無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2016年08月

NHKの貧困報道に隠された破壊思想

利用された愚かな女子高生

Toda NHK(左 / 戸田有紀)
  作家の安部譲二は再犯を繰り返す服役囚や前科者を描いたが、我々はNHKの中に潜む「赤く懲りない面々」を目にしている。8月18日、NHKニュースは「子供の貧困 学生たちみずからが現状訴える」と称する特集を行った。ところが、この取材はNHK記者の戸田有紀がしでかした「政治宣伝番組」であった。戸田記者は杉山麗(すぎやま・うらら)という女子高生に注目し、パソコンすら購入出来ない貧困層の子供として紹介したのである。うららが五歳の時、彼女の両親は離婚し、それ以降、母親が一家の暮らしを支えているそうだ。母子家庭ゆえ、経済的に苦しく、夏でも冷房を使わず、家計を助けているという。将来はデザイナーの道に進みたいと語るうららだが、経済的に厳しいので、50万円ほどかかる専門学校への進学を諦めたらしい。戸田記者は彼女のような子供が他にも多くいると説明し、日本では母子家庭の半数が貧困状態に喘ぎ、先進国の中でも最低の水準であると嘆いている。天下のNHKで記者になれた戸田氏は、経済的な理由で学業を続けられないことで、充分な収入を得られない子供が増加し、それが悪循環となり、「貧困の連鎖」が誕生していると警告していた。

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(写真 / 自宅で勉強しているうらら)

  あぁ~あ、またNHKの十八番(おはこ)、「ドキュメンタリー風ヤラセ番組」だ。世間ではこの女子高生が、貧しい母子家庭なのに、分相応の暮らしをしていなかったことに非難が湧き起こった。彼女はアニメ・グッズ集めに熱中したり、一皿1000円以上の外食をしていることを携帯を使って公開したうえ、人気のあるイベント・チケットまで購入していたからだ。それなのに、番組では貧しさ故にパソコンを購入出来ず千円程度のキーボードだけを買ってもらい、パソコンの練習をしていたのである。番組の視聴者が驚き呆れたのも無理はない。家計が苦しいと言っている割には、高価なコンサート・チケットを買ったり、机の上には約二万円もするペン・セットが置かれていたからだ。しかも、iPhoneらしき携帯電話まで持っていたから、月々の使用料も結構かかっていたはずで、本当に貧しければ、携帯さえ持てないだろう。一般国民が怒るのも分かる。

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(うららが公開した写真)

  ただ、彼女はNHKの戸田記者とスタッフに利用されただけだ。NHKの番組制作者は、最初に結論を決めてから、その目標に適った人物や事件を集め、脚本通りに取材を進めることがよくある。今回の特番も、いつもの「特番ドラマ」に違いない。あの女子高生は制作スタッフの注文に適合した“駒”である。問題になった番組を料理に譬えるなら、お客が食べた料理に蠅が入っていたとか、中味の人参や大根に妙な味がする、と文句を垂れているようなものだ。問題とすべきは安物の食材ではなく、いい加減な具材を選び、それを不味くした調理人の方である。話題となった特番も、NHKスタッフが最初から結果ありきのストーリーを描き、視聴者を誘導する「貧困ドラマ」を作ったことにあるのだ。一般人はとんでもない無駄遣いをする女子高生を責めたが、本来なら、こうした「プロパガンダ・ドラマ」を「報道番組」に粉飾した戸田記者たちを譴責すべきである。ただ、NHKの人間は卑怯者ばかりだから、自分たちの罪を認めず、「事実」を報道しただけと、と押し通すに違いない。あとは少女を責めないで、と庇うだけ。戸田記者はどんな思想や主義を持っているのか明かさないし、私生活でどんな政治活動をしているのかも秘密にするだろう。自分の「プライバシー」を守りながら、公共の電波を使って自分の政治活動をしているんだから狡い。

Furuya 1(左/古谷経衡)
  今回の番組に多くの非難が一般人から寄せられる中、著述家の古谷経衡(ふるや・つねひら)が、片山さつき参院議員の行動を批判していた。NHKの番組内容に疑問を抱く片山議員は、真相をNHKに問い質すと公言し、世間の注目を集めたという。彼女は外食費を節約すれば、もっと良いキーボードが買えるはずと述べていた。確かに、レストランで洒落た料理を食べずに我慢すれば、4、5千円くらいの品物は買えるだろう。この発言に対し、古谷氏はネット・ユーザーの人気取りに走った片山議員を「拙速だ」と批判している。つまり、片山議員は根拠があやふやな「ネット右翼」の騒動に便乗し、右翼的ネット・ユーザーの御機嫌取りになっている、と警告しているのだ。古谷氏が憤っているのは、公権力を持つ片山議員が、無名の少女を痛めつけていると感じたからだろう。有名人の河本準一ならともかく、今回の相手は素人の高校生だ。政治家が出向くまでもない。要は、NHKを非難する国会議員なら、信用できない「2チャンネル」の情報を鵜呑みにするな、と古谷氏は言いたいのだろう。ちょっと余談だけど、かつて古谷氏はチャンネル桜で番組司会者をしていたが、病気で降板となったらしく、筆者は残念に思っていたが、最近は元気になったようだ。今月、偶然にも支那人特集を組んだ「ビートたけしのTVタックル」を観たら、古谷氏が出ていた。随分と有名になったものだ。もしかして、テレビ朝日の制作者は左翼でも、こっそりチャンネル桜を観ていたのかも知れない。なら、水島社長をゲストに招けばいいのにねぇ。

Katayama 1(左/片山さつき)
  筆者には古谷氏が呼ぶ「ネット右翼」がどんな人達か分からないけど、たぶん朝日新聞を支持するような左翼と対極にある人々であろう。でも、彼らの中に「常識派」がいたら、どのような分類になるのか興味がある。しかし、古谷氏が「ジャパン・デビュー」裁判でチャンネル桜が敗訴してから、「ネット右翼」にとってNHKが「巨悪の対象になった」との見解には同意できない。筆者が覚えているだけでも、NHKはソ連の軍事侵攻や支那の腐敗、朝鮮に関する歴史問題、大平洋戦争などで偏向報道を繰り返していた。二、三十年前からだってNHKは良識的国民に嫌われていたのだ。また、雑誌『正論』では故・中村粲教授の「NHKウォッチング」が注目を集め、保守派読者の間では人気があった。とりわけ、NHKニュースの「南京大虐殺」の報道は酷かった。(筆者は中村先生編集の「NHK偏向報道ビデオ・カセットテープ」を持っているぞ。いずれその内容を紹介したい。) こう考えてみると、「ネット右翼」の人々は、過去を知らない若者が主流なのかも知れない。たぶん、古谷氏はネット右翼の身元を知る資料を持っているのだろう。ただ、古谷氏自身も昭和の頃にあったNHKに対する反撥を知らないのかもね。

