無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年07月

靖國を参拝するのは日本人

名も無き英雄

靖國神社 1靖國神社 参拝客







(写真/靖國神社を参拝する人々)

  毎年8月がくると、戦争犯罪と敗戦責任を問う議論が起こって騒がしい。これはもう恒例行事となっており、お盆が過ぎれば、また来年までその話題は保留となる。後は夏休みのレジャーで大忙し。NHKは毎回、「あの侵略戦争と原爆の悲劇を忘れてはなりません」と謳って、定番の反戦・平和特集を組む。民放だって負けてはいない。軍国主義に戻らぬようマッカーサー憲法を護持する番組を作って改憲を阻止。憲法廃止論が起きれば、田原総一朗や池上彰のような御用評論家がしゃしゃり出て、「もっと議論すべきだ」という締め括りのセリフで曖昧にしてしまう。議論を半世紀以上続けて、「また来年も」と言うなら馬鹿である。要は結論を出さないようにしているだけだ。そうした愚劣なマスコミをよそに、靖國神社を訪れる日本人は減少しないのだから、我々の心には根強い先祖崇拝があるのだろう。しかし、我々は参拝者数に安心してはならない。心から戦歿者を慰霊するのは、日本人であることに気づくべきである。

  英霊を侵略者とか強姦魔と呼ぶ朝鮮人は、気違いだから相手にしてもしょうがない。バカは朝鮮半島の名物だから、日本の敷居を跨がせなければいいのだ。それよりも心配なのは、在日南鮮人のみならず支那人、フィリピン人、タイ人などのアジア人が帰化して、日本の有権者になっていることである。靖國神社を何とかして廃絶したい左翼は、アジア帰化人と混血児を仲間にして、「政教分離」を口実にした神道抹殺を謀るかもしれない。英霊の子供世代が高齢化して、戦歿者との直接的記憶を持つ者が激減しているのだ。孫や曾孫の世代でも、英霊に感謝の意を表す国民は確かにいる。だが、それとは反対に、日本の歴史に無関心な集団が増えていることに危険を感じてしまう。日本人の肉体を持つ国民は、特定の時期にだけ参拝してお礼を述べるが、日本の國體(こくたい)を破壊したい左翼は、年中英霊を侮蔑しているのだ。そして、アジア帰化人にとり日本の英雄は崇敬や感謝の対象ではなく、憎しみの対象あるいは自分と関係のない外国人である。8月15日近くになればマスコミが大東亜戦争の話題を持ち出すから、保守派の国民も様々な意見を表明するだろう。そこで、このブログでは大東亜戦争の戦歿者ではなく、日露戦争で命を失った英雄について語ってみたい。

沖禎介横川省三(左: 沖禎介 / 右: 横川省三)
  司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』で取り上げられた秋山好古将軍はよく知られている。そして、日露戦争でロシア軍に捕まった斥候(せっこう/スパイ)、沖禎介(おき・ていすけ)と横山省三(よこやま・しょうぞう)の二名は、銃殺された烈士として有名である。映画『二百三高地』での処刑シーンを覚えている日本人も多いだろう。この両志士の他にも、ロシア軍に殺された英雄がいたのだ。(以下は『大和魂の精華 無言の凱旋』 教育資料研究所 昭和11年を参照) 日露戦争も終盤にさしかかる明治38年3月、秋山奇兵旅団に小林環(こばやし・たまき)中尉と向後三四郎(こうご・さんしろう)上等兵がいた。第二軍の騎兵第十三聯隊第三中隊に所属していた二人は、斥候として敵後方偵察の任務を帯びたという。小林中尉と向後上等兵は、支那人に変装し、敵の警戒網を突破して吉林方面から長春附近に潜入に成功。我が軍のために貴重な情報輪もたらしたが、惜しいことにその帰還の途中、吉林省東北八面城附近を潜行していて、ロシア軍のミスチェンコ騎兵団に発見されたのである。ロシア警備隊の兵卒が誰何(すいか)し、向後上等兵の帽子を取ったところ、彼の弁髪が落ちてしまい、日本人であることがバレたらしい。

  捕縛された小林・向後の両名は、ロシアの軍法会議にかけられ幾度となく尋問されたが、頑として皇國軍人の矜持(きょうじ)を保ち動じなかったという。しかし、それでも冷酷な運命は変わらなかった。軍法会議は密偵の罪により、彼らを絞首刑にする判決を下したのだ。ハルピンの俘虜収容所に投獄された斥候は縛り首の刑だったが、あるロシア人将校の計らいにより、軍人らしく銃殺刑になったという。日本人スパイを拘束したロシア軍将兵の中には、両勇士の義烈に感激し、減刑を嘆願する者もいたらしい。だが、無情にも銃殺刑の日は訪れた。処刑場に引き出された小林中尉と向後上等兵は、銃殺に臨みながらも「日本人に目隠し無用」と豪語し、ロシア兵の膽(きも)を寒からしめた。祖国に対する彼らの赤誠(せきせい)は、武人の亀鑑(きかん)としてロシア兵のあいだで崇敬の的(まと)となり、ハルピンの「ウエストニク・マンチュリー」紙を始めとする地元紙も讃歎(さんたん)したようだ。しかし、長春潜入以来、この両勇士の消息は我が軍に届かず、二人の遺骸は北満の地に埋もれ、祖国に凱旋することがなかった。

  小林環中尉と向後三四郎上等兵の墓跡は、偶然の出来事により発見されたという。満洲事変の時、馬占山(ばせんざん)討伐で勇名を轟かせた山内保次(やまのうち・やすつぐ)少将は、偶然同期生の松田仁三郎(まつだ・じんざぶろう)少将とハルピンで邂逅した。(当時彼らは大佐。) そこで二人は沖禎介・横川省三の志士碑を参詣したところ、山内少将は、小林・向後の両名を思い出し、「銃殺されたのは確かハルピン郊外だったはず」と過去の記憶を辿り、幾度となく附近を捜索したらしい。とうのも、日露戦役で少尉だった山内少将は秋山好古将軍の副官で、小林中尉の同期生であったのだ。山内少尉も斥候として敵地深く潜入して任務を遂行したが、幾多の死線をくぐり抜け栄(は)えある凱旋の日を迎えたという。しかし、同僚の野村少尉は戦死を遂げ、もう一人の小林少尉は敵地から帰ってこなかった。それ以来、遺骨も分からない小林少尉のことは気になっていたところ、大佐となった山内氏は、騎兵第十三聯隊を率いて満洲に上陸したのである。彼は忠霊塔を訪れ野村中尉の遺骨を詣でた。山内大佐は小林少尉の墓を探し回ったが、ついに見つけることが出来なかったので、ハルピンの特務機関に事後を託して帰朝したそうだ。

