無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2019年04月

ストロベリー・ナイト・サーガの性(さが)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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リメイクは失敗する

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(左: 前作の「ストロベリー・ナイトの」のキャスト  /  右: 新作「ストロベリー・ナイト・サーガ」のキャスト)

  先月、何年ぶりだろうか、久々に邦画や日本のTVドラマを観た。というのも、筆者が楽しみにしていた米国のTVドラマ『ヴァイキング』のシーズン5(後半)と英国のNetflixドラマ『ラスト・キングダム』のシーズン3が終わってしまったからだ。次に何を見ようかと迷っていたところ、たまたま知人に「ストロベー・ナイトのリメイクが放送されるから、前作を観てみれば」と勧められたので、「久しぶりに邦画でもいいか」と思い、幾つかのエピソードに目を通してみた。前作の感想は「まぁ、こんなものだろう」と一応合格点をつけたのだが、新作のリメイク版を観てビックリ。学藝会並みの出来映えだったからである。

  このTVドラマは誉田哲也(ほんだ・てつや)のベストセラー小説を基に制作されたというから、多少まともな脚本になっており、大人でも楽しめる内容となっている。事件を捜査する刑事たちが調べを進めてゆく内に、犯人の意外な実像や複雑な人間関係に気づき、やがて隠された真実が見つかる、という筋書きだ。視聴者は主人公の姫川玲子(ひめかわ・れいこ)と一緒になって事件を推測し、違った角度からの捜査を楽しむ。そこには推理小説の常として、ダイヴァージョン、すなわち陽動作戦というか、間違った方向への誘導があり、各場面に事件解決へのヒントが隠されているのだ。たぶん、ジグソーパズルのピースを一つ一つ当てはめながら、全体像を完成させる構ような成になっている。だから、視聴者はこのドラマに引き込まれてしまうのだろう。

  また、主任の姫川には暗い過去があるのも特徴の一つだ。彼女は高校生の時、暗闇の場所で強姦魔に襲われ、ナイフで刺された上にレイプされてしまったのだ。この心傷は刑事になっても姫川につきまとい、一生消えることのない心の闇となっている。警察署では毅然とした態度を取る姫川だが、夜の街を一人歩きすると、ふと昔の記憶が蘇り、震えて立てなくなくなってしまう。犯人を追跡する姫川が犯罪者の異常心理を理解できるのも、彼女に同じ心理があるからだ。辛辣な勝俣警部補が「お前は刑事に向いていない !」と罵倒したのは、姫川のダークサイドを知っていたからだろう。性犯罪者というのは、たとえ逮捕・起訴されても、死刑にはならず、せいぜい臭い飯を数年食えば釈放されてしまうから、強姦の被害者が「殺してやりたい !」と恨みを抱いても無理はない。陵辱された女性の苦悩は一生続くのに、強姦魔は6、7年のお勤めで自由の身なんだから「赦せない !」と思っても当然だ。

  リメイク版のストーリーは基本的に前作と同じで、違いはキャスティングにある。前作だと、主役の姫川役には竹内結子が起用され、副官の菊田和男は西島秀俊が演じていた。また、捜査一課第十係の主任を務める姫川には若手の部下がいて、小出恵介、丸山隆平、宇梶剛士が演じている。ただし、「姫川班」のメンバーではないが、捜査の都合上、井岡博満という鬱陶しい巡査部長がくっ附いている。この役には生瀬勝久が起用されていた。たぶん、深刻な場面の連続とならないよう、緊張緩和のために、井岡のような緩いキャラクターを添えているのだろう。姫川にベタ惚れの井岡は、アホ面下げて、しょっちゅう「レイコちゃ~ん」と言い寄る。姫川は「気持ち悪い !」と吐き捨て、ガツンと肘鉄を食らわすが、井岡はそれにもめげず諦めない。視聴者は、こうした道化的キャラクターに呆れてしまうが、段々と慣れてくるので何となく必要な人物と思えてくる。生瀬にはこういう役が似合っているのかも知れない。新作で「井岡」を演じる今野浩喜は邪魔なだけで、論評する価値すら無い。

  姫川には天敵にも等しい勝俣という警部補がおり、彼はいつも姫川に辛く当たっていた。彼は煮ても焼いて食えない、海千山千のベテランで、一方的に姫川から捜査情報を引き出そうとする。勝俣は元公安らしく、裏取引や強引な尋問さえ厭わない。世間の裏や捜査の複雑さを充分理解しているが故に、勝俣は猪突猛進型の姫川を「刑事に向かない」と言い放つ。この忌々しい刑事役を武田鉄矢が演じていて、結構好評らしい。 しかし、筆者が監督なら別の役者を用いる。新作で「勝俣」を演じる江口洋介は、武田に負けまいとしているのか、矢鱈と演技がわざとらしい。彼も事務所と制作者の力学で起用された役者なんだろう。江口氏は昔、『古畑任三郎』に出ていたので覚えているけど、二軍のサッカー選手みたいな風貌で、特別なオーラがあるとは思えない。でも、人気俳優なんだろう。

  今の俳優には詳しくないので、昔の役者で言えば、「勝俣」役には成田三樹夫さんみたいな人物が適役だ。キレ者で抜かりの無い捜査を行う刑事役にはピッタリの俳優である。何しろ、敏腕刑事を演じさせれば一流で、微妙な表情となればお手の物。名脇役と称された成田氏は、本当に“うまい”役者だった。武田鉄矢もいいけど、彼はどちらかと言えば、冴えない中年警部が似合っている。1980年代、彼は『刑事物語』で自ら監督・主演を務め、ジャッキー・チェンのようなアクション・シーンを撮っていた。片山刑事に扮する武田氏が、木製ハンガーをヌンチャクのように使い、犯人を逮捕するシーンはちょっと話題になった。「金八先生」上がりの武田鉄矢は、交番勤務の巡査くらいが丁度いい。

