無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年01月

凌辱された日本婦人 / 朝鮮に襲来した野蛮なロシア兵

囚人が兵隊になるソ連軍

  日本の人権派弁護士とか平和教育屋といった左翼文化人は、アジア人の“人権”には敏感だが、日本人が代々受け継ぐ“国民権”には鈍感である。学校で習う「人権」とは、地球上の人間なら持ってると推測される最低の権利で、日本人はこれと比較にならない高級な「日本国民の特権」を有している。反日勢力はわざと混同しているのだ。人権なんていうのは、西欧の左翼が有色人種を見て、野生動物よりはマシな哺乳類だし、「彼らも一応人間なんだから」という憐れみで賦与した概念である。だから、優越者の西欧人がアジアやアフリカの野蛮に対して、「殺すな、犯すな、盗むな」といった簡単な禁止項目くらい守れよ、と叱っているに過ぎない。それ以上の倫理・道徳など彼らには理解不可能だから。しかし、日本人には、こんな下らない「人権」など要らない。高度倫理国の日本で、常識論でも取り上げない基本倫理を叫ぶ左翼はどうかしているのだ。アジア人の人権なら熱心に取り上げるくせに、日本国民に加えられた暴力や凌辱に沈黙している「良心派」は実に怪しい。とても同じ日本国民とは思えない。

  敗戦の衝撃は帝國陸海軍の将兵のみならず、朝鮮や支那の在留邦人にとっても甚大であった。ここでは終戦時、羅南憲兵隊に所属していた中島實・憲兵曹長が遺した体験記を紹介したい。(中島實 「北鮮凌辱記」其の1と其の2 『昭和史研究所会報』平成11年1月10日第21号と同年2月10日第22号参照。)日本国民を育成するはずの公立学校には、皇國軍人が目撃した惨劇と同胞の屈辱を若い世代に伝える教育が全くないのだ。こんにちでは、朝鮮人の非道は段々知れ渡ってきたが、ソ連兵による犯罪はそれぼど宣伝されていない。ソ連軍の朝鮮侵攻をうけて、中島氏も他の日本人と同じく北鮮脱出組の一人であった。彼が城津(じょうしん)の町に着くと、そこは既にソ連軍の先遣隊が到着しており、町は暗くて冷たい「死の町」と化していて、ただ南へ南へと歩く避難民で溢れていたという。邦人保護を試みた羅南憲兵隊の隊長・村井中佐は、やむを得ず「ソ連軍と協力して治安の維持に当たれ」と命令していたが、不運というか案の定、村井隊長以下全員がソ連軍捕虜になってしまったらしい。

  そこで中島氏は、長年住み馴れた咸鏡北道(かんきょうほくどう)を離れて、まだ敵に蹂躙されていないはずの咸鏡南道へ向かった。南へ下った中島氏が端川駅に着くと、間もなくして汽車が到着したという。歓喜の声を上げた群衆が駆け寄ると、その列車にはソ連兵が乗っていたのである。しかも、それは「地獄の鬼よりも怖い」と悪名高いソ連の囚人部隊だった。坊主頭で軍帽軍服もろくに無い兇悪犯の一団だ。こんな獣(ケダモノ)は絶対、日本で見ることができない。そもそも棲息していないし、日本の土壌から生まれないだろう。この囚人部隊は監督役の正規兵に自動小銃で監視されていた。戦闘地域でもない端川駅に着いた囚人らは、アコーディオンを鳴らしながらロシア民謡を歌い、曲が終われば「ウラー、ウラー」と喚声(かんせい)を上げていたという。想像しただけで戦慄を覚える。スラブヴ系のみならず、グルジアやアジア系のならず者が駆り出されたのだろう。あんな悪人面を目にしたら、ヒグマがデディー・ベアに見えてしまう。

