無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2019年01月

本名と国籍を隠したい朝鮮人 / 二つの祖国を持つ日本人(後編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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恥ずかしく隠したい系譜

Korean 13Old Days in KOrea 3









  朝鮮人は何世代にも亙って日本に住みついているのに、なぜ日本人を憎むのか? それは彼らが否定しがたい劣等感を抱いているからだろう。朝鮮人は絶対に認めないが、彼ら自身がそれを行動で示している。高度先進国の日本で育ったため、朝鮮人の歴史や文化の“みすぼらしさ”に彼らは嫌でも目につく。だが、周りの同胞から「朝鮮民族の誇りを持て!」と圧力を受けるから、「そうだ、朝鮮文化は日本文化より上等なんだ!」と自分に言い聞かせるしかない。しかし、実際の朝鮮文化に触れると、「何で、こんなにつまらないのかなぁ?」と思ってしまう。朝鮮人自慢のチマ・チョゴリを着たら、「なんか野暮ったい!」と恥ずかしく思ってしまうし、先祖崇拝の儀式を見れば、腐乱死体のお祭りみたいで気持ちが悪い。日本人的感覚を持つ朝鮮人の子供にとったら、煩雑で陰鬱な祭祀とか、狂ったように踊るオバはんはゾっとする。また、“素晴らしい”と評される民族音楽でも、太鼓や銅鑼を鳴らす程度の下らない雑音だ。姜信子は友人から朝鮮人歌手のテープを貸してもらったが、5分も聴くと中島みゆきのテープに入れ替わってしまったという。「民族の血が騒ぐ」どころか「沈殿」してしまったそうだ。(『ごく普通の在日韓国人』p.151.)

  日本で暮らしている朝鮮人が自分の出自を隠したくなるのは、無意識的に「自慢できる民族じゃない」と判っているからだ。日本は同質性の高い民族国家だが、外国人だって少なからず住んでいる。しかし、日本人が歓迎するのは西歐系の白人だけだ。これは筆者の偏見ではなく、大企業が大金を出して作る宣伝フィルムを見れば判る。例えば、ファッション・モデルや藝能人で人気が出る混血児というのは、ゲルマン的容貌を持つ人物で、アフリカ系やインド系、アラブ系の容姿を持つ者ではない。昔、カネボウ化粧品の宣伝にはブルック・シールズが、マックスファクターのファンデーションにはダイアン・レインが起用されていたし、ダイヤモンドのCFだとファラー・フォセット、高級ブランデーの「VSOP」にはシェリル・ラッドが出ていた。しかも、彼女達のギャラは目が飛び出るほど高かった。言うまでもないが、時給5万円とか日給20万円じゃないぞ。バブル時代だったから当然としても、高級な口紅や香水、宝石、ブランド品に朝鮮人の女優が起用されることは滅多にない。オムツの赤ちゃんモデルだって白人が多いんだから。とまぁ、こんな日本だから、支那人や朝鮮人の「ハーフ」なんてマイナスでしかなく、友人に自慢できるような血統ではない。朝鮮人は「何だい! 馬鹿にしやがって!」とふて腐れるが、それでも素性を晒したくないので、日本風の名前をつけて「日本人」らしく振る舞っている。

Brooke Shields 002Diane Lane 6Farrah Fawcett 1Cheryl Ladd 2








(左: ブルック・シールズ  / ダイアン・レイン  / ファラー・フォセット / 右: シェリル・ラッド )

  在日朝鮮人の子供や日鮮混血児は、成長して物心がつくようになると、自らの血統を隠したくなるらしい。信子は少女時代を回想していた。まだ幼かった頃、彼女は朝鮮人であることを喜んでいたというが、次第に「日本人と韓国人はどうも仲が良くないらしい」と気づき始めたそうだ。そして、段々と「外国人なんだという喜びが、重荷へと変わっていった」そうである。( p.55) 日本人なら「朝鮮人に生まれた喜びなんてあるのか?」と笑ってしまうが、年端もない信子には朝鮮の実態がよく解っていなかったのだろう。日本には思想の自由があるから勝手だけど、信子は子供の頃、「ハーフ」というのが持て囃されていたので、調子に乗って友達に自慢したそうだ。「私ってハーフなの。かっこいいでしょ。うん、お母さんが日本人でね、お父さんが韓国人なの」と打ち明け、クラスメイトに向かって胸を張っていたそうだ。しかし、両親とも朝鮮人なので、信子はいつバレるかと冷や冷やしたそうである。それでも、小学校を卒業するまで「ハーフ」で通したという。(p.56) それなら、ちゃんと両親とも朝鮮人と正直に話せばいいのに、中途半端に「ハーフ」と自称していたのは、純粋な朝鮮人という身分を心の何処かで恥じていたからなんじゃないか。

  日本で生まれ育つ朝鮮人の子供は、たとえ幼くても自分の家庭は友達の家とは「何か違う!」と感じるらしい。信子が自分を南鮮人と気づいたのは雛祭りや七五三の時だったという。毎年、三月になると近所の友達は、家に雛人形を飾るが、信子の家には無い。羨ましく思った信子は母親に「なぜ、うちではひな祭りをやらないの?」と尋ねる。すると、母親は「うちはね、韓国人だからそういう習慣はないの」と答えたそうだ。(p.48.) 「なんだ、つまらない」と不満を漏らした信子は、姉と一緒に折り紙で人形を作っていたという。七五三の時も同じで、友達は鮮やかな着物を身に纏い、千歳飴を手に持って、お宮参りに行くのだが、信子はそうした友達を眺めているだけだった。そこで母親に尋ねると、「うちは韓国人だから」という答えが返ってくるだけだった。

  朝鮮人の子供に我が国の法律や制度を理解しろというのは酷だが、ふとした事で「自分は特殊なんだ」と自覚する事がある。信子が小学校に上がろうとした時のことだ。近所の子にはちゃんと小学校入学が届くのに、彼女の家には一切送られてこなかった。そこで、彼女の両親は役所に赴き、「子供を学校に通わせてください」と頼んだそうだ。この“不思議”な行動に娘が疑問を持つと、母親は「うちは韓国人だから、お願いしなきゃならないの」と答えたから、信子は目を丸くして耳を傾けたという。信子のような在日鮮人の子供は、成長すると悔しさのあまり、「どうして韓国人だからといって、一々差別されなきゃならないの!」憤る。本来、彼女たちの祖父母が朝鮮に戻らなかったのが悪いだけなのに、朝鮮人は身内を責めず、怒りの矛先を常に“排他的”な日本人へと向けてしまうのだ。そして、いくら高等教育を受けても、この愚かさに気づかない。朝鮮人とは退化へ向けて進化する民族である。

