無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2016年08月

韓国に卑屈な日本人の源泉 / 竹島問題は日本人にあり

朝鮮人に寛大な反日的日本人

  保守派の日本人には認識不足がある。朝鮮人を正常に出来るという幻想を持っているからだ。朝鮮人は永遠に朝鮮人であるし、まともな人間なら朝鮮人ではない。彼らは常に日本人を憎み、歴史を偽造してまでも我々を非難する。でも、それは彼らの民族的趣味であって、朝鮮半島内で騒ぐぶんには、我々がいちいち干渉すべき問題ではない。理性と無縁な民族には手を触れず、勝手にさせておくべきだ。「火病」を発症した気違い民族に、「お行儀良くしなさい」とか「恥を知るように」と薫陶したところで、彼らは「分かりました」と素直に聞く国民ではない。「バカは放って置け」が一等国の態度であろう。ただ、朝鮮半島外で日本人を侮辱したり、日本の領土を掠め取ろうとしたならば、武力を以て容赦なく鉄槌を下し、「南鮮人皆殺し」でさえも躊躇してはならない。こうすることが平和を守る対策であって、朝鮮人の非礼や侵掠を容認するのは問題を深刻化させるだけである。

Takeshima 8Takeshima 9








(左: 竹島に侵入した韓国議員 / 右: 韓国警備隊)

  今月15日、羅卿瑗(ら・きょうおん)ら10名の南鮮人議員が竹島に「侵入」し、同島に駐留する“警備隊”を激励して記念写真を撮った。この報道を受けて官邸は不快感を示し、朝鮮人は当然のことと見なしたようだ。日本の保守派国民は、「韓国けしからん !」と怒ったが、大多数の国民はお盆の墓参りやオリンピック観戦で興味が無い。そもそも、竹島に違法建築物が存在し、武装した警備隊までいるんだから、それを長年に亙り放置してきた日本人の方が悪いんじゃないか。我が国には銃刀法があるから、不審な外国人が機関銃や拳銃を所持していれば、すぐ警察官に逮捕されるのに、韓国からの南鮮人だと島根県警は手が出せない。真面目な警察官が、地団駄を踏んで我慢するしかないというのは、筋が通らないし言語道断である。なぜ不法入国の朝鮮人だと武器を所持して良いのか、一般国民には納得できないし、それを容認するマスコミは朝鮮人の共犯者である。政治家が靖國神社に参拝し、玉串料を納めれば、「これは公的ですか、私的なものですか ?」と騒ぐくせに、朝鮮人が武力侵入しても「冷静に話し合いましょう」と述べている。朝日新聞やNHKは朝鮮人の擁護に必死だから、「朝鮮人が武器を持って島に立て籠もっているぞ !」とは喚(わめ)かない。だが、もし渋谷で機関銃を持った南鮮人が現れたら、どうするのか? 恐らく大騒ぎになって、機動隊の出動となるだろう。とすれば、日本政府は竹島を我が国の領土とは考えていないことになる。ついでに言えば、税務署は朝鮮人が作った竹島の建築物を知っているのに、固定資産税を取らないのは変だ。日本国民からはきっちり取るが、朝鮮人からは取らないというのは不公平である。

Takeshima 3Takeshima 2







(写真/竹島を占領した朝鮮兵)

  現在の日本国民は国家主権を放棄している。大学の法学部に居坐る憲法学者は、事ある毎に「国民主権」を強調するのに、国家の主権や独立は無視。自衛隊さえ承認しているのか怪しいもんだ。もし、憲法学者が“まともな”知識人なら、竹島に駐留する不逞鮮人を逮捕しろと叫ぶはずだし、もし日本政府が手を拱いて見ているだけだったら、その「不作為」を咎めて「直ちに領土を奪還せよ !」と要求するだろう。だが、我が国の学者は逆に当り前の防衛行動を非難する。本来なら、自衛隊が外国の武装集団を攻撃し、竹島から朝鮮人を一掃しなければならない。そうしないと、日本人が安全に訪れる事ができないからだ。いま、自然保護規制で上陸禁止の島になっているわけでもないのに、日本国民が旅行できないというのはおかしい。警察官でさえ上陸できない島というのは、どう考えても異常だろう。日本国民は朝鮮人を罵倒する前に、なぜ我が国はこの兇暴な不審者を撃退できないのかを考えてみるべきだ。

  竹島の不逞鮮人を殲滅できない理由は色々あるが、まず第一に国家防衛のための武力行使を全面禁止にしていることにある。日本人の女子供が数百人も北鮮に拉致されているのに、三十年ないし四十年以上も放置してきたのは、軍隊をもって国民と国家を守る意志が無いためである。よく、新聞やテレビに登場する御用学者が、北鮮に対し「もっと議論を重ねるべきだ」という戯言を繰り返し述べている。もう耳が穢れる程うんざりするし、彼らの顔を見るだけでも嫌だ。そもそも、一年、十年、二十年以上、議論を続けて何になるのか? 学者や解説者は自分の子供が攫われても、三十年間くらいは議論するのか? 一週間すら堪えられまい。きっと「早く自衛隊を出せ !」と怒り狂うだろう。また、もしも自宅の庭に朝鮮人がダンボール小屋を建てたら、力ずくでも撤去するだろうし、その朝鮮人が抵抗するなら殴り飛ばすか、警察官を呼んできて逮捕させるだろう。朝鮮人に対し寛大な左翼学者は、竹島が自分の所有地ではないから、無頓着な態度を取っている。拉致被害者だって、所詮は「他人の家族」だから、呑気なことを言ってお茶を濁すことができるんだ。さらに問題なのは、一般国民が大手新聞社やテレビ局、有識者の意見に従って、同胞であるはずの邦人を見棄てたり、自国領土を放棄していることである。

