無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2018年12月

古谷経衡は元「ネット右翼」? / 有名になりたかった変節漢

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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チャンネル桜を踏み台にした元「保守派」の著述家

Furuya 1  今月27日の朝、偶然テレビをつけていたらテレ朝の『モーニング・ショー』が映っていて、以前チャンネル桜に出ていた古谷経衡(ふるや・つねひら)がゲストに呼ばれていたので、「あれっ!」と少々驚いた。筆者は古谷氏の意見に興味が無かったので、彼の著作を購入したり、新聞に掲載したコラムを熱心に読んだことはない。ただ、チャンネル桜の水島社長が朝日新聞に載った彼の記事を紹介していたので、「左翼陣営に鞍替えしたんだなぁ」と思う程度だった。古谷氏がどんな著述活動を展開しようが筆者の知ったことではないが、『モーニングショー』に出演し、玉川徹を前に「ネット右翼」なるものを語っていたので、「何だ、こいつ!」と思ってしまったのが正直な感想である。

  調べてみると、古谷氏は今回の番組以外でも民放の番組に出演し、評論家としてコメントを述べているようだ。チャンネル桜の「さくらじ」でキャスターをしていた頃と比べれば、「随分有名になったんだなぁ」と思えてしまう。あの頃はまだ駆け出しの素人で、大した知識も無く、ネットで話題になった社会問題を論じるくらいだったのに、今では政治問題のご意見番を気取って、「ネット右翼」や保守派言論人を批判しているんだから大したものである。最近まで知らなかったんだけど、古谷氏は「オフィス・トゥー・ワン」というタレント事務所に所属しているそうだ。ここには久米宏とか長谷川幸洋、森永卓郎が所属しているから、古谷氏がテレ朝に出演できた理由も納得が行く。昔、久米宏がキャスターを務めていた「ニュース・ステーション」は、オフィス・トゥー・ワンが仕切っていたから、テレ朝とは今でも太いパイプがあるんだろう。古谷氏は以前からテレビの世界に憧れていたというから、こうした事務所に入ったのは当然なのかも知れない。

  古谷氏がテレビ番組に登場して何を評論しようが勝手だが、元「ネット右翼」の著述家で、保守論壇に通じているとは笑止千万だ。彼の分析によると、「ネット右翼」と呼ばれる人々は、平均年齢が40歳から50歳くらいで、零細企業の経営者とか管理職、医者などが多いらしい。一般的に想像されているような、引きこもりの若者とか低所得者のブルー・カラーではなく、比較的お金に余裕がある人々であるそうだ。どのような調査で判明したのか分からないが、「ネット右翼」の人口は約200万人くらいらしい。そして、彼らには特定の思想とか主義主張は無く、保守派知識人の言説を鵜呑みにして盲従するのが特徴であるという。古谷氏が最も強調していたのは、「ネット右翼」の「韓国、中国、朝日新聞嫌い」という点である。この三つの内、一つでも好きなものがあれば「左翼」か「パヨク」になるそうだ。

  まぁ、一生懸命お勉強して、大所高所から「ネット右翼」を批判しているんだろうげど、南鮮と支那と朝日新聞を嫌いだと「ネット右翼」になってしまうなら、健全な日本人はほとんど「ネット右翼」になってしまうだろう。ただし、パソコンを使わない人でも、この三つを嫌いな人はいるから、“ネット”右翼ではなく「通常右翼」となる。古谷氏の定義に従えば、筆者も「ネット右翼」に分類されてしまうが、筆者は根拠も無しに朝鮮人や支那人を「嫌い」なんじゃない。ちゃんとした理由があるから嫌いなだけだ。たとえ、朝日新聞の支持者から「右翼」とか「極右」と呼ばれても、不愉快な連中は“嫌い”だし、はっきりと「キライだ!」と言っても赦される日本社会は素晴らしい。

  一方、朝日新聞の社員は一般国民のように、朝日の記事を「変だ!」「偏っている!」「間違っている!」と公言できるのか? 彼らの中には、上司や重役の目を気にしながら自分の意見を押し殺し、「生活と給料の為だ」と自分に言い聞かせたり、「出世が第一」と割り切って会社の方針に隷従している者もいるはずだ。朝日の社員だって内心では「おかしい」と気付いているだろう。例えば、在日朝鮮人とか帰化鮮人が罪を犯して逮捕されたとき、テレ朝や朝日新聞は通名だけを報道し、本名を隠すことがよくあった。若い社員だと、「どうして朝鮮人には特別なんだ?」と一般人から訊かれ、答えに詰まってしまうだろう。また、テレ朝の社員は私生活で不愉快な朝鮮人とか図々しい支那人と出逢って「何だ、あの野郎!」と思っても、「朝鮮人や支那人の全員が悪い訳じゃない!」と自己抑制している。だが、自分の祖国で生まれ育ち、故郷や東京で働き、言論の自由まで保障されているのに、支那人や朝鮮人に遠慮して本音を公言できないなんておかしい。案外、テレビ朝の局員とか朝日新聞の社員の中に、支那人や朝鮮人を嫌う「ネット右翼」がいて、匿名でネットに書き込みをしているかも知れないぞ。あるいは、「ネット右翼」を装って、わざと「ヘイト文言」を書き込み、「みなさん、ヘイト・スピーチを行うネット右翼が急増中です!」とヤラセ記事を書く社員がいないとも限らない。「サンゴ事件」を想い出せば分かるだろう。