  半島の子供と比べれば、在日鮮人の子供は恵まれている。しかし、快適な生活の代償は大きく、「将来の夢」に制約が附いてしまうのだ。小学生の頃、信子は教師になりたがったそうだ。しかし、その夢を家で話すと、父親の判権は「お前はムリだよ。韓国人なんだから」と否定されたそうである。さらに、娘の心を砕くように父は言う。「先生はダメ、公務員もダメ、普通の会社だってダメだよ。手に職でもつけないと生きてゆけないよ」と窘(たしな)めた。“日本人”のように育った信子は、未来の夢を一瞬で吹き飛ばされてしまい、失望の味を噛みしめていたという。

衝撃のカミングアウト

  朝鮮人の子供は日本人の子と違い、日常生活で特別な恥辱を強いられるから、幼い頃に性格が歪んでしまうことが多い。信子は国立の附属中学を受験するとき、母親から「いい、受験票には姜信子と書くのよ。竹田存子と書いたらそれだけで落ちるからね」と注意されたそうだ。在日朝鮮人というのは、試験用紙とか役所に出す正式な書類には、本名を書かねばならない。日本人の友達はいつでも同じ名前を口にするのに、朝鮮人は時と場合によって使い分けるから、良くて藝能人悪くて工作員みたいな人生を送ることになる。「ジキルとハイド」じゃあるまいし、二重人格者になった気分だ。そう言えば、歌手の和田アキ子は「金海福子」という通名を持っていて、帰化すると「和田現子(あきこ)」に変え、再婚すると「飯塚現子」に変わったという。藝名はしょうがないけど、私生活で名前がクルクルと変わるんだから大変だ。ゴルゴ13でも40年間「デューク東郷」で通しているのにねぇ。

  信子は二つの中学を受験したが両方とも不合格。この結果を聞いた親戚のおばさんは、国籍が原因じゃないかと電話してきたという。そこで、母親は信子に小学校の校長先生に尋ねてみようか、と問い掛ける。しかし、信子は「そんなことやらなくていい」と断ったらしい。彼女は実力があっても国籍で撥ね付けられるんだ、と思い込み、日本人はどうしようもなく在日韓国人を避けているだ、と恨んでいた。「明らかに日本人はプラスで韓国人はマイナス」と述べていた。(p.58)

  信子が中学二年生の時だ。放課後、彼女は友人と二人きりになった時、「私韓国人なんだ」と暴露したという。すると、その友人は「へえ、ノンコは“チョン”なの。“チョン”だったの。全然わからなかったわ」と言い放った。内心、かなりのショックを受けた信子は外の景色を見続けたまま、友人の顔を見ることができなかったという。というのも、友人が何気なく発した“チョン”という言葉が胸に突き刺さったからである。(p. 59.) しかし、哀しいかな、信子は「馬鹿にないでよ!」と怒ることができなかった。彼女は友人の機嫌を損ねたくなかったのか、奇妙な作り笑顔を浮かべてしまったという。この友人との交友関係は続いたというが、信子の心には激しい波紋が広がり、以後、「チョン」という言葉を聞くと過剰反応を示すようになった。当時、「チョン」という差別用語は普通に使われていたようで、みんなが着ていた紺色の学生コートは「チョンコート」、薄くした学生カバンだと「チョンバッグ」、踵が無く爪先の尖った細身の靴は「チョン靴」と呼ばれていたそうだ。筆者には記憶が無いが、信子の言葉を信じるならば、神奈川県の鶴見あたりでは「チョン・グッズ」が普通にあったのだろう。

  蛇足だが、多くの日本人は「チョン」という言葉を朝鮮人の蔑称だと思っている。「バカでもチョンでも」という言い回しがあるので、「朝鮮人=馬鹿」と考えてしまうのだろう。しかし、支那研究者の高島俊男が言うように、この説には根拠が乏しい。「チョン」という“差別用語”は「一人前じゃない奴」を指す俗語で、朝鮮統治以前から日本にあった。しかし、「チョン」と「チョンコ」が混同されたため、「バカチョン・カメラ」という呼称までもが差別表現とされてしまい、今では「コンパクト・カメラ」と言い直されている。本当に嫌な時代になったものだ。昔、三笠宮崇仁殿下が「バカチョン・カメラ」を口にされて批判されたと聞くが、元々この呼び名に悪意はない。筆者が学生の頃、イエズス会神父のピーター・ミルワード教授とお茶を飲みながら話を伺ったことがある。その時、ミルワード神父はイェルサレムで撮った記念写真を筆者に見せて、「私がバカチョン・カメラで撮りました」と笑顔で説明し、やや自慢げに述べていた。筆者は撮影が下手くそだったので、「へぇ~、先生すごいですねぇ~」と褒めたことを覚えている。「馬鹿でも朝鮮人でも扱えるカメラ」と誤解するのは、ひねくれた朝鮮人の一方的な解釈で、当時の日本人はそんなことを思っていなかったはずである。

  話を戻す。日本に住む朝鮮人の子供は、様々な場面で自分が“異邦人”という事を思い知らされるらしい。信子が高校生の時に体験したエピソードが紹介されている。卒業式の三、四日前の事だ。担任の教師から自宅に電話が掛かってきて、「あなたの本名は姜さんでしょ。卒業証書にはどちらの名前を書きましょうか?」という問い合わせが来たそうだ。彼女は一瞬言葉を詰まらせ、「そうですねえ・・・・」と言いながら首を傾げ、10秒くらい沈黙してしまった。そして、迷った末に、「姜で書いてください」と告げたそうだ。すると、担任は確認するように、「姜でいいのですね。どうしましょう、卒業式では一人一人名前を呼ぶんですけど、この時も姜でいいんですか?」と訊いてくる。「いいんです。かまいません」と信子は答えた。

