無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2018年01月

西部邁の死をめぐって / 敗戦国に感じた怒りと悲しみ

大衆社会に腹を立てた知識人

Nishibe 1 1月21日の早朝、西部邁が亡くなった。現時点の報道によれば、遺書が発見されたというから、「自殺」が死因であると言えよう。つい最近、チャンネル桜で中山恭子議員と対談していたから、西部氏の自決はまだ先だろうと思っていた。中山氏と楽しく昔話を語っていたから、人間の内心というのは部外者には解らぬものである。ただ、筆者は長いこと彼の言論を聞いたり、著書を何冊か読んできたから、畳の上で静かに死ぬとは考えていなかった。「きっと、いずれかの機会を捉えて、自らの始末をするんだろうなぁ」と想像したものである。

  筆者が西部氏の講演を始めて聴いたのは、まだ平成になる前の昭和60年代であった。その頃、日本人はやれ国際化時代だと騒ぎ、株式投資に浮かれ、用もないのに不動産物件を購入していものである。西部氏の講演は抽象的な政治論や民主主義批判が大半で、大して面白くなかったが、「僕は国際化時代って言葉が大嫌いなんです !」という発言だけは珍しく頭に残っていた。まだ、世の中の景気が良かったので、民間企業が歐米諸国に進出し、自動車会社などは円高傾向や貿易摩擦を解消するために現地に工場を建てていた。今では信じられないが、バブル時代の銀行は勢いが良く、お金も相当余っていたので、海外に支店を展開するとともに、無茶な貸付でも「まぁ、何とかなるだろう」という感じだった。こんな調子なので、政治家も企業家も、「これからは国際化の時代だ ! 日本人は内向き思考を止めて、積極的に海外へ飛び出し、外国人と対等に渡り合わねばならない !」と息巻いていた。日本語そっちのけで英会話に勤しむビジネスマンとか大学生が多かったし、幼児からの英会話まで流行るといった狂乱振りだったのを覚えている。

  こんな世相を目にした西部氏は、腹に据えかねたのか、癇癪を爆発させていた。彼は時代の流行に乗って栄華を極めようとする商売人や政治家が愚かに見えたし、唾棄すべき知識人がちょくちょく露呈する“軽薄さ”を嫌っていたのだ。日本人はまさしく「流行」に流されやすい。敗戦前、歐洲で共産主義や社会主義が台頭すれば、「そうだ、日本の未来は社会主義にある ! マルクスが予言したような時代が来るんだ !」と考え、我先に一番乗りを目指そうとする。だから、勉強の出来る秀才はほとんど“アカ”にかぶれ、左翼学生となっていった。若い頃、社会主義に傾倒した長谷川慶太郎が回想していたけど、あの頃はちょっと優秀な若者はみんなそうだったらしい。谷沢永一先生も、若い頃マルクスに“かぶれ”て、共産主義の理論を熱心に勉強していたというから、本当なんだろう。しかし、その赤い思想と訣別し、世間に流布する有害思想を徹底的に攻撃した谷沢先生は偉かった。たぶん、御母堂の躾が素晴らしかったからだろう。偉人の陰に賢母ありだ。

  ところが、戦後になってもこの国民病は治らず、ソ連型の計画経済を素晴らしいと考える学者も多かったし、原爆反対運動が起これば直ぐさま参加するといった知識人が蟻のように群れていた。国連などアジアやアフリカの後進国を利用した大国の操り人形なのに、大江健三郎みたいな“進歩的”知識人は、外国に合わせるのが正義で、日本の国益を優先させる奴は「悪」と考えていた。こうしたアホどもは、貧乏国ですら持っている国防軍を侮蔑し、みんなで平和を願えば平和になるとか、自衛隊に入る若者は同世代の恥さらし、と発言していたのだ。現在の若い日本人が進歩的文化人の著作を読めば、「バッカじゃねぇの」と言って笑い出すか、「読む価値は無い」と評して投げ出すかのどちらかだろう。誰も知らないだろうげと、一応「進歩的知識人」の具体例を挙げてみる。東京大学に巣くっていた江口朴郎は原水爆禁止に熱心な「赤旗」シンパだし、勝田守一は外国人学校法に大反対、草野信男は細菌兵器に反対する赤い教授だが、ソ連や北鮮への非難は無し。山口省太郎などはロシア人の回し者みたいな輩(やから)で、ソ連は平和勢力だが、米国は「平和の敵」と評していた。紹介するとキリがないので、別の機会に廻したいが、今の学生で彼らの論文や批評を読む者はまずいないだろう。共産党員だって時間の無駄と思うくらいだから、一般人で「赤旗」を読み返す者など皆無だ。

