無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年10月

礼儀正しかった日本人娼婦 ロゲン神父の回想

日本を愛したドイツ人神父

  日本はキリスト教文化を輸入したが、その信仰心は拒絶するので、西欧文化がよく分からない。カトリック教会の精鋭修道会たるイエズス會(Society of Jesus)は一般人に馴染みがないだろう。聖フランチェスコ・ザビエルなら、教科書で習ったから知っている人もいるだろう。ヨゼフ・ロゲンドルフ(Joseph  Roggendorf)神父は、ドイツ出身のイエズス會士で、上智大学教授を務めた有名人であった。かの高名な渡部昇一・上智大学名誉教授の恩師といった方がいいだろう。ロゲンドルフ神父は古き良きヨーロッパの教養人であって、まさしく西歐紳士の名にふさわしい知識人であった。渡部先生もロゲン神父にたいへんな學恩があったらしく、先生がドイツに詳しいのはドイツ留学をしただけではなかった。戦前の日本に派遣されたロゲン神父は日本を愛し、神父から感銘を受けた多くの日本人は心から神父を愛した。日本人には本物の人格者が分かるのだ。こんな日本通のドイツ人神父が体験した回顧録が面白い。(ヨゼフ・ロゲンドルフ/ 聞き手 加藤恭子 『和魂・洋魂』 講談社 1979年)

  ロゲンドルフ神父は米国のプロテスタント宣教師とは違って、たいへん頭が良く心掛けが素晴らしかった。ドイツでイエズス会に入って日本を宣教先に志願したとき、日本について勉強することにした。普通なら、語学教科書と能や歌舞伎といった伝統芸能などを学ぶだろう。しかし、ロゲンドルフ神父は意外な勉強をする。日本にいた叔父から歴史書とともに雑誌や絵本を送ってもらったのである。そのなかには、当時子供に人気があった講談社の『キング』が含まれていた。ロゲン神父はその大衆雑誌に載っている絵や写真を見て、日本文化の高さを感じたのである。( 『上掲書』p.36)

  典型的なアメリカ人のプロテスタント宣教師は聖書を布教したいだけで来日する。日本語を習得するが、日本人の心には関心がない。温かい知識人家庭に育ったロゲンドルフ神父は、日本の庶民や子供がどんなことに興味があって、どう物事を感じるのかを知りたかったのである。日本についての学術書などいくら読んでも、子供の日常生活は外国から分からない。マンガ雑誌の『少年ジャンプ』やテレビの『仮面ライダー』を見た方が、よっぽど日本の子供を理解できる。

  ロゲンルフ神父の日本語能力もすごい。ロンドン大学で日本文学(例えば島崎藤村など)を専攻された神父は、終戦の玉音放送を直立して拝聴した。昭和天皇の御詔勅は聞き取りづらかったので、鈴木貫太郎首相が喋ったのを聞いて理解したという。これは無理もない。日本人でさえ、陛下が何を仰っているのか分からなかったものも多かった。あまりも古典の教養が卓越していた陛下は、庶民的会話が不得意でいらした。だから、国民のなかには戦闘継続の放送かと勘違いした者がいたくらいだ。ロゲンドルフ神父によると、玉音放送を聞いて泣いている外人神父もいたという。日本の敗戦を聞いて、掠奪・強姦・暴力に走った朝鮮人と対照的である。こんな鮮人が「日本国民」であったことを我々は肝に銘じるべきである。

  ロゲンドルフ神父は戦中日本人が叫んでいた「鬼畜米英」は本心でなかったことを語っていた。当時の日本人が敗戦で、「鬼畜米英」の国粋主義者からアメリカ万歳の「民主主義者」に豹変したのではないことを指摘する。「鬼畜米英」は戦時プロパガンダで、政府から押しつけられた思想だから、終戦で日本人の頭から消えてしまったのだ、と。それよりも、民衆政国家のアメリカ人やイギリス人の方が、悪質な戦時宣伝から抜け出せないのである。ロゲンドルフ神父は日本人について語る。

