無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年11月

「フィリピン人」が“理想”の英語教育

アジア人にされる日本人

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(左: アフリカで働く支那人 / 右: 将来の日本人が模範にする支那人労働者)

  昔、泉谷しげるが「なにやら変だよ、近頃おかしなことばかり~ぃ・・・カンカンのんのん、ええじゃないか ! カンカンのんのん、ええじゃないか!」と歌っていた。これは今村昌平が監督を務めた映画『ええじゃないか』の主題曲である。泉谷氏はもちろんのこと、桃井かおりや緒形拳、草刈正雄といった豪華メンバーが出演していたが、興行的には失敗で、イマイチ知られていない作品である。内容はこれといって大したものではない。かいつまんで言うと、幕末の混乱に際し、民衆が矢鱈目ったら「ええじゃないか」と叫びながら踊り狂って不安やストレスを発散する、といったストーリーである。こんな映画はともかく、我が国の教育界では今、小学校からの英語教育を導入するというので、みんなが「ええじゃないか !」と叫んで乱痴気騒ぎだ。日本の庶民は「グローバライゼイションに乗り遅れるな !」とか、「国際化時代のコミュニーションを重視 !!」といったスローガンに弱い。文科省の役人や大企業の経営者が言うんだから間違いない、と思ってしまうから哀れだ。「偉い」肩書きがあると日本人は直ぐ信じてしまう悪い癖がある。残念だけど、ネズミ講に引っかかる大衆と同じだ。何度警告しても、ほとぼりが冷めるとまた引っかかる。これでは注意する方が疲れちゃう。

  それにしても、文科省の役人は信用できない。「子供のうちからスタートすれば英語が身につく」とは本当なのか? 怪しいぞ。だいたい、物知り顔を決め込んだ奴らが、変てこな西洋語を使って囃し立てる時には、必ず裏がある。以前、マスコミは民主党の「マニュフェスト」を絶賛したが、民主党政権で日本はズタズタになってしまったじゃないか。言論統制が大好きな報道番組は、下層階級の母親が彫った「刺青」を「タトゥー」と言い換えて「ファショナブル」に仕立て上げたし、「無宿者」や「浮浪者」を意図的に「ホームレス」と呼んでいた。もっとケシカランのは、「長屋」を「マンション(一戸建ての豪邸)」と呼んでいるんだから、悪意が無くても詐欺と同じだ。そもそも、彼らは前科がある。例えば、バブル時代末期に、「日本の国際化」や「労働市場の開国」と称して「皆さぁ~ん、偏見を捨てて外国人労働者を入れましょう」、とNHKは唆(そそのか)したが、結果はどうだ? ピッキング犯罪が増えて、虎の子のタンス預金を盗まれる老人は周章狼狽。お気に入りの宝石や預金通帳を奪われた女性は泣き寝入り。また、朝出勤しようとしたら、高額なローンを組んで購入した4WD車が無くなっていたサラリーマンもいたそうだ。被害に遭ってもお金を貸した銀行は「払って下さい」の一点張り。いくら何でも、盗まれた車の借金を払うために働くなんて馬鹿らしいじゃないか。とにかく、日本国民は他人が囁く甘い言葉には注意せよ。

  日本の庶民が文科省の官僚を信じてしまうのは、彼らが立派であるからというより、“難しい入試”をくぐり抜けた学校秀才だからであろう。東大法学部を卒業されたお役人様のおっしゃることだから、在野の評論家が何と言おうとも、“絶対”と信じてしまうのだ。しかし、「エリート」なる称号を持つ彼らは、雲の下に住む庶民の生活を案じているわけではない。「グローバル化」された日本で、アジア人と同じように“安くコキ使える”日本人労務者を確保するために英語教育を実施するつもりなのだ。文科省が提示する資料によれば、「使える英語」を目指すのは、社会や経済が急速にグローバ化し、人、物、情報、資本などが国境を越えて移動するからだという。だが、本当の狙いは別のところにあった。「外国人労働者の増加などによって、国内に於いても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている」からだという。(中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 第39会議事録 配付資料) 役人どもの見解だと、「世界では英語を母語、公用語、準公用語とする人々が多い」そうだ。つまり、ケニア人やインド人、シンガポールのマレー人、フィリピン人など指しているのだろう。どう考えたって、カナダやオーストラリアのアングロ・サクソン人でないことは確かだ。

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(左: 工場で働く支那人 / 右: 日本の官僚が「理想」とするフィリピン人)

  大企業がアジア人労働者を輸入する際、困ったことが幾つかある。各国の言葉がバラバラなので、工場に低賃金労働者を集めても、現場監督がどう仕事を教えて良いいのか分からない。アジア人に指示を下す工場長や工員が、ブロークン・イングリッシュあるいはジャングリッシュ(日本風英語)でもいいから話せれば、後はジェスチャーを交えて支那人やフィリピン人に教えることができる。例えば、「このレバーをアップ、ネクスト、ターン・ライト、OK? イフ・ユー・ドンド・アンダースタンド、アスク、ミー ! 」といった風に、笑ってしまうような英語でも、チンプンカンプンの日本語よりマシだろう。筆者は実際、イラン人が働いている工場を見たことがる。しかし、日本人だけの職場で見られるコミュニケーションはなかった。イラン人と日本人の作業員は同じ部屋にいるのに口数は少なく、工作機械を相手に黙々と働いているだけ。経営者は外人労働者を勝手に押しつけてくるが、彼らの世話をする工場長はたまったもんじゃない。シワ寄せはいつも下っ端にくるのだ。

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(左: 英語を学ぶ予定のタイ人の子供 / 右: 英語教育を受ける南鮮人の子供)

  中央教育審議会の議事録には、1996年にタイが英語を必修化し、次いで韓国と支那が段階的に必修化を開始したと書いてある。やはり、日本の労働者をタイ人や支那人あるいは朝鮮人と一緒にして、効率的に使うつもりなのだろう。日本人の農奴化を図る役人は、英語以外も視野に入れているようだ。「国際社会に生きる日本人の育成のためには、アジア諸国等とのコミュニケーションを促すという視点から外国語教育のあり方を検討することも必要」なんだって。でも、ちょっと待て。この「アジア諸国」って何処だ? フィリピンとかマレーシアのことじゃないよねぇ。じゃあ、アラブ人とかアフリカ人なのか? もしかして、シリア難民を想定しているのか? まぁ、楽天やユニクロ、パソナと癒着した審議員や官僚だと、インド人やベトナム人を輸入して、日本人社員と競争させるつもりなんだろう。グローバル企業を目指す楽天やホンダに勤める日本人社員は、お偉方がいる会議室以外でも、お“得意”の英語を話さなければならないそうだ。じゃあさぁ、楽天の三木谷氏やユニクロの柳井氏はそんなに英語が得意で、自分の見解を流暢かつ正確に表現できるのか? 一度、みんなの前で披露してもらいたい。本田宗一郎は英語のスピーチなんてからっきしダメでも、社員の多くから尊敬され、社外の人々からも愛された偉大な起業家であった。「ブラック企業」を育てた社長じゃなかったぞ。

  退任した伊東孝紳・前社長や八郷隆弘・新社長が、どれほど英語がお得意なのか分からない。でも、本田宗一郎ほどの尊敬は集めないだろう。欧米の経営者からすれば、英語を上手に話せる黄色人種より、威厳に満ち、肚(はら)の据わった人物の方が印象に残るものだ。我々でもよく知っているのは、吉田松陰の例である。外国で見聞を広めたいと切望する松蔭先生は、金子重之輔(かねこ・しげのすけ)を連れて、下田に停泊中のポーハタン号に乗り込んだ。いきなりやって来た日本人2名と面会したペリー提督は、彼らの熱意に感動したものの鄭重に断ったという。禁止されている日本人の海外渡航を手助けすると、幕府との外政交渉に響くと危惧したからである。ここで注目すべきは、ペリー提督が松蔭先生を「ジェントルマン(準貴族)」と見なしたことだ。身なりが貧しく英語を話せないが、その物腰からして一目で「庶民」に非ず、と思ったそうだ。アメリカ人からすれば、日本人は皆同じ顔をしたアジア人にしか見えないが、その立ち居振る舞いで区別できるみたいだ。ペリーは日本語を解しなかったが、的確な判断をするよう訓練された軍人である。彼は松蔭先生が「並の」日本人でないことを瞬時に悟った。それでは現代のアメリカ人経営者は、三木谷氏や柳井氏をどう判断するのか? 実に興味深い。

二重言語社会だったイングランド

  日本語が喋れない天皇陛下を我々は想像できない。しかし、英語を喋らないイングランド国王なら珍しくなかった。英国女王エリザベス2世のご先祖、ゲオルグ(ジョージ)1世は、ドイツのハノーヴァーからやって来た王様で、英語の方はからっきし苦手ときている。しかし、ジョージ1世は平気だった。なぜかと言えば、普段は故郷から連れてきた側近とドイツ語で会話をしていたからである。雇われ人じゃあるまいし、王様が「英会話レッスン」を受講するわけないだろう。それでも、国政についてイングランドの臣下と話さなければならないから、仕方なく当時のヨーロッパで共通語だったラテン語で遣り取りをする、といった具合だった。とはいえ、英語で一々指図するのは面倒だから、政治は筆頭家老(プライム・ミニスター)であるロバート・ウォルポール(Sir Robert Walpole)に丸投げ。かくして、デモクラシーの濫觴(らんしょう)ここにあり。イングランドでは、王様が余計なことをしない時、デモクラシーが発展するという特徴がある。(リチャード1世の不在と最高判事のヒューバート・ウォルターの話は面白いけど、長くなるのでまた後で。この最高判事職<Chief Justiciar>は、ラナルフ・グレンヴィルRanulf de Glenvilleやウィリアム・ロンシャンWilliam Longchampが務めたことでも有名。)

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(左: 国王ジョージ1世 / 中央: ロバート・ウォルポール首相 / 右: 女王エリザベス2世)

  かつて、イングランド国王や貴族はフランス語を話していた。理由は簡単。1066年に起こったノルマン征服があったからだ。ノルマン人といっても、元々はヴァイキングでデンマーク辺りに住みついた海賊の子孫である。当然、話す言葉はゲルマン語であったが、ノルマンディー公国を建てて、フランスの封建貴族になったもんだから、軍事や慣習、宗教などがフランス風になってしまった。ついでに、言語もラテン系になって、すっかりフランス人。言語学的に見れば、ブリテン島に渡ったアングル人やザクセン人と、スカンジナヴィアのヴァイキングが話す言葉はどちらも西ゲルマン語の系統だから、大した違いは無かったはずである。しかし、ラテン語系のフランス語だと、やはり語彙に違和感があったんじゃないか。昔の日本人同士だって、関東と関西の言葉では違いが大きかったから、初めて上方の言葉を聞いた江戸っ子は奇妙に感じたはずだ。ましてや、津軽の百姓と薩摩の武士なら、コミュニケーションは難儀であったと思われる。

