無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年02月

疑惑の倉庫たるオバマ / 赤い黒人大統領 (3)

疑惑の学生時代

Lolo Soetoro









 (左:ロロ・ソエトロ/右:母アンとオバマ)

  オバマはロサンジェルスのオキシデンタル・カレッジから、ニューヨーク市のコロンビア大学に移った。しかし、オバマはコロンビア大学時代をあまり語ろうとしない。まず囁かれている噂がある。オバマは外国人留学生として入学したのではないか。インドネシアに住んでいたこともあるオバマは、留学生枠で入ったのかもしれない。それというのも、ジャカルタの学校に通っていたとき、バリー・ソエトロ(Barry Soetro)」という名のインドネシア国民として、登録していたのだ。これはAP通信が報道していた。オバマの母アンがインドネシア人のロロ・ソエトロ(Lolo Soetro)と再婚していたから、息子のバラクがインドネシア国籍を持っていても不思議ではない。不可解なのは、オバマの過去を調べようとすると、なぜか公式記録が紛失あるいは隠匿されていることだ。両親の結婚届、子供の出生証明書、医療記録、パスポートや入国出国記録が抹消されている。だから、オバマは義父の戸籍に入ったなら、母親が彼と離婚したとき、アメリカ国民に戻ったのか。オバマの国籍は一体どうなっているのか。オバマはかつて自分のプロフィールにケニア生まれと書いていた。ケニア人の父親がハワイで本当に、母アンと結婚したかも分からず、母親がどこで出産したのかも記録が一切無い。

obama bio (左/「ケニア生まれ」と記されたプロフィール)
  過去が不明なのはしょうがないとしても、詐欺の疑惑をもつ大統領となれば、また別な問題となる。意外なことに、オバマはコネチカット州で発行された社会保障番号(Social Security Number)を持っていた。戸籍制度の無いアメリカで、社会保障番号はとても重要なので、納税の時や身分証明の時に必要となる。だから、多くの人が自分の番号を暗記していても不思議ではない。その番号の取得は通常、自分が長く住む地域であったり、生まれ育った地元で発行される。オバマの番号は042で始まることから、コネチカット州で申請されたものと分かった。ところが、オバマはコネチカット州に住んでいたという記録は無い。ちょっとした出張か旅行はあったかもしれないが、そんなことで社会保障番号を申請するはずないだろう。オハイオ州のスーザン・ダニエルズ(Susan Daniels)というベテラン調査員が、オバマの番号について調べてみた。オバマが選挙に出たのだから、本人確認されても当然。彼女がオバマの合法性を調べたときに、異常な事実を発見したのだ。

  ダニエルズ氏の調査によると、042で始まるオバマの社会番号カードは、1977年から1979年の間に発行されたものらしい。オバマの番号は1977年3月に発行されたものだった。すると、これは彼が15歳の時に取得したことになる。ハワイに在住していたときに、発行されたわけだ。ハワイの高校生がアメリカ本土の、しかも東海岸のコネチカット州まで、旅費をかけて申請書を提出したというのか? 馬鹿らしい。通常社会保障番号は、一人の国民につき一回だけ発行されるもので、社会保証カードを複数持つ国民はいないはず。ダニエル氏はオバマが別の人物に対して発行されたカードを取得したのでは、と推測している。(Randy Rose, A questionalble social security card, Liberty Voice, July 5, 2012) まさか、闇社会のID詐欺師から購入したのか? だが、不法移民が流入するアメリカ社会には、他人の身分証書を盗んで偽造IDを製造・密売する犯罪者がいる。知らぬ間に自分の番号が他人に使われていた、なんてことはしょっちゅうあるのだ。クレジット・カード番号だって、こっそり盗まれて複製カードを作られ、多額の損害を蒙る被害者は珍しくない。連邦最高裁判所のジョン・ロバーツ首席判事も被害者になったことがある。出生が謎のオバマが、闇市のカードを取得した疑惑は拭えない。またダニエル氏は、オバマがその番号を使って、マサチューセッツ州の運転免許証を取得したり、納税申告を行っていることも掴んだ。なんでイリノイ州シカゴで活動していたオバマが、わざわざ別の州で免許を取得するのか? オバマのホワイト・ハウス報道官だったロバート・ギブス氏は、こうした疑惑を尋ねられたとき、戸惑ってしまい、質問をはぐらかして結局答えなかった。まともなアメリカ人なら、おかしいことに直ぐ気がつくから、ギブス氏はさぞかし焦ったことだろう。