  卒業式当日、壇上の校長は信子の名前を呼び上げた。「姜信子(きょう・のぶこ)」という名前が発せられると、彼女の同級生達はざわつき、「えっ!」という顔で信子の方を見たそうだ。そこで、彼女は動揺してはならぬと自分の勇姿を思い描き、怯みがちな性格を叱咤激励したという。その場は何とか切り抜けたものの、彼女は通名(偽名)で過ごした事を後悔した。最初から本名を使っていれば、衝撃の暴露で縮こまることはなかったのに・・・。でも、信子のクラスメイトだって意外な告白で驚いたはずだ。諸星ダンがウルトラセブンとか、遠山の金さんが御奉行様ならいいけど、一緒に勉強していた級友が朝鮮人だったとは・・・、ショックというか、ちょっと恐ろしい。

  朝鮮名の暴露で傷ついた信子には気の毒な点もある。実は、高校に入学する時、父親が「本名で通いなさい」と勧めたので、信子もその気だったという。「よーし、高校では本名だ!」と意気込んで父親と一緒に高校の事務局を訪れた。父の判権は事務局長に向かって、「娘を本名で通わせたいのですが」と質問する。すると、事務局長は「今でも韓国の方が入学されていますが、皆さん通称をお使いですよ」とアドバイスしたそうだ。しかし、信子はこうした日本人の“親切心”を「余計なお世話」で、差別的な態度と捉えて怒っていた。確かに、朝鮮人であること自体、何ら悪いことではない。ただ、朝鮮人と判ればイジメを受ける虞(おそれ)があるし、朝鮮人の事件が起これば、同じ民族ということで肩身の狭い思いをするかも知れないから、事務局長の判断は妥当と言えよう。何はともあれ、信子が察するように、事務局長は問題の無い円満な高校生活を勧めていたに過ぎない。

  ところが、朝鮮人にとっては、こうした「気配り」が却って屈辱なのだ。事務局長の助言を受け容れた父親は、「そうですか。じゃ、通称で通わせます。どうかよろしくお願いします」と述べてしまった。(p.64.) 信子の父は体を「く」の字形に曲げ、深々とお辞儀をしたそうだ。そして、父は呆気にとられた娘に気づくと、「ホラ、お前もきちんと挨拶しろ」と頭を押さえつけた。「やっぱり、そうだよなぁ~」と我々でも、こうした光景は容易に想像がつく。傲慢な知識人と違い、普通の父親だと教師や官僚に頭が上がらないから、言われたとおりにしてしまうことが多い。信子は帰り際にたいそう不機嫌になっていた。「いったい何のために出て来たのよ!」と忿懣やるかたない。でも、父親は「いいんだよ。先生方がそう言うんだから。その方がいいんだよ」と諭す。後年、信子は本名と国籍を隠してきた子供時代を想い出すと気が滅入るそうだ。「黒く塗りつぶしたい」過去を引き摺る朝鮮人が、日本社会を恨むのも無理はない。

極左の朝鮮人学生と出逢う

  日本は根っからの“お人好し”なのか、受験生の外国人に対して気前が良く、同じ条件で入学を認めたりする。本来なら、朝鮮人には厳しい条件を設け、授業料も三倍か四倍くらい高く取るべきなのだ。信子は在日朝鮮人にしては珍しく「東大文I」に入れた。日本人でも滅多に合格しない帝國大学に合格したんだから、周りから「民族の星」と持て囃されたのも当然だ。信子の方も嬉しくてたまらず、意気揚々であったという。しかし、その学生生活は“やはり”朝鮮人的であった。大学生になって「民族の自覚」が更に強くなったのか、信子は朝鮮民族について「もっと知りたい」と望むようになった。幸運なことに、東大は左翼の巣窟。碌でなしのアカや不逞鮮人なら幾らでもいたのだ。

  本郷でも駒場でも、朝鮮人や支那人は水を得た魚のように活き活きしている。キャンパスをうろうろする信子は、日朝問題研究会が主宰する読書会に誘われたという。(さすが、教養の無い姜尚中が教養学部の教授になれた東大だ。生協の隣に朝鮮部落があってもおかしくはないぞ。) この読書会は極左グループに相応しく、朝鮮問題を越えて『資本論』や『共産党宣言』にまで及ぶテーマを扱っていたそうだ。(p.78) 日朝問題研究会の中心メンバーは、通り過ぎる学生に無視されても、キャンパスで堂々とアジ演説を行う連中だった。ところが、時折、彼らは読書会を欠席することがあったそうだ。なぜなら、ここのメンバー達は左翼デモに参加し、公務執行妨害で警察に捕まることがあったからだ。呆れて物が言えないが、研究会のメンバーは、みんな公安のブラックリストに載っていたという。これで国外追放にならないんだから、在日朝鮮人は特権階級である。信子の話によると、素性のよく判らない別のメンバーは、裏ルートで北朝鮮に行ったことがあるという。案の定、彼らは半年ばかり公安に尾行されたそうだ。信子に指摘されなくても、彼らが筋金入りの社会主義者であることくらい我々でも判る。

  在日北鮮人というのは、豊かで快適な日本に住みながら、恩人たる日本人をいつまでも呪い、同胞を苦しめる朝鮮労働党を支援する。彼らは祖国を理想化し、南鮮の民衆は米国と日本に搾取されてると憤り、米国の世界戦略の中に組み込まれていると非難していた。その一方で、北鮮は“多少”の問題はあるが、自力で着々と発展を遂げていると信じていた。こういう妄想を聞くと、「試しに北鮮に帰ってみろ !」 と言いたくなる。餓死者が出ていた北鮮なんか、虫けらの方が幸せに見えるくらい、史上稀に見る生き地獄。 空腹の北鮮人は山でカエルとかミミズを見つけると、「やったぁ !肉にありつけた!」と躊躇わずに口にしたそうだ。北鮮に住んでいると、『レ・ミゼラブル(あゝ、無情)』の世界なんてちっとも憐れじゃない。盗むパンが市場にあるだけマシだ。

  朝鮮人学生と交流はあったものの、信子は社会主義よりも民族主義に関心があったようだ。朝鮮人に首尾一貫性とか、言行一致を説いてもしょうがないけど、日本への帰化を避け、朝鮮人の「民族性」を守り通すことが大切であるというのなら、朝鮮半島で民族性とやらを保存してくれ。信子は「民族の一員として南北統一の実現を支援し、貢献すること、民族差別に対して闘うことが重要なのだ」と語っていたが、じゃあ、どうして、在日鮮人は何時までも日本に居坐っているんだ? 嫌いな日本に残っていないで、さっさと半島に帰ればいいのに。日本人は拳銃を突きつけ、「日本から出さないぞ!」と脅したことは一度もない。日本は冷戦時代の東ドイツじゃないんだ。だいたい、朝鮮人は言葉と行動が違いすぎる。在日三世とか四世、五世・・・十二世とか、ハプスブルク家の貴族じゃあるまいし。

