アジア人が嫌いな日本人

  日本人は基本的にアジア人が嫌いだ。世の中では正直は美徳ではなく損失の素である。むかし、女優の桃井かおりがCMで「バカが多くてて困っちゃう」とセリフを吐いたら抗議が来たという。世間には如何にアホが多いかという証拠。洗脳は悪いことだが、学校やテレビでは盛んに行われている。「アジアの中の日本から考える」とか言う評論家や、サッカー・アジア選手権などを囃し立てて、日本人がアジア人であることを刷り込もうとするマスコミ人が沢山いるのだ。しかし、普通の日本人なら米国に行って「アイ・アム・ジャパニーズ」と自己紹介するが、初対面の相手に「アイ・アム・エイジアン」とは言わないだろう。仕事や研究で歐洲に住む日本人が、支那系や朝鮮系の住民を見て、同類だとは思わない。

  敗戦後まもない1951年に、泉靖一・東京大学助教授が日本人がもつ異民族観を調べた報告書がある。泉氏によれば、調査結果から日本人の好感度が高い外国人は、まづアメリカ人、フランス人イギリス人、ドイツ人、イタリア人の順になったという。黒人は外見からして異質だから嫌われるのは分かる。また、日本人がロシア人を嫌うのも、大陸からの引き揚げ時に受けた凌辱や暴行を念頭に置けばうなずける。オーストラリア人が嫌われたのは、南方戦線で捕虜になったり、戦後に復讐されたから当然であろう。しかし、アジア人への嫌悪感は戦争とあまり関係がない。嫌いな民族を挙げれば、まづ朝鮮人、次いでフィリピン人、ベトナム人、支那人、インドネシア人、ビルマ人、タイ人、インド人の順になる。泉氏曰く「日本人が最も好まない民族は、朝鮮人、フィリピン人そしてシナ人である。」(泉靖一 「日本人の人種的偏見」 『世界』 昭和38年3月号 p.83)

  泉氏が334人の回答を得た調査で、各民族に対する日本人の評価を紹介している。対戦相手のアメリカ人やイギリス人(主に白人だろう)、朝鮮人、支那人にだけ拾ってみよう。(カッコ内は人数)

        立派  清潔  ずるい 親切  愛想がよい 腹黒い 丁重 文化が高い 親しみやすい
アメリカ人/ (139)     (157)     (11)       (197)      (122)         (11)        (32)       (268)          (111)
イギリス人/ (109)     (140)    (21)       (74)       (14)            (14)        (60)           (248)        (50)
朝鮮人/      (1)        (11)      (188)      (7)         (7)               (68)        (4)            (3)           (34)
支那人/      (7)         (3)       (113)       (20)       (28)             (46)         (16)           (12)        (48)

日本に対して原爆攻撃をしたアメリカ人に対してさえ、139名もの日本人が「立派」という評価を下したのに、敗戦前まで日本国民だった朝鮮人に対しては、たった1名しか「立派」と答えていない。朝鮮人は支那人よりズルくて腹黒いそうだ。このほか泉氏の調査では、どの民族が「政治的に日本のためになるか」が問われ、199名の日本人が「アメリカ人」と答え、「朝鮮人」と答えたのはたった17名であった。でも朝鮮人はガッカリするな。「アフリカ人」と答えた日本人は9名しかいなかったのだ。黒人よりマシだったぞ。

  左翼雑誌『世界』に掲載された論文だからしょうがないが、泉氏は日本人がもつ朝鮮人への人種的偏見について述べている。日本が朝鮮を植民地したことで、日本人が支配者となって優越感を持ったが、敗戦によりそれが劣等感に転換してしまった、と泉氏は分析する。彼は日本が日韓併合後、朝鮮人を搾取して貧民にしたり、低賃金労働者として酷使したと批判する。朝鮮の農村が荒廃し、木や草の根を食べる事態になり、日本内地へ流民が来るようになった、と分析している。笑ってしまうような歴史認識だが、昭和の30年ないし50年代ではこれが一般的認識だったのである。泉氏はこう提言する、

  もし、日本がかつての朝鮮統治に責任を感じているならば、現在なすべきことは、たくさん残っている。まず第一に、国民の意識の底に残っている、朝鮮人に対する人種的偏見を払いとるために、力をつくすべきである。よどみない眼で、日本人が朝鮮と朝鮮人を直視しないかぎり、二つの民族のあいだの永遠の友好関係は確立しえない。(p.89)

  では建前を取り払って調べてもいいのか?、日本人が朝鮮人や支那人を嫌う根本的な原因を考えてみたい。
 
嬰児殺しの動物

  日本人がアジア人を嫌悪するのは、文化的要素もあるだろうが、容姿つまり人種的要因がその根底にあるのではないか? 大人は「触らぬ神に祟りなし」で厄介事には係わらぬよう暮らしているから、アジア人に対しても丁寧で親切な態度で接する。しかし、小学生から高校生までの子供は、世間体や建前だけで毎日を暮らしていけない。とくに学校という閉鎖的空間に閉じ込められて、異邦人と交流をすれば、つい本能で行動したくなる。教師から、いくらアジア人級友と仲良くしろ、と言われても従えないのだ。子供はその理由を言葉に出来ないし、自分の心理を分析できないから反発してしまう。子供を叱る前に、我々は動物の行動からその嫌悪感を考察すべきである。

