無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2018年12月

入管法が成立してしまう理由 / 左翼からの非難に怯える一般人

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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レイシズムを避ける国民

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(左: 安倍晋三総理大臣  /  右: 混血児の少年)

  日本の未来にとって極めて有害な入管法改正案が、大した抵抗も無く参議院を通過してしまった。これで我が国の将来は暗くなるどころか、歴史始まって以来の大打撃を受ける事になる。というのも、異民族の流入で日本人の肉体が変わってしまうからだ。戦争で空爆を受ければ、多くの庶民や都市が炎に包まれ、木っ端微塵に消滅してしまうが、それでも歯を食いしばって復興することはできる。しかし、子や孫の遺伝子にアジア人やアフリカ人の遺伝子が一旦注入されてしまえば、もうそれを取り除くことはできない。一般国民は未だに危機感を抱いていないが、肉体が変われば精神も変わってしまうのだ。いくら混血児に大和魂を叩き込もうとしても、鏡に映った姿を見れば、自分が日系日本人でないことが判る。常日頃、保守派は「日本の伝統や文化を守れ!」と叫ぶが、その担い手が朝鮮人や支那人、フィリピン土人や越南(ベトナム)人、中東アジアのイスラム教徒じゃ、「本当に守ってくれるのか?」と不安になるじゃないか。

  歐米諸国でもそうだが、日本でスル~と移民法案が通ってしまうのは、マスコミによる誘導操作が働いているせいもあるが、根本的にはレイシズムへの恐怖が人々の心にあるからだ。正直に異民族を嫌う者は、「人種差別主義者」とか「ネオ・ナチ」と罵倒され、社会的地位を失う破目になるから、高額所得者やインテリ層はなるべく言動を慎み、自分だけ異人種のいない安全地帯に避難しようとする。世間体を気にする中流階級も似たり寄ったりで、どんなに不愉快でも、国会議員に苦情を述べたり、街頭に出て「移民反対!」なんて叫ばない。国家意識を失った日本人は、身近に害が及ぶまで移民・難民問題は「他人事」だ。たとえ、食料品店や郵便局で不気味な人相の中東アジア人や奇妙な言葉を話す東南アジア人を見かけても、わざと気付かない振りをして通り過ぎ、余程のことが無い限り接触しようとは思わない。ましてや、我が子が将来アジア人と結婚するなんて想像もしていないし、もしそうなったら猛烈に反対するだろう。

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(左: クリスチャン・ベール  /  ベネディクト・カンバーバッチ  / ルパート・フレンド   / 右: チャーリー・ハナム )

  移民を受け容れた国の末路を知りたければ、第三世界と化した歐米諸国の街を見てみることだ。アメリカ、ブリテン、カナダ、オーストラリア、フランス、ドイツ、スウェーデンなどを目にすれば、鳥肌が立つくらいおぞましい光景にぶち当たる。今や、英国のロンドンはトルコ人やアラブ人、イラク人、ケニア人、ジャマイカ人、インド人、パキスタン人で溢れかえっているから、日本人観光客はイスタンブールかボンベイ、あるいはカブールに迷い込んだ錯覚に陥ってしまう。せっかくアングロ・サクソン人との交流を期待したのに、出逢う人間が悉く茶色または黒い「ブリテン人」ではガッカリする。脳天気な日本人女性だと、憧れのイングランドを旅行した時、「バットマン」を演じたクリスチャン・ベール(Christian Bale)とか、「シャーロック・ホームズ」役のベネデスクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)、「ホームランド」に出演したルパート・フレンド(Rupert Friend)、「ゲーム・オブ・スローン」に起用されたショーン・ビーン(Sean Bean)、「サンズ・オブ・アナーキー」で一躍有名になったチャーリー・ハナム(Charlie Hunnam)みたいな「イギリス人」を期待するけど、れっきとした西歐系白人に遭遇することは非常に少ない。

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(左: イドリス・エルバ  / ベネディクト・ウォン  / リズ・アーメッド  /  右: サーシャ・バロン・コーエン)

  たいていは、「刑事ジョン・ルーサーー」でお馴染みのイドリス・エルバ(Idris Elba)とか、「スラムダンク・ミリオネアー」に出ていたデヴ・パテル(Dev Patel)、「ドクター・ストレンジ」に出演したベネディクト・ウォン(Benedict Wong)、ユダヤ人俳優のサーシャ・バロン・コーエン(Sacha Baron Cohen)、「ヴェノム」に出演したパキスタン系俳優のリズ・アーメッド(Riz Ahmed)、「スター・ウォーズ」で有名になったジョン・ボイエガ(John Boyega)みたいな「ブリテン国民」ばかりだ。かつて、英国バンドの「ジャパン」は日本で話題となり、ヴォーカルのデイヴッド・シルヴィアン(David Sylvian)は日本人女性のハートを鷲摑みにしたけど、彼のようなイギリス人は絶滅危惧種になっている。アングル人の島(イングランド)では、アングロ・サクソン系のハンサム青年に出逢うより、東歐からのジプシーに遭遇する方が多い。ただし、ナンパじゃなくて“ひったくり”だから、嬉し涙じゃなくて悔し涙となる。したがって、英国を訪れたら、イギリス人じゃなくてブルドッグを求めた方がいい。運が良ければ、ウィンストン・チャーチルみたいな顔をした犬に出逢えるかも知れないぞ。

