無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年03月

ねじれた心は治らない / 日本人になれない朝鮮系帰化人


日鮮混血児が普通になる

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(左: 朝鮮藝術の傑作 / 右: 朝鮮人の子供たち )


  賤民には二種類いて、意気地無しの弱者と上昇志向の強者だ。他人の国に寄生する「異邦人」ゆえに、自分ではどうしようもならない運命を受け容れて、地べたを這いずりながら“いつの間にか”居なくなる人生を選ぶ者がいる一方で、その悲惨な宿命を撥ねつけ、己の才覚を頼りにして出世を謀る「成り上がり」がいる。こうした野心家が用いる主な手段は二つ。大金を稼ぐか権力を手に入れるかだ。西歐ではユダヤ人がこれに該当し、日本では朝鮮人がその典型例である。

  在日や帰化を問わず、日本に暮らす朝鮮人に共通しているのは、彼らの頭上に君臨する日本人への深い怨念である。これは彼らが代々受け継ぐ朝鮮人の肉体に宿る情念で、その血と骨と肉からほとばしる復讐の炎は何ぴとたりとも消すことはできない。いつか日本人を見返してやりたい、と研鑽を積む朝鮮人はある意味立派だ。ただし、朝鮮人というのは自尊心の塊みたいな連中で、やたらと気位が高く「偉人」「大人」になりたがる。身の程知らずという場合が多いから、案の定、実力不足で失敗する奴が多い。結局、彼らが世間の注目を浴びるのは、婦女強姦で逮捕される時とか、反日活動で暴れ回る時くらいだ。それでも、日本に帰化した朝鮮人が藝能界やスポーツ界で成功することは微笑ましい。和田アキ子や錦野旦(あきら)、岩城滉一、金村義明、長州力などは日本で生活できて幸せだ。南鮮に生まれていたら低学歴を背負ったまま、希望の無い労働者か失業者、事によったら自殺者になっていただろう。朝鮮に「絶望」という枕詞が似合っているのは偶然ではない。

  朝鮮人というハンデを背負いつつも、賤しい身分から抜け出た藝人はまだマシな方である。学問を身につけた知識人などは公害そのものだ。知能が低いことから大学教授にしかなれない鮮人ゴロは、どうにでも解釈できる民俗学とか比較文化学、社会学、政治学、法学を専攻し、学校からの給料を食みながら日本破壊に勤しむ。こんな左翼知識人はシロアリと同類で、なるべくなら駆除したいところだが、「学問の自由」を楯に取るから難しい。特に文系の教授になれば、どんなに馬鹿げた論文を書いても「独自の哲学」と言い張れば済んでしまう。洗脳に近い授業でさえ、それを阻止する手段は無いから、雪崩でサーフィンをする熊と同じだ。ただし、その洗脳様式は違っているようで、1970年代まではゲバ棒を担ぐ左翼がキャンパスを堂々と闊歩していたが、最近は校内のお洒落なカフェテラスに集まって、「原発を廃絶せよ!」とか「安保法制反対!」と議論している。共産党の若い衆でもマルクス・レーニン全集を読破しないそうだから、随分と時代は変わったものである。故・谷沢永一先生が共産主義に傾倒していた頃は、みんな熱心にマルクスの理論を勉強し、誰が一番のマルキストか競ったそうである。そういえば、有名な政治学者のジャイムズ・バーナム(James Burnham)も、若い頃はトロツキー主義者だったから、優秀な若者はほとんど社会主義に憧れていたのだ。

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(左: カール・マルクス  / ジェイムズ・バーナム  / 谷沢永一  / 右: 福山哲郎 )

  とにかく、そんな朝鮮人の中でも、権力の座に就いた朝鮮人は一番厄介だ。森友学園問題でしゃしゃり出てきた福山哲郎(旧姓「陳」)を見ていると、安易に朝鮮人の帰化を許すことが如何に危険かが分かる。彼らは根気強く機会を待つから、常に権力奪取の機会を見逃さない。しかも、朝鮮人には我々が忘れてしまった「ハングリー精神」がある。つまり、どんな手段を使っても社会の階段を昇ろうとする野心を抱いているのだ。確かに、彼らは少数派で世間から見下されているが、それゆえに団結心が強く、日本人を共通の敵として結束を図る。同胞から候補者が出れば表と裏の両方から支援すし、応援された当人も同胞の期待を裏切らぬよう必死になるので、なり振り構わぬ選挙戦を展開し、頭がすり減るほどの土下座でも厭わない。屈辱や惨めさには慣れている。それに、朝鮮系候補者には政治理念なんて高尚な謳い文句は必要ない。朝鮮人の顔をぶら下げて街中を歩き回り、同胞の鮮人に“それとなく”アピールすればいい。その一方で、日本人有権者に対しては歯の浮くような公約を並べてちょろまかせばいいと思っている。バカは甘言を用いて騙すのが一番。要は、どんな方法でも当選すれば出世の第一歩になるという訳だ。

朝鮮人は嫌い!!

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  日本人には致命的な弱点がある。それは何か? 簡単に言えば「心が優しい」という長所だ。日本人が主体の日本社会で、こうまでも朝鮮人が“つけ上がる”事ができたのも、日本人が過剰なまでに彼らの気持ちを忖度し、自分の利益を犠牲にしてまで彼らを“いたわる”心を持っているからだ。朝鮮人には無縁の「気配り」を持っている日本人は本当にお人好しである。彼らの親分格に当たる支那人なら、格下の劣等民族を優遇することなど、天地が逆転しても、はたまた木星が地球に衝突しても絶対にあり得ない。朝鮮人が文句を言ってきても支那人なら前蹴りで叩きのめすか、金属バットで鮮人の頭を殴って場外ホームランにするだけだ。刃向かう奴は皆殺しが支那人のモットーであるし、それ以外の民族でも鉄拳制裁が「グローバル・スタンダード」である。ところが、「相手の気持ちを察する」という神様だってしないことをするのが日本人。旧約聖書を読むと分かるけど、イスラエルの民が聖なる箱を牛に積んで運んでいた時、その牛がよろけて箱が落ちそうになった。そこで、側にいたウザが箱を押さえると、ヤハウエは激怒してウザを打ち殺してしまったという。(サムエル記下 6章 7節) 問答無用の即決死刑なんだから、中東アジアの神様は厳しい。でも、温和な日本人が例外なだけかもよ。

  ここでわざわざ日本人の国民性について触れたのは、朝鮮人が日本社会でどんな育ち方をするのかを考えたいからである。誰でも容易に理解できるだろうが、朝鮮学校に通わず日本の学校に入ってくる朝鮮人は、日本人児童とは違った経験を積みながら成長する。そして、彼らの中には日本人に対して屈折した感情を抱いている者が多い。現在あちこちにいる朝鮮人の子供を見ても余りよく判らないが、昭和の後期に成人した帰化鮮人とか在日鮮人を観察してみれば、彼らの辛い体験がその子供や孫に伝わっていると窺い知ることができる。意識的にせよ無意識的にせよ、朝鮮人の子供が毎日接する両親や祖父母からの影響は絶大なもので、彼らの性格や気質、癖、行動、話し方に至るまで、朝鮮人的な特徴が滲んでいるのはそのためだ。

