無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年04月

知的生活を実践した巨人 / 評伝 渡部昇一(1)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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博学の国士 逝く

Watanabe Shoichi 3  平成29年4月17日、知の巨人が天に召された。上智大学名誉教授の渡部昇一は、86歳でその生涯を閉じたことになる。我が国はまたもや偉大なる知識人を失ったと言えよう。人間にはそれぞそれ寿命があるから、いつかはその生命が肉体を離れるわけだが、そうと分かっていても渡部先生の訃報はとても悲しい。先生は衰弱の激しさにもかかわらず、亡くなる直前まで対談の収録に臨まれ、まさしくその身体が燃え尽きるまで、己の義務を果たされた。我々が先生の姿に感銘を受けるのは、その厖大なる知識や曠古の業績だけではなく、日本への熱い思いが全身に漲っていたからだろう。日本人として生を享け、郷里の空気を吸いながら育ち、帝都で身を立てると母国に尽くし、天命を全うすると祖国の土に還った。塵で創られた肉は灰となったが、先生の魂は不滅である。

  渡部先生には様々な顔がある。政治・経済・社会・文化といった世界で幅広い言論活動を繰り広げる評論家の側面を持つ一方で、書斎に現れる知的空間で読書に耽る教養人の姿があった。元々は、英語学を専門にする研究者であったから、先生の生涯を語るなら英文法や言語史の業績に触れるべきなのだが、それは複雑になってしまうので、ここではまず先生の個人的体験について述べてみたい。

  なぜ渡部先生には人気があったのか? この問に対する解答は色々あるけれど、一例を挙げれば、先生はご自分で消化し納得された見解を述べていたからだと思う。「大学」という名の象牙の塔には、図書館で仕入れた書物を“未消化”のまま世間に陳述し、難解な学術用語を操って聴衆を籠絡しようとする輩(やから)が多い。こうした知識人は有名大学で教鞭を執っていたりするから、受験勉強で苦労したり恥を掻いたりした庶民は、よく解らないけど、とりあえず「有り難い話」と思い込み、「お説ごもっとも」とひれふしてしまう。しかし、心の底では納得していないから、どうにもこうにも面白くない。例えば、NHKに出てくるような御用学者の説教なんか左翼のアジ演説と同じなのに、宣伝フィルムを途中で流さないから「NHKは高尚」と思っている視聴者がいたりする。こうした人は昔からいたし、今でもいるだろう。本当に優秀な学者なら、煩雑でややこしい内容でも庶民に解りやすく話せるはずだし、グダグダ言い訳していないで簡潔かつ濃厚なエッセンスのみを披露できるはずだ。でも、それが出来ないのは知能が低いからである。

Tanaka 1( 左 / 田中角栄 )
  こうした似非学者と違って、渡部先生の言論は“解りやすく”納得が行くものであった。例えば、ロッキード裁判を論じた時、先生は反対尋問(cross-examination)の無い法廷証言は証拠にならない、と道破された。どういうことかと言えば、田中角栄が賄賂を貰ったかどうかを判断する裁判で、三木内閣は来日しないコーチャン被告の「証言」を得るために、嘱託尋問を米国に依頼したのである。ところが、コーチャン氏は刑事罰を免責するなら質問に応じると言い張り、それが認められてしまったのだ。法廷に召喚されたコーチャン氏は、日本側の反対尋問が無いまま“自由に”発言ができ、信じられない事だけど、その自白が証拠となってしまったのである。アメリカの陪審員や判事なら腰を抜かして驚くだろう。偽証罪に問われない単なる独り言が、有罪を決める材料になるなんて考えられない。渡部先生が角栄裁判を中世の暗黒裁判と評したのも当然だ。日本でコーチャン氏の「証言」を聞く角栄側は、いくら嘘を並べられても反論できなんいだから、腹立たしいやら悔しいやらでいっぱいだった。当時、裁判官や法学者たちはロッキード裁判の“いかがわしさ”に気づいていたが、異議を唱えれば瀆職にまみれた闇将軍を助けたことになるから、煙たがってみんな黙っていた。門外漢の渡部先生と在野の奇才である小室直樹だけが、「これはおかしい」と声を上げ、角栄攻撃一色の世間に立ち向かったのである。

知的正直(intellectual honesty)を実践した教養人

  「知の巨人」と仰ぎ見られる渡部先生は、他者に対するときと同じく、自分に対しても正直であった。自分で解らなければ、はっきりと「わからない」と認め、決して「わかったフリ」をしないという信条を持っていた。これは先生のロングセラー『知的生活の方法』を読むと分かる。(講談社現代新書 昭和51年 pp.28-47) 渡部先生の恩師、佐藤順太先生は有名な学者が述べた意見であっても、「あれは何を言っているかわからぬ」と斬り捨てたそうだ。この恩師を崇敬する渡部先生は、大学の英文科に進学した時、周りの学生が難しい本や英語の詩を“解ったかのように”話すなか、率直に「解らぬ」と公言していたらしい。渡部先生曰く、「ぞくぞくするほどわからなければ、わからないのだ」という境地に立っていたそうだ。

