黒木 頼景
成甲書房
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南鮮の没落を無邪気に喜ぶ保守派知識人
最近、「南鮮がGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を破棄する !」との報道を受けて保守派知識人や雑誌があれこれ騒いでいる。雑誌『正論』の9月号は、「韓国崩壊寸前」という特集を組んでいたし、『Hanada』10月号は「韓国という病」を目玉にしていた。ライバル誌の『WiLL』10月号は『Hanada』に負けまいと奮闘し、「No韓国 絶縁宣言!」というタイトルを以て対抗した。また、それと並行して「さよなら韓国 !」という別冊まで出している。しかし、こうした“保守派”雑誌でも、肝心な争点は避けていた。すなわち、南鮮人の「来日」、あるいは日本への移住・避難である。
南鮮批判を得意とする保守派国民は、「韓国の反日侮蔑発言」や「韓国経済の低迷」ばかりに目を奪われ、日本がどのような“危機”に曝されるのか、という論点を見逃している。なるほど、南鮮が日本との情報共有を遮断すれば、南鮮軍は偵察衛星からの情報に疎くなり、軍事的窮地に陥るかも知れない。だが、それは文政権の方針であり、ひいては南鮮国民の意思である。南鮮が北鮮に吸収されるのは地政学的な脅威だけど、我々には文在寅を排除することはできないし、南鮮人にクーテータを嗾(けしか)けることもできない。正式な「軍隊」を持たない日本としては、南鮮が既に支那の勢力下に入ったと考え、対馬海峡が新たな38度線になったのだ、と自覚するしかない。言うまでもなく、「自分の身は自分で守る」のが国際政治の常識だし、昔の日本人もそう思っていた。丸腰になれば平和が訪れると考えるのは日本人くらいだ。今回の件について言えば、南鮮の将来は絶望的である。そもそも、米軍が見捨てる南鮮を我々が助ける事はできないし、また無理に助けようとすれば、日本が厄介な泥沼に嵌まってしまうから、ここは賢く最初から傍観した方がいい。
(左 : 日本文明に浴さない昔の朝鮮人 / 右 : 感情的な朝鮮人の群れ)
朝鮮人というのは、「馬鹿の10乗」というか、矛盾を矛盾と思わない自己中心的民族で、論理性とか誠実性(integrity)というものが全く無い。というか、それが何なのかすら解らない低級な種族とも考えられる。朝鮮は悲惨な時代があまりにも長すぎた。朝鮮文化と言えば、クズ野菜を利用したキムチくらいしかなく、あとは人糞を使った薬とか、苦痛に堪える処世術くらい。これほど“みすぼらしい”民族も珍しいけど、そんな民族が我々の隣国に住んでいる、という方が問題だ。共産主義に鈍感な朝鮮人が、栄養ドリンク無しでも元気になれるのは、日本に対して恨みをぶつける時だけ。日本人からすると、「他に楽しみはないのか?」と訊きたくなるが、彼らの眼中には我々の姿しかない。まぁ、日本人は何を言っても反論しないし、毎回「そうだよねぇ~」と愚痴を聞いてくれるから、どうしても我々に対して甘えたくなる。それに、日本への憧れが極端に強いぶん、我々に対する嫉妬心や対抗心も激しい。一方、支那人に対しては別の態度を取る。朝鮮人は支那人の前では至って従順だ。どれほど馬鹿にされても怒らない。もし、支那人に対して生意気な口を利いたら、思いっきり棍棒でぶっ叩かれる。だから口答えは禁物。大昔から朝鮮人は支那人にド突かれてきたから、野蛮人の恐ろしさを身に沁みて分かっている。(支那人の仕置きは容赦ないからねぇ。)
日本のマスコミや評論家は、何が何でも「朝鮮第一」。徳島に行っても阿波踊りじゃなくてアリラン祭。甲子園で高校野球となれば、通名を持つ朝鮮系選手の応援だ。いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」を聞いても、「釜山の夜景だって綺麗だぞ」と反論する始末。朝鮮人のどこが素晴らしいのか解らないが、井上陽水が名曲『傘がない』を唄えば、あの連中は「朝鮮学校の生徒はどうなんだろう? 傘を寄贈しようかなぁ~」と考えてしまう。それはともかく、地上波テレビは南鮮側からのGSOMIA破棄に関し、「てえへんだぁ~、どうしよう?!」と南鮮側を心配しているが、一般国民にしたら「それがどうしたんだ? 自衛隊の方は一向に困らないぞ」と言いたくなる。だいたい、自衛隊が南鮮側から如何なる機密情報、ないし軍事的メリットを得るというのか? 我が国は米軍から情報をもらっているので、三流国の南鮮軍と手を切っても大丈夫。日本人は対馬か竹島に出かけて笑顔を示し、目くじらを立てた朝鮮人に向かって「じゃあね、バイバイ!」と言えばいい。NHKや朝日新聞、フジテレビの連中と違って、一般の日本人は「朝鮮人と係わらなくて済むんだ」と思えば、何となく嬉しくなる。
TBSとか共同通信の反日左翼は胃が痛くなるほど南鮮人を心配しているが、正常な日本人は晴れ晴れとした気持ちになり、酒やご飯がいつもより美味(おい)しくなる。そもそも、朝鮮人が「困った状態」になるのは、歴史上、別に珍しい事ではない。朝鮮は常に「不幸な状態」にあるのが自然だ。日本統治が朝鮮史上“稀に見る”黄金期であったから、朝鮮人は“つい”日帝時代と比較して、「あぁ~あ、どうしてこうなっちゃうんだろう?」と嘆く。一度「幸せ」を味わった乞食民族は、それが脳裏に焼き付いてしまい、ちょっとした不景気や軍事的脅威でも大騒ぎする。言っちゃ悪いが、朝鮮人には李朝時代が似合っているんじゃないか。昔は、日本の乞食より貧しい朝鮮人が普通で、支配者に隷属するのが当たり前だった。両班が不正行為をはたらき、庶民から金を巻き上げるのも“恒例行事”で、朝鮮の政治が腐敗するのは自然の法則だ。朝鮮人は否定するが、細部にまで気配りが行き届いた行政とか、厳粛で公平な裁判、希望に満ちた未来、というのは日本人がもたらした文明である。ところが残念なことに、敗戦で日本人が去ってしまったから、朝鮮半島は“昔の朝鮮”に戻ってしまった。今さら批判しても始まらないが、「韓国は大変なことになる!」と騒ぐジャーナリストや大学教授は、朝鮮人の行動様式を理解していない愚者である。どんな肩書きを持っていようが、単に朝鮮の過去を知らないだけ。朝鮮史に詳しい専門家が見れば、「朝鮮人らしい例の愚行かぁ・・・」と呟くはずだ。
日本へ押しかけてくる朝鮮人
(写真 / 日本にやって来そうな朝鮮人のタイプ)
とにかく、我々が早急に態度を決めなければならないのは、如何にして朝鮮人の入国を阻むかだ。朝鮮人の頭には、「困った時は日本人に頼るべし」という考えが常にある。普通の日本人からすれば、「何いってんだ、この野郎 ! あれだけ日本人の悪口を世界中にバラ撒き、嘘八百のイチャモンをつけて罵倒したのに、朝鮮が厭になったから、という理由で日本に移住してくるなんて言語道断。冗談じゃない。図々しいにも程がある ! どのツラ下げて日本に来るんだ? テメエらなんか、絶対入国させないからな !」と言いたくなる。気の短い江戸っ子なら「つべこべ抜かすとひっぱたくぞ ! おととい来やがれ ! さぁ、とっととけえれ(帰れ)!」と怒鳴りつけて、門前払いにするだろう。しかし、日本語を理解できないボンクラ鮮人だと、キョトンとした顔で「あなたの言っていること、じぇんじぇん分かりません。ワタシ、二日前にここへ来たことはありませんよぉ~」と答える。こんな鮮人に会えば、少年ジャンプで頭をひっぱたきたくなる。(UFCのスティーペ・ミアシッチみたいな格闘家消防士がいれば、膝蹴りか右フックを頼むんだけど。堀口恭司や所英男じゃ心が優しすぎる。) 日本人の感覚だと、あれだけ日本人を侮蔑すれば、いくら困っていても日本へ移住するなどできないし、恥ずかしさで足が重くなる。
ところが、朝鮮人はスキップするほど足が軽く、平気な顔でやって来る。朝鮮人に「恥」という概念は無い。彼らは「韓国の景気が悪いから日本の会社に就職した」とか、「北鮮との併合は嫌だから日本に住むことにした」、あるいは「大阪に親戚がいるので、それを頼りに来日しました」と口にする。こんな言い草を聞けば、大抵の日本人は堪忍袋の緒が切れて、「ふざけんな ! このド阿呆!」と机を叩くだろう。たぶん、「お前らは散々反日を叫び、天皇陛下の御真影や日の丸を燃やしてきたじゃないか ! そして、ありもしない従軍慰安婦を言い立てて、アメリカにまで慰安婦像を設置し、戦後賠償まで求めてきた。条約を結んでもそれを破棄し、政府間の合意を作成しても、時が過ぎればと引っくり返す。もうウンザリだ。お前らとは係わりたくない !」と言うはずだ。しかし、朝鮮人の精神構造は日本人のものとは根本的に違っている。「あれはあれ。これはこれ」というのが朝鮮人や支那人の考え方だ。朝鮮人は自分の都合によって言論と態度を変えてしまうし、過去との一貫性が無くてもいい。「二枚舌じゃないか!」と怒るのは、日本人の倫理観があまりにも高すぎるからで、アジア人に我々の水準を要求するのは端っから無理だ。
日本人は根が優しいので、冷酷な現実から目を背けてしまうが、世界中の民族が全て平等ということはない。率直に言えば、朝鮮人というのは民族序列の中でも底辺に属する劣等種族だ。こんな民族に国籍や入国を許す方がおかしい。「区別」を「差別」と勘違いしている日本人は結構多く、誰にでも入国を許すのがいいと思っている。だが、現実を見てみよ。差別なんか堂々と罷り通っている。例えば、高級なディスコやナイト・クラブでは、入り口のところに用心棒と審査係がいて、入店するお客を選んでいる。ハンサム青年やセクシーな女性はウェルカムだが、雰囲気を損なうダサイ奴やブスは入店拒否。民間の娯楽施設だって来場者を選ぶのに、日本国は反日分子でも、放火魔、強姦魔、詐欺師、窃盗犯、ヤクの密売人でもOKだ。防諜組織を持たない日本は、移民や難民に紛れて潜入する工作員にも鈍感で、国内に危険分子が増えることに気づかない。たとえ、派遣された破壊工作員じゃなくても、勧誘されてスパイの代理人や協力者になる者だっているだろう。だから、もっと入国条件を厳しくすべきである。
また、厳しい入国審査を経た者であっても油断はならない。というのも、帰化鮮人の子供や孫が北鮮のエージェントになるケースだってあるからだ。例えば、普通の帰化鮮人三世が国会議員となり、政治献金を集めて行くうちに北鮮や支那の協力者になる場合だってある。それに、帰化鮮人の手引きで北鮮に渡った日系議員が女を斡旋されて、金王朝のエージェントになる虞(おそれ)だってあるはずだ。朝鮮人の味方をする石破茂を見れば分かるじゃないか。「拉致議連」の会長を務めた中山正暉(まさあき)も同類で、彼が平壌訪問から帰ってくると、急に態度を変え、あろうことか拉致事件を疑う態度を示し、すっかり北鮮の擁護者になってしまった。朝鮮人の女にメロメロとなった前原誠司や、朝鮮人の秘書を抱えてニヤついた小沢一郎たって同じ穴のムジナだ。自民党には朝鮮人の犬がウジャウジャいる。例えば、 小泉純一郎首相は北鮮を訪問した時、ありもいない日本の罪を認めて1兆円以上の経済援助を約束してしまった。こんな取決めは決して赦せない。小泉総理は本当に日系の日本人なのか? 彼の父親である鮫島純也(小泉防衛長官)は謎めいた人物で、 どんな家系なのか、彼の両親や祖父母はどんな人物だったのか、さっぱり分からない。これじゃあ、蓮舫と同じだ。公職者は日本の命運を左右するから、三代か四代前の祖先を全て公表すべきである。
(左 : 首相になった小泉純一郎 / 新人議員時代の小泉純一郎 / 父親の小泉純也 / 右 : 南鮮大統領の朴正熙 )
日本人が国防意識を放棄・喪失してから久しい。敗戦後の日本人は軍隊を持たない、核兵器の開発をしない、僻地の国土を守らない、拉致された国民を見殺しにする、など唖然とするほど情けない状態になっているが、もっと恐ろしい病気に冒されている。すなわち、国民の遺伝子を守らないという怠慢病だ。沖縄や対馬、竹島、北方領土などが侵食されても平気な日本人は、民族的遺伝子の変質に気づかない。一部の国民は、出生率の低下には多少の関心があるものの、朝鮮人や支那人との混血で日系人が減っているとは思っていないのだ。敗戦後、朝鮮人は確実に増えている。闇市で儲けた朝鮮人は祖国に帰らず日本に居坐った。さらに、大量の朝鮮人が朝鮮戦争を嫌って日本へ潜り込み、在日鮮人と化して子孫を増やし、結婚や帰化申請で「日本国民」になっている。官報を見れば分かるけど、南北を問わず在日鮮人は次々と日本国籍を所得し、日本名に切り替えて「日本人」のように生きてきた。今では、かなりの国民が朝鮮人の血統に属し、日本人意識を失っている。こうなれば、日本の国土が昔のままでも、そこに暮らす国民の“質”が変わっているのだから、侵略を受けたのと同じである。
南鮮経済が傾き、北鮮へと靡けば、小賢しい朝鮮人はいち早く国外脱出を図る。移住先は米国が理想なんだけど、トランプ政権で段々と難しくなっているから、直ぐ近くにある「甘っちょろい日本」へ逃れるのがベストだ。なんと言っても、日本には同胞が大量に住んでいる。それに、人種的にも見分けがしにくいから、あからさまな差別に遭わなくてすむ。普段、朝鮮人は鼻水を垂らしながら反日を叫ぶが、心の底では日本文化に憧れており、日本に来ると反日言説は何処へやらで嬉しくなる。まぁ、いくら南鮮のTVドラマや歌謡曲が「ウリジナル(独創)」と称しても、所詮は日本のコピーでしかないんだから当然だ。彼らは中々認めないけど、アメリカと比べれば日本は断然暮らしやすい。建前では「朝鮮人差別がある !」とわめくが、実際はたいしたことがなく、日本企業に勤めれば実力次第で出世できるし、失業したって社会福祉が充実しているからハッピーだ。
(左 : 朝鮮人の赤ん坊 / 右 : 朝鮮でよく見かける露天商)
平和ボケの日本人には、民族の存続という意識が無く、「今が楽しければ、それでいい」という考えの人が多い。グローバリスト教育のせいか、「日本語を話せれば誰でも日本人」という考えが各世代に浸透している。「インド系でもアフリカ系でも、日本国籍を持っていれば日本人よ」と思う人が増えてきた。しかし、正常な日本人なら本能的に「日本人の血統でありたい」と望むんじゃないか。心の奥でアジア系混血児に違和感を持つ人は、今でもかなり居ると思う。一般人は口に出さないが、「朝鮮系の子孫は、ちょっと嫌だなぁ」と思う人は結構いるはずだ。
昭和の頃だと、娘が連れてきた交際相手に不審な点があると、親は興信所に調査を依頼したものである。人権屋の学者は綺麗事ばかり並べているが、我が子の将来と家門の誇りを大切にする人は、大金を払ってでも探偵に相手側の素性を調べさせていた。もし、交際相手が“いかがわしい”奴なら、娘に諦めるよう説得するし、相手方の両親に圧力を掛けて破談に持ち込むことさえ厭わない。ところが、リベラル教育を受けた現在の親は、左翼学者が吹き込む「個人の自由」とやらを鵜呑みにする。子供が紹介する恋人がどんな人間であっても、「本人の意思だから」と諦め、渋々ながらも受け容れようと考えてしまう。本当に悲しい時代となってしまったが、巷の一般人が「血統」を気にするのは、飼っている犬や猫だけで、自分の子孫となる家族の血筋はどうでもいい。でも、自分の娘が産む赤ん坊より、ペットショップで購入する猫ちゃんの方に、厳しい注文があるなんておかしいよねぇ~。人間の赤ん坊は成長すると、鏡に映った姿を自覚するんだぞ。
後編に続く。
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