黒木 頼景
成甲書房
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日本の犬は海外でも人気
(左: 若い頃のヘレン・ケラー / 右: 高齢になったヘレン)
日本には愛くるしい生物が住んでおり、人間はもちろんのこと、鶯や鶴、兎、鹿などは日本の風景によく合っている。我が国は四季折々で、自然も素晴らしく、清らかな湧き水が流れ、春には全国各地で桜が満開となるんだから、荒んだアジア大陸とは対照的だ。闇黒大陸支那には地上で最も兇暴な民族が棲息し、大地は重金属で七色に光り、大河はヘドロと工場排水で悪臭が漂う上に、ゴミで覆われている。まるで、支那人の心を反映しているかのようだ。
支那人を親分と仰ぐ朝鮮人も似たり寄ったりで、魅力のカケラも無い。日本統治以前の朝鮮半島は「不潔」という言葉さえ上品に感じるほどの貧乏国家で、禿げ山の麓(ふもと)に掘っ立て小屋がひしめくドヤ街だった。天気が晴れでも、その風景を見れば心が暗くなり、現地人を目にすれば真夏でも寒気がする。棲息する動物だってロクなものがいないし、ヒラメかと思ったらエラの張った朝鮮人だったりする。日本だと子供がテントウムシや赤とんぼを追いかけて喜んでいるという光景が普通だが、日本に支配される前の朝鮮だと、家中にシラミとかノミ、南京虫が飛び跳ねていた。現在の朝鮮はかなり改善したようで、キムチに多少ウジムシが混ざっているくらいである。つくづく思うけど、朝鮮人に生まれることは不幸の始まりだ。「朝鮮」と耳にしただけでも憂鬱になる。もし、朝鮮から日本へ渡り鳥がやって来れば、日本のスズメに「もう、あの半島には帰りたくない」と愚痴をこぼすことだろう。在日南鮮人だって戻りたくないんだから、自由で翼のある動物なら尚更だ。
先の平昌五輪女子フィギュア・スケートで金メダルを取り、日本でも有名になったロシアのアリーナ・ザギトワが欲しがった犬として、日本の秋田犬が話題となった。オリンピック出場前、彼女が日本に立ち寄った時、秋田犬に魅せられたというが、日本人なら「まぁ、そうだよなぁ。愛くるしいからねぇ~」と思うだろう。柴犬と秋田犬は外国でも人気の犬種だから、ロシア人少女が欲しがったのも無理はない。特に、秋田犬は主人に忠実だから、一度この日本犬を飼った外国人は感動し手放せなくなる。日本人のオっちゃん達も、帰宅して迎えてくれるのは、秋田産の愛犬というケースが多い。足音を聞きつけて庭先で待っているんだから可愛くなるじゃないか。中年男性は邪険にされがちで、家に帰っても娘は携帯電話で雑談に夢中だし、女房はルーム・ランナーで贅肉落としに邁進中だったりする。そんなダイエット中の妻が用意する食事は、カロリー控えめの料理だから美味しくない。ところが、運動したことで安心するのか、女房だけは夕飯を済ませた後、大好物のハーゲンダーツ・アイスクリームを食べてしまう。それを目にした亭主が「ダイエット中なんじゃないのか?」と小言を口にすれば、「いいのよ、さっき沢山歩いたんだから。それにミニ・カップのアイスだし」と答える。これを聞いた夫は心の中で、「それを食えばプラス・マイナス・ゼロで、もしかすればカロリー・オーバーなんじゃないか」とつぶやく。でも、そんな反論は無意味で、反撥だけを招くから黙っている方が賢い。それに、側では愛犬が笑っていて、主人の晩酌に付き合っているから、中高年男性にとってはちょっとした慰めになっている。
( 左: アリーナ・ザギトワ / 右: 秋田犬)
本題から外れたので元に戻す。日本の秋田犬は昔から人気が高く、有名なヘレン・ケラーも(Helen Adams Keller)も欲しがったそうだ。当時、彼女は歐米で広く報道された「忠犬ハチ公」のエピソードを知ったそうで、盲唖学校を訪問すべく来日した時(1937年)、どうしても秋田犬を連れて帰りたいとせがんだらしい。彼女の同行者達は困ったそうだが、この話を聞きつけた秋田警察署の小笠原一郎巡査は、日米親善のために、「純粋な秋田犬をあげましょう」と申し出たそうだ。彼が生後75日の牝犬「神風」をプレゼントしようとしたところ、ヘレン・ケラーは無料(タダ)では受け取れないと言い出し、お金を払おうとした。しかし、小笠原巡査は金をもらうつもりで渡すんじゃないと撥ね付けたので、秋田警察の高橋署長が間に入って、国際親善だからお金は無用、と仲を取り持ったそうだ。こうしてヘレン・ケラーは念願の秋田犬を抱いて帰国したという。
