無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2020年04月

燃え尽きた女優 / 華麗で悲しい人生を過ごしたロミー

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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炎で焼き殺された夫人

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  ここのところ、ウンザリするような自粛要請が続いるので、気分転換ではないが、久しぶりに映画について述べてみたい。最近の映画を観て“つくづく”思うのは、存在するだけで魅了される女優が少なくなったことである。確かに、世界的な人気を誇る女優は今でも存在するが、後々の世まで語り継がれる程のスターはどれくらい居るのか、正直なところ分からない。筆者が現在の演劇界に疎いせいかも知れないが、「大女優」として心に残っているのは、オーストリア出身のロミー・シュナイダー(Romy Schneider)である。

  映画ファンなら知っていると思うが、ロミーは亡くなってからもヨーロッパの映画界で人気が高く、最も印象深い女優の一人となっている。フランスで人気を誇ったロミーであるが、彼女は元々オーストリア出身の役者で、「ローズマリー・マグダレーナ・アルバッハ(Rosemarie Magdalena Albach)」というのが本名だ。彼女の母マグダ・シュナイダー(Magda Schneider)も女優で、『恋愛三昧』という映画に出演して名声を得たらしい。後に、娘のロミーも同作品のリメイクに出演し話題したから、今でも語り草となっている。彼女の父親ヴォルフ・アルバッハ・レティ(Wolf Albach-Retty)も役者で、妻となったマグダとの共演作品が9本もあるそうだ。(後に、彼女の両親は離婚となる。噂では、母のマグダがナチスの支持者であった事が理由の一つになっていたというが、本当のところは判らない。)

  16歳のロミーがヨーロッパで一躍有名になったのは、1956年に公開された『プリンセス・シシー』に出演し、「美貌のプリンセス」として名高い皇妃エリザベートを演じたからだ。このオーストリア映画は全ヨーロッパで人気を博す作品となり、1956年には続編の『若き皇后シシー(Sissi : Diejunge Kaiserin)』が制作された。すると、第二作目も大ヒット。この勢いに乗って、映画会社は1957年に第三作目となる『ある皇后の運命の歳月(Sissi : Schicksalsjahre einer Kaiserin)』を制作することに。「まさか、三匹目のドジョウなんて」と思いきや、これまた好評ときたから、会社のお偉方は大満足。しかし、ロミーはこの「嵌まり役」にウンザリしていたようで、嫌々ながらの出演であったという。実は、母親のマグダと継父のハンスが高額のギャラに目が眩み、無理やりロミーを出演させたようだ。呆れたことに、この銭ゲバ両親は、こともあろうに厭がるロミーに、第四作まで押しつけたというから酷い。だが、これにはロミーも腹に据えかねたようで、20歳になったロミーは100万マルクを積まれても承諾しなかったそうだ。

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(左と中央 : 「シシー」役を演じたロミー・シュナイダー  /  右 : 皇妃エリザベートの肖像画)

  「お姫様役」に嫌気が差したロミーは、汚れ役まで引き受ける女優業に踏み出した。そうした中で遭遇したのが、ロベール・アンリコ監督の『追想(Le vieux fusil)』(1975年公開)という作品で、彼女はジュリアン・ダンデュというフランス人医師の妻、「クララ」を演じた。時は、第二次世界大戦末期の1944年。フランス南部にあるタルヌ=エ=ガロンヌ県はドイツ軍に占領されていたが、連合国の巻き返しによりドイツ軍は撤退を余儀なくされていた。しかし、戦闘の雲行きを案じたダンジュ医師は、妻のクララと娘のフローレンスを自分の故郷である「バルバリー村(hameau de la Barberie)」に疎開させようとする。

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(左 : 新婚夫婦のジュリアンとクララ  /  右 : 復讐の為にライフルを持つジュリアン)

  ところが、20人弱で構成されるドイツ人部隊がこの村を襲い、ドイツ兵は村人を皆殺しにしてしまった。そうとは知らない亭主のジュリアンは、病院の仕事が一段落付いたので、疎開先の村に行ってクララとフローレンスに会おうとした。だが、村の教会に立ち寄ったジュリアンは、血塗れで倒れている村人を発見して愕然とする。不安に駆られたジュリアンは、妻と娘を探しに丘の上に聳え立つ古城に向かうことにした。しかし、そこで目にしたのは、射殺された娘の遺体と丸焦げになった妻の亡骸だった。実は、村を占領したドイツ兵は、城の中でクララを輪姦しようとしたのだ。ここで映画は時間を巻き戻す。城の中で陵辱されかけたクララは、一瞬の隙を突いて部屋を抜け出し、娘を連れて脱出しようと試みる。とはいっても、女子供がいくら急いで走っても、ドイツ兵の魔の手からは逃れられない。少女のフローレンスはSS将校に背中を撃たれて即死。一方、城の壁に追い詰められたクララは蛇に睨まれた兎みたい。何と、野獣の如きドイツ兵は、恐怖に怯えるクララに向かって火炎放射器を構え、躊躇なく引き金を引く。すると、煌々とした炎がクララを包み、彼女は一瞬で黒焦げとなった。

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(左 : ドイツ兵に追い詰められたクララ  /  右 : 焼き殺されるクララ)


  愛する家族を殺されたジュリアンは復讐の鬼となる。彼は昔、古城に隠した父のライフルを手にして、ドイツ兵を一人一人狙って殺害しようと試みた。ジュリアンは子供の頃、父親から射撃を習っていたので、銃に関しては多少の心得を持っている。人の命を救うドクターから、人の命を奪うハンターに変わったジュリアンは、ドイツ兵を次々と殺しながら、亡き妻との出逢いや家族との団欒を思い浮かべていた。若くて美しいクララは、ジュリアンにとって二番目の妻であった。クララと知り合った頃のジュリアンは、前妻と別れ、幼い娘を抱える男鰥(やもめ)。友人にクララを紹介されたジュリアンは一目惚れで、娘のフローレンスも再婚相手を気に入っていた。クララとフローレンスは本当の親子みたいに仲睦まじく、ジュリアンは新妻を見つめて幸せな日々を過ごす。こうした過去を思い出しながらドイツ兵を殺して行くジュリアンは、次の標的を探しに城の中を動き回る。一方、命を狙われているとは知らぬドイツ兵は、偶然、部屋の中にあったフィルムと映写機を見つけ出した。「知らぬが仏」とはこの事で、浮かれたドイツ兵はフィルムを観ながら飲酒を楽しもうとする。部屋の隠れ場所から中をのぞき込むジュリアンは、映写機が投影する映像を目にして、自分の記録フィルムであることに気づく。それは彼がクララを撮影した時の作品であった。スクリーンに映し出されるクララは美しく、ドイツ兵達は大はしゃぎ。彼らの馬鹿騒ぎは、復讐の炎に油を注ぐようなものだった。

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(左 : ジュリアンに出逢った頃のクララ  /  右 : 親子三人でサイクリングを楽しむシーン)

  ジュリアンは城の中で様々な罠を張り巡らせてドイツ兵を殺してゆく。そして、ついに彼は指揮官であるSS将校を追い詰める。ジュリアンは城の中で見つけた火炎放射器をSS将校に向け、憎しみを込めて炎を浴びせかけた。ジュリアンがドイツ兵を片づけた後、フランス人の解放軍が村に到着し、レジスタンスは村の惨状に凍りつく。ジュリアンのもとには、友人のミュラー医師が駆けつけ、疲れ切ったジュリアンを自宅に送ろうとした。憔悴しきったジュリアンは、クルマの中で改めて妻と娘を亡くした事実を自覚する。過去を振り返ったジュリアンは、かつて妻と娘を連れてサイクリングした時の事を思い出す。銀幕には三人で楽しく自転車に乗っているシーンが映し出され、物語は「幸せな日々」という回想で幕を閉じる。