  この野蛮人は列車から飛び降りると、「ハラショ、ハラレヨ」と叫びながら、突然の恐怖で立ちすくむけ者から、腕時計や万年筆を奪い取った。刺青をした腕に幾つもの時計をはめ、万年筆を胸のポケットに刺して勲章のように飾り立てたという。「ハラショ、ハラショ、ウラランラ、ウラランラ」とはしゃぐ極悪人は、長年の刑務所暮らしから解放されて、シャバで思い存分暴れることがてきるのだ。本質的に野蛮なロシアの軍部は、こんな外道の奴らを使って戦争を行うのである。飢えた狼よりも兇暴なソ連兵を目の当たりにした人々は、汽車を諦め端川の日本人学校へ避難した。

  避難所で夜を過ごそうと決めた中島氏は、夕方宿舎の便所で用を足して外に出ると、自動小銃を手にしたソ連兵二名と遭遇した。彼れは心臓が止まる思いで立ちすくんでいると、彼らは気にも留めず素通りし、炊事の支度をしている女たちのもとへ向かったのである。彼らは女たちに近寄ると、「ハラショ、ハラショ」と声を掛けながら、一人一人の顔をのぞき込んだ。気に入った女を見つけると、青いリンゴを嫌がる娘に押しつけた。彼らが去ると、恐れおののく娘らは気味悪がって、そのリンゴを投げ捨てて講堂に駆け込んだ。中島氏は、囚人部隊の奴らがきっと何か悪いことを企んでいるのだろう、と疑いながらも、このまま夜まで何も起こらぬよう願ったという。人々が眠りにつこうとした夜中に、突然講堂の入り口で鋭い銃声が響いた。すると、懐中電灯を持った朝鮮人が現れた。この不逞鮮人は通訳として夕方訪れたソ連兵を案内していたのだ。卑しい朝鮮下郎はハッキリとした日本語で、「この中に夕方リンゴを貰った女の子がいるだろう。直ぐに出てこい」と高飛車に怒鳴った。あの青いリンゴは予約票だったのかもしれない。このグス鮮人が命令しても、誰一人として名乗り出る女の子はいなかった。

  そこで、苛立ったソ連兵は朝鮮人の手から懐中電灯をもぎ取ると、女たちの顔を一人一人確かめ、次々に引きずり出した。「嫌、嫌っ」「誰か助けてーっ」と女の子は悲痛な叫び声を上げたが、敗残兵だった中島氏にはどうすることも出来ない。母親が娘の身を案じてソ連兵の手にすがりつき、「あまり酷いことをしないでください」と必死に頼み込んだ。だが、日本語など分からぬソ連兵は、冷酷にその手を払いのけたのである。獣欲の塊となったソ連兵は、いきなり自動小銃を天上に向けて発射し、「ニエット、ニエット」と叫びながら、涙を流してすがりつく母親を足蹴りにした。そうして、五名の女の子を拉致し、その場を後にしたのである。中島氏の悔しさたるや、我々にだって想像できるだろう。女子供を守ることを誇りにした日本男子が、目の前で獣に拉致されるのを見て、何もできなかったのだ。連れ去られる娘たちの悲鳴が耳から離れない。胸が張り裂けるほどの屈辱である。切腹して詫びたいだろう。

  中島氏は自分の命が惜しかったから、傍観していたのではない。憲兵としての彼には守らねばならぬ大勢の
避難民がいたのである。一人を助けようとして騒動を起こせば、何十何百の民間人が危険に晒されるのだ。涙を呑んで堪えるしかなかった。中島氏の気持ちを察すれば、我々だって一緒に泣きたくなる。翌朝、女の子らは裂傷を負い、足を引きずりながら眼を真っ赤にして帰ってきた。彼女たちが如何に強姦されたかは、涙で腫れ上がった眼を見れば直ぐ分かる。その中の一人、鈴木という名の女の子は自分の前途を恥じて自害した。当時、貞操は命より大切と教えられていたから、輪姦された大和撫子は、その子の悲壮な決意に同情すると共に、犬畜生にも劣るソ連兵の蛮行を憎まずにはいられなかった。

