黒木 頼景
成甲書房
好評発売中 !
復讐の標的になっていた黒人
北アイルランド出身の俳優リーアム・ニーソン(Liam Neeson)と言えば、日本でもちょっとは知られており、一般的には『シンドラーのリスト』に出ていた役者、あるいは『スター・ウォーズ/ エピソード1: ファントム・メナス』で若きオビ=ワン・ケノビを指導する師匠のクワイ=ガン・ジンを演じた人物として有名だ。筆者としてはアクション三部作の『96時間(Taken 1 / 2 リベンジ/ 3 レクイエム)』が懐かしい。この映画の中で、ニーソンはCIAの特殊工作員を演じていた。彼は人身売買を生業とするマフィアに娘を攫われ、その事実を知らされると彼女を奪還すべく、あらゆる手段を使い、悪党どもをやっつける。ありふれたアクション映画であるが、愛する娘を奪われた父親の必死さが観る者に伝わってくる良い作品だった。少々脱線するけど、日本人もこれくらいの精神を持たなければ、拉致事件は解決できないんじゃないか。兇悪な北鮮に対して話し合いで解決できるなんて妄想だ。同胞を助けるには武力行使以外の手段は無い。しかし、日本政府は「対話と圧力」というスローガンで片付けているから情けない。あまり言いたくないけど、横田滋さんは生きて娘を抱きしめることはないだろう。
(左 / 「グッド・モーニング・アメリカ」に出演したニーソン )
今回、リーアム・ニーソンはイヴニング・ニューズで“話題の人”となった。というのも、ABCテレビの「グッド・モーニング・アメリカ」という朝のワイドショーに出演し、「不適切な発言」を口にしたからである。彼は黒人司会者のロビン・ロバーツ(Robin Roberts)を前にして、最新作の『Cold Pursuit』の宣伝をしていた。ところが、事態は思いもよらぬ方向へと流れて行く。この映画は息子を殺された父親が復讐に走るというストーリーで、ニーソンはサービス精神からか、自らの過去を披露し、自分も似たような復讐心を持っていた、と告白したのである。
事件は何十年も前に遡る。ニーソンがまだアイルランドで燻っていた若い頃の出来事だ。ある日、彼は知人の女性が強姦された事を知る。そこで、彼女に「犯人はどんな男なのか、知ってる奴なのか、肌の色は?」と質問したそうだ。すると、彼女は「黒人よ」と答えた。これを聞いたニーソンは激昂し、棍棒(cosh)を手にして1週間ほど街をうろついたという。そして、親しい女性が凌辱されたことに我慢がならなかったニーソンは、積極的に黒人とのイザコザを願っていた。酒場でも繁華街でもいいから、とにかく黒人を見つけ、自分に近づき因縁をつける野郎がいれば、ぶっ殺してやろうと考えていたそうだ。(Clémence Michallon, "Liam Neeson : I walked the streets with a cosh, hoping I'vd be approached by a black bastard so that I could kill him", The Indenedent, 4 Febraury 2019.)
( 左 / 棍棒 )
しかし、1週間くらい過ぎると、ニーソンの怒りは静まり、その恐ろしい殺意を羞じるようになった。カトリック信徒として育ったニーソンは、己の罪深さに気つき、神父の前で懺悔したという。彼がこうした過去の罪を番組で明かしたのは、復讐が何の解決策にもならない、ということを教えたかったからである。確かに、遺族にとって復讐は必要だ。ヴァイオレンス映画を楽しむ観客だって、悪党がやっつけられれば「そこだ、もっとやれ!」と声援を送り、忌々しい奴らが殺されれるのを期待する。しかし、ニーソンは皆に問い掛けた。復讐は別の復讐を招き、それに伴う殺人も更に別の殺人へと発展するんじゃないか、と。結果的に、この悪循環には終わりが無い。たぶん、ニーソンは自分の体験を語ることで、聴衆に復讐の虚しさを伝えたかったのだろう。
ニーソンを非難するのは簡単だが、彼の衝動は理解できるし、一般人の中には彼と同じ行動を取る人もいるだろう。建前上、“許されざる暴力”なんだが、こうした八つ当たりがあることは否定できない。だが、ニーソンは米国に根ざす深い人種問題を解っていなかった。白人女性が黒人に強姦され、白人の友人が黒人全体に怒りを持つということは、単なる復讐心ではない。アメリカの黒人が聞けば必ずや人種偏見ないし人種的憎悪と考えるはずだ。司会者のロバーツはニーソンに、もし犯人が白人の場合ならどうしたのか、と尋ねた。すると、彼は「仮に、犯人がアイリス人、スコット人、イギリス人、リトアニア人であっても、同じ反応をしただろう」と答え、自分はレイシストではないと強調した。そこでニーソンは戸惑う観客のために、当時の背景を理解してもらおうと北アイルランドの惨状を話す。
