無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年11月

サヴォナローラと似ている小池百合子 / 敗者の瞬間と条件


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自ら敗者となった聖者

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(左: 選挙結果に落胆する樽床伸二と細野豪志 /  右: パリで悲報を聞く小池百合子)

  小池百合子が代表を辞任したことで、実質的に希望の党が第二の民進党になった。小池都知事が創設した新党は、総選挙の前には「希望」を抱いていたのに、憲法改正に反対するマスコミの集中砲火を浴びて、「失望の党」へと変化し、惨敗を以て「絶望の党」になってしまった。これだから、選挙というのは予想がつかない。支那と同じく、日本でも世間は負け犬に冷たく、「希望の党は最初から欲望と野望が渦巻く政党だった」とか、「失望の党じゃなくて、中身の無い“気泡”の党だった」なんて揶揄(やゆ)されてしまう。小池百合子以外に“これ”といった目玉候補がいない希望の党は、無党派層からの追い風頼み。逆風が吹けば失速する帆掛け船どころか筏(いかだ)ていど。とても実力では当選できない泡沫候補ばかりだった。そんな部下を大勢集めて「政権選択の選挙です !」と気勢を挙げていた小池百合子はどうかしている。ガラクタを揃えて牙城にするとは呆れた党首だ。馬糞より脆い城塞なんて聞いたことが無いぞ。落選した若狭勝は落ち武者より惨めだ。赤塚不二夫が生きていれば、彼の似顔絵でも描いていたのに。残念だ。

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(左: ジローラモ・サヴォナローラ  / 中央: ロレンツォ・デ・メディチ /  右: フランス王シャルル八世)

  敗軍の将となった小池百合子を見ていると、何となくルネッサンス期のイタリアにいたジローラモ・ザヴォナローラ(Girolamo Savonarola)を想い出す。このサヴォナローラはフィレンツェで権力をふるったドミニコ会修道士で、彼は神がかり的な性格を強く持っていた。常に幻覚を見ていたこの怪僧は、しばしばフィレンツェの将来を予言していたそうだ。平凡な日常生活が流れる時代なら、サヴォナローラ如きは単なる変わり者か気違い程度で済むのだが、彼が生きていた時代は激動の最中だった。1492年、「偉大公(il Magnifico)」と呼ばれたメディチ家のロレンツォ(Lorenzo de' Medici)が亡くなり、二年後の1494年にはシャルル八世率いるフランス軍がイタリアを侵掠。不格好で少々頭がおかしいと評された国王だが、その軍隊はフィレンツェ市民が驚く大砲を擁していたから、イタリア兵を蹴散らすくらい朝飯前だった。

Piero de Medici 1(左  /  ピエロ・デ・メディチ)
  この辺の歴史は米国HBOのTVドラマ・シリーズ『ボルジア』でも描かれていたから、日本人でも衛星放送やDVDで馴染みのある方もいるだろう。メディチ家が君臨していたフィレンツェは、シャルル八世の軍隊が押し寄せた時、為す術が無くあたふたするばかり。(なんか現在の日本を見ているみたい。) ロレンツォの息子であるピエロは、抵抗することも出来ずにフランス側に屈服。戦わずして降参したピエロにフィレンツェ市民は愛想を尽かし、僭主政のようなフィレンツェは民衆政に様変わりした。一方、追放されたメディチ家の当主は、アホのピエロ(Piero il Fatuo)とか、不運なピエロ(Piero lo Sfoerunato)と呼ばれたそうだ。

  民衆による統治に移行したフィレンツェでは、共和政体が実現したのかと思いきや、天主(God)の威光を背にしたサヴォナローラが主導権を握ってしまった。フィレンツェの人々は、人間の合意ではなく、サヴォナローラの口を介して伝えられる「神様の意思」に支配されてしまったのだ。ちなみに、日本の一般人は民衆政の反対を独裁政と思っているが、よくよく考えてみれば、どちらも人間の支配で、主導権を握るのが、君主とか僭主、貴族、富豪、大衆、愚民、暴民であるに過ぎない。ところが、セオクラシー(theocracy / 神権政治)だと神様の支配だから、人間は口答え出来ず従うだけ。実際は、預言者とか神官の独裁なんだけど、建前上は、全知全能と称される唯一神からの命令だから「お告げ」は絶対だ。

  一種のセオクラシーをフィレンツェ市民に信じ込ませたサヴォナローラは、民衆に質素で倹約を旨とする生活を命じたから、敬虔な市民は化粧道具や装飾品、衣装、贅沢品から藝術作品にいたるまで、ありとあらゆる世俗的なものを放棄するしかなかったそうだ。今から考えると“もったいない”話だが、皆から提出された邪悪な品物は広場に集められ、聖なる炎ですべてが焼かれてしまったという。焼却された提出物の中には高価な稀覯本や名画まであったというから実に惜しい。ある商人は後世に残る名作を高値で買い取りたいと申し出たそうだが、逆に悪魔の味方をした商人とのレッテルを貼られ、糾弾される破目になったそうだ。なんかこれって、歴史遺産を破壊したタリバンみたい。イスラム教徒としては、神様が偶像崇拝を禁止したから当然なんだろうけど、日本人からすれば、「何もそこまでしなくったっていいじゃないか」と言いたくなる。「神様だってちょっとくにい“お目こぼし”してくれるんじゃないの」と考えるのは、ゆる~い信仰心に慣れた日本人の思考で、中東アジアの宗教は冷酷で厳格だ。偶像崇拝をする不届き者は鏖(みなごろし)。悪魔の仲間に容赦は要らぬ。神に敵対する者は一人残らず抹殺が正しい。(こう聞くと、何となく北鮮の独裁者が目に浮かんでくる。)

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(左: サヴォナローラ  /  中央と右: モニカ・ベルーチ )

