独裁がふさわしいロシア社会

Putin 2Stalin (左:プーチン/右:スターリン)

  ウクライナ問題でロシアの動向が注目されている。ユダヤ人グローバリストと独裁者プーチンの激闘は、どうなるか予想がつかない。昔から、ユダヤ人とロシア人とは反目し合っているので、今さら驚くこともないだろう。日本人にとって不思議なのは、ロシアの民衆はどんなに痛めつけられても、指導者は強い者に限ると思っていることだ。共産主義時代に、スターリンは圧政を敷き、多くのロシア人を弾圧した。反抗する者は容赦なく殺すか、強制収容所に監禁。頭痛がするとうるさい患者がいれば、斧で首を切断するのがロシア式治療法。反逆者が人混みに紛れたら、全員射殺するのがロシアの治安維持だ。ロシア経済だって惨憺たる結果だった。ところが、人民は塗炭の苦しみを味わうのに、赤い貴族は優雅な生活を送っていたのである。ソ連共産党員が一番恐れていたのは「共産主義革命」だった、というジョークがあるくらい。ソ連が崩壊し、民衆政ロシアと喜んでいたら、元KGBのプーチンが大統領となって、長期政権を築いてしまった。それでも、ロシア人はプーチンを支持する。あのヘビのような目つきのプーチンは、自分を批判するジャーナリストは暗殺してしまう。不安の芽は蕾(つぼみ)のうちに切る。民衆に媚びる軟弱な指導者より、豪腕の独裁者の方が良いとする、ロシア人の気質は何時までも変わらない。非情な独裁者じゃないと、あのロシア人纏めきれない。 

  ロシア人とは理解しにくい民族である。矛盾した性格が同一人物の中で併存しているからだ。人懐っこいのに狂暴だったりする。ロシア人とは、寒さに震える相手に対して、自分が着ている最後の服を脱いで与えるが、五分後にはその人を殺して全部奪ってしまうことさえあるのだ。こうした矛盾に満ちた国民性は、歴史的に複雑な支配を受けたからかもしれない。北方のノルマン人が絶対的支配者として、無知蒙昧なロシア土着民を家畜のように酷使した。そのうえ、残忍なモンゴル人が徹底的な服従関係を強いて、陰鬱なロシア社会を更に暗くしたのである。ケダモノと変わらぬロシア農民や農奴は、ドイツからやって来たエカチェリーナ女帝にとったら、搾取するためだけの野生動物でしかない。ペットの方が人間より上等な社会だった。馬がダダをこねたって、鐙(あぶみ)で腹を叩かれるか、尻に鞭を入れられるくらいだろう。それが平民なら、領主が殺してしまうかもしれない。

  平和な歴史をもつ日本人は、よく「よそ様」とか「人並み」と言って、赤の他人にとても親切丁寧だ。単なる人間ではなく、藩の礎(いしずえ)たる大切な領民として、長いこと統治されてきた。だから、日本人は役所あるいはお白洲の世話にならず、自分たちで問題を解決できる。先を読むことが得意なうえに聞き分けが良いので、政治家に能力が足りなくても、官民一体となって何とか社会が回ってしまう。ロシアだとこうは行かない。愚鈍な農民には、狡猾な役人が君臨するのがロシア社会。ロシア国家は「人民のロシア」と「官僚のロシア」から構成されている。人民は組織を作ったり維持する能力や自治を行う能力に欠けている。陽気だが愚鈍な農民が因習的共同体に暮らしている。こうした無知な大衆を、狡猾で冷酷な役人が管理しているのだ。権力のピラミッド構造内で、機械的に動く官僚には、民衆への温情は無い。だから、民衆は同輩を「われわれ」と呼び、官僚を「やつら」とよんで区別する。しかし、権力をふるう「やつら」を軽蔑しているくせに、ロシア民衆は制服や勲章が大好き。支配者の圧政を暴力で転覆する無政府主義者(アナーキスト)であるのに、大国にしてくれるなら専制君主のもとで堪え忍ぶ従順な平民である。だから、ナチ・ドイツを倒し、後進国ロシアを核保有超大国にしたスターリンが、今でも称賛されるのだ。