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(左  :  成田三樹夫  /    右  : 清水紘治)

  もう一人、姫川のライバルとなるのが、捜査一課の警部補たる日下守だ。この役には伊藤憲一が起用されていたので、演技力には問題ない。姫川の上司である今泉係長には、高嶋政宏が当たっていたが、どう評価していいのか判らない。なぜなら、どの中堅俳優が起用されても違和感が無いからだ。おそらく、彼のスケジュールが空いていたから役が回ってきたんだろうけど、「別にあの役は高嶋じゃなくてもいいから、誰でも代わりがきく」と思えてしまうのだ。今の状況じゃ難しいと思えるが、贅沢を言えば、清水紘治みたいな俳優がいい。上層部から部下を庇う係長なら、清水さんくらいの力量がなくちゃ。高嶋は所詮「親の七光り」で登用される雑魚役者だから、まともに論評する気にはなれない。

Sato 2(左  /  佐藤慶)

  問題なのは、捜査一課の管理官「橋爪」を演じる「渡辺いっけい」だ。捜査会議で姫川にガミガミ言う上司役なんだが、癇癪を起こして怒鳴りつける演出だから、却って白けてしまう。どうせ、姫川を叱りつけるんなら、声を低く抑え、冷たくドスの利いた言葉で咎める方がいい。たぶん、演技指導をする監督の佐藤祐市が未熟なんだろう。あるいは、もしかすると視聴者が馬鹿なので、はっきりと伝わるように、わざとらしいセリフ回しにしているのかも知れない。捜査一課の管理官役には佐藤慶ような名優を起用すべきなのに、キャンキャン吠えるだけのチンピラ俳優を据えるとは、この役柄にどんなイメージを描いていたのか尋ねてみたい。(『大都会 / 闘いの日々』で「深町警視」を演じた佐藤慶は絶品だった。今だと、佐藤氏のような俳優はいないんじゃないか。)

  竹内版の『ストロベリー・ナイト』は視聴者から結構な評価を得たというが、今回の『ストロベリー・ナイト・サーガ』は残念な結果となってしまった。まだ、始まったばかりなんだけど、初回をスペシャル版で放送したところ、視聴率が何と7.8%しかなく、第二話で浮上するかと思いきや、更に下がって6.4%へと落ちてしまった。筆者は「6%以上もあったんだから、いいじゃないか」と思ってしまうが、制作者からすると悲惨な数字らしい。せめて10%くらいは欲しいそうだ。前回の竹内バージョンは平均して15%くらいあったので、相当ガッカリしたものと思われる。確かに、前作を凌ぐ意気込みで作ったんだろうから、その視聴率が前作の半分くらいじゃ泣けてくるだろう。でも、フジテレビのリメイク作品はどれもこれも似たようなものらしい。まだ観ていないんだけど、フジテレビは松本清張の『砂の器』をリメイクし、東山紀之を起用したそうだ。必殺シリーズの「中村主水」を台無しにしたアイドル歌手が、またもや名作の主役になるなんて信じられない。映画版の加藤剛を知っている人なら唖然とするはずだ。やはり、ジャニーズ事務所の力なんだろう。もっと恐ろしいのは、アメリカのヒット・ドラマ『Suits』を日本版にして放送したことだ。織田裕二を主役にしたそうだが、どんな結果になったのか想像がつく。たぶん、惨敗したんじゃないか。

  リメイク版の『ストロベリー・ナイト』が低視聴率になったのは、どうもキャスティングにあるらしい。確かに、前作で魅了されたファンにとったら、今回のキャスティングは納得できないはずだ。まず、姫川役の「二階堂ふみ」には、重荷というか不適格さを感じざるを得ない。捜査班を率いる主任の役には、ちょっと若すぎるのだ。必死で役に打ち込んでいる努力は認めるけど、何となく高校生女優が背伸びしているようで、観ていて痛々しくなる。遠慮無く言えば、小娘の演劇会に近いということだ。男社会の警察で、若い女性が捜査主任になったという設定なんだから、梶芽衣子(かじ・めいこ)くらいの実力派女優を採用しなければならないのに、藝能事務所が派遣した小娘を使っているんだから厭になる。今では古臭くて話題にならないけど、『修羅雪姫』の梶さんには存在感があった。当時、まだ二十代だったけど、如何にも「映画女優」という雰囲気を漂わせ、結構見応えがあった。ちょっとマニアックだが、女刑事の役者を考えると、ふと「Gメン75」で吹雪刑事役を演じた中島はるみを想い出す。ただ、今では誰に訊いても覚えていないので、「時代遅れなのかなぁ~」と反省することがある。(夏木マリや江波杏子は別格。)

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(左  :  梶芽衣子  /  右   :  中島はるみ)

  話を戻す。『ストロベリー・ナイト』の視聴者はどうしても竹内結子と比べてしまうから、二階堂氏にとっては不利な立場になる。おそらく、観客は竹内氏のイメージで姫川を捉えてしまうから、代役の二階堂氏を目にすると、生理的に嫌ってしまうのだろう。これはよくあることで、007シリーズのジェイムズ・ボンド役には賛否両論がいつもあるし、『バットマン』のブルース・ウェイン役、シャーロック・ホームズ役、『子連れ狼』の拝一刀役もそうである。ホームズ役はジェレミー・ブレットが一番良く、ロバート・ダウニー・ジュニアなんて論外。シャーロックとは別物である。とりわけ、「拝一刀」役なら絶対に萬屋錦之介で、北大路欣也は安上がりの代用品ていど。ボケ老人用に作った時代劇に適した役者である。ちなみに、原作者の小池一夫先生は、若山富三郎の拝一刀を評価しておらず、田村正和の方を好んでいたらしい。拝一刀のイメージは正和様なんだって。

