無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年03月

エッ ! これが日本代表 ? / 人種が変化する国民国家

驚きのミス日本

  人種論を発言する者は、“極右”とか“レイシスト”または“ネオ・ナチ”と呼ばれるのに、ミス・コンテスト主催者はそう呼ばれないは不思議である。たくさんの若い女性を集めて、お金と名声をくれてやるから服を脱げと命令し、裸に近い水着姿にして、その肉体を品評するのだ。しかも、どんな審査基準なのかは、本当のところ分からない。しかし、性格とか特技を採点に含めて、参加女性に序列をつけるのだから、人種・民族・容姿差別反対論者は抗議すべきではないのか? もっとも、審査員はどんな美的基準なのかを明確にしないから、各人種や民族から適当に選んで批判をかわしているのかもしれない。たとえば、去年は歐洲の白人だったから、今年はアジア人を選ぼうとか、それよりもアフリカ黒人を選んだ方がマスコミで話題になるかも、と計算しているのでは? 優勝者は人種別の輪番制かもしれない。そうはいっても、美人品評会であるからには、やはり外見の得点が一番重要視されるはずだ。教養や特技を重視しているなら、水着にさせる必要はないじゃないか。容姿と知性が比例している、という科学的根拠は無い。

  ミス・コンテストがどんな基準で美女を選ぼうが、しょせんお金儲けのイベントだから文句を述べてもしょうがない。2007年にミス・インターナショナル日本代表に選ばれた、本郷李來(ほんごう・りら)さんをたまたま見た時、筆者は台湾かマレーシア代表と勘違いしたのを覚えている。(筆者派は雑誌の藝能・娯楽記事に疎いのでごめんなさい。) 紹介記事を読んでみたら留学生じゃなくて日本人の大学生であった。人々の美的感覚はまちまちだから、「日本も時代と意識が変わったなぁ」との感想をもったものである。旧世代(第20世紀)に属する筆者には、現代日本が異国に思えてならない。政治的配慮が加味されていそうなミス・コンテストに興味は無いが、マスコミで話題になった記事はちょっとだけ知っている。以前、ミス・ユニバース世界大会で優勝した森理世(もり・りよ)さんが、写真の間違いをそのまま報道された事件があった。(産経ENAK, 2007年6月29日) 誤報では別人の写真が掲載されたり、森さんを「ミス・コリア」とか「ミス・タイランド」と紹介していたらしい。でも、優勝者を間違えるなんて、どんなアホが記者として派遣されていたのか? その顔と理由を知りたいものだ。

  女性の肉体を見比べるコンテストでは、各国代表を集めて美を競っているというが、地元国民の遺伝子に関係なく、国籍所有者なら人種・民族を問わないらしい。それなら国別に代表を選出したり、奇妙な民族衣装を着せるのは何故なのか、まったく見当がつかない。日本代表の和服なんて我々の常識では考えられぬ奇抜なデザインだ。日本人だって見たとこがない日本の伝統衣装には呆れてしまう。米国のような雑種国なら仕方ないだろうが。衣装が奇抜なのを無視しても、人種への無頓着さには首をかしげてしまう。スウェーデンやデンマークのような北欧諸国の代表が黒人であれば、北欧人のみならず、我々日本人だって驚く。もし、ギニアやコンゴといったアフリカ諸国から支那人やマレー人が選出されたら、地元の民衆から文句が出ないのか疑問である。韓国代表が黒人なら、南鮮人はきっとインターネットで酷評するだろう。もっとも、乳房丸出しの朝鮮衣装チョゴリを着たアフリカ系朝鮮人など想像できない。しかし、黒人米国兵の夫婦が南鮮国籍を取得すればあり得る話しだ。ただ、アメリカ黒人で南鮮国籍を取ろうとする者は相当な変人か、人生に絶望して自殺寸前の精神病患者くらいだろう。

  2015年のミス・ユニバース日本代表に宮本エリアナさんという混血児のお嬢さんが選ばれたそうだ。彼女のお父上は佐世保のアメリカ海軍基地に勤務する黒人兵だそうで、歴代の日本代表とは違い、初の黒人系優勝者だそうだ。誰を優勝者に選ぼうが主催者の勝手なのでどうでもよい。注目すべきは、ミス・インターナショナル日本代表になった吉松育美(よしまつ・いくみ)さんのストーカー事件を一切無視した日本のマスコミの方だ。三流藝人の色恋沙汰でも長々と報道するくせに、とんでもない嫌がらせ事件を取り上げなかったのは異常である。加害者が芸能界の大物谷口元一だから報道しなかったのだろう。(David McNeill, Miss Japan Ikumi Yoshimatsu joins battle against mafia in the media, The Independent, 27 December 2013) なんで女性の権利を叫ぶフェミニスト評論家はテレビ局を批判しないのか? テレビ局に楯突くと仕事がなくなるからじゃないか。外国メディアだって取り上げた事件なのに、ワイドショーが揃って無視するなんておかしいだろう。

  宮本氏が民間コンテストの日本代表になろうが、いいじゃないか。どうせ庶民は本音の世界(モデル雑誌や映画界)で美人投票をしているのだから。注目すべきはアジアやアフリカ出身の帰化人や混血児が増えていることだ。我が国は昔からの領土だけでなく、異民族支配の経験が無い人間が集まって構成されている。アジア人やアフリカ人の異質な遺伝子が、日本国民の遺伝子プールに混ざれば、徐々に日本人が変質し、伝統的価値観が崩壊してしまう。我々の精神とは肉体と密接に関係している。非日本的肉体に日本的精神を吹き込もうとすれば、必ずそこに摩擦・亀裂・矛盾が生じる。たとえば、アフリカ黒人の父親の精子で生まれた子供は、母親が日本人でも意識の半分がアフリカ人となってしまう。アフリカにいる父親の祖父母、曾祖父母、親戚など数百数千の黒人が同胞になるのだ。幼児の頃は意識しない黒人混血児も、成長するにつれ、自分が普通の日本人ではないことに気付く。これは朝鮮人やフィリピン人混血児にも当てはまる。

  日本人とはかけ離れた遺伝子を持つと自覚した時に、同質的日本社会からの疎外感を持ってしまうのだ。こうした背景を持つ混血児にとって、国防のため移民を排斥しようとする愛国的日本人は敵となる。肉体的に異質な民族が雑居する米国では、国内の監視体制を非常に厳しくしないと、安全な社会を維持できない。テロリストや外国人エージェントが、社会の隅々に浸透しているので、アメリカ人は常に警戒しながら暮らしているし、たとえ同国人でも基本的に他人を信用しない。それに、人種が原因の対立や暴動が絶えない。混血児だって日本を好きだろう。しかし、人間とは外見で仲間かどうかを判断してしまうのだ。日本人は似たような顔の朝鮮人にだって、どこか「朝鮮風」の容貌を感じ取り、何となく生理的嫌悪感を抱いてしまう。日本人の無意識が変わらないのだから、、日本から離れられない混血児は、日本社会の同質性を嫌悪し、民族的伝統を守ろうとする日本人に憎悪の念を抱くのだ。


