支那人に跪くチャンコロ(中国)学者

 かつて『産経新聞』紙上で、渡部昇一・上智大学教授と加地伸行・大阪大学教授が「中国」「支那」論争を繰り広げた。一般国民は幼い頃から学校で、支那を「中国」と呼ぶよう洗脳されているので、「支那」を侮蔑語と勝手に思いこんでいる者もいる。しかし、中学生くらいになって、英語を学ぶと「チャイナ」は「支那」と同じ「秦」から由来することが分かる。英語教師は生徒から質問されると困るから、わざと触れないようにしている。厄介な問題には蓋をするのが教師の習性だ。見ざる、聞かざる、言わざる、に「さようでござる」が事なかれ教師の鉄則。論争なんかしない。だが、もっと悪いのは、支那人の肛門まで拝む「チャンコロ」屋である。

  「チャンコロ」が侮蔑語だと思っている日本人の良い子も多いか、これは「中国人(チャンコーロー)」を日本語風に発音しただけ。日本人がなまったら悪いのか? 薩摩弁を話す者が、津軽弁や名古屋弁を「耳障りの悪い方言」と批判できないのと同じ理屈だ。支那人が何と言おうが日本人の勝手だ。支那人がキャンキャン言ってきたら、英語で「Get Lost, Chinky(うせろ、シナ野郎)」と言ってあげればよい。もし、日本人で「中国」という呼称が好きな者には「チャンコロ屋」と呼びなさい。鼻っ柱を叩かれた犬のようにおとなしくなるだろう。

  犬よりも始末に悪いのが、大学教授や文化人といった暇を持て余すお喋り藝人。象牙の塔の住人は変な人が多い。特にアジア人の文化や政治を研究している輩に、ねちねちした性格の根暗型老人が多い。月刊誌の『正論』や『WiLL』に文章を書いている加地伸行が、こうした有害老人の一人だ。

  論争の発端は、渡部先生が「中国」は学問的にみてもおかしな呼称であると指摘したことであった。昔から我が国では「中国」は我が日本であって、「中朝(ちゅうちょう)」といえば日本を意味した。もちろん、支那人が「中朝」と言えば、自国シナのことである。よく外務省官僚が、外国から日本に帰ってくるとき、「帰朝(きちょう)」と言う。「本朝(ほんちょう、つまり日本)」に帰ってくるからである。ちなみに、北朝鮮に首相が訪問するときは、「訪鮮(ほうせん)」と言うべきである。「訪朝」では紛らわしい。

  渡部先生は「おかしい例」として、宮崎市定博士の名著『科擧』を取り上げた。この著書は昭和21年に秋田屋から出版されたもので、それを昭和61年に平凡社が復刻したのである。(産経新聞 平成元年8月21日)ところが、旧版で「支那」と記述されているのが、ことごとく「中国」に書き換えられている。「歴史的假名遣い」を「現代かな遣い」にするのは分かるが、「支那」を削除する必要はない。たとえば、宮崎博士はこう述べている。

  「何となれば科擧は清朝二百数十年の制度たるに止まらず、實に支那社會に千年三百年餘年の歴史を有する制度であり、従つてその崩壊は千三百年継続したる制度の崩壊である。・・・抑も科擧は支那的なると同時に儒教的なるものである。」 ( 宮崎市定 『科擧』 秋田屋 昭和21年 pp. 278-279)

  これと同じ箇所が平凡社版では、

  「なんとなれば科挙は清朝二百数十年の制度に止まらず、実に中国社会に千三百年余年の歴史を有するせいどであり、したがってその崩壊は千三百年継続したる制度の崩壊である。・・・・そもそも科挙は中国的なものなると同時に儒教的なものである。」 (宮崎市定 『科挙史』 平凡社 東洋文庫 1987年 p.311)


宮崎博士はこの『科擧』が古書業界で需要があるため、法外な高値が付いたことに驚かれた。そこで原本を補訂復刻版として平凡社から出したのである。補訂のためとはいえ、「支那」を「中国」にする必要はないだろう。原本の薫り高い文体が台無しだ。筆者は秋田屋版の方が絶対いいと思う。宮崎博士は『論語の新研究』(岩波書店1974年)も出版されていて、「支那」を使っている。何も問題はなかった。

  件の論争に戻る。加地はこう述べる、

「中国人自信は国体を中国としているのである」から「学問上、国体表現をもってその国の歴史をろんずるのが、かえって客観的なのである」。 (産経新聞 平成元年9月2日)

支那大陸には複数の政権が存在したりする複雑な環境があるから、「中国研究者は、その客観性のために国体として中国と記すのが妥当なのである」とぬかしている。つまり、加地氏が言いたいのは、支那大陸では何人も皇帝が現れて、それぞれ王朝を建てたり、打倒したりで、国号が色々変わるから、一貫した「中国」という名称を使うと混乱しない、と言いたいのだろう。日清戦争後、清国留学生が我が国に来て、日本人に「君の国の名称は?」と尋ねられて、彼らは困ったのである。国名がなんだか分からなかったし、気にも掛けていなかったのである。支那という広大な土地で、腕力の強い豪族が王朝を建てれば、民衆はただ服従すればよかった。「唐」や「元」「宋」「清」とかの異民族王朝がどうなろうと、一般支那人はお構いなし。だから、支那人が日本人に「国の体質が中華」と言い張っても、我々日本人は「ふーん。そうかい」と言って無視すればいい。

  支那人が「世界の中心」とか「中華」、「夏」と自称しようとも、我々にはどうでもよい。「支那」でいいのだ。そのあと、論争が数回続き、加地氏が山鹿素行の『中朝史実』や山片蟠桃の『夢ノ代』を引き出して、語源や用語の蘊蓄披露となる。渡部先生は支那人が自国を「中国」と呼ぶとき、中華意識ないし華夷秩序が根底にある、と論じているのだ。至極まっとうな見解である。さすが渡部先生、碩学である。しかし、加地氏は「中国という語に対してなんの美称感覚もない」と応える。加地氏がどう感じようと、自己中心的「夜郎自大」の支那人は、日本人を「東の夷狄(貉/むじな)」としか考えていない。だから、支那を「中華の国」と尊ぶよう外務省の岡崎勝男に命じたのである。

  論争の中で、渡部先生が加地氏に日本は自らを「中国」と称してきたし、日本には「中国地方」があるのだから、「漢字の知識があるなら」これが正しいと分かるはずだ、と丁寧に指摘してあげた。(「産経新聞}」 平成元年年9月23日) 加地氏は、「漢字の知識がない」と指摘されて、「京都大学で支那哲学史講座選専攻の卒業生」ですよ、と自慢している。(「産経新聞」 平成元年10月5日) 大卒の馬鹿なんていくらでもいるのが、分からないのか。アホんだら。卒業したから思考能力がついたと勘違いするな。京都大卒でも漫才師になれたらたいしたものである。敗戦後、それまで「支那文學史」と呼んでいたのに、「中国文学史」に変えたりした大学の教授連中は恥を知れ。京都大学には内藤湖南や狩野直善ら高名な支那学者がいたのである。変節漢の吉川幸次郎はさっさと「中国学者」に鞍替えした。津田左右吉は「支那思想と日本」を岩波から出版していたが、戦後も変節しなかった。

  この論争で我々が注目すべき点は他にもある。出版社が「支那」という呼称を抹殺したことである。学問や言論・出版の自由を高々と掲げて誇りにしている文化の砦なのに、裏で陰湿な圧力を著者に掛けていたのである。渡部先生はご自身の経験から、この「支那」使用禁止の風潮を語っている。また、論争の評論を依頼された宇野精一・東京大学名誉教授は、おおむね渡部先生に賛成している。宇野氏は論語や孟子などの研究で有名な学者であるから、評論と判定の資格がある。宇野氏も出版社から「支那」に対する圧力を経験していた。例として講談社を挙げている。宇野氏は論争への感想として述べている。

 「私は漢籍の古典を学ぶ者として、中国といえば天下の中央の国、即ちわが国という感じがどうしても拭へないから、日本人として彼の国を賞するのは適当ではないと考へる」 (産経新聞 平成元年1月11日)

宇野氏の見解は古典学者としても日本人としても健全である。もう一人の評者、竹内実・立命館大学教授は有名な「チャンコロ」屋である。竹内氏は「なにをいまさらシナを引っ張りだそうとしているのか」、という感想を述べた。

  「中国」の呼称を使う研究者にレッテル貼りをするのは、いかがなものか。そのいたけだかな態度は、かつての「暴支譍懲(ぼうしようちょう)」、「暴戻なる支那を譍懲せよ、と叫んだ帝国軍人の口吻(こうふん)そのものである。 (「産経新聞」 平成元年11月2日)

  竹内は「支那」という言葉は、「すでに死語である」し、それは未だに消えていない「いやな思い出」と述べている。「支那」と聞いて帝国軍人を思い出す支那学者とは、どういう頭の構造をしているのか。では「米国」と耳にしたら「原爆攻撃」を思い出だす米国史研究者とか、「アフリカ」ときいたら「奴隷狩り」をつい連想してしまう文化人類学者など異常である。広島と聞いて「もみじまんじゅう」を連想しする庶民はいるが、暴力団を思い浮かべる学者はかなり重症だし、川崎と聞いて売春宿が浮かんでくる教師は変態だ。敗戦後、すぐさま思想転向を行った「チャンコロ屋」は、進歩文化人同様、胡散臭く、品性が卑しい

  産経新聞の『正論』メンバーでもある加地氏は、自らを「伝統保守」と公言している。日本の伝統を守る漢学者が、先輩学者の使っていた「支那學」を弊履(へいり)の如く捨て去り、支那人どもの命令を聞いているのだ。どこが伝統重視なんだ? 加地、答えてみろ! この手の「チャンコロ屋」に日本人はよく騙される。特に、引退まぎわの中高年で、仕事の合間に教養を深めたいと願う読者層である。孔子や孟子の漢籍を学ぶと、いかにも教養人になった気がする。見慣れぬ難しい漢字を並べただけで、中身の無い文章を有り難がる。古代ギリシアやローマの古典の方が、尚武の国日本にとっては有益だが、なにせ歳をとってからの外国語習得は辛い。よってすぐに分かる漢文の方に惹かれしまう。僅かにある加地の人気は、こうした教養追求老人のニーズに応えたものである。やれ『論語』だ、『日本の伝統文化』だと言えば、保守的読者層が靡(なび)くのである。

 我が国の歴史を振り返ってみると、日本人は支那人を観念的に考えてきた。実際に接触する生身の支那人ではなく、書物の中に現れる透明な支那人を空想してきたのだ。ゆえに、支那人の鼻糞や有毒煤煙だって「君子の国」から飛来した有り難い舶来品と考えるのが、チャンコロ屋の性(さが)である。こうした大学に棲息する文学匪賊が世間に撒き散らした害悪は相当なものである。紀州に江沢民の銅像を建てようとした二階俊博みたいなのが発生してくる土壌をつくったのは、こうした支那崇拝の学者であった。支那製急行列車に載せて、あの世へ送りたいものである。

  

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