保守派メディアに入り込む怪しい者ども

  最近は雑誌『WiLL』がつまらない。どうもパンチに欠ける執筆者と特集記事が目につく。日下公人先生の巻頭コラムと渡部昇一先生の巻末エッセイだけは毎回楽しみだが、その他の論文はそれほど面白くない。6月号だと櫻井よしこさんが「村山談話」について述べているが、今更といった感じで新鮮味がない。もう村山富市が悪いことなんか誰でも知っているじゃないか。櫻井氏が悪いというのではない。ただ、市民ホールで由紀さおりの歌謡ショウを聞いているみたいで、刺戟に乏しいのだ。何もブリトニー・スピアーズのコンサートを期待しないが、せめてアナスタシアくらいの魅力があってもいいじゃん。櫻井氏の講演は、お勉強ができる才女のスピーチ・コンテストみたい。毒舌がなくてお上品なだけ。品の良いおばさまがたには充分でも、知的好奇心が強い男には、どうも物足りない。

  さらにつまらないのは、佐伯啓思の「戦後の日本の欺瞞とアメリカ」という文章だ。若者に説教を垂れたい老人が、かつての教え子を呼びつけて、これといったネタも無いのに演説しているみたいなものである。ふと考えてしまうのは、三輪和雄さんが主宰する「正論の会」で佐伯氏を招いたら、お客がどれくらい集まるのかな、ということだ。昔、彼の「アメリカニズム」とかいう本を読もうとしたが、余りにも退屈で途中で止めてしまったことがある。それに、西部邁が発行していた『発言者』で、佐伯氏はレギュラー執筆者だったが、印象に残るような論文はなかったと思う。つまり、余りにも凡庸な大学教授なのだ。譬えてみれば、三流の噺家が登場したようなもの。林家こぶ平の落語が始まれば、眠くなるお客がいるだろう。それと同じだ。(そういえば、こぶ平は「正藏」を襲名したんだって。海老名の母ちゃんがいるから偉くなったんだろうな。)

  佐伯氏が認識する「アメリカ像」は、根無し草のアメリカ人が基になっているのではないか? 彼は「もともと自由主義や民主主義や人権の普遍性を世界化するというアメリカの価値観や歴史観こそが進歩主義に他ならない」と述べている。(『WiLL』 2015年6月号 p.39) 佐伯氏が頭に描くアメリカ人は、大学に棲息している左翼教授やウォール街の投資家、カルフォルニアの人権活動家みたいな人々だろう。アメリカは捕え所のない国家で、本当に雑多な民族の寄せ集めである。だから、日本人が一口に「アメリカ人」といっても、どんな人物を念頭に置いているのか分からない。アメリカ人が民衆政治を云々し出したのはウィルソン大統領の頃からで、建国当時、政治的エリートは民衆政治が良いものとは思なかった。財産や教育の無い者が政治の主流になるなんて、想像しただけで恐ろしくなり否定しただろう。人権の普遍化だって、よそ者が増加したことで、流行になった概念である。つまり、何代も前からずうっと住んでいる国民より、外国から流れてきた貧民が国民の多数派になったからだ。地球上の生物という程度の浮浪者には、「古来から継承される権利」という親子代々の遺産が無い。また、合衆国憲法には人権条項を入れようなんて発想はなかった。アレクサンダー・ハミルトンが、普遍的人間の権利を書き込もうとするわけないだろう。むしろ反対していたくらいだ。佐伯氏に尋ねたいのは、進歩主義を唱えているアメリカ人の具体的な顔と名前である。佐伯氏の文章はだるくて、ちっとも刺戟的ではない。比べたら失礼だが、小室直樹先生は雑誌の記事でも、たいへん刺戟的な文章を書いていた。佐伯氏が大学で教えている時、学生から文句は無かったのか? 

  西部氏の雑誌『発言者』で思い出すのが、榊原英資(さかきばら・えいすけ)・青山学院大教授である。この元大蔵官僚が、チャンネル桜の「討論、討論」に出演していた。その番組は『表現者』スペシャルということだが、榊原氏は自分の失策を謝罪したことがあるのか? テレビ朝日やNHKでもよく出演する異色の官僚学者には古傷があった。国民の多くは、昭和天皇在位60年記念で発行された10万円金貨を覚えているだろう。昭和61年(1986年)に限定1千万枚の発行だったのに、好評だからというので翌年も百万枚発行されてしまった。しかし、問題はそんなことではない。何とこの金貨には4万円分しか金が使われていなかったのだ。額面が10万円だから、6万円も高い金貨になっており、危険性が指摘されていたらしい。案の定犯罪者に狙われてしまった。スイスから輸入された記念金貨を調べた銀行が、偽造硬貨であることに気がついたという。10万枚以上の偽造コインが作られ、被害総額は107億円以上と報道されていた。偽造グループは60億円にも上る利益をもって闇に消えたらしい。記念硬貨発行時から懸念されていた問題だったという。噂によると、大蔵省理財局国庫課の榊原氏が記念金貨の発案者らしく、偽造の危険性を承知していたのかどうか、ぜひ尋ねてみたい。この話は、渡部昇一・谷沢永一の両先生も語っていたから本当だろう。

