無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年11月

プリンセスは美人に限る 現代王室論

王妃が美人で良かった

  ヨーロッパ諸国は我が国と似ている。両者とも君主制と封建制を兼ね備えた先進国であるからだ。頭のツムジまで左巻きのマスコミや学者は、こぞって「アジアの中の日本」などとわめいている。それなら「掃き溜に降りた鶴」はカラスに変身するのか。我が国の近くに不潔な支那人や精神異常の朝鮮人がうんこ座りしていたって、我々は日本人であってアジア人ではない。我が国の皇室よりは歴史が短いが、英国の王室は歐洲の中で威厳を誇っている。(我が皇室伝統と比べてしまうのはちょっと酷だが。)オリヴァー・クロムウェルによって一時中断したが、それでも永い王室伝統を護持してきたのだから自慢してもよいだろう。

  現代はマス・メディアが発達したこともあって、王侯貴族の行動は即座に報道され、ほんの些細なことでも大衆の好奇心を引くことになる。根性がひねくれた知識人は別にして、一般国民は高貴な人物が好きだ。ブリテンのウィリアム王子とキャサリン(ケイト)・ミドルトン嬢のご成婚は素晴らしかった。悲劇のプリンセスを偲ばせる容貌のウィリアム殿下と若くて快活な美女ケイトにブリテン国民が熱狂したのも分かる。やはり、プリンセスは美人でなければ人気が出ない。高貴な血統を誇る王族には、うっとりするような美しさが必要だ。王室の賢者らはケイト・ミドルトン嬢なら、未来のプリンセスにふさわしいと判断して許可したのではないか。大衆心理をよく分かっている。つくづく王室の補佐官は偉いと思う。

  現代の王室は権力の威光ではなく、民衆の憧憬と敬愛によって支えられている。小難しい政治理論など興味のない国民は、王室を観ることで国家を感じるのだ。女王陛下が病院や学校を訪問されれば感動するし、怪我をしたらトップニュースになるだろう。犬の散歩でさえどんな服装であったのか、誰と会ったのかに関心が向く。クリスマスやイースターになると国民は君主と一緒に祈り、酒場では忠実なる陛下の反対者までもが「女王陛下に乾杯!」と叫んで酔いつぶれてしまうのだ。だからウィリアム王子のご成婚は、ある意味国民が胸躍らせる祭りであった。英国史を書いたフランスの有名な知識人アンドレ・モロワ(André Maurois)は述べている。

  国民が関心をよせて注目する皇室の生活は、国民各自の私生活の水準に、絶対力をもたらすものである。男女の大部分のものにとって、結婚は法令にもまさる関心事なのであるから、王家の結婚は、国民的な大事件である。もしこの結婚が小説的であるなら、もし婚約者がアレクサンドラ王妃や、ヨーク公妃や、マリーナ姫の場合のやうに、たいそうお美しいお方であるなら、感傷的な、無害な、健全な熱狂が、民衆をとらへる。年とった娘や平民の男は、そのとき、この事件にたくしてもっとも甘美な小説を堪能するわけである。( アンドレ・モーロワ 『イギリスの君主制』 村上菊一郎訳 時事通信社 昭和21年 p.93)


  ケンブリッジ公爵夫人(Duchess of Cambridge)となったキャサリン妃は、ブリテン国民の心を掴んだうえに可愛らしいジョージ王子をお産みになった。憧憬の眼差しを向ける一般国民に気さくに話しかけ、笑顔を見せる仕草をみれば、彼女が聡明な王妃なることが分かる。しかも、ジョージ王子を連れてオーストラリアを訪問したのである。王族が住んでいない南の英国民は、若々しい王族カップルを熱烈に歓迎した。愛くるしい表情を見せるジョージ王子を目にしたオーストラリア国民は独立論などさっさと捨ててしまったのだ。美しい賢者が王室に嫁いだことで王室や名門のイギリス貴族も一安心であろう。