とんでもないクロウォード・ピヴン戦略

Richard Cloward 2(左: リチャード・クロウォード/右: フランチェス・フォックス・ペヴン)
  NHKが頻りに取り上げる「貧困家庭や母子家庭」を聞くと、筆者は「また例の手口か !」とつぶやきたくなる。というのも、この番組の意図を知った時、悪名高い「クロウォード・ピヴン戦略」を思い出したからだ。1960年代後半、アメリカ人左翼のリチャード・クロウォード(Richard A. Cloward)とフランチェス・フォックス・ピヴン(Frances Fox Piven)が、社会福祉予算の増大を目指し、全米の左翼知識人や有色人活動家を叱咤激励していたのである。この二人は共に左翼活動をライフワークにしていた夫婦であった。夫のリチャードはバプティスト教会で牧師を務めるドナルド・クロウォードの息子で、この父親は過激思想の持ち主だったらしい。アメリカにはリベラル派の牧師が結構いるから、ドナルドも社会改革を訴える革新左翼だったのではないか。母親のエスターは藝術家だったが、女性の権利を主張するフェミニスト活動家でもあったという。つまり、息子のリチャードは左翼家庭で育ったという訳だ。こんな環境で成長したリチャードは、これまた左翼の巣窟コロンビア大学を卒業して学者となった。そこはオバマ大統領が編入先に選んだ大学で、フランクフルト学派の拠点となった悪の巣窟である。

  この左翼学者と結婚したフランチェスも左翼学者だった。彼女はロシアから来たユダヤ人移民の娘で、思春期の頃に米国籍を取得したらしい。両親のアルバートとレイチェルは小売店を営んでいたそうだ。毎度お馴染みちり紙交換じゃないけど、ユダヤ人の娘が左翼活動家になっても珍しくない。ユダヤ人の家庭だと「社会革命」というのが立派なこととされるから、娘が社会党や左翼団体に入っても両親は気にしないケースがよくあるそうだ。(ちなみに、フランチェスは再婚者だったから、クロウォードと結婚しても、前夫の「ペヴン」姓を保持していた。) 日本人でも、ユダヤ人学者ネイサン・グレイザーの著書を読むと分かる。保守的なアメリカ人家庭だと、娘が学生運動なんかしたら大騒ぎだ。ひと様に迷惑を掛けるなんてトンデモない。両親はショックを受けるし、直ちにやめるよう娘を説得するだろう。第一、恥ずかしいじゃないか。下品で反社会的だし。まともな日本人の親なら同じ事をするだろう。ユダヤ人青年の左翼指向は、有名なユダヤ人左翼活動家のマーク・ラッドも肯定していた。マークは大学で暴れまくっていたが、彼の母親もすごかった。この話はまた後で。(本当に、ユダヤ人家庭はおかしい。) そう言えば、作家の塩野七生が学習院大学に通っていた時、学生運動に加わっていたそうで、ある日、帰宅した時に玄関先で父親にビンタされたそうだ。彼女の家庭はまだ健全だった。でも、筆者はこの逸話を知った時、「やっぱりねぇ」と妙に納得した覚えがある。彼女の著作をほとんど読んでいたから、彼女の頭に隠されたリベラル思考が気になっていたからだ。

Nathan Glazer 1Mark Rudd 4Shiono 2








(左: ネイサン・グレイザー / 中央: マーク・ラッド / 右: 塩野七生)

  話を戻すと、クロウォードとピヴンは1966年に雑誌「ザ・ネーション」に、後に話題となる「貧民の重み : 貧困を終わらせる戦略(The Weight of the Poor : A Strategy to End Poverty)」を発表した。この戦略を解説すれば長くなるので、かいつまんで紹介したい。時は、ベトナム戦争や公民権運動で揺れる1960年代半ばのアメリカ。都市部の黒人やその他の有色人種だと一般的に所得が低く、中には失業中の者や低賃金労働者など様々な下層民がひしめいていた。黒人の母子家庭だと亭主が失踪とか服役中、または殺されたなんてことがざらである。当然、政府からの福祉に頼る貧民が多い。だが、悲しいことに、こうした貧乏人には知識がないから、どんな福祉プログラムがあるのかさえ分からないのだ。また、気づいていないという場合もある。なぜなら、学校でまともに勉強したことがないから、社会のシステムを理解していないし、法律が書いてある文章なんて、自宅や近所で見かけたことがないのだ。法制度に詳しいクロフォードとピヴンは、本来なら福祉受給資格があるのに、福祉をもらっていない貧民が結構いる事を論文の中で指摘し、こうした人々はきちんと貰えるものを貰うべきだと主張した。そして、活動員は無知蒙昧の貧民に受給できる福祉を教えて、その手続きも手伝ってやれと訴えた。

  でも、そんなことを貧民が気づくと、我も我もと役所に押しかけ、「お金ちようだい !」とか「食券よこせ !」、「医療補助は?」、「子供への補助あるんでしょ ?」など尋ね始めるから、地方自治体は支払金の手続きや予算確保に大慌て。町役場は青色吐息になって州政府に、「何とかしてくれ。予算が足りない」と嘆願する。州内の各地域からお金を無心された州政府は、ワシントンの連邦政府に泣きつく。そうすると上院議員や大統領が動くようになり、福祉対策が優先課題となり、巨大な予算が組まれることになる。また、福祉増大による財源の危機は、民衆党の結束を強め、党内での貧民有権者の地位を高めることになるそうだ。従来は、労働組合とか、中産階級、民族集団でバラバラになりがちな民衆党が、政治的に目覚めた新しい貧民集団の出現で終結しやすくなる。つまり、多数の貧民が強力な政治勢力になって福祉予算を要求し始めれば、彼らに引き摺られて他の集団も甘い汁にありつこうとするから、政党に求心力が生まれてくるというのだ。例えば、貧民への福祉プログラムが増えれば、白人リベラルの役人や活動家、福祉関係者などの権限やポストも増える。一つの問題を解決するために新たな役職が複数必要となるから、社会主義者にとっては嬉しい。どうせ、財源は税金で、自分で稼いだお金を使う訳じゃないから、気前よく補助金を配ることができ、そのうえ「良い事をした」と満足感に浸れる。社会主義者の左翼なんて、他人の金で慈善活動するんだから、いくらでも寛大になれてしまうのだ。