疑惑の奨学金

Khalid Al-MansourPercy Suttonobama college days 4









(左:アル・マンソール/中央:パーシー/右:学生時代のオバマ)
  オバマの人生は疑惑の倉庫だ。ただし、その鍵は頑丈で一般人では開くことができない。コロンビア大学時代のみならず、ハーバード大学時代も疑問だらけ。ハーバードの大学生時代にオバマは、カリード・アル・マンソール(Khalid Al-Mansour)博士という過激派の黒人イスラム教徒から、学資金を調達してもらったうえに、入学推薦状まで書いてもらったようだ。アル・マンソル氏は黒人組織ブラック・パンサー党の創設者にとって師匠にあたり、サウジ・アラビアのプリンスであるアラワウィード・ビン・タラル(Alwaleedbin Talal)のアドバイザーを務めていた。これはオバマの知人パーシー・サットン(Percy Sutton)が、「インサイド・シティー・ホール(Inside City Hall)」というテレビ番組で明らかにしたことである。サットン氏は公民権活動家の黒人弁護士で、マルコムXの代理人を務めていたくらい有名な人物で、マンハッタンの区長(Preseident of Manhattan Borough)にも選ばれたことがある。オバマはパーシー氏に、アル・マンソール氏を自分の友人として紹介したのだ。後に、パーシー氏はアル・マンソール氏とビジネス・パートナーとなっていた。( Jack Cashill, Saudi Billionaire did help Obama into Harvard, World Net Daily, September 23, 2012) 

  ビジネス・パートナーとなったパーシー氏は、アル・マンソール氏とはいくつかの役員会でも一緒に出席する仲だったという。あながち嘘とは言えまい。しかし、オバマ陣営のスポークスマン、ベン・ラボルト(Ben LaBolt)氏は、サットン氏の話はデタラメ(bogus)とか捏造(fabrication)だと言い放った。サットン氏側はこれに反発し、番組で話した内容に嘘はないので、訂正しないと語ったそうだ。(Kenneth R. Timmerman, Obama's Harvard Years: Questions Swirl, Newsmax, September 23, 2008) ラボルト報道官は、マンソール氏はオバマを知らない、と主張したのである。では、知らない相手から学費を都合してもらったのか? アル・マンソール氏はマスコミのインタヴューを避けて、オバマとの関係を語ろうとはしなかったし、サットン氏の発言に対してコメントを出すことすらしなかった。それに、オバマはハーバード時代の情報を絶対に公開しなかった。マスコミがいくら大学側に迫っても、本人の承諾がないと如何なる書類も公開されない。ラボルト報道官は、オバマがハーバード大学や他の機関から財政的支援を受けていた事実はない、と公言した。オバマは自力で学費を払ったという。当時ハーバード大学に通うと、一年で約25,000かかり、三年間だと75,000くらいかかったらしい。ハーバード法評論の編集長になっていても、その学術誌からの収入はなかったはず。大学時代だと、学費以外の生活費だってあったから、もっと多い金額を借りていたことになる。

obama harvard law review (左/学生時代のオバマ)
  そこでミッシェル夫人が助け船を出した。彼女が言うには、夫のバラクは自分で学費ローンを返済していて、丁度完済したこころだ、と。2008年の発言だが、ジャーナリストの調べによると、オバマの資産公開資料にローンの返済形跡が見られない。オバマ陣営は、1995年に出版した『Dreams from My Father』の印税で、借金返済を出来たように繕っているが、その当時本の売れ行きはパッとしなかった。オバマが民衆党大会に登場した2004年以降になってから、ようやく本が売れ始めたので、それ以前だと借金返済できるような印税ではなかった。しかも、借金返済なら税控除になっているはずが、オバマの財政記録にはそうした形跡が確認されない。もしかしたら、学費はアル・マンソール氏からの無償プレゼントだった可能性がある。名目上キリスト教徒でリベラル派のオバマとしては、イスラム過激派から学費をもらったとは言えまい。オバマはインドネシアのイスラム教徒学校に通っていたし、黒人だからイスラム教徒にも「いい顔」ができる長所がある。本当にズル賢い奴だ。

業績無しの学術誌編集長
 

obama college days 3obama harvard







  渡る世間は、滑って転べば痛いし、起き上がることだって厳しい。たいていの職場だと、総長や社長、組長とか「長」の附く役職に坐る人物には、それなりの業績や力量が求められる。自慢料理もない人物が、一流旅館の厨房に入って、板長になりたい、といったら「アホ」と言われるだろう。また、素振りは得意でも、実践経験のない選手が、プロ野球の監督になれるわれがない。テレビを観て料理や野球を覚えたので、指導者になれますなんて言ったら、みんなに笑われる。しかし、黒人学生のバラク・オバマは違った。この人物には世間の常識は通用しない。不可能を可能にする男、といったら格好良いが、小賢しい詐欺師と呼べば、納得できる男である。世の中には学術書が溢れていて、ピンからキリまであるから、どの雑誌が素晴らしくて、どれが三流雑誌か分からない。しかし、ハーバード法評論(Harvard Law Review/HLR)は、伝統と歴史のある一流学術誌だ。その雑誌に自分の論文が掲載されれば、他人から羨望の眼差しを受けるから、学者としては鼻が高い。そこの編集委員になるには、余程の実力がなければ、とても勤まらないし、第一採用されないだろう。HLR側は編集委員を実力主義で採用してきた。当り前だ。

