無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2017年12月

詐欺に引っ掛かる日本人 / 怨念を動機にする英語教育 (Part 1)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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詐欺師が得意とする人、苦手とする人


Robert Vaughn 1Jaime Murray 1Oceans Eleven







(左: 英国のTVドラマ『ハッスル』で詐欺師を演じるロバート・ヴォーン  / 中央: 『ハッスル』で共演したジェイミー・マレー  / 右: 映画『オーシャンズ11』で詐欺師を演じたブラッド・ピットとジョージ・クルーニー )

  世の中に詐欺師が多いのは周知の事実。ただ、ここで問題なのは、誰が本物の詐欺師で、どいつが“詐欺師もどき”なのか判らない点である。というのも、プロの詐欺師なら確信犯だから仕方ないけど、騙されていることに気付かぬまま詐欺師に協力する者や、嘘つきに唆(そそのか)されて共犯になる者、あるいは本気でそのホラ話を信じている者、さらに厄介なのは単なる馬鹿がいるからだ。

  世間のオっちやんやオバちゃんは、新聞やテレビで金融詐欺とか投資詐欺を目にすると、「こんな詐欺に引っ掛かるなんて、まったくどんな頭をしてやがんるだ? 」と嘲笑し、「愚かな奴だ !」と斬り捨てることがある。しかし、騙された者がみんなアホ・馬鹿・間抜けとは限らない。実際は、知能が高ければ高いほど、持ち掛けられた取引を自分の利益になるはずだと思い込み、虎の子のお金ばかりか、時には他人のお金まで流用して儲けを摑もうと試みる。事件が明るみに出た後で、「ああだった」「こうだ」と後知恵をつけることは可能だが、騙されている間は気付かぬものだ。「カモ」は現実と虚構の区別がつかない“世界”に放り込まれているので、何処までがフィクションで、どこが本当なのか判別できないのである。

  したがって、騙されるのは頭の善し悪しではない。犯罪に詳しい専門家によれば、詐欺師を手こずらせる程の切れ者でも、その人に適した手法を使えばすぐ乗ってくるという。頭の良い人は、最初、何となく不正な取引と勘ぐるものの、あれこれ考えた末、欲の皮が膨張するせいか、やっぱり“エサ”に食いつくそうだ。そして、意外なことに、ほとんどのカモは上流階級の出身者であるという。(デイヴィッド・W・モラー 『詐欺師入門』 山本光伸訳、光文社、1999年 p.127) アメリカたど、それは金を儲けた者とか、金目当てで結婚した者、誰かの財産を相続した人を意味するらしい。彼らは自然と優越感を持つような地位に就いており、とりわけ資金調達や投資話に対しては、しっかりつとした判断を下せると思っている。だが本当は、出世を狙っている友人がいたり、仕事仲間が手助けしてくれたお陰なのだ。ところが、こうした自惚れ屋は、自分が優れているから大金を手にできたのだ、と思い込む。こんな具合だから、自信や幻想を抱く者の中には、次第に自分を天才的人物と考える輩(やから)がいるそうだ。

  例えば、土地開発で50万ドルないし100万ドルを儲けた実業家は、自分が幸運であったことや、人を強引に丸め込んだことを綺麗さっぱり忘れ、自分には先見の明があるとか洞察力に富んでいると思ってしまう。詐欺師によると、不動産業者はカモの中でも最も“美味しい”獲物であるらしい。実業家も似たようなもので、彼らは儲け話しに敏感で、詐欺グループが雇った「おとり」や「インサイド・マン」に引っ掛かりやすく、擦り寄ってくる犯罪者の魅力に惹きつけられやすいそうだ。しかも、このカモは大博打に賭ける資金を豊富に持っているし、たとえ手元に現金が無くても何処からか資金を調達できるから、詐欺師にしたら笑いが止まらない。その他、銀行家や遺産を担当する遺言執行人、信託資金の管財人とか監督者も驚くほど簡単に騙されるという。例えば、「ビッグW」という詐欺師は、コネチカット州に住む敬虔な教会管財人を騙し、大金を巻き上げたことがあるそうだ。詐欺師の業界では、医者や弁護士、大学教授も例外ではないという。

  それにしても、詐欺師は心理戦の達人だ。彼らはカモの欲望や虚栄心、自尊心につけ込むのが上手い。詐欺師が狡賢いのは当然だが、彼らは見た目や感じが良く、どんな人とでも親しくなれる。15分もあれば誰とでも仲良くなれるし、1日か2日あれば親友の域にまで達することができるという。(上掲書 p.132) 彼らは全国をあちこち動き回っており、客船や列車の中でカモを見つけると、偶然を装って罠に嵌めようとするらしい。彼らはお金の嗅覚に優れており、狙ったカモに接近する“コツ”を心得ている。詐欺師は何よりもまず聞き上手になるらしい。そうすれば、相手の目的地や職業、および経済状況が直ぐに分かり、趣味とか家族、友人、浮気相手のことまで聞き出せるという。詐欺師はカモを見つけたその日に騙すこともあるが、完全に引っ掛かるまで“ゆっくり”と時間をかけたほうが安全、と踏むこともあるそうだ。

