無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年12月

支那人に征服される呑気な日本





支那人に狙われた北海道

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(左: 鼻糞をほじる支那人女性  /  右: 食事を楽しむ支那人)

  今や日本人に国防意識は無い。こう言えば「自衛隊があるじゃないか」と反論されてしまうが、筆者が心配しているのは、有事ではなく平時における支那人の浸透が着々と行われている事なのだ。2017年11月12日号の雑誌『サピオ』に産経新聞の宮本雅史・編集員が書いているけど、支那人による北海道の侵掠はめまぐるしい。支那資本によるリゾート地の買収が著しく、支那人客しか来ない、つまり支那人専用のゴルフ場とかキャンプ場があるそうだ。例えば、2016年、シンガポールの企業が赤井川村に270haのキャンプ場を買収したし、2010年には、香港の投資会社が破産した洞爺湖近くのゴルフ場を買収した。さらに、支那系の不動産会社がアパートメントや一戸建てを買収・建設して、支那人用の民泊にするらしい。宮本氏によれば、新千歳空港の近くには「支那人別荘村」があるそうだ。この他にも、北海道の各地で支那人による土地買収が行われており、まるで武器を用いぬ戦争が行われている、と考えてもおかしくはないだろう。

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(写真  /  日本に押し寄せる支那人観光客)

  我々が国防軍を保持するのは、日本の独立や安全を確保するためでもあるが、その前に普通の国民が平凡でもいいから安全で快適な暮らしができるようにすること、さらに国家の繁栄をみんなが享受するためである。いくら自衛隊や海上保安庁が日本の領空・領海を守っていても、空港や港湾から堂々と支那人が乗り込んできて、一般国民の近所に住みつくなら、不愉快で堪らないし、日本に住んでいるとは思えない。大学で呑気に禄を食んでいる教授たちは、「日本もようやく国際化社会になったなぁ」と感心し、「様々な文化が融合する多民族社会の誕生だ」と喜んでいるけど、毎日“あの”支那人や朝鮮人、その他のアジア人と触れ合う一般人からすればたまったもんじゃゃない。ゼニ儲けしか考えていないJRは、支那や南鮮から来る観光客のために、新宿駅などで支那語や朝鮮語による案内放送を行っている。しかし、日本人の乗客にしたら、朝から不愉快な言語が耳について気持ち悪い。駅の表示板を見れば、日本語の下にハングルや簡略漢字が記されており、シンガポールやフィリピンにいるみたいだ。いつから日本はアジア諸国の植民地になったのか?

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(左: 桜の木に登ろうとする支那人  /  右: 桜の木を蹴り飛ばす支那人)

  それにしても、支那人は侵掠の天才だ。銃弾を発することなく他国を征服できるんだから。その秘訣は何か? 答えは至って簡単。支那人らしく行動すればいい。つまり、人目を気にせず堂々と他人の土地に雪崩れ込み、どんなに貧乏でも移住先にしがみつき、あらゆるカネ儲けを考え、自分が死んでも子孫を残し、何百年かかろうが栄えるまで諦めない根性を持っている。支那人というのは地獄に落ちても、何か抜け道はないかと探索する名人だ。お金が命の支那人は、三途の川を渡る時でも銭をケチるし、閻魔様に会えば賄賂を渡して特別待遇をお願いし、拒絶されれば意地悪を考える。さらに、この閻魔様に弱点があれば、敵対する悪魔に甘い話を持ち掛けてやっつけようとするし、地獄の門番にも「うまい話が・・・」と囁く。悪魔を詐欺に掛けて“のし上がろう”とするのが支那人なら、悪魔の親玉に地獄から追放されたのを機に、世俗の世界に戻ろうとするのも支那人である。もしかしたら、パンドラの壺は支那人によって作られたのかも知れないぞ。

チャイナタウンが出現するアメリカ

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(写真  /  シカゴで新年を祝う支那人たち)

  日本でもそうだが、歐米の移住先で支那人が多数派になれるのは、現地人が支那人を嫌うからである。最初、支那人は低賃金労働者(クーリー)とか、不法入国者として都市や村にやって来る。そして、ある程度の支那人がドヤ街住みつくと、自然と貧民が群がる食堂ができ、支那人相手の雑貨店とか低料金の洗濯屋などが現れてくる。こうなると、中流以上の白人は逃げ出し、残った下層白人が支那人と対立することになるのだが、彼らもこの異邦人に我慢がならず、お金を貯めて引っ越しを考えるようになる。後は、引っ越しが出来ない黒人とか南米人といった有色住民が取り残され、彼らは支那人と反目するようになるが、支那人は秘密結社や自治組織を作って対抗するから負けることはない。支那人は権力と金銭を獲得する術を心得ているので、地元の経済界と政治家を牛耳ってしまう。ここで興味深いのは、支那人街と化した地域が経済的に繁栄しても、立ち去った白人が戻ってこないことだ。一旦支那人街に変化した地帯は、余程のことが無い限り未来永劫「支那人の天下」になってしまう。

  ニューヨーク州のマンハッタンやサンフランシスコは支那人街で有名だが、イリノイ州のシカゴも支那人街の被害に遭っている。近年、シカゴにも支那人が続々と入植しているそうで、ブロンズヴィル(Bronzeville)やカナリーヴィル(Canaryville)の人口構成が激変しているらしい。ブロンズヴィルは元々、黒人が住むコミュニティーであったから、それほど住みにくい地域ではないが、支那人が大量に流入したことにより、地価や住宅が高騰し始めたという。さらに、支那人留学生がイリノイ工科大学に入ってきたので、街中で支那語が乱れ飛んでいるそうだ。(Marwa Eltagouri, "Chinatown's South Side neighbors see surge in Asian-American residents", Chicago Tribune, January 27, 2017) 

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(左: シカゴに住む支那人たち  /  右: ドラゴンを用いて祝う支那系住民)

  一方、カナリーヴィルは以前アイリス系移民が住みついた場所なので、比較的白人労働者が多い。しかし、黒人を嫌う支那人は、白人が多いカナリーヴィルの方を好み、こちら側に住居を構えるそうだ。地元で不動産業を営む支那系のチャーリー・シュウによれば、37番と43番通りに挟まれたエメラルド・アヴェニュー沿いにある住宅地の8割ないし9割はアジア人で占められているという。また、アイリス系アメリカ人が自宅を構える地域になると、支那人の購買意欲も増すようで、売り出された住宅の多くが支那人によって購入されているらしい。シュウも六年前にカナリーヴィルに移ってきたそうで、彼はフラー・パーク近くに支那料理店を出したという。

