無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2018年05月

日大悪質タックルの背後にある精神 / 「勝てばいいんだ !」が優先される

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

好評発売中 !

社会規範の喪失

football players of Univ of Georgia 1909football team of 1905








(写真  /  第19世紀と第20世紀初頭におけるフットボール部のアメリカ人学生)

  日本のマスコミは本当に脳天気である。米国と北鮮の裏取引やアジア地域の軍事情勢をほったらかしで、日本大学アメフト部の悪質タックルを問題にし、毎日厖大な時間を費やしているからだ。こんな大学間のいざこざより、占領憲法の廃棄と国防軍の創設を優先すべきなんじゃないか。誰が考えてみても、日本の軍事力を増強する方が遙かに重要だろう。だいたい、アメリカ人が10日ほどで拵えた憲法なら、我々が1日でポイ捨てしたっていいじゃないか。困るのは反日裁判官と、赤い憲法学者くらいで、一般国民は至って平気だ。スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットが言ったように、政府や制度が無くなっても、人々が暮らす社会は残る。江戸幕府が消滅しても、江戸の庶民は全滅しなかったし、明治政府が誕生しても、江戸っ子の日常生活は一年前とほとんど変わりが無かった。だから、マッカーサー憲法が廃止されても、世間はそれほど動揺せず、駅の食堂で蕎麦をすすっているサラリーマンは、緊急特番を観ながら、「へぇ~、新しい憲法が出来るんだぁ」と思うくらい。たとえ、東大の憲法学者が「けしから~ん」と叫ぼうが、電車に乗って帰宅途中の中年男性は、夕刊紙のスポーツ欄やエロ情報の方に夢中なんだから。

  日大の話に戻ると、各テレビ局は悪質なタックルを行った宮川泰介と、それを示唆した内田正人監督を激しく責めていた。当初、筆者はこの事件に無関心であったが、奥山真司の「アメリカ通信」を聞いて興味が湧き、どんなものかとインターネットに上がっている動画を目にしてビックリ。過失のタックルじゃなくて、意図的な反則だ、と直ぐ判った。巷の素人も「あっ、わざとやっている !」と即座に感じたはずだ。案の定、内田監督と宮川選手、並びに井上コーチらが週刊誌に叩かれ、宮川選手は記者会見を開いて謝罪し、内田氏は監督を辞任。最初から素直に謝っておけばいいのに、自己保身を優先してグズグスしているうちに、問題がデカくなってしまった。どうせ、マスコミの内部取材でバレるんだから、隠し通せるものじゃないし、むしろ傷口が拡大するだけだ。

Miyagawa 1Uchida 1







(左: 宮川泰介   /   右: 内田正人 )

  ワイドショーの制作者と一般視聴者は、前代未聞の悪質行為に仰天し、宮川選手と内田監督を槍玉に上げて楽しんでいたが、問題の本質は内田監督の学内権力とか選手との主従関係ではなく、日本人が持っていた共通規範の喪失にある。「相手のクウォーター・バックを潰せ !」という命令を聞けば、誰だって「そんな反則を意図的にしていいのか?」と躊躇(ためら)うだろう。しかし、宮川選手はレギュラー陣に入りたかったから、自ら進んで暴力タックルを行い、内田監督はそれを黙認して、彼を叱責することはなかった。というより、内田氏は「当然だ」と言わんばかりに、悪質行為を追認する姿勢を取っていたそうだ。後で、選手と監督との間に「解釈や認識の乖離」があったと弁明していたが、そんなの日大アメフト部の選手が聞いたら白けてしまうだろう。

  言葉には表の響きと、裏の意味がある。独裁的な監督が“言外”に示唆した事を選手がくみ取り、暗黙の諒解で選手が実行するのは当り前じゃないか。例えば、関西暴力団の花菱会を率いる親分が、庭を眺めながら山王会傘下の組長について言及し、手下の黒木に向かって、「クロキよぉ、邪魔な雑草は早いとこ摘んでおかなきゃなぁ、あ?!」と呟けば、鉄砲玉の乾分(こぶん)は「へいっ、分かりやした !」と答えるだろう。そして、親分が「おい、道具は若頭にもらっておけ」と言えば、別室にいる若頭のところに行き、「オヤジから命じられたんで、一丁拝借します」と頭を下げるはずだ。この会話を聞いて、「何だぁ、庭掃除でもするのか」とか、「道具って、鎌とか芝刈り機のことかなぁ」と思う日本人は、ロープ無しのバンジー・ジャンプを経験してみろ。目が覚めるはずだ。ただし、別の世界でだけど。

  また、実行犯の黒木を逮捕した刑事が、組長宅を訪れ、「黒木にハジかせたのは、アンタだろう !? ネタは挙がってんだ !!」と詰め寄っても、組長は「刑事さんよぉ、オレは世間話をしただけなんだよ。黒木がオレの話を勘違いしんたんじゃねえか?」と“とぼける”だろう。確かに、組長は「雑草を引き抜いてこい」とは告げたが、「撃ち殺してこい」とは命じていない。仮に、警察が極秘裏に組長の会話を録音していたとしても、例え話ばかりで決定的な証拠にはならないはずだ。また、警察がいくら黒木を締め上げたところで、この「使いっ走り」から自白以外のネタは取れない。したがって、組長による「明確な指示」は無かった事になる。でも、これを「よその組員」が信じるとは思えない。週刊誌の記者がこっそり馴染みのヤクザ達に訊けば、彼らは口々に「花菱の組長がタマ(頭)取ってこい、って言ったに決まってんだろう !」と叱りつけるはずだ。アメフト部の会話をヤクザの隠語と比較するのは失礼だが、本質的部分は重なるところが多い。内田監督の記者会見をテレビで聞いた一般国民は、「まぁ、あんな風に弁解するしかないよなぁ」と思ったことだろう。まさか、公の席で「俺が相手のQB(クウォーター・バック)を再起不能にしてこい ! と命じたんだ」とは言えまい。

  毎度の事だからしょうがないけど、正義の味方を気取ったマスコミは、「有罪」が明らかな内田氏を叩いて悦に浸っている。みんなが「黒」と判断する前監督だから、安心して批判できるのだ。しかし、この指導者を非難する各テレビ局だって、本当に叱責するだけの資格があるのか? 例えば、テレ朝はセクハラ騒動で槍玉に上がった財務省の福田事務次官を追求し、録音データを以て彼を吊し上げたが、いかがわしい取材と編集音源が批判の的になるや、早々に財務省と「和解」し、注目された進優子と松原文枝は雲隠れ。そして、他局もテレ朝に配慮したのか、まるで事件が「無かった」かのように特集を諦め、さっさと幕引きにしてしまった。こんな顛末を観れば、下っ端のテレビ局員だって、「おかしいよなぁ。ジャーナリストがジャーナリストの取材を取り止めるなんて」とボヤくけど、上層部が「もう手打ちにしたんだから、ゴチャゴチャ言うな!」と叱り飛ばせば、黙ってうなづくしかない。森友・加計問題にしたって、「下らない特番だよなぁ」と思っても、下っ端のADはチーフ・ディレクターに従うしかなく、冤罪と思いながらも「徹底的に追求します!」と口にする。慰安婦の捏造報道だって、局の方針なら「歴史的事実」にするのがサラリーマンの宿命だ。昇進と給料を考えれば、「白」を「黒」と報道するし、「正義」を騙(かた)って世論を誘導するのがテレビ局員だ。もし、「正義感」に駆られて“おぞましい”内情を世間にバラしたら、即クビになるから、みんな黙っている。誰だって、年収2千万円が消えたら嫌だよねぇ。

