無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年11月

オバマの父親は誰だ? ニセの出生証明書

出生が謎の大統領

  アメリカ合衆国は変質してしまった。国家という枠組みは同じだが、中に住む人間が変化したのである。我々はアメリカを白人国家だと思ってきたが、実際は「変化(change)」の国だった。白人を憎むオバマ大統領はあの手この手で南米からの不法移民を合法化しようとしている。建国の理念や人種構成を破壊しようとしているのだ。前科者や不法入国者であふれかえる米国では、保守的国民が激減している。誰が見たってアメリカ人の改革熱は異常だろう。問題が起これば補修ではなく、劇薬で治療しようとするからだ。アメリカは異民族がそれぞれ不満を爆発させると、社会実験でなだめようとする国家である。

obama's mother 1obama's mother 3



(左: バラク・オバマ  / 中央: 母親のアン・ダナム /  右: 幼い時のバラクと母のアン)

  黒人問題は奴隷の子孫をアフリカへ追放することでしか解決しないのに、黒人を統合・同化させるという逆治療を行ってしまったのだ。1960年代の公民権運動から、たった半世紀くらいで黒人大統領が誕生したのである。保守派のアメリカ白人にとっては衝撃であり、彼らの愛する故郷にトドメの一撃が加えられたのである。すると胡散臭いオバマを研究する国民から「オバマってアメリカ人か?」という疑惑が出てきた。オバマの父親がケニアからの留学生であり、彼の出生が謎に包まれていたからである。

  オバマは2008年に短い簡略出生証明書(Short Form Birth Certificate) を公表したが、詮索好きな国民を納得させるどころ逆に不満と疑惑を引き起こしてしまった。そこで2011年4月27日にオバマ大統領は、自分の詳細な出生証明書(Long-Form Certificate of Live Birth) を公表したのである。ところが、この証明書が偽造であったから問題が悪化してしまった。(Ben Forner, Obama Birth Certificate Maybe Forgred, Sheriff Joe Arpaio Says, abc News, March 1, 2012) ホワイト・ハウスから公表された証明書をコンピューターの専門家や鑑識のプロが調査してみると、デジタル処理された模造品であることが判明したのだ。印字のタイプや肉筆署名、ゴム印などが不自然で、コンピューター・グラフィックで捏造した文書であった。(Ronald Jay Polland, Obama Revealed More Than His Birth Certificate Last Year, American Thinker, November 4, 2012, とMara Zebest Report, Barrack Obama: Long Form Birth Certificate を参照 ) ついにはアリゾナ州シェリフのジョー・アルパイオ(Joe Arpaio)が正式に疑問を投げかけた。保守派のアメリカ国民が彼を支持し、猜疑心に満ちた国民がオバマの出生の謎を詮索するようになったのである。

obama's birth certificate 1(左  /  オバマが公表した出生証明書)
  そもそもオバマはなぜオリジナルの出生証明書を公開しないのか。真実を公表すれば簡単に解決する問題のはず。アメリカのオバマ批判者やジャーナリストがハワイの病院で作成された原本を求めたところ、ハワイのリンダ・リングル(Linda Lingle)知事は、その証明書を封印してしまい、どんなことをしても記者が閲覧できぬようにしてしまった。(Jerome Corsi, Obama's birth certificate sealed by Hawaii governor, World Net Daily, October 26, 2008) それに反発したジャーナリストに向けて、ハワイの健康保険局のチヨエ・フキノ長官はオバマの出生証明書を見たことがあると公言したのである。紙の原本は2001年に破棄されてしまったから存在しないが、記録には残っているという。

  彼女の証言は、記録帳にオバマの名前があったという趣旨で、ネガ・フィルムのような記録証書ではない。普通の国民でも1960年代に生まれた子供の出生証明書の原本フィルムを持っている。可愛い子供の証明書は大切に保存している親がいても不思議ではない。なぜオバマは自分の証明書を隠匿したいのか理解に苦しむ。しかもホワイト・ハウス報道官にとって苦い知らせが届いた。アラバマ州最高裁は、公表された出生証明書は偽造文書であるとの判決を下したのである。当然の判決だ。さあオバマは困った。アメリカ本土生まれを証明せねばなるまい。それが出来ないなら、しらばっくれて任期満了まで黙殺するしかないだろう。