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( 写真 /  シカゴの学校に通う支那人の子供たち)

  ブロンズヴィルがある「ニュー・シティー(New City)」では、アジア系住民の人口増加が著しく、2000年以来500%の増加となっているそうだ。以前のカナリーヴィルなら、アイリス系やポーランド系、イタリア系、ドイツ系の住民が混在し、聖ガブリエル教会(カトリック)で洗礼を受ける人もたくさんいたそうだが、アジア人の殺到で街の風景が変わってしまったらしい。チャイナタウンが形成された地区では、当然ながら商店街が支那人客で溢れ、金色の漢字で書かれた紅い看板が厭でも目に付く。戦前の支那大陸では、上品そうな歐米人が「租界」を作って暮らしていたが、第21世紀の北米大陸では、下劣な支那人がチャイナ版の「租界」を作って楽しんでいる。支那人が群れる地域では、無理をして“異国”の言葉を覚える必要が全く無い。81歳になるサウ・ファン・ラムという支那移民の婆さんは、24年前にシカゴに移り住んで来たが、英語を話せなくてもコレといった不自由は無く、近くの広東料理屋で食事を取り、香港マーケットで買い物を済ませるという。

  英語を全く理解しない支那民が気楽に暮らせるのも、「人権」とか「福祉」を重視するアメリカ人がいたり、同胞を支援する支那人組織があるからだ。例えば、シカゴには「支那系アメリカ人奉仕同盟(Chinese-American Service League)」という団体があって、支那系児童にまつわる教育プログラムや、新入りとか失業者に対する職業訓練、福祉制度に不慣れな高齢者への手助けを提供するらしい。(Marwa Eltagouri, "Here's why Chicago's Chinatown is booming, even as others across the U.S. fade", Chicago Tribune, May 13, 2017) シカゴ・メトロポリタン・エイジェンシーが作成した2015年の報告書によれば、支那系住民の78%が家庭で支那語を喋っており、全体の約4分の3が普通以下の英語能力しかないそうだ。これでは支那系住民の就業率は上がらないし、アメリカ人の福祉担当者だって大変だ。英語が拙い支那人患者が来訪したら、受け容れる側の病院は困ってしまう。

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(写真  /  奉仕同盟の支那系アメリカ人たち)

  だが、支那人の害悪はチャイナタウンに留まらない。裕福になった支那人の二世や三世、そして大金を懐にした支那移民は、同類が溢れるチャイナタウンを避け、中流階級の白人が住む「郊外」にやって来るのだ。昔の支那移民は低所得の筋肉労働者が多いから、マンハッタンやフィラデルフィア、ボストンなどの下町に蝟集したけど、新たな移民は搾取経済で財を成したビジネスマンとか、高学歴のホワイトカラー、不正蓄財をして逃れてきた官僚などである。彼らは金に糸目をつけず高級住宅地に乗り込んでくる。例えば、フィラデルフィアにある豊かな郊外「エクストン(Exton)」では、平均的な住宅価格は34万ドル(約3千740万円)もするそうだ。(Alexia Fernandez Campbell, "Suburbs : the New Chinatown", The Atlantic, May 18, 2016) しかし、ニュータイプの支那人には、こうした高値は障碍にならない。彼らは躊躇いもなくどんどん入ってくる。2000年だと支那系住民が占める町の人口比率はたった6%だったのに、今では20%にもなっているという。支那人恐るべし。イエロー・ペリル(黄禍)の再来だ。

  日本人と違って、支那人には「遠慮」とか「心遣い」というものは一切無い。彼らは中華の民だから、地球がどうなろうと自分がお金持ちになればいいと思っている。神様だって自分の為に存在するので、利益をもたらさなければ用済みだ。アメリカの大手銀行に勤めるシェリル・ワン(42歳)もエクストンに引っ越してきた支那人の一人で、彼女には亭主と二人の子供がいるという。この支那人が言うには、近所の半数がアジア人で、残りの半分が白人であるらしい。シェリルは高学歴支那人であるらしく、情報科学とビジネスの修士号を取得し、幼少時代を過ごしたのはフィラデルフィアの郊外であった。彼女は自宅を構えるにあたり、何としても支那人街を避けたかったそうだ。マンダリン(北京官語)を話すシェリルはこう述べている。「私、チャイナタウンが大嫌いなの。郊外のように綺麗じゃないし、人が沢山いるでしょ」、と。彼女は郊外の住宅地がもつ“静けさ”を好み、子供たちを良い学校へ通わせるための“コネ”も必要ないから郊外が好きなんだって。何でも人脈と賄賂が必要な闇黒大陸を想い出せば、アメリカでの生活は本当に文明的である。そう言えば、南鮮人が朝鮮半島から逃げ出すのも分かるなぁ。小中華の朝鮮でも、「袖の下」と「口利き」が横行しているから、長く住むとノイローゼになるか人間性が腐ってくる。

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(写真  /  レヴンワースの風景)

  世界中の各民族を分類する方法は幾つかあるけれど、国家形成能力で測るのも一つの手段だろう。世の中には、同じ種族が集まると素晴らしい社会を作ることが出来る民族と、同胞が群れると下劣な社会しか作れない民族がある。日本人と西欧人は前者に属し、支那人や朝鮮人、ユダヤ人、アフリカ人などが後者に属すると言えるだろう。もちろん、こう述べれば支那人や朝鮮人は猛反発するだろうが、現実の世界を観てみれば反論しづらくなる。例えば、アメリカに渡ったドイツ移民が片田舎でドイツ村を作ると、地元のアングロ・サクソン系住民が異を唱えることは、まずありえない。同じ文明圏からの移民なら大歓迎だ。興味深いことに、こうしたポジティヴなイメージを利用して作られたのが、ワシントン州にあるレヴンワース(Leavenworth)という街である。ここは観光地としても有名で、多くのアメリカ人や外国人観光客が訪れるという。確かに、街並みがバイエルン風で美しく、歩いているだけで楽しくなる。ゲルマン人は一般的にきれい好きで、公園とか建物の手入れが行き届いており、家の庭先には色鮮やかな花を植えることが多い。また、レストランも街の風景に調和していて、料理を運んでくるウェイトレスもドイツ系なら気さくで明るい。ニンニクの臭いが立ち籠める薄汚い朝鮮料理店とか、どんな食材で料理を作っているのか分からない“不気味”な支那人の料理屋とは大違いだ。