  オバマが編集委員に応募した時期は、黒人学生にとったら極めて有利であった。従来、学業成績で上位者をメンバーに選んでいた編集部は、採用審査を作文コンテストによるものへと変えたのである。これはHLR編集部に、マイノリティー(つまり有色人学生)を採用するという裏事情があったからだ。能力で審査すれば、有色人は不合格になって、編集部が白人ばかりになってしまう。そこで人種主義を適用して、能力が劣る有色人種をとることになったらしい。(レイシズムとは黒人だって利用するのだ。)しかも、オバマは悪運が強い。当時、法学部の黒人左翼デリック・ベル(Derrick Bell)教授が、法学部は女性の黒人を教授に迎えろ、と要求していた。こうした黒人による抗議活動で、ハーバード大学は動揺していたのである。(Jack Cashill, Why Obama is Mum about Harvard, World Net Daily, September 11, 2008) 黒人に及び腰の白人は折れた。有色人種からの圧力を受けた編集部は黒人初の編集長を擁立しようとしたのである。かくてバラク・オバマ編集長の誕生。栄光あるハーバード・ロー・レヴューに汚点がついた。能無し学生でも、肌が黒ければ要職につける。オバマは黒人という人種を武器に出世できると確信したのではないか。論文一つ無い素人でも、編集長になれたのだから、もっと偉大になれるのでは、と考えても不思議じゃないだろう。ただ、その時は、まさか合衆国の最高行政官になれるかもとは思ってなかったろうけど。

ロックフェラーとの密会

  アメリカ人は新しいものが好きだ。iPodやPlay Stationの新製品が出ると、列を作ってでも買いたくなる。日本人も同じで初物が好きだ。黒人初の大統領が拝めるとなったから、アメリカ黒人は若者から老人までが胸を弾ませていた。アメリカ白人の中でも、リベラル派は人種偏見が無いことを示そうと、無理してまでもオバマを応援していたのだ。現在のアメリカ政治に於ける選挙は、少数の金持ちや有力者が、有色人種が主流の大衆を操作して、選挙を思うがままに動かす図式になっている。どうせ黒人やヒスパニックといった下層民は、軍事や外政、金融などに興味が無いし、知識すら持たないから、選出された政治家が何をしようとも気にしない。国内の教育や福祉、医療、差別是正といったローカル政治にしか関心がないのだ。大富豪が民衆党の貧民代表にカネを注ぎ込むのは、子飼いの政治家を当選させ、買収した連中を通して、合衆国の行政機構を私物化するためである。10億ドル使っても、1,000億ドル以上儲かれば、投資として充分だろう。だから、名だたる有力者が民衆党の黒人やヒスパニック団体なんかに、巨額のお金を惜しげもなく与えているのだ。

Hillary Clinton 1David Rockefeller 2










(左:ヒラリー/右:ロックフェラー)
  2008年の大統領選では、初の黒人大統領を目指すバラク・オバマと、女性初の大統領を目指すヒラリー・クリントンが、民衆党代表候補を巡って熾烈な戦いを繰り広げていた。そんな中、6月上旬に不可解な事件が起きたのである。オバマはヴァージニア州北部で集会を持っていて、ダレス国際空港からシカゴへ戻るはずだった。大勢の取り巻き記者が、注目のオバマ候補に同行するのは当然だ。その同行記者たちは既に飛行機の中に搭乗していた。予定通り飛行機が離陸すると、報道担当のロバート・ギブス氏が、機内のジャーナリストらにオバマが乗っていないことを告げたのである。(Jeff Zeleny, Two Rivals Sneak Away to Meet, and the Hunt Is On, The New York Times, June 7, 2008) 騒然とするオバマ番記者。ギブス氏は理由を説明しなかった。どんな些細なことでも見逃さず、報道しようと構えていたジャーナリストたちは、不意を突かれて戸惑った。でも、飛行機はもう上空にあったから、途中下車するわけにもいくまい。ずるいじゃないか、と言いたくなる。でも、「どうしてだ?」と疑問に思って当然。

  実は、オバマはヒラリーと密会していたのである。しかも、そこにはデイヴィド・ロックフェラーも同席していた可能性があるというのだ。一部の記者たちは、ホワイト・ヘヴィン通りにあるヒラリーの家で密かに会っていたと報道した。しかし、それよりも、ダレス空港近くのウェストフィールド・マリオット・ホテルで開かれていた「ビルダーバーグ(Bilderberg)会議にいた可能性の方が高い。世界の大物有力者が集まるビルダーバーグ会議は、なぜか大手主要メディアでは報道されない。よく陰謀論者が騒ぐが、何もないたんなる集会なら、報道したってよいだろう。有名俳優や歌手がロスやカンヌに集まれば、テレビ局は大騒ぎして一部始終報道するのに、政界・財界の超一流人物が集まると沈黙する。おかしい。そんな会議へ話題の候補者が密かにやって来たのだ。何かあると勘ぐるのが普通だろう。オバマが番記者を巻いてまで、ロックフェラーのもとで、ヒラリーと密談するのはなぜか? 報道されては困る内容だからだろう。益々怪しいのは、これが報道機関のトップ・ニュースにならなかったことである。誰が考えても納得できない。6月の時点で、オバマに大統領を譲って、その代わりにヒラリーは国務長官になる、との裏取引があったんじゃないか。その決定をロックフェラーが下して、二人に命じたのでは、と疑いたくなる。選挙なんて所詮、愚民を宥(なだ)めるためのガス抜き作業に過ぎない。