種族的特徴を失った欧米諸国

  日本は「斜陽族」という言葉がある。ヨーロッパ人がそうだ。かつて華やかだった貴族が、零落(おちぶ)れても、気位だけは昔のままということがある。西歐諸国の住民は未だに白人国家という意識を持っているのだ。確かに人影がまばらな田舎に住めばそう思うだろう。しかし、都会に進むと段々人の容貌が変化してくる。元からの白色ヨーロッパ人が少数派で、多数派が黒・黄・茶色の人種であり、街を歩けばあちこちに有色人種がいっぱい。日本人には西欧人に見える白色住民でも、東欧や南欧からの移民やその子孫だったりする。スラブ人なら西欧人も何とか我慢できるが、浅黒いアラブ人や黄色い支那人では嫌になるだろう。黒人などはたとえアメリカからでもご免だ。しかし、毎年何万人も移民・難民が津波のように押し寄せる。こうなればミス・コンテストの応募者だって、非ヨーロッパ人が多くなる。しかも、多文化・多民族主義が猖獗(しょうけつ)を極めているから、人種平等思想が徹底しているのだ。場合によってはこっそりと、有色人種優遇制度(アファーマティヴ・アクション)が発動することだってある。近年のミス・コンテスト出場者を思い出してみれは理解できよう。

  フランス人は自国を歐洲の華と見なしている。ヨーロッパ版中華思想に凝り固まったフランス人には、自国代表が黒人といった有色人種に我慢がならない。2013年のミス・ユニバースで、フランス代表となったヒナラニ・デ・ロジョウ(Hinarani de longeaux)は、元ミス・タヒチでフランスに移ってきて代表となったのである。白人のフランスと黒人のタヒチで同じ美的基準を共有していたのだ。その他フランス代表には、ソニア・ローランド(Sonia Rolland/ルワンダ出身)、フローラ・コクェレル(Flora Coquerel)、クロエ・マルトー(Chloé Mortaud/母親がアメリカ黒人)がいて、フランス人はアフリカ人と兄弟か、と思えてしまう。2005年のベルギー代表にはタティアナ・シルヴァ(Tatiana Silva)という女性が選ばれたことがあり、カーボ・ヴェルデ(Cabo Verde)出身の黒人である。日本人なら「えっ? そんな国あったの?」とつい口にしたくなる。そこはアフリカ西海岸から離れた、大西洋上に浮かぶ島国で、以前はポルトガル領であった。また、ローラ・ボイエ(Laura Beyne)という黒人のミス・ベルギー代表もいたのだ。ゲルマン系が多いはずのミス・ネーデルランドにも、ソニア・シルヴァ(Sonja Silva)という黒人代表がいた。人種差別国家たるイスラエルでも、イティシュ・アイノウ(Yityish Aynaw)という黒人の代表が誕生して非難囂々(ごうごう)。イスラエルは白人国家だそうで、黒人は日常的に侮蔑されている。

  ヨーロッパ諸国は有色移民により蚕食(さんしょく)されているようだ。2009年のミス・スイスはホイットニー・トイロイ(Whitney Toyloy)という浅黒い女性で、支那人とパナマ人の血が流れているらしい。2001のミス・スイス優勝者にはトリニタード・トバコ出身の浅黒いアリーナ・ブッシャハー(Alina Buchschacher)が選ばれた。三位の女性は金髪の白人女性だった。北欧のスウェーデだって、マロウ・ハンソン(Malou Hansson)という黒人女性が選ばれ、ノルウェーではコンゴ出身のイマン・ケリゴ(Iman Kerigo)が選ばれている。英国ではちょっとした嬉しい事件が起きた。2009年のミス・イングランドには黒人のレイチェル・クリスティーが選ばれてしまったが、傷害事件を起こしたことで、栄冠は2位の白人女性のカトリーナ・ホッジに移った。英国の有色人には残念なことだが、アングロ・サクソン系の英国人は密かに喝采を送ったみたい。一位を取れなかっった準優勝者の方が、遙かにイギリス人的容姿を持ち、さらに美しかったというから、冗談みたいな本当の話である。しかも、ホッジ嬢は英国陸軍の下級伍長(lance corporal)であったから、一躍国民的人気者になってしまった。これでは優勝者のクリスティーは泣くに泣けない。

  ただ、我々が気をつけねばならぬ点は、美人コンテストが異常な性質を抱えていることである。米国で2009年のミス・カルフォルニアに選ばれたキャリー・プレジャン(Carrie Prejean)が、ある質問に答えたことでその栄冠を剥奪されてしまった。(Gay Row Beauty Queen Sues Pageant Officials, Sky News, September 1, 2009) 彼女がミスUSAに参加した時、結婚は男と女の間でなされるべき、と答えたのが致命傷となった。つまり、同性愛結婚を否定する答えを発言したことで、主催者や審査員の不評をかったのだろう。もちろん、主催者側は彼女の遅刻を理由にしていたが、どう考えてみてもこれは白々しい嘘だろう。彼女がゲイやレズビアンのセックスや結婚を肯定していたら、寛容な精神をも好ましい娘として称賛されただろうが、常識的思想をもつと頑固な保守派、つまり右翼的白人と見なされる。同性愛者に偏見を持つ差別主義者と判断されてしまうのだ。躾の良い子供は、健全な家庭の出身者が多いから、どうしても変態左翼思想を否定してしまう。だって気持ち悪い中年オッサン二人が裸で抱き合う姿を見て拍手をしないだろう。しかし、アメリカだとホモのセックスに眉をひそめる者は、頑固者(bigot)とか偏屈屋と呼ばれてしまうのだ。普通の日本人なら吐き気を催し、顔を歪めてしまうが、アメリカ人は平然とした態度を保たねばならない。つくづく思うが、正常な日本に生まれて良かった。

  日本ではまだ人種摩擦が大問題となっていないから、庶民は比較的自由な思想を持ったり、好き勝手な趣味を表現できる。NHKやフジテレビがいくら朝鮮人の歌手や俳優を、強引に押しつけたって、結局振り向いて引っかかる日本人が少なかった。これには南鮮藝能で一儲けしようと企んでいた悪党共もガッかり。日本の庶民は嫌いな者を口に押し込まれても、吐き出す生来の原状回復機能が備わっている。世界一選択基準が厳しい日本人女性は、気持ち悪い南鮮人を見ると、生理的拒絶反応を示すのだろう。体質に合わないものは受容しない、という伝統があるのだろう。昔の日本人は有り難い仏教を信仰しても、その戒律は嫌だから骨抜きにしたくらいだ。魅力がない朝鮮文化を、魅力的に見せようとしたテレビ局は愚かだ。糞尿を綺麗なグラスに入れても、朝鮮人とは違って日本人は飲まない。