  マスコミの件は脇に置いといて、話を日大の事件に戻すと、事情に詳しくない庶民でも、選手や監督の間に倫理・道徳といった共通規範が無いことに気付くだろう。ただ、悲しいことではあるが、彼らの間には「勝つ」ためなら“どんな”「手段」でも正当化され、「悪い」ことでも「必要悪」として処理される「共通の諒解」だけはあった。今は反省している宮川選手も、試合中は自らの将来を考え、無我夢中で相手にタックルしたはずだ。そこには、「仕方ない」といった“割り切り”がある。内田監督も「チームの優勝が掛かっているんだから、そんな些細な事にイチイチ構ってられるか!」といた意識が常にあったはずだ。だから、悪質タックルが予想外に大スキャンダルになると、急に焦り出し、慎重なマスコミ対策を準備するために多少の時間が必要だったのだろう。

  マスコミ各社は内田監督に狙いを定めて総攻撃を展開しているが、一般国民の不満は日大の体質に限られたものではない。日本人は根本的に「汚いこと」が嫌いなのだ。たとえ禁止ルールに抵触していなくとも、卑劣なプレーをする選手に不快感を催す。例えば、審判にバレなければ、ドサクサ紛れに相手選手の足を踏みつけたり、膝蹴りを食らわせたりすれば、観客は「汚い奴」と判断し、反射的にそっぽを向く。格闘技の試合だと、ファンは八百長判定に敏感となる。特に、外国人選手と日本人選手が対決したとき、KO決着で終わらず、判定に持ち込まれると、日本人側に有利な判定が下されることが“たまに”ある。今年5月に行われたRizinの大会で「朝倉海vsマネル・ケイプ」戦があり、判定で朝倉氏が勝った。しかし、何となく納得できない、疑惑の判定という印象が残った。もしかしたら、日本人選手の人気者を作ろうとして、審判とプロモーターが仕組んだという可能性もある。人気商売だから仕方ないけど、予め日本人選手が勝つような対戦カードを組んで、もし判定になったら甘い評価で勝たせる、という筋書きもあるのだ。

  しかし、こうした「仕込み試合」を見せられると、真剣試合を望む格闘技ファンは白けてしまう。もちろん、秋山成勲みたいに、脚にローションを塗って出場するなんて論外。彼は卑劣な朝鮮人の見本である。秋山が日本で嫌われるのは、単に反則行為を犯したからではなく、その根底に「卑劣さ」染み渡っていたからだ。秋山は違反が発覚しても心からの反省が無く、どことなく「ふてぶてしい」ところがあった。彼はブーイングを行う日本人の観客に対し、“民族的”な憎しみを抱き、それが周りに漂っていた。一方、日本人も彼の内面から臭ってくる怨念を肌で感じていたから、益々嫌いになったのかも知れない。

  日本人は何よりも「汚い」試合を嫌うので、たとえ日本人が負けても、正々堂々とした試合を行えば外人選手を讃える。2006年にTBSが亀田興毅とファン・ランダエタ戦を放送したが、あまりにも怪しい判定決着があったので、勝者の亀田選手と審判団に非難が集中したことがある。プロモーターとTBSは亀田フィーバーを持続させるために、無理矢理にでも勝たせたかったのであろうが、それが裏目に出てしまった。八百長とは言わないが、判定の際、ジャッジに何らかの“さじ加減”があったんじゃないか。そうでなければ、あんなに大勢の人が不満を漏らす訳がないだろう。テレビの視聴者だって疑問に思ったくらいだから、お金を払って会場に赴いた観客なら尚更だ。ボクシングに詳しくない素人の視聴者でも、「なんだぁ、ヤラセかよぉ。ひでえなぁ~」と愚痴をこぼしていた。

米国の球界に広がる薬物汚染

  今回の騒動を以て、各マスコミは稀に見る悪質反則を糾弾したが、似たような不正は他のスポーツ界にもある。海外のスポーツ選手による不正なんか、ちっとも珍しくもない。「名声」と「俸給」が絡めば、大半の者が悪魔に魂を売ってしまうのだ。例えば、アメリカのプロ野球界に蔓延する薬物問題は深刻で、有名なメジャーリーグ選手だって例外じゃない。ロヂャー・マリス(Roger Maris)の記録を破った人気選手のマーク・マグワイアー(Mark McGwire)は、怪しげな“サプリメント”の「アンドロステンジオン(Androstenedione)」、すなわち禁止されている筋肉増強剤を使用し、目覚ましい成績を残した人物である。しかし、この薬物使用が発覚し、本人も認めたので、その名声は地に堕ちてしまった。「栄誉の殿堂(Hall of Fame)」に入るはずが、「恥辱の殿堂(Hall of Shame)」入りになるんだから、人生に於いて一寸先は闇である。

Roger Maris 2Mark McGwire 1Sammy Sosa 2Barry Bonds 1








(左: ロヂャー・マリス  / マーク・マグワイアー  / サミー・ソーサ  /  右: バリー・ボンズ )

  こうした不正薬物の使用は、まさしく球界全体に浸透しており、日本でも有名なバリー・ボンズBarry L. Bonds)やサミー・ソーサ(Sammy Sosa)もドーピング疑惑をかけられ、本人たちは否定していたが、周囲の選手やファンは限りなく「クロ」と思っている。米国の野球解説者だって、堂々と二人の「無罪」を口に出来ず、「容疑」という推測にしてお茶を濁していた。ボンズやソーサの筋肉が見る見るうちに変化し、それと比例するかのように打率を上げて行く姿を目にすれば、誰だってステロイド使用を勘ぐるじゃないか。90年代末から「ステロイドを使っているんじゃないか?」と疑われたボンズは、白々しく「筋肉トレーニングとサプリメントを加えた食事療法のお陰だ」、と反論。サミー・ソーサもステロイド疑惑を持たれたが、決定的な証拠が挙がらず、未だに真相は闇の中である。でも、同僚選手やジャーナリスト、野球解説者の間では、ほぼ黒に近い「グレー(灰色)」と思われており、疑惑は晴れない。しかし、米国では一つ一つ容疑を潰してゆけば「無罪」になる。たとえ、検査で陽性反応が出ても、一流の弁護士が理屈を捏ねて「白」にするんだから安心。でも、アメリカの社会的腐敗を指摘するデービット・カラハン(David Callahan)が、著書の中で述べている内情は本当だろう。

  プロスポーツ界は極端な世界だ。成功すれば文化的偶像にして億万長者になれるが、失敗すれば傷つき、破産し、選手生命をほとんど絶たれかねない。こうした状況では、人は極端にふるまう。九十五年に一流選手百九十八人を対象に実施された調査では、すべての競技会に優勝するためなら五年間薬物を使うと、半数以上が回答。たとえ、五年後には副作用で死ぬとわかっていてもだ。(デービット・キャラハン『「うそつき病」がはびこるアメリカ』 小林由香利・訳、 日本放送出版会、2004年、p.98)

Lance Armstrong 1(左  /  ランス・アームストロング)
  実力主義で人気選手に多額の報酬を与えるアメリカでは、その栄光と現金に魅せられ、「薬物で寿命が縮むかもしれない」とか、「倫理的に悪い」と判っていても不正を行う選手が絶えない。自転車競技界でも薬物汚染が“常識”になっており、有名なランス・アームストロング(Lance E. Armstrong)選手の薬物スキャンダルはヨーロッパのみならず、アメリカでも大々的に取り上げられていた。アメリカ人スーパースターのランスは、毎回ツール・ド・フランスに出場し、強豪揃いのフランス人選手達を見事に追い抜いていた。普段から気に食わない、傲慢なヨーロッパ人選手を完敗させるアームストロングだから、アメリカのファンは溜飲が下がる思いだ。ところが、凱旋の英雄は、尊敬に値する偉人どころか、禁止薬物まみれのダーティー・ヒーロー。当時、ヨーロッパのジャーナリスト達はランスを忌々しく思い、彼が捨てたゴミを漁って、何かないかと探しまくり、彼の過去も掘り返して、薬物使用の証拠を見つけ出そうと躍起であった。フランス当局も二年間に亙り、アームストロング選手と彼のチームメイトを召喚して薬物検査と尋問を行ったそうだ。これだけ執拗な調査をされれば、アームストロングが尻尾を摑まれてもおかしくはない。

