無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2016年09月

ユダヤ人が弄ぶ淫売白人 / ハリウッドに張られた蜘蛛の巣 (前編)

役者は売春婦と同じ職業

white lady 3













  ナチス時代以前のドイツでも、甘言を使って白人娘をたぶらかすユダヤ人が、よく小説や風刺画の主題になったのもである。現在だと1940年に制作された『ユダヤ人ズース(Jew Süß)』が反ユダヤ主義映画として有名だ。これはウィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff)原作の小説を基にして作られた作品で、ヴィッテンベルクのカール・アレグザンダー公爵に仕えたヨセフ・ズース・オッペンハイマーという宮廷ユダヤ人がモデルになっている。映画の中では、貪欲なユダヤ商人ズースが貴族に近づき権力を得るや、一目惚れしたアーリア人女性に言い寄り、遂には自殺にまで追い込むというストーリーが挿入されていた。つまり、この作品の中には、美しく純粋なゲルマン人娘に下劣で醜いユダヤ人が近寄り、お金に物を言わせて性的に征服するんだ、という警告が含まれている。こんなプロパガンダ映画を観たユダヤ人は、「ナチスによる人種偏見だ」、「反ユダヤ主義者による差別だ」、と怒り狂うだろうが、1970年代以降のハリウッド映画を観ていると、あながち嘘だとは思えない。アメリカの映画界を独占するユダヤ人が制作する作品には、ユダヤ人男優が西歐系白人女性を手込めにする物語が矢鱈と多いのである。

Jew Suss 2Jew type 6








(写真 / ユダヤ人のズース)

  セム種族の遺伝子をふんだんに持つ異邦人にとって、西歐系白人女性を手込めにするのは、「成功の証(あかし)」である。よく、高校時代にモテなかったユダヤ人少年が、可愛いチアリーダーを恋人にする白人の同級生を羨み、「いつかはオレも」と思いながら勉強に励むことがある。しっかりと猛勉強して金融業界とか法曹界に入り、大金を稼ぐようになると、秘書として雇った西歐人娘と情事を重ねたり、パーティーで知り合った白人美女を妻にしたりする。これがいわゆる「トロフィー・ワイフ」で、社会的地位を築いたユダヤ人ビジネスマンの自慢となる。例えば、「ワンダー・ウーマン」で人気女優となったリンダ・カーター(Lynda Carter)と結婚したロバート・アルトマン(Robert Altman)が有名だ。1991年に彼が法律顧問を務めていたBCCI(国際金融商業銀行)が、不法営業や不正疑惑で非難された時、カーターは夫のロバートにくっついて公聴会に顔を出していた。たぶん、当時のニュース映像を覚えている方も多いんじゃないか。きらびやかな美人妻が、冴えない男に付き添っていたのだ。嫌でも目に入る。しかしながら、CIAの裏工作や資金洗浄を手助けしていたアルトマン見ていると、やっぱりユダヤ人って金融業がよく似合っているなぁ、と思えてくる。序でに言えば、BCCIでアルトマンの相棒にsっていたのは、あの元国防長官クラーク・クリフォード(Clark Clifford)であった。

Lynda Carter 2Lynda Carter 1Clark Clifford 1







(左: リンダ・カーター / 中央: ロバート・アルトマンとリンダ夫人 / 右: クラーク・クリフォード)

  ハリウッドがユダヤ人によって創設され、隅々まで支配されいることは、多くの知識人やジャーナリストが明らかにしている。例を挙げれば、『The Empire of Their Own』を執筆したニール・ギャブラー(Neal Gabler)とか、ユダヤ人記者のジョエル・シュタイン(Joel Stein)などが有名だ。また、若手のユダヤ人論客ベン・シャピロー(Ben Shapiro)がハリウッドの大物に会ってインタヴューを行い、「プライムタイム・プロパガンダ(Primetime Propaganda)」という本を出版している。一応、保守派知識人のスタンスを取るシャピロは、著書の中でユダヤ人がいかに左傾化しているか、どのようにテレビ局やマスメディアを牛耳っているかを述べていた。ユダヤ人の中には、権威に楯突くことを趣味にしている人物が多いから、我々は時たま貴重な証言を聞くことが出来てしまう。例えば、左翼系作家のアプトン・シンクレア(Upton Sinclair)は、ハリウッドのユダヤ人がどのように白人娘を扱っていたかについて述べていた。彼は女優たちの事に触れ、「ユダヤ商人はキリスト教徒の乙女を売春婦や妾として売りさばいたよなぁ。今日でも私が住む南カルフォルニアで、同じ活動を展開しているんだよね」と語っていたのだ。うわぁぁぁ !! こんなこと言ったらアメリカでは自殺行為だぞ。でも、悪名高い左翼組織のACLUに属していた過激派だから、悪魔のようなユダヤ人に対して遠慮が無い。さすが、ユダヤ人と同類の白人左翼には度胸がある。「勇気」という掛け声だけは“いっちょ前”の保守派論客とは出来が違う。ユダヤ人からの批判にびくともしないんだから、日本人はこうした図太いアメリカ人左翼に学ばなきゃ。

Upton_Sinclair_1Neal Gibler 1Ben Shapiro 1








(左: アプトン・シンクレア / 中央: ニール・ギャブラー / 右: ベン・シャピロー)

