無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2018年08月

アジア人役者だらけのチャイナ映画 / 支那人であることが恥ずかしい (前編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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主要配役がみんなアジア人

Crazy Rich Asians 1











(写真  / 「クレイジー・リッチ・エイジア」ン」のキャストたち )

  戦後から平成の初めくらいまで、日本で「洋画」と言えばハリウッ映画で、次々とヒット作や名作が生まれるほど勢いがあった。ところが、最近は感動作が少なくなり、ネタ切れかと思えるほど凋落している。確かに、巨大な制作費を掛け、ふんだんにCGを使っているから、映像だけは鮮やかで豪華だ。しかし、感動が無い。アクション映画は派手なだけで深みが無いし、ラヴ・コメディーを見てもユダヤ人の下品な笑いがてんこ盛りである。しかも、政治的配慮により、銀幕に映し出される役者はストーリーとは関係無く、意図的に黒人やヒスパニックにされているのだ。手荒な殺人鬼や麻薬の売人は白人にする一方で、正義漢に燃えた弁護士や愛国心に篤いFBI捜査官、優秀な大学教授あるいは科学者などは不思議と黒人になっている。現実のアメリカ社会を見れば「えぇぇ~、違うじゃん !」と言いたくなるが、黒人俳優に知能が低いチンピラ役をあてがうと妙にリアルだからNG。

  人権派やソフト左翼が定番のハリウッド役者たちは、心にもなく“現実の社会”を反映するよう、黒人やヒスパニック、アジア人の俳優を起用しろと叫ぶ。が、都合の悪い「現実」には目を閉ざして沈黙を守っている。例えば、北歐系の白人女性を狙って強姦する黒人やアラブ人とか、仲間同士になると黒人を馬鹿にするユダヤ人などは絶対に題材とならず、企画段階で却下だ。また、ヒスパニック国民の比率が上昇した今日だと、不法移民を扱う映画は、“良き”南米人を描かねばならない。メキシコとかホンデュラスから密入国する外来生物は、祖国で頻発する暴力や腐敗から逃れてくる弱者で、アメリカ人が嫌がる3K職場で文句を言わず、真面目に働く勤労者となっている。劣悪な現場で汗をかくメキシコ人のオヤジは、不法滞在を続ける愛しい家族のため、身を粉にして働く大黒柱だ。そして、彼の娘や息子は英語を話せない両親を助ける親孝行な子供であり、地元の学校に通って優秀な成績を収め、大学にまで進もうとする立派な生徒。ハンディキャップを克服して就職した移民は、白人の偏見にもめげず、日夜努力して出世を成し遂げる、といったシナリオが多い。

  一方、不法入国者の外人が辿り着いた田舎町には、人種差別に満ちた白人が住んでおり、真面目に暮らすヒスパニックを迫害したり、白眼視する冷酷な人物として描かれている。ハリウッドの左翼にとって密入国は深刻な犯罪ではなく、日常よくあるスピード違反や駐車禁止よりも軽い「過ち」なのだ。ICE(入国管理局)に怯えながら暮らすヒスパニックは、いつも弱者で家族思いの善人となっているが、摘発する白人の連邦職員は杓子定規の冷血漢。人気TVドラマの「CSI : マイアミ」には、不法移民を扱ったエピソードがあったけど、やはり悪人は意地悪な南部の白人で、被害者は心優しい黒髪のメキシコ人という筋書きである。劇場で観る映画でも不法移民に同情的な脚本が多く、ハリソン・フォードが出演した『正義のゆくえI.C.E.特別捜査官(Crossing Over)』はリベラル派の宣伝映画といっても過言ではない。

  毎度のことだけど、この作品はユダヤ人監督のウェイン・クレイマー(Wayne Kramer)が脚本を手掛け、配給会社はこれまたユダや系の「ワインシュタイン・カンパニー」であった。プロフィール上、クレイマーは南アフリカ出身の作家兼監督と紹介されるが、その種族にまで言及されることは滅多にない。だから、大半の日本人は彼がユダヤ人ということを知らずに作品を観ている。日本の保守系雑誌は米国の事情を“さらり”と述べるだけで、アメリカで有名な論客や学者を紹介することはないから、一般国民は井の中の蛙(かわず)といったところだ。例えば、弁護士でコラムニストのデビー・シュラッセル(Dabbie Schlussel)は、クレイマーのプロパガンダ映画に憤慨し、自身のブログで彼の正体をバラしていた。しかし、日本の映画評論家たちは一切触れることはなかったし、これからもないだろう。(チャンネル桜の前田有一に期待しても無駄である。) ユダヤ系保守派のデイヴッド・ホロウィッツ(David Horowitz)と組むダニエル・グリーンフィールド(Daniel Greenfield)もクレイマーの偽善について暴露記事を書いていたが、『WiLL』や『正論』で紹介されることはなかった。(たぶん、そう思うけど、あったらご勘弁を。)