  クロウォードとペヴンが考えたことは、なるべく多くの貧民に限度一杯の福祉を与えて、福祉予算を最大限に肥大化させ、国家的危機にまで導き、福祉政策を国家の一番重要な政治課題にしてしまおう、という計画である。この夫婦は無知な貧民に、「遠慮しないで、ドンドン福祉金を役所に請求しなさい。あなたは貰えるはずのお金を見逃しているんだから。福祉を貰うことはあなたの“権利”なのよ。当然の権利なの !」とけしかけていたのだ。正義感をふりかざしたリベラル学者というのは、誰がその予算(税金)を生み出しているのかを問わない。誰が稼いで納税しているかに関心が無いのだ。そもそも、ブルジョアどもは彼らの敵であるから、いくらでもお金を奪ってもいいのである。左翼活動家は身を粉にして働く事はなく、「他人のゼニ(税金)」を如何に再分配するか、という点にだけ注目するんだから、まともな納税者は怒りが込み上げてくる。もし、左翼活動家が自分で汗を流してお金を稼いだなら、絶対に貧民へ分け与えることはあるまい。彼らも多額の税金をふんだくられれば、きっと福祉依存の貧民に、「お前らも働け。家の中でぼけ~としてるんじゃない ! どアホ !」と激怒するんじゃないか。社会主義者には「自助努力(self-help)」という美徳がない。つねに、他人のお金を使うことが「正義」と考えているのだ。更に恐ろしいのは、一旦ある福祉部局ができると、その組織には終焉がないとい事である。つまり、貧民が消滅することはないから、営利目的ではない福祉職員は永久に安泰だ。これが政府機関と民間企業との著しい違いである。

貧困家庭の連鎖

  福祉問題に取り組む場合、厄介なのは福祉を貰っている受給者に精神的缺陷(けっかん)があるということだ。全員というわけではないが、離婚して貧しい母子家庭になる女性には、毅然とした女性とか能力の高い女性が少ない。夫婦の諍いには知的能力とか所得は関係無いが、別れた後の生活様式に問題があったりする。何と言うか、「だら~とした、無気力な暮らし向き」になってしまうのだ。ただ、夫の暴力が原因で別れた専業主婦は気の毒で、何とか自立してもらいたいが、これといった職歴や能力のない女性だと就職が難しい。雇ってもらえる職種も限られているし、賃金だって安いから子供を抱えて生活するのは大変だ。しかも、子供手当などを受給するため、所得を高くすることもできない。したがって、まともな給料を稼ぐことができる場合でも、勤務時間を短くして給料の額を抑えなければならないから、昇進ができるような働き方はできないだろう。すうっとパート・タイマーといった身分に留まるしかない。このような状態だと、いつ解雇されるか分からないから生活か不安定になって、よけい自立しにくくなってしまう。福祉依存のために低所得を“続けなければならない”とは、本末転倒である。

  離婚しても能力のある女性ならいいが、何をやらせても“ダメ”な人も居るもので、いわゆる「使いものにならない人」はどうしようもない。これといった才能も無ければ、根性・気力・体力も無い。中学・高校の頃から凡庸で、勉強は「中の下」くらいで物覚えが悪い上に、不器用で態度が悪かったりする。これは偏見になってしまうが、もしも容姿が悪い、あるいは“パッ”としない、好感度が低い人だと、就職の面接でマイナスとなる。外見での判断は良くないが、渡る世間には不平等がある。例えば、哀しそうな美人とかを見ると、採用するスケベ爺が色心を出して雇ってくれることもあるのだ。刑事裁判でも、被告人が美人だと、男の裁判官は「反省してるみたいだなぁ」と判断し、判決にちょっと手心を加えることもあるそうだ。逆に、ブスだと「なんだそのツラは ! ちゃんと反省しているのか ?」と疑ったりする。単に「ふて腐れた」ように見えてしまう顔つきだと、意外な場所で損をすることがある。ひどい話だけど、現実は教科書通りに綺麗事ではすまない。話を戻すと、あまり立派じゃない性格を持ち、生活様式もだらしない女性だと、子供を抱えてどうしたらいいのか分からないし、とりあえず福祉の補助金で生活してゆくしかない。パート・タイムの仕事だって、スーパー・マーケットのレジ打ちか、ファミリー・レストランの女給、コンビニの店員くらいしかないから、低賃金労働者のままだ。何年働いたって技術者になれない。水商売を選べば高給取りになれるが、美しさの「賞味期限」というか「耐久年数」が短いから、中高年以降はきつくなる。ドラマ「黒革の手帖」に出ていた山本陽子なみの女性なら別だが。(譬えが、ちょっと古いか。 今だと、どんな女優になるのかなぁ? 筆者はライリー・キーオゥ(Reily Keough)くらいしか思いつかない。)

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(左: 山本陽子 / 右: エルヴィス・プレスリーの孫娘ライリー・キオゥ)

  以前、ある報道番組で福祉を貰っている子持ちの女性を観たが、彼女はたった4、5時間のファミレス女給の仕事で、「あぁ~、疲れちゃった」と愚痴をこぼしていた。筆者は「これくらいの労働でか?」と呆れたが、彼女からすれば重労働なんだろう。なにしろ、外の仕事と家事と子育てがあるんだから当然なのかもしれない。でも、昔の農家では、母親が野良仕事と家事を両立し、田植えで腰が曲がるほどの仕事をしていたのだ。もちろん、電子レンジ、電子炊飯器、洗濯機、掃除機などは無い時代だ。毎日がサマー・キャンプみたいで、釜で御飯を炊き、風呂は薪で用意する日々は骨が折れる。現代の母子家庭の女性だと、都市の生活に子供の頃からどっぷり浸かった人が大半だから、農村や漁村での生活なんて想像できないんだろう。厳しい意見になるが、本当に惨めな福祉生活から抜け出したかったら、厳しい労働を選ぶしかない。政府は農家の人口減少を食い止めたいと考えているなら、貧困女性に農業に就くようすすめ、休耕地でも耕してもらえばいい。果樹園だって人手不足だ。熟練の農民が技術を教え、20年働いたら土地を彼女たちに無償供与するとか、何かできるんじゃないか。例えば、麻を作る特殊な農民になってもらえば助かるし、低所得に喘ぐ母子家庭の子供が、後継者不足の造船工場や鋳物工場の技術者になれば素晴らしい。

NHK Urara 14(左/杉山親子)
  母子家庭はお金だけもらっても、安定した生活など持てない。貧乏な母子家庭の子供は低学歴の低所得者になるという悪循環が続くだけだ。貧困家庭だと、親は子供の世話だけで精一杯で、とても勉強のことまで見てやれないのが現実だ。第一、親自身が勉強したことがないから無理もない。子供だって学校の友人を見れば羨ましくなる。番組で紹介された「うらら」という女子高生も、視聴者からは贅沢をしている、と非難されたが、彼女としては自分なりに慎ましい生活をしていたつもりなんだろう。「ワンピース」のグッズを集めたり、人気歌手のコンサートに行ったりしたのも、節約生活を普段強いられている反動ではないのか? 周りの友人と平等になりたい気持ちを当然持っているだろうから、彼女は高価な物を買えない代わりに、少額のグッズにお金を使ったのではないか。彼女の部屋にぎっしり詰まっていた小物の数々は、長年に亙って買った雑貨の集積なんだろう。彼女の親も子供に惨めな思いをさせたくないから、自分の出費を抑えて子供に小遣いをあげていたんじゃないか。だから、あの親子を責めてもしょうがない。NHKは福祉予算の肥大化を願っているだけで、貧困家庭の解決には興味が無いのだ。彼らの左翼仲間が集う厚労省や社会福祉組織で、より多くの予算が支給されれば満足なんだから。