  日本で1976年に公開された『追想』は、フランスで大ヒット作品となり、約336万人を動員したそうだ。それにしても、ドイツ兵が人妻のクララを火炎放射器で焼き殺すなんて酷すぎると思えるが、この映画には「ネタ元」になる実際の事件があった。1944年6月10日、フランスの「オラドゥール・シュル・グラヌ(Oradour-sur-Glane)」という村でドイツ軍による大量殺戮が起きていたのだ。虐殺の切っ掛けはレジスタンスの排除、すなわちゲリラの掃討作戦で、怒り狂った武装親衛隊(Waffen SS)が109名のフランス人男性を撃ち殺してしまい、その余波で247名の女性と205名の子供が殺されたのである。確かに、ドイツ軍のゲリラ狩りには相当な行き過ぎがあった。けど、民間人を装ったフランス人も悪い。レジスタンスによる襲撃は、一般人と軍人の区別を無くしてしまうから、酷たらしい報復を招く原因にもなる。歐米の映画やドラマでは、ドイツ兵が常に悪役となっているが、虐殺行為はアメリカ軍やブリテン軍も行っていたから、ドイツ軍だけを「悪者」にするのは卑怯である。例えば、ブリテン軍はモンテ・カッシーノにある修道院を空爆し、大勢の聖職者と負傷者を殺害したし、アメリカ軍は日本の都市を焼き尽くした。ドレスデンの大空襲も、まさしく地獄の炎だ。ドイツ軍だけを責めることはできない。本来、「ホロコースト」は東京大焼殺に使われる言葉で、チフスで死んだユダヤ人に使われる用語じゃない。ドイツ人だけを極悪人にするユダヤ的藝能界には毎回ウンザリする。

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(左 : 映画で共演した時のアランとジョアンナ    /   ジョアンナ・シムクス   /  シドニー・ポワティエ /  右 : 娘のシドニー・タミア )

  好評を博した『追想』は、作品部門や音楽部門で「セザール賞」に輝いた。脚本を手掛けたパスカル・ジャーディン(Pascal Jardin)と監督のロベルト・エンリコ(robert Enrico)は、人気俳優のアラン・ドロンと縁が深い。ジャーディンはドロンが出演した『危険がいっぱい(Les félins)』、『ボルサリーノ2(Borsalino and Co.)』、『個人生活(La race des seigneurs)』、『もういちど愛して(Doucement les basses)』、『帰らざる夜明け(La veure Couderc)』の脚本を手掛けた人物である。エンリコは『冒険者たち(Les Aventuries)』でドロンを起用した監督だ。この映画には、若きジョアンナ・シムクス(Joanna Shimkus)が「レティシア」役で出演していたから、今でも印象に残っている。ジョアンナはユダヤ人の父親とアイリス人の母親との間に生まれたカナダ人女優で、黒人俳優のシドニー・ポワティエと結婚した事でも有名だ。ポワティエが出演した『招かざる客』については、以前、当ブログで評論記事を書いたことがあるけど、彼は私生活でも白人女性を妻にしていた。この夫婦には娘が二人いて、シドニー・タミアの方は母親と同じく女優になっている。まぁ、父親の遺伝子を受け継いでしまったから仕方ないけど、タミアはジョアンナから生まれたのに、母親の容姿とは懸け離れた外見になっている。余計なお世話だけど、異人種間結婚というのは恐ろしいものだ。

「永遠の恋人」、アラン・ドロンとの邂逅

  脚本家のジャーディンは何度もアラン・ドロンの映画に係わったが、ロミーの方もアランと関係が深かった。なぜなら、ロミーとアランは私生活でも恋人同士になっていたからだ。二人の出逢いは、『恋ひとすじ(Christine)』という作品が切っ掛けであった。この映画は、ロミーの母親にとっての出世作となった『恋愛三昧』のリメイク作品で、娘のロミーは監督に「相手役は自分に選ばせて欲しい」、と頼んだそうだ。そして、彼女は候補者となった男優の写真に目を通した。何名かの俳優を吟味したところ、ロミーはまだ無名だったアラン・ドロンを指名したという。(やはり、女の直感というのは鋭い。) 幸運にも相手役に選ばれたドロンだが、彼は元々この作品には消極的だった。それでも、友人であるジャン・クロード・ブリアリ(Jean-Claude Brialy)が「やってみろよ !」と後押しするので、渋々やることにしたそうだ。("Alain Delon and Romy Schneider", Jolie Gazette, January 18, 2017) 

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(写真  / 映画『恋ひとすじ』で共演した時のロミーとアラン )

  後に私生活でも親密となるロミーは、恋人役にアランを選んだものの、この新人俳優に対し、あまり良い印象を持っていなかった。アランの方も同じで、胸くそ悪い小娘程度にしか思っていなかったそうだ。しかし、二人は撮影中に惹かれ合う間柄となり、次第に同棲関係へと発展した。当時、まだ世間は倫理道徳にうるさかったから、「正式な結婚もしないうちに、もう同棲するとは・・・」と二人の行動に眉を顰めたらしい。日本の女性ファンには説明不要と思うが、アラン・ドロンにはどこかしら“危険な香り”というか、社会の掟に背く“叛逆児”といった側面があるので、それが逆に彼の魅力となっている。大ヒット作『太陽がいっぱい』でドロンは、裕福な友人を殺し、その恋人まで奪ってしまう野心家を演じたが、観ている者はその罪を咎めて憎む事はできない。やはり、クールなハンサム青年は“得”である。これが、ユダヤ人俳優のアダム・サンドラーとかベン・ステイラーだと絶対に赦せない。こんな主人公だと、観客が絞首刑を望んでしまうからだ。

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(左 : アラン・ドロン  /  中央 : アダム・サンドラー  /  右 : ベン・ステイラー  )

  熱愛関係となったロミーとアランだが、両者の立場は変化して行く。アランの方は『太陽がいっぱい』の成功で一躍スターとなり、ロミーの方はドイツでの人気が衰え、次第に仕事が減ってしまた。ただ、1960年、アランはルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)が監督を務めた『若者のすべて』という映画に出演したので、彼はこの巨匠をロミーに紹介しようと考えた。すると、ヴィスコンティ監督はロミーを気に入り、自分が演出する舞台『あわれ彼女は娼婦(Tis Pity She's a Whore)』に起用した。まだ初歩のフランス語しか喋れないロミーは、フランスで成功すべく、語学の猛特訓を受け、必死でフランス語のセリフを覚えたそうだ。さぁ~すが、女優は演劇のためなら何でもする。後に、彼女はフランスのトーク番組で流暢に受け答えしていたけど、ドイツ人にとったらフランス語はさほど困難な言語じゃないらしい。

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(左 : 恋人時代のアランとナタリー   / 中央 : ナタリー・ドロン  /  右 : 結婚したナタリーとアラン)

  俳優のカップルというのは、仕事が忙しくなると破局するようで、ロミーとアランも別々の道を歩んで行く。ロミーはハリウッド映画に進出し、『枢機卿(The Cardianl)』とか『ちょっとご主人貸して(Good Neighor Sam)』といった作品に出演する。一方、アランの方は、『個人授業』で有名な女優のナタリー・ドロンと結婚だ。しかし、ロミーの方も新たな恋人を見つけ、舞台演出家でもあるハリー・マイエン(通名 : Harry Meyen / 本名 : Harald Haubenstock)というユダヤ人俳優と結婚する。だが、二人が交際していた時、このユダヤ人は既婚者であった。舞台女優の妻を持つハリーは、まるで映画さながらの三角関係に陥っていた訳だ。それでも、運が良いのか悪いのか、ロミーが妊娠したことで夫人と離婚が成立したという。かくして、ハリーは妊娠4ヶ月の花嫁と南仏で再婚する。(当時としては順序が逆だけど、藝人だからしょうがない。)

