無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

2020年05月

不幸の倍増を狙う官僚 / 増税をしたい財務省

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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増税は危機がチャンス !

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  日本国民が政府に対し、「デフレ経済からの脱却を!」と叫んでかなり久しい。平成の初めにバブル景気が崩壊すると、政治家の無策で日本経済はずっと低迷したままだ。昭和50年代から60年代にかけて青春を贈った世代と違い、平成の時代に青春を迎えた若者は、“清貧”とか“質素”という雰囲気で育った。ゆえに、親が楽しんだ“豊かさ”とは縁が無い。今更嘆いても仕方がないけど、左巻きのマスコミは当時、日銀の三重野康(みえの・やすし)総裁を「平成の鬼平」と持て囃していた。しかし、実際は「平成の必殺仕事人」なんじゃないか。三味線屋の「勇次(中条きよし)」なら、三味線の糸を悪党の首に巻き付け、ギュッと締め上げれば拍手喝采となるけど、三重野総裁は、善良な庶民に「金融引締」という糸を巻き付け、グイッと釣り上げたから土地成金も真っ青だ。首を絞められた一般人は、声も出せずにもがき苦しむ。この仕置屋家業の総裁は、公定歩合を3.75%から4.25%、そして5.25%に上げると、更に6%へと引き上げた。実際、破産や倒産で首を吊った人もいたから、日銀と大蔵省の役人は、チャールズ・マンソン(Charles Manson)よりも恐ろしい平成の「ハングマン」だ。(1980年代には「ザ・ハングマン」というTVドラマがあって、黒沢年雄や名高達郎が現代版の「必殺仕事人」を演じていた。マンソンは悪名高いカルト指導者で殺人鬼。)

  「官界」という天空に住む高級官僚は、どんなに庶民が苦しもうとも、自分達の方針に揺るぎない自信を持っており、消費税のアップでドンドン入ってくる税収を「自分の富」と思っている。信じられないけど、財務官僚は平民から集めた税金を“摑み銭”と考えているのだ。「公金というのは俺達の裁量で分配する分け前だ!」と豪語する官僚は、各省庁や民間企業に対し、「予算が欲しけりゃ跪け!」と言い放つ。ササン朝ペルシアのシャプール1世(Shaur the Great)じゃあるまいし、「何様のつもりだ?!」と言いたくなるが、財務官僚は笑みを浮かべ、「高等文官試験に合格した“お役人様”だよ! 」と答える。彼らの自慢は学歴で、水戸黄門みたいに「おいテメエら ! この銀時計が目に入らぬか !」と言い渡す。(今は「銀時計組」というのは無いけれど、役人の気持ちは昔のままである。) まぁ、狡猾な官僚から見れば、豪腕幹事長と呼ばれた小沢一郎や江沢民の傭兵だった二階俊博なんて、経済の基礎も解らぬ木偶の坊だ。(対日工作の責任者だった曾慶江なら笑みを浮かべて同意するだろう。それにしても、歴代の自民党幹事長はおぞましい。金丸信を筆頭に加藤紘一、野中広務、古賀誠、中川秀直、山崎拓、森喜朗、谷垣禎一と思い出しただけでも寒気がする。)

  何はともあれ、権力者の「お役人様」に付き従って有名になろうとするのが、曲学阿世のタカリ屋で経済学を生業とする大学教授だ。彼らは“お座敷”に呼ばれる藝者と同じで、旦那衆(高級官僚)から“お呼び”がかかれば、いつでも霞ヶ関に参上する。実質的には権威付けの道具にされるだけ、と判っているが、偉くなったような気分を味わえるので、ちぎれるほど尻尾を振ってしまうのだ。それに、気取った学者ほど権力に憧れてしまうので、評議員という魅力に抵抗できない。リベラル派を自認する学者ほど、「何とか委員会」というのが大好き。今回、武漢肺炎で疲弊した日本経済を再建すべく、政府は有識者会議を作ったが、「基本的対処方針等諮問委員会」のメンバーを見ると愕然とする。なんと、この会議の中には東京財団の研究員を務める“あの”小林慶一郎や大阪大学の大竹文雄教授が含まれているのだ。彼らは東北大震災が起きた後、復興増税を唱える東京大学の伊藤隆敏(いとう・たかとし)教授や伊藤元重(いとう・もとしげ)教授らに賛同した御仁である。両教授は「震災復興にむけての3原則」という提言書を発表し、この中で増税を掲げていた。まともな国民は言葉を失い、「えぇぇぇ~、多くの人々が不幸のどん底にあるのに、新しい税金を拵えちゃうのぉ~」と天を仰ぐが、権力に媚びた学者には赤い血が流れていないのだ。そこで、増税に関する彼らの言説を紹介したい。