  西部氏はこうした左巻きの学者が盤踞する東京大学に勤務し、教養学部がある「駒場村」で教鞭を執っていた。世間のオッちゃんオバちゃん達は、「東大」の名前を聞いただけで平伏(ひれふ)してしまうが、そこで教えている教授達のクズ論文を目にすれば、「なぁ~にぃ~、このつまんない印刷物 !」と驚くに違いない。筆者も以前、よく法学部の図書室に通っていたので、ちょいと教授連中の論文を読んでみたけど、本当につまらなかった。まぁ、各大学が発行する紀要とか学術雑誌に掲載される論文など、一般書店で発売できない粗悪品で、誰も手にしない紙屑である。適当に引用文を載せてゴチャゴチャと書いているが、執筆者の真意が不明確で、肝心な部分には、「これから真剣に考えて行かねばならない」とか、「更なる検討が必要だ」といった結論でお茶を濁しているものが多い。こんな論文は、ハンバーグの無いハンバーガー「擬(もど)き」で、購入者はどこに牛肉があるのか、レタスやピクルスを摘まんで探したくなる。しかも、挟んでいるパンが干からびた低級品じゃ、誰だって頭にくるだろう。図書館の本棚に、埃をかぶった豪華本が多いのは、タイトルからして“魅力の無い”「押し紙」であるからだ。

  西部氏が民主主義と共に批判していたのは、軽佻浮薄な知識人と彼らに追従する大衆であった。全学連で活躍していた西部氏が転向して夢中になったのが、ギルバード・K・チェスタトンやホセ・オルテガ、フリードリッヒ・ハイエック、エドマンド・バークといった保守思想の巨人で、西部氏の著作には彼らを意識した論述が目立つ。例えば、西部氏の大衆批判はオルテガの著作に啓発されたものだ。オルテガは大衆社会の到来に警鐘を鳴らしていた。このスペイン人哲学者によれば、大衆とは甘やかされた子供の心理を有し、その欲望には限りが無い。このタイプの人間には、一切のことが許されており、何に対しても義務を負っていないように見える。自分自身の限界を知らず、周囲にある全ての圧力や、他者との衝突を一切取り除いているから、世界に居るのは自分だけと考えてしまう。自分より優れている者がいると感じるのは、自身よりも強い人間が自分の欲望を断念させ、引っ込んでいるよう強いる時だ。(オルテガ 『大衆の反逆』 桑名一博 訳、白水社、 1991年 p.102)

  簡単に言えば、オルテガの「大衆」とは、自分自身に満足しきっている“お坊ちゃん”で、他人からの厳しい意見には耳を貸さず、好きなモノだけを見て、快適な声だけを受け容れる自己中心的な自惚れ屋ということだ。昔の庶民だと知識は少ないが、自分の至らない点と生まれ育ちの分際を弁え、偉い人の意見に従ったものである。ところが、近代の大衆人は環境に無理強いされない限り、決して自分以外のものに頼ることはない。オルテガ曰わく、優れた人間は自分自身に多くを課し、凡庸な人間とは自分自身に何も課さず、ありのままの状態に満足し、自分自身に陶酔している者を指す。(上掲書 p.107) こういった大衆人といえば、朝日新聞を読んで教養人ぶっている人を思い浮かべてしまう。斜(はす)に構えて“したり顔”の学校教師とか、銀行員、技術者、弁護士、研究員など、高度専門職の人に多かった。彼らは北鮮や支那との軍事的対決に反対で、お互いに話し合って“歩み寄れ”ば、きっとわかり合える、と信じていたのだ。こうした高学歴馬鹿は救いようがない。

  西部氏は東大の助教授を務めていたから、愚劣な左翼学者をたくさん目にしてきたはずだ。したがって、オルテガの知識人批判には、実体験に基づく共感があったのだろう。鋭い洞察力を持つオルテガは、科学者に傲慢な知識人の典型を見ていた。彼は第20世紀に顕著となった専門家の精神構造に言及し、その意外な本質について述べている。オルテガははっきりと、「専門家は知者ではない。というのは、自分の専門以外のことをまったく何もしらないからである」と喝破した。(上掲書 p.161) だからといって、専門家が無知という訳でもない。なぜなら、彼は「科学者」であり、自分が専攻する宇宙の小部分については詳しく知っているからだ。問題なのは、こうした「専門家」が自分の知らないこと、不得意な分野についても口を挟む事である。この御仁はアマチュアとして振る舞わず、あたかも「専門分野の知者」であるかの如く発言するのだ。オルテガはこの「傲慢さ」に危険性を感じていた。