  オバマの体は叩けばホコリが出る、なんてものじゃない。全身がヘドロにまみれて、触っただけでヌルヌルした汚物がつくような悪人である。選挙中にはかつての左翼仲間が活躍したり、大富豪の財団が支持に回っていたり、不正投票が行われていたり、と嫌になるくらいスキャンダルがある。マスコミが伝えていない汚い過去が、オバマにはいっぱいあるのだ。任期が終了すれば、多くの黒人やリベラル評論家が、偉人伝を書いて黒人初の大統領を祭り上げるだろう。有色人のアメリカ国民は、何を言われてもオバマを英雄扱いするに違いない。オバマの黒い過去はまた機会があれば紹介したい。

(Part 1Part2を参照してください。)


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左翼家庭のオバマ / 赤い黒人大統領 (2)

共産主義者の大統領

  超大国アメリカの大統領になったバラク・オバマには、軍事や外政といった高度な政治が分からない。当然だろう。左翼分子と貧乏人、有色人種、マフィアなどがとぐろを巻くシカゴで、ちんけな左翼活動をしていたのだから。信じられないのは、口が達者なだけの黒人青年が、地方政治家になったまではいいとしても、いきなり合衆国大統領になったのだ。予備知識も無ければ、経験だって驚くほど欠落している。そんな小物がどうして、大統領になれたのかは、後に論じてみたい。ただ、オバマの正体を調べるに当たって、どうしても素通りできないのが、幼少期の師匠たる“フランク”である。オバマの自伝ではフルネームで紹介されていないのに、とても重要な人物なのだ。

  共産主義者には色々な種類があって、全員がマルクス・レーニンの著作を理解して、実践しようとしているのではない。確かに、ロシア人とユダヤ人は、私有財産を否定する国家体制を樹立し、独裁制を維持するため反逆者をシベリア送りにしたり、軍事力拡大に努めていた。だが、共産主義に惹かれたアメリカの有色人種は、ソ連の同志とひと味違う。とくに黒人コミュニストらは、共産主義の輸出や世界革命にはあまり関心が無かった。どちらかと言えば、共産主義による現政府の転覆や白人社会の破壊を目指す者が多いのだ。黒人を差別する社会制度を維持する白人が許せない。この怨念が尽きることなき原動力である。少年時代のバラク・オバマに多大な影響を与えたフランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)は、隠れ共産主義者であり、白人によるアメリカ社会を生涯憎んでいた。

辛い幼少期を送った黒人

Frank Marshall Davis 1 (左/フランク・マーシャル・デイヴィス)
  1905年生まれのフランクは、オバマの母と同じカンザス州のアーカンソーで育ち、黒人差別の時代を噛みしめる少年時代を送った。南部に生まれ育った黒人はクズどもと見なされ、教育を受けても社会の底辺をうろつくばかり。こうした自己卑下のような現状認識は、当時の黒人の間では常識だった。フランクは惨めな思いを回想録に綴っている。例外的に学校に通えた彼は、白人ばかりの教室で浮いた存在であった。そんな白人のクラスメートと共に学んだことは、自分の祖先が裸の野蛮人で奴隷、という歴史である。アフリカのジャングルから奴隷商人によって、アメリカに連行された未開人は、そこで初めて文明に触れました、という内容だから意気消沈。こんな授業なら、うつむくしかないだろう。でも、黒人にとって辛いのは、嫌なアメリカから逃げ出して、アフリカに戻りたいかと、白人から質問されることである。彼らもアフリカが野蛮で貧しく、アメリカが豊かな文明であることを、内心では認めているのだ。ただ、言葉に出して肯定できないだけ。こうした矛盾の生活を続けているから、彼らの精神はいっそう歪んでしまうのだ。

  フランクには忘れられない苦い記憶がある。少年の頃、帰宅途中で三年生の悪ガキ二人に、突如襲われたという。この悪魔のようなガキどもは、フランクを地面に突き飛ばし、首にロープを巻き付けたのである。足をばたつかせ、叫ぶフランク。彼らは黒人少年をリンチに掛けようとしたのだ。フランク危機一髪。あの世行きか? ところが、そこへひとりの白人が助けに入り、二人の不良を追い払ってくれた。その白人はフランクの服についた汚れをはたいてくれた。道中を心配したのか、家まで送り届けてくれたそうである。フランクにはその白人が誰なのか分からなかった。(Paul Kengor, The Communist  Frank Marshal Davis: The Untold Story of Barack Obama's Mentor, Threshold Editions/Mercury Ink, New York, 2012,p.22) フランクが幼すぎたし、かなりのショックだったから、彼の名前を聞くことすら忘れていたのであろう。まあ、悪魔の国アメリカにも、救ってくれる善人や拾ってくれる神様がいたのだから、支那より遙かにマシだった。支那人なら、素通りが当り前。一文にもならぬ勇気は持ち合わせていない。