売国奴が選出される現代

  一般国民の無関心は仕方ない部分もあるが、国会議員に国家意識が無いことは致命的である。しかも、国家に対する忠誠心が欠落している人物が大半で、中には売国奴や敵国と繋がっている者がいるから、日本の国防は穴だらけだ。防諜組織を作ろうとすると、テレビ朝日やTBSが「国家による監視社会になる」とか「戦前の治安維持法が復活するぞ」と嘘八百を並べて反対し、極左学者をゲストに招いて「絶対反対」の応援解説をしてもらう。こんなマスコミが世間を洗脳しているから、北鮮人と癒着している菅直人が首相に選ばれたり、南鮮の代理人となっている白真勲が参院議員になれるのだ。自民党はもっと酷く、叛逆者の巣窟となっている。かつては金丸信が副総裁の身分で勝手に「外交使節団」を率いる二重外交を行っていたのだ。北朝鮮を訪問した時には、金日成に丸め込まれて、戦後賠償まで約束したんだから、金丸は山梨県からの代議士ではなく、平壌出身の北鮮使節と呼んだ方が適切であった。この金丸訪鮮団に加わっていたのが、元「青嵐会」のメンバーで、訪鮮後、北鮮のエージェントに転向した中山正暉(まさあき)と、朝鮮総聯の盟友になっていた自由党の青木宏行である。2009年に亡くなった青木は、愛知県警外事課と公安調査庁第二部にマークされていたほどの売国奴であった。

Nakayama Masaaki 1Kanemaru 1Kim Ilson 1









(左: 中山正暉/ 中央: 金丸信 /右: 金日成)

  拉致問題に関する青木の北鮮擁護は筋金入りで、平成11年12月3日に放送されたCS放送の「ディリー・プラネット」に出演した時に口にした発言は、とても日本の国会議員とは思えぬほどの内容であった。彼は北鮮に対する食糧支援に殊のほか熱心で、支援するのが「当り前なんです。人間として。これは国際常識なんです」と述べていた。青木は司会者に向かって、「政治と人道問題を絡めちゃったらだめなんですよ、これはね。人道問題というのは、あくまで人道問題、政治は関与しないんです」と説教していたのだ。なら、どうして政治家がこうも執拗に支援したがるんだ? 裏で何らかの利権があるんじゃないか。それとも、訪鮮の時に弱みを握られたのか? アホな政治家だと、北鮮から提供された「女体」という夜のプレゼントを堪能したり、純金の棒をお土産にもらったりする奴がいるから、帰国した途端に北鮮の弁護士になったりする。

  この北鮮べったりの青木にとって、邦人救出は「人道問題」にもならぬほど些細なことであった。呆れることに、彼は「拉致」じたいに疑問を呈していたのだ。番組司会者が邦人拉致問題に触れ、帰ってこない日本人に言及すると、青木は「帰ってこないって? 行方不明者? 」と聞き返した。そこで、司会者が「ええ、行方不明者がなかなか・・・」と答えると、「それは日本が勝手に言っていることであってね。じゃあ、証拠知ってるの?」と問い質す。「証拠を持っているのか ?」と凄むなんて、青木はヤクザまがいの代議士である。これだけでも噴飯物なのに、拉致の真相に関する問答には、怒りを通り越した憎しみさえ湧いてくる。司会者は拉致事件を曖昧にしたの食糧支援に疑問を呈していた。

  司会 「そうなんですけど、ただ国内の感情としてはやはり・・・」
  青木 「それは誰が作っているの? その感情」
  司会 「それはでも・・・」
  青木 「マスコミじゃないの ?」
  司会 「それは・・・」
  青木 「誰が知っているの、じゃあ」
  司会 「実際に訴えていますよね」
  青木 「じゃあ、拉致したという証拠知ってんの? 」
  司会 「ただ、日本政府としては、そういった形で発表しているわけですよ」
  青木 「疑いですよ」
  司会 「実際先方に聞いています」
  青木 「疑いですよ」

  とまあ、こんな調子の討論だった。日本国民から選ばれた国会議員なら、逆にマスコミが疑っていても議員の義務として、真剣かつ徹底的に調査するはずだ。ところが、拉致を「噂」や「行方不明」程度に貶め、北鮮への非難を鎮火しようとしているんだから、「お前は本当に日本人か?」と質問したくなる。こんな奴なのに、地元の愛知二区で糾弾大会が開かれたことはなかったし、あろうことか旭日中綬章をもらうことができたのだ。日本の叙勲基準とは何なのか? 敵国の内通者でも対象になるんだから、どんな功績を評価したのかさっぱり分からない。 