  消費税は、資本も労働も、生産意欲を減退させにくい税であるから、経済成長に与える影響が軽微である。消費税を5%から10%に引き上げることで、現在の消費税収入を倍増させるとして、毎年約10兆円程度の収入増になる。消費増税は、消費意欲を減退させ、景気後退を招く、という批判がある。しかし、2つの意味で、この批判はあたらない。第一に、復興のための政府投資、民間投資がおこなわれるために、来年度は投資拡大が予想されている。消費が減退しても、投資拡大で、総需要としては相殺されるので景気悪化にはつながらない。第二に、消費税率の引き上げ後には、消費が落ち込むということが知られている。しかし、それは数ヶ月で回復するはずだ。

  この説明を読んだ商店のオバちゃんや工場のオヤジさんは、どう思うのか? おそらく、「えっ、これって本気で言ってるの?」と驚くだろう。渋谷で遊んでいる女子高生ならともかく、自分の店を切り盛りしている経営者は、こんな“セールス・トーク”に騙されない。個人商店のオヤジは、赤字になっても公的補助なんか貰えないから、日々、厳しい競争に曝されながらも絶え間ない努力で乗り切ろうと頑張っている。(財務省や経産省のボンクラ官僚は、岡野工業の岡野雅行社長みたいな苦労人を見習え ! ) ところが、永田町や霞ヶ関には、国民搾取しか思いつかない愚連隊ばかり。日本社会を転覆したい民主党は、大震災を口実に復興増税を実現し、左翼が求める「脱原発」にも応じていた。(というより、共犯者だから仕方がない。) これにより、日本各地の自然が破壊され、無駄な太陽光パネルが設置されると、電気料金に「再エネ発電促進賦課金」が上乗せだ。従うしかない個人や中小企業は、重税に苦しみながらも必死で堪えている。だが、この「悪法」は2040年くらいまで続くというから恐ろしい。「エルム街の悪夢」だって約二年で終了だったのに。(米国では1984年に劇場公開され、日本では1986に公開された。)

  安倍政権は国民搾取の「鞭打ち」と判っていながら、財務省と御用学者の言葉を信じて消費税を二度もアップ。伊藤隆敏や伊藤元重は握手を交わしてガッツポーズだ。今さら呆れてもしょうがないけど、東大の教授って、ホント「碌でなし」が多い。だいたい、消費税を上げたことによる景気低迷が、「数ヶ月」で回復する訳ないじゃないか ! 実際、消費税をアップしたら、見る見るうちに消費が低迷し、日本経済は奈落の底へと急降下。慌てた政府は、あれやこれやと全て武漢肺炎のせいにしているが、1月から3月期のGDPを調べてみれば一目瞭然。前年比で0.9%減、年率換算で3.4%のマイナス成長だった。したがって、消費増税が原因であることは明らか。ところが、もっと恐ろしいのは、4月から6月期に現れるGDP増減率である。只でさえ普段の仕事が止まっているんだから、個人の住宅購入とか企業の設備投資が増えることなど有り得ない。 新車の販売数なんか本当に悲惨だ。4月の国内販売台数(登録車+軽自動車+商用車)を見ると、トヨタが9万4318台(前年度同月比-20%)、ホンダが4万5006台(-19.5%)、ダイハツが3万6539台(-26.8%)となっている。