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(左: デヴ・パテル  /  中央: ジョン・ボイエガ   /  右: デイヴィッド・シルヴィアン )

  そもそも、ヨーロッパやアメリカのゲルマン系国民は、なぜ種族の保存を恐れるようになったのか? それは総てとまでは言わないが、多くの場合、国内にユダヤ人を抱えているからだ。各民族は別々に暮らした方が摩擦が無く、平凡だが幸せな毎日を送ることができる。お互いが別々に暮らし、異国の内政に干渉しない事が一番。例えば、北米のイギリス系国民やブリテン本国のアングロ・サクソン人、ドイツのゲルマン系国民、スカンジナヴィア半島の北方種族、北部フランスのガリア系国民などが、「自分達の血統を維持したいから、奇妙な顔附きのユダヤ人とは混淆したくない」と答えたら、ニジェールやカメルーンの黒人が高額な飛行機代を払って、ドイツのニーダーザクセン州やメクレンブルク・フォアポルメン州で抗議デモを起こすのか? ガボンやベニンの片田舎に住むアフリカ人は、チューリンゲンやウェストファーレンで白人が何を叫ぼうが知ったことではなく、アーリア人のナショナリズムに興味は無い。そもそも、ドイツ語なんて解らないから、ネオ・ナチもどきの若造が「ドイツ人の為のドイツラント」を掲げても気にしないのだ。

  日本人だってアフリカ人と同じく、世界各地で湧き起こるナショナリズムに興味は無い。西尾幹二のような反西歐主義者は例外だ。西尾氏は劣等感の裏返しで西歐の白人を執拗に批判しているが、彼はユーラシア大陸の民族主義全般を批判したことがあるのか? 日本の知識人はいつも西歐人ばかり目の敵にする。他の種族には目もくれない。例えば、もし、ウズベキスタンの民族主義者が自国の女性を“天下一”の美人と表したら、日本人は激怒して征伐軍を派遣するのか? 普通の日本人がウズベキスタンに居るクリミア・タタール系の女性とかペルシア系モンゴル人の男性を「理想」とし、彼らの容姿や服装を真似ることはない。彼らがウズベク語で自国民を称讃したからといって、目くじらを立てる日本人は滅多にいないだろう。隣のトルクメニスタンに対しても同様に無関心で、サパルムラド・ニヤゾフ大統領が独裁制を敷いても抗議しなかったし、どんな役者や歌手が存在するのかについても興味が無かった。女不足に悩む新潟や秋田の青年やは、支那や満洲から嫁を購入していたが、テュルク系民族の女性にまで手を伸ばし、上玉を輸入しようとは思わなかった。(まぁ、遊牧民じゃ畑仕事に向かないという点もあったのだろうが。)

  それにしても、アメリカやヨーロッパに居坐るユダヤ人が、なぜナショナリズムに猛反対するかと言えば、それは彼らが他国にタカる寄生民族で、地元民とは異なる肉体を有する別種族だからだ。このセム種族は寄生先の国民が団結し、鼻つまみ者を排除しようとする動きに敏感で、何年暮らしていようと安心することはない。彼らは「異郷にしがみつくエイリアン」という自覚があるので、いつ住処(すみか)を追い出されるのか分かったもんじゃない、と不安に思っている。だから、常に持ち運び便利な金貨とか宝石を貯える一方で、異教徒(地元民)が愛国主義に目覚めぬよう、予めナショナリズムを“悪”と宣伝し、コスモポリタニズムを“善”と刷り込む。(ついでに言えば、ユダヤ人が教育熱心なのも避難対策の一環だ。いくら兇暴な異教徒でも、頭に詰め込んだ知識は奪えないからである。) ユダヤ人にとって、先祖代々から受け継ぐ「国民の権利」というのは恐ろしい。というのも、タカリ先の「祖先」とは無関係のユダヤ人は、親から子へ伝承される「血の権利」を有する「国民」じゃないからだ。

  こんなのは健全な庶民にとったら初歩的な常識だけど、クルクルパーにされた西歐人や日本人には解らない。例えば、大阪や神戸をうろつく在日朝鮮人が、三井とか岩崎といった財閥の御曹司の後を附けて彼の豪邸に忍び込み、数日潜伏してから執事に見つかったとする。そこで、つまみ出されたくない朝鮮人は、「ウリ(私)は人間だから、ここに住む“権利”があるんだぞ !」と屁理屈をこねる。だが、鮮人の首根っこを摑んだ執事は、「何言ってんだ、この不逞鮮人め ! お前なんかに住む権利なんて無いぞ !」と叱り飛ばすだろう。ましてや、この鮮人侵入者が「お前の戸籍にオレを入れろ!」と叫べば、誰でも「おいおい、この鮮人、頭がいかれているぞ!」と驚くに違いない。普通の日本人なら、不法滞在の朝鮮人が“勝手な自説”で豪邸に住む権利があるとか、養子になる権利があるなんて思わないだろう。ところが、大学で「人権」とか「可哀想なユダヤ人」を刷り込まれた秀才は、「人権」問題になるから、参政権や国籍くらいなら与えてもいいんじゃないか、と考えてしまうのだ。彼らは日本人の常識を完全に消去されている。