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(左: ドレスデンの街  /  右: ドイツにある美しい村)

  もし、ドイツ人と似ているスカンジナヴィアからの移民が、ミネソタ州やインディアナ州にノルディク・コミュニティーを形成したらどうなるのか。おそらくイギリス系アメリカ人との文化摩擦は無いし、彼らの中には新たな街に移住する者も出てくるだろう。そうなれば、当然そこの不動産価格が高騰するし、経済的にも希望がもてる新興住宅地となる。街にアングリカン教会は建たないかも知れないが、同類のプロテスタント宗派であるルーテル派教会が築かれるだろう。地元の学校にも“同種族”の生徒が通うようになるから、白人保護者からの反対論も無い。これが支那人だと学校の雰囲気が暗くなるし、文化摩擦も多くなるから厄介な問題が増える一方だ。イスラム教徒の流入になればもっと軋轢が増大し、文化摩擦どころか宗教対立にまで発展しかねない。チューダー朝の高級住宅街に、いきなりモスクが建設され、褐色で髭ツラのアラブ系異教徒がうろつき始めたら、上品なアメリカ人でも金切り声を上げるだろう。公共マナーというルールを弁えない支那人だと、平気で道路や床に痰を吐くし、コンビニで買った弁当の食べかすを放り投げる。公園の水飲み場に幼児をのせて、そこに小便をさせる親までいるんだから、観光客の日本人だって目を剝いて怒鳴りつけるんじゃないか。もっとも、支那人からすれば、噴水や台所も「水洗トイレ」なんだから、「いいじゃないか !」となる。それなら、「テメェら、口からウンコを出してみろ !」と言いたくなるよねぇ。(でも、支那人のことだから、案外できる者が居たりして。恐ろしい。)

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(左: ドイツ人のウェイトレス  /  右: 水飲み場で放尿する支那人の子供)

支那人の遺伝子を持つ新世代

  アメリカ白人は滅多に口にしないが、アジア人とかアフリカ人が増えると、異人種間結婚も増えてしまうので心配だ。我が子が支那人と結婚する破目にでもなったら一大事。日本の母親だって息子の嫁が支那人ならゾっとしてしまうだろう。日本人の嫁だって、育った環境や習慣とが違うと、嫁姑戦争の火種になりかねない。最悪なのは、生まれてくる孫が混血児になってしまうことで、片方の祖父母が支那人になってしまうのだ。初孫ともなれば友人に自慢したくなるのに、支那人の血統だなんて恥ずかしい。日本にやって来る“がさつ”で“人でなし”の支那人と同類になるんだから、体中の血管が収縮し、心臓の辺りが苦しくなる。もっと厭なのは、孫の素性を知った友人が“腫れ物”にでも触るかのように気を使い、支那人の子供であることを気にしない“素振り”を見せることだ。友人は「あら、御子息は中国の女性とご結婚なされたの?」と笑顔で受け答えするが、心の底ではどう思っているか分からない。西歐人との間に生まれた赤ん坊なら、「あら、まぁ、元気で可愛い赤ちゃんねぇ」と羨むのに、アジア人だと妙に遠慮がちになる。

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(左と中央: ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレー  /  右: ティンラン・ホン)

  映画ファンなら知っているけど、人気男優のヒュー・グラン(Hugh Grant)トが支那人女性との間に子供をもうけたた話は有名だ。以前、彼はイギリス人女優のエリザベス・ハーレー(Elizabeth Hurley)と交際していたことがある。しかし、彼女との破局を迎えたグラントは、意外にもティンラン・ホン(Tinglan Hong)という支那系女性とつきあい始めた。彼女との間にはタビサ(Tabitha / 支那名「シャオ・シュ」)という娘が生まれ、グラントにとっては初めての子供となっている。だが、役者の恋は熱しやすくて冷めやすい。せっかく子宝を授かったのに、グラントは彼女と別れてしまい、今度はスウェーデンのテレビ局でプロデューサーを務めるアナ・エバースティン(Anna Eberstein)という女性と懇ろになった。彼女との間にはジョンという息子が生まれたそうだ。それでも、俳優というのは気紛れなもので、2013年になるとグラントは別れたホンとヨリを戻し、間髪を入れずフェリクスという息子をもうけてしまう。「焼け棒杭(ぼっくい)に火がつく」とはよく言ったものだ。ところが、第二子ができても“やっぱり”ホンとの関係が嫌になってしまい、グラントはその復縁を裁ち切り、エバースティンのもとへと戻ってしまった。欲情が燃え上がった二人は、2105年、愛の結晶である二番目の赤ん坊をもうけたそうだ。少子化担当大臣なら祝福するだろうが、グラント氏の両親はどう思ったのか。スウェーデン人との間に生まれた北歐系の孫と、支那人女性との間に生まれたアジア系の孫を見比べると、第三者でも複雑な気持ちになる。

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(左: アナ・エバースティンとヒュー・グラント  /  右: グラント氏の両親)

  日本人は安易に「技能実習生(実質的には低賃金労働者)」とか、国籍目的の「介護師」を受け容れながらも、移民国家を目指していないと思っている。しかし、現実には続々とアジア移民、特に支那人労働者が日本に流入し、日本は今までの社会とは違う異質な世界になっている。最も恐ろしい兆候の一つは、日本人の肉体、すなわち遺伝子が変わっていることだ。支那人の文化や悪習が浸透することも脅威だが、日本人の家系が「アジア化」する事は見過ごせない。もし、支那人の母親を持つ日支混血児が、「日本人に生まれたかった」とか「支那人の家系じゃイヤだ」とゴネ始めたら、日本人の父親はどうするのか。なるほど、日本で生まれ育てば日支混血児といえども完璧な日本語を話すし、食事の好みや人との接し方も日本風になるだろう。だが、「支那人の血筋」というスティグマ(汚点)が一生つきまとうことになる。高度な文明国の日本に生まれ育ったのに、自分の肉体の半分があの地上最低の国に住む野蛮人と同じだなんて、頭がどうにかなってしまうだろう。こうした子供は本当に不憫だ。支那人の自覚は全く無いし、精神構造も日本人的なのに、肉体は支那風だなんておぞましい。ヤクザの子供に生まれたって、まともな職業に就けばカタギになれるのに、支那人の子供に生まれたら、どんな職業に就いても支那人と見なされてしまうのだ。

