無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2016年01月

支那人に税金を貢ぐ愚かさ

感謝しない支那人

  隣に藏が建って腹が立つのは分かるけど、“しっちゃかめっちゃか”なら放っておけばよい。他人の不幸は鴨の味とか蜜の味とか言うじゃないか。それなのに日本の政治家は、支那や朝鮮の事となるや、何はともあれ、まづ税金を使いたがる。朝鮮人には「慰安婦問題」で10億円くれてやり、支那人には「植林事業」で100億円提供するそうだ。他人のゼニだと気前がいい。花咲か爺さんも三舎を避けるくらい、税金をばらまいて支那に桜を咲かせようとする。黴菌と公害でとてつもなく汚い支那に、ちょっとくらい植物が増えたからといって、素晴らしい桃源郷になるのか? 狡賢い支那人のことだ、日本人が植えた苗木をこっそり盗んで転売するんじゃないか? 支那人ならやりかねない。今回100億円もらえるなら、来年度は200億円要求しよう、と考えるのがこの民族だ。はやく100億円使って、資金不足を理由に支援金の増額をねだるかも知れない。しかも、次回は内緒で、国会にも知らせず、日支の役人同士で勝手に決めてしまうことだってあり得る。

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(左: 笑顔の支那人 / 右: 怒る支那人)

  支那人に欠けているものに、「思いやり」、「気配り」、「心の細やかさ」など挙げたらキリが無い。中でも特徴的なのは、「感謝の気持ち」がないことだ。日本では鶴だって恩返しをするし、野良犬だって三日も餌をもらえば、尻尾を振って「ありがとう」の一言くらい述べる。少なくとも、そう聞こえるような声で鳴く。ところが、支那人ときたら、人間の皮をかぶっているのに、「かたじけない」の言葉が出ない。もっとも、支那語にそうした語彙がないのかもしれない。「シェイシェイ」と感謝の言葉を口にするが、心がこもっていないし、言葉は無料だから、いくらでも舌が回る。支那人は肚が黒いが、その舌も黒い。飯を食う時だけ正直で、その他は嘘をつくために利用するだけだ。支那人の舌を鉤(かぎ)に引っ掛けて、天井から吊してやりたい。

  こんな支那人が我々の税金を貰って、日本の大学で学んでいるんだから腹が立つ。大勲位の中曾根康弘が熱心に進めていたアジア人留学生の招致は、税金の無駄どころか、有害になっている。日本で大学を卒業した支那人留学生が日本に住みつくし、日本人と結婚して日本国籍を取ったりしている。日本人の遺伝子の中に支那人の遺伝子が混ざってしまう。アジア人支援に奔走する政治家は、こんなことには無頓着で、支那人を排斥する気配さえ見せない。支那に進出した日本企業が、支那人暴徒によって多大な損害を蒙ったのに、平気な顔して議員会館で寝転んでいる。そもそも、支那人に施しを与えたからとて、感謝されることはないのだ。

  こうした支那人の性質は昔から分かっている。「支那通」で有名な後藤朝太郎はこの点を既に指摘していた。昔の日本政府も、対支那文化事業の一環で、外務省を通して、支那青年に学資を与えていたそうだ。ところが、当の支那人どもは、こうほざいていた。

  我らの父兄が納税した金がグルグル廻って我々の手に入っただけのことである。我々が当然貰うべきものを貰っているだけのことである。むしろ、もう少し余計に寄越してくれても良さそうなものである。(後藤朝太郎 『大支那の理解』 高陽書院 昭和13年 p.20)

  もう、支那人留学生を一人一人ひっ捕まえて、頭をハンマーでひっぱたいてやりたい。チャンバラトリオならとっくにハリセン攻撃をしているはずだ。支那人は日本人を舐めている。支那人なんて連中は肥溜めの中に一週間くらい沈めてやればいい。親切にして恩を感じるのは文明人だけ。地球で最低の民族に、日本人の気持ちを忖度するなんて藝当はできない。支那人はワニと同じで、10年間も餌をもらっている飼育員だって、油断すれば喰おうとするんだから。彼らを哺乳類と考える日本人が悪い。

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(左: 豪華なリムジンに乗る支那人カップル/右: 買い物を楽しむ支那人女性)

  何処までもお人好しの日本人は、支那に病院を建てて、支那人患者を診てやったそうだ。病で苦しむ支那人を診察してやり、薬を与えてやれば、自然と彼らが日本人に親近感を抱くに違いない、考えたらしい。しかし、必ずしもそうならなかった。支那人は薬をもらう時は、もらう間だけの話、脈をとってもらう時は、とってもらう間だけの話だった。いざ排日、いざ掠奪、という時には、それらの慈善事業は何の効果もなかったのだ。(上掲書 p.21) 支那人は「日本人に良くしてもらったから、危害を加えちゃいけないな」と思わない。日本人をやっつけるとなれば、うきうきしながら暴力をふるうのだ。だいたい、日本人は国家と国民を無意識的に同一視するから、国家規模で援助を行えば、支那国民も日本人と日本国を尊敬するはずだ、と思い込んでしまう。ところが、支那人には国家という観念が無いのだ。後藤氏はこう述べている。

  支那人は殊更あの通り国家を頼って居られない国民である。また国家主義を重視していない。その支那人くらい世界で独立独行、何処までも自分の力で押し進んで行こうと努力し、またその頭を無意識の間にはたらかせい居るものは無いのである。これに反して、日本人ときたら極端に国家を頼み、政府を頼み、それも一にも二にも国家の補助金を当てにし、国家でなくては夜も日も明けない。(上掲書 p.22)

  日本人は支那人に対して一切の援助を、即時中止にすべきだ。そして日本に住みつく留学生も、どんな能力があろうとも絶対に滞在させてはならず、日本人配偶者をもつ者は、夫婦家族揃っ支那国籍を取らせるよう命令すべきだ。日本国籍ばかり取得するのはおかしい。日本人配偶者は支那に帰化すればいいのだ。支那人と結婚すると云う事は、支那人の混血児をもち、支那の歴史を共有し、支那人を同胞となし、支那の国運と自分の運命をリンクさせることを意味する。これが嫌だから日本人配偶者は日本国籍を捨てることができない。日本人女性がもし、アメリカ人とかイギリス人、フランス人と結婚すれば、平気で日本国籍を捨てて亭主の国籍を取ったりする。ところが、支那人や朝鮮人と結婚した女性は、躊躇いをみせるし、亭主の祖国や同胞を愛せない。結婚して支那人になったりしたら、同窓会で恥ずかし想いをするから絶対嫌だ。外国に旅行して、支那人に間違えられたら、「何よ、失礼ね」と怒ってしまう。日本人にとって、支那人への転落は悪夢に外ならない。こんな支那に税金を注ぎ込むなんて、振り込め詐欺の被害者を笑えないじゃないか。