Sato Katsumi 1(左  / 佐藤勝巳 )
  今はもう殆どの人が忘れかけているが、故・佐藤勝巳が「現代コリア研究所」を運営していた。その研究所の前身は「日本朝鮮研究所」で、そこから『朝鮮研究』という雑誌が刊行されていたことはあまり知られていない。だが、1969年の7月号で朝鮮人教育についての座談会記事があり、興味深い会話があったので紹介したい。集まったのは小学校教員の佐々木勝男と中学校教師の滝尾紀子、奈良和夫、高校教師の野口淳、所員の小沢有作、そして佐藤勝巳という面々だった。当時、日本の学校には10万人くらいの在日鮮人子弟がいたそうで、日本人教師は鮮人生徒への教育と配慮に苦労したらしい。というのも、クラスに朝鮮人の子供がいても、教員がその子の血統や家族構成を知らないこともあったし、日本人の子供たちもその素性を知らなかったり、知っていても知らぬ振りをしていたりと様々で、子供を束ねる立場の教師は異民族の子供をどう扱ったら良いのか、明確な方針が無かったそうだ。歐米白人の子供なら容姿だけで一目瞭然だから、日本人の生徒や教師も「外人の子」と判るし、当人たちだって日本の子供とは違うことを早くから自覚しているから、妙にひねくれることもなく自然に成長することができる。だいいち、彼らが日本人に対して劣等感を抱き、いつまでもその感情に苛まれるケースなどほとんどない。

  ところが、朝鮮人の子供だと複雑だ。まず、見た目で日本人と似ている子がいる一方で、何となく「アジア風」というか、当り前だけれど、“朝鮮人みたいな”顔附きの子供が居るからである。例えば、大統領になった李明博は幼いころ大阪に住んでいて、「月島」という通名(偽名)を持っていたが、近所の大阪人じゃなくてもあの顔を見れば朝鮮人と判るだろう。また、朴正煕は「高木」という日本名を持っており、金泳三は「金村」、金大中は「豊田」を名乗っていたが、彼らの容姿を目にして日本人と考える者はそう多くはいないはずだ。だから、子供でも朝鮮人がクラスメートとして入学してくると、その顔立ちやしぐさから微妙な違いを嗅ぎ分け、「どうも日本人じゃない」と認識するらしい。そして子供は往々にして露骨だから、「えぇぇ~、朝鮮人きら~い。隣に坐らないで!」とか「やだぁ~気持ち悪い、あっちへ行って !」と口にしてしまうことがある。これはいくら教師が注意しても根絶できない拒絶反応だ。幼児でも好き嫌いがはっきりしているようで、美人の保母には抱きつくのに、ブスの保母だと避けてしまう。(たぶん、本能的に反応してしまうんだろうなぁ。) 子供は自分の気持ちに正直なだけに、民族平等の「建前」を仕込む教師には苦労が絶えない。

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(左: 朴正煕   /  朴槿恵  /  金泳三 /  右: 金大中 )

  座談会の席で、奈良氏や小沢氏は子供たちの朝鮮人認識に言及していた。彼らの経験によれば、日本人の子供たちは級友が朝鮮人と判っていても、それに気づかない振りをしていたそうだ。教師の方も特別な配慮を示していたらしく、朝鮮人問題を持ち出せば、日本人生徒が抱いている偏見に火をつけることになるし、朝鮮人生徒にも無用な劣等感を植え付ける事態になるから、なるべく「その事」に触れない方が良いと考えていたらしい。つまり、厄介事を恐れていたということだ。彼らの会談で興味深かったのは、滝尾氏が朝鮮人の子供が居ないことを確認した後で、日本人の子供たちだけにアンケートを行った時の結果である。そこでは大抵の子供が朝鮮人について「何となくいやだ」という回答を書いていたのだ。(「朝鮮をいかに教えるか」 『朝鮮研究』 1969年7月号 No.88、 p.18) 小学生だから具体例を挙げて論述できなかったのだろうが、どうしても好きになれないという感情だけは確かだったのであろう。小沢氏によれば、小学四年生くらいになると、フランスとかスイスは良い国という認識があったそうで、これはテレビや雑誌を通しての感想であったらしい。しかし、僅かな間接情報であっても、日本人の子供にはヨーロッパ人がどことなく素晴らしいと思えたのかも知れない。

  小学五年生を担当していた佐々木氏も、クラスの子供たちにアンケートを行ったことがあるという。彼は以前四年生の子供にも行ったそうだが、まともに答えを書けたのは十人くらいであったそうだ。ところが、五年生になると全員が答えられてというから、一年の差は大きいと言える。佐々木氏は三項目ほど質問を用意したそうで、まず「朝鮮人と言って何を思い出すのか」を問い質したそうだ。すると、ある子供たちは朝鮮料理や朝鮮漬けと答え、またある子供は「朝鮮人の暮らし向きが悪い」とか「面白い言葉を使う」と書いたらしい。中には近所に朝鮮人が経営する飲み屋があるので、「朝鮮人はバーをやっている」と答えた子がいたそうだ。まぁ、普通の子供は朝鮮人を普段意識しないし、アニメや漫画と違って朝鮮人には「これ」といった魅力に乏しいから、この程度の連想しかできないのも無理はない。

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(左: 戦前の朝鮮人  / 右戦: 後の朝鮮人 )

  佐々木氏は危険な事とは知りつつも、「朝鮮人を好きか嫌いか?」という質問を出したそうだ。すると、38名の児童のうち、「嫌い」と選択したのは17名で、「どちらでもない」と答えたのは約20名だったという。ところが、「やっぱり!」というか「当然!」というか、「好き」と答えた子は皆無だった。( 上掲書 p.21) 「嫌い」と答えた子供の中には、朝鮮人の世話を受けた者もいたのに、それでも「好き」と表現しなかったという。そこで、佐々木氏は嫌いな理由を尋ねてみたそうだ。ある子供は「朝鮮がアメリカの飛行機を理由もなく撃墜したからだ」と述べ、別の子は「日本人じゃないから」とか「単純、野蛮だから」と答えていた。さらに、「怒りっぽい」とか「すぐ興奮する」と答えた子が10名ほどいたらしい。佐々木氏はこうした理由をテレビやラジオに影響されたものとか、大人の偏見によるものと考えていたが、案外、大人でも同じような回答を述べるも知れないぞ。特に、ちょっとしたことで直ぐ激怒する短気な朝鮮人とか、興奮して見境も無く喧嘩を始める朝鮮人の不良、あるいは物凄い形相で脅迫してくる在日鮮人の群れといった光景は、誰でも容易に想像がつくだろう。

  日本人教師だってどのように朝鮮問題を扱っていいのか分からないくらいだから、小学生の朝鮮人が自分自身をどう認識したら良いのか戸惑っていても不思議ではない。佐々木氏のクラスには松山君という朝鮮人の児童がいたという。彼はその子を四年生の時から受け持っていたそうで、一番手こずった子供であったと回想している。松山君は教師の前では非常に立派な振る舞いを見せていたのだが、佐々木氏がいなくなると掃除をさぼったり、校庭の片隅でみんなを殴ったりしていたそうだ。佐々木氏は松山君が普段抑圧されているからこのような行動を取るのだ、と推測していたが、本当に周囲からの「抑圧」だけが原因だったのか怪しいものである。もしかしたら松山君の行動は、彼の両親の性格や慣習を反映したものかも知れないのだ。朝鮮人にとっては、床磨きとか便所掃除といった労働は、朝鮮社会で蔑まれていた「奴婢(ぬひ)」や「白丁(ぺくちょん)」のするとこだし、気にくわないことがあると直ぐ暴力に訴える姿は、朝鮮人家庭でよく見かける光景だ。家父長制の残滓を引き摺る朝鮮人家庭だと、酒乱の「オヤジ」は珍しくない。下っ端仕事でむしゃくしゃするのか、朝鮮人の父親は赤提灯で泥酔し、誰も手をつけられないから、引き取りに来た女房子供が肩身の狭い思いをする事はしばしばだった。以前、当ブログでも朝鮮人男性に嫁いだ日本人女性を紹介し、畳の上に大便をする朝鮮人義父について述べたことがある。  