  「日本人はね、口では何とかいっても、実際のアメリカ人に出会うと、悪意を持ち続けられない国民ですよ。こういうのは全アジアで日本だけ。」 (p.86)

ロゲンドルフ神父のおっしゃる通り。日本人の国民性をよく理解している。戦争が終わっても、ことある事にねちねち怨みを叫び続ける朝鮮人や支那人とは、根本的に、生物的に、人格的に違うのだ。神父は日本人が「ひとさま」という風に他人に「様」をつけ、他の人間に対して暖かみがあると説明する。また、日本人は勘がいいし、好奇心もある。アジア人と違って、外国人に敵愾心を持たず、他国をあまり挑発しない。戦争相手のアメリカ人に対しても憎悪をもっていなかった、と神父は語る。ロゲン神父に乾杯。中曽根康弘や田中真紀子、加藤紘一、二階俊博はよく聞け! 日本人はアジア人じゃないんだ。

「失礼しました」と謝る売春婦

  終戦直後の東京をロゲン神父は回想する。新宿の闇市や赤線(売春地帯)附近で電車を待っていたときの事であった。赤線からある娘が出てきて、白い背広を着ていたロゲン神父に後ろから抱きついてきた。「ねえ、いらっしゃいよ」とその娘が神父を引っ張って誘う。ロゲンドルフ神父が振り返った瞬間、彼女は「あ、どうも失礼しました。すみません」と頭を下げて立ち去ったという。(p.93) 神父のローマン・カラー(襟首のカラー)に気づいた娘は、善悪をちゃんとわきまえていたらしい。もしかしたら、敗戦で没落した一般家庭の女性だったのかもしれない。しかし、パンパン・ガール(娼婦の俗称)が、やって良い事と悪い事をわきまえていたのだから、昔の日本人女性はたいしてものだ。東京や神奈川、大阪で客を引いている南鮮淫売など、本当に下品の塊みたいな動物である。いかにも朝鮮人らしい顔を整形して、勝手に密入国してくる盛り場の南京虫が朝鮮娼婦である。役所ははやく駆除すべきである。
 

  日本の独特な法意識についてもロゲンドルフ神父は言及している。神父の知っている外国人が、慎重にクルマを運転していたら、自転車に乗った出前持ちにぶつかってしまった。怪我はなかったが、自転車が壊れてしまった。出前持ちの方が交通規則違反で、外人には罪が無いと警察官は言った。しかし、現場に集まった日本人からは、その外人に対して「五千円くらい払ってやったらどうです」という意見が出てきた。近所のおばはんも割り込んできて、「だって、かわいそうだもん」と言ってくる。その外人は「私には落ち度がないのに、なぜ罰金を」と戸惑う。警察官も「罰金じゃないんで。あの青年がかわいそうじゃありませんか」と言ってくる。( ヨセフ・ロゲンドルフ『ニッポンの大学生』 主婦の友社 昭和54年 p.79)

  警察官も野次馬も法の正義を持ち出しているのではなく、人情を話していたのである。出前持ちがお店に帰ったら、叱られるかクビになるかもしれないからだ。その外人は日本人に好意をもつ在日外国人であり、日本人にも理解があったのだが、その意見にはビックリした。大岡裁きみたいな人情判決は理解できまい。