  1998年、「フェスティナ(Festina)」というトップ・チームに属するウィリー・ヴォエ(Willy Voet)が、薬物を詰め込んだクーラー・ボックスを数個持っていたところ、フランスの税関に捕まり、大きなスキャンダルとなった。ヴォエによれば、一流の自転車競技選手のほぼ全員が何らかの薬物を使用しているという。薬物を使用していない選手は、「最後尾」をノロノロと走るのがオチであるらしい。記録を伸ばしたいと切望する選手達の間では、エリトポロチエン(EPO)は人気の商品。このEPOは人工ホルモンで、血液が運ぶ酸素の量を増やしてくれる特効薬だ。そして、選手にこうした薬物の「需要」があるなら、製薬会社に「供給」があると考えるのが普通だ。案の定、ジョンソン&ジョンソンをはじめとする、EPO製造を許された製薬会社が“こっそり”と選手達に流していた。EPOは便利な薬で、一年中使う必要はなく、数週間の使用で充分。そのため、選手が不正をはたらいている場合、数週間経ってもその効果は続いているのに、その不正を見つけるとなれば容易ではない。EPOは生理食塩水で薄めると、使用中でも血液検査に引っ掛からないので大変重宝。したがって、専門医を雇う一流選手なら、薬物検査で発覚するようなヘマは犯さないはずだ。

詐欺師まがいの證券アナリスト

  欲望渦巻くアメリカでは、各界で不正や腐敗は当り前。「正直は美徳」という格言は、ベンジャミン・フランクリンが生きていた時代の神話に過ぎない。拝金主義と個人主義が絡まり、不義を行っても成功すれば輝かしい「勝ち組」で、ズルを憎んで地道に働く奴は、何時までたっても貧乏なまま、所謂「負け組」だ。例えば、親のコネやお金で名門大学に入ったお坊ちゃんは、真面目に講義を聴いて勉強せず、有料サイトから模範文をダウンロードして、期末レポートや卒論と称して提出するらしい。凄い奴は大学のコンピューターに侵入し、自分の成績を改竄してご卒業。こうして「ご立派な学歴」をつけた学士様は、一流企業に入って高額所得者に。とは言っても、あくどいカネ儲けと、敏腕税理士を用いた節税(脱税)のお陰だったりする。さらに、ストック・オプションやゴールデン・パラシュートで、早期退職後もリッチな生活が待っているから羨ましい。

  成功したビジネスマンには、ツラの皮が分厚い奴がいて、筆者が覚えている例を紹介すれば、人気證券アナリストだったヘンリー・ブロジェット(Henry Blodget)を挙げることができる。彼はイェール大学卒業後、大手證券会社のプルデンシャルに勤め、1998年にAmazon.comの株高を予測し、それを皮切りに予言者と讃えられるようになった。それから間もなく、彼は300万ドルの契約金でメルリリンチに転職。インターネット株で儲けようとする投資家に大好評で、株式アドヴァイザーや経済評論家としても有名になり、CNBCの番組やCNNの「マネーライン」に出演し、“引っ張りだこ”のアナリストになった。しかし、そんなブロジェットが非難された切っ掛けは、インターネット関連株の「インフォスペース」社を「買いだ」と言い続けたことにある。この「嘘つき」アナリストは、インフォスペース社の株が急落していたのに、それを無視して顧客や視聴者に勧めていたのだ。下落市場(Bear Market)を上昇市場(Bull Market)と語っていたんだから悪質だ。

  日本では「馬」を指して「鹿」と呼べば「バカ」と笑われるが、米国だと「熊」を「牛」と呼んでも馬鹿ではない。「鷺(サギ)」のように賢い奴、と称されるのだ。ただし、ブロジェットの言葉を信じて損をした小児科医のデバセス・カンジラルは激怒した。彼はメリルリンチを相手取って民事訴訟を起こし、結果的に勝利した。当時のニューヨーク州司法当局に属していたエリオット・スピッツァーは、この事件を担当し、衝撃的な実態を暴いたことで世間の注目を浴びることになる。(後に、買春事件で自分が州知事を辞任する破目になるなんて、この頃は想像もしていなかった。) この調査でブロジェットが書いたメモが発見され、その内容があまりに酷いので、アメリカ国民は唖然とし、多くの者が驚いたという。ブロジェットは自分が勧めるインフォスペース株を「ゴミ」と呼び、「カス」と呼んでいた株もあったそうだ。捜査に当たったスピッツァーから見れば、この投資アドヴァイスは、会社側とプロシェットの組織的な證券詐欺にしか思えなかった。結局、メリルリンチ社は1億ドルの和解金を払って事態を収めたそうだ。

Henry Blodget 4Eliot Spitzer 3








(左: ヘンリー・ブロジェット  /  右: エリオット・スピッツァー)

  ところが、事件の中心人物であるブロジェットは、所有していたメリルリンチ社の株を約500万ドルで手放し、「シリコン・アレー・インサイダー(Silicon Alley Insider)」を設立し、同社のCEO(最高経営者)兼編集長になった。そして2017年になると、有名な経済情報メディアの「ビジネス・インサイダー(Business Insider)」に転職し、これまたCEO兼編集長に納まったのである。それにしても、SEC(米国證券取引委員会)から目を附けられた前科者が、ビジネス誌の編集長だなんて、オーナーは一体どんな頭をしているんだ? しかし、日本も似たようなものである。生まれた時からデフレ経済で苦しむ若者からすれば、バブル景気真っ只中の日本は夢のよう。ところが、当時の日本には悪魔がいた。今では忘れ去られているけど、単なる「総量規制」の通達で、バブル経済を一瞬にして破壊せしめた大蔵省官僚、土田正顕(つちだ・まさあき)の罪は消えることがない。誰かが語り継ぐので、「未来永劫に」だ。この銀行局長は日本国民を奈落の底に陥れたのに、土下座して切腹もせず、あろうことか国民金融公庫の副総裁に天下りし、2000年には東京証券取引所の理事長になった。さらに、この不逞役人は東証を株式会社化すると、その功績で初代社長に就任。いやはや、「すごい」の一言に尽きる。

  でも、バブルが弾けたせで、自分の会社を失った経営者は、この“栄転”と“渡り”を知って、どんな感想を持っていたのか? 「この野郎 !」と拳を握りしめた人も多いだろう。自社が破綻して自宅まで手放した元社長とか、勤め先がいきなり倒産して失業者になったサラリーマン、地価が暴落して人生まで地獄と化したビジネスマンなど、いったい何人が土田を恨んだことか。世間のオっちゃんやオバちゃんは何も知らないから、東大卒のエリート官僚を「すごいわねぇ~」とベタ褒めするが、役人が犯した秕政と失態を味わえば、こんな称讃は直ぐに吹っ飛んでしまうだろう。現在の官僚は一代限りの「エリート」なので、現役中に最大限の利権と財産を貯め込み、退官後も「渡り」を繰り返して蓄財に励む。役人生活でどんな迷惑を国民に掛けようが、「俺の知ったことではない。政治家が決めた事を行ったまでだ」と開き直るんだから、彼らの辞書には「破廉恥」という項目が無い。

