無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年01月

異国を支配するユダヤ人大富豪 / ハイム・サバン~アメリカ編~

ユダヤ資金が飛び交うアメリカ

  ユダヤ人の選民思想という夜郎自大説は有名だが、他国を乗っ取る支配手段についてはあまり語られない。政治でユダヤ人を批判すると、「反ユダヤ主義者」の烙印を押されて、公の場から追放されてしまう。エーゲ海かモナコのリゾート地ならいいが、ハドソン湾の底に沈められたら嫌である。いくら有名な評論家であっても、せっかく掴んだ華やかな地位を捨ててまで、本当のことを言う義理はない。せっかくマスコミで言論活動ができるのに、わざわざ地雷を踏むような真似はしないのだ。しかし、現実の政治を論じる際、現金と権力の関係を無視しては、批評の意味がないだろう。実際の政界では現金は、戦場での弾薬と同じで、生死を決める武器となる。ユダヤ人はこの威力を充分承知しているのだ。日本の米国政治報道だけ耳にしていると、生々しい現実が分からない。たとえば、ハイム・サバン(Haim Saban)という名を聞いて、直ぐにピンとくる日本人は少ない。アメリカの政界、財界、官界、学界、メディア界では、多くの有力ユダヤ人が盤踞(ばんきょ)している。ここでは、政界でかなりの影響力を行使するユダヤ人大富豪を紹介したい。


  ハイム・サバンは長年合衆国に住んでいるが、普通のアメリカ国民ではない。ハイムの父親はアレクサンドリアにある小さな玩具店の店員をしていた。1965年スエズ動乱の時、ガマル・アブデル・ナセル大統領はユダヤ人にエジプトから去るよう命じたのである。そこでサバン一家はイスラエルに移住し、他の家族と一緒にアパートに住むこととなった。サバンは貧しいユダヤ人の出世物語によくあるような人生をもつ。彼は様々な職に就いた。道端で果物を売ったり、農業学校に雇われて、肥やしで汚れた納屋の掃除をした時期もあったという。二十歳になるとイスラエル国防軍に入隊したが、その一方で芸能界にも片足を突っ込んでいた。軍人になったものの、六日戦争(Six-Day War/1967)やヨム・キップル戦争(Yom Kippur War/1973)が起こったとき、実戦には参加していなかった。彼は軍隊の慰問団に属していたのだ。ユダヤ人が軍歴を自慢するとき、どんな部隊でどんな戦闘を行ったかを聞くべきだ。通信兵とか看護兵、情報収集係、通訳係などあまり危険ではない役割についていたりする。狡賢いユダヤ人はデスク・ワークに回されることがよくあるので、砲弾が飛び交う激戦地に派遣されることが少ない。強靱な肉体と精神を要する歩兵部隊とかではない場合が多いのだ。ヘンリー・キッシンジャーは合衆国陸軍に属していたが、戦闘部隊所属ではなく、得意なドイツ語をつかった情報担当官であったことは有名である。

娯楽メディアを支配する

  ハリウッドは米国に出現したユダヤ村で、映画会社の所有者や経営者のみならず、監督から脚本家、制作者に至まで、ほとんどユダヤ人で占められている。役者だって、西欧系の女優や俳優に混じってユダヤ人が名優あいるは大物としてふんぞり返っているのだ。あんなに広い地域でも、皆顔見知りのユダヤ人コミュニティー。パーティーを開いたって自己紹介が要らないほどだ。芸能界はユダヤ人の得意分野である。長年たかってきた歐洲では、異教徒のユダヤ人は暗く希望のないゲットーに閉じ込められていた。この惨めなユダヤ人が解放されて、キリスト教徒の白人社会に浸透すると、テレコミュニケーション産業やエンターテイメントといった分野にどんどん進出したのである。ウクライナ系ユダヤ人のスティーヴン・スピルバーク監督をみればよく分かる。悲惨で貧乏なロシアやウクライナからユダヤ移民が米国にやってきて、その子孫が続々と映画界に入ったのである。大スペクタクル映画『スパルタカス』で主役を演じたカーク・ダグラスはロシア系ユダヤ人の出世頭であった。正確にはベラルーシ出身で、本名はイサー・ダニエロヴィチ(Issur Danielovitch)といって、最初はイジー・デムスキー(Izzy Demsky)という芸名だったが、格好良く「カーク・ダグラス」に変更したのである。卑しい移民のイメージを払拭するため、アングロ風の名前を付けることが多い。下層民とみなされたユダヤ人だと尚更である。

  刺戟的で楽しい、しかもお金が儲かるショー・ビジネスに大勢のユダヤ人が群がった。サバンもその一人だ。エンターテイメント界の大御所たるサバンにとって、忘れられないドル箱作品が、何とあの人気アニメ『UFOロボ・グレンダイザー』(仏題『Goldorak』)であった。イスラエルでノアム・カニール(Noam Kaniel)という19歳の青年を発掘して、パリに連れてくると、その日本製アニメの主題歌を歌わせたのである。個人的な意見を述べれば、こんなユダヤ人のふにゃふにゃした声など日本人は嫌いだ。しかも、ヒーロー物アニメなのに主題歌が間抜けな曲ときている。やっぱり、偉大な菊池俊輔先生が作曲した主題歌を佐々木功が歌うのが一番。あんな三流主題歌でもフランスの子供は喜んだのだ。子供文化が貧相なフランスは、日本の水準にまで達していなかったのである。もともとフランスは日本の文化に否定的だった。だから、フランスの大人は渋い顔。子供が本を読まなくなるし、勉強しなくなることを恐れたのだ。しかも、日本のマンガやアニメはエッチで暴力的だと見なしていたから余計反対だった。それでも、日本アニメの質は最高級だったから、『グレンダイザー』は大ヒット。いちどその魅力に取り憑かれたら、一生忘れられない。銀河鉄道999だってヨーロッパの子供は夢中だった。アニメの主人公に恋をする子供まで出てきてしまう。親たちはもうカンカン。アニメ論を述べると長くなるのでここで終わり。

