無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年08月

ダイアナ妃の死亡は永遠に謎

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !!


目撃されたバイクは何処かに消えた?

Princess Diana 7Queen Elizabeth 21









  「あぁ、あれから20年 !」と感嘆れば、綾小路きみまろみたいだが、今年は英国のダイアナ妃が亡くなってから20年目になる。筆者が彼女の訃報を知ったのは、米国の学生寮に居た時だ。確か、調べ物をしていた夜の出来事で、テレビをつけていたら速報が入ってきたのを覚えている。彼女が乗っていた車が、パリのトンネル内で事故を起こしたという報道だったから、にわかに信じられなかった。当初、スピードの出し過ぎで交通事故を引き起こしたものと思っていたのだが、次第に事故の状況が明らかになるにつれ、筆者には疑念が生じてきた。原則として、筆者は根拠無き「陰謀論」に与しない。邪推を重ねることで結論を出すことに同意できないからだ。もちろん、世界には本当の「秘密工作」や「謀略殺人」があるから、一概に全ての「陰謀論」を否定することはできない。でも、それを信じるには、何らかの理由や証拠が必要だから、怪しい事件を追及する時は、公表された事実に基づき常識的な判断をした方が無難だ。

  日本でも1997年8月31日に起きたダイアナ妃の「交通事故」は、テレビや新聞で大々的に報道されたから、ここでは敢えて詳細に述べない。そこで、主要な点だけを挙げてみたい。ダイアナ妃はエジプト人の恋人ドディ・アル・ファイド(Dodi Al Fayed)と一緒に、パリの高級ホテル「リッツ」に滞在していた。しかし、パリでもパパラッチ(追っかけ撮影者)が五月蠅(うるさ)く、藝能記者を嫌ったダイアナとドディは、「リッツ」を抜け出し、凱旋門近くにあるドディのアパルトマンに向かうことにした。そこで、午後10時頃に運転手のアンリ・ポール(Henri Paul)が呼ばれたのである。彼は「リッツ」ホテルの副警備室長で、午後7時にはその日の通常業務を終えていたそうだ。

Diana 28Dodi Al Fayed 1Henri Paul 2Trevor Rees-Jones 3








(左: ダイアナ妃  / ドディ・アル・ファイド  / アンリ・ポール  /  右: トレヴァー・リース・ジョーンズ )

  ドディたちはパパラッチを出し抜こうと、囮の車をホテルの玄関に廻すことを思いつく。つまり、陽動作戦を用いてパパラッチの注意を逸らそうという訳だ。深夜0時近くなって作戦は決行された。リッツ・ホテル専属の運転手フィリップ・ドアノーが、囮のリムジンで表から発進すると、その隙にそっと、ダイアナとドディを乗せたメルセデス・ベンツが裏から出ていった。ドディとダイアナを後部座席に乗せた車は、アンリ・ポールがハンドルを握り、助手席には護衛役のトレヴァー・リース=ジョーンズ(Trevor Reese-Jones)が陣取っていた。

  ところが、老獪なパパラッチどもは、こうした“稚拙な”子供騙し引っ掛からなかった。雲霞の如き「たかり屋」は、ホテルの周囲をぐるりと取り巻いていたし、一攫千金を狙うハイエナどもはホテル従業員の一人、クリスチャン・マルティネスを買収していたのだ。彼がパパラッチに情報を漏らしていたので、ダイアナとドディの動きは筒抜けだった。当時、マスコミはドディが指輪を購入したという情報をキャッチしていたので、「もしかしたら、ダイアナとの婚約間近かなんじゃないか?!」と期待していたのだ。もし、左指にエンゲージ・リングを嵌めたダイアナを真っ先に撮影できれば、どれほどの大金が懐に転がり込むのか判らない。ゲスどもが興奮したのも当然だ。

  公式の事故報告書によると、ダイアナたちを乗せたベンツは、時速130km近くで直線道路を走行し、トンネル内にあるコンクリート柱に激突したという。その時のスピードは、時速100km弱であった。この衝突にはオートバイに乗ったパパラッチが絡んでいたのだが、なぜかフランスの司法当局はこれを無視。何とも奇妙な話だ。通常の交通事故なら、捜査官は全ての関係者を洗い出し、目撃者も含めて尋問を行うはずである。そうでないと事故の全体像が摑めないからだ。しかし、事件の捜査では、何人かの重要人物が無視されていたのである。例えば、アルマ・トンネル内で白いフィアット・ウノ(Fiat Uno)がベンツに接触して事故を誘発したのだが、運転手への徹底した追求は無かった。もちろん、フランスの捜査当局は運転していたジェイムズ・アンダンソン(James Andanson)を尋問したが、奇妙なほどアンダンソンは余裕で答えていたという。というのも、彼はフランスとブリテンの諜報機関に人脈(コネ)があり、以前からこれを周囲に自慢し、捜査官にもそれとなく臭わせていたのである。

James Andanson 1James Andanson Fiat Uno









(左: ジェイムズ・アンダンソン  /  右: 白いフィアット・ウノ)

  ところが、三年後に思わぬ悲劇が起きた。ナント近くの森でアンダンソンの焼死体が発見されたのだ。(Noel Botham, The Murder of Princess Diana, Pinnacle Books, ,Kensington Publishing, New York, 2004, p.264) フランスの警察は自殺と判定したが、何となく腑に落ちない。なぜなら、焼死体を見た消防士の話によると、アンダンソンの頭部には「2発」の銃弾が撃ち込まれていたからだ。拳銃自殺というのは解るが、第一発目を自分の頭に撃ち込んだ者が、続けて第二発目を撃ち込めるとは思えない。日本人の自殺者なら、第一発目で即死だ。まぁ、ヨーロッパには奇人変人に加えて、タフな「超人」がいるんだろう。くれぐれも「実行部隊が口封じのために殺したんじゃないか?」と疑っちゃいけないよ。「陰謀論」を否定する警察の公式発表なんだから。とにかく、不可解なことは他にもあって、紹介したら長くなるので省略する。

  話を戻すと、実際、アルマ・トンネルに入って行くベンツとオートバイを見た、という目撃者は複数存在した。例えば、写真現像助手のブノワ・ブーラは、高スピードでベンツを追跡するオートバイが存在したと語っている。(リチャード・ベルフィールド 『暗殺の政治史』 德川家広 訳  扶桑社 2008年 p.241) また、恋人と一緒にランチァに乗っていた学生のマリーン・ボケンは、時速110kmから120kmで走行しながらベンツを抜くオートバイに追い越されたと記憶していた。当日、近くを歩いていたアニック・カトリーヌという女性と、彼女の夫であるジャン・クロードは、高速で走るベンツを目撃したが、ベンツの直ぐ横を大型車が走っていたと証言している。そして彼らの娘マリー・アニエスは、二人乗りのオートバイを至近距離から目撃し、事故の後、そのオートバイが勢いよくトンネルを走り抜けて行ったというのである。

  さらに、反対方向から来た目撃者もいたという。金融アナリストのクリストフ・ラスコーは、トンネルに入って行ったベンツの直ぐ後ろを、オートバイが二台走って行ったと証言している。エンジニアリング・コンサルタント会社に勤めるティエリー・ハケットの証言は重要である。アンリ・ポールが運転するベンツの横には、明るい色のオートバイが終始寄り添っていて、トンネル内に入っても、そのオートバイはピッタリとくっついていたらしい。彼の記憶によれば、ベンツはオートバイから走行妨害を受けていたという。また、ベンツとオートバイは共に時速120kmを越える猛スピードで走っていたというのだ。

  さらに、気になる証言もあった。トンネルに入ったベンツがフラッシュの光に包まれた、というのだ。これを述べる証人は三名いて、その内の一人は先ほどのブノワ・ブーラである。他の二人、クリフォード・グールーヴァドゥーとオリヴィエ・パルトゥッシュは、トンネル近くで佇んでいた。パルトゥッシュによると、ベンツの前には一台の自動車がいて、わざとスピードを落としてベンツの前進を阻み、オートバイが近づきやすいようにしていたそうだ。トンネル内部で、ベンツの前を走行していたフランソワ・レヴィストルも、同じタイプの明るい色をしたオートバイを目撃していた。二人乗りのバイクが蛇行しながらベンツの前に出て来て、強烈なフラッシュを浴びせかけたというのである。その直後、ベンツは左右にジグザク走行をするようになったそうだ。