  そもそも、津波や地震で日本経済が大打撃を受けたのに、復興税を創設して更に国民を苦しめるなんて前代未聞だ。いったい、東大教授は何を考えているのか? 歐米の先進国ではとても考えられない。ところが、我が国には伊藤隆敏教授に賛同する学者がゾロゾロいた。伊藤教授は自分の研究室ホームページで賛同者のリストを載せているから、誰でも彼の「仲間」を知ることができる。ここで、賛同者が寄せたコメントの幾つかを紹介したい。

   清水 順子 (専修大学) 2011年5月25

 日々将来を担う大学生に講義をしている身として、震災国債を乱発して将来世代に 増税のツケを回してはいけないことを痛感しております。今こそが増税の必要性を 誰もが認め、覚悟を持ってそれを受け入れることのできる絶好の機会だとも考えております。また、電力削減手段の一つとして、CO2の排出権取引のように、市場の力を導入して 電力消費権をやり取りするという案も大賛成です。

   川﨑 健太郎 (東洋大学) 2011年5月25

 「将来世代にツケを回さない」=「復興財源が増税」という経済学の示す「原則」が、広く国民に受け入れられるため、その説明責任が「政治」にあることは明らかです。現政権には、その責任を十二分に果たすことを切に願います。

  大来 洋一 (政策研究大学院大学) 2011年5月26日

 「増税は不人気」なのですが、最近では国民も復興のためなら受け入れる、という人が 多いように思います。義捐金と同じだ、と説得すれば容易なのに、政治家は何をおそれているのでしょうか。

  もう、スリッパで頭をひっぱたきたくなるが、日本の大学教授なんて、いくら試験秀才でも判断力は小学生以下だから、何を以て叱られているのか解らない。まさしく、蛙のツラに小便だ。ところが、自尊心だけは一丁前だからホント始末に悪い。ただし、彼らよりもっと悪質なのは、役人上がりの大学教授である。例えば、大阪大学教授や東京大学の客員教授、中央大学法科大学院の特任教授を歴任した森信茂樹(もりのぶ・しげき)は、特に酷い。現在、彼は東京財団政策研究所の研究主幹を務めているが、元々は財務省の官僚である。森信氏は武漢肺炎で疲弊した日本経済を分析し、政府がどのような経済対策を実施すべきか、世間に提案していた。しかし、その内容を庶民が読むと「えぇぇっ~、こんな頭をしているのぉぉ~」とビックリする。森信氏は言う。

  経済対策として、自民党の若手有志による議員連盟「日本の未来を考える勉強会」などは消費減税を提唱している。しかし、対策の緊急性、消費に与えるインパクト(経済効果)から考えれば、消費税減税より給付金で対応する方が、はるかに効果がある。消費税をひとたび減税すると、引き上げる時期を巡って政局になり、無駄な政治駆け引きやエネルギーが浪費される。消費税率の5%から10%への引き上げが、法律の成立した2012年8月から19年10月まで2度の延期とそのたびの選挙で、合計7年の年月を要したことは記憶に新しい。将来につけを回すような対応ではなく、最大限の経済効果を発揮する対策に限定すべきだ。(森信茂樹 「コロナショックには『消費減税』をしてはいけない4つの理由」 PRESIDENT Online、 2020年4月1日)

  さぁぁ~すが、元財務官僚 !! 「消費減税、絶対反対 !」とは・・・・。まぁ、せっかく上げた消費税率を下げるなんて、何が何でも赦せないんだろうなぁ~。森信氏は「無駄な政治的駆け引き」が繰り返され、「エネルギーが浪費される」と懸念しているが、それは国民の利益じゃなく、財務省の“利権”を考えての心配だろう。なるほど、 消費増税を巡っては、二度の延期とその都度の選挙があったから、元役人の考えでは合計7年の歳月を“浪費”したことになる。たぶん、森信氏は「アホな国民が7年も反対したから、俺達は大変な苦労をしたんだ !」と言いたいんだろう。彼は消費税を下げないため、様々な「問題」を列挙し、それとなく屁理屈を捏ねていた。氏曰く、