  ドイツ人はヨーロッパ人の中でも極めて異常な民族で、「人種(Rasse)」とか「民族(Volk)」という言葉を聞くと、膝が震え出し、顔面が引きつる。ユダヤ人はナチスの過去を持ち出してドイツ人を責め立てるが、戦前のドイツ人が自民族を称讃するのは当り前じゃないか。「善人」を気取っているイギリス人やフランス人だってユダヤ人が大嫌いだったし、国際政治では自国民を優先し、世界中どこに行っても自分達の容姿を絶讃していたのだ。だいいち、堂々と植民地を有する西歐人が、アフリカの黒人やアジア大陸の黄色人種を「対等な人間」と見ていたのか? ちょっと考えれば直ぐに分かるのに、学校で洗脳された白人には思いつかない。ところが、ユダヤ人には差別など「常識」で、ユダヤ人が集まれば異教徒の悪口は珍しくなく、シナゴーグでふんぞり返る筆頭ラビでも異教徒を家畜(ゴイム)扱いだ。ユダヤ人はアメリカでもイスラエルでも黒人を嫌っており、この黒い動物と雑婚しようとは思わない。異人種でも理想の結婚相手はゲルマン人。これくらいあからさまなのに、思考の枠組みを変造された西歐人は、ユダヤ人の二枚舌に気付かない。例えば、PC(政治的に正しい言葉遣い)を操るユダヤ人は、ペルシア人(いわゆる「イラン人」)が自国を「アーリア(イラン)」と呼んでも平気だが、ドイツ人やアメリカ人が自国を「アーリア人の共和国」と呼んだら、蜂の巣を突いたように騒ぎ出し、スズメバチ(ワスプ)の如く攻撃を仕掛ける。もう呆れてしまうけど、言論弾圧のターゲットはいつも西歐人だ。

  そもそも、ドイツ人が自国内で自画自賛して何が悪いのか? どの民族にも「手前味噌」の信仰とか風習、文学、偏見はあるものだ。例えば、朝鮮人が自国で「五千年の歴史を有する朝鮮人は世界一優秀だ !」、あるいは「日本人は猿と犯罪者の間に生まれた夷狄だ !」、「日本兵は朝鮮娘を性奴隷にした 」とほざいたとして、いったい何人の日本人が半島に乗り込み、「お前ら、学問的に間違っているぞ!」と説教するのか? 翻って、我が国には頭のおかしい朝鮮人を処罰する法律は無い。もし、日本国内で気違いの鮮人とか、犯罪を実行する不逞鮮人がいれば容赦無く追放すればいいのであって、不愉快な鮮人は出身国に返品するのが妥当である。ユダヤ人も同じで、ドイツ人が穢らわしい居候を追い出そうとしたのも無理はない。ユダヤ人が一掃されたドイツなんて実に清々しいじゃないか。もしユダヤ人が迫害を嫌うなら、“自主的”にイェルサレムに戻ればいいだけの話だ。長年に亙って嫌われているのに、百年、二百年、三百年も居坐る方がおかしい。ユダヤ人は野良犬より質(タチ)が悪く、レコンキスタ後、スペインを追放されたユダヤ人は故郷に戻らず、アムステルダムやアントワープ、フランクフルト、ロンドンに向かったし、ウクライナとかロシアで迫害されると、ブタペストやウィーン、さらにパリにまでやって来た。近場のシリアやトルコに向かえばいいのに、わざわざキリスト教徒の国に忍び込むんだから、何とも図々しい。

Houston Stewart Chamberlain 1(左  /  ヒューストン・スチュアート・チェンバレン)
  現在の教育現場では、第20世紀初頭の西歐で人気を博した人種哲学は不評だけど、非難された学者の言論には「なるほど !」と思える主張がある。例えば、ドイツに帰化したイギリス人に、ヒューストン・スチュアート・チェンバレン(Houston Stewart Chamerlain)という政治哲学者がいて、『第十九世紀の基礎(Die Grundlagen des neunzehnten Jahrhunderts)』という著作で有名になった。(ちなみに、彼の妻は作曲家リヒャルト・ワグナーの娘エヴァである。) 巷の批評によると、チェンバレンは科学的と思われる学問にロマン主義や神秘主義を提供したと言われるが、肝心なのはゲルマン人の肉体を讃美したことにある。そして注目すべきは、ゲルマン人が生死を賭けた闘いを続けており、それは人間生活と社会における総ての武器を用いて戦うべきなのだ、と彼が主張していた点である。

