出生が謎の大統領
アメリカ合衆国は変質してしまった。国家という枠組みは同じだが、中に住む人間が変化したのである。我々はアメリカを白人国家だと思ってきたが、実際は「変化(change)」の国だった。白人を憎むオバマ大統領はあの手この手で南米からの不法移民を合法化しようとしている。建国の理念や人種構成を破壊しようとしているのだ。前科者や不法入国者であふれかえる米国では、保守的国民が激減している。誰が見たってアメリカ人の改革熱は異常だろう。問題が起これば補修ではなく、劇薬で治療しようとするからだ。アメリカは異民族がそれぞれ不満を爆発させると、社会実験でなだめようとする国家である。
(左: バラク・オバマ / 中央: 母親のアン・ダナム / 右: 幼い時のバラクと母のアン)
黒人問題は奴隷の子孫をアフリカへ追放することでしか解決しないのに、黒人を統合・同化させるという逆治療を行ってしまったのだ。1960年代の公民権運動から、たった半世紀くらいで黒人大統領が誕生したのである。保守派のアメリカ白人にとっては衝撃であり、彼らの愛する故郷にトドメの一撃が加えられたのである。すると胡散臭いオバマを研究する国民から「オバマってアメリカ人か?」という疑惑が出てきた。オバマの父親がケニアからの留学生であり、彼の出生が謎に包まれていたからである。
オバマは2008年に短い簡略出生証明書(Short Form Birth Certificate) を公表したが、詮索好きな国民を納得させるどころ逆に不満と疑惑を引き起こしてしまった。そこで2011年4月27日にオバマ大統領は、自分の詳細な出生証明書(Long-Form Certificate of Live Birth) を公表したのである。ところが、この証明書が偽造であったから問題が悪化してしまった。(Ben Forner, Obama Birth Certificate Maybe Forgred, Sheriff Joe Arpaio Says, abc News, March 1, 2012) ホワイト・ハウスから公表された証明書をコンピューターの専門家や鑑識のプロが調査してみると、デジタル処理された模造品であることが判明したのだ。印字のタイプや肉筆署名、ゴム印などが不自然で、コンピューター・グラフィックで捏造した文書であった。(Ronald Jay Polland, Obama Revealed More Than His Birth Certificate Last Year, American Thinker, November 4, 2012, とMara Zebest Report, Barrack Obama: Long Form Birth Certificate を参照 ) ついにはアリゾナ州シェリフのジョー・アルパイオ(Joe Arpaio)が正式に疑問を投げかけた。保守派のアメリカ国民が彼を支持し、猜疑心に満ちた国民がオバマの出生の謎を詮索するようになったのである。
(左 / オバマが公表した出生証明書)
そもそもオバマはなぜオリジナルの出生証明書を公開しないのか。真実を公表すれば簡単に解決する問題のはず。アメリカのオバマ批判者やジャーナリストがハワイの病院で作成された原本を求めたところ、ハワイのリンダ・リングル(Linda Lingle)知事は、その証明書を封印してしまい、どんなことをしても記者が閲覧できぬようにしてしまった。(Jerome Corsi, Obama's birth certificate sealed by Hawaii governor, World Net Daily, October 26, 2008) それに反発したジャーナリストに向けて、ハワイの健康保険局のチヨエ・フキノ長官はオバマの出生証明書を見たことがあると公言したのである。紙の原本は2001年に破棄されてしまったから存在しないが、記録には残っているという。
彼女の証言は、記録帳にオバマの名前があったという趣旨で、ネガ・フィルムのような記録証書ではない。普通の国民でも1960年代に生まれた子供の出生証明書の原本フィルムを持っている。可愛い子供の証明書は大切に保存している親がいても不思議ではない。なぜオバマは自分の証明書を隠匿したいのか理解に苦しむ。しかもホワイト・ハウス報道官にとって苦い知らせが届いた。アラバマ州最高裁は、公表された出生証明書は偽造文書であるとの判決を下したのである。当然の判決だ。さあオバマは困った。アメリカ本土生まれを証明せねばなるまい。それが出来ないなら、しらばっくれて任期満了まで黙殺するしかないだろう。