  第1に、即効性の問題である。消費税を減税するには、経過措置の規定など多くの改正法案作成作業が必要となる。補正予算を組むだけで対応できる給付金と比べて、はるかに時間を要する。また事業者の経理システムの改修、タクシーなどの認可制料金や郵便料金のような公共料金、診療報酬や介護報酬などを再設定する必要があるので、準備に少なくとも3カ月以上を費やすことになるという問題がある。

  第2に、減税までの消費の手控え、元に戻す際の駆け込みなど、余分な経済変動、不安定化が生じる。
 
  第3に、新型コロナ問題が広がる中で、経済的な被害の少ない方がおられる。例えばIT事業などを行っている高所得者、大企業正社員、公務員、年金生活者など、所得に関する限りほとんど打撃がないと思われるが、消費減税をすれば、彼らにも恩恵が及ぶ。一般に消費税は逆進性があり、低所得者には負担がきついといわれるが、それは所得に対する消費税負担の割合のことを言っている。しかし消費税は消費額に対して比例的にかかるので、高所得者が車やマンションなどの高額商品を買えば、金額ベースの負担額は大きい。逆に言えば、今回消費税を5%引き下げるという手段をとった場合には、車やマンションなど高額商品を買う高所得者ほど減税額が大きくなる。つまり消費税減税は、お金持ちほど優遇されるということになる。これは財政資金の使い方としていかにも無駄といえよう。したがって、そのような効果をもたらす消費税減税という選択肢はとるべきではない。後述するような、生活困窮者への助成に集中的に回すことができる対策手段を講じるべきだ。

  もう、読み続けるのが厭になるけど、森信氏が如何に消費減税を反対しているのかだけは解るだろう。彼は消費減税をすると、メルセデス・ベンツを買うような金持ちだけが得をするから、吉野家の牛丼で満足する庶民には「ご利益」が薄いのであぁぁ~る、と嘯(うそぶ)く。でも、西友やイオンで食料品や衣料品を買う平民は、毎回毎回「余計な消費税」を取られて大変だ。例えば、ボーナスを減らされた家庭の主婦がヤマダ電気に行って、電子レンジと炊飯ジャーを購入し、その合計金額が10万円だったとする。しかし、こうした庶民は勘定を払う時、レジ係の店員から“別個”に1万円を請求されて、思わず「アッ !」と真っ青になってしまうのだ。高級官僚は「当然だ」と言い放つが、庶民にとって1万円札というのは貴重だぞ。クレジット・カードのポイントを貯めて「何を貰おうかなぁ~」とウキウキしている平民は、給料が上がらないのに「なぜ消費税が1万円もするんだ !!」と激怒している。

  以前、当ブログで述べたけど、消費税を導入した竹下内閣の頃、筆者は馴染みの散髪屋に行って、床屋のオッちゃんに「3%なんて序の口だよぉ~。大蔵省の役人は将来的に28%くらいを目指しているんだから」と話したことがある。でも、床屋の主人は「そうなんですかぁ~? そんなに上げられたら困っちゃいますねぇ~」と笑って答えていた。確かに、消費税が30%なんて信じられないが、高級官僚は庶民の暮らし向きなんかに興味は無い。有るのは省益のみ。事務次官の岡本薫明(おかもと・しげあき)を始めとする財務省のお偉方は、「健全財政」を目指して、ひたすら増税路線にまっしぐら。下界の住民がいくら反対しようかお構いなし。もし、しつこく抵抗するなら、「年々、社会保障費が増大するから、それをカバーするためにも財源の確保が重要です。みなさん、病気になった時や老後の生活が心配でしょう。また、子供に負担を掛けないためにも、今、増税に賛成して国の借金を無くしましょう」、と脅しをかける。恐怖心を煽って大衆を動かすのが役人の手口だ。

  こうした役所の脅迫に、大震災やウイルス騒動が加われば鬼に金棒だ。一般人というのは感情に左右されやすいから、疫病とか不況で動揺すれば理性を失い、仔犬のように何でも言うことを聞く。役人にとったら国家的悲劇は「天佑」と思えるくらい、増税を実現できる絶好のチャンスだ。そして、こうした大増税の下地を均(なら)すのが、役所に飼われた御用学者の務めである。さっそく、東京財団の小林慶一郎や一橋大学教授の佐藤主光(さとう・もとひろ)が発起人となって「緊急提言」を発表した。ここにも、伊藤元重や森信茂樹が賛同している。この緊急提言では「感染拡大の抑止」とか「長期的な産業構造変化の促進」が盛り込まれているが、刮目すべきは「経済的インパクトの軽減」であろう。小林・佐藤の両名は次のように述べていた。