    筆者は今の美男子コンテストを知らないが、昭和の頃までなら、ちよっとは知っている。国内藝人は別として、日本人女性が外国藝人を選別する目は正直だった。美女コンテストの審査員より厳しかったんじゃないか。今ではフランス人俳優などそんなに人気がないが、一昔前の昭和時代はすごかった。たとえば、フランス人俳優のアラン・ドロンに憧れた日本女性がたくさん存在したのである。彼の代表作『太陽がいっぱい』は古典的名作で今でも多くの日本人が覚えている。また『サムライ』という映画もあるし、三船敏郎と共演した『レッドサン』も当時話題になった。今でも彼のブロマイドや出演作のパンフレットを持っている女性ファンがいるんじゃないか。彼の夫人ナタリー・ドロンも、主役を務めた『個人授業』でとても人気があった。フランス女優独特の雰囲気があって、洋画ファンは彼女の写真が載った『スクリーン』とか『ロードショー』映画雑誌を買ったものだ。

  英語圏でないのに日本人は英米のミュージシャンが好きだ。イギリス人バンドのデュラン・デュランが、来日すれば大勢の女性が駆けつけた。歐洲や米国でも人気者だったから当然かもしれない。しかも、ニック・ローズやジョン・テイラーは色男ときている。故ダイアナ妃がファンだったのも納得。当時はまだインターネットが無かったが、ファンはどこからか情報を仕入れていた。テレビ局の八百長宣伝すら無かったのに、黄色い声を上げたたくさんの女性がいたことに驚いた。現在では信じられないだろうが、大したことないロックバンドまで人気があった。たとえば、英国のパナッシュ(Panache)なんて三流だったのに、キーボード演奏者のポール・ハンプシャーが美少年だったので、彼が現れると、日本人ファンが「キャ~、きゃぁぁ~」と騒いでいたのだ。狡猾で反日的なフジテレビは、朝鮮人俳優を「イケメン」と持ち上げていたが、昔を覚えている日本人なら笑ってしまうだろう。

混血児をつくる親の責任

  国民国家とは国境がちゃんと存在し、自国民と外国人の区別が付いていないと成立しない。しかし、近年昔ながらの国民が減少し、異邦人がそれに反して急増しているのだ。欧米では直接喋っても誰が国民なのか分からない。たとえば、英語を話せても英国への旅行者や出稼ぎ人だったり、ある者は詐欺師や不法入国者だったりするから厄介だ。異人種排斥ができないドイツでは、トルコ人やアラブ人が国籍を取得しても、ドイツ人になるつもりはないし、ドイツ人だって仲間と見なさない。イスラム移民だとドイツ語がカタコトであったりするのだ。同胞意識なんて持てない連中があちこちに住んでいて、同じ国籍を持つのに国内で別の社会を形成している。国民的精神病を患うドイツでは、イスラム教徒のアラブ人はどんどん増殖するし、アフリカ人はドイツ国籍を取得しても、キリスト教的ドイツ文化に同化しない。ゲルマン系ドイツ人が「我々」と言うとき、移民してきた「彼ら」を含まないだろう。歴史と遺伝子を共有しない部外者を同胞国民とは思えない。かつてフィヒテが『ドイツ国民に告ぐ』を講演した時は、その聴衆は昔ながらの“祖先を同じくする”ドイツ人であった。

  日本は奇蹟の国である。日本人が二つに分かれて戊辰戦争となったのに、長期にわたる泥沼の内戦に発展しなかった。外国なら定番だが、敗者を抹殺する殲滅戦にならず、明治維新が短期間で達成されてしまった。「攘夷」を叫んでいた武士が、一夜にして「開国論者」に豹変したのである。また、産業革命を一気に取り入れて、海軍を充実したら日清戦争に勝って清朝支那が滅亡。続く日露戦争では、圧倒的な大国ロシアに陸と海で完勝、パーフェクトゲームだ。大東亜戦争では太平洋に機動部隊を展開して、アメリカ海軍も真っ青だったから、戦後アメリカ人は徹底的に日本軍を解体した。空爆で至る所が焦土となったのに、奇蹟的復興を実現してしまう。この秘訣は何か。それは国民年齢が二千歳を超えるからである。日本人は同じ遺伝子を持つ祖先と繋がっているからだ。しかも、我が国の大地には無数の祖先が眠っている。太平洋の荒波にもびくともしない、重心が地中深くに存在する国である。祖先の肉体は灰になっても、その遺伝子は子供の中で再生され、日本人の魂はそのまま継承される。子は親の肉体と精神を伝承するので、体の中に日本の歴史が内蔵されている。だから、大東亜戦争ばかりでなく、関ヶ原の合戦、建武の中興、元寇、壇ノ浦の戦いなどを、まるで体験したかのように感じることができるのだ。我々が持つ細胞核に祖先の記憶が刻印されている。

  我々が亡くなった先人を敬い、その遺産を享受する権利を持ち、子孫へ伝承する義務を負うのは、我々が祖先の子孫だからである。しかし、アジア人やアフリカ人の遺伝子を受け継ぐ者には、この崇高な義務感が無くなってしまう。たとえ残っていたとしても、薄められたものであり、困難に直面したら、罪悪感もなく放棄するだろう。とくに朝鮮人や支那人の混血児だと、更に日本を憎む本能がインプットされている。卑しい民族の血を引く劣等感により、精神が歪んでしまい、日本人としての根本的感情を持たない。たとえば、皇室を何となく愛せないし、どうでもいいと思えてしまう。陛下と共に歩んできた祖先の遺伝子より、日王への侮蔑を示す祖先の遺伝子が勝るからだ。明治大正昭和の日本人が流した血よりも、アジア賤民の悔し涙の方に同情を示す。支那人や朝鮮人に殺された日本人を悲しむより、日本軍によって殺された支那朝鮮の人民に親近感を覚える。黒人との混血児はもっと強い反発をもつ。幼い頃から異国人・異人種と扱われるので、日本社会で疎外感を一生持つことになる。日本人の血統より、アフリカ黒人の血が強烈で、日本の過去を身近に感じられない。鏡に映る自分と日本史上の人物が似ていないからだろう。しかも、黒人を日本人が心の底で忌避しているから、余計に日本人が敵対者に思えてくるのだ。

  普通の日本人はアジア・アフリカの混血児に対して本音を言わない。実は本音を公言する者より、ずっと異人種侮蔑者である。彼らに親切な振りをする日本人は、心の底に堆積する嫌悪感を必死で押さえつけているからだ。混血児にとってはあからさまな外人排斥論者より、友人を演じる者が不注意に出してしまう、ちょっとした偏見や侮蔑に傷つくものだ。たとえ僅かな拒絶反応でも、それは高濃度の侮辱と感じられる。この世は四角四面にできていても、角が立たないように丸く収めることが大人の智慧だろう。異人種・異民族が仲良く一緒に住むなど幻想だ。それぞれが離れて暮らす方がよっぱど平和。朝鮮人は日本に住んで物質的豊かさを持てた。しかし、朝鮮人としての誇りは無いだろう。親切心で言うが、負け惜しみと誇りは違うぞ、朝鮮人。在日朝鮮人は、心の底で劣等民族の自覚があるので、何かと性格が歪んでしまう。親を呪うことができないから、日本人を逆恨みして、生きる原動力とする。南鮮に戻っても同胞から歓迎されない在日鮮人は無国籍人間であろう。