何年経っても竹島は奪還できない

  韓国議員団の竹島侵入を許す根本原因には、敗戦後の日本人が尚武の精神を捨てたことにある。普通なら、朝鮮人の侵入者は、軍人だろうが議員だろうが構わず、速射砲かRPGを用いて皆殺しにすべきだ。米国など敷地に侵入した不審者は射殺しても文句は言えない。日本人が撃たないから、朝鮮人は調子に乗って竹島に上陸するのである。もし、自衛隊から一斉射撃を受けると分かっていたら、恐ろしくて竹島に近づけないだろう。したがって、問題なのは自衛隊の攻撃能力ではなく、抹殺指令を下さない政府とそれを支持しない国民である。日本のマスコミは何かと言えば、「韓国を刺戟してはいけません」と説教するが、なぜ不法な行為を行ったり、反日行為を繰り返す南鮮人に対して“柔和な”態度を取らねばならぬのか? もし、「刺戟するな !」とマスコミが言うなら、それは朝鮮人に対しての「誡め」であるべきだ。我々日本人に対してではない。朝鮮人慰安婦の件でもそうだが、日鮮問題は日本人側が引き起こしている事の方が多い。日本人が断固たる姿勢を取って、愚劣な朝鮮人をつけ上がらせなければいいのである。朝鮮人に「紳士的な行動」とか「良識的判断」を期待する日本人の方がどうかしているのだ。

Koreans 6koreans 7







(写真 /  反日を表明する朝鮮人)

  ちょうど、チャンネル桜で杉田水脈と浅野久美が今回の事件を取り上げていて、浅野氏が「どうして竹島に着いて学校で教えないのか ?」と疑問を投げかけていた。その答えは簡単で、教科書の執筆者と採択者が両方とも左翼だからである。教育界と政界が左翼分子の天下になっているから、日本の国益を重視するような教科書が作成される訳がない。それに、国家の名誉とか領土意識は受験科目ではないし、お金になる訳でもないから、一般国民の注意を引かないのだ。しかも、これからは更に酷い反日教育になるだろう。なぜならば、朝鮮人を筆頭に、学校でアジア混血児が増えてくるからだ。もし、学校の授業で在日朝鮮人の歴史を教えたら、朝鮮系の父兄から猛抗議が来るだろう。たとえ、教師が敗戦後の歴史、即ち朝鮮人による殺人・強姦・掠奪、その他の犯罪行為を正直に伝えれば、朝鮮系混血児の生徒は悔し涙に暮れるか、教室で暴れ出すかのどちらかになるからだ。在日朝鮮人は、あまりにも恥ずかしい過去を背負っているので、それを暴露されると烈火の如く怒る。家庭で何も教えられていない朝鮮系混血児は、犯罪者か碌でなしの祖先を知って親を恨むから、子供の嘆きに反論できない親は、事実を教える学校や政府を恨むようになる。また一般的に、朝鮮系の親は反日議員に対して好意を持ち、「日鮮友好」という特殊な外交に興味を持ちやすい。普通の生活をしている凡庸な日本人だと、「朝鮮との友好関係を築きましょう」という選挙公約に魅力を感じないし、朝鮮半島に税金を貢ぐことに賛成しないだろう。しかし、帰化朝鮮人や朝鮮系国民は、まるで「ふるさと納税」みたいに思えてしまい、祖国の発展を望むから、積極的に賛成しないこともあるが、かといって反対するわけでもない。つまり、黙認してしまうのだ。やはり、血が繋がっているというのは恐ろしい。

  安倍政権や島根県議会は、形式的だけ「竹島は日本の領土である」との見解を表明するが、実質的には南鮮領土になっている。思えば20年前の話しになるが、平成8年3月29日に「『竹島問題』緊急国民集会」が開かれた。加瀬英明が大会代表となり、演説会では故・中村粲教授、神奈川大学の小和田伸教授、拓殖大学の小田村四郎総長、「日本世論の会」の三輪和雄会長などが熱弁をふるい、政府の弱腰と韓国の侵掠を指摘していた。翌30日には、麻布の韓国大使館へ向けてのデモが行われて、筆者も参加したことがある。このデモには約300名の国民が駆けつけ、堂々と「竹島を守れ」と叫びながら国民の支持を訴えかけたが、その様子を放送するテレビ局は一つもなく、全国紙や地方紙も完全無視。まだインターネットが普及していなかったから、動画配信もされず、街頭で見物した人以外で知っている者はほとんどいなかった。一面で報道したのは、大会に関与した「國民新聞」だけ。悲しいけれど、一般人は國民新聞の存在すら知らなかったのである。29日の演壇に立った東京国際大学の渥美堅持教授は、「戦争を覚悟してまで話し合いをすすめる」ことを説いたが、当時の橋本政権には「キャン」と吠える勇気すら無かった。保守派の国民なら、橋本龍太郎が卑屈な笑顔を浮かべながら、金泳三と握手を交わしていたのを覚えているだろう。