  だが、レヴィストルの証言には信憑性が無かった。というのも、彼は裏社会の人物であるからだ。レヴィストルは以前、ケチな詐欺で有罪判決を受けていた。確かに、前科者の証言は当てにならないが、偶然起きた事故現場には「善良な一般人だけが居合わせる」とは限らない。悪党だって自動車を運転するから、“偶然”にも悲惨な事故を目撃することだってある。例えば、新宿にある違法賭博場や売春ホテルで火災が起き、放火の可能性があったら、警察官は目撃者がヤクザやチンピラの助平でも、不審な人物を見たという証言を信じて、一応それなりの捜査をするだろう。レヴィストルのケースも同じで、元犯罪者でも「事実」を語っている場合がある。しかし、フランスの警察は彼が若くて魅力的な女と結婚していたから怪しいと判断したそうだ。(上掲書 p.243) 日本人なら「えっ ?! 何それ? 事件と関係無いじゃん!」と突っ込んでしまうが、流血の大革命以来、フランス人は精神を病んでいるから仕方がない。一方、レヴィストルによると、警察は証言を変えるよう圧力を掛けてきたそうだ。

  警察が圧力を掛けたという証人は、レヴィストルだけじゃなかった。セリーヌ・バンジューは現場から猛然と走り去るバイクを目撃していたし、カメラマンのグレゴリー・ラッシンジャーも、白っぽい大型のバイクが事故発生の直後に走り去ったと証言している。事故発生の直前と直後に明るい色のオートバイが現場に居たという事実に関しては、他にも数名の証人がいたのだが、警察はそれら全てを無視した。アメリカ人のマーケッティング・コンサルタントであるブライアン・アンダーソンは、反対方向からタクシーに乗って現場近くを通りかかったのだが、三台のオートバイがまるで襲撃するかのようにベンツを追跡していた、と語っていた。その内の一台がベンツを追い越し、その直ぐ後に事故が起きたという。フランスの警察はアンダーソンから話を聴かず、アメリカ人観光客による「悪口」と書いたメモだけを残して、あとは無視。「そんなアホな !」と思うのは真面目な日本のお巡りさんだけ。

Richard Tomlinson 1(左  /  リチド・トムリンソン)
  不可思議な事件には、信用できそうで、できない人物も現れるから、我々は注意しなければならない。1998年の夏、フランス警察に英国の元諜報員(MI6)であるリチャード・トムリンソン(Richard Tomlinson)が接触してきた。彼の話を鵜呑みにはできないが、その事件では「閃光銃(フラッシュ・ガン)」が使われた可能性があるというのだ。(トムリンソンの目的が何なのか断定できないが、ここでは一応彼の話を信じることにする。) 以前、彼が国連職員を装ってボスニアに赴任した時、「閃光銃」を使ってユーゴスラビアの大統領ミロシェヴッチを暗殺する計画があったらしい。強力な「閃光銃」を携帯したバイク乗りが、ミロシェヴッチの専用車の前に躍り出て、閃光を放つことで運転手の視界を奪い、分厚いコンクリートの壁にでも衝突させて殺そうとしたそうだ。こうした「閃光銃」は兵器市場で一般に販売されているので、決して入手困難な代物ではない。実際、1983年、東ドイツの秘密警察シュタージュが西側に亡命したルッツ・アイゲンを「閃光銃」で暗殺したというから、全くの絵空事とは思えない。トムリンソンは情報を伝えようとステファン判事に接触しようとしたが、なぜかフランス警察に逮捕され、袋叩きに遭ったそうだ。肋骨を折られたトムリンソンは、ラップトップ・パソコンとオーガナイザーを没収され、MI6に引き渡されたという。我々には本当のところは判らない。ただ、彼はMI6とCIA、DST(フランスの諜報機関)が手間を掛けて妨害したと主張し、これらの諜報機関は何かを隠したがっていると結論づけた。

  酷いのは警察官だけではない。フランスの裁判官はベンツのスピードとオートバイに乗ったパパラッチとの間には、明確な関係は存在しないと結論づけた。確かに、証言者たちの話に食い違いがあった。しかし、他の事故や事件でも、目撃証言が完全に一致することはあるまい。むしろ、各人の証言が微妙に食い違っている方が自然だ。人間の記憶には信頼できる部分と、思い込みや曖昧さによる部分があるから仕方がない。だからこそ、警察官は様々な証言と物的証拠を付き合わせて、事件の全体像を再現しようとするのだ。注目すべきは、ベンツが熾烈なカーチェイスを繰り広げていたという点で、証言者の全員が一致していた事である。それにのに、事件を担当したエルヴェ・ステファン(Hervé Stephan)判事は、「ダイアナとドディを追い回している者はいなかった」と喝破した。(上掲書 p.247) つまり、このフランス人判事は何が何でもパパラッチを無罪放免にしたかったのである。どうしてなのか? 常識的に考えると、「歪曲的判断」が混じっているとしか思えない。

Richard Dearlove 1Alma tunnel 2










(左: リチャード・ディアラヴ /  右: 監視カメラが作動していなかったアルマ・トンネル)

  もう一つ附け加えると、事故当日の夜、ベンツが通った道路の監視カメラが、なぜか「オフ」になっており、“偶然”なのだろうが、アルマ・トンネルの監視カメラもスイッチが「オフ」になっていた。どうして11台ものカメラが作動していなかったのか解らない。たぶん、機械の誤作動や故障が「偶然」にも重なったのだろう。まったく、偶然の「一致」というのは怖ろしい。もし、誰かがスイッチを「オフ」にしたのであれば、その人物は確実に尋問されるから、容疑者が居なかったということは、何らかの「故障」なんだろう。まさか、リチャード・ディアラヴ卿(Sir Richard Billing Dearlove)が部下に命じた訳じゃあるまい。ちなみに、彼は当時、英国諜報組織(SIS / MI6)の長官を務めていた人物である。監視カメラ記録の映像でベンツの様子や、パパラッチの行動を確認できないのは残念だが、機械の不具合はよくあることだから、ダイアナ妃は“たまたま”運が悪かったのだろう。

誰の血液なのか判らない !!

  異常な捜査と判断は他にもあった。ステファン判事は“不適切”な証拠に基づき判決を下していたのだ。事故で死亡したアンリ・ポールの血液は、彼の胸元から掬い上げたもので、しかもラベル附けがいいかげんだったという。血液標本が「汚染」されている可能性は高く、分析方法も不正確なものだった。ところが、この検査結果がマスコミに公表されたのだ。ブリテン人の検死官であれば絶対に使わない証拠品である。まともな検査が実行されたのは、事故が起きてから五日が経った頃で、その時は血液標本を太腿の動脈から採取するという、信頼性の高い方法が取られたそうだ。しかし、第二回目の検査結果は、第一回目のものと小数点第二位まで一致するという「稀有」なものだった。「なにぃぃぃ?!」と驚いちゃいけないよ。ちゃんとしたフランス人の検死官や科学者が行った検査なんだから。でも、事故を調べていたリチャード・ベルフィールド(Richard Belfield)は、ある検死医の話を紹介していた。この専門家によると、そんな検査結果はあり得ないという。血液検査というものは、5分の差で違った結果が出るからだ。しかも、最初の標本がきちんと貯蔵されていたという記録が無い。それで検査結果が一致したというなら奇蹟だ。(たぶん、イエズス・キリストがフランス人の為に血液採取をしてくれたのだろう。昔、神様は水をワインに変えることができたから、古い血液を新鮮な血液に変えてくれたんじゃないか。)