  江戸時代の武士と違って、現代のお役人様は転属したり退官すれば「お咎め無し」で、満額の退職金を手にして笑顔でバイバイ。息子が世間の非難を浴びることも無い。「親と子は別」なので、「末代までの恥」なんか最初から無いのだ。公務員の採用試験にだって、人格テストは無いから、頭が赤くてもいいし、反日思想の持ち主とか、天皇陛下を侮蔑するような人物でもいい。土田のようなキャリア官僚にとって一番大切なのは、国家国民の利益じゃなく、大蔵省(財務省)全体の権益を守ること。一般国民なんて、下界の召使い程度。不正を犯しても、所属官庁と同僚に迷惑を掛けなければいい。国民がどれだけ苦しもうが、同期の仲間が助けてくれるし、辞任しても天下り先が確保されているので安心だ。霞ヶ関のお役人様というのは影の実力者なので、大臣なんかアイドル歌手と同じ。「アイドル一年、大臣二年で使い捨て」が常識だ。国民はお上に奉仕する人足以下の存在。だから、日本の「民主主義」は、民衆が主体の代議政体じゃなく、役人が「民衆の主人」となる官僚制衆愚政治の別称である。実際、「民主党」政権を思い出せば分かるじゃないか。

  日大の悪質タックル問題とだいぶ逸れてしまったが、要するに、現代の日本人は共通の倫理規範を捨ててしまったということだ。あのような暴力的タックルをすれば、被害者が半身不随になる危険性もあったはずで、宮川選手や内田監督は充分理解していたはずである。しかし、自分が指導するチームが優勝すれば、内田氏は名監督と称讃され、栄光の人生を送ることができる。宮川選手も明るい将来を期待でき、高額報酬を手にできたかも知れない。たとえ、被害者が激痛に苦しもうとも、そんなのは「負け犬」の歎きで、マスコミも負傷者より優勝者を取り上げる。テレビ局にとって、高視聴率こそが一番。「フェア・ブレー」なんてお金にならないから、反則すれすれでも大興奮をもたらす激戦の方がいい。スポーツ界ではトップ選手が持て囃され、凡庸な選手に比べて数十倍ないし数百倍の契約金を得る。だから、選手は「違法」ぎりぎりの不正を行うし、ルールの抜け穴を見つけてズルをしようとするのだろう。(ドーピング検査で「陽性反応」がでなければ、どんな薬を使おうが「大丈夫」という訳だ。)

  昔、山本書店を経営していた山本七平・元陸軍少尉が述べていたけど、親子で共通の規範が無いと、子供の不祥事を叱ることが出来ないという。例えば、少女売春をした娘に対し、父親がその罪を咎めた場合、娘が「野球の長嶋茂雄は肉体を使ってお金を稼いだんだから、私も体を使って稼いだだけよ !」と言い返せば、何も言えまい。「性交を用いて稼ぐことは罪である」という共通認識が無ければ、なぜ売春が悪いのか解らないし、叱責された娘は、世間体のために叱られているとしか思わないだろう。現在の日本人は理屈をつけて道徳を教えているが、本来、そんな屁理屈は必要なく、「駄目なものはダメ」と断言し、たとえ他人が見てなとも、「お天道様はちゃんと見ているんだぞ!」と教えねばならない。アメリカ合衆国を建てたイギリス人も、キリスト教に基づく倫理・道徳を重んじ、それ無くしては共和国の存続は難しい、と考えていた。だから、左翼どもが宣伝する「政教分離」など暴論で、建国者が意図したのは「国教会を樹立しない」ことであり、信仰を排除することではなかったのである。

  日本の教育界は左翼分子が独占しているので、学校では我が国の伝統や庶民の常識が疎かにされている。かつての武士が持っていた倫理に基づく美徳や、国家の名誉、独立不羈の精神、不正を憎み正義を貫く気概、悖徳への嫌悪、生き恥を避ける人生観、卑劣な行為を斥ける道徳心などが、いつの間にか抜かれているのだ。というのも、立派な少年は左翼分子にならないから、学生運動上がりの教師は、出来るだけ愚劣な青年を育成しようとする。彼らは将来の仲間を増やすべく、祖先の叡智を躊躇無く踏みにじって恥じない。学校に我が子を預ける親は、試しに歴史教科書を開いてみるべきだ。そこに書かれている内容や、執筆者の思考様式を知れば、背中に戦慄が走り、「うわぁぁ、どうしょう」と困惑するだろう。日大のタックル問題より、日教組へのタックルを考えた方がいいぞ。(両脚タックルが無理なら、片脚タックルという手もある。ちょっとオタク的意見だけど。)



人気ブログランキング

静かなる悲報としてのロイヤル・ウェディング / 歓迎されないプリンセス

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

不満を口に出来ないイギリス人

Prince Henry 6Meghan Markle young 3









(左: ヘンリー王子とメーガン・マークル  /  右: 少女時代のメーガン)

    第21世紀に入って、アングロ・サクソン世界の凋落が徐々に進み始めた。歴史家のポール・ケネディーは、軍事的負担による国家の衰亡を唱えたが、筆者は国民の人種的変質による衰退を提唱したい。西歐史の教科書を繙(ひもと)けば、第5世紀に西ローマ帝國が滅亡しても、東のローマ帝國(ビザンツ帝國)は存続し、メフメト2世の侵攻を受けるまで崩壊しなかった。しかし、コンスタンティノポリスを首都とする東ローマには、生粋のローマ人が少なく、殆どがギリシア人とかスラヴ人、トラキア人、アルメニア人、フェニキア人、ならびに北アフリカの諸民族といった人種がひしめいていた。

  帝政になってからのローマには色々な種族の元首が現れたので、日本人でも歴代皇帝の彫像を見れば判る。例えば、皇帝セプティミウス・セヴェルス(Septimius Severus)は、北アフリカの「レプティス・マグナ(Leptis Magna / 現在のリビア)」で生まれたという。彼の母親はイタリア半島生まれのローマ人であったが、父親はリビア人であったらしい。そして、セヴェルス帝の息子ルキウス(Lucius Septimius Bassianus)、通称「カラカラ(Caracalla)」帝は、昔ながらのローマ人とは程遠く、母親のユリア(Julia Domma)がシリア人なので、イタリア人らしからぬ風貌を持っていた。帝國の重心がオリエントに移ると、ローマ人の“コスモポリタン”化は更に進み、アラブ系の軍人皇帝まで現れる始末。マーカス・フィリップス(Marcus Julius Philippas)帝は、その民族性から「フィリッパス・アラブス」と呼ばれていた。後の元首も非ローマ人が多く、レオ1世はダキア(今のブルガリア)生まれのトラキア人皇帝だし、ユスティヌス1世はダルダニア(今のアルバニア)の出身で、貧農からのし上がった皇帝だ。

Septimius Severus 1Caracalla 3Leo the FirstPhilippus Arabs 1








(左: セヴェルス帝   /    カラカラ帝  /   レオ1世  /  右: フィリッパ・アラブス帝)

  日本人は大変幸せな民族で、歴代の天皇陛下は皆「日本人」。これがイギリス人なら、「えっ!! 日本のエンペラーはみんな日本人で、朝鮮人とか支那人の貴族から皇妃をもらっていないのか ?!」と驚いてしまうだろう。英国の王族なら、スペインやフランスはもちろん、デンマークやネーデルラント、ドイツ、スウェーデンの貴族からお妃を迎えているので、ドイツ以外のヨーロッパ諸国に親戚が多い。だから、公爵や伯爵の夫人でも英語が拙く、フランス語やドイツ語の方が得意という場合もあるのだ。でも、庶民はそんなことを気にしない。そもそも、庶民と貴族は別種族と言ってもいいほど、生まれと育ちが違っているので、フランス語なまりの英語を喋っても違和感が無く、英国貴族だって気にしていないのだ。片や、日本だと公家も庶民も見分けが付かない。(もっとも、岩倉具視のように「ヤモリ」と呼ばれたお公家さんなら別だが。) 日本人からすれば、朝鮮語訛りの側室とか、色黒の皇妃なんてゾっとする。また、いくら高貴な生まれとはいえ、タイやビルマから嫁いできた華族の貴婦人なんて尊敬できない。もし、皇太子妃候補が蒙古人とか満洲人じゃ、尊皇の志士だって異を唱えるじゃないか。