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(左 : ハリー・マイエンとロミー  /  右 : 夫のハリーと息子のダーヴィッドを連れたロミー )

  女は昔つき合っていた男を綺麗さっぱり忘れるが、男の方は結構“未練”や“想い出”が残るらしい。ハリーと結婚したロミーは、1966年、ベルリンで息子のダヴィッド・クリストファーを出産する。赤ん坊を授かったロミーは、この幸せを守るべく、女優業から離れ育児に専念した。だが、一旦役者となった女性は、なかなか藝能界を忘れられない。しかも、亭主のハリーは自ら手掛ける舞台が悉く失敗ときている。それなのに、彼は妻の舞台復帰に反対するんだから、ロミーが苛立ちを覚えたのも無理はない。ロミーは次第に夫への幻滅を抱くようになる。

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(左 : プールサイドで抱き合うロミートアラン  /  右 : ベッドで愛し合うロミーとアラン)

  ロミーがルビーの指輪を持っていたかどうか知らないが、昔の恋人であるアランは失望に暮れるロミーを見かねて、新たな仕事を持ちかけた。(もう、今では寺尾聰のヒット曲は懐メロなのかなぁ。) 1969年、彼はジャック・ドレー監督が手掛ける映画、『太陽が知っている(La Piscine)』に出演予定たったので、相手役にロミーを指名したのだ。「さすがアラン・ドロン !」と称讃したくなるくらい、アランは慧眼の持ち主だった。共演作は大ヒット。脚本の善し悪しは別にして、この映画にはアランとロミーがプール・サイドで抱き合う場面があるので、一番の目玉となっている。何しろ、元恋人同士だから、水着姿でもつれ合う二人のラヴ・シーンは濃厚だ。銀幕を見つめる観客は、演技なんだか本気なんだか判らない。日本の観客だって美しいロミーの肉体に釘付けだ。撮影中のアラン・ドロンはどんな気持ちだったのか? (藝能記者から「どんな気持ちで演技に臨んだのか?」と訊かれたロミーは、「情熱だけよ !」と答えたそうだ。) 日本で言えば、山口百恵と三浦友和みたいな間柄かも知れない。(ちょっと例が古いけど、筆者は現在の人気女優に疎いから、どうかご勘弁を。) ちなみに、この映画には人気歌手となるジェーン・バーキン(Jane Birkin)が出ていた。彼女の「無造紳士(L'aquoiboniste)」は田村正和主演のTVドラマ『美しい人』のテーマ曲になったから、「あの曲を唄っていたフランス人か !」と覚えている人もいるんじゃないか。

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(左と中央 : 『太陽が知っている』でのシーン   /  右 : ジェーン・バーキン  )

女優としての栄光と母としての悲哀

Helmut Berger 2(左  /  ヘルムート・ベルガー)
  「人生山あり谷あり」で幸福と不幸は交代でやって来るようだ。故郷を捨てたことで、オーストリアのファンには不評だったが、フランスで人気を博したロミーは、70年代を代表する大女優へとなっていた。1972年には、『暗殺者のメロディー』に出演し、再びアラン・ドロンと共演することになったからファンは大喜び。さらに、この女優には幸運が舞い込んでくる。1972年、巨匠と呼ばれたヴィスコンティ監督が『ルートヴッヒ』を制作したのだ。この大作でロミーは再び厭がっていた皇妃エリザベートを演じるわけだが、これが後世に残る名作なんだから、ロミーも不満は無い。『ルートヴィヒ / 神々の黄昏Ludwig)』を観た人なら分かると思うけど、バイエルン王のルートヴィッヒ2世を演じたヘルムート・ベルガー(Helmut Berger)は素晴らしかった。筆者も高校生の時、偶然テレビ放送で観たんだが、その映像美に感動したことを覚えている。

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(左 : 『ルートヴィッヒ』で共演したロミーとヘルムート  /  右 : 『地獄に堕ちた勇者ども』でナチスの軍人に扮するヘルムート)


Charlotte Rampling 5( 左 / シャーロット・ランプリング )
  ヴィスコンティ監督の映画は一級品で、彼が1969年に手掛けた『地獄に堕ちた勇者ども(La caduta degli dei)』も秀逸だ。これに出演したバーガーやダーク・ボガード(Derek Bogaerde)のことを覚えている人も多いだろうが、「エリザベス・タルマン」を演じたシャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)も注目を引く。この映画はナチスが台頭する前後のドイツが舞台で、鉄鋼王の一族であるエッセンベック家の頽廃を見事に描いていた。当時、この映画を観た三島由起夫が傑作と評して称讃したのも頷けよう。ヴィスコンティ監督が描くヨーロッパには、重厚さと華麗さが際立っており、その中に耽美的な世界と底知れぬ頽廃が渦巻いている。三島由起夫という天才が、どんな表情でヴィスコンティ作品を観たのか分からないけど、三島には歴史を積み重ねた深遠な文化を尊重する気風があったから、筆を執って評論したんじゃないか。現在はハリウッド映画が世界市場を制圧しているけど、銭儲けを第一にしたアメリカ人の映画なんて、藝術を愛する三島由起夫には耐えられないだろう。(余談だけど、三島先生が日本刀を手にした時の眼光は凄いよねぇ~。日本刀は殺人用の武器なのに、魂を吸い取られる程の美しさがある。これはフランスの知識人で歴史家でもあったアンドレア・モロワも認めていた点だ。)

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(左 : 『愛の嵐』で妖艶な踊りを披露するシャーロット  / 右 : SS将校に扮したダーク・ボガード )

  しかし、もっと強烈なナチス映画と言えば、シャーロット・ランプリングが再びボガードと共演した『愛の嵐(Il Portiere di notte))』(1974)の方である。ボガードはかつてナチスの将校だった「マクシミリアン」を演じ、シャーロットの方は「ルチア」を演じていた。このルチアはドイツ軍人に弄ばれるユダヤ人女性という設定だ。とりわけ衝撃的なのは、上半身裸のルチアがピアノに合わせて唄い、ドイツ人将校の前で妖艶なダンスを披露する場面である。ルチアがドイツ軍士官の帽子を被り、卑猥な仕草で体をくねらせるシーンは絶品だ。今でも脳裏に焼き付いている。令和時代の高校生が観たら、その異様な雰囲気に圧倒されるぞ。こうした名作と比べたら、今のハリウッド映画なんかC級以下の代物だ。でもさぁ~、なんでドイツ人に陵辱されたり迫害されるユダヤ人娘って、いつもメラニー・ロランとかアリシア・シルヴァーストン、マルリー・マトリン(Marlee Matlin)といった、西歐風の美人なんだ? 現実の世界では、コメディアンのサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)や歌手のバーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand)、女優のサンドラ・ベルンハルト(Sandra Bernhard)みたいなのが普通だぞ。

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(左 : マルリー・マトリン  /  アリシア・シルヴァーストン / サラ・シルバーマン  / 右 : サンドラ・ベルンハルト )

   ヴィスコンティ監督はキャスティングも絶妙で、トマス・マン(Thomas Mann)の小説を基にして作った『ベニスに死す(Death in Venice)』では、美少年のビョルン・アンドレセン(Björn Andrésen)を起用していた。やはり、歐洲を舞台にした映画なら、キラリと光るヨーロッパ人の俳優を使わなきゃ。多民族主義を忖度して、トルコ人とか北アフリカ系の浅黒い役者を採用するようでは駄目だ。スティーヴン・スピルバーグとかJ.J.エイブラムといったユダヤ人監督は、無理やり場違いな黒人とか同胞のユダヤ人をネジ込んでくるから吐き気がする。そして、ナチス・ドイツの軍人は皆「冷酷残忍なケダモノ」にしているんだから、まるでシオニスト擁護のプロパガンダ映画みたいだ。

Luchino Visconti 01Bjorn Andresen 7(左 : ルキノ・ヴィスコンティ  /  右 : ビョルン・アンドレセン)
  脱線したので話を戻す。女優業においては順風満々のロミーであったが、亭主との仲は冷え込む一方だった。自分の仕事が上手く行かないハリーは、自身への憤りと妻への嫉妬心とで悩んでいた。彼は次第に酒と薬に溺れるようになり、ついにロミーと別居するようになる。愛想を尽かしたロミーは息子を連れてフランスに移住。キャリア・ウーマンに戻った彼女は、どんな役柄をも厭わず、お金に目が眩んで落ちぶれる娼婦の役でさえ演じていた。こうした中で出演した映画の一つが、先ほど紹介した『追想』である。1975年に公開されたこの作品はロミーに栄光を与えるが、同年、彼女はハリーと正式に離婚する状況になっていた。息子の親権はロミーが持つことで合意されたようだ。

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(左 : ロミーと ダニエル・ビアシーニ /  中央 : 娘のザラ・マグダレーナを抱くロミー / 右 : 成人して女優になったザラ )

  美人女優というのは、離婚しても次の男が直ぐ現れるから、凡人の女性からすれば何とも羨ましい。ロミーはハリーと別れる以前から、個人秘書のダニエル・ビアシーニ(Daniel Biasini)と交際しており、二人は1975年12月にベルリンで結婚する。元の亭主はロミーよりも14歳年上だったが、今度の夫は11歳若かった。本来、ハネムーンは甘いものだが、ロミーの蜜月は胆汁よりも苦くなっていた。新婚当時、ロミーは妊娠5ヶ月であったが、残念なことに流産してしまう。そして、別れた夫も失意のドン底にあった。絶望の淵をさまようハリーは、酒と薬物に溺れ、1977年、身を持ち崩して自らの命を絶つ。

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(写真  /  幼いダーヴィッドとロミー)

  流産という哀しみに沈んでいたロミーであったが、1977年、彼女は再び身籠もり、第二子となる娘ザラ・マグダレーナを出産する。そして翌年、彼女は『ありふれた愛のストーリー(Une histoire simple)』でヒロインを演じると、二度目のセザール賞をもらい、主演女優賞に輝いた。しかし、ロミーは大金を稼ぐようになったものの、肝心な納税に対しては驚くほど無頓着だった。それゆえ、フランスの税務当局はこの有名女優に目を附け、過去の脱税を問題する。かくして、ロミーは追徴課税を払う破目に。ところが、この追徴金額はあまりにも莫大だった。いくらロミーでも無理。ということで、彼女は事実上の破産状態に追い込まれた。不幸というものは度重なるもので、女優業は好調だったのに、夫婦関係は低調で、液体窒素が注がれたように亀裂が入ってしまった。1981年、ロミーはダニエルと離婚する。同年、さらなる不幸が襲い、彼女は腎臓を摘出する手術を受け、右腹に傷跡を残すことに。

Romy Scheider & David 12(左  /  ダーヴィッドに絵本を読んで聞かせるロミー)
  それでも、こうした災難は息子を亡くす悲劇に比べれば些細な事だ。ダーヴィッドは母の新しい愛人と反りが合わず、ロミーに反撥していた。彼は母親のもとを離れて、継父であるダニーと暮らすようになったという。ところが、1981年7月5日、デーヴィッドに運命の瞬間が訪れる。彼はダニーの両親宅に泊まっていたのだが、何かの用事で外出するため、家の垣根を跳び越えようとした。しかし、運悪く足を滑らせ、鉄製の角棒の上に落ちてしまい、憐れにも串刺しになってしまった。金属の棒で身を貫いたデーヴィッドは病院に搬送されたというが、時既に遅く、医師はロミーに小声で「遺憾」を告げたそうだ。この残酷な言葉を聞いたロミーは正気を失い、その悲鳴は病院中に響き渡った。14歳の息子を失ったロミーの泣き声は今でも聞こえてきそうで、想像すだけでも胸が痛くなる。葬儀は友人のアラン・ドロンが手配した。埋葬にはフランソワ・ミッテラン大統領などの著名人が参列し、泣き崩れるロミーの姿はマスコミの映像に残されている。

  息子を失ったロミーは、哀しみを忘れようと仕事に打ち込んだそうだ。1982年、彼女は『サン・スーシの女(La Passante du Sans-Souci)』という映画に出演し、「マックス」という少年を引き取る「エルザ」を演じた。周囲の者は、ロミーがマックス役の少年と共演することで、ダーヴィッドを思い出すんじゃないかとハラハラしたそうだ。撮影中、マックスがヴァイオリンを弾くシーンになると、ロミーは亡き息子を思い出し、感情が昂ぶった止めどなく涙を流したらしい。ロミーの病気やダーヴィッドの死去で撮影が延期されたものの、『サン・スーシーの女』は興行的に大成功。フランス全土では196万人、海外市場だと2,500万人の観客を動員したそうだ。

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(左 : 映画の中の少年「マックス」   / 右 : 成人して数学者になったウェンデリン・ウェルナー  )

  ちなみに、「マックス」を演じた子役は、後に優秀な数学者となるウェンデリン・ウェルナー(Wendelin Werner)であった。彼は2001年に栄誉ある「フェルマー賞(Fermat Prize)」に輝き、2006年には「ポリヤ賞(George Polya Prize)」と「フィールズ賞(Fields Medal)」を貰ったというから本当に凄い。ウェルナー博士はドイツのケルン生まれなんだけど、9歳の時に両親と共にフランスに移住し、1977年にフランス国籍を取ったから、現在は「フランスの数学者」となっている。日本で代数幾何学の権威といったら、「フィールズ賞」を授与された京都大学の廣中平祐(ひろなか・へいすけ)先生で、山口大学の学長を務めたことでも有名だ。しかし、日本の官僚は天才数学者でも袖の下を渡さないと意地悪をする。北海道に「公立はこだて未来大学」が計画された時、廣中先生は設立委員会メンバーとして陣頭に立っていた。先生は大学設立の件で文部省の役人と度々交渉したが、その都度、申請書類の内容や形式に様々な“イチャモン”をつけられ、相当憤慨されたそうだ。信じられないけど、担当者の嫌がらせで廣中先生は何度も「役所詣で」に行ったそうである。もう、役人どもの頭をひっぱたきたくなるが、政治家の口添えが無いと、ヒラメ役人は傲慢になるという証拠だ。

  またもや脱線したので話を戻す。『サン・スーシの女』で成功したロミーは、次にアラン・ドロンとの共演でサスペンス映画に出る予定であった。しかし、我々はその演技を永遠に観ることはできない。1982年5月28日、ロミーは友人のロラン・ペタン等と食事を取り、その後自分のアパートメントに帰ったそうだ。午前零時を過ぎ、翌29日になった深夜1時頃、ペタンは肘掛け椅子で眠っているロミーを目にしたので、彼女を起こさないようにしてベッドに運んだらしい。ところが、朝の7時頃、彼は嫌な予感がしたので、ロミーを見に行くと、彼女は目覚めなかった。驚いたペタンは直ぐさま救急車を呼び、心臓ッサージをしてもらったというが、時既に遅かった。寝室には普段から服用していた睡眠薬と空になったワインの瓶があったという。検死の結果、外傷は無く、心不全が死因であった。

  ロミーの葬儀もアラン・ドロンが手配したが、アラン自身はマスコミの騒動を避けるため、実際の葬式には出なかった。しかし、葬儀の参列者は豪華で、男優のジェラルド・ドゥパルデュー(Gerard Depardieu)や映画監督のクロード・ルローシュ(Claude Lelouch)、俳優兼監督のミシェル・ピコリ(Michel Piccoli)などが駆けつけていた。彼女の遺体は祖国に戻ることなく、イヴリーヌ(Yvelines)県のボワシー・サン・ザヴォワール(Boissy-san-Avoir)にある教会に埋葬され、息子のダーヴィッドと共に永眠している。墓碑にはロミーの本名のほか、生年と没年の月日だけが記されていた。また、息子の死を認めたくなかったロミーに配慮したのか、ダーヴッイドの没年は刻まれていなかった。

Romy Schneider 2Romy Schneider 32Romy Schneider & Sarah 2









(左と中央 : 幸せな頃のロミー  /  右 : 娘のザラとロミー)

  ロミーは亡くなってからも多くの映画関係者から慕われ、1984年には、フランス人ジャーナリストのユージン・モワノーとマレーヌ夫妻により、「ロミー・シュナイダー賞(Prix Romy Schneider)」が創られた。この栄誉は主にヨーロッパで活躍する女優に贈られている。例えば、2005年には『Hereafter』(クリント・イーストウッド監督作品)に出演したベルギー人女優のセシル・ド・フランス(Cécile de France)に贈られ、2006年には『Je vais bien, ne t'en fais pas』に出演したメラニー・ローラン(Mélanie Laurent)が受賞した。メラニーはクェンティン・タランティーノ監督が手掛けた『イングローリアス・バスターズ』(2009年)で、ナチスに迫害されるユダヤ系フランス人を演じたことでも知られている。

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(左 : カトリーヌ・ドヌーヴ / 中央 : メラニー・ローラン  /  右 : セシル・ド・フランス )

  藝能界で輝ける大スターとなったロミーだが、私生活では息子を亡くし、その晩年には暗い影が差し込んでいた。訃報が伝えられた時、世間の人々は彼女が自殺したんじゃないか、と疑ったらしい。それもそのはず。若い頃は、あんなに笑顔の似合う女優だったのに、中年以降は涙に暮れる悲しい母親になっていたんだから。それでも、フランスにおいてロミーの人気は絶大だ。ある調査によれば、名女優のカトリーヌ・ドヌーヴよりも人気が高い。意外なことに、ロシア大統領になったウラジミール・プーチンもロミーのファンだったようで、記者から好きな女優を訊かれた時、しばらく考えた後、ロミーの名を挙げていたという。("President gets personal", BBC News, 6 March 2001.) 世界中の人々から愛された人気女優なのに、最も愛すべきダーヴッドを失ったロミーは、根こそぎにされた薔薇のように枯れ果ててしまった。だが、ロミーの肉体が滅んでも、その微笑みは今でも映像の中で生きている。銀幕に映しだされた彼女の美しさは永遠だ。これからも、次々と新しい世代の若者を虜(とりこ)にするだろう。



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イメージが悪いアジア / 出身国を隠す異邦人

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国籍を隠そうとする日本政府

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(左 : 植木に唾をを吐きかける支那人  /  右 : 公衆の面前で脱糞する支那人女性)

  日本の政治家やマスコミは、アジア人やアジア諸国絡みの政治問題および社会事件が起きると、なぜか国籍や素性を隠そうとする。武漢ウイルスが問題となった1月以降、総計で約95万人ほどの支那人が入国しているはずだが、政府は旅行者がその後どうなったのか、支那人の感染者数や入院患者数がどれほどなのか、具体的に発表しないから実に奇妙だ。国益を考えるはずの議員や官僚ならば、厄介者となるアジア人の動向を追尾するはず。ところが、法務省の役人ときたら、不信感を抱く国民から情報公開を求められても、「個人のプライヴァシーに係わる事なので・・・」と要求を却下する。だが、こうした回答はおかしい。なぜ、「特段の事情」で入国した外国人や、肺炎発症者の国籍を明らかにせず、色々な理由をつけて公表を渋るのか? 日本人が発症者となれば、感染した病院とかホテル、通勤ルート、住んでいる県などを公表するのに、支那人や朝鮮人となれば“極秘”扱いだ。(俳優の石田純一が泊まったホテルは、事件が発覚した後、休業に追い込まれたそうである。) 長崎に停泊中のクルーズ船からも、ウイルスの感染者や発症者が輩出されたそうだが、病院へ搬送された患者がどんな人物で、感染者はどういった国籍の者なのか、依然として分からない。

  国会議員や高級官僚は直ぐ「人権」を持ち出すが、「古来からの権利」、すなわち親子代々日本に住む日系の日本国民にとったら、そんな概念は道端の雑草か馬糞ていどの戯言(たわごと)である。我々が持つ「知る権利」の方が優先されるべきだろう。そもそも、どうして支那人や朝鮮人が入国者や発症者になると、個人や家族のプライヴァシーが特別扱いされるのか? もし、自覚症状の無いアメリカ人やイタリア人の旅行者が日本国内で発症したら、役所は直ぐさま感染ルートを調べるし、本人にも事情を訊いて、接触した人々に注意を呼びかけるはずだ。一方、報道を耳にして驚く日本人の方だって、「あの時、この外人と話をしたから、もしかして・・・」と怪しみ、周囲に移さないよう自宅待機を選ぶだろう。マスコミの心配とは違い、普通の日本人は発症者がイタリア人とかアメリカ人と伝えられても、「まぁ、わざと日本へ駆け込んで来た訳じゃないし、たまたま本人が気づかないうちに感染したんだから、患者を責めるのは酷だよなぁ~」と思うはずだ。

  加えて、もし、患者が合法的に来日した西歐人なら、殊さら国籍公表を拒む理由は無いだろう。武漢ウイルスは国籍を選んで飛んでくる訳じゃない。だいたい、NHKや民放が「今日、アメリカ人の発症者が病院に搬送されました !」と報道して、激怒する在日アメリカ人っているのか? テレビ局や新聞社に潜む左翼分子は、常日頃「ネット右翼どもは外国人を差別するヘイト集団だ !」と激しく罵るが、筆者はアメリカ人やフランス人、カナダ人、オーストラリア人の感染者に憤り、街頭デモを行う一般国民を見たことがない。(朝日や毎日新聞の記者は、保守派国民と職業右翼を同等に扱うから注意が必要だ。) また、日本のテレビ局が国籍別の患者数を報道しても、横須賀や横田の米軍士官が抗議するとは思えない。日本の法務省だけが異常で、アジア贔屓の官僚どもは、万が一、朝鮮人や支那人の入国者数や患者数を発表すれば、必ず右翼どもが大騒ぎするから、そうならないよう在日支那人や朝鮮人を保護しなくちゃ、と予め思っている。

  こうした予防策をよくよく考えてみると、アジア人への配慮を心掛ける連中ほど、アジア人を劣等民族と思っているんじゃないか。平和な日本において、“庇護すべき憐れな外国人”とくれば、アジア人だけだろう。もし、これがイギリス人とかドイツ人、あるいはケルト系フランス人なら、特別配慮なんて考えない。一般の日本人も欧米人に対して特殊な敵愾心は無いから、たとえ在日イギリス人や来日ドイツ人が窃盗や暴行をはたらいても、「悪い奴がいるもんだなぁ」と呆れるだけで、イングランドやドイツといった国を悪人の巣窟とは思わないはずだ。一般国民は遠慮して口にしないけど、「アジア」というのは未だにマイナスのイメージが強い。

  例えば、政府が郵送した妊婦用のマスクの中に、不潔なマスクが混ざっていた、という事件が起きた。これを受けて菅義偉官房長官は、4月20日の記者会見に臨んだが、製造元や輸入業者の名前を明らかにしなかった。当初、政府は5月までに厚生労働省のホームページで公表すると述べていた。(菊地直己、姫野直行、吉川真布『異物混入・・・アベノマスクに批判続く 製造社名は来月公表』 朝日新聞、2020年4月21日) ところが、激怒した国民が「なに寝ぼけた事言ってやがるんだ ! どうして5月まで待つんだ?!」と抗議したから、厚生労働省は慌てて方針を見直し、マスクの受注会社を明らかにした。政府は興和、伊藤忠商事、マツオカコーポレーションに依頼し、契約額はそれぞれ約54.8億円、約28.5億円、約7.6億円で、合計約90.9億円になったそうだ。(浜中慎哉「『アベノマスク』受注先、興和、伊藤忠など3社」 毎日新聞、2020年4月21日) ただし、残り1社の名前が公表されていないから、どうにも解せない。なぜ、安倍政権は第4の会社を明らかにできないのか?

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(左 : 職場の工場で熟睡する支那人労働者  /  右 : 不潔な工場で食品を製造する支那人)

  こうした謎の会社はともかく、製造元は公表され、受注した会社は支那やビルマ、ベトナムにある工場で作られたマスクを輸入していたそうだ。これを聞いた一般国民の中には、「だから、虫や髪の毛が付着していたり、ガーゼが変色していたのか !」と納得した者もいたんじゃないか。俄に信じられないけど、妊婦用に配ったマスク50万枚の内、80もの市町村から苦情が届き、その件数が何と1千901件に上ったという。「まさか !」と否定したいが、新聞やテレビが伝えていたから本当なんだろう。(朝日新聞の報道によれば、その後も苦情が増え、143市町村から7千870枚の不良品が報告されたそうだ。) でも実際に、こんな穢れたマスクが配布されたのか? 反日分子による捏造とは思いたくないけど、第三者による真偽の検証を望みたい。まぁ、世間の賛否は様々だが、安倍政権はこんなマスクに466億円も払ったというんだから、本当に税金の無駄遣いである。欲しくもないマスクを郵送し、図々しい外国人に給付金を配るくらいなら、疲労困憊の医療のスタッフに特別ボーナスを渡せばいいのにねぇ~。

朝鮮文化が日本でウケている?!

  日本に住み着く支那人とか朝鮮人といったアジア人は、恥ずかしさを感じているせいか、自らの血筋や素性を隠すことが多い。政治家でさえ帰化した事実を隠蔽するくらいだから異常である。ところが、西歐人だとかなり違う。さすがに、外見で直ぐバレてしまうから嘘は難しいけど、自分の国籍とか家系を恥じる事ほとんど無い。例えば、イギリス人やドイツ人、スウェーデン人、ベルギー人などが商売や留学で来日した場合、自分の国籍を曖昧にすることはないし、日本人とヨーロッパ人との間に生まれた混血児も、堂々と親の出身地や民族性を明らかにする。例えば、日本で活躍する女流棋士のカロリーナ・ステチェンスカ氏は、日本語を理解するポーランド人であるが、自分の出身国を隠さないし、日本の将棋ファンで彼女を応援する人は少なくない。(将棋ファンの筆者もその一人だ。ただし、「えりりん(山口恵梨子)」と番長(香川愛生)」の次だけど。)

  今から約30年前、筆者は新宿の厚生年金会館で行われたアクセプト(ドイツのロックバンド)のコンサートに行った時、偶然近くに綺麗な女性が坐っていたので、声を掛けたことがある。最初、「アメリカ人かなぁ~」と思って話していたが、雑談しているうちに彼女の父親がドイツ人で母親が日本人ということが分かった。確かに、ドイツのバンドを見に来ているんだから、在日ドイツ人のファンが居ても不思議じゃない。しかも、東京なんだから尚更だ。我ながらアホらしく思うが、勝手にアメリカ白人と決めつけていた当時の自分が恥ずかしい。後日、彼女のことを友人に話した時、ふと「日独混血児だと、なぜ気軽に血筋を話すことができるのか?」と疑問に思った。そして、「もし、彼女が日支混血児か帰化鮮人なら、正直に話してくれただろうか?」と自問自答したことがある。(ちなみに、一般の人々はヨーロッパ人との混血児なにると、なぜか「ハイブリッド」じゃなく「ハーフ」と呼んでいた。筆者は都知事の小池百合子と違い、奇妙な横文字じゃなく、出来るだけ日本語を使う事にしている。)

  日教組教育に染まった日本人は気づかないが、普通の日本人はかつて「同胞」であった朝鮮人よりも、ユダヤ人を迫害したドイツ人の方に親しみを覚え、大日本帝国の一部となった朝鮮よりも、「邪悪な帝国」と蔑まれるドイツの方に多大な敬意を抱いている。敗戦前から日本人はドイツ陸軍を模範とし、勇猛果敢なドイツ軍将兵に畏敬の念を抱いていた。さらに、医学や化学、物理学などで驚異的な成果を出すゲルマン民族に追いつこうと励んでいたのも周知の事実。言うまでもなく、西歐文明に憧れていた青年は、大学でドイツ語を学び、ゲーテの文学やカントの哲学に没頭していたものだ。こうした好みは平成になっても変わらず、ドイツの文化・藝術は依然として魅力的である。音楽雑誌の『Burn』を読んでもらえば判るけど、ドイツのロック・バンドは日本でも結構人気を博している。例えば、先ほど紹介したアクセプト(Accept)の他、スコーピオンズ(Scorpions)、プライマル・フィアー(Primal Fear)、ガンマ・レイ(Gamma Ray)、ハロウィーン(Helloween)、ブラインド・ガーディアン(Blind Guardian)、レイジ(Rage)など、ロック・ファンなら直ぐ思い浮かぶはずだ。バッハやワーグナーといった古典音楽もそうだけど、日本人はドイツ人の音楽に共鳴する点が多い。

Klaus Meine 1Ralf Sheperd 2(左 : クラウス・マイネ / 右 : ラルフ・シーパース)
  ちなみに、ドイツ人で日本の音楽を気に入った人もいる。例えば、「スコーピオンズ」のヴォーカリスであるクラウス・マイネは、来日公演で「荒城の月」を唄っていたし、筆者はコンサート会場で実際に「プライマル・フィアー」のラルフ・シーパースが、「朧月夜(おぼろづきよ)」を唄うのを聴いたことがある。あんな筋肉隆々のドイツ人なのに、しんみりと「菜の花畑~に~・・・」と唄うんだから、聴いている方が可笑しくなる。ラルフ本人は気に入っていたようで、二度目の来日公演でも唄っていた。NHKの反日社員は矢鱈と南鮮を「お隣の韓国」と呼び、笑顔で朝鮮人を持ち上げるが、日本語を知らない朝鮮人のロック歌手が、日本の童謡をコンサートで唄うことがあるのか? 確かに、来日した南鮮人歌手が日本語で唄うことはあるけど、それは日本への親しみというより、札束を目的としたリップサービスだろう。

  日本人は英語が苦手でもアメリカ人やイギリス人のロック・バンドを好み、何枚もCDを買ったり、高額なチケットを購入して来日公演に駆けつけたりする。だが、日本人は本当に南鮮人歌手を好きなのか? なるほど、フジテレビやNHKは熱心に鮮人ミュージシャンを支援し、「今、若者の間ではK-POPが大人気となっています!!」と宣伝する。案の定、何割かの日本人はテレビ局のヤラセに嵌まって、鮮人歌手や鮮人俳優のファンになってしまった。それでも、朝鮮語を覚えて一緒に唄う観客は少ないはずだ。そもそも、高校生や大学生の何パーセントが朝鮮語を学んでいるんだ? 高校や大学で「優秀」と評される青年は、朝鮮の文学や宗教、藝術、歴史を自分の専門にすることはない。(帰化鮮人の子孫は別。) 仮に、地政学や安全保障を専攻する大学生が、朝鮮半島の政治や社会を調べることがあっても、それは必要に迫られた“付け足し”程度で、本腰を入れて勉強する領域じゃない。朝鮮というのはせいぜい、「日本にとっての厄介者」とか「大国に翻弄される属州」という小国でしかないのだ。

  教養と常識を有する日本人は朝鮮文化に見向きもしないが、テレビ局の影響をモロに受ける若者はちょっと違うらしい。朝日新聞の記事だから「眉唾物」という側面は拭えないが、神宮桃子という記者によれば、10代から20代の若者を中心に、南鮮の化粧品や「韓国っぽい」メイク、および南鮮のファッションが人気であるという。神宮氏が取材した渡辺愛佐さん(22歳)によると、Kポップ・グループの「TWICE」などの影響で、下まぶたや髪の毛をキラキラさせるのがはやっているらしい。しかも、「顔立ちが似ていてマネもしやすい」から、もし「韓国の友人が使っていれば日本製の化粧品も使う」そうだ。 (神宮桃子 「カワイイ韓国、若者の憧れに 第3次ブームが呼ぶ消費」朝日新聞、2020年1月22日)

  筆者は女性のファッション事情に疎いから、実際どうなっているのかよく分からない。ただ「本当なのか?」という疑問だけは持っている。何となく怪しいけど、渡辺氏曰わく、
  
    韓国に憧れるのは「自分にとって新しい世界だし、かわいいから」。中学生のころ、KポップのKARAや少女時代の「ダンスがキレキレで完璧な姿」にひかれた。韓国語を勉強し、年4回は韓国へ。バイトは韓国料理店でしかしたことがない。「日韓関係が悪いと言うけど、実際は文化が混じり合っていると思う。日韓の架け橋になりたいし、友人が私の持ち物を見て『韓国の?』と関心を持ってくれるだけでもうれしい。韓国を体験せずに『嫌い』と言わないで」(上掲記事)

  朝日新聞の神宮氏によれば、今、「第三次韓流ブーム」が来ているそうだ。「えっ、そうなの !」と驚く人も多いだろうが、「一流新聞」を自称する朝日が堂々と述べているんだから、あながち「嘘」ではあるまい。ただ、どうしても腑に落ちない事が幾つかある。(良い子のみんなは笑っちゃいけないよ。) 韓国カルチャーに詳しいライターの桑畑優香さんによれば、第3次は2017年頃から到来したそうで、SNSを通じて“感度の高い若者”に拡散したらしい。(じゃあ、南鮮文化を嫌いな日本人は、「鈍感な中高年」や「感度が低いオバタリアン」なのか?) また、桑畑氏の分析によると、南鮮の庶民文化は、「TWICE」好きの小学生や「BTS(防弾少年団」の影響で、10代の男性にも広がっているらしい。とりわけ、この主役は「韓流第2世代」であるという。つまり、1次世代の親を持ち、その影響で韓国に親しみを抱き、生まれた時から韓国ドラマや料理が身近にある世代ということだ。化粧品やグルメといった消費が伴うのも特徴らしい。まぁ、世間は広いから“こうした”家庭もあるんだろうが、何となく子供が気の毒になる。

Korean Plastic Surgery 1Korean Plastic Surgery 7







(左 : 南鮮の科学技術で「人気者」に変身する鮮人歌手  /  右 : 「顔面工事」を準備する朝鮮人)

  専門家の桑畑氏によれば、南鮮を直接訪問できない10代でも、SNSを通して「かわいい世界観に共感」するそうで、「架空の韓国がネットで増殖している」らしい。朝鮮人が“創造”した「可愛い世界観」なんて、日本文化の“パクリ”なんじゃないか。1980年代に育った南鮮人は、政府による禁止にもかかわらず、日本のドラマや雑誌をこっそり輸入して観賞していた。そして、この世代が1990年代以降、ドラマのプロデューサーとか、脚本家、監督、漫画家になっているんだから、大半が日本の模倣(つまり、剽窃ないし盗作)だろう。ただ、若い南鮮人は泥棒作家の正体を知らないから、「韓国のオリジナル文化は凄い!」と真面目に信じている。何とも幸せな民族だ。

  事情通の桑畑氏によれば、贔屓筋には朝鮮語を学び、南鮮へ留学する人もいるらしく、ファン層の2極化を感じるそうだ。たぶん無理だけど、どんな「日本人」が朝鮮語を勉強しているのか、友人からの生情報を知りたい。(南鮮の大学に留学して、朝鮮語で論文を書くなんて、相当、朝鮮語に精通していないと出来ないぞ。) 一方、こうしたブームがあっても、「嫌韓」を煽るメディアや、それに共感する人も目立つから、桑畑氏は少々不満なようだ。彼女は言う。

   2次ブームが終わったのは、嫌韓本やヘイトスピーチが若い人にも影響した可能性がある。だけど今は、SNSで情報を好きにとれるので、韓国が好きな人も嫌いな人もいる。一方的に流されずに自分で判断するという点では、健全になったのでは・・・。(上掲記事)

  インタヴューを行った神宮氏や桑畑氏の分析によれば、日本における南鮮文化の流入や韓流ブームを邪魔するのは、「嫌韓本」を購読する日本人や「ヘイトスピーチ」で朝鮮人を批判する日本人となる。でも、「韓流ブーム」が消えたのは、本当に朝鮮を嫌う日本人せいなのか? これは筆者の推測だけど、第一次や第二次の南鮮ブームが下火になったのは、元々「流行」自体が八百長だったからなんじゃないか? つまり、サッカーの国際試合を口実に、NHKと電通がグルになって仕掛けた一大キャンペーンであったということだ。実際、NHKの海老沢勝二会長(1997年から2005年迄まで在職)は、殊のほか熱心に南鮮ドラマの放送を続けていたし、電通の成田豊会長は「日韓友情年2005」という実行委員会で副委員長を務めていた。さらに、民放を上手く利用して、南鮮文化を広めたという“功績”を評価されたのか、2009年、成田氏は南鮮の政府から「修交勲章光化章」を貰ったそうだ。

  そういえば、悪夢のような民主党政権時代、どこの民放でも「韓流ドラマ」という煩わしい駄作が毎日放映されたので、ウンザリした国民は本当に多かった。これじゃあ、激怒した国民が「花王デモ」を呼びかけたのも当然だ。2010年、TBSはゴールデン・タイム(夜9時の枠)に「IRIS-アイリス」という南鮮ドラマを放送したが、予想通り低視聴率のまま終わってしまった。焦ったTBSはTV宣伝による「ゴリ押し」と「サクラ(札束で動く藝人)」を使って人気を捏造しようとしたが、一般視聴者はやはり冷淡で、期待された興味を持たなかったようだ。ちなみに、成田会長が南鮮人との交流に熱心だったのは、商売の他に、彼がカトリック信徒であったからである。ここでは詳しく述べないが、日本のカトリック信徒には反日分子や南鮮贔屓が何割か紛れ込んでおり、執拗に「日鮮友好」を推進する輩が多い。(以前、筆者は「正協会」を調べたことがあるけど、ゾッとするような連中がウジャウジャいた。)

   地上波テレビや新聞社は、こぞって朝鮮の民衆文化を称讃するけど、一般の日本人で熱心なファンになる人は少ない。確かに、テレビ番組の巧妙な宣伝に引っかかって「韓流ファン」になる若者もいるんだろうが、洗練された趣味を持つ大人や、藝術作品の“質(クウォリティー)”を厳しく吟味する教養人だと、朝鮮ドラマなどは観るに値しない三流のB級作品。時間と金銭を使って観賞する代物じゃない。NHKやフジテレビがゴリ押しする「K-POP」だって、アメリカ人グループの「猿真似」か、日本人アイドル歌手を模範にした「贋作」に過ぎない。朝鮮人のロック・バンドになると更に滑稽で、日本では全く知られていないのだ。日本のロック・バンドである「ラウドネス」や「アンセム」、「B'z」などは、南鮮でも知られているが、朝鮮人のロック・ミュージシャンなんて聞いたことがない。たとえ、音楽雑誌で紹介されても、コンサート会場に駆けつける日本人ファンなんて極僅かだろう。

  文化水準の高い日本でも、アイドル歌手のファン程度なら簡単に騙せるが、ロック・ファンとなれば、アーティストへの評価が厳しくなるので、いくら業界が「梃子入れ」しても、湧き上がるような爆発的人気とはならない。日本人はジミー・ペイジ(Jimmy Page)やエリック・クラプトン(Eric Clapton)、エディー・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)といった一流ギターリストなら、何年経っても人気が衰えないし、何時までも憧れの対象である。最近、アメリカのロック・バンド「キッス(KISS)」が最後のワールド・ツアーを始め、日本にもやって来たが、ファン層を見ると子連れの客までいたから驚きだ。というのも、50年近く人気を誇っているバンドだから、親子でファンになっているケースもある。数年前、筆者が武道館で英国のロック・バンドである「ジューダス・プリースト」のコンサートを観に行った時、近くに坐っていた青年(たぶん高校生)は母親と一緒に来ていた。最初、「えっ、親子で来たのか?!」と驚いたけど、筆者もファンになってから30年以上も経つので、妙に納得し、「光陰矢の如しだなぁ~」と思ったことがある。日本では洋楽ファンは少ないはずなのに、なぜか来日公演となると、どこからともなく大勢のファンが詰めかけてくる。とても不思議だ。

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( 左 : 電通が宣伝しなくても歓迎されるゲルマン系西歐人 /  右 : 電通やNHKが持て囃す「クール」な朝鮮人)

  平成になってから、テレビや雑誌で八百長の「南鮮ブーム」が仕組まれ、朝鮮の出自を告白する藝人も増えた。こうした風潮に便乗したのか、一般の在日鮮人や帰化鮮人も恐怖心から解放されて、家系を明かす事ができるようになった。しかし、こうした「暴露鮮人」は依然として少なく、大多数の帰化鮮人やその子孫は出自を隠している。なぜなら、こうした「解放ムード」は藝能界で暮らす特殊な鮮人のみに許される環境だからだ。名も無き一般鮮人は、厳しい現実を解っている。気軽に暴露を勧める知識人は、自分が朝鮮系じゃないから、「差別を気にせず、本名を明かし、民族の誇りを示しましょう !」と呼びかける。しかし、そんな煽(おだ)てに引っ掛かったら大変だ。民族熱に浮かれた本人はいいけど、親兄弟は堪ったもんじゃない。必死に隠していた血筋を会社の同僚や学校の友人にバレてしまうのだ。中には恥ずかしくて悔しい思いをする者もいるんじゃないか。

  昔(1970年代前半)、東京都立大学で在日朝鮮人問題を研究していた小沢有作(おざわ・ゆうさく)が、「アジアから見た日本、朝鮮から見た日本」というテーマでゼミを開いた事があるそうだ。その時、小沢助教授は、受講生にエッセイを書かせたそうで、その内の幾つかを紹介していた。ある知識人家庭に育った善良な女学生は、次のように記していたという。

  朝鮮人という言葉を聞くと、まずかわいそうな人達というイメージが湧く。貧乏で、さげすまされていた、あわれむべき人としてである。こういった感覚がどのようにして形成されたのか、自分には分からない。私の母も差別観をもっている。それについて聞いた時、母は、朝鮮人というと貧しい、ずる賢いなどの印象をもってしまうこと、けれどもそれは表にあらわすべきではないと思っていること等を話してくれた。父からもはっきり聞いたことはなかった。今の私が、父母からだけの影響をうけているわけではないが、少なくとも、家では明らかに朝鮮人蔑視をあらわす言葉を聞いたことがない(と思う)のに、自分の中に蔑視が育ってしまっていた。(小沢有作「日本人の朝鮮観」、『季刊 三千里』、1975年冬4月号、pp.40-41.)

  この他にも、朝鮮人に対する日本人のエッセイはあるけど、この女学生は比較的温厚であり、一般的な意見を代表していると思う。もし、学校で「まともな授業」、すなわち遠慮の無く朝鮮人の風習や歴史を教えていれば、もっと辛辣な随筆を書く学生が現れてくるはずだ。平成や令和の日本で朝鮮人の実態を露骨に言う日本人が少ないのは、長年に亙り、日教組が左翼史観を吹き込んできたからである。日本に帰化した朝鮮人や支那人、あるいはその子孫である4世とか5世は、おぞましい「過去」が一般に知れ渡ることを恐れている。支那や朝鮮の歴史は、あまりにも“惨め”で、恥辱と悪徳に満っているから、日本で生まれ育った子孫には堪えられない。帰化支那人が親の血筋を隠したり、日本人を装う在日朝鮮人が、祖父母の経歴を誤魔化したりするのは、心の底に屈辱感や羞恥心があるからだろう。

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(左 : 日本の左翼陣営が歓迎する勤勉な朝鮮人  /  右 : 日本企業の経営者が招きたい支那人労働者)

  とにかく、我々はアジア人の感情を忖度することなく、入国や帰化を許す場合には、平等に申請者の素性や国籍を公表すべきだ。支那人や朝鮮人の親は「子供達が傷つく」と言って暴露を厭がるが、どうして自分の出身国や祖先を教えるのを躊躇うのか? 支那人や朝鮮人の血統は「汚点」なのか? ここでは、アジア人の屈折した感情とマルクス主義に基づく多文化主義に言及する余裕が無いので省略するが、日本人は支那人や朝鮮人に譲歩すべきではない。密入国者の祖先を持つ朝鮮人や、政治的なコネ(人脈)を使って入国した支那人が、我々に対して「仲間にしてくれ」と頼むなら、洗いざらい過去の罪を白状し、強制退去を前提とした審査に臨むべきだ。支那人と昵懇の政治家に頼んで国籍を得た支那人とか、永住権を目的に来日した支那人なんて、まともな外国人じゃない。日本で支那人や朝鮮人に対する嫌悪感が絶えないのは、彼らの「やましさ」と法務省の「隠蔽体質」に原因がある。帰化鮮人なんて「妖怪人間」のベムみたいだ。「早く人間になりたい !」と願う妖怪少年は、「何時の間にか日本人」になった朝鮮人と似ている。なぜなら、両者とも素性がバレるのを懼れているからだ。「チョーセンジン」とか「支那人」という言葉を嫌う異民族は、日本人の差別心を非難するが、問題の本質は彼らの精神に存在するんじゃないか。



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