  詐欺師によると、世間には何度でも騙せる「旨いカモ」がいる一方で、なかなか騙せないタイプの人もいるという。カモには共通する特徴があるそうで、それは「みんな嘘つきである」ということだ。たいていのカモは、自分がどれくらい金があるのか、どんな投資を行っているのか、どれほど良い家柄の出身なのか、妻や子供がどれほど素晴らしいのか、について嘘をつくらしい。中には豊富な恋愛体験について長々と話す者もいるそうだ。ほとんどの場合、カモがこうした嘘をつくのは、自分の利益を図るためで、詐欺師は容易にカモの見栄を“見抜き”、そこをくすぐって仕事に取りかかる。一方、被害者は得意になって自慢話を語り、それが元で大損をする破目になるから実に憐れだ。しかも、カモにされたと判ったら、その経緯(いきさつ)についても嘘をつく。知識人とか社会的身分が高い者は、自分が間抜けだったことを認めたがらず、自己防衛のために適当な話をでっち上げ、次第に自分でもその捏造話を信じてしまうらしい。詐欺師によれば、これは致し方ないことであり、大目に見ているそうだ。

  では、騙されない人というのは、一体どんなタイプなのか? ズバリ、それは正直な人。詐欺師は何が誠実で何を不誠実であるかを知っている者に手を焼く。こうした人物は、静かに湧き起こる心の声に耳を傾けるので、絶対に誘惑に乗ってこない。大半の詐欺師は彼らに出逢っても、決して馬鹿にすることはせず、ただ困惑するだけである。ベテラン詐欺師はほとんど同じ言葉を口にするという。本当に正直者は騙せない。(上掲書 p.143) 象牙の塔で屁理屈を並べている大学教授より、現実の世界で詐欺を実行する犯罪者の意見の方が、よっぽど貴重であり、含蓄に富んでいる。

アジア人を理想とする英語教育

  前置きが随分と長くなってしまったが、英語教育の改革を検討し、提唱する人々を判断するうえで、詐欺師の見解はとても参考になる。なぜなら、高学歴を誇る保護者や知識人を気取る評論家が、いかに文科省の“甘い罠”に嵌まっているのか、が判るからだ。各マスコミの報道によれば、2020年から小学校で本格的な英語教育が実施されるそうで、3、4年生で英語の授業が「外国語活動」となり、5、6年生の段階で「教科」になるらしい。小学校とは縁の薄い大人だと、「どうして小学三年生から英語を始めるんだ?」と訝しむが、文科省には大義名分があるという。役人の「弁明」に一々文句をつけてもしょうがないけど、教育審議会とか外国語専門部会の連中が言うには、以下の様な理由がある。例えば、

  グローバル化により、個々人が国際的に流通する商品やサービス、国際的な活動に触れ、参画する機会が増大するとともに、誰もが世界において活躍する可能性が広がっている。

  さらに、IT革命の進展により、国を超えて、知識や情報を入手、理解し、さらに発信、対話する能力、いわゆるグローバル・リテラシーの確立が求められている。

  また、インターネットの普及や外国人労働者の増加などによって、国内においても外国語でコミュニケーションを図る機会が増えている。

  まったくもう、こんな「言い訳」を聴けば、「あぁ~あ、また“グローバル化”かよぉ~」とボヤきたくなる。何かと言えば、政治家や官僚は「グローバル時代だ、国際化社会になった」と騒ぐ。「グローバル(地球的)」と言ったって、要は歐米世界のことだろう。一般の日本人が「グローバル時代」と耳にして、アルバニアとかモルドバ、シエラレオネ、アンゴラ、モルディブ、トルクメニスタンなどを思い浮かべるのか? だいたい、一般の日本人が英語の地図を広げて、「ここがザンビアで、あっちがベニン」とか、「ウズベクスタンとカザフスタンはここ」と指すことは出来ない。地理どころが、どんな民族がいて、何語を話しているのかさえ判らないのだ。日本人が英語を用いて話す相手というのは、もっぱらアメリカやヨーロッパの白人である。つまり、英語を難なく喋るゲルマン語族の人々なのだ。

  将来、貿易商とか国際弁護士、科学者、旅行業者になろうとする人なら別だが、普通の日本人には英語の会話能力とか、文章作成能力は必要ない。確かに、こうした能力はあってもいいが、それを習得する時間と金銭を考えれば、本当にそれを身につける必要があるのかと首を傾げたくなる。一般人が漠然と思い描くのは、西歐白人と楽しく会話する自分の姿くらいだ。英会話スクールに通っている人の中には、ビジネス上やむを得ず勉強する破目になった者もいるが、流暢に喋れる日本人を見て憧れたとか、「白人と喋れるようになったらいいなぁ」という軽い気持ちで入ってくる人もいるはずだ。大半の日本人は口にしないけど、いくら英語を話すからと言っても、フィリピン人やインド人とコミュニケーションを取りたいとは思わない。アジア人と親しく会話するために、小中高大と学校で10年間も費やす者は居るまい。その証拠に、英会話学校の宣伝には、ユアン・マクレガーとかキャメロン・ディアスのような白人ばかりが起用され、ウィル・スミス(Will Smith)といった黒人とか、マレー・アブラハム(Fahrid Murray Abraham)のようなシリア系アメリカ人、あるいはジャッキー・チェンみたいな香港の支那人が採用される事はまずない。