  日本でも専門家の愚行がよくある。例えば、ノーベル賞をもらった益川敏英教授は“専門分野”においては天才だが、“専門外”の政治や軍事においては初心者で、憐れなくらいに幼稚だ。いくら憲法九条を叫んでも、日本の防衛にはならない。同じ物理学者でノーベル賞を授与された湯川秀樹博士と朝永振一郎博士も天才であったが、その意見は稚拙であった。「量子力学」については炯眼の持ち主でも、「政治力学」に関してはズブの素人に過ぎない。世界に向けて「平和」をアピールしても、そんな呼びかけは空虚であり、極悪人のスターリンや毛沢東には通用せず、こうした独裁者は「便利な馬鹿め !」とせせら笑うだけだ。ソ連には優秀な科学者が多くいたが、みんなスターリンの「実力(弾圧)」に怯え、抵抗することなく平伏していた。スターリンや毛沢東なんて学歴が無くても「博士号」を簡単に取れてしまう。教授連中の前に立ち、腰にぶら下げた拳銃を見せればいいだけだ。「PhD」でも「名誉博士号」でもお望み次第。もし、博士論文が必要ならゴーストライターに書かせればいいし、出来上がったら文字通り「幽霊」になってもらえばいい。報酬が弾丸なんて嫌だけど。

  西部氏は生来「反抗心」が強かったのであろう。全学連で先頭に立ったのも、敗戦後の日本人が米国人に復讐せず、それどころか卑屈なまでに恭順を示し、自分だけは豊かになりたい、と考えたからだ。しかし、そんな西部氏にも脛に傷があった。安保反対を大声で叫んでいても、その内容については詳しく知らなかったんだから、何とも呆れてしまうじゃないか。それでも、西部氏には同胞の態度が赦せなかったのであろう。東大を辞めてから知識人批判を展開したのも、口先だけで空論を弄ぶ連中がごまんといたからだ。彼らは自分で信じてもいない教義を滔々と喋り、その欠陥や矛盾を指摘されれば激昂し、ちっとも恥ずかしいとは思わない。「蝶(長)」になりたい芋虫の如き大学教授や評論家が大半だった。彼らにとっては「学部長」、「総長」、「会長」、「所長」といった役職が第一目標で、「高貴な義務」なんて玉葱の皮以下だ。「知識人」を気取ったテレビ藝者も同じ穴の狢(ムジナ)である。例えば、NHKや民放が贔屓とする政治評論家などは、選挙制度を中選挙区から小選挙区に変えれば政治が良くなると公言していたし、新しい政党が誕生すれば、それが自民党政治を打破し、市民の意見を反映するようになると豪語していたのだ。日本新党や新進党、民主党による新党ブームが湧き起こった時、どれほど多くのコメンテイターがはしゃいだことか !

  社会評論家となった西部氏がイライラしていたのは、偽善的な知識人に一般国民が易々と騙され、彼らの言説に引っ掛かっていたからだ。西部氏がいくら進歩主義の危うさを訴え、知識人の無責任さを警告しても、一般人は地上波テレビや全国紙の意見に靡いてしまう。西部氏が熟慮を重ねた見解より、簡単で解りやすく、“キャッチー”な解説の方に飛びつく。晩年の言動や態度を想い出すと、西部氏が国民に愛想を尽かしていた様子がよく分かる。人間は年を取るとどうしても短気になりがちで、堪(こら)えどころが無くなって怒りっぽくなるし、やたらと説教が長くなるから、若者に敬遠されることも多い。ただ、そうなってしまうのも“ごもっとも”で、「大衆」となった日本国民は、何度注意されても、同じ過ちを繰り返すんだから、警告している方が疲れてくる。

  分からず屋の「大衆」を相手にしていると本当に馬鹿らしい。論理的に喋ると「くどい」と思われるし、簡潔に述べれば誤解が生じる虞(おそれ)がある。それでも、西部氏は言論活動を続けていたから、何らかの使命感があったのだろう。しかし、その足は茨の道を歩んでいた。筆者は西部氏の意気込みを買っていたから、半分「義理」であっても、彼が刊行する『発言者』を予備号から購入し続けていた。でも、そのレギュラー執筆者に不満が無かった訳ではない。何しろ、補佐役の佐伯啓思(さえき・けいし)が投稿する文章は毎回つまらないし、内容がスカスカで仔猫のすかしっ屁みたいだ。学生運動の残党なのか、絓秀美(すが・ひでみ)という人物の文章も載っていたけど、最初の数行を読んだだけで厭になる。西部氏が可愛がっていた宮崎哲弥も酷かった。宮崎の評論は色々な理屈を附けていたが、斜め読みにも値しない雑文だった。自分で「俺は十年に一度の逸材」と評する者に碌な奴はいないだろう。宮崎はテレビ局のプロデューサーに取り入るのが上手いだけの評論家に過ぎない。