(左: ヘレン・ケラー / 中央: 「神風」と一緒のヘレン / 右: 愛犬と一緒の少女ヘレン )
それにしても、小笠原巡査は男気がある。銭ゲバの支那人とは大違いだ。チベット人から奪ったパンダを日本人や欧米人に貸し付けて、何百億円もぼろ儲けするんだから、腹の底から賤しくて汚い。机以外の四つ脚モノなら、何でも食べてしまう支那人だ。ペットさえも金銭か食材としか考えない。支那人や朝鮮人というのは、我々とは異なる外来生物だ。支那人は米国に移り住んでも、その基本的な性質が変わらぬようで、動物に対する感覚が鈍い。カルフォルニア州のサンベルナルディーノ郡に住むエンピン・キュ(Enping Qu)という支那人は、恋人のアパートメントで飼われている犬を虐待した廉で逮捕された。彼の恋人がバルコニーの檻に愛犬を入れていたところ、この支那人「キュ」はティー・ポットの熱湯を犬にふりかけ、その暴挙を近くに住む17歳の少年と少女に目撃されたそうだ。彼らが警察に通報したとこで、動物虐待者のキュは逮捕されたという次第である。信じられない事だが、キュは少なくとも五回は熱湯を浴びせかけていたという。(Beatrize E. Valenzuela, "Chino Hills man accused of pouring boiling water on girlfriend's dog at least five times", The San Bernardino Sun, November 8, 2017 )
犬を愛する日本人やアメリカ人だと、「おい! 下郎、何てことをしやがるんでぃ !!」と激怒するだろう。『若さま侍捕物帖』の田村正和なら、「テメェみたいに根性のひん曲がった野郎は、生きている値打ちがねぇ。オイラがたたっ斬ったる ! 血飛沫あげて、あの世へ行きやがれ!」と決め台詞を述べるはずだ。火傷を負った犬の写真が公開されたけど、恐怖に震える犬の表情が本当に痛々しかった。こんな支那人には脚の膝か手の甲に9mm弾を1、2発撃ち込んでやればいい。罰金刑なんか生ぬるいから、良心的な警官は逮捕前に「犯人が抵抗したから」と嘘をついて、ボコボコに殴り倒すべきだ。野蛮な支那人には鉄拳制裁が一番効果的である。
(左: 虐待されて火傷を負った犬 / 右: 虐待を行ったエンピン・キュ )
またもや脱線したので元に戻す。ヘレン・ケラーは小笠原巡査からもらった「神風」を大切に育てたらしいが、残念なことに渡米二年後に感染症(caine distemper)で亡くなってしまったそうだ。その後、彼女は別の犬種を飼うことはせず、「神風」の死をたいそう哀しんでいたという。この歎きは秋田まで伝わったそうで、小笠原氏は再び秋田犬を送ろうと決心し、「神風」の兄犬である「剣山号」を二年後に渡したそうだ。それから六年間、この「剣山号」はヘレンの良き伴侶となったらしい。昭和15年には感謝の手紙を小笠原氏に送ったそうで、そこには愛犬と楽しい日々を過ごすヘレンの様子が記されていた。そう言えば、盲目のミュージシャン、スティービー・ワンダーも秋田犬の大ファンであったという。米国には占領軍のアメリカ兵が持ち帰った秋田犬の子孫がいたのだが、スティービーは日本で飼われている純血の秋田犬を熱望したそうで、どうしても「本物」じゃないとイヤだ、とごねたらしい。そこで、どうにか日本から秋田犬を手に入れたらしく、念願が叶って大変喜んでいたそうだ。
盲目の聖女は赤いハートを持っていた
「ヘレン・ケラー」と言えば世界的にも有名な社会活動家で、その評伝も多く、小学生でさえヘレンの生涯を知っているくらいだ。日本の学校図書館には偉人伝シリーズが揃えられ、子供たちは発明家のトマス・エジソンや科学者のキューリー夫人、クリミアの天使と呼ばれたナイチンゲール、音楽家のベートーベンなどに親しんでいる。しかし、こうした歴史上の人物が全て「真の偉人」であったとは限らない。というのも、中には眉を顰めたくなるような俗物も混ざっているからだ。例えば、日本だとジョン・F・ケネディーは立派な大統領と見なされているが、実際は無責任な理想を掲げてアメリカをメチャクチャにした元兇の一人りである。人種平等を訴えるなら、上流階級の暮らしをせず、黒人街で筋肉労働者として暮らせばいい。姦通相手も白人のマリリン・モンローじゃなく、黒人の売春婦にすればいいのに、ケネディーは矢鱈と白人美女に夢中だった。