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(左: 支那人の少年  /  右: 支那人の少女)

  一般の日系日本人は支那人の流入くらいしか危惧していないけど、帰化した支那人が外国人と結婚することまでは考えていないから実に呑気だ。普通の日系日本人は紙切れ一枚程度で帰化支那人を「日本人」とは見なさないが、合法的手続きを経れば支那人といえどもレッキとした「日本国民」になってしまう。さらに恐ろしいのは、こうした帰化支那人の息子や娘が、帰化朝鮮人の子供とか黒人移民と結婚してしまうケースである。生まれた時から日本国籍を持つ支那系の娘が、日本で活躍する黒人ラッパーとか米軍の黒人兵と結婚し、日本で出産すれば生まれた子供は日本人だ。(黒人兵は女房に懇願されて日本に住みつく場合が多い。) また、帰化したアフリカ人の息子が元在日鮮人の娘と結婚した場合、生まれてくる混血児は最初から「日本国民」の両親を持つことになる。しかし、先祖代々の日系日本人は、こうした混血児を対等な日本人とは思わないだろう。どう見たって黒人にしか見えないし、朝鮮人の親が合法的に日本国籍を持っていても、我々は感情的に納得できない。もし、こうした外人系国民が海外で犯罪を企てて、警察に捕まったら、現地の新聞は「日本人の容疑者が捕まる !」との見出しで報道するだろう。でも、現地に住む日系日本人は、「えぇっ??? この人外人じゃん !」と呟くはずだ。周囲の者は“レイシスト”的意見だ、と非難するだろうが、普通の日本人にしたら自然な反応である。

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(左: 支那人と黒人のカップル  / 中央: 支那人の妊婦  /  右: 支那人と黒人の混血児)

  脳天気に暮らしている日系日本人は、多民族社会に陥ったアメリカを観てみるべきだ。米国の各都市には大勢の支那人が住んでいるけど、西歐系アメリカ人は彼らに向かって「我が仲間よ(My fellow Americans !)」と呼びかけるのか? イギリス系やスコット系のアメリカ人が、ベトナム系やアラブ系、インド系の国民を対等で尊敬に値する同胞と見なすかは、甚だ疑問である。日本人だって、こうした有色系アメリカ人を「真のアメリカ人」とは思わないだろう。例えば、アメリカ文学とか南北戦争を勉強する日本人が、支那系アメリカ人から米国史を教えてもらおうとは思わないし、支那系の教授が主催する講座に出席してアメリカ文化を学びたいとは望まない。出来る事なら、西歐系の学者に出逢いたいと願うはずだ。

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   英語の授業でも同じ事で、仮に、ルシー・リュー(Lucy Liu)みたいな支那人教師と、エリザベス・ハーレーのような英国人教師がいたとして、日本の中学生はどちらを選ぶのか? たとえ両者の学歴が同じ程度で、才能や技量、経歴の点でも差が無いとしても、どちらかと言えばルシーを選ぶ者は少数派で、大多数はエリザベスの方を選ぶだろう。子供は正直だから、建前ではなく本音で選んでしまうものだ。ただし、人種平等を強制する校長先生がいるので、子供たちが持つ「選択の自由」を抑圧し、有無を言わさず支那系教師を押しつけたりする。「自由」を認めることは「差別」を生む結果になるので、リベラル派とか左翼教師は専制君主になりやすい。でも、教室には「個性の尊重」とか「学問の自由」とかの標語が掲げられているんだよねぇ。

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(左: リサ・リング  / ローレン・トム  / ロザリンド・チャオ  /  右: ジョアン・チェン)

  支那移民を受け容れてしまうと、社会の隅々にまで支那人が進出することになる。有色人優遇制度や有色人割当制度を早くから導入した米国では、藝能界やマスコミ界などに多くの支那人が採用される事になってしまった。例えば、支那系ジャーナリストのリサ・リング(Lisa Ling)はABCの有名な「ザ・ヴュー(The View)」という番組に採用されていたし、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルでも番組を持っていた。女優で声優も務めるローレン・トム(Lauren Tom)は、『ウォール街』とか『キャデラック・マン』という映画に出演していた。人気TVドラマ・シリーズの『新スタートレック』に起用されたロザリンド・チャオ(Rosalind Chao)は、ケイコ・オブライエンという日本人の役を演じていたことでも知られている。TVドラマ『ツイン・ピークス』に出演したジョアン・チェン(Joan Chen)は支那生まれだが、1988年、米国に帰化し、支那系の医者であるジム・ラウと結婚したそうだ。近年、多文化主義の台頭もあってか、アジア系の役者があらゆるドラマで起用され、時にはごり押しじゃないかと思えるほど、重要な役どころを与えられている。人気報道番組でも同じで、アジア系のジャーナリストがアンカーになったり、ゲスト解説者になっているんだから、不採用となった白人の女子アナは怒り心頭だ。

日本人が住むから素晴らしい国

  多文化主義を提唱する左翼学者は、しきりにアジア人と彼ら文化を受け容れて、我々に異邦人との「同化」を勧めるが、一般の日本人は支那人や朝鮮人との「融合」など“まっぴら御免”である。彼らの肉体や風習を歓迎することが日本人の精神や文化を豊かにすることなのか? こうしたアジア人との混淆は、決して我々の生活を豊かにすることはない。いや、むしろ衰退・劣化・堕落の原因となるだろう。例えば、ぶっきらぼうで図々しい支那人の子供が日本の幼稚園とか小学校に入ってくれば、日本人の子供は彼らに感化され、日本人らしからぬ行動を取るようになるだろう。支那人の子供は日本人の子供を見倣って悪いことを恥じたりするが、日本人の児童が支那人と接して上品になるとか、立派になるということはない。どちらかと言えば、汚い言葉を覚え、虚言を習得して不正直になるだろう。支那人的雰囲気の中で育てば、五歳の幼児でも一端の詐欺師になれる。これが中学校や高校になったら、どんな事態になるか、考えただけでも背筋が寒くなる。