  当時、昭和天皇の在位を記念してのコインだったから、コレクションの為に購入した人は多くて、まさか金の含有量がこれほど少ないとはおもっていなかったはず。実を言えば、筆者は小学生の頃コイン蒐集に興味があっので、硬貨鋳造の注意点くらいは知っていた。紙幣と違って硬貨は偽造が簡単なので、金の含有量を額面に等しくすることが肝要。例えば、9万円分の金が使われた10万円硬貨を偽造したって割に合わない。しかし、4万円分しか使われていない場合だと、6万円分の偽造利益が出てしまう。榊原氏は大蔵省でどんな情報を握っていたのか? まさか、金貨の鋳造に関心が無かったとは言わないだろう。米国に留学して博士号を取得し、大学生に経済学を教える人物が、金貨鋳造の基礎知識も無かったなんて嘘みたいな話だ。何よりも腹立たしいのは、榊原氏が大失敗を犯したにもかかわらず、国際金融課長に昇進したことである。なぜ、予測できた犯罪を見逃した人物が出世できるのか? 未だに榊原氏が記者会見で謝罪したという話は聞いたことがない。 

  西部氏は保守主義の雑誌を作っていたらしいが、執筆者には榊原氏の他、エセ保守のオンパレード。榊原氏は自民党の政策や腐敗には厳しかったが、民主党の政策には甘いのはなぜか? 例えば、榊原氏は妙にアジアとの連携を重視する。そして鳩山由紀夫を支持していた。

  鳩山新総理は「東アジア共同体」構想を打ち上げ、日米関係を友好裡に維持していくことを前提に、アジアとの接近を図っています。中国やインドの台頭、歴史の大きな流れとしてのリ・オリエント現象のなかで、この政策選択は適切なものです。(榊原英資 『日本人はなぜ国際人になれないのか』 東洋経済新報 2010年 p.213)

  「ルーピー」と呼ばれた鳩山由起夫の「東アジア共同体」など、百害あって一利無しの愚論なのに、それが適切だなんてどうかしている。榊原氏はグローバリズムを否定し、日本の国益を主張しているように見せかけているが、現実を分かっていない妄想家なのではないか? 自分が勝手に頭で描いたプランを、そのまま実現化できると思うタイプだろう。主知的構造主義(Intellectual Constructivism)の申し子だ。榊原氏によれば、「日本は閉鎖的で人的鎖国政策をしているので、国籍法とか入管法を変えるべし」なんだって。たとえば、介護師や子守のアジア人を雇えないのに、売春をするダンサーを許している入管法はおかしい、と非難。日本主義者みたいな振りをする榊原氏は、グローバリストの手口を踏襲している。彼はIT技術者のような高度技術者を積極的に入れて、日本を国際的に開いた国にせよ、と要求していた。アジア人労働者を規制しているのは、榊原氏の考えでは「虐待」になるそうだ。入管法とか国籍法を抜本的に変えたり、移民を受け入れる制作を取らないと、鎖国体制から脱却できないという。(武者小路公秀編 『新しい「日本のかたち」』 藤原書店 2002年 p65-66) 最初に「優秀な高給取りを招きまぁ~す」と民衆を安心させて、徐々に下層の外人労働者を許すよう、移民枠を広げるのだ。気がつけば、いつの間にか高度人材が1名で、他の99名が低賃金人夫(にんぷ)だったりする。

  榊原氏は日本の鎖国的体質を変革せよと叫ぶのに、行政組織は江戸時代を模範にせよと提唱する。「廃県置藩」という日本回帰で地方が活性化するそうだ。(p.156) 行政単位を県ではなく、藩にすることで様々な腐敗や停滞を解く鍵となるんだって。だが、その藩主には選挙で任命される知事がなるのだから、大前研一の「道州制」と同じ発想だ。それにさぁ、武勲によって大名になった人物と、どぶ板選挙で知事になった人物が同等なわけないだろう。命懸けで藩主になった武士には、平民では考えられない名誉と義務があった。自分の名前を連呼しながら宣伝カーで「皆様の清き一票をおねがいします」と叫ぶ候補者が、「風林火山」や「毘沙門天」を掲げる戦国武将と同質なのか? ぜひとも越後や甲斐の有権者に訊いてみたい。それに榊原氏は、現代の民撰藩主が領民のためなら切腹するとでも思っているのか? 「末代までの恥」を避けるために腹を切る覚悟の武士と、「手厚い退職金と議員年金」を優先する代議士とを同一視するなんて、さすか鉄面皮の高級官僚は違うねぇ。こうした試験秀才が「ミスー円」と持て囃され、慶応や早稲田、青山といった私立大学に天下っているのだ。ちなみに、この本は姜尚中や川勝平太との対談形式を取っている。左翼が雁首そろえて座談会を開けば、言うことは容易に想像がつく。

後ろめたい営業保守の中西輝政

  『WiLL』7月号の「戦後70年」特集も大して面白くなかった。中でもつまらないのは、中西輝政の『安倍演説で「歴史問題」は終わった』という論文である。なにも下手な文章とけなしているのではなく、内容が陳腐だと言いたいのだ。雑誌『正論』や『Voice』にもよく登場する中西教授だが、その論文には感銘を受けるところが至って少ない。保守派知識人という看板だが、その論文には読者にとって“期待感”とか“魅力”がないのである。日下公人先生なら、意外な角度からの考察や斬新なアイデアの提案があったりするので、読んでいておもしろい。だから銀行や大学を辞めた今でも人気がある。中西氏の言論は普通のオッチャンでも、ちょっと勉強すれば話せる程度の藝である。彼は「七十年問題」について言う、

  ・・・それは冷戦終焉後、二十数年続いた「ポスト冷戦」と呼ばれる国際秩序の時代が終わり、歴史的な地下に関係の大変動(パワーシフト)の時代に入った今日の世界で、本格的な地政学的対峙が始まる前の一種の「シャドー・ボクシング」のような代替的紛争テーマとして、「歴史問題」が利用されているのである。(『WiLL』 2015年7月号 p.58)

  つまり、中西氏には具体的な変貌が分からないので、とりあえず抽象的な文言でお茶を濁しておこうという考えだろう。これはそば屋の前を通りかかった時、「あっ、これは揚げ物の臭いがするから、天ぷら蕎麦か天丼を作っているのではないか」と推測しているようなものだ。読者は、そば屋のメニューや厨房の中を知りたいのであって、換気扇から放たれる油の臭いは説明しなくても分かっている。中西氏は「歴史問題」の背後にある本命は、ズバリ「米中の“新冷戦”だ」と喝破する。まるで、歌舞伎役者が大見栄を切ったような見解だが、何か肩すかしを喰った感じ。もし、ぴんから兄弟がテレビ東京に出てきたら、歌う曲は誰にも分かっている。「女のみち」に決まっているだろう。中西氏の見解はいつも「どっーてことない」平凡な意見が多い。(「ぴんから兄弟」は古すぎるので、若い人には円広志の「夢想花」かな。これも昔のヒット曲。現在の邦楽に疎いのでゴメンなさい。) しかし、中西氏は冷戦終結頃から左の舞台から、ちょっとづづ右の論壇に移動した過去がある。

  それほどたいしたこともない大英帝国衰亡論で、ちょっとばかり脚光を浴びた中西教授は、保守派論壇の新たな知識人みたいに登場してきた。しかし、彼の出身は左翼出版社の岩波書店や朝日新聞系列の雑誌である。朝日新聞が大学教授を招いて記事を書かせる時は、すでに新聞社による人物検定が済んでいる場合がほとんど。何らかの政治事件が起きて、朝日記者がご意見伺いに向かう学者は、たいてい左巻きの人物である。朝日新聞に楯突くような加瀬英明や宮崎正弘、渡部昇一、中川八洋といった有名知識人を訪ねることはない。だが、朝日新聞は北方領土問題について新進気鋭の国際政治学者、中西輝政・静岡県立大学教授(当時42歳)を自社の「論壇」欄に招待したのだ。話題が北方領土問題で、時はエリツィン政権時代。金日成が大好きな金丸信・副総理が、「二島返還論」を打ち出して政界に衝撃が走った。この提案は、領土返還をちらつかせて日本からお金をふんだくろうとする、ロシアの常套句である。そのロシア式詐欺交渉を援護するため、朝日新聞は御用学者を雇ったのだ。

  中西教授は冷戦構造が崩壊し、世界が新しい国際関係の思考に傾斜しているのに、ひとり日本だけが「領土」に固執するのはよくないと仰る。こんな姿は第一次世界大戦後、「山東半島」の領有を主張し、国際連盟の理想を転覆させるほど「領土」にこだわった、昔の日本と同じだよ、と叱りつける。国際関係の論理が変わった時期には「仕切り直し」が必要だ、と中西教授は述べた。彼は続けて言う、

  ・・・その中で米歐との連携を深めながら、ソ連をアジア・太平洋の重要なパートナーとして積極的に引き入れる「日本の構想」を明らかにしなければならない。それは、日本がアジアに新秩序を創造する重要なリーダーシップに加わる歴史的好機でもある。(1990年4月30日附「朝日新聞」『論壇』)

  『論壇』の見出しは「領土」固執は大枠見落とす/ソ連をパートナーとする構想必要」と書かれていた。ソ連贔屓の朝日新聞らしい主張である。「北方領土一括奪還」なんて言っちゃいけないよ、という朝日の説教がにじみ出ているじゃないか。どうりで朝日新聞が原稿料をくれるはずだ。そもそも、火事場強盗・婦女強姦のソ連をパートナーにする奴がいるのか? 中西氏は雑誌『文藝春秋』でも、北方領土にこだわっちゃ国益を損ねるぞ、という論文を掲載していた。中西氏曰く、

   日本側が「領土」「領土」と叫べば叫ぶほど、この問題はロシア側に有利になる。つまりロシア側の対日カードとして有効性を増し、それを逆手にとって経済支援の要求をつきつける材料にされるのではあるまいか。(中西輝政「北方領土はもう要らない」 『文藝春秋』 1992年10月号 p.186)

  日本国政府はロシアがどれだけ困っていようが、北方領土全部返還を主張し、一銭たりとも経済援助してはならないのだ。ロシアは軍事的圧力以外で領土の返還をしない国だから、日本はひたすら軍備増強と国軍創設に努力すべきである。経済援助を受けたって、ロシアは絶対に返還する意思はないのだ。経済的に困窮すれば、外務省や自民党の手下を使って、日本の税金を横取りしようと画策する。また、言論界では佐藤優や東郷和彦が援護射撃をするのだ。マスコミはロシア問題となると、すぐ怪しい佐藤優を頼るが、優秀な瀧沢一郎先生を訪ねる者はまずいない。中西教授は日本側が返還を力説することは利益にならないと仄めかす。中西教授によれば、

  ・・・そこにこだわることが結果的に日本外交の手を縛る、つまり選択の幅を狭めることになるとすれば、別の選択肢もあり得るのではなかろうか。(上掲論文 p.187)

  領土返還と経済支援を頑なにセットにせず、「領土を還せ」はほどほどにしてお金を貸してあげたら、と言外に勧めているのだ。中西氏の論文は尻尾を掴まれぬよう、ぐだぐだと曖昧な理由をのべるから、読者は退屈だし、イライラするし、結局何が言いたいのか分かりづらい。

  ロシアに親切な中西教授を贔屓(ひいき)にしている旦那様(パトロン)は朝日新聞だけじゃない。今では凋落した岩波書店の『世界』が中西教授を登用していたのだ。しかも、社会党の代紋を掲げていた北海道大学の山口二郎(やまぐちじろう)教授や、女系天皇論でよく喋っていた故・高橋紘(たかはしひろし)らと一緒に対談していたのだ。これは、湾岸戦争が起こった海部内閣時代に開かれた対談である。自衛隊の国際貢献が話題となり、中西教授は“素晴らしい”左翼的意見を語っていた。日本の国際貢献には、「歴史的なものを踏まえてアジアに対する共感が、日本の社会にもっと力強く根づかなきゃならない」、そうだ。(「国際貢献とは何か」 <討論> 『世界』 1991年7月号 p.50) その「アジア」ってのは、もしかして支那や朝鮮のことなのか? 中西氏は具体的な国名を挙げていない。インドやイラン、またはシンガポールやフィリピンなのか、はっきりしないのだ。中西氏は高橋氏が言う「過去の侵略の歴史」を受けて、発言していたから、支那や東南アジア諸国だったのかも知れない。中西教授によれば、日本の国際貢献はスウェーデン型が良いそうだ。政治的に成熟して、自己犠牲の色彩が強く、権力とか国益の次元から離れているから、というのか理由なんだって。へえ~。じゃあ、日本人の国際貢献は未熟で利己的なうえに、権力志向で国益が混ざっているから、「ダメ」という評価なのか? 日本政府の支援は民間人の慈善活動じゃないぞ。ロックフェラー財団だって、純粋な慈善活動は少なく、何らかの下心がある場合が多い。中西氏が「きれい事」を吐く左翼メディアに重宝される理由がよく判る。

  社会党と仲良しだった中西教授は、社会党への期待もすごかった。日米安保については、「90年代の半ばあるいは20世紀を超えて、それほど長くは存続できないかもしれない」と予想していた。(p.53)この論文から25年ほど経ったが、未だに日米安保は存在している。あれ~? 変だなぁ。どうしちゃったんだろう? あと何年で消滅するのか? 「2012年で人類滅亡」というマヤ文明の予言みたいだ。中西輝政・京都大学名誉教授に、ぜひ来月号の『WiLL』で教えてもらいたい。ただし、『ムー』に掲載はダメだぞ。宇宙人の予言になっちゃうから。中西教授は当時、社会党がどのように日米安保を容認するかが重要だ、と述べていた。

  社会党が自衛隊を容認し、日米安保を容認する、その踏み切の仕方のなかに、今後の20年、30年間、日本を導いていく重要なスピリットが生じてくるような気がする。(p.53)

  いや~ぁ、胸がドキドキする、すんばらしい予想である。後に実る自民党と社会党の連立を予測した発言だ。村山富市と土井たか子を応援する下地を作っていたとは。中西氏は高橋氏が議論したシヴィリアン・コントロール、つまりデモクラシーと軍隊の問題について、驚異の見解を披露していたのだ。

  私はこの問題をより適切に取り扱えるポテンシャルをもっているのは、もしかしたら社会党かもしれないと思う。(p.53)

  やったね、中西先生 ! 「社会党に乾杯 ! 」だ。ソ連崩壊で各国の社会主義者や共産主義者が没落していたのに、日本の社会党は明るい未来を歩んでいた。ソ連ではゴルバチョフのペレストロイカに反対していたセルゲイ・アフロメーエフ(Sergei F. Akhromeynev)元帥が、クーデタに失敗して自殺したのである。(Robert L. Jackson, Friend's Suicide Saddens Retired Am.Crowe, The Los Angeles Times, August 26, 1991) 参謀本部総長や共産党幹部を務めたアフロメーエフ元帥には、共産主義体制の滅亡が堪えられなかったのであろう。首を吊って自殺したそうだ。ところが、日本にはロープを用意する社会党員すらいなかった。冷戦終結で危機を迎えた社会党を、言論界で応援する中西氏はいじらしいじゃないか。「おたかさん頑張って」と陰ながら土井たか子にエールを送っていたのかも知れない。今度『WiLL』の特集で、中西の兄貴と福島瑞穂の姉御が感動の再会を果たしたら、対談が注目されて売上げが伸びるんじゃないか?

  護憲の土井を忘れられないのか、何か中西氏は産経新聞でも、廃憲論に反対していた。アメリカ占領軍によって英語で草案された「マッカーサー憲法」なんて、占領軍が撤退した時に破棄すべきものであった。マッカーサー将軍は不機嫌かも知れないが、ジョン・フォスター・ダレス国務長官なら理解を示し、同意しただろう。自衛隊を国軍にしようと考えていたダレス氏なら、マッカーサー憲法は邪魔な紙切れと考えたはず。ただし、日本国内に新憲法で得をした連中が一杯いたので、廃憲は至難の業だった。中西氏によれば、連合国軍が撤退した時に新憲法の不成立や無効を宣言すれば良かったが、61年という月日が経って、この憲法の下で法的現実が出来上がってしまったから、廃憲まずいそうだ。なぜなら、戦後の選挙がすべて無効となるし、2代の天皇がこの憲法下で在位してこられた事実も無効になってしまう。そうなれば天皇の地位が揺らぐことにもなりかねない、と懸念していた。(金曜討論 オピニオン 「廃憲論の是非」 / 中西輝政「国際的に疑念持たれる」) マッカーサー憲法を廃止したって、大日本帝国憲法があるじゃないか。廃憲論を詳しく述べると長くなるので省略するが、廃棄した方がむしろ筋が通っているし、日本の国益にもなる。現在の憲法を廃止したって日本人は困らないし、過去の法的事例が一気に崩壊することはないだろう。天皇陛下の地位が揺らぐなんて事は絶対ない。一番困るのは、護憲で喰っていた左翼や東大法学部の憲法学者だ。宮澤憲法学の弟子や孫弟子、曾孫弟子が真っ青になって、大反対の合唱を始めるが、一般国民には損害は無いだろう。(宮澤俊義の系譜には小林直樹とか樋口陽一といった東大の悪党学者がいるし、慶應義塾には小林節もいる。)ただ、テレビ局は必ず反対宣伝を仕組むに違いない。『WiLL』や『正論』の読者で、中西氏の過去を知っている人はどれくらいいるのだろうか?

猪瀬よ、「あんたには言われたくない」

  今月号の『WiLL』で最も笑いを取ったのは猪瀬直樹だろう。過去の日本が「戦略なき国家運営」をしていた、と勉強したはずの猪瀬氏は、東京都知事であった時、不注意にも多額の現金を徳洲会から借りてしまったのだ。借用書をもらうのを忘れていた猪瀬氏は、急遽製造した手書きの証書を披露。記者会見場は漫才の寄席みたいで、みんな爆笑か失笑していた。日本が戦略を持っていなかったことは確かだが、猪瀬氏は5千万円が入るバッグすら用意していなかったんだから、他人の事は言えないだろう。(ちなみに、筆者は小さく折りたためるナイロン製バッグをいつも鞄に入れている。風呂敷みたいに便利だから。) いつもクールに大東亜戦争を語る猪瀬氏だが、彼の歴史観を聞く時には、その過去を知っておくべきだ。信州大学で全共闘議長を務めていた猪瀬氏が、どんな歴史の勉強をしたのか興味深い。彼がテレビに出演する時は、直木賞作家とか元都知事といった肩書きを表示するが、肝心なプロフィールは省略している。昔の仲間だけが知っている経歴なのだろう。

  ある意味、左翼知識人はタフだ。疑惑の精神科医、香山リカと同じで、破廉恥なことをしてもちゃっかり復活してくる。猪瀬氏は戦後の日本はアメリカの傘に入って軍事を忘れていたことは確かだ。おとぎの国たる日本はディズニーランドいたのだろう。(猪瀬直樹 「消されたまま『戦前百年の記憶』」 『WiLL』 2015年7月号 p.87) しかし、猪瀬氏も気楽な学生運動をしていたのだ。彼は大学に張り巡らしていたバリケードを「仮設空間だった」と呼んでいる。(臼井敏男 『叛逆の時代を生きて』 朝日新聞出版 2010年 p.143) ものは言い様だ。下劣な暴力沙汰を詩的な表現で誤魔化している。猪瀬氏は「全共闘は右翼とか左翼とかの問題ではなかった。予定調和への破壊衝動のようなものだった」と回顧している。なに格好つけてやがるんでぃ。兇暴なだだっ子がゴネただけだろう。将来を考え始めたズルい学生は、こっそり長髪を切って就職活動したんだぞ。猪瀬氏は、学生運動が終わってみると色々な人物が社会に出てきた、と懐かしむ。猪瀬氏もその一人だという。もっとも、「迷路に入って、なかなか出てこられなかった人もいますがね」と説明する。

    出てきた人物とは、西部邁や香山健一みたいに保守派に転向した元左翼や、元共産主義者で支那政治専門家になった中嶋嶺雄がいる。NHKによく出演する小説家の高橋源一郎は、横浜国立大学に在籍中、学生運動をして逮捕されたし、テリー伊藤は日本大学で全共闘に参加し、片目を負傷したらしい。ロシア専門家を義っている佐藤優が、同志社大学で黒ヘルをかぶって大暴れしていたことはこのブログで触れた通り。関口宏の番組「サンデー・モーニング」にレギュラー・コメンテーターとして出演していた寺島実郎など、ずうっと学生運動気分が抜けなかったんじゃないか。早稲田大学でスト解除を提案していた寺島氏は、「全共闘と共鳴心が働いていると感じたことがあった」らしい。「さんざんヤジっているなかでも、話をしていると、シーンとなる瞬間があり」、「一種の共感」を持っていたという。(上掲書 p.130) テレビの視聴者は、三井物産のエリート社員という肩書きからは想像できないだろう。多摩大学の学長になった寺島氏は、もう左翼学生が暴れる時代じゃないから、安心して学長室に居坐ることができたんじゃないか。

  機動隊から殺されることはない、甘ったれた学生運動を経た猪瀬氏は、大東亜戦争の原因を曖昧にしようと画策する。左翼活動をしていた猪瀬は、日本がなぜ勝てる見込みのない大東亜戦争へ突入したのかを調べたそうだ。彼は「総力戦研究所」を取り上げ、当時のエリートがいかにデータを誤魔化したかを指摘する。戦争シュミレーションでは、「敗戦必至」との結論が出たのに、それを無視して軍部が開戦に至ったと語る。しかし、猪瀬氏は軍部や官僚機構、政府に巣くう共産主義者を克明に洗い出そうとはしない。共産主義にかぶれた公家の近衛文麿や、昭和研究会の赤い協力者、ソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀實(ほつみ)を徹底的に追求しないのだ。近衛を囲んだ悪名高い昭和研究会のメンバーは、蠟山政道(ろうやま・まさみち)、佐々弘雄(さっさ・ひろお)、平貞藏(たいら・ていぞう)、風見章(かざみ・あきら)、堀江邑一(ほりえ・むらいち)、尾崎秀實、牛場友彦などである。共産主義者の蠟山は、戦後も言論界でのさばり、お茶の水庶子大学の学長、東京都教育委員、NHK番組審議会委員などを歴任した。河上肇の一番弟子だった堀江は、ドイツに留学した時、ドイツ共産党に入るくらいマルクス主義が大好き。戦後は、ちゃんと日本共産党に入ったという。佐々は朝日新聞の主任論説委員を務めていたが、初代内閣調査室長の佐々淳行の父親といった方が分かりやすい。共産主義者の息子が保守論壇で活躍する警察官僚とは皮肉なものである。牛場は駐米大使を務めた牛場信彦の兄である。弟は高潔な外交官だったが、兄貴は真っ赤なコミュニストとは、対照的な人生であった。

  共産分子の官僚が集まった企画院グループには、和田博雄(わだ・ひろお)、稲葉秀三(いなば・ひでぞう)、奥山貞二郎、正木千冬(まさき・ちふゆ)、勝間田清一(かつまた・せいいち)、八木澤善次などがいたのだ。この企画院には「高等官グループ」や「判任官グループ」が組織され、共産主義実現のため相互に協力して革命運動を促進しようとした。こうした国家体制転覆を狙う役人を官憲が嗅ぎつけ、治安維持法違反で検挙・起訴したのである。企画院事件は如何に共産主義者が官庁に浸透していたかを示すスキャンダルだった。和田博雄は戦後、農林大臣にもなった社会党員で、参議院議員に当選した。あの真っ赤な経済学者の都留重人(つる・しげと)が、和田の親しい仲間であったから、いかに左翼的かが分かるだろう。勝間田も、マルクス主義に傾倒した社会党議員で、「GAVR」というコード・ネームをもつKGB所属のスパイであった。共産党員の正木は、戦後毎日新聞社の記者になり、内閣統計局長を経て國學院大學教授となった。しかも、鎌倉市長に当選したのである。意外なのは稲葉で、サンケイ新聞に入ると論説主幹から社長へ出世したのだ。保守派新聞の社長が共産主義者だったとは、何とも言えぬサンケイの社史である。しかし、産経新聞社には、他にもロクでなしの重役や社員がいる。後で機会があれば紹介したい。産経読者の知らない“裏”産経。

   言論界では尾崎秀實、細川嘉六(ほそかわ・かろく)、三木清、中西功(なかにし・つとむ)、西園寺公一(さいおんじ・きんかず)が、アジア共栄圏を推奨したり、敗戦必至の対米戦へ導いていた。三木清が赤い哲学者というのは余りにも有名だ。彼の変態的私生活は別にして、学校教師は三木のリンチによる死ばかり宣伝するが、三木の邪悪な思想には触れない。筆者が高校生の時、左翼的国語教師がまるまる一時間使って、三木に加えられたリンチを語っていたのを覚えている。しかし、筆者は内心うんざりして早く終わらないかなぁ、と思うだけで、三木に対する同情なんかちっとも湧かなかった。(不謹慎だが正直に告白すると、お弁当売り場のコロッケパンを買うことしか頭になかった。凡庸な高校生は、実際こんなものである。) 細川は、治安維持法違反で検挙された前科を持つ日本共産党員で、戦後公職追放を受けた。しかし、追放が解けると、支那との交流を熱心に推進し、「日中友好協会」に参加した。西園寺公一はあの元勲西園寺公望(きんもち)の孫である。こいつも支那との友好を促進し、日中文化交流協会常務理事を務めていた。日本では上流階級に共産主義者がとても多かった。たとえば、岩倉具視の曾孫たる岩倉靖子もアカで、岩倉家の恥さらしだ。

  戦前の共産主義者を挙げると、たいへんなので詳しくは三田村武夫の『大東亜戦争とスターリンの謀略』(昭和25年/復刊昭和62年自由社)を読んでもらいたい。とにかく、猪瀬は大東亜戦争の原因を解説しているようで、肝腎な共産主義者たちの謀略を避けている。猪瀬は学生運動上がりの左翼だから、故意にスターリンの策略をぼかしているのかも知れない。ついでに、猪瀬が言及した「オレンジ計画」にちょっと触れたい。この対日戦争プランは、保守派の中でも結構知られていて、日露戦争後から米国が我が国を狙っていたとの誤解がある。「オレンジ計画」は合衆国海軍が考案した海戦シュミレーションで、よくある図上演習の一環である。各国が色分けされており、合衆国は青色、日本がオレンジ、フランスは金色、ドイツが黒、イタリアは灰色、支那は黄色、ブリテンは赤、といった具合。日本だけをことさら標的にして戦争を目論んでいたのではない。(詳しくはエドワード・ミラーの『オレンジ計画』新潮社1994年を参照。だだ、ミラー氏は色分けの経緯を説明をしていないから、読者には甚だ不親切。) このオレンジ計画は大統領に提出され、承認されるといった盛大な国防方針ではなかった。1911年、レイモンド・P・ロジャース少将が海軍大学校で作成された対日戦争計画について、アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan)にコメントを求めたそうだ。そこで、マハンはキスカ経由の北太平洋横断作戦計画を苦心して作り、海軍大学校側に提出したという。しかし、海軍大学校はこの計画を非現実的として拒否してしまった。マハンはこの結果を泰然と受け入れたらしい。(ピーター・パレット編 『現代戦略思想の系譜』 ダイヤモンド社 1989年 p.414) ちなみに、このマハンは世界的に高名な海軍戦略史家で、軍事を研究する者以外でも知っている。後に大統領になるセオドア・ローズヴェルトがファンだったことは有名だ。また、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が、マハンの『海上権力史論』を暗記するくらい貪り読んだことも、よく引用されるエピソードで、皇帝がシー・パワーに憧れていたのは当然だった。

Alfred T Mahan 1Theodore Roosevelt 1Wilhelm II Kaiser 3










(左:アルフレッド・マハン/中央:セオドア・ローズヴェルト/右:皇帝ウィルヘルム2世)

  話を戻そう。当初『WiLL』は世間から、『諸君!』廃刊後の保守系雑誌だと思われたが、段々と左翼的執筆者が増えてきた。谷沢永一先生が亡くなられると、その後釜にチャンコロ屋の加地伸行が坐った。それにレギュラー・コラムニストには、爆笑問題の太田光がいる。日教組によって製造された典型的愚者、太田がNHKに重宝されているのは納得。NHKが頻繁に登用する藝人は決まって左翼。吉永小百合、湯川れい子、沢田研二、美輪明宏、宮本亜門、黒柳徹子を見れば分かるだろう。左翼って裏で互い助け合っているから、画面から隠れ左翼が絶えることはない。映画監督でも黒澤明や大島渚は左翼思想で有名だった。女優岩下志麻の亭主、篠田正浩は真っ赤すぎて『スパイゾルゲ』という映画まで制作したのだ。各界に散らばった元左翼は、様々な反日活動をするから厄介である。

  花田紀凱(はなだ・かずよし)編集長は、週刊文春から朝日新聞の『uno』を経て『WiLL』にたどり着いたが、これといった政治思想はないのだろう。、ただ読者が興味を持つものなら記事にする、という姿勢なのかも知れない。最近話題の田母神俊雄問題でも、政治資金の不正流用を解明するよりも、読者がいかに反応するかに関心があるのだろう。『WiLL』の販売部数を上げるために、田母神氏と水島総社長の対談を企画したのではないか? 最近の『WiLL』を見ていると、左傾化していった『諸君!』に似ている。かつては硬派で保守派の雑誌だったのに、冷戦終結頃から左派系の執筆者が増えてきた。半藤一利、保阪正康、田原総一朗、宮崎哲弥、村田晃嗣とかが登場して、以前の『諸君!』とは違った雰囲気になっていったのである。もちろん、『WiLL』は保守派の執筆者を登場させるが、段々とその比率が低くなってしまうだろう。さらに深刻なのは、論壇で若手の保守知識人が育っていない、あるいは登場しないことだ。人材の枯渇は顕著で、保守派学者の衰退は日増しに進行している。優秀な学者が育たない一方で、保守派雑誌に開いた穴には、若い左翼学者がすべり込むのだろう。そういえば、チャンネル桜に出演していた古谷経衡君は、朝日新聞の側に行ってしまったようだ。保守の巨星、渡部昇一先生が去ったら、『WiLL』は糸の切れた凧みたいに、朝日新聞の領域に迷い込むのではないか? もうアカ雑誌に変わり果てた『文藝春秋』誌を眺めていると、『WiLL』の将来を見ているような気になる。あっ、花田編集長は古巣に回帰するのかな?



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