  一般に子供というものは、理路整然とした議論はできないが、周囲に漂う「空気」を読む感覚だけは優れている。大人が注意したり命令した訳でもないのに、親とか教師が敏感となる問題に触れようとはしないのだ。佐々木氏が子供たちに「誰か朝鮮人を知っているか?」と尋ねると、クラスのみんなが松山君に注目し、ざわつき始めたという。しかし、当の松山君は真面目な顔をして静かにしていたらしい。ここで注目すべきは、子供たちが松山君を朝鮮人だと知りつつも、そのことに敢えて言及しようとは思わなかった事である。佐々木氏はそうした情景を目にして辛かったと回想し、子供たちにも彼らなりの「智慧」という心得があったと述べていた。(上掲書 p.22) 子供たちは「朝鮮人」というのが何らかの「下人」と解釈していたのだろう。考えてみれば、「アメリカ人」や「フランス人」、あるいは「白人」とか「黒人」なら平気で口にできるのに、「南鮮人」とか「北鮮人」になると急に口が重たくなるのは変だ。平成の今でも、TBSやNHKのアナウンサーは南鮮人を恭しく「韓国のかた」と呼んだり、「お隣の韓国では」と親しみを込めて紹介したりする。それなら、彼らは「お隣の台湾」とか「お隣のハワイ」と言うのか? TBSは卑屈なまでに北京政府に気兼ねをしていてバレーボールの国際試合を放送した時、台湾人のチームを「台湾」と呼ばず、「チャイニーズ・タイペイ」と呼んでいた。一般の日本人には理解しづらいが、支那人だけは“特別に”二つのチームが出場できるのか? こんな調子だから、日本のマスコミが「半島人」とか「鮮人」、「不逞鮮人」なんて使うはずがない。

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(写真 / 朝鮮人の子供)

  1960年代や70年代の子供だけが朝鮮人に偏見を持っていたのか、と言えば、そうでもなく、教師側も朝鮮人に関する“お決まりの”印象を持っていたそうだ。例えば、キムチに代表される「朝鮮漬け」とか、廃棄物や金属片を拾っていた鮮人が多いことから「クズ屋」、虐げられた民族、野蛮人といったイメージを抱いていたらしい。また、臭いとか、怒りっぽい、白い着物を着ている、日本人より身分が低い、といった意見もあったそうだ。(上掲書p.23) 佐々木氏によれば、朝鮮人については教師も生徒もほぼ一致した感想を持っていたというから、案外まともな観察をしていたのかも知れない。朝鮮人生徒を監督する教師は、日本人らしく公平に彼らの「長所」、つまり「強い根性を持っている」とか「ねばり強い」点を挙げていた。確かに、朝鮮人でも根気強く物事に打ち込むことはあるが、その余波で「恨み深い」とか「しつこい」といった気質が目立ってしまうのだ。いい年をしたババアが子供みたいに地面にしゃがみ込み、「日本人は植民地支配を謝れニダぁぁぁ~」と泣き叫んだり、恐ろしいツラをした鮮人が群れを成して税務署に雪崩れ込み、「我々から税金を取るのは許せなぁ~い !」と連日怒鳴ったりするんだから、日本人が鮮人を馬鹿にしても当然だ。現在でも、国家同士で締結した日韓条約を無効と考え、個人賠償を求める鮮人が雲霞の如くいるんだから参ってしまう。昔、“しつこい汚れに、マジックリン”というTV宣伝があったけど、朝鮮人の「しつこさ」は便器の黄ばみより頑固だ。洗浄剤をふりかけても消えない朝鮮人はナメクジよりも“タフ”である。

  つくづく厭になってしまうけど、朝鮮人を受け持つ日本人教師は大抵、彼らに媚びるか御機嫌を取るかの手段を考えてしまいがちだ。朝鮮人の気持ちを忖度する佐々木氏は、鮮人の子供が怒りっぽいのは彼らの置かれた生活環境、そしてマスコミによる歪んだ民族観にあると判断し、適切な学習を通して解消しようと考えていた。そこで、難解な役目を果たすために、彼が朝鮮人問題を勉強しようとした心意気は良かったが、その勉強方法や参考資料に問題があった。例えば、佐々木氏は朝鮮の歴史や在日問題を調査するに当たって、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』を読んで勉強していたのである。今ではこの書物が捏造本と判明しているが、当時は事実を暴露した歴史書と考えられていた。朝鮮には魅力が無いので、大半の日本人は朝鮮史を学ぼうとしないから、たとえ教師であっても余程の知識人で無い限り真実の朝鮮史は分からない。だいいち、朝鮮の歴史書を出版する学者がみな左翼か朝鮮シンパなんだから、一般国民が読む「史書」は「宣伝本」か「アジビラ」の類いである。日本では朝鮮問題の専門家と紹介されるブルース・カミングス(Bruce Cumings)などは、朝鮮人に侍る札付きの極左で、朝鮮総督府の資料も読めない低級学者である。したがって、朝鮮人児童のために自ら朝鮮史を勉強しようとする教師は、真面目であればあるほど狡猾な「洗脳本」に引っ掛かってしまい、無意識のうちに自虐史観に染まってしまうのだ。そりゃあ、いくら判断力のある学校教師とはいえ、図書館の棚に並べてある「学術書」が全部「トンデモ本」とは思わないだろう。

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(左: ブルース・カミングス   /  金日成   /   寺尾五郎  /   右: 槇枝元文 )

  日本人教師が無邪気な子供たちに、暗黒の支那大陸や陰惨な朝鮮半島を教えるのは難しいし、時として有害な事だってある。「日本軍は支那を侵略し、朝鮮の人々を抑圧しました」と単純に思い込む教師が、小学生や中学生に一時資料に目を通し、左翼学者の論文を検証しなさい、と指導することなどあり得ない。たいてい、朝鮮人の子供が傷つかぬよう、できるだけ明るい話題や自慢できそうな文化を紹介したりする。例えば、佐々木氏は松山君のリクエストに答えたのか、南北朝鮮について子供たちの前で話をし、「北鮮ではお百姓さんは税金を取られない」とか「北鮮の子供たちは学級費を払わなくてもいいんだよ」と教えていたそうだ。現在の我々なら佐々木氏に向かって「あんたアホか?  こんなの北鮮のデマだよ!」と注意するだろうが、社会主義全盛期の昭和40年から50年代だと、北朝鮮が「地上の楽園」と錯覚する日本人が多かった。進歩的知識人に感化された学校教師は、金日成の指導のもとで貧しくとも真面目に働く人民の姿に感動していたのだ。しかも、日教組のトップには左翼教員の総帥たる槇枝元文(まきえだ・もとふみ)が君臨し、尊敬する金日成を絶賛していたんだから、ヒラ教師が北鮮ファンになっても不思議じゃない。今では忘れ去られているけど、北鮮の嘘を宣伝した寺尾五郎は在日鮮人から物凄く怨まれていた。彼に騙されて祖国に帰った在日鮮人は地獄の日々を過ごす事になったから、日本に残った家族や親戚は恨み骨髄だ。しかし、多少りとも朝鮮人が日本からいなくなったから、結果的には良かった。

盗作の常習犯たる朝鮮人

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(写真  /  歐米のミュージシャンを真似たような南鮮人グループ )