  皆が被害者少女らの告白を聞いて、その場が重苦しい雰囲気になった時、一人の婦人が長い黒髪をバッサリ切り落とし、男女の区別がつかぬよう鍋尻の墨を顔に塗りたくった。それを見ていた女たちは、誰彼言うともなく自らの手で墨を塗り始めたのである。そうして男か女か分からぬ姿に変身したという。

  選挙で選ばれた代議士や社会の木鐸を詐称する朝日新聞、国民の受信料で贅沢をするNHKは、日本国民が堪え忍んだ苦悩を滅多に取り上げない。従軍慰安婦という用語を発明し、大金を稼いだ売春婦を、ただ朝鮮人だからという理由で同情を寄せる左翼は、本当に日本人なのか。悪徳弁護士の戸塚悦朗は、商売女を性奴隷に置き換えて、世界に宣伝していた。左翼リベラル派と称する格好つけどもには、邦人女性が渾身の力を込めて放った叫び声が聞こえない。人間の良心など一欠片(ひとかけら)も有さない、あの下劣な強姦ロシア人に対して、ただの一言も口にしないとは。お前らの血は何色なんだ? 非難するのは立派な日本の軍人に対してのみ。中島氏のような憲兵が噛みしめた恥辱への共感が全くない。「誰か助けて」と泣き叫ぶ少女を肉眼に映しながらも、他の女たちを守らねばならぬ日本男子の辛さが分からない愚か者である。昔の日本人なら怒りで血管の血が沸騰してしまう。武力を放棄してしまった現代の日本人には、もう祖先から受け継いだ誇りが無いのだろうか。国軍の再建を急がねばならない。馬鹿な国民から「軍国主義者」とか「極右」と呼ばれようがいいじゃないか。強姦されて命を絶った日本の婦女子のことを思えば、それくらい何だ。我々の体には勇敢に戦った武人の気概が宿っているのを忘れてはならない。 



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狡猾な朝鮮の官吏と奸計 天使のような日本人が降臨するまでの暗黒時代

燦然たる文明の使者日本

  在日朝鮮人は精神的に強い。日本人と違って知性が低いので、根拠を持たずに他人を非難できる。日本人は驚くほど教育水準が高く、珍しいほど倫理が厳しいので、ちょっとした不正でも許せない。だから、朝鮮人が何の検証作業もせずにわめき散らす、「正しい歴史認識」とやらを真面目に受容してしまう。朝鮮人にとっては歴史の事実や真相はどうでもいい細事で、現在の利益のためならどんな歪曲・捏造だって平気なのだ。五千年の朝鮮文化とか、“世界五大文明”の一つコリア文明、あるいは「ソクラテスやイエズス・キリスト、アリストテレスが朝鮮人であった」、と気違い学者が言えば、夜郎自大な朝鮮人は信じてしまうのだ。ドラエモンやポケモンだって朝鮮人のオリジナルと言えてしまう。だって、六千年前は野蛮人だった倭人(わじん)は、栄光の朝鮮民族に服属していたのだから、弟分の発明はすべて兄貴分たる朝鮮人のものである。こんな妄言を信じる日本人はいないが、日本人は普通に狂っている劣等民族を隣にもつことを忘れてはならない。

  日本統治は地獄より暗い朝鮮に、文明の光をもたらした。だって、地獄だって炎で明るいが、汚い豚小屋に住む朝鮮人には、薪(たきぎ)しかなかったのだから。朝鮮人は普段しょんぼりしているか、キセルを吹かしてぼんやり空を眺めるくらいしか、人生の意義が無かった。しかし、何らかの揉め事で喧嘩になれば、人格が変わったかのように狂乱し、手のつけようがない。争い事の調停に裁判があったようだが、正義や公正といった概念がないから、司法の意味を成さなかった。弱い者が一方的に処罰され、強い者はどんなに悪くても処罰を逃れることが出来たのである。酷刑や拷問が当り前の朝鮮人は、日本人の支配により初めて公正な裁判や適正な刑罰というものを知ったのである。日本の司法制度を述べると煩雑になるので、李朝での司直事情を少しだけ紹介したい。