モナコのバカ殿アルベールの情事

 
  グレース・ケリー(Grace Kelly)と言えばシンデレラ物語を体現したアメリカ人女優として有名だ。銀幕のブロンド美人が一夜にしてモナコ公妃になったのだから、モナコ国民よりアメリカ国民の方が大騒ぎであった。日本人だって彼女が大好きだ。その“シンデレラ”公妃は日本庭園に感銘を受け、それと同じものをモナコにも造ってしまった。日本文化の良さが分かるなんてさすがセンスがいい。カルフォルニアの支那人街には感動しなかったのかも知れない。 いづれにせよ、支那文化を選ばなかったのは、美的センスが洗練されていたからだろう。

  グレース・ケリー妃には娘二人と息子一人がいて、嫡男である未来の大公アルベール2世(Albert Alexandre Louis Pierre Grimaldi)を産んだのである。ところがこのアルベール2世ときたら下半身がだらしない。彼には庶子が二人いる。1991年にヴァカンス中のタマラ・ロトロ(Tamara Rotolo)に出逢ったアルベールは、一夏の恋を楽しんだ。しかし、米国に帰ったタマラは身籠もっていて、生まれた娘がジャズミン・グレース(Jazmin Grace)というわけ。こうしたひと時の情事なら分かる。しかし、ニコール・コスト(Nicole Coste)のケースは噴飯物である。トーゴー(Togo)出身でフランス国籍をもつ黒人女との情事は、世間に顔向けできない恥さらしである。1997年にこの黒人スチュワーデスと肉体関係を持ったアルベールは、非嫡出子の息子アレクサンドル(Alexandre)をもつことになった。何? トーゴーはどこかって? それ(République Togolaise)はガーナの隣国で奴隷海岸にある小国だ。モナコ国民も呆れただろう。有名人のバカ殿がアフリカ出身の黒色土人とセックスして黒い赤ん坊が生まれたのだ。そこで一言。ばぁーーか。たわけ。あ、ふた言になっちゃった。じゃついでに、Bloody Fool!(アホんだら)

  アルベールは自分の立場が分かっていない。モナコ君主にとって品格と威厳こそ重要である。それなのにアフリカ黒人と気軽にセックスして精子を撒き散らすなんて愚劣もいいところだ。あんな南方土人の顔したアフリカ女を国民の前に披露できるのか? 縮れ毛で浅黒い息子を未来の大公です、とは紹介できないだろう。その後アルベールは南アフリカ(ローデシア) 出身の金髪美女シャルレーヌ・ウットストック(Charlene Lynett Wittstock)嬢と結婚した。これでモナコ国民もホッとしたことだろう。シャレーヌ妃はオリンピックに出場した元水泳選手でスラリとした体形で、ドイツ・イギリス系の白人女性である。グレース・ケリー以来の美人路線から外れなくて良かった。アルベール大公はもう少しでモナコ公国を没落させるところであった。(Alexis Parr, Why DOES the Prince of Monaco refuse to see our son?, Daily Mail, 26 April 2011 and Mail Reporter, Look who's turned up :Mother of Prince Albert's illegitimate son spotted strolling through Monaco, 30 June 2011を参照)

ダイアナ妃暗殺を許可した女王の英断

   ダイアナ妃の悲劇と言えば公式には事故死となっている。しかし、実際は英国王室による暗殺であろう。もちろん、確固とした物的証拠や科学的捜査があるわけではない。どうしても推測になってしまうのは、王族が王室によって暗殺されるスキャンダルという性質によるからだ。もし、普通の交通事故ならば、英国情報局は徹底的な事故調査を行い、何者かによる他殺の可能性をすべて潰すはずである。王子の母であるプリンセスが死亡したのだから、普通の事件捜査よりも遙かに厳格で入念な捜査が行われるはずだ。しかし、そうではなかった。たとえば、事故現場のアルマ・トンネルは通常なら長期間封鎖になり、徹底した科学捜査が行われるはずであった。しかし、現場保全をせず、事故の翌朝にはトンネルに清掃車が入って路面をきれいにしてしまった。(Robert Barwick, Suppressed Film Exposes Royal Stonewall of Diana Murder Probe, Executive Intelligence Review, Vol. 41, May9, 2014, p28 ) 警察官ならば「まさか、そんな馬鹿な」と叫んでしまう。物的証拠を洗い流してしまうなんて、これでは証拠隠滅ではないか。

  でも、なぜそんな捜査の基本をわざと破ったのか? それは、 どうしても事故と結論づけたかったからである。また、事故が起こって(12:23)救急車が到着し(01:30)、ダイアナ妃を病院に運ぶ(02:06)まで、一時間半以上かかっている。しかも、救急車は病院まで、わずか4マイルほどの距離を30分くらいかけて「ゆっくり」走っていたのだ。いつもの事故の時みたいに迅速に病院に運んだらダイアナ妃は助かってしまうので、手遅れになるように鈍行車で運んだのである。それに、トンネルの監視カメラはその世に限ってオフになっていたなんて、あまれにも出来過ぎているだろう。重要な証拠品であるメルセデスすら徹底的な調査・分析をせずにウヤムヤにしてしまった。誰だって「嘘だろう!」と声を上げてしまうだろう。生命保険絡みの事故だってもっと詳しく調べるぞ。こんな非常識な事があっても優秀なMI6(英国の対外諜報局)が事故死で済ますことの方がおかしい。

  王族を暗殺するときは必ず国王の許可が要る。たとえエジンバラ公フィリップ殿下が決定しても、やはりエリザベス女王の承認が必要であろう。あんなエジプト人のドディ・アル・ファイアドと寝て、混血児までつくろうとしたプリンセスを、王国の命運を司る女王が許せるわけがない。ドイツ軍の空襲にだって耐え抜いた女王が黙っているはずがないだろう。栄光あるイングラント王国の名誉を汚す貴族は、たとえ王子の母でも容赦してはならないのが英国君主の義務である。王室の威信は倫理の教科書より上位にあるのだ。ダイアナ妃は陽気で魅力的なプリンセスであったが、王族であるという自覚に欠けていたのだ。高貴な者には義務が伴う。平民のような自由は無い。致命的な過ちを犯したら、命を差し出さなければならない。嫌なら誰かが刺客として現れる。ウィリアム王子も暗殺を内心分かっていただろう。華やかな貴族生活は温情だけでは守れない。王室の恥を未然に防いだ女王の英断は賞賛に値する。



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夏目漱石のヘイト・スピーチ?

不潔な苦力を見た漱石

  ある民族を無闇に罵倒するのは良くない。根拠無しに「殺せ!」と叫んだり「しばいたる!」と脅迫するなら憎悪発言だろう。しかし、近頃は韓国人や支那人に関する真実を言っても「ヘイト・スピーチ」に分類されるらしい。ヘイト・スピーチ規制法とは、往々にして支那人や朝鮮人が日本人を攻撃するための手段になってしまう。真実を語る日本人が彼らアジア人の事実を指摘すると、面子を潰された劣等民族は烈火の如く怒る。正直な感想や率直な見解を述べただけで、異民族を差別する拝外主義者と呼ばれてしまうのだ。往々にして自由な国に住む文明人は、自らその自由を絞め殺してしまうものらしい。

  平成の世と違って明治の頃は意外と自由があった。支那や朝鮮に不都合な事でも割と平気に述べていたのである。明治人は平成の日本人と違って民度が高かった。民衆は違った意見を認めて度量が広かったし、知識人も不当な圧力を跳ね返すくらい反骨精神に溢れていたのだ。文豪夏目漱石も自由な精神を持つ知識人の一人であった。現在の学校では漱石の『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』なら子供に勧められるが、『満韓ところどころ』みたいな作品は図書室にそっと置いて、子供には内緒にしておくだろう。幸田露伴や徳富蘇峰、福澤諭吉などは怒るだろうが、支那人や朝鮮人の子供が混じってしまった今日の学校では、自己検閲が必須事項になっている。

  ひょんなことから漱石は満洲・韓国を見物することになったのである。漱石が南満鉄道会社が何をするのか知らなかったので、呆れた満鉄の総裁が連れてってくれることになった。そこで船に乗って大連に渡ったのである。(夏目漱石 『満韓ところどころ』 漱石全集第8巻 岩波書店 昭和41年)

  船が河岸に着くと、漱石の目には不潔な支那人労働者の姿が飛び込んできた。学校教師が聞いたら「ギョッ」とするような感想を漱石は述べたのである。

  河岸の上には人が澤山並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚らしいが、二人寄ると 猶(なお)見苦しい。こう澤山塊まると更に不体裁である。・・・船は鷹揚にかの汚らしいクーリー団の前へ横付けになって止まった。止まるや否や、クーリー団は怒った蜂の巣の様に、急に鳴動し始めた。 (p.160)

支那人の苦力(クーリー/coolie)と言っても、今の若者はピンとこないだろう。苦力とは支那や印度の下層筋肉労働者で、言語に絶する不潔さでは定評があった。この下層人夫には脂汗や垢が数年かけて皮膚にこびりついているようで気持ちが悪い。気絶するくらい体臭がきついのだ。品性卑しく、女に飢えれば豚や馬を獣姦する。仕事が終われば博打で有り金を擦るか、阿片窟でラリっているかだ。

  ついでにここで筆者の体験をひとつ紹介。東京は国分寺行きの中央線に乗っていたときの出来事である。電車内に浮浪者が乗っていて、長椅子の端に坐っていた。その附近には誰も近づかない。強烈な体臭で酸っぱく生ゴミの匂いがしていた。筆者はその浮浪者より一般乗客の態度の方が興味があったので、各自の表情を観察できて面白かった。彼らには浮浪者に対する嫌悪感しかなく、親切心などひとかけらもなかったのだ。学校で習う建前の人道主義など、現実の異臭の前では瞬く間に蒸発してしまうのだ。こんな日本にアジアの貧民が移住してきたら、一般国民はいっせいに悲鳴を上げるだろう。

  話を漱石に戻そう。汽車に乗って漱石は満洲へ向かったという。そして清林館(せいりんかん)という宿に泊まることになった。そこで漱石は不快な光景を目撃する。


  それ(卓上)を囲んで三人の男が食事をしている。皿小鉢から箸茶碗に至る迄汚い事甚だしい。卓に着いている男に至っては尚更汚かった。まるで大連の埠頭で見る苦力と同様である。 (pp.242-243)

よく耳にする支那人のあいさつは「おい、飯を食ったか」である。ひと昔人気だったジャキー・チェンの映画でも、街中の支那人が飯を食っているシーンが常にあった。支那人が匪賊や暴徒から逃げるときも、中華鍋を背負って逃げるくらい食事が重要である。いつも食事を心配する支那人は、ネズミやヘビの肉でも油で炒めて食ってしまうし、正体不明の食材を料理して不潔な食器に盛りつけても平気で食っている。支那人が食中毒を起こすなら、そうとう酷い物を食った時であろう。日本人ならどうか。即死だ。

酸っぱい支那のお茶

  漱石は汽船に乗りながら、支那大陸における河の水についても語っている。

  支那の河は無神経である。人間に至っては固(もと)より無神経で、古来から泥水を飲んで、悠然と子を生んで今日迄栄えている。(p.244)

こうした漱石の発言は今日なら帰化支那人から批判されてしまうだろう。汚い泥水を飲んで生まれた支那人の子供などといったらPTAで問題になるし、朝日新聞の連載だって中止になってしまうだろう。作家のペン・クラブだって除名処分じゃないか。汚い支那を目にした漱石は、薄情な支那人を目撃することになった。

  奉天の街中を見物した後に漱石は、宿に向かう途中である交通事故を目撃したのである。支那の豆腐やら、肉饅頭やら豆素麺などを売る汚い店が並んでいる所で、黒い人だかりに目がとまった。六十歳くらいの爺さんが地面に坐っていたのだ。右膝と足の甲の間を二寸ほどえぐりぬいたような、脛の肉が骨の上を滑って下にずり落ちた様で、一緒に縮れ上がっていた。漱石には「まるで柘榴(ざくろ)を潰して叩きつけた風に見えた」そうである。(p.256) 爺さんの周りに集まった支那人は助けようともせず、口も利かずにただ眺めていたという。爺さんは野次馬にその傷口を曝しているだけだった。