  昔、赤線のパンパン(売春婦)が黒人兵の子を身ごもって堕胎したのは倫理的に悪かもしれない。だが、その子が不憫な人生を送るなら、生まれぬ方が良いと判断してのことだった。堕胎は殺人かもしれぬが、現実を直視した親の愛情だった。自分の子供だから、その将来を不憫に思うのだ。だだ生きるのではなく、如何に生きるかを考えていた日本人には、キリスト教徒とは違った価値観を持っていた。アフリカ人やアジア人とセックスするのは、個人の日本人が持つ自由だろう。しかし、生まれた混血児の不幸を代理で背負えるのか? もし、「母ちゃん、どうして黒人じゃなく、白人と結婚しなかったの?」と責められたら答えられまい。 困った日本人の親は、その子の黒い遺伝子を抜くことができるのか? 黒人としての幼少期を送ったことのない日本人の親は、セックスして妊娠するまで実感できない。こうした親は、次第に自分の同胞を敵とみなし、子供と一緒に呪うだろう。こうした意見を排斥する日本人は、どんどんアジア人やアフリカ人と結婚して、混血児を持てばよい。だが、辛い人生を送るのは親ではなく、選択権のなかった子供である。「後悔先に立たず」との戒めを忘れる人間は、高い代償を払うことになるのだ。

 


人気ブログランキングへ

沈黙の叫び声 / 凌辱を語らぬ邦人女性

強姦が常習化する占領地区

WD Soviet Tank 







(左/ソ連軍の戦車)

  最近「性奴隷」という言葉が、日本のみならず米国でも取り上げられている。この「性奴隷」は本当に存在した。ただし、日本人によるものではない。満洲や朝鮮でソ連兵によって、「日本の婦女子」が強姦されたのである。奴隷の本場ロシアから派遣された軍隊が、邦人女性を性の奴隷にしたのだ。朝鮮人の専業売春婦については、何年もの間取り上げてきたマスコミなのに、本当にあった同胞の悲劇に触れないというのは、怠慢というより意図的隠蔽である。学校教育でも、大切な近現代史は学期末に、ほんのちょっと言及して春休み。詳しく説明するのは、共産党に都合が良い部分だけ。これを洗脳教育というのだ。そこで、今回は重い内容になってしまうが、大切なことなので辛抱して読んでください。(引用書 / 若槻泰雄 『戦後引揚げの記録』 時事通信社 1991年)

  満洲に侵攻したソ連軍は8月19日には、早くも外部との通信交通をすべて遮断したのである。こうなったら非占領国民たる日本人は袋のネズミとなってしまい、ソ連の野蛮人にとって格好の餌食となってしまった。武器を持ったソ連兵は群れをなして各家庭や会社の事務所に押し入り、手当たり次第金目の物、たとえば時計、貴金属、衣類などを掠奪した。女に飢えた野獣のソ連兵は、老若を問わず女と見れば強姦し、抵抗する者や、これを阻止する者を容赦なく射殺したのである。怯えた日本人が窓を閉じて扉に鍵を掛け、さらに入り口に釘を打ち付けて備えても、武装した軍隊にとっては積み木の家と変わらない。倫理道徳といった言葉を知らぬロシア人は厚顔無恥。白昼堂々とトラックで乗り付けて掠奪を開始する。まるで運送屋が品物を運ぶように、次々と日本人から所有物を奪っていくのだ。靴もろくに履いていない、みすぼらしい兵隊が、二・三日すると略奪品で見違えるような服装に変わったのである。  

  農奴国のロシアから派遣された軍隊だから、兵隊といっても盗賊や囚人と何ら変わらないし、呆れるほどの無知蒙昧。文字を見たことがあるのかと疑いたくなるような下層民の集団である。匪賊の軍隊は日本人から奪った時計を両腕に10個もはめたり、中には脚にまでつけて喜んでいた。しかし、時計のネジがゆるんで止まってしまうと、これを巻くことを知らなかったので、壊れたと思って捨ててしまったそうだ。電灯のスイッチがよほど面白かったのか、子供のように点けたり消したりを繰り返し、電灯からタバコに火を点けようとする者までいたという。そういえば台湾に上陸した支那兵が水道を知らず、壁に蛇口を取り付ければ水が出てくると思っていた。文明を知らぬ未開人はそんなものである。こんな低脳兵が掠奪強姦を繰り広げるのだから、教養があって道徳心の備わった日本人にとって脅威だ。彼らは気に入らぬことがあれば容赦なく射殺したし、ところ構わず威嚇射撃をするから夜になっても銃声が響いていた。

  犯罪者の理屈には「屁」さえつかない。ソ連兵は「武器を隠し持っている疑いがある」との決まり文句で、日本人の財産を強奪したのである。後から入ってきた支那共産軍も同じやり方で盗んでいったという。下郎(げろう)は似ているもんだ。彼らは武器捜査という名目で押し入り、火鉢をひっくり返して灰の中まで探し、骨壺さえ調べたらしい。他に何か隠してはいないかと怪しみ、壁や野外の土まで丹念に突き刺して、マッチ箱一つさえ見逃さなかったという。ロシアの匪賊は心ゆくまで存分に掠奪を楽しんだ。日本人には意外だろうが、野蛮国の軍隊にとって戦後の掠奪はボーナスである。敗者の金品や婦女子がご褒美となるのは常識。スターリン自身が昔から犯罪者とくればうなづけよう。

  ソ連兵による日本婦人への強姦はすさまじい。罵倒語が少ない日本語では表現できない暴行である。「狂暴」と名札を附けたソ連兵は、女と見れば見境無く襲ったという。それが12、3歳の少女であろうと、あるいは70歳近い老婆であろうと、一切お構いなし。人前だろうが、雪の上であろうが、獣慾を満たすために手当り次第。恐怖を悟った女性が丸坊主にして顔に墨を塗って男装しても、彼らは一人一人の胸を触って女であることを確かめて拉致したという。終戦後、南満洲に疎開した人々が新京に戻る途中、公主嶺の駅でソ連軍の列車と出くわした時の事件である。慌てて発車しようとした日本人の列車をソ連兵が止め、女性は一人残らずプラット・フォームに降ろされた。白日のもと、夫や子供がいる公衆で、日本人女性は集団強姦を受けたのである。自分の女房子供を目の前で輪姦されて、指をくわえて見ているしかないのだ。慟哭で涙すら枯れるだろう。

