反共の闘士だったドイツ系アメリカ人
日本人は外政が下手だ。日本では皆が昔からの知り合いで、お互い気心が知れているから、奸計を用いぬとも上手くやっていける。欲を張って人を騙せばちょっとは儲かるが、そこで信用を落とせば一生の損。みんなからつまはじきになるなら、正直に筋を通して生きて行こうと思う。大金持ちになれぬとも、お天道様に恥じぬ生活を送ればいいじゃないか、と考えればそこそこ生きていける。日本は実にいい国だ。こんな幸せな日本だと陰謀は要らない。しかし、外国人との政治では斬ったハッタは当り前。誠実一徹じゃ埒が明かない。深慮遠謀も必要だ。外政というゲームでは、八百長やちょろまかしをする奴が居るから、油断がならない。日本人は『ガンバの冒険』に出てくるネズミたちみたいだ。恐ろしい白イタチのノロイに立ち向かうのに、ガンバは直情型の熱血漢で、相棒のボーボときたら、おっとりした食いしん坊。頼りになりそうな親分肌のヨイショは、力持ちだがオツムが足りない。ガクシャ頭は良いが腕力が無い。忠太は純情なだけ。せめてイカサマくらいのズル賢さがないと兇悪な化け物に勝てない。大日本帝国は強力な陸海軍を持っていたのに、政治と戦略が無かったから負けてしまった。占領されたのは残念だが、逆境に遭っても何とか有利な状況を作り出すことは重要であろう。
(左: カンバと仲間たち / 右: 白イタチの「ノロイ」)
敗戦は悔しいが、冷戦構造が明確になったことは、日本にとって不利とは言えまい。むしろ、ようやく本当の脅威、ロシアが日米の敵となってよかった。占領軍にはチャールズ・ケーディス(Charles L. Kades)という、日本に有害なニューディーラーがいたが、彼に対立するチャールス・A・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby)少将という反共の闘士もいたのだ。日本人はこうした立派なアメリカ人を仲間にして国益を促進すべきである。日本の保守派言論人はアメリカ人への憎しみを掻き立てることで、支那人やロシア人にとって有利な状況をつくろうとする。狡猾な支那人なら日米離反を実現するために、アメリカ白人を怨む保守派知識人を支援するだろう。財政的あるいは政治的に応援し、テレビ番組にも出演できるよう取り計らえば、彼らは簡単に忠犬となる。自衛官にもロシアや支那の手先になっている人物がいるだろう。支那人やロシア人のエージェントなら、陸上自衛隊の福山隆・元陸将のような人物を背後から支えるだろう。反日自衛官らは日本人が無意識に持つ「アメリカ憎し」の感情を増幅させようとする。日本人が冷徹な政治(リアル・ポリティクス)を考えぬよう、「アメリカは日本を利用して使い捨てにする ! 」と叫んで反米感情を焚きつけるのだ。何処の国だって自分中心の政治をするだろう。当り前じゃないか。日本人が感情的になると、その陰で支那人工作員がほくそ笑む。アメリカにこき使われるのが嫌なら、日本人がアメリカを利用すればいいじゃないか。日本の保守派は本当にチョロい。
(左: ガンバとボーボ / 右: イカサマ)
日本にとり米国が重要ならば、日本に利益をもたらすアメリカ人を我々は厚遇すべきである。日本を解体しようと励む左翼思想の民政局に対して、日本を共産主義の防波堤にしようとしたウィロビー少将は偉かった。でも、このアメリカ軍人は如何なる人物なのか? ウィロビー少将はドイツ系アメリカ人で、1892年3月8日ドイツのハイデルベルクで生をうける。父親はフォン・ツェッペ・ワイデンバッハ(T. von Tscheppe -Weidenbach)男爵で、母親はメリーランド州バルティモア出身のエマ・ウィロビー(Emma Willoughby)であった。少将の本名はアドルフ・カール・ツェッペ・ワイテンバッハ(Adolf Karl Tscheppe-Weidenbach)といい、アメリカに帰化したのでワイデンバッハを英語風にウィロビーに改めたのである。(Frank Kluckhohn, Heidelberg to Madrid--The Story of General Willoughby, The Reporter, August 19, 1952) 少年時代をドイツで送っていたから、ウィロビー少将はドイツ語アクセントで英語を喋っていたのだ。彼はハイデルベルク大学やパリのソルボンヌ大学に通い、哲学や言語学を専攻していたという。そんな訳で、父のドイツ語と母の英語に加え、フランス語やスペイン語も流暢に話せた。1910年、18歳の頃に米国へ渡り、帰化手続きを済ませて合衆国陸軍に入隊したらしい。軍隊生活を三年くらい送り、軍曹になったところで除隊し、ペンシルヴァニア州のゲッティスバーグ大学に入った。そこを卒業すると、ウィロビーはカンザス大学に進学して修士号を取得する。女学校や大学で語学を教えた後、再び陸軍に戻り、今度は歩兵部隊の中尉となった。第一次世界大戦が勃発すると歐洲で戦い、フランスでは航空部隊に配属となったそうだ。戦後に帰国すると歩兵部隊の指揮官に昇格したが、大尉になった頃、軍の諜報部に異動し南米へ派遣されたという。ウェネズェラやコロンビア、エクアドルでは、大使館附駐在武官として任務をこなしたらしい。参謀養成学校では講師として軍事史や諜報活動を教え、天性の才能を発揮して評判も良かったという。
ウィロビー少将の軍歴は立派で、軍事に関する著作まである。彼は第一次世界大戦についての研究書『The Economic and Military Participation of the United States in the War 1917-1918』を執筆し、この本は翻訳されラテン・アメリカ諸国でも読まれたという。その他にも、軍事・諜報を扱う雑誌『Command and General Staff School Quarterly』の編集を担当したり、軍事教科書として『The Element of Maneuver in War』を出版したのである。ウィロビーは軍事教官として卓越していたが、第二次世界大戦が起こると参謀としてもその手腕を発揮した。フィリピンではダグラス・マッカーサー将軍の補佐官として活躍したし、ニューギニアの戦闘では勇敢な行為を評価され「殊勲十字章(Distinguished Service Cross)」を受勲。これなら、GHQ最高司令部でウィロビーがマッカーサー将軍の信頼を受けていたのも頷けよう。こう述べるとコチコチの軍人みたいに思えるが、ウィロビーは武藝一辺倒の無骨者ではなかった。文学にも通じた教養人で、陸軍参謀学校では演劇の才能が評判だったという。演劇クラブではロマンティクな役柄を見事に演じる才能があったらしい。
(左: チャールズ・ウィロビー少将 / 中央: ブルーノ・ビッテル神父 / 右: ダグラン・マッカーサー元帥)
マッカーサー将軍の参謀として日本に赴任した時、ウィロビー少将は偶然イエズス会士のブルーノ・ビッテル神父と出逢った。ビッテル神父が靖國神社を救った話は以前このブログで紹介したから省略する。ビッテル神父は元ドイツ陸軍士官で、第一次世界大戦で勇猛果敢に戦い鉄十字勲章をもらった武人であった。エリート司祭のイエズス会士には凄い人が多い。ハイデルベルクの名家に生まれたアメリカ軍人と、最高裁判事だった父を持つ名門ビッテル家の聖職者は、初対面なのに挨拶を交わすとすぐ打ち解けたのである。(ビッテル家はあの有名な「ベルヒステスガーデン」の別荘を所有していた。) ビッテル神父がベルダンでの戦闘に参加していたことを告げると、ウィロビー少将は驚いてしまった。彼も同じ戦場にいたのだ。さっそく詳しい話を聴くために自分のオィスに神父を招いたという。西部戦線で戦ったウィロビーにしたら、まさか日本でかつてのライバルに遭遇するとは予想していなかったのだ。「ヒル304」で交戦した二人の指揮官は、思い出話に花を咲かせたのだろう。高貴な精神を持つドイツ人の交友は清々しい。戦争の怨みを何時までもネチネチこぼすユダヤ人と大違いだ。
