黒木 頼景
成甲書房
好評発売中 !
日本が支那人の「避難先」となる
(左 : 多文化主義者が理想とする未来 / 右 : オーストラリアで暮らす支那人の子供達)
只今、我が国で武漢肺炎が猖獗(しょうけつ)を極めている。アメリカ合衆国は優秀な諜報機関を備えているので、支那でのウイルス蔓延を去年の11月頃から察知していたそうだ。たぶん、CIAがホワイトハウスに情報を伝えていたから、政府が早急に支那人渡航者の制限を発令し、ウイルス感染者の入国を禁止したのだろう。ところが、俊敏な米国と対照的なのが我が日本。既に、武漢以外の都市でウイルスが拡散していたのに、日本政府と地方自治体は、こぞって支那からの観光客を大歓迎。彼らが落としてくれる銭が少なくなっては困ると心配したのか、湖北省からではない個人客なら「OK !」と合図を送り、その情報を得た支那人は一路日本へ。もう、この対応で日本の命運は決まってしまった。微熱がある者、あるいはちょっと咳き込んだ者でも、何食わぬ顔で入管を通り過ぎたから、さあ大変。人間型のウイルス噴射機が到来したから、日本人の感染者が激増した。
恐ろしい現実はまだある。観光局の発表によれば、今年1月に来日した支那人の数は、何と92万4千800人というのだ。前年(2019)の1月だと75万4千421人となっているから、実に17万379人の増加となっている。もう、目眩がしてくるが、この中には観光客なく、支那大陸からの“難民”が相当混じっているという。現実的な思考を持つ支那人からすれば、不潔で危険な独裁国にいるより、安全で清潔な日本に逃れた方がいい。もし、呑気に残っていると、いすせれ武装警察に尋問され、強制的な検査を受ける破目になる。もし、ちょっとでも感染の疑いがあれば、即「強制収容所」行きだから、命の保証は無い。ここは治療施設じゃなく、汚染された人間を閉じ込める牢獄で、入所者は只“苦しみ”ながら“死”を待つのみ。肺炎に罹ると呼吸困難になるから、もがき苦しみながらの「絶命」となる。ホント、支那人に生まれると不幸だ。
日本の国会議員は与党でも野党でも、全くと言っていいほど国家意識が無い。日本に逃れてくる支那人は、本国に帰るつもりはなく、そのまま日本に居坐ろうとする。彼らは日本の高度医療を期待し、もし武漢肺炎に罹ったら、日本の病院で快適な日々を送ろうと考えているのだ。日本人の医者や看護婦は、あの下劣な支那人と大違いで、人命を尊重し、外人であっても“平等”に扱ってくれるから非常に有り難い。もし、日本人が支那大陸で病気になったら、どんな“治療”と“看護”になるのか、ちょっと考えてみればわかるじゃないか。日本人の母親で我が子を支那の病院に連れて行き、入院させることに同意する者がいるのか? 不潔で黴菌だらけの病院監獄を見れば、「ぎゃぁぁぁぁ~~~!!!」と悲鳴を上げて脱走するはずだ。日本人は外国の医療機関を日本の基準で想像するから愚かである。支那人には他人への配慮が無い。例えば、赤ん坊用の粉ミルクとベビーフードかなんか恐ろしくて子供に与えることはできないから、幼い子供を持つ日本人は支那での生活は考えられないし、移住なんか絶対に無理。風邪薬や胃腸薬はもちろんのこと、目薬だってどんな成分なのか解らないから購入することはない。失明の危険性を孕む目薬なんて、冗談を通り越している。一般の日本人は支那を経済大国と思っているが、実際は、腐敗と金銭が渦巻く古代国家でしかない。支那人のような劣等民族を対等に扱い、国籍まで与える日本政府は気が狂っている。