  ノルマンディー公爵のウィリアムは、ヘイスティングズ(Hastings)の戦いでハロルド(Harold)を倒して、イングランドの征服王になったわけだが、単なる王位簒奪者ではなかった。ウィリアムは、父のロベール荘厳王(Robert le Magnifique)が、愛人であったファレーズ出身のアルレット(Arlette de Falaise)に産ませた庶子である。ウィリアムは庶子であったことを非常に気にしていて、「妾の子(bastard)」と陰口をたたく奴に対して容赦はしなかった。本当か嘘か分からないが、舌を引き抜いたこともあったという。それでも、彼がノルマンディー公爵リチャード1世(大胆公/Richard Sans-Peur)の孫であることに変わりはない。問題は英国の王様に嫡男がいなかったことだ。イングランド国王だったエドワード證聖王(Edward the Confessor)は、1051年ウィリアムが英国を訪れた際、軽率にも王位を譲ると約束したらしい。まったく、気前の良い王様は困ったものである。このエドワードの父はエセルレッド無策王(Æthelred the Unready)であるが、御母堂さまが大胆公リチャード1世の娘エマ(Emma)であった。つまり、リチャードはエドワードの祖父で、ウィリアムには曾祖父に当たる人物なので、二人は親戚ということになる。ハロルドを破ってイングランドを手に入れたウィリアムは、王位継承の正統性を誇示すべく、エドワード證聖王が造ったウェストミンスター大聖堂で戴冠式を挙げたのだ。しかし、それでも土着の諸侯が抵抗を続けていたので、イングランドを平定するため、更に5年の月日を要したという。

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(左: エドワード證聖王 / ハロルド / ウィリアム征服王 / 右: ランフラク)

  アルフレッド大王やデイン王クヌートの流れを汲むアングロ・サクソン系及びデンマーク系の諸侯は、根気強く抵抗したというが、やはりノルマン軍には勝てなかった。5年間の討伐戦争でノルマン人は、イングラント貴族を一掃。こうして土着貴族が排除されると、今度はウィリアムが連れてきたノルマン貴族が彼らの後釜に坐ったというが、傲慢にも英語など全く喋る気配もない連中だった。要職に就いたのは武人の貴族だけではない。教会の高位聖職者もノルマン人に入れ替わったのだ。日本だと神社の宮司や権宮司(ごんぐうじ)が、幕閣の要職を務めることはないが、西歐だと聖職者が国王の補佐官になることは珍しくない。まぁ、家康に仕えた大僧正の天海みたいなものと考えればいいだろう。イングランドで戦乱が収まると、ウィリアム征服王はカンタベリー大司教の座からスティガンド(Stigand)を追い払って、ノルマンディーから連れてきたランフランク(Lanfranc)を大司教に据えてしまった。ウィリアムによるイングランド教会の“ノルマン化”は徹底している。彼は片っ端からイギリス系司教を追放し、代わりにノルマン人聖職者を司教にしていったという。武力だけではなく、精神的にもイングランドの民衆を支配するつもりだったのであろう。丸腰の坊主は武人の前では無力だから、よそから来た荒くれ者に平伏すしかない。実に哀れである。鎌倉武士の前で屈服したお公家さんみたい。

  かつて、アングロ・サクソン人に支配されたブリテン島は、今やノルマン人が国王、貴族、高位聖職者になる封建国家になった。しかし、ブリテンのフランス化はそれだけではない。彼らにくっ附いてきた騎士や従者だってフランス語しか喋らないのだ。しかも、彼らには親戚縁者や御用商人までゾロゾロいたから、イングランドにはちょっとしたフランス人租界が出来たという。イングランドに住みついたって、ノルマン商人たちは英語を話さないし、貿易の相手だって大陸の人間だから、商売でフランス語を使うのは当り前。こうして、ノルマン人によって征服されたイングランドでは、身分による言語の分離が発生したのである。つまり、英語は地方の小地主や百姓、職人、農奴が話すだけの言葉となり、国王や貴族、高位聖職者、宮廷人、大商人などはフランス語で生活する状況になったわけだ。もし、日本で英語化が進めば、英語を駆使する高級官僚や政界の有力者、大企業の経営者や重役、医者とか弁護士、科学者といった専門技術者が上流階級になり、英語を習得できない落ちこぼれは下流階級になってしまうかも知れない。現実的にはそうならないと思うが、学校に通う子供たちは、英語の成績で名門校に進学できる優等生と、三流校にしか進めない劣等生に分別されるだろう。

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(左: ロベール荘厳王 / アンジュー伯ジョフロワ4世 / ヘンリー1世 / 右: ヘンリー2世)

  ノルマン系貴族はフランス語を話し、イギリス系庶民は英語を話す、といったイングランドでフランス語が衰退したのは、百年戦争が終結した頃である。それまでのイングランドといったら、まるで海を隔てたフランスの領土みたいだった。当時はまだ国民国家なんて意識は無かったから、領土は王侯貴族の所有物で、領民は附属品程度。領土紛争だって、そのほとんどが王朝間の相続争いで、王様同士の派手な喧嘩の色彩が濃厚だった。ノルマンディー公ウィリアムはイングランド国王に昇格しても、長男ロベールが相続したのはノルマンディー公国で、イングランド王国は次男のウィリアム2世が相続。彼の死後は、征服王の三男ヘンリー1世がイングランド国王になって、ノルマンディー公爵を兼任したのだ。彼の娘マチルダ(Matilda)は神聖ローマ皇帝ハンイリッヒ5世に嫁いで皇妃になった。しかし、ハインリッヒの薨去(こうきょ)で後家となる。そこで父に呼び戻されて、今度はアンジュー伯ジョフロワ4世(Geoffroy d'Anjou)と結婚し、後の国王ヘンリー2世を出産。アンジュー伯爵の領地を相続したヘンリー2世は、大陸に広大な所領を有する大貴族となった。彼はフランス風に「アンリ2世」と呼ばれる方がふさわしい。

  フランスの方に大きな関心があるヘンリー2世は、フランス王ルイ7世と離婚したエレノア(Alienor d'Aquitaine)に見染められたという。ところが、彼女の方が8歳年上の27歳で姉さん女房。でも、そんな年の差なんて気にしない。だって、リムーザンやガスコーニュ、ペリゴールといったアキテーヌ公爵領を持参していたんだから。その結果、母のマチルダからノルマンディーを受け継ぎ、父のジョフロワから「アンジュー帝國」をもらったヘンリーは、妻の領地を加えれば、当時のフランス全土の3分の2を支配していた、というんだから凄い。フランス王より強大なイングランド王なんて変だけど、昔のヨーロッパにおいては不思議じゃなかった。国境の概念がまだ曖昧なんだから。それに加えて、中世のインングランドはまだ後進国で、フランス文化の方が水準が高かったから、支配階級や教養人がフランス語を喋っていても不思議ではなかった。ヘンリー2世の嫡男で獅子心王(Cœur de Lion)と呼ばれたリチャード1世も、父と同じくフランス語しか話さなかったらしい。すっかりフランス風に染まったこの王様は、10年間の在位のうちイングランドに居たのはほんの数ヶ月間だけ。祖国の統治はそっちのけで、十字軍に没頭する君主だったけど、イギリス人の間では輝かしい武勲を誇る英雄なのだ。

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(左: リチャード1世 / 中央: ジョン缺地王 / 右: エドワード3)

  ところが、騎士道に夢中だったリチャードにとって、重要なのは母方の領地アキテーヌの方だった、というから呆れてしまう。一般家庭なら、「亭主元気で留守がいい」と言えるが、外国で道楽に耽る王様が人質に取られては一大事。遠征に熱心だった王様は、意気揚々と十字軍から帰る途中、フランスでオーストリア公レオポルド5世に捕まり、その後皇帝ハインリッヒ6世に引き渡されてしまった。「殿様が監禁されたぞ !」との一報を受けたイギリス臣民は大慌て。囚人となった王様を助けるために、一生懸命身代金を工面したそうだ。でも、こんな王様に大金を拠出したイングランドの庶民を思うと気の毒になる。そんなリチャードが亡くなると、今度は弟のジョンが王様になった。しかし、このジョンは悪王としても有名で、父や兄を裏切っただけではない。彼はブルターニュのアーサーを暗殺したのではないか、という容疑を掛けられる始末。そこで、フランス王フィリップ・オーギュストに重罪人の宣言を受け、ジョンが有するフランスの領地は次々と奪われてしまった。ジョンは幼い時、兄たちと違って大陸に土地を貰えなかったので、「土地無しのジョン(Joh Landless)」と呼ばれていたが、大人になってからもその愚行によって、再び「土地の缺如(けつじょ)したジョン(John Lackland)」に戻ってしまった。彼はまた、イギリス貴族の叛乱を招くような軋轢を起こし、その結果ラミニードで屈服する羽目に。罰当たりのジョンは、「マグナ・カルタ(大憲章)」を渋々ながら認めるという屈辱を味わったのだ。

  英国史を述べると長くなるので、この辺で終わりにするが、ジョンが大陸で領地を失ったお陰で、フランスとの縁が遠くなり、イギリス貴族が持っていたフランス人意識が薄くなったみたいだ。そのうえ、エドワード3世時代に、英仏間で百年戦争が勃発したから、当然両者の関係は険悪となり、イギリスの支配階級に「イギリス人」という民族意識が芽生え始めた。フランスの領土を失った貴族たちの子弟は、徐々に英語を喋るようになったらしい。なんでも、学校や修道院でフランス語を学ぶよう促されたというから、フランス文化の優勢に翳りが差したと考えるのが妥当だろう。だいたい、貴族や紳士の若者がフランス語を使うよう注意されたり、フランス語を教えるための教本が出回るようになった訳だから、いかにイングランドの統治者が土着化したのかが分かる。それに、上流階級の若様たちが英語を話す娘と結婚するようになれば、生まれてくる子供が母親の言葉を真似てもおかしくはない。公式文書は依然としてラテン語で書かれていたが、議会での討論は英語になってきたし、法廷でも審議や判決は英語でなされるようになった。

  現在の我が国は、中世イングランドとは逆方向に進もうとしているみたいだ。英語は文法や発音の点で日本語と全く違うのに、文科省や財界は準公用語にしようとしている。日本人の母親は赤ん坊に「大和ことば」で話しかけるのが普通だ。例えば、幼い子供を動物園に連れて行く母親なら、カバを指して「あぁぁ、見て見て! カバさんでちゅよ~」と言うかも知れないが、「ルック・アット・ザット・ヒポァパタマス(Look at that hippopotamus.)」とか「見よ、その恐ろしい動物を(Behold the horrendous animal !)」なんて言わないだろう。拙い英語を無理して話す親ってバカみたい。それでも、日本の役人なら「フィリピン人やインド人の乳母を雇って、赤ちゃんに英語で話しかけましょう」、と促すかも知れない。「活き活きした女性」を訴える彼らにとって、育児で家庭に留まる専業主婦より、外で働く事くキャリア・ウーマンの方が「理想」なんだから。こうした日本人を見ながら、イギリス人やアメリカ人は内心「アホなジャプ」と笑っているんじゃないか。

征服者に感謝するフランス人

  母国語を捨てて外国語を採用した民族と言えばフランス人が有名だ。今は共和政となっているが、かつて君主政だったフランスは、ゲルマン民族の一派であるフランク人が建てた王国だ。本来ならゲルマン国家と言うべきところである。しかし、フランスはローマ帝國の衣鉢を継ぐ新しいローマを自負していた。ジャルル・ドゴール大統領の腹心アラン・ペイルフィットによれば、フランスはカエサルの孫娘であるという。なぜなら、ローマ・カトリック教会は、ローマ帝國の娘であるから、教会の長女たるフランスは孫娘に当たるから、だってさ。(『フランス病』 根元長兵衛 訳 実業之日本社 昭和53年 p.242) フランス人のみならずヨーロッパ人にとって、ローマ人は世界で最も偉大な民族であり、ある意味西歐を形成した創造主であった。英国の知識人ギルバート・チェスタトンでさえ、イングランドの歴史はローマの征服によって始まったと考えていたくらいだ。

Vercingetorix 1(左 / ヴェルキンゲトリックスの彫像)
  フランス人は「偉大さ(grandeur)」に敏感だが、「矛盾」に鈍感である。ケルト系ガリア人の末裔に当たるフランス人は、ローマ人に叛旗を翻した民族の英雄ヴェルキンゲトリックス(Vercingétorix)より、ローマからの征服者であるユリウス・カエサルの方を重要視しているからだ。エルンスト・ローベル・クルティウス(Ernst Robert Curtius)曰く、「ドイツの歴史はローマに対する反抗に始まり、フランスの歴史はローマに対する服従に始まる」。(『フランス文化論』 大野俊一 訳 創元社 昭和18年 p.100) そうは言っても、自尊心の塊みたいなフランス人だから、ヴェルゲントリックスの雄姿を忘れたわけではない。ナポレオン三世だって、アレッシア(Alesia)に巨大な記念碑を建立し、ヴェルキンゲトリックスを称賛していたくらいだ。それでも、ヴェルキンゲトリックスがローマ人に勝ってくれたらなぁ、と願うフランス人は少ない。カエサルに征服されてちょっぴり悔しいけど、それによってローマ文明がガリアにもたらされたんだから有益だったんじゃないか、と考えてしまうのだ。ローマ人と融合しなかったら、ガリア人は未開人のままだったし、「ローマ化」されなければ、いずれ侵入した野蛮人に「ゲルマン化」されただろうから、どちらかを選ぶとすれば、“ローマ人”というのがフランス人の本音である。しかし、ガリア・ローマ史の権威カミーユ・ジュリアン(Camille Jullian)は、ガリア人が自らの歴史を忘却し、その過去を裏切った、と嘆いていた。

  今のフランス人から見れば、ガリア人が征服者に擦り寄ったのは不愉快だろうが、当時のガリアを調べてみれば、ローマ文明に憧れた彼らの気持ちも分かる。従来のガリア人は森の中で生活し、都市の生活など全く知らなかった。この民族は練土や藁(わら)で造った小屋に住んでいて、芦(あし)の束に坐って談議したり、不味そうな地酒のビールを飲んで暮らしていたのだ。それに、部族の要塞といっても棒の杭で囲っただけのお粗末な代物である。身なりだって酷かった。山羊の皮で作った仕事着にズボンといった組み合わせ。穿いている靴は木製だったから、常日頃彼らを馬鹿にしていたローマ人も驚いた。そのうえ、カリア人はしょっちゅう部族紛争を起こしていたから悩みの種が尽きない。こんなガリアにローマ人は治安をもたらし、研究者も驚くほど立派な道路を敷設したのだ。(江戸時代の狭い街道や泥道を思い出せば、いかにローマ人が土木建築に優れていたかを理解できよう。) “文明化”されたガリアの入植地には、ローマ風の道路に沿って地中海式の新しい家が建てられ、円柱や廻廊を備えた別荘には、大理石の彫像が置かれていたという。ローマ人が来てからは、生活環境ばかりではなく学術文化も豊かになった。第4世紀には、ボルドー、オタン、ポワティエ、マルセーユ、リヨンなどで文法や修辞学を教える学校が開設されたという。教師は帝國の官吏で、グラティアヌス帝は、ガリア総督に教師の給料アップを命令したそうだ。修辞学の教師は30人分の給与を、文法の教師には20人分の給与という具合だった。我が国の大学で雇われている、低賃金の非常勤講師と比較すれば、何とも羨ましい話である。(「高学歴プロレタリア」では笑えないよね。)

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(左: 聖イレナエウス / 聖ブランディーヌ / 聖レミギウス / 右: 聖ドニ)

  ローマ人との戦争は熾烈だが、その占領政策は苛酷というより、むしろ有益であった。支配の天才と言えるローマ人は、原住民を同化させる政策を好んだ。被征服者も反抗するより同化した方が利益になると分かったので、積極的にローマの風習を受け容れ、高尚なローマ人になろうとした。こうしたガリア人にだって独自の文化や宗教もあったはず。だが、当時のガリア人は絢爛豪華な文明を誇るような民族ではなかったから、自らの伝統文化を捨てることに躊躇いは無かった。それに、ドルイド教みたいな土着宗教は、ローマ文化と融合したキリスト教に圧倒され、ひとたまりもなかった。特に、コンスタンティヌス帝以降、公認されたキリスト教は騎虎の勢い。地中海から伝播したこの新興宗教は、超大国の国定信仰であるうえに、自然の神々や偶像神を認めない排他的な一神教だったから、土着の信仰は根こそぎ否定。しかし、賢明な宣教師は昔ながら神様を失って寂しがる民衆に聖人崇拝をプレゼント。ランスには聖レミギウス(Remigius)がいたし、天から降りてきた鳩が聖油をもたらした、なんて逸話があったくらいだ。また、各地には聖人が続出。リヨンだと大司教の聖イレナエウス(Irenaeus)や、聖ブランディーヌ(Blandine)が殉教者になった。パリの大司教であった聖ドニ(Saint Denis)は、キリスト教を広めたことで、異教の僧侶から怒りを買い、間もなく斬首刑に処せられたという。伝説によれば、首を切断された聖ドニは、自らの首を抱えながら説教を続けた、というから凄い。こうした超自然現象に満ちた聖人崇拝がいっぱいあったので、土着の信仰から鞍替えした民衆に不満はなかったという。

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(左: ユリウス・カエサル / 中央: ローマの軍門に下るガリア人 / 右: ガリア兵の彫像)

  ローマ人は軍隊でも宥和政策をとったから賢い。勉強はてんでダメなガリア人だが、腕っ節はめっぽう強くて、戦争が三度の飯より好きな民族だ。若い頃カエサルは、ガリア出身のアンティフォンに師事したことがあったから、ガリア人の気質をよく弁えていたらしい。彼はガリア人に対して麾下の軍団を解放し、全員ガリア人で構成される精鋭部隊をつくってやった。その名も第五団雲雀(ひばり)軍(Legio quinta alaudae)。ガリア人貴族はこぞってローマの位階勲等を求めるようになり、ローマ人になりたくてウズウズしていた。こうしたことから、彼らの子孫は自分の祖先を自慢しなくなり、代わりにヴィーナスやヘラクレスの子孫だと言い張るようになった。(そう言えば、ユリウス・カエサルもヴィーナスの子孫であると自慢していたそうだ。) 洗礼名だってユリウスとかカエサル、アウグストゥスといったローマ風の名前が流行ったという。かくして、ガリアのローマ化は相当進んだが、最も効果的だったのはローマ人とガリア人の婚姻が増えたことだ。ガリア人は心からローマ人を尊敬した。ローマ式の水道や下水設備や、娯楽、市場だけではなく、組織による行政や法の支配に触れれば、自ずと畏敬の念が湧いてくる。ガリア人有力者にとって、ローマ貴族の娘を娶ることは、一つの幸福になったしステータスにもなった。こうした婚姻により生まれてきた子供は、母親の言葉であるラテン語を母乳と共に吸収するし、亭主の方もラテン語を話すことが多くなる。政治だって同じ事。ローマ化された民衆を束ねるには、統治者だってラテン語を習得し、ローマ法を知らなければ埒(らち)があかない。こうしてガリア人は肉体的および精神的に「ローマ人」なっていったのだ。

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(左: ガリアの女たち /  右: ガリア人の彫像)

  現在のフランス人はロマンス語系の言語を話している。しかし、ガリア人は「ズボン(bracae)」や「ウールの外套(saga)」「二輪車(carpentum)」といった言葉からも分かる通り、ケルト系のゴール語を話していた。フランス南部で話されるのオック語や北部のオイル語はともにロマンス系の言語でラテン語が基礎となっている。フランク人の言葉は辛うじてアルザス地方に残っている程度。中世以来、フランス人とドイツ人は何かといがみ合う間柄となっている。しかし、彼らは元々カロリング帝國から派生した民族である。これを思い出せば、EUとはカロリング帝國の復活である、と誰だって分かるだろう。だから、EUに東欧や南欧の非ゲルマン人を組み入れようとする考えは間違っている。カロリング朝の崩壊により誕生したドイツとフランスは、別々の歴史街道を歩んだが、言語的には似通っているところが多かった。こんにちでは、ブゥランヴィリエ伯爵(Comte de Boulainvilliers)のように、フランスのゲルマン的要素を強調する学者は少ないが、初期のフランスがゲルマン的なのは確か。サリー・フランク族のクローヴィスはフランスの建設者と見なされるし、ゲルマニアを文明化し、カロリング帝國をキリスト教化したシャルルマーニュは、いかにもゲルマン人の帝王といった風格だった。フランス人はこの大帝を「シャルルマーニュ(Charlemagne)」と呼んでいるが、日本人からすれば、ドイツ風に「カール大帝(Karl der Große)」と呼びたくなる。それに、このカール大帝が話す言葉はガロ・ローマン語ではなかった。カールはラテン語を少しばかり習ったけど、普段はフランク語や高地ドイツ語をごちゃ混ぜにして話していたのだ。(ジョゼフ・カルメット 『シャルルマーニュ』 川俣晃自 訳 白水社 1955年 p.79)

Fichte Johann 2(左 / ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ)

  中華思想に凝り固まっているフランス人は、フランス語を最もエレガントな言葉と自慢しているが、ヨハン・G・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)に言わせれば、「死んだ言語」に外ならない。ドイツ人は故郷に留まって祖先の言語を保持すると共に発展させてきた。しかるに、ガリアへ移住したフランク人は、自分の言語を捨ててしまった。つまり、高級な外国語を取り入れて、自分に合うよう改造したのだ。他の言語に乗り換えなかったドイツ人は、先祖伝来の言葉を話し、単語の根源を実感できたり、それを遡って祖先の感覚を知ることができるという。しかし、ラテン語を取り入れて新たな言語を話すフランス人は、言葉の根源を辿ることができない。語源が分かっても「他人の言葉」であることには変わりがない。フランス人はローマ人の精神世界や感覚世界に入ることができないのである。フィヒテは述べている。

  ドイツ人が自然の力から初めて流れでる源泉に至るまで生きている言葉を話すのに対し、他のゲルマン系の民族は表面だけで生きていて根底においては死んでしまっている言葉を話す。(フィヒテ 『ドイツ国民に告ぐ』 石原達二 訳 玉川大学出版 1999年 p.65)

  ドイツ語はゲルマンの地で自然発生した言語(spontaneous language)だから、ラテン語を取り入れても基本的には継続した言語である。外来語でも自国語に置き換えれば、その意味が手に取るように分かるのだ。例えば、ドイツ人でもラテン語由来の「Humanität(人間性)」や「Popularität(大衆性)」、「Liberalität(自由性)」を口にするが、それらの意味を理解するには歴史的説明が必要となる。ローマ人なら「popularitas大衆性」と聞けば、「大衆の好意を得ようとすることだ」と理解し、野心家の候補者が世間の人々に対して慇懃な態度を取る姿を想像するだろう。また、「自由性(liberalitas)」と耳にすれば、「自由人や生まれの良い者にふさわしい言動」を思い浮かべるはずだ。これらの外国語がそもそも何を言い表すのかを、ドイツ人にドイツ語で分からせようとすれば、「humanitas」は「Menschenfreudlichkeit(人間を愛すること)」、「popularitas」は「Leutseligkeit(愛想の良いこと)」、「liberalitas」は「Edelmut(高潔な心)」と言えばいい。こういったドイツ語で説明すれば、ドイツ人は平民でも「なるほどねぇ」と直ぐ分かるのだ。

  日本人についても同じ事が言えるだろう。外来語で説明されると納得できない事でも、「日本語」で言い表せば簡単に分かることもある。例えば、「コンプライアンス(法令遵守/compliance)」とわざわざ英語で言わなくても、普通に「掟を守れ」と言えば済む話だ。また、米国のニュース番組などで、深刻な顔をしたキャスターが「精神分裂症」を「スキッツァフラニア(schizophrania)」と呼ぶけど、簡単に言えば「気違い(wacko)」だ。欧米だと、ギリシア語やラテン語から由来する専門用語を使うから、古典教育を受けていない一般人には“ちんぷんかんぷん”。階級によって使う言葉が違っている場合もあるんだから、民族によって異なる表現があっても当然だ。日本語にも外国語に訳しづらい言葉がある。例えば、「こころ」である。日本語を学ぶイギリス人なら、それが「胸」を意味するのか「頭」なのか、あるいは「精神」なのか、と迷ってしまう。

  また、外国人にとって、日本人が持つ感覚やその表現を理解できないこともよくある。我々がしばしば口にする「かわいい」という表現は、どんなものを見た時に発する言葉なのか分かりづらい。日本人はポケモンやトトロを見ると「かわいい」と言う。これくらいならアメリカ人も「キュート」みたいな表現だと分かるが、「ふなっしー」や「ねこラーメンの大将」が、どうして「ゆるキャラ」で「かわいい」のか分からない。「ゆる~い」といった表現は、日本人の独特な感性だ。当然だが、日本人にとって理解しづらい外国語もある。例えば、ドイツ人が同胞に向かって、「Gemütlichkeit(親しみやすく朗らかで快適なこと)」と口にしても、特別な説明は要らないだろう。しかし、日本人にはどうも“しっくり”とした訳語がない。フランス人だって訳しようがないから、そのまま「ゲミュートリッヒカイト」にしているのだ。それぞれの民族には固有の精神世界があり、それを伝達するには外国語では無理で、どうしても民族の言葉でなくてはならない。

フィリピン人程度の日本人

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(左: 和やかな夜のフィリピン人労働者 / 右: 不満を漏らす昼のフィリピン人労働者)

  日本人は日本語を粗末にしすぎる。日本人なら誰でも話せるから価値が低いのだろう。一方、英語は文法や語彙が日本語と全く異質だから、簡単に習得できないし、発音だって難しいから、誰でも直ぐにマスター出来るわけじゃない。したがって、英語で読み書きが出来て、発音もネイティヴ・スピーカーと同じになる日本人の数は限られてくる。だから、英語をペラペラ喋る程度で「すご~い」となってしまう。しかも、役人や企業が英語は世界の共通語だから、外国人と充分なコミュニケーションを取れるよう猛勉強しましょう、と呼びかけるから尚更だ。でも、日本人の子供が他の科目を犠牲にしてまで修得しようとする英語に、どんな価値があるというのか? 大半の子供は無理やり押しつけられた英語教育を途中で投げ出してしまうしか、嫌になって教科書を見ることすら拒否するだろう。第一、家庭で日本語を使っているのに、学校で1、2時間くらい英会話を習ったからとて、自分が言いたいことをスラスラ言えるわけがない。語彙が少ない上に、文法や発音までもが違う英語で、自分の考えを表現せよ、と命じられればフラストレーションが溜まるだけだ。オモチャを買って欲しい子供が、親に英語でねだるのか? 「ママァ~、あの~さぁ~ぁ、このフィギュア格好いいんだけど~、おうちに飾ったら格好いいよねぇ」てな具合に、間接的に購入をせがむだろう。いくら教育熱心な親でも、この“おねだり”を英語で表現しなさい、なんて我が子に命令はしないはずだ。可哀想じゃないか。日本に生まれた子供にとって、自分の複雑な心情や見解を表現するのに最も適しているのは母国語である。

  24時間英語だけの少数精鋭クラス、という特殊な環境に置かれた子供なら、英語を習得できるかもしれない。諜報員や外政官の育成がまさにそうだ。しかし、一般国民をスパイ並に仕上げる必要はないだろう。CIAで最も困難とみなされる外国語は、日本語やアラビア語である。ならば、逆に日本人が英語をマスターするのに困難を極めても当然だろう。英語の必修化を全国の子供に強制したら、英語の授業は単なる外人教師相手の「お遊びタイム」になってしまい、学校で遊んだぶん、塾で猛勉強せねばならなくなる。実際、大阪府立枚方市立中宮北小学校で行われた5年生の授業はひどい。教室には日本人教師2名の他、アメリカ人留学生のニコラ・シェスターさんが教壇に立ち、英語の挨拶を教えたり、動画を使ってアメリカや支那、フランスなどの「じゃんけん」を紹介していたのだ。児童が動画を見終わったら、ニコラさんが主導して、じゃんけん大会が行われ、子供たちはそれを“楽しみながら”学んだという。(「小学校の英語教育、何が行われている ? 」 Oricon Style 2015年6月30) 堀越校長はニコラさんが人気者で、保護者からもすごく評判がいいと自慢していたが、「じゃんけん大会」で無駄にした時間は戻ってくるのか? 子供時代の1時間は、中高年の1時間より貴重で、記憶力が歴然と違っているんだぞ。

  ある塾の経営者が言っていたが、「学校が馬鹿な事をやってくれると、我々は儲かるんです」と喜んでいた。学校が白痴化施設となれば、心配になった親は「可愛い我が子」を塾に送り出す。文科省が無茶な「英会話授業」を強行すれば、それを繕うために民間業者が「不安になったお母様」がたに、様々な特別コースを提供するから、益々塾は儲かる。その授業料を払うために、「お母様」たちはパート・タイムに精を出す。子供が帰宅して「ただいま」と言っても、誰も居ないから子供は無口になってしょんぼり。母親が居るだけで子供は安心感を覚え、知識の吸収に関心が向くようになる。子供は勉強部屋で一人でいるより、母親がいる居間や台所で宿題をした方がいい。昔の偉人が記した回顧録を読んだりすると、しばしば苦労しながら子の面倒をみた母親がいて、幼い時にその愛情を注がれた人が多いことに気づく。明治の頃、大逆事件で牢に繋がれ幸徳秋水は、自らの無政府主義や国家反逆罪をちっとも反省しなかった。ところが、自分の母親のこととなるや、老いた母を哀しませたことは罪深いと考え、たいそう心を痛めたそうだ。昔の日本では、こんなロクでなしのクズでさえ親のことを考えていたんだから、立派な愛国者ともなれば、両親への感謝は海より深いものになる。したがって、専業主婦を馬鹿にするキャリア・ウーマンは間違っている。温かい家庭で育った子供の方が断然成績が良いし、悪いことに誘惑されても心の何処かで抵抗するから、不良や犯罪者になる確率が低い。一方、冷たい家庭が増えて赤い官僚は大喜び。日本国をぶち壊すにはまず家庭から、というのが彼らのモットー。専業主婦に見守られ倫理観の強い子に育ったら、火炎瓶や角材をもって機動隊に突撃する革命戦士にならない。学生運動の感動を忘れられない左翼どもは、伝統社会に順応する子供が嫌いなのだ。

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(左:ウィリアム・シェイクスピア / パーシー・シェリー / ウォルター・スコット卿 / 右: 文豪に程遠いフィリピン人女性)

  「コミュニケーション」重視の英語教育など、フィリピン人を理想とした教育に過ぎない。スペインからお金でアメリカに委譲されたフィリピンは、英語圏になって原住民の多くが英語を喋るようになった。家庭ではタガログ語を話すフィリピン人も、学校や職場では英語を使うから、支配者のアメリカ人には都合が良い。奇妙な「なまり」が混じった英語でも、フィリピン土人の言葉よりマシである。欧米人は召使いに命令を下せればいいからだ。彼らはフィリピン人が立派な文学作品を生み出せるとは全く考えていないし、当のフィリピン人だってイギリス人が認める名作を生み出せるとは思っていない。シェイクスピアの演劇やシェリーの詩、ウォルター・スコットの小説なら率先して学ぶイギリス人だが、フィリピン人が書いた戯曲なんて馬鹿らしくて読む気にもならない。同様に、英語を公用語とするインド人やパキスタン人がいくら素晴らしいと思った小説でも、英国や米国の子供たちに学ばせる価値は無い。どんなにアジアで人気になっても、国語の教科書は載らないだろう。アジアにおける英語とは、劣等人種を調教するための“道具”である。フィリピン人は女中として働くために英語を習えばいい。南洋土人には日常会話で充分なのだ。それに、フィリピンの英語教育は、駐留するアメリカ人水兵にとっても好都合。茶色い娼婦との交渉がしやすいからだ。「安くて気軽な公衆便所」というのが、欧米人の対フィリピン人認識である。英語を話せるからといって、フィリピン人を尊敬することはない。フィリピン人など“性器に手足が生えた動物”程度にしか思っていないのだ。日本の学校が子供たちに英会話教育を施しても、しょせんアジア人並の低賃金労働者か外人相手の売春婦を大量に養成するだけである。

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(左: フィリピン人女性からサービスを受ける白人男性 / 右: 労働意欲旺盛なフィリピン人女性)

  英語熱は「怨み」が火元である。日本の親は教育熱心だから、学校で英語教育の必修化が始まれば、何としても我が子に英語を習得させなければ、と張り切るに決まっている。自分は英語が苦手だったから、子供にだけは同じ過ちを繰り返させたくはない、と考えてしまう。英語で手紙すら書けないし、会話なんかまったくダメという親が大半だから、国語教育を削ってでも、“英語教育を”と願う者が多いのだ。こうした親に限って、日本語の文章をきちんと書けなくても、英語が流暢なら我が子を一流企業に就職させることができると信じている。しかも、せっかく稼いだ給料を塾に費やして、無駄な英語教育を子供に与えるんだから哀れだ。長期間勉強しても、中途半端な英語しか身に付かない子供は、日本語の勉強を怠ったぶん思考能力が劣っているし、英語で表現する肝心な「内容」がスカスカなのだ。中央教育審議会が提唱する、英語のコミュニケーションを通して友達をつくるとか、外国文化への理解を高める、なんていう謳(うたい)文句は妄想だ。「アップル」や「オレンジ」といった単語の発音を聞いたから、子供の発音が良くなるとでも思っているのか? 日本の子供は「九官鳥」じゃないぞ。それに、「野球をしましょう(Let'splay baseball)」とか「おはじきをして遊びましょう(Let's play ohajiki)」程度の授業で、異文化の理解や異国人との交流が高まるとは到底思えない。それなら、我が国の歴史教育をまず改善する方が先だろう。自分の祖先を呪う教科書で洗脳された子供は、どんな風に自分と祖国を英語で外人に紹介するんだ? 日本人を外国人の下僕にするための英語教育だから、英会話ができるだけでいいと思っているのだろう。

  文科省は将来の日本人をグローバル企業で使い捨てにされる「アジア人」にしたいのだ。口では「国際化時代だから」と言うが、「お宅のお子さんを国際的ブラック企業で働かせるのが目標です」というのが、彼らの本音だ。でも、こんなことを漏らしたら大騒ぎになるから黙っているだけ。子供の勉強時間は限られているのに、英語教育をゴリ押しする人は、よっぽど従来の英語教育に怨みがあるのだろう。狡賢い官僚は大衆の怨念を利用して、愚民化政策を推し進めようとするから悪質だ。政府の責任者たる安倍首相だって罪が重い。安倍氏の英語はとても留学経験のある人物とは思えないほど拙い。しかし、二回も日本国の総理大臣になれたんだから、英語能力と政治生活は関係が薄かったのではないか? 安倍氏は堂々と「英語より国語を重視します」と訴えれば良かった。そう言えなかったのは、安倍氏にも英会話への劣等感があったからだろう。重厚な文化を持つ日本人が、祖先から伝わる国語を捨てて英語を優先するなど馬鹿げている。ちょっと正確に思い出せないのだが、英会話を上達するために、家庭での会話をすべて英語にする、というコメディー・フィルムがあった。滑稽なのは、英語のルールにしたら、家族の団欒が消えて、みんなが無口になったことである。笑いの後に虚しさが残っていたのが印象的だった。英語を強要された会社員は、赤提灯でも英語を通すのか? 上司の悪口も英語なら大したものだ。




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恥辱で震える朝鮮人 朝鮮人は出て行け 「追撃編」

嫌いな国にやって来る朝鮮人

  四角四面の世の中で、意地を通せば角が立つ。丸く収めりゃ腹が立つ。木の葉が沈んで、石が浮く。恨みつらみは色々あれど、じっと堪(こら)えて、いち、に、さん。石の上にも三年だ。空を眺めりゃ、涙もとまる。きっといつかはいいことあるさ。渡る世間にゃ鬼ばかり、とは限らない。人情あふれる日本なら、袖振り合うも何かの縁。神様だって情けはあるさ。鮮人、変人、異邦人、と嫌われ者でも拾ってもらえる。日本に優(まさ)る国はなし。差別も区別も紙一重。世間を恨むな。自分を磨け。とまぁ、こんな調子で説教しても、分からないのが朝鮮人。朝鮮半島の南鮮人が、どんなに我が国を憎んで呪っても、我々は静観すべきである。彼らにだって表現の自由はあるだろう。南鮮国内なら、どんな醜態を晒そうがお構いなしだ。バカは死ななきゃ治らない。日本の庶民は、捏造歴史で教育された鮮人が、怒り狂って反日宣伝を繰り返す事に文句を垂れるが、糞尿まみれの後進国にふさわしい民族なんだから、放っておけばいい。我々にとって問題なのは在日朝鮮人である。日本国民の精神を汚すので取り締まらなくてはならない。そして、文明人が住む欧米だけには、正しい知識を授けてやることが肝要だ。日本人にとって対等な民族は、西歐人だけなんだから。しかしその前に、我々も在日朝鮮人の異常性を再認識する必要がある。

  昭和のニュー・ミュージック時代に、久保田早紀が歌っていた『異邦人』という曲が流行っていた。「あなたに、とって私ただの通りすがり~、ちょっと振り向いただけの異邦人」くらいなら許せるが、日本の自由と福祉を享受しながら、我々に怨念を抱く朝鮮人は見逃せない。便器洗浄剤のCMで、「臭いニオイは元から絶たなきゃダメ」というフレーズがあった。それに倣えば、「うるさい鮮人は元から根絶しなければダメ」となる。在日朝鮮人が繁殖し、傲慢にも日本人に刃向かうようになったのは、彼らの民族性もあるが、一番の責任は日本人にある。甘やかしたツケが廻ってきたのだ。在日朝鮮人すべてを批判できないから、とんでもない考えを抱えた有名鮮人を二三挙げてみたい。

  皆様ご存じ、朝鮮人の巣窟となったTBS。日曜日の朝はゆっくりくつろぎたいのに、テレビをつければ左翼の奴らが雁首並べてピーチク・パーチク喋っている。関口宏の『サンデー・モーニング』には、左翼コメンテーターばかりが出演し、ことさら日本を貶め、中高年の血圧を高めているから、日本人に害を及ぼす不健康番組と言えよう。関口宏の横でふんぞり返る張本勲(はりもと・いさお)も目障りだ。こんな朝鮮人が公共の電波に乗って、毎週喋っているなんて不愉快以外の何物でもない。彼の(本名/張勲)両親は昭和15年に、3人の子供を連れて日本に渡ってきた。四人目の子供である勲は、昭和15年の日本生まれである。4歳の時、川辺で焚火(たきび)遊びをしていたところ、突然トラックが突っ込んできて、彼は焚火の中に押し倒され、右手の薬指と小指がくっついたようになってしまったそうだ。右手に火傷を負った時、彼の母親は勲少年を抱えて、病院を3、4軒廻ったが、どこも「朝鮮人のベッドはない」と断わってきたという。彼の母親はたいそう困ったそうだ。(『現代』昭和57年2月号 ) その後どうやって治療したのか分からぬが、張本氏は過去を回顧して、彼の母親とその世代の在日朝鮮人は、こうた差別による「痛み」を肌で感じていたという。

  だが、張本氏を断った病院にも、治療を「拒否」するだけの理由があったのではないか? 昭和19年当時の日本には、貧乏な朝鮮人が多かったから、病院側が治療費を請求しても、朝鮮人たちが払うとは限らない。現在のアメリカだって、治療に訪れた患者がまず訊かれるのは、保険に加入しているかどうかだ。保険無しの患者は追い返されるのが普通である。国民皆保険制度のある日本では考えられないだろうが、中流階級のアメリカ白人は、同情が湧かない有色人種のために余計な税金を払いたくないのだ。健康管理もできず、ジャンク・フードで肥え太る黒人や、だらしない生活が日常の南米移民が、税金の補助で高額医療を安く受けられるなんて許せない。日本だって、親切心からアジア人を介抱してやったのに、治療費を踏み倒されて泣き寝入りした病院だって多い。移民推進派は外人の為に余計な税金を払うと約束できるのか? そういえば、日本テレビはアナウンサーたちの給与を大幅にカットしたというが、アジア移民のために更なる給料カットを断行し、移民への治療費に充てるつもりはあるのか? そんなことはまずないだろう。では、NHKやフジテレビ、テレ朝はどうなんだ? 具体的なお金となれば腰が引けるだろう。移民輸入を支持する在京テレビ局は、大企業のスポンサーに1兆円くらいの「ご寄付」を募るべきだ。張本氏は冷酷な日本の病院を非難するが、彼の祖国南鮮では平民に対する医療福祉が、そんなに充実していたのか? 日本人によって“殖民地化”されるまでの朝鮮だと、牛の小便や人糞が治療薬であったから、まともな医学は皆無に等しかった。憎いはずの「日帝」によって、どれほどの朝鮮人が救われたことか。張本勲は日本人の野球にどうこう文句をつける前に、日本人による多大な恩恵を勉強しろ。

  在日朝鮮人は事ある毎に、日本人からイジメや差別を受けたと、幼い頃の思い出をよく話す。しかし、学校や近所の子供から「チョーセンジン」とからかわれても、学校がなかった朝鮮に留まるよりマシだろう。日韓併合で“日本国民”に昇格したから、貴重な義務教育を受けることができたのだ。日本国民なのに無知蒙昧ではいけない、という日本政府の方針により、近代文明に浴することができたのである。第三世界では今だってこんな“贅沢”は期待できない。例えば、日本人なら算数で分数とか体積、速度を習うが、アジアやアフリカの子供だと、その概念さえ掴めない者がいる。3分の1はどんな数量なのか見当もつかないし、トポロジーやアルゴリズムなんて宇宙人の言語にしか思えない。朝鮮人の若者が日本の教育を受けられたことは、スペースシャトルに搭乗できたくらいの感動になる。当時、朝鮮の庶民など、両班にとって家畜と同じ扱いだった。日本統治時代、医学を学ぼうとした朝鮮人に、日本人が「心臓の位置は?」と尋ねたところ、胸のあたりをグルグル触って戸惑っていた、という逸話がある。絶望しかない朝鮮だから、張本氏の親は日本に移り住んだのである。しかし、勲少年は日本人からの侮蔑に憤慨したのだろう。念願の甲子園出場を果たせなかった張本氏が、浪華商業学校で頑張ったのは弁論大会だった。5歳の時広島で被爆したことから、1年生の時に原爆について語り、3世になると同和問題を演説したという。いずれの大会でも優勝したそうである。(小林靖彦編 『在日コリアン・パワー』 双葉社 1988年 p.108) 朝鮮人が同和問題を取り上げれば、そうとうなパンチが効いてるから、日本人生徒の演説が霞んでも当然かもね。

  張本氏はプロ野球界に入った年に、パ・リーグ新人王を獲得し、以後は広角打法を編み出して、昭和45年には3割8分3厘4毛の高打率で首位打者になった。昭和55年には、前人未踏の3千本安打も達成し、23年間に及ぶプロ野球生活で数々の記録を打ち立てたそうだ。終身通算打率でも3割1分9厘を記録し、川上哲治の3割1分3厘を抜いた。首位打者通算7回というのも、長嶋茂雄の6回を上回る最多記録であったらしい。しかし、張本氏の人気は川上氏や長島氏を上回ったのか? 長嶋茂雄監督は一旦引退してからも、ファンの要望で監督に復帰し、王貞治監督率いるダイエー・ホークスを破って、日本リーグ優勝を果たしている。脳梗塞で倒れてからは、テレビに登場しない長嶋氏だが、野球ファンは今でも長嶋氏の雄姿を忘れていないし、その人気は依然として高い。日本人は日本人のヒーローが欲しいのであって、日本を恨む朝鮮人を敬仰したくないのだ。それに、日本人は台湾人の王貞治選手を尊敬していたから、あながち民族差別主義者ではない。筆者も小学生の時王選手の一本足打法を真似て、王選手はやっぱり「すごいなぁ」と尊敬していたものである。子供だったが王選手が日本人ではないことを知っていたが、漫画の「王選手物語」を読んでいたので、勤勉で努力家のホームラン王を好きだった。当時、プロ野球は最も人気のあるスポーツで、王・長嶋時代は巨人の黄金期と今でも思っている。日本人が張本氏を心から好きになれないのは、彼が醸し出す朝鮮人独特の“反日”オーラのせいかもしれない。我々は本能的に、張本氏から滲み出る悪臭を感じているのだろう。日本が好きで陽気な王監督とは対照的である。

ダサい朝鮮人はあっちへ行け

  粋な江戸っ子は“野暮”なことが大っ嫌い。群馬の暴走族、埼玉の不良、茨城の田舎者、を馬鹿にするのはしょうがないのかも。華のお江戸に住まない者に、長年に亘って培われてきた感覚を理解せよ、と言っても無理な話だ。筆者は中学生のとき、アイドル歌手の「追っかけファン」を見て、ダサ~いと思ってしまった。声楽の知識さえ無い音痴の小娘に入れ上げるなんて、郭(くるわ)の女郎に惚れ込んだ駕籠(かご)かきみたいで情けない。鉢巻き締めて、お揃いの法被(はっぴ)を羽織るなんて御免蒙る。とはいっても、筆者だって小学生の時、貯金箱の小遣いはたいて、ザ・ノーランズ(The Nolands)やシェリル・ラッド(Cheryl Ladd)のLPを買ったことがあるから、似たようなものかもしれない。ちょっと前、ノーランズの筆頭歌手バーニー(Bernadette T. Nolan)が亡くなってので、非常にショックだった。来日した時の動画を何回も観て、しばらく感慨に耽ってしまったことがある。最近はついナツメロに走ってしまい、小学生の時によく聴いたシェリル・ラッドの「ダンス・フォーエバー」や「テイク・ア・チャンス」が懐かしい。(ちなみに『チャーリーズ・エンジェル』に出ていたシェリル・ラッドの吹き替えをやっていた声優は、小川茉美さんで、アニメ『Dr.スランプ』で則巻きアラレの声を担当していた人物だ。また、TVドラマ『ワンダー・ウーマン』で主演していたリンダ・カーターの吹き替えを担当したのは由美かおるだった。昔は、人物に合った声優が選ばれていたので良い時代だった。) ザ・ローリング・ストーンズのチケットを高価でも買うファンの気持ちがよく分かる。キース・リチャードの亀みたいな皺を見ると、過ぎ去った日々の長さが偲ばれよう。

  ナツメロを話すと長くなるのでやめておくが、朝鮮人のファッション感覚や音楽センスには“ダサい”ものが多い。藝名「白竜」で知られる田貞一(偽名は高山貞一)は、朝鮮人らしくヤクザとかゴロツキがよく似合う。池上遼一の漫画『HEAT-灼熱』が実写化された時、白竜は「関西山王会」四代目第項の石倉を演じたという。筆者は漫画の映画化には原則反対なので観ていないが、たふん彼にはヤクザ役が似合っていたのだろう。(ついでに言えば、池上氏のヒット作『クライング・フリーマン』も実写化されたが、正直言って余りにもお粗末で、原作を台無しにしている。) ガラの悪い極道と悲惨な乞食を朝鮮人が演じたら超一流だ。これだけは日本人が敵(かな)わない才能である。やはり、下品な家庭で育った子供には勝てないよなぁ。朝鮮人の家庭では、酔っ払って手に負えないオヤジとか、ゴロツキのオジさんが家に出入りしたり、で幼い朝鮮人は肌で“穀潰し”を理解するからだ。それに、朝鮮学校へ通えば、愚連隊の不良どもがうようよいるし、少年刑務所みたいな教室だから、粗暴なしぐさが直ちに身につく。今は俳優として有名な白竜だが、元々は歌手として芸能界に進出したという。彼のデビュー曲は、自ら作詞作曲した『アリランの唄』であった。

  白竜は曲の前半で在日1世の悲哀を語り、一転して激しいビートにのせて2世3世たちの情熱を唄いあげているそうだ。YouTubeで彼のライブ映像を観たが、本当につまらない歌である。だいたい歌詞が笑ってしまうじゃないか。

  アリラン・アーラーリーヨ
  アーアーリラン
  アリラン峠を 越えて行く
  酒を飲んだアボジの歌うたう
  それは故郷のメロディ あの時の玄界灘か
  ・・・・・
  過去をあまりりり話さぬ アボジの青春物語
  それは九州からカラフトまでの苦い青春
  夜汽車の窓から眺めた異国の町
  ・・・
  (註/「アボジ」とは朝鮮語で「父親」を意味する。)

  こんなダサい歌詞を書いて、ロックン・ローラーを気取っているから馬鹿にされるのだ。この白竜はデビューする前、吉祥寺あたりでライブ活動を行っていたという。そんな売れない頃、自信をなくして九州に帰ったとき出逢ったのが、あの沖縄の極左議員、喜納昌吉(きな・しょうきち)である。「類は友を呼ぶ」というが、日本を激しく呪う朝鮮人と、本土に対する怨恨で飯を喰う沖縄人が、共に差別される同類として意気投合したのだ。喜納昌吉は民主党の参議院議員になり、我が国の国益を阻害する「朝鮮半島問題研究会」の幹事を務めていた。日本に対する憎悪感で結ばれているんだから恐れ入る。本土の日本人が困ることで快感を得る沖縄人なら、民族差別に苦しむ朝鮮人に同情を抱いてもおかしくはない。ちなみに、この喜納はかつて麻薬不法所持で逮捕された前科を有し、沖縄刑務所帰りであるそうだ。沖縄の米軍基地にケチをつけることで、左翼の沖縄県民にアピールしたかと思うと、その一方で、アイヌ問題にまでしゃしゃり出ていた。要は、日本人から嫌われたり差別された人間と連携して、反日行動を展開するのが仕事なんだろう。こんな奴に税金から議員報酬が支払われていたのだ。

朝鮮人には特別配慮をする大学

  南鮮や北鮮で何らかの問題が起きた時、テレビ局はしばしば元『コリア・レポート』編集長の辺真一(ピョン・ジンイル)をゲスト解説者として招く。彼の両親は済州島(さいしゅうとう)の出身だという。朝鮮人は日本人からの侮蔑に腹を立てるが、その朝鮮人だって国内差別が激しい。朝鮮人がよく口にする「人はソウルへ、馬は済州島へ」などもその一つだ。歴史的に流刑地だった済州島だから、そこに住む朝鮮人は京城(けいじょう/ソウル)の都会人(?)から馬鹿にされたのだろう。民族意識の強い家庭に生まれた辺真一は、自然な成り行きとして朝鮮小学校に入り、朝鮮高校にまで進んだが、朝鮮大学に行くことはなかった。彼は英文科志望だったので、英文科のない朝鮮大学に進みたくなかったという。でも、かりに英文科があったら、アメリカに潜入するスパイの養成機関になっていたかもしれない。日本人は朝鮮人の民族学校を日本の学校みたいに考えているが、実態は民間人が勝手に「学校」との看板を掲げているだけで、個人の塾みたいなものである。学校法人によって運営されているが、「一条校」、つまり学校教育法の第一条で定められた教育機関ではなく、各種学校扱いなのだ。しかも、朝鮮総連の傘下にあるから、実質的に反日分子の製造工場である。有名な話だが、下関朝鮮初中級学校の校長をしていた曹奎聖(そう・けいせい)は、覚醒剤密輸の容疑で国際指名されてしまった。学校の責任者が北朝鮮から密輸される覚醒剤を扱っていたなんて、普通の日本人は腰を抜かして驚くだろう。しかし、朝鮮学校はテロリスト養成機関という一面をもつので驚くには値しない。

  英語を学びたかった辺氏は、青山学院大学を選んで、受験の申し込みをしたそうだ。しかし、受験日の前日に、彼のところに大学側から電話が掛かってきたので、辺氏は大学の事務局に行ってみた。すると、大学側は願書は受けいれられないので、受験料の返金を行うと言い出した。大学が誤って願書を受理してしまった、というのだ。つまり、高校卒の資格が無い辺氏には受験資格が無かったのである。正式な学校ではなく、単なる朝鮮人の集まりを“卒業”したって、何の学歴にもならない。中卒のみならず小卒ですらないのだ。したがって、朝鮮高校の「卒業生」は、堅気ならパチンコ屋か朝鮮料理店(いわゆる「焼肉屋」)に就職で、能無しの不良なら暴力団か朝鮮総連に転がり込むしかない。まともな民間企業が、朝鮮学校の卒業生を雇うわけないじゃないか。手榴弾でキャッチボールをしないのと同じことだ。朝鮮人を雇って後悔している積水ハウスを思い浮かべれば分かるだろう。(積水ハウスの朝鮮人社員が、顧客と揉めて問題になった事件は有名である。)

  青山学院を門前払いとなった辺氏は、しかたなく明治学院大学を受験したそうだ。彼は試験に合格したが、大学の事務局は彼に受験資格が無いことを問題にしたという。当然だ。日本人の受験生は、ちゃんと合法的な高校を卒業して願書を提出していたのである。受験の条件を満たしていない辺氏を問題としてた事務当局に対し、教授会は彼を特例として認めてくれたそうだ。これが前例となって、翌年から朝鮮高校の後輩も1、2名づつ入学できるようになったという。(『在日コリアン・パワー』 p.221) また、朝鮮人特権が発生したのだ。朝鮮人だと“特別な配慮”がなされるというのは逆差別である。左翼が牛耳る教授会だから、日本人から「虐げられる」在日朝鮮人は、保護しなければならない、と考えたのであろう。これはいかにも、「弱者」に味方することが格好いいと思っている大学教授がやりそうなことである。世間の噂では、TBSの社員募集には「朝鮮人枠」があるらしい。たしかに、在日南鮮人の李民和は「在日」という身分を活用して、まんまとTBSに入社したようだが、採用試験に落ちた日本人応募者は、どう思っているのだろうか?

血統から来る日本人への恨み

  「帰化鮮人は日本人なのか?」という質問に、はっきりと答えられない日系国民は多いと思う。在日朝鮮人が日本国籍を取る理由は、結婚とか就職、進学などの節目によるものから、外国旅行が便利だからというものまで様々。“日本国民”になることは、国家に忠誠を誓い、日本人を同胞と思うことだ。しかし、帰化鮮人はこれに抵抗を覚えるし、日本人だって彼らを仲間と思いたくない。朝鮮人は日本人が民族差別をするから、朝鮮人が日本人を嫌うのだ、という理屈を持ち出す。しかし、血族意識の強い朝鮮人は、我々が崇敬する皇室を敬愛することを躊躇(ためら)う。ひねくれ鮮人には、天皇陛下を「あのジジィ」とか「無駄飯喰い」と呼び、「日帝の親玉」あるいは「侵略者の頭目」という認識しかない。それもそのはずで、在日2、3、4世は日本で生まれるが、「非日本人」として育つのだ。しかも、生まれた時から下等民族の屈辱を味わう羽目になっているので、毎日毎日、「劣等感」という大海の中で浮かんでいるようなものである。したがって、日本を愛するより、憎む気持ちが強くなるのも当然であろう。

  在日朝鮮人は外国人だからいいとしても、帰化鮮人は日本国民になったのだから、高度文明国に属する、という意識をもたねばならない。朝鮮半島の気違い国民が、日章旗を燃やしたり、総理大臣の写真を引き千切りながら、「殖民地支配と侵掠の歴史を謝罪せよ !」と叫んでも、彼らの自由。我々はゴミ溜の中でゴキブリが踊っても気にならないじゃないか。しかし、自宅の台所に忍び込んだゴキブリはスリッパで叩き潰すか、ゴキブリ・ホイホイを設置して捕まえるしかない。我々は国内を綺麗になするため、不逞鮮人の国籍を剥奪するか、帰化した朝鮮人を再教育しなければなせないのだ。つまり、日本国民になった朝鮮人は、捏造の歴史ではなく、一次資料に基づく“学問”としての歴史と、そうした事実を日本人の目で“解釈”する、という点を覚悟せねばならない。まず、密入国してきた在日1世の祖父母が拵(こしら)えた嘘や、その作り話を鵜呑みにした両親の戯言(たわごと)を、きれいさっぱり削ぎ落とす必要がある。日本人は朝鮮人の子供に「可哀想だから」と遠慮するが、立派な日本国民に育てたいのであれば、厳しく躾けるべきだ。劣等国の朝鮮にいる時はいいが、文明国の日本に住むなら、事実の捏造はダメなんだよ、と教えなければならない。

  朝鮮人の家庭では嘘の歴史を子供に教えることは珍しくない。朴聖姫(ぼく・せいひ)というシャンソン歌手がが、家庭で伝えられた日鮮の歴史を披露していた。彼女の父親、朴啓秀(ぼく・けいしゅう)は、李朝時代に宮廷の幼稚舎に勤める両班の父を持っていたそうだ。しかし、日韓併合に抗議して職を辞した後、これといった職に就かなかったので貧しくなった。それで、徐々に所有地を食いつぶし、家財を売り食いしながら暮らす羽目に陥ったという。そんな没落両班の家庭に育った朴啓秀は、弁護士になりたくて昭和の初め18歳の時、日本にやって来た。この例でも分かる通り、極貧の朝鮮に生まれた若者は、憎いはずの「日本」に“希望”を見出して渡ってきたのである。実家からの送金が途絶えて学業を断念した朴氏は、役所の前に早朝から並んで順番を待つ、日傭い労働に従事したという。1日働いても1円40銭しかもらえず、1週間に1回仕事が回ってくれば良い方だった。戦後は朝鮮人仲間と色々なことをしてお金を溜め、かなり裕福になったらしい。恐らく闇市で儲けたんじゃないか。そんな朴氏は、娘の聖姫に厳しい民族教育と躾を授けたようだが、クラッシック音楽のレッスンも与えたという。朝鮮戦争で同胞が血みどろの民族対立を繰り広げているのをよそに、自分の娘(当時6歳)にはピアノの稽古をさせていたのだから、朴氏は日本に住めることが、どれほど有り難いことか分かっていたはずだ。

  幼い頃からクラッシック音楽の勉強が出来るという、夢のような暮らしをしていた聖姫は、とんでもない歴史を親から聞かされていたのだ。彼女によれば、日本に併合された頃の朝鮮人は、「まったくの文明民族」で、「あまりにもお人好し」だったそうだ。(『在日コリアン・パワー』 p.151) おいおい、なに寝ぼけたこと言ってやがんだ? 「文明民族」だと? 日本人なら、「お前、李朝時代の写真を見たことがないんだろう」と言いたくなる。まぁ、「朝鮮は日本に儒教を教えてやった文明国だ」、とジイさんかオヤジから教わったんだろう。その“お人好し”の朝鮮に、伊藤博文をはじめとする野蛮な日本人が、朝鮮の宮廷に乗り込んできて、「日本刀で脅かしながら」無理やり併合に調印させてしまったのだ、と彼女は信じている。この作り話は、たぶん三浦梧楼(みうら・ごろう)公使による閔妃暗殺疑惑の話が、何かの噂とごちゃ混ぜになって出来上がったものだろう。ちなみに、「乙未(いつび)の変」と呼ばれるこの事件で、閔妃(みんぴ)を実際に殺したのは訓練隊を率いた李斗璜と禹範善たちと言われている。(中村粲 『大東亜戦争への道』 転展社 平成2年 p.70) 閔妃殺害の実行犯と目された三浦公使は、裁判で証拠不十分で無罪となった。

  一般の朝鮮人にとって歴史学は縁の無い学問だし、朝鮮の歴史的事実はみじめ過ぎて学ぶ気になれない。朝鮮人が感情的に日本を憎む原因として、まず個人的な経験がまず挙げられる。困窮した家庭で育った朴聖姫は小学生の頃、税金滞納で両親や祖父が日本の役人に侮辱されたことを恨んでいた。滞納した税金を取り立てに来た日本人は、彼女の祖父に向かって「キサマ、コノヤロー」と言ったそうだ。その侮蔑語に怒った聖姫は、その役人に食ってかかったという。すると、その役人は「キサマ」とは「貴い様」と書くから悪口じゃない、と言われ、反論できず悔しさを噛みしめたらしい。だが、我々はここで注意せねばならぬことがある。朝鮮人の昔話には事実の省略や、勝手な解釈および断片的記憶が渾然となっているから、そのまま信じることはできない。もしかしたら、役所が何度も納税を催促したのに、一向に応じなかったのかも知れないし、役人に対して無礼な口を利いたのかもしれない。また、屁理屈をこねて拒絶する場合だったあるのだ。例えば、朝鮮人や支那人は納税のことで窮地に立てば、日本の侵掠を持ち出して、自分が税金を払わない理由にすげ替えることもある。それに、朝鮮人の態度が傲慢だったり、普段から素行が悪いと、日本人の役人だって、つい「このチョーセン野郎」と怒鳴りたくなってしまう。とにかく、朝鮮人と「理性的」に話すことはできない。日韓首脳会談を何度行っても、歴史問題に終止符を打てないのは、朝鮮人にとって議論とは、相手を屈服させるための行為であるからだ。真面目な日本人が呆れてしまうのも無理はない。

  朝鮮人の怨念が経験に由来する例をもう一つ挙げてみたい。昔、早稲田大学の陸上部に、金哲彦(きん・てつひこ/偽名は「木下哲彦」)というマラソン選手がいた。彼は在日北鮮人で中学生の時は、日本名の「木下」で過ごしていたという。しかし、高校三年生の夏休みに朝鮮総連系の集まりに参加し、全国からやって来た朝鮮人青年と合宿を行ったそうだ。彼は新潟の朝鮮中学で寝泊まりしたり、あの「万景峰号」に乗船し、会食を交えて朝鮮人同胞と議論したことがあるという。金氏は同年代の朝鮮人と交流し、彼らに在日鮮人の苦しみや悩みを打ち明け、互いに批判することで民族意識に目覚めたらしい。その合宿を経て学校に戻った時、陸上部の仲間の前で、「本名宣言」ならぬ「朝鮮人宣言」を行った。(上掲書 p.136) 部活の日本人たちは静かに彼の話を聞き、みんなが「ガンバレ」と言って励ましてくれたそうだ。そんな彼は早稲田大学に進んで、箱根駅伝に「朝鮮名」で出場し、「山登りの木下」という異名を得るくらい良い成績を残したという。

  そんな金氏は小・中・高と日本人の学校に通い、勉強に励んだようだが、社会科の時間は辛かったという。中学時代は朝鮮人の本名と出自を隠していたので、級友たちは彼が在日朝鮮人3世であることを知らなかった。歴史の授業になれば、日韓併合とか朝鮮人問題が教科書に出てくるから、苦しみながら授業を受けたという。彼は回想している。

  ものすごく嫌でした。だから、その部分は聞かないようにするんです。それから、日本の子供がよく使う“チョーセン”という罵倒の言葉。ホント、嫌だった。相手を殴りたいけど、殴るとバレるでしょう。もう、ぶるぶるふるえていましたよ。子供ながらに、心臓が締め付けられる思いだったですね。(上掲書 p.135)

  いまでも朝鮮人の素性を隠している帰化鮮人は、テレビ局の報道番組で北朝鮮や嫌韓デモを耳にすると、心臓が締め付けられるような苦しみを味わうんじゃないか。もし、自分の素性を知らない友人が、「韓国人って本当に鬱陶しいよなぁ」とか「朝鮮人って嫌い」とか口にすれば、ムっとくるし、即座に反論したいけど、帰化鮮人問というのがバレるのが怖いから黙るしかない。日本人男性を好きになった朝鮮娘が、恋人を自宅に招きたくないことだってあるだろう。両親や兄弟に会わせたり、自宅にある朝鮮風の装飾品を見られたら恥ずかしい。親は朝鮮民族の誇りをしつこく語るが、娘からすればチマ・チョゴリなんてダサくて着られないし、朝鮮由来のもので自慢するものがあるのか、と反駁したくなる。 彼女たちにとって一番嫌なのは、「朝鮮人であっても全然気にしないよ」と言ってくれる友人が、何かの出来事でほんの一瞬、朝鮮嫌いを垣間見せた時である。差別心など全く持っていないと公言する日本人が、心の奥底で押しつぶすように持っている「侮蔑心」を見せた時、在日朝鮮人はいたく傷つく。朝鮮人に味方する“リベラル派”の日本人は、朝鮮人を「格下の弱者」と見なしているから、「保護」せねばならない、という使命感が生まれてくるのだ。

朝鮮人の容姿が嫌い

  もし、外国人に生まれるならイギリス人やフランス人がいい、と母親に嘆く朝鮮人の子供を以前紹介したことがある。子供は正直だ。大人がいくら建前を述べても、すぐさまその偽善性に気づく。朝鮮人の子供をクラスメートにもつ日本人児童も、ソリが合わない異民族を排斥したいという拒絶反応を示す。子供だからなぜ朝鮮人を受け容れたがらないのか、理路整然と述べることは出来ないし、大人から叱られれば依怙地になって、更に朝鮮人が嫌いになる。朝鮮人を差別してはならない、と説教する大人だって、朝鮮人の遺伝子は出来れば避けたいと考えてしまう。他人の家庭についてなら、人類愛や民族平等主義を口にできるが、自分の家庭となったら話は別。自宅で毎日毎年365日、理想論を突き通すことはできない。もし、朝鮮人が息子の嫁とか娘の亭主になった場合、日本人の親はどう思うのか? また、もし家門を継ぐ養子を取る場合や、朝鮮人の子供で納得するのか? それに、子供をつくれない日本人のカップルが体外受精を選ぶ時も本音が現れる。仮に、自分たちの精子と卵子が使えない場合、朝鮮人の卵子や精子を勧められて了承するのか?

  欧米では人種の好き嫌いは建前上タブーとなっている。しかし、自分の子供となれば、真剣に人種のことを考えてしまうのだ。例えば、自分の子供を持てない人物は現実を直視する。不妊治療を受ける高所得の白人女性や、子供に恵まれない裕福な白人カップルだと、他人の精子や卵子を使って赤ん坊を得ることがあるが、その際、自分たちが望む容姿の赤ん坊を選んでしまうのだ。いわゆる「デザイナー・ベイビー」である。広い世の中には、「あなたが望む通りの赤ん坊を設計できますよ」というキャッチ・コピーで、赤ん坊を製造販売する業者が存在するのだ。こういったビジネスを営む一つが、インドに拠点を置く「ワイザックス・代理出産コンサルタント(Wyzax Surrogate Consultancy)」である。インドのデリーで代理出産仲介業を営むヴィヴェク・コリ(Vivek Kohli)とジャガジート・シン(Jagatjeet Singh)は、子供に恵まれない裕福な西歐人相手に、赤ん坊を斡旋して儲けていた。彼らは不妊に悩む夫婦ばかりではなく、同性愛カップルからも、赤ん坊の注文をとって生産ししていたのである。彼らは顧客からの要望に応え、自分に似ている赤ん坊が欲しいという者から、金髪で青い目の赤ん坊を欲しいという人にまで対応していたそだ。まあ、ペットの犬を購入する時と同じ要領である。

  ワイザックス社はまず材料となる卵子を獲得するため、ウクライナやリトアニア、グルジア、ウクライナ、ベラルーシといった比較的貧しい白人国で捜すことにした。西欧社会では薬品を使って卵子を取り出すことに応募してくれる女性は少ないし、ましてやゲルマン系の白人女性となればもっと難しくなる。それなら、経済が思わしくない白人居住地で、若くて美しい女性を捜した方が楽だ。卵子提供者は誰でもいいわけではない。ワイザックス社は提供者の容姿はもちろんのこと、遺伝病を持っていないかとか、知能指数は高いのかとか、さまざまな要素を精密に検査してから、契約を交わすという。契約が決まったら、医療設備の整ったアメリカのボストンやカルフォルニアに女性たちを送って、そこの医療クリニックで卵子を取り出し、精子を注入して受精卵を作る。ちなみに、ひと束(カップ?)750ポンド(約13万9千900円)の値段になるという。それを冷凍して、こんどはインドに輸送するのだ。先進国のアメリカでは代理母になる女性は滅多にいないし、仮にいたとしても高額な手数料を要求するので割に合わない。だから、後進国のインドで代理母を募集し、彼女たちの子宮に解凍した受精卵を埋め込むのである。貧乏なインドならお金に釣られて、子宮を貸す女性に不足しないし、出産までの費用だって相当安くなる。こうやってグローバル・ベイビーが誕生するのだ。(David Jones, The designer baby factory, Daily Mail, 4 May 2012)

  日本だと赤ん坊を受注生産して販売するなと、倫理に反するとして非難する人も多いだろうが、ビジネスの世界では本音の欲望に企業が応えているのだ。それに、子供を欲しいと熱望する西歐人カップルが、白人の赤ん坊を希望しても不思議ではなかろう。やはり、アジア人や黒人の赤ん坊より、白い肌のヨーロッパ人に見える子供の方が問題は少ないし、より大きな愛情が生まれてくる。毎日だっこしオムツを取り替える赤ん坊が自分と違った人種では気が滅入ってしまうじゃないか。黒人はもちろんのことユダヤ人などは、こうした白人の赤ん坊を好む傾向に警鐘を鳴らすが、それは彼らの嫉妬心から湧き起こる反対論だろう。自分たちが憧れても手にできないゲルマン的容姿を白人たちが重要視すれば、ユダヤ人の中東アジア的肉体が浮き上がってしまうからだ。ナチ・ドイツがアーリア人の赤ん坊を増やそうとしたレーベンスボルン計画を思い出し、ユダヤ人蔑視が再発するのでは、と騒ぎ出す。しかし、西歐人が自分の種族を増やすことが悪いというのは納得できない。西歐人が金髪や青い瞳、ゲルマン的顔立ちに高い価値を置いても、それは彼らの勝手である。人生色々、人種も色々だ。「蓼(たで)喰う虫も好き好き」と言うじゃないか。ゲルマン的容姿を称賛することに懸念を示すユダヤ人だが、それならユダヤ人はエチオピア人やガーナ人が黒い赤ん坊を増やすことに反対なのか? もし、アフリカ人が縮れ毛で大きな鼻の赤ん坊を望んだら、人種主義の台頭である、と非難するのか? そんなことはないだろう。ユダヤ人はイスラエルで鷲鼻(わしばな)の赤ん坊を増やせばいいじゃないか。こう考えれば、日本人が朝鮮人の赤ん坊を嫌い、日本人の遺伝子を持つ赤ん坊を望んでも異論はあるまい。

  移民や難民を受け容れるかどうか議論する時、日本人は他人事として取り扱うので、簡単に「いいんじゃないの」と考えてしまう。同化というのは、朝鮮人が日本語を話し日本の習慣を身につけるだけを意味するものではない。日本国民の遺伝子プールの中に、朝鮮人の精子や卵子が混じり、新たな種族が誕生することになるのだ。こうして、地理的に離れた日本と朝鮮が遺伝子で融合し、両国の間に血の架け橋ができてしまう。選択権もなく生まれてくる混血児は、何万何億人もの朝鮮人を祖先に持つようになる。あの吐き気がする朝鮮人の群れが親戚になるのだ。日本人の両親から生まれた子供は、昭和天皇や明治大帝と苦楽を共にした祖父母の蘇(よみがえ)りとなり、日本の歴史を体全体で感じることができる。ところか、日鮮混血児は大統領の李承晩や李王朝の高宗どころか、テロリストの金玉均や独裁者の金日成までもが同胞になってしまうのだ。朝鮮の実態を知らない軽率な日本人は、将来を考えずに惚(ほ)れた朝鮮人と結婚し、日鮮混血児を産んでから後悔することになる。日本人妻は朝鮮人亭主とセックスしても朝鮮人の遺伝子は伝染しないが、子宮にできた受精卵にはちゃんと朝鮮人のDNAが組み込まれてしまうのだ。生まれれば当然朝鮮人の父親に似てくるだろうし、場合によっては舅や姑の面影を持つことだってあり得る。

  物心がつくようになれは、さらなる悲劇が湧き起こる。成長してから自分の家系や日鮮関係を調べれば、自分が闇市で横暴を極めた第三国人の側に繋がっていることも分かってしまう。日本に於ける朝鮮人の過去といったらロクなものがない。「朝鮮人」と耳にすれば、神戸や博多で麻薬を捌く密売人とか、高利貸しや賭博業でのし上がった成金、暴力団組織で組長にまで出世した在日ヤクザ、といった人物がまず頭に思い浮かぶだろう。だからこそ、朝鮮人の子供は自分の出生を友達の前で隠したいのだ。恋愛感情だけで朝鮮人と結婚してしまった日本人は、子供が恥ずかしい思いをしてから、取り返しのつかない事態に気づく。日本人の親はたいてい、我が子が素直で明るく育って欲しいと望む。しかし、屈辱で顔が引きつる思いをした混血児は、普通の日本人として大人になることはない。彼らは朝鮮半島で日章旗を燃やしながら、日本人を呪う気違い鮮人を見ても、どこか憎めず、却って日本人に反発を覚え、朝鮮人を被害者と考えてしまうのだ。本人も、気づかぬうちに同胞愛が生まれ、日系国民と一緒になって「不逞鮮人は日本から出て行け !」と叫べなくなる。

  日鮮混血児は鏡に映った顔の中に朝鮮人を見るという日々を送るから辛くなる。新大久保やソウルで見かける朝鮮人の群れに、「自分も同じ顔した朝鮮人」との意識が芽生えれば、「あんな奴らと一緒にされたくない」という別の感情が生まれてくる。日本で育ってしまうと、大きな甕(かめ)にキムチを仕込む朝鮮の婆さんや、朝鮮の民族衣装を着て、杖鼓(チャンゴ)や太鼓(ブク)といった楽器を演奏する朝鮮人から目を背けたくなるのだ。日鮮混血児は親から朝鮮語を教えてもらっても、友達の前でその言葉を自慢することはない。ところが、日本人は戦犯とされるドイツ人を尊敬し、ドイツ音楽にも愛好者が多く、ドイツ語を熱心に学ぶ者さえいるのだ。一方、元皇民だった朝鮮人の文化には、全く魅力を感じないどころか毛嫌いする。例えば、「日帝時代」、多くの日本人が朝鮮半島に住んでいたのに、戦後は誰も朝鮮風住宅を建てようとしなかった。不潔な掘っ立て小屋を写真で見れば、なぜ日本人が朝鮮文化を懐かしく思わないのかが分かるだろう。日本人はかつてアメリカ人やイギリス人を「鬼畜米英」と呼んでいたのに、やれクリスマスだ、ヴァレンタイン・デーだとはしゃぎ、最近だとハロウィーンまで祝っている。それなのに、朝鮮の祭りは一切なし。また、朝鮮人の顔に憧れて、あのようになりたいと美容整形しようとする女性は皆無ときている。朝鮮人がかろうじて自慢できるとものといったら、「焼き肉」くらいだ。後は、「ポッキー」や「かっぱえびせん」を無断で真似る泥棒文化しかない。

  先進国の教育は、立派な国民を育成するのが目的である。しかし、左翼思想が強烈な日本では、国民形成という目的は却下されているから、国民意識は各自が任意で持つしかない。それでも、立派な先人が築いてくれた社会を引き継いでいるので、なんとか常識的判断を有している。しかし、朝鮮人移民や帰化鮮人がこのまま増え続ければ、それに応じて日鮮混血児が増えてしまうだろう。これは日本人の肉体が2分の1、4分の1と少なくなるだけではない。「日本国民」という意識も希薄になるのだ。朝鮮人を始めとするアジア人の遺伝子が混じった者は、住民票や国民番号を持っているが、自らの命を犠牲にしてまで邦人を救う国民ではない。国籍は運転免許証かスポーツ・ジムの会員証程度になる。現在のところ、日本人が多数派だから、帰化鮮人に日本へ同化しろと要求できるが、やがて朝鮮系国民が多くなれば、日系国民が逆に“朝鮮化”することになる。かってあった国民的絆が崩壊し、日本が朝鮮的身分社会に変貌し、他人を踏みつけても自分の利益を確保するアジア的国家になってしまうのだ。日韓併合で朝鮮人は日本人の管理下に置かれたが、多民族主義の台頭で、今度は日本人が朝鮮人の支配に服することになるだろう。未来の日本では首相官邸が、大韓民国から指令を受ける「日本総督府」となるんじゃないか。皇室も廃止されて、「李氏日本」とか「朴氏日本」といった時代になったら恐ろしいよね。




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