  検死医の話まだ続く。報告書によれば、アンリ・ポールの血中一酸化炭素濃度は20%を越えていた。これに関して疑問が湧き起こったので、フランス当局は説明を迫られたという。しかし、ステファン判事と同様に、血液検査の結果を説明する破目になったペパン医師も信頼することはできない。といういのも、彼が最初の血液検査を担当した医師であるからだ。ペパン氏によると、運転手のアンリ・ポールが吸い込んだ一酸化炭素は、エアバッグのものであるという。しかし、これは妙だ。なぜなら、ベンツのエアバッグを膨らませる気体は窒素で、ポール氏が吸い込んだと推測される一酸化炭素ではない。しかも、「公式」の検死報告書では、ポール氏が「即死」となっていたのだ。彼は車の衝突で首の骨が折れ、大動脈が心臓から引き千切られたこともあって、エアバッグが開いた時には、何も吸い込むことができなかったはずである。死体の血液が血管を循環するなんてあり得ない。これは火災事件の場合でも同じだ。例えば、ある遺体が意図的に火災現場に置かれても、煙を吸い込んで肺が汚れるということはない。なぜなら、死体は呼吸しないからだ。

Henri Paul at Ritz HotelDiana inside Ritz Hotel









(左: リッツ・ホテルで録画されたアンリ・ポール   /   右: 録画ビデオに映るダイアナ妃)

  こうなると、フランス側の説明は苦しくなる。もし、アンリ・ポールが事故の直後に一酸化炭素を吸っていないとすれば、リッツ・ホテルに居た時、既に彼の血中に多量の一酸化炭素が溶け込んでいたことになる。しかし、半減期が4時間の一酸化炭素の血中濃度が、事故の衝突時に20%ということは、衝突の4時間前にその倍の40%で、衝突の2時間前、午後10時には中間値の30%くらいということになる。しかも、血液検査によれば、ポール氏は空腹にウィスキーのシングル・ショットを7杯流し込んでいたことになるそうだ。多量の一酸化炭素に加え、それ程のアルコールを摂取していれば、アンリ・ポールは千鳥足でフラフラなはず。ろれつが回らず、足が持たれるはずなのに、ホテルで録画された監視ビデオを見ると、彼の動きは滑らかで、しゃがみ込んで靴紐を結んでいたのだ。さらに、ドディの警護員二人と談笑をしていたというから驚く。とても酔っ払いには見えない。我が国では、夜中に警察官が酔っ払い運転の取締を行っているが、いったい彼らの何名が「しらふ」の酔っ払いを信じることができるのか? 白線の上を真っ直ぐ歩けないのが、普通の酔っ払いなんだぞ。まぁ、フランス人は日本人と神経の構造が違うのだろう。

  アンリ・ポール氏の両親は、息子の血液標本を信じていないそうだ。1999年以来、彼らは第三者によるDNA検査を行うため、問題となった血液標本を求めたが、フランスの行政と司法から妨害され、言いようのない不満を積もらせていた。まぁ、遺族としては当然だろう。血液検査にいつて理に適った唯一の説明は、血液標本がアンリ・ポール以外の人物から採ったということだ。パリの法医学研究所の死体置き場は、信じられぬほどの混乱をきたしており、書類や血液標本がきちんと保管されていなかった。基本的な書類仕事は手つかずで、血液標本が「いつ」「誰から」「どれだけの分量」が採取されたのか、何も記録が残っていないのだ。まともな組織学的分析も行われておらず、冷凍保存すらなされていなかった。これじゃぁ、誰の血液標本か判らないし、ポール氏の標本が本物かどうかも怪しいものである。案の定、アンリ・ポール氏に関する報告書では、血液標本の記述がメチャクチャだった。これに輪を掛けて、ドディ・アル・ファイドの血液標本もひどい。当初の報告では、彼の血液や尿が採取され、コカインの反応が出たと言われていたのに、新しい報告書では「いかなる標本も採取されなかった」と記されていたのだ。じゃあ、最初の報告書は何だったのか?

ダイアナが妊娠 ?

Princess Diana 9
  もっと驚くのは、ダイアナ妃の検死記録である。なんと、彼女の遺体は検死前なのに防腐処理が施されていたのだ。(Noel Botham, The Murder of Princess Diana, p.226) 専門家による検査が行われていないのに、腰から上にかけて保存処理をするなんて異常である。このトンデモない「処置」は、プリンス・チャールズの代理人を務めるマイケル・ジェイ卿(Sir Michael Jay)が、フランス当局に要請したものであるらしい。だが、事故当時ダイアナ妃は離婚していたから、遺体に関する要請は、遺児であるウィリアム王子か、スペンサー家の兄弟というのが筋だろう。ダイアナ妃の遺体は英国に運ばれ、ウエスト・ロンドンのハマースミス・フルハム遺体安置所で司法解剖が行われたそうだが、助手のロバート・トムプソン氏によれば、遺体には幾つかの詰め物がなされていたという。そして、これらの「詰め物」はフォルムアルデヒト(formaldehyde)、あるいはフォルマリン(formalin)が染み込んでいたそうで、臭いですぐ判ったそうだ。フランスの法律では死体解剖前に防腐処置をしてはならないと定められている。なぜならば、こうした薬品が毒物検査を台無しにしてしまうからだ。たとえ、交通事故でも直ぐさま毒殺の可能性を否定すべきではない。

  もう一つ異例なのは、ダイアナ妃の妊娠検査が行われなかったことだ。通常、彼女くらいの年齢なら、遺体の検死で妊娠の有無を調べる規則になっている。それなのに、妊娠していたかどうかを調べないなんておかしい。これは、「誰か」からの「禁止命令」があったからじゃないのか? 「デイリー・メール」氏のスー・リード(Sue Reid)記者によれば、ドディと交際していたダイアナは、ロンドンの病院で“こっそりと”妊娠検査を受けたそうだ。もちろん、この「お忍び」検査は公表されていなかった。また、確認は取れないが、ダイアナ妃は親友のローザ・モンクトン(Rosamond Mary Monckton)に、生理の状態を密かに打ち明けていたらしい。(彼女は「スペクテイター」誌の編集者ドミニク・ロウソンDominic Lawsonと結婚したから、「ロウソン」姓になっている。) もし、ローザがダイアナの妊娠を聞き出していたなら、必ずや弟のアンソニー・モンクトン(Anthony Leopold Colyer Monckton)に伝えたはずだ。彼は表向き英国の外政官となっているが、トムリンソンによれば、対外工作を行うMI6の諜報員らしい。(Noel Bothan, p.229) ローザはダイアナの元へ派遣された「お目附役」だった可能性が高い。つまり、王室の安全と威厳を守る警護官たちは、御転婆娘が何をしでかすか分からないので、ローザに「親友」になる任務を与え、ダイアナの私生活を逐一報告するよう命令した訳だ。

Rosa Monkton & Dominic Lawson 1Diana & Rosa Monckton 1









(左: ローザ・モンクトンと夫のドミニク・ロウソン  /  右: ローザとダイアナ妃)

  残念ながら、遺体の厳格な検査が行われていなかったので、ダイアナ妃が妊娠していたかどうかは永遠の謎になっている。もし、彼女がドディの子を身籠もっていたら一大スキャンダルだ。なぜなら、将来の国王になるウィリアム王子に、エジプト人の血統に連なる弟か妹が誕生する事になるからだ。ダイアナ贔屓の大衆や貴族を憎む左翼分子、北アフリカ一帯の有色人種、世界中のイスラム教徒などは、こぞって歓迎するかも知れないが、西歐世界の一等国を自負するイギリス人は、茫然自失というか、あまりのショックで目が眩んでしまうだろう。とりわけ、第二次世界大戦の災禍をくぐり抜け、イングランドの栄光を誰よりも大切にするエリザベス女王にしたら、絶対に赦せぬ暴挙である。貴族というのは血統が重要で、有色人種の血が混じるなど言語道断。将来のイングランド国王たるウィリアムに、異教徒で浅黒い異父弟や変な顔の妹がいたら、他のヨーロッパ貴族は陰でクスクスと笑うに違いない。満座の席で笑い者にされるなんて、生き恥もいいとこだ。息子の元嫁を斬首刑にしたいと考えても不思議ではない。(アン・ブーリンを処刑したヘンリー八世の例もあるから、王妃殺害も不可能じゃないだろう。)