日本では「頭の良い人」とは試験秀才を指すが、欧米では「判断力の優れた人」を意味する。愚者は細部に捕らわれ、賢者は本質に迫るのだ。ヨーロッパ貴族の青い血が流れているせいなのか分からぬが、ウィロビー少将は慧眼(けいがん)の持ち主である。日本人を処罰することに夢中な占領軍将校とは違って、彼は共産主義の危険性を察知して上層部に警告した。彼は何が米国にとっての脅威なのかを把握していたのだ。CIC(対敵防諜部隊)からの報告を検討したウィロビー少将は、GHQ民政局(GS)や経済科学局(ESS)に蔓延(はびこ)っている「ニューディーラー」たちを排斥しようとした。彼は総司令部の各部局に左翼主義者が浸透している状態を何とかせねばと考える。ウィロビーは言う、
総司令部の各部局に在職している外国分子を統計的に分析してみると、ソ連またはソ連衛星国の背景をもった職員の割合がかなり高い。GHQに雇われている(無国籍者を含む)三百四人の外国人の内、最大グループを形成する二十八パーセント(八十五名)はソ連衛星国の出身である。そのうち四十二名はソ連の市民権の持ち主である。通常の治安概念からみれば、このグループは事実上の脅威となるはずである。ことに最近ソ連は、元の白系ロシア人の全員、および無国籍者をソ連市民として登録してきているからなおさらである。(C.A. ウィロビー 『GHQ知られざる諜報戦』 延禎訳 山川出版社 2011年 p.177)
こうした報告を聞けば、日本人なら直ぐ民政局に勤務していたベアテ・シロタ・ゴードン(BeateSirota Gordon)を思い出すだろう。彼女のことを聞いたことがない人は、土井たか子の後継者たる福島瑞穂や極左憲法学者の辻村みよ子に訊いてみたらいい。喜んで教えてくれるだろう。(でも、直接尋ねるのは穢らわしいから、このブログを読みつつけてね。)
根無し草の赤いユダヤ人
(左/ベアテ・シロタ・ゴードン)
ベアテはユダヤ人の両親のもと、1923年ウィーンで生まれた無国籍者であった。キエフ生まれの両親は、帝政ロシアからウィーンに逃れ、そこから日本に渡ってきたのである。音楽家レオ・シロタの娘は幼少期を日本で過ごすが、大学教育は米国のミルズ・カレッジで受けた。不思議なのは、これといった収入のないシロタ家なのに、娘をアメリカの大学に入れるだけの余裕があったことだ。1946年の報告によれば、シロタ夫妻は日本にいるロシア人と親しく付き合っていて、ソ連大使館で演奏会を開いたり、デレビヤンコ将軍の手配でソ連に旅行ができたという。何か臭いぞ ! あのロシア人が無国籍のユダヤ人に何の見返りも求めず、タダで親切にするわけがない。それに、シロタ一家は国籍が無いのにウィーンの警察長官による紹介状を携えて日本にやって来たのだ。これじゃ、日本人だって怪しむだろう。シロタ夫妻は二度もアメリカに渡ったが、アメリカ国籍を取ろうとはせず、相変わらず日本に留まっていたのである。1939年には円安になって、厳しい為替統制令が敷かれているにもかかわらず、彼らは娘をアメリカ留学に出すことができた。(上掲書 p.196) ロシア人はシロタ夫妻を日本における「モグラ」、つまり情報収集員として使っていたんじゃないか? そうでなければ全く不可解だ。
日本滞在を通して、シロタ夫妻はとりわけ日本の警察と官僚に対して憎しみを抱いたらしい。こうした憎悪は娘のベアテに受け継がれたようで、彼女は警察官と地方官僚の追放に辣腕を振ったそうだ。たとえば、ベアテは共産主義者を逮捕した警察官をパージする際、その範囲を1931年以前にまで拡張することを断固主張したのである。その結果、1928年5月に共産主義者を逮捕した警察官を、数百人も追放の対象にしようと企てたらしい。当時逮捕された者の中に、共産党の幹部が多く含まれていたことは何を意味するのか? 恨み骨髄の共産党員らがベアテに働きかけたんじゃないか? もしかしたら、ソ連のエージェントが邪魔な警察官を排除しようと裏で糸を引いていたのかも知れない。さらにベアテが怪しいのは、彼女が民政局に雇われる際の保証人の中に、レーモン・ラバルというアルゼンチン領事館員がいたのだ。彼は戦争勃発時に香港で捕らえられ、1942年最初の交換船で日本から本国に送還された過去を持つ。その後、アルゼンチン国籍を捨てて、アメリカ国籍を取得し、極東情勢に関する左翼文書を出版していたという。ベアテの背後には疑惑の人物が潜んでいたのだ。
こんな怪しい人物が民政局に勤務して、憲法草案に携わったのだ。法律家上がりのホイットニー准将や左翼のケーディス大佐にとって、日本の憲法は兇暴な猿を閉じ込める檻か、狂人に着せる拘束衣のようなもの。建国の父祖が制定した合衆国憲法とは性質を異にする法典である。日本を民主化する、などと意気込んでいたケーディスだが、実際は野蛮な日本人を仕置きするのが目的だった。したがって、懲罰を主眼とした憲法案だから、ベアテのようなズブの素人でも参加を許されたのだ。伝統破壊が大好きなユダヤ人が混ざっていたのだから、さあ大変。他人の文化をぶち壊すことにかけては超一流なのがユダヤ人ときている。男女平等を金科玉条にするベアテには、男尊女卑が普通の日本社会を改造できるチャンスが与えられたのだ。(ユダヤ人社会の男尊女卑は、日本とは比べものにならない程ひどい。) ベアテは憲法草案に当たり、各国の憲法を勉強したと嘯(うそぶいて)いているが、肝心な合衆国憲法は無視。彼女が勉強したとすれば、おそらくソ連憲法だろう。建前を並べただけの憲法を熱心に読んだんじゃないか? ソ連では革命戦士なら男女平等だし、女性参政権も実施されていたから、西歐や日本の伝統を憎むベアテにとってソ連は理想社会である。
(左: 若い頃のベアテ・シロタ / 中央:レーニンの妻クルプスカヤ / 右:チャールズ・ケーディス)
赤いベアテによる憲法上の害悪は、第24条の婚姻条項だろう。婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立する、なんて全く余計なお世話だ。そもそも、なんで憲法に結婚の条項を盛り込む必要があるのか。結婚は国家権力の行使とは関係なく、むしろ宗教や慣習の問題であろう。個人や家族の私生活をいちいち憲法で規定するなど馬鹿げている。アメリカ人やイギリス人なら、「アホか !」と言って瞬間的に却下する。ベアテの提案は、個人を完全に国家の歯車にしたい共産主義者の発想だ。彼女はレーニンの妻ナデジタ・クルプスカヤ(Nadezhda K. Krupskaya)と同類である。共産圏では夫婦生活が国家の管理下にあるし、生まれた子供は共産党の所有物。保育園の増設を要求する日本の左翼は、ソ連のように庶民を公私にわたって支配したい。共産国だと、監視官を兼ねる幼稚園の保母は、園児たちに親が家庭で何を話したか尋ねる。何も分からぬ子供は、恐ろしい密告者になるのだ。無邪気な子供の内緒話によって親が秘密警察に連行されるケースもあった。孤児(みなしご)になった子供は、国家が面倒をみて立派な共産主義者に育てる。(子育ての苦労に同情する振りをして、「他人に子供を預けよ」と叫ぶフェミニスト議員は、親子の情を薄くすることを目指しているのだ。家族離反こそ革命への第一歩である。) 留学先のアメリカで男女不平等を見たベアテだが、単なる小娘にはアメリカ社会を変える力など微塵も無かった。“進歩的”ユダヤ人にとって、“遅れた”国アメリカは癪に触るが、賤民の彼らにはどうしようもない。ところが、日本で占領軍に勤めたベアテは、突然「絶対的命令者」の地位に昇ることができた。重要な国家の基本法なのに、小娘の戯言(たわごと)が挿入され、それが実現されたのだ。本当に日本は惨めである。