  サヴォナローラはスイスで権力を恣(ほしいまま)にしたジャン・カルヴァンみたいに恐ろしいが、フィレンツェのイタリア人はスイス人のように生真面目じゃないから、厳格な禁欲主義にすぐ嫌気が差してくる。やっぱり、ラテン民族は陽気な生活が大好きだ。いくらイエズス・キリストが「汝、姦淫するなかれ」と命じたって、モニカ・ベルーチ(Monica Bellucci)のような色っぽい女が目の前を通れば、性慾満々のイタリア人は薔薇の花を捧げてしまうし、女房持ちのオっちゃんだって“そっと”一声掛けたくなる。南歐の都市では、5歳の坊主だって30歳の美女にプロポーズするくらいだから、イタリア人にピューリタン精神なんて無理。カトリック信徒は激怒するかも知れないけど、イタリアの神学生といえど怪しいもので、有名女優のエリザベス・カナリス(Elizabeth Canalis)とかヴァネッサ・ヘスラー(Vanessa Hessler)がそばに近寄れば、胸がときめいてしまうかも知れないぞ。神父だって懺悔室に美女が入ってきたら、「天の恵みだ。ああ、神様ありがとう !」と感謝し、何時間でも話を聴くかも知れない。サービス精神旺盛な司祭なら、何度でも「主はお赦しになった !」と言ってくれるんじゃないか。顰(しか)めっ面で告白を聴くのは、ドイツ人か日本人の神父くらいだ。筆者が米国に居た時、ニューヨークにあるジョヴァンニさんのカフェでよくコーヒーを飲んだことがある。店主のジョヴァンニさんはいかにもイタリア系らしく、美人のお客さんには特別の笑顔で接していた。日本人の店主ではあんな洒落た接客は出来ないと思う。喫茶店を経営する日本人は、熱心にコーヒー豆をフライパンで煎っているという職人気質が普通で、美女が来店しても甘い言葉で口説こうなんて考えない。(もしかしたら、そばでレジを担当する女房が怖かったりして。)

Vanessa Hessler 3Vanessa Hessler 14Elizabeth Canalis 3Elizabeth Canalis 5








(左2枚: ヴァネッサ・ヘスラー  /  右2枚: エリザベス・カナリス)

  脱線したので話を戻す。人生を楽しむことに肯定的なイタリアでは、宗教的熱狂が何時までも続くはずがなく、サヴォナローラの権勢に不満を募らせる者も出てきた。大商人と共に異を唱えだしたのは、ドミニコ会に敵対するフランチェスコ会の修道士だった。嫉妬の権化と化したフランチェスコ派の聖職者は、教皇庁と手を結び、忌々しいサヴォナローラに戦いを挑んだ。その方法は、「探火の秘蹟」だった。これは一種の宗教的審判で、燃え盛る炎の中をくぐり抜け、無事だった方が神によって正しいとされる勝負だ。売り言葉に買い言葉ではないが、サヴォナローラ派もこれを承諾し、双方の代表が挑戦することになった。

  市民集会の前には薪が積まれ、そこに火がつけられるといった具合なのだが、その山となった薪の中央には小さな通路が作られている。正義を証明する者はこの炎に包まれた小道を通るという訳だ。かくて、両方から代表者が出て炎の試練に挑む手筈となったのだが、ドミニコ会からはサヴォナローラではなく、彼の側近である修道士のドメニコ・ダ・ペスチュア(Domenico da Pescia)が挑戦者に名乗り出た。ところが、いざ勝負という時に、論争が起こってしまった。詳しくは判らないが、どうやらサヴォナローラ派の代表者が聖体(聖餐式のパン/ Host)を持って火の中へ入ろうとしたので、フランチェスコ会から抗議が出たそうだ。聖なるパンを帯びて歩くのは聖体を侮辱することに当たるという。キリスト教徒ではない日本人からすると「どうでもいいこと」に思えるが、フランチェスコ会側は真剣だった。それに、彼らの“いちゃもん”はこれだけではなかった。ドメニコの着ている外套が怪しいので「脱げ」と要求したり、何か他にお守りはないのか、と身体検査もしたそうだ。でも、本当は自信が無いから、中止するための「口実」を捜していたんだろう。

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(左: 浜田幸一  / 中央: 国会で暴れる浜幸さん / 右: 宮本顕治 )

  こうして両者が言い合いになっていると、どことなく天候が急変してきて、ついに雷が鳴り響き、雨が降り出してきたそうだ。サヴォナローラ派は「奇蹟だ」と叫んだそうだが、見物人の市民にしたら面白くない。どっちが炎を無事に通り抜けられるのか楽しみだったのに、披露されたのは修道士による口論だけで、肝心のメイン・イヴェントは雨で中止なんだから。ボクシングの試合で言えば、前座の小競り合いで終わりになったようなもので、観客が「ふざけんな、カネ返せ !」と野次っても不思議ではない。第一、サヴォナローラ自身が出馬せず、代理人を立てたんだから市民たちが不満を募らせるのも当然だ。やはり、「真打ち登場」が出なきゃ。自民党と共産党の対決だって、陣笠議員を立てた代理戦争じゃ奮い立たない。現実的には不可能だろうけど、安倍首相と志位委員長が直接殴り合ったら視聴率が50%を越えるんじゃないか。(「生」の喧嘩はゾクゾクするからなぁ。) 年末の格闘技番組も無いことだし、代わりのリアル・ファイトを観たい。今は亡き浜幸(浜田幸一)さんと宮顕(宮本顕治)のドツキ合いが“もし”あったら見物だったろうにねぇ。暴れん坊の浜幸さんが放つ右フックと、人殺しの宮顕が得意としたチョーク・スリーパーが激突したら、まさしくドリーム・マッチだ。『グラップラー羽牙(バキ)』で繰り広げられた範馬勇次郎(はんま・ゆうじろう)と愚地独歩(おろち・どっぽ)の試合ほどじゃないけど、結構見応えがある。(ちなみに、『グラップラー羽牙』は板垣恵介の人気漫画。ちょっとオタク過ぎたけど、漫画好きなら許してもらえると思う。)

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(上絵画  /  民衆に説教するサヴォラローラ)