  「紙の爆弾」を投げつけるのは、何も左翼活動家ばかりとは限らない。映画「ハムナプトラ」や「ナイロビの蜂」で人気女優となったレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)が、意外な発言を行っていたのである。彼女はハンガリー系ユダヤ人の父親とカトリック信徒だったイタリア系オーストリア人の母親(後にユダヤ教に改宗)との間に生まれたユダヤ人娘である。英国籍を持つレイチェルは、ケンブリッジ大学に進んだ才女で、私生活では一度目の結婚で息子を産んだあと離婚し、「007」のボンド役俳優で脚光を浴びたダニエル・クレイグと再婚したことは記憶に新しい。彼女はユダヤ人ジャーナリストのエマ・フォレストにインタヴューを受け、ハリウッドがユダヤ人によって仕切られている事実を語っていた。エマが「ユダヤ人の民族性が役者の枠を縮めてしまう事があるのか?」と尋ねると、レイチェルは以下のように答えていた。

  まあ、いつもそう感じるんだけどけど、私たちユダヤ人はエキゾテックであることから逃れることができるのよ。私たちは一種の偽装したユダヤ人なの。大きな鉤鼻と太った顔があなたにも影響を与えているのよ。それを認めるって怖いじゃない。

  対するエマはこう述べる。

  そうね、ジャッーキー・メイソンが或るジョークを言っていたわ。ユダヤ人のように見える事を欲する女性なんか一人もいない、てっね。「もしかしたら、あなたはは私が可愛いイタリア人と思うかも知れないし、私はロシア人に見えるかも。たぶん、スペイン人に見えるのかしら。・・・・でも、やはりユダヤ人に見える」だって。

Rachel Weisz 1Rachel Weisz & Daniel Craig 3







(左: レイチェル・ワイズ / 右: 夫のダニエル・クレイグと一緒のレイチェル)

  まぁ、ユダヤ人は根本的にヨーロッパ人と違うから、どうしてもユダヤ人的な人相が目立ってしまう。ただ、昔から様々な国に住みついて、現地人と結婚したりするから、ユダヤ人的容姿が薄くなることがよくある。レイチェル・ワイズの場合、中東系のセム種族というより、チェコかハンガリーに住むヨーロッパ人女性のように見える。しかし、それでもハリウッドの映画会社はなるべくなら、売り出す役者をヨーロッパ人のように見せたい。ユダヤ風の名前だと響きが悪いから、ユダヤ人と分からぬよう英国風に変えてしまうことがよくある。映画ファンの間で知られているのは、ロシア(ベラルーシ)からの移民「イサー・ダニエロヴッチ(Issur Danielovitch)」から改名した「カーク・ダグラス(Kirk Douglas)」、ジェイミー・リー・カーティスの父親は有名な「トニー・カーチス(Tony Curtis)」だが、元の名前は「ベルナルド・シュワルツ(Bernard Schwartz)」だ。レイチェルも19歳でアメリカに進出した時、エージェントから「ワイズ」という姓を変えろと勧められたそうだ。そこで、彼女は「どうして? ユダヤ人がハリウッドを牛耳っているから? 」と尋ねた。彼女のエージェントは「そうだよ」と答えたそうだ。ところが、その理由がとんでもなく凄いものだった。彼によれば、映画会社の重役たちは「役者」を「シクサ(shiksa)」がする職業と考えていたのだ。

Kirk Douglas 1Tony Curtis 1Jamie Lee Curtis 2









(左: カーク・ダグラス / 中央: トニー・カーチス / 左: 娘のジェイミー・リー・カーチス)

  ところで、この「シクサ」とはいったい何か? 普通の日本人なら、まず聞いたことがないだろう。ユダヤ人の言葉たるイデッシュ語で、「不浄な動物」、つまり異教徒(ゴイム/家畜並みの人間)の女性を意味する侮蔑語なのだ。具体的に言えば、異教徒、特にキリスト教徒の女、すなわち淫売のように“ふしだらな”女を指している。神様に選ばれし清らかなユダヤ人にとったら、いくら演技とはいえ、人前で丸裸になったり、見知らぬ男とセックスして雌犬の如く喘ぎ、雌牛みたいに乳房を揉まれたりする西歐人の女は、穢らわしい売春婦なのだ。したがって、演技というものは貞淑なユダヤ人女性では、とても出来ない淫乱な仕事という訳である。エマによると、世界中にいる自己嫌悪のユダヤ人の中で、ハリウッドのユダヤ人が一番自らを嫌っているユダヤ人らしい。彼らは銀幕に映る彼ら自身の姿を見たくないのだ。だから、ローレン・バコール(Lauren Bacall)は素性を隠したし、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)は「ホロウッツ(Horowitz)」というユダヤ名を「ライダー」に変えてしまったそうだ。

Lauren Bacall 1Winona Ryder 4Adam sandler 2drew barrymore








(左: ローレン・バコール / ウィノナ・ライダー / アダム・サンドラー / 右: ドリュー・バリモア)

  レイチェル・ワイズの発言は更に衝撃的なものだった。

  ある意味、演技というのは売春なのよね。ハリウッドのユダヤ人達は、同胞の女性がそんな事に関与するなんて、嫌でたまらないのよ。それと、「ポートノイの不平」的要素もあるのかも。(フィリップ・ロスの小説で、露骨な性的表現が問題となった。) ハリウッドのユダヤ人たちは、ブロンドのアーリア人を夢見ているのね。(Emma Forrest, Rachel Weisz, Index Magazine)