占領が終わって月日が経っても、ベアテは憲法草案に参加した経歴を自慢していた。あるインタヴューを聞くと、ベアテが如何に異常な人間かが分かる。たとえば、極左学者のジョン・ダワーが書いた『敗北を抱きしめて』を「すごい本」と称賛したり、マッカーサー憲法に盛り込まれた「市民権(civil rights)」の章は、一番進歩的な憲法とはしゃいでいた。(GenerationTimes 2007年4月26日、伊藤剛によるインタヴュー) 戦争と武力の放棄とか交戦権の否定を謳った第9条を日本の左翼は絶賛しているが、ベアテも同じ意見で、「世界中の憲法を改正して、平和を謳った『9条』を入れれば一番良い」とほざいていた。会話の途中で、マッカーサー将軍が大統領になりたがっていた話に触れた時、ベアテは明らかな嘘も語っていた。「大体のアメリカ人は陸軍出身の人を大統領にするのが嫌いなんです。アイゼンハワーは大統領になりましたが、大統領になる前に陸軍を辞めて、コロンビア大学の学長になっているんですよ」、とデタラメのオンパレード。それなら、ケネディーやニクソンは海軍出身だから大統領になれたのか? ジョージ・H・W・ブッシュは、第二次大戦中パイロットとして戦ったことを、事あるごとにと自慢していたし、息子のジョージもテキサス州空軍のパイロットであったことが一番の誇りである。軍服姿を披露したくてうずうずしていたのだ。彼はハーバード大学でMBA(経営学修士号)を取ったが、そんなことは自慢にできなかった。ひ弱な学校秀才よりも、男らしい軍人の方が尊敬されるからだ。軍歴を嫌うアメリカ人なんて赤い少数派だけ。ベアテはアメリカ人じゃなくて、ユダヤ人について語っていたのだろう。日本人相手なら、どんな嘘でも通用すると思っていたのだ。ベアテに舐められていることに気づかぬとは、取材した日本人は相当な間抜けである。
(左: ドワイト・アイゼンワー / ジョン・F・ケネディー / 父親のジョージ・H・W・ブッシュ / 右: 息子のジョージ・W・ブッシュ)
ベアテはインダヴューで「根無し草」の本性を暴露していた。彼女は自分を「コンモポリタン」と呼んでいる。「日本のことも大好きです。でも、ひとつの国に対して何か特別な『patriotism(愛国心)』が私にはない。多分それは、いろんな国へ行って生活をしてきたからでしょうね」と告白していた。世界各国の人々は基本的に同じ「人間」という認識を持つベアテは、「patriotism」に興味が無いそうだ。こんな無国籍浮浪者の戯(ざ)れ言を拝聴するなんて、日本の左翼どもは本当に頭がおかしい。しかし、彼女が出版した『1945年のクリスマス』を購読する日本人が実際いるのだ。とはいっても、購入したのは日本の図書館や左翼分子がほとんど。腹立たしいのは、『ベアテの贈り物』という映画まで作成され、全国で上映されていたのだ。これが純粋に商売で上映されたのなら分かる。しかし、こんなつまらない映画でも、左翼活動家が小規模ながら全国各地で上映できたのは、男女共同参画委員会がバックに附いていたからである。地方自治体の公共施設で、赤い役人と左翼が協力して、一般人をかき集めていたのだ。もちろん、営業利益が目的ではなく、洗脳布教が狙いだった。「The Gift from Beate」の公式サイトに掲載された、全国各地の上映会リストを見れば目が眩んでしまう。そこには、公民館や学習センターで開かれた上映会がズラリと記載されている。「『ベアテの贈り物』上映委員会」とか、「ジェンダーフリー社会の実現を目指すハーモニー21」、「女性ネットぷらんの会」、「国際女性教育振興会」など、いかにも左翼臭プンプン。反日フェミニスト連中は税金を使って、コツコツと地道な活動を重ねていたのだ。一般人は気づいていないが、億単位の税金が左翼活動家に分配されているのである。マスコミはこうした無駄遣いを報道しない。やはり同じ穴のムジナだからだろう。
日本弱体化を図る左翼アメリカ人
(左/エリノア・ハドレー)
ベアテに加えてウィロビー少将が調査対象にした左翼思想の持ち主は、GHQ民政局に勤めるエリノア・M・ハドレー(Eleanor M. Hadley)だった。彼女が交際していた人物に左翼思想の者がいたという。『ワールド・レポート』紙の東京特派員ジョセフ・フロム(Joseph Fromm)と交際していたハドレーは、ゴードン・ウォーカー(Gordon Walker)やマーク・ゲイン(Mark Gayn)、デイヴィド・コンデ(David W. Conde)といった左翼細胞とも付き合っていたのだ。案の定、ハドレーはフロムと一緒に、ソ連のタス通信東京支局長サモイロフが主催したパーティーにも出席しており、居合わせたロシア人記者たちとも親しい関係にあったという。民政局の中でも、彼女は非常に急進的な経済・政治観を持っており、財閥解体に意欲を燃やしていたらしい。そんなハドレーはミルズ・カレッジを卒業後、日本に留学し、1939年から40年まで東京帝國大学に通っていたのだ。日本について何らかの不満を抱いていたのかも知れない。
(左: ジョセフ・フロム / 右: マーク・ゲイン)
GHQ民政局の左翼があれほど熱心に「日本民主化」に励んでいたのは、本国アメリカでは叶わぬ夢が実現できるからだ。ハドレーが取り組んでいた三井・三菱・住友・安田といった巨大財閥の解体は、資本制を憎む彼女にとって気持ちがいい。財閥解体など英米では絶対不可能。そんなことは口にも出せない。ブリテンでは老舗のマーチャント・バンカーは国家の中枢を担っているから、ハドレーみたいな左翼は直ぐに粛正されてしまう。いくらなんでも、ベアリング(Baring)商会やジャーディン・マセソン(Jardine , Matheson)商会を本気で潰そうなんて思う役人はいない。ロスチャイルド家の解体に至っては、マンガの世界でもあり得ないだろう。アメリカでも同じで、ロックフェラー家のスタンダード・オイルやチェース・ナショナル銀行に手をつけようとは誰も思わない。ハドレーがそんなことをしたら、CIAのアレン・ダレスや兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官が鉄槌を下す。彼らはサリバン・クロムウェル法律事務所の法律家だから、色々なビジネスマンと繋がっているのだ。必殺仕掛人を雇わずとも、指を動かすだけで即クビにできる。それに、トルーマン政権を見れば財界と繋がっている者ばかりじゃないか。たとえば、初代国防長官のジェイムズ・フォレスタル(James Vincent Forrestal)は有名なディロン・リード(Dillon Read & Co.)社の出身だし、友人で高名な核戦略家ポール・ニッツェ(Paul H. Nitze)も嘗ての同僚だった。したがって、GHQの左翼分子は、敵国日本だから思い存分社会主義革命を実行できたのだ。
(左:ウィリアム・ジャーディン / ジェイムズ・マセソン / ジェイムズ・フォレスタル / 右:ポール・ニッチェ)
ハドリーたち左翼スタッフは財閥のリーダーが軍事侵略や経済搾取、専制政治を助長したとみなして、日本の巨大企業体を破壊することに執念を燃やしていた。ところが事態が変わってきた。左翼どものピンチ。戦前でも日本の財閥はアメリカ企業や多国籍企業と結託して商売を行っていた。だから、米国のエスタブリッシュメント、つまりビジネス界の大御所たちは、再び日米貿易で利益を得ることを欲したのである。日本を破壊し貧乏にしたからといって、アメリカ企業が儲かるわけではない。そこで、財閥一族と昵懇になっていたジョセフ・グルーなどが中心となって、ジャパン・ロビーを発足させたのだ。こうして結成されたのが「アメリカ対日協議会(American Concil on Japan/ AJC )である。グルー大使と元国務次官のウィリアム・キャッスル(William Richard Castle, Jr.)が共に名誉会長に選ばれた。しかし、ジャパン・ロビーの活動を現場で仕切っていたのは、ジェイムズ・リー・カウフマン(James Lee Kauffman)たちであった。彼は戦前日本で開業していた外人弁護士で、「ハーバード・ロー・レヴュー」の元編集者という経歴を持つ。しかも、東京帝國大学で法学部教授に就いていたから日本については詳しかった。こう言えば、カウフマンはいかにも学者肌の人物に思えるが、彼にはブローカーとしての顔があった。彼はアメリカの銀行が日本で債券を発行する際、米国側の代理人を務めていたという。彼の他に『ニューズウィーク』誌のジャーナリスト二名が加わっていた。ハリー・カーン(Harry Frederick Kern)とコンプトン・パケナム(Compton Pakenham)である。彼らがメディアを通して紙の援護射撃を行い、マッカーサーの占領政策を批判していたのだ。アメリカ対日協議会のメンバーは、最高司令部の政策は重大な過ちであると、との点で一致していたという。彼らは、SCAP(最高指令部)による日本経済の構造改革は、失敗に終わったと発表したのだ。(グレン・デイビス/ジョン・G・ロバーツ 『軍隊無き占領』 森山尚美 訳 新潮社 1996年 p. 61)
