処罰されても忠臣である理由

  現在の日本では皇国史観を口にすると、戦前の右翼か国粋主義者と間違われてしまうけど、その用語をどう定義は別にして、我が国は皇室を中心とした君主国であり、今も昔も天皇陛下が存在しない政治など想像できない。鎌倉幕府が成立しても朝廷の上位性は変わらなかったし、将軍の地位も天皇から認められなければ権威が無かった。本来、武力で獲得した棟梁の地位なら、名目的な朝廷の承認を無視しても構わないはずだ。しかし、神々が宿る日本だと具合が悪く、天皇陛下の君臨でなければ諸大名が納得しないときている。これでは征夷大将軍も折れるしかない。外国人には理解できないが、この政治体制は今でも続いている。国民は総理大臣以下の議員を選んでいても、その“選良”を崇めている訳じゃない。たとえ難しい試験を通った“お役人様”でも駄目。この「雲上人」にひれ伏す庶民でも、心の底では服従していないのだ。やはり、心から尊敬するのは天皇陛下だけ。自衛官だって勲章をもらう時は、賤しい顔附きの総理大臣からじゃなくて、後光の輝く天皇陛下の方がいい。菅直人からの授与だと、まるでレーニン勲章か金日成特別賞をもらっている気分になるじゃないか。鳩山由紀夫なんか論外、場外、蚊帳の外。突撃の指令を受けたって、「お前が先に行けや !」と言いたくなる。

  ゲルマン民族が主体の西歐諸国も本質的には日本と同じだ。元来、共和政より君主政の方が似合っているのだが、血腥い革命や熾烈な戦争で王室を失った国が多い。フランス人は「ふしだらな王族なんかいらねぇや !」と啖呵を切っているが、内心では王様を欲しがっているに違いない。日本の“エセ”知識人は「おフランス」かぶれで、サルトルなんかを称讃して格好つけているが、フランスの国民生活には魅力が無く、どこか荒涼とした寂しさがある。だいいち、祝日に大統領のツラなんか拝みたくない。実際、ヨーロッパ世界を見渡せば、王様を戴いている国民の方が活き活きしている。看板は素晴らしいけど、共和政は惨めだ。ブルボン王家と世襲貴族を扼殺したフランス人は、未だにその愚行を反省せず、毎年、懲りずに大革命を祝っている。本当に、アホは救いようがない。ドイツ人も第一次世界大戦の敗北で皇帝を失ってしまい、それ以降、君主政を復活させようとはせず、共和政を続けているんだから、これまた愚かである。せっかく第三帝國が滅んだのだから、それを好機に変えて王国に戻せばよかった。

  そう言えば、ドイツ人のイエズス会士で、上智大学の教授も務めていたヨゼフ・ロゲンドルフ神父は、対談本の中でパプスブルク家から王様を呼んでくればいいのに、と語っていたことがある。日本人だと「なんでオーストリアの皇帝を招くんだ?」と怪訝に思うかもしれないが、ヨーロッパ人の感覚からすれば自然なことらしい。まぁ、ヨーロッパ貴族は多かれ少なかれ、祖先の誰かがパスブルク家と繋がっているから不思議じゃないんだろう。我が国で男子の皇位継承者がいないからといって、朝鮮やタイから王子を連れてくるなんて考えられない。そもそも、日本人はアジア人じゃないし、アジア大陸とは地理的に隔離され、文明的にも異質である。だいたい、朝鮮人が「日本国民」になるなんて寒気がするじゃないか。それなら先に柴犬とかコーギー犬を国民にしてくれ。朝鮮人がコンビニやレストランに入れるのに、立派な盲導犬が駄目なんておかしい。朝鮮人の方が不愉快じゃないか。我が国を恨む在日朝鮮人が福祉金までもらっているのに、盲人を導く可愛いゴールデン・レトリバーが朝鮮人以下なんて赦せない。コタツに入って熟睡する猫だって、小声で「おかしい !」とつぶやくはずだ。現状をよくよく考えてみると、日韓併合を画策した山縣有朋の罪は万死に値する。

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(左: 飼い主を見つめる柴犬  /  右: コタツで居眠りをする猫)