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(左: ユアン・マクレガー  / キャメロン・ディアス  / ウィル・スミス  /  右: マレー・アブラハム)

  筆者は日本人が西歐人と接触し、直に意見を交わしたり、彼らと親睦を深めることや、様々な活動を共にするといったことに異論はない。ただ、文科省の役人や霞ヶ関の議員が、我が国の子供をアジア人並みに格下げしようと謀っているから反対なのだ。察するに、教育行政を司る役人は、英語教育を用いて日本版のフィリピン人を生産したいのだろう。よく日本にやって来るフィリピ人とは、スペイン人に征服され、アメリカ人に売り飛ばされた南洋土人に過ぎない。彼らは形式的に独立してもアメリカの属州民で、国内政治に於いても支那系の華僑に支配されている。上流階級の支那人にとったら、ルソン島のタガログ族など「南蛮人」の類いで、マムシやトカゲと同じだ。彼らの「仲間」というのは、同じ言葉と文化を共有する華僑のみ。ゴミ捨て場に生まれ育ったフィリピン土人は、「エンターテイナー」と称してキャバレーで働き、裸踊りか売春が本業だ。彼女達も英語を話すが、日本人男性はコミュニケーションより“スキンシップ”を取りたがる。

  英語に夢中な日本人は、フィリピン人如きになるべく勉強している訳ではないが、役人たちは庶民の子供をアジア人と見なしている。「国際化時代だから、アジアの民に後れを取るな」と言いたいのだろう。文科省曰わく、

  国際的には、国家戦略として、小学校段階における英語教育を実施する国が急速に増加している。例えば、アジアの非英語圏を見ると、1996年にタイが必修化し、97年には韓国、2001年には中国が段階的に必修化を開始した。EUにおいては、母語以外に2つの言語を学ぶべきとし、早い時期からの外国語教育を推進している。例えば、フランスは2002年に必修化の方針を決定し、2007年から実施する方向で取組を進めている。

  日本の子供が目指す理想がタイ人とか朝鮮人、支那人とは恐れ入る。タイ人の一部が英語を習得するのは、上流階級に昇りたいとか、西歐人相手の商売で儲けたい、という後進国の悲願が基になっている。貧乏で薄汚い環境から抜け出す手段としての英語なんだから何とも憐れだ。南鮮人の場合はもっと切迫しており、「地獄と変わらない朝鮮(ヘル・コリア)」から脱出するため、寝る暇を惜しんで英語を勉強する者が多い。中には、米国の大学を卒業しなければ明るい未来が無いから必死で勉強する者もいる。科擧の因襲が色濃く残る朝鮮では、何でも試験、学歴、派閥、人脈だ。エリート・コース以外に楽しい人生は無いし、一旦そこからはみ出せば二度と戻ることはできない。大手の会社をクビになれば、屋台を引いて小銭を稼ぐしかないし、それがイヤなら天国に一番近い日本へ密入国だ。

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(左: タイ人の子供たち  / 中央: フィリピン人の女性 / 右: 支那人の女性 )

  支那人が英語を学ぶのは一に「銭」、次に「金」、三、四が無くても五番目に「札」、と「お金」がすべてで、最初から最後まで利益が目的。キリスト教徒にとってイエズスが「アルファでありオメガである」ならば、支那人にとっての神様はキリスト教徒が唾棄する「マモン(強欲の神)」である。1億人か2億人がゼニの亡者となって英語を勉強するんだから、優秀な人物が出てくるのは当然だ。支那人は書物の中にゼニが隠れていると思っているんだから。日本の小学校で、先生が児童に向かって、「さあ、みなさん、英語の教科書を開いてくださぁ~い。小判が見えますよぉ !」と教えるのか? アバ(ABBA)の曲「マネー、マネー、マネー」だって歌わないぞ。

  文科省の例は狡猾だ。フランス人が英語の授業を必須化したって不思議じゃない。英語の語彙にはフランス語やラテン語を語源とする単語が多いし、文法だって似ているから、フランス人の子供にしたら、ちょいとした方言を学ぶようなものである。一般の日本人は英語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を話せるというフランス人を紹介されると、「わぁぁ、凄いなぁ」と感心するが、英語やドイツ語は姉妹語に当たる西ゲルマン語だし、スペイン語やイタリア語は同じロマンス語に属する言葉だから難しくはない。江戸っ子に津軽弁や名古屋弁、博多弁、薩摩弁を喋れと命じれば、即座には無理だが、時間をかければ不可能ではないだろう。日本人は気付かないけど、全国の方言を平仮名とかアルファベットで書き記すと、まるで外国語のように思えてくる。しかし、基本的な文法や語彙は同じだし、いくら発音やイントネーションが違うといっても、習得する速度を考えれば、ヨーロッパ人より日本人の方が早い。