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(写真  /  支那人の子供たち)

  日本が素晴らしいのは、昔から日本人同士が同じ国で生活し、苦しみや喜びを分かち合いながら、共に頑張ってきたからだ。領主が領民を守り、恩を感じた庶民は武士を尊敬する。我が国には残虐な支配者は稀で、神様だって「裁きの絶対神」ではなく、「慈しみの女神」といったところだ。誰もが敬う皇室が神聖なのは当り前で、天皇陛下を亡き者にしようとする覇者は決して現れない。御白洲に引き出された悪党だって、老いた母の前では号泣するし、裁きを下すお奉行様にだってお目こぼしがある。庶民を虫けら以下に扱う支那の官僚とは大違いだ。支那人は日本に住みついて、初めて人間らしい生活を“体験”する。いや、単なる「人間」以上の「日本国民」を実感するのだ。日本に暮らすと、井戸から美味しい湧き水を飲むことができ、エレベーターや電車に乗っても安心で、暴行被害に遭えば直ぐに警察官が駆けつけてくれる。警官や判事、役人までもが法に忠実で、賄賂を渡さなくても公正な裁判を受けることができ、たとえ刑務所に入っても、安全な食事が提供され、快適なキャンプ生活を送ることが出来るのだ。さらに、刑務所内ではリンチや拷問ではなく、職業訓練が受けられるし、お正月になれば特別メニューがあったり、慰問団による歌謡ショーまである。このように考えれば、生き地獄のような支那から日本に移住したいと考える輩が続出しても不思議じゃない。

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(左: 汚染された空気から肺を守る支那人  /  右: 支那人の労働者)

  日本人は日本の領土や同胞をもっと大切にすべきだ。我が国は善良な神様と人間が共存する理想郷で、空き地だろうが過疎地だろうが、国土の総てが祖先からの世襲財産である。お金をもらったからといって、支那人や朝鮮人に売り渡すべきではない。イングランドから独立したアメリカ人の子孫を見てみよ。彼らは口先では本土を守る愛国者を気取っているが、支那人や黒人、メキシコ人が街に押し寄せると、そそくさと引っ越す。アメリカの白人は、日本人が思い描く故郷という概念を持たない。有色人種のよそ者が商店街に群がると、祖父母の時代から住み慣れたコミュニティーを捨て去り、不愉快な異人種が居ない郊外へと移る。ところが、悪夢には続編があるのだ。引っ越し先にも異邦人が住みつくようになると、賢い不動産業者がどこかの森林を見つけて、ニュータウンを開発し、高級住宅を販売するようになる。逃亡者となった白人は喜んで大金を払い、リベラル派を名乗って偽善に耽るんだから呆れてしまうじゃないか。

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(左: 野外で暮らす支那人  /  右: 傷害事件で眼球を刺された支那人)

  確かに、彼らは薄汚い下層民ではないが、生まれ故郷を愛さない高級浮浪者だ。彼らも地元に教会を建てるが、その土台には殉教者とか聖人の遺骨はなく、コンクリートの塊だけ。幽霊さえもが腰を落ち着ける間もなく、次々と古い教会が壊され、新たな教会が建つ。一方、日本の神社は太古の昔から聳え、立派な教典がなくとも、人々は先祖代々の信仰と伝統を絶やさない。神社を形成する材料は、日本の大地で育った木材が用いられ、何処の馬の骨だか分からぬ木材は使われないのだ。いくら安くても、フィリピンとかタイで伐採された木を使うことはない。日本の宗教は日本人の肉体と精神を持つ者が支え、その魂は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、我が国の文化は血の大河を流れて行く。だから、この貴重な河に支那人の小便や朝鮮人の大便、フィリピン人の精液、タイ人の卵子を投げ込んではならない。北海道や沖縄で多少の空き地があっても、支那人に売り渡すということは、神州の一部を永遠に割譲したことになるのだ。我々は国家と国民を想いながら死んでいった英霊に感謝すると共に、先祖から託された国土、すなわち子孫に渡す世襲財産を守って行かねばならない。



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流行語より放送禁止用語の解放を

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(左: 朝鮮人の囚人  / 右: 朝鮮の庶民 )

  毎年12月頃になると流行語大賞が発表される。今年は「忖度か」が選ばれたそうだけど、こんな大賞はおかしい。「忖度」なんて、森友・加計問題を取り上げたマスコミが騒いだだけじゃないか。もし、放火魔が一年を振り返って、「どの火事が一番すごかったかなぁ」と言えば、大抵の日本人は呆れ返るだろう。自作自演で特大見出しを選ぶのは、藝能事務所が審査員を買収して、所属歌手に「レコード大賞」とか「有線放送大賞」を贈るようなものだ。マスコミの報道を聞いている世間はシラけるというか、「あぁ、そう」としか言いようがない。

  そんな“どうでもいい”流行語大賞より、テレビ局が“密かに”決めてしまった「放送禁止用語」を取り上げ、その一つ一つ説明してもらいたいものだ。昔からある言葉なのに、テレビ局や新聞社が勝手に「不適切」と判断し、用心深く使用することを避け、まるで全局が示し合わせたかのように別の言葉に置き換えたりする。確かに、悪意や憎悪を広めようとする人がいるのなら、そのような言葉を慎むよう指導するのは解るが、単に少数の重役が自分のイデオロギーを以て禁止する事には賛成できない。悪い言葉があるからといって、それを撲滅しようとすれば、我々の文化を規制する事となり、ひいては自由な表現を抑圧し、藝術や文学を衰退させる虞(おそれ)がある。