我々がすべきことは、支那人の入国を全面的に禁止するばかりではなく、日本に居残っている支那人を排除して、なるべく支那系住民を少なくすることにある。たとえ、日本での永住権があっても、特別法を作って、それを剥奪するか無効にすればよい。また、日本人と結婚している帰化支那人でも、入国の経緯や結婚の形態に怪しい点があれば、即刻、こうした日本国籍を取り消して支那に強制送還するのが筋である。そもそも、日本は「事後法」を認めている国家だし、英米も第二次大戦後、「事後法」で戦犯国を裁いた前科者だから、日本の立法措置を非難することはできない。もちろん、日本の左翼学者や人権派弁護士は猛烈に反対するだろうが、最初に“違法”な方法を取った外国人に“合法的”地位を与えるのが間違っている。例えば、日本人は大学入試のとき「裏口」から入った者に対しては容赦がなく、発覚後、直ちに退学処分にしたりするが、それは「不正な入学は駄目」という鉄則があるからだ。では、「見つからずに卒業すればいいのか?」と言えば、「それも駄目 !」と却下される。たとえ、四年間きちんと授業料を納めたとしても、親が袖の下を使って「合格」を買い取ったのであれば、「学士様」という「身分」は“剥奪”となる。同級生からも卒業生とは認められないし、この汚点は一生つきまとう。日本人は不正入国や国籍詐欺には寛大でも、裏口入学については殊のほか厳格である。
(左 / 苦力を縛り首にする風刺画 )
日本人は本質的に“心が優しい”から、困っている人を助けようとする。が、それは同等の文明や生活水準をもつ歐米人だけにすべきで、支那人とか朝鮮人は冷たく見放すべきだ。なぜなら、彼らは簡単に祖国を捨て去る地球市民であるからだ。しかも、寄生先の国家を劣化させる厄介者となっている。だいたい、北米や西歐諸国で、支那人を受け容れたことで、何か「嬉しい」ことがあったのか? 偽善的な知識人は別だけど、「支那人、出て行け !」と罵りたくなるのが普通だ。かつて、フランク永井は「そばに居てくれるだけでい~い~」と唄っていたけど、支那人が側に居たら、「いつまで俺の近くに居やがるだ ! とっとと、帰れ!」と言いたくなる。支那人というのは、目にするだけでも不愉快だ。交際して清々しく思うことは全くない。京都の風情を愛する日本人は、アヒルみたいにガァーガァー喋る支那人を忌々しく思っていたし、祖父の代から東京で暮らしてきた江戸っ子は、支那人に銀座を占領されて怒っていた。昔、筆者は埼玉県の川越に住んでいたけど、ある日、テレビ番組で支那人が群れる映像を見て愕然としたことがある。30年くらい前は日本人だけが行き交う街並みで、支那人の団体客なんて見かけなかった。それなのに、今じゃ下品な支那人が大量に訪れ、店の前でモノを喰ったり、大勢で話ながらゾロゾロ道端を歩いたり。これじゃあ、まるで環境破壊だ。
我々には支那人の生活や健康を考慮する義務は無い。たとえ、支那大陸にウイルスが蔓延しようとも、日本政府は忖度することなしに、支那人の観光客を全てシャットアウトにすべきである。支那人の健康は北京政府が責任をもって配慮すべし。日本政府は日本国民の利益を第一に考えるべきである。一般の日本人は気づいていないが、難民条約というのは、後進国や独裁国の住民が有利になるよう考案された脅迫状で、西歐諸国や日本といった先進国には何の利益も無く、むしろ負担を増幅させるだけの代物である。「難民」を称する逃亡者は、必ず豊かな文明国を目指す。彼らは「命」を優先していると弁明するが、ちゃっかり避難先を選んでいる。例えば、ラオスやカンボジアからの難民は、タイとかマレーシアよりも、オーストラリアやカナダを選ぶし、「クルド難民」は同じ信仰を持つサウジ・アラビアとかドバイといった富裕国を斥け、遙か遠くの日本を「定住地」として選んでいる。なぜなら、アラブ諸国は“よそ者”に冷たく、福祉金など全く期待できないからだ。ところが、日本に行けば言葉が通じなくても何とかなるし、事によったら社会福祉で生活できる。運が良ければ国籍取得も可能だから万々歳だ。さらに、帰化人となれば親兄弟を呼び寄せることもできる。ということで、「日本行き」がベスト・チョイスだ。(NHKは本当に悪質で、難民推進派の本間浩と緒方貞子を使って特番を作り、「難民受け容れ」を呼びかけていた。NHKの制作者は筆者に「彼らは制作者の代弁者なんですよ。ハハハ !」と笑いながら答えていた。もちろん、一般視聴者には内緒だ。彼らはゼニだけを巻き上げる。)
支那人が溢れかえるオーストラリア