  それにしても、こんな奴が日本遺族会の会長を務めて首相となり、形式上でも自衛隊の最高司令官になっていたのだ。今でも腸が煮えくり返る事だが、当時、自民党幹事長代理だった橋本は、衛生部に所属する支那人通訳の女に入れ込んでいた。この支那人工作員は、無償援助プロジェクトから病院建設の費用を引き出すべく、“女の武器”をフルに使っていたのだろう。こうした努力が実って建設されたのが、北京市の「中日友好病院」と長春市の「白求恩(ベチューン)医科大学附属病院」である。一方、国民の税金を浪費した橋本は、この支那人女を妾にしてセックス・ライフを楽しんだ。ちなみに、この支那人通訳は、国際協力事業団の職員と結婚したそうだが、二年経ってもも帰化申請を行わず、橋本政権が誕生してから八日後に帰化申請を行ったという。そのうえ不自然なのは、たった11ヶ月で帰化申請が許可されたことだ。工作員の疑いが濃い支那人なので、通常は法務局から警察と公安に身元照会の依頼があるはずだが、なぜかその作業がなかった。どう考えても納得できない。おそらく、橋本側から何らかの圧力なり、裏工作があったんじゃないか。公安に彼女の正体を摑まれたらスキャンダルになってしまうから、橋本は前もって妾の素性を保障して、うるさい警察を黙らせた疑いがある。もうつくづく嫌になるが、この通訳や張景子みたいな工作員が堂々と日本国民になれるんだから、我が国は内部から腐っている。

cho keikoHashimot & Kim








(左: 日本国籍を取った支那人工作員の張景子 / 右: 橋本龍太郎と金泳三)

  日本人が竹島問題に無関心なのは、日教組が支配する教育界にも原因があるだろうが、マスコミの大衆操作にも原因があるんじゃないか。ちょっと前、舛添要一が政治活動費を私的に流用したことが発覚し、テレビは毎週のように舛添の記者会見を放送していた。でも、南鮮による竹島占領と比べれば、税金で「ホテル三日月」に泊まったとか、「クレヨンしんちゃん」の本を買ったなんて小さな事だ。外国により領土が寝食されたのだから、各テレビ局が連日連夜、南鮮非難のキャンペーンを張ってもおかしくはない。ところが、実際はどうだろうか。確かに、「竹島上陸」の報道はなされていたが、それはまるで外国で起きた他人事のようだった。我が国のマスコミにとって国家主権の侵害よりも大切だったのは、オリンピック中継と「スマップ」の解散騒動だった。筆者には「スマップ」に対する知識や悪意は無いけど、たかだか藝人の揉め事じゃないか。毎日報道するだけの価値があるとは思えない。
  
  現在の日本が領土を奪還できないのは、武士階級の流れを汲む上流と中流階級が存在しないためだ。外政は庶民の役割ではなく、国家の支柱となる軍人の責務である。祖国全体の危機は、武士でないと解決できない。幕末に維新が達成できたのは、武士が存在していたからである。庶民は黒船を見物して驚いただけ。武力を備えた統治者は、迫り来る外国勢力の動向に敏感だ。何と言っても、幼い頃から戦闘の訓練を受けている。何でもお金で解決しようとする商人とは違う。名誉の為なら軍事行動を厭わないのが武士である。それに、「他人を斬る」という攻撃には、「自分も斬られる」という恐怖がつきまとう。しかし、武士には公(おおやけ)のためなら「生死」を賭けた戦いに挑む覚悟ができている。それが当然という雰囲気の中で育ってきたので、庶民から「この恥知らず !」とか「それでも侍か ?腰抜け !」と罵倒されれば、どうにみこうにも屈辱に耐えきれない。死んでもいいから戦おうとするだろう。もし、今の政治家に武士階級の末裔がいれば、ここまで竹島問題が紛糾することはなかったはずだ。祖国防衛よりマスコミによる非難の方が気になるので、どの政治家も竹島を「なかったこと」にしたがる。たぶん、議員の中には「いっそのこと竹島を韓国にくれてやれ」とか、「あんな島があるから厄介なんだ。いっそのこと爆破したら」と考える連中がいるんじゃないか。大東亜戦争の敗北で失ったのは、国家の独立ばかりではなく、尚武の精神、つまり武士の魂を喪失したのだ。この魂を恢復するまで竹島奪還は実現しないだろう。
    



人気ブログランキングへ

昭和天皇と特攻隊

恥知らずの関東軍参謀

Showa Teno 2












(写真/昭和天皇)

  毎年、八月になると決まって大東亜戦争の大反省会が起こる。テレビや新聞はもちろんのこと、オピニオン雑誌もこぞって特集を組む。「なぜ無謀な戦争を始めたのか」とか「アジア諸国を侵掠して迷惑をかけました」といった定番メニューを掲げて、ちょっとでも売上げを伸ばそうと必死なところが痛ましい。しかし、それ以上に痛ましいのは、左翼学者や左翼かぶれの有名人を座談会に呼んで、適当な雑談をさせる編集者がいることだ。かつてはまともだった『Voice』や廃刊となった『諸君 !』でも、田原総一朗や半藤一利、保阪正康なんかを招いて、大東亜戦争にまつわる話を載せていたのだ。だいたい、中年になってから歴史を勉強し始めた田原総一朗なんかに訊いて何になるんだ? 田原が出版した『日本の戦争』なんか、つまらない上に内容が無く、気に入った左翼学者の文章を切り貼りして自分の見解にしていたんだから酷い。『諸君 !』で田原と対談した谷沢永一先生は、彼の本を指して、「空の米櫃(こめびつ)」と評した。なるほど名言だ。ちよっとした教養人なら買わないし、不注意な一般人なら、買ってから「お金を返せ !」と言いたくなるような代物である。世間では保守系雑誌と評される『WiLL』や『Hanada』も、執筆者は営業保守かピンク保守でなければ単なる凡人で、左翼臭プンプンの内容になっている。