Debbie Schlussel 1Daniel Greenfield 2









(左: デビー・シュラッセル  /  右: ダニエル・グリーンフィールド)

  ついでに言えば、主役のハリソン・フォードがユダヤ系なのはもちろんのこと、共演者がこれまたすごかった。あの極左俳優のショーン・ペン(Sean Penn)が国境警備隊の役を演じていたのだ。それにしても、我々が観ている「アメリカ映画」なるものは、本当にアングロ・アメリカを反映する作品なのか? なぜなら、ユダヤ人が物語を作って、ユダヤ人役者が演じ、ユダヤ系メディアが宣伝して、ユダヤ人の配給会社が上映し、ユダヤ人批評家が絶讃したりする。これじゃぁ、どこが「アメリカ映画」なのかよく分からない。映画に限らず、製品の質と生産地は「別」と考えるべきだ。例えば、正体不明の雑種牛を神戸で飼育しても、本物と同じA5等級の神戸牛になる訳じゃない。駄馬やロバをイエメンで育てても、高額なサラブレッドにならないのと同じ理屈である。

Wayne Kramer 3Harrison Ford 2Sean Penn 1









(左: ウェイン・クレイマー  / 中央: ハリソン・フォード  / 右: ショーン・ペン )

  こうしたハリウッドでは、あらたな潮流が生まれているそうだ。最近、アジア人俳優を主役にした『クレイジー・リッチ・エイジアンズ(Crazy Rich Asians)』という映画が公開された。この作品はシンガポール生まれの作家であるケヴィン・クワン(Kevin Kwan)の小説を基にした映画で、メイン・キャラクターを含めた役柄が皆アジア人ということで話題になっている。通常、映画のメ主役を張るのは西歐系アメリカ人で、アジア人の役者はよくて準主役、特別な事情がなければ単なる「脇役」程度が定番だ。ところが、米国におけるアジア人の台頭を計算したのか、映画会社がアジア人役者で固めた作品にGOサインを出した。

Kevin Kwan 1(左  / ケヴィン・クワァン )
  原作者のケヴィン・クウァンはシンガポール生まれの支那人で、裕福な華僑の家族のもとで育ったお坊ちゃん。(Lauren Christiansen, "Crazy Rich Asians Author Kevin Kwan on the Lavish Culture of Asia's Upper Crust : The Reality Is Simply Unbelievable", Vanity Fair, June 11, 2013) 彼の曾祖父はシンガポールで最も古い金融機関「華僑銀行」を設立した人物であるという。ケヴィンの小説には、子供時代に起きたエピソードが幾つか盛り込まれているそうで、上流階級の思い出話といったところだ。富裕層に生まれた華僑の子供らしく、ケヴィンは英国風の学校に通い、外見は支那人でも中身は西歐人と思い込んでいる。(いくら英語を流暢に話せるからといって、イギリス人になれる訳じゃないのに、支那人というのは「形式」さえ整っていれば「俺様は英国的紳士」と考えてしまう。実にふてぶてしい連中だ。) ただし、名誉の観念は育たなかったようで、彼は徴兵逃れをしてシンガポール政府から睨まれている。たぶん、懲役を避けたいから罰金で済まそうという考えだ。いかにも支那人らしい発想である。

  映画化された『クレイジー・リッチ・エイジアン』は、一応米国のテレビ局で取り上げられたが、煌(きら)びやかなセットが満載なだけで、肝心のストーリー自体は至って平凡。しかし、左翼リベラルの評論家たちは大絶賛で、出演者たちの才能を褒めちぎっていた。まぁ、アジア人とか黒人を持ち上げることで、「私はレイシストじゃありませんよ !」というメッセージを発しているのだろう。まさか、「こんなつまらない映画なんてお金の無駄使いだ。でも、劇場で昼寝をしたい人はどうぞ !!」と言える訳がない。アジア系アメリカ人からの反応を考慮すれば、嫌でも「推薦」するしかないし、正直に酷評したって利益はないどころか、仕事が減ってしまうから絶対に駄目。日本だって似たようなもので、普段は“辛口”の映画評論家「おすぎ」も、配給会社の意向を察知すると嘘八百のお世辞を述べるらしい。ただ、どうしょうもない駄作の場合は、「セットやキャスティングがとても豪華」と褒めて、作品自体の「質」には触れないよう心掛けている。そう言えば、「食いしん坊万歳」に出ていた梅宮辰夫が言っていたけど、嫌いな郷土料理が出ると、「歯ごたえがありますねぇ~」とお茶を濁し、決して「味」については言及しなかったうだ。だって、料理を作ってくれた人を前にして、素直に「えぇぇ~、こんなの気持ち悪くて食えないよぉぉ~」とは言えまい。嘘も方便だけど、正直は美徳にならず、ということだ。