狼鑑札を持つ宿無者

russian 1russian 2 (左/ロシアの浮浪者たち)
  ロシア人にはスラヴ系白人がいるので、日本人はつい白色ヨーロッパ人と見なしてしまう。しかし、たいていはアジア人でチェチェン人やグルジア人、トルコ人の同類と思った方がよい。国民性からすれば、ロシア人はアジア人である。「タタールの軛(くびき)」から脱しても、精神的にはモンゴル人のまま。ロシアとは、明るい社会じゃなくて、巨大な怖い監獄といったイメージがつきまとう。こうしたロシア社会の息苦しさを物語るエピソードがある。

  今では遠い記憶にあるようなソ連での規則に、国内移動には必ず旅券を携帯する必要があった。自分の国を旅行するのに、パスポートが必要なんておかしいだろう。しかし、そこは監視社会のロシア。日本人でもジャーナリストやビジネスマンなら、昔の嫌な体験を覚えているだろう。外国人旅行者がホテルに泊まれば、旅券をホテル側に何日間か預けなければならない。ホテル側は宿泊客の旅券を当該地域の警察に届けるのだ。日本人なら戻ってこなかったらどうしよう、と不安になってしまう。ソ連当局は、何らかの理由をつけて、無期限に外国人を拘束することだって出来るのだ。現在でも支那や南鮮なら、難癖をつけて日本人を拘束できる。野蛮国では法律は紙に記された死文であるから、どのようにも解釈できるし、無視したって誰も咎(とが)めない。だから、無事出国できるまで、外国人は不安でしょうがない。でもこれは、なにも共産主義体制だからという訳でもなかった。革命以前からある制度であった。

  明治の頃に、大庭柯公(おおばかこう)というロシア通が、陸軍参謀本部にいた。二葉亭四迷とも交流があり、大阪毎日新聞や東京朝日新聞の記者となって、革命後のロシアにも潜入したが、そのまま消息不明となった人物である。彼もロシアを旅行した際、この旅券制度を面倒くさいと思ったそうだ。彼によれば、この制度は元々、自国民取り締まりを目的に出来たものらしい。虚無党とか革命党が跋扈(ばっこ)していたから、国内が危なっかしかったのである。まぁ、治安維持の一環と思えばいい。旅館に泊まる時に旅券を提出することなら、一応理解できるが、個人の家に泊まる時さえ必要であったという。単なる友人や知人といった一般人の家庭で寝泊まりするくらいでも、旅券を警察署へ届けなければならなかったそうだ。だから、差配人制度というものがあった。たとえば、数十軒ないし百軒の家が連なる建物に、必ず一人の差配人がいて、その建物内に出入りする者を監視していた。この差配人は警察と結託していて、住民の挙動、宿泊者の有無などを監視する役目を担っていた。もし、ある家の主人が差配人に無断で人を泊めると、その主人は300ルーブルの罰金を科せられてという。陰険な組織で取締りがついているだけに、旅券制度は極めて厳格に運用されている。(大庭柯公 『露國及び露人研究』 中公文庫 昭和59年 pp.77-78) 普段いい加減なロシア人も、馬鹿に几帳面であった。

  ウラジーミル・ギリャロフスキーというロシア人記者が、とある取材のためにヴォルガ河を航行する蒸気船に乗っていた。乗船中、ひとりの落ちぶれた男と出逢った。痩せこけた顔は黒く日に焼けていて、首は膨らみ耳から肩に掛けて大きな瘤(こぶ)があったという。この浮浪者は通称「狼鑑札(おおかみかんさつ)」を持っていた。これは特定の場所の居住権を認める身分証明書ではなく、放浪許可証であ。この「狼鑑札」を携帯する者に対しては、誰でも自分の家の軒下にたむろしていれば、その浮浪者を追い出すことができる。そして、村や町からも追い払う権利をもっていたという。つまり、ある地域を自由に通行できるが、携帯者は宿泊所以外はいかなる地にも居住したり滞在したりすることができない。目的地に到着したら当該警察署に出頭し、通行許可書を提示しなければならなかった。