   家計への支援として消費税の減税を主張する向きがある。しかし、緊急時において重視すべきは(不要不急なものを含む)消費への補助ではなく、最低限の生活が確保できるような収入への支援であろう。家計の所得の急減を補償するためには選択的な現金給付が望ましい。(「経済政策についての共同提言 新型コロナウイルス対策をどのように進めるか?」 2020年3月18日)

  伊藤氏と佐藤氏は、国民救済のために特別給付金の配布を提言するが、消費税の引き下げやゼロ%への誘導には反対のようだ。どうして日本経済を苦しめる消費税を撤廃しようとしないのか? 武漢ウイルスの蔓延で世界恐慌になっているんだから、少しでも消費意欲を喚起すべきなのに、給付金を“ちょこっ”と与えて「終わり」なんて、あまりにも酷いじゃないか。普通の日本人は、病気でグッたりした猫ちゃんを元気づけるために、毎日、高価な「チャオチュール」を“ご褒美”にして、「早く良くなってね !」と願うのに、財務官僚や御用学者ときたら、ビーフ・ジャーキー1本で誤魔化そうと謀っている。政府与党の議員も財務省には逆らえないから、地元の有権者に「どうか御理解ください」と頭を下げて、こっそり舌を出す。

  でも、霞ヶ関のお役人様は冷酷無情で、プライマリー・バランスの実現へとひた走る。彼らは財政出動に不満で、所得保障の如き“余計”な支出は大嫌い。国民に甘い餌を与えたら、クルっと表情を変えて、ヤクザ並に脅しをかけ、「この落とし前はつけてもらうぞ ! 必ず武漢増税に賛成してもらうからな !」と凄む。もし、このまま安倍総理が続投となれば、またもや財務省に屈服するかも知れないし、万が一、安倍政権が総崩れとなり、岸田文雄に総理の椅子が禅譲されれば、財務省は万々歳だ。「身内」の岸田が総理大臣になれば、首相官邸と財務省は表裏一体となる。岸田じゃ日本版のトマス・クランマー(Thomas Cranmer)かウィリアム・ロード(William Laud)だ。(クランマーはヘンリー8世治下のカンタベリー大司教で、ロードの方はチャールズ1世に仕えた大司教。) まぁ、菅義偉や石破茂が総理大臣になっても同じだから、日本の未来は非常に暗いと言えよう。

  ちなみに、東京財団の「研究者」リストを覗くと、曰く付きの面々がゾロゾロいる。例えば、日本の政治を分析して米国に報告するジャラルド・カーチス。通産官僚上がりで元外務大臣の川口順子、NHKが贔屓にするアメリカ政治の専門家と称する久保文明、支那人に擦り寄る高原明生、左巻きで有名な政治学者の北岡伸一、復興増税に賛成した土居丈朗など、色々な意味で豪華なメンバーだ。この東京財団は独自の政策を提示するシンクタンクと称しているが、その財政的基盤は日本財団から来ている。日下公人や曾野綾子を「看板」にした日本財団といえば、会長の笹川陽平が直ぐ目に浮かぶ。この笹川氏は慈善活動に取り組む一方で、矢鱈と反日活動にのめり込んでいた。彼は支那人と自衛官の交流を促進したり、日比混血児を支援して日本国籍を取らせたり、と様々な社会活動をしている。慈善家という仮面の下に何か別の顔があるんじゃないか、と疑うのは筆者だけだろうか。(ここでは詳しく述べないが、笹川氏の行動には胡散臭い点が多々ある。)