公式発表によれば、オバマはハワイで誕生したことになっている。しかし、生まれた病院がカピオラニ・メディカル・センター(Kapi'olani Medical Center)であるかは定かでない。それにオバマを取り上げた医師が二人いるのだ。公表された出生証明書にはデイヴィッド・シンクレア医師(Dr. David Sinclair)の署名がある。しかし、オバマが通った高校の英語教師バーバラ・ネルソン(Barbara Nelson)は、別の医師が出産に立ち会ったと述べている。彼女は彼の誕生日1961年8月4日をよく覚えているという。ところが、彼女の情報はロドニー・ウェスト医師(Dr. Rodney T. West)からの又聞きであった。彼女はこれといった直接の証拠を持っているわけではない。彼女がウェスト医師と食事をしたときに教えてもらったらしい。ウェスト医師が赤ん坊のオバマを取り上げたとは言っていないのだ。それもそのはず。ウェスト医師はオバマ誕生前の1958年には、すでに退職していたのである。(Bob Unruh, Why does Obama have 2 different birth doctors?, World Net Daily, May 3, 2011) したがってオバマが生まれた場所が不明で、担当医が特定されず、出生証明書原本も見つからないうえに、出産証言者が一人もいない(生存しない)のだ。
(左 / 正式な出生証明書のサンプル)
オバマの出生文書を封印したリングル知事の後任者ネイル・アバカンビー知事は、「オバマ出生問題」に決着をつけるべく、大統領の出生に関する情報を集めて公開することを宣言した。(Kevin Hecktkopf, New Hawaii Governor to Take on Birthers, CBS News, DEcember 28, 2010) ところがアバカンビー知事は、出生証明書はプライバシー法で保護されいるため、その原本を探すのを諦めてしまった。彼はオバマに敵対的な政治家ではなく、民衆党知事でオバマとは親しいのだ。アバカンビー知事は政治家になる前にホノルルでタクシー運転手をしていたという。彼は周囲の者に、留学生のバラク・オバマ・シニアと友人であった、と自慢していたのである。彼は幼き頃の「バリー(オバマ)」坊やを覚えているという。こうしたオバマ家の友人でさえ証明書探しは不可能と匙を投げてしまったのだ。
それならアバカンビー知事は大統領に電話して、病院や役所に開示するよう頼めばよかったのである。自分の出生証明書を合衆国大統領が直々に命令を下せばどの役所だって即刻従うだろう。なぜなら最高行政官は、CIA、FBI、NSA、DIA、それに陸海空海兵の軍隊に対しても命令できるのだ。核兵器使用の命令まで下せる大統領が、ハワイの小役人になぜ遠慮するのか。まさか自分の出生が国家の最高機密に属するとは言えまい。どうせ退任後は「オバマ図書館」を建てるのだから、オバマの誕生物語は本になるだろう。それに、いろいろな御用学者が、偉大な黒人大統領と褒め称えて伝記を書いたり、それをドラマ化したりするはずだ。なぜいづれ分かる出生が極秘扱いなのか。
ここからは推測になるが、オバマ大統領の父親はケニアからの留学生オバマ・シニアではない他の人物かも知れない。第一、病院が特定できないというのは変だ。白人女性アンと公表できぬ黒人男性との間にバラクが生まれたから、出生証明書には別の人物名があるのかも知れない。あるいは病院で生まれていないのかも。本当にハワイで生まれたのかも疑問だ。父親も担当医師も不明だから、オバマのアメリカ国籍すら怪しい。オバマは学生時代に、小冊子に自分のプロファイルが載った。だが、そこにはケニア出身と記載されていた。本当にケニア生まれとは思えないが、彼が自分の経歴を偽っていたのは確かだ。コロンビア大学に編入できたのも、インドネシア留学生枠を利用したのかも知れない。オバマはインドネシアに住んでいたし、インドネシア人の義父もいたのだから、ズルをして大学に編入した疑惑があるのだ。
米国や日本でもあまり報道されなかったが、ドキュメンタリー監督のジョエル・ギルバート(Joel Gilbert)が『ドリーム・フロム・マイ・リアル・ファーザー(Dreams From My Real Father)』というDVDを制作した。オバマの父親探しをしていたジョエル氏が、オバマの実父はハワイで共産主義活動をしていた黒人の詩人フランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)ではないか、と推測しているのだ。もちろん、状況証拠を積み重ねての推理だが、納得できる部分がある。オバマ大統領とディヴィスのDNAを採取して検証すればすぐ分かるのだが、それはほぼ無理だろう。もし、オバマの異母兄弟のY染色体とデイヴィスの息子のY染色体を採取し、オバマが噛んだガムか飲みかけのコップから唾液を入手できればいいのだが、それも難しい。
(左: バラク・ジュニアとケニア人のバラク・シニア / 右: オバマとフランク・マーシャル・デイヴィス)