八百長のグラスルーツ

宋文州3(左: 宋文州/右: 孔健)

  なぜ日本人は支那人に幻想を抱くのか。その原因は様々だが、その一つに「ヤラセ報道」がある。例えば、支那人観光客が大勢訪れて、観光地や商店街が儲かり、日本の景気に貢献しているというニュース報道が多い。しかし、テレビ局は支那人が日本の土地を購入し、天然資源を枯渇させたり、自衛隊基地を監視していることを伝えない。また、支那人が日本人の良さを実感し、気軽に移住してきたり、勝手な理由をこしらえて、長期滞在を計ったりすることも隠蔽している。フジテレビや日テレの政治報道番組に、「ソフト・ブレーン社」の宋文州や孔子の子孫という肩書きだけが売りのジャーナリスト、孔健を出演させたり、と支那人の宣伝活動を支援している。宋文州など銭だけが目的の意地汚い商売人で、ついでに北京政府の提灯を掲げているにすぎない。孔健も血筋に弱い日本人を見透かして、北京政府が利用している手駒である。あの下品なツラと横柄な態度を見て、尊敬する日本人がいるのか? 支那大陸だと儒者は軽蔑されており、権力者に阿るインテリ乞食と同義語なのだ。孔子の子孫ていったって何万人もいるじゃないか。それに大殺戮が何度も起こった支那で、生き延びた奴らは相当したたかな連中か、狡猾な悪党が多い。間抜けな奴は簡単に殺されるし、匪賊の餌食になってすってんてんにされてしまう。

  日本では余り紹介されない言葉に「アストロターフ(Astroturf)」というのがある。これは元々人工芝の商品名であったが、「草の根運動(grassroots)」に見せかけた人為的民衆運動を指すようになった。民衆政治を賞讃するアメリカ人は、個人の意見を持つ国民と言われているが、案外世論に影響されやすい。第二次世界大戦の時、エドワード・バーネイズ(EDward Bernays)などが活躍していたが、大衆社会の到来が早かったアメリカでは、商業から政治に至るまで宣伝が盛んである。(バーネイズはオーストリア生まれのユダヤ人で、ジグムント・フロイトの親戚。また、ユダヤ人かよ、と言わないでね。) あたかも、一般人が発言しているかのように装っているが、実は広告のプロ、あるいは彼らに雇われた人物が個人的意見を世間に表明していることがある。例えば、大手雑貨チェーン店の「ウォル・マート」が、PR会社に頼んで、好意的な評判をブログに載せてもらったことがあった。これは「エデルマン(Edelman)」というPR会社が、三名の社員にヤラセ意見を書かせた事件である。(PR firm admits it's behind Wal-Mart blogs, October 20, 2006, CNN) 商売で「さくら」を雇うことは昔からよくあるが、世界的に有名な会社が姑息な手段を使ったことは注目に値する。バーネイズも述べていたが、民衆政国アメリカでは世論操作が必要なのだ。

Charyl Attkisson 1(左 / シェリル・アトキソン)

  最近でも、元CBSのレポーターだったシェリル・アトキソン(Charyl Attkisson)が、「アストロターフ」の危険性を警告している。彼女は精力的に事件の調査をするジャーナリストで、あまりにも突っ込んだ取材をしたため、CBSの報道方針と衝突したようだ。テレビ局には「批判して良いもの」と「触れてはならないもの」、「誘導報道」など視聴者にばらさない暗黙の規則がある。アトキソン氏はテレビ局の左翼的姿勢にうんざりしたらしい。例えば、彼女がオバマ政権の環境政策やクリーン・エネルギー政策、ベンガジ事件などを批判したため、民衆党寄りのCBSがいい顔をしなかったという。せっかく黒人が大統領になれたのに、その黒ん坊にケチをつけるなんて許せない。黒人のヘマは大目に見てやるのが、リベラル派の“良心”である。しかも、アトキソンは白人だから、黒人大統領を批判すれば、人種対立に見えてしまう。悪党は「白人」で、「善人」は黒人にしてあげるのが、テレビ局の合意である。TVドラマを観ていれば分かるじゃないか。知的で正義感が強く、心の優しい黒人を演出するのがテレビ局の掟だ。

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(左: マイケル・ブルムバーグ/右: シャノン・ワッツ)

  赤の他人が雑居する移民社会のアメリカでは、常識(共通の判断や伝統)が無いから、有力者や大企業が世論操作を仕掛けて、無知な大衆を動かす。例えば、元ニューヨーク市長で大富豪ユダヤ人のマイケル・ブルムバーグとPRのプロであるシャノン・ワッツは、銃器メーカーや武装権利団体に対抗するため、5千万ドルを投じて銃規制のキャンペーンを行ったという。(Top 10 Astroturfers, Sharyl Attkisson blog) ブルムバーグらは恰も大半のアメリカ国民が銃に反対しているとの意見を作りだした。「草の根」じゃなくて「お金の力」で政治を動かそうとしていたのだ。だいたい、街頭インタヴューとか、テレビ番組の流行報道なんか怪しいものだ。日本でも朝鮮ドラマを異常に囃し立て、「ヤラセ」の評判を視聴者に押しつけていた。また、テレビ局に不都合な話題になれば、下らない藝能報道で庶民の関心を逸らす作戦を取る。チャンネル桜で経済評論家の渡邉哲也のコーナーを観ていたら、ベッキーの不倫報道でテレビ局が騒いでいるということが分かった。また、ワイド・ショーでどうでもいい報道を繰り返しているのか、と呆れてしまった。(筆者にとって、モーターヘッドのレミーが死亡したことの方がショックだったので、日本の藝能情報は観ていなかった。テレビを観ていないと時代遅れみたいになってしまう。)

  支那には人が有り余っている。乞食から穀潰しまでを含めれば五億人くらいいるんじゃないか。北京政府はインターネットを監視して、支那の世論操作に労力を割いている。支那人は噂で左右されるから、ネットの書き込みでも重要なのだろう。以前、北京政府が28万人もの人員を使って、政府に都合の良いコメントを書かせていたという。(Nate Anderson, 280,000 pro-China astroturfers are running amok online, ars technica) 捏造や謀略なら支那人の独擅場だから、相当手の込んだ提灯記事が多かったのではないか。支那人は犯罪や不正行為になると、途端に能力を発揮するから開いた口が塞がらない。以前、精巧な偽の生卵を作った支那人がいたが、それ程の努力をするんなら、鶏を育てて本物を売ればいいのに。ピッキングでクルマを盗むのは素早く、神業に近い。もっと創造的な仕事で才能を使えよ、と怒鳴りたくなる。まともな仕事だと、鮒(フナ)みたいに口を開けてぼんやりしているんだから、支那人は神様の失敗作なのではないかと疑ってしまう。