  酒の席で気が合ったのか、西部氏は元財務省官僚の榊原英資を登庸していた。しかし、こんな恥知らずが書いた社会評論なんてまっぴら御免だ。この役人は昭和天皇の記念硬貨で金の含有量をケチり、偽コインが横行したのに、その罪を悔いて蟄居するどころか、テレビ番組に堂々と出ていた。榊原は「どのツラ」下げて国民に説教しようというのか。昭和天皇を敬愛し、「記念」と思って10万円金貨を購入した国民は、無責任な官僚が誰かも知らず、事件報道に驚くだけだった。今では産経新聞や教科書運動で有名になった八木秀次もレギュラー執筆者の一人で、憲法論を書いていたが未だに本格的な著作が無い。皇室問題にも熱心に係わっていたが、これまた本格的な皇室論を書いていなかった。確か、八木氏は大学で研究生活を送っていたはずだが、「新書」や「解説書」程度の本が代表作だなんておかしい。福田和也に至ってはもう読む気もしない。自称「パンク右翼」の福田氏には、固定ファンがいるのだろうが、どんな点で「保守主義者」なのか教えてもらいたいものだ。 西部氏は保守思想を以て言論活動を続けていたが、その周りに集まる仲間には、ガッカリするような人物ばかりだ。保守派雑誌に保守派論客が居なかったとは、冗談半分にしても痛すぎる。

  インターネット番組でも活躍していた西部氏だが、夫人に先立たれてかなり寂しい思いをしていたんじゃないか。西部氏は随分と奥様に支えられていたそうだから、その存在を失ってしまうと生きる気力が萎えてしまっても当然だ。もし、夫人が生きていれば、自殺を思い留まり、もう少し長生きしていただろう。女房に先立たれた男鰥(やもめ)は、本当に意気銷沈するというから、西部氏が人生に見切りをつけたとしても不思議ではない。彼の遺書に何が記されているのか判らないが、生よりも死への誘惑が大きかったのは確かだろう。西部氏の訃報に驚き、その喪失を悲しむファンは大勢いるだろうし、その死を惜しむ人も多いはずだ。しかし、筆者は西部氏の決断を尊重したい。彼は言うべき事は充分述べてきた。あと10年長生きしても、その発言は以前と変わらず、不満と憤慨だけが募ったと思う。

  筆者には「どうしてお前らは、俺の言っている事が解らないんだ !」と腹を立てている西部氏の姿が目に浮かぶ。西部氏が愚鈍な同胞を「ジャップ」と罵った裏には、鈍感な国民に対する苛立ちがあったのだろう。西部氏は「長いものに巻かれろ」といった屈服主義や、「面倒な課題は先延ばし」という無責任体質に怒っていた。西部氏の生き様を簡単に述べれば、反骨精神を貫きたかった人と言えるんじゃないか。日本人に対して言うべき事は散々述べてきたから、「後はお前達が勝手にしろ !」というのが、西部氏が本音だろう。天邪鬼の西部氏だから、「じゃあな !」というのが最後の捨て台詞でもおかしくはない。もっとも、家族に対しては別の言葉があるだろう。ただ、西部氏は甘ったるい同情心を好まないと思うので、第三者の筆者としては西部氏に向かって「その決断、諒解しました」と言うほかない。あの世の西部氏がニヤリと笑ってくれれば、それだけで満足だ。



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内側に腕の曲がる朝鮮人 / 公共心に欠ける劣等民族 (前編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
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朝鮮文化を嫌う日本人

Korean protest 3Korean protest against Japan







(左: 「従軍慰安婦」を言い立てる朝鮮人  /  右: 反日デモに参加する朝鮮人)

  普段の生活で不快なものは数々あるが、朝鮮人問題ほど“しつこい”宿痾はない。確かに、靴底にこびり附いたガムとか、上空から落ちてくる鳩の糞、終電に乗った時に嗅いでしまう酔っ払いの息、真夏の肉まんとデブの汗など、出来れば避けたい災難だが、まぁ何とか容認できよう。しかし、朝鮮人の難癖とか支那人の横暴は我慢できない。「従軍慰安婦」とか「性奴隷」なる常套句を叫びながら、我が国を罵倒する南鮮人を見つけると、尖った鉛筆を持って、その鼻孔に突き刺したくなる。思いっきり右や左に揺さぶって、100mくらい引きずり廻したら気分爽快なのに、残念 ! 他方、図々しい支那人には、アンディー・フグ伝来の「踵(かかと)落とし」か、ランディー・クゥートゥア仕込みのクリンチ・アッパーがいい。か弱いご婦人がたには、日傘で片目を突くとか、ストッキングに硬貨を入れて振り回すという方法もある。ゴリアテに立ち向かうダビデ王みたいだ。(サムエル記上の第17章を参照。) 井上陽水じゃないけど「傘がない」女性は、朝日新聞にでも行ってゲバ棒でも借りるしかない。赤いベテラン社員なら、先輩が残していった兇器を受け継いでいるかも知れないぞ。ただし、どこに閉まったのか忘れている場合もあるので、その時は「火炎瓶はないかしら」と訊くのも乙である。(井上陽水ファンの人にはピンとくるけど、解らない人は陽水のアルバム『二色の独楽』を聴いてね。) とにかく、あの「朝日」だと「モロトフ・カクテル」を上手に作れる人がいたりして・・・。