  公式発表によれば、オバマはハワイで誕生したことになっている。しかし、生まれた病院がカピオラニ・メディカル・センター(Kapi'olani Medical Center)であるかは定かでない。それにオバマを取り上げた医師が二人いるのだ。公表された出生証明書にはデイヴィッド・シンクレア医師(Dr. David Sinclair)の署名がある。しかし、オバマが通った高校の英語教師バーバラ・ネルソン(Barbara Nelson)は、別の医師が出産に立ち会ったと述べている。彼女は彼の誕生日1961年8月4日をよく覚えているという。ところが、彼女の情報はロドニー・ウェスト医師(Dr. Rodney T. West)からの又聞きであった。彼女はこれといった直接の証拠を持っているわけではない。彼女がウェスト医師と食事をしたときに教えてもらったらしい。ウェスト医師が赤ん坊のオバマを取り上げたとは言っていないのだ。それもそのはず。ウェスト医師はオバマ誕生前の1958年には、すでに退職していたのである。(Bob Unruh, Why does Obama have 2 different birth doctors?, World Net Daily, May 3, 2011) したがってオバマが生まれた場所が不明で、担当医が特定されず、出生証明書原本も見つからないうえに、出産証言者が一人もいない(生存しない)のだ。

Obama's birthcertificate


















(左  /  正式な出生証明書のサンプル)

  オバマの出生文書を封印したリングル知事の後任者ネイル・アバカンビー知事は、「オバマ出生問題」に決着をつけるべく、大統領の出生に関する情報を集めて公開することを宣言した。(Kevin Hecktkopf, New Hawaii Governor to Take on Birthers, CBS News, DEcember 28, 2010) ところがアバカンビー知事は、出生証明書はプライバシー法で保護されいるため、その原本を探すのを諦めてしまった。彼はオバマに敵対的な政治家ではなく、民衆党知事でオバマとは親しいのだ。アバカンビー知事は政治家になる前にホノルルでタクシー運転手をしていたという。彼は周囲の者に、留学生のバラク・オバマ・シニアと友人であった、と自慢していたのである。彼は幼き頃の「バリー(オバマ)」坊やを覚えているという。こうしたオバマ家の友人でさえ証明書探しは不可能と匙を投げてしまったのだ。

  それならアバカンビー知事は大統領に電話して、病院や役所に開示するよう頼めばよかったのである。自分の出生証明書を合衆国大統領が直々に命令を下せばどの役所だって即刻従うだろう。なぜなら最高行政官は、CIA、FBI、NSA、DIA、それに陸海空海兵の軍隊に対しても命令できるのだ。核兵器使用の命令まで下せる大統領が、ハワイの小役人になぜ遠慮するのか。まさか自分の出生が国家の最高機密に属するとは言えまい。どうせ退任後は「オバマ図書館」を建てるのだから、オバマの誕生物語は本になるだろう。それに、いろいろな御用学者が、偉大な黒人大統領と褒め称えて伝記を書いたり、それをドラマ化したりするはずだ。なぜいづれ分かる出生が極秘扱いなのか。

  ここからは推測になるが、オバマ大統領の父親はケニアからの留学生オバマ・シニアではない他の人物かも知れない。第一、病院が特定できないというのは変だ。白人女性アンと公表できぬ黒人男性との間にバラクが生まれたから、出生証明書には別の人物名があるのかも知れない。あるいは病院で生まれていないのかも。本当にハワイで生まれたのかも疑問だ。父親も担当医師も不明だから、オバマのアメリカ国籍すら怪しい。オバマは学生時代に、小冊子に自分のプロファイルが載った。だが、そこにはケニア出身と記載されていた。本当にケニア生まれとは思えないが、彼が自分の経歴を偽っていたのは確かだ。コロンビア大学に編入できたのも、インドネシア留学生枠を利用したのかも知れない。オバマはインドネシアに住んでいたし、インドネシア人の義父もいたのだから、ズルをして大学に編入した疑惑があるのだ。