ジョエル氏のフィルムで印象的だったのは、ケニア人留学生の父とオバマ大統領が似ていないことである。オバマとデイヴィスとの方がよっぽど似ているのだ。それに、オバマは小さい頃「詩人のフランク」と会っていた、と自著で述べている。(バラク・オバマ 『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』 白倉三紀子/木内裕也 訳 ダイヤモンド社 2007年 p.89) 高齢のフランクだったが、バラク少年は興味を寄せたらしい。このフランクはハワイ在住の共産党員で詩人、ポルノ小説家であったフランク・マーシャル・デイヴィスに間違いないだろう。それにオバマがフランクの正体をわざとぼかして記述していることも気になる。「ケニア人父」との交流は希薄なのに、「他人」であるはずのフランクとの関係は濃厚なのだ。まさに父親代わりの人物である。
(左 / 母親アンの右手が黒く変色している)
オバマにはどうも自分の過去を偽造する癖があるようだ。彼が公式に発表した写真には驚愕の腕が写っている。オバマが少年の頃、母親アン、祖父スタンレー、父親違いの妹と一緒に撮った写真では、母親の腕は白いのだが、手の甲が黒いのだ。オバマ少年の背後に立つ母親アンの右腕は皮膚が白と黒に別れていた。すごい! しかも、彼らの後ろにプラスチック製の椅子が並んでいて、ポールで連なっている。ところが、真っすくに伸びているはずの横棒が妙に歪曲していてズレている。これらの謎は誰かが合成写真を造ったと考えれば合点が行く。オリジナルの写真では背後に黒人が写っていたのに、それをデジタル処理で消して母親の姿を貼り付けたのだろう。その時、何らかのミスで手の甲だけ残ってしまったのではないか。そう考えなければ納得できない。でも、なぜオバマ大統領はそんな合成写真を公表したのか? 妙だ。これが主要マスコミでは一切取り上げられなかったのである。変だ。ちょっとしたハプニングでも夕方のニュースで報道されるのに、大統領自身による偽造写真は報道されないのだ。不都合な事実は握りつぶされてしまうのである。
フランク・マーシャル・デイヴィスが問題なのは、彼が正式な合衆国共産党のメンバーであったからだ。非アメリカ活動を調査した合衆国政府の公式報告書にデイヴィスの名前が載っているのだ。(Investigation of Un-American Propaganda Activities in the United States, Special Committee on Un-American Activities House of Representatives Seventy-Eight Congress, Second Session on H.Res. 282,Fourth Section,1944, 9.974) FBIによる合衆国共産党(USCP)の内部調査を読むと、デイヴィスの党員番号は47544で、彼の妻ヘレン(Helen Canfield Davis) の番号は62109である。白人を心から憎んだ共産主義者からオバマが学んだ思想を考えれば、保守派アメリカ白人は恐ろしくなってしまう。こんな過去を知れば、オバマの反米政策がよく理解できるるだろう。ちなみに、ミッシェル夫人もオバマが大統領候補になるまで米国を誇りに思っていなかったことを、公の場でつい漏らしてしまったことがある。ニュース報道では騒がれたが、アメリカ白人は半分納得していた。そりゃそうだろう。夫人の祖先は奴隷だったのだから。
話すと長くなってしまうから省略するが、オバマ大統領とは共産主義者の中で育って、ユダヤ人の金で権力者になり、有色人種の熱狂的支持で当選したマルキストである。第21世紀のアメリカ合衆国では、そんなおぞましい人物が国家元首になってしまったのだ。少なくともレーガン政権時代までのアメリカ白人には信じられない。だが現実は冷酷だ。ソ連が崩壊したら、我が国で社会党左派の村山富市が首相になって、北朝鮮の手先土井たか子が衆議院議長となったではないか。反共国家だった米国では、コミュニストでしかも黒人の大統領が出現したのである。保守派のアメリカ人なら、目まいがして立ちくらみしそうである。アメリカを愛する武人でイギリス紳士のジョージ・ワシントンと軍歴もないアメリカを憎む黒人共産主義者を見比べたら、我々だってアメリカ人を気の毒に思ってしまう。オバマの遺伝上の父親は不明だが、思想上の師匠は明らかだ。彼はかつてシカゴで「コミュニティー・オーガナイザー(地元組織指導者/community organizer)と自称していたが、本当はコミュニスト・オーガナイザー(共産主義組織者/communist organizer)だろう。黒い肉体を持つ赤い頭脳の大統領とは恐れ入る。