  ハリウッドに巣くうユダヤ人は、大勢の前で淫乱な演技をするのは金髪のゲルマン人女性に限る、と思っていたのだ。しかし、そうした侮蔑とは裏腹に、彼らは憧れの人種に恥ずかしい性的行為をさせて興奮していたのである。ただ、ユダヤ人の監督やプロデューサーはヨーロッパ人同士のセックスでは癪に障るから、白人の男優をユダヤ人の男性に替えて、白人美女と性的行為をさせて、あたかも自分が美人女優とセックスをしているかのような白昼夢に耽るのだ。現実の世界では、ユダヤ人男性がアーリア系美女を恋人に出来ることは限らないから、映画の中でその願望を実現させているのだろう。例えば、ユダヤ人男優のアダム・サンドラーが主演を果たした「ウェディング・シンガー(The Wedding Singer)」では、恋人役にドリュー・バリモア(Drew Barrymore)が起用されていた。「クリック」ではこれまた美人女優のケイト・ベッキンゼール(Kate Beckinsale)が共演者になっている。

kate beckinsale 24Ben Stiller 1Teri Polo 1








(左: ケイト・ベッキンゼール / 中央: ベン・スティーラー / 右テリー・ポロ)

  精神分裂症患者がよく似合うベン・スティラーは、「ミート・ザ・ペアレンツ(Meet the Parents)」に出演し、恋人役は白人女優のテリー・ポロ(Teri Polo)が務めていた。彼女は裕福な中流階級のご令嬢で、父親役のロバート・デ・ニーロに溺愛されている、とう設定だった。そこにユダヤ人看護師役のベンが婚約者として現れ、一悶着起こすというストーリーである。何とも興味深いのは、ベンの両親役にユダヤ人のダスティン・ホフマンとバーバラ・ストライサンドが起用されていたことだ。映画の中では、この両親がヒッピー世代の左翼崩れという設定になっていたから愉快だ。ユダヤ的ユーモアがちゃんと混ぜてあった。

Barbra Streisand 3Dustin Hoffman 1Billy Crystal 2David Schwimmer 2








(左: バーバラ・ストライサンド / ダスティン・ホフマン / ビリー・クリスタル / 右: デイヴィッド・シュワイマー)

  サンドラーとスティラーの大先輩で、人気コメディアンのビリー・クリスタル(Billy Crystal)は、「恋人たちの予感(When Sally Met Harry)」に主役として出演し、恋人役のサリーにはメグ・ライアンが抜擢されていた。ユダヤ人たるビリーの恋人役ならロジー・オドンネル(Rosie O'Donnell)くらいが適役なんじゃないか。ベン・スティーラーが出演した「ポリー my love (Along Came Polly)」では、これまた金髪女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)が共演。ジェニファーは人気TVドラマ「フレンズ」でも、ユダヤ人男優のデイヴッド・シュワイマー(David Schwimmer)と恋仲になるレイチェルを演じていた。でも、私生活ではブラッド・ピットと付き合っていたから、現実と虚構とのズレは著しい。

Rosie O'Donnell 3Meg Ryan 3Jennifer Aniston 10Melanie Griffith 4


(左: ロジー・オドンネル / メグ・ライアン / ジェニファー・アニストン / 右: メラニー・グリフィス)

  だが、こんな恋愛コメディーで驚いてちゃいけない。メラニー・グリフィス(Melanie Griffith)が主演した映画「刑事エデン/追跡者(A strager among us)」では、メラニー扮する女刑事エデンが犯人を追って、ニューヨークのユダヤ教徒コミュニティーに潜入し、ユダヤ教の神秘主義者であるアリエルに恋をする設定になっていたのだ。大都会に暮らす遣り手の女刑事が、不気味なユダヤ人の聖書研究家に惚れるなんて、普通じゃ絶対あり得ない。しかも、その現実派の世俗的警察官が、金髪の北歐美人ときている。もう呆れてしまうというか、設定じたいが無茶というか、ユダヤ人の妄想には付き合いきれない。ニューヨークに暮らす実際のユダヤ教徒の中にも、白けてしまうしまう者がいたんじゃないか。

tumblr_njhcu96akJew Suss 1










(左: 好ましいアーリア系女性 / 右: ユダヤ人の役者)

  日本人女性からすれば、フィクションの世界で願望を実現化させるユダヤ人なんか、気色の悪い変態にしか見えないが、ユダヤ人制作者はゲルマン美女にエッチな行為をさせて、それを覗きながら自慰(マスターベーション)を行うのが好きなのだ。もっとひねくれたユダヤ人監督になると、白人男性に復讐しようとして、わざと黒人男優を選び、白人美女とセックスさせる設定にしているのだ。つまり、傲慢な白人男性の娘を、穢らわしい黒人に抱かせることで、ユダヤ人をイジメてきた白人どもを侮辱しているのである。白人の父親にとって、娘が黒人とセックスするなんて死ぬより辛いことなのだ。だから、ユダヤ人は「人種平等」という大義を掲げ、白人と黒人との性交だって許容されるべし、と訴えている。(しかし、そう叫んでいるユダヤ人でも黒人と結婚する者は稀で、大半は同胞か白人と結婚するのが普通である。人種混淆のニューヨークであれば、黒人とユダヤ人のカップルが多くなるはずなのに、白色系ユダヤ人ばかりなのは奇妙である。人種差別が当然のユダヤ人にしたら、最初から黒人は恋愛対象ではないのだ。) 心優しいユダヤ人は、黒人だから結婚相手にしないというのは道徳に反している、と映像を通して白人娘たちに刷り込んでいる。彼らが作る映画やドラマで、異人種間セックスのシーンが多いのは、白人を遺伝子レベルで撲滅してやろう、と謀っているからだ。こうやって平和裏に報復を遂げたユダヤ人は、ついでに大金を稼いで儲けているんだから笑いが止まらないんだろう。

Max Martini 1Tom Berenger 1Kate Bock 2Jew 3








(左: マックス・マルティーニ / トム・ベレンジャー / 西歐人女性/ 右: ユダヤ人男性)