Sejima 1Sejima 2(左: 参謀時代の瀬島龍三 / 右: 戦後の瀬島)

  もし、大東亜戦争を批判するなら、戦争を決定した者の資質を議論すべきだ。反日メディアの旗手たるNHKに期待しても無駄だが、「アジア諸国に対する侵掠」云々よりも、日本を無理矢理にでも英米と戦わせようとした政治家や軍人、共産主義者を洗い出して、国民に知らせることの方が重要である。NHKやTBSは首相になった東條英機については酷評するが、共産主義者の近衛文麿については一度も特集を組んで放送したことがない。フジテレビも同罪で、昔は瀬島龍三を招いて番組を作っていたのだ。この元関東軍作戦参謀は極東軍事裁判で、ソ連側の証人となったくらいだから、ロシア人から相当な訓練を受けたはずである。もっとも、以前から真っ赤であったから、共産主義に磨きがかかったとも言えるだろう。それに、瀬島と一緒にウランバートルの俘虜収容所にいたのが、陸軍中佐の朝枝繁春と種村佐孝、志位正二という面々で、骨まで真っ赤な連中であった。ソ連の飼い犬であることは明らかなのに、この瀬島は財団法人の「特攻隊戦歿者慰霊平和記念協会で会長職を務めていたんだから、開いた口が塞がらない。瀬島は平成九年(1997年)四月二日、靖國神社で開かれた第十八回特攻隊合同慰霊祭に臨席し、まるで参謀本部作戦参謀に戻ったかのように、祭文を読み上げたという。その中で瀬島は次の言葉を述べた。

  特攻隊は世界に類のないもので、わが日本民族の誇りであります。(生出寿 『一筆啓上 瀬島中佐殿』徳間書店 1998年  p.41)

  生還率ゼロ・パーセントの体当たり攻撃を承認し、6千952名もの若者を殺した最高作戦司令部に席を置いていたのに、よくもこんな図々しいことを言えたものである。瀬島が読んだ祭文は『特攻』という会報の平成九年五月号に掲載されたのだが、上記の文は削除されており、「中略」になっていたそうだ。どうして省略したのか? どんな不都合があったというのか? 全文を掲載しないなんて卑怯じゃないか? こんな奴が偉そうに竹村健一の『世相を斬る』なんかに出ていたのだ。晩年には笑福亭鶴瓶の『日本の夜明け』にもゲスト出演し、滔々と自慢話を披露していたのである。これを見た一般国民も多かったんじゃないか。何も知らない若い視聴者や、収録スタジオに参加していた一般聴衆は、とても立派な軍人と勘違いしていたのだろう。何と言っても、昭和13年に陸軍大学校を首席で卒業し、わずか28歳で参謀本部作戦部員になったんだから、戦後生まれの一般国民は、こうした
学歴と経歴を聞いてもうメロメロだ。

  さらに、一般人は波瀾万丈の人生を知って瀬島の才覚に驚く。彼は敗戦のためソ連軍の捕虜となり、シベリアに拉致されるという悲劇に遭い、奴隷扱いを受けながらも、やっとのことで日本に生還した。昭和33年、有名な伊藤忠商事の航空機部に入社すると、たちまちその頭角を現し、短期間で異例の出世を遂げて、昭和47年には取締役副社長だ。しかも、昭和53年には取締役会長に納まったうえに、土光敏夫の第二臨調と行革審で委員に任命されたのである。昭和59年、七十二歳になると勲一等瑞宝章を貰うことができた。ついでに、その人生を綴った『幾山河』を出版し、ベストセラーになって大喜び。饒舌で頭の回転が速い瀬島に、世間はまんまと騙された。一般人はシベリアでの状態について曖昧にされていることに疑問を抱かず、瀬島の苦労話ばかりに感心していたのである。知能犯の瀬島は肝心な部分をはぐらかすのが上手い。丸め込まれた一般読者は、「じゃあ、お前はシベリアでどんな待遇を受けたんだ?」とか「ロシア人と協力関係にあったんじゃないか?」とは尋ねなかった。

残忍冷酷な決戦兵器

Genda 2Ohnishi 1









(左: 議員時代の源田実 / 右: 大西瀧治郎)

  こうした恥知らずな「エリート軍人」を見ていると、彼らにこき使われた兵卒が憐れでならない。大東亜戦争での悲劇は数え切れないが、その中でも生還不能の新兵器「桜花(おうか)」に搭乗したパイロットには、いくら哀悼の意を表しても不充分に思えてくる。この人間操縦による滑空爆弾は、昭和19年5月に、太田正一・特務少尉が菅原英雄・中尉に構想を持ち掛けたことに始まるという。菅原中尉は太田少尉を和田操・中将に紹介し、和田中将は航空本部に伝えた。航空本部で第二課長を務めていた伊藤祐満・中佐が、先輩で第一課長の高橋千隼(ちはや)・大佐に相談したところ、「軍令部の源田実(げんだ・みのる)・中佐に尋ねてみよ」とのことで、この「決戦兵器」が計画されたらしい。敗戦後に東京裁判が開かれたが、源田は大西瀧治郎(おおにし・たきじろう)・中将が切腹したことを幸いに、キー・パーソンたる自身の罪を隠蔽し、特攻創設の責任を大西にひっかぶせた節がある。戦後、源田は航空自衛隊に入って航空幕長にまで上り詰め、政治家に転身すると自民党所属の参院議員になった。自民党で国防部会の会長を務めた源田は、長年の功績を認められ勲二等瑞宝章まで貰うことができたのだ。特攻の「桜花」に搭乗した下っ端の若い隊員は、「人道的配慮」もされずに死んでいったのに、責任者の源田は、ジョン・F・ケネディー大統領から「レジオン・オブ・メリット」勲章まで授与されて、84年の人生を全うしたのである。しかも、戦争映画では三船敏郎や三橋達也が源田の役を演じて、立派で優秀な軍人のイメージを世間に植え付けたのだ。これじゃあ、散華した隊員が浮かばれない。