  今世紀では、前世紀なら「あり得ない」現象が起こっている。人種隔離政策で黒人が賤民となっていたアメリカでは、正体不明の黒人バラク・オバマが合衆国大統領になってしまった。奴隷に公民権を与えただけでも厭なのに、世界最強の軍隊を指揮する司令官に就任するなんて、もう熱病に冒されたようで目の前がくらくらする。一方、七つの海を支配したブリテンでも、似たような悲劇が起こっていた。事もあろうに、女王陛下の孫であるヘンリー王子が、アフリカ系のアメリカ人女優をお妃に迎える事となったのだ。高齢のイギリス人やスコット人なら血圧が上がり、心臓が苦しくなるだろう。いくら何でも、大帝国を誇ったブリテン人が、有色人種の女性をプリンセスに戴くなんて、驚天動地の出来事だ。墓場に眠るウィンストン・チャーチル卿が、この悲報を聞いたら飛び起きるぞ。アーリア系のインド人ですら、気持ち悪くて嫌っていたんだから、アフリカ系の藝人なんて問題外。ウィンストン卿の母、ジェニー・ジェローム(Jennie Jerome)もアメリカ人だったけど、マルバラ公爵夫人はちゃんとした白人美女だからOK。ただし、チャーチル家の親族は、このアメリカ娘を終始「外国人」扱い。お墓も別。昔のイギリス貴族は家系に厳しかった。

Jennie Jerome 2Winston Churchill 341winston churchill 5








( 左: マルバラ公爵夫人ジェニー・チャーチル /  中央: ウィンストン・チャーチル  /  右: 首相になったチャーチル)

  世間的には、ヘンリー王子とメーガン・マークル嬢のご成婚は目出度いが、アングロ・サクソン系のイギリス人が心から祝福しているのか、は定かではない。というのも、最近行われた意識調査で驚くべき結果が出たからである。有名な「YouGov」が実施した大衆インタビューで、ブリテン国民の約3分の2が、このロイヤル・ウェディングに関心が無いというのだ。(George Martin, "Two-thirds of Britons are uninterested about Meghan and Harry's wedding and more than half of us say the Royal Family should foot the entire bill", Daily Mail, 15 May 2018) 日本のテレビ局は、この件に関し一切報道無し。それにしても愕然とするじゃないか。なんと、66%のブリテン人がヘンリー王子の挙式に興味が無く、その儀式に掛かる費用すら負担するのを厭がり、王室が全額支払え、と要求しているそうだ。「オピニウム(Opinium)リサーチ社」の調査でも似たような結果が出ており、たった38%の人が挙式をテレビで観ると答え、53%の人はそうしないと答えていた。(Matthew Robinson, "Royal snub ! Majority of Britains NOT INTERESTED in royal wedding, according to SHOCK poll", Daily Express, May 15, 2018)

Prince Henry & Markle 1Meghan Markle & people 5







(左: ヘンリー王子とメーガン  /  右: ロイヤル・ウェディングを喜ぶマイノリティーの子供たち)

  まぁ、実際、ロイヤル・ウェディングをどれだけの国民が観たのか判らないが、日本で報じているような高揚感は薄く、イギリス人の祝賀ムードはそれ程でも無かったんじゃないか。(メーガンについては以前の記事を参照。) 確かに、英国のみならず外国の報道機関もマークル氏の花嫁姿を大々的に取り上げていたが、ダイアナ妃の挙式と比べれば格段に劣るし、ケイト・ミドルトン嬢の時に起こった歓迎ムードとも違っている。これは、ヘンリー王子が第四番の王位継承者だからではなく、メーガン・マークル嬢が浅黒い有色人種だからだろう。なろほど、彼女は平民の外人女優から英国のプリンセスに出世した、現代のシンデレラ姫なのかも知れない。だが、西歐世界のプリンセスにしては容貌が違いすぎる。母親のドリア・ラグランドの遺伝子を受け継いでいるせいか、白人がうっとりするような女性ではない。

Meghan Markle & Doriakate 40kate 14








(左: 母親のドリアと娘のメーガン  /  中央: ケムブリッジ公爵夫人のキャサリン妃  /  右: ケムブリッジ公爵夫妻)

  だいたい、階級社会の英国で、下層黒人の母親に伴われた混血児が上流階級に入るなんて前代未聞である。ドリスを見れば、ボルチモアかデトロイトに暮らす貧乏黒人か、と勘違いしてしまうだろう。しかも、情けないことに、娘にとって一世一代の晴れ舞台なのに、ドリスが拒絶したため、別れた亭主は結婚式に出席できなかった。そこで、チャールズ王太子が花嫁の父親役を務め、彼女と一緒に祭壇への通路をを歩いていたのだ。(筆者には謎なんだけど、どうして日本ではこの通路を「ヴァージン・ロード」と呼ぶのか解らない。全部の花嫁が処女ではないし、再婚者だっているだろう。そもそも、キリスト教徒でもない日本人が、教会の通路を和製英語で呼ぶなんて変だ。もしかしたら、どこかの結婚式場が勝手に作った用語なのかも知れない。)

Meghan Markle & dad Thomas 4Prince Charles & Doria 1








(左: 父親のトマスと娘のメーガン  /   右: ドリスとチャールズ王太子)

  平民から王族への立身出世と言えば、過去にもう一つ別の事例があった。モナコ公国のプリンス、レーニエ3世(Rainier III)に嫁いだグレース・ケリー(Grace Kelly)のケースだ。二人の結婚には、世界各国の人々が注目し、グレースの地元アメリカ合衆国は大興奮。当時、人気を誇った美人女優がそのキャリアを諦め、大公のプロポーズを承諾したので、アメリカのみならず日本でもたいそう話題となった。グレース・ケリーの映像は各国で流されたし、彼女を特集する雑誌も巷に溢れ、若い女性の憧れの的になっていたのはご存じの通り。今でもエルメスが製造した「ケリー・バッグ」は人気のアイテムらしい。(筆者はブランド商品には疎いので、本当に今でも人気の高級品かどうか判らない。けど、コレクターにっとては貴重品みたいだ。)

Grace Kelly 9821Grace Kelly 792Rainier III & Grace Kelly 1








(左と中央: グレース・ケリー  /  右:  レーニエ大公とグレース・ケリー)

  では、メーガン・マークル嬢の場合はどうなのか? 確かに、彼女はハリウッド女優だから素晴らしい体型をしている。が、それはアフリカ系アメリカ人の評判で、西歐系のアメリカ人やブリテン人にとっては“どうでもいい”事だ。問題なのは、ブリテン国民の間に人種的亀裂が生じ、王室への愛情が薄れてしまうことである。マークル氏のシンデレラ物語で、イングランド国内の有色人種は殊のほか大喜びだ。社会的な地位が低いインド系やパキスタン系、アラブ人、トルコ人、ジャマイカ人、ケニア人などの血統に属する“ブリテン国民”は、同じ種類のプリンセスを目にして、心がときめいている。ところが、先祖代々イングランドに住む白人、すなわちアングロ・ケルト系の国民は、心からヘンリー王子のご成婚を祝福できない。しかも、表だって有色人種のプリンセスを批判できないから尚更だ。