  怪我のためたまたま新京の病院に居合わせた日本人男性は、その時の体験を綴っている。病院には多くの強姦被害者が運ばれ、わめき声が充満していた。12、3歳の少女から20歳くらいの娘10名ほどがタンカに載せられて運ばれてくる。それは目を背けたくなるほどの姿であった。その全員が裸で、まだ陰毛が生えていない幼子の恥部は、紫色に腫れ上がってその原形がない。少女の大腿部は血で染まり、顔を歪めて何かを話しているが、よく聞き取れなかった。ある女性はモンペだけを剥ぎ取られて、下半身は同じく腫れ上がっているが、下腹部を刺されて出血し、傷口から腸がはみ出していた。別の少女は乳房を切られて、片目を開けたままの状態だったから、既に死亡していたのかもしれない。(p.126) か弱い女子供が、自分より体重のある男どもに押さえつけられ、もがこうとしても身動きが取れない。ソ連兵はその野獣より臭くて、毛むくじゃらの汚い体を、無垢な娘たちにこすりつけ、心ゆくまでじっくりと輪姦したのだ。これは“生き地獄”なんてもんじゃない。地獄なら肉体の感覚は無いぶん苦痛は少ないだろう。

  医師の話では、被害女性が10人いたら、そのうち2、3名は舌を噛んで自害したそうだ。現在よりも更に貞操観念が強かった当時では、このような凌辱に堪えかねて死をもって抗議する婦女子がいたという。たとえば、敦化の日満パルプKK社宅では、ソ連兵が男女を分けて、170名の婦女子全員を独身寮に監禁したのだ。夜昼関係無しに強姦の限りを尽くしたが、この時23名の女性は青酸カリを飲んで自殺している。ソ連兵の強姦は都会から離れるほど酷かったらしい。ある日本人が列車の中で人の気配を感じ、のぞき込んだら日本人女性が3、40人ほど素っ裸にされて転がっていたのだ。そばに横たわる兵隊も裸にされていた。家畜用の列車では、藁の上に若い女性が全裸で転がっており、みな虫の息の状態だったという。

  強欲の皮が厚いソ連兵は、日本人から金品財産のみならず、女子供まで犯したのに、さらに「男狩り」を始めたのだ。マスコミは日本兵の強制連行を「シベリア抑留」と呼んで、その拉致による残虐性を軽減する。ハーグの陸戦法規やポツダム宣言に違反しようが、ロシアの共産主義者は平気であった。奴隷制度が骨の髄まで染み込んだロシア人は、戦後の労働不足を補う目的で、日本兵捕虜を酷使したわけだが、日本兵の現地除隊や逃亡により予定していた人員が不足すると、これを一般人で埋めようとした。ソ連軍は「軍籍にあった者は届け出よ」との命令を発し、真面目に出頭した者はそのままシベリア行き。3ないし5日の労役という口実で徴収した男子は1万人くらいに上り、彼らもシベリアへ連行されてしまった。しかし、こうした詐欺がバレたら、日本人がソ連の指令に従わなくなっても当然だ。するとソ連軍は通行中の日本男子を、街頭で逮捕して連れ去ったり、住宅に侵入して男と見れば片っ端から捕まえてシベリアに送ってしまったという。これが本当の奴隷狩りだ。朝鮮人がわめく「日本官憲による性奴隷」は真っ赤な嘘だが、日本人に狙いをつけたソ連軍による「奴隷狩り」は真実だった。この奴隷狩りに反抗した日本人は、即刻その場で射殺されたという。(p.129)

  朝鮮・ソ連国境に近い満洲の延吉には日本の陸軍病院があり、シベリア送りの捕虜輸送基地となっていた。こんな奥地に配送所をつくったのは、シベリア送りの日本兵のうちに、脱走兵や病弱者が出た時に備えて、ここに日本人労働者の一大プールを用意していたのである。耕作用家畜と同じ扱いで、ここで人数を揃えてから出荷したのであろう。この家畜収容所に放り込まれた日本人は、飢餓と疾病そして酷寒に加えて、苛酷な重労働により、大量の死亡者を出し、延吉は満洲最大の日本人屠殺場と化した。15,000人中12,000名くらいが、わずかな期間に亡くなったのである。ソ連軍は小規模な男狩りも行っていた。ソ連兵は道を歩いている日本人を見かければ、いつ何時でも勝手に捕まえて荷物運びや掃除の雑用に使ったらしい。中には10日あるいは20日も手元に置かれたうえ、帰す時には服まで剥いだという。生きて帰れた者はいい方で、そのまま帰らぬ人となった者もいたらしい。男狩りをしたソ連兵は、労働用に女狩りもしたという。男でさえ困難な重労働を、極寒のなか日本人女性にさせたのだ。零下40度にもなる寒冷地で、鉄道レールの撤去作業など、女性には無理だろう。しかし、人間としての良心が無いソ連兵は、日本女性を家畜以下に扱ったのだ。しかも、彼女たちが作業をしている間に、気に入った女に目星をつけていて、夜になると監視のソ連兵が保線小屋に引きずり込む。ケダモノに犯された女性は無駄な悲鳴を毎晩続けていたのである。(p.131)

支那人による陵辱

WD 1WD 2









 (写真/引揚げの人々)
  残虐なソ連兵に比べたら共産軍の支那兵はマシだったといわれるが、支那人にまともな人物は少ない。日本人の家財を掠奪したり、宿舎を接収したうえ、「飯炊き女を世話してくれ」という口実をもうけ、日本人女性の提供を強要したのである。国府軍との戦闘に敗れて撤退する時など、本格的な掠奪をはたらいていた。中には邸宅に「日本人の女中」わ使っていた高級将校さえいたのである。下等民族の支那人が一等国の婦人を女中に出来たのだから、支那人はさぞ嬉しかったのではないか。黒人が白人女性を召し使いにもつようなものだ。

  支那人にとって共産主義など異質な思想だ。ただ、富裕者から金品を収奪できる方便としては有効だったので、「人民の財産は平等でなければならない」と白々しい言葉を吐けた。資本家や成金といった富豪の旧悪に対する密告が相次ぎ、人民裁判にかけられたらほぼ有罪だ。罪状を暴かれた富裕者は、財産を没収され丸裸。資金不足に悩んだ中共軍は、日本人に対して献金を強要したという。家から追い出されて掠奪にあった日本人に、支那人が要求するような大金があるわけないだろう。それでも、日本人会はわずかでも資産が残っている者から資金をかき集め、先方が要求する何分の一かを拠出したのである。満足するような献金額に達しないと、資産家と目される者や日本人会の幹部は逮捕されてしまう。遼陽では「敵産清算」という名目で献金が命じられて、実行できなかった日本人6名が処刑されているのだ。安東では300万から200万元を要求され、用意できなかった省長、次長、日本人会長が銃殺されてしまった。