  オバマの母親アンと同じく、フランクも信仰心が無かった。しかし、フランクの両親はパプティスト教会の信徒であったらしい。典型的な黒人キリスト教徒であったのだろう。息子のフランクには小さい頃から、祈りの力を教えていたそうだ。子供だからしょうがないのだが、両親の篤信を真に受けたフランクは、祈りによる結果が見えないことに疑問を持った。オクラホマ州タルサで起きた暴動の最中、黒人が虐殺されたと聞いたフランクは、ベッドの横に跪いて、天罰(神様の報復)が下るよう祈ったそうだ。ところが、犯人に天からの懲罰が下らない。どうしたんだ? 戸惑うフランク少年。すると、またリンチ事件が起きたという。今度は、南部で若い黒人の母親が、白人によって焼き殺されたそうだ。彼女が泣き叫ぶのを白人どもが笑っていたという。怒りに燃えたフランク少年は、すかさず神様に祈った。それでも何も起きない。前と同じ。彼は神様に失望したという。天罰はあの世で下ることを、両親がフランクによく言い聞かせていなかったのではないか。おそらく「キリスト様が再臨された後のことなの」という一言を忘れていたのだろう。

  キリスト教は古代イスラエルで発生した新興宗教で、聖母マリアの息子イエズスはユダヤ人であった。当然なのだが、ヨーロッパ人がキリスト教徒になって、イエズスの想像画を大量に生産したので、我々もつい天主の子(Son of God)は、西歐白人と思ってしまう。戦国時代のキリシタンも、宣教師が持ってきた聖母像やイエズスの肖像画を見ても、疑問に感じなかった。もっとも、外国人の区別がつかなかった日本人には、中東アジアの人種なんか分かるはずがない。非キリスト教徒の日本でさえ、エチオピアのキリスト教徒が、黒人のマリア像を描くと、ちっょと驚いてしまう。いつもの白人女性ではないからだ。幼かったフランクも、キリスト教について疑問があった。なぜ、どの絵画に描かれるイエズスも、金髪の白人なのか。そしてなぜ悪魔は黒いのか。キリスト教というのは、黒人を白人に従属させるための宗教ではないか、とフランクは思い始めたらしい。この小さな懐疑心は、やがて大きな共産主義思想へと発展する。

  言われてみれば、我々もおかしな事に気づく。黒は否定的な事を連想させる。たとえば、「腹黒い」「マフィアの黒幕」「黒星(相撲での負け)」「容疑者が黒」といった言葉が思い浮かぶだろう。“黒”という色はだいたい良くないイメージをもつ。花嫁は白いドレスを着て、未亡人は黒いドレスを身にまとう。逆はない。武士が切腹するときは、邪念無き白装束で最期を迎えるが、黒い衣装だと甲賀の忍者になってしまう。それに『スター・ウォーズ』のダース・ベーダー卿も黒い服に身を包んでいて、暗黒の世界に堕ちた役だった。(しかし、もしかしたら、武将の甲冑を模倣したのかもしれない。) 容姿も白い方が好まれる。色白は七難隠すのに、色黒は恥ずかしい。美白化粧品は売れるのに、「美黒化粧品」は販売されていない。黒人だって買わないだろう。(白人なら「靴墨」を差して、「売ってるよ」、と笑うだろうけど。) 英語を習う日本人だって、奇妙に思うことがある。脅迫状は「ブラック・メイル(blackmail)」というが、便箋と封筒は通常だと白い。黒い便箋を使ったら、なんか呪いの手紙みたい。「ブラック・ユーモア」は、ちょっと毒の混じった冗談を意味する。しかし、「ホワイト・ジョーク」なんて聞いたことがない。「ブラック・ブック」は閻魔帳とか黒書で、良くないことが記されている本。あと簡単な思いつくのは、「黒死病(black death)」「黒ミサ」「ブラック・ホール」「闇市(ブラックマーケット)」などだろう。よい意味だと「黒字」と「黒帯」くらいかな。

  キリスト教に失望したフランクは教会を離れ、図書館で無神論者の本を探して読むようになる。信仰を棄てて白人を憎む黒人青年は、やがて詩人になり、黒人問題にこだわる隠れ共産主義者になっていく。ジャーナリストになったフランクは、アトランタで働いた後、念願のシカゴに移り住むことができた。腐敗の街シカゴは黒人にとって居心地が良い。シカゴといえばマフィアを連想する人も多いだろう。だが、犯罪組織は孤立して存在しない。たかる対象の下層民が沢山いることが肝心なところ。しかも、アメリカに馴染めない東欧移民が労働者になっていたから、社会主義者にとっては、労働組合の結成が楽だったし、熱心な組合員を多く集めることができた。それに合衆国共産党(CPUSA)の発祥地である。アメリカには社会党が既に存在していたが、そこの左派が分離してアメリカ社会主義労働党を結成した。1919年にシカゴで大会を開いて、共産主義労働党が組織されたのだ。いまでも、シカゴは闇社会と左翼の牙城となっている。