  ギリャロフスキーが遭遇した狼鑑札の携帯者は、ある工場で暴動が起きた時に、意地悪な役人に濡れ衣を着せられて8年の流刑にあったそうだ。前科者の浮浪者である。ギリャロフスキーが5ルーブル恵んでやると、その浮浪者は人混みの中に消えていった。二年後、彼が汽車に乗った時に、この浮浪者は彼のコンパートメントに偶然忍び込んでいた。二年ぶりの再会で驚いたらしいが、ギリャロフスキーは浮浪者の近況を尋ねた。すると、その浮浪者は例の「狼鑑札」を捨ててしまったという。彼は放浪を法律で義務づけるような札には嫌気がさしたからだと説明した。彼はまた小銭をもらってどこかへ行ってしまった。(B.A.ギリャロフスキー 『わが放浪、わが出会い 帝政末期のロシア人』 中公文庫 1990年 p.126) この狼鑑札所有者は、どこか一カ所に落ち着くことを認められず、道もなく目的もなく果てしない放浪の旅を、死ぬまで義務づけられていたのだ。ドン地方やクバン地方のステップでは、雪解けの春に浮浪者の死体が見つかることがしばしばあったらしい。時には獣や犬に食い荒らされて骨だけしか残っていない場合もあったという。そのほとんどが、うろつく土地の条件に慣れていないせいで、吹雪の中寒さと飢えで死んでしまうのだ。腰を落ち着ける塒(ねぐら)を持てず、仕事にも就けないまま、死ぬまで歩き回る人生なんて、何の意味があるのか分からない。狼だって定住地をもっているだろう。ロシアという国には、野生動物より悲惨な生活の人間がゴロゴロいたのである。これなら監獄に入れられた方がマシだろう。少なくとも建物と仲間に恵まれるのだから。

農奴だって人間だった

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 (左/ロシアの農奴)
  ロシア史を学ぶ者は必ず農奴について説明を受ける。支那人や朝鮮人なら、理解するのに時間はかからない。しかし、日本人だと中々そのイメージが掴めず、理解するのに時間がかかってしまう。奴隷制が無かった日本では、人間を「動く家具」とか「言葉を話す家畜」と規定して、こき使う発想がない。士農工商という身分制度があっても、その身分は単に役職だけであり、一皮剝けば皆同じ日本人。裸になって湯船に浸かれば武士も百姓も似たような体をしている。同じ釜の飯を喰えば、すぐ仲間になってしまう。腹を割って話せばわかり合える、なんて甘い考えを持てるのも日本人同士だからである。みんなのご先祖様はどこかで繋がっている、と思える民族と、ロシア人のようなアジア人は根本的に違うのだ。農奴の悲劇をアレクサンドル・デュマが紹介している。皆さんご存じ、『三銃士』や『モンテクリスト伯』といった小説で有名な、フランスの作家である。彼は帝政ロシアを訪れ、旅行記を書いたのだ。(註/デュマには黒人の血が流れているので、普通の白色フランス人ではないから、日本人にはちょっと違和感があるかも。

Alexandre Dumas (左/アレクサンドル・デュマ)
  ある時、デュマはサンクト・ペテルスブルグの牢獄を訪れた。監獄の所長に許可をもらい、獄吏の護衛と一緒に囚人に会い、投獄された経緯(いきさつ)を聞いたのである。荒くれ者が多い囚人の中で、三番目の囚人はちと毛並みが違っていた。彼はデュマの質問に、きれいなフランス語で答えたのである。興味をそそられたデュマはその囚人に過去を尋ねた。まずどうしてフランス語を流暢に喋れるのか聞いてみると、彼の主人が工場を経営していて、少年三名を選んでパリで学ばせたのだそうだ。当時、ロシアの地主貴族は、農奴でも才能のある奴には学問や藝を仕込んで、活用したらしい。決して、慈悲深い人材育英ではなく、私利私欲のために、所有物の若者に投資したのである。その囚人が10歳の時、パリに留学することとなり、他の二名と一緒に貿易の勉強したらしい。フランスでは幸福な時を過ごし、級友全員とは平等で、自分たちが農奴だということを忘れるくらいだった。しかし、ロシアに戻ると、その身分を思い知らされたという。彼の留学仲間の一人は、自分を侮辱した工場監督者をぶん殴ってしまった。彼は鞭打ち100回を受けた。それからが恐ろしい。工場には蒸気の力を用いたハンマーがあった。激怒した監督は生意気な農奴の頭をハンマーの下に入れたのである。そんなことしたら、ハンマーに頭蓋骨を潰されるじゃないか。デュマはその結末を書いていないので、彼がどうなったのかは分からない。もしかしたら、頭がグシャっと押しつぶされて、血だらけの脳みそが出たのかも。