  異常なことは他にもある。例えば、事故現場ではベンツが衝突でグチャグチャになっており、中にはダイアナやドイディが閉じ込められている。警察が到着したのが午前0時30分頃。駆けつけたレスキュー隊は午前0時44分に負傷したダイアナを車から引き出し、ストレッチャーに乗せると救急車で病院に運ぼうとした。既に午前1時30分近くになっている。ジャン・マルク・マルティノ(Jean-Marc Martino)医師によれば、緊急搬送されるダイアナは重傷を負っていたが、瀕死の状態ではなかったという。(Noel Botham, p.211) だから、緊急治療を受ければ、まだ助かるという可能性が残されていたのだ。ところが、信じられぬ「搬送」が行われてしまった。重症患者に振動を与えてはならぬということで、歩行速度と同じくらいのノロノロ運転。しかも、すぐ近くに幾つかの病院があったのに、救急車は一番遠いピテェ・サルペトリア病院(Pitié-Salpêtrière hospital)を目指していた。それでも、距離はたったの4マイル程だ。ようやく病院に着いて時計を見てみれば、午前2時6分になっていた。つまり、ダイアナ妃が事故現場から治療室に運ばれるまで、約1時間40分ほどかかったということだ。一部の者はこの“ゆっくり”とした「緊急搬送」に疑念を抱き、「ダイアナの治療が手遅れになるように、わざと呑気にしていたんじゃないか」と考えている。

Diana Mercedes 3Diana Mercedes 4








(写真  /  トンネル内で衝突事故を起こしたベンツ)

  第二の例は、事故現場の清掃作業だ。真夜中のアルマ・トンネル内で大事故が発生したから、破損した車の部品や粉砕されたガラス片が道路一面に散らばっていた。ところが、その六時間後にトンネル封鎖は解除され、衝突現場の反対車線に市の清掃車が入った。信じられないが、この清掃車は道路に洗剤と水を撒き、ブラシでゴシゴシと路面を洗っていたのだ。(Noel Botham,  p.225) 当時、パリには「ニューズウィーク」誌の特派員クリストファー・ディキー氏が居たそうで、彼は朝の7時頃に現場を訪れたとき、我が目を疑ったそうだ。普通の自動車事故でも、もっと慎重に捜査が行われるはずなのに、ダイアナの事故は軽くあしらわれていたからである。外国の王妃が死亡した事故の翌朝に、現場の道路が通行再開になるんなて前代未聞だろう。もし、日本で皇太子妃殿下、あるいは秋篠宮妃殿下が交通事故で亡くなった場合、事故現場の道路がどのような状態になるのか、警察官や裁判官、弁護士、法学者じゃなくても分かるだろう。証拠となる現場は総ての部外者を遮断した「結界」となり、超一流の鑑識と刑事だけが通行を許される。こうした特別捜査では、髪の毛一本、粉塵一つすら見逃さない入念な作業になるはずだ。たとえ交通事故と判断しても、「もしや?」という場合があるから、一切の疑問が残らぬよう調べるのが基本である。それくらい皇族の死亡事故は慎重に行われるものだ。

Street Cleaner 1Street cleaner 2







(写真  /  道路の清掃車)

  筆者は捜査権能を持たない一般人なので、ダイアナ妃の事故を「謀殺」とは断定できないが、だからといって偶然の「交通事故」とも思えない。余りにも“常識外れ”な捜査や手続きが多く見受けられるので、アンリ・ポールの酔っ払い運転とは認めることができないのだ。呆れてしまうけど、大抵の先進国では現場保存が鉄則なのに、それを無視して数時間後に清掃車がトンネル内に入ってしまった。これじゃあ、証拠隠滅」と疑われても文句は言えまい。本来なら、数週間くらいは封鎖され、徹底的な事故原因の究明が行われるはずである。メルセデス・ベンツを製造したダイムラー・ベンツ社だって、事故車を検査させてくれと英国当局に頼んでいたのだ。もし、本当に不注意による「自動車事故」ならば、どのようにベンツがよろめき、柱に激突したかコンピューターを使って再現できるし、分析結果を公表すれば、世界中の技術者や科学者から意見を聞くこともできるだろう。日本にだって交通事故の調査を請け負う専門家がいるから、必ず納得の行く説明がなされるはずだ。いい加減な「陰謀論」が横行するのは、きっちりとした科学的調査を行わないからだ。誰の目にも明らかな「物的証拠」を以て検証するのが捜査の定石である。事故の真相は調べて行けば行くほど確実になるはずだ。もし、その解明を恐れ、妨害あるいは否定する人がいれば、その方がよっぽど怪しい。

エリザベス女王による暗殺命令 ?

  イングランドの巷では、エリザベス女王かエジンバラ公爵が「暗殺」の指令を下したんじゃないか、と勘ぐる者がいるらしい。なぜなら、捜査の基本を無視した「捜査」が行われたからだ。たとえ、酔っ払い運転による過失事故でも、「外国勢力による偽装殺人じゃないか」と考えるのが、諜報組織の常識である。最初から「事故」と断定するのはおかしい。英国の王族は世界中のテロリストに狙われているから、自動車事故を装った「殺人」だってあり得る。トンネル内の様子を記録した監視映像が無いんだから、どんな事態だったのかを検証し、正確な原因を究明するのが普通じゃないか。日本人だってMI5やMI6の調査能力を分かっているはずだ。もし、英国の諜報機関がフル稼働して調査したら、どんな偽装殺人だって解明されてしまうだろう。それなのに、異例とも言える杜撰な捜査が行われたんだから、訝(いぶか)しんでも当然じゃないか。(事故がスコットランドヤードの管轄権ではないフランスというのもミソだ。国内で事故が起きれば、「厳密な」捜査をしなければいけないから。) 実際、イギリス国民の中には、「王室の誰かが介入したから、手抜き捜査になったんだ」と勘ぐる者がいる。それを裏付けるかのように、フランス側の捜査を指揮したジャン・クロードミュール(Jean-Claude Mules)署長は、誰だか判らない上級者から不可解な指令を受け、渋々従っていたのだ。

Queen & Duke 1Prince Charles 1








(左: エリザベス女王とエディンバラ公爵  /  右: プリンス・チャールズとカミラ夫人)

  仮に、エリザベス二世やフィリップ殿下が、ダイアナ妃の「暗殺指令」を下したとしても、筆者は非難しないし、君主として正当な義務を果たしたものと考えている。なぜなら、イングランド女王は王室の威光を守るのが務めなんだから、それを傷つける者を抹殺しても不思議ではない。筆者は無知ゆえに不幸な結婚をしたダイアナ妃を憐れむし、幼くして母親を亡くした王子に同情を惜しまない。しかし、王族、とりわけ次期国王の母となった事実を忘れて、自分勝手に振る舞う愚行は肯定できない。たとえ、プリンス・チャールズが不貞を犯し、カミラ・ボウルズとのヨリを戻しても、プリンセスの矜持と義務だけは維持するべきだ。もし、子供を産まず、爵位と国籍も棄てて、一人の平民として暮らすならよい。だが、彼女は王族の一員となってしまったのだ。王位継承者を産んだ以上、気ままな生活は諦めるしかない。

Diana & Harr 1Diana 6Prince William & Henry 1









(左: ウィリア王子を抱くダイアナ妃  / 中央: ダイアナ妃のポートレイト / 右: ウィリアム王子とヘンリー王子 )

  もし、女王による「暗殺」の認可が下りたとして、その裁決を知ったイギリス人や日本人は、非道な殺人を命じた女王を糾弾するかも知れない。いや、必ず非難するだろう。しかし、王とは血族・部族(kin)の首長(cyning)である。王家の血統を重視するエリザベス女王から見れば、異民族のエジプト人、しかも有色人種で異教徒の子がウィリアム王子と対等になるなんて我慢できない。アラブの混血児が英国の王族みたいに扱われるんだから、ダイアナを呪い殺したくなるのも理解できる。こんな事が罷り通れば、インド人やパキスタン人、ケニア人、モンゴル人の血が混じった英国貴族が普通になってしまうじゃないか。女王陛下には気の毒だけど、将来的にイングランドのアングロ・サクソン系国民は、アフリカ系とかインド系の王子や王妃を戴くことになるだろう。一方、「コスモポリタン」とか「地球市民」を掲げる左翼は万々歳。黒い肌をしたアフリカ系ブリテン人も、ようやく“自分たちの”王様を持てると大喜びだ。となれば、ユダヤ人の英国貴族と結婚した日本人でも、れっきとしたイギリス人貴族になれるかも知れないぞ。もっとも、日本国民は依然として「日系イギリス貴族」を「日本人」と見なすだろうが。

Mohamed al Fayed 2Diana & Dodi 1Prince Charles 2










(左: ドディの父親モハメッド・アル・ファイド  / 中央: 休暇を楽しむドディとダイアナ /  右: プリンス・チャールズ)

  まぁ、あり得ないけど、もし、ドディとダイアナの間に息子や娘が誕生していたら、英国のみならず世界中のマスコミが囃し立て、イングランドとエジプトの特殊な関係を云々するだろう。そして、左翼リベラル派の教育を存分に受けたウィリアム王子とヘンリー王子は、同じ子宮から生まれた赤ん坊を祝福するはずだ。父親のプリンス・チャールズや祖母のエリザベス女王、祖父のエジンバラ公は激怒するだろうが、世間に気兼ねして表面上、ドディとの混血児を受け容れるだろう。悔しいけど、「人種差別」というレッテルを回避するため、女王は不本意でもダイアナの子に祝福を与えねばならない。しかし、そんな事態になったら、末代までの恥辱だ。だから、それとなく側近に彼女の「謀殺」を命じたとしても非難できない。王室の名誉を守るためには、非情な手段を用いる時もある。ただ、将来、国王になったウィリアム王子は、自らの勅命で極秘ファイルの開示を求めるかも知れない。だからこそ、王室は総ての証拠を湮滅したのだろう。そうすれば、たとえウィリアム王子が暗殺を疑っても、事実の確かめようがないから安心だ。イギリス人というのは、あらゆる事態を想定して極秘作戦を立てるから、事件後の処理もうまい。うるさく嗅ぎ回る奴がいれは黙らせるか、密かに抹殺してしまうし、不都合な事実を隠すためなら偽情報を流して世間を惑わす。八百長報道なんか朝飯前。王室に仕える心理戦の達人は、、真実という「木の葉」を隠すためなら、子飼いの専門家やジャーナリストを動員して、巨大な「森」まで作る連中だ。気がつかないのは日本人だけ。

Diana 35Diana Funeral 2








(左: 一応、幸せそうなダイアナ妃  /  右: ダイアナ妃の葬儀を見送る家族)

  なんか、まるで「謀殺」があったように述べてしまったが、これはあくまでも推測に過ぎない。真相は依然として闇の中だ。ダイアナ妃の死亡事故には疑問が尽きないが、歴史学者が頼りとする公式文書が、英国政府による捏造という場合もあるから、事件を解明する学術書は出てこないだろう。ダイアナ妃は36歳で亡くなったが、人々の記憶には美しくて若いシンデレラとして残っているんだから、英国の大衆としては満足なんじゃないか。ただ、エリザベス女王が最後の審判でどう裁かれるのか興味がある。まさか、有罪を下す主イエズス・キリストが、不敬罪(Lèse-majesté)に問われることはないよね。




人気ブログランキング

「数学の神童」を演じた天才子役

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !!


天賦の才に恵まれた少女

Mckenna Grace 11Chris Evans 2Chris Evans 6








(左: マッケンナ・グレイス  /  中央: クリス・エヴァンス/  右: 「ギフテド」で共演した二人)

  最近のハリウッド映画はどれもこれも精彩を欠き、わざわざお金を払って観る気がしない。でも、今年の夏は一つだけ驚いたことがある。まだ日本では公開されていない作品なんだけど、米国では今年の四月に上映された『ギフテッド(Gifted)』という映画がちょっとだけ良かった。この低予算映画は、数学の天才少女を巡る親権争いが全体の枠組みになっているのだが、その中核は親子の愛情を描いた物語である。大ヒット映画の『キャプテン・アメリカ』や『ファンタステック・フォー』を観た人なら分かるけど、少女の父親(実際は伯父)を演じていたのは、クリス・エヴァンス(Chris Evans)だ。(二枚目俳優は、どんな役をやっても「さま」になる。) そして、主役の少女を演じたのが、映画『ミスター・チャーチ』のイジー役でお馴染みのマッケンナ・グレイス(Mckenna Grace)だ。現在はTVドラマ『デジグネイテド・サヴァイヴァー(Designated Survivor)』に出演し、カークマン大統領の娘ペニー役をこなしているが、勉強と仕事の両立で忙しそうだ。

Kiefer Sutherland 1Kiefer Sutherland 1








(左: 「ジャック・バウアー」を演じたキーファー・サザーランド  /   右: 「カークマン大統領」を演じたサランド)

  日本での公開前に『ギフテッド』を観ようと思ったのは、大統領を演じるキーファー・サザーランドとマッケンナのシーンが微笑ましかったからだ。内政と対策に忙殺されるカークマン大統領が、夫人のアレックスと娘のペニーを気遣い、何かと家族を非常に大切にしているシーンは心が温まる。特に、副大統領の陰謀で暗殺未遂に遭ったカークマンが、第二弾を危惧するアレックス夫人の懇願で、息子と娘を「危険な」ホワイトハウスから遠ざけ、身内の安全を優先したことだ。家族と離れて暮らしたくはないが、不測の事態を避けるため、泣く泣く幼い娘と別れるカークマンには同情を禁じ得ない。大ヒット・シリーズのTVドラマ『24』では、サザーランド扮するジャック・バウアーが、御転婆娘のキムに手を焼き、次第に疎遠となってしまうけど、今回のドラマでは幼い娘だから父親に懐(なつ)いている。それに、アレックス夫人役のナターシャ・マッケルホーン(Natascha McElhone)がアイリス系美人だし、ペニー役のマッケンナも西歐系だから観ていて気持ちがいい。

24 Cuthbert 0002Natascha McElhone 5Dennis_Haysbert 1








(左: 「キム」を演じたエリシャ・カスバート   / 中央: ナターシャ・マッケルホーン  /  右: デニス・ヘイスバート )

  一方、『24』では「多民族主義」が満載で、黒人男優のデニス・ヘイスバート(Dennis Haysbert)がパーマー大統領役だったし、そのシェリー夫人にはペニー・ジェラルド(Penny Johnson Jerald)があてがわれ、後に大統領役に昇進する弟役のウェイン・パーマーには、チンピラにしか見えないデイヴッド・ウッドサイド(David Bryan Woodside)が起用されていた。これは明らかに黒人版のケネディー兄弟だ。愛国心を前面に押していた『24』であったが、そのプロデューサーには民衆党贔屓のユダヤ人が控えていた。映画業界で大御所になったハワード・ゴードン(Howard Gordon)、エヴァン・カッツ(Evan Katz)、ジョエル・サーノウ(Joel Surnow)を見れば誰にでも解る。シリーズの中でも彼らの政治的嗜好は明白で、米国の裏切者となった「チャールズ・ローガン大統領(グレゴリー・イッツェン)」は、いかにもリチャード・ニクソンみたいだったし、シーズン8に出てくる「アリソン・テイラー大統領(シェリー・ジョーンズ)」は紛れもなくヒラリー・クリントンを模していた。

Sherry Palmer 24 Woodside 11Gregory Itzin 1Cherry Jones 1







(左: ペニー・ジェラルド  / デイヴィッド・サイド・ウッド   / グレゴリー・イッツェン   /   右: シェリー・ジョーンズ)

  案の定、『ギフテッド』も世界市場を狙っていたのか、多民族主義の害毒に染まっていた。この物語では、7歳の小学一年生メアリー・アドラー(マッケンナ・グレイス)が初めて学校に登校し、その類い希なる数学の才能を発揮して、担任教師のボニー・スティーヴンソン(ジェニー・スレイト)を驚かせている。それもそのはず。彼女の母親ダイアンは優秀な数学者であったからだ。「だった」というのは、既に亡くなっているからだ。彼女はミレニアム・プライズ問題の一つである「ナヴィエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ(Navier-Stokes existence and smoothness)」に取り組んでいた。しかし、精神的に圧迫され自ら命を絶ってしまったのだ。以前、日本の教育問題を論じたけど、数学者は難問に取り組んでいるために、不幸な人生を送る人が少なくない。本当に優秀な数学者は金銭や地位を求めず、神秘的な数字の世界に魅了され、世間からの評価を気にしないものだ。「何とか学会の理事長職」を欲しがる数学者は、探究心よりも野心に取り憑かれた俗人である。それはともかく、研究に没頭しながらメアリーを出産したダイアンは、自殺する前に兄のフランク(クリス・エヴァンス)に娘を預け、「普通の子供時代」を過ごすような「普通の女の子」にしてもらうよう頼んだそうだ。

Gifted 03Gifted 04






(左: 亡くなった母ダイアンの写真  /   右: 教室でメアリーに質問するボニー・スティーヴンソン先生)

  妹からの委託を受けた兄のフランクは、約束通り姪のメアリーを“普通”に育てようとした。ところが、そこにフランクの母、すなわちダイアンの母でもありメアリーの祖母にあたるエヴリン(リンゼイ・ダンカン)が尋ねてくる。彼女は息子のフランクに孫娘を明け渡すよう言い付けたのである。というのも、エヴリンはかつて英国のケムブリッジ大学で数学を専攻する研究者であったからだ。彼女は英国でフランクの父と出会って結婚し、米国に移り住んだという過去がある。結婚と育児で天職を諦めたエヴリンであるが、数学への情熱は失われていなかった。娘のダイアンとは人生観で対立し、長いこと疎遠になっていたが、ダイアンが亡くなり、遺児のメアリーを引き取りたくなったのだ。それに、孫が数学の天才児と判ったから、是非とも手元に置いてその才能を伸ばしたいと熱望するようになったのである。頭脳明晰なエヴリンにしたら、フロリダ州の公立学校で、凡庸な子供たちと一緒に授業を受けさせるなんて、偉才の抹殺にしか思えない。神童には、それ相応の環境が不可欠なのだ、という信念がエヴリンにはあった。

Gifted 05Lindsay Duncan 3









(左: 大学で勉強するメアリー   /  右: 祖母役のリンゼイ・ダンカン )

  しかし、メアリーと慎ましい生活を送るフランクは、上流階級の暮らしをする母の要求を斥けた。ボートの修理屋をしながら「娘」のメアリーを育てるフランクは、そもそも母親と反りが合わないようで、「母さん(Mom)」とは呼ばず、ファースト・ネームの「エヴリン」と呼んでいた。余談になるけど、スコット系女優のリンゼイ・ダンカンは、「エヴリン」という教育ママの役柄にピッタリで、感情を抑圧した冷たい感じの女性を見事に演じていた。それに、エヴリンが英国婦人という設定が、これまた良い。もし、彼女がイタリア出身とかメキシコ人だと、観客は白けてしまうだろう。ラテン系の母親が“冷静沈着に”怒るなんて想像できない。大抵は感情を剝き出しにして激怒するからだ。映画の中で面白かったのは、フランクと酒場でデートしていた担任教師のボニーが、彼の母親について尋ねたシーンだ。フランクが「俺の母親はブリティシュなんだけど」と語るや、ボニーは「ああ、ちょっと嫌な感じの人ってこと?」と聞き直した。フランクは「いや、イングランド出身ということさ」と説明したのだが、アメリカ人の頭には、キザでお高くとまったブリテン人というイメージがあるらしい。関係無いけど、英国の諜報組織がテロリストを捕まえて“いたぶる”とき、その拷問を「ブリティシュ・ホスピタリティー(British hospitality / 英国風の歓待)」と呼ぶ場合がある。虐殺を上品に行うイギリス人なら、唇や眉を一つも動かさず、極寒の中で冷たい鉄砲水を悪党に浴びせかけたり、ナックルを嵌めて捕虜を半殺しにできそうだ。

Gifted 02Gifted 13






(左: MITで数学の難問を解くメアリー  /  右: 酒場で話し合うフランクとボニー )

  フランクは妹に約束した通り、メアリーを公立学校に通わせるが、当のメアリーは初歩的すぎる「算数」に退屈していた。担任のスティーヴンソンが三桁とか四桁の掛け算を質問すると、メアリーは暗算で答えてしまう。「まさか !」と思ったスティーヴンソン先生は、さっそく電卓を手に取り検算する。すると間違いなく正解。しかも、メアリーは平方根まで判ってしまうのだ。そんなメアリーを知って、校長先生も奨学金が附く特待生を勧め、保護者のフランクに飛び級をさせてはどうかと持ち掛ける。しかし、フランクは頑固拒否。ところが、お婆ちゃんのエヴリンはメアリーを諦めなかった。裁判を起こしてでも孫の親権を握ろうと執念を燃やしていたのだ。裁判沙汰に引きずり込んだことで、エヴリンはメアリーをMIT(マサチューセッツ工科大学)に連れて行くことができ、自慢の孫娘を数学の教授に会わせることもできた。この数学者は黒板に書かれた数式問題を提示する。だが、じっと黒板を見つめるメアリーは答えようともしない。「難解すぎたのかしら」と落胆するエヴリンは、彼女の手を引いて帰ろうとした。だが、メアリーは「解けなかった」のではなく、問題自体に「ミス」を発見したので、わざと答えなかったのである。すると、前もって問題に「いたずら」を仕掛けていた教授は、その「罠」にきづいたメアリーに驚嘆し、すらすらと問題を解くメアリーに驚嘆する。「どうして最初から、答えなかったのか?」という質問に、メアリーは「誰も賢すぎる人は好きじゃないから」と答えていた。姪の鋭すぎる頭脳を披露したくなかったフランクが、常々メアリーに才能をひけらかすな、と言い聞かせていたらしい。

Gifted 23Gifted 01







(左: 数学の勉強に夢中で外出を厭がるメアリー   /  右: フランクと浜辺にでかけ、ボートで沖に出るメアリー)

  強固な意志は知的な女性の特質である。どうしても孫の才能を開花させたいエヴリンは、親権を獲得すべく白人の敏腕弁護士(ジョン・フィン)を雇って法廷闘争を挑んだ。対するフランクは黒人弁護士のグレッグ・カレン(グレン・プランマー)雇う。しかし、裁判はフランクに不利だった。母のエヴリンは裕福で立派な邸宅に住んでいる。一方、息子のフランクは“フリー”の修理屋で、安定した収入がなく、生命健康保険すら持っていないのだ。裁判では相手側の弁護士から、「あなたやメアリーが病気になったらどうするんですか?」と詰問され、医療費に困らない祖母と比較されてしまったのだ。この法廷ドラマの中で刮目すべきは、フランクが元ボストン大学の助教授で、哲学を教えていたことである。そう言えば、ドラマの冒頭で朝食のシーンがあり、学校へ行くことをグズるメアリーに対し、フランクが「アド・ナジィアム(ad nauseam)」というラテン語を口にしていた。(ギリシア語の「nausia」から由来し、英語で「nausea」と言えば「吐き気」や「船酔い」を意味する。) メアリーが「それ、何ていう意味?」と質問すると、ドヤ顔のフランクは「それを分からない者には学校が必要だなぁ」と述べて、彼女の不満を却下した。この「アド・ナジィアム」は、繰り返しずうっと議論して、もう話し合うのも嫌な状態を指して使う言葉である。つまり、フランクはメアリーに対し、「もう何回も学校に行く必要性を説いたよね !」と言いたかったのだ。

Gifted 08Gifted 21






(左: 浜辺でメアリーを肩車するフランク  /  右: 養父母からメアリーを取り戻しにきたフランク)

   メアリーとの平凡な生活を望んでいたフランクだが、遣り手弁護士を相手にして勝てるすばはなかった。そこで顧問弁護士のカレンは、近くにメアリーを留めておく妥協案を提示する。すなわち、第三者の養父母を見つけ、メアリーを託せばエヴリンに奪われずにすむ、とアドヴァイスしたのである。「そんなの嫌だ !」と断固拒絶するフランクだが、他に打つ手が無く、自宅の近くに住む養父母に預ければ、時々面会できるということで苦渋の決断を下すことにした。しかし、いざメアリーを手放すとなると、悲しくて仕方がない。それにメアリーも離れたくないとグズって癇癪を起こす。彼が養父母宅にメアリーを預け、「済まない」と謝りながらも家を去ろうとすると、メアリーは必死で「フランク!」と叫ぶ。フランクは断腸の思いで振り切ろうとするが、彼女の声が耳の内側で大きく響く。後ろ髪を引かれるフランクは言葉にできぬほど辛かった。胸が張り裂けるほどの哀しみだ。心臓をむしり取られる方がまだ痛みが少ない。

  平常心を装って日常の仕事をするが、居ても立ってもいられないというのがフランクの本音である。この先のストーリーは配給会社に悪いので話せないが、ハッピーエンドになることは誰にでも想像がつく。フランス映画だと悲惨な結末で幕が降りてしまう場合があるけど、ハリウッド映画なら100%幸せなラスト・シーンになる。お子様用「ハッピー・セット」に附いてくるアイスクリームや玩具のオマケと同じだ。物語の最初から判っていたけど、取り戻しにきたフランクが、悲壮なメアリーと対峙する場面は胸に突き刺さる。メアリーは自分を見棄てたフランクに腹を立て、彼の顔を両手で叩くが、最後は泣きじゃくって抱きつく。懺悔の念に駆られたフランクもメアリーを強く抱きしめるから、観ている方だって泣けてくる。心の底から「すまない、メアリー。もう絶対に離さないからな!」というフランクの決意が聞こえてきそうだ。やはり、子供は肉親の手で育てられるのが一番ということなんだろう。映画のクライマックスは秘密にするけど、そのヒントは、メアリーが飼っている片目のデブ猫フレッドと、母のダイアンが取り組んでいた証明問題にある。

Gifted FrdGifted 11








(左: 飼い猫のレッドを教室に連れてきたメアリー  /  右: メアリーに謝るフランク)

大人より子役の方が貢献した映画

  この作品の脚本を書いた人物は、あまり知られていないトム・フリン(Tom Flynn)である。だが、その監督は『アメイジング・スパイダーマン』を手掛けたマーク・P・ウエッブ(Marc Preston Webb)だ。(ちなみに、マークの父親は数学の教師であるそうだ。) 彼らには悪いけど、作品自体は何の変哲も無い平凡なストーリーで、粗筋を聞いただけで映画の展開を想像できてしまう。しかし、この作品が米国とカナダで2,480万ドルの収益(海外だと3,710万ドル)を上げたのは、何と言ってもメアリー役のマッケンナ・グレイスを登庸したことにある。もし、彼女が採用されず、他の子役だったらここまでの興行収入は無かったろう。『ギフテッド』はマッケンナ・グレイスが「一番の稼ぎ頭」と言ってもおかしくはない。たぶん、配給会社も認めるんじゃないか。

Tom Flynn 3Marc Webb 1Mckenna Grace 20







(左: ジョン・フリン夫妻  / 中央: マーク・ウエッブ /  右: マッケンナ・グレイス )

  とにかく、マッケンナの演技力がすごい。実際は10歳なのだが、7歳の小学生を見事にこなし、わざとらしい演技が無く、どの場面にも「自然な仕草」が滲み出ている。(NHKのドラマで白洲次郎を演じた伊勢谷友介が、人気の高い色男なのは分かるけど、主役級の俳優としてはイマイチだ。彼の演技はわざとらしかったし、白洲次郎のイメージに合わない。また、怖ろしい実話なんだけど、彼は「ジョジョ」の映画で空条承太郎を演じたそうだ。筆者は観てないから何とも言えないが、劇場に行かなくても「悲惨さ」が目に浮かぶ。) フランクに対し駄々をこねたり、学校の授業でムっとしたかと思えば、フランクと遊びに出掛け、無邪気に楽しむところなど、いかにも“子供らしい”動きだ。観ている者がいつの間にか引き込まれてしまうのも納得できる。もし、メアリー役がユダヤ人とか黒人の少女だったら、観客の感情移入は無いだろう。例えば、ウィル・スミスの娘であるウィロー・スミス(Willow Smith)が演じたら、黒人の観客は喜ぶかも知れないが、白人や日本の観客はそっぽを向くだろう。また、ハリウッドの左翼監督ならマイノリティーに配慮して、わざと数学が苦手なヒスパニックから役者を選んだり、アジア市場での観客数を増やすため、ベトナム人とか支那人の子役を採用するかも知れないぞ。でも、アメリカ人の観客はそんな政治映画に興味を示さないだろう。

Willow Smith 2Octavia Spencer 1A J Cook 2









(左: ウィロー・スミス   / 中央:  オクタヴィア・スペンサー /  右: A.J. クック )

  ハリウッドの映像作品には、「主役が白人なら、脇役は有色人」という法則がある。なるほど、『ギフテッド』ではフランク、メアリー、エヴリンのアドラー家が西歐系白人で固められていた。しかし、担任教師のボニー・スティーヴンソンは、ユダヤ人コメディアンのジェニー・スレイト(Jenny Slate)が務めていたし、メアリーの世話をするロベルタ・テイラー役には黒人女優のオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)がついていた。スレイトは日本で知られていないが、NBCのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演していたお笑い芸人だ。個人的意見を言えば、下品な雰囲気を醸し出すスレイトを筆者は好きになれない。彼女はヒッピーの両親に育てられたユダヤ人娘で、教師役をするより、酒場のバーテンダーとか立ちんぼ娼婦の方が似合っている。ボニーは酒場でフランクと話すうちに彼と仲良くなり、メアリーとフランクが住む家で一夜を過ごす間柄になってしまう。だが、フランクほどのハンサム青年なら、もっと魅力的な恋人を持てたはずだ。なにもボニー役にA.J.クック(Andrea Joy Cook)とかケイティー・ロッツ(Caity Lotz)を採用しろとは言わないが、ちょっと気を利かせてアナベル・ウォリス(Annabelle Wallis)とかモリー・シムズ(Molly Sims)、ブレイク・ライヴリー(Blake Lively)なんかを採用すればいいのに、と思ってしまう。暗い感じのユダヤ人教師じゃ、学生運動に疲れた元左翼みたいで厭だ。

Caity Lotz 3annabelle-wallis-1Molly Sims 1Blake Lively 1








(左: ケイティー・ロッツ   / アナベル・ウォリス  / モリー・シムズ  /  右: ブレイク・ライヴリー )

  担任教師がユダヤ人というのはウンザリするけど、フランクが居ない時にメアリーを預かる世話人が黒人というのも変だ。普通、白人の親が雇うベイビー・シッターは、仕方なくヒスパニックの中年女性ということもあるが、白人女性というのが定番である。いくらロベルタが親切な隣人でも、自宅の鍵を預けるほどの関係にはならない。映画の中では、休日の夜に酒場でくつろぐフランクに代わって、ロベルタがメアリーを引き取り、音楽に合わせて踊ったり歌ったりするシーンがあるけど、アメリカ社会を知る者からすれば、どことなく腑に落ちない。まぁ、制作者としては黒人層にまで観客を増やしたいから、マイノリティーにおもねったキャスティングにしたのだろう。もし、西歐系アメリカ人の子守にしたら、「白人用の映画」になってしまうからだ。でも、本当に立派な映画を作りたいのであれば、有色人種に媚びたキャスティングをせず、素直に白人俳優だけの映画にすればいいじゃないか。日本人だって日本のドラマにアジア人役者が混じっていたら嫌だろう。アジア市場を狙うからといって、無理やり支那人や朝鮮人の俳優を配役にねじ込んだら気持ち悪い。朝鮮人の顔を銀幕で拝むなんて厭だ。只でさえ、藝能事務所による「ごり押し」が横行しているのに、不愉快な異民族の混入となれば、もう作品の毀損でしかない。ハリウッドの制作者は「多民族配役」で収益を上げようとするが、本来なら脚本家や監督の腕で勝負すべきなんじゃないか。白人だらけのキャスティングという理由でヒットしないなら、元からその作品に魅力が無く、最初からB級映画であったということだ。

Jenny Slate 4Hypatia 1Rachel Weisz 4











(左: ジェニー・スレイト  /  中央: ヒパティアの想像画 /  右: ヒュパティア役のレイチェル・ワイズ)

  この映画『ギフテッド』には、女子生徒に数学を奨励するという意図が隠されていたそうで、脚本家のフリンが主役を少女にしたのも、数学の天才は男子ばかりだから、という憶測も成り立つ。まぁ、歴史を繙けば、優秀な女性数学者だって結構多い。例えば、古代アレクサンドリアのヒュパティア(Hypatia)は有名だ。日本人でもレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)主演の『アゴラ(Agora)』を観た方も多いだろう。これは同性愛の監督アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)が手掛けた作品で、キリスト教徒に対する悪意に満ちた内容となっていた。キリスト教の頑固な「狂信者」が、理性的な天文学者を迫害するというシーンを見ると、「また、ゲイや左巻きの連中が張り切っているのか !」と少々ウンザリする。他に思いつく女性と言えば、ロシア人数学者のソフィア・コワレフスカヤ(Sofia V. Kovalevskaya)とか、ユダヤ人のアマーリエ・エミリー・ネーター(Amalie Emmy Noether)、フィールズ賞をもらったペルシア人のマリアム・ミルザハニ(Maryam Mirzakhani)などだろう。(コワレフスカヤは東京図書から伝記が出ている。ミルザハニの方は最近亡くなった学者だから、雑誌などで追悼記事を読んだ人もいるだろう。)

Sofia Kovalevskaya 1Emmy Noether 1Maryam Mirzakhani 1Ada Lovelace 2








(左: ソフィア・コワレフスカヤ  /  アマーリエ・エミー・ネーター / マリアム・ミルザハニ  /  右: アウガスタ・バイロン )

  そう言えば、詩人のバイロン卿を父に持つエイダ・ラヴレイス(Ada Lovelace)伯爵夫人こと、アウグスタ・バイロン(Augusta Byron)も有名だ。彼女の家庭教師はウィリアム・フレンド(William Frend)という数学者兼牧師であった。個人的意見を言わせてもらえば、彼の随筆風著書『パトリオティズム(Patriotism)』がおもしろい。この本は第19世紀初めに出版された本なので日本の図書館には所蔵されていないが、とても興味深いので大学生にはお勧め。記憶が定かではないけど、米国のイェール大学にはあったと思う。ちなみに、フレンド牧師が世話した教え子の中には、人口論で有名なトマス・ロバート・マネサス(Thomas Robert Malthusがいる。英国のインテリ階級は広いようで狭い。

  余談になるけど、映画の『ギフテッド』を観てしまうと、日本人の父親の中には「あんな娘がいたらなぁ」と溜息をつく人がいるかも知れない。というのも、夏休みとくれば、我が子の宿題を見てやることもあるからだ。よせばいいのに、「たまには親らしくするか」と急に父親気分を発揮して、娘が取り組む数学問題に“ちょっかい”を出す。「中学生の数学なんて簡単さ !」と思いきや、解いて行くうちに自信喪失となってしまうこと多々ある。単純な計算問題ならいいけれど、図形問題や二次方程式となると怪しくなり、「あっ、パパはお仕事があるから、後はママに教えてもらいなさい」と言い聞かせて居なくなる。しかし、夜中に女房から「無責任じゃない。解らなければ邪魔しないで !! それに私、文系なんだけど!」、とキツく叱られたりする。善意から始まり、混乱を残すのがダメ亭主の日常だ。父親は黙って見守るのが一番。

Gifted 17Gifted 06






(左: ロベルタと一緒に踊るメアリー  /  右: 学校の友達と遊ぶメアリー)

  つくづく思うけど、数学の宿題に悪戦苦闘する子供を助けるのは至難の業だ。一度嫌いになった科目を好きにさせることは難しい。筆者が学生時代、小遣い稼ぎで中学生や高校生に英語を教えたことがあるんだけど、数学の話しになって手こずったことがある。意味も解らず数学を押しつけられた子が不憫だったので、気分転換に易しいギリシア数学の話をしたが、結局どうすることもできず解決にならなかった。大人だと平方根が無理数だと発見したピタゴラス学派に興味を示し、平方根の無理数を証明したテオドロス(Theodoros)とか、その弟子であるテアイテトス(Theaitetos)の業績に耳を傾けるだろう。ところが、数学の発展に感動しない子供だと、「そんなのつまらない!」と言い放つ。微分・積分・幾何学を理解すれば色々と便利だよ、と言い聞かせても駄目だ。もっと具体的に説明しようと、BS放送で使われるパラボラ・アンテナとか、タッチ・パネルの仕組み、クルマに搭載されるGPSシステム、ジョン・ネピア(John Napier)により広まった対数(logarithm)を引き合いに出し、色々な有益論を述べても、結局「受験数学」に行き着くから話が暗くなる。

Pythagoras 1Euclid 2Archimedes 1John Napier 1








(数学の天才たち  / 左: ピタゴラス  / ユークリッド / アルキメデス /   右: ジョン・ネピア)

  夏休みだからといって、普通の子供にひまわりの種を見せて、その配列とフィボナッチ数(Fibonacci numbers)の謎を語っても、「へぇ~」と答えるだけで心に響かない。翻って、美学としての算術に目を向け、「古代ギリシア人にとって数学は哲学を兼ね備えた宗教みたいなもので、秘伝の奥義だったんだよ」と語ってもチンプンカンプン。「ロゴス(Logos)」と「救世主(Soter)」を関連づけようが、「だから何?」と言い返されて撃沈だ。そう言えば、新約聖書を繙くと、ギリシア人を前にした使徒パウロの伝道活動があって、「私はあなたがたに神秘を告げよう」と語りかける場面がある。この「神秘」というのは英語で言う「ミステリー(mystery)」だ。(「第一コリント信徒への手紙」15章51節参照。) 元々は、ギリシア語の「黙っている」という意味で、名詞の「mu-sterion」はここから派生している。古代人にとって奥義は部外者に隠されていたから、ギリシア文化に通じた聖パウロは、イエズズの言葉が特別な秘儀であると伝えたかったのであろう。しかも、「無料」なんだから凄い。現代の我々にはピンとこないが、「生まれ変わり」や「永遠不滅の命」を信じていた当時の聴衆には、とても印象的であった。しかし、時間の流れを遅く感じる元気な子供には、魂の不滅なんて馬耳東風だ。翌週まで待てない「ドラゴンボール」の方が、よっぽど気になる。

Gifted 24












(写真  /  フランクに向かって朝食についての不満を漏らすメアリー / テーブルの上にケロッグ社のシリアルの箱がある)

  またもや脱線したので、元に戻す。アメリカ人の批評家からは辛口のコメントが寄せられていたけど、『ギフテッド』に対する観客の評価はそれほど酷くない。子役の笑顔は大人の心を和(なご)ませるから、あえて厳しい点数をつけないんだろう。それに、観客の方だって過大な期待を抱いていなかったはずだ。まぁ、7ドルか8ドルくらいのチケット料金だから、平凡なストーリーでも我慢できる。ちょっと面白かったのは、「スペシャル朝食」を作ってやったと豪語するフランクに対し、いつものシリアルを食べているメアリーが不満を漏らすシーンである。「特別」を期待していたのに、メアリーにはそれが見当たらない。すると、フランクはシリアルの箱をクルッとひっくり返し、「スペシャル」の意味を示した。何と、ケロッグの「スペシャル・オリジナル」コーンフレイクとなっている。そんなの詐欺に等しい。工場で大量生産されたソーセージなのに、「手作り風」と称するウィンナーと一緒じゃないか。とにかく、11月になったら劇場で公開されるそうだから、興味のある方はどうぞ。ただし、筆者は映画評論家のおすぎと違って、お金を貰っていない素人の平民だから、「つまらない ! 期待外れだ !」と怒って「ゼニ返せ !」と言わないでね。
  



人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