(写真 / 多民族主義者が讃美する異人種カップル)
日本の未来を考える上で、非常に参考となるのは、アジア諸国に近い南の楽園で、愚劣化したアングロ・サクソン国のオーストラリアだ。最近は、クライヴ・ハミルトン教授の『Silent Invasion』で“濠洲のアジア化”が話題となったけど、既にオーストラリアは1970年代に多文化・多民族主義で「別の国」となってしまった。オーストラリアは人種的に変質してしまい、もはやギリス人やケルト人が主流の国ではない。街の至る所に、移民や難民としてやって来たアラブ人やレバノン人、ソマリア人、マレー人、インド人、フィリピン人、そして“どんな種族”か判らぬ混血児がいて、その中に支那人が大量に紛れ込んでいる。銭儲けを得意とする支那人は大都市に集まりがちで、支那大陸生まれの支那系オーストラリア人だと、53%くらいがシドニーで暮らしているそうだ。また、ブリスベンやメルボルンにも香港出身の支那人や客家の支那人が多く住み着いているから、本当におぞましい。まぁ、支那人というのは、チャンスがあれば何でもする民族だから、先進国がちょっとでも甘い態度を示せば、続々と上がり込んでくる。
(左 / ボブ・ホーク )
支那移民が増えたのは、1970年代にオーストラリア政府が「白濠主義(White Australia Policy)」を放棄したせいなんだけど、1980年代後半に首相となったボブ・ホーク(Robert James Lee Hawke)の罪過も大きい。オーストラリアには呆れるほどリベラル派が多く、この労働組合上がりの首相も左巻きの人物で、人種差別への反対とか人道主義への配慮とかで人気を誇っていた。(実際、彼は1983年から1991年まで首相の座に就いていたから、珍しい程の長期政権だった。) ホークは根っからの政治屋で、15歳の時には「将来、オーストラリアの首相になるんだ!」と意気込んでいたそうだ。また、彼は米国のビル・クリントン大統領と同じく、有名なローズ奨学金をもらってオックスフォード大学に留学した経験をもつ。帰国してからは組合活動に励んだそうで、議長選挙に挑むと勝利を摑み、輝かしいACTU(オーストラリア労働組合評議会)のトップになれた。
「リベラル派」というのは、国民の利益を犠牲にしても“高尚”な理念に邁進するようだ。アングロ・サクソン系やケルト系のオーストラリア人は、異様な顔つきの支那人が大嫌いなのに、天安門事件が勃発すると、ホーク首相は約2万人の支那人留学生に滞在延長を許したしまった。(Tony Wright, "Refugees : more confusion : Hawke backtracks and dashes hopes of 20,000", The Canberra Times, 13 June 1990) 当時、鄧小平が率いる北京政府の残虐性にショックを受けた西歐人は、「あらまぁ、お可哀想に !」と支那人の留学生や活動家を憐れみ、滞在期限が切れても追い返そうとはしなかったけど、これは致命的な誤りだ。「デモクラシー」を叫ぶ活動家だって、権力を握れば新たな始皇帝となる。昭和女子大の黄昭堂がいち早く警告していた通り。何千年経っても支那人は支那人のままである。オーストラリアでも同じで、綺麗事が大好きなリベラル派は支那人に「難民」資格を与える始末。でも、この例外措置に反対する者もいたから、オーストラリア政府に対し、「どれくらいの延長期間なんだ?」とか、「何年くらい認めるんだ?」との質問が投げかけられたという。最初、ホーク首相は「だいたい6ヶ月以上で、10年を超すことはない」と曖昧に答えていたが、実際のところ4年くらいを目途に考えていたそうだ。