  共産主義者のメッカに移住してきたフランクは、他人に公表していないが、密かに合衆国共産党(CPUSA)に入ったようだ。第二次世界大戦中にフランクは、イルマ・ヴァサール(Irma Wassall)という魅力的な女性と出逢ったらしい。彼女はフランクと同郷のカンザス州ウィチタ出身の詩人で、その肉体はフランクのスケベ心をくすぐったようだ。(コミュニストには、やたらと性に固執する奴が多い。) フランクは彼女の体が目的だったのではなく、どうやら共産党に勧誘するつもりだったらしい。そこでフランクは彼女に手紙を書き、自分は最近共産党に入ったことをこっそり伝えたのだ。(Paul Kengor, p.92) この手紙はフランクが他人に党員であること明かした、唯一の物証である。彼は大学時代から共産党に関心があったと告白しているのだ。FBIの調査ファイルによれば、フランクはアトランタ在住の頃に、共産党への関心が深まったとされるが、手紙ではもっと早い時期から共産主義に傾倒していたことが示されている。フランクの経歴を調べたポール・ケンゴール(Paul Kengor)の推理によれば、フランクの入党は、1943年以前ではなく、かといって1945年以降でもない。なぜなら、フランクは1944年にシカゴで開かれた共産党大会に出席できたからだ。大会出席者は少なくとも一年以上の在籍歴が無ければ、許可されなかったので、フランクが入党したのは1943年ではないかと推測できる。

共産党のハワイ支店に転勤

Harry Bridges (左/ハリー・フリッジス)
  共産主義者や黒人がウジャウジャいるシカゴで爽快だったフランクは、なぜか悪の巣窟シカゴを離れて1948年にハワイへ移住すること決めた。これには裏事情がある。当時は冷戦が始まって、ソ連が対外工作を積極的に展開していた頃。ハワイにアメリカ海軍基地があるのは、日本人なら誰でも知っているだろう。ソ連にとって、この海軍基地は邪魔だから、取り除く方法を思案した。そこでハワイに共産党の支店を出そうと考えた。非アメリカ活動に関する下院調査委員会と諜報委員会へ、捜査官として出席したハーバート・ロマースタイン(Herbert Romerstein) は、ソ連がアジアに膨張するとき、ハワイのアメリカ軍が障害になると証言した。(The Scheartz Report, Vol.48, No.9, Sepyember 2008) 1937年までハワイには共産党が無かったが、ちょっとづつ共産主義者が現地で増えていった。ハワイでは労働組合のボスとして、ハリー・ブリッジス(Harry Bridges)が君臨していた。国際港湾・倉庫労働者組合(International Longshoremen and Warehousemen's Union/ILWU)を率いていた彼は、オーストラリア出身の委員長であったが、共産党員としての顔を裏に隠していたのである。

  ハワイに労働者は沢山いたが、共産主義活動には、無知な労働者を率いる知識人が必要だ。レーニンやスターリンにはよく分かっていて、大衆だけでは共産主義革命はできない。不満を募らせたプロレタリアートを煽動する専従組織員が求められる。隠れ共産主義者のブリッジスはアメリカ本土から助っ人を呼ぼうとした。そこで目をつけたのが黒人ジャーナリストのフランク。シカゴからフランクがハワイに到着すると、迎え出たのは共産主義者の日系人コージ・アリヨシであった。彼は第二次大戦中、アメリカ陸軍の諜報士官であった。OSS(諜報機関CIAの前身)が支那共産党員と協同作業するため、アリヨシをベトナムへ派遣していたのだ。ところが彼は、毛沢東と接触するうちに、共産主義者となってしまい、延安で宣伝工作についての特別訓練を受けることになった。ハワイに戻ったアリヨシは1948年、『ホノルル・レコード(Honolulu Record)』紙を発行する。フランクはアリヨシに雇われ、専属記者となった。

Koji Ariyoshi (左/コージ・アリヨシ)
  日本でも同じだが、一般左翼及び共産主義者は、職場が違っても、地下で赤い根が伸びて、相互に絡まっている。NHKとTBS、テレ朝、朝日新聞、毎日新聞、共同通信などが、裏で連携して、反日報道を繰り広げていることは有名だ。ハワイでも似たような構図があった。アリヨシはブリッジスと「持ちつ持たれつ」の関係になる。上院司法委員会に召喚された、ハワイ共産党の幹部ジャク・カワノ(Jack Kawano)によれば、共産党は組合に「ホノルル・レコード」紙を購入したり、紙面に広告を出すよう命令していたという。(Kengor, p.146) ILWUの組合員は約3万人いたから、「レコード」紙にとったら有り難い。その紙面でフランクがハリー・ブリッジスを援護する提灯記事を書く。フリッジスが他人から非難されれば、フランクが反論を書いて、彼を助けてあげるという仕組みだ。なんだ朝日新聞と同じではないか、と日本人なら思うだろう。赤旗を掲げたメディアは皆兄弟。左翼は仲間同士てお金を環流させることで、各自の所得を確保させたり、相互に褒め合ったり、助け合ったりしている。知らぬは一般人ばかり。コージ・アリヨシはCIAに深く食い込んだ共産党の工作員だったが、外人登録法(スミス法)に違反したとして逮捕されてしまう。政府転覆を謀ったという容疑を掛けられたのである。しかし、最高裁の判断により、アリヨシは釈放され服役することはなかった。