  またもや脱線したので元に戻る。民衆の反応はともかく、この中断は反サヴォナローラ派に有利にはたらいたようだ。反対派陣営は、サヴォナローラ派が怖じ気づいて探火を避け、試合自体を拒否していると群衆に触れ回ったらしい。この流言飛語は大きな効果を発揮したそうで、群衆のざわめきはサヴォナローラへの悪罵へと転化した。一週間後、フィレンツェの市政府は反対派に傾き、サヴォナローラたち一派は捕らえられてしまう。かつては民衆の上に君臨した神の使いも、今では「籠の中の鳥」、というより「まな板の上の鯉」に近い。関係無いけど、サヴォナローラの失墜と比べたら、日本の政治家は実に気楽でいいねぇ。落選したってお金を失うくらいで、責任を取った切腹はないし、人民裁判に掛けられて銃殺されることもないんだから。ところが、サヴォナローラの転落は最悪だった。彼は拷問に掛けられてしまい、自分の予言は総てインチキと告白したそうだ。しかし、未だに事の真相は定かではない。でも、彼は仲間二人と広場に引き摺り出され、広場で公開処刑となった。教皇庁の特別使節が見守る中、彼らは四肢に釘を打ち込まれ、焚殺(ふんさつ)刑に処せられたという。それにしても、藝術作品を燃やした聖者が火炙りにされるなんて皮肉なものである。

Girolamo Savonarola burning 2(左  /  焚刑に処せられるサヴォナローラ一派)
  こうしたサヴォナローラの失態を、今は亡き会田雄次・京都大学教授が著書の中で語っていた。会田先生は、なぜサヴォナローラ自身が探火の挑戦に応じなかったのか、と批判する。もし、彼がその試練を避ければ、次に死刑がやってくることは誰の目にも明らかで、会田先生は、「サヴォナローラは本当の信仰をもっていなかったのではないか」と疑っていた。当時の人々が激怒したのも当然で、他人を身代わりにするサヴォナローラはいかがわしい。会田先生は、簡単な勝ち方を述べていた。すなわち、挑戦者がまず火の中を渡らねばならないから、それを見届けてから、サヴォナローラが渡ればよいのだ、と。(会田雄次 『敗者の条件』 中公新書、昭和40年 p.93)

  なるほど、会田先生の言う通りだ。相手が先に渡れば、火だるまになるのは必然。それを前にしたサヴォナローラが、炎に包まれて悶絶する挑戦者を「悪魔の使いめ !」と罵ればいい。会田先生はサヴォナローラが「なぜ奇妙な論理で、それをさまたげたのか」と疑問を呈する。そして、「代理人が頼りないというのなら、なぜ自分が出ないのか」と叱責していた。会田先生のお説ごもっとも。確かにそうだ。サヴォナローラは他人任せにしないで、自ら檜舞台に立って相手を葬れば良かった。そうすれば観客を味方につけることもできただろう。だが、彼は土壇場で怯んだ。もしかしたら、心の奥で敗北を「予想」していたんじゃないか。詐欺師がヘマを懸念するように、サヴォナローラも自分の嘘がバレるのを恐れていたのだろう。案外、神様の処罰だけは本気で信じていたのかも知れないぞ。神仏を恐れぬ泥棒とかヤクザだって、神社の境内で立ち小便したら祟りがあると思っているんだから。

大将が先頭に立たない選挙戦

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(左: 小池百合子  /  右: 若狭勝)

  戦争でも選挙でも、「ここぞ」という時に統領は陣頭に立つ。人の上に立つ者は我が身を顧みず、一か八か決戦に挑まねばならない。卑怯者は部下を前線に押し立てて、自分を後方支援に廻そうとする。しかし、勇敢な指導者は部下を率いて斬り込むのが鉄則。大将が火の玉にならないと、兵卒は冷めてしまうからだ。暴走族の総長だって、敵対する族に殴り込みを掛ける時、「野郎ども、俺についてこい !」と叫んで、突進するじゃないか。もし、族のリーダーが「今、ちょっとお腹が痛いから、お前ら先に行って闘ってくれ」と命令したら、乾分(こぶん)たちは「何だよぉ~、俺たちだけでヤレって言うのかぁ」とガッカリするだろう。やはり、総長が真っ先に出撃しなきゃ、男が立たない。

  そこで、先月の総選挙を振り返って、よく考えてみれば、なぜ希望の党が敗北したのかがちょっと解る。マスコミは小池氏の「排除します !」が致命的であったと言いふらすが、実際はそうじゃないだろう。小選挙区で軒並み新人候補が落選したのは、どぶ板選挙をしてこなかったからだ。地元の有権者に接することもなく、ただ駅前で演説したって票は取れない。当選を狙う者なら、冠婚葬祭は元より、夏の盆踊り大会とか秋の運動会に顔を出し、オっさんオバはん、女子供と触れあうことが必要だ。今は亡き浜幸さんなんか、農作業するオバはんを見つけると、わざと田んぼの中に入って行って、「よろしくお願いします!」と挨拶するんだから、強烈なインパクトがある。確実な一票と引き替えなら、泥で汚れた靴やズボンなんて安いものだ。相手の懐に飛び込んで、ハートを“グ”っと摑めばしめたもの。「法案」や「政策」なんて二の次三の次、大抵の場合は「無し」でもOK。はとバスを用意して老人たちを国会見物に招く方がよっぽど効果的である。

  希望の党に集まった新人候補は、「小池ブーム」という熱風が吹けば当選しただろうが、実際に吹いたのは晩秋の北風だったから、凍ったカタツムリのようにバタバタと落ちてしまった。とりわけ、期待された東京選挙区は死屍累々。悲壮感が漂っていた若狭勝など、蝉の抜け殻が良く似合う「お邪魔虫」程度。ついでに、都民ファーストの会も総崩れ。落選候補者は夢も希望もあったもんじゃない。借金だけが残った、なんて人もいるんじゃないか。憧れの議員生活が儚くも消えて、明日から浪人生活なんて泣くに泣けない。悪質な投資詐欺に遭った老人みたいだ。三万円も払って小池氏と一緒の写真を撮ったのに、この高価なポスターは葬式用の写真になってしまった。