  とにかく、二階堂氏よりも酷いのが、「菊田」役の亀梨和也だ。前作で菊田役を演じた西島秀俊はそれなりに評価できる。たぶん、番組のファンには好評であったはずだ。ドラマの中で「姫川班」を支えている菊田は、主任としての姫川を尊敬する一方で、密かに好意を抱いてる。だが、彼はそれを顔に表さない。安っぽいドラマをつくる脚本家だと、番組を盛り上げるために二人を熱愛カップルにしがちだが、前作の『ストロベリー・ナイト』では菊田の感情を抑制し、“もどかしい”くらいの不器用な男にしていた。しかし、これが却って良かったんじゃないか。素直に「好き」と言えず、沈黙したまま彼女に付き従い、姫川に何かあれば体を張って護衛するする姿が麗しい。女性ファンが西島氏に憧れるのもうなづけよう。

  ところが、今回の「菊田」を演じる亀梨は“ボンクラ”刑事にしか見えない。姫川主任の「相棒」というより「木偶(でく)の坊」だ。彼のファンには悪いけど、筆者には住宅販売の新人訪問員か、牛丼屋の学生店員、倉庫係の新入社員ていどに思えてしまうのだ。公式的には主演らしいが、「姫川班」にくっ附いているだけの「一反木綿(いったんもめん)」といったところ。厳しく言えば、影の薄いエキストラといった感じである。もちろん、亀梨本人に罪は無く、彼を採用したプロデューサーや監督、配役を命じた所属事務所の不手際だ。ネット情報によると、亀梨氏は「KAT-TUN」という歌手グループのメンバーで、多くのTVドラマや映画に出演している。(この「カート・タン」というバンド名は何の略なのか判らないけど、きっと若い子が熱狂する人気グループなんだろう。) 以前、彼は『3年B組 金八先生』に出演していたというが、それよりもビックリするのは、『妖怪人間ベム』の「ベム」役を演じていたという事実だ。筆者はしばらく民放のTVドラマを観ていなかったので、まさか、子供の頃に観たアニメがドラマ化されているとは思わなかった。さらに驚愕すべきは、懐かしのアニメ『ど根性ガエル』もドラマ化されていたという事だ。もう、立ち眩みしそうな話だが、現実とは誠に恐ろしい。ネタが尽きた日テレは、信じられないことを平気でするだなぁ。破廉恥テレビ局だから仕方ないけど、「いくら何でも・・・」と天を仰ぎたくなる。

  フジテレビは例の如く、TVドラマで好評を博した『ストロベリー・ナイト』を映画化した。つまり、無料放送で視聴者を獲得したテレビ局は、この人々を劇場に誘ってお金儲けをしたということだ。『インビジブル・レイン』という劇場版では、大沢たかおが極清会の組長「牧田勲」役を演じ、彼の正体を知らない姫川を誘惑する。そして、姫川は迂闊にも牧田に惹かれてしまい、肉体関係を持ってしまうのだ。(あり得ないけど、車内セックスとなっていた。) この無茶苦茶な筋書きはともかく、大沢氏には組長を演じるほどの実力やオーラは無い。代紋を背負う組長の迫力に欠けるし、チンピラ役ですらこなせなんじゃないか、と思えてくる。本人は実力派を気取っているんだろうが、観客からすれば白々しい演技にしか見えない。こういう役は渡瀬恒彦のような俳優じゃないと無理だ。渡瀬恒彦には迫力があったし、相手を萎縮させるほどの「眼光」を持っていた。実際、彼は喧嘩が強かったし、女性を惹き付ける魅力があったので、主役を張るには充分な素質を持っていた。これなら、大原麗子が惚れたのも解る。女心をくすぐる渡瀬は、たとえ別れても嫌いになれないタイプだ。大沢氏には熱心な女性ファンがいるんだろうが、男性の観客からすれば格下の脇役にしか過ぎない。とても、重要な役柄を任せられるような俳優とは思えないから、キャスティングの背後には事務所の“力”が働いていたのだろう。

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(左  :  大沢たかお  /  右  :  渡瀬恒彦)

  大人の視聴者は、「なんか、最近のドラマはつまらない」と愚痴をこぼしてしまうが、「ドラマ」と思っている方が間違いなんじゃないか。我々が観ている映像は、演劇じゃなく「長編CM(テレビ広告)」なのかも知れない。つまり、人気藝人が商品となっているだけの宣伝フィルムということだ。ある番組プロデューサーが述べていたが、「今、TVドラマを観ているのは馬鹿だけ」ということらしい。こうした視聴者はストーリー性など気にせず、ただ贔屓の俳優が出ているから観ている、といった類いの人々であるそうだ。彼らはお目当ての役者が出れば「キャ~」と喜ぶだけで、作品の質なんか“どうでもいい”と思っている。だから、制作者は本気になって作らない。どうせ凝ったドラマを作っても、こうした視聴者は理解できないから、知的レベルを下げて、なるべく多くの人に観てもらおうと考えている訳だ。確かに、何百万単位の大衆に向けて放送しているから、底辺層レベルに合わせた作品にしないと受け容れてもらえないのだろう。要するに、観ている人が中学生程度の知的レベルなら、中学生でも解る内容にしているというこだ。

