感謝しない支那人
隣に藏が建って腹が立つのは分かるけど、“しっちゃかめっちゃか”なら放っておけばよい。他人の不幸は鴨の味とか蜜の味とか言うじゃないか。それなのに日本の政治家は、支那や朝鮮の事となるや、何はともあれ、まづ税金を使いたがる。朝鮮人には「慰安婦問題」で10億円くれてやり、支那人には「植林事業」で100億円提供するそうだ。他人のゼニだと気前がいい。花咲か爺さんも三舎を避けるくらい、税金をばらまいて支那に桜を咲かせようとする。黴菌と公害でとてつもなく汚い支那に、ちょっとくらい植物が増えたからといって、素晴らしい桃源郷になるのか? 狡賢い支那人のことだ、日本人が植えた苗木をこっそり盗んで転売するんじゃないか? 支那人ならやりかねない。今回100億円もらえるなら、来年度は200億円要求しよう、と考えるのがこの民族だ。はやく100億円使って、資金不足を理由に支援金の増額をねだるかも知れない。しかも、次回は内緒で、国会にも知らせず、日支の役人同士で勝手に決めてしまうことだってあり得る。
(左: 笑顔の支那人 / 右: 怒る支那人)
支那人に欠けているものに、「思いやり」、「気配り」、「心の細やかさ」など挙げたらキリが無い。中でも特徴的なのは、「感謝の気持ち」がないことだ。日本では鶴だって恩返しをするし、野良犬だって三日も餌をもらえば、尻尾を振って「ありがとう」の一言くらい述べる。少なくとも、そう聞こえるような声で鳴く。ところが、支那人ときたら、人間の皮をかぶっているのに、「かたじけない」の言葉が出ない。もっとも、支那語にそうした語彙がないのかもしれない。「シェイシェイ」と感謝の言葉を口にするが、心がこもっていないし、言葉は無料だから、いくらでも舌が回る。支那人は肚が黒いが、その舌も黒い。飯を食う時だけ正直で、その他は嘘をつくために利用するだけだ。支那人の舌を鉤(かぎ)に引っ掛けて、天井から吊してやりたい。
こんな支那人が我々の税金を貰って、日本の大学で学んでいるんだから腹が立つ。大勲位の中曾根康弘が熱心に進めていたアジア人留学生の招致は、税金の無駄どころか、有害になっている。日本で大学を卒業した支那人留学生が日本に住みつくし、日本人と結婚して日本国籍を取ったりしている。日本人の遺伝子の中に支那人の遺伝子が混ざってしまう。アジア人支援に奔走する政治家は、こんなことには無頓着で、支那人を排斥する気配さえ見せない。支那に進出した日本企業が、支那人暴徒によって多大な損害を蒙ったのに、平気な顔して議員会館で寝転んでいる。そもそも、支那人に施しを与えたからとて、感謝されることはないのだ。
こうした支那人の性質は昔から分かっている。「支那通」で有名な後藤朝太郎はこの点を既に指摘していた。昔の日本政府も、対支那文化事業の一環で、外務省を通して、支那青年に学資を与えていたそうだ。ところが、当の支那人どもは、こうほざいていた。
我らの父兄が納税した金がグルグル廻って我々の手に入っただけのことである。我々が当然貰うべきものを貰っているだけのことである。むしろ、もう少し余計に寄越してくれても良さそうなものである。(後藤朝太郎 『大支那の理解』 高陽書院 昭和13年 p.20)
もう、支那人留学生を一人一人ひっ捕まえて、頭をハンマーでひっぱたいてやりたい。チャンバラトリオならとっくにハリセン攻撃をしているはずだ。支那人は日本人を舐めている。支那人なんて連中は肥溜めの中に一週間くらい沈めてやればいい。親切にして恩を感じるのは文明人だけ。地球で最低の民族に、日本人の気持ちを忖度するなんて藝当はできない。支那人はワニと同じで、10年間も餌をもらっている飼育員だって、油断すれば喰おうとするんだから。彼らを哺乳類と考える日本人が悪い。
(左: 豪華なリムジンに乗る支那人カップル/右: 買い物を楽しむ支那人女性)