  昭和の頃、戦前の意見を戦後になって翻した「変節の知識人」というのがいた。もしかすると、古谷氏は平成の変節漢なのかも知れない。チャンネル桜に出演していた頃は、借りてきた猫よりもオドオドして、慎重に保守派路線をなぞっていたけど、チャンネル桜から離れてオフィス・トゥー・ワンに入ってからは、テレビ局が好む左翼路線に変更したようだ。彼は「ネット右翼」と訣別し、過去を反省するかのように保守派を批判する。例えば、古谷氏は小林よしのりの『戦争論』を論評したとき、作者がネタ本にしていた渡部昇一先生の『かくて昭和史は甦る』を取り上げていた。渡部先生の著書を批評するのはいいけど、「渡部史観」なるものを作り上げ、幼稚な視点で酷評していたのは赦せない。

  例えば、渡部先生が示していた朝鮮統治の評価についてである。古谷氏によると、渡部先生は日本の帝国主義的傾向と植民地支配からの利益に言及していないそうだ。明治国家にとって台湾支配は「金のなる木」であったという。例えば、台湾銀行などは植民地経営の余剰金を日本に送っていたから、日本は利益を得ていたそうだ。この若手批評家によると、朝鮮統治も同様らしい。確かに、朝鮮支配は日本からの持ち出しの方が多かったが、大陸への進出にとって重要な軍事的橋頭堡になっていたから、植民地における収奪の多寡を以て善政・悪政と判断するのは「論外」らしい。(古谷経衡「ネット右翼の『思想的苗床』となった『戦争論』と再検証する」 ネット右翼十五年史 (3) 1998年夏」、現代ビジネス・オンライン、2017年10月3日) 朝鮮統治の検証をすると長くなるので省略するが、仮に「植民地支配」であっても、支配された朝鮮人にとっては、朝鮮史に類を見ない黄金時代であり、日本人による“収奪”なんて微々たるもんだ。こんな「植民地支配」ならインド人やアフリカ人は、「俺たちの国も日本の植民地にしてくれ!」と懇願するだろう。

  古谷氏の見解に一々反論するのは馬鹿らしいけど、もう一つだけ紹介する。彼は渡部先生の歴史用語にもイチャモンをつけていた。古谷氏は次のように述べる。

  この本で渡部氏は、一貫して中国大陸の人々を「シナ人」と呼称し、冒頭の付記でも「中国という語は、東夷、西戎、北狄、南蛮といった蔑称に対する概念として用いられる美称であり、日本においては拒否されるべき」と記している。・・・この理屈は、現在のネット右翼の間でも「シナ人が~」の呼称が一般的なように、極めて普遍的にみられる倒錯した用法である。既にこの時点で、のちにネット右翼につながる無根拠なヘイト的世界観の片鱗が存分に伺えるのである。(古谷経衡 「『日本は負けたけど勝った』 現実を見ない『自称保守』の淵源」、現代ビジネス・オンライン、2017年10月12日)

  「支那」という呼称については筆者も『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』(第4章, pp.174~189)で詳しく述べたから、ここでは繰り返さない。古谷氏に説明しても理解できないだろうが、そもそも日本人が「中国」と呼べば、広島や島根、山口あたりを思い浮かべるのが普通だろう。そもそも、日本人が日本の慣習で話して何が悪いのか。「中国」というのは「日本」にある地域だ。例えば、日本人のドライバーが中国自動車道を利用するからといって、パスポートを用意してクルマを運転するのか? また、「中国銀行」といっても岡山県にある“日本”の地方銀行で、決して北京や上海を拠点(本店)にする金融機関ではない。以前、関東銀行とか九州銀行があったから、中国銀行という名称もおかしくはなかった。一般国民が「支那」を蔑称と考えてしまうのは、外務官僚や左翼学者のせいで、彼らが北京政府に阿(おもね)ったからである。