  批評家の「お墨付き」を得たクウォンの映画は、どこにでもありそうな恋愛コメディーで、昔からあるハリウッド映画のアジア版に過ぎない。特徴といったら、役者を黄色人種にしただけ。もし、これが白人役者を登用した作品なら、全米ロードショーで必ずや失敗するタイプのラヴ・コメで、DVDレンタル専用のB級映画といった感じである。(有名な「ラジー賞Razzie Awards」にノミネートされるんじゃないか。) 映画のストーリーを簡単に言えば、台湾系女優のコンスタンス・ウー(Constance Wu)が演じるレイチェル・チューは、訪問先のシンガポールで文化ギャップに遭遇し、大変な経験をしながらも現地の人々と心を通わせる、というストーリーだ。彼女はニューヨーク大学で経済を教える教授で、同僚の大学教授ニック・ヤングと恋仲となる。そして、ニックと結婚するレイチェルは、シンガポールに住む彼の母親エレノアを訪ねることになるのだが、将来の義母とアメリカ人のフィアンセは育ちや考え方で食い違う。これもよくあるハリウッド製ラブ・コメの設定だ。当初はぎこちない二人だが、やがてエレノアとレイチェルは理解し合う仲となり、エレノアは息子の嫁としてレイチェルを受け容れる。

Constance Wu 2Henry Golding 2Michelle Yeoh 3








(左: コンスタンス・ウー  / 中央: ヘンリー・ゴールディング  /  右: ミッシェル・ヨー)

  お金持ちの坊ちゃん「ニック」を演じるのはマレーシア人男優のヘンリー・ゴールディング(Henry Golding)で、彼は8歳の時イングランドに移住し、大人になってからクアラルンプールに戻って理容師になったという異色の人物だ。一方、不動産業を営む母エレノアを演じたのは支那人女優のミッシェル・ヨー(Michelle Yeoh)で、彼女の出世作と言えば、「007 / トゥモーロー・ネヴァー・ダイ(Tomorrow Never Die)」であろう。ピアース・ブロスナン演じるジェイムズ・ボンドに協力する支那人エージェント役をこなしていた女優である。もっとも、邦画ファンの人には、『SAYURI』の藝者「豆葉(まめは)」を演じた女優として馴染みがあるんじゃないか。この作品では、支那人女優のチャン・ツッィーが主役を務め、共演者には渡辺謙や桃井かおりがいた。ちなみに、この映画はロブ・マーシャルが監督を務めたが、当初、スティーヴン・スピルバーグも興味を示していたという。しかし、友人の映画プロデューサーであるデイヴィッド・ゲフェン(映画会社「ドリーム・ワークス」のユダヤ人)が難色を示し、「嫌な予感がするから、やめておけ !」と助言したそうだ。案の定、『SAYURI(ゲイシャの回想)』はヒットせず、失敗作の烙印が押されて、日本人の記憶からも消え去って行く。さすが、ユダヤ人は同胞の仕事に関しては、偽善的なリベラリストにならず、冷徹なリアリストになる。

Ziyi Zhang 2John Chu 1









(左: チャン・ツッィー  /  右: ジョン・チュー)

  こんな下らない映画を絶讃する評論家なんて、口にするのも穢らわしいが、制作者側にもトンデモない奴が潜んでいた。監督を務めたのはジョン・チュウ(Jon M. Chu / 朱浩偉)という支那系アメリカ人で、『G.I. Joe バック2リベンジ』を手掛けた人物だ。ただし、この続編は興行収入の面で成功したけど、内容的には陳腐の一言に尽きる。要するに、コンピュータ技術をふんだんに使って豪華にしただけのアクション作品だ。卑屈なコメンテイターにはウケたようだが、独立系の批評家からは厳しい評価を受けたらしい。監督もさることながら、『クレイジー・リッチ・エイジアン』のプロデューサーは、もっともっと凄い人物で、ニーナ・ジェイコブソン(Nina Jacobson)という大御所である。彼女は以前、ディズニー社のスタジオ重役を務めており、映画の『パールハーバー』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを手掛けていたことで、その名を轟かせている。しかし、彼女もリストラの嵐に遭ってしまい、ディズニー社をクビになった。しかし、遣り手の女プロデューサーは挫けなかった。ジェイコブソンは独自の映画スタジオ「カラー・フォース(Color Force)」を設立し、大ヒット映画の『ハンガー・ゲイムズ』を生み出すことになった。

Nina Jacobson 2Bruce Cohen & Dan Jinks









(左: ニーナ・ジェイコブソン  /  右: ゲイ・プロデューサーのブルース・コーウンとダン・ジンクス)