 
  しかし、サバンの成功はこんなもんじゃなかった。アメリカに住んでいた日本人なら知っているが、1993年に『パワー・レンジャー(Mighty Morphin Power Ranger)』が大ヒット。関連グッズやフィギア人形などは、クリスマス・プレゼントとしてNo.1の人気を誇っていた。トイザラスでは長蛇の列が出来て、売り切れ続出。これって何だ? もしかしたら。お察しの通り。 日本の戦隊ヒーロー番組、『ゴレンジャー』とか『超電子バイオマン』のアメリカ版である。このフランチャイズ権を取得したサバンは、懐が暖かくなるなんてもんじゃない。やけどするくらい高熱をはっする金貨が舞い込んできた。なんかデイブ・スペクターを巨大化した日本オタクみたい。ユダヤ人はシカゴで生まれようが、エジプト出身だろうが、お金の匂いを察知する感度が高い。日本の子供文化は天下無敵。でも何となく悔しい。日本人が儲ければよかったのに。なんでユダヤ人なんかが大金を手にするんだ?

  子供向け娯楽産業で成功したサバンは、大手のフォックス・テレビ(Fox TV)の「フォックス・キッズ」局と合併して、「フォックス・キッズ・ワールドワイド』というジョイント・ベンチャーに乗り出す。マーガレット・リーシュというFoxでサバンを強く押す人物の仲介で、フォックス会長のルパード・マードック(Rupert Mardoch)はサバンと共同事業(『Fox Kids Worldwide』)に合意した。しかし、現状で満足してはならない。小さいと儲けも小さいのが商売の法則。大きいことは良いことだ。自由は大切だが、他人を利する競争は悪。「市場独占」がユダヤ人のモットーだ。しかも、独占するのはユダヤ人同士。異教徒・異人種はダメ。無限の慾張りサバンとマードックは子供向けテレビ局の拡張を図る。狙いをつけたのがパット・ロバートソンの「ファミリー・チャンネル」だ。あの大統領選挙にも名乗りを上げた、有名TV伝道師のロバートソン牧師が率いるテレビ局である。フォックス・キッズ・ワールドワイドは約19億ドルを呈示して、この「International Family Entertainment」放送局を買収した。

  この買収劇でサバンの本性を示すエピソードがあった。マーガレット・リーシュが合併話をルパート会長に持ちかけたとき、彼はリーシュに聞いたそうだ。マードックが彼女に「ひとつ尋ねたいんだが。ハイム・サバンを信じてもいいのかね? 」と言うと、即座に彼女は「ええ、彼はあなたの背中を刺すようなことはしませんよ」と答えたという。しかし、ロバートソン牧師のテレビ局を買収したら、骨を折って仕事をしてくれたリーシュから権限を取り上げて、サバンは彼女を馘首(クビ)にしてしまった。彼女の心は割れたガラスのように粉々。彼女が「ユー・アー・ハート・ブレイカー~ぁ」と歌ったかは知らない。(パット・ベネターかグランド・ファンクのどちらかはお好きな方を。) でも、相当なショックだったらしい。政界と同じく商売でも裏切りは常にある。「誰も信じるな(Trust No One)」が鉄則。

  「お金は大事だよぉ~」とアフラックスのCMで子供が歌っていた。ユダヤ人は自分の文化より西欧人の文化に魅力を感じる。白人が死ぬほど大好き。札束でユダヤ人は西欧人の文化的遺産をどんどん奪っていく。たとえば、創業者ウォルト・ディズニーは西歐白人の素晴らしいファンタジーを描いて、西歐世界の子供たちに見せていた。しかし、今やディズニー社はユダヤ人に乗っ取られてしまった。ユダヤ人初のトップであるマイケル・アイズナー(Michael Eisner)が社長・会長職に就いたのだ。東欧ユダヤ人移民の倅(せがれ)が名門ディズニー社の総帥になったのである。大手のABCテレビを傘下に納めるなどの手腕を発揮して、ディズニー社を立て直した中興の経営者かもしれない。しかしその一方で、ディズニー・ワールドでゲイ・パレードを開いたり、アニメ作品では多民族・多文化主義を導入したりと、創業者の理想をズタズタにしてしまった。藝のためなら女房も泣かす俳優がいてもしょうがない。だが、世間に多大な影響を与えるメディアは別だ。品格と節度を守りながら、子供に夢を与える理念など、ユダヤ人にとったら何の価値もない。札束の山の前では、創業者の信念を簡単に曲げるのだ。ウァイアコム(Viacom)のサムナー・レッドストーン(本名Sumner Murray Rothstein)も、メディア界の大御所で、ゼニが儲かれば何でもやる破廉恥ユダヤ人。MTVは下品の見本市だし、パラマウント・ピクチャースだって、どんなに下劣な作品でもヒットすれば良しとなる。このアイズナー会長は退任したが、その後釜もロバート・アイガー(Robert Iger)というユダヤ人だった。

  サバンはこのアイズナーとも合併話を進めた。フォックス・ファミリーとディズニーは提携して、世界規模の事業を展開したのである。アイズナーは53億ドルも支払ったのだ。単純計算で5300億円か? 桁が我々の想像を超えているねぇ。でも、世界各国に進出すれば色々な障壁や問題にぶち当たるだろう。サバンはブラジルで厄介な問題に遭遇すると、さっそく子飼いのビル・クリントン大統領に電話した。命令を受けたクリントンは、ブラジル大統領に電話をかけて、ディズニー・フォックス事業をお助けとたという。すると、2001年にサバンは税金対策で民衆党に1千万ドルの献金をしようとした。税控除と便宜の褒美(ほうび)を兼ねた政治献金だろう。しかし、顧問弁護士と相談した末に、節税対策としての献金額は結局7百万ドルに減ってしまった。それでも巨額なプレゼントである。サバンは民衆党全国委員会基金に7百万ドルの小切手を贈ったのだ。彼の献金は個人として最高額であった。民衆党とは金欠のアメリカ平民ではなく、ユダヤ人の大富豪に奉仕する代理店である。貧乏人には投票権しかない。一票乞食は文字通り右や左の旦那様に慈悲を乞うばかり。トマス・ジェファーソンが聞いたら泣くぞ。