  朝鮮人の子供を憐れむ教師にはあるジレンマがあった。教育者として朝鮮人に生まれた生徒に自信をつけさせてやりたいが、朝鮮人の真実を伝えれば彼らはショックを受けてしまうし、かといって事実を枉げて嘘を教えればいずれバレてしまう。とりわけ、日韓併合による日本統治を教えようとすれば、当時の国際政治とリンクする歴史的経緯を述べねばならないし、それを理解するための基礎知識だって必要となる。また、どうして在日朝鮮人が発生したのかを話し出せば、敗戦後に起きた凄惨な事件や朝鮮人の密入国、闇市での横暴、共産主義運動、政府転覆工作、日鮮共同の暴動など、おぞましい暗黒史に言及する破目になってしまう。朝鮮人の過去は幼い子供の理解を超えているし、本人も聞きたくはない。それにもし、こんな事実を朝鮮人の子供に教えたら、その子は朝鮮人に生まれた事を呪ってしまうだろう。さらに、これを聞きつけた親は「怒髪天を突く」といった勢いで学校に乗り込んでくるから、雪だるま式に問題が大きくなってしまうはずだ。だから、日本人の教師は「キムチって美味しいね」くらいしか発言できない。口に出しては言えないけど、朝鮮文化を賞讃するといったって、クズ野菜の漬け程度しか褒めるものがないんだから、心優しい教師に同情したくなるじゃないか。

  日本人の子供がいる学校のホーム・ルームで朝鮮を称えることは更に難しい。朝鮮人の生徒が胸を張れるよう、出身国の文化を賞讃しようにも、肝心の南鮮があの体たらくだ。昭和の頃なら、教師が言葉巧みに口八丁手八丁で生徒を騙すこともできようが、コミュニケーション手段が発達し、パソコンで様々な情報が入手できる現在では「子供騙し」が通用しないので、朝鮮文化を“持ち上げる”教師は窮地に陥ってしまうだろう。いくらK-Popsとか韓流ドラマを用いて朝鮮文化を「素晴らしい」と讃美しても、虚偽と妄想の二十倍とも三十乗とも思える作品じゃあ、今の子供を丸め込めない。それに、子供が最も関心のあるアニメや漫画の分野では朝鮮人が「常習犯の泥棒」となっているのだ。例えば、タカラトミーが手掛ける「トランスフォーマー」とそっくりな「ハローカーロボット」という南鮮アニメを見たら、子供だって「あっ、朝鮮人がパクってる!!」と騒ぐだろう。南鮮で人気を博しているロボット・アニメの「テコンV」は、日本の「マジンガーZ」の盗作だし、図々しい朝鮮人は事もあろうに「ドラゴンボール」を真似て「スーパーキッド」、「ドラえもん」は「トンチャンモン」、「ピカチュウ」は「パワモン」と称して類似作品を作っているのだ。(2015年3月12日附「産経新聞」)

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(左: 「テコンV」  / 「トンチャンモン」  / 「スーパーキッド」 / 右: 「らむば1/3」  )

  もう呆れて笑ってしまうのは、「らんま1/2」をパクって、「らむば1/3」を作り、「ワンピース」に至っては「ワピース」というコピー作品をこしらえたそうだ。すご~い。これなら「らんま1/4」に引き続き「らんま1/9」、さらに続いて「らんま1/135」とシリーズ化できるんじゃないか。「ゴルゴ13(Golgo 13)」の単行本だって今のところ184巻までしか出ていないが、朝鮮人なら朝鮮訛りで「コルコ14(Colko-14)」を創作したり、百貨店みたいな「パルコ109」とかの漫画を書いて、800巻くらい発売しそうだ。たぶん偉大なる朝鮮人のことだ、「デューク東郷のモデルは朝鮮人だった」と捏造して、超A級スナイパー「ゴルゴ」の起源は朝鮮半島だと言い出しかねない。日本人が「その根拠は何か?」と尋ねれば、伊藤博文を暗殺した金玉均と答えるかも知れないぞ。調子に乗った朝鮮人が「北斗神挙はテコンドーが基(もと)になっている」とか、「空条承太郎や花京院は元在日だ」と言い出したら、日本国民は遠慮無く朝鮮人を戦車で轢いてやれ。どうせ陸上自衛隊は10式戦車を実戦に使えないんだから、自衛官だってこっそり貸してくれるさ。それにしても、朝鮮人の「ウリジナル(オリジナル)」恐るべし。

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(左: 「宇宙戦艦 亀船」   /   右: 「ワピース」)

  テレビ局の御用藝人は南鮮人俳優を「格好いい」と持て囃し、K-Pops歌手が人気を博していると嘯(うそぶ)くが、現実を見れば子供だってそう簡単には騙されない。朝鮮語の曲など何を唄っているのかだか解らないし、鮮人女優の顔は金太郎飴みたいにどれも同じだ。それよりも、朝鮮人が「鉄腕アトム」を模倣して「宇宙少年キャッシュ」を作り、「機動戦士ガンダム」まで盗んで「宇宙黒騎士」を制作していたんだから、日本の子供が朝鮮人を侮蔑してもおかしくはない。それに、「宇宙戦艦ヤマト」をもじって「宇宙戦艦 亀船」を作っていたんだから、さっきまで怒っていた小学生だって腹を抱えて爆笑するだろう。「亀」というスペース・シップじゃ、14万8千光年先のイスカンダルまで何年かかることやら。到着したら乗組員がすべて白骨化していた、という落ちになってしまうかもね。それにしても、「亀船」っていう名前は、どこか脳裡に引っ掛かる。もしかしたら寺沢武一の漫画「コブラ(COBRA)」に出てくる宇宙船「タートル号」を翻訳したのかも知れない。とにかく、「キノコの森」とか「ポッキー」「かっぱえびせん」までパクッて模造品を作るんだから、日本の子供が朝鮮人を馬鹿にしても仕方ないじゃないか。

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( 左: 「ポッキー」と「ペペロ」 / 右: どことなく日本車に似ている起亜の「ソレント」 )

  朝鮮人の盗作文化に関しては、日本の大人だって腹に据えかねている。トヨタの「プリウス」かと思いきや、現代自動車のハイブリット・カーだったりするし、他の乗用車を見てもホンダや日産の模造品かと思うようなクルマが多い。こんな二流品でも米国市場なら値段の安さに釣られて誰かが買ってくれるけど、競争が厳しい日本市場では太刀打ちできないだろう。日本車の海賊版を輸出したって、誰も目に留めてくれないし、お金を出して購入する人はまず居ないんじゃないか。韓国自動車産業協会によれば、2013年に我が国で捌けた販売数は462台で、2014年には321台、2015年だと273台、2016年には371台と増えたが、依然として人気が無い。(Record China, Feb 13, 2017) 南鮮最大手の現代自動車は2000年に販売法人を日本に設立したが、2009年には商用車販売店だけを残して撤退した。ルノー・サムスン自動車は2009年に229台の販売を記録したが、その後は販売台数が激減し、2015年にはゼロになったそうだ。朝鮮人は張り切って日本進出を果たしたけど、日本人でわざわざ朝鮮車を買うお客なんて何人いたのか? 昔、筆者の知り合いで日産の車から現代自動車に買い換えた人がいたけど、新車を購入したのに嬉しさが窺えなかった。その人が元気がなさそうなので、「これ、朝鮮のクルマですよね」と笑顔で筆者が尋ねると、その知人は「うぅぅ~ん」とお茶を濁したまま顔を曇らせ、言葉少なくその場を去ってしまった。後で聞いた話だけど、何らかの「しがらみ」でやむなく購入したらしく、そうとう恥ずかしかったのか、僅かな期間で再び別のクルマを買ったそうだ。

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(左: 現代自動車の「サンタ・フェ」 / 右: ホンダのフット)

  朝鮮人の子供に自信をつけさせるために朝鮮の話をしようとすれば、嫌な事ばかりが頭に浮かぶし、テレビや新聞で流されるニュースはどれも暗いので話題にできない。これは筆者の想像だけど、朝鮮の過去を調べようと本屋に赴き、偶然にも筆者の本を立ち読みしてしまうことは危険だ。今まで知らなかった支那人や朝鮮人の歴史が書かれており、どれもこれも“おぞましい”話ばかりだからきっと衝撃だろう。怖い物見たさで購入しても、そんな場面を生徒に目撃されたら大変だ。「先生があんな変な本を買っていたよ」と学校の噂になるかも知れない。教頭先生から呼び出しを喰らい、「君はあんな不謹慎な本を読んでいるのかね?」と詰問され、同僚の左翼教師からは白い目で見られて、無言の集団リンチに遭ってしまうかもね。PTAの保護者からも「あの先生ヘイト本を読んでいるらしいわよ」と陰口を叩かれ、生徒から「右翼教師」とのレッテルを張られて評判はがた落ちだ。禁書リストがあったらランク・インしそうな本なので読まない方が無難。それに、もともと拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』は公共図書館に並ぶ本じゃないし、本屋の店員だって店の片隅に置いて忌避する商品だから、時間が経てば返品されるか処分されるかのどちらかである。たぶん、怒り狂った朝鮮人が焚書にして、数年後には「幻の珍本」となるだろう。こんな訳でいずれは一部のマニアしか知らない絶版本となるから、筆者は前もって自宅に何冊か保存している。「悲しいけど、これって現実なのよねぇ」とボヤいたスラッガー中尉の言葉が、妙に胸へと突き刺さるだけど。(「機動戦士ガンダム」を知っている人には解る名セリフ。)

  昭和が終わって平成になってしまうと、朝鮮人の陰惨な過去を語る人も少なくなった。時たま彼らの横暴が浮上するけれど、数日もすれば世間の意識から消えてしまうので、大事にしたくない在日鮮人や帰化鮮人は黙って堪えている。しかし、その屈辱感は体内に蓄積され、官僚や議員になった朝鮮系左翼は、権力の座に坐るや、かつて自分を見下した日本人に復讐しようとする。在日朝鮮人が参政権を求めれば、平等思想を持ちだしてそれを掩護するし、南北朝鮮が金銭に困れば経済支援を訴える。将来、朝鮮に動乱が起きれば、北鮮から大量の難民が出るから、同胞意識に目覚めた朝鮮系議員は「人道主義の観点から日本政府は難民を受け容れるべきである!」と要求するだろう。しかし、こうした外国人は言葉上「避難民」でも、実質的には「未来の日本国民」である。つまり、一旦我が国に上陸すれば朝鮮に帰ることはないから、そのまま居坐り続け、やがては国籍取得を目指すようになるだろう。そうした時、最も頼りとなるのが同胞の朝鮮系日本国民である。北鮮から逃れてきた難民を、かつての自分や祖先と重ね合わせ、日本政府に「もっと難民を大切にしろ」とか「衣食住の福祉を充実させるべきだ」、「日本語のクラスを用意して、早く難民が同化できるよう支援を」と、言いたい放題の要求を突きつけるだろう。ただし、その財源は全部税金という悪夢が待っている。

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(左: 愉快な朝鮮人の親子  / 右: 科学技術で生まれ変わった朝鮮人女性 )

  あるモバイル調査によると、「生まれ変わるならね大韓民国に生まれたくない」と答えた人が57%もいたそうで、「韓国に生まれたい」と答えた人(43%)も多かったという。(2014年3月1日附「中央日報」) 北鮮人の意識調査なら解るけど、一応「自由な」国家に生まれた南鮮人が、自分の国に再び生まれるのは厭だと答えたんだから、在日鮮人の子供に民族の誇りを教えようとする教師が困ってしまうじゃないか。これなら「血を入れ替えたい」という子供がいたのもうなづける。日本人には朝鮮人に生まれた辛さが解らない。日本人が異質な相手の気持ちを尊重し、なるべく穏便に共存しようとするのは立派だが、屈折したアジア人には通用しない場合があるのだ。日本の朝鮮統治を非難する日本人は、安全な日本で我々に説教していないで、南鮮に移住して毎日毎日、街頭の朝鮮人に土下座して赦しを乞う生活を営むべきだ。しかし、こうした“良心的”左翼だって、しつこい朝鮮人の本質が解り始めたら、国粋主義者か民族右派になって戻ってくるかも知れない。かつて「サウル」とよばれた使徒パウロはダマスカスで回心したけど、ソウルでリンチに遭う日本人の目から鱗が落ちることがあるのか、はなはだ疑問である。したがって、是非ともTBSやNHKの社員を用いて実験したいものだ。きっと見物だぞ。  




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内密の政治宣伝 / マスコミが狙う誘導報道


呆れ果てた教育者

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(左: ナポレオンの戴冠式  / 右: フランス軍のロシア遠征 )

  古代ギリシアの哲人アリストテレスは、貴族政治を「優秀な者による支配(aristokartia)」として賞讃したが、日本で好評な民衆政治については、「最悪な者による支配(kaistokratia)」であると毛嫌いしていた。しかし、高校や大学の先生はギリシア人の政治思想を歪曲し、あたかも「デモクラシー」を“素晴らしい”統治形態であるかのように教えている。プラトンはもとよりアリストテレスが肯定した多数による支配とは、法が君臨する「ポリティア(politeia / 立憲政体)で、無知な群集が国政に参加する“堕落した”政体(demokratia)ではなかったのだ。(アリストテレス『政治学』 1279a-bを参照。) だいたい、学校の社会科教師は大抵が従順なヒラメ(偉い大先生を見上げるだけのヒラ教員)か、実力主義や身分制度を憎む僻み根性の持ち主だから、丸山眞男みたいなフランクフルト学派の詐欺師によって簡単に騙されてしまうのだ。街頭にゴチャゴチャっと集まる烏合(うごう)の衆が、確かな情報に基づいて健全な判断を下せるわけがない。選挙事務所でカツ丼やビールをご馳走になったら、気前の良い候補者に一票入れてしまうのが大衆なんだから。

  今や日本は民衆政治の黄金期。ここ最近、テレビや新聞は森友学園の問題で大はしゃぎしているが、庶民なら「他に議論することは無いのか? 」とボヤきたくなる。でも、「これ」っといった藝人のスキャンダルが無いから、とりあえず政治ネタで頑張ろうと思っているのだろう。そうでなければ、あんな籠池理事長の怪しい問答劇をテレビ局が延々と放送する訳がない。まぁ、各局が連携して騒いだから、そこそこの視聴率を稼いだんじゃないか。それに、民進党を支援するテレビ局は、安倍政権崩壊で政局特番を期待しているはずだ。フジテレビの『ユアタイム』は帰化鮮人の参院議員、福山哲郎(旧姓「陳」)をゲストに招いて野党の追及を“それとなく”応援していた。しかし、こんな朝鮮系議員の戯言(たわごと)より、塚本幼稚園が昭和天皇を利用して商売をしていたことの方が重要だろう。こともあろうに先帝陛下の御真影をホームページに掲載し、「昭和天皇陛下 御臨幸」と称して恰も来園なさったかのように宣伝していたのである。

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(左: アリストテレス  / 福山哲郎  / 籠池泰典  / 右: 菅直人 )

  一般国民だって「まさか、そこまでするとは !」と呆れたんじゃないか。いくら何でも一応は「教育者」なんだから、「やってみたい誇張」と「やってはいけない虚偽」の違いくらい判るだろう。一方、籠池氏がこんな「詐欺師」とバレたので、「形勢不利」と踏んだマスコミは、「そっ~と」森友事件から距離を置いて、「オレは最初から奴を信じていなかったけどね」とか「我々は疑惑を“そのまま”報道しただけだ」と居直るかも知れない。そう言えば、1998年に菅直人が東京の全日空ホテルにキャスターの戸野本優子と一夜を共にしたスキャンダルがあったけど、この「不倫」がマスコミによって暴露された時、未来の総理は「一夜を共にしたが男女の関係は無い」と突っぱねた。戸野本氏からすれば「この裏切り者 !」と叫びたいが、しょせんは「卑怯」が特技の“ちんけな”男なんだからしょうがない。いくら枕元で「君のためなら全てを捨てる覚悟がある」と囁かれても、そんな寝言は支那人の忠誠心と同じで何の保障も無いし、菅直人に「男らしさ」を求める女の方がどうかしている。それに、名前からして菅(かん)だから仕方ない。以前、菅直人がオバマ大統領と会った時、オバマは日本の首相を「ミスター・カン」と呼べなかったそうだ。英語で語りかけると「ミスター・コン」に聞こえるから、アメリカ人は「ミスター詐欺師(Mr. Con)」と勘違いしてしまう。でも、あながち嘘じゃないかもね。

政治プロパガンダが花開いたフランス

  今回の森友学園騒動は国会で取り上げるほどの大事件ではないが、テレビや新聞といったマスコミによる大衆操作、ないし政治プロパガンダが如何に有害かを如実に示す具体例となった。(ちなみに、現在みんなが用いる「プロパガンダ / propaganda」という英語は、元々そんなに悪い意味じゃなかった。これは政治の世界で侮蔑的に用いられただけで、昔は宣教師だって「プロパガンディスト」と呼ばれていたのである。ちょうど、「ゲイ gay」という言葉の用法と似ていて、今は「同性愛者」を指すが、昔は「陽気な人」とか「愉快な人」を意味していた。筆者が米国で独立戦争時代を描いたTVドラマを見ていた時、登場人物たちの会話で「ゲイ」という言葉が使われていて、同性愛者を指す用語ではなかった。) 学校の授業だと「恋愛と金儲け」は教えてもらえないというが、もう一つ日常生活で重要な「マスコミの実態」が授業内容から外されているのだ。大衆時代のテレビ局は絶大な影響力を持っているのに、子供たちには「どのようにして番組が作られているのか」、「誰が運営し、誰が裏で操っているのか」は不明である。ただし、大人になると徐々に判る事もある。例えば、『仮面ライダー電王』に「ハナ」役で出演していた白鳥小百合が降板し、『仮面ライダーカブト』で「日下部ひより」役を務めていた里中唯も降板してしまったが、大人であれば彼女たちが精神的に参ってしまったとか、所属事務所と揉めてしまったんだろうな、と推測できるようになる。しかし、番組を観ているちびっ子には分からない。一緒にテレビを見ている父親が息子から、「ねぇパパ、どうしてお姉ちゃん達はいなくなっちゃったの?」と訊かれて、答えに困ってしまう場合がある。そんな時は、「う~ん、分からないけど、パパも寂しいなぁ」と言って誤魔化すしかない。「売れそうにもない女優だから引退を考えたんだよ」とは言えないからね。

  脱線したので話を戻す。ヨーロッパを見てみると、大衆社会の到来はフランス革命の時とも考えられる。日本の進歩的文化人はルソーやヴォルテールなどに痺れて、民衆が王政を打倒する暴動を美化していたから、いま振り返ってみると本当に情けない連中だった。しかし、現代の左翼思想をもたらした元兇なのでよ~く勉強する価値はある。大革命の実態は殺戮に次ぐ殺戮で、ギロチン台がフル稼働するフランス各地は血の海だった。ジャコバン派の領袖であったジャン・ポール・マラー(Jean-Paul Marat)など大量殺人を趣味にしていたくらい残酷な奴で、余りにも多くの者を死刑台に送りすぎたから、パリには適当な「獲物」がいなくなってしまったそうだ。という訳で、ブラック・リストを眺めるのが好きなマラーは困った。そんなところへ魅力的な若い婦人のシャルロット・コルデーが現れ、この冷血漢を葬ったのだ。彼女がなぜマラーを屋敷内で暗殺できたのかといえば、取次人に反革命分子の陰謀を知っているので、ぜひとも直接伝えたいと言って訪問したからである。彼女の計画を全く知らぬマラーは、いつものようにお酢に浸したターバンを頭に巻き、鼻歌気分で風呂に入っていた。「さて、次は誰を殺そうかなぁ」と政敵たちの名前を羽根ペンで記していたといから、湯気が立っていても寒気がする。そんな鬼畜野郎に近づいたシャルロットは、隠し持っていた包丁で彼の胸を一刺し。肋骨の間に「グサ」っと突き刺さった刃物は、大動脈を切断して心臓を貫いた。抵抗も出来なかったマラーは即死だったという。

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(左: マラー  /中央:  シャルロット・コルデー  /  右: ディドロー )

  血腥い暗殺劇が繰り広げられる一方で、フランス社会には全く新しい複雑な宣伝技術が誕生していた。1789年のフランスは、約2600万の人口を有しており、その内の約60万人がパリに住んでいた。当時の社会でも、ある程度は大衆向けのメディアが発達していたので、検閲はあったものの百科全書派が活躍できる余地くらいは残っていた。日本でもディドロ(Diderot)の『百科全書』は有名である。彼の著作は本質的に思想宣伝を目的とした出版物で、民衆に“新しい”考えを植え付けることができるという実証になった。この本の中には非常識な理論が述べられているが、日本の法学者にはそれが分からない。例えば、「主権者」の項目である。ディドロは危険な「主権者」という怪物を、あたかも人民に奉仕する同志のごとく描いているのだ。「主権者は、市民たちの間に良き秩序と平穏を建設」するため充分な権力を持っていなければならないとか、立法権に加えて執行権まで持つべし、とまで喝破している。(ディドロ、ダランベール編 『百科全書』 桑原武夫訳編 岩波文庫 1971年 p227) そして、こんな独裁者が日本の殿様みたいになると唆しているのだ。

  誰であろうと、主権を委ねられた者は、彼に服従している人民を幸福にすることだけを目的としなければならない。(上掲書 p.229)

  血飛沫の嵐を経験した後のフランスで、保科正之や上杉鷹山みたいに領民をいたわる統治者が、彗星の如く現れるなんて想像できない。ヨーロッパで「主権者(Souverain)」というのは、無制約の権力を有する者を意味し、それは天地創造をなした天主(God)から絶対的な権威と権能を授かった「神の代理者」と見なされる。だから、全知全能の神様から遣わされた「お代官様」だと人民は逆らうことができない。英国のジェイムズ1世やチャールズ1世が固持した「王権神授説(Divine Right of Kings)」を思い出せば分かるだろう。しかし、ラテン・キリスト教世界では、「主権者」と自称する王様だって伝統的慣習を無視することはできないし、教会からの要望や訓戒に従うことが多かった。著名なラテン教父のテリトリアヌス(Tertullianus)によれば、帝国や王国の君主だって「神様の次(Deo secundus)」、つまり地上の皇帝が持つ権力は、天上にいる皇帝が持つ権力に劣るということになっている。

     ところが、フランスでは革命家がキリスト教を抹殺した訳だから、邪魔な司祭や神様は居なくなってしまい、地上の主権者は無制限の権能を有する専制君主となってしまう。こうなりゃ誰を殺そうが何人殺そうが「主権者」の勝手。だから、絶対的暴君に向かって、「こらぁぁ ! お前は人民の行政は幸福になっていないぞ !」と野次を飛ばす民衆なんか皆無。ただし、自殺したい奴は別。という具合だから、たとえ裁判官が王国の慣習法や基本法を蹂躙する「主権者」を見つけても、その支配者に「法」の鉄槌を下すことはできない。法廷で睨みを利かすライオンじゃなくて、ご主人に忠実な仔犬といったところだ。ディドロの『百科全書』が大量に売れたという訳ではないが、その思想は着実に広がっていたというから、梅毒の如き悪の思想は本当に恐ろしい。

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(左: ギロチン台での処刑 / 右: 斬首を見せつけるフランス人)

  フランス革命は逆説(パラドックス)の連続であった。革命家は人民の為と称して王政を転覆させたが、民衆が主体の政治体制など口先だけで、その実態はジャコバン派による恐怖政治。さらに、民衆を唆した革命家が失脚するとナポレオンが現れて皇帝になってしまった。しかも、対外戦争によりフランスの若者は戦死するか負傷するかで、民衆の生活は向上するどころか貧窮するばかり。政体も帝政になったり共和政に戻ったりと、その共和政体も二転三転、でんぐり返しで第五共和政へ、といった感じだ。ドイツ人と戦争すれば負けてばかりで、馬鹿にしていたアメリカ人に二度も助けられて面目丸つぶれ。日本と戦争すればコテンパンに負けて、植民地だったインドシナを奪われる始末。二等国に零落れたフランスは、ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿を外人に見せて外貨を稼く観光地。これじゃあ、あの“だらしない”ギリシア人と同じだ。ブルボン王朝時が懐かしい。あの頃は権威に輝く太陽王がいたのに、今じゃハンガリーからのユダヤ人(サルコジ)が大統領になってしまうんだから。関係無いけど、サルコジってB級映画に出てくるポルノ・スターみたいだ。何となくいやらしい。エドゥワール・ドリュモン(Édouard Drumont)やモーリス・バレス(Maurice Barrès)が聞いたら激怒するだろうなぁ。

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(左: ニコラ・サルコジ  / 中央: エドワール・ドリュモン / 右: モーリス・バレス )

  革命が成功する秘訣は、如何にして大衆を扇動するである。生前、マラーは資格すら疑わしい医者であったが、ジャーナリストを気取って大衆向けの記事を載せた『人民の友(L'Ami du peuple)』を創刊した。『人民の友』は投書欄を設けるという斬新な方針を取り、極端な意見でも認めて掲載するという点に特徴があった。(なんか朝日新聞みたい。) ロベスピエールも負けてはおらず、『憲法守護者(Le Défenseur de la Constitution)』という新聞を創刊し、自らも記事を書いたという。「清廉の士」と呼ばれたロベスピエールは、「自由、平等、救済、博愛」という理念を宣伝したが、薄情なデマゴーグであったことには変わりがない。彼は革命を指導する「前衛」を輩出するため、プロパガンダのエリート細胞が集う「ジャコバン・クラブ」を重視していた。この組織には見事な規律があって、各メンバーを引き締めていたというから、いかにも極左集団らしい。入会には儀式があり、独自の髪型や服装をした会員には、正統性を試される関門があり、内部での粛清や公の場で行われる告白劇があったばかりか、見世物的裁判もあったのだ。これは支那やソ連で行われた人民裁判の魁(さきがけ)とも言えよう。

  こうした革命分子は、フランスを形成したキリスト教を撲滅するや、その空白に「最高存在者」という紛(まが)い物を置いて、民衆を別の宗教に帰依させたのである。要するに若い娘を女神に仕立てた「黒ミサ」と思えばいい。現在のフランスが魅力に乏しく、蛮族に荒らされた廃墟みたいになっているのは、政治や教育からキリスト教を排除する「世俗主義(laïcité)」に冒されたまま、政教分離策を取っているからだ。革命を絶賛する極左分子が国家の中枢に盤踞するというのはどれほど恐ろしいことか、これで分かるだろう。フランス人が誕生させた流血の世界は、古賀新一の漫画『エコエコアザラク』の話どころじゃないぞ。斧や鎌を手にした群集と比べたら、悪魔に扮して「エコ、エコ、アザラク(Eko、Eko、 Azarak)」と呪文を唱える小娘なんか屁でもない。日本では兇暴な外人も心優しくなるんだから。昔、タイガー・ジェット・シン(Tiger Jeet Sigh)がサーベルを持ってアントニオ猪木や山本小鉄に殴りかかったけど、なぜか柄の部分で殴るだけで、刃先で突くことはなかった。もっとも、新宿伊勢丹で猪木と夫人の倍賞美津子に襲いかかった時は一般人も驚いたけど、仕込みの「ヤラセ」だったから本気じゃなかった。リングでは「インドの猛虎」だったけど、普段は礼儀正しいシク教徒なんだから人は見かけによらない。

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(左: マキシミリアン・ロベスビエール  / 中央: ジョセフ・フーシェ / 右: 処刑された革命家のダントン )

  また脱線したので元に戻す。ロベスピエールが断頭台の露と消えても、彼のライバルであった陰険なジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)が跋扈し、終いにはナポレオン・ボナパルトが現れて皇帝になってしまうんだから、フランス革命のどこが「民主的」なんだ皆目見当がつかない。士官時代フランス人から小馬鹿にされ、フランスの伝統を心から憎むこのコルシカ人は、統領から皇帝に上り詰めると、広範囲に亙る大衆操作に着手した。例えば、戦争の勝敗を自分に有利となるよう伝えていたのである。有名なマレンゴーの戦いに勝利すると、その果実を自分だけの手柄にしたが、敗北となるや他人にその責任を押しつけた。コペンハーゲンの闘いは事実をねじ曲げて伝え、アブキール湾(Aboukir Bay)の海戦ではブリュイ(François-Paul Brueys)のせいにしたし、トラファルガーの海戦ではヴィルヌーヴ(Pierre-Charles Villeneuve)が悪く、ワーテルローの闘いではネイ(Michel Ney)がへまをしたことになっている。まるで大学で講師をイジめる老教授みたい。ちなみに、業績が無いのに「名誉教授(emeritus)」になれるのは日本の大学教授だけ。こんな肩書きはクルマに附ける「枯葉マーク」と同じ。東大総長より『少年ジャンプ』の人気投票で1位を取る方が難しいんだから。

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(左: ナポレオンの肖像画  / 中央: ナポレオンの顔を刻印した金貨  / 右: 馬に跨がるナポレオン )

  ナポレオンは稀代の名戦略家を演出するに当たり、視覚的イメージでも民衆にアピールしようと図っていた。そこで助っ人になったのが数々の名作を残した画家のダヴッド(Jacques-Louis David)で、風采の上がらないコルシカ出身の小男なのに、バイロン風のロマンティックな横顔になっていて、映画俳優のように颯爽と軍馬に跨がり、勇猛果敢な英雄として描かれていたのだ。さらに、ローマ皇帝を真似て自分の顔が刻印された硬貨まで作り、アウステルリッツやイエナ、レーゲンスブルクなどの戦役がある度に発行していたのである。ナポレオンの信仰心など怪しいが、彼は教会組織を自分の為には重宝と考えたので、その親分たるローマ教皇と協約を結び、説教壇から教区司祭に自分の宣伝を手伝わせることを考えていた。確かに、苦労して基礎から宣伝局を作るより、既存の巨大機構をそのまま利用した方が利口である。

謀略の天才ロシア人

  深い闇に包まれたロシアには、領主に酷使される愚鈍な農民と、謀略を得意とする狡猾な官僚というイメージがある。共産主義に邁進するロシア人ときたら、アイデア商品とか家電製品を作れないくせに、戦略爆撃機とか移動式核ミサイルの製造になると驚くような情熱を傾けるから不思議である。そして、もう一つ彼らが得意なのは心理戦、すなわち「謀略・宣伝戦」だ。ソ連の対外工作は巧妙かつ陰険で、脳天気の日本人には千年かかっても真似できない。ボルシェビキを率いたレーニンはプロパガンダの名人で、兵器を用いなくても言葉で敵を屈服させる術に長けていた。ロシアの社会主義者たちは、早くから宣伝活動の重要性を認識しており、検閲官の眼をかいくぐるため、偽りの表題を附けてマルクス主義の教科書を作る組織を作っていたのだ。

  レーニンはゲオルギ・プレハーノフ(Georgi Plekhanov)とパヴェル・アクセルロード(Pavel Axelrod / ユダヤ名Pinches Borutsch)に協力を要請し、機関誌の『イスクラ(火花 / Iskra)』を発行しようと励んでいた。安全の為に印刷所を転々とする必要もあったが、レーニンは1900年12月21日、この機関誌の第一号を発行することができた。この出版物は表面的には紙切れだけど、レーニンにとったら千鈞の重みがあり、久しく夢見ていた闘争の手段となったのだ。革命の炎を燃え上がらせる「種火」となった『イスクラ』は、ロシアの革命運動を集結し、その方向性を固める指導者のプラットホームになっていた。同志のユリウス・マルトフ(Julius Martov / ユダヤ名Yuliy Osipovich Tsederbaum)も執筆者になっていたが、何といってもレーニンが一番張り切っていたらしい。外国で印刷された機関誌は非合法ルートでロシア国内に運ばれ、首都や工業都市などのマルクス主義者グループに配られたという。各グループはきちんと読むよう指示を受け、その新聞は人伝に配布され、相当な読者の目に触れることになった。『イスクラ』は夜中に壁へと貼り出されたが、朝になると警察によって剝がされてしまうことが頻繁にあったらしい。しかし、その間に何百人もの野次馬に読まれていたそうだ。そして、『イスクラ』の制作者であるレーニンは、そこから驚くほどの権威を引き出していたという。(エレーヌ・カレール=ダンコース 『レーニンとは何だったか』 石崎晴己 / 東松秀雄 訳 藤原書店 2006年 pp.99-100)

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(左: レーニン  / プレハーノフ  / アクセルロッド  / 右: マルトフ )

  1902年、権力の集中を目論むレーニンは、『何をなすべきか(Tchto delat')』というパンフレットを発行し、民衆がバラバラの状態で勝手に蜂起するよりも、細胞組織を以て革命を起こすべし、と訴えていた。レーニンは民衆を厳格な規律で束ね、党の定説・綱領に忠実かつ献身的な少数精鋭集団を利用した方が良い、とする考えを持っていたのである。日本の共産党も完全な縦社会で、本部の掟を破る奴には冷酷な制裁を加え、最終的には抹殺するか、党の息が掛かった精神病院に閉じ込めるかの手段に出るらしい。代々木の支店がモスクワ本店の方針を模倣するのは当然なのかも知れない。事実、ヒラ党員の給料をピンハネし、平民を搾取する日共幹部は、別荘で貴族的生活を送るノーメンクラツーラ(党の支配階級)とソックリである。案外、「日本で共産革命が起きなくて良かった」と喜んでいたのは、宮本顕治とか不破哲郎かもよ。

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(左: 土井たか子  / 宮本顕治 /  不破哲三 /  右: フリードリッヒ・ハイエック )

  ボルシェビキの悪党どもは、全世界をまず思想的に征服すべく、非常に早い段階から宣伝戦を目的とする国際機関の設立に勤しんでいた。1917年頃には、カール・ラデック(Karl Radek / ユダヤ名Karol Sobelsohn)を主幹とする国際プロパガンダのプレス局が設置され、共産主義の世界的普及のために200万ルーブルもの予算が用意されたという。(William Henry Chamberlin, The Russian Revolution, Vol.II, New York, The MacMillan Company, 1926, p.380) また、『ディー・ファルケル(Die Fackel)』というドイツ語の日刊紙が刊行されたが、これはドイツ軍とオーストリア軍の兵隊を対象にしたもので、マルクス主義の基礎を理解させる目的をもっていた。共産主義者というのは実に根気強く、長期的視野に立って民衆を洗脳しようとする。オーストリア出身の偉大な法哲学者であったフリードリッヒ・フォン・ハイエック(Friedrich A. von Hayek)は社会主義者を徹底的に批判していたけど、一つだけ感心していたことがあった。それは左翼陣営が馬鹿にされるような下らない主張でも、諦めずに何度でも繰り返し、次第に人々の頭へその主張を植え付けてしまったからだ。そう言えば、亡くなった土井たか子も「憲法九条」のみを叫ぶ「憲法学者?」だった。昭和から平成までの間、その害毒をもろに蒙った日本人には納得できるんじゃないか。土井の婆さんは正に「継続は力なり」を実践していたわけだ。

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(左: 田原総一朗  / 岸井成格  / 大谷昭宏  / 右: 金平茂紀 )

  左翼に報道機関を乗っ取られた日本人は、毎日彼らの洗脳番組や偏向記事に毒されてている。森友学園問題など些細な事件で、一般国民にとったら北鮮の軍事力向上の方が遙かに重要な案件であるはずだ。小野寺元防衛大臣が報道番組に出演し、自衛隊は北鮮が放つ核ミサイルの第一攻撃を受けてから反撃すると述べていたが、日本に向かってくるミサイルを全て撃ち落とすことなど実際には出来ない。我が国が核搭載の原子力潜水艦を持てるようにしたり、F35戦闘機やステルス爆撃機を配備することで、いつでも北鮮を殲滅できるようになれば、クルクルパーの左翼が望む「平和」が可能となる。だいたい、日本が重武装すると侵掠者になるという妄想が罷り通っていること自体が異常で、北鮮や支那にとって不都合だから、その手先になっているマスコミや左翼学者が反対しているだけだろう。現実的に考えるなら、我が国の先制攻撃を肯定することが平和への一歩となる。日本が強くなろうとすると、北鮮の工作員は田原総一朗とか岸井成格、大谷昭宏、金平茂紀などを動員し、猛反対のキャンペーンを盛り上げようとする。彼らを支援するテレビ局は、支那や北鮮を掩護する尖兵、つまり利敵行為の放送局と見なしてもいいはずだ。一般人にとって、街中で銃を乱射するテロリストは危険極まりないが、紙の弾で国民の精神をメチャクチャにする左翼ジャーナリストも同罪だ。今すぐ地上波テレビ局を潰すことはできないが、みんなで購読を中止すれば朝日・毎日・東京新聞を廃刊に追い込める。お金を節約した上に日本を良くする事が出来るんだから名案だと思うんだけど、惰性の購読は止められないのかなぁ。




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