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アメリカ合衆国は変質してしまった。国家という枠組みは同じだが、中に住む人間が変化したのである。我々はアメリカを白人国家だと思ってきたが、実際は「変化(change)」の国だった。白人を憎むオバマ大統領はあの手この手で南米からの不法移民を合法化しようとしている。建国の理念や人種構成を破壊しようとしているのだ。前科者や不法入国者であふれかえる米国では、保守的国民が激減している。誰が見たってアメリカ人の改革熱は異常だろう。問題が起これば補修ではなく、劇薬で治療しようとするからだ。アメリカは異民族がそれぞれ不満を爆発させると、社会実験でなだめようとする国家である。
(左: バラク・オバマ / 中央: 母親のアン・ダナム / 右: 幼い時のバラクと母のアン)
黒人問題は奴隷の子孫をアフリカへ追放することでしか解決しないのに、黒人を統合・同化させるという逆治療を行ってしまったのだ。1960年代の公民権運動から、たった半世紀くらいで黒人大統領が誕生したのである。保守派のアメリカ白人にとっては衝撃であり、彼らの愛する故郷にトドメの一撃が加えられたのである。すると胡散臭いオバマを研究する国民から「オバマってアメリカ人か?」という疑惑が出てきた。オバマの父親がケニアからの留学生であり、彼の出生が謎に包まれていたからである。
オバマは2008年に短い簡略出生証明書(Short Form Birth Certificate) を公表したが、詮索好きな国民を納得させるどころ逆に不満と疑惑を引き起こしてしまった。そこで2011年4月27日にオバマ大統領は、自分の詳細な出生証明書(Long-Form Certificate of Live Birth) を公表したのである。ところが、この証明書が偽造であったから問題が悪化してしまった。(Ben Forner, Obama Birth Certificate Maybe Forgred, Sheriff Joe Arpaio Says, abc News, March 1, 2012) ホワイト・ハウスから公表された証明書をコンピューターの専門家や鑑識のプロが調査してみると、デジタル処理された模造品であることが判明したのだ。印字のタイプや肉筆署名、ゴム印などが不自然で、コンピューター・グラフィックで捏造した文書であった。(Ronald Jay Polland, Obama Revealed More Than His Birth Certificate Last Year, American Thinker, November 4, 2012, とMara Zebest Report, Barrack Obama: Long Form Birth Certificate を参照 ) ついにはアリゾナ州シェリフのジョー・アルパイオ(Joe Arpaio)が正式に疑問を投げかけた。保守派のアメリカ国民が彼を支持し、猜疑心に満ちた国民がオバマの出生の謎を詮索するようになったのである。
(左 / オバマが公表した出生証明書)
そもそもオバマはなぜオリジナルの出生証明書を公開しないのか。真実を公表すれば簡単に解決する問題のはず。アメリカのオバマ批判者やジャーナリストがハワイの病院で作成された原本を求めたところ、ハワイのリンダ・リングル(Linda Lingle)知事は、その証明書を封印してしまい、どんなことをしても記者が閲覧できぬようにしてしまった。(Jerome Corsi, Obama's birth certificate sealed by Hawaii governor, World Net Daily, October 26, 2008) それに反発したジャーナリストに向けて、ハワイの健康保険局のチヨエ・フキノ長官はオバマの出生証明書を見たことがあると公言したのである。紙の原本は2001年に破棄されてしまったから存在しないが、記録には残っているという。
彼女の証言は、記録帳にオバマの名前があったという趣旨で、ネガ・フィルムのような記録証書ではない。普通の国民でも1960年代に生まれた子供の出生証明書の原本フィルムを持っている。可愛い子供の証明書は大切に保存している親がいても不思議ではない。なぜオバマは自分の証明書を隠匿したいのか理解に苦しむ。しかもホワイト・ハウス報道官にとって苦い知らせが届いた。アラバマ州最高裁は、公表された出生証明書は偽造文書であるとの判決を下したのである。当然の判決だ。さあオバマは困った。アメリカ本土生まれを証明せねばなるまい。それが出来ないなら、しらばっくれて任期満了まで黙殺するしかないだろう。