  他人の肉体を支配するなら、まずその精神を支配せよ、が上策。実力でねじ伏せようなんて下策だ。頭のいい奴は上品な奸計を使う。すなわち悪智慧。サバンは「パワー・レンジャー」でボロ儲けしても、その人気がいつまで続くか分からぬから、資金が豊富なうちにフォックスと提携し、さらに市場をひろげようとして、ディズニーと手を結んだのだ。いつも未来を予測し、先手を打つのがお金持ちの習性だ。中南米からの移民が津波のように押し寄せる米国で、未来はヒスパニック国民で溢れるだろうと、誰でも簡単に予想できる。子供相手に商売していサバンなら、肌で分かるというものだ。だから、ヒスパニック住民向けのテレビ局を所有しようと考えて当然。サバンは「ユニヴィジョン(Univision)」というスペイン語放送のテレビ局に目を付けた。(Janet McMahon, Republican Adelson, Democrat Saban Are United On Israel, Immigration Reform, Washington Report on Middle East Affairs, 2014 June/July)

  サバンの経営手腕により、このテレビ局は大手メディアのひとつに成長し、英語放送の三大ネットワークのABCやCBS、NBC、それにFOXを凌ぐ視聴率を稼ぎ出すまでになった。この放送局をを使って、将来ヒスパニック有権者にヒラリー・クリントンを売り込もうとしたのである。グローバリストのユダヤ人らしく、外国のメディアも手中に収めようとした。ドイツの大手テレビ局プロジーベンサット(ProSiebenSat. 1)に投資をしたし、英国の有名なITV局を買収しようとした。彼のメディア支配の野望は、ロサンジェルス・タイムズにも及んだという。これは断られた。サバンはドイツのテレビ局がイスラエルに批判的だから買収しようとしたと述べる。LAタイムズはパレスチナ人支持の記事を載せたりするから、サバンはバランスの取れた新聞社にしようとしたらしい。つまり、イスラエル礼賛の新聞社にしようという訳だ。公正な新聞など幻である。

節税対策という脱税行為

  お金が貯まってくると、気になるのが税金だ。死と税からは逃れることができない。と、おもうのは庶民だけ。男はつらい、じゃなかった。国民はつらいよ。大金を掴んだサバンは、まだ30歳代のマシュー・クレイン(Matthew Krane)という税務専門の弁護士を迎えた。ポロック・ブルーム&デコム(Pollock, Bloom & Dekom)に務める若造が顧問になるくらいだから、クレインは相当なやり手なのだろう。節税(脱税?)計画の一環として、蘭領アンティール諸島にタックス・ヘブンとしての会社を設立したのである。これによりサバンが外国で儲けた利益だと、税金を払わずに済むことになった。そうした仕組みにより、サバンは少なくとも100万ドル節税できたという。

  減税策に成功したクレインは納税回避の世界を探索するようになった。K.P.M.Gやゴールドマン・サックス、メリル・リンチなどの大企業が使っている手口を学ぼうとしたのである。彼はケェロス・グループ(Quellos Group)が開発した徴税逃れ策を選んだ。クレインはボスのサバンを説得し、ケェロスには5400万ドルが支払われた。ところが、クレインは裏でピンはねをしていたのだ。彼はケェロスにオーストリアの銀行口座へ3600万ドルを振り込むよう命じたのである。もちろん所得税など1セントも払っていない。サバンは彼の脱税手品に頼り切っていた。

  こうした脱税行為が上院調査委員会にバレた。悪い事はいつかボロが出るものだ。観念したサバンは、2006年に追徴課税を払うことを表明したのである。サバンは自分も被害者だと言い張ったそうだ。違法行為を一緒にした仲間から、裏切られたから被害者だって? まあ、なんて図々しいんでしょう。告発を受けて司法当局がケェロス社の調査を始めた。捜査チームがクレインの自宅を調べたら、偽造パスポーや偽の申請書などが出てきたという。トンズラするつもりだったのか? 2008年、クレインは個人情報の窃盗罪と偽造書類作成の容疑で起訴され、資金洗浄や脱税容疑で有罪となったそうだ。もちろん、ケェロス社の重役であるジェフリー・グリーンシュタインとチャールズ・ウィルクは脱税幇助で起訴された。

ヒラリーにぞっこんのユダヤ人

  イスラエル国籍をもつサバンは、生まれはエジプト、活躍はアメリカであっても、心はいつもイスラエルにある。サバン夫人のシェリル(Cheryl)はキリスト教徒のアメリカ人だが、彼らの息子二人はユダヤ教徒として育てられた。ユダヤ教ではユダヤ人の母親からじゃないとユダヤ人とは見なされないが、そんなことは宗教法の解釈で何とでもなる。家庭でもこれほどユダヤ文化に心酔しているのだから、政治の世界でもイスラエルのためなら大金をつぎ込んでも惜しくはない。FOXやNBCよりも熱心に女性大統領誕生を実現したいサバンは、ヒラリー・クリントンを強烈に支持する。2004年の大統領選挙にさえ出馬してくれと頼んだという。共和党のブッシュが再選されるのは決まっていたのに。そんな無理は通らないだろう。しかし、2008年の大統領選挙は明らかに、民衆党に大統領職が回ってくる番である。だから当時サバンは本当に頑張った。