  話を戻す。昔、ユダヤ人社会学者のジェルジュ・コンラッド(György Konrád)が言っていたが、知識人というのは常に自分と結びついた特殊利害を持っていて、彼らの利益にっとて都合の良い知識を「至高の知識」とか「普遍的価値」にして吹聴するそうだ。おそらく、諮問委員会のメンバーになった小林慶一郎や大竹文雄は、学者としての信念を貫くより、役所への忠誠心を優先したのかも知れない。確かに、財務省を敵にまわして在野の知識人で終わるより、権力の蜜にタカって有名になった方が得である。大学教授というのは「蛹(さなぎ)症候群」という病に冒されており、「早く蝶(長)になりたい」と望んでいる。つまり、どんなに下らない有識者会議でもいから、「委員長」とか「座長」になると殊のほか喜ぶ。何しろ、政府の“お招き”を受ければ、世間から「うわぁぁ~、すごぉぉ~い!!」と称讃されるし、テレビ番組に出演すれば両親や親戚から拍手喝采だ。女房や子供だって「お父ちゃん、やったね !」とVサイン。褒められた本人だって気分がいい。これは教授の女房も同じだ。亭主が花形学者になると、教授の奥様は上機嫌。見栄張りが集まる婦人会に行けば、“わざと”「うちの主人は今、政府の仕事で忙しくて・・・」と愚痴をこぼし、皆の前で鼻高々となる。

  大学という「楽園」に暮らす経済学者には「失業」という恐怖は無い。だから、一般国民が消費税の続行や新増税でどれだけ苦しもうが、お構いなし。「努力して乗り越えないさい!」と説教して終わりだ。産経新聞の田村秀夫や政策工房の高橋洋一会長たちは、消費増税に憤慨して財務省や御用学者を批判するが、もしかしたら財務省の中枢には単なるアホじゃなく、日本経済を縮小させようとする「確信犯」がいるのかも知れないぞ。つまり、この確信犯は外国勢力の手先になっており、わざと国益に反する経済政策を宣伝しているということだ。なるほど、財務官僚には省益を第一に考える連中が多い。でも、彼らの中には「善良な役人」を装った裏切者が潜んでいる。過去には、大東亜戦争を仕組んだ近衛文麿や風見章のような極悪人もいたから、外国人に飼われた犬がいてもおかしくはない。日本には防諜組織が無いから、上級のスパイや工作員、あるいは官僚組織に陣取る日本人エージェントの摘発はほぼ不可能だ。日本人は経済分野の問題を経済評論家ばかりに尋ねるが、国家の経済政策は時として軍事・外政の分野に跨がっているから、謀略戦の視点からも検証すべきである。財務省の中には、徴税ばかりに夢中になる「鮫」もいるけど、その一方で金や女で釣られた「鯛」が泳いでいるのかも知れないぞ。




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馬鹿を利用する支那人 / 私益に目が眩んだ日本人

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経済で誘惑する北京政府

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  歐米諸国は武漢ウイルスによる被害で、ようやく支那を“敵国”扱いにしているが、我が国は依然として“友好国”と見なしている。もちろん、日本の保守派国民は前から支那を嫌っているけど、政治家は未だに支那との貿易に縋(すが)っているから救いようがない。これじゃあ、まともな日本人は肺炎でなく、「支那依存症」という宿痾で熱が出てしまいそうだ。なるほど、自民党の幹部を眺めれば、どれもこれも支那人か朝鮮人の手下みたいな連中でいっぱいである。悪名高い幹事長の二階俊博や官房長官の菅義偉ばかりじゃなく、「日中友好議員議連」の会長を務める林芳正とか、経済再生担当大臣の西村康稔、消費増税に大賛成の甘利明、支那贔屓の後藤田正晴を看板にする後藤田正純、竹下派の流れを汲む小渕優子、支那人の情婦に溺れた橋本龍太郎を父に持つ橋本岳、朝鮮人と支那人の二股を掛ける河村建夫など、もう列挙するだけでも吐き気がする。