  ロゲンドルフ神父は日本人の奇妙で不可思議な考えを話している。ある外国人か貧しい家庭の息子にお金を与え、進学から就職まで世話をしてやったという。ところが、その日本人はやがてその恩人たる外国人と疎遠になり、絶縁にまで発展する。外国人には何が起こったのか、何をしたから絶縁したのか見当もつかない。じつは、支援されていた日本人は、受けた恩が重なってきて返しきれないと感じ始めたのである。そこで、年賀状を送らないとか、引っ越しをしても新住所を教えなかったりして、その外人を遠ざけた。彼は、恩返しを期待していたのではなく、一般的な慈善のつもりだった。ところが、義理堅い日本人は受けた恩に報いねば、という気持ちが強い。恩返しの義務が心の負担になってしまう日本人。外国人はこうした日本人に驚いてしまうのだ。日本政府から奨学金を貰って何とも思わない支那人留学生があちこちにいる。中には犯罪者になって日本に報いる奴も大勢いるのだ。まったく、支那人なんかに入国を許したうえに、奨学金をくれてやるんだから、日本の政治家は脳が異常である。雀にその脳を移植したら後ろ向きに飛ぶだろう。猫なら背泳ぎで川を渡るんじゃないか。東北の子供たちは進学を断念して、税金を払いながら苦労しているのに。

ロゲンドルフ神父を排除した言論界

  こんなにも立派なヨーロッパ紳士の鑑(かがみ)であるロゲンドルフ神父は、一般人に知られていないのは何故か。その答えは、ロゲンドルフ師の政治思想や不屈の精神にあった。ヨーロッパ知識人であったロゲンドルフ神父はヒトラーにも、スターリンにも反対していたのである。ロゲン神父について弟子の渡部先生が説明している。

  「ヒトラーとスターリンこそ、断固抵抗しなければならぬおそるべき全体主義者である」という確信をえて、ロゲンドルフ師は三年間にわたるロンドン大学での日本学の研究成果を終えた。 ( 渡部昇一 「ロゲンドルフ師の思想と現代」 『一粒の麦 ヨゼフ・ロゲンドルフ師追悼文集』 南窓社 1983年 p.15 )

  まさしく国家社会主義のナチ党と国際共産主義のソ連は同じ穴の貉(むじな)である。ヒトラーもスターリンも共に全体主義を掲げる独裁者である、とロゲン神父は喝破していた。今では常識でも、戦後の左傾化した日本言論界では、ロゲンドルフ神父は少数派に属していたのである。神父はアテネ文庫やアテネ新書に執筆するくらいの教養人だったから、戦後しばらくの間は自由な雰囲気の中で、師の著作が良心的出版社で歓迎されたのである。(p.20)  ところが、昭和20年代が終わるころ、良心的だった出版社が共産主義あるいは社会主義的風潮に傾いた。コミュニズムとファシズムを同じ分類に入れるロゲン師の考え方では都合が悪かった。(p..21) 『ヨーロッパの危機』を出版していたロゲンドルフ師なら、いくらでも出版社からの依頼がきたはずである。

   その後、安保闘争や、ベトナム戦争、カンボジアでの大量虐殺が起こって、左翼全体主義の残虐性が世間に知られるようになった。文藝春秋社の『諸君!』が発刊されてようやく、ロゲンドルフ神父の登場となった次第である。昭和30年から50代の言論界は、ほんとうに真っ赤に染まっていたのだ。防衛大学校長になった猪木正道などは、スターリンが大好きであった。日本の青年に国防を教える者がスターリンを尊敬していたのである。日教組の槙枝元文委員長は金日成崇拝者だった。日本の学校を朝鮮総連専門学校にするつもりだったのだろう。日本人なのに反日左翼の知識人がテレビや雑誌で持て囃される中、ドイツ人なのに親日で偉大な知識人が疎外されていたのだ。まったく嫌になってしまう我が祖国である。


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帰化支那人は日本人か?

支那帰化人の子孫 永六輔

  日本も移民の津波に襲われて民族的変質に直面している。世界でも稀な同質民族の立憲君主国だったのに、アジア移民の流入を受け入れてしまったばかりか、国籍までくれている。国籍取得の審査はクレジット・カード審査より甘く、運転免許証取得より簡単だ。運転免許を取るとき大金を要するのに、日本国籍は無料で配られる。こうした杜撰な審理で日本国民になった帰化人に、歴史ある国家の一員たる自覚を求めるほうがどうかしている。簡単に定義すれば、日本人とは日本人の両親から生まれた者である。

  日系日本国民は外国で日本を罵倒されたり、批判されれば反論する。しかし、帰化人がもし外国で我が国を誹謗中傷されたら、いかなる態度をとるのか。国籍をばらまいている日本人は考えたことがない。たとえば、米国で「日本軍は朝鮮女性を性奴隷にした」と濡れ衣を着せられたら、たいていの在米日本人は腹が立って反論したくなるだろう。自分の祖国と祖先を侮辱されて平然としている方が異常である。ただし、外務省官僚は別人種。ワインの銘柄に詳しくても、日本の名誉になるとチンプンカンプン。高等文官試験の秀才は、テストで「日本が好きですか?」という質問がなかったから「愛国心」を知らないのだ。

  しかし、日本語しか喋れれない永住在日鮮人や帰化鮮人、結婚による日本国籍取得の支那人、日比混血児などはどういった態度をとるのか。朝鮮人や支那人なら、日本の朝鮮植民地化や支那大陸侵掠、帝国陸軍による民間人の大量殺戮を喧伝するかもしれない。しかも、天皇陛下に対して微塵も敬意をもたないアジア帰化人は、米国人以上に日本を罵るかもしれない可能性がある。こんな不安がよぎるのは、永六輔と辛淑玉(しんすご)の対談本『日本人 対 朝鮮人』 (光文社 1999年)を筆者が覚えているからである。永六輔は司会業をこなす一方で、著書『大往生』もベストセラーになった有名人である。娘麻里がフジテレビのアナウンサーになったから知っている者も多いと思うが、坂本九の「上を向いて歩こう」の作詞者として覚えている国民が一番多いのではなかろうか。名前から分かるとおり、永六輔は支那人の子孫である。本人によれば、祖先が「上海から徳川家に来た学僧」だったそうで、結婚しても名前を変えなかったという。(「大往生と蛇腹の思想」 佐高信の時代を読む 『サンサーラ』 1995年9号 p.170) 

  江戸時代から続く支那人の家系に生まれた六輔は、どこかに非日本人の意識を持ち続けている。戦争中は疎開先で「永」という姓を持つことでイジメにあったそうである。(p.169)おそらく、近所や学校の子供らが「チャンコロ」や「シナポコペン」などと呼んでからかったんじゃないか。そんなイジメを六輔は「明日は、どうやってイジメられようかな」と思いました、と対談の中で回顧する。普通なら「悔しくって泣きたかった」とか「仕返しに殴ってやろうと思いました」とか答えるだろう。子供の頃から六輔は精神が歪んでいたのだろう。

  作詞家や司会者の分際で、六輔が革新自由連合に参加して参議院選挙に出馬(落選)したり、反権力の政治姿勢をとったりしたのも、出自が日本人でないところから由来しているのかもしれない。しんぶん赤旗を応援し、共産党のイベントに出演したりするのも、マルクス・レーニン主義を研究して共鳴したからというより、どことなく日本人の根源が嫌いという感情が胸の奥底にあるからではないか。「永」という支那名を馬鹿にしてイジメた日本人に対する怨念が、時折ふと心の奥深くで蠢動(しゅんどう)するのかもしれない。

日本に飛来した朝鮮蟲の辛淑玉

  在日鮮人が日本で不届きな事を発言すると、それに激怒・反発する日本人が出てくるのは自然なことだが、そもそも朝鮮人というのは「火病(突発的感情の爆発)」を起こすことで有名だし、嘘でも何でも自己利益になれば発言する恥知らずである。真面目な気質の日本人だと、いちいち激怒・反論する度に疲れてしまう。馬の耳に念仏、鮮人の耳に学問。(筆者の造語)朝鮮人は対等の人間と思う日本人の欠点である。

  在日朝鮮人がどんな屁理屈こねようが、聞く耳をもたずに、「はいはい、そうですか。朝鮮に帰って存分にどうぞ」といえば済む話である。だが、辛淑玉(日本での偽名は「新山節子」)のような在日北鮮人をテレビに出演させ、有名にしてあげる日本人テレビ局制作者が一番悪い。言論・出版の自由がある日本だから、どんな対談本が出ようが仕方ないが、解毒剤を読者に提供しないのは言論人の怠慢である。しかも、永六輔がまるで日本人代表みたいな本なら尚更である。

  永六輔は我が国の歴史的人物かつ英雄を朝鮮人に貶(けな)されても黙っている。永が熊本の歴史的英雄に言及すると辛は、

   「あっ、いやなヤツですよね。」(永六輔/辛淑玉  『日本人対朝鮮人』光文社 1999年 p.27)

と言い放つ。加藤清正は太閤秀吉の重臣で、有能な武将にして築城の名手。熊本城を見学したことがある観光客なら分かるはず。この清正公が朝鮮征伐を行ったことが辛淑玉にとってはシャクに障るのだろう。朝鮮では豊臣秀吉は極悪人のトップに挙げられるから、家臣の清正を肯定的に評価するはずはない。ただ、六輔が一言も日本人の立場から反論しないのだ。せめて「いやなヤツとは何だ。このヨボ! 清正公は我が国の英雄的武将なるぞ」くらい言ってやれ。清正公は豊臣恩顧の大名であり、秀頼の後見人となり豊臣家の存続を切望した忠臣であった。朝鮮征伐では勇猛果敢な戦ぶりに我々は胸がすく思いである。
  加藤清正について弁護反論もしない六輔は、また辛淑玉の罵倒に対して卑屈な態度をとる。六輔が伊藤博文や西郷隆盛に触れると、辛がまた言う、

   「いやなヤツですよね、西郷、伊藤。」 『上掲書』 (p.28)

この発言に対し六輔は「つい最近も関東大震災でご迷惑をかけたり」と謝っている。震災時、朝鮮人を虐殺したというデマを信じていたのである。歴史的事実に無知な六輔は、当時日本に不逞鮮人が多く住み着いていたり、機会があれば犯罪者に変身する平凡な鮮人の危険性があったら、自警団が存在した事を知らなかった。不気味な朝鮮人が共存する当時に、日本の庶民が持つ恐怖感を理解しない支那系日本人永六輔。鮮人を暴漢の群衆から助けたり、哀れな鮮人に手を差し伸べた日本人がいたことを知らぬだ。(中島司 『震災美談』 参照)

  我々が腹立たしいのは、永六輔が維新の元勲たる伊藤博文や西郷隆盛を「いやなヤツ」と言われて反論しないばかりか、大震災で朝鮮人を迫害したことを臭わせたことである。明治維新の英雄、陸軍大将、至誠の人西郷南洲を六輔は何と思っているのか。我が国の初代総理大臣が暗殺されて平気なのか。この支那系人は辛に対して「お前こそ、いやなヤツだ」と言い返さない。こんなヤツが日本人代表面して対談しているのだ。

  我々はここで別の場面を想像してしまう。もしも辛淑玉が昭和天皇や鮮人娼婦について言及したら、六輔はいかなる言葉を発するのか、と。怨念の固まりたる朝鮮人が何と言おうが、外国人の勝手である。しかし、それを聴く日本人は反論すべきで、「お説ごもっとも」などと迎合する奴は売国奴とは言わないが、非国民である。現在の日本人は法務省で外国人が、簡単に日本国籍を取得していることに対して無関心である。国家という大きな家族の一員になっているのに、まるでアフリカかアラビアで起きている他人事みたいに考えているのだ。我々の祖先が噛みしめた苦難や、自慢してもよい栄光を共有しない外人が、日本国民を気取って住んでいることに怒りを覚えない。我々の血管に流れる祖先の血は、国土にも染みている。国家存亡の秋(とき)に蹶起奮闘(けっきふんとう)した英雄が土に還る我が国を愛さない日本人は国民ではない。日本国籍は単なる印刷物にあらず。祖先の命が凝縮された遺産である。


  
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