  女手一つで我が子を育てる破目になった女性は大変だが、母子家庭で育つ子供だけは、何とかしなければならない。日本は豊かな社会で平等主義が徹底しているから、学歴はもちろんのこと、生活水準でも「人並み」にしたがる。年頃の女の子なら、流行の服装や化粧品を買いたくなるし、友人と一緒に旅行やショッピング、コンサートなどに行きたくなるだろう。しかし、貧しさゆえに不可能となれば、どこか性格が歪んでしまい、性格がネガティヴになってしまう虞もある。成績が悪ければ進学できないから、低賃金の職業にしかつけず、しかも怪しい男性と付き合って結婚したりするから、碌でなしの亭主と分かって離婚することも考えられる。実際、壊れた家庭が継承されるということはよくある。筆者は米国で低所得の黒人を見たことがあるが、彼らはまず精神的に「ダメ」な人々である。元々、家庭の躾けがなっていないから、仕事でも成功しないし、家庭生活もすさんでしまうのだ。下層階級から抜け出せないので、その子供や孫までも下層民のままである。日本でも他人事ではない。乱暴な言い方だが、凡庸な子供は進学などしないで、農民か職人になる道を選んだ方が良い。手に職をつけて地道だが、堅実な人生を歩ませることだ。アニメのデザイナーなんて、余裕のある家庭の子供が就く仕事と割り切り、諦めるべきである。

  機会があれば岡野工業の岡野雅行・社長や旋盤工の小関智弘の話を紹介したい。堅気の職人とか健全な農民は、NHKの左翼職員みたいにならない。世間のしきたりや常識を守って、平凡に暮らす庶民なら、他人のお金をもぎ取ってばらまきたいとは思わないだろう。どうしても福祉予算を増やしたいなら、2、3千万円の給料から貧困家庭の親子に寄附すればいいじゃないか。でも、年収が2千万円に低下して嘆いているのが、NHK職員なんだから、気前よくチャリティーなどできないだろう。女房相手に、「たった二千万円でどうやって暮らしていったらいいんだ?」と愚痴をこぼす奴がいるらしいから、NHKの主張なんて無視するに限る。貧しい母子家庭の福祉を増額したければ、NHKへの予算を大幅に削減したらどうなんだ。NHKのスポーツ・音楽・娯楽番組を全部廃止すればいいだけだ。何百億円も浮けば、大勢の親子が助かる。でも、そうしたら今度はNHK元職員の、豪華な貧困生活を特集するかもね。 




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WASP風に考えぬアングロ・アメリカ人 / エドワード・クック卿の見解

アメリカを改造するユダヤ人

  ユダヤ人はカッコウ(郭公)と似ている。日本人は童謡『静かな湖畔』を幼稚園で習い、お母さんと一緒に「静かな湖畔の森の影から~」を唄い、「カッコウ、カッコウ、カッコウ」と合唱するだろう。(ドイツ人の子供なら同じメロディーで、「アウフタ・マウアー、アウフタ・ラウアー、ズィンツィ、クライネ・ワンツ(Auf der Mauer, auf der Lauer, sitzt'ne kleine Wanz)」と唄うかもね。) ところが、このカッコウは童謡のイメージとは違って、トンデモない鳥だった。育児放棄とも思えるカッコウの親は、他の鳥、例えば「ホオジロ」や「オオヨシキリ」が巣を離れた隙に、自分の卵を産み付けて立ち去ってしまう。いわゆる「託卵(たくらん)」である。何も知らないホオジロは、3つしかなかった卵が、4つに増えていることが分からない。これに気づかぬホオジロが、いつもの調子で卵を温めていると、カッコウの卵だけが早く孵化する。いち早く殻を破って生まれた雛は、他者のホオジロに餌をねだり、子供から養成された母鳥は、他者の雛とは知らずに、一生懸命餌を運んできて、この図々しいカッコウを育てようとするのだ。母鳥が餌を捜すべく巣を後にすると、この雛はライバルとなるホオジロの卵を後ろ脚で蹴飛ばして、巣から突き落としてしまうそうだ。こうして、餌を分割するライバルがいなくなると、カッコウの雛は運ばれてくる餌を独り占めすることができる。自分の子を抹殺されたと気づかぬホオジロは、熱心に餌を与え続け、カッコウの雛は親鳥よりも大きくなってしまうのだ。

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  自分の卵を蹴り落とした雛とは知らずに、骨身を惜しまず苦労するホオジロは憐れだが、第二次大戦中、ユダヤ難民を引き受けたアメリカ人は、ホオジロよりも憐れで間抜けである。ホオジロは留守中に「託卵」されたが、アメリカ人は自ら進んで有害な異邦人の大人や子供を引き取ったからだ。ナチ・ドイツにより歐洲から叩き出されたユダヤ人は、故郷のパレスチナに向かわず、またもや異教徒のアングロ・サクソン世界、すなわちブリテン島、北米大陸、オーストラリアに住処(すみか)を求めた。難民としてやって来た時には謙虚であったユダヤ人も、戦禍を免れた豊かなアメリカで腰を落ち着けると、徐々に金銭を蓄え政治権力を持つまでに至った。商売が得意な集(たか)り民族は、その本能が疼(うず)くのか、単なる金持ちで満足せず、移住先の政界や財界、学界、メディア界まで浸透し、ホスト国のアメリカをユダヤ人にとって“居心地がいい”社会に変えようとした。ユダヤ人はカッコウのように肥大化し、元から住んでいるアングロ・アメリカ人を押しのけ、居候のくせにふんぞり返っていたのだ。一方、気前良く難民を受け容れたアメリカ人は、札束のビンタ喰らってユダヤ人の足元に平伏(ひれふ)し、自らの伝統を弊履の如く捨て去っても知らん顔。遙か昔に、イエズス・キリストは「片方の頬を打たれたら、もう片方の頬を差し出せ」と言ったが、アメリカのキリスト教徒は、救世主を否定するユダにビンタされるや、「もう片方の頬をビンタしてください」と頼んだようだ。札束を持ったユダヤ人の往復ビンタは麻薬の香りがするのだろう。絶えず「よそ者」が流入する国家において、建国者への敬愛は紙切れほどの価値しかもたない。