  ところで、件(くだん)の「桜花」とは一体どのような飛行機なのか? 実は、飛行機というより「グライダー」と言った方が良いくらいの代物であった。「桜花隊」で第四分隊長を務めていた林冨士夫・中尉が「桜花」の練習機を見た時、「帝國海軍は、こんな物しか作れないのか」と呆れたらしい。というのも、「桜花」は全長6メートルの軽合金製の同隊に、全幅役5メートルのベニア製の翼が附いていて、胴体の下に脚や車輪が無い。その代わり、着陸用のベニア製橇(そり)が附いていた。ただし、実戦で用いられる「桜花」には橇が無く、胴体頭部が1.2トンの徹甲弾、後部に推進用火薬ロケットが装備されていたそうだ。この「グライダー」を母機の一式陸上攻撃機が吊り下げて運び、敵艦に接近すると、搭乗員がロケットを噴射しながら操縦して、目標の艦船に体当たりするのである。予定では敵艦は撃沈するはずだが、実際は運搬途中で敵戦闘機に撃墜されてしまうこともあった。こんな「グライダー」を胴体にくっつけた母機など、俊敏な戦闘機にとったら「格好のカモ」である。飛行隊長の野中五郎・少佐などは、「掩護の戦闘機もろくすっぽないのに、司令官がひきうけやがって」とぼやいていた。一式陸攻が2トンもの桜花を吊り下げたことで、飛行速度が落ち、動きも鈍くなるのを野中少佐は充分認識していたので、こんな成算の乏しい攻撃をやるよりも、夜間雷撃をやる方がよっぽど戦果をあげることが出来るのに、と悔しがっていた。しかし、司令官の岡村基春(もとはる)・大佐は、充分な掩護戦闘機をつければ、必ず成功すると自説を枉(ま)げなかった。まったく、こうした類いの上司は今も昔もいるもんだ。結局、部下が貧乏くじを引いて自爆することになるんだから、敵軍の将兵より自軍の将校を殺したくなる。

Ohka 4Ohka carried_under_the_belly







(右: 「桜花」を説明する絵 / 左: 「桜花」を胴体に附けている一式)

  「桜花隊」があった第721航空隊は、茨城県鹿島郡の神ノ池海軍航空基地に移転した時、「海軍神雷部隊」の大門礼を掲げたという。「神雷」の名称は、岡村司令官が「疾風迅雷」という響きから発案したらしい。昭和20年3月21日、野中少佐率いる「第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊」の一式陸攻18機と掩護戦闘機55機が出撃したが、途中で掩護戦闘機が故障して引き返し、55機が30機に激減した。また、味方の情報から、敵機動部隊は空母八隻を含む三群と分かり、敵の防空戦闘機が多数控えていることが判明した。通常なら野中隊を引き戻すところだが、司令長官の宇垣纏(まとめ)・中将は、「神雷隊は敵の目前に迫っている。必至必殺を誓っている若い連中を呼び戻すには忍びない」との意見を発し、そのまま攻撃決行を厳命したそうだ。(生寿 上掲書 p.103) そんなに「忍びない」んなら、宇垣中将自身が「桜花」機に搭乗して、自爆攻撃を「決行」すればいいじゃないか。どうして若い隊員たちに無理強いをするのか。

Ugaki Matome 2Ugaki Matome 3Genda 3








(左と中央: 宇垣纏 / 右: 源田実)

  野中部隊は敵機動部隊から50カイリ(約90km)の手前で、高性能なF6F戦闘機50機に襲われたそうだ。わずか数十分で陸攻18機は全滅し、掩護戦闘機10機は撃墜されてしまった。陸攻隊の野中少佐以下135名、桜花隊の三橋謙太郎・大尉以下15名、掩護戦闘機隊の漆山睦男・大尉以下10名、合計160名が虚しく戦死したという。「桜花」を人間が操縦する爆弾と分かった米軍は、その特攻兵器に「BAKA(バカ)」と名づけたらしい。まさくし、「人間爆弾」は馬鹿げた作戦であり、冷酷非情な攻撃であった。ところが、その責任を取って自害したのは、大西瀧治郎中将と国定謙男(くにさだ・かねお)・少佐だけである。「神風(じんぷう)特攻」に係わった指揮官や参謀は、自分の罪を贖わず、若き戦没者を「英雄」に祭り上げて、致命的な失敗に知らぬ顔を決め込んでいたのだ。老い先短い将校が長生きして、未来のある若者が自爆を強要されるなんて本末転倒だ。確かに、青年隊員たちは“志願”したが、その「志願」は、上官から「国家・民族の命運がかかっている」と力説された結果の決断である。彼らがその特攻を「無謀」で「無駄」、「非合理的突撃です」、と断れる雰囲気ではなかったのは言うまでもない。そんなに“有効的”攻撃と思うなら、米内光政・大将や阿南惟幾(あなみ・これちか)・大将が「竜巻隊」か「建武隊」に加わって、神風攻撃を実践したらじゃないか。もし「桜花」の操縦が苦手なら、人間魚雷「回天」にでも乗って、敵艦にぶつかればいい。予科練の青年だって「志願者リスト」に載っていたんだから、高齢の高級将校だって突撃できたであろう。でも、簡単な造りの新兵器「回天」を見たら、勲章をじゃらじゃら附けた海軍将校でも、「おい、本気か ?! 冗談だろう !」と驚くに違いない。