残酷でいい加減な朝鮮裁判

  朝鮮では守令(しゅれい)が民事裁判訴訟を担当する裁判官であった。村の長老らよる和解が成立せず、当事者たちが訴訟に固執すれば、両者は地方官の前に出頭する。刑事事件は武官によって裁かれた。時には文官が事件の性格から予審を開くこともあったが、たいていは武官の判断に委ねられたらしい。法廷には捕庁(ほちょう/または捕盗庁)といって、証人を尋問して事件を調査し、被告に対して自白を強制する種類があった。

  もう一つは、刑曹(けいそう)といって、補庁の決定に基づいて判決を下す判事から構成される法廷である。形式的には、もっともらしい裁判制度があったように思えるが、支那人の裁判と同じく、朝鮮人の司法組織はいい加減であった。こうした腐敗裁判についてシャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)神父が、興味深い話を紹介している。もっとも、その話は神父が直接見たものではなく、朝鮮で布教活動したダヴリュイ司教の資料を基にして、一冊にまとめた書物に記されたエピソードである。(『朝鮮事情』 金容権 訳 東洋文庫 平凡社 1979年)

  文官である守令は地方長官であると同時に、治安判事、予審判事、徴税官で、しかも関税、治水、教育、山林、治安等の監督官も兼ねていた。しかし、これらすべてに目を光らせていたなんて信じてはならない。仕事はほとんど部下に丸投げ。ダレによれば「守令の生活ほど暇で怠惰なものはない」という。(p.114) 彼らは酒を飲んでは物を喰い、煙草を吹かしては遊興にふけって歳月を送っていたのだ。法廷といっても、一週間に2、3回顔を出して、2、3時間開いたら終わり。お裁きだって、二言三言何か喋って、手下に棍棒で罪人を殴らせりゃ、「これにて一件らくちゃ~く」だ。武官にしても似たり寄ったりで、如何なる種類の法廷でも、下級の胥吏(しょり)に任せてしまう。もし、朝鮮の庶民が「遠山の金さん」を知ったら、このお奉行様はお釈迦様か弁天様か、いや大天使ミカエルの生まれ変わりか、と驚嘆するだろう。(ご存じ「金さん」は北町・南町奉行をつとめた遠山景元<かげもと>である。ちなみに有名な桜吹雪の刺青は嘘。)

  朝鮮のお白洲を実質的に取り仕切っていた胥吏(しょり)について、ダヴリュイ司教がその実態を示す具体例を述べている。文官に仕える刑吏は一般に衙前(がぜん)と呼ばれ、守令の輔佐(ほさ)役で法廷を構成していた。刑事裁判を担当する武官には、補卒(ほそつ)という手下がいて、この下っ端が犯人をお縄にするのだ。補卒は衙前のように独立した階層を形成し、世襲の役職なのだが、同じ職務に従事するわけではない。彼らは必要なときに募集され、数が多いときもあれば少ないときもある。雇用期間だって定まっていない。彼らには刑罰を受ける側の不届き者が混じっていたりする。それに罪を免れるために補卒になる輩もいたというから、もうメチャクチャというか、「朝鮮的雇用形態」としか言いようがない。

  こんな補卒に犯罪者がいてもおかしくはない。彼らの中で最も奸智に長け、最も傲慢で、しかも最も恐れられているのは各邑の刑事法廷補卒である。この刑吏には定まった報酬がないため、横領で生計を立てていた。自分が気に入ったものは、何でも百姓から強奪する。ある者は軍卒を務め、ある者は守令の家で召使いか、旦那様が外出時のお供、となった。彼らは泥棒などの犯罪者を見つけ出すことにかけては、信じられない程の能力を発揮する。目ざとい彼らが本気で捜査すれば、どんな犯人だって、そう長いこと潜伏していることは出来ない。しかし、コソ泥なんかは捕まえて処罰したところで、何の利益にもならないから、通常は目もくれない。たいていは大物の強盗か悪漢を捕まえる。そうはいっても、これらの兇悪犯は補卒の密偵を務めていたりするので、やむを得ないときだけ、守令に引き渡したのである。(p.118)