左翼思想の母親
  
Dunham, Ann (左/アン・ダナム)
  バラク・オバマの母親スタンリー・アン・ダナム(Stanley Ann Dunham)は、フランクとハワイで出逢う。この母親が見かけと違って、精神が普通じゃなかった。彼女の父親からして変人。娘に「スタンリー」という自分と同じ名前をつけるなんて可愛そうだ。息子が欲しかったからといって、娘に男の子のファースト・ネームをつけるなど、ちょいと性格が歪んでいる。彼女は自分の名が嫌いだったという。友人によると、彼女はデートをする気も無かったし、子供を産むことにも興味が無かったらしい。(Jerome Corsi, The Obama Nation, Threshold Editions, New York, 2008 p.42) それが後年になると、黒人とセックスしたり、インドネシア人とも結婚し、黒人やアジア人の子供を産んでしまうのだから、女心と秋の空は変わりやするのかも。

  娘のアンは、一見するとカンザス生まれの平凡な白人娘みたいだが、周囲の評判を考慮すると、かなり風変わりな少女であった。彼女は無神論者であったが、信仰篤い当時としては異常である。高校時代の親友マキシーン・ボックス(Maxine Box)は、アンが何事にも挑戦し、議論し、競争し、他の級友が考えもしないことを考えていた、と回想している。アンの人生を見れば、我々もうなづける。ところが、高校にも問題教師がとたらしい。ヴァル・フォウバート(Val Foubert)ジム・ウィチターマン(Jim Whichterman)は、父兄の反感を買っていた。フォウバートはリベラル的趣味の英語教師で、アイン・ランドの「アトラス・シュラッグト(Atlas Shrugged)」やジョージ・オーウェルの「1984」をテキストにしていた。一方、哲学を担当していたウィチターマンは、サルトルやキルケゴールを紹介したり、天主の存在を疑うよ生徒に勧めていたという。生徒はこの教師二人のオフィスをつなぐ廊下を「アナーキー通り(Anarchy Alley)」と呼んでいた。1950年代のアメリカといったら、アイゼンハワー政権時代で、まだそうとう保守的風潮が強い頃だ。片田舎で、教師がこれだけリベラルなら、親だって怒るだろう。しかし、アンには抵抗がなかったのかもしれない。

Obama and Momobama childhood (左:アンとバラク/右:少年バラク)
  カンザスを離れたくなかったアンだが、両親の仕事の都合でハワイに引っ越すことになった。ハワイ大学に入学したアンだが、これまた変わった教科を受講する。ロシア語だ。アメリカ人は外国語を勉強したがらない。世界各地から移民が流れ込むから、彼らが英語を勉強してくれる。ぎこちなくてもカタコトの英語で話してくれるから、アメリカ人は無理して異国の言葉を学ぼうとしない。日本が特殊なだけ。もし、アメリカ人の中学生に、日本語を必修科目にしたら、暴動が起きてしまう。日本語はアラビア語と同じくらい難解な言語だから、まず習得しようとは思わない。国務省やCIAで日本語を話せるのは、日系人かユダヤ人くらいだろう。ロシア語もかなり難しい。アンが入学した頃の1960年代に、大学でロシア語を学ぶのは、外交官や研究者になりたい学生か、共産主義に傾倒した左翼学生くらいだ。既に無神論者だったアンは、共産主義体制を支持していたケニア人エリート留学生、バラク・オバマ・シニアとロシア語教室で出逢ったのである。後進国のアフリカでは共産主義に対する憧れが強かったので、アフリカ人留学生には社会主義経済を賞賛している者が多かった。アンとバラクは左翼思想で共鳴していたのかもしれない。

Obama & Mark Davisobama & lynn davis







 (左:マークとバラク/右:リンとバラク)
  一応、アンはオバマ・シニアと結婚したことになっているが、どの教会で式を挙げたのかも定かではないし、役所の公式記録さえ無い。結婚式の出席者も見当たらないし、息子バラクの出生証明書だって本当に存在するのか、未だに不明というか謎だらけ。しかも、父親というシニアに、息子のジュニアは似ていない。肌が黒いことが共通しているだけで、黒人が両者を見比べても親子かどうか判定に困ってしまう。それよりも、オバマ大統領が「フランク」と呼び、親しくしていたデイヴィスの方がよっぽど似ているから、もしかしたらアンはフランクの子を産んだのではないか、と疑う者だっているくらいだ。しかし、フランクの遺体か、彼の子供のDNAをオバマ大統領のDNAと比較しないと結論は出せない。フランクには、二番目の妻ヘレンがいて、白人の共産主義者であった。彼らにはマーク(Mark Davis)という息子とリン(Lynn Davis)という娘がいる。この二人から唾液でも採取して、オバマと照合すれはいいのではないか。とくにマークとオバマのY染色体を比較すれば、面白い結果が出るかもしれない。その染色体が一致すれば、同じ父親から生まれたことが証明できるからだ。また、オバマ・シニアが他の黒人女房に産ませた子供のDNAと比較することも有意義である。ケニア人の異母兄弟から採ったY染色体がどんなものか興味深い。

父親みたいなにフランク

Dunham, stanley amourobama & Madelin






(左:スタンリー/右:祖母マデリンとオバマ)