  朝鮮人が大好きなNHKは、事ある毎に「お隣の韓国」を口にするが、一般の日本国民はガミガミ怒鳴り立てる「迷惑な隣人」としか思っていないし、付き合いたいとも思わない。「朝鮮文化」と聞けば、暗いイメージしかないし、触れてはいけない吹き出物みたいな感じがする。明治時代に我が国は日韓併合を行ったが、庶民の私的生活においては、「融合」も「親睦」もほとんど無かった。日本人女性が朝鮮人に嫁ぐ事は稀だったし、朝鮮人の服装を真似したり、キムチが普及することも無かったので、日鮮は水と油のような状態であった。また不思議な事に、朝鮮風住宅を建てようとする日本人すら居なかった。日本の裕福な商人や知識人は、西洋風の邸宅を建てたり、和洋折衷の建築様式を選んだりしたが、オンドル附の家屋を建てようとする人は皆無。第一、恥ずかしい。洋風住宅といえば、美智子皇后陛下が御幼少の頃にお住まいになった正田邸が有名だ。英国風の洋館で、近所の人々がうっとりする邸宅であったらしい。いかにも、上流階級のお嬢様が住んでいそうな豪邸で、その美しい外観は周辺を照らし、歴史的建造物に指定されてもおかしくはないのに、現存しないのだ。我が国の役所は固定資産税を口実にして、この正田邸を存続不可能にし、解体へと追い込んていった。これって、皇室破壊の余興なんじゃないか。 今では、跡地が「ねむの木の庭」となっている。何とも侘しい。

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(左: あばら屋の前に立つ朝鮮人  /  右: 昔の朝鮮にあった街並み)

  明治維新で海外渡航が許されるようになり、多くの日本人が朝鮮半島に渡るようになると、朝鮮人の悲惨な生活が明らかになった。とにかく、朝鮮は不潔で汚く、文化水準が低い。「低い」というより、言語に絶する貧困に喘いでいる。わざと未開にしているんじゃないか、と疑ってしまうくらいだ。その原因は色々と考えられるが、何よりもまず、朝鮮人には「公共心」が悉く欠けているのだ。支配者の両班はふんぞり返って平民を搾取するだけ。一方、虐げられる庶民は只ひたすら圧政を堪え忍ぶ。日本人からすれば卑屈極まりないが、朝鮮人にとっては至って普通だ。反抗すれば容赦無い仕置きが待っているし、周りの同胞は助けようともせず、“とばっちり”を受けぬよう見て見ぬ振りをする。当ブログは様々な朝鮮の歴史を述べてきたので、ここでは繰り返さない。(参考のため、ブロク例1例2を読んでみてね。)

Pantheon 1Colosseum 2







(左: ローマにあるパンテオンの内部  / 右: ローマにあるコロッセウム )

  李氏朝鮮と帝政ローマを比較するなんて、古代ローマ人に失礼だから言いたくないけど、両者の違いに光を当てれば、何が文明国の特質なのかを知ることができよう。世界史に燦然と輝く大帝國を築いたローマ人は、ギリシア人のように藝術の才能に恵まれていなかたものの、各地に残した立派な公共建築物でその名を轟かしている。ローマン・コンクリートで建てられた聖堂「パンテオン」や円形劇場の「コロッセウム」、何千キロにも及ぶ上水道や網の目のように張り巡らされた街道を見ればよく判る。「すべての道はローマへ続く」と言われるように、ローマ人の土木建築技術は素晴らしく、道路舗装の方法を調べてみると、その重層構造に驚いてしまう。表層の切石の下に、煉瓦片と砂を石灰とまぜて固めた基礎があり、そのまた下にも砕石と石灰を結合させて作った基盤がある。さらに、その下には割石とモルタルと粘土で固めた路盤があるのだ。アッピア街道とかフラミニア街道は、二代の馬車がすれ違えるほどの幅が確保されており、その両脇には歩道も完備されていた。敷石で舗装された道路は、中央がやや丸みを帯びていて、ちょっとだけ高くなっている。これで道路に降り注ぐ雨水を両端の溝に流していた。夏の雷雨で泥濘(ぬかるみ)と化す、江戸時代の街道とは比べものにならない。歐洲を視察した大久保利通が衝撃を受けたのも当然だ。もっとも、朝鮮人には“異星”の話だから、最初から論外。