  米国や日本でもあまり報道されなかったが、ドキュメンタリー監督のジョエル・ギルバート(Joel Gilbert)が『ドリーム・フロム・マイ・リアル・ファーザー(Dreams From My Real Father)』というDVDを制作した。オバマの父親探しをしていたジョエル氏が、オバマの実父はハワイで共産主義活動をしていた黒人の詩人フランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)ではないか、と推測しているのだ。もちろん、状況証拠を積み重ねての推理だが、納得できる部分がある。オバマ大統領とディヴィスのDNAを採取して検証すればすぐ分かるのだが、それはほぼ無理だろう。もし、オバマの異母兄弟のY染色体とデイヴィスの息子のY染色体を採取し、オバマが噛んだガムか飲みかけのコップから唾液を入手できればいいのだが、それも難しい。

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(左: バラク・ジュニアとケニア人のバラク・シニア  /  右: オバマとフランク・マーシャル・デイヴィス)

  ジョエル氏のフィルムで印象的だったのは、ケニア人留学生の父とオバマ大統領が似ていないことである。オバマとデイヴィスとの方がよっぽど似ているのだ。それに、オバマは小さい頃「詩人のフランク」と会っていた、と自著で述べている。(バラク・オバマ 『マイ・ドリーム バラク・オバマ自伝』 白倉三紀子/木内裕也 訳 ダイヤモンド社 2007年 p.89) 高齢のフランクだったが、バラク少年は興味を寄せたらしい。このフランクはハワイ在住の共産党員で詩人、ポルノ小説家であったフランク・マーシャル・デイヴィスに間違いないだろう。それにオバマがフランクの正体をわざとぼかして記述していることも気になる。「ケニア人父」との交流は希薄なのに、「他人」であるはずのフランクとの関係は濃厚なのだ。まさに父親代わりの人物である。

Obama 7(左  /  母親アンの右手が黒く変色している)

  オバマにはどうも自分の過去を偽造する癖があるようだ。彼が公式に発表した写真には驚愕の腕が写っている。オバマが少年の頃、母親アン、祖父スタンレー、父親違いの妹と一緒に撮った写真では、母親の腕は白いのだが、手の甲が黒いのだ。オバマ少年の背後に立つ母親アンの右腕は皮膚が白と黒に別れていた。すごい! しかも、彼らの後ろにプラスチック製の椅子が並んでいて、ポールで連なっている。ところが、真っすくに伸びているはずの横棒が妙に歪曲していてズレている。これらの謎は誰かが合成写真を造ったと考えれば合点が行く。オリジナルの写真では背後に黒人が写っていたのに、それをデジタル処理で消して母親の姿を貼り付けたのだろう。その時、何らかのミスで手の甲だけ残ってしまったのではないか。そう考えなければ納得できない。でも、なぜオバマ大統領はそんな合成写真を公表したのか? 妙だ。これが主要マスコミでは一切取り上げられなかったのである。変だ。ちょっとしたハプニングでも夕方のニュースで報道されるのに、大統領自身による偽造写真は報道されないのだ。不都合な事実は握りつぶされてしまうのである。

  フランク・マーシャル・デイヴィスが問題なのは、彼が正式な合衆国共産党のメンバーであったからだ。非アメリカ活動を調査した合衆国政府の公式報告書にデイヴィスの名前が載っているのだ。(Investigation of Un-American Propaganda Activities in the United States, Special Committee on Un-American Activities House of Representatives Seventy-Eight Congress, Second Session on H.Res. 282,Fourth Section,1944, 9.974) FBIによる合衆国共産党(USCP)の内部調査を読むと、デイヴィスの党員番号は47544で、彼の妻ヘレン(Helen Canfield Davis) の番号は62109である。白人を心から憎んだ共産主義者からオバマが学んだ思想を考えれば、保守派アメリカ白人は恐ろしくなってしまう。こんな過去を知れば、オバマの反米政策がよく理解できるるだろう。ちなみに、ミッシェル夫人もオバマが大統領候補になるまで米国を誇りに思っていなかったことを、公の場でつい漏らしてしまったことがある。ニュース報道では騒がれたが、アメリカ白人は半分納得していた。そりゃそうだろう。夫人の祖先は奴隷だったのだから。