  こうした放送禁止用語の例としては、「唖(おし)」「盲(めくら)」「聾(つんぼ)」「跛(びっこ)」といった身体障碍に関する言葉が挙げられ、「気違い」「白痴」「知恵遅れ」といった言葉も“ダメ”らしい。でも、坂口安吾の『白痴』やドストエフスキーの『白痴』という小説があるんだから一概に全面禁止とはできないだろう。それに、「盲判(めくらばん)を押す」とか「盲滅法(めくらめっぽう)に撃つ」、「聾桟敷(つんぼさじき)に置かれる」、「それでは片手落ちだ」、「入試での足切り」などの言い方もあるので、それらを総て禁止されると別の表現を探すしかない。さらに、こうした制約が拡大されると、時代劇までが成り立たなくなる。まさか、「おし」を「自由に口が利けない人」とは呼べないし、「びっこ」を「足の不自由なかた」とも言えまい。

  そもそも「自由」という単語が明治に創られた言葉だから、江戸時代の庶民が口にするはずがないだろう。脚本家がアホだと、時代劇に西洋の翻訳後を混ぜたりするから、観ている者が白けてしまう。また、時代劇だと無学な農夫や口の悪い漁夫も登場するから、上品なセリフは不自然で、荒っぽい言葉使いの方が自然になる。例えば、座頭市とすれ違った雲助(くもすけ)や三助(さんすけ)が「おい、そこのメクラ !」と叫ぶ方が普通で、「ちょっと、そこの目のご不自由なたか」と呼べば変だ。(註 / 「雲助」は籠かきなどで「三助」は銭湯で客の体を流す人。)病気に関する禁句も時と場合によって使う時もある。例えば、今では「癩病(らいびょう)」を「ハンセン氏病」と呼ぶが、昔の小説や演劇、さらには聖書でも「癩病」だ。まさか、「イエズス・キリストが奇蹟を以てハンセン氏病患者を治しました」じゃ奇妙だろう。病名というのはギリシア語とかドイツ語由来の言葉が多いから、庶民は簡単な言葉で語ったりする。例えば、アメリカ人の子供だと、「スキッツフリーニア(精神分裂症 / schizophrenia)」なる単語が難しいから、単純に「ワコ(キチガイ / wacko)」と呼んでしまうことがある。日本人はギリシア語起源の病名を漢字で表すから以外と容易に把握できるが、専門家でもないアメリカ人だと何の症状なのか理解できない。

  NHKはアニメ作品にまで検閲を加えていた。BS放送で『海のトリトン』を再放送した時、海の怪物が無口なトリトンに向かって「お前はオシか?!」と尋ねたが、NHKはその音声を消してしまい、観ている子供はトリトンの敵が何を怒っているのか解らなかった。NHKは他人が創った作品を勝手に変更する常習犯で、外国のドラマを放送する時にも“こっそり”検閲を加えてしまうのだ。例えば、NHKは1999年から2002年にかけて、『ダーマ&グレッグ(Dharma & Greg)』という米国のTVドラマを放映したことがある。このドラマはジェナー・エルフマン(Jenner Elfman)が「ダーマ」役を、トマス・ギブソン(Thomas Gibson)が「グレッグ」役をそれぞれ演じ、育ちや階級の違うカップルが滑稽な夫婦生活を送るという筋書きになっていた。妻の「ダーマ」はヒッピーの両親を持ち、伝統的価値観に囚われず、自由奔放に育った女性であるが、夫の「グレッグ」は彼女と正反対の育ちだ。彼は裕福な上層中流階級の両親を持ち、エリート教育を受けたハンサム青年である。グレッグの父親である「エドワード」役をミッチェル・ライアン(Mitchell Ryan)が演じ、母親のキャサリンをスーザン・サリヴァン(Susan Sullivan)が演じていた。

Thams Gibson 2Jenna Elfman 2Mitchell Ryan & Susan Sullivanblack baby 4








(左: トマス・ギブソン  / ジェナ・エルフマン  / ミッチェル・ライアンとスーザン・サリヴァン  /  右: 黒人の赤ん坊 )

  このドラマには、ダーマが赤ん坊を養子にするエピソードがあった。義理の父親であるエドワードは、ダーマが引き取ってきた赤ん坊を揺り籠から抱き上げたところ、その赤ん坊を見て仰天する。なぜなら、黒人の子供であったからだ。英語のセリフでは「わぁ、ブラック・ベイビーだ !」となっていたのに、日本語訳のセリフでは「こりゃ驚いた !」となっていた。筆者は録画しておいたドラマを最初、原語で視聴していたのだが、何となく興味が湧いてきたので、声優がどんな和訳を喋っていたのか、音声を日本語に切り替えてみた。画像を巻き戻して「吹き替え」の日本語訳を聴いた時、「やっぱりNHKだなぁ」と呆れたことを覚えている。エドワードが黒人の子を抱き上げて「わぁ、黒ン坊だぁ」とビックリしても不思議じゃない。コメディー番組では「ブラック・ジョーク」もあるんだから、一々「政治的正しさ」を適応したら、番組自体がつまらなくなる。まぁ、NHKは黒人に対する「忖度」を行ったのだろうが、輸入した海外ドラマなんだから、そのまま翻訳してもいいんじゃないか。黒人に対して“特別な配慮”を行っているのは、人種平等を掲げるNHKが無意識の「差別心」を持っていたからだろう。

  テレビ局が昔のドラマを再放送する時には、「不適切」なセリフを消去する場合が多い。例えば、松田優作が出演したTVドラマ『探偵物語』では、確か「トルコ嬢」とか「トルコ風呂」が禁句になっていたと思う。優作が「トルコ嬢」と口にする音声が消されてしまったのは、その言葉が放送禁止用語になっていたからだろう。制作された昭和50年代なら許されていたが、平成だとNGになってしまうのかも知れない。でも、当時は「ソープランド」じゃなくて「トルコ風呂」と呼ばれていたんだから、そのまま放送してもいいんじゃないか。テレビ局はトルコ人からの抗議を恐れているんだろうが、「当時の用語だから」と説明し、安易に屈服せず外人の因縁を撥ね付けるべきだ。だいたい、日本のマスコミはアジア人やアフリカ人に譲歩しすぎである。ところが、歐米人を相手にする場合は違ってくる。彼らは西歐白人を「対等な者」とか「高度な文明を持つ外人」と見なしているので、白人に対しては正論を吐くし妙に強気だ。西歐人の方も冷淡な場合が多い。日本人が「ダッチ・ワイフ」という言葉を発したからといって、在日オランダ人やオランダ大使館から厳重な抗議は来ないだろう。しくこく“イチャモン”をつけてくる朝鮮人とは大違いである。