何処までもお人好しの日本人は、支那に病院を建てて、支那人患者を診てやったそうだ。病で苦しむ支那人を診察してやり、薬を与えてやれば、自然と彼らが日本人に親近感を抱くに違いない、考えたらしい。しかし、必ずしもそうならなかった。支那人は薬をもらう時は、もらう間だけの話、脈をとってもらう時は、とってもらう間だけの話だった。いざ排日、いざ掠奪、という時には、それらの慈善事業は何の効果もなかったのだ。(上掲書 p.21) 支那人は「日本人に良くしてもらったから、危害を加えちゃいけないな」と思わない。日本人をやっつけるとなれば、うきうきしながら暴力をふるうのだ。だいたい、日本人は国家と国民を無意識的に同一視するから、国家規模で援助を行えば、支那国民も日本人と日本国を尊敬するはずだ、と思い込んでしまう。ところが、支那人には国家という観念が無いのだ。後藤氏はこう述べている。
支那人は殊更あの通り国家を頼って居られない国民である。また国家主義を重視していない。その支那人くらい世界で独立独行、何処までも自分の力で押し進んで行こうと努力し、またその頭を無意識の間にはたらかせい居るものは無いのである。これに反して、日本人ときたら極端に国家を頼み、政府を頼み、それも一にも二にも国家の補助金を当てにし、国家でなくては夜も日も明けない。(上掲書 p.22)
日本人は支那人に対して一切の援助を、即時中止にすべきだ。そして日本に住みつく留学生も、どんな能力があろうとも絶対に滞在させてはならず、日本人配偶者をもつ者は、夫婦家族揃っ支那国籍を取らせるよう命令すべきだ。日本国籍ばかり取得するのはおかしい。日本人配偶者は支那に帰化すればいいのだ。支那人と結婚すると云う事は、支那人の混血児をもち、支那の歴史を共有し、支那人を同胞となし、支那の国運と自分の運命をリンクさせることを意味する。これが嫌だから日本人配偶者は日本国籍を捨てることができない。日本人女性がもし、アメリカ人とかイギリス人、フランス人と結婚すれば、平気で日本国籍を捨てて亭主の国籍を取ったりする。ところが、支那人や朝鮮人と結婚した女性は、躊躇いをみせるし、亭主の祖国や同胞を愛せない。結婚して支那人になったりしたら、同窓会で恥ずかし想いをするから絶対嫌だ。外国に旅行して、支那人に間違えられたら、「何よ、失礼ね」と怒ってしまう。日本人にとって、支那人への転落は悪夢に外ならない。こんな支那に税金を注ぎ込むなんて、振り込め詐欺の被害者を笑えないじゃないか。
八百長のグラスルーツ
(左: 宋文州/右: 孔健)
なぜ日本人は支那人に幻想を抱くのか。その原因は様々だが、その一つに「ヤラセ報道」がある。例えば、支那人観光客が大勢訪れて、観光地や商店街が儲かり、日本の景気に貢献しているというニュース報道が多い。しかし、テレビ局は支那人が日本の土地を購入し、天然資源を枯渇させたり、自衛隊基地を監視していることを伝えない。また、支那人が日本人の良さを実感し、気軽に移住してきたり、勝手な理由をこしらえて、長期滞在を計ったりすることも隠蔽している。フジテレビや日テレの政治報道番組に、「ソフト・ブレーン社」の宋文州や孔子の子孫という肩書きだけが売りのジャーナリスト、孔健を出演させたり、と支那人の宣伝活動を支援している。宋文州など銭だけが目的の意地汚い商売人で、ついでに北京政府の提灯を掲げているにすぎない。孔健も血筋に弱い日本人を見透かして、北京政府が利用している手駒である。あの下品なツラと横柄な態度を見て、尊敬する日本人がいるのか? 支那大陸だと儒者は軽蔑されており、権力者に阿るインテリ乞食と同義語なのだ。孔子の子孫ていったって何万人もいるじゃないか。それに大殺戮が何度も起こった支那で、生き延びた奴らは相当したたかな連中か、狡猾な悪党が多い。間抜けな奴は簡単に殺されるし、匪賊の餌食になってすってんてんにされてしまう。