  支那人の「人民裁判」とは、「裁判」ではなく「私刑(リンチ)」であり、貧しい民衆の娯楽である。気にくわない者は突然容疑者となって、秘密裏に処刑されることもあったが、人民裁判にかけられることもよくあった。罪状を書いた看板を肩から掛けられ、円錐状のとんがり帽子を被せられた被疑者は、公安当局によって適当な広場に連れ出される。動員された何百何千もの民衆がこれを取り囲む。煽動者の司会のもと、群衆の中から次々と被疑者を糾弾する者が現れ、口角泡を飛ばして大運説をぶつ。たいていは予め準備された証人であり、群衆の中には最初から配置されたオルクが「そうだ ! やっちまえ!!」と怒号して、場内の雰囲気を異常に高める。この上掲を冷笑したり沈黙していると「反動」の同乗者と見なされてしまうから、焦る民衆は熱心に容疑者に罵声を浴びせ自己保全を図る。リンチ劇場の司会者は頃合いを見計らって、「いかなる罪刑を与えるべきか」と群衆に問いかける。もちろん、「死刑だ ! 」「殺してしまえ ! 」が定番の判決。哀れな被疑者は群衆の前で直ちに銃殺刑となる。支那人に裁判なんか無縁である。人民裁判にかけられた瞬間、死刑が確定するのだ。これを中世の魔女裁判にたとえる日本人は無知である。支那には中世すら無い。現在でも古代帝国のまま。支那の支配者は黄色い頭巾を被っても、紅いマントを羽織っても、暴君たる専制君主に変わりがない。民衆は5千年前の支那人と同類。ワニは五千年経ってもワニのままで、ウサギになると思ったら大間違い。 

乞食より惨めな避難民

WD 4 (左/引揚げ者の日本人)
  満洲開拓民として移住した日本人は、ソ連軍の侵略を受け南満洲の大都市を目指して南下していた。僻地からやっとのことで都市部に到着した日本人は愕然。自分たちを守ってくれるはずの日本軍や公官庁は既に消滅していたのである。仕方なく更に南下を続けたという。満洲国の首都新京でも、12万の在留邦人のうち7万人が南の方に避難し、その後に各地から15万人近くの難民が流入して、人口が20万人に増えていたらしい。避難してくる日本人は既に全ての財産を失っているうえに、愛する家族まで何人かを失っていたのだ。手には何も持たぬ者は珍しくなかったし、中には文字通り一糸もまとわぬ男もいたという。また、素足に麻袋だけを身にまとい、新聞紙でくるんだ赤ん坊を抱きしめている婦人もいたらしい。彼女たちは心ない人々から、“麻袋(まーたい)部隊”と呼ばれた集団で、麻袋の底に首と両手が出るよう穴を開け、それを逆さまに被って衣服の代わりにしていたのである。この避難民が所持しているのは、本当にこの麻袋だけである。袋を腰巻き代わりに縄で縛り、裸体の上半身に薦(こも/目の粗いむしろ)を被った婦人もいたらしい。みな一様にうつろな目をして、一言も口にせずよろめくように歩く姿は、まるで幽鬼の葬列みたいだったという。この難民の群れを迎えた日本人は声を上げて泣いた。あんまりだ。これがあの栄光ある大日本帝国の国民なのか? 乞食より惨めで、浮浪者より汚いではないか。白系ロシア人は胸に十字を切り、あの支那人でさえ顔を背けたという。(p.158)

  奉天で難民の世話をした人の体験記によれば、衰弱した270人の難民は、駅から歩いて15分で着く収容所に約3時間もかかってしまい、その途中で12名が死んでいたのである。ハルピンや新京、奉天に到着した開拓団は、小学校や倉庫に収容されたが、そこは既に掠奪に遭っていたから、ちゃんと窓ガラスがついている建物は少なく、屋根や壁でさえ壊されている所さえあったのだ。朝から晩まで物見高い群衆が建物の周りを取り囲んで騒いでいる。大便、小便、食事も黒山の人だかりの真ん中でやるのだ。しかし、避難民はもはや羞恥心すら無くなっていた。たとえあったとしても、どうにかなるものでもない。これはまさしく、人間動物園である。人間としての尊厳を失ってしまった日本人がいたのだ。世界で一番恥を知る民族が、動物園の見世物になっていたのである。このような同胞の話しを聞くと、胸の肉が抉(えぐ)られるような痛みを覚え、ふと目に涙が浮かんでしまう。

  ソ連兵や地元の支那人に資財を強奪され、奥地から逃げてきた日本人には、生活の糧も無ければ、売って食料を得るための物が何も無い。こうした日本人は見栄や外見を捨て、支那商店の雇われ人になったり、露天商を営む者が出てきた。一握りのタバコやパン、卵を持って、零下30度の寒空の中、防寒具もなしに道行く人に声をかけていた。盛り場には日本人の売春婦も現れ、日本人の乞食だっていたのだ。働いて僅かばかりの収入を得た者はまだ良かった。老人、病人、子連れの婦人だとそれさえ不可能で、確実に飢えが迫ってくる。泥水をすすり、病人の吐いた物まで食べる者すらいたという。不潔な生活と栄養失調のため、コレラ、発疹チフスなどの伝染病が猛威をふるい、さっきまで話しをしていた者が、あっけなく死んでしまう典型的な栄養失調は事欠かない。恐怖と緊張の連続で発狂する者さえ出てきた。悲惨なのは大人だけではない。生まれた子供は名づけられることもなく、乳の出ない母親の乳首に吸いついたまま息絶える。時には、産声を上げるいとまもなく直ちに殺された赤ん坊もいたのだ。

  次から次へと何人も死んでいくのに、遺体は何日間も放置されたままだった。死体を片づける体力がある者がそもそもいないのだ。真っ黒になった遺体には虱がたかり、不気味に動いている。死んだ者は窓から投げ捨てられ、薪のように山積みにされていた。寒さでたちまち凍って臭気を発しないからだ。こんな中、寒さに堪えかねて薪を拾いに出掛けた女性を、ソ連兵は馬で追い回し、“人間狩り”を楽しんだのである。垢と虱にまみれた体は骨と皮だけなのに、痩せこけた日本人女性をソ連兵は何人も強姦したのである。この「人でなし」どもは、露天商の哀れな日本人から、その商品を奪い去った。赤痢患者の排便まで棒でかき回し、強奪する物品を探したのである。個人だけでなく、ソ連兵は集団としても犯罪者だった。日本人会が難民救済のために用意した食糧を知ると、トラックを並べて根こそぎ強奪したのである。しかし、この強盗団はまだ満足しない。日本人から有り金を搾り取ったうえに、栄養失調でフラフラになった者を強制的に働かせたのだ。(p.160) ロシアの野蛮人に比べたら、熊の方が高等動物で、遙かに人間らしい。ハイエナだって盲導犬に思えてしまう。

子供を売る涙の決断

  アフリカの草原にハイエナがいるように、アジアという暗黒大陸には、支那人という下等動物がいる。「日本の子供は頭がいい」という考えが、満洲の農村地帯に住む支那人に広まった。高度文明国の両親から生まれ、愛情深い親から大切に育てられる日本の子供は、支那人のような下劣民族と根本的に違う。がさつな支那人やひねくれた朝鮮人にとって、日本人は高嶺(たかね)の花である。「気配り」とか「おもてなし」、「相手の気持ちを察する」とかが自然と出来る超能力者だから、羨望の的になって当然だ。日本人の収容所には「子供を売ってくれ」という支那人が群がった。安い場合は数百円から、高くて二千から三千円といった値段で売られていた。将来、嫁に出来るので、概して女の子の方が高かったらしい。女衒より下品な支那人に、日本の子供が売られていった事を思うと、腹の底から怒りがこみ上げてくる。