(左: ジョン・F・ケネディー / マリリン・モンロー / マハトマ・ガンジー / 右: チャンドラ・ボーズ )
もう一人挙げるとすれば、インドのマハトマ・ガンジーだろう。日本では無抵抗主義を貫いた偉人と目されているが、それはイギリス人にとって都合がいいからだ。本当にインドの偉人を捜すなら、一番始めにスバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)が思い浮かぶはずで、インドの庶民はガンジーよりチャンドラ・ボーズを仰いでいる。だいたい、外国人支配者に対して「何もしない」なんて惨めだ。それよりも、インド国民軍を率いた武人の方が“英雄”に相応しい。イギリス人がガンジーを褒めるのは、自分達が倫理的に目覚めてインドを解放してやったと宣伝したいからで、その裏には日本兵や印度兵に武力で負けたことを隠蔽する意図がある。西歐人にとり、武力で有色人種に劣るのは恥なのだ。日本軍に“ご自慢”のプリンス・オブ・ウェールズを撃沈されたとき、チャーチル首相のショックときたら、もう肖像画にして遺したいくらいである。(ただし、筆者は保守論壇の知識人とは違って、英国を非難してインドの独立を称讃する気は無い。日本は英国と対立せず、イギリス人がずっとインドを支配するよう支援すべきであった。厄介者のインド人を抱え続ければ、煩わしい暴動が絶えないし、英国の財政的負担も増えるので、日本人は涼しい顔をして善意の第三者を演じていればよかった。)
ヘレン・ケラーも“要注意人物”で、米国の下院議長を務めたリベラル派のナンシー・ペローシ(Nancy Pelosi)議員は、彼女を身体障碍者のために尽くした偉人と評していたが、実際は決して子供たちに推薦できるような人物ではなかった。なぜなら、この視力を失った聖女は確信的な左翼活動家であったからだ。
(左: 母親のケイト・ケラー / 右: 父親のアーサー・ケラー)
ヘレン・アダムズ・ケラーは1880年6月27日、アラバマ州のタスカンビア(Tuscumbia)に生まれた。彼女は髄膜炎により生後19ヶ月目で視力と聴力を失ってしまい、両親との会話もままならず、苦悩に満ちた少女時代を過ごしたそうだ。幼い頃、ヘレンは家庭で考案された手話を使って周囲の者とコミュニケーションを図っていたらしい。しかし、この当時は今のような教育環境が整っていなかったので、彼女の人生は限られてものとなっていた。もちろん、母親のケイト・アダムズ・ケラーは不憫な娘に愛情を注いだのが、苛立ちを隠しきれぬヘレンは、まるで調教されていない動物のようであったという。(一般の日本人はヘレン・ケラーと言えば、どうしても晩年の姿を思い浮かべてしまうが、若い頃のヘレンは可憐な乙女であった。) 確かに、誰かと接していてもその姿を見ることが出来ず、暗闇の中で域をするだけの生活だし、言いたい事や思った事を相手に伝えられないんだからフランスレーションが溜まったのも無理はない。集団生活を送る人間に生まれたのに、ヘレンの日常は暗い独房に押し込められたようなものである。
そんなヘレンの人生を変える人物が1887年に現れた。アン・サリヴァン(Anne Sullivan)という女性がヘレンの教師になろうと、彼女の自宅を訪ねてきたのだ。この二十歳になるサリヴァンという教師は、女学校を出たばかりのお嬢様かと思いきや、結構な苦労人であった。彼女は幼い頃に孤児となり、マサチューセッツの施設に引き取られると、精神病患者と一緒に暮らす破目になったという。しかも、この精神異常者の大人たちは、思春期となった子供を食い物にしたと言うから最悪である。さらに、施設のスタッフが子供を虐待し、その扱いも冷淡であったから、さしずめ拘置所みたいなものであったという。サリヴァンは後に回想していたが、施設の子供たちは短命で、成人になれるのは五人に一人もいなかったそうだ。彼女の弟も同じ運命を辿ったそうで、姉のアンは弟を色々と守ったそうだが、職員は依然として子供たちをほったらかしにしていた。残念なことに、彼女の弟は徐々に衰弱し、やがて息を引き取ったそうだ。こうした辛い目に遭ったサリヴァンは、他の子供たちが不幸な人生を送らぬよう、何とかしたいと心に決め、教師を目指したらしい。
(左: アン・サリヴァン / 右 : ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン)