British people 467Meghan Markle & people 1







(左: ムスリムのブリテン人  /  右: 英国の子供たちと挨拶するメーガン)

  非西欧系の有色人種が王族に加わると、今までとは違った雰囲気になることがある。もし、メーガン妃がスウェーデン系アメリカ人とか、ザクセン系のドイツ移民の子孫、フランスから逃れてきたユグノー信徒の末裔なら、「これ」といった騒動は起こらないだろう。ところが、彼女はアフリカ系混血児であるから、従来のヨーロッパ貴族とは異なる。彼女自身「私はバイレイシャル(biracial / 二重種族)」と称し、白と黒が混じった灰色のエリアに属していると述べていた。つまり、白人の血も混ざっているが、黒人の血も受け継いでいるので、コケイジアンとニグロイドの線引きが出来ないというのだ。イングランド王国の民衆は白人が主体だが、新たなプリンセスは西歐的イギリス人と重なるところが少なく、親愛の情を込めて「我が同胞よ !(My fellow Englishmen !)」と呼びかける事ができない。

Nordic baby 6white girl 3african Lebanese








(左と中央: メーガンと異なったタイプの子供たち  /   右: メーガンが大切にするタイプの子供 )

  メーガンのこうした心情は、彼女の過去を探ってみると判るような気がする。浅黒い肌を持つことで、様々な差別を受け、不条理な屈辱を味わってきたことは容易に想像できるし、その言動からも察しがつく。彼女が覚えている「ある出来事」は、日本人にとっても注目に値する。メーガンが七歳だった頃のこと。当時のアメリカでは、バービー人形のセットが売られており、「ザ・ハート・ファミリー(The Heart Family)」と呼ばれていたオモチャ箱には、父親と母親の人形に加えて二体の児童人形が含まれていた。この核家族人形アイテムは、白人版と黒人版のセット“のみ”で売られていたので、子供たちはどちらかを選ばねばならなかった。当然の如く、白い子供は白人版を、黒い子供は黒人版を買うのが普通だった。やはり、彼女も一つ欲しい。という訳で、父のトマスは愛娘の為に1セット購入し、クリスマス用のプレゼントにしたという。そして、クリスマスの朝に目が覚めると、メーガンは紙で包装されたプレゼントを見つけた。彼女が箱を開け、「ハート・ファミリー」を覗き込むと、黒い母親の人形と白い父親の人形、そして白い肌の子供と黒い肌の子供の人形が入っていたという。これは彼女の父親が別々のセットを買い求め、独自にアレンジしたものであった。("Meghan Markle : I'm More Than An Other",  Elle Magazine, 23 December 2016)

barbie doll 2barbie doll 4








(左: 「白人版ハート・ファミリー」の人形セット  /  右: 黒人版の人形セット)

  日本のワイドショーはメーガンの人権意識とかフェミニスト思想ばかりを報道するが、彼女が味わった混血児の苦悩を“具体的”に紹介しようとはしなかった。なぜなら、詳しく探って行くと、メーガンが持っている“歪んだ”精神を暴露する事になるからだ。なるほど、彼女は人種的マイノリティー、社会的弱者、貧しい移民、憐れな難民に理解を示し、天使のように優しく接する。だが、彼女はアメリカ合衆国を建国したアングロ・サクソン人に共感を持たないし、尊崇の念すら持っていないはずだ。黒人に酷い仕打ちをした白人を憎む心はあっても、宗主国のイギリス人と戦った建国の父祖に感謝する事はないだろう。そして、英国の王室に嫁いでも、ナポレオン軍と戦ったイギリス軍将兵、ダンケルクで死闘を繰り広げた若者、百年戦争で貢献したウェイルズ人の戦士、植民地で奮闘したスコット人の尖兵などに想いを寄せることもない。彼女はウェリントン将軍やネルソン提督、バーナード・モンゴメリー元帥の肖像画を見たとき、膝を曲げて一礼するのか? もし、カンタベリー大聖堂を訪れたら、白いイギリス人と同じく、殉教した大司教、聖トマス・ベケットに敬意を表するのか? 未だに不明だが、メーガンは一般のトーリー党員に負けぬくらい、心からの愛国者となるつもりがあるのか?

Wellington 1Nelson 3Bernard Montgomery 1








(左: ウェリントン公爵  / 中央: ネルソン提督  /  右: モンゴメリー元帥)

  黒い混血児のメーガン・マークルがヘンリー王子のお妃になったから、色黒のインド系やアフリカ系の「ブリテン国民」は大はしゃぎ。左翼偏向の主要メディアも「メーガン・フィーバー」を煽り立て、多文化社会の成果を大宣伝。一方、メーガン妃も熱狂する民衆に笑顔で応え、恵まれない下層階級の子供たちや、東南アジア系の移民、アフリカ人難民の定住者、中東アジアからのイスラム教徒に温かい言葉を投げかける。だが、先祖代々イングラント王国に暮らすアングロ・サクソン系の国民に対し、特別なメッセージは無く、彼らの伝統文化や栄光ある歴史を称讃する事も無かった。茶色い国民に対しては親愛の情を示すのに、金髪碧眼のイギリス人には尊敬の念を示さない。本来なら、アングロ・サクソン系の国民を第一に考え、多民族主義と人権思想で抑圧されるイギリス人にこそ、温かい言葉を掛けるべきなんじゃないか。

  とにかく、英国の上流階級は偽善の塊になっている。高貴な家柄を持つのに、左翼リベラリズムに屈服し、アングロ・サクソン社会に背を向けながら、善良な裏切者を演じているのだ。ウィリアム王子とヘンリー王子でさえ、学校教育を通して、頭のてっぺんから爪先まで赤い思想にどっぷりと染まっている。この両名の公爵様は、白いイギリス人を優先せず、率先して俄(にわか)国民に媚びていた。そもそも、この兄弟が王国に於ける白人の優越を公言したことがあるのか? 父親のチャールス王太子でさえ、英国内のイスラム教徒やユダヤ教徒に媚びて、多文化社会を称讃していたのだ。今回のロイヤ・ウェディングを見ているイギリス白人は、さぞ胸くその悪い思いをしたことだろう。王太子の次男が有色人種と結婚しただけでも嫌なのに、結婚式に黒人司教を招き、ついでに黒人の聖歌隊まで連れ込んでいたのだ。花嫁がアフリカ系アメリカ人であるので、黒人のマイケル・カリー(Michael Curry)司教が式場にやって来て、退屈な説教を長々と垂れ、終いにはマーチン・ルーサー・ギングにまで言及するんだから、参列者の西歐貴族ははうんざり。しかも、黒人のゴスペル隊が「おまけ」に附いてきて、ポップな「スタンバイミー」を大合唱。まるでアングリカン教会がサザン・バプティスト教会に様変わりしたみたいだ。これじぁ、イギリス貴族は不満爆発だろう。どうせなら、黒人俳優のエディー・マーフィやウッピー・ゴールドバーグも呼んで、冗談の一つでも披露させたらどうなんだ?