  国民の多くが支那人を嫌っているのは確か。でも、安倍内閣は支那への愛着を捨てきれない。というのも、パトロンとなっている財界が支那経済と連結し、有名企業が支那大陸に“のめり込んで”いるからだ。トヨタ、ホンダ、日産、三菱のみならず、部品メーカーのデンソーやアイシン精機が支那大陸で商売をしているし、上海などでビルディング建設に手を染めてた森ビルも有名である。また、駐支那大使であった丹羽宇一郎が伊藤忠商事の取締役相談役であったことはよく知られている。でも古巣の伊藤忠には、もっと有害な社員がいた。それは瀬島龍三だ。戦前、瀬島は関東軍作戦参謀本部に属し、戦後、ソ連から“解放”されたあと伊藤忠に就職した。この胡散臭い瀬島が、日中国交正常化に熱心だったことは見逃せない。帝國陸軍の元エリート中佐だった瀬島は、“抑留”中にソ連と密約を結んだのか、帰国後、「悲惨な目に遭った苦労人」を演じていたが、愛国的な日本人からは「スターリン放った赤いナポレオンじゃないのか?」、と怪しまれ、希望する陸上自衛隊から門前払いされていた。演技派の瀬島が腹黒い中曽根康弘とグルになっていたのは偶然ではない。

  商社マンの間ではよく知られているが、伊藤忠商事が支那大陸で幅を利かすことができたのは、同社が鄧小平の一派と“太いパイプ”を持っていたからだ。1972年の「日中国交正常化」以前は、住友商事や三菱商事の後塵を拝していたけど、鄧小平の改革解放路線が台頭すると、伊藤忠はいち早く鄧小平の派閥に近づき、蜜のような利権を確保した。日本人は支那人が口にする共産主義を信じて、「支那は共産主義国家だ !」と非難するが、銭ゲバの支那人にとって、マルクス主義なんか、所詮「外来思想」だ。用が無くなれば、チューインガムのように吐き捨てるのが普通である。だから、支那人が伝統的な「銭儲け第一主義」に戻ったのを見て、鄧小平に媚びた伊藤忠は、ある意味賢い。銭のためなら女房も泣かす、というのが商人の本質で、共産党と癒着なんて当たり前。吉本の藝人じゃないけど、「当たり前体操」が日課である。

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(左 : 丹羽宇一郎  / 中央 : 瀬島龍三  /  右 : 藤野文晤 )

  支那では有力な人脈を構築するのが、成功への第一歩だ。鄧小平には鄧樸方という長男がいて、「中国身体障碍者福利基金会」の理事長をしていたから、伊藤忠の中国総代表を務めていた藤野文晤(ふじの・ふみあき)は、これに目を附け、指紋が無くなるほど“もみ手すり手”で鄧一族に奉仕した。藤野氏は日本企業から「ご寄付」を集めることで、一生懸命、鄧一派にゴマすりをしていたそうだ。余計な出費を囁かれた日本企業は、丁寧な恐喝に腹を立てたが、この暗黒大陸では不正や賄賂は“常識”なので、渋々ながらでも従うしかない。まぁ、表に出せないお金でも“必要経費”と考えるべきだろう。

  この藤野氏は根っからの支那贔屓で、伊藤忠を退いた後も、「中国研究所」の所長や「富山県新世紀産業機構アジア経済交流センター」の顧問、「日中経済協力評議会」の評議員などを務めていた。しかし、彼の特徴は日本の国益よりも支那の感情を優先する点にある。単に大東亜戦争に関する知識が無いのか、それとも単に無知を装っているのか、筆者には判らないが、藤野氏は日本が加害者で支那が被害者という図式を信じている。それゆえ、彼は総理大臣が靖國を参拝すべきではない、支那の要求に対して日本側が譲歩すべき、という考えを持っていたのだ。藤野氏は中曾根康弘の例を口実にして、小泉純一郎総理の靖國参拝に異を唱える。呆れてしまうけど、彼は支那に配慮して靖國参拝を止めるよう提言していたのだ。藤野氏曰わく、「他のアジア諸国も嫌がっているんだから、わざわざ寝た子を起こすような真似はするんじゃない !」、と。(だが、「他のアジア諸国」といっても、我々にイチャモンをつけてくるのは、毎度毎度、北鮮と南鮮くらいじゃないか ! ) 藤野氏は『文藝春秋』のインタビューで、「支那を信用しない外交は止めた方がいい」と窘(たしな)め、支那人と付き合うなら「中華世界の一員になる覚悟が必要だ」と述べていた。どうして、支那人と商売するために、日本人が彼らに合わせて、卑しく下品な人間にならなくてはいけないのか?