年は若いけど熱意に燃えたサリヴァンは、ヘレンと良好な関係を気づくことができ、両者の友情は以後50年間も続くことになった。サリヴァンは覚えたばかりの教育テクニックを見事に使いこなし、ヘレンは独力だけでも勉強できるまでになったというから、サリヴァンの力量は大したものである。鋼鉄の意思を持つ教師は侮りがたい。ところが、この熱血先生には困った点があった。彼女にはジョン・メイシー(John Macy)という恋人がいたのだが、二人ともかなりの過激派で、生徒のヘレンは彼らの左翼思想を吸収してしまったのだ。とはいっても、ヘレンがサリヴァンのイデオロギーに共鳴したのは、自らの体験、すなわち辛い日々があったからである。彼女は自分が病気に罹り、盲(めくら)と唖(おし)になったのは、産業社会と資本制度のせいなのだ、と思っていたらしい。ヘレンの主張によれば、社会が重要視すべきなのは、諸悪の根源である労働者の貧困と不安定な職場、及び労働者の生活状況であるそうだ。(Andy Piascik, "Helen Keller, The Radical : A Great Mind and Inspiration for all Humanity, Global Research, October 8, 2013)
(左 / ユージン・デブス)
左翼教師に指導されたヘレンは、二十代になると社会党に加わり、ユージーン・デブス(Eugene Victor Debs)の為に選挙活動も手伝ったそうだ。ちなみに、このデブスは1894年のプルマン・ストライキ(Pullman Strike)や鉄道組合ストライキなど、様々な労働組合活動を扇動した社会主義者で、アメリカ社会民衆党を結成し、その議長に納まった人物である。第一次世界大戦に反対すると、スパイ防止法違反に問われ、抵抗虚しく投獄される羽目となった。後に、ハーディング大統領によって減刑されるが、1926年に亡くなったという。カール・マルクスの『資本論』に感激したデブスは、「資本家」にこき使われる労働者の為にあちこち奔走し、世界産業労働者組合(Industrial Workers of the World)まで創設する。彼の賛同者だったヘレンがこの組織のメンバーになったのは不思議ではあるまい。所属した頃、彼女はこう述べていた。
労働者が階級として組織され、地上の資源や生産・流通の仕組みを握り、賃金制度を廃止するまで、一切の平和は無いでしょう。
筋金入りの社会主義者となったヘレンは、ピケを張る人の列に加わったり、ストライキの応援団を組織し、集会での話し方まで習っていたのだ。もう一端の革命家気取りである。労働活動に目くじらを立てる政府から、いくら脅かされても屈服せず、「正義の味方」を自負するヘレンは怯まなかった。1910年代になると彼女は更に進んで、活発化してきた女性運動にまで首を突っ込むようになったという。案の定、この天使には過激派が群がり、彼女は「左翼」という羽根を得て各地を飛び回っていた。そしていかにもフェミニストらしいが、産児制限に賛成だったヘレンは、女性が出産以外の性生活をも楽しむべし、との意見を持っていたそうだ。たぶん、独身だったヘレンは異性とのセックスに飢えていたのだろう。もし、良い夫を得て子宝にも恵まれていれば、妊娠以外の性生活をもっと増やすべき、とは考えなかったはずだ。当時は、貞淑なレディーとか良妻賢母というのが女性の理想だったから、コンドームを準備して複数の男を巡回するなんて考えられないし、そうしたことを口にするのも憚れる時代であった。(今だって、財布の中に常時コンドームを用意している女性とデートしたら、「さすがぁ~」と嬉しい反面、「もしかして、慣れてるのかなぁ?」と不安になるじゃないか。それに、もし行きつけのラブ・ホテルをもっていたら、もっと怖いよねぇ。)