Michael Curry &Royal wedding gospel choir 1








(左: ユダヤ系のカンタベリー大司教ジャスティン・ウェルビーとアメリカ黒人のマイケル・カリー司教  / 右: アメリカ黒人の聖歌隊 )

  もう、イングランドは昔のイングランドではない。本来なら、イギリス人は自分の思ったことを口に出来る「表現の自由」や「言論の自由」があったはずだ。しかし、現在では、こうした「権利」は存在しても、それを「行使」すれば身の破滅となる。ブリテン島では人種平等思想や多民族・多文化主義が社会の隅々にまで浸透し、「レイシスト」や「白人至上主義者」というレッテルは、決まり文句か殺し文句のどちらかだ。こうした罵声は「極右分子」や「ネオナチ」と等しい響きをもつ。失うものが何も無い白人労働者や、チンケな国粋主義者なら別だが、大会社の経営者とか中小企業の重役、教育機関の職員、法曹界の重鎮、研究所の上級顧問、大手メディアの編集員など、比較的高いステータスを持つ者は失うものが大きく、不満に思っても口にしないことが多い。もし、ちょっとでも人種に触れる発言をしたら即命取りだ。正直より沈黙を貫いた方が賢い。だから、出来る事といったら、クールに無関心を装うか、形式的な祝辞だけを述べてお茶を濁すしかないのだ。

  英国は第二次世界大戦で厖大な犠牲を払ったが、これでは何の為にドイツと闘ったのか解らない。歴史教科書では、ナチスの世界制覇を食い止め、自由主義世界を救ったことになっている。だが、現実的には肝心要な「イギリス人の自由」と「支配者としての地位」を失ってしまったのだ。なるほど、ブリテン人は共産圏には無い自由を享受していたが、戦前の“英国的”自由に比べたら“窮屈”な自由しかない。今では「ポリティカル・コレクトネス」の方が幅を利かせているので、有色系国民を傷つけるような発言は、直ちに「ヘイト・スピーチ」になってしまう。もちろん、過激な悪口はマナーに反するが、「俺はアフリカ人のプリンセスなんか認めないぞ !」とか、「あんな黒人女、とても尊敬できないわ !」と発言してもいいはずだ。

Meghan Markle & people 4white family 4








(左: これから英国の主役になる人々  / 右: 古い英国に取り残される人々 )

  確かに、イングランド国内でマークル氏を称讃する人々が居てもいいが、国民の半分くらいは反対の感想を述べてもいいんじゃないか。少なくとも、調査会社の街頭インタビューで、「あんな女のどこがいいの?!」とか、「生まれてくる王子様が黒くなったら嫌だねぇ」、あるいは「チャールズの馬鹿息子は、好き勝手に黒人女を娶って、いったい何様のつもりなんだ !? 税金の無駄遣いだ!」といった率直な回答があってもよさそうなものである。だが、実際のアンケートで、そのような発言が多く寄せられたという話は聞いたことがない。本音を押し殺して建前だけを述べているブリテン人が何割いるのか、是非、調査してもらしたいものだ。

王室への尊敬が無くなる日

Queen Elizabeth 006Prince William & Henry 2








(左: エリザベス女王とフィリップ殿下  /  右: ウィリアム王子とヘンリー王子)

  日本と英国は共に立憲君主国で、両国のロイヤル・ファミリーは国民の支持に基づいている。皇族や王族は特別な地位を持つが、民衆を圧迫するような特権階級ではないし、天皇陛下や国王陛下も自国民を農奴のように扱う「ドミヌス(奴隷主)」ではない。豪華な生活を送るエリザベス女王でも、国民との絆を大切にし、常に慈悲深い国家元首に努めている。ところが、ヘンリー王子は自分の性慾を優先させ、王族の存在意義を蔑ろにしているのだ。国王(king)は元来、「キュニング(cyning)」、つまり一族とか血族(kin)の長(chief)を意味する。もしも、イングランド王国の君主がアングロ・サクソン人の首長なら、その配偶者も同種の人間でなければならない。ドイツやデンマークの貴族なら納得できるが、エチオピアとかシリア、アフガニスタン、マレーシア、エルサルバドル出身の有色人種などもってのほかである。心理学の学術論文を読むと分かるが、肌の色や顔附きが異質だと、国民が敬愛の念や親近感を持つことは難しいそうだ。やはり、感情移入をできるタイプじゃないと、「我らがプリンセス」と思えないし、仰ぎ見ることもできない。

  また、王子に嫁ぐプリンセスという身分になれば、更なる要件が求められる。すなわち、美貌と品性だ。テレビや雑誌の無い古代ならいざ知らず、映像技術や通信網が発達した現代では、王侯貴族の容姿は重要である。「白雪姫」とか「シンデレラ」、「アンデルセン物語」などに登場するヒロインは、例外もあるがほとんど美女。年増の醜女(しこめ)なんてキャラクターは滅多に無い。もし、白雪姫がユダヤ人の老婆みたいな顔をしていたら、通りがかった王子様はキスを拒絶し、何事も無かったように立ち去るだろう。「何時までも眠りから覚めぬ白雪姫は、森の中で白骨死体になりました」、なんて冗談にもならない。シンデレラの物語だって同じだ。もし、シンデレラがブスだと、読者は継母にイジメられる娘を見ても同情しないし、豪華なドレスを纏っても似合ってるとは思わない。しかも、舞踏会で見初める王子様だって、ダンスに誘わないから、シンデレラは「灰を被ったマネキン」か「壁の染み」ていど。ガラスの靴、あるいは福助の足袋を残そうが、誰も気付かないだろう。たとえ持ち主を捜すことになっても、ただ返却するだけ。場合によっては、謝礼金を求めたりして。仮に、王子様がそれを拾ったとしても、「あの女が落としていった靴かぁ」と思い出すから、シンデレラの邸宅を訪ねることはない。もしも、親切心でクロネコヤマトに宅配を頼んだら何となく可笑しいし、そもそも童話にならない。(ちなみに、宅配料をケチって翌日配達じゃなく、通常配送だったら笑っちゃうなぁ。)

blog pictureAfrican woman 1









(左: 白雪姫の役に相応しい女性のタイプ  /  右: 白雪姫には適さないタイプの女性)

  故・ダイアナ妃の結婚式を思い出せば、メーガン妃との違いはもっと明確になる。ダイアナはスペンサー伯爵家のご令嬢という家系もあったが、何よりもその美しさで国民の人気をさらっていた。彼女はオックスフォード大学やケムブリッジ大学を卒業した才女じゃないけど、その気品と容姿で際立っていた。未来のプリンセスはケントにあるウェスト・ヒース女学校(West Heath Girl's School)に通っていたが、そこでの成績はお世辞にも良いとは言えず、赤点に近い学力であったという。でも、そんなのは問題ではない。「男は度胸、女は愛嬌」だ。頭でっかちの左翼フェミニストなんか男を敵に回すだけの愚者で、賢い女は笑顔と涙を上手に使って玉の輿に乗る方を選ぶ。フェミニストは女性的魅力に欠けるからか、矢鱈と男を羨み、よせばいいのに男社会で男と張り合おうとする。馬鹿に救い無し。(「羽生せんせ~」と言い寄る女流棋士の「えりりん(山口恵梨子)」の方が遙かに賢い。) その点、美しく生まれた女は女の武器を最大限に利用し、男を手玉に取るんだから頭が下がる。この魔術に学歴は関係無い。ダイアナ妃は意識的かどうか判らないが、女性の魅力を使うのが非常に巧みだった。ビリー・ザ・キッドも驚くほど、男のハートを射止めるのが上手かったんだから。まるで黒帯の名人みたい。

Diana 12Diana 14Princess Diana 9princes diana 2








(写真  /  亡くなったダイアナ妃)