  一方、アメリカの無力な白人男性は、ユダヤ人に腹を立てても財力に乏しいから蟷螂(とうろう)の斧に等しい。せいぜい、ラジオのトーク番組に電話を掛けて、日頃から溜まった鬱憤を晴らすしかないのだ。米国の主流メディアは皆ユダヤ人に押さえられているので、地方のラジオ局くらいしか自由に発言できる場所がないのだある。これがアングロ・サクソン系プロテスタントが建てた国家の現状である。涙がこぼれてくるほど哀れだ。こうした事情を斟酌しないと、なぜマックス・マルティーニ(Max Martini)やトム・ベレンジャー(Tom Berenger)のような顔をした白人が、エンターテイメント界のユダヤ人を憎むのかが分からない。特に、敬虔なキリスト教徒で軍人の父親は、純情な娘に穢らわしい思想を吹き込むユダヤ人が大嫌いで、どんな手段を用いようともユダヤ人の害悪から守ろうとする。藝能界で下劣な作品を作るひ弱なユダヤ人は、こうした白人どもを本能的に嫌っており、映像作品の中で愚弄する事が度々ある。例えば、北歐系白人男優には人種偏見に満ちた頑固者とか、ネオ・ナチのクズ野郎、馬鹿丸出しの貧乏人、コカインを常用するドラ息子、とかの役をあてがい、知的で正義感のある役にはユダヤ人か黒人を起用したりする。よく、優秀で善良なFBI捜査官の役を黒人が演じているのは、一部にこうした理由が潜んでいるからだ。

ウッディー・アレンの淫売たち

Woody Allen 1Jesse Eisenberg 1Corey Stoll 1Steve Carell 1








(左: ウッディー・アレン / ジェシー・アイゼンバーグ / コリー・ストール / 右: スティーヴ・カレル)

  西歐系アメリカ人が「ユダヤ人で有名な人物は誰か?」と訊かれたら、ウッディー・アレン(Woody Allen)の名を挙げる人も多いだろう。それくらい彼は典型的なユダヤ人の一人である。そのアレンが最近、「カフェ・ソサエティー(Café Society)」という映画を撮った。あまり面白くない作品だが、出演者だけは一応豪華になっている。主人公はユダヤ人男優のジェシー・アイゼンバーク(Jesse Eisenberg)扮するボビー・ドーフマンで、ハリウッドで一旗揚げたいと望むユダヤ人家庭の息子という役柄だ。彼の家族がこれまた“いかにも”ユダヤ的で“ステレオ・タイプ”の設定になっている。ボビーの父親マーテは宝石商で、兄貴のベン(コリー・ストール)は犯罪を何とも思わないギャング、妹はマルクス主義者の知識人と結婚していた。そして母親の弟、つまりボビーの叔父であるフィル(スティーヴ・カレル/Steve Carell)はハリウッドの藝能界で仕事をしており、かなりの有力者である。観客は映画の中でウッディー・アレンがナレーションを務めていることから、彼自分をボビーと重ねていることが分かるだろう。まぁ、ボビーは鏡に映ったアレンといった感じだ。

  父の跡を継いで宝石商になることを嫌がったボビーは、叔父を頼ってハリウッドにやって来た。(やっぱり、ユダヤ人だらけの宝石業界より、きらびやかな西歐人がいっぱいいる藝能界の方がいい。) 叔父のフィルは事務所に来た甥を秘書のヴェロニカ・シヴィル、通称「ヴォニー(Vonnie)」に紹介する。(ヴェロニカ役には人気女優のクリスティン・スチュワートKristen Stewartを使っている。) すると、ボビーはその美しい秘書に一目惚れ。彼はヴォニーと親しくなりたいが、彼女は他に好きな人がいるとボビーに告げる。しかし、その恋人は架空の人物で、彼女の恋人とは叔父のフィルであった。フィルの権力と財力に魅せられたヴェロニカは、この上司と結婚することに決め、フィルの方も女房と離婚して若き秘書と再婚する。いかにも、ハリウッドで起きそうな再婚劇だ。財産と地位を手に入れた中年重役が、糟糠(そうこう)の妻を棄てて、美人秘書と結婚するんだから。それにちょっと露骨だが、ユダヤ人制作者は同胞の若者に、「ビジネス界で成功すれば西歐の白人美女をモノにできるぞ」、というメッセージを送っているのだ

Kristen Stewart 7Cafe Society 1







(左: クリステン・スチュアート / 右: 「カフェ・ソサエティー」での一場面)

  一方、ハリウッドでの夢に破れたボビーは、地元のニューヨークに戻り、兄貴のベンと一緒に高級ナイト・クラブを始めていた。そこでベンはヴェロニカ・ヘイズという金髪の南部美人と出逢う。何回かデートを重ねるうちに、二人は結婚するというストーリーになっている。監督のアレンはボビーの恋人(ブレイク・ライヴリー/Blake Lively)にわざと同じ名前「ヴェロニカ」を授け、しかもユダヤ人を侮蔑するような言葉を吐く役柄にしていた。だが、ユダヤ人を嫌う南部女性なのに、なぜかユダヤ人青年と結婚するような設定にしているから奇妙である。たぶん、ユダヤ人の内面的な素晴らしさに魅了される白人女性にしたかったのだろう。でも、現実ならブロンド美人がアレンのようなユダヤ人男性に振り向くことはない。これはアレンがつ創り出した虚構だ。

Blake Livel 3Cafe Society 4





(左: ブレイク・ライヴリー / 左: 「カフェ・ソサエティー」の一シーン)