  祈りのせいか、山内少将の友情が天に届いた。昭和9年1月、ハルピン在住の上田という日本人が、偶然古いロシアの雑誌に処刑された日本軍斥候の記事をハルピン特務機関に報告したそうだ。そこで軍部やその他の機関が旧ロシア資料を集めて調べたところ、吉林方面で捕まった日本人について分かってきた。蒐集したある雑誌に、処刑場へ護送される捕虜の写真があったのだ。掲載された写真と遺族から提出された写真を比較したところ、小林・向後の両名に相違ないことが確認されたという。ハルピン在住の老将ノビッキーは、日露戦争当時、負傷してハルピン野戦病院に入院中、その地から東南約1000メートルの地点に、日本人のものらしい新たな墓を目撃したことがあるという。そこで、ハルピン特務機関の山岡大尉と染谷曹長は、ノビッキー氏の記憶を頼りに現場を捜索し、諦めかけていたところ、偶然というか奇蹟的に両勇士の遺骨を掘り当てたそうだ。さっそく、発掘した遺骨を鑑定して貰ったところ、体格や銃弾の痕跡、埋葬された時期などから、小林・向後のものと判明した。

烈士の最期

  遺骨になって帰還した両勇士は如何なる人物か? 斥候将校の小林環中尉(戦死により大尉に昇格)は江戸っ子で、明治15年8月14日東京府士族、小林美英の次男として生まれた。陸軍士官学校に入って、明治33年には士官候補生となって騎兵第四聯隊に所属。明治37年、第三中隊の小隊長として出征し、第二軍の秋山少将率いる騎兵旅団に属して各地で戦ったそうだ。同年8月に支那人に変装して任務を遂行し、第二軍の奥保鞏(おく・やすかた)司令官から表彰されたらしい。翌明治38年3月、敵後方の偵察を命じられて、向後上等兵と共に支那人の百姓に変装し、敵軍奥地に潜入したのである。小林少尉に附き従った向後三四郎上等兵(戦死より伍長に昇格)は、明治12年2月7日千葉県に生まれ、入隊前は農業に従事していた。明治37年4月に騎兵第十三聯隊に所属して、清国に上陸後、敵情地形偵察を命じられ、小林少尉と運命を共にすることになる。

  密偵となった小林少尉は向後、塚越、倉田の上等兵三名を連れて敵情視察に出た。彼らは昌図(しょうと)なる村に潜入し、そこで親日の村長宅に泊まったという。小林少尉は男四人で行動すると目立つので、向後上等兵のみを残し、塚越と倉田は本隊に帰すことにした。そこで、小林少尉と向後上等兵は村長からボロボロの支那服を借りて支那百姓に扮したのだが、余りにも手が白かったので泥を擦り込んで、わざと汚くした。支那人になりすますのも注意が必要である。こうして、すっかり支那人に変装した二人は、汚い支那笠と草刈鎌を担いで、村長が提供してくれた馬車に乗り込んだ。小林少尉は塚越と倉田に本隊への報告を頼んだ以外、あまり多くを語らなかったという。ところが、支那人馭者が馬車を出そうとした時、小林少尉は懐から10円紙幣を取り出し、これを塚越上等兵の手に握らせ、「俺が持っていたも仕方ないから、君達で使ってくれ」と言い残したそうだ。馬車がゴトゴトと動き出すと、塚越と倉田の両名は直立不動の姿勢をとり、黙って頭を下げたという。これが小林少尉と向後上等兵にとって永遠の別れとなってしまった。塚越と倉田は本隊の秋山将軍に報告をして、二人の帰還を待っていたが、いつまで経っても帰ってこない。しばらくしてから、日本軍の者が捕虜になったという情報が伝えられたという。

  小林少尉は士官の鑑(かがみ)であった。ロシア軍に捕まった少尉は、死の寸前まで部下の向後上等兵を庇ったらしい。責任は全て自分にあるから、部下の向後に何らの罪は無い、としきりに懇願したそうだ。この武徳にはロシア軍将校もいたく感銘を受けたらしい。しかし、そうした努力も空しく小林・向後の両名は処刑場に連行されたのだ。目隠しを拒否した中尉の目は、煌々(こうこう)と輝き、死を覚悟していた。ロシア指揮官が「発射用意」と口にし、ロシア兵が銃に弾を装填する音を聞くや、小林中尉は「日本帝國萬歳」を唱えたという。しかし、ロシア兵の発射した銃弾は、小林少尉と向後上等兵の体を情け容赦なく貫く。血と肉が飛び散り、勇士二名は絶命する。壮絶な最期を遂げた彼らの魂は国家の名誉となった。

  日露戦争は我が国の命運を賭けた一大決戦であった。歐洲の大国を相手にした戦争だから勝利の望みは薄く、貧乏な日本がロシア軍と五分に戦えたらいい方だった。戦争継続が不可能になる前に、ロシアとの講和が成立して元勲たちは安堵した。しかし、この戦役で多くの日本人が命を落としたから、歓喜に沸く世論とは違い、悲痛な結果に苦しむ遺族も多かったのである。出征した息子からの手紙は、家族にとって貴重であり、時には遺書となることさえあった。向後上等兵も父親宛ての手紙を書いていたのだ。向後上等兵は、戦地では雪が積もってとても寒く、炊いた飯がすぐ石のようになるし、鼻から出た息は髭にかかって氷柱のようになる、と述べていた。また、敵軍との銃撃戦で、腰につけた豆袋に銃弾が当たっていたのを後で気づいたなど、戦地の様子を家族に伝えている。向後上等兵は実家から送ってもらった手袋と靴下に感謝していた。彼は家族を安心させようとしたのか、他に必要な物はないと記す。「あまり良い品物を持って死ぬと敵のヤツラに取られますから」と冗談めいたことを書いていた。こんな手紙を読む遺族はさぞつらいだろう。無邪気な文面が返って悲しみを誘うのだ。本当に死んでしまった彼の手紙は、未亡人により「帰らぬ夫」として仏壇に安置されているという。

  日本の国会議員は少子化による労働力不足を口実に、アジア人を輸入したうえに、気前よく日本国籍を付与する。さらに腹立たしいのは、とっくの昔に朝鮮へ帰っているはずの在日朝鮮人、およびその孫や曾孫にまで、帰化を許して日本人みたいに扱っているのだ。日清・日露戦役や大東亜戦争を戦った祖先は、こうしたアジア人のために自らの命を犠牲にしたのではい。年老いた両親や幼き弟や妹、子供を育てる女房、親しい友人や恩師、先輩後輩、などへの思いを断ち切って、一心不乱に祖国を守るべく戦ったのである。小林少尉と向後上等兵は、軍法会議にかけられた時、既に処刑を覚悟していたのだろう。確実な死を宣言されても尚、国家への忠誠は揺るがず、弾丸が何発も肉体に食い込み、全身の血が流れ落ちても祖国への愛情は変わらなかった。故郷へ帰ってきた彼らの魂を慰撫するのは、日本人の肉体と精神を持つ我々にしかできない。英霊と同じ涙を流せるのは我々だけなのだ。歴戦の勇士と肉体的に繋がっている我々だからこそ、心から自然に感謝の念が湧き起こり、英霊もそれに応えるのである。祖先が我慢した悲しみを共に悲しみ、抑えきれない喜びも共に喜ぶのが子孫たる我々なのだ。我が軍の将兵を憎み呪う朝鮮人が、日本に帰化しても日本人の魂を持つわけではない。女に飢えた日本人と結婚したフィリピン人には、我々が持つ魂の共鳴は理解できないだろう。ゼニの臭いには敏感な支那人でも、尚武の精神となれば全くの鈍感になる。アジア移民の排除を躊躇する保守派は、いったい何を守ろうとしているのか? 戦場で闘った軍人の勇気を少しは持つべきだ。祖国に殉じた祖先を思えば、アジア人駆除くらい楽じゃないか。




人気ブログランキングへ

ギリシア人はヨーロッパ人なのか ? / ナショナリズムは理想から始まる


Greek Model 1















(写真/ギリシア人のモデル)

ギリシア経済の正体

  ギリシアの債務問題が歐洲で騒がれており、日本人もよく分からないが一緒になって騒いでいる。よそ様が踊っていると、一緒に踊りたくなるのが日本人。ニュース・ワイドショー番組では、知ったかぶりの経済評論家が、折線グラフや統計表を携えて、ピーチク・パーチク講義を行っていた。周りにいる藝人コンンテーターが頷(うなづ)いたり驚いたりしていたが、どれほど理解していたかは不明。巨人や阪神の選手を列挙できる藝人でも、EUの加盟国やユーロ圏を全部挙げることができる者はまずいないだろう。アイドル歌手の生年月日を暗記している者でも、クロアチアやラトビア、ブルガリアが何処にあるのか、地図上で指せる藝人は何人いるのか? クロアチアと聞いたら、ミルコ・クロコップの出身国とか黒マグロの輸出国といった知識しかないんじゃないか? 大学生でもキプロスとマルタの島を間違って覚えている人がいるくらいだ。数学で「四色問題」を習った高校生の方が、ヨーロッパ地図に馴染みがあるから、ヨーロッパの国名と場所を覚えているだろう。そういえば、筆者は高校生の時に、色鮮やかな中世の歐洲地図をよく眺めていた。江戸時代の日本と同じく、特徴のある王国がたくさんあって、勉強していて楽しい。漫画『ベルセルク』のファンなら分かってもらえると思う。地図が頭に入っていると、戦史の研究にも便利だから、地理の勉強はお勧め。

Leon Walras 1 Kaynes 1Friedrich August von HayekPaul Krugman 3







(左: レオン・ワルラス/ジン・メイナード・ケインズ/フォン・ハイエック/右: ポール・クルーグマン)

  ギリシアの債務不履行については経済学者が散々述べているので、このブログでは改めて解説しないことにする。著名なポール・クルーグマンを始めとして、欧米のエコノミストが数多くコメントしているので、興味があるかたは彼らの解説を読まれた方がいいと思う。でも、読者から「お前は経済音痴なんだろう」と笑われるのも癪だからちょっと触れたい。筆者だって人並みにケインズやセシル・ピグー、レオン・ワルラス、ケネス・アローをちょっとは勉強したし、何と言っても、F・A・ハイエック博士の全集は筆者の愛読書だったから、シカゴ学派の話は今でも懐かしい。ついでに言えば、ポール・サミュエルソンのベストセラー『経済学』は、原書で読むことを薦めたい。特に大学生が経済の論文を英語で書く時、どう表現するのかが分かってとても便利。ギリシア経済の話をすれば、あの国は既に失業率が約26パーセントにも上っていて、ユーロ加盟国でも最悪の部類に入る。このあいだのPBS放送でも、クルーグマン博士が緊縮財政について批判していた。ギリシアはデフレで経済活動が縮小しているのに、ドイツ人が税金を巻き上げたうえに、節約を断行しろ、と迫っていた。でもさぁ、ギリシア人が従うわけないだろう。痩せた雌牛から乳を搾るようなものだ。牛乳が欲しけりゃ、牛を太らせてからにしろ。それに、怪しい奴に金を貸した方だって悪いのだ。(筆者の経験からも分かる。学生時代の友人に昼飯代を貸したことがあるが、戻ってきたのは半年後だ。友人にお金を貸したら、くれてやる気持ちで貸すのがいいと思う。ただし、商売なら別。)

Cecil Pigou 1Paul Samuelson 2Kenneth Arrow 1Larry Summers 1








(左: アーサー・セシル・ピグー/ポール・サミュエルソン/ケネス・アロー/右: アローの親類ラリー・サマーズ)

  ギリシアの経済が低調なのは、これといった稼ぎ頭になる産業がないからだ。ギリシアの企業といって思いつくのは、まずは造船業か海運業者だろう。日本人なら、未亡人となったジャクリーン・ケネディーが再婚したアリストテレス・ソクラテス・オナシスを思いつくはずだ。海運王オナシスは大哲学者にあやかった名前を持つから印象深い。造船業者ならヘレニック造船とか、自動車まで作っているオリオンが有名だろう。しかし、ギリシアは基本的に農業国だから、利幅の広い製品を輸出していない。特産品といったらオリーヴ・オイルとかワイン、タバコが筆頭で、ちょっと食通ならギリシア・ヨーグルトを挙げる人もいるんじゃないか? 「チョバイ(Chobai)」のヨーグルトは米国でも人気商品で、米国市場で3割強のシェアがある。日本の消費者は、ダノン・ヨーグルトの方がいいのかな? 最近だとカスピ海ヨーグルトが流行っている。筆者ならグリコの「たっぷりアロエ」ヨーグルトがお勧めだが、味覚が狂ったアメリカ人にはもったいないから教えてあげない。でも、ギリシアのオレンジ・ジュースならまあまあじゃないか? 「マドラ(Madra)」のパック・ジュースは有名だ。しかし、米国ならトロピカーナのピュア・プレミアム・オレンジ・ジュースの方が断然美味しい。筆者の近所にある食料品店では売っていないので残念。果肉たっぷりのトロピカーナは売れ筋商品になりそうなのに。

Chobi Hamdi UlukayaOnassis 1Jacquline Kennedy 1








(左: チョバイの創立者/中央: アリストテレス・オナシス/右: ジャクリーン・ケネディー)

  その他、ギリシアのに産業といったら、潤滑油とかセメント業、建築資材、鉱物採掘といったところだろう。こんな程度の経済だから、良識ある日本人なら、ギリシア政府が借金問題で耳を揃えて返せるとは思えない。それに、そもそもギリシアがドラクマを捨てて、ドイツと同じユーロを使っていることが問題なのだ。ギリシア国民がベンツやBMWの輸入を増やしているなら、ドラクマ安になって価格が上昇するし、ギリシア政府も関税を上げたりするから調整機能が働き、メチャクチャな貿易赤字にならないだろう。昔、大橋巨泉の「世界まるごとハウ・マッチ」を観ていた日本人なら、ドラクマの為替相場を知っているし、ギリシアを観光で訪れた日本人なら円高・ドラクマ安で得をしたから、変動相場制を実感したはずである。それなのに、ギリシアをユーロ圏に入れてしまうなんて、EU諸国は本当にアホだ。ドラクマを捨ててユーロにしたら、債務を軽減する機能が働くなるじゃないか。ギリシア人は借金踏み倒しだって平気だし、国家の財政破綻だってしょっちゅうだから慣れている。古代アテナイの没落、コリント同盟の崩壊、コンスタンチノポリスの陥落、独立騒擾、王政と共和政の交代など、様々な危機を経験してきた民族だから、今回の債務問題なんか屁でもない。騒いでいるのは、お金が消えてしまう恐怖に駆られたドイツ人くらいだろう。日本の経済評論家は、庶民が具体的に分かるよう、経済と歴史を絡めた説明をすべきだ。ギリシアが財政破綻したって、観光資源は残っているんだから、また復活するさ。

  ギリシア人がEUの劣等生なのは理由がある。その一つに、ギリシア人は古代の遺産で喰っているからだ。これといった産業がないギリシアは、観光で外貨を稼いでいるのは有名な話。かいつまんで言えば、彼らはエジプト人と同類なのだ。プトレマイオス朝のエジプト人が引き継いだピラミッドやスフィンクスを、関係ないアラブ系イスラム教徒が外人に見せてお金を取っているでしょ。昔、イギリス人使節がオスマン・トルコのスルタンにピラミッドの意味を尋ねたことがある。しかし、イスラム教徒のスルタンには興味がなかったので、そんな疑問すら湧かなかったらしい。イスラム教徒のエジプト人は、赤の他人が建てた遺蹟を収入源にしているから呑気なもんだ。現代ギリシア人も一緒で、古代アテナイ人が建てたパルテノン神殿や大理石の彫像を公開して観光客を集めているのだ。古代人の遺産を手にしたオッさん達が、ちょいとしたトリリビアを付け加えて外国人に見せているだけだから、技術革新とか新規事業開拓なんて気は起こらない。博物館の入り口で料金を取れば飯が食えるのに、わざわざ苦労してアイデアを絞り出す必要がどこにあるのか? 銭湯の台場で、女湯をのぞきながら入浴料を取っているオッちゃんでも、他にする事といったら浴槽の掃除くらいだろう。遺産で暮らして行けるギリシア人には、付加価値の高い輸出品を作る気持ちがないのだ。それにわざわざ苦労しなくても、今まで通りの生活で満足だし、新しい生活様式はしっくりこない。ギリシア人が長時間働いても所得が低いのは、何よりも生産性が低いためであるが、それに加え、利幅が狭いサービス業に就く人々が多いからである。

Partheon Acropolis




(写真/パルテノン神殿)

  ギリシアが借金を返すには、国内総生産を増やすことが一番なのだが、これが出来れば苦労はしない。ギリシアには独立当時、渋沢栄一みたいな起業家がいなかった。我が国が明治維新を成し遂げた時、大久保利通が独自の産業を育成するため、殖産興業に取り組んだことは有名である。しかし、近代経済の音頭を取ったものの、資本制と金融の実務に疎い大久保では、実際に企業を育成することはできない。一方、渋沢は地元埼玉の血洗島(ちあらいじま/現深谷市)で、蚕(かいこ)の養殖を始めとする実業を経験していたから、日本の産業を育てるノウハウを心得ていた。他にもやることがあって忙しかった渋沢は、富岡製糸場を義理の兄・尾高惇忠(おだか・じゅんちゅう)に任せて、彼は金融面でも活躍し国立第一銀行を創設し、東京証券取引所、サッポロビール、秩父セメントなど数多くの会社設立に携わったことは、有名な語り草になっている。ついでに言うと、渋沢は「論語と算盤」で知られているが、支那大陸では渋沢のような誠実な起業家は現れない。有能な犯罪者ならそこら中にいるが、国家のために産業を発展させようなんていう国士は絶対現れない。支那人なら驚くだろうが、三菱の岩崎弥太郎から、一緒になって海運業の独占を持ちかけられたのに、渋沢はそれを断った。女以外に欲がなかった渋沢は、日本の国益を第一に考えていたのだ。支那人なら「共同運輸」創設して、運賃の低料金を招くような行動は取らないだろう。論語とは孔子の願望を書き留めた書物で、支那人は誰も真剣に読まない。支那人の愛読書は「韓非子」であって、支那人なら「韓非子と詐欺師」がバイブルとなるだろう。

渋沢栄一1岩崎弥太郎1尾高惇忠








(左: 渋沢栄一/中央: 岩崎弥太郎/右: 尾高惇忠)

  ギリシアだとファナリオテス(Phanariotes/Φαναριωτης)という官職の者たちが地方行政を取り仕切っていた。行政官としてのファナリオスは、海外貿易にも重要な地位を占めており、ヨーロッパの思想や商品を輸入して、一般のギリシア人に影響を与えていたらしい。ただ、彼らは貿易商人だったから、地元産業の育成とか特産品の創出、技術の蓄積といったことには不向き、と言うより関心が薄かった。だから、渋沢のように富国強兵に貢献する実業家ではない。ギリシアを支配していたトルコ人を除いたら、偉い地位に就いて私腹を肥やしていたのは、フィナリオスとギリシア正教の聖職者であった。要は庶民からお金を巻き上げる人が権威者で、国富を増やす人が支配者ではなかったのだ。上杉鷹山(うえすぎようざん)や保科正之(ほしなまさゆき)、前田利常(まえだとしつね)みたいな名君を持っていた日本人は幸せな民族である。江戸時代の大名だと、「名君」と評されたいから、藩の財政が逼迫すると自ら質素な生活をしたりする。でも、それが返って不景気を招いてしまうから皮肉なものだった。水野忠邦(みずのただくに)みたいな質素倹約型の老中より、庶民の娯楽と商売に理解のあった田沼意次(たぬまおきつぐ)の方が、よっぽど景気促進に貢献している。恋愛と贅沢の資本制を論じたヴェルナー・ゾンバルトなら、間違いなく田沼を称賛していただろう。

ギリシア民族とは何だ?

  EUに加盟しているギリシアだが、どうも西歐の一員とは思えない。古代のギリシア人はヨーロッパ人から称賛されているのに、現在のギリシア人ときたら“ぐうたら”の代名詞みたいになっている。特に第20世紀初頭の移民ブームで、アメリカに渡ったギリシア移民のイメージが悪いのだ。ドイツやオランダからの移民と違って、ギリシア移民は後進国の貧農といった人物が多く、無教養でこれと言った技術もない下層民が多い。これじゃあ、西欧系アメリカ人が馬鹿にするはずだ。(ドイツ移民は結構な比率で米国に貢献している。例えば、在米日本人だとアメリカにドイツ系の眼科医が多いことに気づくだろう。1857年にドイツ系眼科医協会が設立されたくらい、ドイツ系アメリカ人は凄かった。ほかにも色々あるがまた別の機会で紹介したい。) アメリカ社会だと、ゲルマン系国民はラテン系・スラヴ系国民より上等で、ギリシア人は南欧系民族だから社会的地位が低い。昔のアメリカだと、南欧系の科学者など滅多にいなかった。本国が後進国だったからしょうがないが、移民してきたギリシア人はほとんどが筋肉労働者で、荒くれ者もかなり混じっていたから尚更評判が良くない。オレゴンやカルフォルニアといった米国西部で働くギリシア人は、日本人や支那人と同じく、鉱山労働に就く者が実に多かった。ただ、こうした東洋人労働者と違っていたのは、労働運動で際立った行動をとるギリシア人が結構いたことだ。

  ユタ州ではレオニダス・G・スクリリス(Leonidas G. Skliris)というギリシア人がいて、「ギリシア人たちの皇帝(Czar of the Greeks)」という綽名(あだな)を持っていたという。こうした親分格は最初、東欧からの新米労働者を勧誘して徒党を組んだり、子分の給料をピンハネしたりていたが、次第にこれではいつまで経っても惨めな境遇から抜け出せないことに気づいた。そこで、ギリシア人たちは労働組合に力を入れ始めた。労働ストが起これば会社側に対し、実力行使も辞さなかった。何と言っても、ギリシア人は祖国でトルコ人とゲリラ戦を経験していたから、新天地アメリカでもその体験を活かしたという。鉱山会社がスト対策に武装警備員を導入したり、地元警察を呼んできたって、彼らはへこたれなかった。警備員らが組合仲間を包囲して兵糧攻めにしようとしたが、ギリシア人鉄砲玉が闇夜に紛れて包囲網を突破し、食糧を持ち込んだというエピソードもあった。(Dan Georgakas, The Greeks In America, Journal of the Hellenic Diasporap, Vol. 14, 1987, p.21) だが、こんなもんで驚いちゃいけない。時代はまだ西部開拓時代の雰囲気を残していた。ワイルド・ウエストの気風が濃厚だったらしい。労使対立が長引くと、ライフルやダイナマイトを用いて闘ったというから、筋金入りのゲリラ労働者だ。しかし、鉱山採掘所で起こった労使闘争だからといって、ダイナマイトを投げつける鉱夫じゃ、余りにも過激ではないか? バルカン半島は世界の火薬庫と呼ばれたが、ギリシア人は本当に火薬庫からダイナマイトを持ち出して爆発させていたのだ。まぁ、標的がトルコ人じゃなくてアメリカ人に替わっただけだから、戦闘の基本は同じだけと、文明国で行うと野蛮人と見られてしまうじゃないか。

  こんな調子だから、ギリシア移民はアメリカ人から「ヨーロッパのクズ(scum of Europe)」と呼ばれていたらしい。労働キャンプでも白人区域に入ることを禁じられ、ギリシア人労働者は有色人種の方に追いやられてしまった。白人キャンプから閉め出されたギリシア人は、少数民族地域で日本人鉱夫の隣人となり、日本人と危険な爆破作業を共にしたから、次第に仲が良くなったという。それに加えて、ギリシア人は小柄な日本人が格闘技でも特別な能力を持っていることに驚いたらしい。古代からレスリングやボクシングが盛んなギリシアでは、武藝に対する意識が高いのだろう。多分日本人はギリシア人とレスリングをするとき、相撲や柔道の技を応用したんじゃないか? また、空手や柔術はギリシア人にとって新鮮な武術だったのかもしれない。そういえば、軍神広瀬武夫がロシアに派遣された時、日本人を見くびっていたロシア人を、柔道の達人たった広瀬が投げ飛ばし、東洋人に負けたロシア人が驚愕したというエピソードもある。あの野蛮なブラジル人だって日本の柔術に目を剝いたくらいだから、当時のギリシア人も信じられなかったのではないか? とにかく、東洋人と親しくなるくらいだから、ギリシア人は当時の白人社会で疎外されていたのは確かだろう。例えば、アイダホ州では、ギリシア人が劇場に入っても白人席には坐れなかったらしい。また、カルフォルニア州では昔から住む地元アメリカ人から嫌われており、あるレストランでは窓に「純粋なアメリカ人のみ。ネズミ、ギリシア人お断り(Pure American. No Rats. No Greeks.)」という看板までぶら下がっていたという。(The Greeks In America, p.22)

Jakob Philiipp FallmerayerGreek Hair Model 1Greek 2








(左: ヤコブ・ファラメライヤー/中央: ギリシア人のヘア・メイク・モデル/右: 現代ギリシア人の労働者)

  借金を返せない現代ギリシアでも、自慢がいくつかある。その中でも「古代ギリシアの栄光」を継承する子孫というのが、最大の誇りである。教養を積むヨーロッパ人にとって必修なのが、古代ギリシア哲学とかギリシア美術なのは周知の事実。日本人だってプラトンやアリストテレスの哲学は必修科目になっているだろう。ギリシアの学問・藝術は水戸黄門の印籠みたいに、みんなの前で掲げて鼻高々と見せつける権威なのだ。ところが、この自慢が悲劇を引き起こしてしまうから、なんとも皮肉な話である。ギリシア彫刻を見慣れている西歐人は、目の前で見るギリシア移民が、理想的容姿を持つ古代ギリシアとは似ても似つかない猿公(エテこう)だから、彼らを馬鹿にしたのだ。確かに、ギリシア人はアテナイやコリントに住んでいたが、血統が保たれていたわけではない。ローマ軍に征服される前から、衆愚政治に陥ったギリシア諸都市には外人がたくさん住んでいたし、ローマ軍にも様々な種族が混じっていたから、ギリシア人が混血なのも当然だろう。その後だって、ビザンツ帝國になれば、オリエント地方やアフリカから異人種が流入したし、トルコ人によるコンスタンチノポリス陥落で、ギリシア人はオスマン・トルコの支配下に置かれたのである。こうなれば、もうギリシア人が混血民族になるのは当然。せいぜい宗教と言語が同じというくらい。高名なドイツ人学者のヤコブ・ファラメライヤー(Jakob Philipp Fallmerayer)は、ヘレネス人血は完全に消滅した、と喝破したのだ。人種学で有名なウィリアム・リプリー(William Z. Ripley)も、ギリシア人は混血民族と述べていた。

Athena 4Parthenon ruined









(左: 女神アテネの彫像/右: 破損したパルテノン神殿)

  ヘレニズム文明を継承する子孫と公言するギリシア人でも、その容姿を他人から指摘されるとつらい。スラヴ系民族のみならず、アルバニア人やトルコ人とも混血していたから、ギリシア人の肉体がアーリア人種と違ってしまったのだ。はっきりとは分からないが、古代アテナイ人ならアーリア人に近い容貌だったのではないか、と学者は推測している。パルテノン神殿に設置されていた女神アテネの復元図を見れば、古代ギリシア人は金髪碧眼のアーリア人を理想としていたことが分かる。建築当時のパルテノン神殿は、大理石に色がついて鮮やかだった。現在はボロボロな姿になっているが、これには理由がある。オスマン帝國がヴェネチアと戦った時、非常識だけれども、トルコ人はパルテノン神殿を弾薬の倉庫代わりに使っていたのだ。そこへ運悪くヴェネチア軍の砲弾が飛んできて、神殿の火薬庫に命中して大爆発。こんな訳だからギリシア人としてはトルコ人に対して恨み骨髄なのは当然だろう。ギリシア人はヘレネスの民と自称しているが、現代ギリシア人やアメリカに渡ったギリシア移民を撮った写真を見れば、どことなくトルコ人やアラブ人に似ている者が多い。ヘンリー・プラット・フェアチャイルドによれば、ギリシア人の肉体で共通しているのは、スンぐりむっくりした体格と、膨らんだ大きな鼻が特徴的であるという。(Henry Pratt Fairchild, Greek Immigration to the United States, Yale University Press, New Haven, 1911, p.19) そう言われてみれば、我々だって思い当たる節がある。例えば、、クリントン政権で実質的な報道官を務めたジョージ・ステファノポロス(George Robert Stephanopoulos)を思い出せば、「あっ、なるほどそうだ」と納得するだろう。

George Stephanopoulos 2George Stephanopoulos & Ali Wentworth 2









(左: 少年時代とキャスターになった時のジョージステファノポロス/右: アリ・ウェントワース夫人と一緒の写真)

  ステファノポロスはギリシア系の両親をもつ、典型的なギリシア系アメリカ人だ。秀才だった彼の父親はギリシア正教の司祭で、政治に興味を持ち始めたジョージは、1988年の大統領選挙で、マイク・デュカキス(Mike Dukakis)の陣営で働いていたそうだ。民主党候補者になったマサチューセッツ州知事のデュカキスは、移民にとって希望の星となるギリシア系国民であった。もし、大統領になっていたら、アメリカン・ドリームの体現者として称賛されていただろう。しかし、彼の大統領選は何となく“哀れさ”を感じさせるものであった。対抗馬のジョージ・H・W・ブッシュは典型的なワスプ(WASP)のアメリカ人で、イェール大学では「スカル・アンド・ボーンズ」に所属し、上院議員のプレスコットを父に持ち、第二次世界大戦ではパイロットとして闘った軍歴がある。そのうえ、イェール大学の野球選手で長身だった。背が高いブッシュと並べば、短身のデュカキスはいかにも南欧出身の劣等種族に見えてしまう。

 BushLloyd Bentsen 1Mike Dukakis 3Parker thunderbird 2







(左: ジョージ・ブッシュ大統領/ロイド・ベンツェン/マイク・デュカキス/右: サンダーバードの人形パーカー)

    さらに哀しいことがある。見栄えのしないデュカキスが副大統領候補に選んだのは、テキサス州からの上院議員ロイド・ベンツェン(Lloyd Bentsen)であった。実は彼が上院議員選挙に出た時、共和党からの対抗馬は未来の大統領ジョージ・ブッシュであった。上院選挙で敗れたブッシュはその後、フォード政権でCIA長官となる。こうした因縁の二人の狭間に立つデュカキスは惨めだ。何か場違いみたい。大統領選挙で特に印象的だったのは、リベラルなデュカキスが軍事にも関心があるところを国民に示そうとして、戦車に乗ってアピールしたのだが、これが逆効果。戦車から首だけを出した姿は、まるでサンダー・バードの人形みたいだった。貴婦人のペネロープを乗せて、リムジンを運転するパーカーみたいに見えてしまい、失笑を買ったのだ。慣れないことをするとヤケドするという典型例。それより、側近の誰も止めなかった事の方が驚きだ。ついでに言えば、女優のオリンピア・デュカキス(Olympia Dukakis)は彼のいとこ。

Mike Dukakis 2Parker thunderbird 3





(左: 戦車に乗り込むデュカキス/右: パーカーとペネロープ)

  ステファノポロスと同じく、クリントン政権でホワイトハウス首席補佐官になったジョン・ポデスタ(John Podesta)もギリシア系である。政界で有名なギリシア系と言えば、CIA長官人なったジョージ・テネット(George Tenet)やニクソン政権で副大統領を務めたシュピロ・アグニュー(Spiro Angnew)が挙げられる。小柄で大きな鼻をしたステファノポロスや同種の顔をしたテネットを見れば、フェアチャイルドの指摘が正しいように思える。とくにステファノポロスはブロンド女優の妻アリ・ウェントワースと並ぶから、よけいヨーロッパ人離れした容姿が目立つ。その他の人物で有名なのは、歌手のポール・アンカ(Paul Anka)、ギターリストのフランク・ザッパ(Frank Zappa)、映画『ハング・オーバー』に出演したザック・ガリフィアナキス(Zach Galifianakis)、スナイパー映画の名作『山猫は眠らない(One Shot, One Kill)』に出演したビリー・ゼイン(Billy Zane)、TVドラマ『フル・ハウス』のジョン・スタモス(JohnStamos)といったところか。彼らはゲルマン系アメリカ人というより、地中海諸国でよく見かけるアラブ・トルコ系民族に近い。

George Tenet 2Paul Anka 3Zach Galifianakis 2Billy Zane 2








(左: ジョージ・テネット / ポール・アンカ / ザック・ガリフィアナキス / 右: ビリー・ゼイン)

  アメリカやヨーロッパでは、古代ギリシア人のアーリア的容姿があまりにも宣伝されているので、実際に現れるギリシア人とのギャップが甚だしく、ギリシア人にとっては迷惑な誤解となる。『ナショナル・ジオグラフックス』誌に、あるレポーターが書いていた。1916年頃、彼はアテネを旅したことがあった。古代ギリシア人の遺産を受け継ぐギリシア人とは、どんな人々かまだ分からなかったという。多分ホテルでの出来事だと思うが、彼はモーニング・コーヒーを運んできた給仕の名前を聞いてちょっとビックリした。なんと、その給仕は「テミストクレス」という名前を持っていたのだ。しかし、その名前と容姿が一致しなかったらしい。我々が目にする名将テミストクレスの像と、給仕の顔が違っていたからだろう。また、この雑誌記者はホメロス(Homeros)やプラクシテレス(Praxiteles)、フィディアス(Phidias)の事を思い浮かべながら、美しいギリシア女性の代名詞「ヘレン」を探すべくアテネの街を見物したそうだ。ところが、彼が目にした唯一の「ヘレン」は、アメリカ娘だったという。金髪碧眼でギリシア彫刻を偲ばせる、整った顔立ちを持つのは彼女だけだった。(E. D. Karampetsos, Nativism in Nevada: Greek Immigrants in White Pine County, Journal of the Hellenic Diaspora, Vol. 24, 1998, p.67) 異国で出逢ったアメリカ人女性が、街中で見かけた唯一の理想的ギリシア人だったとは、何とも滑稽な話である。

Jennifer Aniston 9Jennifer Aniston & Father









(左: ジェニファー・アニストン/右: ジェニファーと父ジョン・アニストン)

  歴史を勉強しないアメリカ人は、ギリシア人やローマ人について訊かれると、映画やドラマで描かれる古典時代の「アーリア的ギリシア人」や「ゲルマン系ローマ人」をすぐ思い浮かべてしまうのだ。まぁ確かに、ギリシア系アメリカ人には、ドラマ『フレンズ』で人気者となったジェニファー・アニストン(Jennifer Anniston)のような有名女優もいる。ブロンドで青い瞳を持つ彼女は、ギリシア系アメリカ人の父親ジョンを持っているが、彼女の母親ナンシーは、アングロ・スコット人とアイリス人の血統であるから、西欧系に属するとも言えそうだ。ついでに言えば、日本でも「刑事コジャック」で有名なテリー・サバラス(Telly Savalos)も、ギリシア系アメリカ人で、ジョン・アニストンと親しかったから、娘のジェニファーの代父(ゴッド・ファーザー)になったという。意外な人間関係があるものだ。話を戻せば、実際アメリカに移住してきたギリシア移民を見れば、オリンピア・デュカキスやニア・ヴァルダロス(Nia Vardalos)といった女性の方が普通であろう。ちなみに、ニアはロングラン映画『私の大げさなキリシア式ウェディング(My Big Fat Greek Wedding)』で主役を演じた女優である。この映画は低予算で作られたが、結婚式をめぐって引き起こされる、キリシア人家庭の滑稽な様子を描いたことで、意外なヒット作品となった。特定民族を描いた映画は危険だが、ギリシア人ということだったからギリギリ大丈夫だったのかも知れない。

Jennifer Aniston & NancyTelly Savalas 2Nia Vardalos 2








(左: ジェニファーと母ナンシー/テリー・サバラス/右: ニナ・ヴァルダロス)

  日本人なら、ギリシア系女性と聞けば、『CSI:マイアミ』のソフィア・ミロス(Sofia Milos/父親はイタリア系)とか、『CSI:ニューヨーク』のメリーナ・カナカレデス(Melina Kanakaredes)を思い浮かべるだろう。でも、彼女たちは例外だ。一般的に見れば、アリアナ・ハッフィントン(Arianna Huffington)くらいがせいぜい。アリアナはご存じ「ハッフィントン・ポスト」紙の創立者だが、旧姓はスタシノポロス(Stassinopoulos)といってギリシア系アメリカ人である。彼女の英語がちょっとなまっているのはそのせいだ。ただし、彼女はクセ者で、昔は共和党のニュート・ギングリッチ下院議長や大統領候補にもなったボブ・ドール上院議員を支持していたくせに、ある時を堺にクルっと転向して元に戻ってしまった。今ではバリバリのリベラル派(左翼)コメンテーターとして活躍している。時流に乗って「保守派」を演じていたが、有名になったからで安心して「左翼」に戻ったのだろう。亭主と信条を捨てたアリアナだが、別れた夫マイケルの姓は英国風で格好良いから、そのまま「ハッフィントン」を名乗っている。ギリシア移民はよく家族名をイギリス風に変えてしまうから、アリアナが「ハッフィントン」を放棄しなかったのもうなづけよう。こういう狡賢い女だから、メディア界でのし上がれたのだ。でも、アメリカでは一貫性(integrity)のない人物は信用されないから、保守と左翼の両陣営から陰で侮蔑されているに違いない。

Arianna Huffington 3Olympia Dukakis 2Sofia Milos 1Melena Kanakaredes 4








(左: アリアナ・ハフィントン / オリンピア・デュカキス / ソフィア・ミロス / 右: メリーナ・カナカレデス)

  理想的ギリシア女性がアニストンなら、理想的ギリシア男性はブラッド・ピット(Brad Pitt)だろう。アニストンの元恋人は、映画『トロイ』でアキレスを演じ、ギリシア彫刻のような素晴らしい肉体を観衆に披露した。しかし、ピット氏はギリシア系じゃなくて、アングロ系アメリカ人だ。ちょうど、預言者モーゼを演じたクリスチャン・ベールがユダヤ人ではなく、西歐人だったようなもの。ハリウッドは歴史作品を結構リアルに描くのに、登場人物は幻想にしてしまうから不思議だ。やはり、実際のギリシア人やユダヤ人役者では、映像が暗くなって人気が出ないからだろう。英雄アキレスをアダム・サンドラーやエイドリアン・ブロディーが演じたら客から文句が出る。

Brad Pitt 2Brad Pitt troy 1Adam Sandler 1Adrian Brody 5







(左: ジェニファーとブラッド/「トロイ」のブラッド・ピット/アダム・サンドラー/右: エイドリアン・ブロディー)

    ヒロインのヘレネにはユダヤ人女優を当てるにしても、エヴァ・グリーンやメラニー・ローラン、アリシア・シルヴァーストーンを起用するならOKだ。欧米人はギリシア美術を重要視するから、理想とかけ離れた容姿を持つ、現実のギリシア人に落胆するのだ。正直に言えば、ギリシア人モデルのコスタス・マルタキス(Kostas Martakis)みたいな二枚目より、俳優のクリストス・ヴァシリポロス(Christos Vasilopoulos)みたいなゴツい奴の方が普通だし、実際にはこのタイプが多いのだ。彼が殺し屋とかゴロツキを演じると、妙に決まっているから、ドラマを見ていても違和感がない。

melanie-laurent 86alicia silverstone 56Kostas Martakis 1Christos Vasilopoulos 1








(左: メラニー・ローラン/アリシア・シルヴァーストーン/コスタス・マルタキス/右: クリストス・ヴァシリポロス)

ギリシア・ナショナリズム

  ギリシア人に対する誤解が生じたのは、ギリシア人による行動も原因となっている。オスマン・トルコの支配から脱するためには、ギリシア人の民族意識を覚醒させ、異民族支配を打倒するイデオロギーが必要であった。これは我々日本人にも理解できる意識革命である。江戸時代には頼山陽が『日本政記』や『日本楽府』を著し大変な評判となった。とりわけ『日本外史』はベストセラーとなり、倒幕思想の先駆的業績であり、志士の多くが愛読していたくらいだ。頼山陽の歴史書は德川家にとって恐ろしく、不動の江戸幕府であっても、しょせん朝廷から地位を授けられた下部組織、という認識が勤皇の志士に浸透してしまった。異民族たるオスマン朝トルコの圧政に苦しむギリシア人にとって、何らかの精神的バック・ボーンが必要なのは明らかだった。したがって、ヘレニズムに基づく「ギリシア国学」は、まさしく民族意識復興の起爆剤である。

  トルコ人からの独立を呼びかけるには、まず彼らとギリシア人が人種的・民族的に異なるという点を強調せねばならなかった。独立革命家は何よりも、トルコ人に征服されたギリシア人が、世界に冠たる文明を築いた古代ギリシア人の子孫なのだ、という認識を鼓舞せねばならない。英雄的民族の血を引くという信念は、ローマ的ないしキリスト教的世界を超えて、直接古代人と肉体的に繋がるという見識である。ビザンツ帝国時代の有名なゲオルギオス・ゲミストス(Georgius Gemustus)は、「我々はギリシア人(ヘレネ)の血を引くものなり」とマヌエル2世に伝えていたという。(ステファン・G・クーシデス「近代ギリシアのナショナリズム」 P.F.シュガー/I.J.レデラー編『東欧のナショナリズム』 東欧史研究会 訳 刀水書房 1981年 p.473) これと同じような意識は日本人もあった。平家は一族意識が強かったし、源氏も坂東武士の自覚を持っていた。足利尊氏だって北條執権のもとで暮らす家臣に、源氏の血筋を強調したものだ。一見するとオスマン・トルコの支配は苛酷なようだが、その間接支配は慣れてくるとギリシア庶民にとってそれ程の苦痛はなかった。むしろ、徴税で肥え太るギリシア人統治者の方が圧政的であったらしい。しかし、誇り高いギリシア人にとって、やはりトルコ人の天下は嫌である。

  古代文明への憧憬や復古主義が盛んになると、古代人の理想化が始まる。古典文化の称賛者は、古代人が発見し発展させた者は、すべて高貴で精密であるという確信があった。(上掲書 p.477) これはヤコブ・ブルクハルとが指摘したように、ルネッサンス時代のヨーロッパ人と同じ現象なのだ。キリスト教文化に染められた彼らは、異教的なギリシア・ローマの文化に触れ、人間中心の古典文化に大きな衝撃を受けたという。偉大な祖先の業績を再発見したとき、心の底から感動し、魅了されるのは自然なことだ。日本人だって似たような経験がある。明治の頃は浮世絵が豊富にあり、それほど価値のある美術品だと思わなかった。しかし、現代になって、江戸時代の美術品が再評価され、二束三文で外国人に売り払ってしまったことを後悔している。漫画ファンから見ても、北斎や広重の藝術感覚はすごい。第18世紀になると、ギリシア復興や独立運動への期待もあって、国粋主義的な雰囲気も濃厚だったという。当時は改名運動が流行ったらしく、子供に「ヨアンニス(ジョン)」とか「ペトロス(ピーター)」、「コンスタンティノス」という洗礼名ではなく、ギリシア人らしい「レオニダス」や「テミストクレス」、「アリスティディス」といった古風な名前をつける親がいたらしい。現在の日本では「キラキラ・ネーム」という奇妙な名前をつける親がいるというから、日本人の精神はおかしくなったのかもしれない。ネット情報だから確実ではないが、黄熊(ぷう)、今鹿(なうしか)、男(アダム)、皇帝(シーザー)という名前を子供につける親がいるという。この他に、もっと奇抜で信じられない名前があるようだが、本当にそんな親が実在するのか疑問である。

  ギリシア人と違って、最近の日本では属国化を促進する企業が現れている。ユニクロとか楽天、ホンダでは社内言語を英語にしたそうだが、社員はフィリピン人やインド人の如き隷属民、すなわち植民地の土人並みになったというわけだ。独立を目指していたオスマン帝國内のギリシア人は、母国語運動に熱心だった。民族の伝統を維持するには、その民族固有の言語を守らねばならない。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテがゲルマン語について述べた事を思い出してみれば分かるだろう。民族の根源から切り離された言葉を話すフランス人よりも、祖先から継承する生きた言葉を話すドイツ人の方が、永遠に朽ち果てない創造性を保っているのだ。民衆語としての「ロメイカ(Romeika)」は、古代ギリシア語や新約聖書の「コイネー(Koine)」を継承しており、同じ文字を用いていたから、外国語ではない。ロメイカは近代化と西欧的価値の担い手となる一方で、民族固有の思想や価値、感情を保存する貯水池であった。その言葉は、ギリシア民族がもつ特有な資質を守り、彼らを過去に繋ぎ止める錨(いかり/anchor)となってい。第19世紀のゲオルギス・ハジダギス(Georgios Hatzidakis)は、ホメロス時代からのギリシア語が継続しているのを強調することで、ギリシア人が持つ過去への民族的誇りを確立し、ギリシア人に未来への希望を吹き込んだのである。まぁ、ギリシアにも本居宣長のような国学者がいたということだ。

Greek Sculpture 1Greek Sculpture 5Greek Apollo 2









(左: 円盤を投げるギリシア人/中央: ボクサーのブロンズ像/右: アポロンの彫像)

  隷属に慣れた民衆と坊主に独立を訴えかけるには、外国の思想が触媒になるときがある。ヨーロッパの知識人はギリシア・ローマの古典に感銘を受けていたが、ヨーロッパに住む亡命ギリシア知識人やギリシア商人は西歐の啓蒙思想やフランス革命に衝撃を受けた。リガス・ヴェレスティンリス(Rhigas Pheraeos/ Rigas Velestinlis)は、フランス革命とナポレオンの勝利にすっかり感激し、ギリシア革命の先駆者に変貌した。(p.481) 彼はギリシア人やトルコ支配下の諸民族を糾合して「バルカン連邦」をつくるべく、叛乱を準備したという。そこで彼は同胞に、オスマンの軛(くびき)から脱するよう説くため、何冊かの本や秘密宣言をギリシアの民衆語で出版したという。血気盛んなリガスは、「バルカン連邦」だけでなく「メガリ・イデア(大理想)」を構想する先駆者でもあった。オスマン・トルコの支配に不満な民族を束ねて、革命勢力の結集を謀ったのだろう。しかし、彼は叛乱を企てた罪でウィーンで捕まり、トルコ側に引き渡されて処刑されてしまった。

  独立運動の殉教者になったリガスに続いて、もうひとり傑出したギリシア人がいる。アダマンティオス・コライス(Adamantios Korais)もナポレレオンの革命的民族主義やフランスの思想を信奉していた。彼はモンペリエやパリで医学の仕事に就いていたが、ヨーロッパのナショナリズムに感銘を受けると、医学をやめてしまい、ギリシア語の研究に没頭したのである。彼がオスマン帝國内のギリシア人に宛てたパンフレットは、同胞にフランス革命への共感や熱狂を呼び起こした。革命へと民衆を焚きつけるには、やはりこうした知識人が必要なのだ。蜂起する民衆に確固たる信念がないと、血みどろの戦闘が何を意味するのか分からなくなる。命を賭けても守りたい大義が無ければ、誰も危険な戦場で踏ん張らないだろう。コライスは教育を奨励する一方で、印刷の役割と重要性をよく理解していたという。

  愛国心だけは一人前(いっちょまえ)のギリシア人でも、経済活動となるや、とたんにダメ民族になる。そもそもドイツやフランスの政治家が、ギリシアをユーロ圏に加盟させたことが間違いだ。理想を言えば、EUはカール大帝のカロリング帝國の復活くらいに留めておけば良かった。ギリシアに加えスペインやポルトガル、イタリアも本来なら要らないはず。彼らは「ローマ共栄圏」とか「ラテン連邦」とか称して、独自の経済圏を作るべきだ。したがって、EUはゲルマン民族主体の連盟にすべきではないのか? そうすれば、均質な国民性で構成される経済圏になっていただろう。これならアメリカやロシアに対抗する国家連合となるし、強力な経済力と軍事力を発揮できる。でも、それはアメリカやブリテンのグローバリストにとって不愉快だ。うがった見方をすれば、ユーロ圏やEUを組織する時に、英米の手下がわざと問題国を加入させたとも考えられる。「分断して支配せよ(Divide and Rule)」が十八番(おはこ)の西歐人なら、誰だって考えつくことだ。アカンタレのギリシアをユーロ圏に混ぜて、ドイツ人を困らせようとする魂胆があったんじゃないか? 第一次大戦の頃からずうっと、英米はドイツ民族が結束することを邪魔してきた。それだけ、ドイツ人には潜在能力(ポテンシャル)があって、実行力も兼ね備えていたということだ。オーストリア人やオランダ人そして北欧のゲルマン諸民族を糾合した、汎ゲルマン連邦は英米にとって脅威である。案外ユーロ圏に加盟していないイギリス人が、自国のユダヤ人やアメリカのユダヤ人と組んで、ドイツ人を痛めつけているのかも知れない。

  日本人の政治家は他国に策略を仕掛ける能力を持たないから、日本の庶民は外国に干渉したり陰謀を目論む事に関心がない。しかし、外国の政治家にとって、他国の内乱を画策するのは当然だから、EUの経済問題を政治的に捉えることができる。USドルによる一極支配を維持したいアメリカ人なら、当然ユーロを蹴落とそうとするだろう。そして、ドイツが台頭しないよう、ブリテン政府と裏で協力することだってある。グローバリストのユダヤ人なら、ドイツ人は「生かさず殺さず」で、その富を搾り取ることがまず肝要だ。それにしても、仮に大ゲルマン経済圏ができたら、アメリカ合衆国を脅かすライバルになるだろう。ドイツ人の底力は日本人にも理解できる。日本人がギリシア人みたいに、再び民族意識に目覚めれば、我が国はもっと立派な国家になるだろう。もし、日本人が朝鮮人みたいなインポ民族なら、我々がナショナリストになっても、外国人は相手にしないはずだ。ところが、支那朝鮮人はもとより、アメリカ人ですら不安を感じるというから、日本人はよほど優秀な民族なのだろう。日本のナショナリズムを危険視する者は、日本のポテンシャルを充分認識しているから警戒するのだ。




気ブログランキングへ
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
黒木頼景の本
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