  ユダヤ人がチェンバレンを憎む理由の一つは、彼の革命思想にあった。鋭い知性を持つチェンバレンは、当時のドイツにあった産業が、ほとんどユダヤ人の手に落ちていたことに気付き、それに対して警鐘を鳴らしていたのだ。ドイツ贔屓のチェンバレンによれば、ドイツの産業は高次元の価値を求める精神に鼓舞されるべきで、ユダヤ人の物欲主義を満たす為にあるのではない。そこで、チェンバレンはユダヤ的物質主義を捨て去るために、精神的な革命を欲していたのである。また、ユダヤ人にとってチェンバレンの歴史解釈は憤慨に値する学説であった。彼の歴史観において、神はゲルマン種族に体現され、悪魔はセム種族に体現されていたのだ。(ちなみに、両者の間に繁殖するのが「諸民族の混沌」である。これは様々な人種の私生児的混合物と見なされていた。)

  ただし、これはチェンバレン独自の見解とは思えない。ヨーロッパでは中世の頃からユダヤ人を非難する絵画や思想があったし、そもそもゲットーに閉じ込めるべき賤民であったから、別にチェンバレンだけが不届き者という訳ではない。それに、ユダヤ人の顔は魔女とか悪魔を描く際にとても適していた。(ユダヤ系女優のグレン・クローズなどは、歳を取るにつれ益々「魔女」に見えてくる。もっとも、極左フェミニストのベティー・フリーダンの方がそれらしいけど。) 唾を吐き捨ててキリストを罵るのは典型的なユダヤ教徒だし、不吉な出来事や人攫いが起きるとユダヤ人のせいにされたこともある。文学でも悪役はユダヤ人的人物が多い。例えば、シェイクスピアの名作『ヴェニスの商人』では、高利貸しのユダヤ人シャイロックが有名だし、チャールズ・ディケンズの小説『オリヴァー・ツイスト(Oliver Twist)』に出てくるフェイギン(Fagin)は如何にもユダヤ人的だ。

Fagin (Ron Moody)Fagin (Alec Guinness) 1Al Pacino Shylock 3








(左: ロン・ムーディが演じたフェイギン  / 中央: アレック・ギネスが演じたフェイギン /  右: アル・パチーノが演じたシャイロック)

  映画ではアル・パチーノがシャイロックを、アレック・ギネスがフェイギンを演じていたが、ユダヤ人役者を使う方がよっぽど良かった。例えば、孤児を集めて犯罪をさせていたフェイギン役なら、アダム・サンドラー(Adam Sandler)とかベン・スティラー(Ben Stiller)、ウィリー・ガーソン(Willie Garson)、ユージン・レヴィー(Eugene Levy)などが適役だし、狡猾なシャイロック役ならホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix)とかリーヴ・シュライバー(Liev Schreiber)、ラリー・デイヴィッド(Larry David)、ロン・リフキン(Ron Rifkin)などがピッタリだ。でも、あまりにも見事な「嵌まり役」になりそうだから、制作陣がわざとハズしたんだろう。

Willie Garson 2Eugene Levy 2Larry David 3Joaquin Phoenix 3








(左: ウィリー・ガーソン  / ユージン・レヴィー  / ラリー・デイヴィッド  /  右: ホアキン・フェニックス )

  もう一人、注目すべき人種哲学者として、ルートヴィッヒ・ヴォルトマン(Ludwig Woltmann)が挙げられる。彼は元々マルクス主義者であったが、社会ダーウィニズムに改宗して大衆に大きな影響を及ぼす人物になっていた。この社会ダーウィニズムは第19世紀の頃からヨーロッパで流行し、明治の知識人も相当な影響を受けていたらしい。(英国に留学した夏目漱石はショックを受けノイローゼになってしまった。) これを簡単に言えば、最も進化した種族が熾烈な生存競争に勝ち残り、世界の支配者になるという思想だ。科学技術や産業革命で隆盛を誇る当時の西歐には、白人社会の優越性を確信する者が多かったから、ヴォルトマンだけが突出していた訳ではない。ただ、彼はアーリア人の卓越性を明確に述べていたからユダヤ人に嫌われてしまったのだ。

Ludwig Woltmann 1(左  /  ルートヴィッヒ・ヴォルトマン)
  『政治的人類学(Politische Anthropologie)』という本を書いたヴォルトマンは、ドイツ人の優越性を確信し、それを審美的な言葉で述べていた。彼の人種論はユダヤ人にとって今でも忌々しいものである。この思想家によれば、人種の第一基準は、体型の均整とか、顔面の作りなど、肉体的特徴に見出されるべきものであった。しかも、人種に内在する美的な資質は、自然科学に基礎づけられていると考えていたから、ユダヤ人はここぞとばかりに、「こんな学説はニセ科学だ」と貶すことができた。確かに、人種論は遺伝学とか優生思想を絡めているが、本質的には主観的言論なので、客観的事実に基づく科学とは言い難い。しかし、ユダヤ人の批判は的外れだ。そもそも、ヴォルトマンは文化人類学から出発し、人種哲学を基にして歴史や社会現象を評論しただけである。アルフレーと・ローゼンベルク(Alfred Ernst Rosenberg)の学説と似ていて、最初から数量化されたデータや検証実験を用いた自然科学ではない。つまり、諸民族の過去を独特の視点で解釈し、その未来を主観的に予想するだけなんだから、ユダヤ人の非難は人格攻撃でしかない。