  今回のロイヤル・ウェディングは、我々にとって異国の慶事だが、傍観できる出来事ではない。なぜなら、近い将来、悠仁親王殿下のお妃選びで、帰化人系の女性が現れる可能性がゼロではないからだ。もし、親王殿下が朝鮮系か支那系の女性と恋愛関係に陥った場合、何割の国民がそれを祝福し、どれほどの国民が失望するのかが気になる。というのも、帰化人が意図的に皇后の地位を狙うこともあるからだ。普通の日本人女性なら、皇室に嫁ぐなんて考えられないし、たとえ殿下からプロポーズを受けても断ってしまうだろう。中流家庭に生まれ、自由闊達に育った女性が、大幅に自由を制限され、常に国民の目を気にしながら、一生過ごすなんて想像できない。雅子妃殿下のケースを目にすれば、民間の女性は躊躇どころか恐怖心さえ芽生えてしまい、絶対皇室に近づかないと心に決めるんじゃないか。だって、皇室行事の時など、周囲の者から一挙手一投足を凝視されるし、無理をしてでも皆に笑顔を示さねばならず、言葉一つを取っても慎重さを求められるからだ。さらに、皇族になったら絶えず、快楽よりも義務の方が重視される。たとえ、休暇で避暑地に出掛けても、誰に目撃されるか判らないから、どんちゃん騒ぎは御法度で、蓄積された緊張が解けない。(まさか、夜中じゅうディスコで色々な男と踊り続けるなんて無理だ。)

  そこで、窮屈な皇族との結婚を日系女性が避け、朝鮮系の女性が歩み出たらどうなるのか? 恋愛で日本最高位に就けるとなれば、挑戦してくるアジア人だって現れるだろう。特に、朝鮮人は心の底で「日帝」に対する怨みを抱き続けているので、プリンセスになって支配者の立場になりたいと考えても不思議ではない。しかも、一旦プリンセスの地位に納まれば、離婚という事態は無いので、永続的な立場になるし、男子が誕生すれば皇后の地位は不動のものとなる。さらに、もっと恐ろしい事態も考えられるのだ。例えば、雅子妃殿下の前例があるので、朝鮮系プリンセスは精神的負担を理由に、嫌な皇室行事をサボる事が出来るし、悠仁親王殿下を味方につけて、宮内庁職員と対立させる事も可能だろう。

Meghan Markle young 2Kate Middleton & Cressida Bonas







(左: 幼い時と成人になったメーガン  / 少女時代のケイト・ミドルトン /  右: ヘンリー王子の元恋人クレシダ・ボナス)

  その一方で、伝統無視のお姫様が、華やかな皇室「外交」を積極的に行う虞(おそれ)もある。もし、外交好きなプリンセスが南鮮や支那を訪問したいと記者会見で口を滑らせたらどうなるのか? 野心的なプリンセスだと“意図的”に「失言」を口にするかもしれないんだぞ。そうじゃなくても、国内に住む在日鮮人や帰化鮮人、移民の家系を持つ支那人やインド人、フィリピン人、タイ人に特別な配慮を示し、「在日マイノリティー」から絶讃を受ける事も予想できる。こうなれば、人権派のマスコミはこの新プリンセスを持ち上げ、「誰にでも優しいお妃」とか「社会的弱者に手を差し延べる慈悲深きプリンセス」、「日本に帰化したばかりの国民を助ける若き皇族」、「因襲に囚われない庶民的な妃殿下」なんて言いふらすだろう。有頂天になった新プリンセスがお得意の英語を駆使し、「微笑み外交」に取り組めば、必ずや国を追われたシリア人とかクルド人を訪ね、日本も“多少の”難民を受け容れねば、と仄めかす。「私も朝鮮人の出自で差別に苦しみました」と述べれば、日本と外国のマスコミは大絶讃間違いなし。上流階級の大名旅行と、無責任外交は楽しいから、何でも口に出来る。だいいち、日本のプリンセスとして外国を訪問すれば、元劣等民族の朝鮮人でも、女王陛下の如く扱われるから気持ちがいい。そのうえ、人気女優よりも「格」が高く、泊まるホテルも最上級、警備体制も万全で、御用列車に専用ジェット機ときているから、夢のような待遇だ。

Korean 212d0ebd1f-s










(左: ひょうきんな朝鮮人  /  右: 顔面工事前の朝鮮人女性と工事後の本人 )

  もちろん、賛否が分かれるところだが、一般の日本国民は、このような朝鮮系プリンセスをどう考えるのか? 何があっても皇室を支持する国民は、眉を顰めながらも、じっと堪え忍ぶだろう。だが、こうした外人系プリンセスに業を煮やし、快(こころよ)く思わない国民も出てくるはずだ。例えば、雅子妃は気の進まない公務をキャンセルしたが、友人とのパーティーだと憂鬱にならず、外出の種類によって行動が違っていた。一部の国民はこうした傾向を「我が儘」と見なし、当てこすりで非難する。別の国民は「ご病気なんだからしょうがない」と反論し、保守派国民の間で分裂が起こっているのも事実だ。これが、もし朝鮮系のプリンセスなら、どのような反応が起きるのか? 皇室尊崇を旨とする国民でも、民族的嫌悪感から、朝鮮系のお妃に反撥を示し、「公務怠慢だ !」と言い出しかねない。つまり、日本人のプリンセスなら容認できる事でも、朝鮮系のプリンセスだと我慢できないことがある。事によっては、無意識的に溜まった不満が、ある問題を切っ掛けに爆発することだってあるのだ。普段から押さえつけられている感情は、いつか捌け口を見つけるものである。

Thai 16filipino woman 1Korean woman 4Korean girl 213








(左: 魅力的なフィリピン人女性  / 若いタイ人女性 /  昔の朝鮮人女性 /   右: 現代の朝鮮人少女)

  皇室は日本国民を統合する象徴と見なされている。しかし、アジア系のプリンセスを受け容れる事で、この象徴が分裂の起爆剤となってしまう可能性も否定できない。一般の日本人は殊さら意識していないが、基本的に「日本は日本人の国」と思っている。日本人と言えば、「日本人の両親から生まれてく子供」というのが常識だ。いくら日本国籍を持っているからと言って、朝鮮人の父親とフィリピン人の母親から生まれた子供を「日本人」とは見なさない。また、スカンジナヴィアで生まれ、ノルウェー国籍を持つ娘でも、両親が日本人移民なら、我々はその子を「ノルウェー人」と思わないし、本人だって堂々と「私は北歐人 !」と発言しないだろう。日系人なら、鏡に映った自分の顔を眺めて、「私もヴァイキングの子孫かしら」と思う馬鹿は居るまい。

  日本人は「日本人」の天皇陛下を“当然”と思っている。天皇陛下が浅黒いアフリカ系とか、皇后陛下が朝鮮人あるいは支那人ということを想像できない。しかし、多民族社会が発展すると、帰化人の子供が大量に増殖し、日本人とは思えない顔附きの国民が「普通」になってしまうのだ。移民が大量に流れ込んだドイツ、フランス、ブリテン、スウェーデンなどを見れば判るじゃないか。ソマリア人やイラク人としか見えない人間が、「私はドイツ人です」とか「スウェーデン国籍を持っています」と言えば、大抵の日本人は驚く。黒いチュートン人とかアラブ人みたいな北歐人なんて納得できない。我々だって、コンゴから帰化した黒人とか、イスラム教徒のトルコ系国民を「日本人」と思えないじゃないか。帰化鮮人だって日本の仲間とは思えないし、ちょっとした風習の違いが矢鱈と気になる。朝鮮名だって好きになれないから、日本人が朝鮮人と結婚しても朝鮮名を名乗ることは滅多にない。だいいち、「朴」とか「金」、「崔」なんていう姓になったら嫌じゃないか。朝鮮人には普通でも、日本人からすれば可笑しな名前もある。以前、「金玉」という名前の朝鮮人女性がいたが、こうした女の子が日本に移住したらどうなるのか? 露骨な小学生だと「ワハハ、“きん◯ま”だってさぁぁ!!」と爆笑するだろう。その時、学校の先生や日系人の親はどう対処するのか。ちょっと見物である。何か変な方向に進んだけど、要するに、外国人が皇室に入ると厄介になるということだ。



人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター