無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2014年12月

あっ、言っちゃった! 横山やすしの「チョンコ」発言~気違い部落のエリートは差別を嫌う

地雷のような使用禁止用語

  我々は自由主義社会に住んでるようで、実は共産主義社会のような窮屈な状態にあるのかもしれない。マスコミはとかく差別用語や放送禁止用語に敏感だ。匿名視聴者や特殊圧力団体からの抗議がよほど怖いのだろう。たとえば、朝日・毎日新聞で、きだみのる著『気違い部落周遊紀行』(富山文庫)などはタイトルだけで広告拒否になるんじゃないか。たが、この本はユーモラス作品として評判になったし、元々はあの岩波雑誌『世界』に連載された文であり、毎日出版文化賞までもらったのだ。民放の生放送番組なら、偶然出演した一般人が「キチガイ」を口にしてしまうだろうが、藝人なら冷や汗をかいて何とか誤魔化すだろう。お上品ぶったテレビ局の重役たちは、もめ事や厄介事をことのほか嫌う。彼らこそ特殊な部落民である。例外は漫画の『釣りキチ三平』くらいだ。今年の流行語大賞なら「ヘイト・スピーチ」が日本人にとって一番注目すべき言葉である。巷では「だめよ、ダメダメ」という漫才師のギャグが話題になっているようだ。しかし、実際は朝鮮人が日本人に対して「ダメだ、ダメダぞ、てめェら倭人(チビ)め」が流行語だろう。


   昭和40年から50年代のTVドラマ黄金期では、現在ほど言論・表現規制が厳しくなく、意外とドラマ制作者に自由があった。たとえば、『唖侍 鬼一法眼』(1973年放送/日本テレビ系)では、若山富三郎が主人公柳田健之介を演じた。健之介はイスパニア出身のゴンザレスに許嫁を殺され、自身も喉を切られて声を失う。後に賞金稼ぎ「鬼一法眼」になり、宿敵へ復讐するための旅に出る筋書き。勝新太郎の『座頭市』が盲(めくら)の按摩(あんま)なら、若山の柳田は唖(おし)の剣士である。(ちなみに、このドラマは勝プロの作品) アニメでも『佐武と市捕物控』(石ノ森章太郎原作/1968年虫プロ作品)が放送され、ツル禿(はげ)の市は盲の按摩師で居合抜の達人。仕込み刀市を座頭市が真似したのだろう。現在のテレビ局では放送禁止だろうし、仮に放送できても役者のセリフに制限や禁止が多くてドラマが成立しないはずだ。ちなみに、若山富三郎主演の『子連れ狼』(外国ではLone Wolf and CubやShogun Assassinのタイトルで紹介された)は、物凄い殺陣(たて)のシーンがあり、敵の鮮血が吹き出す死闘があるから地上波では放送できない。しかし、外国の映画監督には好評で、クウェンティン・タランティーノ監督は影響を受けている。  

      以前、筆者がNHK-BSで『海のトリトン』を懐かしく観たが、「唖(おし)」というセリフは消音されていて、視聴者には会話が理解しづらくなっていた。アニメ『巨人の星』でも、星飛馬が「俺のとうちゃんは日本一のXXXXだ」と言ったとき、「土方(どかた)」という声が消されていたことがある。「土方」が差別用語だったからである。今は「建設作業員」ないし「土木作業員」と言い換えられ、「日傭人夫(ひやといにんぷ)」でさえ使用禁止になっているはずだ。こんな規制で雁字搦(がんじがら)めでは、アニメや時代劇など作れない。まるでドラマの脚本家は、あちこちに地雷が埋まっている野原を走るようなもので、放送禁止用語集を片手に創作に取り組まねばなるまい。アニメ論になると、けっこう詳しく論じることができるのだが、長くなるのでまた今度。

子供の喧嘩にも言葉狩りが

  今は亡き天才漫才師・横山やすしは子供の頃から、その性格が変わっていなかったみたいだ。ある時期は、久米宏と一緒に『TVスクランブル』に出演して、社会問題について発言していた。知識人ぶって斜(はす)に構えてコメントしていた久米よりも、学歴はないが正直な意見を述べていた横山の方が好感をもてる。そんな横山のやっさんが『まいど! 横山です』(徳間書店 1981年)を出して、少年時代を回顧しているのだ。(やっさんの本名は木村雄二) 昭和26年の頃小学一年生だった木村雄二少年は、給食の時間にお茶碗を持参したという。当時のクラス・メートは皆アルミ製の食器をもってきたそうで、雄二少年だけ違っていたのである。クラスのみんなはミルクの配給時に、雄二がお茶碗を出したことを笑ったが、彼は気にしなかったらしい。下校時には梅田君という友だちと一緒だったが、帰る途中にやんちゃ坊主の金山に喧嘩をふっかけられたのである。金山は雄二の腕をつかんでのしかかってきたが、茶碗を壊したくなかった雄二は必死で胸に抱え込んだ。抵抗できない雄二に対して金山は、容赦なく殴りつけてきて、雄二は歯を食いしばって堪えるしかなかったという。喧嘩の弱い梅田君は助太刀できぬことを謝り、破れたシャツを見て事情を聞いた母親は、よく我慢したと褒めてくれたそうである。

  しかし、腹の虫が収まらぬ雄二少年は、翌日目が覚めると怒りがムラムラと込み上げてきた。一目散に家を飛び出て、梅田君と一緒に登校したところ、水道で水を飲んでいる金山を発見したのである。雄二はその辺で探した棒きれを握りしめ、憎き金山に近づいた。彼の背後に忍び寄り、突如「金山ッ」と雄二が叫ぶや、彼は振り向いた。そこへガッつんと一撃を加え、「くそッ、昨日の仕返しじゃ、このチョンコ」と大声を上げながら、滅多打ちにすると、金山は背中を丸めて逃げまどった。雄二は構わず追いかけて更なる攻撃を加える。お茶碗を持たぬ雄二は思う存分の復讐を果たしたのだ。そこへ先生が駆けつけて、二人の喧嘩を止めに入ったそうである。二人とも罰として廊下に立たされたという。(上掲書 p.47)

  気取らぬ横山やすしは、たんに少年時代のエピソードを語っただけである。しかし、当時のマスコミは日本人による差別を糾弾する在日朝鮮人どもに阿(おもね)っていた。やっさんが朝鮮人の金山(通名?)を「チョンコ」呼ばわりしたのを許さなかったのである。日本語には罵倒語が少ないから、朝鮮人を侮蔑しようとすれば、そんな言葉しかないのだ。朝鮮語や支那語なら豊富にある差別語・侮蔑語が、日本語にはほとんどみられない。だから、雄二少年が激怒したときに、思わず発した言葉を容認できぬ日本のマスコミは大人げない。朝鮮人が日本人を倭人(チビでつまらぬ奴)と呼んだり、豚の足みたいな足袋をはくから「チョッパリ」とからかうのは問題ないのか。根拠もなく日本人を朝鮮人の弟分にしている小中華思想の朝鮮人が何をぬかすのか、と怒りたくなる。ヘイト・スピーチ規制法は必ずや朝鮮人と左翼勢力が濫用する法律になるだろう。温厚な保守派国民は朝鮮人相手に、そんな法律で対抗しようとはしない。裁判沙汰にするのは、圧力組織を背景にした朝鮮人の方だ。日本人に罵倒されるのが嫌なら、さっさと南鮮へ帰ればいいのだ。病気になっても南鮮へ戻らず、日本で上等な治療を受ける在日朝鮮人は、図々しいとしか思われない。鮮人が賤民と言われる所以(ゆえん)である。

「チョン」は差別語か?

  2009年9月6日のフジテレビ『新報道2001』に自民党の小坂憲次衆議院議員が出演した。小坂議員は一度自民党を離れて、新生党に入り、その後は新進党、太陽党、民政党を経て、自民党に復党した経歴を持つ。2010年には参議院に鞍替えした。番組中に自分のことを語る小坂氏が、「お前はバカでもチョンでも・・・」と口を滑らせてしまい、「ああ、いや失礼!」とあわてて訂正した。CMの後で、司会者が訂正のお詫びをしていたが、何がいけなかったのか、筆者には分からなかった。おそらく「チョン」が朝鮮人をバカにする侮蔑語と勘違いしたのだろう。「バカでもチョンでも」は朝鮮人に関係ない。「チョン」は「わずかな」とか「しるし」を意味するから、朝鮮人に適用するときは、「チョーセンジン」の省略形としてであろう。英語でチャイニーズを「チンク(chink)」と縮めて呼ぶのと同じだ。しかし、小坂氏は俗語として発言したのではないから、謝罪する必要はなかったはず。


 今ではコンパクト・カメラを「ばかチョン・カメラ」と呼ばなくなった。この小型カメラは、一眼レフのプロ用高級カメラと違って、誰でも簡単に撮影できるカメラとして人気を博したのである。「ばかチョン・カメラ」が廃語となったのは、朝鮮人への侮蔑を連想させるからであろう。しかし、筆者は差別心が全くないのに「ばかチョン・カメラ」を発言したカトリック神父を知っている。英文学科出身の日本人ならピーター・ミルワード(Peter Milward, SJ)神父の名前を聞いたことがあるだろう。日本で随一のシェイクスピア学者で上智大学教授を務めたイギリス紳士だ。20年くらい前に、ある聖書クラスで筆者はミルワード先生から、旅先で撮った写真を見せてもらった。先生がイスラエルに旅行したときに、ご自身で撮影されたものだという。ミルワード神父は得意げに「私がバカチョン・カメラで撮りました」と筆者に明言した。笑顔で語る先生の心に朝鮮人への侮蔑はひとかけらもなかった。英語が母国語のミルワード神父は、政治的な正しさ(political correctness)という言語規制を知っていたはず。朝鮮人に対して過剰に配慮する日本人が異常なのだ。尊敬されない民族のままでいる朝鮮人の方が、日本人の侮蔑心を招いていることに気づかないのである。もっとも、朝鮮人にはロクでなしでアカンタレが多すぎるので、まともな朝鮮人も迷惑しているのだろう。それなら、彼らは日本人保守派と協調して不逞鮮人追放運動に参加すればいいのに。朝鮮人につける薬を誰か発明してくれないかな。ノーベル賞がもらえるのにねぇ。

  ああ、今年もこんな話題で締めくくるなんて、嫌だけどしょうがない。お正月は何かもっとすがすがしい話題でブログを書きたいなぁ。でも、すばらしいニューズって人気が出ない。猫に語っても「ニャ~ん、ご飯」としか反応が返ってこないのだ。今年始めたブログを読んでいただいた方々に感謝します。皆様よいお年を。

  
  


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デーブ・スペクターはアメリカ人じゃなくてロシア系ユダヤ人

本当のアメリカ人は西欧系白人だ

  正常な日本人なら「我が国は日本人の国である」と言うだろう。(鳩山由紀夫は違うが。)両親、祖父母、曾祖父母が日本人であるし、皆が日本語を話し、天皇陛下も日本人だから当然に思うだろうが、外国人には驚きだ。移民が溢れるアメリカの雑種国民が、日本人を理解できなくても仕方がない。日本人だってアメリカを理解しているようで、誤解しているのだ。各人が勝手な「アメリカ人像」をもってアメリカ論を語っているのだ。日本の主流民族は日本人だが、アメリカの主流民族は誰か? 今は曖昧になっているが、昔はワスプ、すなわちプロテスタント信徒のアングロ・サクソン系白人が共和国の主体だった。たいていの人が「当たり前だ」と怒るだろうが、日本人が意外と気づいていない視点である。

  日本人はアメリカの事情や文化、世論などを誰から聞くのか? テレビ局や新聞社の在米日本人特派員は誰から情報を得ているのか、一般国民は確認せずに鵜呑みにしている。逆に在日米国人ジャーナリストが日本の社会事件を取材するとき、誰にインタヴューして記事を書くのか、日本人なら興味があるだろう。ニュー・ヨーク・タイムズ紙やニューズウィーク紙、CNN、ロイターの在日社員は、しばしば我々だって名前を聞いたこともない日本人から話を聞いて記事を発信しているのだ。たとえば、「従軍慰安婦」の件だって、朝日新聞の社員や左翼学者にインタヴューをして記事を書いているアメリカ人が普通だ。悪質なのは、植村隆や下村満子のような朝日人に聞いたり、英語で答えてくれる日本人に尋ねるだけ、という手抜き取材をしたりするのだ。日本人の視点から答えるような人物、たとえばジャーナリストの水間政憲さんや上智大学名誉教授の渡部昇一先生に尋ねるようなことは、まずないだろう。だから我々が米国メディアの日本報道を聞くと、とても違和感があるし、的はずれな取材だと分かる。もっとも、日本担当のアメリカ人記者だって、怪しい素性の人物だったりするから尚更いかがわしい。

  日本人にとりアメリカの社会問題や芸能ニューズを伝える在日アメリカ人で、もっとも有名なのはデーブ・スペクターだろう。フジテレビやTBSの情報番組で、流暢な日本語を駆使して一般日本人が知らない情報を伝えるので、普通の視聴者は彼の意見や解説をアメリカ人の主流だと勘違いしてしまう。芸能ニューズなら我々にとっては、実際どうでもいい。しかし、政治・文化・経済といった分野になると、スペクター氏の発言や分析に注意せねばならない。彼は左翼思想のロシア系ユダヤ人であって、建国の民であるアングロ・アメリカ人の子孫ではない。ちょうど民主党の白真勲・参議院議員や福山(陳)哲郎・衆議院議員が、日本を代表する国会議員とは思えないのと一緒。彼らは在日朝鮮人や反日分子の代表者であり、伝統的日本人からすれば異質な存在である。したがって、彼らのような朝鮮風反日議員が、米国で日本人論を語るなど、保守的な在米日本人にしたら絶対許せない。

  スペクター氏が『たかじんのそこまで言って委員会』などに出演して、アメリカの政治問題に言及する場合、彼は民主党左派、有色人種、ユダヤ人といった反米側(反西欧系保守派白人)からの視点で発言しているのだ。たとえば、9/11テロ事件について彼は、イスラム教徒のテロリストが起こした犯罪と思っているが、南北戦争以前から続く旧家の南部白人や親子代々軍人家系の保守派なら、単純にそうとは思わない。ジェット燃料でビルが崩壊したり、ペンタゴンで監視カメラが1台しか作動していなかった、など信じられぬ事実が噴出すれば怪しむのが普通だ。しかも、WTCビルに勤務するユダヤ人社員には、自宅待機の指示が出されていたり、ビル所有者のラリー・シルヴァースタインが巨額の保険金を手にしたのだから、イスラエルのモサドはテロを事前に知っていたのだろう。こんな当り前の推測すら否定するスペクター氏は、西欧人の血を引くアメリカ白人を代表して語っているのではない。大統領選前のオバマを支持していたのも、ユダヤ人という立場からで、アメリカ建国の父祖を崇敬する白人なら、あんなに大はしゃぎはしないだろう。

  また、スペクター氏は日本語についても、でたらめな根拠で語っていたのである。どんな議題だったか思い出せないのだが、彼がテレ朝の『朝まで生テレビ』に出演していたのを観たことがある。そこでスペクター氏は、日本人の女性蔑視を取りあげ、日本語では「嫁にやる」とか「嫁にもらう」とかの表現があり、女性をモノ扱いしている、と批判していた。筆者はちょっと言語学や英語の歴史を勉強したことがあるので、語源にも多少の知識はあった。英語の「妻/ワイフ(wife)」は古フリージア語で(wif)、古ノース語で(vif)、古ドイツ語で(Weib)と言い、これらが語源となっている。妻(嫁)とは夫(新郎)のために“包まれた女性”を意味していたのだ。古代ゲルマニアでも、政略結婚や他家との融合を謀るために娘を差し出すこともあっただろう。しかも、女は男に従うものだったから、父が娘を新郎への移譲することを意味しても不思議ではない。まあ、ロシアからの異質なユダヤ移民の子孫だから、アングロ・サクソン人の言葉について無知でもおかしくはないだろう。黒髪を金色に染めたって、スペクター氏はゲルマン人になる訳じゃない。我々日本人は大目に見てやればよい。ただし、彼の発言を鵜呑みにせぬことだ。

あいつもこいつもユダヤ人


  日本人は外国人タレント(才能不明な藝人もしくは有名人)が日本語を喋るだけで、その人物が母国の事情にくわしいと思ってしまう。むかしは、フランソワ・モレシャンというフランス出身の有名人が、よくテレビ番組で「私の国では~」という枕言葉で、フランスについて語っていた。専門のファッション業界や料理くらいについてならいいが、政治や経済について彼女の意見など傾聴に値しなかったし、尋ねる日本人も馬鹿だったと思う。また、逆のこともあった。帰化したドナルド・キーン教授は、一般の日本人から「日本語や日本文化にお詳しいですね」と感心されることが度々あったという。でも、キーン氏は、『源氏物語』といった日本の古典を研究している学者なのだから、顔は外人でも日本語の知識は普通の日本人より遙かに高い。それに考えてみれば、日本人だから日本語に詳しいとは限らないだろう。

  日本語はCIAといった諜報機関でも難解な言語とみなされるくらい、外国人が習得するのが難しい言語である。だから、日本人配偶者をもつ外国人かキリスト教の宣教師などの特殊な人々を除いて、日本語を習得しようとは考えない。(工作員としての新聞記者や商売人は別。) 日本について詳しい外国人を挙げようとすれば、なぜかユダヤ人が多い。『源氏物語』を英訳したアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley)は、元々シュロス(Schloss)というユダヤ姓であったが、第一次大戦中父方の祖母の姓に改めた英国のユダヤ人東洋学者であった。『ジャパン・アズ・ナンバー・ワン』を書いたエズラ・ヴォーゲル(Eza Vogel)・ハーバード大学教授や、もと米国陸軍諜報局で日本研究をしていたハーバート・パッシン(Herbert Passin)教授などもユダヤ人である。


    日本人にとって有害なユダヤ人は、ニュー・ディーラーだったGHQ民政局のチャールズ・ケーディス(Charles Louis Kades)課長であり、その部下で共産主義者のベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)であろう。我々にとって腹立たしいのは、ゴードンが日本国憲法に女性の権利といった左翼思想を盛り込んだことである。日本に亡命してきた音楽家の娘で、達者な日本語だけが取り柄の単なる秘書であった。こんな赤いユダヤ人小娘が我が国の憲法作成に一枚噛んでいたのである。また、GHQ労働部長のテオドル・コーエン(Theodore Cohen)ユダヤ人で、日本共産党が労働組合に細胞を作っていたことを知りながら、容認というより支援していた節がある。最大の敵はハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White)だ。大東亜戦争でハル・ノートは有名だが、それはモーゲンソー試案に基づいていた。ユダヤ人財務長官ハンス・モーゲンソーのもとで対日提案をまとめていたのが、ソ連のスパイたるホワイトであったことは今では周知の事実。京都産業大学の須藤眞志教授が『ハル・ノートを書いた男』(文春新書)でホワイトのことを詳細に述べている。しかし、須藤氏はホワイトがロシア系ユダヤ人であることには触れていない。日本人学者は共産主義者の調査が甘い。共産主義者にはユダヤ人が多く、日本にとってもことのほか有害であった。

  政治や経済から離れたユダヤ人なら目くじら立てずにすむ。たとえば、元メガデスのギターリストであるマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、メガデス脱退後に大学で日本語を勉強するなど感心する。相川七瀬という女性歌手のギターを担当したらしい。(可愛らしい女の子らしいが、あいにく筆者はよく知らないので何とも言えない。) ハリウッド・スターのスティーヴン・シガール(Steven Seagal)は合気道を世界に広げてくれたし、日本人に対する偏見が無いからいい人だ。(ユダヤ人の父をもつ。) ただし、元夫人の藤谷氏にしたら、女房と娘を捨てた悪い外人かもしれない。音楽評論家のピーター・バラカン(Peter Barakan)はちょっと微妙。ポーランド系ユダヤ人の父とビルマ人の母を持つバラカン氏は、イギリス人というより、根無し草のユダヤ人在日外人といった方がいいだろう。TBSでCBSドキュメント番組のコメンテイターをしていたが、どこの国の視点からか分からなかった。はっきりとしたことは、放浪ユダヤ人が解説者になっていたのである。 

  日本人はユダヤ人がよく分からないし、いい加減な評論家宇佐美某や「イルミナティーの世界支配」だなどと吹聴する輩が居るから、よけいにややこしくなる。本当は真面目にユダヤ人の研究して、彼らの正体を暴く学者が必要なのだ。日本人はアシュケナージ系(東欧系)ユダヤ人と西欧系アメリカ人を区別して議論しないのである。白人は皆アメリカ人と見なす日本人は、米国を知っているようで知らない。デーブ・スペクターなどをひと目見て、「こいつ西欧人と違うぞ」と識別できなければ、とても欧米社会の歴史や政治は理解できない。むかし、ジョン・F・ケネディーは、ヘンリー・キッシンジャーと会ったとき、彼が去った後、このユダヤ人学者について弟ボブと話したそうだ。その時、アイリス人兄弟はあの男は「違うよな」という意見で一致したらしい。下品さが滲み出るキッシンジャーの顔を見たら、違う種類の人間ということが分かったのである。日本国民も、ケネディー兄弟のように、デーブ・スペクターを観たら、「こいつ異質なアメリカ人だぞ」と判断できるよう修行せねばならない。



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