  アングロ・アメリカ人にとって、学校で学ぶべき「アメリカ史」とは、独立戦争や南北戦争を経験した祖先の過去である。アメリカ共和国を創ったイギリス人の子孫は、まず入植者の栄光や苦労を傾聴し、彼らの文化を築いた英国ならびに西歐世界へと知的好奇心を伸ばすべきなのだ。それなのに、現在の英国系アメリカ人は、ギリシア・ラテンの古典はおろか、英国の歴史さえ満足に学んでいないのである。自らのの肉体と精神を形成した祖先と文化を放擲し、「よそ者」が宣伝する過去を熱心に学んでいる。アメリカ合衆国はユダヤ人国家の如く、学校で教える歴史カリキュラムの目玉が「ホロコースト」教育になっていた。日本の一般人なら、「まさか」と驚いてしまうが、異民族に支配されたアメリカでは、西歐系の子供たちが自らのルーツより、異質な肉体を持った他民族の悲劇を学んでいるんだから、「バカ」としか呼びようがない。これは我々にとっても教訓となる。支那人や朝鮮人が増えれば、やがて日教組史観に加えて、特定アジアの歴史観まで加算されてしまうだろう。

Rick Snyder 1(左 / リック・シュナイダー)

  つい最近のことだけど、ミシガン州のリック・シュナイダー(Rick Snyder)知事が或る法案に署名した。これは教育に関する制定法で、州内の高校に於いてホロコーストやジェノサイドの授業を必修科目にするというものである。(Stav Ziv, Invaluable Lessons: More States Making Holocaust, Genocide Education a Must, Newsweek, June 20, 2016) 「ホロコースト」や「民族絶滅」の授業を義務化している州は少なく、2014年までだとカルフォルニア、イリノイ、ニュー・ジャージー、ニュー・ヨーク、フロリダの5つしかなかった。もし、ロード・アイランドの州知事が同様な法案に署名すれば、ミシガンを含めて7つの州で「ホロコースト」教育の必修化が実施されることになるだろう。これはアメリカの公教育にとって大きな損害である。ただでさえ、アメリカの子供はアメリカ史について知識が不足しているのに、ユダヤ人の為に余計な時間を割かねばならないからだ。ヨーロッパ文明にとって重要な影響を与えたギリシア・ローマの文明に比べたら、歐洲の片隅で惨めに暮らしていた寄生民族の悲劇など、数ある惨劇の一つに過ぎない。西歐系アメリカ人にとったら、カトリックとプロテスタントに別れて戦った三十年戦争やピューリタン革命の方が遙かに重要で、ナチ・ドイツによるユダヤ人迫害など、莫大な死者をもたらした歐洲大戦における、異民族の哀しいエピソードと考えるべきだ。ドイツ人はもちろんのこと、イギリス人やアメリカ人、フランス人でさえ多大なる犠牲を払ったのである。なぜ、西歐系アメリカ人が戦歿者を無視してまで、異邦人たるユダヤ人について学ばなければならないのか? どの民族の子供でも、1日は24時間しかない。遊びたい盛りの子供が費やす勉強時間は貴重である。もし、アメリカのユダヤ人がホロコースト授業の必須化を望むなら、一家でイスラエルに移住して、現地の学校へ子供を通わせればいいじゃないか。

  ミシガン州やイリノイ州がホロコースト授業を必須科目にしたのは、ユダヤ人の個人的活動家や政治団体の圧力に起因するものが多い。ロンダ・フィンク=ホィットマン(Rhonda Fink-Whitman)も、そうしたユダヤ人の一人である。彼女はホロコーストを生き延びたユダヤ人を母に持ち、その母親と迫害や収容所を経験したユダヤ人女性93名にインタヴューを行い、『94 Maidens(94名の乙女たち)』という小説を書いた。まぁ、ロンダも「ホロコースト・ビジネス」で飯を食うユダヤ人の類いである。彼女はユダヤ人の「お涙頂戴物語」を布教したく、ペンシルヴァニア州で活動を始めたという。アメリカで「お馬鹿な学生」を捜して接触する事は、支那人の家でゴキブリを発見すること事に等しく、とても簡単である。ロンダはテンプル大学やドレクセル大学、ペンシルヴァニア州立大学、およびペンシルヴァニア大学に赴き、「ホロコースって何?」とか、「アドルフ・ヒトラーが宰相だった国は?」、「いつ第二次世界大戦が起きたのか?」「アウシュヴィッツって何?」「何人のユダヤ人が殺されたか知っている?」といった質問を若者に行ったそうだ。(Renee Ghert-Zand, Pennsylvania fails Shoah 101, The Times of Israel, October 16, 2013) 案の定、ほとんどの学生から得た答えは、「知らないなぁ(I don't know.)」であった。

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(左: ロンダ・フィンク・ホイットマン / 右: 学生にインタヴューするロンダ)

  そりゃそうだろう。ぶらり一人旅じゃないけど、ロンダはカメラとマイクを携えて、各キャンパスをうろつきまわり、手当たり次第に学生に質問をぶつけただけである。この問答をカメラに収めて、後日映像をユー・チューブに流して話題となったそうだ。しかし、通りすがりの学生を捕まえて、いきなりユダヤ人の迫害や強制収容所、ドイツの政治史について尋ねても、即答できる学生なんか限られている。第一、映像を観ている視聴者は、どんな学部の学生なのか、どの分野を専攻しているのかも分からないし、ロンダがどんな編集をしたのかさえ分からない。たぶん、見るからにアホな学生を狙って質問を投げかけたんじゃないか? 彼女の目的は、いかにアメリカの若者がホロコーストについて無知なのかを、世間一般に知らしめることであるから、なるべく呑気そうな若者に声を掛けたとも考えられる。もっとも、無知な学生なら腐るほどいるから、それほど手間は掛からなかったと思う。黒人やヒスパニックの学生は問題外として、たいていの白人学生は歴史に興味が無く、藝能ゴシップを別にすれば、関心がありそうなのはビジネスか人種問題くらい。テレビのトークショーで話題になる政治ジョークなら知っているけど、マスコミが大々的に取り上げない政治問題となると、知識は皆無に等しくなる。だから、ユダヤ人問題に疎くても驚くことではない。こんな些細な事を大袈裟に取り上げるユダヤメディアの方が異常なのだ。