  大きな邑には補卒からゼニを貰っている盗賊の頭目が数人いて、人々がこの悪党どもに耐えられなくなった時か、守令がいつになく強い圧力をかけた時に、補卒はしかたなく法廷に突き出すのだ。彼らを逮捕する時にも、比較的軽い罪の場合、あらかじめ合意が出来ていて、補卒が告発し被告が是認する。重大事件に関しては、すべて固く沈黙が守られており、真犯人が相応の懲罰を受けることは稀である。役人は何か必要なときに備えて、便利な駒として泥棒どもを確保していた。だから、官吏たちは普段からその悪漢どもを自由にさせてしていたのである。漢城(ソウル)には当局から黙認された泥棒集団がいて、彼らの掠奪行為は罰せられなかったという。(p.119) もし、盗難被害者が三日以内に官衙(かんが/役所)に提訴すれば、たいていの盗品は返還された。しかし、三日過ぎると、泥棒が盗品の所有者になってしまい、故買業者に安い値段で売却してしまったらしい。(何か通信販売のクーリング・オフ制度みたい。やぁ~、未開部族の朝鮮人は意外と近代的だったのかも、ねぇー。)村人はこの公認無頼漢を分かっていたが、捕まえて役所に突き出したら、後のお礼参り(報復)が怖い。止めといた方が利口だ。

悪知恵がはたらく下っ端役人

  衙前(がぜん)という役職には様々な権能があり、普段は守令の下僕のように使われるが、守令の目を盗んで自分の意のままに事を運んでいる。したがって、この衙前は一つの階層を形成していて、自分たちの間で通婚している。まるで江戸時代の同心みたいだ。いかにもアジア人らしく、衙前はあらゆる手練手管、策述、計略に巧みであり、民百姓を搾取する一方、守令から身を守る術を見事に心得ている。守令によって罷免されたり放逐されたり、あるいは籐(とう)の杖で打ちのめされても、彼らはじっと堪える。そして、ねばり強く復活の機会をうかがうか、さもなければ守令を追放する奸計を練ったりするのだ。ダレ神父はこうした陰謀の例を一つ挙げている。

  ある大きな邑(ゆう/村とか集落)に清廉で有能な守令が赴任してきた。彼は部下が忠実に職務を果たしているかどうかを調査したばかりでなく、彼らがこれまで犯してきた瀆職(とくしょく)行為をすべて洗い出して処罰しようとした。大部分の者が巻き添えにされ、死刑の危機にさらされる者まで現れた。さあ大変。腐敗や瀆職なんて当り前の朝鮮で、こんな綱紀粛正は大迷惑。しかし、この大掃除はありきたりの方便や策術では食い止めることが出来なかった。困った~ぁ、アイゴ~ぉ~。

  ところが、嘆く彼らに名案が浮かんだ。暗行御使(アメンオサ)という国王の隠密特使が変装して彼らの地方を通過するという情報が入ったのである。地方官吏の横暴や腐敗を調査する密偵だが、見つけ出すのは容易だったらしい。(もしかしたら豪華な身なりでもしていたんじゃないか。見栄張りの朝鮮人だから、行商人に扮装する「忍び」みたいな真似はできなかったのだろう。)衙前らはこの御使(オサ)を尾行して監視していた。当時、御使に化けて強奪をはたらく無頼漢がいたから、衙前らは守令に本物の御使を偽者の盗賊と信じ込ませようとした。国王の使者を逮捕すれば死刑はほぼ免れない。もしそうならなくても、守令が立派な政治を行っていれば、その高官を公然と逮捕するような醜態をまねくことはないから、守令はきっと地位を剥奪されるに違いない。悪徳役人はこう踏んでいた。