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(写真  /  フランス人の女性と子供たち)

  小学校からの英語教育となれば、その効果を疑って反対を表明する人もいるけど、普通の親は英語教育の導入に賛成しがちだ。というのも、自分が英語を上手に喋れないからである。一般国民の中には、「小さい頃から“ちゃんとした”英語教育を受けてこなかったせいで苦手なんだ」と恨む人が多い。中学生や高校生の頃、英語が不得意で、期末試験などで酷い点数しか取れなかった、大学受験で猛勉強したけど結局は失敗した、と様々な体験を持経て、後悔の念に駆られている人が親となっているんだから、「我が子には同じ苦痛を味合わせたくない」と考えても無理はない。だから、「まだ小学生では早いかな」と躊躇(ためら)う親でも、テレビに登場する大学教授や教育評論家から、「あなたのお子さんも小さい時から英語に慣れ親しめば、ネイティヴのように英語がペラペラと話せますよ」と聞かされれば、「そうよ。私が不得意だったのは、小さい頃から英語に触れていなかったせいだわ」と思ってしまう。自分で勉強しなかった親に限って、教育制度が悪い、学校の教師がネイティヴ・スピーカーじゃない、文法一辺倒で会話を軽視している、などと不満をぶちまける。自分の怠け癖を棚に上げて、政府の教育方針に異を唱え、自分の子供に「果たせぬ夢」を押しつけるんだから、英語教育への恨みは相当なものだ。

Watanabe Shoichi(左  / 渡部昇一 )
  英会話を等閑(なおざり)にしてきた学校に腹を立てる日本人はかなりいて、故・渡部昇一先生が喝破したように、「ルサンチマン(恨み)」の上に教育改革は成り立っている。上智大学で教鞭を執っていた渡部教授は、英文法の形成に興味を惹かれ、ドイツのミュンスター大学で博士号(PhD)を取得し、『イギリス文法史』、『英語学史』『イギリス国学史』といった名著を世に出していた。(ちなみに、渡部先生は上智大学で名誉教授になったけど、本当はミュンスター大学の名誉博士号の方がすごい。日本の名誉博士号は退職者への単なるプレゼントだが、ドイツの大学が授ける「エメリタス(emeritus)」は輝かしい業績のある者だけに贈られる称号なのだ。)

  ドイツ人の学者が「えっ、ドイツの大学で博士になったの?」と驚嘆する渡部先生によれば、日本の英語教育における目的は、流暢に喋る事ではなく、良い文章を書けることにあるそうだ。英語をペラペラと喋るだけなら乞食にでも出来るが、立派な論文を書くには“しっかり”と文法を勉強し、論理的な文章を構成できる知能を養わねばならない。 歐米の大学に留学したことがある者なら解ると思うが、教授たちは学生がどのような「論文」を書けるかで判断する。いくら授業中にテキパキと発言できても、肝心の学術論文が凡庸なら評価が低く、文法がいい加減で不明確な論述だと却下されてしまう。だから、英語の書物を読む日本人は、著者が何を述べているのか明確に理解せねばならず、その為には日本語で“はっきり”と意味が取れないと咀嚼(そしゃく)したことにはならない。簡単な日常会話なら“おおよそ”の意味さえ解ればいいけれど、学問の世界だと“ちょろまかし”は御法度だ。したがって、日本の英語教育は正確な読解力と作文能力を重視すべし、というのが渡部先生の持論である。もちろん、何らかの特殊な職業に就く人には英会話能力が必要だと述べていたが、一般の子供にまで会話能力の習得を押しつけるとなれば、ネイティヴ・スピーカーを教師に雇い、厖大な授業数を設けなければならない。もしそうなったら、教育現場は大慌てだ。

次回につづく。  




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海に沈む運命と陸に生きる悲劇

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日本沈没の恐怖

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(写真  / 『日本沈没』の一場面 )

  1970年代というのは大衆文化に於いて画期的な時代である。音楽業界を例に取ると、1960年代はザ・ビートルズ的雰囲気の音楽が流行っていたが、1970年代になるとレッドツェッペリンとかクリーム、ディープパープルに代表されるロック・バンドが台頭し、冒険的で独創的な名曲が数々と生み出されたので、こんにちに至っても親しまれている。映画業界にも似たような風潮があって、特徴的で印象に残る名作が続々と世に送り込まれていたのだ。当時、日本も好景気に沸いたせいか、映画会社にも活気があって、意欲的な作品が世に受けていた。その中の一つに、東宝映画の『日本沈没』(1973年)がある。