  小池百合子が今回の惨敗をどう考えているのか判らないが、とにかく、彼女が国政に打って出なかったことは、党員たちにとってかなり痛かったに違いない。「希望の党」といっても、所詮は小池百合子の個人商店だ。当初、「小池新党」と呼ばれたくらい彼女が中心で、彼女のイメージが看板になっていた。だから、総選挙となれば、小池氏が党の顔になるのは当然で、彼女はみんなの先頭に立たねばならない。しかし、小池氏は国政に戻らなかった。いや、心の底では出馬を考えていたはずだ。ただ、彼女は選挙戦が始まる前、讀賣新聞が行ったアンケート結果を見て、「これじゃあダメねぇ~」とたじろいでしまったのだろう。有権者の約六割が「都知事に専念すべし」という意見を述べたから、小池氏はそれを見て出陣を躊躇ったのかも知れない。大衆の動向に敏(さと)い小池氏は、いま国政に復帰すれば逆風が起きる、と踏んだのだろう。

  だが、この判断は結果的にマズかった。目玉となる代表が欠席の選挙になってしまい、あとはポンコツの雑魚か金魚の糞みたいな候補者ばかりだからだ。小池氏は「政権選択の選挙です !」と粋がっていたのに、自分はリスクを犯さず、都知事の椅子にしがみつき、後方支援で獅子奮迅の働きを見せるだけ。案の定、仲間は揃って討ち死にだ。後知恵になるが、小池氏の国政復帰に寛容だった人が四割くらい居たんだから、彼女は乾坤一擲(けんこんいってき)とばかりに、選挙に躍り出ればよかった。そうすれば、気紛れな支持者が増えたり、怖い物見たさで喝采を送る有権者も出て来たはずだ。日本人にはどこか博徒を好む癖がある。どうせ、世の中にはアントニオ猪木とか田村亮子に投票するアホが存在するんだから、小池氏だって無党派層を獲得できたかも知れないのに。マスコミからは「都政を投げ出した」と非難されるが、それを恐れたら従来の政治家と変わらないじゃないか。本当に真剣なら一票入れてくれる国民もいるかもよ。それに、都政を散々メチャクチャにしたんだから、残りの任期で人々の信頼を回復できるとは思えない。進むも地獄、引くも地獄なら、「えいっ」と前に飛び出した方がいいんじゃないか。世論はどう転ぶか判らないから。

  結局、親分不在で選挙は惨敗。235名も擁立して50名しか当選せず、落選した185名は奈落の底に。党本部はお通夜状態。小池党首もパリで緑の勝負服を諦め、地味な喪服姿だ。最初、彼女は「国政は若狭さんと細野さんに」と任せていたのに、いきなり「リセット」を宣言して党の代表になったということは、かなりの当選者を見越していたからだろう。「捕らぬ狸の皮算用」をしていた党首は、保身を図ったことで、選挙戦に突入すると詐欺師まがいの「緑のたぬき」と評され、世間から袋叩きになってしまった。でも、やることなすこと“思いつき”なんだから、有権者が愛想を尽かしたのも無理はない。希望の党候補者が大量に当選することで、一躍時代の寵児になるはずが、惨敗を受けて憎しみの対象になったんだから、小池氏の誤算は致命的だ。したがって、今更「都知事に専念します !」はないだろう。なら、最初から二足の草鞋を履かずに、都庁でハイヒールを貫くべきだった。選挙前にこっそりと“自分用”の選挙カーを手配していた小池氏はズルい。

Hosono 2(左  /  細野豪志)
  小池氏の没落は自業自得だが、とばっちりもを受けた党員も憐れだ。「コラテラル・ダメージ(附随する損害)」という言葉は、まさしく細野豪志にピッタリ。早々と泥船化した民進党から飛び出て小池商店の重役になったのに、あっさりと店主に“ポイ捨て”され、選挙速報の時には樽床と一緒に顔面蒼白。せっかく野望を抱いて「イチ抜けた !」と移籍したのに、選挙が終わると引っ越し先の政党は、自分が見棄てた元民進党の出身者ばかり。泣きっ面に蜂じゃないけど、党の代表が何と玉木雄一郎になってしまった。さらに、代表代行が元民進党の大島敦で、幹事長には元民進党の古川元久だ。首班指名だって渡辺周に。でも、多くの国民は「渡辺? 誰それ?」と驚き、初めて投票した若者は、「小池さんじゃないの?」と訝(いぶか)しむ。細野は未だに山本モナの不倫相手と揶揄(やゆ)されるだけで、党の重鎮になることはないだろう。これじゃあ、何の為に民進党から脱出したのか、「裏切者」と呼ばれるために鞍替えしたようなものだ。

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(左: 玉木雄一郎  / 大島敦 / 古川元久 /  右: 渡辺周)
  玉木は既に「碌でなし」と分かっているが、大島と古川もトンデモない左翼議員だ。両者とも國軍創設や憲法九条改正、原発再稼働に反対だし、外国人参政権に賛成している。大島は首相の靖國参拝どころか、特定秘密保護法にも反対で、国防意識など微塵も無い。古川は夫婦別姓や女性宮家の創設に賛成で、我が国の伝統や文化を破壊しようとしている。確かに、希望の党には中山成彬議員や長島昭久議員といった保守派もいるけど、そんなのは少数派で、大半は左翼かピンク色に染まった連中だ。これから希望の党がどのように自民党と連携・対立するのか分からないけど、新装開店した民進党になることは目に見えている。小池氏は一旦退いて再起を図っているのだろうが、凋落した人気を恢復(かいふく)できるとは到底思えない。それに、女性にとって最大の脅威は、着々と「年齢」が加算されてしまう事だ。ただでさえ、「白塗り妖怪」と評されるのに、加齢にともなうシワとタルミが顕著になれば、テレビ映りが冴えなくなるだろう。まぁ、黒柳徹子か梅沢富美男のように特撮メイクにすれば、美貌を維持できるのだろうが、しょっちゅう「レフ電球(映りを良くする照明)」を当てる訳にも行くまい。(デーモン小暮風だとやり過ぎ。) 小池氏は12のゼロを提言していたが、もう一個のゼロを附け加えるのを忘れていた。「小ジワ」ゼロ。

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(左: 黒柳徹子  / 梅沢富美男 / デーモン小暮 /  右: 小池百合子)

  選挙は一種の「お祭り」だから、奇想天外な結果になっても不思議じゃないけど、厖大な税金を使って民進党議員の復活がなされたんだから、自民党が大勝でも喜んではいられまい。それに、国民の防衛意識が高まったとは言えず、相変わらず脳天気な状態が続いている。北鮮と支那からの脅威が増大しているのに、世間の中高年が関心を寄せるのは、モンゴル人力士の暴行事件くらい。まぁ、国会議員の玉木雄一郎に国防意識が無いんだから、ワイドショーをボケ~と見ている一般人に核兵器の脅威を考えろ、と言っても無理だろう。次の選挙は民進党離脱者が集う希望の党と、極左集団の立憲民主党、置いてきぼりになった民進党参院議員、無所属になった民進の残党が大同団結するんじゃないか。枝野幸男たちが抱く「赤い希望」だと、何となく実現しそうで怖い。




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若い沖雅也は凄かった / 名作となった「必殺仕置屋稼業」

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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今では制作されないタイプの時代

  現在、衛星放送のBS朝日で『必殺仕置屋稼業』が再放送されている。筆者は過去に何度も観たことがあるので、今更「もう一度」でもないのだが、何となく懐かしくなって“つい”観てしまった。個人的な評価を下すなら、必殺シリーズの中で最高傑作は、山崎努が「念仏の鉄」を演じた『新・必殺仕置き人』なんだけど、沖雅也が「市松」を演じた『必殺仕置屋稼業』(1975年放送)も見逃せない。沖雅也は他の必殺シリーズにも登場していて、本作の前である1973年には「棺桶屋の錠」として『必殺仕置人』、1978年に再び起用されて『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』に出演していた。しかし、沖雅也といったら、何と言ってもニヒルな「市松」で、一番よく似合っている。出演当時、沖はまだ23歳か24歳くらいであったのに、ベテラン俳優も真っ青の演技を披露していた。今の若手俳優であんな演技力と存在感を見せる役者は滅多にいないだろう。

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(左: 「中村主水」役の藤田まこと  /  右: 「市松」を演じる沖雅也)

  『必殺仕置屋稼業』は一応、「中村主水(もんど)」を演じた藤田まことが主役みたいなんだけど、物語で異彩を放つのはやはり「市松(いちまつ)」だ。定町廻り同心を務める「八丁堀」こと中村主水は、銭湯の釜焚きを生業(なりわい)とする捨三(すてぞう)を乾分(こぶん)にして「仕置人」を裏稼業にしていた。ある日のこと。主水は人混みの中で、偶然にも竹串を使う市松の殺しを見てしまう。間髪を入れず「殺し屋」の後を追う主水だが、市松の方がすばしっこく、あっけなく巻かれてしまうのだ。奉行所で昼行灯(ひるあんどん)を装う主水は、自分の正体を知る髪結いの「おこう」と出逢ってしまい、彼女から殺しの依頼を受けるが、用心深さゆえに白を切って断ってしまう。だが、おこうは諦めず、執拗に主水を「裏稼業」へと引き戻そうとする。彼女は依頼人である「おいと」に主水を会わせ、無惨な死を遂げた姉の「おみよ」の恨みを晴らしてくれるよう頼んだ。それでも、主水は首を縦に振らず躊躇する。

  ところが、依頼人の「おいと」は絶望のあまり井戸に身を投げ亡くなってしまうのだ。主水はおこうに連れられ、雨が激しく舞う土砂降りの中、おいとの葬儀を目にすると、「仕置き」を引き受けることにした。だが、そこには主水を狙う市松の姿もあった。おこうと別れた主水は、帰る途中に待ち伏せていた市松と出逢う。市松に気付いた主水は静かに口を開く。

  「お前を捜していたんだ」

暗やみを背にする市松は穏やかな表情を浮かべながら口を開いた。

  「死んでもらおう。俺の仕事を見た奴は、生かしておく訳にはいかねぇんだ」と笑みを浮かべる。その時、彼の瞳孔が豹のように、ほんの僅かだけ大きくなった。

  一方、この言葉を聴く主水の顔は「仕置人」の表情になっていた。市松に振り向く主水は「その前に、人ひとり殺しちゃくれねぇか」と頼む。

  すると口元を緩めた市松は表情を和(なご)ます。

  「尻(ケツ)っぺたに十手(じゅって)を挟んだ殺し屋とは呆れるなぁ、ふぅふ」

その表現を耳にした主水も笑い返す。市松は「引き受けた !」とあっさり諒承する。しかし、その瞬間、彼の顔は氷のように冷たくなった。

  「おめぇを冥途に送った後にな」

そして再び笑顔に戻る市松。白い歯を見せる市松は「またな」と穏やかに言い残し、その場を去る。市松の捨て台詞を耳にした主水は緊張と安堵が入り混じっていた。主水は一人闇夜に佇(たたず)む。

  さすが、沖雅也はすごい。映像を観ていない人には分かりづらいだろうが、役者として彼の表情と口調は一流だ。笑みを浮かべながら平然と殺しの予告をするなんて、観ている者の心臓に響くというか、全身が興奮してゾクゾクする。冷徹な殺し屋は怒鳴ったりしない。平常心を保ちながら、残酷な事を述べるから「凄味」があるのだ。当時の沖雅也が22、3歳の若造なんて思えない。現在の若手俳優で彼のような風格を持つ奴がいるのか? 新しい「必殺仕事人」で主水役と似た同心を東山紀之が演じていたけど、アホらしくて見ていられなかった。本人は「演技派」を気取っているんだろうが、どうみても今風の「兄ちゃん」にしか見えない。何も時代劇に出なくったって、現代劇にでも出ればいいじゃないか。(もしかしたら、所属事務所の命令だから断り切れなかったのかもね。筆者には裏事情が分からないので、彼を一概に酷評することはできないが、「適役」じゃないことは確かだろう。)

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(左: 「仕置き」の時の市松  / 右: 主水を刺し殺そうとする市松 )

  必殺シリーズには印象的なシーンが幾つもあるけど、主水が市松と対決するシーンは名場面の一つとなっている。二人が別れてからしばらくして、市松の住処(ヤサ)を見つけた主水は、彼に再会して話をつけようとする。が、市松の姿はそに無い。しかし、まだ座布団は暖かい。主水は市松がそれほど遠くには行っていないと察知する。追跡しようと家を出た主水。すると、隠れていた市松が主水に襲いかかり、彼の背後を取って竹串をその首筋に刺そうとした。羽交い締めにされた主水は動けず、市松は主水の十手を弾き落とす。主水の右手を封じ込めた市松は、背後から語りかける。