  異人種間結婚など普通の白人娘には想像できない時代に、アンは子黒人の子供を産んだのである。それだけでも大変なのに、彼女は酒と女癖がわるかったオバマ・シニアと間もなく離婚。黒人の父から生まれても、父親がいない母子家庭だ。しかも、面倒を見てくれる母の両親は白人。家庭で人種隔離を毎日体験するバラク少年には辛いことが多かった。バラクは7年生の時、初めて差別用語「クーン(アライグマ/Coon)」と呼ばれたという。バラクは彼の顔を殴り、鼻血を流した少年は「何で殴るんだよ? 」と言って、驚きの余り涙を浮かべた。(バラク・オバマ『マイ・ドリーム』 白倉三紀子/木内裕也 訳 ダイヤモンド社 2007 p.94) 外で差別にあって喧嘩したバラクは、祖父母との生活でも人種問題で傷ついたらしい。

  ある日のこと、台所で祖父のスタンリー(Stanley Armour)と祖母マデリン(Madelyn Payne)が口論していたのだ。祖父は妻マデリンを会社へ車で送ってあげない、と言っていたそうだ。不審に思うバラクは、自分が祖母を送るよ、とスタンリーに提案した。しかし、バラクは問題の本質が違うことを分かっていなかったのだ。祖母は勤め先の銀行までバスで通っていたらしい。しかし、その日彼女がバス停で待っていると、男の人にお金をくれと、と言われたそうだ。祖母はムッとした表情で、バラクに話した。祖母が1ドル恵んでやったら、その男はもっと要求したのである。とても強引だったから、祖母は不愉快だった。ちょうどバスが来たから良かったものの、頭を殴られていたかもしれない、と祖母は語る。不安を抱く祖母を見たバラクは、自分がおばあちゃんを送ってやる、と提案した。祖父はマデリンが省略したことを孫に教えることにした。祖母は以前にも、何度か乞食に声を掛けられたことはあるのだが、今回に限って怖がっている。その理由を低い声で打ち明けた。じつは、その乞食が黒人だったのだ。祖父は「そんなのはおかしい」と反論して、祖母と揉めていたのである。これを聞いて、バラクはみぞおちを殴られたような気がしたという。(『マイ・ドリーム』p.105) 平静を取り戻すのに少し時間がかかったが、祖母の態度は許せないが、それでも恐怖心を持つ祖母を車で送ってやる、と孫のバラクは言った。祖父はバラクに「すまない」と言う。黒人の孫にとったら、いくら祖父母でもやはり人種の壁を感じてしまう。祖父母だって黒人への偏見は悪いと分かっていても、感情は理性と違う反応をしてしまう。異人種結婚の悲劇である。

Frank Davis Barak Obama










  現代の日本人は建前で人種主義は悪いと考えるが、やはり人種というのは無視できない重要な属性である。バラクは家庭での人種問題があったその夜、三年ぶりにフランクの家を訪ねた。まるで別れた父を訪ねる息子のようだ。酒を勧めるフランクは、バラクに「今日はどうしたんだ?」と尋ねる。バラクはその日の出来事を打ち明けた。するとフランクは祖父スタンリーを責めてはいけない、と諭す。フランクは、「私が彼のことを理解しているのと同じように、彼が私を理解するのは不可能なんだ」と語る。ハワイの原住民やインディアンなら理解できるかもしなない。彼らは父親を侮辱されたり、母親を汚されるところを目にしたことがあるからだ。スタンリーはフランクの家でウイスキーを飲み、ソファーに横になってうたた寝をすることができる。フランクは「赤ん坊みたいにな」と付け加える。しかし、フランクは「私が彼の家に行っても、それは絶対にできない。絶対にだ。どんなに疲れていても、気を抜くことはできない。生き残るためには、油断はできないんだよ」とバラクに語った。

  フランクは息子に人生を教えるように、他人であるはずのバラクに、人生と社会の不条理を語るのだ。バラクの祖母マデリンが恐怖を感じるのも当然だし、祖父スタンリーの言い分も正しい。そしてフランクは「黒人には白人を嫌う理由がある、とおばあちゃんはちゃんと知っているんだ。それが現実さ。おまえのことを思えば、そりゃあそれが現実じゃなければいいと思いたい。でも現実はそうなんだ。それに慣れるしかないんだよ」と語った。(『マイ・ドリーム』pp.107-108) なんか感動的にシーンに思えてくる。真摯に向き合う二人の姿が目に浮かぶじゃないか。オバマが共産主義者になったのは、人種問題が決定的な理由だろう。それに、フランクからの教えの方が、共産主義者の衒学的説教より、遙かに心に沁みたのではないか。共産主義に興味を持つ黒人は、マルクス・レーニン全集より、差別体験に基づく黒人の薫陶(くんとう)に惹かれるはずだ。黒人は理論体系なんかに感動しない。難しい哲学用語を掲げる講義より、日々の苦悩から発する怒りと悲しみに共感するのだ。オバマの人格形成にフラナンクは大きな役割を果たしたことは否めない。札付きの共産主義者から、人生の教訓を得たバラク青年は、米国本土の大学に入り、さらに共産主義思想に磨きをかけたのである。

  次回は、オバマの過激派人脈について紹介したい。

(Part 1Part 3を参照)


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