  この作品は小松左京のベストセラー小説を基にした映画であるが、その制作に携わった面々がこれまた凄かった。まず、プロデューサーが敏腕で知られた田中友幸で、『ゴジラ』シリーズや『連合艦隊』、『八甲田山』などを手掛けた人物。脚本家も傑出しており、大御所の橋本忍であった。橋本氏は黒沢明監督の映画『七人のサムライ』や『羅生門』で知られるが、その他の作品を挙げれば『ゼロの焦点』、『砂の器』、『白い巨塔』、『八甲田山』などがある。そして、撮影技師には若き木村大作がいた。彼は松田優作主演の『野獣死すべし』とか高倉健主演の『夜叉』および『駅STATION』、好評シリーズの『極道の妻たち』でカメラを回し、小松左京が原作となっている別の映画で草刈正雄が主演を果たした『復活の日』とか、人気TVドラマの『傷だらけの天使』で撮影を任されたベテランだ。

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(左: 小松左京  / 田中友幸  / 橋本忍  /  右: 木村大作)

  一方、映画のストーリーは、地殻変動により日本が海底に沈むという激震が中核となっている。太平洋プレートとユーラシア・プレートの狭間に位置する日本は、マントルの対流により海底に引きずり込まれ、消滅してしまうのだ。「日本沈没」という悲劇は、ある島が突如として消滅する、という不吉な前兆で幕を開ける。この異変を調査したのは、小林桂樹が扮する科学者の田所雄介(たどころ・ゆうすけ)博士で、彼は深海調査艇「わだつみ」に乗り込み、小笠原諸島沖の海底で衝撃的な亀裂を発見する。田所博士はこの信じられない地殻変動を総理大臣の山本(丹波哲郎)に告げ、山本総理は早速、閣僚を集めて専門家の意見を聴くことにした。映画の中で、山本総理は三人の科学者を招集するのだが、田所博士と山城教授(高橋昌也)という架空の学者に加え、本物の地球物理学者の竹内均教授を登場させていた。当時、東京大学で教鞭を執る竹内教授は、テレビ番組にも登場するほどの著名な学者で、科学雑誌『Newton』の編集者としても有名だった。

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(左: 竹内均  / 小林佳樹  / 右: 藤岡弘 )

  日本近海での異常現象に危機感を覚えた山本総理は、密かに内閣調査室の邦枝と中田(二谷英明)、および首相秘書官の三村を田所博士のもとへと派遣し、詳しい海底調査を依頼する。話を諒承した田所は、海底調査艇「ケルマデック」号の操縦者に、是非とも「わだつみ」で知り合った小野寺俊夫(藤岡弘)を、と指名した。その頃、調査会社に勤務する小野寺は、上司の吉村部長から縁談話を持ち掛けられ、一緒に葉山の別荘へ訪れることになった。その相手とは阿部玲子(あべ・れいこ)という27歳の女性で、裕福な家庭の長女という設定になっていた。こう紹介すると、奥ゆかしい淑女を想像してしまうが、彼女は小野寺に対して最初から積極的である。意気投合した二人は近くの海岸へ赴き、躊躇う事なく浜辺で抱き合う仲となった。仮面ライダーで知られる藤岡弘が“いつも”の通り熱血漢を演じるのは珍しくないが、「玲子」役のいしだあゆみが、まだ若くて素人ぽかったのは嬉しい。1968年のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」で注目を浴びたこの人気歌手は、後に『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』などで大女優に変貌するが、1970年代だとまだ脇役で初々しかった。(俳優の萩原健一が惚れたのも分かるなぁ。)

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(左: 浜辺で噴火に遭遇する小野寺と玲子  / 中央と右: いしだあゆみ )

  『日本沈没』の物語は田所博士と山本総理の二人が中心となっているが、この映画に深みと厚みを加えているのは、「箱根の老人」と称される「渡(わたり)」の存在だ。島田正吾が演じる「渡老人」は政財界の有力者で、山本を総理大臣に押し上げた陰の功労者である。渡は100歳になる高齢者で、姪の「花江(角ゆり子)」に介護を受けるほど体が弱っているが、その精神と頭脳は未だに健全だ。明治・大正・昭和を生きた箱根の大御所は、如何にも気骨のある国士に見える。彼は国家の行く末を案ずる民間の重鎮で、私財を投じて政府に海底調査を行わせたり、判断に迷う山本総理の相談役にもなっていた。山本総理は海底調査を目的する「D1計画」を実施したが、さらなる計画、すなわち1億1千万人の国民を海外に脱出させる「D2計画」をも考案したのである。

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(左: 島田正吾   /  中央: 丹波哲郎  /  右: 二谷英明)

  田所博士の不安は次々と現実のものとなり、日本各地で大地震や火山の噴火が頻発するようになる。日本が海に沈むという現実を隠しきれなくなった政府は、外国人ジャーナリストによる暴露記事と大衆のパニックを恐れ、それを回避すべく自ら発表しようと試みた。その一環として、田所博士のテレビ出演を画策するが、肝心の田所博士は番組の中で癇癪を起こして喧嘩となり、そのまま失脚してしまう。一方、山本総理は日本国民を受け容れてくれそうな国を模索することで精一杯。彼は各国に特使を派遣し、たとえ僅かな人数でもいいから受け容れてくれるよう懇願する。ある特別使節はオーストラリアの首相を訪ね、数百万の日本人を受け容れてくれるよう頼んでいた。国連でも日本の沈没と難民の発生に関して様々な議論が闘わされるが、各国とも日本人の受け容れに消極的で、とても1億の国民が移住できる状況ではなかった。