  支那に樹木を植えたって美しい風景が戻ってくる訳じゃない。土壌や河川ばかりが汚れているのではなく、支那人の心が真っ黒で、根性がひん曲がっていることが問題なのだ。支那人にゴマをする二階俊博は、支那人から金か女を貰っているのだろうか。今から思うと毛沢東は偉かった。文化大革命で沢山の支那人を殺してくれて、人口調整をしてくれたのだ。しかも、支那人が外国に渡航できなかった。ジョージ・ケナンはソ連に対して「封じ込め」という甘い愚策を提案したが、支那対してこそ封じ込め政策をとるべきだった。日本は支那人の送り返し、もしくは支那人駆除を早急に実施すべきだ。支那人留学生がどうしても日本で学びたいというなら、竹島に寺小屋をつくって、数十倍の授業料を取ってやればいい。そうすれば朝鮮人も文句が言えないだろう。日本人は「支那人が嫌い」という草の根運動を拡大すべきだ。「正直は美徳」という諺を思い出すべきだろう。

  



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スター・ウォーズ / 子供を売り飛ばしたジョージ・ルーカス

人気映画を変質させたユダヤ人監督

     新三部作の『スター・ウォーズ』がいよいよ始まった。子供の頃、第1弾の『スター・ウォーズ』エピソード4を観た時は、全9作を見届けるまでは死にたくないと思ったものだ。しかし、エピソード7『フォースの覺醒』の監督があのユダヤ人監督、J.J.エイブラムズ(Jeffrey Jacob Abrams)だと知って不安がよぎった。案の定、キャティングを目にして愕然となる。役者にオーラが無い。有名じゃなくてもいいから、魅力的な人物を採用すべきだ。これじゃあ映画館に行くのが嫌になる。スペース・ファンタジーの世界なのに、「人種の多様性(racial diversity)」を盛り込んだ政治的配慮がなされているのだ。日本人の漫画家なら、主役はもちろん脇役まで、ほぼ全員が西欧系のキャラクターで描くだろう。特に、少女漫画家だと全員ノルディク系の美男美女で埋め尽くすはずだ。しかし、今のご時世だと、歐米人は公に非難できないから、心の底で愚痴をこぼすしかない。日本のアニメ文化は、まだ「多民族主義」に汚染されていないから幸運である。日本人は表現・藝術の自由が如何に貴重なのかを肝に銘じるべきだ。

  移民で溢れるアメリカでは、「人種の多様性」は一種の宗教的教義にまでなっている。かつては西欧系種族が主流の白人国家だったのに、東歐や南歐からの移民に加えて、アフリカや中東アジアからの移民を受け容れたから、茶色の雑居長屋になってしまった。そこにユダヤ人が紛れ込んできたから、さらにややこしくなった。国家の内部で騒動を起こすのが生き甲斐みたいな民族だから、どうにもこうにも始末に困る。しかも、お金持ちになるとマス・メディアを買収し、他人の精神をコントロールしたくなる。彼らは自分に都合の良い社会に作りかえようようとする癖があり、自らを反省することがない。日本人と正反対だ。日本人はよそ様にご迷惑を掛けちゃいけない、と教えられているから、日系人は現地の風習を積極的に取り入れ、嫌な事でも我慢した。移住したカルフォルニアなどで、一世がお寺を建てても、二世三世となれば興味が無くなり、日本の歴史もすっかり忘れて、アメリカ人みたいに振る舞っている。お金持ちの日系人で、巨大な「日米評議会」なんて作って、日本のためにロビー活動しようなんて連中は居やしない。在米ユダヤ人と全く違う。

  ユダヤ人に放送局や新聞社を占領された国民は、彼らの宣伝を毎日聞かされ、知らぬ間にその従属民となってしまう。洗脳が恐ろしいのは、被害者に自覚が無いことだ。気の毒に思った第三者が警告しても、それを親切とは受け取らず、却って「言いがかり」とみなして反発するから困ってしまう。特に、娯楽映画で洗脳されたアメリカ人は重傷だ。楽しみながら頭がおかしくなっていることに気づかない。アメリカ人がクルクルパーになるのは自業自得だが、そのとばっちりが日本に飛んでくるから心配だ。例えば、移民は経済を成長させるとか、世界からの難民を受け容れるの人道的行為だ、日本人もアメリカを見習え、などと説教する奴が日米双方から出てくる。今だと難民支援に日本政府も協力しろ、と政治的圧力を受けるから、また国民の税金がむしり取られてしまう。また、ユダヤ人どもが米軍を傭兵のように中東で使うから、合衆国政府の懐が寒くなり、海外のATMを探し出す。そこで日本人に「カネを出せ」と脅しをかける。日本人は米軍基地のお代官様に別個の「思いやり予算」を献上する。日本国民は消費税アップでその穴埋めだ。また、増税で庶民は青色吐息。「こんな日本に誰がした ?」とつぶやいても後の祭りだ。

  監督のエイブラムズは幼い頃から映画好きだったようで、スティーヴン・スピルバーグと良く似ている。このユダヤ人監督が人気作品を制作するとなれば、人種問題が絡んでくるのも当然だ。基本的に「中東アジア人」のセム種族というのがユダヤ人だから、アングロ系アメリカ人とは容姿が異なる。歐洲で嫌われ者のユダヤ人は、パレスチナに向かわず、西欧世界のアメリカを目指し、わざわざ人種差別の盛んな異教徒の国にやって来た。社会的地位が低くて貧しい頃は大人しくしていたのに、財力を持ち始めると「アメリカは白人が支配する国だからけしから~ん ! 」と目くじらを立てる。それならイスラエルに帰ればいいのに、居坐り続けて批判を繰り返す。エイブラムズは映画を使って、白人中心のアメリカ社会を破壊しようとした。『スター・ウォーズ』はSF映画なのに、白人男性ばかりが主要な役どころを占めている。「これはフェアーじゃない」、と異邦人のエイブラムズはつい考えてしまう。ユダヤ人は一般的に、「アメリカは白人が支配者であっはならない。多種多様な民族が仲良く暮らす社会であるべきだ ! 」との意見を持っている。たぶん、ユダヤ人作家のイスラエル・ザングウィル(Israel Zangwill)が提唱した「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」を思い出すだろう。彼らにとって、多民族共生は無意識の前提なのだ。(ザングウィルってディズレイリと同じタイプの容姿で、いかにもユダヤ人臭い。)

  ユダヤ人はアメリカの悪弊を正すため、映画の中で理想の社会を描く。新しい『スター・ウォーズ』の中では、黒人やヒスパニック、アジア人が白人キャラクターに勝るとも劣らない地位を与えられているのは、その動かぬ証拠である。これを象徴する人物が、ジョン・ボイエガ(John Boyega)である。彼はナイジェリア人の両親から生まれた「ブリテン人」であるという。つまり、イングランドで生まれ育ったが、アングロ・サクソン人ではない、ブリテン国籍を持つアフリカ人ということだ。彼は以前、『24 : リヴ・アナザー・ディ(Live Another Day)』に出演したこともあるが、卓越した演技力があるという訳ではない。それでも、超人気映画に抜擢されたのは、彼が若い“黒人”だからであろう。主役級のキャラクターに黒人を起用するなんて、ユダヤ人の監督ならではの発想である。ところが、こうした配役は黒人観客から好評であっても、昔ながらの白人ファンには不評であることは否めない。特に、ボイエガの顔は西欧系アメリカ人の観客に受けが悪い。やっぱり、主役を演じるのはゲルマン系役者じゃないと、真打(しんうち)登場とならない。ライトセーバー(Lightsaber)を手にするジェダイの騎士が黒人じゃあ、まるでモザンビークかルワンダのアフリカ人部族みたいで、宇宙戦争じゃなくて民族紛争が舞台のように思えてくる。日本で作られたアニメ『アフロサムライ』は、WOWOWで放送されたが、ちっとも人気が出なかった。黒人の武士では感情移入ができない。声優にはあのサミュエル・L・ジャクソンがいた。

  アメリカでは、『スター・ウォーズ』の新シリーズを楽しみにしていた一部の白人ファンが、ボイエガの起用に激怒したらしい。「ボイコット・スター・ウォーズVII」というサイトまで現れ、人気映画に於ける人種混淆に抗議する声が上がったという。そりゃ、そうだ。「スター・ウォーズ」ファンは長いこと新三部作を待ち焦がれていたから、いやでも期待が高まる。なかでも、熱心な人々はコミック版の『スター・ウォーズ』を熟読していた。彼らは人気キャラクターの「フィン・ガリフリーディアン(Finn Galifridian)」が、どんな風に実写版で描かれるのか楽しみだった。ところが、蓋を開けてみるとびっくり仰天。白人のフィンが黒人になっていた。コミックによれば、フィンは悪辣なフォート・オーダーに嫌気がさし、この組織を抜け出した元ストーム・トゥルーパー、というキャラクター設定である。ジェダイの騎士になるフィンは、明らかに西歐人として描かれている。したがって、白人ファンが金髪のゲルマン戦士をイメージしたのも無理はない。それなのに、エイブラムズはナイジェリアの黒人に作り替えてしまった。こんな裏切り行為は許せない。あんまりじゃないか。

  もし、『ジョジョの奇妙な冒険』の実写版が制作された場合、人気キャラクターの空条承太郎が混血児で、母親のホリーが黒人女性なら、日本のアニメ・ファンは怒号の声を上げるはずだ。たとえ、デンゼル・ワシントンとハル・ベリーでも承知しないだろう。また、銀河鉄道999で、メーテル役にウッピー・ゴールドバーグみたいな黒人女優を起用したら、日本人は腰を抜かして驚くだろう。縮れ毛の長髪でアフリカ人の顔つきじゃあ、せっかくの役が台無しだ。若いルピンダ・ニョンゴ(LUpita Nyong'o)が登用されても、反対の意見が湧き起こるだろう。ちなみに、ニョンゴはCGの「マズ・カナタMaz Kanata)」役で『スター・ウォーズ』に出ている。(日本人にとって、アフリカ人の名前は発音が難しい。なんか出目金の深海魚みたいな名前である。)

  とにかく、今回のスター・ウォーズには華々しい役者が欠けている。例えば、「カイロ・レン(Kylo Ren)」役のアダム・ドライヴァー(Adam Driver)なんか、全然パっとしないし、物語を魅力的にする容貌でもない。これといった存在感が無く、そこら辺にいる単なる若者といった感じである。彼は一体どんな種族なのかも分からない。エイブラムズは、わざと平凡な俳優を選んだのだろう。実物として出演していないが、ニョンゴも「黒人」で「女」という特徴以外に、大作に抜擢される理由がない。彼女は多文化主義の申し子である。この黒人女優は、メキシコ生まれで、ケニア人の両親のもとに生まれ、アメリカで生活しているそうだ。ところで、彼女はメキシコ人なのか? 白色メキシコ人はどう思っているのか? ジェシカ・アルバみたいなメキシコ系女優とかキューバ系のエヴァ・メンデス、スベイン系のパス・ヴェガとはかなり違うから、メキシコで人気者になるとは考えられない。そういえば、ヒスパニック系の観客に対しての人種的配慮もあった。戦闘機のXファイターに乗り込むパイロット、ポー・ダメロン役にはヒスパニック俳優のオスカー・アイザック(Oscar Isaac)が起用されていた。まぁ、『スター・ウォース』では、へんちくりんな宇宙人でもパイロットになれるから、南米系の有色人種が搭乗員になってもおかしくはない。

  「スター・ウォーズ」の配役には賛否両論が噴出し、様々な対立を招いたが、制作者は意図的に白人の比率を下げることを仕組んでいたそうだ。『フォースの覺醒』を手掛けたプロデューサーのキャサリン・ケネディー(Kathleen Kennedy)は語っている。彼女たち制作者は、できるだけ多くの民族を代表するよう配役を考えたし、それは秘密でも何でもないという。前作では白人のみならず、男性が中心だった。例えば、ランド役にはヒスパニック系で男性のビリー・ディー・ウィリアムズ(Billy Dee Williams)がなっていたし、ダースベーダー卿の声を担当したは、黒人のジェイムズ・アール・ジョーンズ(James Earl Jones)であった。(Patricia Didelot, J.J. Abrams Tweets Message to # BoycottStarWarsVII Trolls Ahead of The Force Awakens Trailer Release, Inquisitor, October 20, 2015) こうした男性ばかりの前シリーズを反省して、「男女の均衡」と「人種の平等」を考慮したのが今回の作品である。女性の「レイ」が主役となり、それをほぼ無名のデイジー・リドリー(Daisy Ridley)が演じている。これでフェミニスト評論家も満足なんだろう。アメリカは本当に遅れている。日本のアニメは昭和四十年代から女の子が活躍する作品があったからだ。「アタックNO1」とか「サインはV」を観ている日本の少女は、アメリカ人を「後進国の民」と考えてしまうだろう。

黒人への胡麻すりキャスティング

  「お客様は神様です」というのは、どんな商売人に共通したモットーである。銭をくださるお客に、黒人やヒスパニックの観客が増えれば、彼らを喜ばせるための工夫もするし、世界市場を目指すなら、アジア・アフリカ大陸の顧客に対しても、揉み手すり手で御機嫌を取るのはしょうがない。黒人観客の方も、SF映画で黒人の主役が誕生することを望んでいたのだ。例えば、アトランタに住むアンソニーという黒人の観客は、「ライトセーバーを握る黒人を見た時は、ちょっと痺(しび)れちまったな」と語っていた。(Aron Morrison, Star Wars Black Character Controversy: Africa American Sci-Fi Fans Battle Genere's Racial Stereotypes, International Business Times,  December 17, 2015) また、十代向けのSF小説を書いているアリシア・マッカラ(Alicia McCalla)という黒人作家は、三十代後半まではSFのジャンルが好きではなかったという。彼女はSF映画の中における有色人種の配役に不満があったらしい。つまり、主役が全部白人だったからだ。

  しかし、白人社会で白人がつくったSF作品なら、主人公が白人でも当然だろう。日本人の漫画が異常なだけだ。昔、『エースをねらえ』という漫画原作のアニメがあったが、日本の高校が舞台なのに、金髪の北欧美女が高校生役になっていたのだ。再放送で一度か二度くらい観たことがあるが、確か、「竜崎麗香」という登場人物だった。日本人は漫画家の自由を尊重するから、黒人みたいにつべこべ文句を言わない。昔は、アメリカの漫画でも、主人公や脇役がほぼ白人で、黒人というのはなかった。ところが、今は違う。マーヴェル・コミックが原作の映画で、馴染みのキャラクターが黒人にすり替えられたりする。例えば、『ファンタスティク・フォー』で登場する「ヒューマン・トーチ」を黒人俳優のマイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)が演じた時は、白人のファンから不評を買ったという。アメリカの人口構成が変化すれば、サブ・カルチャーも変化する。『スパイダーマン』の主人公だって色黒のアフリカ系青年に変わってしまったのも当然だ。購読者層に南米人の子供が増えれば、雑誌の編集者は茶色の子供たちに媚びるようになる。こうした風潮に、白人のファンはがっかり。主人公が白人という定番は終焉を迎えつつある。

  最近は、ネタ不足なのか、それとも優秀な脚本家がいないだけなのか、さっぱり分からないが、ハリウッド映画の興行収益が芳しくない。それでもヒットする映画はある。ディズーやピクサーの子供向け映画とか、『アヴェンジャーズ』や『アイアン・マン』、『X-メン』といったスーパー・ヒーロー物である。こうしたSF映画はアメリカで公開される劇場映画の25パーセントを占めているそうだ。映画産業情報協会の「ザ・ナンバー」によれば、米国とカナダを合わせた劇場収入はほぼ横ばいで、落ち込む年もあるという。例えば、2013年には109億ドルあった興業収入が、2014年になると104億ドルに減少した。そんな中で、SF部門の作品は26億ドルの収入をもたらしたというから、映画業界にとって無視できないジャンルになっている。米国では白人の子供が減っている一方で、ヒスパニックやアジア系の人口が増えているから、銭が命の映画会社としては、白人客を繋ぎ止めながら、有色人種のお客様にも特別な“サービス”をしなければならない。したがって、無国籍のSFヒーロー映画が流行る。どんな民族の俳優が登場しても自然に見えるからだ。それに、重要なキャラクターの枠をちょっとだけ黒人や南米人に渡すことができる。黒人やヒスパニックのお客だって、評判の映画で自分たちの同類がヒーローになる姿を見たい。いつも、麻薬の密売人とか低能な労働者、肥ったストリート・ギャングばかりじゃ嫌になる。そんな要望に応えたのか、『スター・ウォーズ』では、ジェダイ・マスターに黒人俳優のサミュエル・L・ジャクソンが起用されていた。アナキン・スカイウォーカーやオビ・ワンという二人の白人ジェダイとの釣り合いを考えての配役だろう。それにしても、ハリウッドの連中は、やたらと黒人を高い地位につけたがる。FBI長官とか大統領、裁判長、天才科学者など、現実にそぐわない配役だ。

  ハリウッドを牛耳る強欲なユダヤ人にとって、作品に込められたメッセージとか原作者の情熱なんか、便所紙と同じ価値しかない。映画の主人公や物語の質などを気にするのは熱狂的なファンだけ。映画会社の重役は、まずお金がどれくらい儲かるかを先に考える。すなわち、劇場での興業収益はもちろんのこと、映画館を離れた関連グッズの販売に想いを寄せているのだ。『スター・ウォーズ』で言えば、登場人物のフィギュアとか戦闘機の模型、キャラクターが印刷されたTシャツやマグ・カップ、ディズニー・ワールドでのアトラクションといった具合。旨味の多い副産物は配給会社にとって垂涎(すいぜん)の的である。新たなシリーズが公開されたことで、2016年だけでも37億ドルの収益があるんじゃないか、と見込まれている。既に大手玩具メーカーのロゴ(LOGO)社はスター・ウォース関連のりオモチャを作っていた。例えば、エピソード3でのグリーヴァス将軍とか、オビ・ワンが乗っていた球状のモーターバイク、大トカゲなど様々な模型を発売していたのだ。そういえば、エピソード6でテディー・ベアみたいな「イウォーク族」が登場していたが、これなども縫いぐるみとして売り出すためのキャラクターであったという。つまり、物語の「必然性」とか「流れ」というより、グッズで儲けるために無理やり創り出したキャラクターである。(Scott Mendelson, Star Wars Fans Shouldn't Have to Choose Between Ethnic Diversity and Gender Parity, Forbes, August 17, 2015) これじゃあグッズを売るために、宣伝番組を制作しているようなものだ。馬鹿らしいけど、お客は2時間くらいのCMを観て
いることになる。

可愛い子供をユダヤ人に売り飛ばした生みの親

  今回のエピソード7の公開で気づいたファンも多かったと思うが、なぜディズニー社がジョージ・ルーカスから版権を買ったのか、という疑問である。本来なら、配給会社の20世紀フォックス社から著作権を購入するはずだ。しかし、著作権は監督のルーカスが持っていた。おかしい。裏話になるが、フォックス社は1作目の『スター・ウォーズ』エピソード4にそれほど期待していなかったという。このB級映画は1977年に制作されたが、まさかこれほどの大ヒット作になるとは誰も予想していなかった。フォック社は50万ドルの監督料金だけもらって、著作権やフランチャイズ権をルーカスに許していたのだ。つまり、ルーカスは会社側に50万ドルを支払って、好き勝手に低予算映画を作ったという訳だ。藝能界にはサプライズが多い。大手のフォックス社は最大の失敗(へま)を犯した。こんなドル箱作品を独占していなかったからだ。さぞ悔しくて堪らないだろう。

  今でこそ超有名作品となったスター・ウォーズだが、当時のキャスティングを見れば分かる通り、売れていない役者ばかりを集めて作った映画である。制作費が潤沢ではなかったから当然だろう。主役のマーク・ハミルなんか全くの無名俳優だった。三流役者のハミルは『スター・ウォーズ』以外に代表作が無い。ハリソン・フォードも『地獄の黙示録』にちょい役で出演しただけのB級役者。レイア姫役のキャリー・フィシャーも無名女優で、色っぽさに欠けていた。そのうえ、両者ともユダヤ人の役者ときている。ハリソン・フォードの母親はラジオ女優のドロシー・ニーデルマンだし、キャリー・フィッシャーの父親はポップ・スターのエディー・フィッシャーだ。(Seth Rogovy, The Secret Jewish History of Star Wars, The Jewish Daily Forward, December 16, 2015) 彼らの娘役のパドメがユダヤ人のナタリー・ポートマンというのも、あながち偶然ではなかろう。西歐人は銀幕でユダヤ人カップルがいちゃつくシーンを観ていたことになる。ついでに言えば、「ジエダイ」はヘブライ語でユダヤ人を指す「イェウディ(yehudi)」から由来するらしい。また、「ヨーダ」はヘブライ語で「知識を持つ者」という意味。世界のユダヤ人に向けての「おべっか」だったのか。真相は定かではない。

  『スター・ウォーズ』はルーカスのライフ・ワークと言える作品で、彼は元々『フラッシュ・ゴードン』のリメイクを手掛けたかったが、著作権が絡む「大人の理由」で断念した。しかし、宇宙を舞台にしたSFアドヴェンチャーをどうしても作りたかったので、自前のスペース・ファンタジーを創作することにした。これが『スター・ウォーズ』になる。『フラッシュ・ゴードン』はアレック・レイモンドのコミックが原作となった映画で、ゴードン役にはまるでゲルマン戦士のような肉体を誇る、元アメフト選手のサム・ジョーンズ(Sam Jones)が起用され、ヒロインのデイルには美人女優のメロディー・アンダーソン(Melody Anderson)が採用された。現在のヒーローである縮れ毛の黒人ボイエガと金髪の白人ジョーンズを比べれば、時代の激変が分かるだろう。しかし、永遠の後進国に住む支那人は頑固、というか正直というか、黒人俳優が嫌いなようだ。『スター・ウォーズ』の宣伝用ポスターからボイエガの姿を消してしまったのだ。「えっ、! 」と驚くのはアメリカ人と日本人だけだろう。さ~すが、人種差別など当り前の支那人だ。黒人が出ていることをアピールしたら、お客が減ってしまうという事をよく弁えている。数千年前から差別大国の支那では、黒人を侮蔑する事に良心の呵責はない。自国民だって簡単に殺される国だから気にしないのだ。それに、アメリカの黒人だって、他人を批判できる立場じゃない。黒いスーツのダース・ベーダーは黒人を表していると勘違いした黒人の観客は、ベーダー卿が白人のルーク・スカイウォーカーの手首を切り落としたシーンを見て、飛び跳ねて喜んでいたという。(Chauncey Devega, Our New Post-Obama Star Wars:  Race , the Force and the dark side in modern America, Salon, December 20, 2015)

  藝術家にとって自分の作品は、子供のようなものである。『スター・ウォーズ』を手塩に掛けて作ってきたルーカスにとって、その「子供」をディズニー社に譲渡するのは辛かったはずだ。彼は昨年12月25日、チャーリー・ローズ(Charlie Rose)のインタヴュー番組に出演し、その心境を語っていた。その中で特筆すべき発言がある。彼は自分の子供を「白人の奴隷主(White slavers)に売り渡したようなものだなぁ」、と譬えていたのだ。「えぇぇ !奴隷商人に売り払ったの ?」、と驚いてはいけない。昔の日本だって、お金の為に娘を廓(くるわ)や女衒(ぜげん)に売り飛ばしていたんだから。もっとも、貧しさゆえに泣く泣く売ったわけだが、ルーカスは大金持ちなんだから、何もディズニー社に売却しなくても良かったのではないか。彼は「年だから最後まで作品を完成できないかも」という弱音を吐いていた。それでディズニー社に映画の完結を託したのだろう。ただ、「白人の奴隷商人」というのは間違いだ。「白いユダヤ人の奴隷商」と訂正すべきである。ウォルト・ディズニー社は、ユダヤ人会長のマイケル・アイズナーが退任しても、ユダヤ人のロバート・イガーが会長になっただけで、ユダヤ人経営者の天下であることに変わりはない。ユダヤ人というのは、お金のためなら「白雪姫」だって黒人娘にしかねない連中だ。黒いお姫様が眠っていたら、通りすがりの王子様はちらっと眺めて素通りだろう。それに、「黒雪姫」は誰もキスをしてくれないから熟睡できる。ただ、物語が何時まで経っても進行しないからつまらない。ユダヤ人が君臨するディズニー帝國を見て、子供に夢を与えることが天職だったウォルト・ディズーは天国で泣いてるかもね。

多民族主義を全否定するイスラエル

  日本でも蔓延した「文化破壊のマルクス主義(Cultural Marxism)」は、一般国民に余り知られていない。進歩的文化人の代表格、東大教授の丸山真男は政治学者として知られているが、フランクフルト学派の隠れ共産主義者であることは、あまり問題にされてはいなかった。文化破壊を目指すフランクフルト学派のユダヤ人は、民間企業の国有化とか、共産主義による暴力革命などを主張しなかった。その代わり、国民に身近なキリスト教を貶めたり、平和を唱えて若者を卑怯者に変えたり、あるいは伝統文化を踏みにじったり、と静かな革命を目指していたのである。例えば、アメリカ社会には権威主義的な家父長制度があるから、それを無くすため父親というのは抑圧者であると決めつけた。また、女性や有色人種が抑圧されていると批判し、男女平等を宣伝することで中性人間をつくる。「男らしさ」や「女らしさ」を撲滅して、「女の腐ったような男」を誕生させたのだ。一方、有色人種を煽動して、人種差別の温床となる文化と伝統を根底から転覆させようと謀った。つまり、暴れるしか能の無いな黒人を焚きつけて、黒人が主体の「公民権運動」を誘導し、憎い白人社会をぶち壊そうと企んだのである。白人に暴力をふるう黒人の背後で、ユダヤ人弁護士とか知識人が指南役を務めていたのだ。ユダヤ人左翼はアメリカ白人との直接対決を避けて、黒人どもに喧嘩をさせるという代理戦争を演出し、漁夫の利を狙っていたのだ。ユダヤ人大富豪がオバマに献金したのは、その伝統を踏まえての「善意」であった。


  ユダヤ人と比べたら日本人は本当に間抜けで、単純馬鹿としか言いようがない。第二次大戦の時も日本側からわざわざ攻撃を仕掛けたのだから、アメリカ白人に「殺してください」と頼みに出掛けたようなものだ。こうなると、白人は「待ってました」とばかりに、「熱戦」に取りかかることができる。海戦や陸戦ならお手のもので、俄然張り切ってしまう。日本人は謀略を用いて、アメリカ国内で宣伝戦を仕掛ければ良かったのだ。アメリカ国民同士をいがみ合わせて、日本と戦争をさせないという作戦を立てれば大敗北はなかったはず。「戦わずして勝つ」ことがユダヤ人と支那人の兵法である。ユダヤ人は自らの地位を安泰にするため、移住先のアメリカで白人社会を「多民族社会」に変質させようとした。それには学校やテレビを使うことが効果的である。特に、映画の影響力は絶大だ。映画の中で色々な顔をした人間が仲良く暮らすシーンを作ればいい。黒人男性と白人女性がセックスをする場面を白人に植え付ければ、ユダヤ人の男が白人娘に求婚しても、ユダヤ人を毛嫌いする父親たちの反対が弱くなる。白人娘たちも、黒人やユダヤ人と結婚することは「進歩的な証拠」と考えるようになるし、有色人種を排斥する白人を「ネオ・ナチ」と呼んで蔑むようになるのだ。こうなって一番喜ぶのは、憧れの西欧系女性を物にしたいユダヤ人で、これに気づかないのが学校で左翼思想に染められた木偶(でく)の坊、いや失礼、“良識”派の白人紳士の方々である。

Palestinian Kid In Israel 2Palestinian Attacked in Israel 1



(左: イスラエル人の攻撃を受けたパレスチナ人の子供/右: イスラエル警官に引き摺られるパレスチナ人)

  ハリウッドのユダヤ人どもは、西欧系白人が楽しく暮らす社会が許せない。それならイスラエルに移住して、思う存分ユダヤ文化を堪能すればいい。しかし、アメリカのユダヤ人は“ユダヤ人だらけ”のイスラエルが大嫌い。ユダヤ教など戒律が五月蠅(うるさ)くて鬱陶(うっとう)しい。何かと言えばラビが出てきて、ああでもない、こうでもない、と説教を垂れやがる。イスラエルに住むと自由放埒なセックス・ライフは制限されるし、淫乱な男女関係を戒める厳格なユダヤ教徒の親がいるので、簡単に娘たちを誘惑できない。同性愛のセックスや同性愛者の結婚などもっての外。アメリカのユダヤ人が好きな事は次々と禁止されてしまうのだ。ところが、根無し草のユダヤ人はキリスト教国に住むと、途端に敬虔なユダヤ教徒になりたがる。西歐人がクリスマスを祝えば、「政教分離に反する」などとほざいて、学校や市役所でクリスマス・ツリーを排斥したりするんだから忌々しい。ハリウッド映画の中では、多文化共存の思想が埋め込まれているから、それを見たアメリカ人は知らないうちに、西欧系白人だけで暮らすことは「悪」と考えてしまうのだ。

  J.J.エイブラムズは多民族主義を『スター・ウォーズ』に持ち込んでしまった。黒人を主役級のヒーローにすることで、「アメリカ社会はもう白人だけくにじゃないんだ」、と宣言したいのだ。しかも、人気映画を利用して自分の理想を押しつけた。こんなユダヤ人の挑戦に一部のアメリカ人が反発したのも当然だ。もし、日本のアニメや漫画をユダヤ人が買収して、人気キャラクターを黒人やアラブ人、あるいは支那人に作り替えたら、日本人のファンも怒るだろう。例えば、『北斗の拳』でケンシロウが黒人だったり、ユリアが支那人だったら、多くのファンが抗議の声を上げ、「元に戻せ !」と叫ぶんじゃないか。エイブラムズやスピルバーグといったユダヤ人に共通しているのは、白人の男に対しては敵対的でも、白人女には厳しくないということだ。例えば、冷酷な悪役にはアーリア系の白人役者を用いて、ナチスの高官みたいなキャラクターにする。『スター・ウォーズ』でも、ダーク・サイドの悪党が率いる帝国軍はナチ・ドイツがモデルとなっている。

  ところが、ユダヤ人の起用する女優には西欧系白人が多い。例えば、エイブラムズが監督して撮影したTVドラマの『エイリアス』ではジェニファー・ガーナー、『フリンジ』ではアナ・トーヴといった白人女性を使っていた。エイブラムズは好みの白人女優を起用してドラマを作りたかったのだろう。しかし、有色人俳優を用いて制作した『アンダーカバー』は失敗作だった。このTV番組は『エイリアス』のようなスパイ・ドラマであったが、主演のググ・バサ・ロー(Gugu Mbatha Raw)とボリス・コジョー(Boris Kodjoe)が黒人であったので、低視聴率に苦しみ、テレビ局はたった1シーズンで打ち切りにしてしまった。バサ・ローの母親はイギリス人だが、父親が南アフリカの黒人なので混血児になる。相方のコジョーは、ドイツ系ユダヤ人の父親とガーナ人の母親との間に生まれた黒色ユダヤ人。戸籍上はウィーンで生まれたオーストリア人となっているが、誰も彼のことをヨーロッパ人とかゲルマン人とは思わない。混血児の二人が、ドラマの中で恋人同士になっても、あるいは派手なアクション劇を繰り広げても、白人視聴者は一向に興味を示さなかった。こんなキャスティングなら、素人だって最初から結果を予測できるじゃないか。エイブラムズはガッカリしたというが、企画段階で気づかないとは、呆れて物が言えない。名監督のアルフレッド・ヒッチコックは配役にとても神経を使ったそうだ。やはり、役者に華がないと、お客がソッポを向いてしまうのだ。グレース・ケリーやティピ・ヘイドレンを登用したのは正解だった。

  アメリカやヨーロッパにいると、ユダヤ人は熱心に多民族共存を唱えるが、彼らの「ホームランド」たるイスラエルでは、人種差別が当り前となっている。以前、イスラエルの学校では「ガダー・ハヤ(Gader Haya/国境沿いの人生)」という小説が採用されていた。この小説にはユダヤ人女性で翻訳家のリアとパレスチナ人の藝術家ヒルミがニュー・ヨークで恋に陥り、ヒルミがパレスチナに戻るという内容になっている。つまり、物語では対立する民族と国境を越えた恋愛が描かれているということだ。ところが、イスラエルの教育省は、この作品がイスラエル人のアイデンティティー、すなわち「種族的純潔性」を損ねると判断し、禁書に指定して読ませないようにしたらしい。(Gili Izikovich,Israel Bans Novel on Arab-Jewish Roamnce From Schools for Threatening Jewish Identity, Haaretz, December 31, 2015) もちろん、作者のハイム・ベレル(Haim Be'er)氏やイスラエルの作家たちが抗議したというが、政府がそう判断したのは、多くのユダヤ人が異人種間結婚でアラブ人の血が混じることを懸念したからだろう。同じ事を合衆国政府が行ったら、アメリカのユダヤ人は蜂の巣を突いたように大騒ぎするはずだ。全マスコミが大統領を非難し、弾劾手続きにまで発展するかも知れない。そもそも、そんな自殺行為を選ぶ政治家は欧米諸国に居ないから、これは架空の話に過ぎない。いや~、ユダヤ人ってのは怖いもの知らずだ。レイシズムが国策なんだから。

  欧米諸国に住むユダヤ人は、たとえ「リベラル」であっても滅多にイスラエルの人種差別を糾弾することはない。不思議だ。イスラエルではこのほかにも、信じられない行為がまかり通っている。例えば、2003年に、支那人労働者(男性)を輸入したある会社が、イスラエル人女性とセックスしたり結婚したりしない事を誓約させる契約書を作り、支那人たちに署名するよう要求したのだ。(Conal Urquart, Chinese workers in Israel sign no-sex contract, The Gaurdian, 24 December 2003) さらに驚くのは、こんな契約を強要する会社に対して、何ら法的処罰が科せられなかった事である。それというのも、イスラエルには、このような要求から外国人労働者を守る法律が無いからだ。もっとも、支那人相手なら「人権問題」を心配する必要はない。支那大陸ではポルノ雑誌を所持したくらいで死刑になるんだから。支那人労働者は賃金をもらえれば、それで満足する。余計な事は言わない。それに、鬼のようなユダヤ人が相手なら、裁判を起こすだけ無駄とすぐ分かる。ゴネれば大金を渡す、甘っちょろい日本人とは本質的に違うのだ。悪党は悪党のことがよく分かっている。

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(左: ユダヤ教徒の群れ/右: 支那人労働者)

  日本のマスコミは、捏造の「朝鮮人性奴隷」については熱心に報道するくせに、こうした「人権蹂躙」の事実は一切伝えない。もし、日本の企業が支那人労働者に「日本人とセックスするな」とか「日本人女性との結婚は禁止」なんて契約を条件にしたら、もうてんやわんやの大騒ぎになるだろう。国会でも大問題になる。そうなれば、歐米のユダヤ系マスメディアが朝日新聞やNHKとグルになって、「セックス・スレイブを狩り集めた日本人、またもや人権無視の奴隷狩りか ?」と見出しをつけて、大々的に報道するだろう。アメリカのABCやNBC、CBSといったテレビ局がドキュメンタリー番組を制作するんじゃないか? しかし、イスラエルがとんでもない契約を強要しても、それをこぞって報道することはあるまい。ユダヤ人だと、エチオピア人を不妊注射で絶滅させてもOK。ユダヤ系黒人移民を叩き出しても当然。パレスチナ人の子供目がけて砲撃するのは国防だ。歐米人から批判されることはない。いいなあ、ユダヤ人って。地獄から眺めているヒトラーやゲッペルスは、きっとイスラエルにエールを送るだろう。「いいぞ、ユダヤ人 ! 人種隔離政策賛成 ! 純血主義を守れ ! 移民・難民は追い払え !」と叫んで、ユダヤ人を礼讃するんじゃないか。歐米人は非力な白人レイシストを「ネオ・ナチ」などと呼ばずに、「ユダヤ人もどき」と呼んであげればいいのに。莫大な資金と権力を持つユダヤ人シオニストは、世界でもトップ・クラスの筋金入りのレイシストである。貧乏臭いスキン・ヘッドの白人至上主義者など問題にならない。

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(左と中央: ユダヤ人の風刺画/右: ユダヤ人紳士/)

  日本人は愚かな欧米社会をしっかりと認識し、血統を守るイスラエルのユダヤ人に目を向けるべきた。日本人は何かにつけ「アメリカ人の経営に見倣え」とか「ユダヤ人の智慧に学べ」といったスローガンを好むが、常識を持って考えれば、大抵のことは理解できる。高学歴馬鹿を見れば分かるじゃないか。イスラエルのユダヤ人がアラブ人やアフリカ人を排斥するのは、それが自国を守る手段であることを分かっているからだ。妙な「人権」思想など国家の存続にとって有害なだけである。つまり、アホらしいことに耳を傾けず、他人が何と言おうが「常識」を持って行動することが大切なのだ。もし、黒人や朝鮮人が自宅に居坐ったら、力ずくでも叩き出すのが一家の大黒柱の責務である。侵入者がゴネても、箒(ほうき)か野球のバットで殴って追い出すのが常識だろう。それが出来ないのは、頭のつむじが左巻きになっているからだ。しかし、今の子供だと「大黒柱って何 ?」と訊くんだから開いた口が塞がらない。人種問題どころじゃない。基礎知識の土台が崩れている。太陽が西から昇ると答えた大学生がいる、という噂は本当かも知れない。「西から昇ったお日様か、東~へ沈む~」という「天才バカボン」の歌の影響じゃないよねぇ。
  
  あ~あ、またくどくど書いてしまった。もっと楽しい話題でブログを書きたいな。




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