Roman Aqueduct 1Roman roads 2






(左: ローマの上水道  /  右: ローマ人が敷設した道路)

  アジア大陸にも壮大な文明があったが、その主要なエネルギーは支配者の城塞や宗教施設などに注がれていた。支那やインド、あるいはアラビアにある巨大な寺院とか神殿は確かに豪華だ。皇帝が美女を囲う宮殿や別荘も贅を尽くした藝術品である。ところが、庶民の暮らしはどうか? 中華民族を誇る支那人は、あばら屋で蚤や南京虫と同居し、どんな物でも食える時に口に頬張り、危険と隣り合わせで生きていた。戦乱が起これば掠奪、放火、強姦は当り前。面白半分の虐殺もあって、逃げ延びることが出来たら、それだけでもラッキーだ。もし、捕まったら切り刻まれて、バーベキューの食材になってしまうかも知れず、あの世での成仏だってままならない。

China old times 1Koreans old times 19












(左: 処罰を受ける支那人  /  右: 野外でくつろぐ朝鮮人)

  支那人の子分を気取る朝鮮人も、突然の災難と毎度の不幸に慣れている。「綺麗な朝鮮」なんて「痰壺に注がれるビール」と同じでナンセンス。彼らは糞尿が染み込んだ井戸水を飲んでも平気だし、動物や人間の糞を煎じて薬にしているくらいだから、衛生観念とは元々無縁な民族だ。オンドルが設置されたボロ屋は温かいけど、夜になると兇暴な虫が現れて、寝ている住人の体を貪る。朝起きたら脚が腫れ上がっていた日本人もいたそうだ。現在の女子高生なら失神か絶叫で間違いなし。夜中はもちろん、昼間の便所だって恐怖の館である。鼻が機能不全になるくらい強烈な異臭があるんだから。朝鮮人が放った大便の臭気を嗅いだら、肺が汚染されそうだ。朝鮮料理の店だって衛生観念が無く、キムチの使い回しは普通だし、日本人の客にはウェイターが唾を吐きかけて持ってくるかも知れないのだ。もしかしたら、奥の調理人も同類で、便所のタイルの上で牛タンを叩いて、「日本人用に肉を柔らかくしてやったぞ !」と豪語するかもね。厨房の床でも便所の床でも同じだからさぁ。

Roman roads 4Arch of Septimius Severus in Rome








(左: ローマ人による道路建設の方法  /  右: セプティミウス・セヴェルスのアーチ)

  一方、首都ローマには立派な上下水道が造られていた。 紀元前312年に敷設されたアッピア水道を始めとして、11本の幹線水道があったのだ。水道幹線の総延長は約500kmであり、最長のものは91.2kmもあるマルキア水道である。ローマに建設された水道は地表に出ているものもあるが、水質管理や外敵侵入時を考えて、大部分はトンネル内に造られていた。ローマには下水道も完備されていて、湿地帯の地下に溜まる水を排水すると同時に、生活排水も処理できるよう造られていたという。石材や煉瓦で造られた「クロアカ」が排水路であり、頑丈な造りでアーチ状の天井をもっている。クロアカは多くの支線を有し、公共浴場、公共便所、その他の公共施設、個人住宅などから輩出される汚水をテヴェレ河に流していた。古代の公共便所は一種の水洗トイレだったから驚きだ。使用者は孔が開けられた石のベンチに腰掛け、隣の人と話しながら排便し、下の溝に落ちた糞尿は、流れる水によって処理されたという。(詳しくは、「中川良隆『水道が語る古代ローマ繁栄史』鹿島出版会、2009年」を参照のこと。)

Roman Sewerage Cloaca 1Roman toilet








(左: ローマの下水道  /  右: ローマの公共便所)