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(写真  /  渡老人と姪の花江)

  しかし、最期の瞬間は刻々と近づいてくる。日本列島の各地で大災害が起こり、噴火や土砂崩れで崩壊する街、海に飲み込まれて水没する地域が現れてきた。こうした中、役目を終えた小野寺は、恋人となった玲子と共に海外へ脱出しようと考える。ところが、よせばいいのに、玲子は国外脱出を前にして葉山の別荘に立ち寄ってしまい、その地で災害と渋滞に遭ってしまう。ただし、困難にぶち当たっていたのは葉山の住民たちだけではなかった。全国至る所で大勢の被害者が出ていたのだ。それでも日本人の脱出は着々と進んで行く。空港から旅発つ者もいれば、漁船に乗り込み脱出を図る者もいて、中には津波に呑まれて溺死する犠牲者も出てしまった。

  日本列島が終末を迎えようとする頃、山本総理は脱出を前にして箱根の老人を訪ねた。豪邸の中で渡は病に伏していて、側には姪の花江が付き添っている。山本総理は床に伏す渡老人を連れ出そうとするが、この御隠居は動こうとはしない。渡は日本と共に沈むことを欲していたのだ。彼は花江を山本に託し、最後の別れを告げる。外では火山灰が降り注いでおり、ヘリコプターへ乗ろうとする山本と花江は灰だらけとなる。そこへ意外にも焦燥しきった田所博士が現れる。彼も渡と同じく日本に留まる決意であった。田所自身は死を覚悟するが、外国へ移住する日本人には希望を抱いていた。

  大自然に容赦は無い。日本列島には巨大な亀裂が生じ、九州、四国、北海道はとうに水没しており、本州にも地球の鉄槌が襲いかかっていた。地殻変動は無慈悲にも日本列島を切り裂き、断片化した大地は海に沈んで行く。葉山で混乱に遭遇した玲子は小野寺とはぐれてしまい、彼女はシベリアのような北国で列車に乗っていた。玲子は凍りつく窓から外を眺め、静かに小野寺との再会を期待する。他方、小野寺は南米かオーストラリアのような国に流れ着き、熱い曠野を縦断する列車の中から大地を眺めていた。二人がいつ再会できるかは判らない。映画は散り散りになった日本人の姿を以て幕を閉じていた。

何もしないという選択肢

Shimada 2










(写真  /  山本総理と向き合う渡)

  小松左京は『日本沈没』の中で「日本人とは何か」を問うている。物語のクライマックスは日本が沈没するところだが、映画の“肝”は山本総理と渡老人とが向かい合う密談の中にあった。日本人の脱出を図る「D2計画」を準備した山本総理は、再び箱根の長老に会いに行く。この来客が屋敷の居間に通されると、待っていた大老は総理に一通の包みを手渡す。その表面には、『日本民族の将来 D2計画基本要綱』と書かれていた。何かを悟ったような渡は、神妙な顔附きの山本に対し、その中に3つの選択肢をしたためた意見書が同封されていると告げる。渡老人は私的に三名の知識人を招き、屋敷内で移住計画を検討させていたのだ。集められた者のうち、一人は奈良の坊主、二人目は京都の社会学者、三番目は東京の心理学者であった。彼らが研究したのは、①日本民族が何処かに新たな国をつくる場合、②世界各地に分散し、現地で帰化する場合、③どこの国にも受け容れられない場合であった。そして、最も衝撃だったのは、専門家の三名が一致した附帯的意見である。すなわち、何もしないことである。

Tanba 3(左  /  渡に詰め寄る山本総理)
  悲壮な表情を浮かべる渡は、真摯に耳を傾ける山本を前にして、「このまま何もせんほうがいい」と口にした。「何もしない方がいい ?」と聞き返す山本は愕然とする。渡を見つめる山本の目には涙が浮かんでいた。招聘された三人の学者は、あらゆる状況を想定し、様々な検討を交えた結果、日本民族は沈み行く日本と運命を共にすることがいい、との結論に達したのである。もちろん、皇族は外国に移っていただく。山本総理は、「やはり、スイスにですか?」と尋ねる。うなづく渡によれば、天皇陛下はスイスに移動していただくが、皇族の一人はアメリカへ、もうおひと方はアフリカへとの見解であった。渡老人との密会を経た山本総理は、自ら各国の首脳に働きかけ、一人でも多くの日本人を受け容れてくれと頼んでいた。もちろん、外国に何百万人もの日本人を受け容れてくれというのは無理難題であることは百も承知である。が、それでも山本総理は諦めない。1万人が無理なら、千人でも、もし、その千人が駄目なら、百人、十人、いや一人でもいいと懇願する。国民の生命と財産を守りたい山本は必死だった。一人でも多くの日本人を救いたいという彼の願いは、観ている我々の胸に突き刺さる。