  話すと長くなってしまうから省略するが、オバマ大統領とは共産主義者の中で育って、ユダヤ人の金で権力者になり、有色人種の熱狂的支持で当選したマルキストである。第21世紀のアメリカ合衆国では、そんなおぞましい人物が国家元首になってしまったのだ。少なくともレーガン政権時代までのアメリカ白人には信じられない。だが現実は冷酷だ。ソ連が崩壊したら、我が国で社会党左派の村山富市が首相になって、北朝鮮の手先土井たか子が衆議院議長となったではないか。反共国家だった米国では、コミュニストでしかも黒人の大統領が出現したのである。保守派のアメリカ人なら、目まいがして立ちくらみしそうである。アメリカを愛する武人でイギリス紳士のジョージ・ワシントンと軍歴もないアメリカを憎む黒人共産主義者を見比べたら、我々だってアメリカ人を気の毒に思ってしまう。オバマの遺伝上の父親は不明だが、思想上の師匠は明らかだ。彼はかつてシカゴで「コミュニティー・オーガナイザー(地元組織指導者/community organizer)と自称していたが、本当はコミュニスト・オーガナイザー(共産主義組織者/communist organizer)だろう。黒い肉体を持つ赤い頭脳の大統領とは恐れ入る。



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韓国人の卑猥な呪術 注意! ご婦人は読まない方が・・・

破廉恥な遊び

  朝鮮は日本人が降臨するまで悲惨な社会であった。日本の貧乏人が大金持ちに見えるくらい貧しかったのである。空威張りの南鮮人は韓国が先進国だと錯覚しているが、気違いに何を言っても無駄なので、高等な日本人は係わってはならない。バカに係わるとロクなことはないから、ほっとくのが一番。民度が極端に低い朝鮮では、民衆の頭も悪ければ、マナー(作法)は更にひどい。日本に住み着くことで文明化された在日朝鮮人は、祖先の恥ずかしい生活を隠したくなる。あるいは両親祖父母から全く教えて貰ってないから、本当に知らない場合もあるだろう。そこで、朝鮮日報の論説顧問を務めた李圭泰(りけいたい)が子供の頃を回想して、面白い体験を語っているので、その一部を紹介したい。(『性と迷信 韓国の奇風』 東洋図書出版 昭和53年を参照)

  李氏が少年時代に体験したある日の出来事。李圭泰の隣に住む老婆か「お前、豆入れ遊びをしたことがあるかい」と尋ねた。彼は例の豆入れ遊びをしょっちゅうしていたし、ソレが禁じられた遊びであることも承知していた。「やっていない」と答えると、その老婆は瀬戸物の容器を出して「おしっこをして」と言った。そうして老婆は子供の尿をうけとって帰ったという。日本国民よ、こんなことで「えっ、嫌だー」と思うなかれ。(朝鮮人のすることだからね。)

  その子の尿は賭博の現場を押さえられて警察に連行された息子のためであった。警察で痣(あざ)が出来るほど殴られた息子への特効薬として、母親が児童から搾ってきたものである。李氏は「嘘をついたから治らなかったらどうしよう」と心配になった事を憶えているそうだ。李氏によると、田舎の子供には遊び道具がなかったらしい。まあ、朝鮮にはこれといった工芸品すら無いし、農機具だって原始的な物しかなかったのだから当然である。子供らは互いにチンチンの皮をむいて豆を入れ、、一粒でも多く余計に入れた者が勝ちであった。勝った者は負けた者にお辞儀をさせたり、相手のケツを蹴飛ばしたりしたという。(p.50)

  それにしても、朝鮮人ってのはどうして下品なんだろう? 子供がチンチンの皮をむいて豆を入れる遊びなんて、文明人なら恥ずかしくて出来ない。漢文や歴史の教師は学校の授業で、李退渓の朱子学なんて自慢していないで、朝鮮人の日常生活を教えるべきであろう。ちょっと嫌な想像だが、子供らがチンチンに入れた豆は元の場所に戻したんじゃないか。貧乏な朝鮮人が食べ物を捨てるとは思えない。人や家畜の糞すら薬にして飲めるのだから、チンチン味の煮豆くらい食えるだろう。