  しかし、在日朝鮮人は快適な日本に住み続ける代償として、アイデンティティー・クライシスに陥ることがあるらしい。彼らは「いったい、自分は何者なのか?」という疑問に絶えず悩むそうだ。ある時、信子は「張」という鮮人学生から、自分が「協定永住者」という身分であるとこを知る。信子も他の鮮人と同じく、敗戦後の国籍喪失に恨みを抱いていた。1952年のサンフランシスコ平和条約で在日朝鮮人は「日本国民」から「外国人」に戻ってしまった。敗戦後、日本に留まった朝鮮人の身分を述べると長くなるので省略するが、結論を言えば、朝鮮人が半島へ戻るのは当然である。帰らなかった朝鮮人というのは、大抵、闇市の旨味や文明国の恩恵を手放したくなかった連中だ。信子のような在日三世は、勝手に作られた法律で「外国人」にされたことを恨んでいるが、本来、朝鮮に戻らなかった祖父母が悪い。信子は日本にあれこれ不満を述べるが、その一方で強制退去というオプションを本能的に恐れていた。

  (在日朝鮮人が強制退去に応じるとなれば)日本での生活を失って、ほとんど異郷である韓国で生きて行かねばならない。これはもう「死になさい」と言われるのにひとしい。いつ沈むかもわからない「ひょっこりひょうたん島」にのって、大海を漂っているような気分である。(pp.93-94.)

  現在の朝鮮人と同じく、昔の在日鮮人も結果はどうであれ、とりあえず南北統一を望んでいた。信子は同じ朝鮮人なのに、南北で国籍が別れていることに不満だった。同胞愛が芽生えたのか、北鮮籍の者が「協定永住」からこぼれてしまう事に文句を垂れていた。でも、日本は北鮮と国交がないから仕方ない。そもそも、「朝鮮籍」に不満な在日鮮人は、嫌いな日本人と一緒に暮らしていないで、将軍様がいらっしゃる平壌に戻ればいいじゃないか。日本人から言わせてもらえば、朝鮮人は居るだけで迷惑だ。信子は政治イデオロギーで朝鮮が南北に分断されたことを悲しみ、「やるせない気分」になったそうだが、それなら半島に移住して、政治活動をすればいいじゃないか。日本政府は在日鮮人を鎖で繋いで帰国させない訳じゃないぞ。だいたい、信子のような民族主義者は、どうして“いつまでも”日本に留まって、朝鮮問題をあれこれ論じているんだ? 南鮮の選挙権があるんだから、政治家になって南北統一に貢献しろ! たとえ、議員になれなくても、ソウルで勉強し、朝鮮人の学校で教師になればいいじゃないか。

  「韓国人としての私」というアイデンティティーを確立したい信子は、通名を用いて“日本人”のように暮らしていた自分を羞じ、韓国を知らずに育ってきた自分に腹を立てていた。成人してから日本に渡ってきた在日一世と違い、日本で生まれ育った二世や三世は、勝手な想像を膨らませ、理想の祖国を頭に描く傾向が強い。民族意識に目覚めた在日南鮮人は、意識的に「韓国人」ななろうと努力する。なぜなら、信子が言うように、彼らは日本に住んでいても日本人ではないからだ。とはいえ、彼らは哀しい立場にいる。韓国人といっても実際の韓国を体験したことがないのだ。信子はつぶやく。

  居場所がない、どこにも属していない中途半端な自分。そのつかみどころのない感情が確かな位置を見つけたいという衝動をかりたてる。そして、「民族」へと傾斜していく。あるべき韓国人像があって、それに近づこうと懸命だ。・・・自分自身もなかなか理想にたどりつけず、ギャップに悩んだりする。「いったい、私は何者なのかしら? 韓国人であることってどういうこと? 民族ってなんなの?」迷路にはまりこんでいくようでもある。(p.99)

  在日朝鮮人には民族性を意地でも貫こうとする者と、日本の生活に同化し、帰化をして楽に暮らしたいと考える者もいる。しかし、彼らは帰化をすることを「民族への裏切り」と考えてしまう。でも、帰化した方が何かと便利だから、現世の利益を優先させて「日本人」になってしまうのだ。ところが、「日本国民としてどう生きるべきか」といった議論は無い。なるほど、料理とか祭祀といった朝鮮文化をどうするかについて論ずる事はある。しかし、国家元首である天皇陛下への忠誠心とか、皇統への尊敬心、国家存亡の秋に備えての覚悟、あるいは日本文化を守ろうとする熱意は一切無い。帰化鮮人にとり、日本国籍は運転免許証のようなものだ。こんな連中が日系日本人と同じ有権者となり、「日本国民の権利」を享受するんだから、激怒しない日本人の方がどうかしている。

  朝鮮人は日本に帰化しても「日本人」になる訳じゃない。彼らにとって日本は便利で快適な住宅地ていどである。したがって、帰化申請には厳格な尋問が必要だ。日本国民の仲間になる外国人が、我々から審査を受けないということはおかしい。朝鮮人や支那人にっとて「忠誠の誓い」なんて意味が無い。利益の為なら平気で嘘をつく連中だ。そもそも、彼らには日本への愛情があるのか? 一般的に、朝鮮人は反日だから、英霊に感謝することはなく、靖國神社が訪日鮮人によって放火されても何とも思わない。竹島や対馬が南鮮人に占領されても当然と考える。日本の山林や観光地が支那人に買収されても無関心。彼らの愛情は恩恵を受ける日本ではなく、祖父母が眠る朝鮮へと注がれるだろう。とりわけ、日本で官僚や議員になった帰化鮮人の子供は、日鮮の架け橋になりたいと願い、朝鮮半島が統一されれば支援金を出そうと考えるし、南北分断のままなら、北鮮に戦後賠償を支払おうと提案するはずだ。彼らの心は依然として朝鮮人のままだから、間違っても、反日を繰り返す南鮮に「経済制裁を加えろ!」とか、国家犯罪を続ける「北鮮を空爆せよ!」とは言わないだろう。いくら学校で多民族社会を教えても、帰化鮮人と日系日本人は血統が違うから「同胞」にはならない。やがて平成が終わり、新たな元号を迎えるが、日本は段々と日本ではなくなって行くだろう。日本を憎む帰化鮮人やその子孫、およびアジアからの移民が到来すると、日本を憎む者は着実に増えるが、日本を愛する日系日本人は混血の進展で減少する一方だ。日本でK-ポップが主流になる日は近いぞ。