  西歐世界で一番威厳のある君主国と言ったら、やはりイングランド王国だ。現在の王室はウィンザー家と称しているが、昔は「ハノーヴァー家」と呼ばれており、ドイツからの王族ということが明白だった。だって王族の名前が「ザックス=コーブルグ=ゴーサ家(Haus Sachen-Coburg und Gotha)」じゃ、誰が聞いたってドイツ貴族と判るじゃないか。英語を話さない王様として有名なジョージ1世は、ラテン語で臣下と話したそうだから、応対する側近も大変だ。ハノーヴァーからブリテンに引っ越してきたんだから、ちょっとくらい英語を学んでもよさそうなものだが、大貴族というのは、「汝が余に合わせろ !」っていう考えなんだから。まったく、頭から爪先まで驚くほどの自己中心主義者だ。でも、これって乞食とよく似ているよねぇ。だって「両極端は一致する」って言うじゃないか。こんな王様だから、王国の政治は筆頭大臣のロバート・ウォルポール卿(Sir Robert Walpole)に丸投げだ。塞翁が馬じゃないけど、王様の怠慢でイングランドの立憲政治が固まり、それ以降、政治に関して国王の政治介入が難しくなった。まぁ、ジョージ1世はしょうがないとしても、ヴィクトリア女王までもが夫婦間でドイツ語を話していたそうだから、イングランドの君主は伝統的にバイリンガルだ。母親からアンジュー伯の領地を相続したヘンリー2世なんか、半分フランス王みたいで、冷やかしに「アンリ2世」と呼ばれる程である。

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(左: ジョージ1世  / 中央: ロバート・ウォルポール   /   右: ヴィクトリア女王)

  西歐史が軽視される現代だから仕方ないけど、、日本の高校生で「ザックス=コーブルク=ゴーサ」の名を知っている者は少ない。有名進学校の生徒は別にして、片田舎の子供だと「何それ?」って尋ねるし、大学生でも知らない人がいたりする。六年間も英語を習っているのに、イングランドの各王朝名を口に出来ない人がいるんだから驚いてしまう。もし、何年間も日本語を勉強しているイギリス人が、源氏や平家、足利氏、德川氏を知らないと答えれば、「何を勉強してきたんだ?」と言いたくなるじゃないか。そりゃあ、後醍醐天皇や正親町天皇、孝明天皇の区別がつかなくてもいいけど、皇統の萬世一系くらい頭に置いてもらわなきゃ。しかし、今の日本人も似たり寄ったりだろう。特に「ゆとり教育」世代の日本人だと、「プランタジネット朝って何?」と訊いてくるから、西洋史を教える大人も目眩がしてくる。中には、「えっぇぇ! 德川って源氏を名乗っていたの ?!」と驚く子供もいるくらいだから、学校から久しく離れていた大人は愕然とするぞ。(ただし、德川家の系譜は怪しいから注意が必要だ。) 嘘か誠かはっきりしないけど、「太陽が西から昇ってくる」と答えた大学生がいたくらいだから、日本は小さな島国でもけっこう広い。ぜひ、川口探検隊に調べてもらいたいなぁ。

  脱線したので元に戻す。フランスと違い、国王の斬首と復帰を体験した英国では、国王陛下に対する畏敬の念が非常に強い。とりわけ、チューダー朝のイギリス人は特筆に値する。ヘンリー8世に続き、エリザベス1世も人気が高く、イングランドの臣民は心の底から女王を愛した。民訴裁判所や王座裁判所の首席判事、士族院議員、枢密院顧問官を歴任したエドワード・クック卿(Sir Edward Coke)でも、女王の前では典型的な忠臣で、ジェイムズ1世の前とは大違い。このスコットランドから来た王様は、「最も賢い愚者」と揶揄されたくらいの変人で、王権神授論(Divine Right of Kings)を頑なに信じ、臣下に対して傲慢不遜。こんな調子だから、エドワード卿も癪に触ったのだろう。コモン・ローの巨星は事ある毎に新国王と対立し、時には失脚することさえあった。一方、偉大なる哲学者と評されるフランシス・ベーコン卿(Sir Francis Bacon)は、卑屈なまでのゴマスリり野郎で、法の支配を重んずるエドワード卿を煙たがっていた。カール・シュミットが大好きな田中浩(一橋大学名誉教授)なんか、絶対王政を支持するトマス・ホッブス贔屓で、コモン・ローを小馬鹿にしながら初心(うぶ)な学生を洗脳していた。象牙の塔に入る日本の青年が、赤く染まって左巻きになるのも当然である。それにしても、こんな老人が学会でデカい顔をしていたんだから、日本の法学部が蛸壺(タコつぼ)状態なのは誰の目にも明らかだ。(とんなクズ本を書いても、未来社とか岩波書店から出せば、“立派”な業績になるんだから。日本の大学教授は楽だよねぇ。激戦区で生き残っているラーメン屋の方がよっぽど偉い。)

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(左: エドワード・クック   / 中央: ジェイムズ1世   /   右: トマス・ホッブス)

  スチュアート朝のジェイムズと違い、エリザベス女王はイングランド国民の気質を熟知していたようで、彼女自身「生粋のイングランド人」であることを誇っていたそうだ。(ジョージ・M・ トレヴェリアン 『イギリス史』 第2巻、大野真弓監訳、1974年、みすず書房 p.57) ところが、エリザベスの治世は波乱に満ちた時代にあった。このチューダー朝の君主が即位した頃、イングランド王国は国家的脅威に晒されており、スペイン帝國はカトリック教会の守護神を自認する中原の覇者で、その競争相手たるフランス王国も侮りがたい。フランス国王は領内でプロテスタントのユグノー信徒を片っ端から弾圧し、カトリック教界の盟主を目指していた。スペインが支配していたネーデルラントでは、宗主国に対する反撥が澎湃として湧き起こり、叛旗を翻す勢力が集結していた。こうした焦(きな)臭い国際情勢だから、英邁な指導者たるエリザベスは、プロテンタント信仰に傾く紳士(ジェントリー)や郷士(スクワイアー)に理解を示し、国内の結束と安泰を一番に考えていたそうだ。既に、隣国のスコットランドにはフランスの食指が伸びていたから尚更である。

  チューダー王朝の政治基調は、専制政治ではなく国王崇拝であったという。(上掲書 p. 112) 中央に常備軍を有さず、地方に有給官僚制を持たないような君主では、腕力で臣下にあれこれ強要することは出来ない。イングランド史の泰斗、ジョージ・マコーレー・トレヴェリアンによれば、チューダー家の権力は実質的なものがなく、臣下の愛情とか忠誠心に頼っていたそうだ。(pp. 112-113) 国王は何か困った時には、無理強いではなく畏敬の念に訴えたらしい。この天主(God)に選ばれた代理人は、太陽にも似た威厳に包まれて行動する。国王の前では自惚れ屋も跪き、主君の逆鱗に触れた者は、その処分に従い、断頭台にさえ首を載せていた。国王崇拝こそ、チューダー王家が成功した秘訣であり、臣下の敬愛を保つことが存続の鍵となっていた。エリザベス女王が臣民の“心”に敏感であったのもうなづける。

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(左: エリザベス世  / 中央: メアリー世  /  右: アラソン公爵)

  王国の風潮を察知したエリザベスは、大陸で優勢なカトリック教会と離れ、プロテスタント教会を以て国内政治を安定させようと図ったので、あからさまにカトリック信徒を保護することはできなかった。とは言っても、ブラッディー・メアリー(Bloody Mary)と呼ばれた姉のように、信仰上の敵を粛清するわけにも行かなかったので、カトリック信徒への弾圧はほどほどにし、宗教的迫害は極力避けていた。メアリー1世の時代には、毎年平均56人のプロテスタントが処刑されたのに、エリザベス1世の治世では、処刑されたカトリック信徒は毎年たったの4人だけ。しかも、その嫌疑は異端ということではなく、叛逆罪であったという。もしかしたら、エリザベス女王は彼らが国政に不満を表明せず、静かに信仰を守ってさえいれば無用な血を流す気はない、と仄めかしていたんじゃないか。一方、カトリック信徒のイギリス人だって辛いところだ。宗教上の主君たるローマ教皇に従いたいが、生まれ故郷の主君であるエリザベス女王にも忠誠を尽くしたい。女王陛下に背くなど、名誉と義務を重んずるイギリス人には想像できないし、叛逆者の汚名を被せられて生き恥を曝すなんて死んでも嫌だ。

John Stubbs 1(左  /  処罰されるジョン・スタッブス)
  政治と宗教が密接に絡み合っている時代には、自らの良心に従って神様を崇める権利など認められていなかった。ましてや、一般人が公(おおやけ)の政治に容喙(ようかい)し、主君や政府を批判するなどもってのほか。例えば、熱心なピューリタン信徒であったジョン・スタップス(John Stubbs)への処分は苛酷だった。彼は女王に対し、フランスのアラソン公爵フランソワ(François d'Alençon / Duc d'Anjou)と結婚すべきではない、と忠告するパンフレットを書いてしまった。これが切っ掛けで彼は逮捕となる。スタッブスに死兆星が見えたかどうか分からないけど、この煽動者には恐ろしい仕置きが待っていた。スタッブスは処刑台に引き摺り出され、残忍冷酷な刑吏は、命令通り、台の上で彼の右手を切断。その腕からは鮮血が飛び散ったという。しかし、スタッブスは血のしたたる腕を振りながら、「女王陛下万歳 ! (God Save the Queen !)」と叫び、気絶したそうだ。(John Morrill, ed., The Oxford Illustrated History of Tudor & Stuart Britain , Oxford University Press, 1996, p.335) 当のエリザベス女王はそんな結婚など露ほども考えてはいなかったが、一介のピューリタン郷士が君主の婚姻に口出しするなど、もってのほか。赦される言論ではない。したがって、厳格な処罰が妥当となる。でも、何となく可哀想。

感涙にむせぶ日本国民

  西歐人の間だとイギリス人の忠節は大したものだが、日本人の尊皇精神と比べたら月とスッポンだ。我が国の天皇陛下は未だに神聖な存在で、その皇統は国民の熱狂的な尊崇に基づいている。こう述べれば、イギリス人からの反論も予想されるが、国家元首への信頼感は栄光に満ちた絶頂期ではなく、敗戦に伴う絶望の淵で測られるべきだ。敗戦を迎えたドイツのカイゼルは、戦勝国による処刑を避けるため、もがき苦しむ臣民を見棄てて隣国のネーデルラントへ逃れた。もし、ブリテンが大戦争で敗れた時、イングランドやスコットランドの臣民は王様をどう処分するのか? たぶん、国王の海外亡命はないと思うが、臣民からの怨恨は激しくなるんじゃないか。普段の生活でさえ、女王陛下に文句をつける国民がいるくらいだから、惨めな敗戦ともなれば、王族への風当たりは強くなるだろう。

Showa 1(左  / 昭和天皇 )
  しかし、我が国は違う。人類初の核攻撃と絨毯爆撃を受けて敗北を受け容れたが、誰も昭和天皇を恨まなかった。心底呪って抹殺しようとしたのは、共産主義者と朝鮮人くらい。一般国民と将兵は大本営とか東條首相を非難したが、天皇陛下に戦争責任を求める者など皆無で、多くは「力が及ばす申し訳御座いません」と逆に謝るほどだった。もし、占領軍が本国の輿論を受けて「天皇処刑」に動き出したら、帝國軍人はおろか女子供、老人、病人、負傷者までもが「陛下をお救いしろ !」と騒ぎだし、機関銃から鎌に至までの武器を手にして蹶起(けっき)を実行するだろう。そうなったら、将兵はライフルで「一人一殺」、銃弾が尽きたら肉弾攻撃。素人の民間人は戦闘能力に欠けるから、手榴弾を抱いて米兵に突撃だ。アメリカ人が銃で応戦したって、勤皇精神に燃える日本人には無駄。日本人は同胞の屍を乗り越えて津波のように襲いかかるだろう。鬼神と化した日本人の殺気に、アメリカ人は懼れを抱くに違いない。もっとも、マッカーサー元帥の副官だったボナー・フェラーズ(Bonner Fellers)やチャールズ・ウィロビー(Charles Willoughby)少将たちは馬鹿じゃないから、天皇訴追という愚策は最初から排除する。だって、占領後にアメリカ兵が大量に死亡したら、それこそ一大事だ。本国の遺族がトルーマン大統領に激怒するから、軍首脳は何としても平和裏に統治を完了させようとする。アメリカ軍は支配しやすかった日本に感謝すべきだ。イラクやアフガニスタンを見ろ。日本人が天使に思えてくるだろう。

Douglas MacArthur 1Bonner Fellers 1Charles Willoughby 1









(左: ダクラス・マッカーサー   / 中央: ボナー・フェラーズ  /  右: チャールズ・ウィロビー )

  未曾有の敗戦を迎えたのに、天皇陛下の御巡幸を歓迎した日本人は誠に素晴らしかった。悲惨な状況に喘ぐ国民であったが、各地を巡る天皇陛下のお姿を目にして感激したそうだ。昭和天皇の御巡幸はまさしく感動の宝庫である。例えば、昭和21年3月1日、陛下は八王子の織物統制会にお立ち寄りになった後、都立第四高等女学校に向かわれた。この女学校は戦災で跡形もなく焼けてしまったが、敗戦後、教師と生徒たちが立ち上がり、周囲の材木を集めて再建したそうだ。この話を耳にした宮内官が陛下に申し上げたところ、「そんな感心なことがあるなら、ぜひ行ってみたい」と仰せられ、お立ち寄りが決まったそうである。

  御車から降りられた陛下は、みぞれ交じりの雨の中、自ら傘をさされて粗末なお立ち台に立たれた。岩崎校長が教師と生徒で力を合わせて建築した事を申し上げると、陛下は「よく建てられましたね」と繰り返しお褒めの御言葉をかけられたそうだ。また、陛下は四年生の生徒の前に進まれ、先頭に立つ少女に向かって「家は焼かれたか」と尋ねた。この女生徒が「はい、焼かれました」とお答えすると、陛下は「そう。でも早く校舎が建ってよかったね」と慰められたそうである。陛下は整列する少女らに次々と優しい御言葉をかけられた。

  「お家はどこ。焼かれたの」
  「学校が焼けて大変だったね」
  「校舎がよく建てられたね」
  「しっかりね」

 このような御言葉を戴いた女性とたちは、みな感涙にむせんで声が出なかった。かくて陛下は、1,300人の職員と生徒らに涙を以て見送られ、御乗車になったという。(鈴木正男 昭和天皇の御巡幸』 展転社、平成4年 pp. 64-65)

  昭和26年11月15日に行われた滋賀県への御巡幸も印象深いものであった。陛下は東洋レーヨン滋賀工場を訪問された後、近江学園に御成になったそうだ。ここは戦争孤児や浮浪児、生活困窮児、精神薄弱児が共同生活をする学校であった。陛下は行儀良く並んでいた園児たちに笑顔でお応えになり、「元気で立派な子になって下さいね」と仰ったそうだ。しかし、そうした園児の中に、陛下を恨む一人の子供がいた。小学部六年生の佐々木春雄君(12歳)である。この不幸な少年は戦争を呪い、天皇陛下を嫌っていたそうだが、陛下がお越しになるという知らせを聞いてから、その心に微妙な変化が現れたそうだ。彼は自ら進んで毎日、先生から天皇陛下の話を聞き、さらに新聞を広げて陛下に関する記事を読んでいた。それから半月が経ち、陛下がお越しになる前日には、すっかり陛下を好きになっていたという。

  春雄君の日記には、次のようなことが書かれていた。

  僕は沖縄戦でタッタ一人になったのだ。僕達の友達もみんなソウダ。みんな戦争のギセイ者だ。天皇は僕達をみてなんと思われるだろう。不幸な子だと? 元気な子だと? 僕らは喜んでいるのだ。天皇に会えたんだもの --- お声もきけたんだもの --- 僕等は不幸からトックにでているのだ。元気で一生けんめい生きているんだ --- 生きぬくんだ。(上掲書 pp.336-337)

  戦争で家を焼かれ、親兄弟を失い、貧しさの中で生きる子供だと、誰かに責任を求めたくなり、その怒りを何とかしてぶつけたくなるのも無理はない。ふとした大人の会話で天皇の戦争責任を聞けば、事情を知らない子供は天皇陛下が戦争を起こしたと思い込む。ただ、親の愛情を受けて育った子供や、素直に育てられた子供は、無闇に人を憎むことができない。しかも、戦前は陛下への敬愛や畏敬の念が国内に満ちていたから、いくら子供たって、そう簡単に陛下を憎むことはできず、「本当に悪い人なのか?」と何らかの疑念や不安がよぎってくる。おそらく、春雄君が先生に尋ねたのは、陛下への憎悪に確信が持てなかったからじゃないのか。実際に会ってみると、陛下のお人柄がよく解るから、子供は素直に感動する。根性のひん曲がった知識人には出来ない仕草だ。

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  昭和24年6月6日も注目に値する。陛下は宮崎県にある県立盲学校に御成になった。ここには小学、中学、高等の各生徒47名が学んでいたそうで、陛下のご訪問に関して教師たちは知恵を絞っていた。何しろ、生徒たちは全盲なので、失礼が無いようにするのはもちろんのこと、如何にして陛下を身近に感じさせることが出来るのか、学校側としては色々と考えたらしい。そこで、陛下以外の全員、つまり側近の方々や新聞記者たちに履を脱いでもらい、陛下の靴音だけが聞こえるようにしたそうだ。

  間もなくして、陛下がお越しになり、学校の廊下にコツコツと御靴の音が聞こえてきた。教室内の生徒たちに緊張が走る。陛下が小学二年生の教室にお入りになると、先生は、「天皇さまが、今あなた達の前に立ってをられますのよ。どこか判りますか」と尋ねた。すると、陛下に一番近い所に立っていた村社まつ子(10歳)が、思わず一歩二歩と進み出て、両手を前に差し出したという。だが、どこに陛下がいらっしゃるのか判らない。そこで、この様子を御覧になった陛下は、自らの御身体を少女の方へとにじり寄られたそうだ。見ている先生は堪らず、「まつ子ちゃんの右前よ・・・」と語りかけた。盲目の少女は左右の手を差し出して探し求める。陛下は更にお進みになり、御身体をすり寄せた。

  陛下は「ここに居るよ」とおっしゃりたい御様子だったが、強く感動なされたせいなのか、言葉が出ない。まつ子ちゃんの手がやっと陛下の御洋服に触れた時、父兄会の人々、側にいる先生、みなが声を上げて泣いたそうである。陛下はこの少女をジッと見つめられていた。陛下の御眼にも涙が浮かんでいたそうだ。

  「不便でしょうが、しっかり勉強して、立派な人になってくださいね」

  このように陛下が優しくお言葉をかけると、生徒たちは不自由な眼を瞬きさせてうなづく。陛下が教室を去り、廊下へ出られると、生徒たちは一斉に「天皇さま、さようなら」と叫んだ。すると、陛下は再び教室に戻られて、六名の生徒一人一人の前に歩まれ、「さようなら、さようなら」と語りかけ、心から名残を惜しまれたという。居並ぶ人々は再び熱い涙をこぼしたそうである。(上掲書 pp.281-282) 盲学校の生徒たちは視力を失ったが、純粋な心までは失っていなかった。この子供たちは“心の眼”を持っていたのである。言うまでもないが、昭和天皇は本当に純粋無垢な心の持ち主であった。

  一連の御巡幸に接し、側で見ていた者が皆それぞれ感涙にむせんだのは、いったい何故なのか? 色々な解釈があるだろうが、陛下の真摯なお気持ちが皆に伝わったからじゃないのか。陛下は戦禍に苦しむ国民をいたわり、そして愛された。その大御心には一切の打算が無く、臣民の安寧をひたすら願うだけである。日本人は喜びも哀しみも陛下と共に分かち合ってきた。だから、国民の悲しみを御一身に受け止める陛下の御姿は誰にでも分かる。たとえ遠く離れていても、国民と陛下を隔てる精神的な壁は無い。陛下の御言葉は我々の胸に直接響く。陛下の御尊顔(ごそんがん)を拝した国民が思わず泣いてしまう所以である。日本人は陛下の清らかな御心に触れると、その魂を激しく揺さぶられてしまうのだ。このような君主と臣民との絆は他には無い。地球上で日本だけである。

  日本の中心は皇室であり、天皇陛下が存在するから日本人がある。したがって、この貴い皇室を撲滅しようと謀る反日分子は、日本人のツラをしていても日本人じゃない。日本政府はアジア移民に国籍を“気前よく”無料配布しているが、法務省の役人は申請者の中身を吟味しているのか? 在日朝鮮人が帰化申請をした時、国家と皇室への忠誠心を確かめているかは疑わしい。彼らは正直に陛下への忠誠を誓っているのか? 日本人はスイスを見倣って、帰化申請者を国民投票にかけるべきだ。ツタヤ・カードや楽天カードよりも緩い審査基準なんて馬鹿げている。とりわけ、裸踊りフィリピン人や偽装結婚の支那人に日本の国籍を「くれてやる」なんて言語道断だ。マスコミの連中が何と言おうが、我々は日本人の血が流れる日本国民であり、陛下に忠誠を誓う祖先の子孫である。現在を生きる我々は、幼い子供たちに「日本人に生まれて良かった」と言えるような国を残すべきであろう。
  



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