(左ジョセフ・グルー / ウィリアム・キャッスル / ハリー・カーン/右アレン・ダレス)
日本の味方を養成すべし
日本に幸運が回ってきた。アメリカ対日協議会は財閥解体の中止と公職追放の廃止を要求したのである。AJCのメンバーには力強い味方が現れた。第8軍司令官だったロバート・L・アイケルバーガー(Robert Lawrence Eichelberger)中将から好意的意見をもらえたのだ。中将は「SCAP(最高司令部)の改革は共産主義を育てている」と批判し、「日本を再軍備すればソ連の膨張主義に対し、強力な抑止力となろう」との見解を述べた。AJCはこれらの主張と共に、充分に訓練された武装警察隊を提言したり、天皇問題は日本人自らの手で解決すべきだ、という意見を表明したのである。つまり、アメリカは皇室に干渉するな、という意味である。そして、日本人は連合国から韓国を受けて独自の政治制度を作り、自ら共産主義者に対応すべし、との考えも公表していたのだ。こうしたアメリカ人なら、日本の国益に合致するではないか。英米派の吉田茂やその懐刀、白洲次郎を始め、彼らと親しい木内信胤(きうち・のぶたね)や渡辺武・元子爵、その他元財閥の大物たちがACJに協力したのは当然だった。日本人の将来を考えるなら、日本の経済復興を望むアメリカ人ビジネスマンや、共産主義の脅威を叩こうとする軍人を味方につけることは得策であろう。
日本人は反日的アメリカ人を“日本語”で非難することは熱心に行うが、日本にとって好ましいアメリカ人を彼らの本国で褒めたり、日本に有利なアメリカ人を育成しようとはしない。日本の悪口を書くジャーナリストや学者を個人的に攻撃せず、日本国内でぶつぶつ言いながら日本語で罵るのだ。本来外務省と裏で結託した言論人が日本の名誉を守るべきなのに、外交官と民間人が水と油のように別れている。アメリカ白人の悪行を非難する時間と費用があるなら、日本に好意を持つ白人を養成して現地の宣伝スタッフとすれば良いのだ。日本の共産化を防いだウィロビー少将が、日本の保守的雑誌でどれほど取り上げられたのか? アメリカの左翼学者からは、ウィロビー少将は良く思われていなかった。ジョセフ・マッカーシー上院議員と同じく、「反共バラノイア」といった烙印を押されて無視されている。しかし、ウィロビー少将の炯眼は正しかった。『ニッポン日記』の著者として有名なマーク・ゲイン(本名Moe Ginsburg)は、満洲生まれの赤いユダヤ人ジャーナリストで、共産主義者が集う『アメラシア(Ameracia)』誌に関係していた。(Mark Gayn Dead at 72, The Jewish Telegraph Agency, December 28, 1981) 支那で育ち、革命後のソ連に住んでいたゲインは、隠れ共産主義者だったのかも知れない。生前はイスラエルに非常な関心を抱いていたという。
(左:チャールズ・ウィロビー少将 / 中央:ジョセフ・マッカーシー / 右:海兵隊時代のマッカーシー)
ハドレーが交流していたデイヴッド・コンデは共産党員だった。彼の著作は日本で翻訳・出版されているから、コンデの名は日本人に馴染みがあるが、奇妙なことに英語で書かれた原書は英米で出版されていないのだ。『現代朝鮮史』(太平出版社)とか『分裂朝鮮の歴史』を出したから、朝鮮史の専門家みたいに思われているが、故郷のカナダや移住先のアメリカでは全くの無名である。こんな人物がアメリカ軍の心理作戦局に従事したり、占領軍総司令部の情報教育部映画課長になっていたのだ。コンデと接触していたハドレーをウィロビーは危険分子と見なしていた。1947年にハーバード大学に戻って博士論文を仕上げようと考えていたハドレーは、CIAから誘いを受けたという。ところが、CIAはオファーを取り下げてしまった。CIA局員が彼女のバックグラウント・チェックを行ったところ、ハドレーがブラックリストに乗っていることが判明したのだ。(Sara Jean Green, Eleanor Hadley spent her life standing up to oppressionm dies at 90 , The Seattle Times , Jne 6, 2007) ウィロビー少将が要注意人物と指定したことで、ハドレーはCIAで働けなかったのである。よかった、よかった。アメリカ人も彼のお陰で胡散臭い左翼を公職から排除できたのだ。ウィロビー少将やマッカーシー上院議員のような反共の愛国者がいなかったら、アメリカ政府の内部にはもっと多くの共産主義者やその仲間が繁殖したであろう。「マッカーシーの赤狩り」といった汚名は、正体を見破られた者やピンクの反米主義者から由来する。そりゃあ、せっかく政府内部に潜り込めて共産化に着手しようとした連中は、途中で邪魔されたんだから怨むだろう。日本人は左翼分子からの一方的な非難を鵜呑みにすべきではない。
日本の保守派言論人は不思議なもので、日本の国益を増進するよりも、アメリカ人を批判することに快感を覚える。アメリカに反日派が多いなら、日本の味方を増やすか、アメリカ人を分断すればいいじゃないか。日本を援護するアメリカ白人がほとんどいないのは、日本の理解者になっても利益が見込めないからだ。日本学を専攻する大学生には優良な就職先を斡旋したり、日本を好意的に報道するジャーナリストは、日本政府が裏で手を回して花形記者に昇格させてやればいいのだ。日本を応援すると色々な特典がもらえると分かれば、日本愛好者が増えるだろう。日本アニメのファンが欧米で多いのは、楽しいという快感や利益があるからで、日本語を習得すれば未翻訳の漫画雑誌が読めるという利益がさらに生じる。英語の吹き替え版がない古いアニメも、インターネットで視聴できるのだ。日本の国益に貢献したウィロビー少将を忘却する日本人は愚かである。銅像の一つでも建ててやればいじゃないか。国会に飾る総理大臣の肖像画なんて要らないだろう。宮澤喜一や竹下登、福田康夫の似顔絵なんか誰が見たいのか? アメリカ人だけど日本の味方をする議員や学者を、彼らの祖国で褒めてやれば、褒められた方だって嫌な気持ちはしないだろう。また、政治家になりたい若者を青田買いして、選挙を支援してやれば一生日本に感謝するに違いない。共和党や大学に行けば、野心家の青年は一杯いるのだ。親日派アメリカ人が本国で名誉を手にしたり、良いポストにつけるよう日本政府が働きかければ、アメリカの若者も彼らに見習って甘い汁を吸おうと欲するだろう。北京政府は既に日米で行っているのに、我が国は全然やっていない。大使館員がやることといったら、日本からの議員がやって来た時にツアー・ガイドを務めることだったりする。政治家の御機嫌を得たら、もらった予算でワインや絵画の購入に当ててしまうのだ。こんな外交官なんて要らない。外務省は外国で税金を浪費する役所である。外務大臣だった陸奥宗光はどう思っているのか知りたいなぁ。副島蒼海(そえじま・そうかい)ならカンカンだぞ。