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朝鮮と日本の間に挟まる混血児 / 二つの祖国を持つ「日本人」 (前編)

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日本で増殖する朝鮮系国民

  今月は、南鮮軍による「レーダー照射事件」で毎日うんざりする。保派守派国民は南鮮側の馬鹿げた答えに憤っているが、今さら怒ることでもあるまい。朝鮮人の非常識な反日行為など毎度の事で、相手にする日本人の方が悪く思えてくる。毎回毎回、南鮮人がイチャモンをつけてくるのは、日本人が厳格な報復行為を取らないからだ。アホな劣等民族には理性的な言葉は通じないので、猛獣を扱う鞭か鉄製の棍棒で彼らの脳天を叩くしかない。それが出来ないのであれば、金融制裁を加えてじわじわと韓国経済の首を絞めるしかないだろう。

  南北を問わず、朝鮮人を論じる上で重要なのは、日本に朝鮮人を侵入させないことである。朝鮮人が朝鮮半島で発狂しても、それは彼らの民族的自由で、我々の知ったことではない。南鮮人が北鮮と連携し、統一国家を創りたいのであれば、いくら日本政府が反対しても無駄であろう。したがって、我々は核兵器を持った統一朝鮮と、それを操る支那に備えなければならない。『正論』とか『WiLL』に集まる知識人は、文在寅が親北政策を取っているとか、金正恩が南北会談を画策している、とかを熱心に論じているが、討論すべき事は、日本人が「どうするのか」という点である。マスコミに養われている評論家は、「うわぁぁ、大変だ !」と騒いではかり。彼らは北鮮の兵器開発とか習近平の動向を説明するだけで、日本人が決断すべき事柄については触れようとはしないのだ。何処で仕入れたネタか判らぬ話を得々と披露しているが、肝心な方針となると、下駄を政治家に預けている。

  南鮮と北鮮が一緒に日本を「敵」と見なすなら、我々は占領憲法を廃止して、「自衛隊を正式な国防軍にします」と宣言すればいい。これは一番の省エネだ。左翼知識人は「廃憲なんて暴論だ、非現実的だ」と叫んで猛反対するが、憲法違反の自衛隊を保有していること自体が異常である。廃憲論を困難にしているのは、「日本を弱いままにしておきたい」と望む反日分子の存在である。左翼の中には「反戦平和」で飯を喰っている奴が多いから、日本が“正常”になると別の専門分野を捜さねばならぬから一苦労だ。それにしても、左翼学者は実に奇妙な連中で、彼らはなぜ日本が強くなると悪いのかについては答えない。テレ朝やTBSは昔から、「軍国主義の復活に繋がる!」とほざいているが、それなら核兵器と強力な軍隊を持つ米国や英国は、軍国主義国だから「けしからん!」とでも言うのか? チベット人やウィグル人を絶滅させようとする北京政府は、核兵器で武装した人民弾圧軍を有しているが、NHKやTBSのコメンテイターは矢鱈と支那に寛容で、「軍国主義の支那と絶交せよ!」と宣言したことは一度も無い。一般の日本人も行動と言葉の矛盾に気付いていないのは変だ。もし、軍隊を持つ国が危険なら、どうして多くの日本人が米国や英国に旅行したり、商売や勉学で滞在するのか? だいたい、日本が軍隊を持つと侵略国になるというのは幻想である。むしろ、強力な軍隊を持つ日本が誕生することで、アジアの安定が増幅する、と考えるべきなんじゃないか。

  我々が議論すべき「朝鮮問題」とは、日本人の遺伝子プールを如何にして朝鮮人から守るか、という点である。在日朝鮮人は帰化や結婚でどんどん「日本国民」になっているが、これは「日本人」が増えている訳ではない。逆に、朝鮮人が増え、日本人が減っているのだ。なぜかと言えば、「日本人」とは「日本人の両親から生まれた者」を意味し、朝鮮人の精子や卵子で生まれた混血児は、“本当の日本人”とは言えず、日系人の系譜から外れたミュータントになってしまう。いくら日本国籍を取得しようが、帰化鮮人やその子孫は「朝鮮人の祖先を持つ別種族」であり、“日本人の遺伝子が混ざった朝鮮人”に過ぎない。ただ、中には朝鮮人の血統を忘れ、日本生まれの「日本人」として生きて行く人もいるだろう。しかし、そうした混血鮮人でも、「本当に心から日本人と思っているのか?」と問われれば、何となく言葉に詰まるし、答えに苦しくなれば、こうした疑問に反撥し、質問した日本人を「レイシズム的」と非難し、「異民族の排斥者」と考えるようになる。

  南鮮との政治問題が浮上すると、朝鮮系国民のタイプはだいたい二つに分かれてくる。一つのタイプは南鮮擁護派で、日本のあら探しをして朝鮮の掩護に努めようとする。もう一つは、「どうでもいいんじゃないの!」と無関心になるか、「よく分からない」と答えて逃げようとするタイプだ。前者は民族意識から南鮮を庇いたくなり、何らかの理由を見つけて「日本側にも非がある」と言いたくなる。後者は、「朝鮮人」という汚点を払拭したいがために、「私には関係無い」と言い放ち、なるべく朝鮮問題に係わらぬよう心掛ける人物だ。こうした混血児は「朝鮮が忌まわしい国」と分かっているので、日本人の友人から「朝鮮人の同胞」と思われたくないし、朝鮮に愛着も無いから、出来るだけ距離を置こうとする。彼らは口に出さないが、自然と防衛本能が働き、「私は日本人だ。たまたま祖父母が朝鮮人なだけ!」と自分に言い聞かせる。テレビや新聞の報道で南北朝鮮の馬鹿げた反日運動を目にすれば、朝鮮系国民が顔を背けるのも当然だ。(在日鮮人や帰化鮮人は「チョーセン」という言葉の響きを嫌うらしい。)