  そこで、衙前らは守令に訴状を提出した。衙前らは、「あんな詐欺師を野放しにしていたら、守令自身の重大責任になりましょうし、かりに落ち度があった場合、我々も命を危うくすることになりましょう。ですから、僅かな疑念すら生じる訴状を提出するはずは御座いませぬ」と言い切ったのである。当初は、訴状の受諾を渋っていた守令も、彼らがしきりに説得するものだから、ついに折れてしまった。その日の夕刻、抽選で任に当たった岡っ引き役の衙前は、令状を携えて御使の宿泊所へ向かう。彼は宿に踏み込むと、その隠密に飛びかかって罪人のように縛りあげてしまった。お縄になった御使は、自分の姓名と官職を明らかにし、玉璽(ぎょくじ)の捺印された証明書を呈示した。そこで、この岡っ引きは仲間に合図を送り、補佐役や使令たちが現場に集まってきた。彼らは驚いたフリをし、逃げ回ったりの演技をする。また、ある者は御使の前に跪いて、「全く知らぬ事とはいえ、たいそうな罪を犯してしまいました。なにとぞ死刑にしていただきたい」と白々しいセリフを吐いた。激怒した御使は彼らを詰問し、その処刑を命じておいて、さっそく大勢の供を連れて郡衙(ぐんが/役所)へ向かったのである。郡衙へ乗り込んだ御使は守令を罷免するや放逐してしまった。衙前のうち幾人かは不具にされたり流刑の処分を受けたが、誰一人死刑になった者はいなかった。これで彼らの目的は達成されたのである。新しく赴任してきた守令は、前任者の顛末に驚いて、正義のために情熱を注ぐことはしなかったという。

  正義の女神(Themis/テーミス)は目隠しをして、片手に剣もう一方の手に秤(はかり)を持っているとされる。しかし、朝鮮における正義の執行者は、目を剥きだしにして、ゼニを愛している。これじゃあマモン(Mammon/強欲の神)だ。朝鮮人の高官、大臣、王妃などの邸宅には、保護を求めて無報酬で仕える従者や召使いが大勢いた。中には金品を差し出してまでお世話をしたいと願い出る者もいたという。この輩(やから)は多くの事件において、仲介者となり手数料を懐にして蓄財する。依頼された訴訟について、自分の主人から令状を取り付けて守令に提出する。この手続きを踏まれると、守令は無碍(むげ)に却下することができず、こうした圧力を受けた訴訟では、いくら不当なものでも堂々と勝訴する。不正裁判は日常茶飯事だ。たとえば、債務者から借金を取り戻すことが出来ない債権者は、有力者にその返済金の半分を提供すると約束すればいい。そうすれば守令宛てに一筆書いてくれる。それを読んだ守令は、問題となっている要求の正否を吟味することなく、債務者に有罪を宣告し、無理矢理にでも払わせるのだ。それを躊躇う守令は有力者から敵視され、必ずや失脚してしまう。(p.120) 朝鮮においては正義の女神は、明き盲(めくら)ではないが、欲に目が眩んでいたのである。しかも、その剣は弱者に向けられるばかり。秤はゼニが載せられた方に傾く。日本人による司法がどれだけ有り難かったことか。

  朝鮮人は口を開く度に日本帝国主義の罪を責めるが、彼らが指摘する日帝の罪悪とは李朝の悪習である。いまでは日本人の多くが朝鮮人の嘘に詳しくなった。しかし、問題なのは「日本の植民地支配」とマスコミが繰り返す呪文に対して、毅然と否定して反撃できる精神を持っていないことだ。とくに地方の役人や県会・市会議員、学校教師などは、全くといっていいほど朝鮮史に無知である。日々の仕事でくたくたになり、読書の時間は無いだろう。仕事が終われば、酒場か野球場、カラオケボックスに直行するのが関の山。新しい世代が社会の中堅層になるまでは、在日朝鮮人に対する卑屈な態度は消えないだろう。「鮮人駆除」を素直に口に出来るようになれば、日本社会はもっとましになるかも知れない。



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