日本では余り紹介されない言葉に「アストロターフ(Astroturf)」というのがある。これは元々人工芝の商品名であったが、「草の根運動(grassroots)」に見せかけた人為的民衆運動を指すようになった。民衆政治を賞讃するアメリカ人は、個人の意見を持つ国民と言われているが、案外世論に影響されやすい。第二次世界大戦の時、エドワード・バーネイズ(EDward Bernays)などが活躍していたが、大衆社会の到来が早かったアメリカでは、商業から政治に至るまで宣伝が盛んである。(バーネイズはオーストリア生まれのユダヤ人で、ジグムント・フロイトの親戚。また、ユダヤ人かよ、と言わないでね。) あたかも、一般人が発言しているかのように装っているが、実は広告のプロ、あるいは彼らに雇われた人物が個人的意見を世間に表明していることがある。例えば、大手雑貨チェーン店の「ウォル・マート」が、PR会社に頼んで、好意的な評判をブログに載せてもらったことがあった。これは「エデルマン(Edelman)」というPR会社が、三名の社員にヤラセ意見を書かせた事件である。(PR firm admits it's behind Wal-Mart blogs, October 20, 2006, CNN) 商売で「さくら」を雇うことは昔からよくあるが、世界的に有名な会社が姑息な手段を使ったことは注目に値する。バーネイズも述べていたが、民衆政国アメリカでは世論操作が必要なのだ。
(左 / シェリル・アトキソン)
最近でも、元CBSのレポーターだったシェリル・アトキソン(Charyl Attkisson)が、「アストロターフ」の危険性を警告している。彼女は精力的に事件の調査をするジャーナリストで、あまりにも突っ込んだ取材をしたため、CBSの報道方針と衝突したようだ。テレビ局には「批判して良いもの」と「触れてはならないもの」、「誘導報道」など視聴者にばらさない暗黙の規則がある。アトキソン氏はテレビ局の左翼的姿勢にうんざりしたらしい。例えば、彼女がオバマ政権の環境政策やクリーン・エネルギー政策、ベンガジ事件などを批判したため、民衆党寄りのCBSがいい顔をしなかったという。せっかく黒人が大統領になれたのに、その黒ん坊にケチをつけるなんて許せない。黒人のヘマは大目に見てやるのが、リベラル派の“良心”である。しかも、アトキソンは白人だから、黒人大統領を批判すれば、人種対立に見えてしまう。悪党は「白人」で、「善人」は黒人にしてあげるのが、テレビ局の合意である。TVドラマを観ていれば分かるじゃないか。知的で正義感が強く、心の優しい黒人を演出するのがテレビ局の掟だ。
(左: マイケル・ブルムバーグ/右: シャノン・ワッツ)
赤の他人が雑居する移民社会のアメリカでは、常識(共通の判断や伝統)が無いから、有力者や大企業が世論操作を仕掛けて、無知な大衆を動かす。例えば、元ニューヨーク市長で大富豪ユダヤ人のマイケル・ブルムバーグとPRのプロであるシャノン・ワッツは、銃器メーカーや武装権利団体に対抗するため、5千万ドルを投じて銃規制のキャンペーンを行ったという。(Top 10 Astroturfers, Sharyl Attkisson blog) ブルムバーグらは恰も大半のアメリカ国民が銃に反対しているとの意見を作りだした。「草の根」じゃなくて「お金の力」で政治を動かそうとしていたのだ。だいたい、街頭インタヴューとか、テレビ番組の流行報道なんか怪しいものだ。日本でも朝鮮ドラマを異常に囃し立て、「ヤラセ」の評判を視聴者に押しつけていた。また、テレビ局に不都合な話題になれば、下らない藝能報道で庶民の関心を逸らす作戦を取る。チャンネル桜で経済評論家の渡邉哲也のコーナーを観ていたら、ベッキーの不倫報道でテレビ局が騒いでいるということが分かった。また、ワイド・ショーでどうでもいい報道を繰り返しているのか、と呆れてしまった。(筆者にとって、モーターヘッドのレミーが死亡したことの方がショックだったので、日本の藝能情報は観ていなかった。テレビを観ていないと時代遅れみたいになってしまう。)