  動物は本能で生きているから、時として残酷に思える行為をする。むかし、あるバーバード大学の学生がインドで猿(langur)の生態を観察したことがあった。ボス猿が多数のメス猿を侍(はべ)らせて集団をつくっている。そこへ若い猿がそのボス猿に挑戦して、勝負に勝つと元・ボス猿の子供を追い払おうとする。新たなボス猿は幼い子猿を皆殺しにして、メス猿と性交し新たに子を生ませるのだ。(Carl Zimmer, First, Kill the Babies, Discover Magazine, September 1996 Issue) こうした嬰児殺し(infanticide)は他の霊長類でもみられる。マダガスカルのテナガザルも別のオスの子猿を殺すという。その猿は発情期が年に一度なので、メス猿としても子孫を保存することが困難になるはずだ。しかし、オスは子猿に牙で噛みつく。スマトラでも動物学者が、腹を食いちぎられた子猿の屍体を報告している。

  さきほどのハーバード大の学生によると、メス猿は新ボスが子猿が殺されるのをただ黙って観ているだけではないそうだ。ボス猿が子殺しをするのを防ごうとするらしい。メス猿も必死で、トリックを使っても我が子を何とか残そうとする。前のボス猿と性交して妊娠したメス猿も新ボスと性交し、お腹の子をそのオス猿の子であるかのように装う。まあ、生まれた赤ん坊猿なんてどれも似たようなものだから、オス猿は分からないだろう。しかし、オスもメスも遺伝子を残そうとする行動はすさまじい。

本能で行動する子供

  猿には「多民族共生」という説教は通用しない。自分の遺伝子だけを残そうとし、違うオス猿の遺伝子を排除する。しかし、そんな猿でも集団で暮らす高崎山のニホンザルは仲間思いである。仲間の一匹が外敵に襲われれば、皆が助けに出かけて救おうとするのだ。ミツバチだって、ススメバチが自分の巣を襲うと集団で外敵に襲いかかり、各自が体を振動させて熱を発生させ、高温でススメバチを焼き殺そうとする。何匹かのミツバチは死ぬが同じ遺伝子を共有する仲間が助かれば本望なのだ。日本人もかつては同胞愛に満ちていた。大東亜戦争末期に神風特攻隊が、米軍に突撃したのも同胞を守るためであった。アジア人のために自己犠牲を選択したのではない。

  日本人の子供が朝鮮人や支那人などのアジア人を何となく受け入れないのは、このアジア地域の異邦人は違う遺伝子を内蔵する生物だからである。以前、群馬県桐生市で日比混血児の小学生児童が「いじめ」が原因で自殺する事件があった。この小5の女の子はフィリピン人の母親を持ち、顔がフィリピン人風だったのだろう。同級生がいじめたのも、彼女の性格や躾より容姿が原因だったのかも知れない。こうした悲劇が起きると教育評論家や学校運営者らが児童や日本人社会の意識を改善するよう言い出す。たとえば、冷泉彰彦は彼のコラムで「定住外国人」の子供に対するいじめの解決法を「コミュニケーション能力を鍛えることに尽きると思います」と述べている。(『宝塚の事件から群馬の事件へ、「定住外国人へのいじめ」はどう乗り越えれば良いのか?』 Newsweek Japan  210年12月10日) アホでも有名ならゼニが貰えるのだから、日本はいい国である。まあしょうがないか。こういう脳天気なことしか言えないのが、マスコミに出てくる評論家である。

  遺伝子の違いから来る排除・嫌悪感なのに、コミュニケーションを鍛えればイジメが解決する、など真面目に言える奴がいるのだ。中学生でも笑ってしまうだろう。アジア人同級生を拒絶する子供は、アジア人混血児に異質で不快な印象をもっている。これは教師や親が説教して無くそうとすれば、かえって増大させてしまう類の感情である。米国の会社でも、有色人同僚に対する人種的配慮の講義を白人社員に行ったら、よけい白人社員の差別意識が増大してしまったのである。学校で教師が生徒に対して建前の説教を垂れれば、日本人の子供は面従腹背になって、イジメがよけい陰湿化・巧妙化するだろう。解決するには子供の目を潰して盲(めくら)にするか、劣等国からの親をもつ混血児は、その親の出身国で暮らすことである。フィリピン人や朝鮮人の親をもつ混血児は、いじめを防ぐために、フィリピンや南鮮で成長した方がよい。親だって子供がいじめを苦にして自殺するよりいいだろう。それに、劣等国の配偶者をもつ日本人は、混血児がいじめにあうくらいは予測して対処すべきだ。日本で成長して幸せになるはずないだろう。親が馬鹿であることは、親戚しか言えないだろうから、マスコミでは本音は議論されない。


    日本では朝鮮人が嫌われるのは、彼らの行動・性格に問題がある場合が多いけれども、その朝鮮顔を生理的に受け付けないことにも原因があるのだ。たとえば、韓国大統領になった李明博は、かつて大阪に「月島」姓を名乗って住んでいた。月島明博の顔を見ていると、なんかムーミン谷の海岸に打ち上げられたナマコ(Sea Slug)みたいだ。(脚注*『ムーミン』とはかつて人気があったアニメ番組)イカリナマコ(Synaptidae Burmeister)のような顔が近づけば、たいていの日本人女性は無意識的に右フックかクリンチ・アッパーを彼の顎に打ち込むだろう。理屈ではいけないと思っていても、つい拳が動いてしまうのだ。まともな日本人女性なら、こんな男の遺伝子を受け継ぐ子供を産みたいとは思わないだろう。人間が理性で生きているとは啓蒙主義時代のフランス人哲学者(philiosophe)や百科全書派(encyclopedist)の発想だ。我々は感情で生きている。たまに理性を使っているが、それはあまり頼りにならない。このテーマはデイヴィド・ヒュームの哲学論になるので、今日ははこの辺でおしまい。



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