  もし、アメリカ人にホロコースト教育を施すなら、なぜユダヤ人がヨーロッパに住みついたのか、という点から説き起こすべきだ。キリスト教徒が多いアメリカだから、イエズス・キリストが十字架で処刑された時期や、その弟子たちが布教した時代(使徒行伝)に詳しい若者ならいる。しかし、西ローマ帝國が崩壊した後の歐洲史については謎のままになっているから、面倒でも第3、4世紀頃から説明せねばならない。筆者にも経験があるが、アメリカ人の大学生に西歐キリスト教史やローマ史を説明するのは大変だ。『神の国』を書いた聖アウグスティヌスなら知っていようが、東ローマ帝國で有名なヨハネス・クリュソストモスとかラテン・キリスト教会の教父であったテルトリアヌス、クレルヴォーの修道院長ベルナルドゥス、ミラノの聖アンブロシウス、ランスの大司教ヒンクマール、アエギディウス・ロマーヌス、聖ゲラシウス、セヴィリアのイシドールスなどは知らない。それでも、パリ大学のジャン・ジェルソンやウィリアム・ウォッカム、パドウァのマルシウス、ソールズベリーのヨハネスとかなら、ちょっと西歐史を学べば出逢う神学者である。アングロ・アメリカ人の若者が学ぶべき西歐の偉人は多いのに、ユダヤ人の不幸を先に学ぶなど愚の骨頂である。アメリカの歴史教育は多民族教育に毒されており、本来学ぶべきアメリカやブリテンの英雄は省略されるか、扱われてもごく僅かの分量で、ギリシアやローマの歴史に至っては割愛されているのだ。この荒涼たる教育内容を把握できれば、なぜアメリカ人が底抜けの馬鹿なのか、がよく分かるだろう。

敵を絞って批判しやすくする

  尚武の精神に缺(か)けるユダヤ人は、如何にして敵の精神を征服するかに長(た)けている。このことがよく判るのは第二次世界大戦だ。肉体を使って喧嘩をすれば、強靱なゲルマン人に負けてしまうので、ユダヤ人は御しやすいアメリカ人やイギリス人を利用して憎きナチスを葬った。戦後になると、この寄生民族はアメリカ公民権(US citizenship)をフル活用し、新天地アメリカでの地位を不動なものとした。まるで、肥沃な土壌で大繁殖した外来生物のようなものである。しかし、この外来民族は常に嫌われものという運命が待ち構えているので、安佚(あんいつ)を貪るわけには行かないのだ。やっと摑んだ安住の地を確かなものとするため、アメリカ白人を常に服従させておく必要がある。彼らは時折現れる反ユダヤ主義者を叩き潰す一方で、反抗の芽を持つ西歐系アメリカ人を洗脳しなければならない。そこでユダヤ人は、アメリカ白人の倫理観をくすぐることにした。ユダヤ人を迫害したドイツは「極悪」の化身(incarnation of evil)と貶められ、その憐れな民族を助けたアメリカは「自由」の擁護者(defender of liberty)と賞讃されたのである。したがって、英米の軍隊が空爆でドレスデンの民間人を殺しても、それは神による正義の鉄槌であり、戦争に附随する損傷(collateral damage)と見なされるが、ドイツ空軍がブリテン島の住民を攻撃すれば、無辜の民を狙った無差別虐殺にされてしまうのだ。戦後のハリウッド映画では、この勧善懲悪が更に強化され、人間味溢れるアメリカ兵と冷酷残忍なドイツ兵という図式が鮮明になっている。

  アメリカの大衆は本を読んで勉強することがない。特に歴史書は退屈なうえに難解であるから、映画で学んだ方が手っ取り早くて気楽である。しかし、ユダヤ人村のハリウッドで作られる映画には、巧妙な嘘と明らかな間違えが混じっているから、鵜呑みにした観客は出鱈目な知識を得ることになってしまう。それでも、一般のアメリカ人は知識人になるわけじゃないから気にしないのだ。トンデモない知識を得たことで恥ずかしいと思う人間はまだマシで、いい加減な知識だと分かっても一向に恥じないのが大半のアメリカ人である。とりわけ、アメリカの大衆は「終わりよければ全て良し」と考えがちなので、「戦争に勝ったからオレたちは正義だ」と信じ、間違いや欠点を指摘されても反省することがない。アメリカがなぜ戦争を始めたのかを問われれば、「ジャップが真珠湾を奇襲したからだ」としか答えないし、その他の要因については煩雑なので考えないことにしている。まさか、大統領のフランクリン・D・ローズヴェルトが予め日本軍の奇襲を知っており、ハズバンド・E・キンメル少将とウォルター・C・ショート中将をスケープゴートにしたなんて認めたら大変だ。もし、大統領による陰謀を認めてしまえば、英雄であるはずの大統領は、合衆国の共和政原理を蹂躙したことになってしまう。建国の祖父が築いた共和国では、戦争開始の決定は議会にあり、大統領が議会を蔑ろにして戦争を計画するのは、憲政からの逸脱どころか専制君主制の誕生となってしまうのだ。共和政ローマでも、戦争を決めるのは元老院で、執政官は軍の指揮権を委ねられた政務官で、勝手に対外戦争を仕掛ける権能は無かった。

FDR 2Husband Kimmel 1Walter Short 1









(左: フランクリン・D・ローズウェルト / ハズバンド・キンメル / 右: ウォルター・ショート)

  戦争とは戦争目的を達成することにある。激戦の話なら知っているアメリカ人でも、「戦争目的」を訊かれると、戸惑って明確に答えられない者が多い。間抜けなアメリカ人になると、合衆国の軍隊はナチ・ドイツや大日本帝國を打倒し、ユダヤ人を救出したことが戦争の目的であったと思っている。対独戦をアメリカ人よりも知っているイギリス人でさえ、何が英独間の懸案事項だったのかはっきりしないのだ。それでも、まだマシな方で、「確か、ポーランドを助けるためだったよな ?」と朧気(おぼろげ)ながら覚えている。しかし、現在の英米国民はユダヤ人と左翼学者に洗脳されているから、ドイツと戦ったのは邪悪な枢軸国を倒すための聖戦と思っているのだ。それなら、なぜ連合国側にソ連がいたのか? 左翼が盤踞する西歐諸国には、「ファシズム対デモクラシーの戦い」なんて単純な構図を信じている連中が大勢いるから頭が痛くなる。「ドイツによるポーランドの侵掠は許さない!」と意気込んだチャーチルが、ヤルタ会談ではポーランドはおろか、東歐諸国をスターリンにプレゼントしたんだから、何のためにイギリス兵が血を流したのか分からない。1944年、チャーチルはモスクワの英国大使館で、ポーランドの指導者ミコワイチクに領土の半分をロシアに割譲するよう圧力を掛けた。偉大なる英国の宰相チャーチルから、念願のポーランド領をもらったスターリンは感謝感激雨あられ。「モナミー(我が友よ) !」と呼んだかどうか知らないけれど、スターリンはこの英国首相が飛行機に乗ってモスクワを発とうとした時、雨が降っているにもかかわらず、白いハンカチを振って見送ったそうだ。よっぽど嬉しかったんだろう。こんな事を知ったらアメリカの若者だって唖然とするだろうが、知らぬが仏。チャーチル崇拝は今も健在だ。(ウィリアム・リンドやラルフ・ラチオによるチャーチルの評価については、また別の機会に述べたい。)