  浜の真砂は尽きるとも、ビルの性慾は尽きない。何度も姦通を犯したビル・クリントンは、女房に「借り」や「引け目」があるからか、ヒラリー当選のために全米を駆けずり回った。そうだよなぁ。不倫暴露で女房に助けて貰って、政治生命が繋がり、大統領になれたんだもの。亭主の性器がモニカ・ルウィンスキー嬢の口の中にあったんだ。しかも、自分が居るホワイト・ハウスの中でだ。知らぬが仏、じゃなかったヒラリーだ。国務長官としてテロリストを見つけられなくったって、しょうがない。亭主のペ○スだって所在不明だったのだから。ビルは女房の予備選中、サバンの屋敷で世話になっていたらしい。それほどサバント親密だったのだ。

  サバンはヒラリーを恋人として好きだったのではない。イスラエルの国益にとってオバマよりヒラリーの方が良いと考えたからである。おもしろいエピソードがある。かつてオバマとヒラリーは、「もしイランがイスラエルを核攻撃したらどうします?」と尋ねられた。ヒラリー曰く、「彼ら(イラン人)を抹殺します(We will obliterate them)」。一方、オバマは「適切な行動をとります(take appropriate action)」と答えたそうだ。サバンの頭の中では、アメリカ軍人の利益より、祖国イスラエルの利益がいつも優先するのだ。アメリカでさんざん稼いでいるサバンは、「オレは一つの課題しかもってない。イスラエルだけさ。(I'ma one-issue guy and my issue is Israel.)」と公言している。(New York Times September 5, 2004) イスラエル・アメリカ評議会に出席たとき、サバンはイラクの核開発に触れ本音を吐露したという。「ビビ(Bibi]/ベンジャミン・ネタニアフ首相の愛称)はあのクソ野郎ども(sons of bitches)に爆撃を喰らわせてやるべきだ」と息巻いていたらしい。たんなる評論家ならともかく、33億ドル以上もの資産を有する男が言えば、相当な重みがある。このサバンはブルッキングス研究所に1300万ドルの寄付をした。学界も手なづけようとした訳だ。かつてないほどの巨額献金だったという。ブルックス研究所も買収されてしまったのである。

  ユダヤ人というのは、迫害されても、侮蔑されても、豊かな異国にしがみつき出世するまで我慢する。お金の力を理解している利口な民族は、弱者の立場を最大限利用して、権力の中枢に昇りつめるのだ。同胞は皆でその出世頭を支援し、ユダヤ人全体が潤うようにしてもらう。油断しているホスト国の住民は、気づいたときには、既に各界にユダヤ人が蔓延(はびこ)っていて、お手上げ状態になってしまう。まるで朝鮮人や支那人みたいだ。ハイム・サバンは巨大なユダヤ集団のひとりに過ぎない。次回は、シェルルトセン・エイデルソンについて述べてみる。つづく。



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二枚舌のパール・バック / 嘘を伝えるアメリカ人

文明国の日本人より野蛮な支那人を選ぶ

  昭和の歌謡界に『別れても好きな人』というヒット曲があったが、パール・バックを調べると『ぶたれても好きな人』を作詞したくなる。もちろん替え歌。支那人から散々な仕打ちを受けたのに、パールはその野蛮人を嫌いになれなかった。まるでジゴロに惚れ込んだ水商売の酌婦(しゃくふ)みたいだ。殴打されてもロクでなし男に貢ぐ女の気持ちは分からない。「女は魔物だ」と田村正和が言えば許されるが、筆者が言うと包丁が飛んできそうなので止めとく。しかしまぁ、有名小説家のパール・バックも、そんなマゾ的女性だったのか。その人生を覗いて見れば、多少は理解できるかも知れない。(ピーター・コン 『パール・バック伝』 上巻 丸山浩 訳 舞字社 2001年 参照)

Pearl Buch 1(左 / パール・バック)

  小説『大地(The Good Earth )』で有名なパール・S・バック(Pearl Sydenstricker Back)は、宣教師の家庭に生まれ、あまり幸せな子供時代をもてなかった。父親のアブサロム・サイデンストリッカーは、宣教師がもつ最高の姿(篤信)と最悪の姿(排他性)を兼ね備えていたらしい。ウェスト・ヴァージニア州の農家に生まれたのだが、農場での仕事と父親の厳しい躾に嫌気がさしていた。アブサロムは学生時代相当な読書家であったようだ。聖書販売で生計を立てようとしたが失敗し、信仰深かったこともあって宣教師の職を選んだという。妻となるケアリーは、プロテスタント弾圧を逃れてきたオランダ移民の子孫であった。愛情深い家庭に育ったが、南北戦争のため、彼女の家族は貧しくなりかなり困窮したらしい。ケアリーはアブロサムほど信仰が絶対だと思っていなかったが、それでも敬虔な信仰心をもつ少女であった。他の篤信家と同じく、彼女も自己犠牲が多いほど、信仰の完成に近づくと信じていたのである。そんなケアリーは結婚して本当に苦労したのだ。

  幸せなアメリカ人カップルなら日本に来れば良かったのに、よりにもよって支那を派遣先に選んでしまったのだ。アメリカ人は巨大な物が大好きで、広大な大地に支那人がうじゃうじゃ群れていると、何かいいことあるんじゃないかと思ってしまう。アイスクリームやポップコーンを買うときでも、Lサイズを選ぶから服もLサイズだ。中華思想に凝り固まっている支那人相手に、西洋夷狄が「隣人愛」とか「天に宝を」なんて説教したって馬の耳に念仏だ。宣教師が支那を乗っ取ろうとしているとか、奴隷を見つけに来たとか、豚を崇拝しているとか勝手な噂を流していた。中には支那人の子供を食べているとか、精力剤にするために子供の目玉を抉りだしているとかの流言飛語もあったという。(p.56) それって、お前ら支那人がやっていたことだろう、と突っ込みたくなる。実利しか信じない支那人に、聖母マリアの処女懐胎説とか、救世主イエズスは弟子のユダに裏切られ十字架上で殺されました、なんて話を信じろと勧める方がどうかしている。セックスしないで子供ができるのか? 淫乱が大好きな支那人は大笑い。周りは詐欺師だらけで、いつ殺されるか分からない支那社会で、裏切り者を見抜けない教祖様なんかアホらしくて拝めない。ゼニのためなら、火の中水の中の支那人だぞ。福音には耳を貸さない支那人だが、1km離れた所で100円玉が落ちれば直ぐ気づく。忠犬ハチ公より聴力がいい。バイオニック・ジェミーもビッくり。支那人がキリスト教徒になる方がミラクル(奇蹟)だ。(註/TVドラマの「バイオニック・ジェミー」は半分サイボーグで左耳が機械。)

pearl buch family(左 / パール・バックの家族)

