無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2016年06月

極左ユダヤ人のデーブ・スペクター (後編) / 検証が無くても有罪

怪しげなガス室殺人

  今さら怪しいホロコースト物語を批判するのは大人げないけど、日本のみならず歐米諸国でもまだユダヤ人の戯言(たわごと)を信じている人が多いからしょうがない。確かに、ナチ・ドイツに殺されたユダヤ人が大勢いたのは事実だし、強制収容所に送られたのも本当だ。しかし、この「絶滅収容所」で亡くなったユダヤ人が、毒ガスによる死亡とするのは無理がある。ユダヤ人は十把一絡げに「ホロコースト」と呼ぶが、殺害方法の分類をせず、ただ簡単に600万のユダヤ人が虐殺されたと騒ぐ。現在ではホロコースト研究が進み、その数字は減少する一方で、当初より死亡者数が現実的になり、過去の数字が誇張だったことが明らかとなっている。だが、「おしゃべり藝人」のデーブ・スペクターは、未だにこの神話を信じているようだ。彼はデボラ・E・リップシュタット『ホロコーストの真実』の邦訳本に「推薦のことば」を書いていたのだ。たぶん、1995年に起きた『マルコポーロ』事件があったので、日本に於ける反ユダヤ主義の勃興を恐れたのだろう。

  文藝春秋社が創刊した月刊雑誌『マルコポーロ』は、1995年2月号で、西岡昌紀が提起したガス室殺人への疑問を掲載した。当時、この雑誌の編集長を務めていたのは、後に月刊誌『WiLL』を手掛ける花田凱紀(はなだかずよし)だったから、たぶん「これは読者が興味を持つぞ !」と踏んで、大胆にも西岡氏の論文を掲載したのだろう。なるほど、西岡氏の主張と論理は明確で、ガス室殺人への疑問に共感した読者も多かったはずだ。ただ、ユダヤ人の逆鱗に触れたことはマズかった。「ホロコースト物語」はユダヤ人にとって、かけがえのない民族的遺産で、絶対に傷をつけてはならない聖域なのだ。それなのに、西岡氏は迂闊にも正直な反論を書いてしまった。ユダヤ人が支配する歐米諸国なら、このタブーに触れた者は、社会的に抹殺されるのが定番で、事によっては一生日陰暮らしの危険さえある。実際、ガス室殺人に疑惑を投じ、マスコミの脚光を浴びたたユダヤ人青年のデイヴッド・コール(David Cole)は、ユダヤ人のゴロツキに暴行され、命にかかわる脅迫まで受けたらしい。彼は名前を変えて別人になりすまし、つい最近までほとぼりが冷めるのを待っていたという。西岡氏の論文が『マルコポーロ』に掲載されると、さっそくユダヤ人団体から抗議の嵐が巻き起こり、文藝春秋社の田中健五社長は顔面蒼白。ユダヤ人に平謝りの田中社長であったが、ユダヤ人を宥めるまでには至らず、結局のところ辞任する破目になった。

  ユダヤ人の恫喝は年季が入っているから、それと比べればヤクザの因縁だって可愛く思える。文春に殴り込みを掛けてきた団体の筆頭は、あの有名な「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」であった。この組織を率いるサイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)は、ホロコースト・ビジネスで飯を食っている恐喝屋である。ガス室殺人に疑問を呈する者は、たとえチンピラであっても容赦はしない。全身のの皮を剝いで硫酸をふりかけるくらい朝飯前だ。ところが、このユダヤ人は神聖なる「ホロコースト物語」にケチをつけた西岡を、明確な物的証拠と公式文書で論破しなかった。いや、「出来なかった」という方が正確だろう。本来なら、ヴィーゼンタールは自分で反論文書を送るか、他の研究者に依頼して、西岡氏をコテンパンにやっつける文章を書かせるべきだった。日本で広がるユダヤ人への疑念を払拭するためにも、ヴィーゼンタールは正々堂々と反論を掲載するのが筋だろう。それに、花田編集長は公平を期すため、ユダヤ人側に反論のスペースを提供すると公言していたのだ。しかし、SWCが取った行動は、雑誌スポンサーに圧力を掛ける事だった。これはおかしい。歴史家でもない素人の西岡氏が相手なら、プロのユダヤ人歴史家は簡単に勝てたはず。何と言っても、世界的に有名なSWCが異議を唱えたのだから、超一流の研究者や大学教授を動員できたはずである。それをしなかったということは、SWC側に何か不都合な事情があった、と考える方が普通だ。

  ホロコースト物語の「クライマックス」である「ガス室殺人」には証拠が乏しい。毒ガスを使った大量殺人に疑問を呈するマーク・ウェバー(Mark Weber)の「歴史修正ジャーナル(The Journal of Historical Review)」や個人の懐疑派を非難するデボラ・リップシュタットは、自著『ホロコーストの真実』の中で彼らを徹底的に叩いている。しかし、彼女は否定論者たちの人格を攻撃したり、その悪影響を長々と述べるだけで、肝心の「ガス室殺人」がどのようなものだったのかを、“具体的”に説明しないのだ。この本を手にした日本人なら「毒ガスでの大量殺戮」に割かれたページ数を見て驚くだろう。上巻が262ページで下巻が270ページもあるのに、ガス室殺人へ具体的に触れたのは、下巻の附録部分の中、199ページから209のページの間で、たった11ページに過ぎない。邦訳で500ページ以上の文章になる本の中で、たった10ページ程度の反論なんておかしいじゃないか。しかも、その反論だって設計図から得られた情報に基づくものであり、公的な検証作業による資料ではない。しかし、リップシュタットはこう述べる。

  ガス室に関する一連の言及、そしてキャンプの設計プランが、否定者の要求する証拠を構成する。もちろん、輸送、殺害、チクロンBの補給、その他最終解決にかかわる諸問題について、山ほどの記録文書がある。(『ホロコーストの真実』 下巻 滝川義人/訳 恒友出版 1995年 p.209)

  もし、証拠が「山ほどある」なら、どうして「具体的に」ガス室の構造や焼却した死体数を説明しないのか? ネオ・ナチや懐疑論者の人格や経歴を罵倒しないで、シンプルに物的証拠や検死報告書、裁判記録を読者に示すべきだ。そうして科学的な論文にすれば、明確に「懐疑派」を論破できるだろう。なぜ、エモリー大学で教授職に就く“ご立派な”リップシュタットが、「懐疑論者」の“暴論”や“素性”ばかりに注目し、彼らを“扇動家”のヨタ公にすべく奮闘するのか? “いい加減な”事を述べる奴らには、“確固とした”証拠を示して、「どうだ ! まいったか !」と啖呵を切ればいい。例えば、日本軍が朝鮮人女性を「性奴隷」にしたと喚(わめ)く朝鮮人がいるなら、当時の朝鮮人女衒や遊郭の話をしてやればいいし、「鮮ピー(朝鮮人売春婦)」がもらっていた賃金を示してやれば、まともな一般人は黙るだろう。(ただし、事実を示しても駄々を捏ねるのが朝鮮人だから、日本人としては放って置くしかない。) それでも朝鮮人がギャアギャア騒ぐなら、逆に「じゃあ、きちんとした証拠を出せよ」と言ってやればいい。どうせ朝鮮人は一次資料や物的証拠が無いんだから、何も反論できないはずだ。それゆえ、彼らは鼻水垂らして「日本人は酷いことしたニダぁ~。カネよこせニダ~ぁぁ。アタシの人生返せよぉぉ~うスミダ ! わぁ~ん。アイゴー !!」と朝鮮国内で騒ぐ。「奴隷狩り」をされたことを証明する具体的な公文書は無いし、戦後に「解放」されたとされる鮮人男性は、攫われた娘の敵(かたき)を討つため、いくらでも攻撃のチャンスがあったのに、誰も日本人に復讐をしなかった。「性奴隷や慰安婦」にされたと名乗り出る鮮人老婆たちも、具体的な記憶を述べず、肝心な点は曖昧にしたまま泣くだけだった。しかも、当時を知る朝鮮人同胞がほぼ亡くなった頃に、日本政府を訴え始めたのだから計算高い。ユダヤ人は朝鮮人よりも狡猾で、いかにも科学的・物的証拠があるような本を書く。しかし、その大部分はいかにナチスが残虐であったかに費やされ、現実的な殺人方法や兇器の特定には触れていない。つまり、ボロが出るとマズいので、わざと曖昧な表現を使って、読者が勝手に思い込むように仕組んでいる。

  ホロコーストの「いかがわしさ」を述べると長くなるので割愛するが、簡単な疑問点だけを紹介したい。まず、多くのユダヤ人がどうやって「ガス室殺人」を知るようになったのか? それは、殺害されるところを見た囚人がいて、ソ連兵やアメリカ兵によって解放されたのち、多くのユダヤ人被害者が訴え出たからだろう。しかし、解放されたユダヤ人が喋ったからといって、彼らの証言をそのまま鵜呑みにはできない。なぜなら、法廷に於ける目撃者の証言は、必ず反対尋問(cross-examination)を受けなければ、証拠としての価値が無いからだ。つまり、厳しい反論に耐えられない目撃証言は、証拠能力に欠けると言わざるを得ない。もちろん、法廷の外でいくらユダヤ人被害者が喚(わめ)こうと、それは単なる「言いっ放し」だ。どんな嘘を混ぜた話でもいいし、一つの話を膨らまして「お涙頂戴」話にしたって構わない。「ホロコースト」の悲劇を語る番組に出演したユダヤ人が、自らの過去を偽って「哀しい思ひ出」に捏造しても、偽証罪には問われないのだ。以前このブログでも紹介したアメリカ在住のユダヤ人夫妻は、「空想の産物」を「本当にあった収容所での実話」として語っていた。ABC放送局のダン・ハリス(ユダヤ人)記者は彼らにインタヴューを行い、なぜ嘘をついたのかを問い質していた。そこで亭主が言うには、「頭の中で悲劇が起きた」から、それは彼らにとって“リアル”だったという。まったく以て馬鹿らしい。アメリカ人じゃなくても「そんなべらぼうな !」と怒る人がいるだろう。だいたい、勝手に想像した話でも、自分が「現実」と思えば「事実」になるなんておかしいじゃないか。でも、彼らは法廷に立って喋ったわけじゃないから、正確な過去でなくてもよかった。つまり、刑罰を気にせず、気楽に嘘がつけたというわけだ。