  朝鮮人には多民族が混淆しているから奇妙な風習が多い。モンゴル顔はその証拠であろう。また、奇妙で下品な慣習を持つ異民族も多かった。たとえば、北方夷狄のウルム(挹婁)族は部屋の真ん中に厠(かわや)を造り、そのまわりで寝起きする。彼らは尿で手足を洗い、食器なども洗ったようである。豚を飼い、その肉を食べ、その皮を着た。冬にはその脂肪を二つの匙で全身に塗って寒さをしのいだ。体に塗った脂肪を尿で洗い落としたのかも知れない。この民族と同類の勿吉(ムルギル)族も、人の尿で顔や手を洗いったという。(p.56) 尿で手足を洗うのは慶尚道の金海附近でも発見されて報告された。冬期に童尿で手を洗ってあかぎれを防いだらしい。

  こんな事を暴露すれば、在日朝鮮人らは顔から火が出るほど赤面するだろう。学校では絶対教えない。彼らは李圭泰を殺したくなるだろう。朝鮮民族の恥部を日本人に教えるなんて許せない。朝鮮人の親は「民族差別だぁぁ!」と火病を起こして日本人に抗議するだろう。韓国の警察官みたいに抗議人を足で蹴飛ばして退治するような真似は日本人に出来ないので、高等民族たる日本人は朝鮮人の扱いに困ってしまうのだ。

裸の呪術師スッチョンガー

  朝鮮にはまだ恥ずかしい風習があった。「スッ(首)チョンガー」とか「モリ(頭)チョンガー」と呼ばれる何でも屋が村ごとに居た。「チョンガー」とは童貞の独身の男である。「スッチョンガー」なんて言葉を聞くと、日本人なら笑いたくなる。日本の子供なら、鮮人の子供を「チョンコ」ではなく「スッチョンガー」と呼んでからかうかもしれない。「スッチョンガー」は田畑ひとつ持っていなくても生きて行けた。穀や家畜の周旋、豚の去勢、喪家の屍体処理、巫女が踊るとき楽器を鳴らす役、牛が畑を荒らしたときの談判、など村の雑用を一手に引き受ける萬屋(よろずや)であったからだ。

  「スッチョンガー」と言うと、「百獣戦隊ガオレンジャー」や「天装戦隊ゴセインジャー」みたいに、なんか正義のヒーローみたいに思えるが、実際そんな風に見えてしまう事もしていたのだ。

  「大人のおもちゃ」ならありそうな朝鮮だが、子供用「おもちゃ」なんて無かった。裕福な家庭の子供は水呑み百姓の子供を玩具代わりに弄(もてあそ)ぶのだ。貧民の子を糞溜に落としたり、裸にして漆(うるし)を塗ってかぶれるのを見たりして喜んでいたのである。いかにも朝鮮人らしい遊びだ。しかし、貧乏人はこれを喜んだという。貧しい母親は傷ついた子供を連れてスッチョンガーの所に訪れ、スッチョンガーはその子をおぶってイジメっ子の家に行く。スッチョンガーが現れた家の夫人は、どの子がイジメたかだけを確認して、賠償として穀物を準備する。穀物の量は傷害の度合いに応じてスッチョンガーが定めるのだ。夫人は値切ったりせず、スッチヨンガーが定めた量を袋に入れねばならない。そのため子だくさんの家では「弄穀(ノンゴク)」といって稲の二、三石は別に取っておくのが富農の習わしであった。スッチョンガーはこの賠償の分け前に与るのである。

  まるで正義の味方みたいなスッチョンガーは、もともと領首とか班首とか呼ばれる村の有力者であった。ところが村の没落と共に地位が低下して村の雑用掛となったらしい。スッチョンガーを選ぶ基準は「村で一番ペニスの大きい者」である。生殖力が最も大きいという呪術的意味を持つからだ。人一倍生殖力旺盛な童貞を村全体のために利用しようとするまじないであった。そのため村人は彼の結婚を拒否したのである。こうして神仏になってしまったスッチョンガーは一生独身であり続けた。ちょと待て! それって、誰かが男どものちんちんを調べて、ランキング一位を決めるわけだろう。「男根を出せ」と命じる鮮人とそれに応じる鮮人がいたのか? NHKの「のど自慢」ならぬ「チンチン自慢」があったとは、さすが朝鮮は文化大国である。韓流ブームの時に見たことがないが、どうしたんだろう? みんなで電通に聞いてみよう。