  それにしても、西歐社会に寄生するユダヤ人は、とにかくアーリア系女性が大好きである。何としても、ユダヤ人を嫌うゲルマン人たちの意識を変えたい。だから、ユダヤ人制作者たちは映画の中に、ゲルマン系美女がユダヤ人の青年と恋に落ちるシーンを挿入し、白人観客の頭に「ユダヤ人とゲルマン人との混淆」を刷り込みたいのだろう。現実的には、ユダヤ人男優の相手には、サンドラ・ベルンハルド(Sandra Bernhard)やサラ・ギルバート(Sara Gilbert)、メイム・ビアリク(Mayim Bialik)みたいなユダヤ系女優の方が適役だ。多様性を重んずるユダヤ人監督なら、朝鮮系女優のサンドラ・オー(Sandra Oh)やアフリカ系ユダヤ人女優のソフィー・オコネド(Sophie Okonedo)なんかを採用するんじゃないか。もっとも、西歐系女優を期待するユダヤ人の観客は、現実を見せつけられてガッカリするかも知れない。

Sandra Bernhard 2Sara Gilbert 1Mayim Bialik 6Korean Sandra Oh 4






(左: サンドラ・ベルンハルド / サラ・ギルバート / メ イム・ビアリク / 右: サンドラ・オー)

  ユダヤ人は同胞に対してメッセージを送るのが好きで、監督のアレンは色々な場面にユダヤ風のジョークをまぶしていた。例えば、ボビーの兄ベンは殺人の廉で逮捕され、死刑判決を受ける。しかし、ベンはユダヤ人のはずなのに、刑務所内でキリスト教に改宗し、最後は電気椅子で処刑されてしまうのだ。ベンの母エヴリンは息子の死を嘆く。「私の息子はまず殺人犯になってしてしまい、その次にキリスト教徒になってしまったわ !」と。映画を観るユダヤ人達は大爆笑間違いなし。キリスト教徒に改宗することは殺人より罪深い、という訳だ。敬虔なキリスト教徒の白人が聞いたら、「何だ、このユダ公め !! 白人の女を性的なオモチャにして散々もてあそんだ挙げ句、オレたちの信仰を馬鹿にするのか。ゆるせねぇ、ぶちのめしてやる !」と激怒するだろう。だが、米国ではユダヤ人による差別や侮蔑は罪にならないし、マスメディアから非難されることもない。ユダヤ人仲間のブラック・ジョークには寛大なのだ。これがイギリス系入植者が樹立した共和政の末路である。異邦人が社会の中枢を占めると、どんな事が起きるのか、日本人はよく噛みしめるべきだ。

  それにしても、ボビーの兄ベンをユダヤ人ギャングに設定するところなど、いかにもユダヤ人監督らしい。たぶん、アレンはラスヴェガスのマフィアとか、有名なユダヤ人ギャングのバクジー・シーゲル(Bugsy Siegel/本名はBenjamin Siegel)をモデルにしたんじゃないか。日本人が挙げるアメリカのユダヤ人といったら、物理学者のアルバート・アインシュタインとかロバート・オッペンハイマー、経済学者のポール・サミュエルソンやミルトン・フリードマンといったことろが定番だろう。しかし、ユダヤ人には有能なギャングも多く、悪名高いマイヤー・ランスキー(Meyer Lunsky/ 本名Meier Suchowlansky)はポーランド系ユダヤ人であったし、ダッチ・シュルツは(Dutch Schultz/本名Arthur Simon Flegennnheimer)はドイツ系ユダヤ人であった。その他にも、ジェイコブ・シャピーロ(Jacob Sapiro)や賭博や恐喝で才能を発揮したアーノルド・ロスシュタイン(Arnold “the Brain ” Rothstein)も見逃せない。とにかく、暗黒街で活躍したユダヤ人は大勢いて、日本では何故かイタリア人マフィアばかりが紹介されている。たぶん、アカデミー賞映画の「ゴッド・ファーザー」が印象的だからだろう。この映画が公開された当時、イタリア系アメリカ人はイタリア系移民への偏見が強まるとして、大規模な抗議デモを起こしたことがある。本来なら、もっと兇悪で狡賢いユダヤ・マフィアの映画を作ればいいのに、ユダヤ人が支配する映画会社は作らなかった。やはり、同類の恥部は隠したいのだろう。

Meyer Lansky 2Dutch Schultz 1Arnold Rothstein 1









(左: マイヤー・ランスキー / 中央: ダッチ・シュルツ / 右: アーノルド・ロスシュタイン)

  日本人はウッディー・アレンの映画を観て、これをアメリカでの「他人事」と思うだろうが、こうした洗脳作品の手法を日本の左翼映画人は参考にしているのだ。いずれ日本でも、アジア混血児の俳優が普通に登場し、豪華な商業映画で主役とか重要な役柄を演じることとなるだろう。おそらく、日本社会に於けるアジア人の混在が「当然」のものとして描かれるようになるはずだ。もう既に、朝鮮系の役者が当り前となっている日本では、半ば朝鮮社会と融合している部分がある。朝鮮系の二枚目男優とか、帰化鮮人系の美人女優とかが、日本の映画やドラマに浸透し、朝鮮人全体のイメージを良くしている。今は朝鮮らしさを押さえているが、近い将来、朝鮮人家庭の風景がドラマの中で再現されたり、帰化人家庭のホームドラマとか、朝鮮系日本人の苦悩と希望を描いた青春映画、朝鮮人への偏見を扱った恋愛ストーリーなど、様々なジャンルの作品が誕生するはずだ。そうなれば、銀幕を通して日本人観客を洗脳する時代の到来となる。もしかしたら、将来、豊川悦司とか、伊原剛志、金子賢、玉山鉄二、白竜みたいな朝鮮系俳優が増加し、ドラマの中で腐敗した日本人を逮捕する警察官役とか、卑劣な日本人から美女を救い出す好青年を演じるだろう。