Winston Churchill 2Stalin 1








(左: ウィンストン・チャーチル / 右: ヨシフ・スターリン)

  第二次世界大戦については色々な意見があるけど、ひとつだけ述べるとすれば、ナチ・ドイツよりソ連方がアメリカにとって脅威だった。だいたい、「ナチズムの脅威」なんてユダヤ人が気にすることで、西歐系アメリカ人なら気にならない。当時のアメリカは「白人至上主義」が当然の社会で、ナチ・シンパのアメリカ人が「アーリア人至上主義」を唱えても異様ではなかった。黒人はもちろんのこと、ユダヤ人や苦力(クーリー)も忌み嫌われていたから、ナチズムなど脅威ではなかったし、ドイツ式ファシズムもほとんど影響は無かったのだ。それよりも恐ろしいのはコミュニズムの方で、ローズヴェルト政権にはロシアのスパイやピンク左翼がウヨウヨ居たし、大学を始めとする教育機関やメディア界、映画界に蔓延(はびこ)る共産主義者や社会主義者は、「獅子身中の虫」以上の脅威だった。英国や米国の一般人からすれば、ヒトラーが共産主義の総本山を攻撃するのは結構な事である。大いにやってくれ。ドイツ兵が血を流すんだから、英米の将兵は高みの見物とを決め込めばいい。でも、そうなって困るのはユダヤ人だ。ヨーロッパでの甘美な生活が掛かっているから、何としても英米の連合軍にナチスをやっつけてもらいたい。グズグズしているとユダヤ人の居場所が無くなってしまうじゃないか、とね。だから、何が何でもドイツを悪魔にせねばならない。アメリカにいるユダヤ人の同胞は、映画や新聞で盛んにドイツ人を悪党に仕立てた。そこではちょっとした工夫があって、悪魔を数人に絞り込んで、大衆が理解しやすいようにしたのだ。ヒットラーやヨセフ・ゲッペルス、ハインリッヒ・ヒムラー、ヘルマン・ゲーリング、アルフレート・ローゼンベルクなど、個人の顔を前面に押し出し、世界征服を企むファシストを印象づけたのだ。例えば、ドイツの宣伝大臣なら、誰でも「ゲッペルス」と答えられるが、「英米で謀略工作を仕組む責任者は誰か?」と訊かれれば、ほとんどの国民は「分からない」と答えるだろう。また、アメリカの大学生でボルシェビキの極悪人を挙げ、その人物の顔と名前をはっきりと認識できる者は何割いるのか? もし、3割以上いたら凄いぞ。こう考えれば、戦後の教育がいかに歪んでいるかが分かるだろう。

Hermann Goering 2Joseph Goebbels 2Heinrich Himmler 1Alfred Rosenberg 1








(左: ヘルマン・ゲーリング / ヨセフ・ゲッペルス / ハインリッヒ・ヒムラー / 右: アルフレート・ローゼンベルク)

  歐米の若者はユダヤ人への迫害に同情するが、なぜユダヤ人が迫害されるようになったのか、どうしてユダヤ人はヨーロッパに住みついていたのか、といった基本的な知識を持たないし、そもそもこうした疑問について関心が無い。それでも、多くの人々は、ヒトラーに追放されたユダヤ人を可哀想に思うだろう。ハリウッド映画の影響は甚大だ。しかし、いったいユダヤ人は何時から「ドイツ国民」になったのか? 中世の頃、ユダヤ人がゲットーに住んでいたことはよく知られている。でも、いつの間にかキリスト教徒の一般人と混じって暮らしていたのだ。ズル賢いユダヤ知識人は、民族の悲劇を宣伝する本を書く時、いつもナチスによる迫害から筆を起こす。ナチ・ドイツを糾弾する非ユダヤ系教師でも、授業で“いかがわしい”ホロコーストなら教えるが、“肝心な”ユダヤ人の解放について、詳しく教えようとはしないのだ。(実は、ドイツに於ける「ユダヤ人解放」はナポレオン戦争が切っ掛けだった。でも、これを説明すると厖大になるから省略します。)

英国式裁判からの逸脱

  第二次世界大戦について話し出すとキリが無いので、ニュルンベルク裁判についてちょっと語りたい。英米社会には弁護士や裁判官、法学者などか腐るほどいる。我が国の裁判制度と歴史的に違うのは陪審員裁判を持っていたことだ。日本人には「同輩による裁き」というのは馴染みがなく、お白洲で代官が判決を下すというのが定番だった。日本人には元々、被告人が法廷で皆の衆に訴えかけるなんて発想はない。大岡越前や遠山の金さんみたいな偉い人が、別室でよ~く吟味して、妥当な処罰を下した方が安心と考える。まぁ日本の事はともかく、米国は英国の法思想を受け継いでいるので、裁判の形式や手続きが英国風になっているのは確かである。ところが、ニュルンベルク裁判は根本的に英国の伝統に反していた。どちらかと言えば、支那かロシア人の裁きに近い。つまり、「集団リンチ」である。ニュルンベルク裁判では、とりわけ事後法の適用、つまり遡及して裁くことが問題となった。だいたい、「人道に対する罪」とか「平和に対する罪」なんてどうにでも解釈できるし、具体的に何をしたら死刑になるのか分からない。第一、民間人を虐殺したから死刑というなら、日本の都市を空爆して民間人を焼き殺した事(これこそ正に「ホロコースト」)や原爆攻撃で女子供、老人、怪我人、聖職者を意図的に虐殺した事も、「人道に対する罪」となるじゃないか。しかし、カーチス・ル=メイ将軍やレスリー・グローブス准将、スチムソン陸軍長官、トルーマン大統領は、戦犯として処刑されなかった。むしろヒーローだった。

Harry Truman 1Henry Stimson 1Leslie Groves 2Curtis LeMay 1








(左: ハリー・トルーマン / ヘンリー・スチムソン / レスリー・グローヴス / 右: カーチス・ル=メイ)

  東大法学部の憲法学者は一顧だにしないけど、第17世紀に活躍した首席判事エドワード・クック卿(Sir Edward Coke)は、イギリス憲政史における巨星である。民訴裁判所や王座裁判所の判事、王室顧問官ならびに士族院議員を歴任したエドワード卿は、コモン・ロー(英国の慣習法)の生き字引みたいな人物だった。彼を知らないようでは英国史を研究する者として失格である。といっても、極左学者が盤踞する法学部や史学部では、エドワード卿を無視するのが常識になっているから、卒業生が無教養なのも仕方がない。とにかく、英米の法学者や教養人のあいだでは有名な人物だ。

  このエドワード・クックが関与した事件に「ボナム医師訴訟」があった。1606年、トマス・ボナム医師はロンドン王室医師会の許認可を得ずにロンドンで医療行為を行った廉で処罰されたのである。彼は罰金刑を科せられ、こんどまた医師会の許可無くして治療を行ったら投獄するぞ、と脅されていた。それでも、ボナム医師は治療を続け、罰金を支払うことすら拒否したという。というのも、彼は歴としたケムブリッジ大学の医者であるから、ロンドン王立医師会の管轄権に属さないと突っぱねたのだ。こうした態度を取ったことにより、ボナム医師は遂に投獄される破目になった。

Edward Coke 1(左 / エドワード・クック卿)
  そこで、「ボナム医師訴訟」はクック判事のもとにもたらされたという。医師会側はヘンリー8世からの勅許状を楯にボナム医師の処罰を正当化したらしい。だが、クック判事は條文を厳密に読んで判断したそうだ。確かに、勅許状によれば、協会によって承認されていない医師は、ロンドンで医療に従事できないことになっている。しかし、協会は医療過誤を犯す医師ならともかく、きちんとした能力のある医師を罰する権能は無い。クックの見解はもっともで、妥当な判断と言えるが、注目すべきは、彼が指摘した裁判の形式である。王立医師会は事件の当事者なのに、事件を扱う「裁判官」になっていたのだ。クック判事は次のように述べている。

  監察官は判決や刑罰を下す裁判官や執行官、当事者になってはならない。すなわち、召喚を行う官吏、そして罰金の半分をもらう当事者のことである。(George P. Smith, II, Marbury v. Madison, Lord Coke and Dr. Bonham Relics of the Past,  Guidelines for the Present-Judicial Review in Transition ? , University of Puget Soud Law Review, Vol. 2, 1979, p.258.)

  こんな初歩的知識なら一般人でも分かっている。米国の裁判で、検事と判事が“組んでいる”なんてあり得ない。例えば、両者が夫婦とか兄弟、従兄弟同士、親友であるならば、不公平な裁判どころか、リンチ目的の「でっち上げ裁判(kangaroo court)」と見なされてしまう。また、陪審員を選ぶ時、検事の先輩や後輩、友人、親戚を混ぜるなんて考えられない。これを踏まえてニュルンベルク裁判を調べてみれば、それが勝者による「八百長裁判」であることは一目瞭然だ。この不正を見抜いたからこそ、アメリカ人の裁判官の中にさえ、異議を唱えた者がいたのである。しかも、犯罪の検証も充分になされていないうえに、被告人となったドイツ人の告白は、拷問により引き出された可能性が高いのだ。驚くべき事に、ドイツ側の弁護士でさえ証人の訊問を許されず、反論しようにも検察側の証拠を自由に見ることも出来なかったという。これじゃあ“まともな”裁判ではない。最初から判決が決まっていたのだ。

  でも、陪審員裁判に慣れ親しんでいるはずのアメリカ人が、なぜこんな茶番劇を肯定するのか? それはアメリカや西歐諸国のユダヤ人が、執拗にナチスの悪を刷り込んでいるからだ。つまり、1960年代以降、テレレビや映画、小説、雑誌、新聞などに潜むユダヤ人や彼らの協力者が、繰り返し「極悪非道のナチ・ドイツ」を宣伝し、一般人を洗脳しているからである。ナチ党員が無罪と言うわけじゃないが、一方的な断罪になれば、西側戦勝国の中に疑問を抱く者が出てきても不思議ではない。西歐人が誇る正義や伝統、倫理、良識を放擲してまで、ドイツ人を裁くことになれば、西歐社会が成り立つ基盤を破壊しかねない。昔、王は法と正義を毀損してはならない、という思想があった。なぜならば、王の地位がそうした法と正義の上に成り立っているからである。もし、王様が正義を蹂躙し、法を枉げることになれば、王様の地位自体が危なくなるのだ。しかし、西歐人の肉体と歴史を持たないユダヤ人にしたら、西歐人の伝統文化なんてどうなってもいい。憎いドイツ人を死刑にできればいいだけだ。法的な処罰ができないから、ナチ党員が釈放だなんて我慢できない。

Nuremberg 1Robert Jackson 1








(左: ニュルンベルク裁判でのドイツ人 / 右: 米国のロバート・ジャクソン判事)

  アメリカ人の中でも、教養人ならニュルンベルク裁判について忸怩たる思いがあるが、「まぁ、勝ったからいいじゃないか」と自分に言い聞かせて忘れようとする。いつまでも過去にこだわっていたって何の得にもならない。知識人でも、「過去より未来の方が大切だ」と考えてしまうんだから、アメリカ人に歴史の話をしても無駄だ。それに、彼らが大好きなハリウッド映画では、正義の女神が常にアメリカ軍と一緒だから、大衆はアメリカ兵が虐殺や不正を犯したなんて信じない。国内で黒人を縛り首にしていた連中でも、ドイツ兵の魔の手から可哀想なユダヤ人を救出すれば英雄だ。米国内で同じ差別意識があったなんて認めてないんだから、実に都合のいい国民である。ハリウッドのユダヤ人は狡猾で、こうした二重思考のアメリカ人をおだてて、同胞のユダヤ人を純粋無垢な犠牲者に仕立て上げた。戦後、ユダヤ人に対する非難や反論が起これば、「ホロコースト」のトランプを切って、批判者を黙らせることができたのは、彼らが圧倒的“弱者”を人々の心に刷り込んできたからである。こう考えてみれば、マスメディアや教育界をユダヤ人や左翼に握られるというのは、本当に恐ろしい。

  日本人はアメリカ人を笑ってはいられない。我が国でもマスメディアと教育界を左翼分子に支配されているからだ。例えば、NHKやテレビ朝日が制作する歴史教養番組などプロパガンダ放送に外ならない。また、書店に行って第二次大戦のドイツに関する本を捜せば、ナチスを糾弾する本やユダヤ人が出版した洋書の翻訳本、左翼学者の歴史書ばかりで、何とも暗~い雰囲気が漂っている。日本の出版界は左翼偏向が著しいから、トマス・ダルトンの「ホロコーストを議論する(Debating the Holocaust)」ジョン・サックの「(An Eye for An Eye」、R.H.S.ストルフィの「ヒトラー」などは興味深いが、たぶん日本語に翻訳されないだろう。アメリカ人がユダヤ人によってクルクル・パーになるのは構わないが、日本人が彼らに従う理由はない。我々は気に入らない異論でも知るべきで、アメリカの大衆とは違った角度で歴史を検証する必要がある。学校の歴史教科書とNHKのETV特集だけで歴史を学ぶと、朝鮮人のようになっちゃうぞ。



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