時は、1970年代。アイルランドのベルファストなどでは、抵抗運動を続ける地下組織、IRA(アイルランド共和国軍)が健在で、カトリックとプロテスタントの住民は対立したまま、街中でもテロ事件は珍しくなかった。1997年、人気俳優のブラッド・ピットが『ザ・デヴィルズ・オウン(The Devil's Own)』という映画に出演し、IRAテロリストの役を演じたから、平成の若者でも凄惨なテロリズムに手を染めるアイリス人の執念を理解できるんじゃないか。この映画はアメリカを舞台にしていたが、本場のアイルランドではまさしく血みどろの闘いが展開されていた。抑圧されたアイリス人の過激派がイギリス人の警官に攻撃を加えれば、イングランド側も容赦無く反撃を加える、といった報復合戦。こんな調子だから、人々が行き交う街中はソマリア並だ。宗教と民族が絡む闘争というのは非常に厄介で、なかなか収拾がつかない。どちらも正義を掲げる聖戦だから、反省による妥協と譲歩が無いのだろう。こうした状況を考慮に入れれば、ニーソンの言い分にも一理あるような気がする。
(写真 / テロが横行していた1970年代の北アイルランド)
だが、アイリス人がイギリス人を憎むのと、白人が黒人を憎むことには温度差があり、質的にも違っているのだ。アメリカでは白人女性を犯した黒人は単なる犯罪者ではない。吊し首というリンチに値する重罪である。ニーソンはどの種族であっても同じように怒りを覚えると語っていたが、アメリカの黒人は「黒人だから“より”激しい憎しみを抱いていたんじゃないか?」と疑ってしまうのだ。黒人が白人女性を襲うというのは、個人ではなく白人全体に対する罪であり、高級な人間に対する宗教的冒瀆に等しい。もし、被害者女性が英国の白人に犯されたら、ニーソンはイギリス人を見境無くぶっ殺そうと思うのか? もちろん、やろうと思えば出来るだろう。何しろ、ニーソンは元アマチュア・ボクサーだから、ハッタリだけの素人なんか朝飯前。イギリス人が集まるパブに入り、わざと挑発的な態度で接し、喧嘩腰のイギリス人が出てくればしめたもの。左フックかアッパーの一発でKOだし、鳩尾(みぞおち)を殴れば悶絶だ。でも、そんな事をしたらキリが無いだろう。、復讐をしているうちに、知人の仇討ちじゃなく、趣味の喧嘩になってしまう虞(おそれ)がある。
(左 / ピアース・モーガン)
件(くだん)の「グッド・モーニング・アメリカ」が放送されると、瞬く間に世間から大きな反響が起きた。主要メディアの評論家たちは、「正義の味方」を気取って声を上げ、「ニーソン氏はオスカー候補から外されるべきだ」と糾弾する。他方、彼のファンは「出演作品のプレミア上映に出席できるのか?」と心配していたそうだ。英国でも同様に非難の声が湧き上がっていた。ワイドショー番組の司会を務めるピアース・モーガン(Piers Morgan)もその一人。彼はチャンス到来とばかりに、リベラル派の立場を強調し、ニーソンの軽率な発言を咎め、黒人に対する人種差別だ、KKKと同じだぞ、とわめき立てていた。(Rebecca Davidson, "Piers Morgan compares Liam Neeson to the KKK and slamed him for the purest perfnification of racism on Good Morning Britain", Daily Mail, 5 Fenruary 2019.) まったく、偽善系の有名人には吐き気がする。モーガンは黒人プリンセスのメーガン妃を快く思っていないのに、他人の差別意識には手厳しく容赦が無い。ちなみに、モーガンと一緒に司会を務めるアンディ・ピータース(Andi Peters)は、「これで『96時間』の俳優もキャリアの終ね!」と吐き捨てていた。
確かに、ニーソンの思考は間違っている。強姦魔は処罰されるべきだが、無関係の黒人が単に「黒人だから」という理由で殺されるのは正当化できない。これは逆を考えてみれば分かる。白人が白人という理由だけで殺されれば、アメリカのみならずイングランドやアイルランドの白人でも激怒するだろう。しかし、ニーソンの心情は理解できる。なぜなら、彼には同胞に対する愛情があるからだ。リベラル派の白人や平等主義者には、仲間の不幸に対する憐憫の情が無い。強姦事件が起きても、その原因を究明せず、法的処理だけで済まし、後は水に流そうとするからだ。左翼勢力は本質的に無責任。彼らは多民族共生を大義名分とし、訳の解らぬ異民族を国内にどんどん引き込むが、彼らが引き起こす問題や軋轢には知らぬプリで、べつに何とも思わない。自分に被害が及ぶまでは、どれもこれも他人事。中には狡い奴がいて、ちゃっかりと高級住宅地に住んでいたりする。