Toyokawa Etsuji 1Ihara Takashi 2Tamayama Tetsuji 1Hakuryu 2








(左: 豊川悦司 / 伊原剛志 / 玉山鉄二 / 右: 白竜)

  そうなれば、日本人を侮辱するのが当り前となる。さらに、こうした反日作品には、つかこうへいや伊集院静みたいな脚本家が起用され、崔洋一の如き朝鮮系監督が指揮を任される場合だって考えられるのだ。日本人からの侮蔑を受けながら育った朝鮮系や支那系の監督は、日本人からの陰険な差別に苦しむ「弱者」を主人公にし、冷血な日本人悪役を倒す筋書きを作ったりするだろう。そこに、フィリピン人やタイ人の混血俳優を混ぜて、社会正義を主題とした映画にすることだってあり得る。無防備な日本人の観客は、井川遥とか安田成美のような朝鮮系女優が、脂ぎった金持ちのジジイとか、あるいは権力を振りかざす一流企業の重役とかに、乱暴されて犯されるシーンを見せつけられたりするのだ。こうした悪党役には、それに相応しい日本人俳優が採用されたりする。例えば、中尾彬とか塩見三省、八名信夫、今井健二とかの実力派俳優を思い出せば分かるだろう。大衆は現実とフィクションを混同する癖があるから、悪質な日本人と善良な朝鮮人という馬鹿げた図式を、いとも簡単に呑み込んでしまうのだ。

Tsuka Kouhei 2Ijuiin Shizuka 1Igawa Haruka 1Yasuda Narumi 1





(左: つかこうへい / 伊集院静 / 井川遥 / 右: 安田成美)

  確かに、映画はしょせん娯楽作品なんだから気にすることはない、という意見もある。しかし、動画による印象は強烈で、一般観客はお金を払って劇場に足を運ぶ訳だから、自ら影響を受ける準備ができている。しかも、大衆は読書と思索で自らの見識を研ぎ澄まそうとはしない。目に入ってくる面白い映像をそのまま脳味噌に入れ、無意識のうちに洗脳されてしまうのだ。近頃だと、刺青を彫った人気ミュージシャンや俳優に憧れて、自分の体に同様な刺青を彫る若者が多い。だが、子供を持った女性などは、ヤクザまがいの姿を後悔し、高額な治療費を払ってまでも、その刺青を消そうとする。激痛に耐えて消そうとするが、皮膚に染みついた墨は中々消えず、却ってケロイド状態になってしまい、変色したボコボコの皮膚になってしまう女性だっているのだ。映画の中では美人女優や二枚目俳優が、格好良い刺青を見せびらかしているが、こんなものはフィクションの世界で作られた幻想であり、現実の世界では犯罪者や下層民の焼き印に等しい。映画制作者には元左翼がうじゃうじゃいるので、自堕落な生活や暴力団まがいのファッションを礼讃する傾向が強い。破壊思想を持つ映画人は、伝統的文化や貞淑な女性像など大嫌いで、この嫌悪感が日本社会への憎悪と結びついて、反日映画を作るようになるのだ。

Shiomi Sansei 1Imai Kenji 1Naya Nobuo 1








(左: 塩見三省 / 中央: 今井健二 / 右: 八名信夫)

  本当に、ハリウッドに盤踞するユダヤ人の害悪は尽きない。後編ではユダヤ人達に性的なオモチャにされたマリリン・モンローを取り上げたい。





人気ブログランキングへ

国旗を敬うこころ / 過ぎし日のアメリカ

友よ、さらば!

Flag 5













  綾小路きみまろの<持ちネタ>に「あぁ、あれから40年、奥様も若い頃はおモテになったのでしょう?」と観客席のご婦人に尋ねる。きみまろが「お幾つで?」と訊けば、妙齢のご婦人は「65歳よ!」と2、3歳ほどサバをよんで答える。すると、「あら !? そんな年に見えない。64歳かと思ったわ !」と述べて、会場のオバちゃん達は大爆笑。「年は取りたくないですね~」と誰もが思う。「白塗りババア」と呼ばれた小池百合子知事も、昔はアシスタントとして竹村健一の横に坐って、ニッコリと微笑むお嬢さんだった。「光陰矢の如し」で月日が経つのは早い。筆者の趣味で恐縮だが、小学生の時に好きだった女優の多岐川裕美や引退したアン・ルイスもだいぶ老けてしまったし、よくレコードを聴いた実力派歌手のしばたはつみや英国人歌手のバーニー・ノーランは病気で亡くなり、懐かしいドイツ人歌手のニーナ(Nena)や「ハート」のナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)も嘗ての美貌が薄くなった。二枚目俳優の田村正和も、最近では滅多にドラマで見かけないから、きっと引退しているのだろう。(いつか、彼が主演した映画「ラスト・ラブ」についても述べてみたい。もう、爆笑といっていい程のすごい映画である。)

Takigawa Yumi 1Tamura Masakazu 1Nena 1nancy Wilson 2








(左: 多岐川裕美 / 田村正和 / ニーナ / 右: ナンシー・ウィルソン)

  前置きが長くなったけど、国家や人間にも栄枯盛衰があって、特にアメリカの変容と劣化は著しい。我が国が明治の頃、アメリカ合衆国は今とは比べものにならぬくらい素晴らしかった。福澤諭吉や内村鑑三、新渡戸稲造、高橋是清、秋山真之が目にした古き良きアメリカは、江戸時代の余韻が残る日本人にとって魅力的であったらしい。高橋是清なんか、半ば家庭内奴隷のような境遇にあったのに、米国での生活を懐かしんでいた。(彼の自伝を読むと非常に面白い。) 現代の日本人は米国を「あんな金銭至上主義で、差別大国のアメリカなんてゾっとする」と嫌悪感を抱くが、明治の日本人にとってはとても新鮮で、人種差別がある反面、意外と親切で公平さに富み、中々の美徳をもつ国として感銘を与えていたのである。何しろ、出稼ぎに行くなら絶対アメリカと考えていた日本人が実に多かった。それくらい憧れの外国であったということだ。