  朝鮮人の価値観は日本人には理解できぬものが多い。子を願う家で巫女が祈禱する時は、このスッチョンガーの猿股が必須の祭具になる。御利益があったらしい。なんと薄汚れた猿股一枚が稲一斗で売れたという。ああぁ、またったく朝鮮人ってのは。そうだ、盗まれた仏像とジジイの汚い褌(ふんどし)の交換を持ちかけたらいいかも知れない。テレビ・ショッビングみたいにババアの腰巻きや支那人の痰壺もセットで附けてやれば喜ぶんじゃないか。日本政府に提案してみよう。

  スッチョンガーには呪術的パワーが二つあったという。ひとつは子供を授けることであった。貧しい家庭では妊婦の陣痛が始まるとスッチヨンガーの許へ人を走らせ、妊婦のいる奉公に小便をしてくれるよう頼んだのである。これは男の子が授かるよう呪いのパワーを借りるためであった。また小便かよ。なんで朝鮮人は糞や尿が好きなんだろう。それなら一丁、経営不振のサムソン電子の方に放尿したら、奇蹟の経営回復になるかも知れないぞ。がんばれ朝鮮人!

  もう一つは、穀物の豊作を祈願するために力を借りたのである。朝鮮では正月の15日に土牛または木牛を駆って畑を耕すことで豊作を祈る風習があった。土牛とは藁(わら)に赤土を塗った牛型の造り物で、木牛とはくびきに棒を通して人間が曳く人力犂(すき)である。この土牛と木牛を使う豊穣祈願の神主がスッチョンガーである。この木牛を駆るスッチョンガーは素っ裸である。(p.88) 地は孕胎(ようたい)力のある母で、父である天が陽を与えると、それを受けた母なる大地は実を結ぶ。つまり、呪術的世界では土は女性で、巨大なペニスを持つ男が種をまくと作物が実るという訳だ。

  これとは逆に多産を経験した女に豊穣の呪力を信じている地方もあった。由緒ある農家では稲やじゃが芋、豆を植えるときに必ず女を雇った。多産の女または子沢山家系の女に高い賃金を払ったのである。慶州の祈雨祭では、肌着を脱いでチマ(女の下衣)だけを着た巫女が狂ったように足を上げたり、チマの裾を持って股をみせたり、と淫乱な踊りをしたという。これは巫女が持つ陰力の発揮を意味していた。日照りは陰力よりも陽力(太陽)が強すぎるから、この陰力不足を補うために巫女が淫乱踊りをするのである。(p.91) でも、気違い踊りの朝鮮女は怖い。日本の子供なら泣いてしまうだろう。放送禁止の光景だ。

  これとは逆に、種まきや他の畑仕事へ子供を産めない体質の石女(うまずめ)を連れて行くことは忌み嫌われた。迷信の被害は日本人が支配するまで無くならなかったであろう。賃金労働をせねば暮らしていけない水呑み百姓の女房が、子供を産めない場合に持つ屈辱感は相当なものであった。だが悲惨なのはその悔しさよりも、食っていけない切迫感の方にあった。(p.90) やっぱり朝鮮の風習を勉強するのは嫌だなぁ。日本の植民地支配を批判する在日の朝鮮女は朝鮮の現実を調べてからにしろ。日本に支配されてどれだけ朝鮮人が幸せになったことか。数千年以上も暗く惨めな朝鮮に、恩寵の光が差した事をなぜ不幸と思うのは異常である。たぶん朝鮮人は湯船に浸かるより、肥だめに入る方が幸せなのだろう。こんな朝鮮人との共存なんて嫌だ。アース製薬が「朝鮮人ホイホイ」を作ってくれないかな。ヒット商品になるかもしれないぞ。



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