  最近の在日朝鮮人や帰化鮮人は、自分が朝鮮系であることを恥じず、自ら進んで朝鮮人、あるいは朝鮮系日本人であると公言する者も多くなった。しかし、こうした告白は朝鮮人のイメージが良くなったというより、日本人が批判を懼れて臆病になったこと、それに多民族教育が普及して日本人という意識が低下した為だ。日本人が朝鮮人に譲歩するのは、知識不足に原因がある。そもそも、普通の日本人は朝鮮人に興味が無い。朝鮮の歴史はドロドロした暗黒史だし、時間をかけて学んでもメリットがほとんど無い。昔から、朝鮮語を学ぶ日本人は特殊なタイプで、優秀な学生なら英語といった西ゲルマン語を専攻するはずだ。日本人は朝鮮に関する知識が無いから、在日鮮人から過去を糾弾されると怯む人が多く、トラブルを避けるため安易に謝る人が少なくない。でも、心の底から謝っている訳じゃないから、不満が残り、「何だ、この朝鮮人!」とつぶやく。もし、悔しい思いをしたくなければ、在日鮮人のやましい過去を知るべきだ。

Kyo Nobuko 2( 左/  姜信子)
  現在では、朝鮮人に関する本がたくさん出版されているが、生々しい朝鮮人を知るには1970年代や80年代までの随筆とか回顧録を読む方がいい。例えば、在日三世である姜信子(きょう・のぶこ / カン・シンジャ)が出版した『ごく普通の在日韓国人』は、在日鮮人の捻れた精神を知る上でとても役立つ。(日本での偽名は「竹田存子<たけだ・のぶこ>」であった。) 彼女は熊本出身の日本人、今村智と結婚し、娘をもうけたそうだ。彼女は神奈川県の川崎や新潟県の柏崎で育ち、東大法学部を卒業して弁護士になろうと思ったが、途中でその夢を断念し、新聞記者を目指したという。しかし、国籍がネックとなったのか、第一志望のO新聞社には採用されず、Q新聞社の入社試験を受けることにしたそうだ。だが、この新聞社でも希望が叶うことはなかった。いくら待っても合格の知らせは無く、彼女は仕方なく実力不足と諦めたそうである。

  ところが、Q新聞社で知り合いになった人から内情を聞いたときはショックを受けたらしい。彼女の成績は女子で六番だった。そして、面接まで辿り着く女性応募者は八名で、採用枠は三人だったという。信子は筆記試験で落ちたから、面接まで行く事はなかった。ただし、Q社の知人によれば、彼女の合否は微妙であったという。というのも、信子の国籍が原因なのでは、と推測されたからだ。もし、面接で朝鮮人応募者を不採用にすれば、何を言われるか分かったもんじゃない。日立製作所の前例もあるから、企業が慎重になるのも当然だ。沸騰しやすい朝鮮人だと唾を飛ばして「差別だ」と騒ぎかねない。しかも、人権派弁護士が嗅ぎつければ、火に油となるのは明らか。なので、筆記試験の段階で落とすことにしたらしい。(もっとも、これは単なる知人の推測で、実際の理由は公表されていないから謎のままだ。しかし、彼女は内心では納得していなかった。) こんな訳で、新聞記者を断念した信子は、広告会社に就職したそうだ。

日本人と結婚する朝鮮人

  TVドラマや映画だと表面的なことしか描かれないが、朝鮮人との結婚というのは、結構しんどいことが多い。姜信子も日本人との結婚で“余計な”エピソードがあったという。彼女の両親は、「そうは言ってもね、やっぱり韓国人は韓国人と結婚しなきゃだめだ」と口を揃えて愚痴をこぼしたそうだ。(『ごく普通の在日韓国人』朝日新聞社、1987年 p.27.) 朝鮮人の親なら、こうした反対論は普通である。建前上、彼らは民族の誇りを口にするが、本当は相手方の両親や親戚からの侮蔑を心配しているのだ。信子の母親は、日本人と結婚した朝鮮人の離婚を持ち出し、娘の行く末を案じていたという。母親の郭寿蘭(かく・すらん)は日鮮カップルの例を持ち出し、朝鮮人の嫁は「向こうの親や親戚に、チョーセン人、チョーセン人って随分いじめられたんだって」と話していた。父親の姜判権(きょう・はんけん)も同意見で、反抗的な娘を諫めていた。判権は次のように諭す。

  日本人の女と韓国人の男という組み合わせならまだ考えられる。でも、その逆は絶対ダメだ。女なんてただでさえ立場が弱いのに、それに韓国人ということになると、よけいに立場が弱くなる。韓国人の方が金持ちという組み合わせもダメだ。チョーセン人のくせに生意気だということになってプライドを傷つけられた日本人との間がより悪くなる。韓国人の方が貧乏でも、それだけで馬鹿にされる。要するに、日本人との結婚は難しいということだ。(上掲書 p. 28)

  こうした理由を聞けば日本人でも、信子の両親が娘の結婚に反対する気持ちがよく分かる。大抵の場合、日本人の舅や姑は、最初から息子の結婚に反対するはずだ。昭和の頃は、不信に思った親が婚約相手の素性を確かめるべく、こっそりと探偵を雇ったものである。こんな塩梅だから、日本人の親は何か気に食わないことを見つけると、「やっぱり、朝鮮人だから・・・」と言いたくなる。しかし、こうした「偏見」は「外人嫌い」というより、息子が劣等人種と結婚した事への落胆が原因となっている場合が多い。それに、生まれてくる孫が朝鮮系となるんだから尚更だ。いくら温厚な親でも怒りと悲しみが抑えきれず、「どうして、よりにもよって息子の嫁が朝鮮人なんだ」と歎きたくなるのも人情で、今まで何の為に一生懸命働いてきたのか分からなくなる。西歐人の嫁なら自慢にもなるが、朝鮮人の嫁だと友人に教えたくないし、普段のニュース報道で韓国とか朝鮮と聞けば憂鬱なる。また、相手方の両親と交流するとなれば自然と気が重くなるし、ゾっとするような朝鮮の風習に出くわせば、どうやって感情を誤魔化せばいいのか戸惑ってしまうだろう。