  アブサロムは支那人について無知な典型的アメリカ人である。脳天気なことに、彼は神の代理人を自負していたそうだ。(p.59) しかし、多くの支那人にとって彼は帝国主義の代理人であり、そうでない場合は、西洋の利益を得るための道具である。西洋の宣教師にとって苦しかったのは、支那人の敵意よりも、信仰に対する無関心だった。アブサロムは人生の数十年を費やしたのに、改宗した支那人はごく僅かであった。しかも、キリスト教徒になった支那人だって、本当に信仰をもっていたか怪しいものである。洗礼(シャワー気分か?)を受けたら医療や食事にありつけたのだ。そりゃアーメン、ブラボー、メルシー・ボクと言うだろう。英語を流暢に操り米国社交界で暗躍した宋美齢でさえ、厚かましくもキリスト教徒を名乗っていた。滑稽としか言いようがないが、夫である蔣介石もキリスト教徒になっているのだ。これをみれば、支那人は利用できるものは最大限利用する人種であることが分かるだろう。

  西洋文明の宣教師が見た支那は、不快な因習・悪習の塊だった。男尊女卑はもちろんのこと、一夫多妻(妾に掠奪婚)、幼児の間引き殺人、纏足、女に教育を施さない、といった点が目についた。第一、支那人とは文化的にあまりにも違いすぎ。聖書ではイエズスを「神の仔羊」と呼んだりするが、支那では羊というのは、臆病で愚鈍な動物と考えられていた。料理して食べた方がお得。その一方、龍は帝王の象徴で、神聖な生き物と崇められていた。しかし、西洋人から見れば、ドラゴンは想像上の恐ろしい怪獣だ。旧約聖書続編(外典/Apocripha)のダニエル書補遺を読めば分かる。(1章23-27節参照) それにイングランドの英雄叙事詩『ベオウルフ』やドイツの『ニーベルンゲンの歌』でも龍退治の話が出てくるのだ。ドラゴン好きは変わり者である。(ロック界の大御所だった故・ロニー・ジェイムズ・ディオは大好きであったが。) ついでに言うと、支那人は日本人が皇帝の象徴「龍」を描く際、5本爪にすると不快になる。朝鮮人は宗主国に遠慮して、爪4本にしている。朝鮮人は格下の弟分である日本人は爪3まで、と勝手に決めつけている。(鳥山明が描く「ドラゴンボール」のシェンロン<神龍>はどうして爪が4本しかないんだ? ついでに言うと、現実の「龍柱」に喜んでいる沖縄人は目を覚ませ。)

不幸な少女時代

Pearl Buch(左 / 少女時代のパール・バック)

  父親のアブサロムは布教活動に熱心だったので家庭を顧みなかった。一昔前の猛烈サラリーマンのようだ。だから、ホームシックに罹っていた妻ケアリーにとっては、決していい夫ではなかった。しばしば置き去りにされたパールにとっても、愛情を示す父親ではなかったという。母親ケアリーにとっては支那での生活はとても辛かったそうである。なんといっても、長女のモーディーが夭折し、末息子のアーサーも1歳6ヶ月で亡くなってしまった。アーサーの死から二、三日して、3歳の次女エディスもコレラで死んでしまう。パールが6歳の時、弟クライドも天国に召されてしまった。サイデンストリッカー家には、長男エドガーとパール、妹のグレイスしか残っていない。長女を亡くしたとき、ケアリーもマラリアや赤痢、結核に苦しんでいた。彼女は娘の死は支那のせいであり、間接的には夫の信仰のせいだと思っていたらしい。パールの記憶にあるのは、オルガンを弾いている母が、突然泣き崩れる姿だった。米国という文明国から、支那という最低の生き地獄に連れてこられ、周りは陰険で言葉の通じない東洋人ばかり。バイ菌・疫病・糞尿の貯蔵庫たる支那で生活しようとしたことが、そもそもの間違いだ。支那への布教は天職かも知れないが、支那を選んだのは天罰じゃないのか。日本を選んでいたら、子供は全員健康に育って、布教は成功しなくても、高潔な日本人に出逢えるし、西欧にない繊細さに触れて、感激したであろう。

  異質な世界で育つ子供は精神が分裂してしまうことがある。パール・バックの場合、アメリカの白人家庭に生まれたのに、育ったのは陰謀渦巻く支那という魔界であった。金髪の白人少女パールが目にしたのは、清潔で厳格な白人の同胞と、不潔で不気味な黄色い支那人である。多数派の貧乏な支那人の中で、少数派の白人女性として暮らしたことが、後にパールが人種差別撤廃運動や多民族文化主義に熱中する動機となった。白人なのに米国の黒人に同情を示す奇妙な態度をとったのは、異教徒の支那社会で差別と孤立感を味わったからである。寂しさを感じた子供が暖かい愛を求めるのは人情だ。しかし、暖かいはずの家庭は、絶えず緊張感を強いる場所でしかなかった。重苦しい信仰と厳格な態度の父親は、娘の要求に対してとても冷たく無関心。母親は支那に幽閉されたと嘆き、祖国アメリカを懐かしむ日々。友だちをつくって陽気に遊び回る幼少時代ですらもてなかった。こんなパールが、勉強に打ち込んだり、友人を作る才能が乏しくても不思議ではない。彼女が女性の地位向上に熱心だったのも、父親が一家の権威者で絶対的立場を貫いたのだからである。女房と娘をほったらかしで、福音活動に励む父親をパールは好きではなかった。否、むしろ憎んでいたし、軽蔑さえしていた。だから、不幸だったパールは、どうしても社会的地位が低い支那人女に同情してしまうのだ。