Arno Breker 1(左  / アルノー・ブレーカー )
  とにかく、ユダヤ人にはヴォルトマンの主張が赦せなかった。例えば、ヴォルトマンの言うドイツ人の優越性というのは、北方的な美の理想、すなわちアーリア人の美的理想である。ノルディック種族の男性が持つ均整のとれた胴や頭、その輝く顔に独特の性格を与える内的精神性は人種的資質の証明でもあった。このゲルマン人至上主義者によれば、人種の混淆とは身体的均整と人種的調和の破壊に帰結する愚行である。肉体の“退化”は精神能力の退化でもあり、このような衰退が起こると、ゲルマン的な様式美は混沌の中に水没してしまうのだ。したがって、もし金髪碧眼のドイツ人が黒髪で鷲鼻のユダヤ人と混血すれば、その結果はおぞましいものとなり、ゲルマン種族の汚染に他ならない。たぶん、繊細な美意識を持つユダヤ人には解っているはずだ。ドイツの有名な藝術家アルノー・ブレーカー(Arno Breker)は強靱な肉体美を誇るアーリア人の彫像を造って、ドイツ人の理想美を追究していたが、ユダヤ人の藝術家は同胞の肉体を讃美せず、醜い人物画をせっせと描いていた。だいたい、ナチスの人種哲学を「けしからん!」と非難するなら、ユダヤ人も負けずに「ユダヤ的美男子」の彫像でも造ればいいじゃないか。ところが、それをせずにドイツ人を一方的に激しく責め立てている。もう、救いようがないくらい、彼らは端っから根性がねじ曲がっているのだ。

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(上  /  ユダヤ人を非難する風刺画)

  今から見ればヴォルトマンの思想は“とんでもない”が、帝国主義時代の西歐ではそれほど異常な考え方ではない。先ほどの社会ダーウィニズでは、進化の最先端を走る強い種族が生き残り、その勢力を拡大すると考えられていたから、領土の拡大、つまり他国の征服など当り前のことだった。そもそも、ドイツを非難するイギリス人やフランス人自身が帝国主義者なんだから、銀行強盗が郵便局強盗を叱責するようなものである。ヴォルトマンによれば、支配民族のドイツ人は、その発展に必要な国々を征服せねばならない。さらに、彼は一歩進めて、ゲルマン種族は地上を支配するために淘汰されたのである、と述べていた。こんな思想は周辺諸国にとっては悪夢だ。何と言っても歐洲随一の陸軍を誇るドイツが、自信をつけ「支配民族」に目覚めれば、ポーランド軍やロシア軍など敵ではない。グーデリアン将軍の機甲部隊がやって来れば、勇ましいロシア兵も撤退するしかなく、抵抗すればひねり潰されるだけだ。本当に自信満々のドイツ人は恐ろしい。イギリス人が何とかして封じ込めようと焦った気持ちも分かる。

  戦後の世界では人種平等が金科玉条になっているが、英国のチャーチル首相やベルギーのレオポルド1世と同じく、ヴォルトマンは人間の平等など信じていなかった。彼が望んでいたのは、人種的発展にとって邪魔になる障碍物を取り除くことであった。これも戦前のアメリカ人やイギリス人を見れば不思議じゃない。現在の学界は左翼分子が主流だから、「民族的多様性は社会を強くする」とか、「他の文化との融合は自国の文化を豊かにする」と嘯(うそぶ)く学者が多い。しかし、昔の西歐では自国の文化を保存し、なるべく純粋に保とうとするのが普通だった。これは人間に関しても同じで、白人同士の結婚を奨励し、血統を汚さないよう配慮を心掛けていた。イギリス人やフランス人だって自国の文化や偉人を誇りにし、決して自惚れとは思わなかったはずだ。いくら馬鹿でも、アジア人やアフリカ人を輸入して偉大な混血児を育成しようとは思わなかったはずだ。ヴォルトマンもゲルマン人の偉人を望んでおり、ドイツ社会の至上命令とは、常に社会を指導するような才能ある個人、ないし天才的人物を呼び起こし、生み出すことにあると思っていた。彼によれば、ドイツ人が持続的に活力を維持するために必要なのは、経済的事業ではなく、良き人種の保存であるという。

  入管法の是非からドイツの人種論へと話が逸れてしまったけど、歐米諸国で移民の流入が阻止されなかったのは、一般国民が異民族の侵入に対し無関心で、土壇場になると「人種差別」のレッテルを恐れていたからだ。本来なら、国家の未来に責任を持つ教養人とか、幼い子供を持つ親が異人種の輸入に反対すべきなのに、目に見える利益が無いから、つい「ちょっとくらいなら・・・」と気軽に許してしまうのだ。とは言え、移民法があっけなく通過した背景には別の理由もあった。安い労働者を求める企業には直接“手にできる”利益があったけど、テレビをボケ~と眺めるだけの一般人には、「反対」を表明しても転がり込んで来る現金は一つも無い。それゆえ、マスコミに踊らされて「人で不足なんだから仕方ないわよねぇ~」といった反応になる。普通の国民には目に見えない「マイナスの利益」、すなわち、社会不安の増大とか国民的紐帯の喪失、国民の肉体や文化の変質、伝統社会の崩壊、民族別の分断化などは解らない。残念なことだけど、一般人には恐ろしい未来を予想するだけの知識や判断力が無いのだ。移民を受け容れる日本には、やがて外国人参政権という悪夢が再来するだろう。徐々に国境の壁が低くなり、日本人と外国人の区別は曖昧になるから、左翼が待ち望んだ世界市民の誕生はもうすぐである。たぶん、日本において部外者の侵入が困難となるのは、NHKの本社ビルとか朝日新聞の玄関くらいだろうなぁ。(もっとも、朝鮮人や支那人は例外で、すんなり入れるかもね。)



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憎むことを忘れた母親 / リベラル思想で異常になったアメリカ人

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救いようのない親
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(左  /  エイミー・ビール)
  前回、南アフリカで殺害された白人女性について述べたが、今回は同じ殺人でも異常な遺族について紹介したい。時は、1993年の8月。アパルトヘイトが徐々に消えて行く南アフリカ共和国は、全人種を含めた初の民衆選挙を実施しようとしていた。(1994年には、アフリカ民族会議「ANC」が勝利して、ネルソン・マンデラが大統領になる。) 当時、26歳のエイミー・ビール(Amy Biehl)はフルブライト奨学金を得てウェスタン・ケープ大学に通うアメリカ人学生だった。 彼女は一年間の留学を終え、ルトガーズ大学で博士課程に入るため、二日後にアメリカへ戻るつもりだったという。しかし、この女子大生に突然の不幸が襲いかかった。1993年8月25日、彼女がケープ・タウン郊外にあるググルツを自動車で通行した時のことだ。街は選挙前で騒然となり、黒人どもが暴れて大騒ぎだったけど、軽率なエイミーは不用心で、愛車のマツダを走らせてググルツを抜けようとした。

  ところが、汎アフリカ会議(Pan Africanist Congress / PAC)に属する黒人達が、エイミーのクルマを見つけてしまい、ここで彼女の運命は急展開。兇暴な黒人どもは、煉瓦を手にしてクルマの窓ガラスを破壊し、さらにエイミーの頭を狙って投げつけた。慌てたエイミーは慎重に襲撃を逃れようとしたが、暴漢どもは彼女のクルマを取り囲み、「定住者一人に、銃弾一発」と叫び、「アフリカ人のためのアフリカ !」と囃し立てたという。そして、彼らはエイミーに向かって石を投げつけ、さらに彼女をナイフで刺して死に至らしめた。(Elizabeth Lowry, "We Are Not Such Things by Justine van der Leun review", The Guardian, 28 July 2016) 黒い兇悪犯どもはエイミーがアメリカ人とは判らなかったようだが、憎いアフリカーナと同じく、金髪を靡かせた白人だから、結局どうでもよかったのである。「白人なら誰でもよかった」という殺人事件は、理由が有るようで無い犯罪と言えよう。日本には国際関係学部とか社会学部に入って、多民族主義に染まってしまう単純な大学生が沢山いるけど、こういうアホ学生は一度アフリカに住んでみるべきだ。丸腰で黒人街を歩けば、身に沁みて恐怖を理解できるだろう。(案外、帰国した学生の中には改心して国防意識に目覚める者や、日本の良さを再確認する者が出てくるかも知れないぞ。)

  この殺人事件は即座に国際ニュースとなった。ところが、事件そのものよりも、エイミーの思想や彼女の両親の方に驚くべき事実があった。もう本当に呆れてしまうけど、裕福な家庭に育ち、奨学金を貰うほどの優等生だったエイミーは、高校時代にネルソン・マンデラの話を聞いて感動し、白人至上主義に対して闘おうと決意したそうだ。(世界には七不思議以外の驚異があるらしく、こうした「死に至る病」には様々なバリエーションがあるらしい。) ほとんどのアメリカ人は知らないけど、マンデラはソ連と通じた邪悪な共産主義者で、白人に不満をぶつけるだけの無能黒人だった。(マンデラの罪はイラーナ・マーサーIlana Mercerの著書『Into the Cannibal's Pot』に詳しい。マンデラが権力を握ってからは、約30万人が殺害されたし、不正や腐敗、暴力が横行し、AIDSなどの病気も蔓延していたから、どこが「デモクラシー万歳」なのか解らない。日本の大学教授は有益な洋書でも、都合が悪いと翻訳しないから、一般の日本人はマーサーの著作があることすら知らないのだ。下らない洋書でも左翼系だと岩波書店とか明石書店が直ぐ翻訳するんだけど。) アメリカのCBSやCNNといった主要メディアは、提灯番組を作ってもKGBとの繋がりは報道せず、ただアパルトヘイトに立ち向かう黒い英雄と讃えるだけだった。それなら、過激派フェミニストで公民権活動家のアンジェラ・デイヴィス(Angela Yvonne Davis)とネルソン・マンデラを取り上げればいいのに、アメリカの大手メディアは何故か素通りしようとする。まぁ、モスクワ大学で名誉博士号を授与されたり、レーニン平和賞をもらった黒人極左じゃマズいのかも知れない。たぶん、アメリカにはバラク・オバマのような黒い赤色分子が多いから、“良心的”なリベラル・メディアは出来るだけ隠したいのだろう。

Nelson Mandela 1Angela Davis 2Ilana Mercer 2








(左: ネルソン・マンデラ  / 中央: アンジェラ・デイヴィス  /  右: イラーナ・マーサー)

  脱線したので話を戻す。エイミーは典型的な名門大学ご卒業の「お嬢様リベラル」で、南アフリカに留学したのも、民衆政へ移行する国家における女性の権利を勉強するためだったという。事実、彼女はANC傘下の「全国女性同盟」のメンバーで、黒人解放運動を支持する活動家でもあったのだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、人権とかフェミニズム、人種平等といった左翼思想を注入されたエイミーは、殺されてから現実を学んだことになる。アメリカには高学歴でも馬鹿は多い。事実、エイミーは高校の卒業式で代表演説を行うほどの優等生で、進学したスタンフォード大学ではナムビアの独立に関する論文を書いて表彰されたという。こうしたスタンフォード大を卒業し、フルブライト交換留学生となった才女は、デモクラシーを知らない南アフリカの黒人を助けるべく、現地で選挙登録の“お手伝い”をしていたそうだ。空条承太郎じゃないけど、「やれやれ」と言いたくなる。もし、エイミーが日本に留学すれば、同種族で暮らす幸せと、人種混交で失敗したアメリカを理解できたのに、よりにもよって黒人の天下となったアフリカに留学するなんて。まるで自ら不幸を招き寄せたような愚行である。

Linda & Peter Biehl 11(左  /  マンデラと会談したビール夫妻)
  アホな子供を見ると、「親の顔を見てみたい」と思うのが日本人だ。ということで、エイミーの両親はどんな人物かと思いきや、これまた裕福な上層中流階級の夫婦ときている。父親のピーター・ビール(Peter Biehl)はマーケット・コンサルタントで、母親のリンダ(Linda Biehl)は、かつてニューメキシコ州のサンタ・フェでアメリカン・インディアンのアート・ギャラリーを経営していたそうだ。こういう家庭背景を聞くと、エイミーがリベラル学生になったのも何となく理解できる。経済的に恵まれた家庭に生まれ落ちた白人娘が、両親から大切に育てられ、毛並みの良い学校に通って優等生になるのは自然だ。でも、こうした学校秀才は、兇暴な黒人が群れるシカゴとかブロンクスの実態を知らず、観念的な平等とか社会正義といった空念仏に共鳴する事が多い。エイミーは安全なサファリ・パークで獰猛な野獣を観ても、一向に恐怖心を覚えず、「可愛い動物」と笑顔で見学する子供と同じだ。世間知らずの小娘が、一旦リベラル思想に染まったら始末に負えない。いくら白人であっても、自分が心を開けば黒人も心を開いて友達になれる、と本気で思っている。こうした女性は強姦されるまで、現実の人種問題が分からない。

Amy Biehl's killers 12(左  /  エイミーを殺した黒人達)
  エイミー殺害の捜査を行った現地の警察は、間もなく犯人を突き止め、四人の容疑者を逮捕した。拘束されたのはウスムジ・ンタモとモンゲジ・マンクィナ、イージー・ノフェメラ、ントベコ・ペニで、彼らはPACの武闘組織「アフリカ人民解放軍」のメンバーだった。(Paul Hopkins, "Embrace for her daughter's killer, Independent Ireland, July 6, 2008) この殺人鬼どもは法廷で裁かれ、18年の懲役刑を言い渡されたという。ところが、1997年、彼らは「真実と和解の委員会」に陳情して恩赦を求め、それが通ってしまったのだ。というのも、この裁定にエイミーの両親が反対しなかったからである。つまり、ビール夫妻は娘が南アの民主政治を望み、その促進を尊重していたから、殺害者の恩赦に異議を挟まないというのだ。普通の日本人だと「えっ、何それ?」と驚いてしまうが、左翼リベラリズムに汚染されたアメリカ人は健全な精神を失っているので、非常識を異常とは思わない。

  ビール夫妻が娘の死を哀しんでいたのは確かで、彼らは娘の意思を継いで南アフリカに貢献しようと、1994年に「エイミー・ビール財団」を創設した。ところが、驚いたことに、ビール夫妻は娘を虐殺したイージーとントベコの二人を財団に迎え、役職を与えたのだ。殺人鬼を赦すリンダ夫人の思考様式は、日本人の常識を越えていた。彼女は明確な理由を述べなかったが、簡単に言えば、犯人達はアパルトヘイトの被害者で、PACの政治家達に踊らされて暴動に及んでしまった、というのだ。この母親の説明によれば、「若者としての彼らはある状況の下で、すなわち恐ろしい制度の下で利用されたのだ」という。(Linda Vergnani, "Parents of slain Fulbright scholar embrace her cause in South Africa", The Chronicle of Higher Education, 19 January 2001.)

Amy Biehl's killer & Linda 2Linda Biehl 13









(左: 殺人鬼と抱き合う母親のリンダ  /  右: 南アフリカの子供達と親睦を深めるリンダ・ビール)

  「罪を憎んで人を憎まず」というが、普通なら殺してやりたいくらい憎むはずだ。それなのに、娘の死は白人によるアパルトヘイトが招いたことなんだ、と解釈し、殺された娘も危険を承知で留学したんだから、と考えるリンダ夫人には救いようが無いというか、彼女の頭はどうかしている。確かに、死んだ娘を生き返らせるのは不可能だ。それゆえ、目の前の現実を受け止め、なるべく肯定的に考えようとするのも分かるけど、なにも下手人を赦して抱擁することはないじゃないか。イージーとントベコは遺族に赦しを求め、ビール夫妻はそれに応じたという。信じられないけど、娘を失ったリンダ夫人は「彼らと一緒にいると、エイミーが直ぐ側にいるように思えるの !」と述べ、「彼らはとても魅力的で、私は本当に好きだわ」と語っていた。もう、返す言葉が無い。「ルーピー」というのは鳩山由紀夫が初代ではなかったのだ。人種平等主義とか白人罪悪史観、デモクラシー礼讃といった思想を刷り込まれたアメリカ白人は、人間が持つ本能を去勢され、「復讐」という感情を失っているのだろう。まともな日本人の親なら、娘を殺したケダモノと一緒の空気を吸うことすら嫌で、自分の手で殴り殺すか、必殺仕置人を雇って抹殺する方が普通だ。昔のアメリカ人なら、犯人を生け捕りにして、三日三晩眠らずにリンチを行い、最後はカミソリでペニスを切り取って、その口に詰め込み、木に縛り付けて出血死を待つ。恨み骨髄の復讐なら、これくらいしなきゃねぇ。

Amy Biehl 6Linda Biehl 12









(左: 黒人の子供を世話するエイミー  / 右: 更生した犯人と一緒のリンダ )

  ところが、どっこい、ピーターとリンダ・ビール夫妻は、リベラル的アメリカ社会を象徴するような重症患者であった。大切に育てた娘の仇を討たず、財団を創って南アフリカの子供達を助けようなんて、脳天気というより脳神経が麻痺している。彼らの脳味噌を雀に移植すれば、背泳ぎの如く後ろ向きに飛ぶんじゃないか。日本と同様に米国でも高学歴者は「頭がいい」と思われているが、実際は洗脳教育を受けて馬鹿になった者が多い。一般的に名門大学を出れば「エリート学士」と見なされるが、物事の判断力が優れているとは限らず、頼りにならない場合がしばしばある。草原を走る野生の馬なら周囲の異変に敏感だけど、生まれた時から人間に飼育された家畜は野生の本能が鈍っている。それでも馬や鹿なら恢復(かいふく)の可能性はあるけど、リベラル思想を注入された大学生だとお手上げだ。本やパソコンを積んだからといって、駄馬が“駿馬”にならないのと同じ。人間だともっと始末に悪い。

  エイミーが虐殺されたのは誠に悲しい事件であったが、その母親がハッピー馬鹿であったことは更に哀しいことである。もし、彼女が保釈された犯人を前にして半狂乱となり、汚い言葉で罵っても我々は驚かないだろう。むしろ、その姿の方が“自然”に見える。また、亭主のピーターも異常だ。普通の父親なら、釈放された黒人どもを襲撃し、晴らせぬ恨みを抱きながら黒いケダモノを嬲(なぶ)り殺しにするんじゃないか。でも、この父親は冷静な態度を保ち、寛大な心を以て犯人たちを赦す。こんなの日本人では考えられない。仇討ちを「当然」と考えていた昔の日本人は健全だった。悪いことをした者に制裁を加えるのが正常な人間で、左翼人権思想というのは人間の感情を侵蝕するウィルスのようなものである。高学歴者になるほど、この自覚症状が無いんだから、これこそ本当の悲劇である。




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