とはいっても、厚かましい支那人だ。「滞在期限」が来たから潔く帰る、ということはない。もし、あの暗黒大陸に戻れば、悲惨な生活しか期待できないし、いくら頑張っても出世できる訳じゃないから、快適で豊かなオーストラリアに留まった方が“お得”だ。オーストラリアに住むことができれは、どんな下っ端仕事でもへっちゃらで、人種差別なんか屁でもない。太古の昔から、支那人自身が差別主義者なんだから。とにかく、“地上最低”の支那で働けば、様々な公害や土壌汚染、農薬漬けの野菜に、重金属まみれの食品、暴動、圧政、弾圧、搾取、虐殺、疫病などで苦しむ事になるし、第一、生きている喜びが無い。列車に乗れば「あの世行き」だし、そこら辺の道路を歩けば、いきなり地面の陥没でブラックアウト。暴走車が突っ込んでくれば瀕死の重傷だ。また、エスカレーターやエレベーターに乗ったら、暴走機関車よりも危険で、「いつ、どんな事故」が起きるのか分からない。格差社会なんか当たり前で、共産党幹部の家庭に生まれたら幸運だけと、農村に生まれたら一生「農奴」のままだ。それに、支那では「マモン(金銭の神)」が「テーミス(正義の女神)」の天秤を持っているから、“公正”を掲げる司法と警察だって金で動く。日本人は呑気にモデル・ガンを買って「サバイバル・ゲーム」を楽しんでいるが、支那人は実生活で生死を彷徨(さまよ)っている。ということで、支那人は何が何でも歐米諸国にしがみつく。
普通の日本人は赤い学校でクルクルパーにされているから、「白濠主義」と聞けば、「えっぇ~、こわいぃぃ~」と思ってしまうが、実際、アングロ・ケルト系国民が大半だった頃のオーストラリアは素晴らしかった。日本人の学者でオーストラリアを研究する者は、ほとんどが左翼なので、西歐的濠洲を望んだエドマンド・バートン(Sir Edmund Barton)やジョン・カーティン(John Curtin)、アルフレッド・ディーキン(Alfred Deakin)、ロバート・メンジーズ(Sir Robert Menzies)といった首相や移住省大臣を務めたアーサー・コーウェル(Arthur Calwell)に対する評価は極めて低い。良家のお坊ちゃんやお嬢ちゃんが通う慶應義塾大学では、悪質な関根正美とか塩原良和が教えていたから、多文化主義を素晴らしいと信じる学生が大量生産されていた。とは言っても、事情は東京大学や一橋大学でも同じで、移民問題や多民族社会を専攻する教授は、ほとんどが老獪な反日分子かピンク・リベラル、あるいは“なんちゃって左翼”だから、アングロ・オーストラリアを肯定する学者なんて皆無だ。
( 左 : エドマンド・バートン / アルフレッド・ディーキン / ロバート・メンジーズ / 右 : アーサー・コーウェル )
外国を理解するには、具体的に考えてみるのが一番だ。もしも、一般の日本人がオーストラリアへ移住することになったとして、この人々に「イギリス人だらけの濠洲」と「支那人がウヨウヨいる多民族濠洲」を選択できるとしたら、おそらく90%以上の者が白人だけの濠洲を選ぶことになるだろう。(アボリジニの村で暮らしたいと考える日本人はゼロ。) 普通に考えれば、1960年代までのオーストラリアの方が良いと分かるのに、オーストラリアの政治家ときたら、どいつもこいつも「多文化・多民族主義、万歳 !」という奴らばかりだ。移住省大臣を務めたアル・グラスビー(Albert Jamie Grassby)やサウス・オーストラリア州の首相を務めたドン・ダンスタン(Donald Allan Sunstan)は論外として、ハロルド・ホルト(Harold Holt)、ゴフ・ウットラム(Gough Whitlam)、ポール・キーティング(Paul Keating)、ジョン・ハワード(John Howard)なども移民歓迎の売国奴であった。(アル・グラスビーは札付きの多文化主義者で、非イギリス的肉体を持っていたからアングロ・ケルト的濠洲を憎んでいた。ドン・ダンストンも極左分子で、このバイセクシャル議員はユダヤ人妻のグレーテルとマレーシア人妻のアデーレと別れた後、スティーブン・チェンという支那人学生と愛人関係となった。グラスビーにはエレノールという正妻がいたけど、アンジェラ・チェンという愛人がいて、この支那人と最期まで暮らしていた。さぁ~すが、多民族主義者は私生活も多彩だ。)