  支那に住むと幸せなことより、悲惨なことが多い。不幸の10乗にオナラがおまけに附くようなもの。1900年には義和団事件が勃発する。残酷な暴動で被害を受けたlり、殺されたりした外国人が沢山いたのだ。アブサロムも説教に出掛けては、石を投げられたり、唾を吐きかけられたりと、ずいぶんと嫌がらせを受けた。ある時など、柱に縛りつけられた支那人女性が、キリスト教に改宗したことで、暴徒から死ぬまで拷問され続けたという。残酷なリンチは支那人のお家藝。アブサロムはこれを目の当たりにしたという。(p.79) サイデンストリッカー家は暴動を避けるべく上海に向かい、そこからアメリカへ戻ったのである。

野暮ったいガリ勉の孤独感

Pearl Bach in College (左 / 学生時代のパール・バック)

  成長したパールは米国のランドルフ・メイコン大学に入った。しかし、支那育ちのパールは同級生の女子学生に馴染めない。しかも、彼女の服や髪型は時代遅れで、同級生から哀れみを受ける始末。後に親友となるエマ・エドマンズは地方の田舎町出身で、自分を恥ずかしいほど野暮ったいと思っていたが、その彼女でさえパールのファッションに驚いていたのである。彼女の記述によれば、「そのうち、私よりさらに田舎者っぽく見える、ひとりの女学生に出会いました。彼女の着ている服は、なんと中国の麻で作られたもの。そんなものを着ている者は他にいませんでした。・・・・パールはひどく変わっているように見えなんだか気の毒に感じました。」(p.115) 同級生から浮いていたパールは、孤立感をひしひしと感じていた。彼女の得意分野たる「支那」について知っている女学生など一人もいない。プロテスタント中流階級で南部出身がほとんど。白人社会しか知らぬ女学生の目には、パールは「支那語を話す変わり者」としか映らなかった。大学の成績は優秀で勉強熱心な学生だったが、彼女は生涯「引きこもり」の性格を引きずっていたのである。

  そんなパールもロッシング・バックという青年と巡り逢い、一見すると幸せそうな結婚ができた。農業経済学を専攻するロッシングは、支那人に農業を教える職に就いたのだから、パールにとって夫婦揃っての支那生活で良かったと思いきや、そうでもなかったらしい。この亭主も基本的に父親アブサロムと同類であった。女性を対等と思っていない。パールを無報酬の通訳兼研究の助手、そして時が来れば子供を生んで母親の地位に満足するだろう、程度にしか考えていなかったのである。パールは夫が妻を対等のパートナーと見なし、彼女の執筆活動に理解を示して、応援するような亭主を期待していたのだ。もっと重要な点は、彼女が激しい愛を求めていたことだ。冷淡な父に我慢して従う母を見てきたパールは、母とは違う妻と情熱的な夫、すなわち激しく愛し合い、性的にも刺戟的な生活をおくるカップルを夢見ていたのだ。パールは世間によくいる欲求不満の人妻といったところ。(激しい不倫愛を描いたフランス映画『隣の女』みたいでも、ちょっと困るが、寂しい人妻にはウケたのだろう。ちなみに筆者は中学生の時に観たのだが、変な少年だったのかも。) パールは結婚当初から、内心では失敗であったことに気づいていた。(p.132) ロッシングを愛していたと言うより、結婚そのものに憧れていたのだろう。
  
  米国でも女性の地位向上を求めていたパールだが、彼女が選んだ支那は祖国と比較にならぬほど遅れていた。不快よりも怒りを覚える纏足はもちろんのこと、家内奴隷みたいな支那人妻は、夫や親戚から酷い仕打ちを受けて自殺までしていたのだ。パールは口汚く罵られた支那人女性が、首を吊って自殺を計った出来事について書いている。家族に介抱されたその女性は、耳や鼻を塞がれ、口には猿轡(さるぐつわ)をかまされ、息が出来ないようにされていた。パールは窒息により死んでしまうから、それを外すよう嘆願したという。しかし、拒否された。頑固な支那人が言うには、、縊死(いし)しようとした女性は、体からほとんどの息が放出されてしまったので、体内に残っている息を閉じ込めようとしている、とのこと。パールは「これらの人々の無知や迷信には全く際限がありません」と呆れていた。(p.142) こんな支那人を知っているなら、布教活動を諦めたらどうだ? パールはワニに餌をあげれば、柴犬みたいになつくと思っている馬鹿と同じだ。

戦慄の動乱を体験する

  1926年から1927年にかけて、蔣介石率いる国民党の北伐が始まり、その部隊は広東から杭州、武漢へと進み、南京を巡る攻防となった。1927年3月23日から24日にかけての戦乱では、数百人の支那人と少なくとも6人の外国人が死亡したという。金陵大学や宣教師の家も攻撃の対象となった。とくに憎い外国人の教会は格好の標的となり、次々と破壊されたのである。乱暴狼藉をはたらく支那人によって、西洋人の財産は奪われ、生命までも脅かされたのだから、まさに泣き面に蜂であった。パールの妹グレース、その夫ジェシー・ヨーキー、息子のレイモンドは、湖南の田園地帯にある伝導出張所を脱出し、パールのもとへやって来たのである。

  民衆に憎まれていた悪党どもが南下してきて三月上旬くらいまでは、西洋人たちは進軍の嵐をそれほど肌身に感じていなかったらしい。死ぬことはないだろう、と楽観的な期待をしていた。しかし、3月23日の夕刻には南京守備軍は敗れ、国民党軍が市内に雪崩れ込んできたのである。欧米や日本の軍隊と違って、支那の兵隊はならず者の寄せ集めだから、軍紀も統制もあったもんじゃない。大規模な戦闘で街は硝煙と叫喚に包まれ、何千という兵卒等が街路を駆け抜ける。攻撃、退却、発砲の繰り返し。熱心なのは、民家や商店を掠奪するときだけ。火事場泥棒だけは忘れずちゃっかり行う支那兵。恐れおののく群衆は、必死で逃げることで精一杯。路地や裏通りは、老人や子供を背負い、家財道具を満載した荷車を引いて逃げる支那人でごった返していた。戦乱となれば、お馴染みの光景である。二日間にわたり南京は恐怖と混乱に支配された。まるでドラマの定番みたい。でも何千年も繰り返していたから、シーズン2どころかシーズン4000だったりして。

  支那に長く住んでも支那人を中々理解できない外国人には、自分たちだけは安全だという空気が広まっていた。南京守備隊によって危害を加えられることはなかったし、蔣介石も南京入城の際に外国人の安全を保障していたからである。そのうえ、パールやロッシングを含む多くの西洋人は、民族主義に好意的で、支那人による支那というスローガンに賛成していたのだ。宣教師の中には、こうした民族主義は布教活動にとっても最適な方針だと考える者もいたらしい。支那人に同情を示せば、危害を加えられずにすむと信じていたのである。こういう脳味噌をもっている西洋人は、激流に飲み込まれても、「わぁー、流れるプールみたい」、とはしゃいで死んで行くのだ。

  パールの大学宿舎には家族八人が集まっていたが、大人たちは全員支那での戦乱を経験していたので、はじめは脅威を感じていなかった。しかし、金陵大学の副学長ジョン・ウィリアムズ博士が、執務室で射殺されたとの一報を聞くや甘い認識は吹っ飛び、死の危険が迫っていることを悟ったのである。支那人の使用人も怯えきった様子で宿舎に駆け込んでは、市中で外国人が殺されていると口にした。血に飢えた略奪者がいつ襲ってくるかと気が気ではない。バック家の八人は窓のない部屋でじっと息を潜めていた。支那兵らは隠れ家の周辺を走り回り、離れたところにいるかと思えば、戸口の近くで立ち止まって、訳の分からぬ怒号をあげていた。ひぇ~怖い。なんかホラー映画の一場面みたいだ。心臓がドキドキしちゃう。パールと妹グレースは互いにうなづき、もはや捕まることは避けられぬと覚悟した。子供たちを兵隊に殺されるくらいなら、自らの手で殺そうと確認し合ったくらいだ。パールは子供たちには罪はないが白人ゆえに殺されるのだ、と自らに言い聞かせたのである。(p.186)どうだ、アメリカ人でも日本の「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓が分かるだろう。

  身の危険は唐突に消え去った。数マイル離れた揚子江に停泊していた英米の軍艦が、南京に砲撃を開始したのである。萬歳! 危機一髪の時に現れるバットマンみたい。パールの隠れ家に踏み込もうとしていた兵隊も凄まじい轟音でパニックに陥り逃げていった。それからしばらくして、親しい支那人がやって来て、国民党兵士が護衛してくれるから隠れ家を出ても大丈夫だ、と伝えてくれた。この事件で殺害された西洋人はごく少数であったという。しかし、男女を問わず殴打され、金品を奪われたり、服を脱がされて何か隠し持っていないか、と調べられることもあったらしい。それに強姦された女性も多かったという。金陵大学のR.H.ポーター教授の体験談によれば、支那兵が彼と同僚らに研究室から出てくるよう命じた。発砲することが分かっていたので、全員が外に出てみると、17、8歳くらいの少年兵がライフルや銃剣で武装していた。ガキのくせして掠奪は一人前(いっちょまえ)にやるんだから、まったく支那人って野郎は。彼らは宝石、現金、衣服など何でも奪い取ったが、大半の外国人は既に自宅で掠奪にあっていたてので、その少年兵たちを満足させるほどの金品を持ち合わせていなかった。一番の悪玉は金銭を出さねば撃ち殺すぞ、とポーター教授の胸に銃剣を突きつけた。彼はいつ串刺しにされても、撃たれても不思議ではないと覚悟したという。この恐怖は彼の脳裏に焼き付いて離れない。支那人の本性に気づかない西洋人にはいい薬だ。

平和で安全な日本へ

Pearl Buch 8(左 / 晩年のル・バック)

  百人を超える外国人はアメリカの駆逐艦に乗せられ、外国人の解放には米国領事のジョン・デイヴィスが交渉人に当たった。彼は人質を全員解放しないと南京を砲撃するぞ、と脅しをかけたそうだ。こうでなくっちゃ。男が廃(すた)る。駆逐艦は西洋人難民を乗せて上海へ向かった。パール一家は上海を出て、日本の長崎に近い雲仙へと旅立った。山口百恵じゃないが「いい日旅立ち~」と歌いたくなる。(ちと古いか。)パールは数週間にわたる戦火の嵐をじっくり考えてみたが、それでも支那人と自分の志(こころざし)に対する気持ちに変わりがなかった。(p.188) もう、豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ ! バカ。パールは共産党のせいで家を壊されたり、友人のジョン・ウィリアムズが殺されたのだ、と信じ込んでいたから、共産主義者の支那人には怨みを抱いていた。しかし、支那人の大半は親切だと強調していたのだ。

  話は脱線するが、結婚詐欺に遭った女性にお手上げの警官を思い出す。詐欺師に惚れ込んだ被害者女性は、警官がいくら説明しても、最後には騙した男を「本当はいい人なんです」と弁護してしまう。パールもこのタイプだ。彼女は命が助かったことには感謝していたが、英米の艦隊が行った砲撃は間違いだ、と述べていた。他国の砲艦がいることじたいが、自国の尊厳を守ろうとしている支那にとって、許し難い帝国主義的行為なのだから、と。英米の紳士的海軍士官でも激怒するだろう。こんな批判を聞くと、日本サンライズのアニメ『無敵超人ザンボット3』を思い出す。地球を侵略するガイゾック相手に、命懸けで戦った神勝平(じんかっぺい)は、救った民間人から逆に恨まれてしまう。被害にあった人々は「お前なんかがいるから宇宙人がやって来て、みんなが困るんだ」と非難された。テレビの前のチビっ子は涙ぐんでしまうのだ。ちょと懐かしい。

  支那と違って日本は別天地。エデンの園だってあるんじゃないか。パールは雲仙の景色を褒めている。「世界一美しい海岸線」から松の木や山々がそびえ立ち、その組み合わせが絵のように美しかったという。そりゃそうだ。パールと夫のロッシング、そして二人の子供は丘の上の小さな家で英気を養うことにした。金陵大学で親しかったマーガレットも、夫のクロードと子供たちと一緒に雲仙に住むことになったらしい。良かったねぇー。タップダンスでも踊りたくなる。文明国の日本をもっと宣伝したらどうだ?

  日本に腰を落ち着けると、パールは米国の教会向けに報告書を作成した。長老派の布教理事や友人に宛てた書簡には、白人が南京に戻れる可能性は充分にある、との結論を載せたのである。なにい~? やっちまったなぁ。餅じゃなくて嘘をついてしまった。報告書とは別に、パールは友人のルル・ハミルトン宛に手紙を書いていた。そこには、支那での忌まわしい光景が浮かぶ悪夢に、毎晩うなされていることが綴られていた。

  「わめき叫ぶ声。家の焼け落ちる音。ポリー・スモールは危うく強姦されるところだった。兵隊はズボンのボタンをはずしていたし、全ての条件はそろっていた。でもすんぜんのところで救われた。クック婦人は、指輪ごと指を切り落とされるところを、ほんの偶然で助かった。プライス博士は抵抗したので、六発も銃撃を受けた上殴り殺された」(p.190)

  パールは手紙の中で、ルルに「私自身は南京に戻れる可能性は万に一つもない、と思っています」と打ち明けていたのだ。金陵大学は支那人の行政官と教授の手に陥落したので、もはや外国人には復職の余地など全くないように思われた。しかし、南京事件のショックから立ち直るにつれ、パールには米国の新聞が反支那報道を行い、支那人を貶めていることが気に入らなかった。友人に宛てた手紙に、あの事件を執念深く根に持って、支那的だ、東洋的だ、と批判するのは間違っている、と述べたのだ。たった一度の事件で支那人全体を非難するのは、ニューヨークの地下鉄で突発的に起きた暴力沙汰をもって、アメリカ人全体を非難するようなものだ、と反論した。

  そもそも、正しい歴史解釈の上に立てば、この世に罪なき人間など存在しない、と啖呵(たんか)を切った。南京事件は東洋特有の犯罪ではない。そもそも東洋的犯罪など存在せず、ちょうど米国的犯罪とか英国的犯罪が存在しないのと同じ理屈だってさ。残虐行為を行った張本人を捕らえて処罰すべきだ。一般支那人を責めるのは無意味かつ不公平と論ずる。支那の民衆は自国の指導者と外国人の両方から抑圧されてきた。彼らこそ今回の騒動における真の犠牲者だ。パールはこれまで以上に支那の庶民を支援すべきだ、と提案する。「今ほど強い繋がりを感じたことはありません」とまで言い出す。(p.p.192-193) ここまでくれば「病膏肓(こうこう)に入る」で治療不可能。匙(さじ)を投げるしかない。

  日本は能率的で近代化が進んでおり、南京よりもずっと暮らしやすかった。しかし、パールは支那に対する義務感の方が強く、支那に愛情を感じていたのである。パールは軍閥が乱闘する無政府状態において、共産党の代わりになる唯一の人物が蔣介石だと思い、彼を支持していた。彼女は南京の争乱を支那革命史における画期的事件と捉(とら)えていたのである。パールはルイス・ガネットに宛てた手紙の中で、南京事件は支那民衆にとって、まさにアメリカ独立戦争の口火となった、ボストン茶会事件に相当する出来事、と述べていた。ただし、「身の毛もよだつ方法ではありましたが」と付け加えている。パールの色眼鏡もここまで来れば、そうとう歪んでいると言えよう。もう勝手にしろ、と言いたくなる。1927年10月、バック一家は南京に戻った。やれやれ。

  パール・バックは晩年になると、キリスト教の信仰から離れ、女性の地位向上や混血児の保護に熱心だった。ピュリッツァー賞やノーベル文学賞をもらった才女は、もし日本に住んでいたら、輝かしい授賞式には無縁の生涯を送っていたかも知れない。支那とは異次元の世界にある日本だと、波瀾万丈の人生が訪れないのではないか。清潔で勤勉な日本人と学問や藝術の話をし、大学で厚遇されて給料も高い学者生活。愛くるしい日本の子供に囲まれて、“ほのぼの”とした交流をし、時折ふれあう人情深い女将さんや、気前のいい親方に感謝する日々。見ず知らずの他人から思わす受ける親切。美味しい蕎麦をすすって、湯船に浸かって、天日干しのふとんで快眠。天皇陛下に謁見すれば勲章でも貰えたんじゃないか。やはり、不幸じゃないと作家として成功しないのだろう。でも、アメリカ人に対しては正直に語って欲しかった。日本をベタ褒めせよ、とは言わぬが、せめて本当の事を伝えたら、とつぶやきたくなる。




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