  まぁ、民放の制作スタッフが騙されたのはしょうがない。左翼メディアは歐洲ユダヤ人の「悲劇」を目玉にして、この嫌われ民族を擁護しようと日々努力を重ねているんだから、当然と言えば当然だろう。だが、高名な学者までが“インチキ”証言を基にして、歴史の学術書を出すとなったら問題だ。でも、本当に起きたから世の中は「驚き」に満ちている。第二次世界大戦のユダヤ人虐殺を勉強する者で、ユダヤ人のラウル・ヒルバーグ(Raul Hilberg)博士を知らぬ人はいないだろう。彼は超有名なホロコースト研究家で、彼の『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(柏書房 1997年/原書初版は1961年/英語の改訂版は1985年)は、既に学会と民間人のあいだで古典的名著になっている。彼はこの本を執筆するに当たり、10年以上の調査期間を費やしたそうだ。(下巻 p.412) この浩瀚な本を読めば、「よく調べ上げたなぁ」と感心する日本人も多いだろう。そこで、「ガス室殺人」はどのように記述されているのか、とページをめくって読んでみると、具体的に説明されているから「ヘェー、そうか」と思ってしまう。(ただし、全体のページ数からすると、やけに少ない分量なのでガッカリする。) そこで、224ページから227ページに書かれているガス室でのリアルな描写は、どんな資料なのかを見てみると、主にフィリップ・ミュラー(Filip Muller)の『アウシュヴィッツの目撃者(Eyewitness Auschwiyz)』(1979年出版)を参考にしていたのだ。

詐欺師みたいなユダヤ人証言者

  このミュラーはスロヴァキア系ユダヤ人で、アウシュヴッツ収容所を生き抜いた生存者である。(2013年に死亡。) 戦後、「生き証人」として有名になったミュラーは、囚人の頃、死体処理などの雑務をこなす「特殊任務係(ゾンダーコマンド/Sonderkommand)」であったという。実際、収容所で「ガス室殺人」を目撃し、そこから大量の遺体を引きだしたそうだ。彼は「死体焼却」なども行ったので、フランクフルトのアウシュヴッツ裁判に召喚され、貴重な証人となった。さらに、自身の体験を綴った著書を出版したので、とても信頼されるユダヤ人となったのだ。ところが、このミュラーは、トンデモない食わせ者で、事実かも知れない話の中に、捏造や盗作を盛り込んでいたのである。カルロ・マットーニョによれば、ミュラーはユダヤ人医師のミクロス・ニーシュリィ(Miklos Nyiszli)が出版した『アウシュヴィッツ: 医師の目撃証言(Auschwitz: A Doctor's Eyewitness Account)』を剽窃して、自分の『アウシュヴィッツの目撃者』を書いたらしい。(Carlo Mattogno, Auschwitz: A Case of Plagiarism, The Journal of Histrical Review, Vol.10, Number 1, 1990) この本は大変評判になったので、今では廉価なペーパー・バックも出ている。興味のある方はぜひ購入し、“自分の眼”を使って読んでもらいたい。そうすれば、信じられない証言を他人の註釈なしで知ることが出来るだろう。

  「これはいくらなんでも無理だろう」というミュラーの話を一つ紹介したい。ドイツ人はユダヤ人をガス室で殺した後、その遺体を焼却炉で燃やして灰にした、と伝えられている。そこで、実際にこの死体焼却を行ったというミュラーの説明を聞くことは、第三者にとって非常に重要な資料となるだろう。アウシュヴッツのビルケナウ(第二収容所)には、死体を灰にする焼却炉があって、それぞれに3つの窯(炉室)がある。第二焼却棟には5つの焼却炉があって、3つの窯(かま)があるから、一挙に15体を焼くことができる。第三焼却棟も同じだが、新たな第四と第五焼却棟だと、それぞれ8個の窯だけしかなかった。ミュラーの説明によると、死体を1体焼くのに20分かかったというが、本当にそうなら信じがたい。現在の我々が火葬場に行けば分かるが、1体焼くのに少なくとも1、2時間はかかるだろう。20分で焼き上げるなんて、どんな火力だったのか? ピザ屋の店員だって目を丸くするだろう。

  でも、彼はこの焼却作業が一日中、つまり24時間ずっと燃やし続け、3,000体以上を灰にしたそうだ。(Filip Muller, Eyewitness Aushwitz : Three Years in the Gas Chambers, Ivan R. Dee, Chicago, 1999, p.59) そうなると単純計算で、1つの窯に3名の遺体を押し込んで、20分で焼くことになるから、15個の窯で45体を焼く計算になる。1時間だとこれを3回繰り返し、1日(24時間)フル稼働させると、3,240体を焼いたことになる。(3体×15釜×20分、1時間で135体を焼けるわけだ。) 遺体の挿入と灰の除去があるから、3240体は大袈裟だろうが、もし、焼いたのが約3,000体だったとすれば、こう考えるしかない。しかし、それはどう考えても無理だろう。ニーシュリィは1日の焼却能力を5,000体としているが、これはいくら何でも膨らませ過ぎだ。第一、こんなに無茶苦茶な焼却を繰り返して炉がもつのか? 3,000名もの遺体を手作業で運んだ上に、各遺体を窯に詰め込むだけでも重労働だ。それに、1つの窯に2体以上詰め込んだら、焼却時間が余計にかかってしまうし、効率が悪くてしょうがない。しかも、灰を窯から取り出す作業も大変だ。中には生焼けで手足が灰になっていない場合もあったそうだから、焼却はだいぶ雑なものであったらしい。繰り返しになるが、 「本当にこんな数を焼いたのか?」と尋ねたくなる。それにしても、「遺灰」なの「水増し」だなんて、洒落にもならない。

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(写真 / 収容所に設置された焼却炉)

  焼却能力について怪しい話をしていたミューラーは、ガス室の構造についても奇妙な証言を書いていた。250平方メートルの部屋には、本当の柱の他に、青酸ガスのチクロンBを投入する金網の柱があったそうだ。チクロンBの結晶を中がカラっぽになっている鉄製柱の口に流し込み、ミシン目が開いた表面からガスが部屋中に拡散したという。(上掲書 p.60) だいたい、ガス室の天井に投入口があったのか? 映画とか小説だと、ガス室の天井にハッチがあり、ドイツ人刑吏がチクロンBのチップが詰まった缶を投げ入れるシーンが描かれている。しかし、当時そんなハッチは無くて、収容所見学で目にする投入口は、戦後ソ連かポーランドの役人が作ったものである。もっとも、ガス室殺人を肯定したいユダヤ人学者は、ドイツ人が終戦間際にガス室を破壊したから、現存するガス室が修復物であっても仕方ないと述べていた。でも、見学者はそんなことに気づかず、案内される「ガス室」をオリジナルの実物と思っている。共産主義国が捏造の常習犯という事を説明しない、ホロコースト講義は狡いというか詐欺に近い。まぁ、ガス室殺人の物語は複雑で長くなるから省略するが、重要なのは、戦後リンチ裁判を準備した英米側が検証作業を敢えてしなかったことだ。核保有国の合衆国は、軍事的に劣るソ連に対し、アウシュヴッツ収容所を検証させろ、と強要できたのにしなかった。つまり、ガス室殺人の廉で有罪にしたいだけで、実際に行われたのかどうかの検証には興味が無かったのだ。一方、日本に対して行った核攻撃と人体実験については大いに関心があったので、ワシントンは戦後マッカーサーたちを上陸させると、それと並行して科学者を派遣し、爆心地を綿密に調べさせ、調査報告書を作成させたのである。結局、ガス室での真相はどうでもよく、騒ぎ立てるユダヤ人に媚びて、憎きドイツ人の仕置きをさせたのだろう。

  ユダヤ人ってのは、支那人や朝鮮人みたいに執念深い民族で、自分が被害をうけると、地球が滅亡する日まで忘れない連中である。しかも、自分の利益になれば、多少の嘘あるいは全くのデタラメを混ぜてもよいと考えるから質(たち)が悪い。でも、ユダヤ人なら嘘つきは1,000人中2、3割で済むかも知れないが、朝鮮人だと998人が嘘つきで、残り2名は無知なだけという場合がある。支那人だと嘘つきは千名中、3千名になるかも知れない。なぜなら、彼らは1人で3つの嘘をつくからだ。しかも、矛盾していても平気なんだから。とまあ、嫌な民族は似ているというか、同じ穴の狢(ムジナ)といったところだろう。フィリップ・ミュラーも詐欺師的ユダヤ人の一人で、彼が収容所で目撃したという話には眉唾物が多い。ここで二、三の具体例を挙げてみよう。

  アウシュヴィッツ収容所で特殊任務係に就くミュラーには、命令者としてオットー・モル(Otto Moll)というドイツ人曹長(Hauptcharfuhrer)のもとで働いていた。ミュラーによれば、ユダヤ人の処刑を監督していたモルは、第二次世界大戦で最悪の殺人鬼であったそうで、サディスティツクな性格を有していたという。モルは背が低くずんぐりした体型の持ち主。ぽっちゃり顔にはソバカスがあって、眼鏡を掛けていたらしい。太っちょのモルは、ユダヤ人から「キュクロープス(一つ目の巨人/Cyclops)」と呼ばれていたそうだ。(上掲書 p.125) 彼はユダヤ人の虐殺を眺めるのが大好きで、血に飢えていたせいか残忍な事を厭わなかったという。彼はユダヤ人の死体を焼くための穴をゾンダーコマンド(特殊雑役係)に掘らせていた。その穴は長さが40mから50mくらいで、幅が8mくらい。深さは2mくらいであったという。モルはこうした穴を幾つか作らせた。酷刑を好むモルは、焼却炉の前に並ばせたユダヤ人女性に服を脱ぐよう命令し、食肉業者のような目つきで彼女たちを品定めしたそうだ。彼は舐めるように眺めた女性の中から二、三名の若い女性を選び、遺体が燃え盛る穴の方へ走るよう言い付けた。こう命じられて駈けていった女性たちは、穴の端にまで辿り着き、立ち上る炎を見ながら立ち竦んでいた。こうした恐怖に怯える獲物を見て、モルはその表情を堪能したという。そして、モルは彼女たちを背後から射殺して、穴の中に突き落としたそうだ。(上掲書 p.141)

  残酷なシーンを楽しむモルは、よく訓練されたアルザス犬を持っていて、ある時、その犬を若いユダヤ人女性にけしかけ、有刺鉄線の方まで追い込んだことがある。羊のように追い立てられた女性たちは、犬に脚や尻を噛まれ血だらけとなった。こうして犬に追いかけられたユダヤ娘たちは、またもや炎が立ち上がる穴の端に立ち、最期の瞬間を迎えたという。燃えさかる死体を見て戦(おのの)く女性を見ると、サディステックなモルは性的に興奮する。彼は女たちに罵声を浴びせながら、一人一人その背中に銃弾を撃ち込み、穴の中に倒していったとそうだ。 ミュラーによれば、この変態は信じられない残虐性を見せた。穴の中で燃えている死体からは、脂肪が溶けてグツグツと煮えたぎっていたらしい。すると、モルはユダヤ人の赤ん坊を摑んで、生きたままその燃えさかる死体の山に放り投げたという。(上掲書 p.142) 「えっえぇぇ !! そんな酷い ! でも、本当なのか?」と疑いたくなるような記述である。なんか第一次世界大戦で行われたプロパガンダを思い出す。当時、英国のジェイムズ・ブライス卿が対独宣伝のために、残酷な話をでっち上げたことがある。たとえば、ドイツ兵が赤ん坊を空中に放り投げて銃剣で串刺しにしたとかのヨタ話である。いくら冷酷なモルでも、本当に炎の中に赤ん坊を投げて殺したのか? とても信じられない。そもそも、こんな話は誰も証明できないし、反対尋問にも掛けられていないから、ミュラーは何でも吹聴できた。要するに、このユダヤ人は「慰安婦狩り」を宣伝した吉田清治みたいな奴だ。

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(挿絵 / 残酷なドイツ人)

  貴重な証言者であるミュラーは、奇妙な出来事を述べていた。焼却棟にはSSの医者、特にキット(Kitt)大尉とウェバー(Weber)中尉が時たま来訪し、処刑前に、まだ生きている男女の太腿(ふともも)や脹脛(ふくらはぎ)に触って、どれが極上品なのかを選別したそうだ。処刑が終わると、選ばれた死体がテーブルの上に置かれ、医者がまだぬくもりのある太腿や脹脛を切り取り、それを容器の中に放り込んだという。射殺した人の筋肉はまだ活きていて、伸びたり縮んだりしていたらしい。そこで、こうした活力のある肉をバケツに入れると、そのバケツは飛び上がったそうだ。(上掲書 pp.46-47) すごい。まるでB級ホラー映画を観ているようだ。たぶん、鯛の活け作りをヒントにしたエピソードなのだろう。さすが、ユダヤ人は創造性に富んでいる。『エルム街の悪夢』や『13日の金曜日』に匹敵する作品だ。遺体から切り取った筋肉が、バケツの中でピクピク元気よく撥ねていたとは。こりゃ、一本取られた。しかし、これをどうやって科学的に説明すべきなのか、ユダヤ人学者は悩むだろうな。まさか、人体実験をするわけにも行くまい。でも、イスラエルのユダヤ人ならパレスチナ人を捕まえて、脚の肉を削ぎ落とすかも知れないなぁ。何しろ、ロケット弾を打ち込んで女子供を皆殺しにする連中から、人体実験くらいこっそり行うかもしれないぞ。でも、イスラエル政府はナチスほど甘くないから、証人となり得る目撃者を総て抹殺するだろう。

  動く筋肉も驚異的だが、ユダヤ人女性にも超人がいたようだ。ある時、SS隊員たちがユダヤ人の群れを叱りながら、追い立てていた。そうしたなか、トラックに乗っていたSS隊員のクワッカーナック(Quackernack)とシリンガー(Schillinger)は、青黒い髪をした美しい女性に惹きつけられ、トラックを止めたという。彼らが色目を使っていることに気づいた彼女は、欲情をそそるようなストリップを始め、スカートをまくり上げて、太腿とサスペンダーが見えるようにした。そうして、彼女はゆっくりとストッキングを脱いで脚から取った。SS隊員の二人は彼女に見とれて、他のものが目に入らなかったらしい。彼女はブラウスを脱いで、好色な観客の前でブラジャー姿で立っていた。左手をコンクリートの柱に当てて、少しばかり足を上げると、彼女は靴を脱いだ。すると、電光石火の如く自分の靴を手にし、そのハイヒールでクワッカーナックの額を激しく叩いた。彼は激痛でたじろぎ、両手で顔を覆ったという。そこで彼女は間髪を入れず、そのSS隊員に飛びかかった。まるでカンフーの達人みたい。素早く彼の拳銃を奪った女性は、躊躇いもなく拳銃の引き金を引いたという。辺り一面に銃声が響くと、シリンガーが叫び声を上げて地面に倒れた。数秒後、二発目の弾丸はクワッカークナックに向けて発射される。だが、その弾は僅かながら逸れた。その場は一瞬にしてパニックに襲われ、このアクション・ヒロインは人混みの中に消えていったという。SS隊員は油断による危険性を痛感したそうだ。(上掲書 pp.87-89)

  こうした活劇エピソードを聞くと、「いゃ~、映画って本当にいいですねぇ~」と水野晴郎みたいに言いたくなる。たぶん、ユダヤ人女性には、バイオニック・ジェリミーやワンダー・ウーマンの如く、一瞬で敵を倒すような女傑がいるんだろうなぁ。アメリカの女子高生だと、TVドラマ『パーソン・オブ・インタレスト』のサラ・シャヒー(Sarah Shahi)や『エイリアス』のジェニファー・ガーナー(Jennifer Garner)を連想してしまうだろう。彼女たちが演じたスーパー・ウーマンは、デルタ・フォース隊員も真っ青の武術を披露していたから圧巻である。ちなみに、アーノルド・シュワルツネッガー元知事は銃弾を受けたら死んでしまうし、ジョン・ランボーを演じたシルヴェスー・スタローンだって、一個中隊を全滅させるようなスーパー・ソシジャーではないぞ。良い子のみんなは騙されちゃいけないよ。本物の陸軍特殊部隊員でもあんな藝当は絶対できないんだから。それにしても、ミュラーが伝える「実話」には、驚愕のシーンが満載だ。歐米社会で最も著名なホロコースト学者のラウル・ヒルバーグ博士は、こうした数々の逸話を読んでどう思ったのか? もちろん、「歴史修正主義者」を批判するリップシュタットは読んでいるはずだ。でも、彼女は自著の中でミュラーを批判しなかった。同胞のユダヤ人だと筆が鈍るのか、随分と甘い批判本である。『アウシュヴッツの目撃者』はまだ邦訳されていないので、日本人の多くは「ユダヤ人目撃者」の証言を信じて疑わない。善良な日本人は被害者が述べた事をそのまま信じる癖があるので、腹黒い連中に騙される危険性がある。

「ほら吹き」のユダヤ人生存者

  ユダヤ人の証言者に「いかがわしい」人物が多いのは既に知れ渡っている。もし、フランスのユダヤ人監督クロード・ランズマン(Claude Lanzman)が制作した映画『ショアー(SHOAH)』を観れば、一般の日本人でもそれを知ることができる。この映画はホロコーストを生き延びたユダヤ人にインタウューを行い、その映像を編集したドキュメンタリー映画である。ちなみに、「ショアー(災禍/絶滅)」とはユダヤ人が呼ぶ「ホロコースト(the Holocaust)」の別名で、これは元々、獣を焼いて神様に捧げるユダヤ教の祭りを意味していた。「ホロコースト」はギリシア語の「生け贄の丸焼き」を指す「holokauston」から由来し、ユダヤ人はギリシア起源の言葉を用いずヘブライ語で「ショアー」と呼んでいる。また、スティーブン・スピルバーグが手掛けた『最期の日々(The Last Days)』を覚えている方も多いだろうが、様々なユダヤ人生存者がインタヴュー映像の中で当時の様子や体験を語っていた。しかし、こうした「ホロコースト」映画にはトンデモないユダヤ人が登場していたのだ。

  本当かどうか信じられない怪しげな話を陳述したギリシア系ユダヤ人のダリオ・ガバイ(Dario Gabbai)がそうである。彼はアウシュヴィッツ・ビルケナウの収容所に送られ、第二焼却棟で「ゾンダーコマンド(特殊雑役係)」として働いていたそうだ。映画制作者のインタヴューを受けたガバイは、ガス室から遺体となったユダヤ人を焼却炉に運ぶ話をしていた。彼の証言によれば、ガス室の中に2,500名から3,000名くらいのユダヤ人が押し込められ、天井のハッチからチクロンBが投入されるや、5分から6分くらいでみんなが死んでしまい、15分から20分ほど経つとドアが再び開かれたという。鮨詰め状態のガス室の中では、ユダヤ人親子が立ったまま寄り添うように死んでいたらしい。しかも、毒ガスで殺された遺体は青黒く変色していたという。(普通はピンク色になるという。) だが、この話は妙だ。部屋の中がどれくらいの温度かは知らないが、そんな短時間でチップに吸収させた青酸ガスが遊離するとは思えない。そもそも、ガス室に温風機が設置され、室内温度が高く、毒ガスが早く拡散するように空気を循環させていたのか? ホロストを扱ったユダヤ人学者は、こうした装置の存在を意図的に避けている。さらに、金網の柱から注入したチップは、5、6分経過してみんなが死んだからといって、有毒ガスの放出が停止するわけでもないから、青酸ガスの遊離は継続するだろう。たとえ、換気扇を回してガスを輩出したからといって安心できない。第一、ガバイの言う通り、ガス室の中はまったくスペースが無く、犠牲者は立ったまま死んでいたり、折り重なって死に絶えていたのだ。どうやって、柱の中のチクロンBをたった三十分の間で除去したのか? それに、3,000名近い群れを殺すとなれば、チクロンBがどれくらい必要になるかわからない。収容所の管理者は相当な量を発注したはずだ。

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(左: 遺体を焼却する雑務係 / 右: 残酷なドイツ人のカリカチュア)

  ダリオ・ガバイはガス室からユダヤ人の遺体を引き出して、焼却炉に運んだと話していたが、どうもその具体的な説明は怪しい。彼はクエスチョンマークのように取っ手が丸まっている杖を、遺体の首に引っ掛けて引きずり出したという。これは、同様にアウシュヴッツで「ゾンダーコマンド」を務めていたシュロモ・ヴェネツィア(Shlomo Venezia)の話と似ている。最初、シュロモは「ゾンダーコマンド」ではなかったが、やがて死体の運搬を命ぜられたという。ガバイと同じく、彼も便利なので杖を用いて犠牲者を引きずり出したそうだ。シュロモの回想によれば、先輩格のゾンダーコマンドたちは、当初、手で遺体を引っ張っていたが、その手があっと言う間に汚物にまみれて滑りやすくなったので、直接手で触れぬよう布切れを使ってみたという。しかし、その布きれもすぐに汚れてしまったので、今度はベルトで遺体を引っ張ってみた。しかし、これも実際にやってみると相当きつい。ベルトが緩むと、その都度また締め直さなければならないからだ。結局、死体の首に杖を引っ掛けて引きずるのが、一番簡単であることが分かったらしい。(シュロモ・ヴェネツィア『私はガス室の「特殊任務」をしていた』 鳥取絹子 訳 河出書房新社 2008年 p.100) 日本人なら、「まさか、そんな。記憶の間違えだろう」と半信半疑で聞いてしまうが、彼はダヴィッド・オレール(David Olere)の想像図を指して、当時の様子を語っていたのだ。つまり、遺体を引き摺る人物が描かれた絵を見ながら、彼は確認していたのである。そもそも、自分の話したことが本になるんだから、挿入される絵を承認するのは当然だ。ちなみに、このオレールは強制収容所やホロコーストの絵をたくさん描いた画家である。

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(ダヴィッド・オレールの想像図/左:遺体を引き摺るゾンダーコマンド/右:ユダヤ人を抹殺するドイツ人)

  シュロモの話で驚くのは、ゾンダーコマンドたちが上半身裸で作業をしていたことだ。オレールの絵を見れば一目瞭然だが、30分くらいしか経過していないガス室から、素手で遺体を運び出していたのだから、誰だって我が目を疑ってしまうだろう。青酸ガスが充分残っている部屋の中に、半裸で入って行き、ガスマスクすら装着していなとは驚きだ。シュロモは「SSはガスマスクをつけていたのですか?」という質問に、ガスを部屋に注入する時も、ガス室の扉を開ける時もつけていなかったと答えている。(上掲書 p.108) 多くの人は「そんな馬鹿な」と思うだろうが、この「正直な」ユダヤ人は明確に答えていた。いくら換気装置で猛毒が除去されたからといって、親衛隊の監督官が、無防備でガス室の周りには居ないだろう。しかも、シュロモは身震いするような体験を話していたのだ。ガスが注入されてから10分ないし12分くらい経つと、ドイツ人たちは全員が死んだのをのぞき窓から確認し、それから部屋の戸を開けて扇風機を回し、さっさと立ち去ってしまったそうだ。(同ページ) おい ! ちょっと待て ! そんなふうに扉を開けたから、中から毒ガスが流れてくるじゃないか。3000人くらいが収容できる巨大な部屋の中に充満した大量のガスは、抜き取るまでに最低数時間はかかるんだぞ。10時間かかっても安全とは言えないのに、そんな部屋に数十分で入って行くなんて気が狂っている。自殺行為だ。シュロモは20分ほど扇風機が回っている轟音を聞いて、それから死体を運ぶために部屋に入って行ったそうだ。ガスマスクもつけずに。更に驚くのは、シュロモがオレールの描いた「ゾンダーコマンド」の絵を見ながら説明していたことだ。ガスマスクを装着しない雑務係に疑問を抱かないなんておかしい。

Holocaust 5Holocaust 8












(左: 赤ん坊を燃やすドイツ人 / 右: ユダヤ人親子を捕まえるドイツ兵)

  異常な話は尽きることがない。ガバイも話していたが、ヴェネツィアも死体になったユダヤ人の髪を切っていたそうだ。彼と一緒に働いていたレオン・コーエンは、歯科用のペンチで遺体の口から金歯を抜き取っていたという。ヴェネツィアは焼却炉の前にある広い部屋で髪を切っていたそうだ。(上掲書 p.99) しかし、青酸ガスで死んだ人間に触って、髪を切るなど順序が逆じゃないか。普通は殺す前に切るだろう。遺体を運ぶ仕事だって重労働である。地下にあるガス室から、簡単なエレベーターで遺体を持ち上げ、階上の焼却炉に運ぶなんて非効率だ。「効率」や「合理性」を尊ぶドイツ人設計士が、わざわざ手間の掛かる構造を考えるのか? 普通なら、ガス室から簡単に遺体を引き出せるよう工夫するし、同じ階に造って焼却炉とセットにするだろう。それに、部屋のドアは一つしかないから、何千人もの遺体を引き出すのは時間がかかる。具体的に考えると、ユダヤ人ゾンダーコマンドの話には、不可解な点が多すぎる。ガバイなど本当にガス室殺人を見たのかさえ怪しい。戦後になってから、断片的に聞いた話しやホロコースト本を読んで、適当に情報を混ぜて「過去」を捏造したんじゃないか? こうた「目撃者」の証言は、法廷で徹底した物的証拠と被告人の弁護士による厳しい反対尋問に晒されていないのだ。したがって、あやふやなことでも平気で断言できるし、見てもいないことを見たかのように話してもいい。民間人同士の会話だから、偽証罪には問われないとなれば、好き勝手に物語を脚色してもいいと思ってしまうだろう。これは「三光作戦」を語っていた帰還兵とソックリだ。

物的証拠に欠けるホロコースト物語

  ガス室をめぐる学術書には、いかがわしい物が多く、日本人研究者の書物でも、芝健介や滝川義人の言論は信用できない。具体的な疑問点は次回に述べるが、デボラ・リップシュタットの反論本は構造的におかしく、「歴史修正主義者」たちの反論を封じ込めることを目的とした、政治プロパガンダの一種であろう。日本人読者が気をつけねばならぬ点を挙げるとすれば、ホロコースト懐疑派に雇われたフレッド・ロイヒターに対するリップシュタットの非難である。ガス室の毒物検査を行ったロイヒターは、もともと処刑装置を製造する技術者で、化学とか薬学に精通している科学者ではなかった。その正体を暴いたリップシュタットは、鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいたが、リップシュタット本人は公的な調査報告書を摑んでいる訳ではなかった。ニュルンベルク裁判を開いた合衆国政府は、優秀な科学者を派遣して各地のガス室を調べるような指令を出していなかったのだ。不思議なことに、ガス室を備えた絶滅収容所はソ連軍占領地区にしかなく、英米が占領したドイツ領にはなかった。アメリカ国内の殺人事件なら、必ず科学的捜査が行われ、物的証拠に基づいて裁判が行われるが、ユダヤ人の大量虐殺に関しては、杜撰な「手抜き」捜査しか行われなかった。しかも、軍事法廷ではドイツ側弁護人は物的証拠を自由に使えず、反対尋問すら許されない状態にあったのだ。これでは茶番劇というより、法的なヴェールでくるんだリンチ劇である。リップシュタットは「親ナチの歴史家」や「右翼活動家」を口汚く罵っていないで、科学的根拠に基づく資料や兇器を検証した報告書を提出し、一般人に向けて発表すべきだ。真実を公開すれば、“ならず者”を非難せずとも、人々を納得させることができるだろう。そうしなかったのは、ユダヤ人学者にそうした公式文書が無いからだ。

  こうした不利を隠すため、ユダヤ人の「肯定派」や「定説派」はガス室殺人の懐疑派を、あたかもユダヤ人の犠牲者が全く居なかったと主張する「殺戮否定派」にすり替えている。こうすれば、死体の山を記録フィルムで見た一般人は、大量殺人が無かったと述べる奴らはケシカラン、インテリを気取ったヤクザ者だ、と思うだろう。もちろん、修正派はいかがわしい「ガス室物語」を疑っているのであって、個人的あるいは組織的な虐待や射殺がなかったとは言っていない。チフスの蔓延で大量のユダヤ人が死亡したんじゃないか、と主張しているだけである。ホロコーストの「定説」は年々崩れてきていて、アウシュヴッツの犠牲者数まで修正されているのだ。1990年、アウシュヴィッツ収容所を管理するポーランド政府は、従来語られていた400万人の犠牲者数を下方修正することにした。ポーランド政府は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館のフランシチェク・ピペル(Franciszek Piper)博士を通して、400万人から150万人に変えると発表したのである。以前、収容所に設置されていたプレートには、「1940-45年にかけてナチの皆殺しによる400万人の犠牲者が死亡し殉教した場所です」と記されていたのに、新たなプレートを読むと、「約150万人の男性、女性、子供、幼児、主にヨーロッパ各地のユダヤ人が、ここで殺されました」と改訂されていたのだ。(Poland Agrees to Change Auschwitz Tablets, The New York Times, June 17, 1992) これは凄い誤差だ。250万人も減ったなんて、いったい昔はどんな数え方をしていたのか? ユダヤ人の言説を信じている日本人は、預金通帳から250万円をおろして、全部1円玉に替えてみることだ。銀行の窓口で両替を頼み、250万円分の1円玉を受け取ったら持ちきれない量になるぞ。1 円玉を一人のユダヤ人と見なせば、その硬貨の山に驚くはずだ。もっとも、お客から頼まれた銀行員は、「そんな量の1円玉は用意しておりません」、と述べて断るだろう。それに、両替した1円玉を再び口座に預金することも厄介だから、手間暇を考えればやめた方がいい。

  この劇的な変更は、ソ連がいかに嘘を宣伝していたか、ということを物語っている。ロシアとは今も昔も捏造の常習犯で、真実は独裁者のみが知り、それ以外の人民は虚構の大海に浮かんでいるに過ぎない。これを認識すれば、なぜガス室を備えた「絶滅収容所」が、ソ連占領地区にしかないのかを理解できるだろう。冷戦を知らないヒトラーが、なぜドイツ国内には絶滅収容所を造らなかったのか? 昔は、ダッハウやブッフェンウァルド、マウトハウゼン、ベルゲン・ベルゼン、オラニエンブルクなどにも「ガス室」があったとされていたのだ。しかし、今ではユダヤ人学者ですらドイツやオーストリア国内には無かったと認めている。昔、1992年か93年頃、アメリカのワイドショー番組『ドナヒュー』で、ガス室殺人懐疑派のデイヴッド・コールと、ユダヤ人の歴史学者マイケル・シェマー(MIchael Shemer)が討論する機会があった。名物司会者のフイル・ドナヒュー(Phil Donahue)は、会場の観客を味方につけて、懐疑派のコールを嘲笑の的にしていたのである。ユダヤ人のくせに神聖な「悲劇」にケチをつけるなんて、コールは百叩きの刑に処せられてもおかしくはない。このコールが「ダッハウにはガス室殺人が無かったよね」、とシェマーに問いかけると、シェマーは一瞬素直になって、「無かった」と答えてしまった。「あれ ?」と思った視聴者も多かったはずだ。長年ずう~っと宣伝されていたダッハウにガス室が無かったなんて。もちろん、日本の研究者は「ダッハウにガス室はあったが、稼働していなかっただけだ」と反論するだろう。でも、ミュンヘン近くのダッハウ収容所なら、ドイツ国内に存在するわけだから徹底的な調査ができたはずだ。『ホロコースト全史』(邦訳は創元社)を書いたマイケル・ベーレンバウムも、ダッハウのガス室については言及していない。ラウル・ヒルバーグ博士も然り。ちなみに、ベーレンバウムはアメリカ国立ホロコースト博物館にあるホロコースト研究所で所長を務める人物である。日本人研究者からすれば、高名なユダヤ人研究者は「大切な箇所」を忘れていたことになるのだが、我々はこんな「うっかりミス」があったなんて、とても信じられない。

  ユダヤ人の大量殺戮には不明な点が多く、科学的検証に基づく資料が乏しい。確かに、ナチ・ドイツがどのようにしてユダヤ人を収容所に輸送したかとか、人種差別の法律を作ったとかの記述ならたくさんある。しかし、ユダヤ人学者の多くは、収容所で大量のユダヤ人が死んだという記述のみに留め、どのように死んでいったのかという死因については曖昧な表現を使っているのだ。何故かと言えば、合衆国政府が科学者による正確な調査を行わなかったからである。あれだけ死体の山があったのに、司法解剖もしないなんておかしい。それに、もし検死を行ったとしても、勝者である英米の政府がまとめた調査報告書なら眉唾物と考えねばならない。日本人は戦闘が「停止」すれば即「終戦」と考えがちだ。しかし、戦争というものは戦後処理まで含んでおり、銃撃戦が止んだからといって終わった訳ではない。「戦争が外政の延長」なら、「占領政策」も「外政」の一環なのだ。したがって、一見公平な科学的捜査であっても、アメリカ政府が不正を犯したり、事実の中にちょっとした捏造を混ぜる危険性だってある。勝者が派遣した科学者なんて工作員と考える方が普通だから、仮に「ガス室殺人」がありましたという結果報告でも、そのまま鵜呑みにできない。

  また、心理戦の秘密部隊が裏で画策する可能性もあるから、殺人現場の映像だって、そう簡単に信じるわけにはいかないのである。合衆国政府は自国民に対しても嘘をつくことがあるので、外国での軍事法廷なら躊躇なく謀略工作を行うだろう。アメリカ国内でFBI捜査官が行う犯罪捜査とは全く違うのだ。もし、本当に信用される調査報告書を作るなら、ドイツや中立国の科学者や検死官を多数く調査チームに入れなければならない。ドイツ側に有利になるくらいの調査でないと信用できないからだ。より重要な点は、調査チームにユダヤ人の血統にあたる者を除外することだ。アメリカ人の科学者や軍関係者、法務官の中には、名前を変更した者や素性を隠したままの者が混じっているから、検証作業の捏造や偏向の虞(おそれ)がある。この他、たとえ非ユダヤ人であっても、思想背景や政治的見解を精査しないと、捜査は偏ったものになってしまうだろう。

  日本やアメリカだと、ガス室殺人に疑問を呈する人間は、「陰謀論者」とか「無知なネオ・ナチ」と笑われ、「無知蒙昧」と蔑まれてしまうが、ユダヤ人の話を鵜呑みにしている一般名人の方が「陰謀」に乗せられているのだ。そもそも、彼らが「ホロコースト物語」を信じている根拠は何なのか? 例えば、ユダヤ人の全滅を指示したヒトラーの命令書はあったのか? 未だに誰も見たことがない。あの厳格な官僚制国家であるドイツで、口頭だけの命令で組織が動くのか? 総統が署名した命令書もなしに、大量のチクロンBや死体を焼くための石炭を発注したのか? 命令書重視のドイツ人が、又聞きの命令に従って処刑を行うなんて想像できない。ユダヤ人歴史家の「定説」には多くの疑問があるのに、それが大学やメディアで堂々と議論されないのはなぜか? 自由主義諸国なら、歴史的事実をタブー無しに討論していいはずだ。それなのに、不可思議な点を指摘すると「ネオ・ナチ」とか「反ユダヤ主義者」との烙印を押されてしまうし、場合によっては社会的地位を剝奪されてしまうから納得できない。恐ろしいことに、ドイツでは公の場で「こんなのデタラメだ」と否定すれば、法的に処罰されてしまうのだ。これなら、普通の国民は裁判沙汰を考えて無口になるしかない。

日本人に説教を垂れるデーブ・スペクター

  一般人が「ホロコースト物語」に疑問を抱かないのは、それを議論するために大量の予備知識が必要とされるからだろう。特に日本人なら、ドイツ人の名前やヨーロッパの地名、軍隊や官僚機構の名称を予め勉強しなければなせないから、自然と腰が引けてしまうのだ。という訳だから、有名な大学の教授や研究機関の知識人が述べる説明に従い、これといった根拠もなしに信じてしまうのだろう。例えば、自分の知識不足を自覚する一般人や学歴が低い事を恥じる庶民は、東大の偉い教授や大新聞に雇われた御用学者が言えば、どんな嘘だってコロっと信じてしまう傾向が強い。以前、東大附属病院からの医者を騙った詐欺師がいた。このニセ医者が開業する病院に一般患者が訪れ、無免許医師に診察されると、「やっぱり、東大の先生は違うねぇ~」という評判が立ったそうだ。単に聴診器を当てて適当な判断を下しただけなのに、診てもらったオッちゃんオバちゃんたちは拝むように感謝していたという。まぁ、「病は気から」というので、ちょっとは効果があったのかも知れない。ホロコーストの定説もこれに似ていて、高名なユダヤ人学者が「あった」というから、謙虚な一般人が信じるんだろう。なにせ、500ページないし600ページもある分厚い本を開けば、前半だけでもゴチャゴチャとした細かい歴史が語られているし、お涙頂戴の記述に溢れている。いかにユダヤ人が虐待され迫害されたかとか、財産を奪われたうえに命まで奪われたという話が数百ページにわたって述べられているから、読者は段々と苦痛になって途中で本を閉じたくなる。ところが、肝心のガス室殺人の項目になると、僅か数ページで終わりなんだから呆れてしまうじゃないか。しかも、ユダヤ人証言者の回想だけで、大切な裏付け捜査が無い。これじゃあ、単なるゴシップ雑誌だ。

  こう見てみれば、なぜ、デボラ・リップシュタットの『ホロコーストの真実』が低評価なのか、誰にでもその理由が分かるだろう。具体的な裏付け調査や公的報告書が欠落しているのに、あたかも証明された事実であるかのようにホロコーストを扱っているからだ。真剣にガス室殺人を勉強する日本人なら、彼女の邦訳本に「推薦のことば」を書いたデーブ・スペクターを殴りたくなるだろう。彼の言葉を拾ってみると、本当に腹が立つ。デーブは『マルコポーロ』の花田編集長が、西岡氏の「ジャンク記事」を掲載したことに驚き、日本に於けるホロコーストの認識不足を痛感したそうだ。それなら、デーブはどれだけの知識があるんだ? ちゃんとした検死報告書でも持っているのか? 雑誌に掲載された西岡氏の論文を精読したのか? 彼は続けて言う。

  日本の学校教育では、自国の歴史さえ満足に教えられていないようですから(無意味な受験戦争の弊害としか思えませんが)、歴史的事実の重要性を認識できないのかも知れません。あの戦争ですらそうなのですから、ホロコーストに至ってはお寒いかぎりでしょう。(『ホロコーストの真実』上巻 p.4)

  普通の日本人なら、「おい、デーブ !  オマエが偉そうに我が国の歴史教育を云々出来るのか?」と反論したくなるだろう。アメリカの歴史教育だって怪しく、アメリカ人は自国の歴史に関する知識だって「お寒い」状態なのに、外国の歴史をどれくらい分かっているんだ? 確かに日教組の教育は酷いが、一般国民すべてが洗脳されている訳じゃない。デーブは「ホロコースト否定論者」と一絡げに決めつけているが、くだんの西岡氏はナチ・ドイツの虐待や虐殺を否定していないし、実際に殺された者を「存在しない」と言っている訳ではない。デーブの表現は明らかに印象操作である。根っからのユダヤ人であるデーブは、「反ユダヤ主義」とか「ネオ・ナチ」、「極右思想」を挙げて、予め読者に「懐疑論者」は「無知なゴロツキ」との刷り込みを行っていたのだ。彼は何万人もの生存者や目撃者の証言、捏造のしようもない映像記録、几帳面なドイツ人が残した極めて細かい書類が山のようにあるから否定しがたい、と述べている。じゃあ、ガス室殺人の物的証拠や科学的捜査を、我々の前に呈示てみろよ。できるのか? 藝人のデーブは、スピルバーグの映画『シンドラーのリスト』を引用し、腕に刺青で番号を彫られた囚人が登場しているじゃないか、と語りかける。しかし、こんなフィクション映画を観たからといって、歴史を勉強したことになるのか? デーブは懐疑派が犠牲者の存在を否定する連中であると思っている。これでデーブが懐疑派の書物を読んでいないことが分かるだろう。

  デーブの考えによれば、ガス室殺人に疑問を呈する者は、広島や長崎に落とされた原爆を否定するような者であるらしい。(上掲書 p.5) 「日本が好き」と触れ回るデーブは、日本に反ユダヤ主義の本が氾濫している事に驚いたという。そしてこう続ける。

  否定論者や陰謀論者たちは、「言論の自由」を盾に、歴史を開局し、事実を葬り去ろうとしています。もちろん、言論の自由は極めて大切なことですが、それはきちんと取材して裏をとっての話です。憶測や妄想で記事を書かれたらたまりません。(上掲書 p.6)

  このユダヤ人は自分が何を言っているのか判っているのか? 言論弾圧をしているのは、歐米各地にあるユダヤ人団体や大学に盤踞するユダヤ人学者じゃないか。ホロコーストに疑問を挟んだ人間は、容赦なく「社会的制裁」を受けるし、このタブーに触れた者はたとえユダヤ人でも恐ろしい仕置きに掛けられるのだ。ホロコースト物語に挑戦する者が現れると、政財官のみならず学会やマスメディアに浸透したユダヤ人が、一斉に攻撃を開始し、土下座して謝るまで透明な棍棒で殴り続けるのである。だから、若い研究者は臆病になり、絶対ユダヤ人に楯突く真似はしない、と心に刻むのだ。英国の優秀な歴史家デイヴッィッド・アーヴィング(David Irvong)が、いかにユダヤ人から攻撃され、裁判で苦しめられたかを見れば分かるだろう。デーブ・スペクターは「きちんと裏を取れ」と説教するが、ユダヤ人学者こそ裏付け捜査無しに「歴史書」を書いているじゃないか。ガス室殺人を裏付ける一次資料とは何なのか? ベーレンバウムやヒルバーグが頼った資料は、何ら訊問を受けていないユダヤ人の放言だぞ。ユダヤ人生存者は「オレが言うんだから間違いない」という態度で、ガス室殺人や死体焼却を語っていたのだ。こんなのが第一級資料なのか? これなら、舛添が「オレがホテル三日月で出版社社長と会議を行った、と言っているんだから間違いない」と述べているのし同じだ。舛添が「厳選」したという「第三者」だって、自腹で雇った弁護人じゃないか。呆れ顔の東京都民は、「どこが客観的な第三者なんだ?}と激怒したはずだ。このように、事件の調査は手前味噌で行ってはならない。デーブは日本人に説教をする前に、自分でちゃんと勉強しろ。

  ホロコーストの疑問点について述べると本当に長くなるからこの辺で終わりにしたい。反論を書いていると疲れる。でも、ユダヤ人って本当に図々しい。まるで、「事実を述べているニダぁ~ !」 と喚(わめ)く朝鮮人の親戚みたいだ。こんな異常民族が西歐諸国にはびこり、政治や経済までも支配しているんだから恐ろしい。アメリカに帰化した朝鮮人が、米国本土に慰安婦像を建てようなんて思いついたのも、元々はユダヤ人のせいだ。お金持ちが多いユダヤ人はアメリカ本土に「ホロコースト博物館」を建てて、どうでもいいユダヤ人の悲劇を宣伝している。こんな不愉快な建物を造られたら、美しいアメリカの風景も台無しだ。モスクやシナゴーグなどの宗教施設だって我慢がならないのに、ユダヤ人を主人公にした博物館など目障りでしかない。こんなのはイスラエルやパレスチナのガザ地区、あるいはエジプトやトルコに建設すべきだ。中東アジア人同士で虐殺や迫害を論争すれば、きっと面白い結果になるだろう。たぶん、血で血を洗う議論になるから見物だ。デーブは日本でホロコーストや南京大虐殺を述べていないで、イスラエルに移住して、ユダヤ兵による大虐殺を糾弾した方がいいんじゃないか。ユダヤ人同胞に向かって「自由」とか「平和」を語るべきだ。でも、イスラエルに住めば、デーブもユダヤ人の本能に目覚め、パレスチナ人を撃ち殺す自警団員になっていたりして。ジェノサイドの本場であるイスラエルは、ナチ・ドイツの後継者として相応しい。
 



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ゴリラより親の方が問題だ / 極左ユダヤ人のデーブ・スペクター (前編)

子供の父親は犯罪者だった !

  6月10日のお昼時であった。食事を終えたので、ドイツのロック・バンド「アクセプト」のライブ映像を観ようと、テレビとDVDプレイヤーのスイッチをつけたところ、たまたまテレ朝の「ワイド・スクランブル」が放送されていたので、ちょっと観てみた。すると、この番組にデーブ・スペクターが出ていて、米国で起きたゴリラの射殺事件のことを紹介していたのだが、ある事実を意図的に外して伝えていたので、「また歪曲報道か !」と不愉快になった。オハイオ州シンシナティーの動物園で発生した事件は、新聞やテレビでも報道されたから、ご存じの方も多いのではないか。ただ、見逃した方もいると思うので、事件の概要をちょっと述べてみたい。

  黒人夫妻のディオン・ディッカーソン(Deonne Dickerson)とミシェル・グレッグ(Michelle Gregg)は、子供達を連れて、シンシナティー動物園に来ていたという。彼らが「ハランベ(Harambe)」というゴリラを観ている時、3歳の息子イザヤ(Isiah)がゴリラと遊びたいと言い出し、母親の警告を無視して、柵を乗り越えてしまった。すると、イザヤは数メートル下の囲いに落ちてしまい、ゴリラのハランベに捕まってしまったそうだ。この動物園では、客が柵越しに動物を眺めるような造りになっていて、デッカーソン一家はゴリラがうろつき回る姿を上から眺めていたのだ。ところが、小さな子供が檻の中に落ちたので、それに気づいた他の客が一斉に騒ぎ始めた。みんな大声を上げて子供の安否を心配したのだが、これが却ってゴリラの感情を刺激したようだ。観客の悲鳴に興奮したのか、動揺したハランベはイザヤの腕を掴み、檻の中にある水路の中を引きずり廻した。こうなると悪循環で、これを観た客がまた金切り声を上げたから、ハランベはますます不安になったらしい。動物の専門家によれば、通常だとゴリラは子供に危害を加えないもので、子供の泣き顔や様子を確認して遠ざかるそうだ。

  ディカーソン夫妻はもちろんだが、子供が檻の中に落ちたという一報を聞いて、動物園の飼育員や管理者に戦慄が走った。園長のセイン・メイナード氏は、ゴリラの様子を見て、幼児が攻撃されているわけではない、と思ったが、万が一のことを考えて、ハランベを射殺するよう命令したそうだ。こうなったのも、麻酔銃では効き目が出るまで時間がかかるから、その間にゴリラが異常な行動を取るやもしれぬ、と判断したからだ。そうした即断により、ゴリラの檻に落ちたイザヤが無事助かった事は喜ばしいが、殺されたゴリラが稀少動物であることが判明し、その貴重な死が惜しまれた。マスコミのセンセーショナルな報道を受けて、世間は射殺を命じた園長と子供を離してしまった親に、非難の矛先を向けるようになったという。というのも、アメリカ人は絶滅危惧種の動物を保護しようとする意識が高いし、テレビや雑誌でも、ゴリラは兇暴な野獣ではなく優しくて知能が高い動物と紹介されているから尚更だった。しかも、事件の映像を観る限り、子供に対して攻撃的とは見えなかったからである。それに、アメリカ白人だ決して口に出来ないが、子供をコントロール出来なかった母親のミッシェルは、典型的な黒人のダメ親に見えたから、白人の動物愛護者には我慢がならなかったのだろう。彼らはイザヤの両親を、子供をコントロール出来なかった廉で譴責していたのだ。

  「ワイド・スクランブル」でこの事件を解説したスペクター氏は、大変痛ましい事件であると述べ、米国ではイザヤの両親に法的な責任を問う動きまで出ていますよ、と伝えていた。しかし、彼は重要な点を省いていたのだ。それはイザヤの父、ディオンの素性である。実は、このオヤジがトンデモない奴だった。彼には強盗、銃器不法所持、麻薬密輸、住居不法侵入、治安紊乱、誘拐拉致などの前科があったのだ。呆れたことに、ディオンは10年にも亙って犯罪を重ねていたのである。悪いことをすれば罰せられるもので、実際2006年に麻薬密輸の廉で有罪判決を受け、一年間刑務所に服役していたという。(Laura Collins, Parents-of-four whose son fell into zoo enclosure sparking killing of Harambe the gorilla as it emerges father has a lengthy crinimal history, Daily Mail, 31 May 2016) 番組の中だと、スペクター氏はこの夫婦が「怠慢行為」で糾弾されているとだけ述べており、父親が数々の不法行為を犯した前科者であるとは紹介しなかった。テレ朝の情報番組だから、都合の悪い「部分」は隠蔽する方針なんだろう。在日朝鮮人が罪を犯せば、「通名」だけの報道をしていたんだから、「弱者」の黒人が窮地に陥れば、それを擁護してやるのは正義の味方「朝日」にとって当然であり、歪曲・隠蔽工作は「朝日グループ」の“義務”であり“使命”でもある。

  それにしても、射殺命令はハランベの飼育員にとって辛い判断だった。いくら子供の命を救うためとはいえ、我が子のように育てたゴリラを殺すのは忍びがたい。飼育員ジェリー・ストーンは、小さい頃から手塩に掛けて育てたハランベが、自分の目の前で抹殺されるのをじっと堪えて見るしかなかった。ストーン氏曰は語っている。「ハランベは私の人生にとって特別な奴なんだ。彼は私のハートなんだよ。まるで家族の一員を失ったみたいだ」と。(Laura Bult, Former caretaker mourns death of Harambe, gorilla killed after toddler fell into his cage, family thanks Cincinnati Zoo for quick action, New York Daily News, May 29, 2016) 日本のテレビ報道では触れられていなかったが、今回の事件で我々には考えさせられる点がいくつかある。時代が変化したのだから仕方のないことかもしれぬが、トンデモない家庭が激増しているから、様々な娯楽施設やイベント会場で予想外の行動をする人間が出てくるということだ。まともな家庭の子供なら、ゴリラと遊びたいと言い出して、がむしゃらに柵を乗り越えたりしないだろう。事実、この動物園は今まで平穏に運営されていたのだから、常識を守って見物する客が大半だったはずだ。それなのに、下層の黒人家族が来園し、悲惨な事件が起きてしまった。動物園側は、まさか三歳の子供がいきなり柵をよじ登って囲いの中に落ちるなんて、夢にも思っていなかったのだ。

  犯罪者の親だから、子供の躾が甘かったのは当然であるが、民間企業にとって恐ろしいのは、こうした非常識家族がどんどんやって来ることである。例えば、食堂や百貨店、遊園地などの経営者からしてみれば、奇抜な行動を取る劣悪家庭の子供は脅威だ。エスカレーターやエレベーターだけではなく、店内のあらゆる場所や器具で怪我をしたり死亡したりするかも知れない。親の言うことを聞かない子供だと、「 どうして、そんなことをするんだ?」と驚くような行動を取るし、下劣な親だと自分の落ち度を棚に上げて、施設の安全対策に難癖をつけてくることだってあるだろう。大型雑貨店やレストランの支店長を経験した日本人なら、ちょっとしたミスで“言い掛かり”や“クレーム”をつけてくる客に心当たりがあるんじゃないか。ヒステリーを起こす客が増えたことで、相手の神経を逆撫でせぬよう慎重な対応を計る店長や従業員の心労は、決して絶えることがない。関西でよく見かけるような朝鮮系の客に対処する従業員は大変である。彼らはヤクザまがいの“いちゃもん”をつけるし、周りの目を気にせずにドスを効かせた声で脅しまくるから、気の弱い日本人店員は心臓が縮んでしまうだろう。経団連のお偉方はアジア人移民を歓迎するが、柄の悪い朝鮮人が来店すれば、その「しわ寄せ」は現場で働く下っ端店員にくる。ヒラ社員は「どうして俺たちばかりが貧乏くじを引くんだ?」と不満を述べるし、もっと可哀想なのは、どうして下劣な客が増えだしたのか、その根本原因を知らない人達がいることである。

  常識外れの客が増えると、管理者は責任逃れを真っ先に考えるようになる。メイナード園長が即座に射殺を命令したのも、傷害事件が起きれば訴訟沙汰になることが目に見えていたからだ。敗訴となれば、巨額の賠償金を取られてしまう。それに、アメリカでは高額な賠償金を目当てに、被害者家族へ近寄ってくる弁護士がいるくらいだから、身ぐるみ剝がされる訴訟は何としても避けたい。したがって、いくら稀少動物であるとはいえ、ゴリラを宥(なだ)めて命を助けるより、さっさと殺す方が簡単だし安上がりである。たかり裁判で負ければ、動物園が閉鎖されることもあり得るから、動物愛護者が激昂してあれこれ文句を言おうが、メイナード園長の判断は正しかったと言えるだろう。日本の企業経営者も、日本的常識を弁えぬアジア人が増加することで、倒産寸前の事態に追い込まれることだってあるのだ。特に、奇想天外な思考を持つ支那人の家庭が増えたりすると、「まさか !そんな ! アホな ! あり得ない!」、という事件が起きるから、「いつかは自分の身に降りかかる」と覚悟すべきである。

日本人なら簡単に騙せると思ったユダヤ人

  日本人は日本語を喋る西歐人を好み、彼らを歓迎してもてなす。西歐文化に興味があるなら、我々が英語やフランス語、ドイツ語、イタリア語などを習得すればいいのだが、それは大変なので日本語を喋ってくれる外人かいると嬉しい。しかも、反日的ではなく日本に好意的な態度を取る西歐人なら、異存は無いし積極的に交流したいと望んでしまう。例えば、弁護士のケント・ギルバートや英会話講師のジェフ・バーグランドなら問題ないし、ドナルド・キーン教授は日本の古典文学に詳しいから、日本人の方でも進んでキーン先生の話を聴きたくなる。また、日本人の行動様式に理解のある「アシスト」社のビル・トッテン社長、元フォーブス記者のベンジャミン・フルフォード氏みたいな人物なら日本に帰化しても異論は無い。関東の日本人からするとちょっと物珍しいけど、方言を喋る外国人も好ましい。例えば、プロレスのファンで大阪弁を話すイーデス・ハンソンや、山形弁を喋るダニエル・カールが庶民の生活や日本の伝統文化を語り、その魅力を宣伝してくれるのは嬉しい。ハンソン氏は宣教師の娘で、生まれもインドだから、東洋の文化に抵抗がなかったのだろう。昔は、英会話の番組で竹村健一と共演し、二人とも関西弁で会話していたから観ていて愉快だった。そういえば、竹村氏のアシスタントをしていた小池百合子が関西弁を話していたのかどうかは知らないけれど、「ビジネス・サテライト」みたいな番組だと、東京の言葉になってしまうのだろう。(関東のテレビ番組だと、兵庫の言葉はマズいのかなぁ。)

  それよりも不思議なことは、千昌夫と暮らしていた元夫人のジョーン・シェパード(Joan Shephard)氏は、東北弁を話していなかったことだ。もしかしたら、山の手ことばの方が良いと思っていたのかもしれないし、日本語を教えた先生が東京人であったのかも知れない。京都出身の先生なら、京ことばを教えたはずだ。ちなみに、シェパード氏は熱心な共和党支持者で、いかにもお嬢さん育ちのアメリカ婦人である。彼女は1986年に「海外共和党日本支部(Republican Abroad Japan)」に加盟し、同支部の副会長になっていたし、「国際共和党組織(Republican Abroad International)」の副会長にもなった事があるそうだ。たぶん、彼女は在日アメリカ人の在外投票などを推進し、共和党の票を伸ばそうとしていたのだろう。芸能活動するようなアメリカ人だと、民衆党支持者とか左翼思考の人物が多いが、シェパード氏が保守的な共和党員であったとは珍しい。テレ朝の『新婚さんいらっしゃい』で司会を務めていた印象からすると、ちょっと以外だが、結構政治に興味があったらしい。 

  日本語を習得する外国人と言えば、まず筆頭にユダヤ人を思いつく。歐米人にとって日本語は難解で、書き言葉になると三つの表記法(漢字、カタカナ、平仮名)がある上に、文部省漢字や現代・歴史的假名遣い、古語、に加え、漢籍の知識まで必要になるんだから、普通の西歐人が敬遠するのはもっともだ。CIAでも日本語とアラビア語を学ぶ白人局員はごく稀だという。そんな日本語を敢えて学ぼうとするんだから、ユダヤ人は好奇心旺盛というか、苦難をものともせぬ精神の持ち主と言える。昔から、異国に住みつく習慣を持っていたから、外国語の習得は苦にならないのだろう。浩瀚なタルムードやミシュナの研究を念頭に置けば、日本語の習得くらい造作もないことに思えてくる。そう言えば、キーン教授などを除けば日本学を専攻する知識人にはユダヤ人が多い。例えば、『源氏物語』の翻訳で有名な英国人のアーサー・ウェイリー(Arthur David Waley)は、本当の姓を「シュロス(Schloss)」と言い、良き日本の理解者である。第二次大戦中、米軍の心理戦に係わったハーバート・パッシン(Herbert Passin)は、コロンビア大学教授となって日本学を研究し、ヘブライ大学のベン・アミー・シロニー教授も日本学を専攻し、皇室を研究する学者になっていた。彼はその学問的功績を認められ、日本政府から勲章をもらっている。

  あまりユダヤ人とは知られていない有名人に、マーシャ・クラッカワー(Marsha Krakower)やジュリー・ドレフュス(Julie Dreyfus)がいる。クラッカワー氏はNHKの英語講座で講師を務めていたし、聖心女子大学で教授になっていたから、かつて高校生や大学生だった日本人で覚えている方も多いんじゃないか。ジュリー・ドレフュス氏はNHK「フランス語講座」の講師というより、映画『キル・ビルVol.1』や『イングローリアス・バスターズ』に出演した女優と紹介した方が分かりやすいだろう。ドレフュス氏は日本人のルーム・メイトを持っていたし、才能豊かなユダヤ系フランス人女性だから、短期間でも日本語を習得できたのかも知れない。一方、彼女たちとは正反対なのが、GHQに務めていた極左ユダヤ人のベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)である。現在のマッカーサー憲法の第二十四条で、「婚姻は、両性の合意にのみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあるのは、ベアテの草案が基になっているのだ。このベアテはロシアから流れ着いて日本に親子で住みつき、戦争中に米国籍をとってアメリカ人になったという、典型的な根無し草タイプのユダヤ人である。彼女の上司は、これまた同じく極左ユダヤ人のチャールズ・ケーディス(Charles Kades)であった。占領軍研究者のみならず、一般人にもよく知られているケーディス中佐は、実戦経験のある軍人ではなく、弁護士上がりの事務型士官で、日本の戦後体制を形成する上で大変有害な人物であったことは間違いない。ニューディール政策の熱心な支持者だったケーディスは、日本の社会主義化を望み、赤嫌いの吉田茂を疎ましく思っていたようだ。このFDR大好きのユダヤ人が、日本の将来のためと考えて推薦したのは、何と社会党の片山哲であった。「クズ哲」が理想的総理大臣なんだって。馬鹿らしい。(ケーディスとベアテについて説明すると長くなるので、別の機会に述べる。)

  こうしてみると、日本にやって来るユダヤ人には、善良なタイプと有害なタイプがいるので、注意して接触せねばならない。表面上、デーブ・スペクターは日本語を流暢に喋り、日本のポップ・カルチャーにも詳しいから、何も知らない一般人は彼に好意を抱く。しかし、このユダヤ人には別の顔があって、日本のマンガやドラマに興味を示すが、日本の歴史や政治に対して憎しみの炎を燃やしいるのだ。例えば、彼は「南京大虐殺」があったと考えていて、日本兵が支那大陸で多くの民間人を虐殺したと信じていた。南京問題を取り上げた『たかじんのそこまで言って委員会』に出演した時、「虐殺信奉派」として発言していたのだ。スペクターは何の信仰も持っていないと公言していたから、来世や霊的な事柄に関心が無いのは分かるが、日本の総理大臣が靖國神社に参拝することについて、同番組内で反対論を展開していた。安倍首相が靖國を参拝すると、支那や南鮮を刺戟することになり、両国関係が険悪化するから辞退すべきだ、という主旨である。だいたい、支那人や朝鮮人が騒ぐからといって、英霊が眠る神社に参拝しないなら、日本は実質的に両国の冊封国であることを意味し、日本国民は支那や朝鮮の歴史観で自国の過去を見ることになる。デーブは日本の国益を考えているような振りをしていたが、実際はナチ・ドイツと組んだ大日本帝國を許せないだけだ。これはユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーが日本を心底憎んでいるのと似ている。アメリカの国益や価値観と相容れない共産支那でも、日本と敵対する毛沢東や周恩来の方がよっぽど好ましく、兇暴な日本を封じ込めることができるなら、人民解放軍の存在は「魔法の蓋」となるのだろう。日本のマンガやアニメを褒め、日本人の妻を娶ってるスペクター氏だが、心の底では日本を残虐で野蛮な暴力国家と見なしている。ユダヤ人というのは恨みで凝り固まった民族だ。彼らを眺めていると、執念深い支那人や朝鮮人と瓜二つであることが判る。

  こうした無意識的な憎しみを宿すスペクター氏は、日本人の思考や言語にまでイチャモンをつけていた。例えば、かなり昔だが、テレ朝の『朝まで生テレビ』に出演した時、彼は日本人を女性蔑視の国民と決めつけ、その理由として挙げていたのは、「娘を嫁にくれてやる」という表現であり、日本人男性は女性を「物」扱いにしているんだ、と非難していた。確かに、日本人は「嫁にもらう」と言うが、それは結婚した女性をその実家から自分の家族に迎え入れるという意味で、支那人や朝鮮人のように妻を「レンタル子宮」と考えているからではない。支那や朝鮮で「夫婦別姓」なのは、結婚しても妻を「よそ者」と考えているからで、事によったら夫の財産や地位を狙う簒奪者と危惧しているからだ。一方、日本の「妻」は夫の家の一員となる。例えば、天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)は島津家から德川家に嫁いできたが、薩長側が德川慶喜(けいき)を切腹させようとした時、その助命嘆願を薩摩側にしたくらい、德川家の一員になっていた。もし、天璋院が支那人の姫で、紫禁城に送られた工作員なら、満洲族滅亡を喜んで画策したことだろう。もちろん、溥儀を助けるような真似はしない。逆に、西太后の墓を暴いて、金銀財宝を盗むんじゃないか。そう言えば、蔣介石と結婚した宋美齢は、西太后の宝石を靴の装飾品にしていた。泥棒しても恥じないんだから、支那人の女は心臓の造りが我々とは違うのだ。

  日本人は日本語が得意なアメリカ人に会うと、その人にアメリカ政治や歴史について質問をし、彼の答えに納得してしまうことがある。しかし、そのアメリカ人がどんな学校で如何なる教育を受けたのか、また、どのような家庭で育ち、どんな思想を持っている人物なのかを詮索しないから迂闊である。考えてみれば日本人だって、みんなが永田町や霞ヶ関の動きについて精通している訳じゃないし、明治や江戸時代についても詳しく知っているとは言えまい。また、ペラペラと日本語を話すからといって、言葉の由来や慣用句について正確な知識を持っている訳じゃないだろう。それと同じで、英語を流暢に話すからといって、スペクター氏が英語の語源に詳しい訳じゃない。英単語の「妻(wife)」は古英語の「wif」から由来し、古フリージア語で「vif」と言い、ドイツ語だと「Weib」である。昔だと「ワイフ」と言えば、「妻」のほかに「婦人」や「女性一般」を指すこともあったようだ。そして、「ワイフ」は「包まれた者」とか「ヴェールを被った者」という意味があり、一種の「物」扱いにされていたのである。これは政略結婚を思い浮かべれば容易に判ることで、古代じゃなくても中世もしくは近世までのヨーロッパだと、ある貴族が他の貴族へ娘を嫁がせ、和議や同盟を結んだりしたものだ。その結婚式では花嫁は豪華なヴェールに包まれた婦人となり、家財道具や持参金、女中、側近の者と共に相手方に嫁いでいた。古代ゲルマン社会でも、女は男に従属する存在だったから、「ワイフ」は「ヴェールで包まれた花嫁」で、ある種「もらったり、くれてやったり」する道具となっていたのだろう。したがって、日本人だけが女性を「物扱い」にしていたのではなく、西ゲルマン語圏のヨーロッパ人も女性を一種の所有物と見なしていたのだ。

  筆者はたまたま『朝まで生テレビ』を観ていたので、スペクター氏が日本語にケチをつけたのを聞いて、「あ~ぁ、間抜け外人がまたいい加減な事を言ってやがる」と思ったものだ。彼は日本語の表現や発想を「けしからん」と批判していたが、「ワイフ」という英単語に秘められた語源にまでは知識が無かった。まぁ、ロシアから流れて来たユダヤ人がシカゴに住んだからといって、西歐系知識人になる訳でもないし、ゲルマン語の世界観を身につける訳でもない。ユダヤ人は「イディシュ語」で充分だ。それにしても、こんなユダヤ人藝人なんてどうでもいいが、番組に出演していたコメンテーターで、誰もデーブに反論できなかったとは情けない。でも、テレ朝のディレクターが集める評論家や学者だから、無知蒙昧やイカサマ師であっても不思議ではないし、札付きの左翼番組だから、“わざと”馬鹿や左翼知識人を招いたのだろう。したがって、いちいち腹を立てても無駄である。

ユダヤ人ネットワーク

  日本の一般人は面白がって、デイブ・スペクターは妙に日本語が上手くて情報通だから、日本に派遣されたCIAのエージェントじゃないのか、と疑ったりする。これは映画俳優のスティーブン・シガールにも掛けられた冗談半分の容疑で、日本語が得意なユダヤ系アメリカ人で、彼が制作する映画でもCIA局員を演じたりするから、ちょっとからかってみたくなるのだろう。ただ、ユダヤ人のCIA局員は本当に我が国に来ていた。CIAの初代東京支局長を務めたポール・C・ブルム(Paul Charles Blum)である。陸軍の縄張り意識が強かったせいか、マッカーサー元帥は日本に於いてCIAの活動を認めなかったけれど、CIAは構わず日本語が上手なブルムを派遣したそうだ。元戦略情報局(OSS)出身のブルムは当時、国務省勤めの大使館員(attaché)の肩書きをもち、東京渋谷の神山町に住んでいた。彼はコロンビア大学で日本語を学んでいた時、若き日本研究者のドナルド・キーン氏と出会っていたので、日本に着任してからもキーン氏と交際を続けていたそうだ。ブルムは朝日新聞論説主幹の笠信太郎や共同通信社の松方三郎、東大教授の東畑精一、左翼学者の蠟山政道らと定期的に座談会を設けるなど、多くの日本人と交流を深め、吉田茂首相とも私的に会うことが何度かあったという。ブルム邸は麻生邸の近くにあったから、吉田首相は歩いてブルムの家に通ったそうだ。吉田首相の娘である和子さん(麻生太郎の御母堂)が、麻生家に嫁いだから、彼女に会うため娘婿の家にちょくちょく立ち寄っていたのだろう。吉田首相はブルムと気が合ったのか、彼を大磯の別邸にも招いたそうだ。ブルムは美術コレクターとしても有名だが、彼の人脈は結構広く、吉田首相ばかりか元スイス駐在武官であった藤村義朗・海軍中佐や山本権兵衛の孫娘である山本美喜子とも親しかった。(ブルムについては長くなるので、ここで省略する。)

  デーブのユダヤ人的特徴と言ったら、語学の才能というより彼の人脈であろう。彼は日本のテレビ番組にちょくちょく出演し、ハリウッドの映画情報やゴシップ記事、アメリカ社会の仰天事件などを紹介しているが、彼は独占的な映像を日本のテレビ局に売りつけて儲けている。日本人の藝能評論家だと、海外の面白映像を入手できる人脈は無いし、そもそもこうした独占契約を結べる程の能力が無い。ユダヤ人が支配するハリウッドで情報を入手しようとすれば、いくら英語が得意な日本人であるよりも、同種族のユダヤ人であることの方が有利だ。ユダヤ人は意識的・無意識的に仲間を助け、同胞と取引をする習性があり、これは歴史的経緯からも明らかで、蜘蛛の巣よりも複雑で頑丈なネットワークが世界中に張り巡らされている。つまり、日本人はいくら優秀でも「アウトサイダー」と見なされ、「インサイダー」のユダヤ人にはかなわない。

  イスラエルの諜報機関員(モサド)が世界中で諜報活動をできるのは、各国でユダヤ人社会が形成され、都会はもちろんのこと辺鄙な場所でもユダヤ人がいたりするので、活動拠点を確保しやすいからである。しかも、一般人なのに見ず知らずのユダヤ人に意外と協力的で、現地に不慣れな情報員を手助けしてくれたりするのだ。例えば、パリやウィーンといったヨーロッパの都市で、極秘作戦を行うモサドの局員は、現地に溶け込んで暮らしている「サヤン」に協力を仰ぐ。「サヤン」とは日本で言うところの忍者の「草」みたいな存在で、隠密行動の協力者である。工作員が何処かのアパートメントやホテルに侵入する時、現場の下見や見取り図、合い鍵、必要な備品、足のつかないクルマなどを用意してくれるのだ。これは諜報活動の研究者の間では常識で、ユダヤ人の秘密活動が円滑に進むのも、国境を越えた民間人ネットワークがそのままイスラエルの財産となっているからだろう。それにひきかえ、日本の外務省から派遣される大使や駐在職員なんか、現地で独自の情報網を築くことなどできないし、逆に外国人諜報員から買収されてしまうのがオチだろう。内部情報だって筒抜けだし、裏切り者が至る所にいるから、外国の諜報局員は日本人の外交官なんて信じない。日本の大使館員の情報活動なんか、現地の新聞を読んだりテレビを観る程度。何せCNNが主要情報源なんだから、エリート外交官の実力なんて少年探偵団と変わらないのだ。

  ちょっと脱線したので続きは後編をどうぞ。



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