アメリカでの禁止用語

Martin Luther King 2(左  / マーティン・ルーサー・キング )
  日本の放送禁止用語を調べると、あまりの馬鹿さ加減にウンザリするが、アメリカにも同様な禁止用語があるらしい。例えば、黒人に関する言葉で、今では「ニグロ(Negro)」を口にする白人は殆どいなくなっている。しかし、この言葉は元から侮蔑語という訳ではなく、「政治的正しさ(political correctness)」という嵐が吹き荒れるようになってから忌み嫌われるようになったのである。この「ニグロ」はラテン語の「niger」が語源で、単に「黒」を意味したに過ぎない。だから、マーティン・ルーサー・キング牧師だって、演説で「ニグロ」を使っており、決して同胞を侮辱した訳じゃないから、本来なら誰でも口にしていい言葉であるはすだ。しかし、白人が侮蔑心を込めて黒人をそう呼んだから、黒人たちは「侮蔑語」と思ったのだろう。そう言えば、フランス人がニジェール川を「niger」と呼んで、ニジェールの国名になったが、ニジェール国民がその名称を廃止しようとする動きは無い。

  これは在日鮮人が「朝鮮」という名称を嫌う気持ちに通じるものがある。「朝鮮」という言葉じたいには否定的な意味は無いが、朝鮮人の耳には二つの理由で震えが来る。一つは、日本人から馬鹿にされたという恨みで、もう一つは、惨めで“おぞましい”過去を想い出したくないという忌避である。朝鮮人は日本人から軽蔑されたことに腹を立てているが、日韓併合前後の朝鮮は本当に最貧国で、後進国というより未開部族国とか底辺国と呼ぶ方が相応しかった。当時、日本だって貧しかったが、朝鮮の貧しさは日本人の想像を遙かに越えていたので、半島へ渡った日本人は悉く驚いていた。日本人が「乞食」と思っていた者が、実は村で一番マシな人だったりしたから、朝鮮の底知れぬ貧しさに度肝を抜かれていたのだ。しかも、民衆の教育レベルが桁違いに低く、単なる文盲というより、バカの5乗を10倍にして、それを更に20乗したような間抜けが多かった。

Koreans 1(左  / 甕を背負って歩く朝鮮人 )
  ところが、朝鮮人は反省するどころか、やたらと威張るし、面子を潰されると狂ったように怒る。これだから朝鮮人は馬鹿にされたのだ。一方、日本に住みついた朝鮮人も、自分達の「後進性」に気付き、それを恥じていた。でも、朝鮮人には自尊心が命。根拠が無くても「朝鮮人は日本人より上」と思っている。つくづく思うけど、朝鮮人につける薬は無い。癌の特効薬を開発できる優秀な科学者でも、朝鮮人を正常に戻す薬となればお手上げだ。したがって、朝鮮人にはキムチでも与えておけばいい。風邪を引いたらキムチを舐めるし、便秘になったらキムチを食べて脱糞だ。骨折してもキムチを塗れば完治するんじゃないか。クリスマスにもケーキじゃなくて、キムチが出れば満足。でも、サンタクロースは来ない。ニンニク臭い朝鮮はトナカイも嫌がる。

  話が逸れたので元に戻す。アメリカのテレビ局や新聞社も使用禁止用語を定めており、意図的に消された言葉がある。例えば、ミュズーリ大学が出版した注意用語事典によると、道徳や倫理的判断の欠如した女性を指す「バラクーダ(barracuda)」、女性の乳房を指す「バクソム(buxom)」、色っぽいけど頭が空っぽな女性「ビンボー(bimbo)」、レズビアンの別名「ダイク(dyke)」、ゲイの別称「ファゴット(faggot)」、同性愛者を描写する言葉の「フルート(fruit)」などが列挙されている。「バラクーダ」と耳にすれば、人気バンド「ハート(Heart)」の名曲「バラクーダ」を想い出してしまうけど、ジャーナリズムの世界では禁句なんだから、言葉というものは使う場所によって異なるらしい。この他、特定の人種や民族に関する禁止用語もあって、黒人の別称である「クーン(coon)」、黒人女性を指す「ニグレス(Negress)」、アジア系アメリカ人を全般的に指す「オリエンタル(Oriental)」、ユダヤ教徒を侮辱する「ハイミー(Hymie)」などがある。

Kate Upton 1Ellen DeGeneres 1Jew 36









(左: 魅力的な胸を持つケイト・アプトン  / 中央: レズビアンの有名司会者エレン・デジェネレス  /  右: ユダヤ人の男性)

Maine coon 2(左  /  メイン・クーン)
  「クーン」と聞けば、一般には「アライグマ」を思い浮かべるけど、隠語では「みっともない顔をぶら下げた男」とか「黒人」を意味するから禁止されても仕方ない。そう言えば、日本でも人気の「メイン・クーン」は、メイン州に棲息する大きな猫で、アライグマにちょっと似ていたから「クーン」と呼ばれたのかも知れない。ユダヤ人を侮辱する言葉は他にもあって、代表的なのは「カイク(kyke)」という蔑称である。一説によると、この言葉はユダヤ移民が押し寄せてきた時に作られたものらしい。ニューヨークのエリス島に到着したユダヤ移民は、入管職員に書類を提示され、紙に名前を書くよう求められたが、ロシアや東歐諸国から来たユダヤ人の中には、英語が分からない者や文盲がいたので、名前の代わりに「◯」を書いたそうだ。普通の外人なら署名欄に「X」マークを記すことろだが、「X」だと十字架を連想させる不吉な印なので、ユダヤ人はこれを避けて丸印を代わりに書いたという。この丸印をイディッシュ語で「kykeleh」と呼んだことから、以降、アメリカ人はユダヤ人全般を「カイク」と呼んだそうである。この単語は時たま映画の中にも現れてくるので、アメリカの俗語に詳しくない日本人は、字幕だけだと何のことやら訳が分からない。(筆者が観た映画の中では、クズ白人が壁に「kyke」と落書きをするシーンがあった。)