  「つまらない」ドラマの原因は幾つか考えられるが、最も致命的なのはキャスティングがテレビ局や制作者側に無く、大手プロダクションにあることだ。素人はドラマの脚本が出来てから、それぞれの役に当てはまる俳優を探すと思っている。しかし、実際はその逆で、まず起用する役者が既に決まっているという。大手藝能プロダクションがゴリ押しする「タレント(藝の無い動物)」を売り出すためにドラマが企画され、脚本が求める役者かどうかなんて関係ない。つまり、主役を張る「タレント」が芝居の出来る人かどうかなんて、最初から問題にしていないのだ。確かに、六本木や青山で歩いているお嬢ちゃんをスカウトして、歌手や俳優にさせているんだから、藝(歌唱力 / 演技力)が無くても当然である。音痴のアイドル歌手がレコード大賞に輝いたり、大根役者が日本アカデミー賞とかブルー・リボン賞をもらったりするのは、審査員が裏で藝能事務所と繋がっているからだろう。だいたい、何で笑福亭鶴瓶がブルー・リボン賞の主演男優賞に選ばれるんだ? それに、最近の邦画は筆者の理解を超えている。鶴瓶と同じ年に、綾瀬はるかという「タレント」が主演女優賞を獲得したというが、出演作の『おっぱいバレー』って何なんだ? 最初、筆者は裸のバレリーナかと思ったが、調べてみたら、バレーボール部の話であった。

  とにかく、現在のTVドラマは滅茶苦茶である。何しろ、ドラマ制作の主導権を事務所側が握っているので、現場には「所属タレントの出番をもっと増やしてくれ」という困った注文が来るし、「イメージが崩れるシーンは撮るな」とか、「肌の露出やベッドシーンは厳禁」など、様々な制約が課せられる。こんな干渉を受ければ、作り手は馬鹿らしくなって、「もう、どうでもいいや!」と投げやりになるだろう。

  そもそも、今のドラマはCMスポンサーのご機嫌を伺いながら作っているから、ドラマの内容など二の次三の次らしい。マーケット・リサーチをして観てくれそうな年齢層を調べ、その対象に向けたドラマを作るだけだから、主眼はスポンサーへと注がれ、視聴率だけが目標となる。したがって、起用される役者は、固定客を持つ人気俳優かプロダクションが押しつける看板タレント、プロデューサーに可愛がられている藝人、スポンサーが化粧品のCMとかイベントに使っている女優などである。亀梨という「タレント」はジャニーズ事務所の歌手であるというから、おそらく所属事務所がネジ込んだ役者なんだろう。あの演技力を観れば、誰も「実力で主役を獲得した」とは思わない。闇の指図か無言の圧力が働いたはずだ。

  またもや脱線したので話を戻す。インターネットには、出演者に対する批判や罵倒が見受けられるが、それはお門違いというもので、本当に悪いのは彼らを起用したテレビ局と、強引に自社商品(タレント)ねじ込むプロダクションだ。筆者が歳を取ったせいかも知れないが、姫川役を演じている二階堂氏を観ると、「一生懸命、与えられた役をこなしているんだなぁ」と“つい”同情したくなる。何となく仏心が出てきて、「もしかしたら、本人は嫌がったのに、事務所が命令したのかなぁ」と勘ぐってしまうのだ。それに、画面を眺めていると、「ご両親は心配しながら見守っているんだろうなぁ~」と考えてしまい、ドラマに集中できない。可愛い娘が上京して、主役に抜擢されたんだから、親としては嬉しいはずだが、世間からの激しいバッシングを耳にすれば心が痛むはずだ。二階堂氏はまだ二十代半ばなんだから、もっと温かい目でみてやってもいいんじゃないか。ネットでは酷評されているが、それほど演技が下手なわけでもないから、経験を積めばそのうち上手くなるさ。ここでは関係ないけど、二階堂氏を目にすると、小学校の運動会で一生懸命走っている女の子を連想してしまう。二階堂氏には失礼なんだけど、幼い顔立ちなので、どうしても「近所の小学生」に見えてしまうのだ。だから、個人的には、彼女を厳しく評論したくない。

  それでも、『ストロベリー・ナイト・サーガ』のキャスティングに関し、かなり辛辣な評価を述べてしまった。だが、もともと無料で観ているんだから、文句を付ける方が間違っている。雑誌でドラマを云々する評論家は6%の視聴率をあざ笑っているけど、角度を変えて見れば、「6%も獲得したぞ」と言えるんじゃないか。実際、1%の視聴率がどれくらいの人数になるのか判らないが、サンプル数や地域格差を考慮すれば、だいたい15万ないし20万人くらいだから、6%なら約120万人が視聴したことになる。ただ、制作費を払ったスポンサーは不満だろうから、テレビ局側に「どうなっているんだ !」と苦情を呈するはずだ。お金を出す人は口も出すから当然だろう。したがって、大人が満足できるようなドラマを観たい人は、劇場映画に行くしかない。ところが、銀幕で鑑賞する映画は駄作ばかり。日本映画の衰退は著しい。良質な作品を求める観客が、アメリカのTVドラマや洋画に流れたのも当然だ。

  今、手元に「民間テレビドラマ視聴率ランキング(1990~2016年)」のリストがあるんだけど、 どのドラマも観たことがない未知のドラマばかりである。(浦島太郎にでもなった気分だ。) 辛うじて知っているのは、『3年B組 金八先生』と『古畑任三郎』くらい。驚いたのは、2006年に『西遊記』(フジテレビ / 最高視聴率29.2%)と、2007年に『華麗なる一族』(TBS / 最高視聴率30.4%)がリメイクされていたことである。所属事務所と出演者を記載したリストによれば、前者は香取慎吾が孫悟空役で、後者は木村拓哉が主演を務めていた。どちらも、ジャニーズ事務所のタレントだから、「やっぱり、宣伝ドラマか !」と思ってしまう。孫悟空なら堺正章が印象的なのだが、香取氏のバージョンは「どのようなもの」であったのか、想像しただけでも恐ろしくなる。また、山崎豊子のドラマといったら、仲代達矢とか田宮二郎を思い浮かべるが、「今では木村拓哉なんだ」と分かり、「もう昭和の時代には戻れないんだなぁ」と悲しくなる。