盲目の聖女ヘレン・ケラーの物語は、日本では小学生に読み聞かせたい伝記の一つと見なされているが、この聖人の思想は真っ赤なものだった。彼女は共産主義に共鳴し、ウラジミール・レーニンを尊敬すると共に、血で塗られたロシア革命を支持していたのだ。また、フェミニズムの推進役も果たしていたから、産児制限で有名なマーガレット・サンガー(Margaret Sanger)とも親しく、好ましくない子供が生まれぬよう、断種政策が必要だとも思っていた。さらに、ヘレンはあの悪名高い極左団体、「アメリカ自由人権同盟(ACLU)」を創設したメンバーの一人でもあったのだ。(Claude Cartaginese, "The Forgotten Side of Helen Keller", Front Page Magazine, October 10, 2009) このように、様々な政治活動にのめり込んでいたから、FBIはヘレン・ケラーを監視対象にし、彼女のファイルはJ.エドガー・フーヴァー長官の目にも留まっていたらしい。日本人は身体障碍者が意見を述べると、無条件に受け容れてしまうが、肉体に欠陥を持っている事と健全な思想を持っている事とは別である。身体障碍者にも意地悪とか、生意気な人、気持ちの悪い変態、鼻つまみ者がいても不思議ではない。彼らも人間だから、良い人もいれば悪い人もいるはずた。いくらヘレンが盲目だからといって、彼女の主義主張に対して目を閉じるのは間違っている。
(左: マーガレット・サンガー / 中央: レーニン / 右: エドガー・フーヴァー)
ヘレン・ケラーが赤い思想に染まったのも、ある意味しょうがないのかも知れない。人間というものは、生まれながらに持つ機能を使ってこそ、充実した人生を送ることができ、それが出来ないと無性に腹が立つ。手があるのは何かを動かし、自分の意図を実現させたいからだろうし、足があるのも歩いて何処かに行きたいからだろう。目があるのは映像や絵画とかを見て刺戟を受けたいからで、耳があるのも音楽を聴いたり、人の話を聞くためなんじゃないか。ところが、舌があるのに料理の味が分からなかったり、人に何かを伝えたいのに喋る事が出来なければ、フラストレーションが溜まる一方だ。どんな金持ちでも眠れなければ、熟睡できる貧乏人より不幸だし、食慾があるのに何も食べることが出来なければ、これまた惨めである。性器が附いているのに、異性とセックスできなければもっと寂しい。
ヘレン・ケラーは目が見えず、いつも暗闇の中で生きており、人と会話したくても難聴のため上手く言葉を操ることができず、事ある毎に癇癪を起こしていたという。こんな運命の下に生まれれば、世の中を恨みたくなるだろう。だから、勝手な想像で、社会主義思想に共感し、共産主義の世界に理想郷を求めたんじゃないか。もし、彼女がソ連に住んだら、もっと悲惨な人生を強いられたに違いない。社会主義国で身体障碍者が大切にされることはないからだ。支那や北鮮だと、乞食より貧しくなるだろう。カルフォルニア大学のジョージナ・クリージ(Georgina Kleege)によると、ヘレンにはピーター・フェイガン(Peter Fagan)という秘書がおり、彼女が36歳の時、このピーターに惚れていたそうだ。しかし、ヘレンの母親が気に食わなかったので、彼は叩き出されてしまった。もし、彼女がピーターと添い遂げることができたなら、処女のままで一生を終えるということはなかったであろう。ヘレン自らが述べていたが、結婚の喜びを知らないことが人生で最大の後悔であったそうだ。
日本人は根が優しいから、社会党や公明党が「身体障碍者のためにも社会福祉の充実を!」と叫べば、「そうだなぁ」と簡単に騙されてしまう。弱者ヘの福祉は豊かな社会が前提で、自由主義をとる国家でないと実現が難しい。能力のある強者がたくさん現れるから、弱者への配慮という余裕が生まれてくるのだ。重税と圧政で国民を貧乏にして、「やった ! みんな平等だ !」と喜んでいる奴はアホである。お金持ちが各地に存在すれば、その中から慈善家が現れるのであって、官僚が赤い貴族となり、特権階級を形成する社会主義国では、庶民への愛情など生まれるはずがない。社会党や共産党に親近感を覚える者は、一般的に心が賤しく、有能な人物に嫉妬する能無しか、潰しの利かないアカンタレのどちらかである。だいたい、他人のゼニで社会を良くしようなんて、根性が腐っているんじゃないか。人に尽くしたければ、道路建設の土方や港湾人夫にでもなって、自らの汗を流し、自分の懐からお金を出すべきだ。そうすれば、福祉金をばらまく時、受給者への目も厳しくなる。自分が払った金銭なら、「テメェ、甘い顔をしていりゃ、好き勝手に酒や煙草、パチンコなんかに使いやがって。ナメるんじゃねぇ !」と怒りが湧いてくるはずだ。社会福祉の講義を受ける大学生は、まずパートタイムでたくさん働き、多額の税金を納めてみることだ。そうすれは、ちょっとは教授の言う事に騙されずにすむぞ。
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