユダヤ女性の肉体美なんて、シナゴーク(礼拝会堂)の学者や祭司はぜんぜん話題にしなかった。若い娘たちの肉体を鍛えて、如何に素晴らしい容姿を持つよう育てるかに関心が無かったのだ。女はただ子供を孕(はら)めばそれでよかった。フランスのゴビノー伯爵を支持していたエルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel)は、人種的な純潔性と自然な野外生活への回帰を結びつけて提唱していた。(キャトリーン・クレイ/マイケル・リープマン『ナチスドイツ支配民族創出計画』 柴崎昭則 訳 現代書館 1997年 p.33)ユダヤ人は都市に群生する傾向が強く、農村なんかにまったく関心が無い。薄暗い部屋でしこしこ勉強する方が好きなのだ。学問や宗教、商売にしか興味が湧かないから、野山にハイキングに出かけ、体を活発に動かすという発想が生まれなかった。ナチスは女子の体育教科を重視して、スポーツやハイキングを奨励ししたのである。我が国でもドイツ人の「ワンダーフォーゲル」は有名だ。戦前、三国同盟の関係もあって、日本の教師らがドイツを訪問した際、ドイツ人女性が快適な学校生活を送り、スポーツに勤しんでいたことを感心していた。

  ナチスは学校だけではなく、広く社会一般にも、健全な青少年や暖かい家庭のイメージを植え付けることに熱心だった。善良な少年・少女のイラストや子供を抱いた母親、理想的な家族の写真を掲載したカレンダーや小冊子を作っていた。また、顔や体の写真を用いて、各人種を分類し、特徴を説明する人類学や人種学もカリキュラムに加えていたのだ。『ノイエス・フォルク(Neues Volk)』というパンフレットを発行して、血統で繋がる民族意識の強いドイツ人は、多民族と違って、より意義のある人生を送ることができると宣伝した。(クーンズ p.165) ユダヤ人の写真を使って具体的に説明しないと庶民は理解できない。これにはユダヤ人が激怒したが、ドイツ人からすれば本当の事を指摘しただけだろう、と言いたくなる。それなら、ユダヤ人も自分たちを賞賛する写真集を作って自慢すればよい。どんな人物の顔写真を集めるのか興味深い。ともかく、ナチスの学者は、世間一般の意識を変えなくてはならぬと実感していたのである。

  現在では、ナチスの人種理論家であったハンス・ギュンター(Hans Friedrich Karl Günther)が示した北方種族賛美を、公の席で発表できないだろう。彼は言う。北欧種族の男性は最高の才能を有しているだけではなく、極めて美しい肉体をもつ。引き締まった体格に、均整のとれた骨格と筋肉がある。力強く幅の広い肩、鍛えられた筋肉で厚い胸、高い背丈をもつゲルマン種族である。ドイツ女性は金髪をなびかせた白く柔和な肌をもつ。瞳は青くて明るく、美しい体型を誇る。チュートン的容貌を備えた至高の人種である、と。こんなこと言ったら、欧米諸国では大騒ぎになるだろう。しかし、ミス・ユニヴァースに出場したがる西歐女性にとっては、北方種族の容姿が理想的な女性美である。ラテン・アメリカ出身の女性なら、全く反論が無いどころか、是非とも持ちたい憧れの美であろう。審査過程で水着姿がメインになっているのだから、審査員はどんな美意識で女の順位をつけているのか? ついでに言わせてもらうと、なぜ日本代表の女性は、あんな花魁(おいらん)や娼婦みたいな格好(民族衣装)を披露するのか? たぶん日本の和服だと審査員に不評だからなんだだろうけど、日本の美意識とは随分かけ離れている。滑稽だったのは、2013年のミス・ユニヴァース大会で、米国代表の民族衣装は、何と「トランスフォーマー」だった。これは冗談では無い。映像が残っている。世界的・普遍的な女性美の審査なんて馬鹿らしいが、毎年大衆が喜んで見ている。『スポーツ・イラストレイテッド』誌の水着女性の方がよほど良い。本音で選んだ西歐美女が登場しているのだ。

  ナチスの人種思想を理解するときに、ナチ政権以前のドイツを調べたり、ユダヤ人の正体を解明しないと片手落ちなのだ。特に、ユダヤ人の歴史や宗教について説明するのは、本当にしんどい。日本人に予備知識がない場合が多いからだ。西欧諸国で絶大な権力をふるっている民族について、日本の教師は全く言及せずに西洋史を教えているのだ。肝心なユダヤ人の支配構造を抜きにして、アメリカやヨーロッパの政治や経済を語っているのだから、日本人の教育水準は呆れるほど低下してしまった。次回はナチ思想とユダヤ人との関連を述べてみたい。



人気ブログランキングへ