  子供を売った代金で、その子の親や兄弟が何日分かの食糧を購入できたことは事実だ。親としては断腸の思いだろう。しかし、その子は売却されなければ、確実に死が訪れていたのだ。もちろん、親と離れる子供は泣きじゃくる。しかし、「暖かい所に行ける」とか「ご飯が食べられる」と言い聞かせて、支那人に引き取られていった子供がいたことも事実である。この悲劇を目撃しても、誰もが見て見ぬ振りをしていたという。これが昔話題になっていた「中国残留子孤児」である。もっと悲惨な子供の売却もあったかもしれない。決して親切な支那人に引き取られたのではない。子供だけでなく、成人女性も身売りしたのだ。支那では嫁を買う風習があるので、日本人女性が安値で買えると知るや、支那人の「結婚申し込み」が殺到したという。彼女らは親兄弟を救うため、あるいは自分が死んでしまうと恐れたことで、支那人農夫に買われていった。だから、残留孤児以上に身売り女性がいたらしい。ある残留婦人は「生きんがために子供を売り、自分を売ったのです」と日本の取材者に語ったという。ある婦人は「人間の配給が行われたんで、日本の女が嫁さんとして配給されたんだよ」と呻(うめ)くような声で話したのである。また、別の女性は「ソ連兵の強姦に遭ったり、生きるために身を売ったのだから、永久に日本に帰ることはない」と語ったそうだ。こうした女性が何人いたのか厚生省でも把握できなかった。支那人に我が身を売るという屈辱は我々の想像を超えている。こうせざるを得なかった女性にとって、生きるとは何なのか。諦めしかない心には、慰めの言葉すらない。

  極限状態に置かれた人間には良心が無くなってしまう。ソ連兵が婦女子を要求してくれば、日本人の団体は、夫がいない寡婦または夫が出征している婦人に「みんなのためだから」と頼み、人身御供にしたのである。男たちは自分の妻子を守るため、最も弱い立場の人間を犠牲にしてしまうのだ。みんなのためにソ連兵に強姦されたのに、戻ってくる女性には誰も同情を寄せず、かえって軽蔑の目で見たらしい。日本へ向かう逃避行の途中でも災難は降りかかっていた。列車で避難すると、警備にあたっている中共軍や国府軍が、婦女子の提供を要求してくる。これを拒否すればどこにも行けなくなってしまう。こうした時のために、予め「クロウト」を雇っていたりする。引き揚げ団は鉄道の要所で女を要求する国府軍のため、「篤志婦人(とくしふじん)」を用意していたそうだ。大方は未亡人の奥さんで、「皆さんの命が私の身体で護られるのなら」と言って、列車が止まる度に支那人の慰み者になったという。こうした尊い犠牲に対し、列車の男たちは何度も涙を拭った。誇り高かった日本男子が、敗戦となったら最低の卑怯者になっていたのだ。しかし、悔し涙しか流せない男の辛さなど、篤志婦人の自己犠牲に比べたらカスみたいなものだ。

尊大になった朝鮮人

  朝鮮北部は鉱物資源や水力発電に恵まれていたため、早くから工業地帯があって、多くの日本人が生活していた。ソ連軍が北鮮に侵攻すると、日本軍は武装解除され、軍人ばかりか総督府の官僚や警察官、司法関係者すらシベリアに送られてしまった。こんな状況になったので、総督府から弾圧されていた独立運動家や民族主義者、それに共産主義者の朝鮮人は勢いづく。反日勢力は一般民衆と共に蜂起し、駐在所などを襲って武装し、保安隊を結成したのである。人民委員会が警察権を掌握すると、朝鮮人警察官を「裏切り者」として吊し上げ、総督府で高位に就いていた朝鮮人にも危険が及んだらしい。昨日まで支配者だった日本人が敗戦国民に転落すると、反日感情のくすぶっていた朝鮮人が威張り始めた。朝鮮人やソ連兵に頭を踏みつけられる日本人を描いたポスターが氾濫したりする始末。朝鮮の子供まで日本人を見かけると口汚く罵る。集団移動を命じられ、とぼとぼ歩いている日本人を見て、朝鮮人は声だかに語り合いながら嘲笑と罵声を浴びせた。女性が襲われることもあったし、男性が路上でいきなり捕まって、清掃などの雑役を命じられたという。中には言いがかりをつけられ、朝鮮人によるリンチを受けた者さえいたらしい。朝鮮人とすれ違う時には、目を伏せて足早に通り過ぎる日本人が普通だった。日本人に糞尿のくみ取りをさせることで、復讐心を満足させる朝鮮人もいたという。

  朝鮮人は強者には卑屈だが、弱者に対してはとことん傲慢になる。隷属状態が千年以上続いていた民衆の精神はねじ曲がっているのだ。朝鮮人は日本人の家に勝手に上がり込み、自分の家であるかのように、自由に出入りをし、好きな物を取っていった。朝鮮暴民は日本人の住宅を襲って、奪った家財や衣服を荷車に載せて運んでいったのだ。ソ連兵を「案内して」くるのも、一般の朝鮮人に多かった。朝鮮の人民委員会も日本人の高級・中級住宅を窃取して、委員会の幹部らが住み着いたのである。治安維持に当たる保安隊は、検問と称してその都度物品を奪い、母親が持っていた乳児のミルクまで奪ったという。朝鮮人に嫌われていた警察官や、何らかの理由で保安隊に捕まった者は、厳しい拷問にあって見るも無惨な死体となって返された。朝鮮人は日本人に権威を見せつけ、恐怖を与えることで、支配者としての地位を楽しんでいたのだ。卑劣な民族である朝鮮人は図に乗って、「女、出テコイ」と日本女性を拉致したり、ソ連軍の権威を笠に着て「ソ連の命令により、XX人の女を提供せよ」などと日本人の自治会に命じたのである。「ソ連兵の服を洗濯するための女を出せ」という、一見もっともらしい理由をつけて、若い女だけを攫っていく朝鮮人もいた。