  英文科の秀才だったから、渡部先生は辞書を引きながらでも、英語の小説や詩を読解することくらいは出来た。しかし、いくら正確に英文を読むことは出来ても、先生には“ぞくぞくする”程の感動を掴めなかったという。つまり、子供の頃に少年講談を読んだ時のような「嬉しさ」とか「楽しさ」に欠けていたのだ。先生は後に西洋哲学の勉強をして、「わからないことは、わからない」として、「わかったことだけ」を出発点にして物事を思考する、ルネ・デカルト(René Descarte)の方法論を学んだらしい。確かに、パーシー・B・シェリー(Percy Bysshe Shelly)やアレグザンダー・ポープ(Alexander Pope)、ウィリアム・ブレイク(William Blake)、ロバート・ブラウニング(Robert Browning)などの詩を日本人が朗読しても、それを心から味わうことは難しいだろう。たとえ意味が分かったとしても、口ずさんで楽しいということは先ずない。漢詩なら得意とする日本人はたくさんいた。渡部先生が挙げていた人物だと、頼山陽とか夏目漱石、伊藤博文、乃木希典である。イングランドに留学して英文学を勉強した漱石でも、楽しんで詠んだのは子供の頃から親しんだ漢詩である。親友の正岡子規に自分で作った漢詩を披露する漱石の姿は、どのようなものだったのか興味深いけど、録画映像が無いから分からない

Rene Descarte 2Shelley 1Alexander Pope 1Robert Browning 3








(左: ルネ・デカルト  /  シェリー  /   ポープ   /   右: ブラウニング )

  筆者は漱石の件で渡部先生に恩義がある。大抵の人は中学とか高校で漱石の小説を読んでいるだろうが、国語が苦手だった筆者は自ら進んで小説を読んだことがなかった。ただ、国語の先生が読むよう勧めたので、仕方なく漱石の代表作『こころ』を手にしたことがある。一応は真剣に読んだのだが、正直なところ「こんな下らないことで、なぜ自殺を選んだのか」と呆れてしまった。ただし、「文豪の名作を理解できぬ俺はやはり馬鹿なのかなぁ」と自分を疑ったことはある。だから、漱石の著作を読んでも友人に感想を語ったこともないし、小説を読んだことすら先生に伝えたことはない。もっとも、興味があったのは専ら音楽だったので、それほど深刻に悩まなかった。ところが、月日が流れ大学生となり、かつての読書を忘れた頃に渡部先生の漱石論を読んで、「何だそうだったのか」と安堵感を得たことがある。

  渡部先生によれば、小説を書いた頃の漱石は若く、中高年からすれば“たわいのない”事で悩んでしまう傾向があったという。『こころ』のストーリーでは、青年時代の「先生」が友人Kから恋人を奪って自分の女房にしてしまった。それから数十年も経っているのに、この略奪婚が元でKが自殺し、その罪悪感をずうっと持ち続けて、ついに「先生」は自殺してしまうのだ。佐藤順太先生によれば、知識人というのは書斎に籠もってあれこれ考えているので、思い詰めると意外にも軽率な行動を取ってしまうらしい。だから、世間で様々な経験を積み、精神が鍛えられた大人であれば、簡単に命を断つという真似はしないだろう。極端な例になってしまうが、青二才の知識人と戦国武将を比べてみれば分かるじゃないか。脳漿を目一杯絞り、智略を用いながら乾坤一擲の大勝負に出る武家の棟梁が、小娘との恋愛くらいで首を吊ることなどあり得ない。戦乱の世に生きる武士は、戦場で恐怖に震えながらも、奮起して刀を振り上げ、死に物狂いで敵の体を突き刺す。時には、刀で相手を斬るというより、がむしゃらに叩くような感じで強引に殺すこともある。そして、斃した敵の首に刀を当てると、一気呵成にその首を切り落とす。自らの血と返り血を浴びながら生き延びようとする武人の姿は壮絶だ。それに比べ、「ボクは他人の許嫁を奪ってしまった」と悩んだ末に、ふと自殺する知識人なんて馬鹿げている。武士なら想像もしないだろう。

  中学生の頃からローマ史が好きだった筆者は、物凄い殺戮を繰り返しながら宏大な領域を征服したローマ人に魅せられていた。だから、漱石が描く小説の世界なんて青瓢箪の花園にしか思えなかったのだ。亡くなるちょっと前に渡部先生はDHCテレビの『書痴の楽園』に出演し、宮崎美子と『こころ』を取り上げて漱石論を述べていたから、先生の発言を覚えているかたもいるだろう。渡部先生は大学生の時に『こころ』を読んでいたく感動したそうだが、壮年になってから読み返してみると「漱石も若かったんだなぁ」と分かり、「不自然な死」に違和感を抱くようになったそうだ。とりわけ、渡部先生は自殺した「先生」の奥さんに同情していた。「先生」は主人公の「私」に自殺の理由を黙っていてくれと頼んだので、夫人はその動機が分からず終いということになり、とても哀れだと語っていたのである。普通に考えてみても、残された寡婦はどんな気持ちで余生を送ったらいいのか憂鬱になるだろう。本当に気の毒だ。渡部先生が「つまらない」と考えたのも当然で、こんな筋書きは余りにも現実離れした虚構である。

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( 写真 / 渡部先生の豪華な書斎「図書館」 )

  凡庸だった高校生の筆者が、日本を代表する碩学と同じ見解に辿り着いたというのは実に奇妙だが、その理由は簡単である。上智大学に入った頃の渡部先生は純粋な「心」を持っていたのだ。道徳的な罪の意識に苛まれて命を断つ「先生」に感銘を受ける、清らかな魂が渡部青年の胸に宿っていたのだろう。しかし、渡部先生も文学青年から一家の大黒柱になったから、青臭い書生ではなくなっていたのだ。一方、筆者が育った時代は豊かな日本だったし、小狡い大人をたくさん見てきたので、心が汚れていたせいか、素直に感動できなかったのである。それに、近代史の書物を読めば、ロシア革命の流血やバルカン半島の民族紛争が明らかとなるし、第二次大戦に目を向けると、ヒトラー、チャーチル、スターリン、ローズヴェルトが企んだ奸計や心理戦が分かるから、たとえ10代の子供であっても中年のように社会を裏から見る癖がついてしまうのだ。高校時代に筆者が興味を持ったのは、教科書に載らない血腥い死闘や陰謀だったから、漱石が拵えた小説はあまりにも幼稚に思え、露骨に言えば「アホらしくて」共感できなかったのである。

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(左: ヒトラー  / チャーチル / スターリン / 右: ローズヴェルト )

  英語学を目指した訳でもない普通の国民が渡部先生に惹かれたのは、先生が純粋な愛国心を持っていたからだろう。先生は色々な社会問題に独自の見解を述べていたが、その根底には“健全な精神”が流れていた。先生は『知的生活の方法』の中で、子供の頃から愛読していた講談社の本があったお陰と述べている。(p.60) 当時の講談本は不健全な要素がほとんど無かったので、渡部少年は「常識的に健全な本」でないと好きになれなかったらしい。だから、多少努力して芥川龍之介の本を読んでみても、「どうもいやでなじめなかった」という。先生の回顧談によると、少年期に芥川を読んでいた近所の早熟少年は、中学生になるや痴漢になってしまったそうだ。しかし、彼は後に大学を普通に卒業し、立派な社会人となったそうだが、読書や勉強とは縁の無い生活を送ったそうである。

健全な精神が宿る読書生活

  渡部先生が安住していた精神的世界は、講談社的健全性が君臨する読書圏で、早熟な少年から見れば幼稚なものであったが、先生にとってはかけがえのない「本物」の世界であったそうだ。そこでは、父は天の如く、母は大地の如く、男の子は勇ましくて元気、女の子はやさしくて美しかったそうである。(p.61) もちろん、講談本の世界にはそうした基準から外れる人物も登場したが、こんな奴は直ぐに「善くない」と判るし、嫌悪すべき者であることは明らかだった。今の中学生や高校生ならマンガやアニメからこうした人間観を学ぶんじゃないか。日教組の教師からは、「命を一番大切にしなさい」とか「戦争は絶対にいけません」と教えられるが、『北斗の拳』を愛読する子供たちには通用しないだろう。例えば、南斗五車星の一人「ジュウザ」は、南斗最後の将を求めて進軍するラオウの前に立ちはだかった。自由気ままに生きる風雲児なのに、愛する異母妹ユリアの為にその命を捨てることにしたのだから尋常ではない。覚悟を決めたジュウザは、無敵のラオウを倒せぬまでも、その腕一本くらいはもぎ取ってやろうと戦いを挑んだ。しかし、ジュウザはラオウの敵ではなかった。満身創痍のジュウザは、無惨にも首の秘孔をラオウに突かれてしまう。ラオウから南斗最後の将は何者かと拷問されるが、ジュウザは意地でも答えない。全身から血が噴き出しているのに、決して口を割ろうとしないジュウザの姿に、読んでいる少年たちは胸を打たれる。こうした日本の子供たちは、愛する者を守るためには、たとえ報われぬと知っていても、命を賭けるという「男子の本懐」に感銘を受けるのだ。したがって、自分の命が惜しいから愛する同胞を見棄てよ、と教える教師に従わない子供がいても不思議ではあるまい。

  若い頃の渡部先生が社会主義とか左翼思想に傾倒しなかったのは、たぶん先生が健全な精神を持ち続けていたからだろう。だいたい、共産党や社会党に靡く者には碌な奴がいないし、また、こうした悪魔の思想を体現する政治家に偉人はいないものだ。普通の日本人で野坂参三や不破哲三、石橋政嗣、土井たか子の評伝を読む者はいないし、そんな本は不愉快だから誰も読まない。一方、日本を心から愛し、命懸けでお国に尽くした元勲は未だに愛されている。渡部先生が尊敬した西郷隆盛も、己の命を鴻毛の如く考えていた武士(もののふ)であった。維新の為には非情な手段を取ることも辞さなかったが、その反面、清廉で忠義に篤い人物であったから、幕臣からも一目置かれる巨魁で、会う人をみな虜にする人望があった。敵であったはずの庄内藩士だって西郷のファンになってしまったくらいだから、その人間的魅力は計り知れないところがある。(ちなみに、渡部先生は庄内藩の酒田市出身で、西郷南洲について詳しく、『「南洲翁遺訓」を読む』という著作まである。)

Watanabe Shoichi 1Saigo Takamori 1Shinohara 1Kirino 1








(渡部先生の右から / 西郷隆盛 / 篠原國幹  /   桐野利秋 )

  西南戦争では、西郷に従った薩摩藩士が多く死んだけど、討ち死にした薩摩隼人の子孫は祖先が西郷南洲と一緒に戦ったことを今でも誇りに思っている。武士の終わりに我慢できなかった桐野利秋や篠原國幹たちに、西郷は惜しげも無く自分の命を渡し、共に滅んでいった。西郷は最初から戦いに勝つ事は考えておらず、みんなが納得するまで戦い、頃合いを見計らって「もうよか」と伝えて自害したのである。外国人からすれば、負け戦の将なのになぜ西郷を「郷里の誇り」と仰いでいるのは理解しがたいが、陸軍大将という最高の地位に就きながらも、自分でなければこの悍馬を御することはできんと心に決め、何の躊躇いも見せず皆に命を預けたんだから、故郷の同胞が涙を流して嗚咽したのも無理はない。西郷はお国の為なら不惜身命。その肉体は滅んでも精神は生き続けた。今でも多くの人が慕っている所以である。徳富蘇峰が喝破したように西郷はまさしく英雄だ。しかし、南洲だけが立派だったのではない。なるほど西郷は偉かったが、その西郷を認めた日本人も偉かった。北鮮との戦争が怖いから、拉致被害者を見棄てようと考える現代の日本人とは大違いである。

  惜しくも渡部先生は亡くなってしまったが、先生が残した偉業は永遠に不滅だろう。そして、日本を愛した先生は、日本を愛する日本人がいる限り愛されるはずだ。渡部先生の功績は余りにも多いので、一度に述べる事はできないし、また紹介し尽くせるものでもあるまい。断続的ではあるが、これからも少しづつ先生の著作について述べて行きたい。



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朝鮮からの難民は大量破壊兵器 ?! / 今、そこにある別の危機

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北鮮からの大量難民

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(左: 日本にやって来そうな朝鮮人 / 右: 顔面工事で変身する朝鮮人 )

  「強いアメリカ」を掲げるトランプ政権は、「圧倒的武力による解決」を目指す。というより、それを「優先」せざるを得ない。なぜなら、外国の兵隊、傭兵、テロリスト、ゲリラよりも、国内のマスコミが最大の敵であるからだ。大統領選挙で煮え湯を飲まされたCNNやABC、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが、ここぞとばかりに手ぐすね引いて、トランプの失敗を期待しているから、トランプは彼らに“弱み”を摑まれたくない。したがって、妥協や弱腰を嫌うドナルド・トランプは、世界最強の軍隊を最大限に利用するはずだ。中東アジアのシリアでISISが暴れれば巡航ミサイルを叩き込み、極東アジアで小生意気な北鮮が挑発行為を見せれば、その近くに空母カール・ビンソンを派遣して圧力をかける。米軍にしたら北鮮軍など鎧袖一触、片足で踏み潰すことなど朝飯前だ。

  金正恩は日本人が相手だと、猛虎の如き形相で「おいっ、こら!」と睨み付けるが、米国人が現れると急に大人しくなり、「なんちゃって」と愛嬌を見せる。可愛くないけど仔猫と同じだ。違いといったら、正恩の方が太ってるというだけ。安倍首相に向かってはヤクザまがいに脅しを掛けるくせに、皇帝トランプの前じゃ“ニャン”とも言えなくなる。情けないけど日本人はかなりナメられてる。我々だって本当は金正恩の頭を金属バットで殴りたい。これならスランプのイチローも立ち直れるんじゃないか。でも、できる事なら承太郎のスター・プラチナムでボコボコにしてもらいたい。鼻血が出るまで朝鮮人を殴り続けるスタンドなんて最高だ。それが無理なら、せめてポルナレフの剣で串刺しに、と願いたいが、アニメの世界だから妄想になってしまう。だから現実の自衛隊で何とかしなきゃ。アントニオ猪木も北鮮に行ってゴマスリばかりしていないで、北鮮人に卍固めでも決めてやれ。そうすれば株が上がるぞ。ところが、ビンタ一発すらしないんだから、炎の闘魂も単なる税金泥棒だ。ミッキー・ローク(Mickey Rourke)の猫パンチが懐かしい。(そう言えば、今の子供は来日したロークのボクシング試合を知っているのかな? ユー・チューブで伝説の試合を見てね。)

Kim 3Mickey Rourke 1Mickey Rourke 2






(左: 金正恩   /  中央: 昔のミッキー・ローク  /  右: ボクシングの試合に出たミッキー・ローク )

  北鮮の核開発に怒ったトランプは、親分格の支那に「何とかしろ!」と圧力を掛けているんだろうが、正恩の野郎が素直に言うことを聞くくらいなら苦労はしない。金正男が死んでしまった現在だと、朝鮮労働党の首をすげ替えるにしても、適当な「替え玉」がいないから大変だ。それに、米軍の攻撃で北鮮が崩壊すれば、こんどは習近平の立場が危うくなるから、主席の習も他人事では済まなくなる。必ずや敵対勢力が粛清の復讐に立ち上がるだろう。共産党内部には、習近平を失墜させてのし上がろうとする奴がうようよいるから、習も「落としどころ」を準備せねばならない。なにせトランプが相手だと、奥の手を使って本気で核戦争をしそうだから、いくら支那人でも震えてしまうだろう。まさしく「トランプ(切り札)」を切る大統領だ。

  米国は北鮮にトマホーク・ミサイルを撃ち込めば気分爽快だろうけど、近くに住む日本人には「イャ~な」気がしてらない。というのも、米軍の爆撃でボロボロになった北鮮から、大量の難民が上陸するかも知れないからだ。日本人の中には、「たとえ金王朝が打倒されても、難民が乗る船が無いから来ないよ」と言う者がいるかも知れないが、問題は難民船の有無ではない。我々が憂慮すべきなのは、北鮮人を招き入れる日本の政治家が存在するということだ。例えば、北鮮人が38度線を越えて南鮮側に雪崩れ込んだとする。そうなると、いくら反撃を試みる南鮮側もタダでは済まない。北鮮からの攻撃を受けて被害を蒙った場合、南鮮人と北鮮人の両方とも困ってしまう。そこで、鮮人贔屓の議員や記者どもが人道主義を掲げて、「日本は戦争で苦しむ韓国人や朝鮮人を助ける“義務”があんだ」と言い出しかねない。「それならお前が自宅で養ってやれ」と言い返したいが、「良い事は他人のゼニで」というのが彼らの信条なので、正論を述べても無駄である。

  預言者イザヤによれば、人間の正義は女性の生理用ナプキンと同じであるそうだ。となれば、マスコミの正義なんてそれ以下に違いない。たぶん、ジジイの褌(ふんどし)くらいじゃないか。しかも、小便で黄ばんでいたりして。何はともあれ、朝鮮半島で戦争が勃発すればワイドショーが一番に騒ぎだし、「幼い子供や女性が犠牲になっています!!!」と悲鳴を上げるだろう。きっと番組の司会者が悲痛な表情を浮かべて、「私たちに出来ることはないのでしょうか?」なんて白々しいセリフを吐くに違いない。さらに、番組のディレクーから指示を受けたゲスト評論家や斜(はす)に構えた御用学者、したり顔の藝人たちが、視聴者に向かって綺麗事を並べ立てるだろう。たぶん、宮根誠司が神妙な面持ちで「何かできんとちゃうの?」と発言するだろうし、小倉智昭だとカツラを正して「本当に悲惨な出来事です。日本政府は何をしているんでしょうかね~ぇ」と非難するはずだ。「悪徳」という枕詞が似合うフジテレビのことだから、ユダヤ人のデイブ・スペクターなんかを招き、戦禍で苦しんだユダヤ人の身の上話を紹介するんじゃないか。恒例の「お涙頂戴話」はもう飽き飽きだ。しかし、こんなコメントでも効果はある。陸(おか)に上がった金魚みたいに、口をぽか~んと開けたオバちゃんたちは、「あら~可哀想ねぇ」とおせんべいを食べながら、つい同情してしまうんだから。でも、まさか自分の隣に朝鮮人が住みつくなんて考えない。「考えない」というより「想像できない」のである。

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(写真  / 色々な朝鮮人 )

  戦争が起きれば難民が発生するということは昔から解っている。米国は戦争する度に異質な難民を受け容れてきた。例えば、第二次世界大戦後、ヨーロッパでは多くの人々が故郷や住んでいた家屋を失い、臨時キャンプに身を寄せる流浪難民(Displaced Persons)となった。そこで、トルーマン大統領やリベラル派議員たちは、この哀れな外国人を引き取るべく法案を作成し、反対派を押しきって連れ込んでしまったのだ。1949年7月から1951年6月までにやって来た難民は、総勢約30万2500人である。これ以降も難民は続々と入国してきたし、終戦後からユダヤ人も難民と称して米国に移住することを希望し、1945年から毎年毎年、途切れることなく浸透し始めたのである。1949年の入国者数を見てみれば、何と3万7700名ものユダヤ人が難民として上陸したのだ。一旦国家の門を開けてしまうと、外国人を塞き止めることはできない。1952年のマッカラン・ウォルター法が制定されても移民・難民の流入を防ぐことが出来なかったし、ジョンソン政権時代に成立した1965年の移民法は人種規制を全廃してしまったから、アジアや南米から洪水の如く異民族が雪崩れ込んで来た。(前者はパトリック・マッカラン上院議員とフランシス・ウォルター下院議員が中心となって作られた制定法。)

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(左: ハリー・トルーマン  / パトリック・マッカラン  / フランシス・ウォルター /  右: リンドン・ジョンソン )

  外国人の流入は更に続く。カストロの共産主義革命でキューバからヒスパニック難民がやって来るし、ベトナム戦争が終われば大量のインドシナ難民が流れてきた。米軍がアフガニスタンやソマリア、イラクに軍事介入すれば、その都度現地から有色人種がやって来て、アメリカ社会は異民族でいっぱいだ。ソ連の崩壊を以てアメリカ国民は「冷戦に勝ったぞ !」と有頂天になっていたが、ロシアからは兇暴なマフィアがやって来るし、迫害を受けたと称するロシア系ユダヤ人は、「迫害を受けた難民」と称して渡ってきた。これは国内のユダヤ系団体の手引きである。(昔から「ヘブライ移民支援協会Hebrew Immigrant Aid Society」という組織が移民や難民を呼び寄せているのだ。) ソ連を脱出したユダヤ人というのは図々しい奴らで、イスラエルに移住すればいいのに、パレスチナのユダヤ人国家は“ユダヤ人だらけ”厭だという。それよりも、豊かで美しいアーリア人が住むアメリカ社会を選んだそうだ。こうして西歐系アメリカ人は、ユダヤ人、朝鮮人、支那人、アフリカ人、アラブ人と共存を余儀なくされ、望んでもいない「多民族国家」に暮らす羽目になった。

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(アメリカ社会を構成する民族  / 左: ユダヤ人   /  支那人   / アラブ人    /  右: アフリカ系ゲルマン人  )

  冷戦時代の難民受け容れには問題があった。ソ連による占領を恐れて逃亡した人は確かに可哀想だが、彼らに混じって左翼思考の「碌でなし」や、アメリカ社会に適合できない「下層民」、移住先に反撥を覚える「ひねくれ者」が舞い込んできたのは、アメリカ国民にとって不幸だった。イギリス風の文化と雰囲気を大切にする保守派からすれば、がさつで下品な移民が増えれば毎日が不愉快だし、自分の国を奪われたような気になるだろう。一般人は防諜活動を知らないから仕方ないけど、国内治安に当たる警察官やFBI捜査官にしたら、多民族社会というのは非常に厄介なものである。教育機関やマスコミ、政界などに不穏分子が溢れるし、外国の工作員は協力者を得やすくなる。元から左巻きのユダヤ人だと自ら進んでエージェントになったりするから危険だ。また、赤いリベラル派は「人権」を楯にして矢鱈とマイノリティーを庇うから、怪しい外国人を捜査するFBIの邪魔をすることがしばしば。日本でも朝鮮系移民が増えれば、極秘捜査を行う警察官の苦労は計り知れぬほど難しくなる。

  日本でも難民を引き込む左翼学者や市民活動家が跋扈しているけど、巷の庶民が気づいていない点が幾つかある。まず、我々には「選択の自由」が無くなるのだ。「えっ!」と思う人は筆箱で頭を叩いてみろ。左翼教育の後遺症が残っているのかも知れないぞ。紛争で逃げてきた北鮮人を歓迎する人々は、多民族国家になって嬉しいだろうが、日本人だけで暮らしたいと望む国民の意志は無視されてしまうのだ。もし、左翼議員の画策で大量の北鮮難民がやって来れば、当然、どこかの自治体に「定住先」が割り振られることになるだろう。でも、政府から朝鮮人を押しつけられた市町村の住民は戸惑うはずだ。なぜなら、自分の敷地の隣に朝鮮人が引っ越してくれば不気味だし、町内会に迎え入れようにも言葉が通じないから、一々通訳を介しての会話となる。それに、朝鮮語の通訳がいつまで駐在するのか分からない。

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(左: 記念写真を撮る朝鮮人娘  /  右: 泥酔した顔に落書きをされた朝鮮人女性)

  さらに厄介なのは、子連れの北鮮難民だ。彼らの子供たちは地元の小学校、あるいは中学校に入ることになるから、面倒を見る教師だって困ってしまうだろう。学校では地元の子供が鮮人の編入生を嫌うし、授業の質も低下するはずだ。一方、除け者にされた朝鮮人たちは徒党を組んで日本人生徒に対抗するだろう。民族の違いが原因で起こるイジメ問題で悩む教師は、「なんで政府は俺たちに余計な仕事を押しつけるんだ」と泣きたくなる。日本人保護者も学校の“格”が下がって不満が爆発するし、子供の受験が心配になってくるだろう。校長先生だって、「何もオレの退職間際にこんな問題が起きなくったって・・・。人生山あり谷ありでも、長いものには巻かれろだ。恩給を貰うまで万事穏便に我慢する、がモットーだったのに、うっうぅぅ!」と涙がこぼれてくる。悪い時に悪い事は重なるものだ。下劣な難民が群がったことで、周辺地域の地価は暴落。住宅ローンを抱えた平民は、引っ越そうにも資金が無い。自宅を売却しようにも、思ったような高値が付かないし、かといって二束三文で売り払えば、残金という負債を抱えて貧乏暮らしが目に見えている。夢の一軒家を購入して悪夢に悩まされるなんて、冗談じゃない。歯を食いしばって働いてきたきたお父さんは惨めだ。泣く泣く自宅を売り払っても、引っ越し先には四畳半のボロ長屋しか見つからないんだから。「イヤだ、あんな狭いアパートに住みたくない!」とゴネる妻子に向かって、「しようがないだろう。父さんが悪いんじゃないんだ。文句なら議員どもに言ってくれ。俺だってつらいんだ」と愚痴る父親は惨めである。各家庭のオっちゃんたちは、「こんな日本に誰がした! オレは承知してないぞ!」と怒っても後の祭りだ。

  という訳で、秕政(ひせい)に苦しむのはいつも庶民である。命からがら逃げ出してきた貧乏賤民が、東京や京都にある高級住宅地に配属されることは絶対無い。白銀台よりも板橋区か荒川区が適地となる。普通の日本人でも住めない一等地に、難民収容施設が建設されるなんてあり得ない。難民に同情的なテレビ局や新聞社があっても、その重役たちは貧民が寄りつかない別世界に住んでいる。彼らの子供たちは難民を知らずに名門私立学校に通い、小中高さらに大学までエスカレーター式に進んでしまう。彼らのご学友は同じ毛並みの「御曹司」や「ご令嬢」ばかり。英語で白人の友達と話すことはあっても、朝鮮語で北鮮人と会話を楽しむなんてことは一切無い。育ちの悪い朝鮮人や慣習の異なる外人と「同級生」になるのは、私立学校を「選択」できない庶民の子供である。高額所得者なら我が子を朝鮮人のいない少人数精鋭クラスに入れて、しっかりと勉強させるだろう。庶民の子供は中学生になっても授業内容は小学校と同じ。難民の子と一緒に「数学」じゃなくて「算数」の復習だ。中三でも台形の面積とか速度の計算が分からぬ子が集まるクラスだと進学は絶望的。アルファベットを全部書けたら満点、じゃぁ先が暗い。

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(左: 公立学校に通う日本人が友達とする朝鮮人のタイプ / 右: 名門学校に通う日本人が親しくなれる西歐人のタイプ )

  一方、公立学校では自分の好きな者を級友に選べない。例えば、小学五年生や中学二年生の子供なら分かるだろうが、学年が変わってクラス編成となるや、仲良しグループがバラバラにされ、別々のクラスになっていたという経験は珍しくないはずだ。高額な授業料を「お客様」から頂く私立学校なら、いくらでもお客の「ご要望」に応えるから、親友と離れ離れになることはないし、新たに級友となった子供でも、一生涯の親友に相応しい人物だったりする。親の所得や身分で子供の選択肢が左右されるんだから、「選択の自由」が無い家庭に生まれた子供は、親と社会を恨んでしまうだろう。しかも、彼らが成人する頃には国民皆保険や国民年金の掛け金が増えているだろう。中流家庭の日本人世帯が年に50万ないし70万払うのに、低所得の鮮人家庭は年数千円か免除だったりするのだ。子沢山の母子家庭になればもっと楽。「国民年金」と称しても、「国民」が「地球人」と同義語になっていたりする。また、その実態は「掛け捨て保険」で、長生きすればちょっとは得だが、過労で早死にする人は払い損になるだろう。日本人の勤労者がもらう年金額は雀の涙ていどなのに、途中から割り込んできた朝鮮人は、「福祉補助金」という名目で対等の「年金」をもらうんだから、汗水垂らして納税する日本人は馬鹿らしくなる。あれやこれやと、様々な間接税を取られる日本人は哀れだ。いくら温厚な日本人でも限度があるぞ。

肉体が変質する日本人

  異民族が混在する社会では、必然的に様々な混血児が増えてしまいがちだが、それでも混血を避ける人々がいて、純血を守った集団と雑婚をした集団が分離する階層社会だってある。ただし、「純血」といっても漠然としたもので、西歐なら白色系ヨーロッパ人同士とか、ケルト系とゲルマン系、あるいはスラヴ系との雑種的純血などまちまちだ。でも、白人という種類を維持しているという点で「純血」と言えよう。日本でも日鮮混血児が増えると思うけど、日本人の血統を守った者が朝鮮人と交わった者を差別する、という時代が来るかも知れない。戦前でも朝鮮人と結婚する日本人は稀で、普通の日本人は朝鮮人との婚姻を避けた。見合い結婚が半分だった頃、世話好きのオバはんが、年頃の娘に「いい人がいるんだけど会ってみない?」と持ちかける事はよくあった。しかし、その見合い相手が朝鮮人男性なんて事はまず無い。そんなことをすれば娘の両親が憤慨するし、跡継ぎの一人娘なら祖父母だって黙っちゃいないだろう。昔気質のお爺ちゃんだと、「無礼者」と叫んで伝家の宝刀を抜くかも知れない。だいたい、朝鮮人との縁組みなんて世間に知られたら恥ずかしいし、生まれてくる孫が朝鮮人なんて考えただけでも厭だ。それに、いくら縁結びが趣味のオバはんでも、そんなアホなことはしないだろう。だから、朝鮮人と結婚した日本人は肩身が狭かったし、日本人同士で結婚したカップルとは何となく違う世界に属しているような気分になったものである。

  美容整形の専門家である高須克弥院長じゃないから分からないけど、日本人で朝鮮的容姿に憧れる人は何割くらいいるのか? 朝鮮人との結婚数が増えれば、当然、朝鮮人のツラをした日本人が増えるはずで、地理的には玄界灘で隔てられていても、人種的には陸続きとなってしまうだろう。西歐系アメリカ人だって、朝鮮人移民と混血するようになれば、朝鮮風の人相になってしまい、ヨーロッパ人の祖先とは違った容姿になる。既にアフリカ系黒人との混血児もいて、有名人を挙げるとすれば、女優のタエ・ヘッカード(Tae Heckard)やソーニャ・ソーン(Soja Sohn)が思いつく。ソーンはTVドラマの「ボディー・オブ・プルーフ」や「ザ・ワイヤー」に出演していたから、日本人でも知っている人は多いだろう。黒人はどう思うか分からないけど、朝鮮人はこうした混血児が大嫌いだ。それなら、アメリカ白人が朝鮮人を嫌ってもいいハズなんだけど、それは駄目らしい。また、ドラマの「デクスター」で日本人役をしていたC.S.・リー(Charlie S. Lee)や、「スター・トレック」で日本人的キャラクターを演じていたジャクリーン・キム(Jacqueline Kim)を覚えている人もいるんじゃないか。数名の日本人は「おいっ! あいつらは日本人じゃねぇぞ」と不愉快になるだろうが、西歐人からすれば朝鮮人と日本人の違いは無い。朝鮮からの移民が続けば、やがて国内の日本人も両者の違いに鈍感となるだろう。

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(左: タエ・ヘッカード  /  ソーニャ・ソーン  /  ジャクリーン・キム /   右: C.S. リー)

  米国には、朝鮮戦争や経済不況のせいもあって、意外なほど朝鮮系移民が多く、藝能界でも近年非常に目立つようになってきた。例えば、NHKが放送するABCの「ナイトライン」でキャスターを務めるジュージュー・チャン(Juju Chang)や、ヒット作作品なったドラマ「ザ・メンタリスト」で刑事役を演じたティム・カン(Tim Kang)、同じくドラマの「グレイズ・アナトミー」で医者を演じたサンドラ・オー(Sandra Oh)である。ただし、彼らは実力というより、有色人種優遇制度でチャンスを摑んだとも考えられる。ジュージュー・チャンはCBSでアンカーとなった支那系のコニー・チャンと同じような立場だし、ティム・カンはレギュラー出演者だったけど、主役のサイモン・ベーカーに及ばない。それどころか、ゲスト出演者の影にも隠れて霞んでしまうのだ。たぶん、ドラマの監督は誰でもいいからアジア人を「指定枠」に埋めて、テレビ局側のOKを取りたかったのだろう。

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(左: サンドラ・オー  /  ジュージュー・チャン/ ティム・カン /  右: サイモン・ベーカー)

  ハリウッドにおけるアジア人には「個性」がなく、支那系、朝鮮系、日系、フィリピン系と別れていても、どの役者が誰なのか区別がつかない。みんな同じように見えてしまうのだ。朝鮮人俳優なんてドラマの途中で交替しても文句は無い。例えば、「ハワイFive-0」や「ロスト」に出演したダニエル・キム(Daniel Dae Kim)なんてどうでも良いし、「ウォーキング・デッド」に出ていたスティーヴン・ユン(Steven Yeun)が消えたって寂しくはない。白人層に無視される朝鮮系役者が、アジア系アメリカ人の中でどれほどの人気を誇っているのか分からないが、日系アメリカ人の間で人気があるとは思えない。日本人でも「グレイズ・アナトミー」でサンドラ・オーの恋人役を務めたケヴィン・マクキッド(Kevin McKidd)の方に関心があるんじゃないか。彼は大作「ローマ」(TVドラマ)で人気役者となったから、サンドラよりも遙かに知名度がある。西歐系女性が彼女をどう思うか定かではないが、いくら豊胸手術を受けた日系人女性でも、サンドラ見たいな容姿に憧れて、美容整形を希望する人はいないだろう。でも、日系人男性がサンドラと結婚すれば、娘が母親に「生き写し」となる可能性はある。

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(左: ダニエル・キム  / スティーヴン・ユン /  ケヴィン・マクキッド/  右: マーガレット・チョー)

  朝鮮系アメリカ人には色々なタイプがいるけど、マーガレット・チョー(Margaret Cho)の印象は強烈だ。彼女は無名以上有名未満の女優だが、どちらかと言えば、バイセクシャル(男女両方と恋仲になることができる人間)として有名である。ある時は刺青のデブ、またある時はレズビアン、なんて説明を聞いても感心しないよね。キューティー・ハニーならうっとりするけど、マヨネーズの容器みたいな体型じゃぁ、秋葉原のオタク男性だって萌えないだろう。如月ハニーが変身する時に見せる裸体ならいいけど、チョーが見せる変身では目を蔽いたくなる。それにタイツ姿が不気味だ。彼女はパンサークローの手下が似合っている。(高校生の読者には分からないだろうけど、「パンサー・クロー」はハニーを狙う悪党なんだよね。また、アニメのオリジナル版だと、ハニーの七変化に「ルンペン」や「せむし男」があった。どおりで、再放送が無かった訳である。愚痴になってしまうけど、現在よりも放送禁止用語が許されていた昭和の方が自由だった。)

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(左: マーガレット・チョー  / 中央と右:  ハニー役が似合いそうなニッキー・コノリーとアリ・ラーター)

  脱線したので話を戻す。日本で生まれ育つ朝鮮系の子供は、日本の子供と全く同じ発音で日本語を喋るから、実質的に日本人と朝鮮人の区別は無くなってしまう。短気で見栄っ張りな朝鮮人でも、それは民族的というより個人的性格となるし、街を歩いているだけの朝鮮人だと、その姿から祖先を想像することはではない。名前だって日本人と結婚することで日本風になるから、朝鮮人の素性を「洗浄」したことになる。(ただし、それを「ネーム・ロンダリング」と呼ぶかどうかは知らないよ。朝鮮人の系譜は油絵みたいなもので、絵の具を重ね塗りするように、自分の過去を次々と塗り替えてしまうから、下地に何が描かれていたのか、日本人の第三者には分からない。) ところが、世間というのは不思議なもので、朝鮮人が血筋を隠そうとすればするほど、日系国民は彼らの素性を知りたくなるし、その家系が判明すると「やはり、あの人は朝鮮系だったのか!」と納得する場合がある。こうなると、朝鮮系国民は「日本人だって朝鮮人みたいな顔つきじゃないか!」とか、「オレと何が違うって言うんだ? 差別だ、赦せない。日本人なんか、みんなレイシストで右翼だ!」と憤慨するだろう。

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(左: 日本に避難すれば日本国民に なってしまう朝鮮人の子供たち / 右: 日本への帰化を許されそうな 朝鮮人の親子)

  こうした非難が湧き起こることで反省する日本人もいるだろうが、その反面、朝鮮人との同化(assimilation)が進むにつれ、平等主義者を偽装(dissimilation)し、本音を隠す日本人が増えてしまうのは皮肉なものである。たとえ、学校教師や公務員が熱心に「差別を無くしましょう」と呼びかけたところで、日鮮間の憎しみは見えない所で深まるし、私生活の部分でもっと強力な嫌悪感が熟成されるだろう。おそらく、朝鮮人との混血児は親が何と言おうが自分の血統を忌み嫌うだろうし、日系日本人は偽善を装いながら「朝鮮人の血が混じってなくて良かった」と安堵するはずだ。したがって、将来の日本では民族的分離が一層拡大するかも知れない。かつて、日本人は無意識のうちに国民的紐帯で繋がっていた。しかし、北鮮難民を受け入れれば、その絆はもっとズタズタにされ、いつの間にかお互いがギスギスとした間柄になり、日本は猜疑心に満ちた社会となってしまうだろう。

  日本人は北鮮のミサイル打ち上げに一喜一憂しているが、本当の大量破壊兵器は半島からの大量難民だ。北鮮は日本に向けて核ミサイルを撃ってこないだろう。国民より自分の命が大切な朝鮮労働党の幹部は、自殺行為となる核戦争の前に逃走するし、いざとなれば金正恩をみんなで刺し殺すかも知れない。米軍だって在日アメリカ人を守る為に先制攻撃を仕掛けるだろう。合衆国大統領は日本人が百万人死んだって気にしない。週末のフットボール試合の方が大切だ。でも、日本各地に散らばっているアメリカ人の命は見過ごせない。核の被害でアメリカ国民を死なせるわけには行かないので、その前に北鮮人を皆殺しにする。米国は拉致被害者を見棄てる日本人とは違う。だから、命が惜しい日本人はアメリカ国民の近くに住むことだ。それがむりなら、せめてトランプ大統領の著書を購入して、「私はあなたの大ファンです」と訴えるしかない。日本のパスポートを持っていたって助けてもらえないぞ。

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(左: 頼りにならない日本の首相  / 右: 頼もしい米国の大統領 )

  日本人は朝鮮報道には敏感だが、金王朝が「どうしたこうしたと」いう三面記事ばかりで、我々はどんな軍事行動を取るべきなのかを議論しない。「日本は独自で防衛ができない」と判れば、もっと真剣な国会討論となるだろう。専守防衛なんて無意味だ。第一攻撃を受けた日本人は既にあの世行きじゃないか。朝日や毎日新聞の社員と家族が先ず始めに三途の川を渡ってくれ。もう、朝鮮問題をいつまでもグズグス答弁する国会風景はたくさんだ。それよりも、朝鮮難民を排斥する方策を討議すべきである。毎回そうだけど、優先事項を後回しにするんだから、国会議員は怠慢だ。しかも、問題が深刻になった頃には、移民受け容れの決定を下した議員は引退しているんだから腹が立つ。肝心な時に責任者が責任を取らないのは日本の特徴である。貧乏くじを引くのはいつも庶民だ。「責任者出てこい!」との決め台詞を吐いていた、漫才師の人生幸朗(じんせいこうろ)が亡くなって久しい。一般有権者は早く代議士に向かって明確に「難民はイヤ」との意見を表明すべきだ。



 
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