Steam Hammer (左/蒸気ハンマー)
  デュマが話しかけた囚人は、彼を頼りにする母親がいたのでなんとか我慢して切り抜けたという。その母親が死んだ後、彼は結婚し、娘をもうけたのである。カテリーナという可愛らしい女の子だという。彼の御主人様は雌犬を一匹飼っていた。その雌犬が二匹の仔犬を生んだのだが、馬車の輪に轢(ひ)かれて死んでしまったのだ。可愛い仔犬はまだ生後4日しか経っていない。どうやって育てたらいいかと主人は困った。すると、ご主人様に良い案が浮かんだらしい。囚人の女房が子供を出産したところだから、母乳が出るはずだ、と。どうか考えたら、こういう発想が生まれるんだ? 悪魔の巣窟ロシアならではの思考である。主人は彼女の赤ん坊を取り上げて、代わりに仔犬に乳を与えよ、と命令した。彼女は犬と娘両方に乳を授けられる、と抗議した。そりゃそうだ。ところが、主人は娘がいれば仔犬二匹への乳が足りなくるだろうと考えた。おいおい。小さな仔犬がバケツ一杯の乳を要求するのか? 常識で考えろ。冷酷な主人は、その子を共同キッチンへ任せてしまえ、と言い放ったそうである。

  帰宅した夫は娘がいるはずの寝床に、愛娘がいないことに気付いた。誰だって驚くよね。嘆く妻は事情を話し、新たに世話をすることとなった仔犬を見せた。こんな理不尽なことされたんじゃ、普段冷静な亭主だって、包丁に手が伸びてしまう。彼は急いで我が子を取り戻し、妻の元に返してやった。すると彼は仔犬二匹を片方づつ持ち、その犬の頭を脳が飛び出るほど壁に打ち付けた。えっ ! 仔犬は勘弁してやれよ。あの主人が下郎なだけで、仔犬に罪は無いじゃん。でも、激昂したら理性が無くなるのがロシア人の特徴。(可愛そうなワンちゃんは成仏したのかな?) 翌日、彼は主人の館に放火したのだが、運悪く炎が村に飛び散ってしまい、200棟が焼けてしまったという。200戸もとばっちりを受けてしまったのか? 家を失った人が可愛そう。そこで彼は逮捕され、投獄される羽目となった。一生鉱山で強制労働をする刑罰を課せられたという。フランスで自由と人間らしさを体験してしまった農奴は、やはり昔の卑屈な奴隷に戻れなかったのである。


russian prison










 (左/現在のロシア刑務所)

  我々は日本に生まれて良かった。アジア大陸には、あちこちに野蛮な民族がいる。ロシアや支那の社会を調べると、日本の刑務所の方がよほど文明的である。だから、支那人は安心して日本で犯罪をはたらくのだ。これも困ったことである。日本人は外国のことを調べずに、他国を理想化して、自国を卑下したりする。しかし、日本ほど幸せな国は無い。ロシア人が日本に来れば、人間観が変わるだろう。日本人がロシア人を知りたければ、刑務所の囚人を見ればよい。ロシアの刑務所はロシア社会を反映している。信じられない人間が多数収容されているから、日本人には良い勉強になるだろう。大学で国際関係学科に入るなら、ロシアの犯罪者が住む牢獄に体験入学でもしてみた方が、よっぽど現実が理解できる。出所したら、ロシアは専制君主でなきゃ統治できないことが分かるだろう。同じ悪人でも、日本人とロシア人とでは質が違うのだ。こうしてみると、ロシア人に日本を献上しようとした左翼は、やはり外国知らずの純日本人だったのかもしれない。


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