支那には人が有り余っている。乞食から穀潰しまでを含めれば五億人くらいいるんじゃないか。北京政府はインターネットを監視して、支那の世論操作に労力を割いている。支那人は噂で左右されるから、ネットの書き込みでも重要なのだろう。以前、北京政府が28万人もの人員を使って、政府に都合の良いコメントを書かせていたという。(Nate Anderson, 280,000 pro-China astroturfers are running amok online, ars technica) 捏造や謀略なら支那人の独擅場だから、相当手の込んだ提灯記事が多かったのではないか。支那人は犯罪や不正行為になると、途端に能力を発揮するから開いた口が塞がらない。以前、精巧な偽の生卵を作った支那人がいたが、それ程の努力をするんなら、鶏を育てて本物を売ればいいのに。ピッキングでクルマを盗むのは素早く、神業に近い。もっと創造的な仕事で才能を使えよ、と怒鳴りたくなる。まともな仕事だと、鮒(フナ)みたいに口を開けてぼんやりしているんだから、支那人は神様の失敗作なのではないかと疑ってしまう。
支那に樹木を植えたって美しい風景が戻ってくる訳じゃない。土壌や河川ばかりが汚れているのではなく、支那人の心が真っ黒で、根性がひん曲がっていることが問題なのだ。支那人にゴマをする二階俊博は、支那人から金か女を貰っているのだろうか。今から思うと毛沢東は偉かった。文化大革命で沢山の支那人を殺してくれて、人口調整をしてくれたのだ。しかも、支那人が外国に渡航できなかった。ジョージ・ケナンはソ連に対して「封じ込め」という甘い愚策を提案したが、支那対してこそ封じ込め政策をとるべきだった。日本は支那人の送り返し、もしくは支那人駆除を早急に実施すべきだ。支那人留学生がどうしても日本で学びたいというなら、竹島に寺小屋をつくって、数十倍の授業料を取ってやればいい。そうすれば朝鮮人も文句が言えないだろう。日本人は「支那人が嫌い」という草の根運動を拡大すべきだ。「正直は美徳」という諺を思い出すべきだろう。
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隣に藏が建って腹が立つのは分かるけど、“しっちゃかめっちゃか”なら放っておけばよい。他人の不幸は鴨の味とか蜜の味とか言うじゃないか。それなのに日本の政治家は、支那や朝鮮の事となるや、何はともあれ、まづ税金を使いたがる。朝鮮人には「慰安婦問題」で10億円くれてやり、支那人には「植林事業」で100億円提供するそうだ。他人のゼニだと気前がいい。花咲か爺さんも三舎を避けるくらい、税金をばらまいて支那に桜を咲かせようとする。黴菌と公害でとてつもなく汚い支那に、ちょっとくらい植物が増えたからといって、素晴らしい桃源郷になるのか? 狡賢い支那人のことだ、日本人が植えた苗木をこっそり盗んで転売するんじゃないか? 支那人ならやりかねない。今回100億円もらえるなら、来年度は200億円要求しよう、と考えるのがこの民族だ。はやく100億円使って、資金不足を理由に支援金の増額をねだるかも知れない。しかも、次回は内緒で、国会にも知らせず、日支の役人同士で勝手に決めてしまうことだってあり得る。
(左: 笑顔の支那人 / 右: 怒る支那人)
支那人に欠けているものに、「思いやり」、「気配り」、「心の細やかさ」など挙げたらキリが無い。中でも特徴的なのは、「感謝の気持ち」がないことだ。日本では鶴だって恩返しをするし、野良犬だって三日も餌をもらえば、尻尾を振って「ありがとう」の一言くらい述べる。少なくとも、そう聞こえるような声で鳴く。ところが、支那人ときたら、人間の皮をかぶっているのに、「かたじけない」の言葉が出ない。もっとも、支那語にそうした語彙がないのかもしれない。「シェイシェイ」と感謝の言葉を口にするが、心がこもっていないし、言葉は無料だから、いくらでも舌が回る。支那人は肚が黒いが、その舌も黒い。飯を食う時だけ正直で、その他は嘘をつくために利用するだけだ。支那人の舌を鉤(かぎ)に引っ掛けて、天井から吊してやりたい。