Kaiten 1Kaiten 3







(左: 「回天」 / 右: 「回天」への志願兵たち)

  「桜花隊」の戦死したパイロットは本当に気の毒だが、その出撃者を銓衡(せんこう)した上官だって辛かった。部下を訓練していた林冨士夫隊長は、青年を確実な死に送ることに耐えかねて、何度も出撃者名簿に自分の名前を書いては岡村司令官に提出したが、その都度却下されたという。第722航空隊の「竜巻部隊」を率いていた新庄浩・中尉も、自分の名前をリストに書いて岡村司令官に差し出したが、これも却下されてしまった。腹に据えかねた新庄中尉は、林中尉を連れて岡村大佐のもとに押しかけたそうだ。「なぜ指揮官先頭で行かせないのか。残されるのは堪えられません」と凄んだが、同席していた岩城副長が「そんなヤワな男は兵学校で養った覚えはない」と一蹴りした。ある朝、林中尉はタバコを吹かしながら、「明日は誰を殺そうか」と悩まずにすむ平和な世界を夢見たそうだ。彼は部下の別盃までは立ち会うことができたが、その後は人のいない方に走って行き、しゃがみ込みながら嗚咽(おえつ)したという。同じ釜の飯を食った可愛い部下を、戦死が確実な出撃に向かわせるんだから無理もない。胸が張り裂けるくらいの悲しみであり、断腸の思いとは正にこのことだ。

昭和天皇の最敬礼

Showa teno 9Showa Teno 10










(写真/昭和天皇)

  戦場で生死を賭けた士卒は苦しんだが、その悲惨な報告を受けた昭和天皇も別の苦しみにもがいていた。最初から対米戦争に大反対だった陛下は、できうる限り軍部に対する抵抗を試み、戦争回避に努められていた。しかし、南進をどうしても決行し、日本を破滅に導きたかった海軍は、陛下の大御心を平然と蹂躙し、愛国心に燃える素直な兵士を死に追いやった。最初から無謀な戦さと予想されていたんだから、我が軍の苦戦は当然の結果である。特に、装備や兵站を軽視していた我が軍は、各地で悲惨な目に遭った。例えば、アッツ島での激戦は有名だ。昭和18年5月12日、アッツ島守備の山崎部隊は、強力な米軍の攻撃を受けて、部隊長以下2千数百名の将兵が窮地に陥った。現地の戦況は極めて憂慮すべき事態となり、この状況は毎日陛下にご報告されていたらしい。5月24日、参謀総長が上奏した時、陛下より「山崎部隊は本当によくやった」との御沙汰があったので、この御沙汰は直ちに山崎部隊に伝達されたという。すると、現地部隊は「恐懼感激、最後まで善戦健闘すべき」旨の返電が大本営に送られてきたそうだ。しかし、運命の日は、5月29日に訪れた。現地部隊は最後の夜襲に先立ち、最後の電報が大本営に入り、現地では暗号書の焼却と全無線機の破壊が行われたのだ。つまり、最期を覚悟した出撃である。

  この本電は直ちに宮中に届けられ、杉山参謀総長が拝謁し、陛下にご報告を行ったそうだ。陛下は静かに上奏をお聞きになり、何ら御下問は無かったという。しかし、陛下は参謀総長に「部隊の将兵は最期までよくやった。この事を伝えよ」と仰せられた。すると杉山大将は、「畏れながら、ただいま上奏いたしました如く、無線機は既に破壊されておりますので、お伝えすることはできません」と申し上げた。ところが、陛下は「それでもよいから電波を出しててやれ」と仰せられたそうだ。(出雲井晶 編 『昭和天皇』 日本教文社 昭和8年 pp.137) たとえ現地の部隊に届かなくても、「よくやった」というお言葉は無駄ではない。陛下と兵士の心が繋がっているから、死に行く者たちには伝わっているのだ。もし普通の人間なら陛下だって、国民のようにその場で泣き崩れるかも知れない。しかし、陛下は帝國陸海軍を統率する大元帥である。あらゆる悲しみを一身に背負われて、国民の前で毅然と振る舞わねばならない。国民一人の戦死は矢の如く陛下の大御心に突き刺さる。しかし、陛下は心臓に数千数万の矢が刺さっても、激痛で跪くことはできないのだ。陛下は瀕死の将兵が発する僅かな叫び声を受け止めなければならない。これが如何に残酷な事か。戦後の日本国民はこのことを忘れているのだ。