公式発表によれば、オバマはハワイで誕生したことになっている。しかし、生まれた病院がカピオラニ・メディカル・センター(Kapi'olani Medical Center)であるかは定かでない。それにオバマを取り上げた医師が二人いるのだ。公表された出生証明書にはデイヴィッド・シンクレア医師(Dr. David Sinclair)の署名がある。しかし、オバマが通った高校の英語教師バーバラ・ネルソン(Barbara Nelson)は、別の医師が出産に立ち会ったと述べている。彼女は彼の誕生日1961年8月4日をよく覚えているという。ところが、彼女の情報はロドニー・ウェスト医師(Dr. Rodney T. West)からの又聞きであった。彼女はこれといった直接の証拠を持っているわけではない。彼女がウェスト医師と食事をしたときに教えてもらったらしい。ウェスト医師が赤ん坊のオバマを取り上げたとは言っていないのだ。それもそのはず。ウェスト医師はオバマ誕生前の1958年には、すでに退職していたのである。(Bob Unruh, Why does Obama have 2 different birth doctors?, World Net Daily, May 3, 2011) したがってオバマが生まれた場所が不明で、担当医が特定されず、出生証明書原本も見つからないうえに、出産証言者が一人もいない(生存しない)のだ。
(左 / 正式な出生証明書のサンプル)
オバマの出生文書を封印したリングル知事の後任者ネイル・アバカンビー知事は、「オバマ出生問題」に決着をつけるべく、大統領の出生に関する情報を集めて公開することを宣言した。(Kevin Hecktkopf, New Hawaii Governor to Take on Birthers, CBS News, DEcember 28, 2010) ところがアバカンビー知事は、出生証明書はプライバシー法で保護されいるため、その原本を探すのを諦めてしまった。彼はオバマに敵対的な政治家ではなく、民衆党知事でオバマとは親しいのだ。アバカンビー知事は政治家になる前にホノルルでタクシー運転手をしていたという。彼は周囲の者に、留学生のバラク・オバマ・シニアと友人であった、と自慢していたのである。彼は幼き頃の「バリー(オバマ)」坊やを覚えているという。こうしたオバマ家の友人でさえ証明書探しは不可能と匙を投げてしまったのだ。
それならアバカンビー知事は大統領に電話して、病院や役所に開示するよう頼めばよかったのである。自分の出生証明書を合衆国大統領が直々に命令を下せばどの役所だって即刻従うだろう。なぜなら最高行政官は、CIA、FBI、NSA、DIA、それに陸海空海兵の軍隊に対しても命令できるのだ。核兵器使用の命令まで下せる大統領が、ハワイの小役人になぜ遠慮するのか。まさか自分の出生が国家の最高機密に属するとは言えまい。どうせ退任後は「オバマ図書館」を建てるのだから、オバマの誕生物語は本になるだろう。それに、いろいろな御用学者が、偉大な黒人大統領と褒め称えて伝記を書いたり、それをドラマ化したりするはずだ。なぜいづれ分かる出生が極秘扱いなのか。
ここからは推測になるが、オバマ大統領の父親はケニアからの留学生オバマ・シニアではない他の人物かも知れない。第一、病院が特定できないというのは変だ。白人女性アンと公表できぬ黒人男性との間にバラクが生まれたから、出生証明書には別の人物名があるのかも知れない。あるいは病院で生まれていないのかも。本当にハワイで生まれたのかも疑問だ。父親も担当医師も不明だから、オバマのアメリカ国籍すら怪しい。オバマは学生時代に、小冊子に自分のプロファイルが載った。だが、そこにはケニア出身と記載されていた。本当にケニア生まれとは思えないが、彼が自分の経歴を偽っていたのは確かだ。コロンビア大学に編入できたのも、インドネシア留学生枠を利用したのかも知れない。オバマはインドネシアに住んでいたし、インドネシア人の義父もいたのだから、ズルをして大学に編入した疑惑があるのだ。
米国や日本でもあまり報道されなかったが、ドキュメンタリー監督のジョエル・ギルバート(Joel Gilbert)が『ドリーム・フロム・マイ・リアル・ファーザー(Dreams From My Real Father)』というDVDを制作した。オバマの父親探しをしていたジョエル氏が、オバマの実父はハワイで共産主義活動をしていた黒人の詩人フランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)ではないか、と推測しているのだ。もちろん、状況証拠を積み重ねての推理だが、納得できる部分がある。オバマ大統領とディヴィスのDNAを採取して検証すればすぐ分かるのだが、それはほぼ無理だろう。もし、オバマの異母兄弟のY染色体とデイヴィスの息子のY染色体を採取し、オバマが噛んだガムか飲みかけのコップから唾液を入手できればいいのだが、それも難しい。
(左: バラク・ジュニアとケニア人のバラク・シニア / 右: オバマとフランク・マーシャル・デイヴィス)