  日本人はアジア大陸を旅行して、現地に残存する古代文明の遺蹟や歴史的建造物を見て、「うわわぁぁ、すごいなぁ !」と感動し、日本ではお目にかかれない絢爛豪華な寺院や巨大な彫像にわくわくする。しかし、庶民の食事風景とか市場の衛生状態を覗いたり、日に何度か必ず入る便所を体験して、その凄まじさに辟易するはずだ。こんな国は数日間だけ見物する魔界で、毎日暮らす場所ではない。日本の方が遙かにマシだ。御飯を食べる時に蠅が集(たか)ってこないし、便器がきれいで温かい便座にウォシュレットが普通ときている。道路を歩いていても安全だし、イベント会場に子供を連れて行く事ができ、薬局では偽薬が排除されているのだ。ところが、アジア諸国では事情が一変する。支那の道路は突然陥没するし、朝鮮の百貨店は新築なのに全面崩壊。エレベーターに乗って無事に降りることができたら幸運だ。インド人の衛生観念も我々の意識とはかけ離れている。母なるインダス河には、動物の死骸や人間の糞尿、プラスチック製の廃棄物、訳の解らぬ汚染物質が流れ込む。それなのに、インド人はその穢い水に飛び込み、爪先から頭までをゴシゴシ洗って笑顔になっている。これで病気に罹らないんだから、インド人は相当強靱な肉体を持っているのだろう。日本人なら死んでしまう人もいるんじゃないか。

India river 2India Mysore-Palace








(左 :  ゴミが漂うインドの河 / 右: インドの豪華な宮殿)

公共心が存在しない朝鮮社会

Koreans in old times 12














(写真  /  餅つきをする朝鮮人)

  本当の文明国とは、庶民が豊かで快適な暮らしを享受する社会であるはずだ。いくら貴族が優雅な生活を送っていても、彼らを支える庶民が惨めな生活に喘いでいるなら、その国家の繁栄は表面的な虚飾に過ぎない。朝鮮社会の不甲斐なさや不潔さ、怠惰、停滞、圧政、貧困などは昔から知られており、朝鮮に関する紀行文を書いたイザベラ・バード(Isabella Bird Bishop / ビショップ夫人)の著書『朝鮮とその隣人(Korea and Her Neighbors)』を読めばよく解る。この英国婦人のみならず、漢陽大学の名誉教授、金容雲も朝鮮社会の悪弊を歎き、祖国を批判する本を出版していた。同教授によれば、朝鮮人の国家は、近代的な統治形態を成しておらず、首都ソウルの周りに「村」という共同体がくっ附いているだけの集落に過ぎないという。つまり、市民(公民 / 国民)精神が欠落した前近代的社会ということだ。

  しかし、その「村」にだって公徳心が存在せず、あるのは血縁に基づく身内意識だけだ。朝鮮人が外国人に自慢するソウルだって「大きな田舎」がせいぜい。王権に寄生するために人々が群がる都と評した方がいい。(金容雲 『韓国人、大反省』 徳間書店、1993年、 p.57) 朝鮮人は普段から利己主義と家族主義が入り混じった生活を送っており、国家意識とか公共精神が全く無い。こうした心理を増大させている一因は、国家権力を有する階級に「腕を内側に曲げる」人々が多数を占めていることにある。中央政府の官僚や地方自治体の役人は、権力を笠に着て色々な規制を庶民に課すが、国民の福祉や権利に関しては知らん顔。人治主義の歴史が長かったせいか、法の支配など全然理解されず、責任の所在がはっきりしないばかりか、平等な義務や権利の行使なども滅多に無い。現在はどうか知らないけど、1990年代のソウル事情に関して、金教授は怒っていた。朝鮮の国民は泥棒被害に遭っても、官庁や公共機関に頼らず、自ら防禦するしかないと諦めていたそうだ。何らかの問題が起こった時、官庁に相談するのは「愚か者」であるらしい。(上掲書 p.55)

  息が詰まる因襲社会に住む朝鮮人にとり、困った時に頼れるのは家族だけ。役人なんか所詮「冷たい他人」だ。親身になってくれるはずがない。朝鮮人が血縁主義や家族主義に傾くのも当然だ。自分勝手な朝鮮人の集合体だから仕方ないが、こうした人物が高位高官に就くと厄介だ。依怙贔屓が「常識」の役人は、まず自分の家族と親戚に便宜を図るから、頑丈な腐敗構造が瞬く間に構築され、その撲滅は100パーセント不可能になる。民間企業だって私益主義、学閥主義、族閥主義、派閥主義で凝り固まっているのだから不思議じゃない。もっと深刻なのは、族閥の中にある序列だ。「もう少し腕の曲がる」人がいると、又従兄弟よりも従兄弟を優遇するし、従兄弟よりも自分の兄弟、その兄弟よりも親子関係を重視するという。こうした縁故主義は、サムソンやロッテを引き合いに出さなくても理解できる。金教授曰わく、朝鮮人は公権力の物理的な力と、血縁関係というタテ意識だけが強く、市民の倫理観というヨコの意識は希薄であるという。在日朝鮮人の間でも、先輩後輩の序列は厳格だからねぇ。朝鮮系の藝能人が「兄貴」と慕う人が、これまた朝鮮系だったりする。朝鮮人の社会はドロドロしているというか、癒着・粘着で雁字搦(がんじがら)めなんだろうなぁ。