Showa 4(左  /  昭和天皇)
  ここで考えさせられるのは、皇室の存続と陛下の意向である。我が国の臣民なら、天皇陛下には安全なスイスに移っていただきたいと願うだろう。しかし、多くの国民が未だに行き先が定まらず、望みを託す外国政府から受け容れ拒否にあっている最中に、陛下だけが一足先にスイスへと脱出なされるのか。おそらく、昭和天皇は拒むに違いない。陛下は皇太子殿下と皇族には移住を命令されるかも知れないが、ご自身は留まろうとなさるはずだ。陛下なら、飛行機に用意されたご自分の席を空にし、幼い子供あるいは病人を乗せるよう厳命なさるだろう。名も無き庶民であっても、陛下にとっては大切な赤子である。昭和天皇は自らの命を犠牲にして日本国民を守ろうとする名君であったから、最後の一人が脱出するまで避難されることはない。たぶん、陛下のご決断を聴く側近や宮内庁の重臣たちは、天子様のお心遣いに号泣し、一緒に残ることを誓うだろう。

  一方、我が国を「この国」と吐き捨てる進歩的知識人や、共産主義者や社会党のシンパ、有名企業や上層階級のお金持ちなどは、コネや賄賂を使って一目散に国外脱出を図るはずだ。普段、格好つけて綺麗事を並べる奴に限って、緊急時には卑劣な行動を取ることが多い。例えば、テレビ番組や新聞のコラムで反米姿勢を示す評論家でも、移住するとなれば「アメリカ合衆国がいい !」と言い出しかねない。支那や朝鮮を讃美する学者なら“憧れの”支那や“友好”の南鮮にでも行けばいいのに、ちゃっかりとアメリカやオーストラリア行きの船に乗っていたりする。彼らの大半は卑怯者だから、「私はアメリカ人や西歐人を批判したけど、彼らの国を否定した訳じゃないから、歐米諸国を移住先に選んでもいいじゃないか !」と開き直るはずだ。ベ平連の小田実(まこと)みたいな連中も、定住先をアメリカやカナダにするかも知れないぞ。

Chinese naturalization 1oath of immigrants








(左: 帰化手続きを済ませた支那人  /  右: 国籍取得者の宣誓式)

  日本人でも脱出を躊躇わないくらいだから、帰化人やアジア混血児はもっと素早く脱出を図るだろう。特に、在日朝鮮人は危険地帯となった日本に見切りをつけ、電光石火の如く“祖国”へと戻るだろう。平和な時だと図々しく居坐る朝鮮人も、沈み行く日本となれば別で、“我先に”と逃げだし、半島の同胞に向かって「ウリ(私も)朝鮮人ニダぁぁ !」と擦り寄るはずだ。もっとも、半島の南鮮人が諸手を挙げて、この「チョッパリ(半日本人)」を受け容れるかどうかは別問題である。

Korean Immigrants 1Chinese 2








(左: 朝鮮人移民の家族  /  右: 元気な支那人娘)

  帰化支那人だともっと露骨で、支那大陸の親戚を頼って一目散に逃げ出す。彼らは元々日本人じゃないから、日本の国土に愛着は無いし、日本がどうなろうと知ったことではない。日本は豊かな生活を提供するから価値がある。神様だってご利益をもたらすから崇拝するのであって、何もしなければタダの穀潰しだ。支那人にとったら、カネの切れ目が縁の切れ目で、沈み行く“外国”に未練は無い。日本が消滅するなら、次の移住先はオーストラリアあたりで、そこがダメなら合衆国へと踵(きびす)を返す。それでも無理なら、カナダへと潜り込む。支那人だとカナダに住む従兄弟の“はとこ”や「はとこ」の大叔父まで頼ったりするから、決して困ることはない。日本人とは「図々しさ」のレベルが違うのだ。

祖国と命運を共にする決断

Volcano Eruption 3Volcano Eruption 4








  普段、我々は日本人であるとは意識しない。平凡な日常生活では、「当り前」のことをわざわざ口にすることはないからだ。日本人の両親と祖父母を持つ日本人は、自分が日本人であることを改めて確認する必要が無いので、外国を旅行する時以外は「日本人」であることを自覚することが少ない。しかし、日本が消滅するとなれば話が違ってくる。日本という国土が無くなったら、日本人は日本民族として生きることが出来るのか。祖国を持たないユダヤ人なら、他国に寄生しながら独自の宗教と文化を維持できる。むしろ、彼らは積極的にヨーロッパに寄生したがるから、日本人とは本質的に違うと言えよう。この賤民と同じく、支那人も居候の身分で恥じる事はない。

  ところが、誇り高き日本人は別だ。我々の信仰や文化は日本の国土と密接に絡み合っている。日本の神社は日本の樹木で建てられ、そこに祀られる神々は日本の大地に根を下ろす。我々の信仰はアジア大陸の「宗教」と異なり、「宗教」と呼べるほどの拘束力を持たないが、その曖昧な「信仰」は温かく人々の体と心に溶け合っている。我が国の自然は日本人と共存するから素晴らしく、日本人なくして日本は成り立たない。我々はローマ人がローマを愛した以上に日本を愛している。