Hoshi Hajime 1(左 / 星佐吉)
  こんな米国に希望を抱く一人の若者が留学した。星製薬の創立者で、星薬科大学を建てた星一(はじめ/以前の名は佐吉)である。彼の米国滞在は興味深いけど、長くなるのでここでは触れない。ただ、彼が留学前に感動した話がある。当時、佐吉は小学校の教師をしていたそうだ。12歳で教員とは奇妙だが、明治19年の日本はこんなことも可能だったのだろう。それはともかく、明治の頃だと、小学校で使っていた教科書のほとんどは、米国の教科書を翻訳したものであった。ちょうど、フランス的なものからアメリカ的なものへと移行した時期だった。教師用の参考書には、次の様な物語が載っていたそうだ。

  二人の少年が、古い教会の屋根に上がって遊んでいたが、そのうち大きな音をたてて、屋根が壊れてしまった。二人のうち一人は、何とか梁(はり)に掴まることができたという。そして、彼の足首にもう一人の少年が掴まっている、という形だった。そのまま時が流れるが、誰も助けに来てくれない。梁に掴まっている少年が、足にぶら下がっている友人に言ったそうだ。

  「手が疲れて、もう、これ以上は我慢できない」
  すると、足に掴まっていた少年が尋ねた。
  「僕が足から離れたら、君は助かりそうかい?」
  「たぶん、梁の上に上がれるだろう」
  こう聞くと、ぶら下がっていた少年は、
  「分かった。じゃあ、僕から落ちよう。友よ、グッド・バイ」
  (星新一 「明治・父・アメリカ」 筑摩書房 1975年 pp.34-35)
  
  こう別れを告げた少年は、下に落ちていったという。若き星一、すなわち、佐吉少年は深く感動したらしい。彼がそれまで読んできた道徳本には、儒教臭さが滲んでいたから、こんな話は一切無かった。その他のページをめくってみても、ジョージ・ワシントンの少年時代、有名な桜の木を切った話とかがあって、佐吉にとってはどれも目を輝かせるような話で満ちていた。分かりやすくて具体的な逸話は、抽象的で押しつけがましい旧来の教訓とは違っていたのである。アメリカの教科書には、活き活きとした世界が広がっていたのだ。佐吉は生徒を前にして熱弁をふるい、彼の話を聴く生徒たちも強い印象を受けたという。

phyllis schlafly 1Clark Clifford 1America 0f 1950s 3







(左: フィリス・シュラフリー / 中央: クラーク・クリフォード / 右: 古き良きアメリカ)

  現代の日本人なら、「こんな話はでっち上げで、空想を物語っただけさ」と嘲笑うだろうが、第19世紀のアメリカ社会なら、こうした逸話が誕生するだけの素地があった。今のアメリカは、フランクフルト学派をはじめとする左翼学者や、書斎から破壊思想を語るアームチェア・テロリストなどの影響で、淫乱、怠惰、下品で卑劣になった無知蒙昧の大衆で溢れかえっているが、以前はそんな風ではなかった。少なくとも1960年代前半までは、普通のアメリカ白人は家庭の躾を重視し、下劣な行為を恥じる若者を育てていた。国務長官を務めた遣り手弁護士の(Super Lawyerと呼ばれていた)クラーク・クリフォードが著書の中で述べていたが、彼が若かった頃は、レディー(身なりが正しく気品のある婦人)がエレベーターに入ってくると、男同士の私語を慎んだそうだ。また、女性も家庭を尊ぶ教育を施され、専業主婦は立派な地位を占めていた。これは保守論壇の女帝フィリス・シュラフリーの活動と思想を聞けば分かる。昔のアメリカ人は別人のように保守的だったから、明治の偉大な日本人が感銘を受けたのも当然である。伝統ある英国を尊敬していた日本人は、新興国の米国を馬鹿にする気風もあったが、実際に訪れてみると立派な紳士や軍人がいたので、日本で持っていたイメージを反省したそうだ。米国を訪れた日本人の紀行文や随筆を読むと、驚くような体験記が書かれている。

America 1950 Clint EastwoodAmerica of 1950s 5









(左: 1950年代のクンリト・イーストウッド / 右: 良き時代のアメリカ人家庭)

国旗に恥じぬ行いを

  日本だと家の軒先に日の丸を掲げると、国粋主義的な右翼の家庭と見なされてしまうが、米国だと当り前のように国旗を庭先に掲げていたりする。高校生や大学生だと、自家用車のボディーに星条旗のシールを貼ったり、部屋に小さな国旗を飾ったりと、もう日常生活の一部としてすっかり溶け込んでいる。中には、まだ星の数が少ない頃の古い国旗を持ってる若者だっているから、国旗への愛着は尋常ではない。筆者もある友人から、彼の家に代々伝わる古い国旗を見せて貰ったことがある。その色褪せた星条旗は彼の家宝であったから、取り扱いは非常に丁寧で、日本ではちょっと考えられないくらいだ。アメリカ人は星条旗を「オールド・グローリー(Old Glory)」と親しみを込めて呼んでいる。それを考えると、日の丸を切り刻んだ民主党の連中などは不届き千万で、民衆から半殺しにされなかったのは不思議なくらいだ。日本は平和というか異常である。

Flag 8Flag 4








(左: 国旗を縫う婦人たち / 右: 国旗に忠誠を誓う少女)