ジョエル氏のフィルムで印象的だったのは、ケニア人留学生の父とオバマ大統領が似ていないことである。オバマとデイヴィスとの方がよっぽど似ているのだ。それに、オバマは小さい頃「詩人のフランク」と会っていた、と自著で述べている。(バラク・オバマ 『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』 白倉三紀子/木内裕也 訳 ダイヤモンド社 2007年 p.89) 高齢のフランクだったが、バラク少年は興味を寄せたらしい。このフランクはハワイ在住の共産党員で詩人、ポルノ小説家であったフランク・マーシャル・デイヴィスに間違いないだろう。それにオバマがフランクの正体をわざとぼかして記述していることも気になる。「ケニア人父」との交流は希薄なのに、「他人」であるはずのフランクとの関係は濃厚なのだ。まさに父親代わりの人物である。
(左 / 母親アンの右手が黒く変色している)
オバマにはどうも自分の過去を偽造する癖があるようだ。彼が公式に発表した写真には驚愕の腕が写っている。オバマが少年の頃、母親アン、祖父スタンレー、父親違いの妹と一緒に撮った写真では、母親の腕は白いのだが、手の甲が黒いのだ。オバマ少年の背後に立つ母親アンの右腕は皮膚が白と黒に別れていた。すごい! しかも、彼らの後ろにプラスチック製の椅子が並んでいて、ポールで連なっている。ところが、真っすくに伸びているはずの横棒が妙に歪曲していてズレている。これらの謎は誰かが合成写真を造ったと考えれば合点が行く。オリジナルの写真では背後に黒人が写っていたのに、それをデジタル処理で消して母親の姿を貼り付けたのだろう。その時、何らかのミスで手の甲だけ残ってしまったのではないか。そう考えなければ納得できない。でも、なぜオバマ大統領はそんな合成写真を公表したのか? 妙だ。これが主要マスコミでは一切取り上げられなかったのである。変だ。ちょっとしたハプニングでも夕方のニュースで報道されるのに、大統領自身による偽造写真は報道されないのだ。不都合な事実は握りつぶされてしまうのである。
フランク・マーシャル・デイヴィスが問題なのは、彼が正式な合衆国共産党のメンバーであったからだ。非アメリカ活動を調査した合衆国政府の公式報告書にデイヴィスの名前が載っているのだ。(Investigation of Un-American Propaganda Activities in the United States, Special Committee on Un-American Activities House of Representatives Seventy-Eight Congress, Second Session on H.Res. 282,Fourth Section,1944, 9.974) FBIによる合衆国共産党(USCP)の内部調査を読むと、デイヴィスの党員番号は47544で、彼の妻ヘレン(Helen Canfield Davis) の番号は62109である。白人を心から憎んだ共産主義者からオバマが学んだ思想を考えれば、保守派アメリカ白人は恐ろしくなってしまう。こんな過去を知れば、オバマの反米政策がよく理解できるるだろう。ちなみに、ミッシェル夫人もオバマが大統領候補になるまで米国を誇りに思っていなかったことを、公の場でつい漏らしてしまったことがある。ニュース報道では騒がれたが、アメリカ白人は半分納得していた。そりゃそうだろう。夫人の祖先は奴隷だったのだから。
話すと長くなってしまうから省略するが、オバマ大統領とは共産主義者の中で育って、ユダヤ人の金で権力者になり、有色人種の熱狂的支持で当選したマルキストである。第21世紀のアメリカ合衆国では、そんなおぞましい人物が国家元首になってしまったのだ。少なくともレーガン政権時代までのアメリカ白人には信じられない。だが現実は冷酷だ。ソ連が崩壊したら、我が国で社会党左派の村山富市が首相になって、北朝鮮の手先土井たか子が衆議院議長となったではないか。反共国家だった米国では、コミュニストでしかも黒人の大統領が出現したのである。保守派のアメリカ人なら、目まいがして立ちくらみしそうである。アメリカを愛する武人でイギリス紳士のジョージ・ワシントンと軍歴もないアメリカを憎む黒人共産主義者を見比べたら、我々だってアメリカ人を気の毒に思ってしまう。オバマの遺伝上の父親は不明だが、思想上の師匠は明らかだ。彼はかつてシカゴで「コミュニティー・オーガナイザー(地元組織指導者/community organizer)と自称していたが、本当はコミュニスト・オーガナイザー(共産主義組織者/communist organizer)だろう。黒い肉体を持つ赤い頭脳の大統領とは恐れ入る。
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