ニーソンが差別意識を持っていたことは非難されるべき欠点だが、そもそも、イングランドやアイルランドに黒人がうろついている事の方が問題じゃないのか。肉体や風習の異なる人間が同じ場所に住めば、余計な問題が発生するのは目に見えている。しかも、黒人というのは劣等種族と見られているし、下層階級のならず者が多いから、どうしても犯罪に走りやすい。イングランドの刑務所を覗けば分かるけど、受刑者には殊のほか有色人種が多く、つい「やっぱり、そうだよなぁ~」と呟きたくなる。アメリカも同じで、犯罪者の人種的構成を調べると、黒人やヒスパニックなどの有色人種が目立つ。また、「白人犯罪者」といっても南米系や東歐・南歐系だったりするから、西歐系と区別して算出しなければならない。「政治的正しさ(PC)」が横行するアメリカでは、シリア人とかチェチェン人でさえ「白人」と分類されるから、政府機関による犯罪統計といえども、信用すると間違った結論に至ることがある。FBIは人種問題に敏感なようで、黒人にとって都合の悪い現実を隠すことがあった。例えば、以前、FBIは白人による黒人女性への強姦件数がほぼゼロという統計を発表したが、黒人からの非難を恐れ、こっそりと削除してしまった。(筆者はこのデータを保存している。) それにしても、性犯罪者は自分の好みに正直だ。黒人と白人を平等に犯すという人種的配慮は無視。犯罪者にも「選択の自由」があるとは、さすが「自由の国アメリカ」だ。
(左: アイリス人女優のケイティー・マクグラス / エチオピア系アイリス人女優 ルース・ネイガ / ケルト系アイリス人の子供 / 右: アフリカ系黒人の赤ん坊 )
リーアム・ニーソンはリベラル・メディアから袋叩きに遭っているが、正直に自分の過去を話すニーソンには好感が持てる。ハリウッド・スターには偽善者が多く、本音を隠し、綺麗事だけを口にする輩(やから)が多い。本当に人種対立を減らしたければ、別々に暮らすのが一番だ。それなのに、リベラル派は多民族共生を讃美し、「白黒、茶色、黄色の区別無く、みんなアメリカ人なのよ!」と歯が浮きそうな嘘をつく。現実の世界を見渡せば分かるけど、人種混交で幸せになった国があるのか? 左翼白人はバルカン半島やパレスチナで同じ理想を語ってみろ! 群衆に取り囲まれてリンチに遭うのがオチだぞ。我々はボスニアでの民族浄化、ルワンダでの部族対立を知っているのに、左翼は無茶な理想にしがみつく。それなら、彼らが多民族国家に移住すればいいのに。ついでに、「日韓友好議連」の政治家や、「日中友好」を謳う知識人も朝鮮や支那に引っ越してもらいたい。日本の左翼は「憧れの国」で暮らすべきだ。
(左: 民族浄化を図るアフリカ人 / 右: 部族対立の犠牲者 )
日本人はこれから大量の異民族を「国民」として受け容れようとしているが、外人による犯罪が増えれば、必ずやニーソンと同じ感情を持つ人々が出てくるはずだ。日本人は日本人同士で暮らしてきたから、異民族との混淆は未だに空想の世界で、「まさか、そんな事はないだろう」と高を括っている。一般国民は暢気だから、アジア人が流入しても、今のままの生活が続くと思っているはずだ。しかし、多民族国家は安定より混乱の方を招きやすい。考えてもみよ。もし、戦国時代とか明治維新の時、民族対立があったらどうなっていたことか。幕末の日本では日本人同士で闘っていたからよかった。確かに、会津藩士と薩摩藩士が戦ったことは不幸で、後々まで遺恨が残る結果となってしまったが、明治大帝の前に出れば双方とも国を憂う日本人となる。天皇陛下に忠誠を誓う国民に官軍も賊軍もない。みんな陛下の臣民、赤子だ。日本人は祖国の独立を守るため、挙国一致で日清日露の戦役を闘い、戦歿者が出れば出身地に関係無く皆英霊となる。当時の日本人で「日本人ばかりの社会だから不幸だ」と歎く者はいなかった。しかし、日韓併合で朝鮮人が入ってくると、事態は変わってくる。朝鮮人による窃盗や殺人事件が起これば、「まったく朝鮮人はけしからん!」という感情が湧いてしまうのだ。
もし、これで黒人の大量流入となったら、どうなってしまうのか。黒人による強姦が各地で発生し、日本人の被害者が増えてくれば、人種的憎悪も激しくなるだろう。そうなれば、黒人と日本人との人種対立になるはずだ。そして、リベラル派のマスコミは怒れる日本人を「差別主義者」と断罪するから、日系国民は本音を隠すようになる。しかし、沈黙は怒りの解消ではない。むしろ、憎しみの蓄積と凝縮だ。日本人にもニーソンのような人物が現れてくるから深刻な社会問題になるぞ。でも、こうなった時、移民を呼び込んだ責任者は亡くなっているから、誰も責任を取らない。想像したくないけど、人種対立の行く末は、理性を越えた殺し合いになる。これが嫌なら、復讐劇の映画を作って現実逃避するしかない。実際の殺人は無理だから、せめて虚構の世界で憂さ晴らし、となるんじゃないか。主演はもちろん、ニーソンのような俳優だったりしてね。
人気ブログランキング