  今ではアメリカも随分と変わってしまい、国家や国旗に対して反感を抱く者も増えたが、左翼思想が蔓延する前のアメリカでは、学校の教師が子供たちに様々な逸話を教えて、星条旗への敬意を染み込ませていた。例えば、第一次世界大戦の時に起きた海戦での逸話である。ドイツ軍の潜水艦が米軍の艦船チェムング号を攻撃し、沈没させたことがあったという。ドイツ潜水艦の艦長は、敵艦のジョン・L・ダフィー艦長に、国旗を降ろすよう、つまり降伏せよと命じたが、ダフィー艦長は部下にこう命じた。

  我々の国旗は本艦と共に沈むのであって、その前ではない。

船に海水が流れ込んできたが、国旗は帆柱の尖端に高く掲げられていたそうだ。そして、船が次第に海へと沈んで行く時、最後に消え去ったのが星条旗であったという。(Grace A. Turkington, My Country, Ginn and Company, New York, 1918) アメリカの子供達は、星条旗は勇敢な国民と正しい戦争だけを行う国家を象徴するものだ、と教わっていた。自由を尊ぶ共和政の米国は、野望に満ちた君主が引き起こすような戦争はしないんだ、という自負があった。今となっては信じられぬ誇りだが、第二次世界大戦までのアメリカ人は、みんなそう思っていたのである。

Flag 10Flag 1










(左: ジョージ・ワシントンに国旗を渡すベツィー・ロス / 右: 国旗に忠誠を誓う子供たち)

  国旗の重要性を教える話は色々あるが、オハイオ州の或る町で起こった逸話がちょっとおもしろい。日本の中学校に当たるグラマー・スクールでは、毎朝みんなで集まって国旗を掲揚する習慣があった。生徒たちは星条旗がポールの尖端に上るまで、じっと注目せねばならない。そして、国旗が高々と掲げられると、生徒全員で忠誠の誓いを述べることになっていた。

  私は我が国旗と共和国、則ち、それが象徴する皆の衆に自由と正義をもたらす、不可分たる一つの国家に忠誠を誓います。I pledge allegiance to my flag and to the republic for which it stands, one nation indivisible , with liberty and justice for all. (これは当時の古いバージョン。)

  ところが、ある日のこと。校長先生は子供たちに、「今日は国旗掲揚を行いません」と告げたという。これを聞いて生徒たちは驚いた。しかし、校長先生はその理由を話したそうだ。昨日の午後、学校の少年たちが帰宅途中に、あるイタリア人が所有するカートをひっくり返してしまった。カートには野菜が積んであって、そこからは人参やじゃがいもが投げ出され、道端に転がった野菜を見て少年たちは笑い声を上げ、さっさと逃げ去ったそうだ。それを見ていた幾人かの少女たちも、一緒になって笑っていたという。このイタリア人はアントニオ・アポロニオという名前で、セダー通りに住んでいた。この悪戯(いたずら)をしでかした少年たちが野菜を弁償し、ちゃんと謝るまで学校で国旗を掲げないことになったらしい。先生に叱られた日の夕方、十名の少年たちはアポロニオ氏の家を訪ね、10ドルを手渡して謝罪したという。最後に謝った少年は、家を去ろうとしたとき、アポロニオ氏に小さな国旗を差し出したそうだ。(上掲書 pp.363-364)

Flag 3Flag 2









  何処の国かと疑ってしまうような、心温まるエピソードである。現在のアメリカでこんな素直な少年は滅多にいないんじゃないか。国旗に対する真摯さがまるで違う。それにしても、今の日本なら、学校に通う生徒が悪戯をしたから、国旗を掲げません、なんて言う校長先生は想像できない。日の丸を憎しみの対象としか見ていない教師が大勢いる日本で、「国旗に対する恥を知りなさい」と説教できる教師はいないだろうし、叱られた子供だって「先生、何言ってるの?」と不思議な顔をしてしまうだろう。国民全員が「正しい」と認める規範が無い国家では、大人はどうやって子供に善悪を教えていいのか迷ってしまうのだ。例えば、以前「援助交際」という少女売春が話題になったが、大人はなぜセックスと交換にお金や品物をもらってはいけないのか、少女たちを納得させることができなかった。売春も肉体労働の一つだから、体を使って稼いでなぜ悪いのか、と反論されれば、大人たちはお手上げだ。倫理道徳は理窟を附けて教えるものではないから、子供が小さい時に無条件で叩き込むべきものである。国旗への忠誠も同じで、「どうして日本国に忠誠を誓うべきなの?」と訊かれて、ぐちゃぐちゃ説明することはない。ただ、親とか周囲の大人が自然と国旗に敬礼をする姿を見せれば、子供だってそこに何らかの神聖さや畏敬の念を見出すはずだ。

  敗戦後の日本は国家を貶める進歩的文化人の天下であった。自由・平等・人権・民主主義とかいう空虚な価値観をまき散らし、明るい社会主義の時代を予言していたのである。心の底では全体主義者だったのに、個人を尊重する振りをしながら、国家に殉ずる心は時代遅れで、軍国主義の臭いがする、と批判していたのだ。しかし、国家があるからこそ個人があるのだ。国家という庇護者が無いのに、個人が自由を満喫できるなんてことはあり得ない。ちょっと前までは、国防軍が無いのに「毅然たる態度で外交を行え」と叱責する朝日新聞が、大きな顔をして一流新聞を気取っていたのである。健全な日本国民は朝日新聞の社旗が早く沈むように、不買運動を呼びかけるべきだ。でも、変節漢の一面を持つ朝日のことだから、「右翼保守のみなさん、これは旭日旗を模したものなんですよ!!」と命乞いをするかもね。




人気ブログランキングへ
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
黒木頼景の本
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