政治的に禁止される言葉

Hispanic immigrants 2Hispanic Immigrants 1








(左: 列車の屋根に飛び乗って米故国を目指す南米人  / 右: アメリカ国籍を求めるヒスパニックたち )

 こうした使用禁止リストが世間に受け容れられると、左翼分子は調子に乗って禁句を他の分野にも広げようとするから注意が必要だ。例えば、移民支援者の左翼どもは「不法外人(イリーガル・エイリアン / illegal aliens)」という用語が不快らしく、「入国書類の無い移民(undocumented immigrants)」という表現を使いたがる。これではまるで、パスポートやビザを自宅に忘れてきた旅行者みたいに聞こえるじゃないか。中南米からやって来る不法入国者や不法滞在者は確信犯で、米国での派遣労働を終えても居残る者や、パトロール職員に見つからぬよう“こっそり”と国境をかいくぐる者など様々だ。中には闇社会の仲介業者にお金を払って密入国する奴もいるから、彼らは書類を持たない善良な移民ではなく、空き巣かコソ泥の類いである。

  こうした犯罪者を親に持つ「移民二世」にはトンデモない連中がいて、「俺は米国で生まれ育ったからアメリカ人だ」と喝破する不届き者や、「親の祖国に強制送還されるのは人権侵害だ」と叫ぶ馬鹿がいる。泥棒の親が盗んだ玩具を子供に与えたからといって、その盗品の所有権が子供に移る訳じゃないし、たとえ五年十年、いつも肌身離さず持ち歩いても、盗品は盗品のままで、泥棒に所有権は無い。国籍も同じで、不法な手段で滞在したら、強制退去の命令を受けるのは当然で、子供が米国で生まれようが、その責任は犯罪者の親にある。合衆国政府には不法外人の子を養育する義務は無い。罪を犯した親が子供を故郷に連れ帰り、一生をかけて子供に償いをするのが筋である。もし、米国の移民支援者が天使のように親切なら、“自腹”を切ってメキシコやエルサルバドルに赴き、現地で憐れな子供たちの面倒を見ればいいのだ。「善いこと」は他人のゼニではなく、自分のゼニで行うべきである。

Dwight Eisenhower 2Joseph Swing 1(左: アイゼンハワー大統領  / 右: ジョセフ・スウィング中将 )

  今では忘れ去られているが、かつてアイゼンハワー政権下で「ウエットバック作戦(Operation Wetback)」が実施されたことがある。この「ウエットバック」というのは現在禁句となっているけど、以前は国境を越えて密入国するメキシコ人を指す言葉であった。彼らは国境沿いの河を渡ってくるので背中が濡れており、そのことから「湿った背中の連中」と呼ばれたのだ。1950年代半ば、国境近くのアメリカ国民が不法入国者の被害を受けていたので、陸軍中将のジョセフ・スウィング(Joseph Swing)は「ウエッドック作戦」を提案し、それをドワイト・アイゼンハワー大統領が承認した。このスウィング中将はアイゼンハワー大統領がウェストポイント士官学校に通っていた時の同期生であったから、上官である大統領とは長年の付き合いで、二人の意気が合っていたことは言うまでもない。左翼どもに惑わされないスウィング中将は、移民帰化局(INS)の長官に任命され、南米からの不法移民取締に精を出していた。

Wetbacks 1Migrants 2









(左: 川を渡って密入国する南米人  / 右: 米国を目指すヒスパニック移民 )

  リベラル派とか左翼と呼ばれる連中は、言葉を変える事で一般人の思考を変えようとする。彼らは「言い換え」によって印象を操作しようとするから悪質だ。例えば、東京に巨大な賭場を作ろうとする政治家は、「ギャンブル場」とさえ口にせず、「レジャーランド」とか「エンターテイメント・パーク」といったカタカナ語を使ったりする。どうしても日本語を使わねばならぬ時は、実態が分からぬよう「複合娯楽施設」とかの名称にしたりする。パチンコ屋だって「何とかホールディングス」とか「XYエンターテイメント・グループ」と名乗るじゃないか。彼らは決して朝鮮人が胴元の博奕集団とは名乗らない。売春宿だって「特殊浴場」と言い換えたりするし、ヤクザが出入りする飲み屋でも、報道番組では「飲食店」だ。こうした名称を聞くと、一般人は「蕎麦屋」とか「喫茶店」を想像してしまうが、まさか拳銃をぶっ放すゴロツキがやって来る「夜の水商売」とは思わない。在日鮮人が求める参政権も「外国人参政権」問題にすり替える。いったい、何人の在日アメリカ人や在日フランス人が日本での選挙権を渡せと要求したのか。

  他にも言い換えが流行している。例えば、「土方(どかた)」や「人夫(にんぷ)」が禁句になり、「建設作業員」とか「港湾労働者」になった。床屋も廃止用語で、今では「理容店」となるし、「坊主刈り」もダメで「丸刈り」になってしまった。朝鮮人に特別配慮を示すマスコミは、「朝鮮料理屋」を「韓国料理店」か「焼肉屋」と呼ぶが、ハンバーグやソーセージを出すお店は「焼肉屋」ではなく「ドイツ料理店」でOK。「支那竹」は「メンマ」に変わり、「支那そば」は「ラーメン」だ。この傾向は子供向けアニメにも適応されており、ディズニーの名作アニメ『ノートルダムのせむし男』は、何と『ノートルダムの鐘』という邦題になっていた。日本の配給会社は「せむし男」ではマズいと思ったのだろう。でも、アメリカでは『ノートルダムのハンチバック(The Hunchback of Notre Dame)』となっているんだから、そのままの翻訳でいいんじゃないか。そう言えば、オリジナルの『キューティー・ハニー』(1973)では、如月ハニーが「ルンペン」や「せむし男」に変身するシーンがあったけど、新版アニメ(1994)や劇場版の『キューティー・ハニー』では“不適切”な変身キャラは無いと思う。幼い娘から「パパ、せむし男って何 ?」と訊かれた父親は困っちゃうもんね。 アニメ界にも「政治的正しさ」というイデオロギーが浸透し、今では原作者が自由に空想を膨らますことが出来ない時代になった。思想や表現の自由を叫ぶ左翼に限って、一般人の自由を抑圧するんだから、我々はよぉ~く相手の正体を見極めなければならない。


 

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