  つい最近耳にしたんだけど、来年、テレ朝が大ヒット・ドラマの『24 -Twenty Four-』をリメイクして、日本版を放送するそうだ。制作する前から自爆が予想できるのに、あえて作ろうとするんだから、テレ朝の社長や担当プロデューサーには何か秘策があるに違いない。昔から、テレ朝は大東亜戦争を執拗に「無謀な戦争」と非難していたが、開局60周年記念に「無謀なドラマ」を企画するなんて、中々やるじゃないか。タバコをくわえながら、ガソリンで水浴びするようなものだ。まっ、人間は一生のうちに一度くらいは、失敗と分かっていても挑戦することはあるさ ! それにしても、誰が「ジャック・バウアー」を演じるのか興味がある。たぶん、「どきどきキャンプ」の岸学(きし・まなぶ)じゃないことだけは確かだろう。




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懲罰増税を目論むエリート官僚

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日本を貧乏にする政策



   来月から「令和」という新時代が幕開けとなり、全国各地が祝賀ムードに包まれ。る。だが、肝心の懐が冷えたままで、心からのお祭り気分とはなれない。というのも、新元号を迎えたら消費増税が待っているからだ。せっかく皇太子殿下が即位なさるというのに、「懲罰増税」が賦課されるとは ! 政府と財務省を恨みたくなる。想像したくないが、消費の低迷で日本経済は更に「深刻な不況へと真っ逆さま」になるのは必定。中小企業の経営者や従業員、商店街のオっちゃんオバちゃんまでもが、「今年は売り上げの激減を覚悟しなければ・・・」と憂鬱になる。そして消費者たる一般国民も不安になるから、誰も彼もが「節約」と「貯金」で自己防衛だ。こんな暗い未来になるのに、財務省は税収が増えて景気が回復すると思っている。税率が5%から8%へとアップした2014年以降、我が国の経済がどうなったのか、思い出せば判るのに、キャリア官僚は知らぬ顔で無責任。

  毎度の事だけど、政治家と官僚は本音を隠すために嘘をつく。国会議員と呼ばれていても、永田町に集まってくる政治家は本質的に地方議員で、気にするのは特殊利益と票田ばかり。役人は端っから省益のみだ。お役人様は国民の生活より、自分の利益を優先するからタチが悪い。それでも、景気の動向を具体的に討論すると増税できなくなるから、「少子高齢化時代を迎え社会保障財源の確保や財政再建が喫緊の課題だ」と国民を脅かす。しかし、これを見透かし、屈服しない国民もいるので、「政府債務残高(国の借金)が1000兆円を超え、日本の財政赤字は危機的状態にある」と宣伝する。慌てた民衆は「ごもっとも」と頷いて、お上に同意するから、いつまで経っても官僚支配のままなのだ。よく詐欺師が偽の請求書を送りつけ、ありもしない法律を記載し、「超過料金の支払いを拒否すれば訴訟になります」と脅かすけど、官僚の手口もこれに近い。

  今年の夏には参議院選挙があるので、いくらアホな安倍総理でも「増税で選挙を戦える !」とは思っていないだろう。もし、野党が大勝すれば、念願の「改憲」どころじゃなく、自民党内から不満が爆発し即退陣だ。したがって、安倍総理が消費税アップの凍結を宣言する可能性はある。(本当は、消費税を下げてほしいところだが、財務省は絶対に許さないだろう。) だが、実権を握る高級官僚が許してくれるのか、が心配だ。財務官僚は安倍氏に厄介事を押しつけて退陣に追い込み、極左仲間の菅義偉(すが・よしひで)が総理になれば祝杯を挙げるに違いない。霞ヶ関の官僚が「この官房長官を首相へ」と望むのは、彼の頭が赤いからという理由もあるが、金融や財政、外政に疎いという弱点があるからだ。

  そもそも、消費税アップの元兇は三党合意にあり、悪夢のような民主党政権時代に出来上がったものである。"ルーピー"の鳩山が去って、無能な菅直人が総理になっから、財務官僚は欣喜雀躍だった。「市民運動家」上がりの菅は、実際の政務なんて全く解らず、日本への怨念だけが原動力。師匠である市川房枝の"雑巾持ち"くらいが似合っているのに、悪魔のいたずらで日本国の総理大臣になってしまった。地位だけが高くなった菅は、内政・外政の実務に直面して顔面蒼白。英語がサッパリなのに国際首脳会議に出たもんだから、ウィーンの社交界に迷い込んだドン百姓みたいで、惨めとしか言い様がない。歐米に駐在する日本人にとったら、恥ずかしくて押し入れに隠れたくなる光景だった。そこで、焦った菅が頼りにしたのは高級官僚。例えば、主計局長から財務事務次官になった丹呉泰健(たんご・やすたけ)。 元社民連の極左総理は盲導犬よりも従順だった。次に宰相となった野田佳彦も、最初から財務省頼りで、腹話術の人形と変わりが無い。こんな塩梅だから、権勢を保持したい役人にとって、誰が総理になろうが皆同じで、民主党の菅(直人)だろうが自民党の菅(義偉)であろうが、レクチャーで操ることが出来るんだから、どちらでもいい。

  日本は建前上、「議会制民衆政治」と呼ばれているが、実際は「官僚制衆愚政治」だ。ドブ板選挙だけが得意な政治家に、悪知恵が働く官僚を使いこなすなんて土台無理。膨大な資料や統計を前にすれば、大半の議員は「えぇぇ~、こんなの分からないよぉ~」と匙を投げるに決まっているから、側近になった官僚は講義を申し出る。でも、悲しいかな、議員「先生」は専門用語すら分からない。ただし、議員としてのメンツがあるから、いくら能無し「先生」でも分かった振りだけはする。最終的にレクチャーを受けた議員は、書類を“斜め読み”にして「よきに計らえ !」で終わりだ。「ご説明」を終了した官僚達は、クスクスっと笑いをこ堪えるのに必死となる。彼らは議員を心の底から見下し、腹の中で「バカは最初からオレ達に従ってりゃいいんだよ !」と呟く。高等文官試験に合格した選良役人から見れば、愚民の代表など「使い走り」か「召使い」といった程度だ。大臣となった「先生」でも格下扱いで、その寿命はアイドル歌手より短いと思っている。