  アッツ島玉砕の話はまさしく、陛下の真摯なお気持ちが滲み出るエピソードである。これを聞けば国民は皆感激し、たとえ辛くとも陛下の為に戦おうと思うだろう。それにしても、次々と国民が死んで行く戦況に耐えていた陛下のお心はどんなものだったのか。本当のところ、我々には陛下の御軫念(ごしんねん)は分からない。しかし、必死で戦う将兵の熱き思いを一番汲んでいたのは、大本営の将軍たちではなく昭和天皇じゃないのか。参謀総長以下、大本営の将校たちはアッツ島での敗退を、心の中で「致し方ない」と思っていたことだろう。しかし、陛下には息絶えた子供を抱く親のように、玉砕覚悟の将兵を慈しんでいたのだ。我々は陛下の純粋なお気持ちに触れると、誰でも幼子(おさなご)のように泣けてくる。もし、敗戦で陛下が絞首刑と決まったら、多くの国民が死を覚悟の上で占領軍にゲリラ攻撃を仕掛けたに違いない。日本国民にとって、陛下は命より尊い存在である。アメリカ人にはこうした君臣の絆は分かるまい。

  日本人の戦死はどれも等しいが、特攻隊の戦死は陛下にとって特に辛い現実であった。昭和20年の元旦に陛下は「晴れの御前」をお召し上がりになったそうだ。しかし、この御膳が終わってから、白い布に包まれた軍からのお膳が届けられたという。それは小さな白木のお膳で、尾がしら附の鯛と赤飯、キントン、二合の清酒が添えてあった。このお膳には「連日のごとく出撃している特攻隊員に対し、その壮途に餞(はなむけ)として出す料理でございます」との口上が附いていたという。両陛下は長い間、この料理を御覧になっていたそうで、召し上がらずにそのまま武官にお下げになったらしい。武官たちも初めて「最後の料理」を見たそうだ。彼らも祖国に殉じる若者の心情を思うと胸が一杯になったという。これを御覧になった陛下も同じお心を持っていたに違いない。(『昭和史の天皇 (1) 陛下と特攻隊』 昭和55年 p.116) 

kamikaze 3kamikaze 4






(写真 / 出撃を前にした特攻隊員たち)

  昭和20年1月の頃の話である。我が軍はフィリピン攻略の際、ルソン島中部のリンガエン湾で米軍艦隊と対戦した。日本兵は激戦の上に持久戦を強いられて大変だったという。この戦況を上奏するため、大橋戒三・大佐が参内し、大佐は陛下の机の前にルソン島の地図を広げると、特攻隊がリンガエン湾のどのあたりに突入したのかをご報告していたそうだ。大橋大佐はかがみ込みながら地図を見て、問題の戦場を指していたらしい。その時だ。突然、陛下はすっとお立ちになり、最敬礼をなされたのである。( 上掲書 p.125) とっさのことで動揺したのだが、大橋大佐は自分のイガグリ頭に、垂れ下がった陛下のご頭髪が触れた感覚を持った。大佐はその感触で、陛下が最敬礼をされていることに、初めて気がついたらしい。だが、いま頭を挙げると陛下の額に自分の頭が当たってしまうと考えた大佐は、そのまま動かずじっとしていたそうだ。その大橋大佐も、心の中で最敬礼をしていたという。大橋大佐は陛下の真摯な行為に深い感銘を受けた。大橋大佐は電気で打たれたような衝撃を覚え、しばらく興奮状態にあったそうだ。陛下は祖国の為に命を捧げた特攻隊員に、大元帥、国父、君主として最高の敬意を表されたのではないか。多くの将兵が国家と陛下の為に出陣したのである。陛下にとっては“当然”の、否、“自然”な行動であったのだろう。

Nishibe 1(左 / 西部邁)

  我が国では、毎年毎年、アホなマスコミが靖國神社を問題にして、どの政治家が参拝するのかを騒いでいる。しかし、いつも無言で英霊を慰めているのは、先帝陛下であり、今上陛下であろう。以前、西部邁は昭和天皇に法的な罪は無いとしても、倫理的責任があるから退位すべきであったと述べていた。陛下の宣言で大東亜戦争が始まったことは確かだが、それは立憲君主として拒否できない行為である。それよりも、対米戦争を仕組んだ赤い軍人や官僚、それを調子に乗って賛成した国民の方が悪い。西部氏は昭和天皇が退位することに国民が同意するとでも思っていたのか? また、当時の国民が天皇陛下に罪をかぶせて、「最高責任者だからしようがないよなぁ~」と口にする事を期待していたのか? まっとうな日本人なら、陛下が倫理的に悪かったなんて考えない。そんなのは学生運動をしでかした碌でなしの意見である。知識人の中には、「トップの天皇が責任を取らなかったから、指導層の軍人が逃げおおせたんだ」と考える奴が多い。軍部に予算をつけた革新官僚やソ連を信奉する赤い将校は彼らの同志だから、その罪過を追求したくないのだろう。しかし、英霊は絶対そのように考えないはずだ。戦場で散った将兵は、靖國で戦友を迎え、たとえ肉体は滅びても、陛下に最敬礼するに違いない。英霊が宿る祖国を蔑ろにしている現在の日本国民は、先祖が命より大切にした日本を思い出すべきだ。




人気ブログランキングへ
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