こんな支那人が我々の税金を貰って、日本の大学で学んでいるんだから腹が立つ。大勲位の中曾根康弘が熱心に進めていたアジア人留学生の招致は、税金の無駄どころか、有害になっている。日本で大学を卒業した支那人留学生が日本に住みつくし、日本人と結婚して日本国籍を取ったりしている。日本人の遺伝子の中に支那人の遺伝子が混ざってしまう。アジア人支援に奔走する政治家は、こんなことには無頓着で、支那人を排斥する気配さえ見せない。支那に進出した日本企業が、支那人暴徒によって多大な損害を蒙ったのに、平気な顔して議員会館で寝転んでいる。そもそも、支那人に施しを与えたからとて、感謝されることはないのだ。
こうした支那人の性質は昔から分かっている。「支那通」で有名な後藤朝太郎はこの点を既に指摘していた。昔の日本政府も、対支那文化事業の一環で、外務省を通して、支那青年に学資を与えていたそうだ。ところが、当の支那人どもは、こうほざいていた。
我らの父兄が納税した金がグルグル廻って我々の手に入っただけのことである。我々が当然貰うべきものを貰っているだけのことである。むしろ、もう少し余計に寄越してくれても良さそうなものである。(後藤朝太郎 『大支那の理解』 高陽書院 昭和13年 p.20)
もう、支那人留学生を一人一人ひっ捕まえて、頭をハンマーでひっぱたいてやりたい。チャンバラトリオならとっくにハリセン攻撃をしているはずだ。支那人は日本人を舐めている。支那人なんて連中は肥溜めの中に一週間くらい沈めてやればいい。親切にして恩を感じるのは文明人だけ。地球で最低の民族に、日本人の気持ちを忖度するなんて藝当はできない。支那人はワニと同じで、10年間も餌をもらっている飼育員だって、油断すれば喰おうとするんだから。彼らを哺乳類と考える日本人が悪い。
(左: 豪華なリムジンに乗る支那人カップル/右: 買い物を楽しむ支那人女性)
何処までもお人好しの日本人は、支那に病院を建てて、支那人患者を診てやったそうだ。病で苦しむ支那人を診察してやり、薬を与えてやれば、自然と彼らが日本人に親近感を抱くに違いない、考えたらしい。しかし、必ずしもそうならなかった。支那人は薬をもらう時は、もらう間だけの話、脈をとってもらう時は、とってもらう間だけの話だった。いざ排日、いざ掠奪、という時には、それらの慈善事業は何の効果もなかったのだ。(上掲書 p.21) 支那人は「日本人に良くしてもらったから、危害を加えちゃいけないな」と思わない。日本人をやっつけるとなれば、うきうきしながら暴力をふるうのだ。だいたい、日本人は国家と国民を無意識的に同一視するから、国家規模で援助を行えば、支那国民も日本人と日本国を尊敬するはずだ、と思い込んでしまう。ところが、支那人には国家という観念が無いのだ。後藤氏はこう述べている。
支那人は殊更あの通り国家を頼って居られない国民である。また国家主義を重視していない。その支那人くらい世界で独立独行、何処までも自分の力で押し進んで行こうと努力し、またその頭を無意識の間にはたらかせい居るものは無いのである。これに反して、日本人ときたら極端に国家を頼み、政府を頼み、それも一にも二にも国家の補助金を当てにし、国家でなくては夜も日も明けない。(上掲書 p.22)
日本人は支那人に対して一切の援助を、即時中止にすべきだ。そして日本に住みつく留学生も、どんな能力があろうとも絶対に滞在させてはならず、日本人配偶者をもつ者は、夫婦家族揃っ支那国籍を取らせるよう命令すべきだ。日本国籍ばかり取得するのはおかしい。日本人配偶者は支那に帰化すればいいのだ。支那人と結婚すると云う事は、支那人の混血児をもち、支那の歴史を共有し、支那人を同胞となし、支那の国運と自分の運命をリンクさせることを意味する。これが嫌だから日本人配偶者は日本国籍を捨てることができない。日本人女性がもし、アメリカ人とかイギリス人、フランス人と結婚すれば、平気で日本国籍を捨てて亭主の国籍を取ったりする。ところが、支那人や朝鮮人と結婚した女性は、躊躇いをみせるし、亭主の祖国や同胞を愛せない。結婚して支那人になったりしたら、同窓会で恥ずかし想いをするから絶対嫌だ。外国に旅行して、支那人に間違えられたら、「何よ、失礼ね」と怒ってしまう。日本人にとって、支那人への転落は悪夢に外ならない。こんな支那に税金を注ぎ込むなんて、振り込め詐欺の被害者を笑えないじゃないか。