  それにしても、日本経済を奈落の底に突き落とそうと考える財務官僚って、一体どんな種類の人間なのか? 彼らの「常識」を見ていると、「庶民の常識とは違うなぁ~」と感じざるを得ない。税金を采配する官僚の種類は様々だが、概ね以下の通りだろう。

① 単なる馬鹿。法学部出身の文系だから、理数的能力が低く、統計や分析の資料を読んでも解らない。けど、プライドだけは矢鱈と高いから、「政策通」の態度を取る。
② 追従型の官僚。財務省の間違いに気づいているが、仲間はずれと左遷が怖いから長いモノに巻かれようとするタイプ。現役の時は省庁内の「空気」を察するのが上手くて、退官してから「あの時、私は反対したんだけどねぇ・・・」と自己弁護に励む人。
③ 国益よりも省益を優先する官族。たとえ日本経済が衰退しても、増税による税収を望み、各省庁に対する予算配分で、優越感を味わいたい奴隷主タイプ。「税金は国民のお金」という意識が無く、財務省の“資産”と見なす。日本の名誉や国民の生活には疎いが、天下り先の温存となれば、一致団結して守ろうとする輩。
④ 「俺が日本を支えている !」と勘違いしている偽エリート。凡人には到底無理な国家試験に受かったという自尊心に満ち溢れているから、自分の愚かさに全く気づかない。事務能力に長けているだけなのに、的確な判断力を有していると錯覚し、そのうえ自らを真正の国士と思っている。もっと情けないのは、赤い同僚や先輩から操られているとは一切思っていないことだ。
⑤ 私益のために日本を売り渡す国賊。大学で反日思想に染まったや左翼や、金と女に目がない俗物、自ら進んで外国勢力の手下になるゲス野郎。例えば、米国のジャパン・ハンドラーに隷従して出世しようと考える者や、支那人エージェントから間接的に利益を得ている者。

  ①と②のタイプはリストラの無い役人だからしょうがない。「東大卒」という学歴だけが唯一の自慢なんだから。外野の庶民がいくら非難したところで、彼らは「百姓町人の分際で、お上に楯突くとは何事だ !」と思っている。真面目な国民は頭にくるけど、民間企業でも「傲慢不遜を絵に描いたような上司」、「機転の利かないダメな奴」、「権限最大、責任最小限という重役」がいるじゃないか。③のタイプは、増税で日本が没落すると判っていても、統計を捏造あるいは歪曲して何とか失敗を隠そうとする。こうした隠蔽工作のために、官僚は日頃から御用学者を飼っているのだろう。財務省財政制度審議会に起用された吉川洋教授とか、税制調査会や経済財政諮問会議で重宝された伊藤元重教授などを思い出してみれば分かるじゃないか。在野の経済評論家は熱心に提灯学者を批判しているが、役人は最初から馬鹿と承知の上で利用しているんだから、東大藝者に腹を立ててもしょうがない。

  問題なのは④と⑤のタイプだ。④の官僚なんてアホらしいけど、一般国民が官僚信仰や学歴崇拝に凝り固まっているのが悪い。現実の社会には、出題範囲を超えた難問がある。もし、霞ヶ関の役人が優秀なら、個人の力で会社を成功させたり、大富豪になれるはずだが、実際は国家権力を背にした内弁慶でしかない。何割かは優秀なんだろうけど、役所の飯を食っているうちに凡人(あるいは害人)となってしまう人が多い。財務官僚と聞けば凄い秀才と思ってしまうが、嘉悦大学の高橋洋一教授の昔話を聞くと唖然とすることもある。入省したての頃、高橋氏は葉山で開かれた新人研修に参加したそうだ。そこで、ある教官が研修の一環として、参加者に城山三郎の『男子の本懐』を読み、その感想文を書けと命じたらしい。この本は昭和恐慌の時、金解禁を行った濱口雄幸と井上準之助を称讃する内容なのだが、高橋氏は金本位制の復帰に疑問を感じ、命懸けで金解禁を断行するなんて愚かじゃないのか、と反論したそうだ。すると、この感想文を読んだ教官は、「どうして、こんなバカな奴いるんだ」と名指しで批判し、みんなの前で高橋氏を罵倒したそうである。(高橋洋一 『官愚の国』 祥伝社、平成23年、 pp.75-76.)

  筆者も城山氏の『男子の本懐』や『官僚たちの夏』を知っているけど、学生時代、友人と雑談した時、「あんなのは役人へのゴマ擦りだよなぁ~」と笑ったものである。(ちなみに、NHKが城山三郎や司馬遼太郎をゲストに招いたのは、彼らを便利な知識人と見抜いていたからだ。左翼でもない司馬氏を、なぜNHKが起用していたかについては、別の機会に述べたい。) とにかく、赤点学生の筆者でも分かることなのに、大蔵省の研修会で教材に使われていたとは驚きだ。「まさか!」という言葉は使いたくないが、「もっと他にマシな本はなかったのか?」と訊きたくなる。城山氏は有名な通産官僚だった佐橋慈(さはし・しげる)を褒め称え、経済界を指導し、日本の産業を育成した国士官僚というイメージをまき散らしていたが、こんなの嘘っぱちだ。作家や評論家はキャリア官僚をヨイショすれば、「あとで何らかの褒美がもらえるかも」と期待するんじゃないか。「困難や批判にめげず、国家のために尽くすエリート集団」など滑稽だ。

  そういえば、昔、雑誌『諸君 !』で山本七平を囲んだ座談会が企画され、元通産相事務次官の兩角良彦と元大蔵相財務官の細見卓が招かれていた。話題が日本企業によるダンピングに及んだとき、兩角氏は日本企業の体質に苦言を呈していた。

  日本企業が儲けるのはいいんですけど、経営や資本が“純血”でしょう。もし、そうでなければ、風当たりがだいぶ弱くなるはずですがね。株主が日本人である必要はないわけですよ。もっと資本や経営を国際化してもいいと思うんですが。(「大国日本の恍惚と不安」、『諸君!』、1988年11月号、p.37)

  1980年代の日本では、あちこちで「国際化」という掛け声が響いていたから仕方ないけど、高級官僚は外国人が日本の株主になったら“どうなるのか”について考えていなかった。日本企業に投資をする外国人が、みんな「善意の人物」であるはずがない。もし、貪欲な支那人とかグローバリストのユダヤ人、冷酷なアメリカ人が大株主になったら、大変なことになるじゃないか。外人投資家にとったら、日本企業なんて金儲けの道具にすぎない。会社の運動会や慰安旅行を楽しむなんて日本人くらいだ。外人投資家は配当金の増額しか考えない。禿鷹のような連中は短期的利益を求めて経営陣に圧力を加えるから、社員を大切にする社長なんて無用の長物だ。従順な経営者は旦那衆から「人件費をもっと削れよ !」と命じられれば、容赦なく従業員をリストラするし、安い外人労働者を引き入れてコスト・カットに邁進する。長年勤めた社員でも、給料が大幅に削られ、ボーナスはゼロか雀の涙程度だ。もし会社の業績が悪化すれば、M&Aの対象となり、職場はバラバラに切り売りされ、解雇された日本人社員は、ハローワークに通って格下の職種に就くしかない。もちろん、中高年社員は分割借金が返済できなくなるから、せっかくの自宅を半額以下で売却し、親子共々狭いアパート暮らしとなる。兩角氏は株主だけではなく、大学教授や医者、弁護士までも、外国人に開放せよと述べていた。このお役人様によると、「純血国家」というのはダメらしい。 

  細見氏も似たような役人で、官界を棚に上げて一般国民を貶していた。彼は国際社会での日本人に関し、辛口評論を述べていた。

  日本人というのは、すぐ上下を区別したがるでしょう。そして上にはへつらい、下には威張る。交渉すれば、まず吹っかけてくるけど、ガンとやられれるとすぐ引き下がる。理詰めの時はなかなか降りないとかね。ですから外国人は日本人の癖をすっかり覚えてしまって、日本人にはまずブラフをかけろということになっている。どうも目上と目下を区別したがる、というのは敬語があるせいかなとも思うんですけど、いまどきはやりませんね。(p.39)

  こんな説教を一般国民が聞いたら苦笑するだろう。「上下を区別したがる」のは役人の世界も一緒じゃないか。大蔵省のキャリア官僚は「通達」という名の書状で銀行員を脅かし、抵抗する企業があれば国税査察をチラつかせて屈服させていた。 権力を恣意的に振りかざし、民間企業をイジメていたのは誰なんだ? 銀行局長だった土田正顕(つちだ・まさあき)などは極悪役人の代表格で、何の法的拘束力も無い通達で総量規制を実行し、バブル景気を潰したことで有名になった。しかも、このA級戦犯は退官後、国民金融公庫の副総裁に天下り、あろうことか東京証券取引所の理事長に納まった。さらに、「渡り」を続けて、株式会社化された東証の初代社長になったんだから、日本国民は開いた口が塞がらない。正常な精神を持った国民なら、土田をしばきたくなるだろう。ただし、これは民間人が「雲上人」に媚びへつらった結果だ。細見氏は敬語があるから卑屈な態度が生まれると思っていたが、それなら民間人が財務省のお役人様とタメ口を利いてもいいのか? 金融業者なら膝が震えてしまい、言葉が出なくなってしまうぞ。

  日本国民が一番警戒しなければならないのは、実直な人柄とか国士を気取る⑤のタイプである。日本人からお金を巻き上げ、自分の懐を温かくしようと謀る支那人なら、真っ先に財務官僚を標的にするんじゃないか。冷戦が終わって、デフレ経済に突入したなら、景気刺戟策を取るのは必定で、需要を喚起し、経済成長を図らねばならない。本来なら、さっさと占領憲法を破棄して、国防軍を創設し、軍需産業やハイテク産業を育成すべきなんだが、教養課程に軍事学や地政学が無いから絶望的だ。家電とかゲーム機なら民間に任せておけばいい。だが、軍隊で使う兵器となれば、国家の出番となる。大型プロジェクトは裾野が広いから、日本経済にとって大きな影響力をもつ。

  日本は敗戦により、戦闘機や戦略爆撃機の開発が致命的に遅れており、アメリカから兵器を買う一方で、国内企業は凋落の一途を辿っている。昔、糸川英夫博士は敗戦で失業し、服毒自殺を考えていたが、ロケット開発なら歐米に追いつけると考え、ペンシル・ロケットに取り組んでいた。ところが、朝日新聞は反日の鞭を唸らせていたのだ。愛国者の糸川博士が実験に失敗すると、朝日はほくそ笑み、紙面でボロクソに叩いていた。(科学者は実験が失敗しても、そこから得るものが大きいから次の改善へと繋げてゆくのに、低能記者は科学を知らないから大騒ぎをする。) 日本の軍事技術が風前の灯火なのに、それを冷酷に吹き消そうとしたのが朝日だ。赤い教授の講義を受けた法学部や経済学部の学生も同様に愚かだった。護憲がインテリの証しと思い込んでいる学生は、軍事技術の発展に興味が無く、そのスピンオフや経済効果、ならびに国際政治における日本の威信など全く脳裏になかった。片山さつきが財務官僚の時、防衛省の予算を扱っていたけど、あの女に軍事の重要性とか技術の蓄積なんて解るのか?  こんな訳だから、日本を弱体化させようとする敵対国が、日本の経済成長を封じ込め、デフレを長引かせようとしてもおかしくはない。

  謀略工作や諜報活動を勉強している人なら知っていようが、外国のエージェントになった人物は、多くの馬鹿を利用する。たとえ、その数が少なくても大きな成果を上げることは可能だ。洗脳されたり誘導されている官僚は、自分が操られているとは気づいていないし、正しいことをしていると思い込んでいるから脳天気にもほどがある。アホな官僚は意外と純粋で、確信犯から「子孫に借金を残してはならない。愚民からの批判にめげず、我々エリートが負債の削減に励まねば !」と囁かれると、「そうだ ! 我々官僚が国家を救わねば!」と奮い立つ。これは戦前、計画経済に興奮した革新官僚とか、資源を求めて南進を支持した軍官僚と同じだ。一般国民でも「また、学校秀才どもの愚行か !」と解る。

  冷戦が始まった頃、保守派知識人のエドナ・ロニガン(Edna Lonigan)が、『Human Events』誌で共産主義者の浸透について述べていた。NKVD(KGB)の指導者層は浸透すべき地位を研究し、入念に作られた計画に従って、スパイやエージェントを植え付けていた。ある地位に就いたメンバーは、仲間を他の高い地位へと昇進させ、その者がまた他のメンバーを要職に就け、徐々にスパイ網を構築していたのだ。例えば、合衆国政府内に潜り込んだ共産主義者は、特定の“友人”や他の“細胞”を有望なポストに推薦するよう指令を受けていた。共産主義者が用いた手口はこうだ。まず弁護士とか経済専門家が送り込まれ、この赤い細胞は他の同志を広報職員に就け、更に人事管理職へと食指を伸ばす。これは政府の管理方式を把握するためだった。次に重要なのは、局長秘書で、この者たちはほぼ総ての志願者に目を通すから、反共主義者の志願票を意図的に排除する。こうなればシメたもので、赤い同志が易々と採用され、順調にモグラは要所に配置されてしまうのだ。

  ただし、上手く潜り込んだ侵入者達は、最初からスパイ行為を働くことはなかった。彼らにとって重要なのは、職場の同僚とか上司からの信頼を得ることである。例えば、より高い地位にいる政治家に近づくこと、常に有能で、苦労を厭わず、愛想良く周囲に役立つ人間になること、こうしたことが赤いモグラの使命だった。そこで疑問なのは、「日本の中央官庁に外国の手先、あるいは反日分子が一人もいないのか?」という点である。防諜組織が無い現在の日本は、スパイの歩行者天国として有名だ。もし、財務省に北京政府の手先とか、自発的な協力者、ハニー・トラップに掛かった官僚がいたらどうするのか? 恐ろしいのは、エージェントに見えな1人の確信犯が、100人のボンクラ官僚を操ることだ。プライマリー・バランスの黒字化とか、社会保障関連の財源を確保する、 といった口実を設けて、日本を衰退させることもあり得る。さらに、低金利政策を温存させれば、支那人どもは日本の資金を借りまくって自由な投資ができるから、「日本人バカあるヨォ~」と笑っているんじゃないか。だって、日本国内に投資先が無いんだから、日本の金融業者や大富豪はお金を海外に流すしかない。

  日本人は財務官僚を「選良」と思っているが、彼らが優位なのは日本人に対してだけ。いくら東大卒のエリート官僚といっても、外国の工作員にとったら小学生並で、たぶらかすことなど朝飯前。金や女の勧誘に弱いし、豪華な接待を受ければコロっと騙される。大学入試や公務員試験に「効果的な拷問方法を考案せよ」とか、「独創的な詐欺の手口を記述せよ」、「一番安上がりな恐喝方法を選べ」なんていう問題は出ないから、狡猾な工作員にかかったらイチコロだ。例えば、スケベ官僚が用意された女に引っかかって、情事を録画されたら、スパイの言いなりになってしまうだろう。(「ガールズ・バー」で籠絡された官僚なら、簡単に「手先」となるんじゃないか。) そうじゃなくても、学校で左翼思想を吹き込まれているから、勧誘員の言葉に易々と靡いてしまうのだ。日本には防諜組織のスパイキャッチャーがいないから、誰がスリーパーなのか、あるいは協力者なのか判らないし、たとえ「怪しい」と気づいても、密かに粛清する法律や術(すべ)が無い。あるとすれば、アメリカにすがって教えてもらうことくらいだろう。でも、アメリカが仕掛けている場合もあるから絶望的である。

  裏切者の摘発は国家の諜報機関しかできないから、平民の筆者にはどんなスパイ網が政官財にあるのか判らない。ただ、このままデフレ経済が続き、そこに消費増税が加われば、暗い未来しかないということは確かだ。官僚組織は巨大で複雑だから、個人の思惑というより、組織の「空気」とか「因習」で物事が決まってしまう場合がある。個々人が「マズいなぁ」と思いつつも、いつの間にか悪政が決行され、気づいたときには手遅れというケースも多い。安倍総理が五月中に増税の凍結を発表する可能性は残されているが、財務省に押し切られて「約束通り増税します」という最悪の事態だってあり得る。仮に今回の増税が延期されても、財務省の増税情熱は消えないから、数年の内にまた増税議論が持ち上がってくるだろう。日本人は「福祉」とか「医療」「子育て」という言葉に弱いから、役人は民衆の不安を突いてくる。これは筆者の勝手な推測だけど、いずれ消費税は28%くらいになるかも知れないぞ。
  


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