  ただし、ジェイコブソンは敏腕プロデューサーであるが、人権を掲げる典型的な極左ユダヤ人。おまけにレズビアンときている。同居するパートナー(女房?)は同業者のジェン・ブリークリー(Jen Bleakley)という女性で、娘のジョジーと息子のノアという二人の子供を育てている。さらに、藝能界にいる同性愛者LGBTのために「アウト・ゼア(Out There)」という組織まで作ったそうだ。刮目すべきは、この団体を一緒に設立したユダヤ人プロデューサーのブルース・コーエン(Bruce Cohen)である。彼は同性愛者が登場する映画『アメリカン・ビューティー』や『ミルク』を手掛けたことでも有名だ。ハリウッドのユダヤ人は、どうしてキリスト教徒が作った西歐社会でゲイやレズビアンを大切にするのか? 保守的なヨーロッパ人を批判する前に、ホモを毛嫌いするユダヤ人社会で同性愛者の「人権」とやらを叫べばいいのに、ことさら異教徒の国で同性愛を擁護する。ユダヤ人には革命家が多いから、けったいな問題児はユダヤ人社会に封印すべきだ。ちょうど、兇暴なブラックバスは美しい琵琶湖に入れず、ブルーギルやピラニアがウジャウジャいる肥溜めに閉じ込めて、共食いさせる方が良いのと一緒。ユダヤ人同士の喧嘩は見物である。

  それにしても、朝鮮人同様、支那人は嘘で固めた映像を作るのが上手で、自分を偉大に見せたいとする虚栄心に満ちている。原作者のクウァンは西歐人への劣等感に苛まれているのか、「シンガポールはマレーシアでもなければ、支那でもない。俺たちの国はもはや小さな漁村じゃないんだ !」と粋がっていた。(Tessa Wong, "Crazy Rich Asians : The film burdened with crazy Asian expectations", BBC News, 18 August 2018) 映画の中では登場人物のアジア人が豪華な邸宅に住み、高級な服に身を包んで、華やかなパーティーを楽しんでいるが、そんな光景はヨーロッパ貴族の生活を再現して、アジア人に置き換えただけの紛い物である。つまり、シンガポールの華僑による稚拙な猿真似ということだ。例えば、白人に憧れる支那人の娘が、どうしても西歐人になりたいと望み、豪華なドール・ハウスを買ってきて、金髪のバービー人形ではなく、アジア人のフィギュアを入れて喜んでいたら、歐米人と日本人はどう思うのか?

  とにかく、支那人はカナダ籍を取得しようが、アングロ・カナダ人にはなれないし、在米歴が半世紀に及んでもワスプ(WASP)にはなれない。よく華麗な在米生活を送る支那人が、白人気取りで流暢な英語を話しているが、たとえブリテン風アクセントで喋っても、所詮それは彼らの言語じゃなく、借りてきた他人の母語である。「選択の自由」を与えられた日本人が英語を学ぼうとすれば、十中八九、支那系アメリカ人ではなく西歐系アメリカ人を選ぶし、英国史を勉強しようとすれば、インド人やエジプト系ブリテン人ではなく、アングロ・サクソン系の教師を望むはずだ。クルマ選びも同じで、ポルシェやBMWを買うときに、ディーラーから「支那製にしますか、それともドイツ人が作ったものにしますか?」と尋ねられれば、絶対に「ドイツ製の方を」と答えるだろう。せっかく大金を叩いて買う高級車が、「メイド・イン・チャイナ」じゃ厭になる。(それに、支那製だと欠陥車かも知れないので不安だ。高速走行中にタイヤが外れそうで怖い。) アメリカ人だって支那製の星条旗では不満だ。やはり、合衆国の国旗はアメリカ製でなきゃ。

Katy Perry 2Christina Aguilera 2Kylie Minogue 1Justin Timberlake 2








(左: ケイティー・ペリー  / クリスティーナ・アギュレラ  / カイリー・ミノーグ  /  右: ジャスティン・ティンバーレイク )

  朝鮮人のポップ音楽にウンザリした日本人なら、支那人の茶番劇を観てアホらしく思ってしまうが、次第に「憐れだなぁ」と思えてくる。しかし、西歐人を気取った朝鮮人だと永遠に分からない。南鮮からやって来るポップ歌手は、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)やクリスティーナ・アギュレラ(Christina Aguielera)、ケイティー・ペリー(Katy Perry)、カイリー・ミノーグ(Kylie Minogue)、ジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake)などを手本にして、いかにもアメリカ風味のミュージック・ビデオを制作しているが、アメリカ人が見れば「猿のコピー・キャット」にしか思えず、大爆笑間違いなし。支那人だらけのラヴ・ロマンスも同じで、お金を払って観るほどの代物じゃない。よく支那人の映画制作者は、西歐白人ばかりが主役で現実の多民族社会を反映しておらず、全く以て「けしからん!」と怒るが、じゃぁ、支那人を主役にしたらヒット作になるのか? カンフー映画なら大丈夫だろうが、ロマンティック・コメディーじゃ間が持たない。5分で飽きる。