  「旦那。こっちから足運びましたのに。死んでもらう前に聞いておこうか。殺しの相手は誰ですかい?」と尋ねた。

  「廻船問屋、近江屋利兵衛だ」と伝える主水。

  「安心しな。仕事は綺麗に仕上げてやる」と、まるで「冥土の土産」のように言い渡す市松。

しかし、主水は死を覚悟するも、その言葉には力があった。主水は静かに語りかける。

  「おめぇも、そう死に急ぐことはねぇじゃねぇか」と市松に向かって説く。

主水の言葉を聴く市松は、彼の刀が自分の脇腹に向けられていることに気付いた。相討ちとなる場面を想像した市松は焦る。すると主水はつぶやくように語りかけた。

  「どっちに転んでも、あまりいい籤(くじ)じゃねぇなぁ。だが、殺しの数は俺の方が上だぜ !」と余裕を見せつける。

  「刀、引いてくれや」と市松は囁く。だが、主水は譲歩しない。主水は言う。

  「ダメだ。俺はカカァ始め、人さま信用しねぇことにしてるんだ」と。

  「わかった。おめぇさんの話に乗った」と市松。小さくうなづく主水。

  だが、市松は次のセリフを吐く。

  「しかし、おめぇさんを殺(や)るのを諦めた訳じゃねぇぜ」

  「わかった」と返事をする主水。羽交い締めを解かれると、主水は反転し市松の正面に身構えた。そして、市松の住処を滑るように後にした。

  主水との刺し違えに冷や汗を掻く市松。緊張がほどけた市松は額の汗を拭った。

  いいねぇ。この緊張感。二人の殺し屋が共倒れ寸前なんて、見ている方が緊迫するじゃないか。殺気が漲る市松に対して、主水もベテランの意地を見せつける。しかも、彼の言葉がいい。女房の「りつ」を始め、誰も信用しない主水。一見すると臆病のようにみえる「八丁堀」は狡猾で用心深い。何度も修羅場をくぐり抜けた仕置人は、仲間でさえ心を許さず、細心の注意を払うことが本能となっている。『必殺仕置屋稼業』の全編を通じて、主水は市松を本気で信用することはなかった。忠実な捨三でさえ、いつ自分を裏切るか分からない、と思っているくらいだ。猜疑心に基づく仲間意識という矛盾に満ちた世界を主水は生きている。裏稼業の人間は一つ間違えば、役人に捕まり、熾烈な拷問を受け、挙げ句の果てに「獄門さらし首」というのが定番だ。仕置人は毎回、銭を貰って地獄の縁(ふち)を歩いているようなものである。だから、仕置人を眺める視聴者は、闇の世界で生きて行く男たちの非情さと、晴らせぬ恨みを晴らしてやろうとする情熱に感動するのだろう。平成の時代劇では甘ったるい人間関係ばかりだ。これでは“大人”の視聴者は馬鹿らしくて観ていられない。世間で辛い思いを噛みしめる中高年の視聴者は、映像の中にもっと残酷で厳しいドラマを欲しているのだ。(平成の「仕事人」では残酷な拷問シーンが無いのも、うるさい視聴者への対策なんだろう。制作スタッフが女子供からの抗議を恐れているのか、どうも及び腰である。)

豪華な脇役が支えた名作

  『必殺仕置屋稼業』には他にも印象的なキャラクターが登場する。頼み人の仲介役を務める「おこう」もその一人だ。「おこう」役は中村玉緒が演じているんだけど、これが意外といい。若い頃の中村玉緒は初々しくて素晴らしい。オバタリアンになった現在の姿しか知らない高校生は、「えっっ~ ?! これが“あの”ダミ声で笑うオバはんなの ?」と驚くんじゃないか。(亡くなった勝新太郎が惚れたのも分かる気がする。それにしても、女優はバナナと同じく賞味期限切れが早いよなぁ。ただし、同級生と比べると段違いだから、一概に「劣化が激しい」とは言えまい。) ドラマの中で玉緒は上方訛りの髪結いを演じていて、それがとても良く板に附いている。新版の仕事人では和久井映見が「繋ぎ役」を演じていたけど、中村玉緒と比べれば明らかに「格」が違う。『必殺仕置人』では野川由美子が仕置人の仲間になっていて、彼女が演ずる「鉄砲玉のおぎん」がまたハマリ役というか、ドラマの中に自然と溶け込んでいた。粋のいい「おぎん」を演じる野川由美子は、まさしく江戸時代に生きていた江戸っ子みたい。度胸と愛嬌があって、啖呵を切れば立て板に水。役者はこうでなきゃ。観ていて気持ちががいい。

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(左: 主水に仕置きを依頼する「おこう」  / 右: 「鉄砲玉のおぎん」を演じる野川由美子 )

  市松とは対照的なのが、もう一人の仕置人である破戒僧の「印玄(いんげん)」だ。温厚そうな新克利(あたらし・かつとし)が演じていてたが、それでも結構似合っていた。 この「印玄」は生臭坊主で、女の裸が大好き。お経の読み方もいい加減。だが、殺しとなれば人格が違ってくる。その怪力を用いてターゲットを抱え上げ、屋根の上に連れ出すと、その背中を押して地面に突き落とすという具合だ。風呂釜に薪をくべる捨三と親しい印玄は、彼の代役を喜んで引き受けたりする。そんな殺し屋坊主は人情に厚かった。ある依頼で市松が「卯之吉」という若者を殺した時だ。彼の父である睦屋佐兵衛(むつみや・さへえ)は裏稼業の人間で、市松とも知り合いである。この佐兵衛は息子を殺した者全員に復讐したくて、仕置人を見つけ出そうとした。そこで佐兵衛は殺しを依頼した親子を探り出し、彼らを脅して仲介役が「おこう」であることを突き止めた。捕まったおこうは佐兵衛の手下により激しい拷問を受けてしまう。しかし、彼女は中々口を割ろうとはしない。

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(左: 「印玄」役の新克利  /  右: 「捨三」役の渡辺篤史)

  一方、おこうが捕まったことを知った主水は、捨三の風呂場でどうするか考えていた。主水の側では市松と印玄も頭を抱えていた。主水は、拷問に掛けられたおこうが地獄の責めに耐えきれず、仲間のことを喋るんじゃないか、と心配していた。そこで市松や印玄彼女をは助けよう、と提案する。だが、成功する見込みが無いと判断する主水は渋った。市松は侮蔑の眼差しで、てめぇの身が可愛いだけだろう、と主水を非難した。しかし、主水は顔が割れていないことを利点と考えている。自分が奉行所の内情を知る同心だから、お前達も安心して裏の稼業が出来るんだ、と反論した。こうした口論が交わされる間も、おこうへの拷問は続いていたのだ。

  佐兵衛とは旧知の仲である市松を怪しんだ主水は、市松が自分たちを売り渡すんじゃないかと疑り、印玄に市松を見張るように言い付けた。そして、場合によっては奴を殺(や)っちまえ、と命じていたのだ。案の定、佐兵衛は市松の前に現れ、命だけは勘弁してやるから仲間を教えろと迫った。それでも、佐兵衛の手下に囲まれた市松は、明言を避けながら、その場を上手く切り抜けることが出来た。遠くに隠れて一部始終を目撃していた印玄は、市松の後を追うも直ぐに見つかり、市松から「八丁堀の指図か? 」と尋ねられる。図星で戸惑う印玄。見透かされた印玄はお茶を濁すも、「俺はお前を信じている」と市松に伝えた。嘘が苦手の印玄は正直に語り、市松はあっさりとその場を去った。

  おこうを見棄てることが出来ない印玄は、風呂場で主水に「おこう救出」を告げ、もし失敗したら後を任せる、と言い残し、佐兵衛の屋敷に向かう。市松も印玄と同行し、天井からロープで吊されているおこうの前で、まず市松が佐兵衛に話をつけ、おこうの身代わりを申し出る。すると、一瞬の隙を突いて市松が手下の一人を竹串で刺す。佐兵衛たちがどよめいていた時、天井に隠れていた印玄がおこうのロープをたぐり寄せ、彼女を抱えて屋根から抜け出そうと図った。しかし、佐兵衛の手下が追ってくる。おこうを抱えた印玄は反撃できない。追っ手が匕首(あいくち)で印玄の脇腹を刺すが、それでも印玄は抵抗できず、おこうのロープを握って、下で待つ市松に渡そうとする。ゆっくりとおこうを下に降ろす間も、印玄は何度も腹を刺され血が吹き出る。やっと、彼女を市松に預けると、印玄は佐兵衛の手下を強引に捕まえ、一緒に地面へと落ちることにした。屋根から飛び降りた二人は即死。壮絶な死を遂げた印玄を前にして「印玄 !」ぶ市松。仕置人の無惨な最期を目にした市松の声が、やけに物悲しい。

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(左: 「おこう」を演じる中村玉緒 / 右: 絶命する印玄 )

  市松はやっとのことで「おこう」を主水のもとへと運ぶが、容赦無い拷問でおこうは虫の息だった。薄れ行く意識の中、顔面蒼白のおこうは主水に対し、「仕置人を辞めたらあきまへんで」と懇願する。主水に抱きかかえられたおこうは、死ぬ間際に初めてその恋心を打ち明けたのだ。彼女は密かに主水に心を寄せていた。仕置き料をコツコツと貯めていたのは、いつか主水と所帯を持ちたいと考えていたからだろう。佐兵衛に捕まる前、彼女は主水に「あんな女房と別れなさいな。私が面倒みるさいに」と冗談交じりで話していたことがある。主水と夫婦になりたいと願っていたおこうの気持ちがいじらしい。だが、その夢も現実の前では儚かった。おこうは主水の腕の中で絶命する。印玄が命懸けで助けたおこうが死んでしまうなんて。印玄の死は何だったのか、と言いたくなる。

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(左: 西尾三枝子  /  右: 大滝秀治)

  TVドラマの醍醐味は、練りに練られた脚本と中心的人物の活躍にあるが、脇を支える役者の存在も見逃せない。1970年代の必殺シリーズには、素晴らしい演技を披露する名脇役が揃っていた。『必殺仕置屋稼業』には、悪役が十八番(おはこ)となっている男優の今井健二が出ていたし、渋さが光る美川陽一郎、『あしたのジョー』で丹下段平の声優を務める藤岡重慶、ゴロツキを演じさせたらピカイチの石橋蓮司、『傷だらけの天使』で知られる岸田森などが登庸されていた。脇役がうまいと主役が栄えるし、ドラマ全体に締まりが出てくる。若い頃の大滝秀治もゲスト出演しており、彼の眼光は鋭く、悪徳商人が良く似合っていた。また、あの頃は女優陣も魅力的で、妖艶な西尾三枝子も出ていた。(今では、人気番組だった『サインはV』も忘却されたドラマだ。)

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(左: 佐藤慶  /  左: 今井健二)

      しかし、何と言っても嬉しいのは、『新・必殺仕置人』の最終回で有名な、佐藤慶がゲスト出演していたことだ。今から考えると、本当に豪華な俳優陣を起用していたんだなぁ、と感心する。NHKの大河ドラマなんかアイドル藝人の紹介番組みたいなもので、とても硬派な時代劇とは思えない。2017年のBS版『水戸黄門』では、武田鉄矢が水戸光圀役を務めるそうだが、こんなの東野英栄郎の頃を知っている視聴者からすればパロディーだ。江戸時代にタイムスリップした金八先生にした方がいいんじゃないか。いくら有名俳優だからといっても、「適材適所」っていうものがあるだろう。

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(左: 石橋蓮司  /  右: 岸田森)

市松の潤んだ瞳

  必殺シリーズには常連俳優も多く、津川雅彦もその一人だ。彼は『必殺仕置人』のみならず、『必殺仕置屋稼業』にも出演しており、市松の父親「市造」と仲間であった「鳶辰(とびたつ)」を演じたことがある。殺し屋稼業を営む鳶辰は市松にとって「伯父貴(オジキ)」みたいな存在で、時々彼の依頼で仕事を請け負うこともあったらしい。しかし、鳶辰は金の為に「市造」を裏切って死に至らしめた過去を持つ。そして、再び彼は配下の殺し屋「源次」を罠に掛け、彼を死に追いやってしまった。つまり、鳶辰は殺す相手に源次が来ることを事前に知らせ、その代わりに大金を頂いていたのである。このカラクリを知った市松は愕然とする。足を洗ったはずの源次は市松の親友であったからだ。源次の女房「おみつ」は、主水たちに恨みを晴らしてくれるよう頼む。仕置きの依頼を知った市松は、「なぜ俺に頼まねぇんだ」と彼女に問い掛けるが、おみつは市松にも足を洗って欲しかった、と告白する。ところが、そのおみつも亭主の位牌を前にして自害してしまうのだ。

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(左: 折り鶴附の竹串が首に刺さった「鳶辰」を演じる津川雅彦  /  右: 鳶辰を殺した直後の市松)

  頼み料をおこうからもらった主水と印玄は、鳶辰を仕置きに掛けるが、その死んだ「鳶辰」は影武者だった。主水の前に現れた本物の鳶辰は拳銃を持っている。主水危うし。捨三が主水の前に立って守ろうとするが、鳶辰は「無駄だ」と言い放つ。ところが、主水に狙いをつける鳶辰に背後から折り鶴が飛んできた。市松が竹串に折り紙を結びつけて、遠くから投げていたのだ。鳶辰の首に刺さった竹串と、その流れ出る血を吸って赤くなる折り鶴は印象的だった。市松は伯父と慕う鳶辰を、自ら手に掛けて殺してしまったのだ。市松にとっては父と親友の仇討ちになるはずだが、どこからともなく悲しみが込み上がってくる。

  鳶辰を殺した市松は、無言のまま竹藪の中に消えて行く。命拾いした主水は、市松を追いかけ感謝を述べた。ところが、主水に背を向ける市松の目には、うっすらと涙にならぬ涙が浮かび、彼の瞳は潤んでいた。いくら悪人とはいえ、鳶辰は市松にとって肉親のような存在である。胸が張り裂けるほど辛い。しかし、主水に振り向く市松は、仕置人の顔に戻っていた。市松は主水にカネを要求する。主水は「おこうからお前の分はもらっちゃいねぇんだ」と伝えるが、市松は「そんなこと、俺の知ったことじゃねぇ」と突っぱねた。主水は絶体絶命のピンチを救ってくれた市松に「嫌」とは言えない。そこで渋々、仕置料の二両を手渡す。小判を摑んだ市松は、「二両か。安い命だな」とせせら笑う。「何を !!」と怒る主水だが、市松はさらりと受け流す。また危ない時があったら助けてやる、と傲慢な態度を示すから、主水や捨三も頭にくる。だが、市松は気にせず、夜の闇に消えて行く。

  このシーンを演じる沖雅也の表情が実にいい。主水たちには涙を見せず、プロの「仕置人」として“ちゃっかり”と料金を請求するんだから大したものだ。観ている者にも冷徹なプロ意識が伝わってくる。だが、市松には冷酷な殺し屋という裏の顔がある一方で、子供と戯れる時の心優しい青年という一面もある。彼が竹とんぼを子供たちに作ってやって、一緒に遊ぶ姿は微笑ましい。闇夜に潜む仕置人の面影すら無いのだ。もしかしたら、悪人と善人を兼ね備えるところに市松の魅力があるのかも知れない。

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(左: 市松を演じる沖雅也  /  右: 最終回で左遷される中村主水)

  それにしても、他の凡庸な俳優だと、市松が口にするセリフは似合わない。沖雅也演ずる市松が述べるからこそ“自然”に聞こえるのだ。日本では「能無し藝人」でも、「二枚目」とか「可愛い」という理由で「タレント」なる英語で呼ばれたりする。所属事務所の「力」で俳優としてデビューできるが、本当に能力や特技があるのか定かではない。しかし、沖雅也には本当にキラリと光る才能があった。彼の演技は天性のものだろう。市松の喋り方とか表情は、練習で表現できるものではない。平成の男優に彼のような人物がいるのか? 筆者は藝能界に詳しくないから断定できないが、その数はたぶん多くはないだろう。とにかく、仕置きを行う時の市松は素晴らしい。光と影のコントラストを重視する必殺シリーズの撮影技法には惚れ惚れする。暗闇から浮き出た市松の顔が、ほのかな光に照らされて、これまた美しい。市松が鋭く磨いた竹串を悪党の首筋に、素早く的確に“ブス”っと刺す瞬間など最高だ。派手な斬り合いより、この方が妙にリアリティーがある。

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(左: 「やいとや又右衛門」 を演じた大出俊 /  右: 「念仏の鉄」を演じた山崎努)

  「昔は良かった」と愚痴をこぼすのは嫌だけど、昭和40年代から50年代にかけてのTVドラマには、制作者の意気込みと気魄が滲み出ていた。もちろん、視聴率を無視していた訳ではないが、それ以上に「良い作品」を世に出そうと必死だったのだろう。『必殺仕置屋稼業』のカット割りとか撮影テクニックに目を凝らすと、まるで映画を一本観ているような気がする。たぶん、監督や脚本家を始めとする制作スタッフが努力を惜しまず、真剣に取り組んでいたからだろう。現在のTV用時代劇だと、作り手が「低予算だからねぇ」とか「事務所のゴリ押し役者がいるからさ」という言い訳を設けて、不甲斐ないドラマの正当化を図っている。こんな下らないドラマなんか、DVD化して一体どれだけの人が観るのだろか? 1970年代の必殺仕置人は何度も再放送され、今でも根強いファンを持っている。人気の高い山崎努や大出俊、緒形拳などの演技は、今でも観賞に耐えうるし、まったく色褪せてない。近い将来、必殺シリーズが復活するかも知れないが、もう感動するような役者は採用されないだろう。もしかしたら、ジャニーズ事務所の若手俳優が登用されたりして・・・。そうなれば、「仕事人」という番組自体が視聴者からそっぽを向かれ、局の重役が闇に葬ってしまうかも。だって、テレビ局の社長は「大鉈(おおなた)をふるう」という必殺技を持っているからね。




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