  案内係が漱石にその老人は「馬車に引かれた」らしいとの事情を話した。漱石が医者を呼んでやったらよさそうなものだ、と言ったら、案内係は「ええ、今にどうかするでしょう」と答えるだけで素っ気なかった。支那人は他人のために何かするような人種ではない。一文にもならないことをする支那人はいないのだ。憐憫(れんびん)の情など支那人の心には存在しない。日本人の「こころ」を書いた漱石でも、支那人の「こころ」は残酷すぎで書けないだろう。いやな光景を見てしまった漱石が宿の玄関に着いた際、「漸(ようや)く残酷な支那人と縁を切った様な心持ちがして嬉しかった」と感想を吐露している。(p.257)

  清潔な日本に住み慣れたからであろうが、支那大陸では何度も異臭に悩まされる漱石であった。胃が弱かった漱石なのに、鼻までも悩まされることになったのだ。奉天の市街地を回りながら、ある店に入ったときのことである。

  支那の家に固有な一種の臭いが、たちまち鼻に感じたので、一二歩往来の方へたたずんでいた。(p.258)

  昔の東京では「お茶の水」近辺の地下水は、文字通りお茶に適していたらしい。日本人はたいして有り難く思わないが、生水(井戸水)かおしいのは日本の特徴である。アジアだと水は煮沸して殺菌しないと危なくて飲めない。支那人はウーロン茶をよく飲むが、それは生水が危険だからである。どんな動物の肉でも食べる支那人が、刺身を食べないのは不思議であろう。危険で食えないのだ。現代では残留農薬が基準値を遙かに超えているのでウーロン茶の方が危険かも知れない。奉天で随行者の橋本氏と漱石は、日本の感覚で茶を注文したときのことである。

  茶を飲むと、酸い様な塩はゆい様な一種の味がする。少し妙だと思って、茶碗を下に置いてゆっくり橋本の講釈を聞いた。その講釈によると、奉天には昔から今日に至る迄下水と云ふものがない。両便の始末は無論不完全である。そこで古来から何百年となく奉天の民が垂れ流した糞小便が歳月の力で自然天然に地の底に浸み込んで、いまだに飲料水に祟りをいるんだと云ふ。(p.259)

説明を聞いた漱石は、一応もっともだが、科学的ではないとあしらった。それでも漱石は不快であったろう。お湯を立てて貰ったら濁っていたという。(p.260) 汚い水であることは確かだ。屎尿が混じっているとは思えないが、別の汚染物質が混入していることは想像がつく。それが何なのか判明しないところがアジアの不気味さである。アジア旅行が楽しく感じる日本人はどうかしている。腹が痛くなるまで分からぬのだろう。

  宿に泊まった漱石はそこでも不快な思いをしたのである。日本の旅館なら、温泉につかってリラックスしたら、出された料理に舌鼓を打つのが定番だろう。しんし、支那の旅館は一味も二味も違うと言うより、別物と考えたほうがよい。漱石によれば、

  その上室の中が妙な臭いを放つ。支那人が執拗く置き去りにして行った臭いだから、いくら綺麗好きの日本人が掃除したって、依然として臭い。宿では近々停車場附近へ新築をして引移る積だと云っていた。さうしたら、この臭丈は落ちるだらう。然し酸っぱい御茶は奉天のあらん限り人畜に祟るものと覚悟しなければならない。(p.261)

  英語教師で人気作家としての漱石は有名だが、漢詩の名人であったことはそれほど知られていない。幼少時から漢籍を学んでいた漱石でも実際の支那を知らなかったのだ。いまの漢文学者や大学教授では漱石の足許にも及ぶまい。それでも漱石は生の支那人との接触がなかったのであろう。漢籍の本を開いても支那人の体臭は体験できない。実際の支那でそのおぞましい実態を経験できたから、漱石には良かったんじゃないか。支那を礼賛している馬鹿な知識人でも、いったん支那人の正体を知れば、たとえ嘘の文章を発表しても心から賞賛できなくなる。明治の頃は表現の自由が出版界にあった。現代はテレビまであるのに、そこには宮根誠司や池上彰のような愚者がデカい顔して説教を垂れている。テレビ復活を目指している坂東英二やみのもんたは支那人の真実を語れば、意外と人気を回復するんじゃないか。


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