  朝鮮人の本性を無視して「内鮮一体」を叫んでいた日本人は本当に愚かである。日本国籍までくれてやった朝鮮人が、窮地に陥って困っている日本人に何をしたか考えてみるべきだ。日本人に統治されて、稀に見る黄金期を享受した劣等民族が、溢れんばかりの恩を仇で返したのだ。これと比較して驚くのは、興南の工場で働かされていた300名のイギリス人捕虜である。彼らは数々の虐待を受けていたにもかかわらず、釈放後はソ連兵や朝鮮人による暴行から、しばしば日本人を守ってくれたのだ。イギリス人らは男手の無い家庭の荷物を持ってくれたり、イギリス人の軍医は日本人の医師よりも、はるかに献身的で、しかも無料で治療に当たってくれたという。(p.206) 「鬼畜米英」と叫んでいた日本人は土下座しろ。何が「内鮮融和」だ。敗戦で朝鮮人が日本人と一体となって、苦難を共にしたのか? 馬鹿は玄界灘に沈んでしまえ。イギリス人は“鬼畜”のはずなのに、“日本国民”だった鮮人より、遙かに立派じゃないか。

  北朝鮮の人民委員会は満洲からの避難民に対し食糧の配給をしなかった。時が経つにつれ日本人には飢えが迫っていた。避難民の大部分は婦女子であったから、何人もの小さな子供を連れて働きに出ることもできない。仕事といえば、街角の細やかなタバコの露天商か、ソ連将校の洗濯係くらいしかなかった。彼女たちは野草も食い尽くし、空き缶で豆を炊いていた生活から、リンゴの皮を拾ったり、魚の骨をあさって廻る身分へ転落したのである。乞食をしたり、娼婦になって生きていける者はまだマシだった。栄養失調やチフスで死ぬ者が続出したし、避難民の幼児は冬の間に、ほとんど全滅したという。たくさんの幼児を抱えた母親は、一部を救うために、他を捨てるか殺すしかなかったのである。何と穴を掘って、まだ息のある赤ん坊を埋めたのだ。我が子を殺した母親はその上で泣き伏していたが、声を掛ける者は誰もいなかった。発狂した母親もいたらしい。死体から衣服を剥いで、残った者が一日の食糧のために売ることも珍しくない。

死体を踏んで安心する避難民

  冬の寒さに堪えるだけでは生き延びることは出来ない。38度線を目指して南下を目指す避難民は幾人かいたらしい。しかし、冬期の脱出は危険である。38度線に近い京城でも冬期の気温はマイナス5度にまで下がり、山間部ではマイナス10度を下回ることも珍しくない。38度線はソ連軍が封鎖しており、日本人には旅行許可が発給されないから、占領軍や人民委員会に金銭を渡して買収することもあった。偽の移動許可書を持っていたって、南下中に列車が停止させられたり、金銭や女を要求されることがあったのだ。大勢の日本人が夜間に山間部の細道を通過することが知れ渡ると、その通路に追い剥ぎが出没するようになったという。保安隊や近くの村人がサイレンを鳴らし、「日本人狩り」をすることもあったそうだ。この強盗団により、何回もの掠奪から守り抜いた最後の財産までそこで奪われてしまう。一般の私服保安隊まで現れ、日本人に対し掠奪、暴行、強姦、撲殺をほしいままにしたのである。

  背負った荷物さえ強奪された避難民は、当然だが飢餓に襲われる。ヨモギ、タンポポ、ノビルなど口に入る草は何でも食べた。しかし、厳しい山岳地帯を歩く老人や子供には冷酷な運命しか待っていなかった。冷たくなった乳児を何時までも抱きながら背負う母親、五つか六つの子供を引っ張りながら歩く母親、這うように歩く老人や病人は38度線を目指して南下した。銃声が聞こえても人々は足を止めなかった。北西に止まっても死があるのみ。「逃げる」ことに賭けるしかなかったのだ。しかし、逃亡は苛酷である。死んだ子供の亡骸はもとより、動けなくなった病人を置き去りにせねばならない。避難民が歩く道には、日本人の遺骸が散乱していたらしい。夜間に真っ暗な道を歩いていると、落ち葉の下にふんわりとした死体らしきものを踏んだという体験記は多い。大きな子供を助けるために小さな子供を捨てることを決意した者もいたのだ。中には日本人の死体が延々と続いているので“安心した”と述べた者もいたという。死体の行列は、その道が38度線に通じていることを示していたからだ。(p.217)

  日本の学校教育は異常としか表現できない。侵略でもないのに支那人に「侵略行為」を詫びたり、天文学的恩恵を受けた朝鮮人に、「日本統治」の非道(実際は恩寵)を謝罪している。しかも、ソ連の残虐行為に言及することがなかった。反対する核兵器だって、ソ連が持てば問題はなかったくらいだ。日本の中学生や高校生は「シベリア抑留」という言葉だけは、かろうじて知っているものの、その実態については絶望的なほど無知。強制労働所で実現された、氷の地獄についてさえ知らないのだから、ソ連兵から日本女性が輪姦されたことを知るはずがない。平和な暮らしに安住している現在の日本人には、占領地でもがき苦しんだ同胞の過去を想像できないだろう。そもそも、「死ぬよりつらい生」とは如何なるものかを身に沁みて体験した日本人への関心が無いのだ。左翼教師や反日活動家は、存在しなかった「従軍慰安婦」に多大なる同情を寄せ、日本国民の税金を献上しようとした。それだけでは満足せず、日本軍が朝鮮女性を「性奴隷」したという虚構を作り上げ、世界中に宣伝するという暴挙に出たのである。高額料金を稼いだ鮮人売春婦(鮮ピー)は、反日活動家の手助けで嘘偽りの大合唱。本当に「性奴隷」された邦人女性は沈黙したまま、その辛い生涯に幕を閉じた。その亡骸さえ無名のままだ。「生き地獄」を味わった女性は、世間に出ることなど絶対しない。思い出すのも嫌だ。一瞬の記憶さえ全身に戦慄(せんりつ)が走る。「金をよこせ」と大衆の面前に現れる朝鮮老婆は、プロ娼婦であり、強請(ゆすり)のプロだろう。

  「従軍慰安婦」を国連や米国で触れ回っている反日活動家は、本当に「人権」とやらを考えたことがあるのか? 女性の人権を叫ぶフェミニストは、真のケダモノに性器をメチャクチャにされ、体中を凌辱されることがあったのか? 嘘つき鮮人には至れり尽くせりの支援を与え、壮絶な恥辱を堪えて死んでいった日本人女性に対して、いっぺんの同情を示さないのはおかしいだろう。「バウネット」のフェミニスト、朝日新聞、毎日新聞、NHKなどは毎年特集番組を作って、邦人女性の屈辱を子供たちに伝えるべきではないか。普通の日本人なら、こう問いかけるだろう。「お前らには日本人の血が流れているのか?」と。生ゴミより臭い息と醜い容姿のソ連兵に犯された女性の悲鳴が聞こえないのか? 「女性の権利」を口にするなら、まず日本人女性に目を向けよ。彼女たちが拷問より辛い強姦を堪えて流した涙は血よりも濃いのだ。もし、このブログを読んで心が動いた方は、どうか「沈黙の叫び声」を上げた女性たちの魂に対して祈ってほしい。誰にも知られず亡くなった彼女たちがあまりにも不憫じゃないか。

  
(ソ連兵の悪行についてはこちらを参照して下さい。)


人気ブログランキングへ
記事検索
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: