無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2015年11月

目玉を抉られた朝鮮人官吏 / 憧れの「日本」と忌まわしい「朝鮮」 (後編)

選択の自由はいけません

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(左: キアラ・フェラーニ / 右: ブレイク・ライヴリー)

  「カ~ラ~ス~、なぜ鳴くの ? カラスの勝手でしょ~ぉ」と幼稚園児が歌ったら、「カラスは山に~」ですよ、と母親が直すだろう。しかし、「ママ、どうしてチョンコは大阪にいるの ?」と子供が尋ねたら、母親は「チョンコの勝手でしょ~ぉぉ」と歌って誤魔化したくなる。だって、なぜ朝鮮人が日本に住みついているのか、大人だって分からないからだ。この原因を探れば答えが見えてくる。まず、朝鮮人に興味が無い。どうしてか ? 魅力に乏しいから。突き詰めれば、「朝鮮人が嫌いだから」、となってしまうだろう。一般人は嫌いなことに時間を費やすことはない。仕事場から疲れて帰ってくるのに、書斎に閉じ籠もって朝鮮語を勉強するとは想像できない。ストレスの溜まる仕事を終えたら、野球中継を観たり、恋人とデートをする方が普通だ。産経新聞の記者だって、喫茶店で読むのは雑誌『正論』じゃなくて、娯楽がいっぱいの『東京スポーツ』だったりするんじゃないか? 本音を言えば、筆者も朝鮮にまつわる文献を読むのは苦痛である。でも、学校で洗脳された日本国民を正常に戻すため、一肌脱いで“うんざり”するような朝鮮史を勉強しているんだから。(どうせなら、美女が一肌脱ぐのがいいよねぇ。)

  前回、朝鮮に渡った日本人官吏で、朝鮮語を勉強する人が少なかったと書いた。朝鮮での治安維持のため仕方なく勉強した人が多かったみたいだが、戦後はその必要性も無くなったから、朝鮮語を勉強する人はほぼ消滅。だいたい朝鮮語なんて学ぶ価値があるのか? 確かに、貿易会社の通訳者とか外交官なら分かるが、一般国民にとったら苦役以外の何物でもない。英語は必修科目だから説明するまでもない。問題はその他の外国語である。大学で第二外国語を取るとしたら、たいていの学生はドイツ語かフランス語を選ぶだろう。英語の姉妹語だから文法や語彙が似ているし、学んでいて楽しいこともいっぱいだ。西ゲルマン語を選ばない者の中には、支那語をとる者もいるだろうが、それは旅行代理店や総合商社に勤める時、ちょっとは有利になると踏んでのことだろう。「北京語」や「上海語」をマスターして、支那人と友達になりたい、とか支那大陸を見物したい、と願う受験生がいたら会ってみたい。学校で習う支那人しか知らない少年が、実際の支那人と接すれば、その生々しい現実と机上の幻想との違いに驚くだろう。せっかく勉強する言語なら、事前にその言葉を話している民族を調べないと。我々は加工食品を買う時に、その材料や成分を調べるじゃないか。

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(左: 腕白な朝鮮人の子供 / 中央: お酒が好きな朝鮮人女性 / 右: 怒り狂う朝鮮人運転手)

  在日朝鮮人や帰化鮮人にとって、「選択の自由」は敵である。なぜなら、朝鮮人の民族性や文化の品定めが行われるからだ。それに、“憧れ”の日本人が振り向いてくれないから寂しい。半島の朝鮮人が矢鱈と日本人を憎んだり、毎回「いちゃもん」をつけてくるのは、日本人が気になって夜も眠れないからであろう。本当に嫌いなら無視すればいい。洗練された日本人に会うと胸が高鳴るから、朝鮮人は執拗に突っかかってくる。朝鮮人は何かと日本人を「ライバル」視するが、日本人は彼らを対等な民族とは思っていないから相手にしない。朝鮮人に対する印象といえば、せいぜい、酒場で絡んでくる酔っ払いか、路上で物乞いをする浮浪者ていど。一方、朝鮮人は日本人に激しく片思い。ちょうど、迷惑なストーカーと同じ種類である。日本人に対して鼻水垂らしながら、「歴史を直視しろ !」とか「植民地支配を謝れ !」と怒鳴るのに、移住したい国は日本とか、学びたい外国語は英語を除いたら「日本語」、と笑いたくなる矛盾に満ちている。一方、日本人は南鮮に移住するつもりは毛頭無いし、売春婦だって嫌がる。南鮮の受刑者だって、日本の刑務所に入りたい。大学で朝鮮語を勉強したい高校生はまずいないし、朝鮮語学科の偏差値だって、英語科や仏文科に比べればかなり低いはずだ。いくら日鮮関係が重要です、とマスコミが宣伝しても、一般の大学生は自分の時間を下らない言語の習得に当てないだろう。

  正確には覚えていないが、冷戦時代、ポーランドからある中年のオバちゃんが来日したことがあった。彼女は帰国日時が近づくと、祖国に帰りたくないとダダを捏ねたそうだ。その理由とは、日本の豊かさだったという。彼女がスーパー・マーケットに行った時、ポーランドでは想像もできぬほど様々な商品が並んでいたからだ。共産圏だと政府が配給する粗悪品ばかり。腐りかけの牛肉とか、黒くなったバナナとかを、極寒の中列に並んで購入するんだから泣けてくる。日本では普通のオバタリアンが色々な商品を見比べて自由に選んで買うことができる。ネコ用の缶詰だって「へこみ」があったら買わないとか、やたらと消費者の目が厳しい。ちなみに、日本企業に雇われ、猫の餌を缶詰にしていたベトナム人労働者は、日本人のペット愛に驚いていた。それというのも、彼らの昼飯代はペット・フードより安かったから、猫の餌を食べる方が贅沢なのだ。

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(左: 本当の朝鮮人 / 右: 虚構の朝鮮人男女)

  とにかく、朝鮮語を専攻するなど時間の浪費だし、苦労して覚える価値も無い。宮脇淳子さんも指摘していたが、朝鮮における近代学術用語はみんな日本人がつくったものである。支那の冊封国(さくほうこく)だった朝鮮には「四書五経」の語彙しかないから、近代化の語彙は日本から輸入するしかなかった。見栄を張ることが生き甲斐の朝鮮人にとって、日本人からの恩恵に浴しているなんて認めたくない。しかし、ハングルで表した朝鮮語を漢字に直せば、日本人が考案した言葉ということがバレてしまう。それが嫌だからハングルで通しているそうだ。宮脇氏によると、「約束」は「ヤクソ」で、「先輩」は「ソンベ」なんだって。(宮脇淳子 『韓流時代劇と朝鮮史の真実』 扶桑社 2013年 p.168) 支那人だって口に出して言わないが、「憲法」「哲学」「共産」などの学術用語は日本製だ、ということを知っている。その劣等感を隠すために、「中国は日本人に漢字を教えてやったのだ」と高飛車に説教するのだ。

  こう言われると学校教師やご意見番の評論家は、「ごもっとも」と頷(うなづ)いてしまうから情けない。大昔には国境とか知的所有権の概念は無かったから、知識や技術は簡単に外へ流れてしまったし、それを防ぐ手段など無かった。日本人が漢字を輸入したのは確かだが、支那の文字を取り入れても、日本人はそれを鵜呑みにせず、自分の言語に合うように改造したんだからすごい。品性下劣な支那人が何と言おうとも、我々は支那人にひれ伏すことはないのだ。イギリス人を見てみよ。彼らはアルファベットを使っているが、その基になったのはギリシア文字であることくらい子供でも知っている。もっと遡れば、アルファベットはフェニキア人の楔(くさび)形文字から由来する、と分かるだろう。そこで、イギリス人は現代のギリシア人やレバノン人に感謝すべし、と日本人が勧告したら、彼らは何と言うだろうか? 「アホか、お前は」と一喝されて終わりだ。世界言語たる英語を自慢しているイギリス人が、古代フェニキア人の末裔たるレバノン人の皆様に感謝します、と宣言するのか? レバノン人だって馬鹿らしいから、そんなことは要求ないだろう。「無駄で元々、日本人が怯めば得」と考える支那人だから、日本国民は絶対に頭を下げてはならない。相手が弱みを見せれば、とことん付け込むのが支那人の性質だ。「骨までしゃぶるヤクザと同じやん」、と気づかぬ日本人が多くて困る。

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(左: 抗議するギリシア人の群れ / 右: レバノン人たち)

  現在の朝鮮人は、かつて両班が「諺文(おんもん)」と蔑んでいた文字を、知らぬ顔して「偉大な文字」と称賛しているんだから呆れてしまう。NHK「ハングル講座」の講師は、朝鮮の伝統を尊重し、「ハングル」を「諺文」と呼べばいいのに。こんな言語を日本人が学ばないのは当然である。それに、我々が外国語を学ぶ時は、ただその言葉を口まねするのではなく、その言語を話している民族や、その言葉で書かれている文学、さらにその精神文化や古典まで尊敬できないと、勉強する気が起きない。フランス語やドイツ語を専攻したり、第二外国語として選択する日本人には、西歐人に対する尊敬がある。「スタンダールの小説は味わいがある」とか「ウィット(機知)に富んだフランス人との会話は刺戟的だ」と思う者が多かったし、「ドイツ民族の精神は立派で、日本人も見習うべきだ」といった意見や、「シュタウフェン朝の歴史は活力があって魅力的」と感じる者も多かった。小説家で陸軍軍医だった森鷗外が、ドイツ文化を高く評価していたことは有名だし、ドイツに留学していた乃木希典大将が、ドイツ軍人に感銘を受け、帰国後豹変したことはよく知られている。ところが、朝鮮人を見た日本人の反応はどうか? 鼻をつまんで「臭くてたまらんのう」といった感想がほとんど。朝鮮語を学びたい日本人がいてもいい。しかし、ありのままの朝鮮を事前に教えておくべきだ。

悲惨な朝鮮の過去

  常々不思議なんだが、在日朝鮮人はなぜ「朝鮮語」や「鮮人」という言葉に過剰な反応を示すのか? 文字を見れば「朝」と「鮮(あざ)やか」が組み合わさっているから、侮蔑語でも何でもない。元をたどれば、「東方まず明けて、万物鮮やかなれば、聖人出でて開花におもむける」から「朝鮮」という国号が生まれたのだ。それでも嫌がるのは、その言葉に潜む暗い過去に原因があるのだろう。ちょうど、アメリカ黒人が「ニグロ(Negro)」という言葉を嫌うのと似ている。英語の「ニグロ」はラテン語の「niger」から由来する言葉で、特別に黒人を侮辱する用語ではない。高名な黒人指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師だって、堂々と演説の中で使っていたのだ。しかし、黒人は「ニグロ」と耳にすると、悲惨な奴隷時代を思い出すので、その言葉を嫌ったらしい。そこで、「政治的正しさ(poltical correctness)」の観点から禁止されという。「朝鮮」も南鮮人および北鮮人にとって嫌な言葉になっている。だが、韓国の陸軍士官学校は、「南朝鮮国防警備士官学校」として発足したんだから、あながち侮蔑語ではなかろう。ところが、どうしても日本人が口にした「不逞鮮人(ふていせんじん)」とか「チョーセンジーン」を忘れることができない。しかも、在日朝鮮人が抱く不快感は、日本人による軽蔑ばかりではなく、心臓が張り裂けそうになる朝鮮の歴史にあった。朝鮮人は日本の図書館が憎い。恥ずかしい朝鮮社会を記した随筆や回顧録がたくさん所蔵されているからだ。在日朝鮮人の親なら、子供に見せたくない本が大切に保管されているので悔しくて堪らない。アレクサンドリアの図書館みたいに燃えてしまえば良いと願うだろう。それが出来ない場合は、“けしからん”本を借りてきて、気にくわないページを破り捨てるという手段に訴えるかも知れない。図書館に来る朝鮮人には注意が必要だ。

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(左: 哀しむ超前人女性 / 右: スイカを食べる朝鮮人労働者)

  在日南鮮人の中には、朝鮮半島に郷愁を抱く者がいる。しかし、それは日本という現実の桃源郷に住んでいるからだ。玄界灘を隔てた遠くの祖国だからこそ懐かしいのであって、そこから脱出できない彼らの同胞にとっては「生き地獄」に過ぎない。これは何も日本人による中傷ではなく、南鮮人がインターネットで公開している表現である。名づけて「地獄の朝鮮(Hell Chosun)」。セ・ウン・コーという南鮮人は、「コリア・エクスポゼ」に寄稿した記事の中で、「南鮮に生まれることは地獄に入るのと同じで、そこでは人生に於けるすべてのコースが雁字搦(がんじがら)めのシステムによって定められている。したがって、南鮮で誕生した者はその制度によって奴隷にされるのだ」と述べていた。(Se-Woon Koo, Korea , Thy Name Is Hell Josen, Korea Exposé, September 22, 2015) 悲惨な韓国経済は日本でも報道されているから、南鮮の若者が祖国から逃げたいという気持ちはよく判る。貧富の格差と身分差別が密接に絡み合い、その上おぞましい朝鮮の陋習(ろうしゅう)と一緒に固まっているのだ。まるで、ドロドロした熱いタールの中に放り込まれた赤ん坊が、真っ黒いタールの中で溺れているようなものだ。いくら藻掻(もが)いても、冷えて固まるタールの中では無駄である。死んでもその中から救出されることはない。

  豊かで有名な者は、その資産や人脈を使って地獄のシステムをすべて回避できるのに、フランス革命当時の「第三身分」みたいな現在の朝鮮人は、社畜という奴隷になるか、公務員試験を受けて官僚機構の中に逃げ込むしかないという。(Steven Denney, Is South Korea Now ‘Hell Chsun’?, The Diplomat, September 25, 2015) こんな朝鮮では「努力」という言葉が詐欺用語になっている。朝鮮社会の支配者は、やれ「仕事には意義がある」とか「出世は可能で、公正も期待できる」と庶民に言い聞かせるが、そんなのは都合良く利用するためのトリックに過ぎない、とセ・ウン・コーは嘆く。『朝鮮が嫌い』という小説を書いたヤン・カン・ミュンによると、地獄のような朝鮮には「金のスプーン」をくわえた階級と、「土のスプーン」しかない階級があるそうだ。(Cho Han-Dae, Author expounds on ‘Hell Joseon’, Korea Joong Ang Daily, October 12, 2015) これは英語の「豊かな家」に生まれたことを意味する「銀の匙(silver spoon)」から得た表現だろう。資産家や政治家の家庭に生まれた子供は、順調に支配階級の梯子(ハシゴ)を登り、貧しい平民の家庭に生まれ落ちた子供は、隷従の道を道を歩むしかない。貧民の小倅(こせがれ)が奴隷的人生から抜け出そうと思えば、青春を犠牲にして受験勉強をするしかない。学歴と肩書きが幅を利かせる蛸壺(たこつぼ)ならではの悲劇だ。つまり、無意味で息が詰まるような現代版科挙に合格するため、ひたすらガリ勉して名門大学に進まねばならない。ドジョウが登龍門に挑戦するんだから大変だ。

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(左: 警官に袋叩きにあう朝鮮人 / 中央: 海女の鮮人老婆 / 右: ジュースを飲む朝鮮人)

  こうした嫌な朝鮮になったのも、朝鮮の統治者が民衆をまったく大切にしなかったからである。日本の藩主には名君が多かったのと比べると、朝鮮の両班はヤクザ並かそれ以下だ。朝鮮の貴族など傲慢なくせに、からっきし能が無い穀潰しときている。朝鮮で宣教活動をしていたシャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)神父は、朝鮮の支配者たる両班を「暴君」と評している。(ダレ 『朝鮮事情』 金容権訳 東洋文庫 平凡社 1979 p.192) このアカンタレどもは、金が無くなると手下を派遣して、商人や農民からお金を強請り取ろうとした。捕まった者はおとなしく金を出せば釈放されたというが、出さない者は両班の家に連行され、食べ物を与えられず、要求された金額を払うまで笞で打たれたらしい。日本でも小銭持ちの子供がカツアゲに遭うが、恐喝する不良どもだって拉致監禁は滅多にないし、木刀はおろか笞さえ使わないだろう。両班たちは農民から田畑や家を買い上げる時は、ほとんどの場合、支払いをしなかったそうだ。借りたものだって返したことがない両班だから、代金など最初から渡すつもりはない。もっと酷いのは、こうした強奪行為を阻止できる守令(民事裁判の判事)が一人もいなかったことである。

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(左 / 駕籠に乗る朝鮮人)

  両班はアンタッチャブル(untouchable)だった。これは、インドの不可職賤民とか、日本の漫才師じゃないぞ。米国では、マフィアも手出しができぬFBI捜査官とか、財務省のシークレット・サーヴィスみたいな人物がアンタッチャブルと呼ばれるが、朝鮮では正義のカケラも無い尊大な支配者を意味する。両班に対しては、金持ちや貧民、知識人を問わず、誰もその身体に触れることはできず、もし誤ったとしても、一旦触れれば即厳罰。両班の住居は神聖なものとされ、女を除いて、その庭に入っただけでも罪となる。女は動物並だから許されたのであろう。日本の武士や豪農が見れば両班なんぞ弱虫の下郎にしか思えないが、意気地無しが当然の朝鮮では、ふんぞり返ることができたらしい。馬に乗って旅をする一般人が、両班の家の前を通り過ぎる時には、必ず馬から下りねばならなったという。また、馬上の両班と出逢った常民は、馬に乗っていれば直ちに下りなければならなかった。もし、すすんで馬から下りぬ常民は、無理やり馬から引きずり下ろされ、反抗した場合には、ゴミや泥の中に叩き込まれたという。馬で移動する両班は、数人の従者を伴っていたから、タチの悪い取り巻き連中は、さぞ大いばりで街を闊歩していたに違いない。

  傲慢を絵に描いたような両班は、自分の特権について非常に敏感でうるさかった。少しでも敬意を示さぬ者には残忍な報復を下したそうだ。ダレ神父はあるエピソードを述べている。

  或る惨めで、みすぼらしい風体をした一人の両班が、郡衙(ぐんが/役所)の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた四人の補卒(ほそつ/岡っ引きみたいな者)が、その両班と出逢い、その外見が怪しかったので、この者は自分たちが捜している下手人ではないかと疑い、ぶしつけな尋問をしたそうだ。すると、両班は答えた。「はい、そうです。私の家にまで来て頂ければ、共犯者も教えますし、盗品を隠している場所も教えましょう」と。そこで、補卒たちが附いて行ったところ、この両班は家に着くなり、召使いの者たち数人と友人らを呼んで、この補卒たちを捕らえてしまった。ここからの仕置きがすごい。拘束された補卒たちは、ボコボコに殴られ、そのうちの三人は両眼を抉(えぐ)られ、残りの一人は片目だけを潰された。つまり、盲(めくら)の三人を引き連れて帰る役目を負わされたということだ。冷酷な両班は、叩き出す時に言い放ったという。「この野郎ども、わかったか。これからはよ~く見て歩け。お前らが郡衙に帰れるように、目玉一つだけ残してやったんだからな」。(上掲『朝鮮事情』p.194)

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(写真 / 刑罰を受ける朝鮮人受刑者)

  いやはや、残酷というか何というか、朝鮮人ってのは、こういう事だけは一人前(いっちょまえ)なんだから。それよりも恐ろしいのは、こんな野蛮な仕置きをしておいて咎め無し、とはどういうことだ? 荒唐無稽な時代劇では、武士の刀に触れた百姓が「斬り捨て御免」に遭った、とされるが、実際にそんなことはなかった。我が国の江戸時代は平和で、武士が乱暴狼藉をはたらけば必ず厳罰が待っていた。北町や南町の代官が、お白洲で犯罪者を半殺しにするなんてあり得ない。遠山の金さんが下手人の目玉をくりぬくなんて、ドラマ作家でさえ想像できないだろう。こんな調子で、冷酷な両班の支配に何百年も隷従していた朝鮮人なら、その根性が歪んで“ねじ曲がって”いるのも当然だ。昔、故・岡崎久彦大使が南鮮に赴任した時、兪鎮午(ゆちんご)という朝鮮人に師事したという。彼は京城帝國大学に鮮人として初めて合格し、終始一番という頴才(えいさい)だったので、戦後、大統領に担ぎ出されそうになったらしい。その兪鎮午が言うには、日本人は朝鮮人に愛国心がないと批判して、朝鮮人を軽蔑するが、それぞれの民族は違っているから、「違う」ことに善悪是非はない。朝鮮人にも愛国心はある。しかし、政府というものを信用していないだけだ。歴史上、朝鮮の民は政府に騙されてばかりで、政府を信頼するとロクなことがない。日本人は政府を信用して一緒になって、何かをやろうとするところが違うのだ、と述べた。(「近代史百年曇りなき歴史常識」 『諸君 !』 2003年2月号 p.197)

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(左: アルファ君 / 中央と右: シバ君)

  兪鎮午の見解はもっともだが、どの王朝になっても民衆の搾取がなくならないというのは、朝鮮人支配者と朝鮮社会に本質的な缺陷(けっかん)があるという証拠だ。仮に、平民が官僚や王族に出世したとしても、彼は民衆のために献身せず、旧来の支配者として君臨し、かつての仲間を弾圧するに違いない。支那で天安門事件が勃発した時、北京政府に抗議する支那人の「民主主義」活動家を、台湾人の黄昭堂(こう・しょうどう/昭和大学教授)は冷ややかに見ていた。支那人の兇暴性を身に沁みて分かっていた黄教授は、「鄧小平を非難する彼らが権力を握れば、彼らもまた独裁者になるだろう」と予測していたのだ。なるほど、支那人や朝鮮人にも“愛国心”があるのだろう。ただし、それは「支配者」として、自分が私物にした国家を大切にすることを意味するから、日本人や欧米人が抱く祖国愛ではない。とにかく、朝鮮の支配層がロクで無しの集団であるとこだけは確かだ。朝鮮人は毎日棍棒で撲られる犬と変わらない。虐待された犬は、人に対して攻撃的だし、反抗的なのに臆病で、暗い表情をするものだ。日本人は愛嬌のある看板犬に近い。鈴木たばこ店のシバ君(東京都小金井市)や平田たばこ店のアルファ君(大阪府富田市)のように、笑顔で客を迎えるのを見れば、いかに飼い主から愛情を注がれているかが分かる。日本人なら、亡くなった主人の墓前をいつまでも離れない犬を見て、涙を流して感動するし、飼い主と忠犬の絆に感銘を受けるだろう。犬を天井に吊して、棒で滅多打ちにすれば美味しい犬肉になる、と考える朝鮮人とは違うのだ。(朝鮮人の理屈では、殴られた犬が「恐怖心」で何らかの分泌液を出して、肉が旨くなるという。朝鮮人相手に「ぎぁぁぁ、残酷 !!」と非難しても無駄。)

伝統的にたかり根性の朝鮮人

  乞食の髪から落ちるフケやシラミに終わりがないように、朝鮮人が嫌われる理由にもキリが無い。余りにも多いから、そのうちの一つだけ述べてみたい。明治の頃、朝鮮に渡った日本人は朝鮮人が“ぐうたら”なのに呆れたが、他人に対する依存心が強いことにも驚いた。希望を持って一生懸命働く者はほとんど居ないが、道端でぽか~ん、と口を開いてしゃがんでいる若者や、キセルを吹かしてぼんやり空を眺める老人など、まったく「活気」が見られなかった。自分で努力するより、他人に頼って利益を得ようとする。日本人なら、有力者や両班の家に群がってくる親戚や食客が多いことに眉をひそめるだろう。でも、朝鮮だと他人にたかることは恥ではない。両班が首尾良く何らかの官職にありつけば、彼の親戚縁者、たとえ遠縁の者まで面倒を見る羽目になる。朝鮮の風俗慣習では、出世した者が一族全体を扶養する義務があるからだ。運良く両班が守令(判事)になったら、意地汚い連中がうようよ集まってきて、甘い汁を吸おうとする。もし、職を得た両班が充分な誠意を示さなければ、この貪欲な者たちは、様々な手段を用いて金儲けを企んだ、というから始末に悪い。例えば、守令が留守の時、たかり屋どもは徴税官のもとに行き、幾ばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は金庫に一銭もないと答える。すると、彼らは徴税官を脅し、手足を縛って手首の方を天井に吊し、拷問にかけたという。まんまと金銭を奪い取った親戚どもはホクホク顔。後に守令がこの掠奪行為を知ったとしても、たいていは目をつむるだけだった。なぜなら、その両班だって官職に就く前は、このゴロツキどもと同じような事をしていたからだ。

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(写真 / 日本統治前の朝鮮人たち)

  両班は汗水垂らして働く事をしなかったし、ちょっとした「労働」でも卑しいと考えたから、官職が名誉を保つ唯一の職業だった。どこかに書いてあったが、両班どもはテニスをする日本人や欧米人を見て、どうしてわざわざ汗をかいて動き回るんだ、と不思議がって、使用人のすることだ、と馬鹿にしたらしい。それはともかく、朝鮮人はチンケな奴でも見栄を張るから、両班ともなると太っ腹なところを見せなくてはならない。そんな見栄っ張りの屋敷には、寄食者や請願者、不運な者、官職を漁る者が、続々と昼夜を問わず押し寄せる。大臣や人事権を持つ大官の舎廊房(さらんばん/書斎や応接間)には、こうした乞食の群れが居坐っていた。彼らは大臣たちの気持ちをくすぐって、何らかの利益を得ようとするのだ。偉い人間の注意を引くためなら、甘言を用いることもあるし、粘り強く食い下がって、多少なりともお零(こぼ)れに預かろうとしたそうだ。こうした品性下劣な連中のうち、得に有力者の舎廊房に出入りする、暇人でスカンピンの貧乏人は、「門客(もんかく)」と呼ばれた。この者は両班や大臣、あるいは官僚の邸宅に出掛けては、勝手に勤労奉仕を行い、その代償として何らかの官職を得ようとしたらしい。

  朝鮮の地で殉教したプールティエという宣教師が、この寄食者について面白いことを述べていた。他人の家に出入りする門客など、砂糖に群がる蟻みたいなもんだ。もっともらしい口実を設けて、一旦有力者の家に潜入できたら、ただ一つの事に没頭する。それは、狙いをつけた“旦那”の性格や嗜好、癖などを注意深く観察し、細部に至るまで調べることである。なぜなら、そうすることで門客は自分の才知を披露したり、相手の御機嫌を窺いながら、迎合する機会を得ることができるからだ。また、この門客は献身の誓いを何度も繰り返していたという。そうすれば、いつかは主人の好意を得ることができるんじゃないか、と期待していたからだ。まったく、口先だけの輩(やから)には吐き気がする。アジア人だから仕方ないが、この野心家は支那人と同じ性質をもつ。すなわち、自分の腹を絶対悟られぬよう、偽ることに長(たけ)けている。彼は出入りする場所の雰囲気を細心の注意を払い研究していたという。彼は失態を犯した時でも、泰然とした顔つきを保ちつつ巧みに順応する。こいつは口を噤(つぐ)んでいたい時には、却ってベラベラ喋りまくるし、家計が苦しくなって悲惨な状態になっても、顔を輝かせて満足そうにしていたらしい。喜びや幸福感で心が浮いていれば、逆に悲しみを見せて涙を流す。妻子が飢えで苦しんでいるというのに、舎廊房に着けば、他の人々と一緒になって笑い、遊びに興じなくてはならない。(『朝鮮事情』 p.197)

  支那や朝鮮といった暗黒社会では、自分の感情を素直に表すことできない。もし、相手に対して自分の弱みを曝すことになれば、命を落とすことだってある。支那人だと政治家や商売人はもとより、単なる平民でもちょっと賢い奴は、息子にすら死ぬまで本音を漏らさない。本当の心は墓の中に持って行くのが支那人だ。こんな支那人を師匠と仰ぐくらいだから、朝鮮人も心の底に深い闇を持つ。彼らが礼儀作法や社交辞令を重視するのは、愉快な会話をしながら相手を油断させ、その弱点を探ることにある。門客が地方や都の宮中に入り込めば、内部の寄聞や醜聞など、あらゆる事件を嗅ぎ回り、貪欲に情報を貯め込んだという。ある者は移動新聞とも言えるほど、様々な党派の抗争や陰謀に精通し、政界で蠢(うごめ)く官僚の姓名と地位をこと細かく記憶していた、というからすごい。何としても出世したい朝鮮人は、忍耐も超一流。白髪の老人になっても、20回30回さらに50回、と何度でも科挙に挑戦するんだから。名門大学に入ろうと、必死で勉強する現代の朝鮮人受験生を見れば、朝鮮はちっとも変わっていないことが分かる。

  朝鮮人は、理論的思考や尚武の精神は丸っきり乏しいが、旨い話となれば驚くほど敏感で、後先考えずに直ぐ飛びつく。チャンスを見つければ、なり振り構わず手にしようとするから、観ている方が恥ずかしくなる。宣教師プーティエは、あるエピソードを語っていた。黄海道(こうかいどう)に一人の進士(科挙の合格者)がいて、3、4年前からある大臣の舎廊房へ熱心に通っていたそうだ。妻子持ちの彼は、まだ官職に就いていなかったので、運を掴むためには如何なる事も厭わなかった。ある日、地方の役人を選ぶ事で頭を悩ませていた大臣は、偶然この進士と二人だけになったという。そこで大臣は、「かくかくの地方は、良い役職であろうか ?」と彼に問いかけた。すると、その進士は突然立ち上がり、大臣の足下に跪いたという。彼は感激した面持ちで、「大臣様は、本当になんとご親切な。大臣様は私めに、いかなる處であれ、一地方を与えようとなさるのですから、そのご恩にはいたく感謝いたします」と答えたそうだ。大臣は彼にちょっと尋ねただけなのに、そのような返答をされたら、どうしてよいのか分からない。大臣は訂正できずに狼狽。しかし、この優柔不断な大臣は、哀れな門客につれない態度を取るわけにもいかなかったので、しぶしぶ彼にその地方を与えることにしたそうだ。( 上掲書 p.200) 呆れるほど厚かましい奴だ。図々しいにも程がある。

仲間にするのが嫌になる朝鮮人

  在日朝鮮人は何かにつけ「日本人からの差別」を訴え、自分たちの地位を守ろうとする。日本人から不当な差別を受けて悔しいのなら、なぜ朝鮮へ戻らないのか不思議である。祖国を「殖民地」にして、女子供を「性奴隷」にしたという極悪民族の国に、親子2代のみならず、3代、4代、5代と居続けるなんて異常だろう。強制連行で日本に来たなら、命懸けで脱出を図るはずだ。いったいぜんたい、釜山を目指すボート・ピープルがいないのはどういう訳なんだ? つまり、彼らは朝鮮が地獄で、日本が楽園ということを認めたくないのだ。来日の経緯を白状すれば、密入国者だということがバレるし、根拠のある歴史を学べば、自らの劣等性が白日の下に晒されるから悔しくて堪らない。日本人から「チョンコは帰れ !」と言われれば、まともに反論できないから、「強制連行だ !! 何とかスミダァ~」と怒り狂って騒ぐだけ。理性のカケラも無い朝鮮の婆さんは、「哀号、アイゴ~ぉ~ぉう」と子供みたいに泣きじゃくるから、慈愛に満ちた日本人はお手上げだ。こんな朝鮮人を間近に見た日本人なら、「やれやれ、朝鮮人ってのはどうしてこうも人に迷惑をかけるんだ?キムチを喰ってさっさと帰れ !」と思うのが普通である。

  在日朝鮮人が帰化することだって腹立たしいのに、特別永住者が重罪を犯しても強制退去とされないのはもっと腹が立つ。内乱罪とか外患誘致罪じゃないと追放できない、では甘すぎる。強姦罪でも排除すべきだ。最近、殺人や放火の罪で無期懲役を受けていた朴龍晧(ぼく・たつひろ)と青木恵子が釈放されて、マスコミは祝福ムードで満ちていた。平成7年7月22日に起きた火災で、青木恵子の娘、めぐみさんが死亡した事件には不審な点が多い。車庫に止めた朴の車からガソリンが漏れて、風呂釜の種火に引火したという、弁護側の主張には納得できないが、警察側の自白調書がいい加減だったので、裁判所は弁護側の訴えを支持するようになった。弁護側の再現実験にも疑問がある。それに気づかず騙されてしまう裁判官は、やはり常識知らずの学校秀才だ。今回の報道で最も憤慨するのは、マスコミが朴による強姦に触れなかったことである。青木恵子の内縁の夫である朴が、当時11歳だっためぐみさんを強姦したことは、本人も後悔して認めており、母親の恵子も知っている。朝鮮人の朴は謝罪しているが、娘の膣内から朴の精子が検出されたことを聞いて、母親の恵子は何とも思わないのか? だいたい借金を抱えた親が娘に1500万円の死亡保険を掛けてるなんておかしいだろう。血の繋がっていない娘を犯した朴が、火事に見せかけて殺したと勘ぐる方が普通じゃないか。警察の杜撰な取り調べで、真相が闇に葬られてしまったのは誠に残念である。しかし、テレビ局が少女強姦の事実を素通りしたのは許せない。彼らの「人権」とやらは、死者に適用されないようだ。

青木めぐみ朴龍皓青木恵子







(左: 殺害されたと推測される青木めぐみ / 中央: 朴龍晧 / 右: 青木恵子)

  日本にやって来た朝鮮人は、下層階級が多かったせいか、やたらと犯罪者が多い。敗戦後の闇市で幅を利かせていた朝鮮人が、粗暴で尊大なのは卑しい生まれに原因の一部あるようだ。祖国では、屠殺業者が白丁(ペクチョン)と呼ばれて蔑まれていたし、官吏や有力者の家には、売り買いされる奴婢(ぬひ)がいた。ところが、不思議なことに、残虐非道な日本人官吏は朝鮮の伝統的奴隷を所有しなかった。本来なら、日本人家庭に数名の朝鮮人奴婢が居てもおかしくはない。日本人の旦那様が気晴らしに、朝鮮女の召使いを台所や玄関で押し倒し、尻をまくって強姦したなんていう話がなかったのは何故か? 在日朝鮮人の子供でも、祖父母から聞いていないとは、どうも合点が行かない。しかし、朝鮮人による日本人女性への強姦が多発していることならよく耳にする。虐げられた下層民が多い朝鮮では、犯罪で失うものが少ないし、見つからなければやってしまえ、という考えが強い。とりわけ、日本人は朝鮮を殖民地にしたから、日本の女を犯すことは民族的復讐にもなる。サッカーの試合で見られる、日本人選手が相手なら、どんな反則でもしていいという心理と同じだ。それに、がさつな朝鮮女と比べたら、洗練された日本人女性は高級品で、羞じらいや可愛さがあるから、朝鮮人強姦魔は益々昂奮するし、やり甲斐のある娯楽となる。

  どんな民族にも強姦魔はいるが、聖職者に性犯罪者が多いというのは、朝鮮ならではの特徴である。新政治民主連合の朴南春(ぼく・なんしゅん)議員は、警察から提出された資料から、過去5年間で起こった専門職従事者による性犯罪に注目した。医者や弁護士、教授、藝術家、聖職者などによる性的暴行や強制猥褻(わいせつ)は3,050件で、そのうち最も多く性犯罪をしでかしたのは、聖職者だったというから驚きだ。具体的には、聖職者が442件、医者が371件、藝術家が212件、教授が110件とのことだった。(「韓国、専門職従事者による性犯罪、『聖職者』が最大」 レコードチャイナ 2015年8月31日) 神様に仕える者が強姦魔では、聖職者ではなく「性慾者」と訂正せねばなるまい。そもそも、朝鮮人が宗教家になるのは、貧しい下層民を救うためではなく、金銭や権力を求めるからじゃないのか? 朝鮮人の牧師なんか怪しいぞ。聖ヨハネは福音書の中で、イエズスが弟子たちの足を洗った話をしている。過越際(Passover)というユダヤ教の祭りが始まるまえのこと。弟子たちと食事をしていたイエズスは、席を立って上衣を脱ぎ、手拭いを取ると盥(たらい)に水を汲んで弟子たちの足を洗ったという。一番弟子の聖ペトロ(シモン)は何故そんなことをするのか師に尋ねた。みんなの足を洗い終わった後、イエズスは答えた。「師であるわたしがあなたがたの足をあらったのだから、あなたがたも互いに足を洗わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」と。(ヨハネによる福音書13章14-15節)

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(左: 金保 / 左: 朝鮮人強姦魔の徐一)

  朝鮮人が自らへりくだって他人の足を洗うなど、かつての奴婢みたいじゃないか。人一倍偉くなって、「大物」呼ばわりされたい朝鮮人が、神様の言いつけとはいえ、奴隷の仕事を進んで行うとは想像しがたい。他人を踏み台にしても、社会的地位を手にしたい朝鮮人だから、「牧師」の職は本性を隠す仮面に過ぎない。イエズスを「神様の子にしてマリアの息子(Christus, Filius Dei, est Filius Mariae)」と習っているヨーロッパ人の子供にとって、神様の奴隷(servus Dei)とう言葉に違和感はない。だって、ローマ教皇の聖グレゴリウス1世が、自らを「天主に仕える僕(しもべ)たちの下僕(Serus serorum Dei)」と称していたのだ。しかし、朝鮮人牧師が平民のキリスト信徒を前にして、「私は皆さんの下僕です」とは言わないだろう。どちらかと言えば、「私に仕えることは、神様に仕えることなのです !」と力説し、「さあ、あなたがたの服を脱ぎなさい」と勧めるんじゃないか。スケベ牧師は、信者の足を洗わずに、若い娘の乳房を洗いたい、というのが本音だろう。亀仙人の爺ちゃんが「オッパイをぱふぱふした~い」と言えば、「まったく、しょうがないジジィめ !」で済むが、朝鮮人の「聖職者(生殖者?)」が同じ事を言えば、巨大なナメクジみたいで気持ちが悪い。聖神中央教会の金保(きん・たもつ/偽名 : 永田パウロ保)は、100人近くに猥褻な行為を行ったとして逮捕されたが、こいつは牧師というより、聖職者と偽った変態と呼ぶべきだ。スケベ心いっぱいで小学六年生の少女を犯すなど、「卑劣」という言葉さえ上品に感じてしまうじゃないか。

朝鮮人の顔にはなりたくない

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(写真 / 整形手術前後の朝鮮人)

  朝鮮人の悪行と正体をひたすら隠すマスコミと、朝鮮人に対する罪悪感を植え付ける教師のせいで、多くの日本人が朝鮮人に対して弱腰になっている。ところが、敗戦後間もない頃は、朝鮮人に対してのイメージが非常に悪く、率直に自分の感情を表明する日本人が多かった。以前、東大教授の泉靖一(いずみ・せいいち)らによって調査された朝鮮人のイメージを紹介したことがある。日本人の嫌いな異民族大地委に選ばれたのが朝鮮人だった。また、1967年に我妻栄と米山俊直が調査したところによると、朝鮮人に対する印象は、まず「不潔」が67.3%と一番多く、次に「醜い」が28.8%となっていた。(『偏見の構造』 NHKブックス 1967年) その他のイメージとして、「ずるい」(43.7%)とか「無礼」(14.7$)、「腹黒い」(15.8%)という結果がある。こうした意見が大半だったから、当時の日本人は朝鮮人との結婚に反対する者が多かった。左翼の大学教授やテレビ曲の御用評論家は、日鮮友好とか多民族共存を説くが、義理の息子が朝鮮人じゃ日本人の親は肩身が狭いし、朝鮮人の嫁から生まれた孫が、朝鮮人の祖父母や叔父伯母を持つとなれば不憫である。赤の他人なら「気にするな」と簡単に言うだろうが、毎日朝鮮人の顔を見る羽目になった日本人は堪ったもんじゃない。

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(左: サイモン・ベーカー / チャーリー・ハナム / ブラッド・ピット / 右: 田村正和)

  朝鮮人の祖先を持たない日本人でも、在日朝鮮人や帰化鮮人と結婚する人が多くなったが、日本人って「朝鮮人の顔」が好きなのか? 「異民族との共存」となれば、毎日学校や職場で顔をつきあわせる外人が増えることになるし、交際する確率も高くなるはず。若いOLがセクハラを訴える時、たいていの加害者は冴えない顔したオっさんばかり。田村正和や福山雅治みたいな上司じゃないぞ。会社の宴会で盧武鉉や李明博みたいな上司に、肩を叩かれればセクハラと感じるだろうが、俳優のサイモン・ベーカーやチャーリー・ハナム、ブラッド・ピット並の男前なら、腰に手を廻してもらいたいと願うし、“気さくでフレンドリー”な上司となって問題にならない。他人に対する評価を外見で下すことに異論はあろうが、お見合いでも相手男性の顔写真を見てから、会うかどうか決める女性もいるんだから、そんなに目くじらを立てることもなかろう。

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(左: 盧武鉉 / 中央: 福山雅治 / 右: 李明博)

  朝鮮人が帰化を申請する時、仲間として迎える日本国民に賛否を問わないのは、どう考えても納得できない。趣味のクラブのみならず、会社だって社員を募集する時、その者をじっくり調べてから受け容れるじゃないか。しかも、日本国民の遺伝子プールに朝鮮人の精子や卵子が混ざるのだ。帰化鮮人が母国語や祖先の文化を捨てたとしても、朝鮮人の遺伝子は濃厚に残っている。犬だって、ラブラドールとパグを掛け合わせれば、生まれてきた雑種犬はラブラドールと違った顔になるだろう。もしかしたら、飼い主が見つからず、売れ残るかも知れない。最近、日本人女性はどんな顔が好きなのかが気になって、インターネットで調べてみたことがある。すると、リクルート・スタイルが調査した結果にたどり着いた。2014年のアンケートでは、1位が北川景子、2位が石原さとみ、3位が佐々木希(のぞみ)という順位。彼女たちのプロフィールによると、女優をしているそうで、たいそう人気があるようだ。しかし、こうしたランキングは藝能事務所の圧力や、利害による裏工作があるから信用できない。

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(左: 北川景子 / 中央: 石原ひとみ / 右: 綾瀬はるか)

  そんなわけで、別の調査も参考にしてみた。オリコン・スタイルの調査によれば、1位が北川景子、2位が綾瀬はるか、3位が石原さとみ、となっている。こうした女優が、どんな才能を持っているのか分からないので、何とも言えないが、一様に美人であることには間違いない。たぶん、化粧品か何かのモデルもしているんだろうなぁ。彼女たちを美人と呼ぶことに異論もあろうが、ともかく、一般女性が憧れる理想美が彼女たちあるのは確かなようだ。一方、朝鮮人のような顔になりたくて、整形手術をする日本人はいるのか? そもそも、データがあるのかさえはっきりしないのだ。日本人が朝鮮人の容貌を侮蔑すれば、朝鮮人だって反発したくなるだろうが、当の朝鮮人が自らの遺伝子を嫌っているのだから、日本人が嫌っても当然じゃないか。人間には憧れる者を真似たいという欲求がある。ブルボン王朝時代のフランスで、ヴルサイユ宮殿に集まる貴婦人たちはファッション・リーダーになっていた。田舎貴族の奥方のみならず、裕福な商人の娘たちも、宮廷で光り輝く王妃のマリー・アントワネットやデュバリー夫人(Comtesse du Barry)のドレスや帽子とかに夢中になったそうだ。有名なポンパドール夫人はその美貌でルイ15世の公妾になれて、侯爵夫人(Marquise de Pompadour)にまでなれたし、ヴォルテールやフォントネルらと交流する社交界の人気者だった。

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(左: 佐々木希 / マリー・アントワネット / デュバリー夫人 / 右: ポンパドゥール夫人)

  現代でも一般女性が憧れる美女は有名人になる。日本人女性にも人気があるオリヴィア・パレルモ(Olivia Palermo)は、アメリカ社交界の華だし、彼女をモデルにしたTVドラマ『ゴシップ・ガール』は大ヒット。そのドラマに出演していたブレイク・ライヴリー(Blake Livelly)も若い女性にとっては憧れの的である。彼女たちがパーティーに招待されるだけで、お金持ちを含めて大勢の人が集まるし、マスコミの話題にもなるから大したものだ。もっと驚くのは、キアラ・フェラーニ(Chiara Ferragni)というイタリア人のお嬢さんである。単なるブログ書きだったのに、その美貌とフッション・センスから世界的な人気者となり、広告収入も増えて高額所得者になったという。「えぇ~ぇ、そんな。うらやましい」というのが筆者の感想。やっぱり、美人は得だよなぁ。フェラーニ氏がウィンクすれば100ドルくらい貰えるかも知れないが、ブスが瞬きをしても1円にもならないし、せいぜい眼科医で診療費を払うのが関の山。女性だから社会で損をするという思想は間違いだ。「男尊女卑はけしから~ん」と叫んでいたフェミニストはみんなに謝罪しろ。パレルモやライヴリー、フェラーニたちは、「男性社会」を最大限に利用した受益者ではないか。彼女たちに憧れる日本女性は、自分の好みに忠実なだけで、人種差別を考えているわけではない。

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(左: オリヴィア・パレルモ / 中央: ブレイク・ライヴリー / 右: キアラ・フェラーニ)

  日本人は朝鮮人や支那人を見下している、とアジア主義者は批判するが、自分の“憧れ”を自由に表明できる日本社会は素晴らしい。鉱山労働者の作業着であったジーンズを穿くブルック・シールズを「格好良い」と称賛し、乳出しチョゴリを着た朝鮮女を「恥ずかしい」と評価することのどこに、倫理的罪悪があるのか? 日本人はミロのヴィーナスを製作した彫刻家を差別主義者とは思わないし、むしろ敬意をもって評している。日本人が「美しい」と思った西歐人に接することは、自然で非難されるべきことではないし、「醜い」と感じた朝鮮人に「いっちへ行け」と拒絶するのも悪くはない。以前、美人コンテストに出場する朝鮮人が、みんな同じ顔をしていることに、ヨーロッパ人が驚いた、という記事を読んだことがある。よほど親から受け継いだ容姿が嫌いなんだろう。娘に整形を勧める親もいるくらいだから、「ブスは損で、美人は善」と考えているのかも知れない。確かに、朝鮮人の顔面工事は世界的に見ても高い比率を誇っている。現在、南鮮経済は停滞しているから、人気の顔面工事を政府が奨励すれば、景気刺戟策になるかも知れない。南鮮国民だってケインズ経済学に賛成かもよ。顔面の修復改造工事は、ピラミッド建設みたいに、公共事業になるだろう。日本人としては、朝鮮人が自らの容姿を偽造する方が有り難い。朝鮮統治の歴史を捏造されるよりマシじゃないか。

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(左: 乳が見えそうな朝鮮人女性 / 中央と右: ブルック・シールズ )

卑怯な鮮人は日本から出て行け

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(写真 / 格好をつけている秋山成勲)

  日本人は朝鮮人の容貌に嫌悪感を抱くが、帰化した朝鮮人の性格にも気に入らないところがある。例えば、柔道の国際大会に出場したいから、日本国籍を取った在日4世の秋山成勲(あきやま・よしひろ/本名チュ・ソンフン)は、日本人の挌闘技ファンから嫌われている。彼は柔道家時代に、世界柔道選手権に出場したが、中村謙三選手から非難を受けた。対戦相手の中村氏は、秋山の柔道着がスベルとの抗議を行ったらしい。秋山は洗濯のせいにしていたが、通常は考えられない。柔道家を辞めて総合挌闘家に転身するようになっても、秋山の“いかがわしさ”さは無くならなかった。挌闘技大会「K-1ダイナマイト2006」に出場した秋山は、桜庭和志と対戦したが、足にクリームを塗っており、桜庭氏から「スベるよぉ  !」とか「絶対許さない」との猛烈な抗議をうけ、公の席で謝罪したことがある。前代未聞の悪質な反則だ。こうした挌闘技大会には、外国人選手もかなり多く出場していたが、秋山のような反則は聞いたことがない。日本人選手は、オリンピックでも反則をしないで堂々と戦うことで知られている。ドーピング違反をしてまで金メダルを取ろうとする日本人はいなかった。発覚しなければ「違反じゃない」と考える朝鮮人とは違うのだ。

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(左: 秋山のスベる両脚を掴む桜庭 / 右: 秋山に殴られた桜庭和志)

  こうした品性下劣な秋山は、大ブーイングが湧き起こる日本を後にして、米国のUFCという有名な挌闘技大会に参加した。世界の大舞台に立てた秋山は、朝鮮人らしく鼻高々で大いばり。英語も話せないのに、記者会見で自らを「セクシーヤマ」と紹介していた。「アキヤマ」と「セクシー」を重ねて、米国人に覚えてもらおうと考えていたのだろうが、意味不明で誰もも相手にしないし、記憶にも残らない。「セクシーヤマ」なんて日本人なら恥ずかしくて口に出来ないが、センスの悪い秋山には可能だった。いかにも、朝鮮人らしい野暮ったい発想である。そんな秋山の対戦成績は無惨なものだった。ビクトー・ベイフォードやマイケル・ビスピン、ジェイク・シールズ、クリス・レーベンに惨敗。もっとも、UFCの主催者は満足だろう。なぜなら、米国や日本に住む朝鮮人が試合中継を見てくれるし、同胞を応援する朝鮮系アメリカ人は、高価なチケットを買ってくれるからだ。UFC側も朝鮮系観客を取り込みたいから、秋山に目をつけたんじゃないか。グローバリストの米国人は、常に世界市場を意識しているから当然だ。ところで、秋山は日本出身選手と紹介されていたが、果たして何人の在米日本人が秋山を応援していたのか? 日本では悪役の秋山だが、南鮮ではヒーローだ。米国の試合会場だと、朝鮮系アメリカ人が駆けつけて、同胞の晴れ舞台を見守りながら太極旗を振って応援するじゃないか。

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(左: 南鮮の太極旗がよく似合う秋山 / 右: 試合後の秋山)

  秋山が米国のUFCに移籍する前、三崎和雄と対戦したことがある。日本人観客は、オイル・クリームででヌルヌルた反則王の秋山が、メチャクチャに叩きのめされるところを観たい。秋山がリングへ向かう時には、日本人から大ブーイングが起こった。応援していた日本人は、野球選手の清原和博やみのもんたくらいだろう。TBSで番組を持っていたみの氏は、ことさら秋山に肩入れをしていたし、番組内でも熱心に励ましていた。朝鮮人礼賛のTBSに媚びたのだろう。試合は見事な三崎選手の勝利に終わった。三崎のパンチでリングに崩れた秋山が、ヨロヨロっと立ち上がりかけたところで、三崎が秋山の顔面に思いっきりキック。鼻を蹴られてダウンする秋山を見て、日本人観客は大絶賛。「ざまあみろ、朝鮮人!」と言いたいところだが、そこを黙ってこらえるのが日本人。しかし、鼻血を流して意識朦朧の秋山を観たら、みんなが気分爽快になった。試合終了後、三崎はリングの上で観客に向かい、「日本人は強いんです !」と叫んだ。思わず拍手。パチパチパチ。いいこと言うねぇ~。座布団10枚くれちゃおう。まさに名言だ。日本政府も在日朝鮮人の顔面を蹴飛ばして、「お前ら朝鮮に帰れ !」と言ってやったらどうなんだ? 日本国民はスッキリするぞ。秋山がいくら日本国籍を取得したからといって、日本人が秋山を仲間と認めた訳じゃない。紙切れを額に貼っても日本人にはなれないのだ。

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(左: 三崎和雄に殴られノックダウンする秋山 / 右: 三崎から顔面を蹴られた秋山)

  日本で嫌われている秋山には、日本人妻と娘がいる。娘のチュ・サランは祖国南鮮で人気者だというから良かったじゃないか。やはり、日本で育てるより祖国で育てた方がいい。もともと、南鮮人枠で柔道大会に出場できなかったから、秋山は嫌いな日本国籍を取ったのだ。それに、日本で憎まれ役になった秋山は、祖国で「英雄」扱いだという。日本人を恨む南鮮人にとって、日本人から嫌われる秋山は「日本で迫害される同胞」となる。「敵の敵は味方」という論理だ。秋山はいっそのこと、家族揃って南鮮国籍を取ったらどうだ? 挌闘技を身につけた秋山なら、徴兵に取られても立派に軍隊で生きて行けるだろう。祖父や父が怠った兵役を秋山が果たせば、「チョッパリ野郎」と罵る同胞も許してくれるんじゃないか。秋山の愛国心は憎い日本ではなく、先祖が暮らした朝鮮にあるはずだ。B級映画のポルノ男優に見えてしまう秋山は、祖国に帰れば「野暮天」を「クール」と評してもらえるし、温かく迎えてくれる南鮮人が大勢いるんだから、南鮮国籍でもいいんじゃないか。それに、祖国朝鮮で子供に柔道を教えれば尊敬されるだろう。ただし、たっぷり石鹸を附けて柔道着を洗いなさい、と勧めてはイケナイぞ。

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(写真 / 秋山と娘のチュ・サラン)

  辺境に生まれた乞食でも、放浪するのは都会であり、慣れ親しんだ故郷の田舎ではない。都会に住めば冬でも暖房がきいた場所がいくつもあって、こっそり寝泊まりができるし、ファスト・フード店の生ゴミ袋を漁れば、まだ食べられるハンバーカーを手にすることがてきる。お酒が飲みたくなれば、銀座や新宿を徘徊し、バーの裏口に回って空き瓶を見つけりゃいい。少量でも残った酒をかき集めれば、コップ一杯くらいにはなるだろう。朝鮮人もこうした乞食と同じで、貧しい朝鮮に留まるよりも、光り輝く日本に渡り、浮浪者になった方がマシである。たとえ、低賃金でも炭鉱や工場で働けば、多少なりとも貯金ができたり、出世のチャンスを掴むことができるのだ。重労働だって何のその。“絶望”という未来しか残っていない朝鮮で一生を終えるなんて嫌だろう。蜉蝣(かげろう)の幼虫だって、羽化するなら日本を選ぶだろう。朝鮮の空を飛んだら幼虫時代の苦労が虚しくなる。朝鮮の風景を見ると、アニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディング曲『やつらの足音のバラード』を、ちょいと変えて歌いたくなるから不思議。(ちゃんとした歌は、作詞園山俊二/作曲かまやつひろし/唄ちのはじめ)

  なんにもない、なんにもない、まったく何にもない
  生まれ~た、生まれ~た、風がうまれ~た
  星がひとつ~、暗い~朝鮮に生まれ~た
  ドブに人が浮き~、それをボクが助けた~
  何にもない朝鮮に、日本人がいた~
  ああ、日本人がいた~、住んでいた~

ギャートルズ妖怪人間








(左: はじめ人間ギャートルズ / 右: 妖怪人間のベム・ベラ・ベロ)
  
  いくら日本人が朝鮮人を差別するからといっても、朝鮮社会の差別に比べれは、子供の悪戯(いたずら)程度である。日本人は心が優しいので、徹底した弾圧者になれない。それを見越して朝鮮人は甘えてくる。例えば、“非国民”なのに「国民健康保険に入れろ}と叫ぶ。人情溢れる日本では、スネてゴネれば誰かが助けてくれる。悪臭と蠅くらいが財産の朝鮮人にとって、日本は百貨店や映画館、遊園地まである、きらびやかな黄金郷だし、歩いているだけでも胸がときめく。日本は「幸福」が降ってくる希望の大地だ。祖国では、糞まみれになりながら死んで行く朝鮮人でも、日本に居坐り続ければ、奴婢(ぬひ)や白丁(ペクチョン)の子孫だって「人間」になれる。妖怪人間のベロは、「良いことをすれば、いつか人間になれる」と言うベムの教えを信じて、人間に尽くそうとした。妖怪少年のベロだって努力しようとしたのに、紙切れ一枚で単なる人間以上の、高級な「日本国民」になろうとする朝鮮人は図々しい。「チョンコは帰れ !」と怒号する日本人には、排斥するだけの充分な理由があるのだ。カラスだって山に帰るのに、祖国に帰らぬ朝鮮人は本当に哺乳類なのか?

「追撃編」はまた今度。

こちらから「前編」へ。



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朝鮮語なんて嫌いだ / 憧れの「日本」と忌まわしい「朝鮮」 (前編)

朝鮮語の歌はヒットしない

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  一般社団法人ペットフード協会の調べによると、日本人はペットとして犬を1153万4千匹飼っており、猫だと974万8千匹になるそうだ。ペットの保有数では犬が上回っているが、「どちらが好きか ?」というアンケートでは、猫好きが60.3%、犬好きが39.7%という結果になっている。しかし、意外だったのは、和歌山県で猫好きが88.9%もいたことだ。(J-タウンネットの調査を参照。) さらに、秋田県でも猫好きが75%だったのにはショック。「紀州犬」や「秋田犬」の産地なのに。でも、養老孟司先生の「マルちゃん」を見れば、猫好きが多いのも納得できよう。(狭い敷地の都会で犬を飼うのは可哀想だし。) とまぁ、ペットについて語ることは楽しいが、日韓関係と聞けば気分が悪くなる。マスコミは安倍首相と朴大統領の日韓首脳会議を書き立てているが、日本の庶民にしたら「な~んか嫌な感じ」といった印象は拭えない。昔、フジテレビで「やっぱり猫が好き」というコメディー番組があったが、日鮮関係について言えば、「やっぱり朝鮮人が嫌い !」というのが日本人の本音だろう。とにかく、道端で犬の糞を踏んだ時みたいに不快なのだ。

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(左の猫 / 養老孟司先生のマルちゃん)

  悪夢のような民主党政権時代に、テレビや新聞は「韓流ドラマ」とか「K-POP」をやたらと持ち上げていた。フジテレビなど、1時間番組や特番を丸々CMのように使って、南鮮人の歌手を宣伝していたのは周知の事実。もっとも、K-POPの代理店と化していたフジテレビだから、「ごり押し・だめ押し・押し売り」は仕方ないのかもね。しかし、不思議だったのは、来日する朝鮮人歌手は、日本語か英語混じりの変な言葉で歌っていたような記憶がある。真剣に聴いたことがないから正確なことは言えないけど、彼らがすべて朝鮮語で歌っていたのか疑問である。来日するアメリカ人ミュージシャンが英語で歌うのは当然だが、フランス人だってフランス語で歌っていたのだ。例えが古いけど、イヴ・モンタン(Yves Montand)は日本でも人気があって、「パリの空の下(Souls le Ceil de Paris)」のレコードを聴いた人も多いだろう。また、映画ファンならダリダ(Dalida)がアラン・ドロン(Alain Delon)と一緒に「Paroles, paroles」を歌っていたことも覚えているだろう。

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(左: ダリダ / 中央: アラン・ドロン / 右: イヴ・モンタン)

  新しいところだと、ジェーン・バーキン(Jane Birkin)の「L'Aquoiboniste」かな。ちょっと寂しいけれど哀愁のあるメロディーは、繊細な日本人女性の感性に合っていた。日本でヒットしたかどうか定かでないけど、筆者はケリー・ジョイス(Kelly Joyce)の「Vivre la Vie」やララ・ファビアン(Lara Fabian/ベルギー人)の「Je suis Malade」が好きだし、英語で歌っているけど、フランス黒人スカンク・アナンシー(Skunk Anansie)が歌っている「トゥイスティド(Twisted)」も気に入っている。筆者は最近の流行歌に疎いので、日本でどんな外人ミュージシャンが人気なのか分からない。ハード・ロックなら詳しいけど、ポップ・シンガーは苦手。もしかしたら、現在の高校生や大学生はJ-ポップに夢中で、フランスのポップ・ミュージックには興味がないのかも知れない。「時代遅れ」とか「カビくさい」と言われるかも知れないが、筆者が子供の頃よく聴いていたサントラにはフランス映画も多かった。特に映画『個人授業(La Lecon Particuliere)』の挿入歌『Where Did Our Summers Go』は今でも耳に残っている。この曲を歌っているニコール・クロワジール(Nicole Croisille)は、フランス語ではなく英語で歌っていたが、どちらの言葉で歌われたとしても名曲であることに変わりはない。当時レコードの雑音も含めて、スピーカーに耳を近づけていた頃が懐かしい。この映画に出演していたアラン・ドロンの夫人、ナタリー・ドロンの魅力も素晴らしかった。彼女のような家庭教師なら、フランス語を学びたいという男性も多いだろう。でも、フランス語を学ぼうと張り切って大学の外国語学部に入っても、いかつい顔したオッサン教授が出てきたりするから、現実は甘くないことがよく分かる。

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(左: アラン・ドロン / 中央: ナタリー・ドロン / 右: 結婚当時のアランとナタリー)

  ハリウッドの恋愛映画はほとんどハッピー・エンドだから深みが無い。最初から結果が分かっている映画など単純だ。フランス映画だと、悲劇的結末で幕を閉じるといったケースが結構多い。例えば、『隣の女(La Femme d'àcôte)』は、既婚者の主人公(ジェラルド・ドパルデュー)の隣にかつての恋人が引っ越してきて、昔の感情に火がつく、という不倫物語。その結末は、彼を諦めきれないこの元恋人が、主人公を殺して自分も命を絶つといったシーンになっている。中学生の時にこの映画を見たから今でも印象に残っている。当時、筆者の友人はアイドルの映画を観ている者がほとんどだったから、フランス映画を観ているなんて異端だった。今でも不思議なんだけど、アイドルのファンはお金を出してまで素人の演技を見たいものなのか。テレビをつければタダで観られるのに。例えば、有楽町の映画館に出掛けて、銀幕に映るのがナタリー・ドロンなら納得するけど、そこら辺の小娘が「役者」の真似事をして、一端の女優気取りじゃ白けてしまう。はっきり覚えていないけど、松田聖子も確か映画に出ていたぞ。今では、フランス人監督も大半がリュック・ベッソンみたいになって、ハリウッド映画と変わらぬ作品を手掛けるようになった。フランス人歌手も世界市場を目指すから、どうしても英語で歌うことが多い。ここで知りたいのは、マスコミで話題になった朝鮮人歌手は、朝鮮語で歌っていたのかどうかだ。 一説では、日本市場を考えて、所属事務所が朝鮮語を控えていたという噂もある。商業的見地からすれば、朝鮮人歌手に日本語を覚えさせた方が得だ。やはり、コンサートに出向いた日本人の観客が、南鮮人歌手と一緒に朝鮮語で合唱するとは思えない。しかし、最近だと朝鮮語に抵抗がない日本人がいるから、それもあり得るのかな、と考えてしまう。

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(左: ララ・フェビアン / ニコール・クロワジール / ジェーン・バーキン / 右: ジェラルド・ドパルドュー)

  以前、眉を顰めたくなる「韓流ブーム」とやらで、日本のテレビ局と結託した朝鮮人歌手が続々と来日していたが、その何人かは英語混じりの日本語で歌っていたと記憶している。ただし、筆者には誰が誰やら判別がつかないし、どんな曲なのか興味が無かったので断定できない。しかし、彼らが全曲朝鮮語で歌ったら、どうなっていたか? たぶん、日本人の聴衆は興味を失い、コンサートに行く観客は減ってしまうだろう。だって、何言ってるのかてんで分からないし、朝鮮人歌手が格好つけて歌っていても、朝鮮語の響きで笑ってしまうからだ。以前、ある子供たちに朝鮮語版『キューティー・ハニー』を聴かせたら大爆笑。若い朝鮮人の女の子が一生懸命歌っていたけど、滑稽な言葉と発音でどうにもイケない。朝鮮語は全く分からないけど、朝鮮人歌手が「ぶたかけ~、ぶたかけ~、サティチュディアキル・・・ハートがドゥング・ドゥング○◇■△・・・ナシロ、ナシロ、ナシロ、チャドボメシロ~、ハニー・フラッシュ !」じゃ笑っちゃうじゃないか。やっぱり、前野陽子じゃなきゃ。(昔のアニメが再放送されないのは、「政治的正しさ」の検閲があるせいかも。如月ハニーは「せむし男」にも変装していたからマズいのだろう。ディズニー・アニメでも『ノートルダムのせむし男』という原題はNGなんだって。『ノートルダムの鐘』じゃ、おかしいよねぇ。)

キューティー・ハニーマッハ・バロンXボンバー2井上大輔







(左: キューティー・ハニー / マッハ・バロン / X-ボンバー / 右: 井上大輔)

  昔のアニメ・ソングはすごかった。例えば、『スペース・コブラ』の主題歌は前野曜子だし、チャーリー・コーセーが歌っていた『ルパン三世』のエンディング・ソングはもう名曲(クラッシック)だ。かつての日本では、子供用番組だからといって手抜きはなかった。『スーパーロボット・マッハ・バロン』のオープニング曲は、売れっ子の井上大輔が作曲していて、ベースの演奏が特徴的だった。(井上大輔は郷ひろみの「2億4千万の瞳」を作曲したミュージシャンと紹介すれば分かる方も多いかも。機動戦士ガンダムの「哀・戦士」にも曲を書いていたから印象深い。その他、様々な歌手に曲を提供していた人物。) 『サンダーバート』を真似たような人形劇で、永井豪原作『Xボンバー』の主題曲を歌っていたのは、英国でもコンサートを開いたバウワウ(Bow Wow)だったから驚き。日本の代表的ロック・バンドが子供向け番組に係わっているなんて日本ならではの現象だ。それより豪華なのは、 ルパン三世の『ロシアより愛をこめて』である。あの実力派歌手しばたはつみが主題歌の『Golden Game』を歌っていたんだから。今のJ-ポップ歌手など霞んでしまうじゃないか。忘れてはならないのが、愛国者のすぎやまこういち先生。すぎやま先生は『サイボーグ009』や『伝説巨人イデオン』のテーマ曲を手掛けていたんだから、日本の子供は世界一の幸せ者。こうして日本のアニメ界を見渡すと、朝鮮のアニメなんか200光年遅れているというより、公衆便所の紙くずだ。

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(左: 前野曜子 / 中央: すぎやまこういち / 右: しばたはつみ)

朝鮮語を習得して給料アップ

  アニメを語ると長くなるので話を戻す。日本が朝鮮を統治していたことは、多少なりとも歴史を習った中学生なら知っていよう。しかし、当時の日本人がどれくらい朝鮮語を話せたのかは不明である。録音盤があったら聴いてみたい。そもそも、日本人は朝鮮語を勉強したのか? 我々のご先祖様は、あのだらしない朝鮮人に学校や病院、工場などを建ててやったけど、積極的に朝鮮語を学んだわけではなかった。日韓併合で朝鮮は日本の一部になったから、二重言語社会にするわけにもいかず、かといって急に日本語だけにするというわけにもいかなかったらしい。しかも、当時は官民挙げて「内鮮融和」というスローガンが謳われていたから、併合された朝鮮人が一方的に日本語を学ぶのではなく、統治者たる日本人も彼らの言語を学ぶべし、という考えに至ったという。こんな姿勢は世界中どこを探しても、日本人しか見当たらない。中華思想の支那人なら、死んでも朝鮮語を学ばないし、華夷秩序に凝り固まった支配民族は、朝鮮人を「東夷」と見下すのが常識だから、支那語だけで通す。全世界を支配すると自惚れている民族が、豚の鳴き声を真似ることは絶対ない。殺戮の常習犯たる支那人は、劣等民族に対して決して容赦はしないし、全世界の民族が支那を崇めるものと信じている。支那人なら、土下座した朝鮮人の頭を思いっきり踏みつけて、誰が支配者かをじっくり教えるはずだ。日本人には理解できないが、どんな屈辱を受けても抵抗しない朝鮮人は支那人が大好き。朴槿恵が習近平に寄り添う姿を見ても、まだ日韓友好を口にする日本人は、支那の地下水を飲め。死ぬかも知れないが、きっと目が覚めるだろう。

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(写真/日本統治前の朝鮮)

  日本の左翼は朝鮮統治を「植民地支配」と呼んでいるが、実際はアカンタレの劣等国を一から教育する「国家創成事業」だった。日本の子供は朝鮮を搾取したと教えられているが、事実は逆で、日本の庶民が日本政府によって搾取されたのだ。最大の受益者は朝鮮人。ドリーム・ジャンボ宝くじの一等に連続10回当選するようなものだ。10億ないし100億円もらったのに、やれ「不幸だ」とか「屈辱だ」といった文句を垂れるバカはいないだろう。例外は朝鮮人のみ。日本政府は巨額な税金を浪費したばかりか、優秀な人材まで惜しみなく朝鮮に注ぎ込んでしまった。日本の東北はどうでもいいのか? 「賊軍(幕府側)の領地にはインフラを整えてあげない」、と意地悪をしたのかもしれない。江戸や明治の頃は、まだ士族的雰囲気が残っていたから、朝鮮に派遣される役人や警察官、判事、教師には立派な人物が多かった。今から考えれば、腹立たしいほど“もったいない”人材の大盤振る舞いを行っていたのだ。たかだか30年ちょっとで、蠅より汚い貧民を一人前の人間に育てたんだから、日本の統治は世界史の奇蹟である。イエズス・キリストでも、水をワインに変えるとか、盲(めくら)や聾(つんぼ)を治すくらいの小さな奇蹟しか行っていないのだ。神様だって「えっ ! 朝鮮人はちよっと勘弁してよ」と逃げてしまうだろう。

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(写真/日本統治時代以前の朝鮮人たち)

  朝鮮に渡った日本人の中で、最も朝鮮語習得の必要性に迫られたのが警察官である。特に、3・1独立騒擾の後、朝鮮総督府は治安維持の強化を図り、その一環として日本人警官の言語能力を向上させようと考えたのだ。事件の調査や犯罪者の検挙、治安維持において、警察官が朝鮮語を知っていれば、民衆の誤解を招くことが少なくなるし、聞き込み調査だってしやすくなる。そこで、総督府は巡査や憲兵、官吏に朝鮮語を習得するよう尻を叩いた。日韓併合前だと、朝鮮語を話せる日本人は非常に少なかったので、朝鮮人相手の仕事が大変だったそうだ。そんなこともあって、警察官や教員、官吏などを対象にした大規模な試験制度を導入したという。これが、いわゆる朝鮮語奨励試験である。

  朝鮮語試験にまつわる経緯を述べると、やたらと複雑で長ったらしいので、かいつまんで紹介したい。まず、基本的な事から。本音を述べれば、日本人にとって朝鮮語は魅力に乏しい。誰だって糞尿まみれの朝鮮を目の当たりにして、その言語を学びたいとは思わない。しかし、行政機関からすれば、朝鮮語を話せる日本人が増えた方がいい。そこで、飴を鼻先に吊すことにした。つまり、お金をちらつかせて、朝鮮語をマスターするよう促したのだ。朝鮮語奨励試験には等級があって、簡単に言えば、一番上が「甲種」(後に「一種」とか「二種」に改変)で、次に乙種(後に「三種」となる)といった資格になっていた。「甲種」とか「一種」は、朝鮮語の通訳になれるくらい上手とか、朝鮮語で自分の意思を表現できる程度だったという。「乙種」とか「三種」は日常で使われる朝鮮語を理解したり、簡単な会話が出来る程度のものだった。時代が経つにつれ、等級が細かくなるが、それは特別手当と関係があったからだ。政府としては、一般の警察官を簡単な等級の試験と手当金で満足させたくない。なるべく多くの警官が更なる手当のアップを目指し、次の等級にチャレンジするよう仕向けるには、等級を増やしてちょっとづつステップ・アップさせるしかなかった。当初は、「甲種」に1から3等、「乙種」にも1から2等、の二種5等級だったのが、「一種」(1から2等)、「二種」(1から2等)、「三種」(1から3とう)という三種七等級になったり、三種四等級へ変わったかと思うと、二種二等級に再編されたという。

  検定試験や資格の等級に色々な変遷があったものの、要は日本人の朝鮮語能力を如何に向上させるかに重点が置かれていたのである。特別手当が難易度に応じて定められていたのも、日本人の尻を叩くためであった。1級の資格を有する者は50円をもらえて、10級の者は3円だけとかになっていたそうだ。手当の金額も時代によって変更されていたという。1921年から28年までは下は5円から、上は50円までが支給され、1921年から38年になると5円から30円のグレードに減らされ、1931年から37の間には5円から20円と更に減額。財政的に苦しくなる1937年から43年の間には、5円から10円の幅にまで落とされたという。現在の我々にとって当時の物価を知ることは少々難しい。明治30年から40年代だと、当時の1円は今の3800円くらいの価値があったという。例えば明治38年、木村屋のあんパンは1個で1銭という値段だった。うどんや蕎麦は一杯2銭ほどで、ビールの大瓶だと1本20銭であったそうだ。次に、大阪朝日新聞の購読料を見てみよう。明治40年頃は1ヶ月で45銭の値段だった。それが、大正9年くらいになると90銭から1円10銭に値上となり、昭和20年では2円7銭くらいになっていた。したがって、特別手当を5円もらえた役人は、今で言うと2万円前後を手にしたことになるのかも知れない。

  特別手当の金額が分かれば、次に朝鮮統治時代の給料を知りたくなるだろう。大正時代の1924年頃、巡査の給与は本俸で38円から75円、加俸や加給、宿舎料などを合わせると、最低でも70円はもらえたそうで、最高は138円だった。平均すれば90.5円になる。簡単に言えば、こうした基本給に、努力次第で特別手当が加わったのである。しかし、たいていの警察官は読み書きより会話を重視。そもそも、朝鮮人を指導するためとか、容疑者の尋問を行うときに便利であるから、というのが当初の目的だった。したがって、簡単な朝鮮語会話ができれば良いとされたのだ。なにも学者になるわけじゃないから、日本語の論文を的確な朝鮮語に訳す必要はない。こうした事情があったので、最低等級の三種合格者のうち警官が約80%を占めていた。二種合格者では約66%、一種合格者になると、わずか28.2%しかいなかったらしい。(山田寛人 『殖民地朝鮮における朝鮮語奨励政策』 不二出版 2004年 p.141)

  朝鮮語検定に関して、朝鮮史の研究者は日本人警官や総督府の役人が、朝鮮人の言葉を学ぶことに不熱心だった、と非難する。でもさぁ、日本人にとって「朝鮮語」は有益なのか? 朝鮮語の習得なんて、どちらかと言えば、憂鬱な勉強だろう。朝鮮語を学んで、一体どんな恩恵があるって言うんだ? 明治維新によって海外渡航が許され、初めて朝鮮半島に訪れた日本人はびっくり仰天。道路にはウンコや小便が垂れ流され、住民は乞食か穢多(えた)にしか見えない。貧乏な上に覇気が無い。科学技術が一切無いのは当然だし、金融制度はゼロ。市場では魚や肉が売られているけど、蠅がたかっていて汚いし、余りにも臭いので市場に寄りつくことさえ嫌だ。掘っ立て小屋しかない朝鮮ではホテルなんて望めない。不潔な宿でも我慢しなければならないが、オンドルで暖められた部屋には南京虫や蚊がうようよ出てくる。とても眠れたもんじゃない。支配階級の圧政に慣れてしまった民衆は、自らの生活を改善しようとは思わないし、また出来るだけの資本も無ければ技術もないときている。しかも、こうした庶民を見ている両班(やんばん)は何もしないのだ。高度な文明を当り前と思っていた日本人が唖然としたのも無理はない。こんな惨状を見た後に、朝鮮語を勉強したいと思う日本人はいないだろう

正義の使者だった日本人

  朝鮮人は日本人の支配を恨んでいるが、日本の朝鮮経営は稀に見る曠古(こうこ)の偉業である。だいたい、貧乏国にひしめく無知蒙昧な朝鮮人に教育を授けたことだけでも驚異的だ。また、朝鮮人の子供を育成するに当たって、父兄とも意思の疎通を図ろうとしたのだから感心するじゃないか。日本人は弾圧者として非難されているのに、実際は家畜以下の扱いしか受けていなかった朝鮮人に、宝石みたいに高価な近代文明を授けたのだ。それだけではない。きめ細やかな教育を当然とする日本人は、子供の親にまで気配りをする、といった方針を取っていた。また、警察官が朝鮮語を学んだのは、なにも効率的に朝鮮人を逮捕するためだけではない。実は、朝鮮人の権利保護を目的としていたのである。朝鮮統治の初期、日本人の警察官は朝鮮人警察官あるいは朝鮮人通訳を伴って、治安維持を図ったり、事件の捜査していたという。ところが、通訳を務める朝鮮人警官の品性に問題があった。韓国内部警務局編『顧問警察小史』によれば、朝鮮の事情に疎い日本人警察官は、「通訳ニ従事スル者ノ品性野卑ナルコト」に困惑したそうだ。つまり、警察官の倫理を有しないばかりか、一般人としても許せない不正を行っていたのである。

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(写真/伝統的な朝鮮の刑罰)

  では、この朝鮮人通訳官は何をしたのか? 具体的に言えば、故意か無意識か分からぬが、警察の秘密を外部に漏らしたり、他人から贈賄や依頼を受けたというのだ。例えば、容疑を掛けられた者あるいはその家族が、朝鮮人警官に贈り物で「手心」をくわえるよう依頼する事があった。賄賂文化が社会の隅々にまで浸透している朝鮮では当り前。逆に、金品などの「袖の下」を渡さぬ者に対しては、不利になるような通訳をしていた、というから誠にけしからん。これは支那人や朝鮮人の特徴なのだが、「正義の天秤」は純金が載せられた皿の方に傾く、という常識がある。賄賂が少なかったり、気に入らない相手だと、いい加減な通訳をして有罪に導いたりする一方で、充分な賄賂を渡した相手には、無罪になるよう翻訳してあげたというのだ。取り調べをする日本人が朝鮮語を理解できなければ、通訳担当の朝鮮人を信じるしかない。朝鮮人通訳が適当な翻訳をしても日本人が見抜けないのは当然である。したがって、冤罪事件が増えてしまう。そこで、こうした不正を防止するために、総督府は日本人警官に朝鮮語習得を促したのだ。裁判官だって朝鮮語を学んだのだから、八百長法廷しか知らぬ朝鮮人にとって、日本の判事は天から舞い降りた正義の番人、といっても過言ではない。現在の朝鮮人は日本人の憲兵や警官を極悪人に仕立てているが、実際に悪かったのは朝鮮の両班であり、同胞をカモにする朝鮮人官吏の方だ。

  朝鮮統治が天の恵みだったことは、ちょっと調べれば分かるはずなのに、現実には秕政(ひせい)と思われている。なぜか? それは朝鮮史研究者が、ほぼ100パーセント近く左翼だから。だいたい、成績優秀な若者が朝鮮語を学んだり、朝鮮の政治や歴史を学ぶわけないだろう。朝鮮贔屓のNHKやTBSなどは、「韓流ブームで韓国語を学ぶ人が今増えています !」と宣伝していたが、「ホンマか ?」と疑いたくなる。なるほど、南鮮人相手の商売を行っている商社や旅行代理店だと、朝鮮語が堪能な人材が必要だから、朝鮮語学科を卒業した若者を求めているのだろう。しかし、その需要は少ないはずだ。実際、朝鮮語学科を設けている大学は多くない。明治維新により開国した日本では、西洋の言語を学びたいという若者なら、全国各地にいて選抜試験も盛んだった。帝國陸軍だって若い士官をフランスやドイツに留学させたし、帝國海軍も教官を英国から招いて軍事訓練を助けてもらっていたのだ。帝國大学はお雇い外国人を高給で招いていた。有名なラファエル・ケーベル(Raphael Koeber)は、ドイツ語なまりの英語で、カントやヘーゲルの哲学を教えていたという。その他、ケーベル博士はラテン語やギリシア語の知識だって怪しい日本人に、プラトンやホメロス、ヴェルギリウス、ホラティウスについての講義を行っていたのだから、いかに当時の若者が西洋の学問を欲していたかが分かる。その一方で、漢籍は落ち目になって人気がない。支那語を学ぼうとする若者が減っているのに、その属国たる朝鮮の言葉を学ぼうなんて思う奴は居らんやろ。チッチキチー。

  それでも、日清戦争前には朝鮮と交渉することがあったから、朝鮮語を理解できる日本人を養成しておく必要があった。朝鮮語の教育機関としては、高等商業学校本科がまず挙げられよう。この学校では英語のみならず、フランス語やドイツ語が必修科目とされていたが、その後スペイン語やロシア語のを第二外国語として教えるようになり、1894年に朝鮮語が加えられたという。しかし、第二外国語としても朝鮮語を専攻する者がほとんどいなかったので、朝鮮語学科の必要性は薄れるばかり。もともと人気が無かったのだからしようがない。こうした事情から、1897年になると朝鮮語クラスが消えていたそうだ。しかし、高等商業学校から朝鮮語学科が無くなったからとて、全滅したというはけではない。1897年には高等商業学校附属外国語学校が創設され、「英、仏、独、露、西(スペイン)、清(支那)」の他に、朝鮮語が加わった七つの学科が設置されたという。この付属校は2年後の1899年に独立し、我々が知っている東京外国語大学の前身となった。しかし、その東京外語学校でも朝鮮語の人気はパっとせず、1927年に朝鮮語学科は廃止されたという。それまでに卒業していった学生の数は130名だった。新入生は1915年度の4名が最後で、その4名が卒業した1918年度でお終い。わびしい最後だった。

  東京外語の他で有名なのは、地理的に朝鮮に近いことから設置された山口県や長崎県の高等商業校とか、台湾協会学校を母体とする東洋協会専門学校くらいだろう。朝鮮語というのはマイナーで特殊な言語であったため、朝鮮語学科を備える教育機関は少なかった。それに日露戦争以後、いくら満韓との関係が緊密になったとはいえ、すぐさま朝鮮の専門家になりたいという日本人が増えたわけではない。朝鮮語のコースを用意したものの、志願者の確保には苦労したようだ。例えば、山口の高等商業学校における、朝鮮語志望の生徒数を眺めると面白い。

年度 /            1906                  1907                1908                    1909                   1910

          韓語   清語     韓語    清語     韓語   清語     韓語    清語     韓語    清語
第1学年       3        109          0            127        32          82          48          67            13         123   
第2学年       2         80           3              97         2          108          31          78           22          86 
第3学年      non      non          2             67         3            87           2            92           21         75 

    全体の傾向として、まず1年生で朝鮮語を選択する生徒の数が少ない。次に、学年が2年、3年となるにつれ、脱落する者が多くなる。特に気になるのは、1907年の新入生で、朝鮮語を選択した者がゼロということだ。ところが、1908年から急に増えだした。しかし、これは朝鮮語に「人気」が出たためではなく、「生徒の志望」に任せたままだと選択者数が増えない、と危惧した学校側の措置が効を奏したものと思われる。つまり、学校側が半ば強制的か、熱心に勧誘した結果と推測されるのだ。同じく、長崎の高等商業学校も生徒獲得に苦労したようである。両校とも朝鮮語教育に力を入れたようだが、日韓併合で朝鮮語学科は衰退し、やがて廃止されることになったという。表向き、朝鮮は併合により「外国」ではなく、「日本の一部」になったという建前ができ、朝鮮語を外国語として扱うのは「不適切」となった。でも、本音はお荷物になっていた朝鮮語学科を、品良くお払い箱にしたかったのではないか? 併合したって朝鮮人は依然として外人だ。日本人は本心を殺して建前を押し通すから、自ら窮地を招くことがある。とりわけ、同一国内にある様々な言語は、「方言」と見なすべきだと提唱する者がいたというから驚く。なるほど、日本には津軽弁や薩摩弁のように、発音からすれば「外国語」みたいな「方言」はあったが、言語学的立場から言えば両方とも同じ日本語である。したがって、いくらなんでも朝鮮語の「方言化」は暴論だろう。まぁ、無茶な“辻褄合わせ”はいつの時代にもあるものだ。

朝鮮語は「蔑称」か?

  朝鮮語教育について述べる時、どうしても気になるのが“言語名”である。以前、このブログでも朝鮮語の「名称」について述べたことがある。朝鮮人にやたらと“配慮”を示す日本のマスコミは、同一語なのに南鮮の言語を「韓国語」と言い換えて、北鮮の言語を「朝鮮語」と呼んでいる。でも、おかしいじゃないか? たかが半世紀前に分断された民族の言葉を二通りに呼ぶなんて。200年前に分離したブリテンとアメリカで使われている言葉は、どちらも「英語」である。確かに、発音や綴りの問題から「米語」と「英語」と区別することはあるが、特殊な言語学者以外は通常「英語」という名称で統一しているはずだ。もし、「韓国語」にこだわるのであれば、「カナダ語」や「オーストラリア語」があるのか、と尋ねたい。 「オーストラリアなまり」ならあるが、別な言語ではない。NHKは南鮮人と北鮮人の両方に気兼ねして、「朝鮮語」ではなく「ハングル講座」という奇妙な講座名にしているから、誰だって異常なことに気づくだろう。左翼思想のマスコミによる刷り込みのせいか、一般人は「朝鮮語」を差別用語と勘違いしている。支那語も同様で、「支那人」とは侮蔑語と定義され、テレビや新聞で使用されることがない。そのくせ、「高麗」から由来する英語の「コリア」はOKだという。李氏朝鮮は差別的で、その前の高麗だと“適切”なのか? だいたい、朝鮮史学界が「極左」学者で占められているから、こうした疑問さえ意識されないのだ。

  歴史家の頭ばかりが異常なのではない。言語学者や教育者、さらに大学経営者まで狂っているから厄介なのだ。例えば、大学における学科名を見てみれば分かるだろう。東京外語大学の言語文化部や大阪大学の外国語学部では、「朝鮮語」としているから我が国の慣習や言語分類の伝統を守っている。しかし、獨協大学の国際教養学部や明治大学の商学部では、「朝鮮語」だと響きが悪いのか、「韓国語」を用いている。奇妙なのは京都大学だ。国際高等教育院では、従来の「朝鮮語」という名称で教えているのに、文学部では「韓国語」と称して教えている。もっとも、京都大学は伝統を弊履の如く捨て去ることで有名だから仕方がない。「京都支那學」と言えば、内藤湖南(ないとう・こなん)や狩野直喜(かの・なおき)、桑原隲藏(くわばら・じつぞう)を直ぐ思い浮かべるだろう。戦前は、こうした京都帝國大学の名物教授だちが「支那學」を堂々と掲げていたのに、戦後になると「中国学」に看板を掛け替えてしまった。死んだ長老教授を何時までも有り難く思っていても利益は無い。死人に口なし。草葉の陰で泣いていようがお構いなしだ。それよりも、北京で歓迎してくれる支那人の方が大切である。支那人様の御機嫌を損ねたら、支那渡航のヴィザを頂けないかも知れない。また、国内外でもらえる支那人からの便宜は魅力的。その上、天下の岩波書店が支那にへつらっているのだ。昔は、津田左右吉みたいに「支那」で通した硬骨漢もいたが、戦後の支那学者は軒並み腰砕け。ついでに言うと、津田博士は敗戦をモノともせず、当時権威のあった雑誌『世界』で、事もあろうに皇室擁護論を書いてしまった。岩波書店は真っ青。まさか、大御所の津田先生に「おい、書き直せ !」なんて言えないから、編集部は渋々その論文を掲載したそうだ。

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(左: 内藤湖南 /  狩野直喜 / 桑原隲藏 / 右: 津田左右吉)

  京都帝國大学が平気で伝統を踏みにじる、と分かってショックを受ける国民もいるだろうが、学界の本丸、東京帝國大学もひどかった。教養学部では朝鮮語を「韓国朝鮮語」と呼んでいる。これは作り話ではない。(「まさか、そんな」と思う方は電話かホームページで確かめてね。) たしか、どこの大学でもドイツ語は「ドイツ語」と言っているよなぁ。「東西ドイツ語」とか「ドイツ・オーストリア語」なんて呼ばないよ。ただし、「低地ドイツ語」と「高地ドイツ語」と区別する場合があるけど、一般には「ドイツ語」で通っている。戦前の日本人はドイツ第二帝政が崩壊して、ワイマール共和国になったのを知っていたが、誰も「ワイマール語に変更しよう」なんて呼びかけなかった。ドイツに恩がある帝國陸軍だって、「ワイマール語」とは言わなかったじゃないか。「韓国朝鮮語にしましょう」と提案した教授は誰なんだ? 東大は情報公開してくれるのか? もしかしたら、NHKみたいに教授陣が南鮮派と北鮮派に別れて対立しているのかも知れない。 どうせ、朝鮮語や朝鮮史を教えている教授なんて、みんな和田春樹の仲間なんだろう。もしかしたら、北鮮人よりも北朝鮮を愛していたりして。

  我が国の学界には、「朝鮮語」という言語名を「侮蔑的」と考えている学者が実に多い。先ほど紹介した山田寛人もそうだが、「鮮人」とか「鮮語」も蔑称だと思っている。まったく、朝鮮を研究している者は、どいつもこいつも左翼か朝鮮シンパだ。恐らくこれは、朝鮮学に魅力が無いことに原因があるのかも知れない。朝鮮語を学ぶために進学する受験生や、朝鮮学を専攻する大学には、何らかの特殊な理由があるからだろう。西歐言語を習得し、欧米の歴史や政治を研究できるほどの学力が無い、とのアカデミックな問題から、血筋が朝鮮系だとかいう個人的事情が絡んでいる場合まで様々ある。欧米に関する学問だと、論文を綿密に書かねばならないし、業績評価も厳しい。悪戦苦闘のすえ書いた論文でも、審査基準の高い国際競争に曝されるから、変な論文を発表すると内外から物笑いにされてしまう。能無し学者にとって競争は悪だ。有能な西洋学者なら民間の研究機関でお招きがあるだろうが、日陰者の朝鮮学者には大学しかない。赤い研究者ばかりが集う狭い学界で、若い講師が長老教授に楯突くなんて自殺行為。大御所教授に倣って、「“鮮人”は蔑称です」と合唱すれば、退職まで安泰だ。それに、有力教授の娘でも娶れば、待望の「教授」になれるんだから。

  翻って、支那や朝鮮を専攻する学者はどうなんだ? 大半は研究費だけもらって、昼寝でもしているのだろう。何とも気楽な商売だ。研究論文なんていい加減で大丈夫。本場の支那や朝鮮では捏造が当り前。朝鮮では「韓国5000年の歴史」とか「韓国は世界五大文明のひとつ」と叫ぶ学者がいるんだから。手前勝手な理論や解釈、根拠の無い論文を発表したって恥ずかしいとは思わない。「有る」と念じれば、日本軍による「性奴隷」や「従軍慰安婦」だって存在するのだ。一方、日本の物理学会でスプーンを念力で曲げられると信じる学者はいないだろう。また、いくらアニメ好きの学者でも、人間がサイボーク009みたいに瞬間移動が出来るとは思っていない。でも、朝鮮人相手の学界には、捏造学者がひしめいている。朝鮮人には史実と空想の区別が無い。一次資料に「軍」と「売春婦」という文字を見つけたら、その内容はどうでもよく、願望と妄想を足して「真実」を創り上げてしまう。アメリカ人が朝鮮人の虚構を信じてしまうのは、朝鮮語を読めないからというのもあるが、大勢の学者が協調して嘘をつくとは想像できないからだ。100人中2、3人が偽りを述べることがあっても、99人が嘘を突き通すとは通常考えられない。朝鮮人の歴史雑誌は、宇宙人やピラミッド・パワーを特集するオカルト雑誌『ムー』と同じ。宇宙人に拉致されて金星に行ったことがある、と語った元首相夫人の鳩山幸(はとやま・みゆき)と大差が無いから笑ってしまう。

  そもそも、大学の「紀要」に掲載されたクズ論文など、一般人は誰も読まないから安心。同僚学者だってお互いに批判しないのが暗黙の掟だ。みんなで仲良く穏便に大学生活を送れば、毎年きちんと給料がもらえるし、退任となればたんまりと高額な恩給がついてくる。しかも、子飼いの弟子たちが貧相な論文をかき集めて、全集や著作集、あるいは退任記念論文集を作ってくれるのだ。出版社だって笑顔で話に乗ってくる。もし、一般書店で売れなくても、各地の図書館が買ってくれるから心配ご無用。教授の心得は「おしん」の一言。これといった業績が無くても、朝鮮人にゴマをすり続ければ、左翼スタッフの目にとまり、テレビ出演の機会もある。そうなりゃ女房子供は大はしゃぎ。「うちの亭主はテレビに出たのよ !」とご近所に自慢できて鼻高々だ。学者と乞食は三日やったらやめられぬ、というのは本当である。

  日本の庶民は本当に朝鮮人と口も利きたくもない。事ある毎に難癖をつけてくる朝鮮人は鬱陶しいが、気違いに「理性を持て」と諭すのは無理な注文だ。朝鮮半島の賤民は相手にしないこと。五月蠅(うるさ)く纏わりつく朝鮮人には、上品に「君子のの交わり淡き水の如し」と言ってやれ。後は棍棒で殴ればいい。問題なのは、日本国内にいる朝鮮人とその追従者である。我が国に潜む在日鮮人は、日本の国益を邪魔することで快感を得る、ひねくれ者だ。彼らは日本の首脳が韓国大統領に謝罪する姿を見ると溜飲が下がる。反日学者は日鮮問題がこじれた方がいい。揉め事が大きくなれば、世間の注目を浴びる機会も増えるし、「弱者」の在日鮮人を擁護する“良心的”学者を演じてヒーローになれる。かつて「進歩的文化人」かいたように、現在は「良心的人権派」が大威張りできる時代である。無名だったジャーナリストの安田浩一が、参議院議員の有田芳生(ありた・よしふ)と共に、世間の脚光を浴びるようになったことを考えれば、いかに左翼が朝鮮問題を利用したかが分かるだろう。ついでに言えば朝鮮人に辛口の評論で知られている筑波大学の古田博司も怪しいぞ。彼は以前「朝鮮語」と呼んでいたのに、『正論』や『WiLL』に登場するようになってから、「韓国語」にすり替えた学者だ。どうして同じ言語なのに急に名称を変えたのか? 中西輝政氏同じで、世間の風向きが変わったから、朝日・岩波方面から産経側に流れてきたのだろう。

安田浩一古田博司植村隆若宮敬文








(左: 安田浩一 / 古田博司 / 植村隆 / 右: 若宮敬文)

  朝日新聞は「言論の自由」を掲げるが、それは“自分の”自由であって、日本国民が持つ「表現の自由」ではない。「鮮人」という言葉を禁止して、日本人が抱く朝鮮人への「嫌悪感」を抑圧するのが仕事だと思っている。日本人から購読料を取って、朝鮮人に媚びるのが朝日やNHKの本性と気づかぬ国民が多い。朝日やNHKで飯を喰う左巻きの社員は、朝鮮人が何時までも日本に居坐ることを望んでいる。在日朝鮮人がみんな強制送還されたら、彼らの支援者は激減するし、国内で日鮮対立のデモが盛り上がらない。一般人の幸福は彼らにとって損になる。平穏な国民生活は許せない。放火魔の消防士は、楽しい火事を仕組めば、消火活動で英雄にもなれるから、二重の喜びがある。「従軍慰安婦」を煽った植村隆(うえむら・たかし)や、日帝支配への謝罪を叫んだ若宮敬文(わかみや・よしぶみ)を思い出せば納得できるだろう。朝鮮人を庇っている朝日新聞こそ、最も朝鮮人に対して偏見を持っている。悪事をはたらいた朝鮮人が逮捕されると、本名ではなく「通名」で報道するのは、朝鮮人に対する偏見を助長しないためだ、との言い訳をするが信用できない。朝日の連中は、誰よりも早く「犯罪」イコール「朝鮮人」と連想するからじゃないか? 「あ~ぁ、また朝鮮人が犯罪をしでかしたぞ」と思うから、朝鮮人犯罪者の素性を隠そうとするのだろう。そもそも、朝鮮人には犯罪者が多いと判断することは各個人の自由だし、朝日新聞が検閲者になるのは傲慢だ。「朝鮮人が嫌い」と発言できる日本の方が健全である。もっとも、「金日成が憎い !」と公言できない北鮮が“理想”の朝日では、“日本国民”の自由は理解できまい。

後編」に続く。




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