(左 : アル・グラスビー / ドン・ダンスタン / ゴフ・ウットラム / 右 : ハロルド・ホルト )
(左 / ケヴィン・ラッド )
最近ではニュー・サウス・ウェイルズ州の首相を務め、支那人との癒着ぶりから「北京(ベイジン)ボブ」と呼ばれるボブ・カー(Robert John Carr)が有名になった。しかし、彼が外務大臣を務めた時の親分であるケヴィン・ラッド(Kevin Rudd)も「ベイジン・ボブ」に負けず劣らず、支那人に媚びる政治家だった。白人議員としては珍しく、ラッド首相は北京語を流暢に話す。というのも、彼はオーストラリア国立大学(Australian National University)に通っていた頃、支那語と支那史を専攻し、「陸克文」という支那名まで持っている「支那通」であるからだ。(Kevin Rudd, "Learning Chinese Is a Doorway to Understanding", IFC Mandarin Connection, 27 May 2018) これに加え、彼は1984年頃、北京にある濠州大使館に勤めた経験がある。そこでの肩書きは、政治顧問となっていたから、たぶん、流暢な支那語の才能を買われてのことだろう。
さらに注目すべきは、義理の息子が支那人ということだ。ラッド首相にはジェシカ(Jessica Rudd)という娘がおり、女房のテレーズ・レイン(Therese Rein)が「レイン財団」を創設していた。ジェシカは母親が拵えた財団に勤めていたが、そこには将来の夫になるアルバート・ツォ(Albert Tse)も役員になっていた。玉の輿に乗ったアルバートは、香港出身の支那移民で、元々は「BankWest」の銀行員であったらしい。(Arjun Ramachandran, "He beat Kevin Rudd : who is Albert Tse ?", The Sydney Morning Herald, December 8, 2007) 二人の間には娘も生まれたから、祖父となったケヴィン・ラッドは大喜びだ。
(左 : アルバート・ツォとジェシカ・ラッド / 右 : テレーズ・レイン夫人とラッド首相 )
確かに、初孫が支那人との混血児なら、支那人を“より一層”身近に感じられるし、「支那人は出て行け !!」と叫ぶ白人は赦しがたい「天敵」となる。異人種間結婚の恐ろしさは、遺伝子プールの毀損や人種の変質ばかりではなく、「同胞」の変化にもある。つまり、支那系の孫ができると、自分の「同胞」に何億もの支那人が加わってしまうのだ。もちろん、アングロ・ケルト系のオーストラリア人は引き続き「良き仲間」であるが、支那大陸の異民族も自分の「仲間」になってしまうところに、異民族融合の“恐ろしさ”がある。ラッド首相のような祖父にしたら、西歐人ばかりの濠洲は、孫が爪弾きにされるので好ましくない。やはり、色々な人種が混じった濠洲の方が安全だし、支那人の血を引く子供にとっては“最良”の国家となる。
支那語教育を推奨する元首相
一般的に、西歐人というのは、アジア諸国の言語を学ぶことはない。たとえ、中学生や高校生の時に始めても、あまりにも異質で難解な言葉なので諦めてしまう者がほとんど。日本語なんか暗号みたいだし、アラビア語と同じくらい難しい。文法は違うけど支那語だって複雑怪奇だ。第一、あの膨大な漢字の量を知れば「やめておこう」となる。ところが、ラッド首相はアジア諸国との貿易を増大させ、オーストラリア経済の要(かなめ)にしたいらしい。そこで、ラッド氏は「オーストラリア経済の未来はアジア言語にあり !」と喝破し、「標準語(Mandarin)」とされる北京語や日本語、インドネシア語(Bahasa)、朝鮮語を学ぶよう勧め、学校教育に取り入れるよう訴えかけたという。(Creating an Asia-literate Australia : an Address to the 2002Australia in Asia Series, 8 October 2002) 日本人なら「いくら貰っているんだ?」と尋ねたくなるが、ラッド首相は支那語教育に熱心で、民間企業が新入社員を採用する際、何割かの「特別枠」を設け、アジア言語を習得した学生に与えるよう提案したのだ。もう、二階俊博もたじろぐ程の「チャイナ好き」である。
ところが、チャンコロ屋の夢は、本当に夢幻(ゆめまぼろし)となったらしい。将来の就職に有利なるだろうと計算して、幾人かの子供達が支那語の勉強を始めたというが、あまりにも難しかったのか、それとも興味が薄れたのか、94%の小学生が12歳になる前に挫折したそうだ。("Chinese Language Programs in Australia : 94% Drop-Out Rate", The Linga Franca, October 13, 2008) そりゃそうだろう。西歐白人の家庭で支那語を話す親なんかいないし、たとえ子供が興味を持っても、文法や語彙が違いすぎるから、次第に飽きてくる。子供には何らかのインセンティヴがないと、「続けよう」という意思がはたらかないのだ。そもそも、動機が「銭儲け」という魂胆なので、続く訳がない。小学生は興味を持ったものに集中する。例えばもし、オーストラリア人の子供が日本に移住して、日本のアニメを観たり、漫画雑誌を目にすれば、自然と日本語を学びたくなるだろう。しかし、オーストラリア白人の家庭に生まれ、両親とも英語を話し、友達も白人だらけという環境で、小学生が難解な支那語を勉強するのか? いったい、支那文化に“どんな”魅力があるというのか? 二千年とか三千年の歴史を自慢する支那や南鮮には、日本の作品を盗んだ「パクリ文化」や、歐米諸国のポップ・カルチャーに憧れた「猿マネ藝術」しかない。子供は正直だから、「嫌なもの」は「嫌 !」と答えてしまうのだ。
(左 : 「オーストラリア国民」となった支那人 / 右 : 支那移民を揶揄する風刺画 )
「多文化主義」とやらを称讃するオーストラリアは、今や様々な人種が暮らすテナント長屋となっている。 現地の政治に詳しくない日本人でも、キャンベラやシドニー、メルボルン、アデレイド、ブリスベンを旅行すれば、目を丸くして「ひゃゃゃ~、アジア人やアフリカ人ばかりじゃん !!」と驚き、「第三世界」に来たような錯覚に陥るだろう。中には、松田優作のジーパン刑事みたいに「何じゃこりゃ !!」と叫ぶ者もいるかも知れないぞ。これなら、草原に出てコアラやカンガルーを眺めた方がマシだ。野生動物は同種類の繁殖を好むから、火傷したコアラはいるけど、髭面のコアラとか、タヌキと混血したコアラ、ゴリラの母から生まれたカンガルーなんていないじゃないか。
敗戦で健全な精神を滅茶苦茶にされた日本人は、フランクフルト学派の大学教授や革命を望む進歩的知識人、伝統的社会を憎む日教組教師によって、国家意識を根こそぎ奪われてしまった。国防の重要性を訴える保守派国民でも、我が国を守るのは「誰」なのかを認識せず、アジア移民の流入に断固たる拒絶を示すことができない。なぜならば、保守派知識人でも「人権」とか「人道主義」に縛られ、アジア人の排斥とナショナリズムは右翼思想とかネオナチ主義と考えてしまうのだ。報道によれば、武漢肺炎が拡散した時、安倍総理や側近の高官は、習近平の来日断念と対支那感情の悪化を懸念して、支那人の入国を全面禁止にできなかったという。つまり、残酷な独裁者を「国賓」として招くために、一般国民を犠牲にしても“OK”と考えていたのだ。首相官邸で働く高官らは大卒者のはずだが、学校で愛国精神と国防意識を学んでいなかったので、「日本人が最優先」という発想が無かったのだろう。
一方、武漢肺炎の拡大で心配な日々を送る日本人には、二重三重の損害が降り掛かっている。普通なら、この時期でもマスクや殺菌剤の“品切れ”は無いのに、今年はどこの薬局でも売り切れ状態で、日本各地で入手が難しく、通信販売では高値が附いている。さらに、学校や会社に通うために電車やバスを利用すれば、飛沫感染の恐れがあるというので、短時間の乗車しかできない。しかも、ウィルス蔓延のせいで、各地のイベントやコンサートは軒並み中止となり、主催者側は困り果てている。只でさえ、消費増税の影響が全国各地を震撼させ、経済成長がマイナス6.3%という惨状なのに、東京五輪まで危うくなっている訳だから、日本経済にとって大打撃だ。
ところが、今でも支那人の個人客は入国禁止となっておらず、安全な日本へ逃れようとする来日客(避難民)は絶えない。日本で肺炎になれば無料か低料金で極上の医療を受けることができるし、「人道主義」を掲げてコネれば、長期滞在も可能となる。何しろ、日本には既に支那人だらけの街や支那人が群れる租界が出来上がっているから、日本語が不自由でも生活に困らない。しかも、働き先はいくらでもある。支那料理屋での皿洗いでもいいし、人手不足の農家で「臨時雇い」でもいい。また、筋肉労働の市場に行けば、幾らでも需要があるから、小さな工場で働くこともできるし、一攫千金を期待できる闇社会もある。こうなりゃ、10年、20年でも暮らして行けるだろう。それに、アホな日本人を引っ掛けて結婚できれば、永住権や国籍も夢じゃない。日本だと、様々な理由をつけて滞在を伸ばすことができるし、都会に行けば支那人を支援する人権屋とか左翼弁護士も“いっぱい”いるから一安心だ。
とにかく、日本人は精神的に弱い。「根気強くゴネれば道は開ける」というのが支那人のモットー。彼らには日本人が持つ「羞恥心」といったものは無い。付け入る隙があれば、とことん利用し、その隙間をグイっと広げて、もっと多くの利益を得ようとする。やがて日本には支那人の血筋を持つ者で溢れ、帰化人の子孫とか日支混血児の家庭、アジア人と結婚する帰化支那人の孫などが普通になってしまうだろう。たぶん、「李」とか「劉」、「趙」といった姓が当たり前となるんじゃないか。地上波テレビ局はこっそりと多民族社会を目指している。狡賢い制作者は、白人藝人を招いて作る番組の中に、ちゃっかりアジア人を混ぜて、視聴者のアジア人アレルギーを薄めようと謀っているのだ。テレビ朝日は、『ビートたけしのTVタックル』にアジア人を混ぜて地均しをしていた。朝鮮系支那人の張景子(稲川素子事務所)を呼んできたり、南鮮擁護の特集番組では、東海大学の金慶珠(ホリプロ)を招いて反論を述べさせていた。ちなみに、レギュラー出演者の大竹まことは、プロデューサーの意見を喋るだけの代理人。最近では、上海出身の支那人女優、高陽子(ジャパン・ミュージック・エンターテイメント)を起用して支那人掩護に努めていた。日本人は日本語を流暢に喋るアジア人に心を許してしまうから、破壊主義派の左翼にとったら赤子も同然だ。
武漢肺炎に罹った日本人は本当に気の毒だけど、こうした患者達は病院に赴いて更に驚く。既に支那人の患者がいて、医者や看護婦さんの手厚い治療を受けているからだ。日本人の患者はアジア人患者の到来で、診察の順番が廻ってくるまで長時間待たされ、得たいの知れない外人と同じ待合室で坐る破目になる。しかも、こうしたアジア人が何時の間にか「国民健康保険証」を持っており、日本人と同じように高度医療を受けているんだから頭にくる。日本人は両親や祖父母、曾祖父母の頃から国民健康保険制度を支えており、長年に亙って多額の保険料を納めてきた。中には医者や看護婦、介護師を排出した家族もいる。それなのに、支那人ときたら“たった”三ヶ月ないし半年くらいで保険証を入手でき、それを「後ろめたい」とも思わない。悪質な支那人は一つの保険証を使い回して診察を受けている。只でさえ、支那人は北海道や沖縄、東京周辺の土地を買い漁り、日本の街を汚くしているのに、ウイルスまで撒き散らかしているんだから、一人残らず叩き出したくなる。もし、日本国が消滅するとしたら、それはミサイル攻撃じゃなく、支那人の襲来によるものだろう。安倍晋三は長期政権を築いた総理大臣というより、日本を変質させた張本人として歴史に刻まれるはずだ。
人気ブログランキング