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日本人は外政が下手だ。日本では皆が昔からの知り合いで、お互い気心が知れているから、奸計を用いぬとも上手くやっていける。欲を張って人を騙せばちょっとは儲かるが、そこで信用を落とせば一生の損。みんなからつまはじきになるなら、正直に筋を通して生きて行こうと思う。大金持ちになれぬとも、お天道様に恥じぬ生活を送ればいいじゃないか、と考えればそこそこ生きていける。日本は実にいい国だ。こんな幸せな日本だと陰謀は要らない。しかし、外国人との政治では斬ったハッタは当り前。誠実一徹じゃ埒が明かない。深慮遠謀も必要だ。外政というゲームでは、八百長やちょろまかしをする奴が居るから、油断がならない。日本人は『ガンバの冒険』に出てくるネズミたちみたいだ。恐ろしい白イタチのノロイに立ち向かうのに、ガンバは直情型の熱血漢で、相棒のボーボときたら、おっとりした食いしん坊。頼りになりそうな親分肌のヨイショは、力持ちだがオツムが足りない。ガクシャ頭は良いが腕力が無い。忠太は純情なだけ。せめてイカサマくらいのズル賢さがないと兇悪な化け物に勝てない。大日本帝国は強力な陸海軍を持っていたのに、政治と戦略が無かったから負けてしまった。占領されたのは残念だが、逆境に遭っても何とか有利な状況を作り出すことは重要であろう。
(左: カンバと仲間たち / 右: 白イタチの「ノロイ」)
敗戦は悔しいが、冷戦構造が明確になったことは、日本にとって不利とは言えまい。むしろ、ようやく本当の脅威、ロシアが日米の敵となってよかった。占領軍にはチャールズ・ケーディス(Charles L. Kades)という、日本に有害なニューディーラーがいたが、彼に対立するチャールス・A・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby)少将という反共の闘士もいたのだ。日本人はこうした立派なアメリカ人を仲間にして国益を促進すべきである。日本の保守派言論人はアメリカ人への憎しみを掻き立てることで、支那人やロシア人にとって有利な状況をつくろうとする。狡猾な支那人なら日米離反を実現するために、アメリカ白人を怨む保守派知識人を支援するだろう。財政的あるいは政治的に応援し、テレビ番組にも出演できるよう取り計らえば、彼らは簡単に忠犬となる。自衛官にもロシアや支那の手先になっている人物がいるだろう。支那人やロシア人のエージェントなら、陸上自衛隊の福山隆・元陸将のような人物を背後から支えるだろう。反日自衛官らは日本人が無意識に持つ「アメリカ憎し」の感情を増幅させようとする。日本人が冷徹な政治(リアル・ポリティクス)を考えぬよう、「アメリカは日本を利用して使い捨てにする ! 」と叫んで反米感情を焚きつけるのだ。何処の国だって自分中心の政治をするだろう。当り前じゃないか。日本人が感情的になると、その陰で支那人工作員がほくそ笑む。アメリカにこき使われるのが嫌なら、日本人がアメリカを利用すればいいじゃないか。日本の保守派は本当にチョロい。
(左: ガンバとボーボ / 右: イカサマ)
日本にとり米国が重要ならば、日本に利益をもたらすアメリカ人を我々は厚遇すべきである。日本を解体しようと励む左翼思想の民政局に対して、日本を共産主義の防波堤にしようとしたウィロビー少将は偉かった。でも、このアメリカ軍人は如何なる人物なのか? ウィロビー少将はドイツ系アメリカ人で、1892年3月8日ドイツのハイデルベルクで生をうける。父親はフォン・ツェッペ・ワイデンバッハ(T. von Tscheppe -Weidenbach)男爵で、母親はメリーランド州バルティモア出身のエマ・ウィロビー(Emma Willoughby)であった。少将の本名はアドルフ・カール・ツェッペ・ワイテンバッハ(Adolf Karl Tscheppe-Weidenbach)といい、アメリカに帰化したのでワイデンバッハを英語風にウィロビーに改めたのである。(Frank Kluckhohn, Heidelberg to Madrid--The Story of General Willoughby, The Reporter, August 19, 1952) 少年時代をドイツで送っていたから、ウィロビー少将はドイツ語アクセントで英語を喋っていたのだ。彼はハイデルベルク大学やパリのソルボンヌ大学に通い、哲学や言語学を専攻していたという。そんな訳で、父のドイツ語と母の英語に加え、フランス語やスペイン語も流暢に話せた。1910年、18歳の頃に米国へ渡り、帰化手続きを済ませて合衆国陸軍に入隊したらしい。軍隊生活を三年くらい送り、軍曹になったところで除隊し、ペンシルヴァニア州のゲッティスバーグ大学に入った。そこを卒業すると、ウィロビーはカンザス大学に進学して修士号を取得する。女学校や大学で語学を教えた後、再び陸軍に戻り、今度は歩兵部隊の中尉となった。第一次世界大戦が勃発すると歐洲で戦い、フランスでは航空部隊に配属となったそうだ。戦後に帰国すると歩兵部隊の指揮官に昇格したが、大尉になった頃、軍の諜報部に異動し南米へ派遣されたという。ウェネズェラやコロンビア、エクアドルでは、大使館附駐在武官として任務をこなしたらしい。参謀養成学校では講師として軍事史や諜報活動を教え、天性の才能を発揮して評判も良かったという。
ウィロビー少将の軍歴は立派で、軍事に関する著作まである。彼は第一次世界大戦についての研究書『The Economic and Military Participation of the United States in the War 1917-1918』を執筆し、この本は翻訳されラテン・アメリカ諸国でも読まれたという。その他にも、軍事・諜報を扱う雑誌『Command and General Staff School Quarterly』の編集を担当したり、軍事教科書として『The Element of Maneuver in War』を出版したのである。ウィロビーは軍事教官として卓越していたが、第二次世界大戦が起こると参謀としてもその手腕を発揮した。フィリピンではダグラス・マッカーサー将軍の補佐官として活躍したし、ニューギニアの戦闘では勇敢な行為を評価され「殊勲十字章(Distinguished Service Cross)」を受勲。これなら、GHQ最高司令部でウィロビーがマッカーサー将軍の信頼を受けていたのも頷けよう。こう述べるとコチコチの軍人みたいに思えるが、ウィロビーは武藝一辺倒の無骨者ではなかった。文学にも通じた教養人で、陸軍参謀学校では演劇の才能が評判だったという。演劇クラブではロマンティクな役柄を見事に演じる才能があったらしい。
(左: チャールズ・ウィロビー少将 / 中央: ブルーノ・ビッテル神父 / 右: ダグラン・マッカーサー元帥)
マッカーサー将軍の参謀として日本に赴任した時、ウィロビー少将は偶然イエズス会士のブルーノ・ビッテル神父と出逢った。ビッテル神父が靖國神社を救った話は以前このブログで紹介したから省略する。ビッテル神父は元ドイツ陸軍士官で、第一次世界大戦で勇猛果敢に戦い鉄十字勲章をもらった武人であった。エリート司祭のイエズス会士には凄い人が多い。ハイデルベルクの名家に生まれたアメリカ軍人と、最高裁判事だった父を持つ名門ビッテル家の聖職者は、初対面なのに挨拶を交わすとすぐ打ち解けたのである。(ビッテル家はあの有名な「ベルヒステスガーデン」の別荘を所有していた。) ビッテル神父がベルダンでの戦闘に参加していたことを告げると、ウィロビー少将は驚いてしまった。彼も同じ戦場にいたのだ。さっそく詳しい話を聴くために自分のオィスに神父を招いたという。西部戦線で戦ったウィロビーにしたら、まさか日本でかつてのライバルに遭遇するとは予想していなかったのだ。「ヒル304」で交戦した二人の指揮官は、思い出話に花を咲かせたのだろう。高貴な精神を持つドイツ人の交友は清々しい。戦争の怨みを何時までもネチネチこぼすユダヤ人と大違いだ。
日本では「頭の良い人」とは試験秀才を指すが、欧米では「判断力の優れた人」を意味する。愚者は細部に捕らわれ、賢者は本質に迫るのだ。ヨーロッパ貴族の青い血が流れているせいなのか分からぬが、ウィロビー少将は慧眼(けいがん)の持ち主である。日本人を処罰することに夢中な占領軍将校とは違って、彼は共産主義の危険性を察知して上層部に警告した。彼は何が米国にとっての脅威なのかを把握していたのだ。CIC(対敵防諜部隊)からの報告を検討したウィロビー少将は、GHQ民政局(GS)や経済科学局(ESS)に蔓延(はびこ)っている「ニューディーラー」たちを排斥しようとした。彼は総司令部の各部局に左翼主義者が浸透している状態を何とかせねばと考える。ウィロビーは言う、
総司令部の各部局に在職している外国分子を統計的に分析してみると、ソ連またはソ連衛星国の背景をもった職員の割合がかなり高い。GHQに雇われている(無国籍者を含む)三百四人の外国人の内、最大グループを形成する二十八パーセント(八十五名)はソ連衛星国の出身である。そのうち四十二名はソ連の市民権の持ち主である。通常の治安概念からみれば、このグループは事実上の脅威となるはずである。ことに最近ソ連は、元の白系ロシア人の全員、および無国籍者をソ連市民として登録してきているからなおさらである。(C.A. ウィロビー 『GHQ知られざる諜報戦』 延禎訳 山川出版社 2011年 p.177)
こうした報告を聞けば、日本人なら直ぐ民政局に勤務していたベアテ・シロタ・ゴードン(BeateSirota Gordon)を思い出すだろう。彼女のことを聞いたことがない人は、土井たか子の後継者たる福島瑞穂や極左憲法学者の辻村みよ子に訊いてみたらいい。喜んで教えてくれるだろう。(でも、直接尋ねるのは穢らわしいから、このブログを読みつつけてね。)
根無し草の赤いユダヤ人
(左/ベアテ・シロタ・ゴードン)
ベアテはユダヤ人の両親のもと、1923年ウィーンで生まれた無国籍者であった。キエフ生まれの両親は、帝政ロシアからウィーンに逃れ、そこから日本に渡ってきたのである。音楽家レオ・シロタの娘は幼少期を日本で過ごすが、大学教育は米国のミルズ・カレッジで受けた。不思議なのは、これといった収入のないシロタ家なのに、娘をアメリカの大学に入れるだけの余裕があったことだ。1946年の報告によれば、シロタ夫妻は日本にいるロシア人と親しく付き合っていて、ソ連大使館で演奏会を開いたり、デレビヤンコ将軍の手配でソ連に旅行ができたという。何か臭いぞ ! あのロシア人が無国籍のユダヤ人に何の見返りも求めず、タダで親切にするわけがない。それに、シロタ一家は国籍が無いのにウィーンの警察長官による紹介状を携えて日本にやって来たのだ。これじゃ、日本人だって怪しむだろう。シロタ夫妻は二度もアメリカに渡ったが、アメリカ国籍を取ろうとはせず、相変わらず日本に留まっていたのである。1939年には円安になって、厳しい為替統制令が敷かれているにもかかわらず、彼らは娘をアメリカ留学に出すことができた。(上掲書 p.196) ロシア人はシロタ夫妻を日本における「モグラ」、つまり情報収集員として使っていたんじゃないか? そうでなければ全く不可解だ。
日本滞在を通して、シロタ夫妻はとりわけ日本の警察と官僚に対して憎しみを抱いたらしい。こうした憎悪は娘のベアテに受け継がれたようで、彼女は警察官と地方官僚の追放に辣腕を振ったそうだ。たとえば、ベアテは共産主義者を逮捕した警察官をパージする際、その範囲を1931年以前にまで拡張することを断固主張したのである。その結果、1928年5月に共産主義者を逮捕した警察官を、数百人も追放の対象にしようと企てたらしい。当時逮捕された者の中に、共産党の幹部が多く含まれていたことは何を意味するのか? 恨み骨髄の共産党員らがベアテに働きかけたんじゃないか? もしかしたら、ソ連のエージェントが邪魔な警察官を排除しようと裏で糸を引いていたのかも知れない。さらにベアテが怪しいのは、彼女が民政局に雇われる際の保証人の中に、レーモン・ラバルというアルゼンチン領事館員がいたのだ。彼は戦争勃発時に香港で捕らえられ、1942年最初の交換船で日本から本国に送還された過去を持つ。その後、アルゼンチン国籍を捨てて、アメリカ国籍を取得し、極東情勢に関する左翼文書を出版していたという。ベアテの背後には疑惑の人物が潜んでいたのだ。
こんな怪しい人物が民政局に勤務して、憲法草案に携わったのだ。法律家上がりのホイットニー准将や左翼のケーディス大佐にとって、日本の憲法は兇暴な猿を閉じ込める檻か、狂人に着せる拘束衣のようなもの。建国の父祖が制定した合衆国憲法とは性質を異にする法典である。日本を民主化する、などと意気込んでいたケーディスだが、実際は野蛮な日本人を仕置きするのが目的だった。したがって、懲罰を主眼とした憲法案だから、ベアテのようなズブの素人でも参加を許されたのだ。伝統破壊が大好きなユダヤ人が混ざっていたのだから、さあ大変。他人の文化をぶち壊すことにかけては超一流なのがユダヤ人ときている。男女平等を金科玉条にするベアテには、男尊女卑が普通の日本社会を改造できるチャンスが与えられたのだ。(ユダヤ人社会の男尊女卑は、日本とは比べものにならない程ひどい。) ベアテは憲法草案に当たり、各国の憲法を勉強したと嘯(うそぶいて)いているが、肝心な合衆国憲法は無視。彼女が勉強したとすれば、おそらくソ連憲法だろう。建前を並べただけの憲法を熱心に読んだんじゃないか? ソ連では革命戦士なら男女平等だし、女性参政権も実施されていたから、西歐や日本の伝統を憎むベアテにとってソ連は理想社会である。
(左: 若い頃のベアテ・シロタ / 中央:レーニンの妻クルプスカヤ / 右:チャールズ・ケーディス)
赤いベアテによる憲法上の害悪は、第24条の婚姻条項だろう。婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立する、なんて全く余計なお世話だ。そもそも、なんで憲法に結婚の条項を盛り込む必要があるのか。結婚は国家権力の行使とは関係なく、むしろ宗教や慣習の問題であろう。個人や家族の私生活をいちいち憲法で規定するなど馬鹿げている。アメリカ人やイギリス人なら、「アホか !」と言って瞬間的に却下する。ベアテの提案は、個人を完全に国家の歯車にしたい共産主義者の発想だ。彼女はレーニンの妻ナデジタ・クルプスカヤ(Nadezhda K. Krupskaya)と同類である。共産圏では夫婦生活が国家の管理下にあるし、生まれた子供は共産党の所有物。保育園の増設を要求する日本の左翼は、ソ連のように庶民を公私にわたって支配したい。共産国だと、監視官を兼ねる幼稚園の保母は、園児たちに親が家庭で何を話したか尋ねる。何も分からぬ子供は、恐ろしい密告者になるのだ。無邪気な子供の内緒話によって親が秘密警察に連行されるケースもあった。孤児(みなしご)になった子供は、国家が面倒をみて立派な共産主義者に育てる。(子育ての苦労に同情する振りをして、「他人に子供を預けよ」と叫ぶフェミニスト議員は、親子の情を薄くすることを目指しているのだ。家族離反こそ革命への第一歩である。) 留学先のアメリカで男女不平等を見たベアテだが、単なる小娘にはアメリカ社会を変える力など微塵も無かった。“進歩的”ユダヤ人にとって、“遅れた”国アメリカは癪に触るが、賤民の彼らにはどうしようもない。ところが、日本で占領軍に勤めたベアテは、突然「絶対的命令者」の地位に昇ることができた。重要な国家の基本法なのに、小娘の戯言(たわごと)が挿入され、それが実現されたのだ。本当に日本は惨めである。
占領が終わって月日が経っても、ベアテは憲法草案に参加した経歴を自慢していた。あるインタヴューを聞くと、ベアテが如何に異常な人間かが分かる。たとえば、極左学者のジョン・ダワーが書いた『敗北を抱きしめて』を「すごい本」と称賛したり、マッカーサー憲法に盛り込まれた「市民権(civil rights)」の章は、一番進歩的な憲法とはしゃいでいた。(GenerationTimes 2007年4月26日、伊藤剛によるインタヴュー) 戦争と武力の放棄とか交戦権の否定を謳った第9条を日本の左翼は絶賛しているが、ベアテも同じ意見で、「世界中の憲法を改正して、平和を謳った『9条』を入れれば一番良い」とほざいていた。会話の途中で、マッカーサー将軍が大統領になりたがっていた話に触れた時、ベアテは明らかな嘘も語っていた。「大体のアメリカ人は陸軍出身の人を大統領にするのが嫌いなんです。アイゼンハワーは大統領になりましたが、大統領になる前に陸軍を辞めて、コロンビア大学の学長になっているんですよ」、とデタラメのオンパレード。それなら、ケネディーやニクソンは海軍出身だから大統領になれたのか? ジョージ・H・W・ブッシュは、第二次大戦中パイロットとして戦ったことを、事あるごとにと自慢していたし、息子のジョージもテキサス州空軍のパイロットであったことが一番の誇りである。軍服姿を披露したくてうずうずしていたのだ。彼はハーバード大学でMBA(経営学修士号)を取ったが、そんなことは自慢にできなかった。ひ弱な学校秀才よりも、男らしい軍人の方が尊敬されるからだ。軍歴を嫌うアメリカ人なんて赤い少数派だけ。ベアテはアメリカ人じゃなくて、ユダヤ人について語っていたのだろう。日本人相手なら、どんな嘘でも通用すると思っていたのだ。ベアテに舐められていることに気づかぬとは、取材した日本人は相当な間抜けである。
(左: ドワイト・アイゼンワー / ジョン・F・ケネディー / 父親のジョージ・H・W・ブッシュ / 右: 息子のジョージ・W・ブッシュ)
ベアテはインダヴューで「根無し草」の本性を暴露していた。彼女は自分を「コンモポリタン」と呼んでいる。「日本のことも大好きです。でも、ひとつの国に対して何か特別な『patriotism(愛国心)』が私にはない。多分それは、いろんな国へ行って生活をしてきたからでしょうね」と告白していた。世界各国の人々は基本的に同じ「人間」という認識を持つベアテは、「patriotism」に興味が無いそうだ。こんな無国籍浮浪者の戯(ざ)れ言を拝聴するなんて、日本の左翼どもは本当に頭がおかしい。しかし、彼女が出版した『1945年のクリスマス』を購読する日本人が実際いるのだ。とはいっても、購入したのは日本の図書館や左翼分子がほとんど。腹立たしいのは、『ベアテの贈り物』という映画まで作成され、全国で上映されていたのだ。これが純粋に商売で上映されたのなら分かる。しかし、こんなつまらない映画でも、左翼活動家が小規模ながら全国各地で上映できたのは、男女共同参画委員会がバックに附いていたからである。地方自治体の公共施設で、赤い役人と左翼が協力して、一般人をかき集めていたのだ。もちろん、営業利益が目的ではなく、洗脳布教が狙いだった。「The Gift from Beate」の公式サイトに掲載された、全国各地の上映会リストを見れば目が眩んでしまう。そこには、公民館や学習センターで開かれた上映会がズラリと記載されている。「『ベアテの贈り物』上映委員会」とか、「ジェンダーフリー社会の実現を目指すハーモニー21」、「女性ネットぷらんの会」、「国際女性教育振興会」など、いかにも左翼臭プンプン。反日フェミニスト連中は税金を使って、コツコツと地道な活動を重ねていたのだ。一般人は気づいていないが、億単位の税金が左翼活動家に分配されているのである。マスコミはこうした無駄遣いを報道しない。やはり同じ穴のムジナだからだろう。
日本弱体化を図る左翼アメリカ人
(左/エリノア・ハドレー)
ベアテに加えてウィロビー少将が調査対象にした左翼思想の持ち主は、GHQ民政局に勤めるエリノア・M・ハドレー(Eleanor M. Hadley)だった。彼女が交際していた人物に左翼思想の者がいたという。『ワールド・レポート』紙の東京特派員ジョセフ・フロム(Joseph Fromm)と交際していたハドレーは、ゴードン・ウォーカー(Gordon Walker)やマーク・ゲイン(Mark Gayn)、デイヴィド・コンデ(David W. Conde)といった左翼細胞とも付き合っていたのだ。案の定、ハドレーはフロムと一緒に、ソ連のタス通信東京支局長サモイロフが主催したパーティーにも出席しており、居合わせたロシア人記者たちとも親しい関係にあったという。民政局の中でも、彼女は非常に急進的な経済・政治観を持っており、財閥解体に意欲を燃やしていたらしい。そんなハドレーはミルズ・カレッジを卒業後、日本に留学し、1939年から40年まで東京帝國大学に通っていたのだ。日本について何らかの不満を抱いていたのかも知れない。
(左: ジョセフ・フロム / 右: マーク・ゲイン)
GHQ民政局の左翼があれほど熱心に「日本民主化」に励んでいたのは、本国アメリカでは叶わぬ夢が実現できるからだ。ハドレーが取り組んでいた三井・三菱・住友・安田といった巨大財閥の解体は、資本制を憎む彼女にとって気持ちがいい。財閥解体など英米では絶対不可能。そんなことは口にも出せない。ブリテンでは老舗のマーチャント・バンカーは国家の中枢を担っているから、ハドレーみたいな左翼は直ぐに粛正されてしまう。いくらなんでも、ベアリング(Baring)商会やジャーディン・マセソン(Jardine , Matheson)商会を本気で潰そうなんて思う役人はいない。ロスチャイルド家の解体に至っては、マンガの世界でもあり得ないだろう。アメリカでも同じで、ロックフェラー家のスタンダード・オイルやチェース・ナショナル銀行に手をつけようとは誰も思わない。ハドレーがそんなことをしたら、CIAのアレン・ダレスや兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官が鉄槌を下す。彼らはサリバン・クロムウェル法律事務所の法律家だから、色々なビジネスマンと繋がっているのだ。必殺仕掛人を雇わずとも、指を動かすだけで即クビにできる。それに、トルーマン政権を見れば財界と繋がっている者ばかりじゃないか。たとえば、初代国防長官のジェイムズ・フォレスタル(James Vincent Forrestal)は有名なディロン・リード(Dillon Read & Co.)社の出身だし、友人で高名な核戦略家ポール・ニッツェ(Paul H. Nitze)も嘗ての同僚だった。したがって、GHQの左翼分子は、敵国日本だから思い存分社会主義革命を実行できたのだ。
(左:ウィリアム・ジャーディン / ジェイムズ・マセソン / ジェイムズ・フォレスタル / 右:ポール・ニッチェ)
ハドリーたち左翼スタッフは財閥のリーダーが軍事侵略や経済搾取、専制政治を助長したとみなして、日本の巨大企業体を破壊することに執念を燃やしていた。ところが事態が変わってきた。左翼どものピンチ。戦前でも日本の財閥はアメリカ企業や多国籍企業と結託して商売を行っていた。だから、米国のエスタブリッシュメント、つまりビジネス界の大御所たちは、再び日米貿易で利益を得ることを欲したのである。日本を破壊し貧乏にしたからといって、アメリカ企業が儲かるわけではない。そこで、財閥一族と昵懇になっていたジョセフ・グルーなどが中心となって、ジャパン・ロビーを発足させたのだ。こうして結成されたのが「アメリカ対日協議会(American Concil on Japan/ AJC )である。グルー大使と元国務次官のウィリアム・キャッスル(William Richard Castle, Jr.)が共に名誉会長に選ばれた。しかし、ジャパン・ロビーの活動を現場で仕切っていたのは、ジェイムズ・リー・カウフマン(James Lee Kauffman)たちであった。彼は戦前日本で開業していた外人弁護士で、「ハーバード・ロー・レヴュー」の元編集者という経歴を持つ。しかも、東京帝國大学で法学部教授に就いていたから日本については詳しかった。こう言えば、カウフマンはいかにも学者肌の人物に思えるが、彼にはブローカーとしての顔があった。彼はアメリカの銀行が日本で債券を発行する際、米国側の代理人を務めていたという。彼の他に『ニューズウィーク』誌のジャーナリスト二名が加わっていた。ハリー・カーン(Harry Frederick Kern)とコンプトン・パケナム(Compton Pakenham)である。彼らがメディアを通して紙の援護射撃を行い、マッカーサーの占領政策を批判していたのだ。アメリカ対日協議会のメンバーは、最高司令部の政策は重大な過ちであると、との点で一致していたという。彼らは、SCAP(最高指令部)による日本経済の構造改革は、失敗に終わったと発表したのだ。(グレン・デイビス/ジョン・G・ロバーツ 『軍隊無き占領』 森山尚美 訳 新潮社 1996年 p. 61)
(左ジョセフ・グルー / ウィリアム・キャッスル / ハリー・カーン/右アレン・ダレス)
日本の味方を養成すべし
日本に幸運が回ってきた。アメリカ対日協議会は財閥解体の中止と公職追放の廃止を要求したのである。AJCのメンバーには力強い味方が現れた。第8軍司令官だったロバート・L・アイケルバーガー(Robert Lawrence Eichelberger)中将から好意的意見をもらえたのだ。中将は「SCAP(最高司令部)の改革は共産主義を育てている」と批判し、「日本を再軍備すればソ連の膨張主義に対し、強力な抑止力となろう」との見解を述べた。AJCはこれらの主張と共に、充分に訓練された武装警察隊を提言したり、天皇問題は日本人自らの手で解決すべきだ、という意見を表明したのである。つまり、アメリカは皇室に干渉するな、という意味である。そして、日本人は連合国から韓国を受けて独自の政治制度を作り、自ら共産主義者に対応すべし、との考えも公表していたのだ。こうしたアメリカ人なら、日本の国益に合致するではないか。英米派の吉田茂やその懐刀、白洲次郎を始め、彼らと親しい木内信胤(きうち・のぶたね)や渡辺武・元子爵、その他元財閥の大物たちがACJに協力したのは当然だった。日本人の将来を考えるなら、日本の経済復興を望むアメリカ人ビジネスマンや、共産主義の脅威を叩こうとする軍人を味方につけることは得策であろう。
日本人は反日的アメリカ人を“日本語”で非難することは熱心に行うが、日本にとって好ましいアメリカ人を彼らの本国で褒めたり、日本に有利なアメリカ人を育成しようとはしない。日本の悪口を書くジャーナリストや学者を個人的に攻撃せず、日本国内でぶつぶつ言いながら日本語で罵るのだ。本来外務省と裏で結託した言論人が日本の名誉を守るべきなのに、外交官と民間人が水と油のように別れている。アメリカ白人の悪行を非難する時間と費用があるなら、日本に好意を持つ白人を養成して現地の宣伝スタッフとすれば良いのだ。日本の共産化を防いだウィロビー少将が、日本の保守的雑誌でどれほど取り上げられたのか? アメリカの左翼学者からは、ウィロビー少将は良く思われていなかった。ジョセフ・マッカーシー上院議員と同じく、「反共バラノイア」といった烙印を押されて無視されている。しかし、ウィロビー少将の炯眼は正しかった。『ニッポン日記』の著者として有名なマーク・ゲイン(本名Moe Ginsburg)は、満洲生まれの赤いユダヤ人ジャーナリストで、共産主義者が集う『アメラシア(Ameracia)』誌に関係していた。(Mark Gayn Dead at 72, The Jewish Telegraph Agency, December 28, 1981) 支那で育ち、革命後のソ連に住んでいたゲインは、隠れ共産主義者だったのかも知れない。生前はイスラエルに非常な関心を抱いていたという。
(左:チャールズ・ウィロビー少将 / 中央:ジョセフ・マッカーシー / 右:海兵隊時代のマッカーシー)
ハドレーが交流していたデイヴッド・コンデは共産党員だった。彼の著作は日本で翻訳・出版されているから、コンデの名は日本人に馴染みがあるが、奇妙なことに英語で書かれた原書は英米で出版されていないのだ。『現代朝鮮史』(太平出版社)とか『分裂朝鮮の歴史』を出したから、朝鮮史の専門家みたいに思われているが、故郷のカナダや移住先のアメリカでは全くの無名である。こんな人物がアメリカ軍の心理作戦局に従事したり、占領軍総司令部の情報教育部映画課長になっていたのだ。コンデと接触していたハドレーをウィロビーは危険分子と見なしていた。1947年にハーバード大学に戻って博士論文を仕上げようと考えていたハドレーは、CIAから誘いを受けたという。ところが、CIAはオファーを取り下げてしまった。CIA局員が彼女のバックグラウント・チェックを行ったところ、ハドレーがブラックリストに乗っていることが判明したのだ。(Sara Jean Green, Eleanor Hadley spent her life standing up to oppressionm dies at 90 , The Seattle Times , Jne 6, 2007) ウィロビー少将が要注意人物と指定したことで、ハドレーはCIAで働けなかったのである。よかった、よかった。アメリカ人も彼のお陰で胡散臭い左翼を公職から排除できたのだ。ウィロビー少将やマッカーシー上院議員のような反共の愛国者がいなかったら、アメリカ政府の内部にはもっと多くの共産主義者やその仲間が繁殖したであろう。「マッカーシーの赤狩り」といった汚名は、正体を見破られた者やピンクの反米主義者から由来する。そりゃあ、せっかく政府内部に潜り込めて共産化に着手しようとした連中は、途中で邪魔されたんだから怨むだろう。日本人は左翼分子からの一方的な非難を鵜呑みにすべきではない。
日本の保守派言論人は不思議なもので、日本の国益を増進するよりも、アメリカ人を批判することに快感を覚える。アメリカに反日派が多いなら、日本の味方を増やすか、アメリカ人を分断すればいいじゃないか。日本を援護するアメリカ白人がほとんどいないのは、日本の理解者になっても利益が見込めないからだ。日本学を専攻する大学生には優良な就職先を斡旋したり、日本を好意的に報道するジャーナリストは、日本政府が裏で手を回して花形記者に昇格させてやればいいのだ。日本を応援すると色々な特典がもらえると分かれば、日本愛好者が増えるだろう。日本アニメのファンが欧米で多いのは、楽しいという快感や利益があるからで、日本語を習得すれば未翻訳の漫画雑誌が読めるという利益がさらに生じる。英語の吹き替え版がない古いアニメも、インターネットで視聴できるのだ。日本の国益に貢献したウィロビー少将を忘却する日本人は愚かである。銅像の一つでも建ててやればいじゃないか。国会に飾る総理大臣の肖像画なんて要らないだろう。宮澤喜一や竹下登、福田康夫の似顔絵なんか誰が見たいのか? アメリカ人だけど日本の味方をする議員や学者を、彼らの祖国で褒めてやれば、褒められた方だって嫌な気持ちはしないだろう。また、政治家になりたい若者を青田買いして、選挙を支援してやれば一生日本に感謝するに違いない。共和党や大学に行けば、野心家の青年は一杯いるのだ。親日派アメリカ人が本国で名誉を手にしたり、良いポストにつけるよう日本政府が働きかければ、アメリカの若者も彼らに見習って甘い汁を吸おうと欲するだろう。北京政府は既に日米で行っているのに、我が国は全然やっていない。大使館員がやることといったら、日本からの議員がやって来た時にツアー・ガイドを務めることだったりする。政治家の御機嫌を得たら、もらった予算でワインや絵画の購入に当ててしまうのだ。こんな外交官なんて要らない。外務省は外国で税金を浪費する役所である。外務大臣だった陸奥宗光はどう思っているのか知りたいなぁ。副島蒼海(そえじま・そうかい)ならカンカンだぞ。
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