Megan Boone 2Kathryn Morris 2Stana Katic 3Emily Deschanel 3








(左: メーガン・ブーン  /  キャスリン・モリス / スタナ・カティク  /  右: エミリー・デシャネル )

  いくら支那人が多いアメリカとはいえ、支那人の女優を看板にしてドラマを作ったら自爆作品になってしまうだろう。例えば、女性を主役にしたTVドラマだと、圧倒的に白人女性が抜擢されている。日本でも人気が出たドラマ・シリーズを思い出せば分かるじゃないか。例えば、『ボーンズ』のエミリー・デシャネル(Emily Deschanel)とか、『コールド・ケース』のキャスリン・モリス(Kathryn Morris)、『キャッスル』のスタナ・カティク(Stana Katic)、『ブラックリスト』のメイガン・ブーン(Magan Boone)などを見れば明らかだ。それに、現実をよく解っているユダヤ人制作者は、主役級のキャラクターに支那人を起用することはない。かつて、ラヴ・コメの女王といったらメグ・ライアン(Meg Ryan)で、彼女が出演した映画『恋人たちの予感(When Harry Met Sally)』は日本でもヒットした。この作品を手掛けたのはユダヤ人監督のロブ・ライナー(Rob Reiner)で、「ハリー」役にはユダヤ人コメディアンのビリー・クリスタル(Billy Crystal)が起用されていた。もし、恋人の「サリー」役にミッシェル・ヨーが抜擢されていたら、誰も見に行かず、劇場には閑古鳥が鳴いていたことであろう。そもそも、冴えないユダヤ人の男とマレーシア生まれの支那人女が惚れ合ったからといって、何が面白いのか? ユダヤ人の観客でさえ興味が湧かず、別の映画を観に行こうと考えるはずだ。

Rob Reiner 1Meg Ryan 1Billy Crystal 2









(左: ロブ・ライナー  / 中央: メグ・ライアン  / 右: ビリー・クリスタル )

  支那人監督の夢が叶ってアジア人主体のハリウッド映画を制作できたけど、本当に楽しんだアジア系観客は、いったい何人いたことか。日本には自らを「アジア人」と思い込んでいる国民が結構いるけど、こうした映画を観て心から共感するお客が多いとは思えない。アメリカで作られた「洋画」なのに、出演者が支那人やマレー人ばかりじゃ、ボリウッド(インド)映画と大した違いは無いだろう。せいぜい地上波テレビでの無料放送が期待されるくらいで、それすら観ない人が大半なんじゃないか。日本を舞台にした『SAYURI』で、チャン・ツッイーが京都の藝者を演じていたけど、それなら故・夏目雅子とか黒谷友香、吉瀬美智子といった日本人女優の方がよっぽど適している。(いま人気の若手女優は誰なのか分からない。 ) 何はともあれ、支那人が日本人を演じると、何となく香港映画に見えてしまう。アメリカ人は気にならないが、日本人が観るとやはり違和感がある。NHKや朝日新聞は頻繁に「アジアの中の日本」と言うが、庶民感覚からすれば「アジアから外れた日本」という気がしてならない。支那人を愛する左翼分子は、遠慮無く日本国籍を捨てて、さっさと憧れの支那に移住すべきだ。

  後編に続く。

 

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偽善のマスコミを信じる日本人 / 国民を誘導するテレビ局

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集団催眠に弱い国民

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  日本人はお役所と大企業を盲信する癖がある。「支那人は嘘をつかない」と信じる馬鹿はいないが、国民に大切な情報を隠す官僚や、視聴者を誘導するテレビ局を信用する日本人は実に多い。“これ”といった根拠も無しに、「有名で大きな企業は不正を犯さない」と頭から信じているんだから呆れてしまう。NHKがどんなに偏っていても、朝日新聞が捏造記事を報道しても、その存在が揺るがないのは、日本人の持つ巨大組織信仰のせいである。こんにち、新聞の販売部数が激減したとはいえ、未だに朝刊の配達を楽しみにしている国民は絶えず、「全国紙が書いていることだから本当だ」と疑わずに妄信している人が結構いるらしい。

  九月に総裁選を迎える自民党では、安倍総理の再選が濃厚で、対抗馬の石破茂は風前の灯火である。次世代のホープと目される小泉進次郎も、沈み行くボロ船に同乗するつもりがないのか、そろ~と足抜けを図り、石破と距離を取っている。まぁ、自分の将来を考えれば、あんなツラの駄馬に政治生命を賭けるアホは居るまい。ところが、「安倍憎し」のマスコミは違っているようだ。何としても安倍三選は阻止したい。心の底から日本人を恨む朝鮮人の如く政敵を呪っている。新聞社の論説委員とか雑誌の編集長が安倍氏を個人的に攻撃するのは勝手だが、それをあたかも「社会正義」の如く掲げるのは詐欺に等しい。もし、「安倍政権打倒」を訴えるなら、「私は学生時代、共産党に共鳴したので、生理的に自民党が嫌いです」とか、「祖父が在日朝鮮人だったので、帰化したとはいえ、家族が受けた屈辱を忘れません。今でも日本人を恨んでいます」、「立憲民主党の支持者なんだけど、人には言えないから、新聞のコラムで自民党批判をしています」と告白してくれたら、読者の方も書き手の立ち位置や根本思想が判るので、社説を読むときに役立つ。ところが、肝心な批判者が正体を告げず、社名の看板に隠れ、「公平無私の透明人間」じゃ狡いよねぇ。

Abe 2Ishiba 1(左: 安倍晋三  /  右: 石破茂)
  一説によると、讀賣新聞の発行部数は約800万部くらいあるそうだが、その信憑性は未だに健在なのか、本当のところは分からない。ただ、自民党の総裁選に関するアンケート調査には首を傾げたくなる。自民党の総裁選挙は、自民党の一般党員や所属議員の投票で結果が決まるはずだが、なぜか新聞社は「無党派層」のアンケート結果を報道し、「石破への支持が多い」と評しているのだ。これを聞いた一般読者は、「えっ、自民党員以外の一般人でも投票できるの?」と勘違いしてしまうだろう。讀賣新聞の記事によれば、無党派層における石破氏の支持率は46%で、安倍総理は21%に過ぎない。そして、男女別の調査によると、安倍総理を支持する男性は51%で石破氏だと35%、女性の方は、安倍支持が34%、石破氏には37%となっていた。安倍総理を支持しているのは、40歳以下の若者と70歳以上の高齢者で、石破支持者の中核は50歳から60歳の人であるらしい。つまり、新聞やテレビしか頼れる情報が無く、社説に同調する人々が石破支持に廻っているのだろう。

  各都道府県にいる自民党の一般党員が安倍氏に投票しようが、石破氏に乗り換えようが、それは党費を払って自民党を支えている人が決めればいいことで、党員になっていない人に向かって、「誰が自民党の総裁に相応しいか」なんて尋ねるのはお門違いだ。「無党派層」とは部外者に過ぎず、投票権を持たない人々である。アンケート結果を載せた編集部に訊きたいが、讀賣新聞の社長を一般の通行人が決めてもいいのか? 株主でもない一般人が讀賣の本社を訪ねても、「帰れ、どアホ!」と門前払いを喰らうだけだろう。たぶん、讀賣新聞の狙いは、一般国民に安倍総理への不満が募っているんだぞ、と囁きたいのだろう。しかし、それは新聞社が煽ることではなく、一般国民が”自分で”判断することだ。「俺のところは大新聞なんだから、間抜けな庶民は我が社の方針に従え」という態度じゃ読者の反感を招くだけである。

刺青を推奨するマスメディア

  日本のマスコミは真の意図を隠しながら、一般国民を一定の方向に誘導する性癖がある。以前、当ブログでも言及したが、地上波テレビや大手のマスコミは、日本社会に刺青文化を定着させたいようだ。(過去記事A記事B記事Cを参照。) ついでに言えば、筆者はマスコミがよく使う「タトゥー」というカタカナ言葉が嫌いである。ちゃんと日本語で「刺青(入れ墨)」という言葉があるのに、彫った人々に気兼ねしたのか、頻繁に「タトゥー(Tattoo)」と言い換えるので、聞いていて腹が立つ。おそらく、テレビ局は「刺青」という“ドキッ”とする響きが嫌いなんだろう。一般人はどうしても刺青とヤクザを重ねてしまうので、プロデューサーが故意に馴染みのある日本語を避け、外国語を用いているのだと推測できる。制作者側の指示に従うゲスト・コメンテーターも、揃って「タトゥー」を用い、決して日本語の「刺青」を口にしないよう心掛けているのだろう。

  テレビ藝者の俳優とか歌手はどうでもいいけど、脳科学者の茂木健一郎が、一部の藝人が彫った刺青に関して持論を述べていたので、彼の発言だけは見過ごせない。(「茂木氏、タトゥー差別に問題提起『日本の国際的恥』 2018年8月24日附「日刊スポーツ」) なぜなら、茂木氏のような有名人は別の影響力があるからだ。大半の日本人は学歴劣等感や権威崇拝心が強いせいか、矢鱈と大学教授や科学者に対して盲従しやすい。確かに、茂木氏は脳科学の分野においては優秀な研究者なんだろうけど、一般社会の常識には疎いようだ。茂木氏は日本の温泉施設や水泳プールが刺青者を拒んでいる事を知って、「いわれなき差別は撤廃すべきだ。インバウンドのお客さんも増えている今、放置すれば日本の国際的恥である」と指摘した。茂木氏が言うように、なるほど、刺青を彫った人間が全てヤクザ者とかゴロツキとは限らない。しかし、以前の日本ではカタギの人間が刺青を彫るなんて考えられず、もし、刺青を彫るとすれば、それは遊び人とか、沖中仕(おきなかし)あるいは艀人夫(はしけにんぷ)といった下層筋肉労働者、それでなければ街のチンピラとか暴力団員といった裏社会の人間くらいだった。

Mogi 001(左  / 茂木健一郎 )
  茂木氏は「親からもらった身体を傷つける行為」を口実に挙げて、利用者の制限を行っている施設に反論し、こうした意見を「論理的に脆弱」で「批判的思考の深刻な欠如」と斬り捨てていた。確かに、温泉施設側の根拠は説得力に欠けるところがある。刺青を彫る人を譴責するのは、その人の親であって、温泉施設の経営者ではない。温泉施設側の本音は、刺青者が来店すると店の雰囲気が悪くなり、カタギの常連客が減ってしまうことにある。家族連れが訪れる温泉旅館に、刺青を彫った外国人や柄の悪い日本人がやって来れば、大浴場でその絵柄を披露することになるから、子供を持つ親は二度と来なくなる。いくら外国では“普通のファッション”とはいえ、一般家庭の日本人からすればヤクザの風習と同じである。

  例えば、幼い息子と一緒に露天風呂に浸かる父親が、刺青を彫った日本人を見ればギョっとするし、子供を心配する親なら、少しづつ離れようとするはずだ。一緒に来た女房や娘だって厭な顔をするし、「大浴場に行きたくない」と拗(す)ねるだろう。また、いくら外国人とはいえ、胸や首筋にまで刺青を彫った南米人を目にすれば、せっかくの温泉気分が台無しだ。それにもし、幼い息子が大声で「パパ、あのオジさん、胸に蜘蛛の絵が描いてあるよ」と言えば、小声で「コラっ ! 、そんなこと言っちゃ駄目だよ」と叱るしかない。それに、不気味な外国人を見かけた息子や娘が「パパ、何となく怖い!」と怯えたら、料金を払って旅館に泊まった意味が無いじゃないか。温泉の経営者は、こうした「現実」を分かっているから、テレビ局や雑誌の「お説教」なんか無視する。だいたい、刺青外人の来店で日本人客の数が減ったら、評論家やテレビ局は責任を取ってくれるのか? 綺麗事を言う番組制作者は、スポンサー企業に刺青文化を推奨すればいいじゃないか。例えば、入浴剤の製造会社(「ツムラ」とか)に、刺青を彫ったコロンビア人をCF(映像宣伝)に使ってみたら、と助言してみろ。局の専務や常務、営業局のお偉方が真っ青になって駆けつけ、「今回の御無礼を何とぞお赦しください!」と土下座する破目になるんだぞ。番組のチーフ・ディレクターは間違いなく左遷だろうなぁ。

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  茂木氏は刺青者の排除を「国際的な恥」と主張するが、西歐人だって刺青を彫った人間を観れば、マフィアの構成員とか南米やロシアからの下層移民じゃないかと考えるはずだ。確かに、アメリカでは一般白人でも刺青を彫った人物は多い。1990年代になってから急速に刺青文化が拡散し、一般人でも藝人を真似て気軽に彫る人が増えた。今では信じられないが、1980年代まではロック・ミュージシャンでも刺青を彫っている人は少なかった。筆者の記憶だけど、任期ロック・バンド「メタリカ(Metallica)」のジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)は腕に彫っていなかったし、「アイアン・メイデン」のスティーブ・ハリス(Steve Harris)やデイヴ・マレー(Dave Murray)も彫っていなかった。ドイツ人ギターリストのマイケル・シェンカー(Michael Schenker)は、ちゃんと両腕に刺青があるけど、UFOやMSG時代の昔は無かった。「ガンズ・アント・ローゼス(Guns N' Roses)」のアクセル・ローズ(Axl Rose)くらいの世代から流行しだし、「アヴェンジド・セヴンフォールド(Avenged Sevenfold)」に至っては最初から全員が彫っている。

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(左: 刺青を自慢するモデル /  右: 企業のマークを刺青にした一般人)

  現在の歐米社会では、女性でも気軽に彫って見せびらかす人が多いし、禁止や反対を示さない親も普通になっている。ただし、刺青を彫った人の血筋や家系、社会的地位、職業、学歴、趣味、性格を注意深く調べてみると、下層階級や低学歴・低所得者、躾の良くない家庭で育った者、左翼の親を持つ者、離婚や別居で崩壊した家庭の子供、傷痍軍人、水商売の従業員などに多いことが判る。敬虔なキリスト教徒の家庭に育った若者や上流階級の子供、大企業で管理職に就くエリート社員、法科大学に通う地方名士の息子、名門大学の伝統ある友愛会に所属する女子学生、国際金融機関の上級ディーラーとか大手保険会社の重役には、刺青者を見つけるのが難しく、各人を丸裸にするしかない。それでも発見できない場合があるから、刺青を彫った者と関心が無い者との間には、透明だが厳然とした境界線があると考えるべきだ。

  なるほど、日本を訪れる観光客で墨を入れている外国人は多いが、その家庭環境や職業・経歴は明らかではない。しかし、一般の日本人が背中に天使の翼を彫ったり、胸元に髑髏マークを彫った外人を見かけると、ちょっとその人の品性を疑ってしまうことがある。日本人は西歐白人ばかりに目を奪われ、中東アジア人に気付いていないが、敬虔なイスラム教徒だと刺青を忌み嫌う人が珍しくない。西歐化されていないトルコ人やアラブ人の親は、息子や娘がファッションで龍とか漢字を彫ることを許さないし、異教徒の十字架なんか彫ったら勘当だ。世界各国にはそれぞれの風習や宗教があるので、刺青を容認するのが世界的趨勢だと思うのは間違いである。ただし、刺青を彫っている外人を観て、即座に拒絶するのも肯定できない。それでも、一般的に刺青のイメージは良くない。例えば、日本人に英語を教えてくれる西歐白人の先生で、首や腕に墨を入れている人は少ないじゃないか。有名大学や英会話学校は世間の評判を気にするから、刺青を彫った教員は採用されないはずだ。茂木氏は刺青を嫌う日本人の感性を批判するが、歐米の学界で見かける科学者の何割が刺青者なのか、具体的な人数を教えてもらいたい。もちろん、刺青をした科学者だっているだろうが、その両親や配偶者、子孫までが背中や肩に刺青を彫っているのか? 日本の常識的学者なら、まず刺青者はいないだろう。仮にその家族に会っても、奥方は良家のお嬢さんだったり、御子息は名門私立の優等生だったりする。彼の友人を捜しても、刺青を彫っている者は皆無というケースだってあるだろう。

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(左: 顔に刺青を彫って後悔した女性  / 右: 脇の下に刺青を彫って自慢する女性 )

  日本では未だに刺青が忌み嫌われており、都市銀行や証券会社、総合商社で働く幹部社員で、刺青を彫っている人なんかいないし、もし彫ったら昇進は望めないだろう。お客と直に接する営業部や窓口の一般社員なら即アウトだ。たとえ、手の甲に「信用第一」と彫っても、一瞬で信用を無くすぞ。偏見を無くそうと呼びかけるテレビ局だって、刺青をした新人アナウンサーは採用しないし、もし刺青者が採用試験に臨んでも、無条件で弾かれてしまうだろう。だいたい、ニュース番組やバラエティー番組に登場する女子アナが、首筋や腕に薔薇とかハートの刺青を彫れば、視聴者からの抗議が殺到するはずた。スポンサー企業だって「何で、あんな社員を番組に出すんだ !」と怒りを露わにするだろう。外見による偏見を撲滅しようと叫ぶテレビ局は、一般国民に説教していないで、自ら率先して刺青社員を起用するべきだ。マイク・タイソンみたいに顔に刺青を彫った女子アナがいてもいいし、腕にびっしりと刺青を彫った司会者かいてもいいだろう。また、局内でふんぞり返る重役たちにも、「オタクのお嬢さんに刺青でもどうですか?」と尋ねてみるべきだ。ただし、どんな反応が返ってくるかは想像できる。

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  テレビ局や新聞社が政治プロパガンダを垂れ流すのは勝手だが、宣伝する前に本音を明らかにすべきだ。非現実的な建前論を以て世論を操作するのは卑怯としか言いようがない。日本の倫理道徳を破壊したいなら、「手前どもは日本社会を腐敗させて、共産主義革命を実行したいのです」と正直に話し、一般国民の偽らざる反応を受け止めねばならない。本当に刺青文化を普及させたいのであれば、まずテレビ局社員が顔や腕に刺青を彫って、世間に認めてもらえばいいのだ。それをせずに、一般視聴者に「偏見を持つな!」はおかしい。フジテレビの社員は、せっかく自社のシンボルマークがあるんだから、みんなで額に彫ってみたらどうか。でも、フリー・アナウンサーを狙う女子アナや、他局へ転職を考えるベテラン社員もいるから、フジの刻印はマズいかも。なら、日の丸にでもするか。全国共通だしね。



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