  「鮮人」禁止も同じ理由で、在日朝鮮人が「チョーセン」という響きを極端に嫌ったから、マスコミや学者が「禁句」にし、何も知らない一般人が追従しただけだ。冷戦時代、東西ドイツを呼ぶ際に「西独」や「東独」という略称は許されていたのに、なぜ朝鮮に関しては「南鮮」と「北鮮」をタブーにするのか? 常識的に考えて納得できない。マスコミの鮮人贔屓は念入りで、「朝鮮語」を避けて「韓国語」を愛用しているが、言語名は国名と一致するとは限らない。例えば、イラン人が喋る言葉は「ペルシア語」だし、スイス人はフランス語やドイツ語、イタリア語を話している。ドイツ人が使っている言語は、第三帝國時代でもワイマール共和国時代でも、大正時代でも「ドイツ語」だ。ドイツに詳しかった森鷗外が「ワイマール語」と呼んだことがあるのか? オーストラリアの国民が喋っているのも「オーストリア語」じゃなく「ドイツ語」だ。「オーストリア・ハンガリー語」なんて呼ばないぞ。こんな事くらい冷静に考えれば直ぐ解るじゃないか。だいたい、朝鮮人はドイツ人と違って“どこ”が「特別」なんだ? マスコミは理由をはっきりと述べるべきだろう。

  一端の評論家気取りなんだろうが、古谷氏の言論には軽薄なところが非常に多い。例えば、最近、彼は文化放送のラジオ番組に出演し、ゲストの竹田恒泰と一緒に皇室問題について語っていた。司会者が皇位継承問題に触れたとき、古谷氏は「女系天皇でもいいんじゃないか」とか、「女性宮家の創設には賛成」と述べていた。チャンネル桜の視聴者が聞けば、「おい、何だ、その考えは!」と憤慨するだろう。こんな見解なら巷の左翼評論家と変わらないじやないか。個人的な意見だから仕方ないけど、それならチャンネル桜に出演したとき、水島社長の前で堂々と持論を表明すればよかったじゃないか、と言いたくなる。また、竹田氏が陛下の宗教的側面について言及したとき、古谷氏は「天皇は宗教的な存在なんですか?」と尋ねていた。聞くところによると、現憲法では天皇が宗教的存在との記述は無く、「国民の象徴」としか書かれていないからだという。

  もう、馬鹿らしくて反論する気にもなれない。彼に西歐の憲政史を説明しても無駄だから言わないけど、簡単に言うと、当り前過ぎることは憲法に書く必要は無いのだ。例えば、イングランドの君主がキリスト教徒であることは“当り前”だから、カトリックとかプロテスタントの宗派に関して記述しても、貴族院や士族院の議員が自国民の誤解を懸念して、制定法にわざわざ「王様はキリスト教徒なんですよ!」と明記することはない。子供だって女王陛下がアングリカン教会の首長であることは知っているし、国家元首であることも承知している。日本人だと「自衛隊は軍隊なのかなぁ?」とか「国家元首は天皇か、それとも総理大臣なのか?」と迷ってしまうが、イギリス人なら「英国軍の総帥は国王で、誰が見ても国家元首」と分かっている。占領憲法を半世紀以上も温存している国民とは違うのだ。アメリカ人だって憲法の基本は分かっている。古谷氏にアレクサンダー・ハミントンやジェイムズ・マディソンの憲法観を話しても解らないから、結局は馬の耳に念仏になってしまうだろう。それでも説明すれば、憲法に記すのは基本的な事柄に限る。日本国憲法のように、個人の結婚についてまで明記する根本法なんて異常だ。

  左翼メディアで重宝されている著述家なんて論評する価値も無い。しかし、こうした男が「若手の保守派」を装って、チャンネル桜に出ていたんだから腹が立つ。結論を言えば、水島社長は古谷氏に利用されたということだ。つまり、古谷氏は無名人から有名人になるため、テレビ番組を運営する有力者に取り入り、顔と名前が世間に知れるや、“頃合いを見計らって”ポイ捨てにした、ということだろう。昔、西部邁も宮崎哲弥に利用されていた。まだ、無名の若造だった宮崎は、有名だった西部氏に近づき、彼が喜びそうな言論を吐いて可愛がられていた。宮崎は「ジジイ殺し」のコツを摑んでいたから、西部氏に同調し、「保守派」を名乗って左翼知識人を批判していただけだろう。筆者は準備号から西部氏の『発言者』を購読していたので、いかがわしい宮崎の正体が直ぐに判った。ちなみに、『発言者』は保守派雑誌とは程遠く、常連執筆者は三流知識人ばかり。無味乾燥な文章を書き連ねる佐伯啓思とか、「パンク右翼」を自称する福田和也、憲法学の業績が無い憲法学者の八木秀次、民主党を支持する官僚上がりの榊原英資などウンザリするような面々だった。そこに、根暗の歴史家、保阪正康が連載を持っていたんだから、雑誌が行き詰まるのも当然だ。

  チャンネル桜の水島社長は、若者を育てるつもりで古谷氏にチャンスを与えていたのだろうが、本人は水島氏を踏み台にしただけだった。本籍は左翼でも有名になりたいから、保守派メディアに潜り込んでくる奴は多い。中西輝政などは三重大学や静岡県立大学にいた頃、岩波の『世界』や『月刊社会党』に招かれる同志だったのに、冷戦終結間際になると「ヤバい!」と思ったのか、『正論』や『諸君!』に鞍替えして「保守派論客」に成りすましていた。加地伸行も同類で、支那人に媚びるチャンコロ屋なのに、保守派雑誌で知られる『月曜評論』に登場し、メジャーな紙媒体である『正論』、『WiLL』、『産経新聞』に進出して「伝統保守」を名乗っていた。小粒ながら古谷氏も同系の著述家だ。

  ただし、古谷氏の場合、一般的に云う「知識人」とか「言論人」とはちょっと違う。彼がテレ朝の番組に起用されるのは、「こんな若い人が朝日路線に賛同してますよ!」と視聴者に仄めかすためだ。進歩的文化人の没落と左翼知識人の老齢化に悩む朝日にしてみれば、フレッシュな左翼世代は大歓迎。有名人になりたがっている古谷氏はまさに適役だった。社会問題を取り上げるワイドショーには、教養のカケラも無い幼稚な藝人が雁首を並べているから、俄(にわか)仕込みの知識を披露する古谷氏でも結構“知的”に見える。たぶん、古谷氏は一端の「知識人」に見えるよう計算しながら喋っているのだろう。彼が出演したある番組の動画をYouTubeで見たけど、その中で彼が軍事問題を論じていたので笑いそうになった。「出演前に一生懸命お勉強したんだねぇ~」と思えるような説明だったから反論する気にもなれなかった。まぁ、目くじらを立てずに「憧れの職業に就けたんだから良かったじゃないか」と温かく見守ってやるのが“大人の対応”なんだろう。今回、筆者が古谷氏のようなテレビ藝人を取り上げたのは、水島社長に同情したからだ。水島社長は自分の財産と時間を使ってインターネット放送を運営し、各地で政治活動や抗議デモを行っている立派な日本人である。このような人物を利用して出世した古谷氏を一般国民はどのように考えるのか? 筆者は日本に害をなす支那人や朝鮮人をちょくちょく批判するが、もっと嫌いなのは古谷氏のような日本人の方である。

  

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皇室との絆が薄れる未来 / 陛下と国民が違う種族に

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平成の終わりが伝統的日本の最期になる?!

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  今月の天長節を祝った日本国民は、どんな気持ちで陛下の御言葉を耳にしたのだろうか? 長い統治を振り返ると、天皇陛下も色々な出来事を想い出すようだ。陛下からメッセージを賜った日本人も感極まったんじゃないか。宮城(きゅうじょう / 所謂「皇居」)に集まった国民の中には、陛下の御譲位を惜しんで咽(むせ)ぶ人も居たはずだ。陛下のご尊顔を拝する日本人には自然と涙が溢れてくる。普段、皇室を意識しない人でも天皇陛下を目にすれば、思わず背筋が真っ直ぐになるし、最初は気恥ずかしくても、皆と一緒に「天皇陛下、万歳 !」と叫べば段々と声が大きくなる。有名大学の学者どもが何と言おうと、やはり、陛下は日本の国父である。

Al Grassby 1(左  /  アル・グラスビー)
  こうした君民一体の光景が見られる日本は本当に素晴らしい。1970年代のオーストラリアで移民省大臣を務めたアル・グラスビー(Albert Jaime Grassby)は国民の統一を願い、「家族のような国民(Family of the Nation)」を看板にしたが、オーストラリア国民は纏まらなかった。というのも、当時のオーストラリアは白豪主義を放棄し、大量の異民族を受け容れていたからだ。主流民族であったアングロ・ケルト系国民は、東歐や南歐からやって来る移民とは人種的に違っていたし、非西歐系の移民もイギリス文化に同化できるとは限らなかった。大半の移民は自分達の慣習を守り続け、冷たい感じのするイギリス文化に順応しようとは思わなかった。第一、このスローガンを掲げていたグラスビー自身が移民の息子で、彼の父親はチリ出身のスペイン人。彼は血統的劣等感ゆえにイギリス人への憎しみを抱き続けていた。どおりで、アングロ・ケルト系の国民が反撥した訳だ。(グラスビーが二度目の選挙に出たときに、数多くの脅迫状が自宅に舞い込んできたらしい。)

  多民族主義で沈没したオーストラリアとは異なり、昔の日本は移民や難民を制限したことで多少救われることがあった。国内には皇室廃絶を叫ぶ左翼や、陛下を呪う朝鮮系住民もいたが、大半は皇室存続を望む国民で、君主の居ない共和政体など想像もしなかった。とりわけ、昭和天皇は絶大な人気を誇っていたので、NHKや朝日新聞がどれほど皇室を侮辱しようが国民の敬愛は少しも揺らぐことはなかった。小室直樹先生も力説していたが、日本人が抱く尊崇の念は他に比類が無く、戦前だと共産主義者でさえ、皇室廃絶となれば躊躇いを覚えたそうだ。西歐のキリスト教徒も皇室について学べば、その偉大さに驚愕するかも知れない。救世主たるキリストは復活後、ディディモと呼ばれたトマスの前に現れたくらいで、その後は音信不通。大教皇のグレゴリウス1世の寝室にも現れなかった。ついでに言えば、疑り深いトマスは槍で突かれたイエズスの脇腹の傷口に指を入れて、本当に復活したんだと信じたそうである。(ヨハネによる福音書第20章24-29節)

  カトリック教会だと、天主と信徒の間に神父とか教皇が介在するけど、日本国民と天皇陛下の間には、直接の対面を阻むものは一切無い。陛下は神様の子孫で、最高司祭にして国家元首、しかも陸海空軍を統率する大元帥である。これに加えて、慈悲深き国父ときているから頭が下がる。まともなアメリカ人なら羨ましくてしょうがない。なにせ、アメリカの国家元首ときたら尊敬に値しない奴ばかりが選ばれる。ビル・クリントンは恥知らずの助平だったし、バラク・オバマは誰が父親なんだから判らない赤い黒人マルキスト、ドナルド・トランプは国民の半分から嫌われている大魔王なんだから。彗星に願いをかけても、ジョージ・ワシントンみたいな大統領は二度と現れない。残念 ! (波田陽区はどこに行ったのかかなぁ。)

  アメリカ人は共和政を誇っているが、黒人やヒスパニック、アジア人、アラブ人の国民にしたら、いくら笑顔を振りまいても白人の大統領なんて所詮は赤の他人だ。アメリカ国民同士にも連帯感は無く、支那系移民と朝鮮系三世に“同胞意識”なんて芽生えたことはないし、両者とも黒人が大嫌いで、犬猿の仲となっている。また、白人と黒人の溝が海より深いことは世界的に有名だ。例えば、ハリケーンが荒れ狂って黒人が宿無しになっても、白人は「黒い国民」を助けることはなく、「政府が何とかしろ!」と丸投げ。日本人のような同胞愛は無い。大統領が惨状を視察に来たって、「どうせ票集めだろう」と陰口を叩く者が多い。日本だと、天皇陛下と皇后陛下が被災地をご訪問になり、「大変でしたね。何か困ったことは?」と温かい言葉をかけてくださる。一方、心の傷を癒やされた被害者は感激して涙をこぼす。政治家は薄汚い下心を隠して親切にするが、天皇陛下は無私の精神で、心から国民を心配していらっしゃる。正常な日本人は、こうした陛下の純粋なお心遣いを察知するから、理屈抜きで皇室の有り難みを実感するのだ。

  ここで一つ疑問なのは、帰化人を対象にした皇室に関するアンケートが今までに有ったのか、無かったのかという点である。かなり前から、日本に住みつく朝鮮人や支那人はそれとなく日本に帰化しており、それに伴って日鮮や日支の混血児も増えている。しかし、なぜか大手の研究所による意識調査というものを聞いたことがない。もしかしたら存在するのかも知れないが、一般的には知られていないはずだ。日系日本人からすれば、帰化人の同化は“どのようなもの”なのか、とても気になる。例えば、帰化鮮人は天皇陛下を尊敬しているのか? もし、尊敬している者がいるというなら、全帰化人の何パーセントに当たるのか是非知りたい。というのも、皇室を「嫌い」とか「憎い」、あるいは「廃絶すべし」、「関心が無い」、「どうでもいい」という回答なら容易に推測できるが、「皇室が好きだ」とか「陛下に敬意を持っている」と述べる元在日朝鮮人がいるとは思えないからだ。

  日韓併合により「日本国民」に昇格した朝鮮人は、「一等国のメンバー」になれたと大喜びで、なるべく日本人らしく振る舞おうとした。ところが、大東亜戦争で日本が敗れると掌を返したように「戦勝国」気取り。民族意識に芽生えた朝鮮人は、日本が朝鮮を“植民地”にしたとか、朝鮮人を奴隷にして、その財産を収奪したと言いたい放題。中には、日本との“戦争”に勝った、と妄想する者までいた。(朝鮮人の頭には、勝手な想像を「歴史的事実」に“変換”するアプリがダウンロードされている。たぶん、悪性ウィルスの類いなんだろうけど。) 敗戦後、半島に戻らず日本に居坐った朝鮮人は闇市でボロ儲けしたくせに、それを知らんプリで子孫に隠している。それどころが、不逞鮮人は「第三国人」の立場を利用して横暴の限りを尽くしていた。こんな賤民を祖先に持つ在日鮮人が、日本国籍を所得したからといって立派な帰化人となるのか? 日本に留まり、日本の学校に通うことができた帰化鮮人は、高度な教育を受け、大学にまで進学できるようになった。しかし、日本の発展に貢献しようと志す若者は砂金よりも少ない。日本の歴史や文化を愛する知識人など皆無。帰化鮮人の子供や日鮮混血児の中には、国立大学の教授とか社会評論家になった者もいたが、日本を愛する保守派言論人だけは育たなかった。

Koreans in Old Days 2














(写真  /  日本人に教育される前の朝鮮人)

  技能実習生とか奴隷的移民を輸入しようとする役人や政治家、企業経営者などは、「人手不足」を口実にして、現代版の苦力(クーリー)を再現しようと謀っている。株主を優先する商人は売国奴になっても仕方ないが、国民を代表する国会議員は日本人を優先しなければならない。ノン・ポリの議員は出稼ぎ外人を単なる「アンドロイド家畜」と考えているが、やって来る移民はコントロールできない感情を有する人間だ。そもそも、日本の政治家は外人労働者を甘く見ているんじゃないか。彼らが日本の慣習や文化を尊重して、我々の行動様式を真似ることはない。それどころか、自分達の生活習慣を持ち込んで、日本人に迷惑を掛けることの方が多いはずだ。例えば、食堂に支那人客が訪れると、その食い散らかしは本当に酷い。手羽先の骨を床に捨てるし、テーブルの上はソースや食べ残しで汚れ放題。後片付けする給仕は大変だ。洗面所で放尿する奴がいると思えば、正社員なのに会社の極秘資料を盗んで転売する奴までいる。支那人は隣で話しているだけでも不愉快だ。下品なアヒルみたいに喋るから、お洒落な喫茶店に支那人が入ってくると、落ち着いた雰囲気が台無しになる。

  そもそも、こき使われると分かっていながら日本にやって来るアジア人というのは、自分が生まれ育った国を惜しげも無く捨ててしまう下層民である。彼らは国家意識の観念が極めて薄く、自己犠牲の精神なんか更々無い。例えば、フィリピン人に「フィリピン生まれ」というプライドはあるのか? スペイン人に征服された南洋土人は、米西戦争のオトシマエとしてアメリカ人に売却され、白人を怨みながらも、その容姿と財産に心から憧れていた。さらに、彼らは華僑によって国の経済を支配されているから、何時まで経っても三等国民のままだ。したがって、ルソン島の原住民は侮蔑されながらもジッと耐えるしかない。不甲斐なさが板に附いているフィリピン人は、自国への愛着心など初めから無く、女中でも売春婦でもいいから、豊かな国へ移住したいと熱望する。国籍取得のためなら誰とでもセックスして、あわよくば結婚しようとするんだから、フィリピン人に自尊心というものは無い。こんなアジア人が日本で就職し、日本語を覚えたからといって、立派な日本国民になるのか?

  支那人の場合はもっと悪い。歐米諸国を見れば判るけど、支那人街とゲットーは瓜二つ。だいいち、「支那人がやって来たから文化的に豊かになった!」と喜ぶ白人がいるのか? 歓迎するどころか、我先にと引っ越しをする者がほとんどだ。支那人は銃弾を一発も発射せずに異国を占領できる。筆者の体験話で恐縮だが、「平和的な占領」というのは日常生活ても観察できる。もう10年くらい昔、ある夏の日のことだった。立川方面行きの中央線に乗っていたところ、長椅子に浮浪者が一人で坐っていた。車内に乗客は居たが、誰も同じ椅子に坐ろうとせず、なるべく遠くに立っていた。そして、三鷹駅か東小金井駅で停車したとき、若いサラリーマン風の男性が電車に乗ってきて、誰も坐っていない長椅子を見つけたので、「ああ、良かった !」と思いサッと腰を掛けた。ところが、直ぐに異様な悪臭に気づき、慌てて飛び跳ねてしまった。間抜けなことに、彼は浮浪者が坐っていることに気づかなかったのだ。筆者は驚愕した彼の顔を目にして、グっと笑いをこらえるのに苦労した。それにしても、不潔なルンペンというのは恐ろしいもので、武器を持っていないのに無敵なのだ。電車内には大勢の乗客が居て、迷惑そうに眺めていたけど、誰も文句を言わずに片隅に固まっていた。支那移民というのはこの浮浪者と同じで、まともな日本人は支那人と一緒に住もうとはしないものだ。裕福な者から郊外への逃避が始まり、低所得者のみが街を脱出できず、毎日嫌な思いをしながら暮らす破目になる。

Chinese immigrants in Australia 2Chinese migrant in Canada 2







(左: オーストラリアへの支那移民  /  右: カナダに住む支那移民)

  地球上で最も悲惨な国(支那)からやって来る劣等民族は、日本を変質させる侵掠者に等しい。入管法の改正に賛成した議員の中には、出稼ぎ外人の帰国を信じている者もいるだろうが、一旦彼らが日本に住みつけば本国に戻ろうとする者はごく僅か。何しろ、我が国は安全で衛生的な上に、自然が美しい別天地だ。ゴチャゴチャと汚い街並みが普通の東南アジアとは比べものにならない。日本人はアジア諸国を旅行すると、日本との違いに誰でもアッと驚く。厚かましいアジア人労働者とは異なり、日本人は外国に派遣されても直ぐ日本が恋しくなり、任された仕事を終えれば“さっさ”と祖国へ戻ってくる。北京に派遣された駐在員なら「そう、そう!」と頷くはずだ。役目を終えたのに、そのまま現地に留まり、どこかで引っ掛けた支那人と結婚し、支那国籍を取得するなんてまず有り得ない。南鮮に派遣された日本人も同じで、現地の国籍を取って帰化しようなんて夢にも思わないし、それどころか、「こんな国は二度と御免だ!」と啖呵を切って一目散に帰国するはずだ。

  一方、支那人は銭の臭いに釣られて移動する根無し草。儲け口のありそうな国なら何処でもいい。マルコは母を訪ねて三千里だったけど、支那人は銭を求めて三万里だ。愛国心なんて端っから無い。ポンズ醤油を使ったくらいで幸せを感じる日本人とは根本的に違うのだ。だいいち、大気汚染や土壌汚染の暗黒大陸に未練なんかあるのか? 支那に比べたらベトナムやラオスだって上等国に見える。こんな支那人に永住権や国籍を与えようとする議員と役人は、まともな日本人じゃない。どうして、心と腹が真っ黒の支那人に、緑豊かな日本を献上しようとするのか? 日本という高度文明国に、支那人という野蛮人は相応しくない。京都に群がる支那人観光客を見れば判るじゃないか! もし、鎌倉に朝鮮部落や支那人街ができたら、地元住民ばかりでなく、全国の日本人も激怒するだろう。南青山の児童相談所建設どころの騒ぎじゃないぞ。不動産価格の下落なんか屁みたいなものだ。もし、上海の如き魔都が出現すれば、永久的に支那人の租界になってしまうだろう。

Chinese immigrants in AustraliaChinese migrant in Canada









(上  /  西歐にやって来た支那移民を描いたイラスト)

  敗戦後、日本人は左翼勢力により国家意識を奪われてしまった。その結果として、強靱な魂を以て日本を守ろうとする気概が無い。アジア人が帰化を申請すれば、ポケット・ティッシュのようにくれてやるのも、国家意識が欠落している証拠である。だいたい、普通の日系日本人はアジア帰化人や混血児を自分と“対等”な国民と思っているのか? 例えば、一般の日本人がベトナムやビルマからやって来る出稼ぎ人と親睦を深め、自分の悩みを打ち明ける程の親友になるとは思えない。たとえ、同じ職場で毎日働いていても、日本人は何となく遠ざかるし、外人労働者の方も民族ごとにグループを作り、昼飯や夕飯も同胞と一緒に食べるはずだ。これは言葉の問題ではなく、生理的な拒絶反応だから、法律や社訓で是正することはできない。子供だともっと露骨で、フィリピン人やタイ人の混血児は外見的違いから仲間はずれだ。ファッションに敏感な女の子だと「ダサい子とは付き合いたくない!」と言い放ち、先生が叱っても埒(らち)が明かない。アジア系の生徒を相手にせず、存在しないかのように無視する。学校なのに刑務所のように種族別のグループが出来上がるんだから、現場の教師は頭が痛くなってしまうだろう。

  日本人は昔から気心の知れた同種族と暮らしてきたから、言葉や風習を異にする外人との軋轢を理解できない。同じ感覚や価値観を共有するのを当然と思っているから厄介だ。よく学校や会社で「あいつ、空気読めない奴だよなぁ」と陰口を叩く人がいるけど、外人にしたら、そんなのは超能力の一種だ。空気を読む能力なんてマニュアル本を読んでも分からないし、日本人だって詳しく説明できないから、途中で諦めてしまうだろう。天長節や正月に江戸城へ赴く人だって、アジア人から「どうして義務でもない参拝をするのか?」と訊かれれば、「えっ!」と戸惑い、「だって、陛下がいらっしゃるから」としか答えられない。陛下の龍顔を拝する日本人は、陛下と対面すること自体が嬉しいのである。国旗を振って自然と「万歳!」を叫ぶのも、日本人の血が流れているからで、強制によるものではない。日系日本人が靖國神社に参拝するのも、同じ血を共有する同胞が自らの命を犠牲にしたからだ。馬鹿らしい質問だけど、帰化支那人や朝鮮系国民は靖國神社に参拝するのか? 大東亜戦争で散華した将兵の手紙を読んで、大粒の涙を流す帰化鮮人が居たら会ってみたい。ウミガメよりも珍しい存在だから。

  毎年、宮城には多くの国民が詰めかけているが、いったい何人の朝鮮系日本人や帰化支那人が訪れているのか? 日本の学者は国勢調査とか統計データを集めるのが好きだけど、なぜかアジア系国民の実態調査を避け、彼らの帰属意識を研究しようとはしない。推測ならできるが、実際に、彼らは日本の国家元首をどう思っているのか? 朝鮮系国民の中には、日本生まれの子供や孫、さらに曾孫までいるが、おそらく彼らの中には熱心な皇室支持者はいないだろう。朝鮮人は何十年も日本に住み続けているが、彼らがアメリカとかヨーロッパに留学した時、「私は陛下に忠誠を誓う日本国民です」と公言できるのか? 日本にやって来るイギリス人留学生なら、躊躇わず「私は女王陛下に忠誠を誓うイングランド国民です」と自慢できるだろう。日本だと滅多に会うことは出来ないが、「ウチは代々トーリー(王党派)の家庭でして・・・」と告白するイギリス人もいるくらいだ。第18世紀か19世紀に帰化したオランダ系やスウェーデン系のイギリス人でも、日本人の前で堂々と「私は陛下の忠臣です」と口にできる。さらに、ケインズ卿(John Maynard Kaynes)みたいな人物もいて、祖先を遡ると第11世紀のノルマン人に辿り着く、というからビックリする。

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(左: アングロ系イギリス人  / 右: 移住してくる支那人 )

  宮城に集まった大勢の日本人は「皇室よ、永遠なれ!」と当り前のように願うが、これからアジア人がどんどん増えてくれば、天皇陛下は単なる“有名人”に過ぎなくなる。支那人や朝鮮人は権力志向が強いから、日本の学校で教育を受けると、官僚になるための試験を受けたり、地方や国政の選挙に出馬したりする。いずれ、役所の中に帰化人やアジア系混血児が勤務している光景が普通になるだろう。もっと恐ろしいのは、市会議員とか県会議員、市長、県知事、衆院・参院議員の中に支那系や朝鮮系の人物が増大し、日系人の立場が弱体化することだ。アジア系有権者は政策とは無関係に、「同族」の候補者を支援するから、アジア系の国会議員が誕生する確率が高い。「まさか」とは思うが、宮内庁に朝鮮系の役人が混じったりすることも覚悟しておくべきだ。なぜなら、厚生省から出向してくる官僚もいるから、「有り得ない!」とは言えないのだ。もし、こうした役人が陛下の側近になったら、皇室にどんな損害を与えるのか?  考えただけでも寒気がする。

  日系国民は今のところ不安に思っていないが、このまま移民が増え続ければ、皇室を支持する日本人の比率は減少する一方だ。近い将来、勤皇精神という言葉が死語になりかねない。今のところ杞憂に思えるが、そう遠くない未来に、朝鮮系や支那系の国民が、江戸城に集まった日系人を目にして、「今日、何かあるのか? 」と尋ね、天長節だと判れば、「な~んだ、原住民の酋長が生まれた日か!」と小馬鹿にするかも知れないぞ。日系人は真っ赤になって怒るけど、国会と霞ヶ関がアジア系に支配されていれば、唇を噛みしめて耐えるしかない。あと何十年かして、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と再び口にするようじゃ憂鬱になってしまうよねぇ~。


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