八百長のグラスルーツ
(左: 宋文州/右: 孔健)
なぜ日本人は支那人に幻想を抱くのか。その原因は様々だが、その一つに「ヤラセ報道」がある。例えば、支那人観光客が大勢訪れて、観光地や商店街が儲かり、日本の景気に貢献しているというニュース報道が多い。しかし、テレビ局は支那人が日本の土地を購入し、天然資源を枯渇させたり、自衛隊基地を監視していることを伝えない。また、支那人が日本人の良さを実感し、気軽に移住してきたり、勝手な理由をこしらえて、長期滞在を計ったりすることも隠蔽している。フジテレビや日テレの政治報道番組に、「ソフト・ブレーン社」の宋文州や孔子の子孫という肩書きだけが売りのジャーナリスト、孔健を出演させたり、と支那人の宣伝活動を支援している。宋文州など銭だけが目的の意地汚い商売人で、ついでに北京政府の提灯を掲げているにすぎない。孔健も血筋に弱い日本人を見透かして、北京政府が利用している手駒である。あの下品なツラと横柄な態度を見て、尊敬する日本人がいるのか? 支那大陸だと儒者は軽蔑されており、権力者に阿るインテリ乞食と同義語なのだ。孔子の子孫ていったって何万人もいるじゃないか。それに大殺戮が何度も起こった支那で、生き延びた奴らは相当したたかな連中か、狡猾な悪党が多い。間抜けな奴は簡単に殺されるし、匪賊の餌食になってすってんてんにされてしまう。
日本では余り紹介されない言葉に「アストロターフ(Astroturf)」というのがある。これは元々人工芝の商品名であったが、「草の根運動(grassroots)」に見せかけた人為的民衆運動を指すようになった。民衆政治を賞讃するアメリカ人は、個人の意見を持つ国民と言われているが、案外世論に影響されやすい。第二次世界大戦の時、エドワード・バーネイズ(EDward Bernays)などが活躍していたが、大衆社会の到来が早かったアメリカでは、商業から政治に至るまで宣伝が盛んである。(バーネイズはオーストリア生まれのユダヤ人で、ジグムント・フロイトの親戚。また、ユダヤ人かよ、と言わないでね。) あたかも、一般人が発言しているかのように装っているが、実は広告のプロ、あるいは彼らに雇われた人物が個人的意見を世間に表明していることがある。例えば、大手雑貨チェーン店の「ウォル・マート」が、PR会社に頼んで、好意的な評判をブログに載せてもらったことがあった。これは「エデルマン(Edelman)」というPR会社が、三名の社員にヤラセ意見を書かせた事件である。(PR firm admits it's behind Wal-Mart blogs, October 20, 2006, CNN) 商売で「さくら」を雇うことは昔からよくあるが、世界的に有名な会社が姑息な手段を使ったことは注目に値する。バーネイズも述べていたが、民衆政国アメリカでは世論操作が必要なのだ。
(左 / シェリル・アトキソン)
最近でも、元CBSのレポーターだったシェリル・アトキソン(Charyl Attkisson)が、「アストロターフ」の危険性を警告している。彼女は精力的に事件の調査をするジャーナリストで、あまりにも突っ込んだ取材をしたため、CBSの報道方針と衝突したようだ。テレビ局には「批判して良いもの」と「触れてはならないもの」、「誘導報道」など視聴者にばらさない暗黙の規則がある。アトキソン氏はテレビ局の左翼的姿勢にうんざりしたらしい。例えば、彼女がオバマ政権の環境政策やクリーン・エネルギー政策、ベンガジ事件などを批判したため、民衆党寄りのCBSがいい顔をしなかったという。せっかく黒人が大統領になれたのに、その黒ん坊にケチをつけるなんて許せない。黒人のヘマは大目に見てやるのが、リベラル派の“良心”である。しかも、アトキソンは白人だから、黒人大統領を批判すれば、人種対立に見えてしまう。悪党は「白人」で、「善人」は黒人にしてあげるのが、テレビ局の合意である。TVドラマを観ていれば分かるじゃないか。知的で正義感が強く、心の優しい黒人を演出するのがテレビ局の掟だ。