Korea old times 7Korea old times 13









(左: 人力車に乗る朝鮮人  /  右: 荷車を押す朝鮮人の親子)

  朝鮮人の特徴として、よく「ウリ(自分 / 我々)意識」が挙げられる。彼らは「俺様が一番」という原理で動く。でも、日本人の小学生が「ウリ」と口にする朝鮮人を見かければ、「ギャハハ、ウリだって !!! ウリ、うり、ウリ、きゅウリぃぃぃ~」と笑いながら馬鹿にするだろう。在日朝鮮人のオヤジが、「ウリ(自分の)女房」と言うのは分かるが、ちょっとまともな朝鮮人でも「ウリ村」とか、「ウリ国」を言い出すと客観性が失われ、「自分側」の意識ばかりが強くなるらしい。こういう思考が通常になってしまうと、仲間内には甘くなり、外部の者に対しては殊のほか厳しくなる。金教授によれば、朝鮮人は身内に対してなら厚い人情を示すそうで、「口の中に入れたものでも、取り出して分かち合う」そうだ。(まっ、これは冗談だろうけど、ちょっと気持ちの悪い譬えである。朝鮮人って、自分の口に入れた焼き肉でも、可愛い息子とか後輩がいれば、「遠慮すんな。ほら、食べてもいいよ !」と吐き出すのだろうか? 現実的にそうとは思えない。ただ、日本人だと顔を背けてしまうし、もし本当なら、「あっ、急用を想い出した」と述べて逃げたくなる。赤ちゃんパンダは、母親のウンチを食べるそうだけど、朝鮮人も似たよう習性があるのかも。)

  身内に優しい朝鮮人なら、まあ角を立てずに赦そう。ところが、赤の他人となるや、朝鮮人は別人格になるらしい。金教授は“人情深い”警察官の例を挙げていた。以前、厳しい拷問を行う事で有名な警官がいたそうで、ある時、彼の息子が入学試験で身体検査を受けることになったという。その当日、この父親は心配でたまらず、一日中ソワソワし、拷問すらろくすっぽ手につかなかったそうだ。金教授はこの話を聞いて、笑ったらいいのか、泣いたらいいのか、複雑な気持ちになったらしい。(上掲書 pp.58-59) 日本人なら、子煩悩なヤクザを考えてしまう。他人の娘に対しては残忍で、シャブ中にした挙げ句、ソープランドで働かせ、その上前をハネるようなヤクザでも、自分の娘には優しく、「覚醒剤なんか絶対ダメだぞ。タバコもディスコも禁止だ。繁華街のナイト・クラブなんか、チンピラどもがウヨウヨしているし、親切を装ってタダの大麻を吸わせてやる、と近寄ってくるんだから注意しろ。悪い奴だと、栄養剤と称してヘロインを渡したりするんだからな ! それに、刺青もアカンで ! いいとこに嫁に行けんようになるからな !」、と説教したりして。元暴走族の父親だって、幼い娘を持つと交通事故に敏感となる。乱暴な運転手を見つけると、「テメェ、危ねぇだろう ! うちの娘が登校中ってことが分かってんのか、ボケ ! 気をつけて運転しろ ! しばくぞ !」と怒鳴ったりする。昔の自分を棚に上げての叱責は可笑しい。

  金教授はもう一つの具体例を挙げていた。彼が『韓国数学史』を出版するちょっと前の事である。ある日刊紙に、名門大学で李朝末期の球面三角法に関する本が見つかった、という記事が出た。さっそく、金教授はそれを保管している大学に赴き、例の本を閲覧させてくれと頼んだ。ところが、そこの館長は拒否した。しかも、断った理由がすごい。曰わく、「ウリ(うち)の大学に属する教授にしか見せられない」というのだ。そこで金教授は次のように問い質した。「じゃ、どうして新聞に発表したんだ? 新聞記者に見せても、専門家には見せられないというのか? 訳が解らないじゃないか」、と。この押し問答には埒が明かなかったので、金教授は時間のムダと判断し、閲覧を諦めたそうだ。高価なものは「公(おおやけ)」にせず、「私的」に貯蔵するのが朝鮮流「ウリウリ主義」なんだろう。その後、“貴重な”本に関する研究は誰一人行っていないそうだから、「幻」の稀覯本になっているんじゃないか。まぁ、朝鮮人の数学書なんて盗作か複製の類いだから、熱心に研究するほどの代物ではないのだろう。“世界に冠たる”朝鮮人の「歴史遺産」として、大切に金庫にでも「保存」しておいた方が無難だ。もし、外国人が調査して「クズ本」と判ったら、“偉大な”朝鮮民族の顔に泥を塗ることになるからさぁ。

  後編に続く。


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