  一方、信子の両親は日本人の意地悪を非難するが、朝鮮人と結婚した日本人妻への陰湿なイジメについては言及せず、都合良く忘れているのだ。そもそも、朝鮮人と結婚すること自体が愚かな行為で、朝鮮人の親戚による日本人イジメは「陰湿」なんてもんじゃない。朝鮮社会では女は「つまらない存在」で、他人の家庭で育った嫁など自分の一族ではないと考えるのが普通だ。ましてや、日本人妻ともなれば下女扱い。「おぞましい朝鮮」について無知な日本人女性は、実際に体験して初めて気付く。朝鮮人の舅や姑から、「夕飯は台所の片隅で食え」と命じられた日本人はショックを受けるし、祖先を祀る儀式の時など、訳の解らぬ“しきたり”や、やぼったい民族衣装、狂ったような踊りに没頭する親戚を見て心臓が止まる思いだ。西歐人は誤解しているが、日本社会は昔から女性に寛容で、比較的自由が多かった。戦国時代に来日したルイス・フロイスが驚愕したのも当然である。日本の大学教授は日本に対する怨念を基にして勉強しているから、どうしても暗い部分だけを書く。一般国民は大学の名前だけで平伏してしまうけど、左翼学者の判断力は極めて低い。公然の秘密だが、大学院に残って教授を目指す学生には、民間企業に就職できない「残りカス」が多い。したがって、彼らが広める日本社会の説明なんて的外れで、精神の汚染でしかないのだ。

  日本人と結婚した朝鮮人はアイデンティティーの所在に困るみたいで、「民族や国籍の違いなんて大したことない」、あるいは「国籍とか国境にこだわるのは時代遅れだ」と強気になる。でも、現実社会では海外旅行する際にパスポートが必要だし、税金の面でも国籍条項は無視できない。日本に住みながら日本人になれない悲しき鮮人は、浮浪者の如く“個人”を軸にした日鮮関係を語りたがる。しかし、日鮮の溝は暢気な朝鮮人が考えるほど浅くはない。信子の周辺に住む朝鮮人は、日本人との結婚を「民族への裏切り」とか、民族の誇りを捨てる行為だ」とわめく。対する信子は、「日本人や韓国人という前に同じ人間では」と反論を投げかける。だが、差別撤廃運動にのめり込んでいる知り合いの在日鮮人は反駁したそうだ。

  あんた甘いんだよ。そんなの現実逃避の言葉だよ。俺たちは人間である前に朝鮮人なんだ。そこから出発しないと何も解決しない。第一、日本人からして俺たちを同じ人間だとは思っていないのだから。(上掲書 p.29.)

  なるほど、この朝鮮人活動家の言う通りだ。誰が何と言おうとも、朝鮮人は朝鮮人である。他人の国に居坐る異邦人は、タカリを正当化するために「人権」とか「人間」を持ち出す。ユダヤ人も似たようなものだが、朝鮮人は楽園の如き日本に永住したいと切望する。だが、肉体的には日本人ではない。でも、日本を離れるのは考えられないから、定住を正当化する理屈が必要となってくる。とは言っても、まさか「先祖代々の権利」とか「日本国民の権利」なんかを主張できないので、地球上の人間なら誰でも所有すると言われる「人権」を持ち出す。そこら辺に落ちている「人間の権利」なら、インドの乞食やジプシー、離れ小島の黒人でも拾うことができるから、たいへん便利だ。朝鮮人でも「ほら、ウリ(私)もお前らと同じ権利を持っているんだぞ!」と自慢できるし、永住権を「人間の権利」にすり替えれば朝鮮に戻らなくても済む。姜信子のような在日鮮人が国籍や国境を嫌うのは、朝鮮半島に戻りたくないからだ。もっと言えば、「朝鮮人」に生まれた劣等感を打ち消すためでもある。帰化鮮人は日本で生まれ育っても、堂々と「私は日本人」と公言できないから、「日本国民や南鮮国民という前に一個の人間なのよ!」と言いたがる。それなら、「どうか、ひとつ、渡り鳥と一緒に半島へ帰ってくれ!」と我々は頼みたくなるよねぇ~。

  信子は日鮮結婚に関する母親の話を紹介していた。母親の知人(朝鮮人)に息子がいたそうで、日本人の女性と結婚したいと両親に打ち明けたそうだ。ところが、彼の両親は猛反対。親戚も集まって説得したが、彼の意思は固かった。そこで、困った両親は強硬手段に訴えたそうだ。彼らは息子を山奥の温泉に連れ出し、親族会議で説得するつもりだった。しかし、この息子は耳を貸さなかったから、両親は堪忍袋の緒が切れた。頭に血が上った父親と母親は、「結婚を諦める」と言うまで彼を殴ったり蹴ったりして半殺しの目に遭わせたという。こうして親の折檻が効を奏したのか、頑固な息子も次第に心が折れ、恋人との結婚を諦めたそうだ。後に彼は南鮮人の女性とと結婚したらしい。(上掲書 p.30) 信子の母親はこの息子について「今はちゃんと幸せそうに暮らしているみたいよ」と語っていたそうだ。この発言に信子は呆れ、あっけらかんと言いのけた母親に一瞬、恐怖を感じたらしい。それにしても、半殺しの仕置きで結婚を断念させるなんて、さぁ~すが朝鮮人。「火病」を発症する民族は根本姿勢が違うねぇ~。まるで、連合赤軍のリンチみたい。朝鮮人は常々我々を「野蛮な日本人」と罵るが、朝鮮人も結構“野蛮”なんじゃないか。

根拠の無い昔話を信じる在日鮮人

  日本人から見ると、朝鮮人の家庭というのは間違いなく異質で、「アジア人って本当に嫌な種族だなぁ」と思ってしまう。これは料理や宗教、服装、あるいは家の造りだけではなく、思考形態や歴史までが寒気がするほどおぞましいのだ。さらに忌まわしく特徴的なのが、朝鮮人が抱く「恨(ハン / うらみ)」である。在日鮮人は“自らの意思”で来日し、敗戦後に帰国命令が下されても居残った。しかし、図々しく居坐った在日一世は、粘土のように過去を造り替え、まるで無理矢理、我が国へ連行されたかのような妄想を子孫に伝えていたのだ。

  詳細ではないが、姜信子は家族について断片的に語っていた。彼女の父親、判権は川崎高校を出て、中央大学の法学部に進学したそうだ。卒業したら法曹界に入りたかったが、在日鮮人(外国人)なので夢を諦め、鶴見にある祖父の美容室とパチンコ屋を手伝っていた。信子はサラリと述べていたが、日本に残ったことで鮮人の小倅が大学まで行くことができたのは特筆すべき事実である。それなのに、彼女は在日鮮人を差別する日本企業を恨み、父が外国人だから雇われなかった、と歎いていた。「日本人を恨むなら、朝鮮に帰って就職すればいいのに」と我々は思ってしまうが、在日三世たちは日本に住むのが“当り前”と思っているので、特別永住を「特権」とは思っていないらしい。一般的に在日朝鮮人は悲惨な生活をしてきたので、日本に暮らせる幸せよりも、日本で蒙った不幸のことを喋りたがる。信子の家族も日本で暮らす下層鮮人らしく、恥ずかしい記憶に満ちていた。例えば、彼女の家には金融業者がやって来て、しつこく借金の返済を迫ったそうだ。信子は明確に述べていないが、たぶん家にやって来たのは「朝鮮人の高利貸し」だろう。日本の銀行が鮮人にお金を貸すとは思えないから、ヤクザまがいの朝鮮人から融資を受けたんじゃないか。

  朝鮮人の家系自慢には嘘が含まれているから、話したことの総てを信じることは出来ない。信子の母親は在日二世で、彼女の両親(つまり、信子の祖父母)は戦前、日本に渡ってきたそうだ。信子の話によると、祖父母の祖先には高僧や学者などがいて、中々の家系であったらしい。祖父の家系には、ある功績を讃えられ、村に銅像が建つという偉人がいたそうだ。このような“良家”に生まれた祖父は、きちんとした教育を受け、土地を持つ農民であり、信子は「中流階級に属していたんじゃないか」と推測している。(朝鮮の「中流」って「常民」のことか? ) だが、信子の話には疑わしい点もある。彼女の祖父は日本の「植民地政策」のせいで土地を失い、その生活がガラガカと崩れ去ったそうだ。巷には同じ境遇の者が溢れ、半島には“これ”といった仕事が無く、唯一の希望は内地(日本)に移り住むことだった。そこで、彼女の祖父は「希望」を求めて日本に渡ってきたという。(p. 164)

  日本人の昔話と違って、朝鮮人の身の上話は信用できない。信子の祖父も他の鮮人と同じく日本用の通名を拵えたそうで、元々は「郭」という姓であったが、創氏改名のせいで「郭山」に変わったそうだ。朝鮮人は創氏改名を悪魔の所業と考えているが、レンタル子宮に過ぎなかった朝鮮人女性にとって、「家族名」が出来たことは誠に喜ばしいもので、永遠の「よそ者」が夫の家族となるんだから反対すべきことではない。それに、創氏改名は朝鮮人が「日本人」になりたくて自発的に取った行為である。「白丁(ペクチョン)」と馬鹿にされた朝鮮人でも、努力すれば「日本国民」に昇格するんだから、夢を越えた慶びとしか言いようがない。「日本国民」になれた当時の朝鮮人が、どれほど自慢したことか。日本に渡ってきた在日一世達は後ろめたかったのか、子や孫に本心を打ち明けず、日本で味わった苦労話や屈辱的な扱いばかりを話していた。でも、これでは「なぜ」一世が日本に住みついたのか理由が分からなくなるじゃないか。

  今では「常識」となったが、朝鮮人は歴史を捏造する常習犯である。しかし、平成の初めまでは朝鮮人の虚言癖に気付かぬ日本人は結構いて、祖父母のホラ話を信じている在日三世・四世の子供達も多かった。信子もそうした無知世代の一人である。彼女は祖父が受けた暴行について語っていた。たぶん、万歳事件(三一独立騒擾)のことだろうが、彼女の祖父は朝鮮人が集まる広場を訪れ、みんなと一緒に「万歳 ! 万歳 !」と叫んだそうだ。その日は何事も無く皆が帰っていったが、三日後に事件が起きたという。街を独りで歩いていた祖父はいきなり日本人の警官に捕まり、有無を言わさず警察署に連行されたそうだ。彼女の祖父は三日前オーバーの背中に赤い目印が附けられていたのに気づかず、それを再び着て街を歩いていたらしい。信子の祖母が言うには、祖父は三日三晩勾留され、日本人から木刀で殴り続けられたという。釈放された時には動くこともできなかったそうだ。(p.54.)  信子の祖母は話する時、いつも「日本人は酷いことをするよ」と締めくくるのが口癖だったという。

  筆者は以前、『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』の原稿を書いたとき、三一独立騒擾の事も載せようと思ったので、ちょっとだけ詳しい。(残念ながら、ページ数の都合でこの部分は削除となった。) 一般的に、日本人は朝鮮史に関心が無いから、「朝鮮総督府は朝鮮人を弾圧した」と思っている。だが、よく調べてみると朝鮮人の勘違いと、「いつもの」過激行動が事件の核心と判る。信子は集会に参加したことが逮捕の原因と考えているようだが、祖父が正直に事件を語っているとは限らない。朝鮮人は自分にとって都合の悪い事実を“省略”する性質(クセ)があるので、口述された話だけを鵜呑みにするのは危険だ。たぶん、警察官に捕まったことは事実なんだろうけど、拘束の理由は他にもあるんじゃないか。また、どんな理由で暴行を受けたのか定かではない。集会に参加した朝鮮人の中には悪質な者や過激派、ゴロツキなどが混ざっていたから、信子の祖父が「無実の一般人」とは限らず、何らかの資料を基にした吟味が必要だ。

  本来、朝鮮人の昔話や家庭事情など聞くだけ時間の無駄であるが、政府が朝鮮人の来日を奨励し、日本への帰化を許しているので、我々は知的武装をしなければならない。朝鮮人は侮蔑されたことを活動のエネルギーにして、我々を糾弾する。そればかりか、日本の伝統文化を踏みにじり、自分達にとって快適な多民族社会変えようと図っているから、我々は鮮人駆除に邁進せねばならない。それには先ず、朝鮮人の勝手な歴史を斥け、容赦無く斬り捨てるべきである。日本人は左翼も含めて朝鮮人に甘く、彼らの言い分を検証もせずに頷くことが多い。「民族差別」という言葉を懼れるあまり、朝鮮人に同情したりするから朝鮮人がつけ上がってしまうのだ。朝鮮人が横暴になる要因の半分は日本側にある。日本人はローマ人の如く反抗する異邦人を無慈悲に懲らしめるべきだ。日本に文句を垂れる朝鮮人なら手加減せず、女・子供・老人であろうとも日本から叩き出し、「鮮人無き日本」に戻すべきである。必要なら日本国籍を剝奪し、祖国である半島に追放することも必要なのだ。

  朝鮮人について語るのは気分が重くなるけど、もう少しだけ後編で述べることにする。



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