  もし、日本が海に沈む事態になれば、日本に留まる者もいるだろう。だが、まだ幼い子供や未来のある青年に心中しろとは強制できまい。いや、何としても生き延びてもらいたいと望むだろう。その一方で、女子供の姿を目にすれば、自分の心に芽生える矛盾に悩む事になる。なるほど、日本人は日本に住むのが一番だ。しかし、その日本が沈没するとなれば、選択肢は海外への脱出しかない。ただし、移住した日本人には苛酷な運命が待っている。歓迎されない日本人は、地元民から嫌悪されるだろう。事ある毎に厄介者とか薄汚い難民と侮辱されるだろうし、理不尽な扱いを甘受する破目になる。この仕打ちにじっと耐えるのは容易なことではない。中には死んだ方がマシだと思う者も出てくるだろう。日本人には屈辱にまみれた生活など我慢できない。それでも、家族に責任を持つ者や移住民の指導者は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、民族の復興に一途の望みを託すはずだ。

  新天地での順応は子供の方が早い。幼い子供は日本人であることを忘れ、地元民の子供と似たような人間になるだろう。ただし、すっかり同化した子供を見て、大人の日本人は安堵すると共に、言葉では表現できぬ悲しみを覚えるはずだ。確かに親の言葉を話すが、その文字を書けず、読むことすらできまい。たとえ、日本人の感覚を理解できても、その行動様式は外国人と等しくなる。それでも、オーストラリアとか米国のような西歐諸国で育つ子供はいい。問題なのは、アジア諸国へ移住した子供だ。日本人の大人からすれば、我が子や知り合いの子供が支那人みたいな人間になるのは堪えられない。せっかく日本人として生まれたのに、最低の民族に同化するなんて憐れだ。これはベトナムやタイ、ラオス、バングラディシュ、インドに移り住んだ場合も同じである。日本人の姿をしていても、日本人としての魂が失われていれば、根無し草の浮浪者と変わらないじゃないか。

  「日本沈没」という設定はフィクションだが、筆者は映画を観ながら、「もし、日本が消滅するとしたらどうすべきか」と考えたことがある。筆者も幼い子供たちには生き延びてほしいと望む。恐怖に怯える幼児に諦念を勧めることはできない。しかし、自分自身については、日本と共に滅ぶことを選ぶ。アイデンティティーを失ってまで生き延びようとは思わない。でも、大半の日本人は移住・脱出を選択するだろう。日本人は勤勉だから、一部の者は外国に移住しても努力を重ねて成功するかも知れない。しかし、異国の生活に馴染めず自棄(やけ)を起こしたり、堕落・脱落する者も出てくるはずだ。日本人には矜持(きょうじ)が必要である。食べて寝て排便するだけの人生で良いとする人もいるだろう。しかしその一方で、「日本人らしく」誇りを持って生きたいと希(のぞ)むも人もいるはずだ。大和魂を失った日本人には、もぬけの殻となった空虚な人生しかない。日本人には日本人の血が流れているという実感が不可欠で、体の中を駆け巡る熱い血潮は単なる赤い液体ではないのだ。

  もし、天皇陛下が日本と共に沈むなら、陛下と運命を共にしようとする国民も出てくるだろう。日本人とは何か?  それは同胞と苦しみや悲しみを共にしようと考える人間である。繁栄や名誉なら帰化人でも共有したいと思うだろう。しかし、何の見返りも無い苦労とか、利益を伴わぬ試練なら避けたいと考えるはずだ。帰化したアジア人は、苦境に立つ日本を救おうとは思わない。愛国心は金銭慾とは別物である。確かに、豊かさに憧れてやって来た異邦人は、帰化申請を経て「日本国民」となるが、その魂までが日本人になる訳ではない。

  日本人には「滅びの美学」というものがある。生き恥を晒すのは死ぬよりも辛いからだ。日本は単なる列島ではない。その国土には祖先の血と汗と涙が染み込んでおり、祖国に殉じた英霊の魂も宿っている。日本は雑多な民族がバラバラに暮らす集合住宅ではない。我が国は運命共同体であり、民族の血が脈打つ聖地だ。日本人が故郷を守るのは理屈じゃない。命を懸けても守りたいものがそこにあるからだ。我々の肉体は民族の精神を受け継ぐ器であり、細胞の一つ一つに日本人の歴史が刻まれている。だからこそ、我々は外敵から祖国を守ろうとするし、祖先から継承した国家を“そのまま”子孫へと渡そうと心掛ける。住民が居ないから竹島を朝鮮人に贈与しろと考える者は、日本人として生まれても日本人ではない。外国人は留まろうとする日本人を愚か者と見なすだろう。しかし、愛する子供を見棄てることが出来ぬ親がいるように、愛する祖国を後にすることが出来ぬ日本人もいるのだ。沈み行く故郷見ながらでも、「日本人に生まれてよかった」と言える人生なら幸せなんじゃないか。



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