(左: マイケル・ブルムバーグ/右: シャノン・ワッツ)
赤の他人が雑居する移民社会のアメリカでは、常識(共通の判断や伝統)が無いから、有力者や大企業が世論操作を仕掛けて、無知な大衆を動かす。例えば、元ニューヨーク市長で大富豪ユダヤ人のマイケル・ブルムバーグとPRのプロであるシャノン・ワッツは、銃器メーカーや武装権利団体に対抗するため、5千万ドルを投じて銃規制のキャンペーンを行ったという。(Top 10 Astroturfers, Sharyl Attkisson blog) ブルムバーグらは恰も大半のアメリカ国民が銃に反対しているとの意見を作りだした。「草の根」じゃなくて「お金の力」で政治を動かそうとしていたのだ。だいたい、街頭インタヴューとか、テレビ番組の流行報道なんか怪しいものだ。日本でも朝鮮ドラマを異常に囃し立て、「ヤラセ」の評判を視聴者に押しつけていた。また、テレビ局に不都合な話題になれば、下らない藝能報道で庶民の関心を逸らす作戦を取る。チャンネル桜で経済評論家の渡邉哲也のコーナーを観ていたら、ベッキーの不倫報道でテレビ局が騒いでいるということが分かった。また、ワイド・ショーでどうでもいい報道を繰り返しているのか、と呆れてしまった。(筆者にとって、モーターヘッドのレミーが死亡したことの方がショックだったので、日本の藝能情報は観ていなかった。テレビを観ていないと時代遅れみたいになってしまう。)
支那には人が有り余っている。乞食から穀潰しまでを含めれば五億人くらいいるんじゃないか。北京政府はインターネットを監視して、支那の世論操作に労力を割いている。支那人は噂で左右されるから、ネットの書き込みでも重要なのだろう。以前、北京政府が28万人もの人員を使って、政府に都合の良いコメントを書かせていたという。(Nate Anderson, 280,000 pro-China astroturfers are running amok online, ars technica) 捏造や謀略なら支那人の独擅場だから、相当手の込んだ提灯記事が多かったのではないか。支那人は犯罪や不正行為になると、途端に能力を発揮するから開いた口が塞がらない。以前、精巧な偽の生卵を作った支那人がいたが、それ程の努力をするんなら、鶏を育てて本物を売ればいいのに。ピッキングでクルマを盗むのは素早く、神業に近い。もっと創造的な仕事で才能を使えよ、と怒鳴りたくなる。まともな仕事だと、鮒(フナ)みたいに口を開けてぼんやりしているんだから、支那人は神様の失敗作なのではないかと疑ってしまう。
支那に樹木を植えたって美しい風景が戻ってくる訳じゃない。土壌や河川ばかりが汚れているのではなく、支那人の心が真っ黒で、根性がひん曲がっていることが問題なのだ。支那人にゴマをする二階俊博は、支那人から金か女を貰っているのだろうか。今から思うと毛沢東は偉かった。文化大革命で沢山の支那人を殺してくれて、人口調整をしてくれたのだ。しかも、支那人が外国に渡航できなかった。ジョージ・ケナンはソ連に対して「封じ込め」という甘い愚策を提案したが、支那対してこそ封じ込め政策をとるべきだった。日本は支那人の送り返し、もしくは支那人駆除を早急に実施すべきだ。支那人留学生がどうしても日本で学びたいというなら、竹島に寺小屋をつくって、数十倍の授業料を取ってやればいい。そうすれば朝鮮人も文句が言えないだろう。日本人は「支那人が嫌い」という草の根運動を拡大すべきだ。「正直は美徳」という諺を思い出すべきだろう。
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