  財界にはうんざりするほどチャンコロ仲間が多く、「富士ゼロックス」の会長を務めていた小林陽太郎や、経済同友会の代表幹事を務めていた北城恪太郎(きたしろ・かくたろう)も、首相の靖國参拝に反対で、恥ずかしくなるくらい支那人に媚びていた。小林陽太郎は靖國参拝で支那国民の感情を害するんじゃなすか、と心配していたし、北城恪太郎の方は日系企業の活動に悪影響が及ぶんじゃないか、と懸念していた。もう、情けないというか、馬鹿というか、二人とも言葉にできぬほどみっともない。ちなみに、生前、小林会長は「新日中友好二十一世紀委員会」の座長を務めて支那擁護に熱心だった。彼は支那人や南鮮人が歴史問題を持ち出すと、「もうちょっと現実的というか、フレキシブルになってほしい」と望み、支那人が問題にするのは「政治家たちの発言」と述べていた。(「日中韓はより柔軟に、日米経済交流は拡大を」 Nippon Communications Foundation、2014年5月2日。) 北城氏の経歴も華やかで、ビジネス界を離れると、国際基督教大学の理事長に就任し、「文部科学省中央審議会」の委員になっていた。これだから、日本の若者が支那贔屓になる訳だ。

  話を戻す。北京政府は一枚岩ではなく、絶えず有力者による権力闘争が渦巻いているから、特定の人脈だけにしがみつくことは賢明ではない。どの商売人だって、鄧小平の勢力に翳りが見え始めれば、次の人脈を築くのは当たり前。伊藤忠の室伏稔(むろぶし・みのる)社長は、勢力を伸ばす江沢民に接近し、新たなパイプを築くことにした。ただし、伊藤忠の連中を支那に招き、江沢民と面会させようとしたのは「中国・国際友好連絡会」である。この団体は人民解放軍の下部組織で、日本人を籠絡するために存在するような工作機関だ。表面上、中国・国際友好連絡会はシンクタンクを装っているが、米国へ亡命した支那海軍司令部参謀の姚誠(よう・せい)中佐によれば、明らかに諜報・謀略機関だ。そこのメンバーは各国政府の高官らと個人的な関係を結び、丸め込む事が主な任務らしい。(「中国海軍元スパイ、『中国国際友好連絡会』は軍諜報機関」 大紀元時報、2019年6月11日) そういえば、連絡会の会長を務めていた王震は人民解放軍の長老軍人で、胡耀邦を失脚させる程の権力を持っていたから、この組織は単なる民間団体じゃないはずだ。

日本の財界人と政治家を利用する北京政府

  支那人というのは他人を利用して私腹を肥やすのが実にうまい。丁度、イカやサバを針に附けて、巨大なマグロを釣り上げる漁の達人とソックリ。支那人は小学生でも大人の日本人をコロッと騙すことができるから凄い。何しろ、日常生活が「騙し合い」の修羅場なので、支那人は幼いときから“訓練”を受けている。日本人は大学生でも『韓非子』や『厚黒学』を読まないが、支那大陸では漢籍を習っていない子供でも、こうした書物の要諦を心得ているから、謀略戦で日本人は支那人に勝てない。日本の財界人や政治家なんか、いくら偉くても支那大陸に行けば迷子になった鮪や鯛といったところだ。

Liao Chengzhi 001(左  / 廖承志 )
  泥沼状態の日支経済関係と言えば、まず1963年から発足した「LT貿易」が思い出される。これは支那側の代表者である廖承志(りょう・しょうし / Liao Chengzhi)の「L」と、日本側の高崎達之助(たかはし・たつのすけ)「T」を用いて「LT覚書貿易」と呼ばれたそうだ。今では誰もが知っているけど、当時の支那にとって、日本との経済交流は死活問題。何しろ、1958年から61年にかけての「大躍進」は大失敗だ。経済政策の素人である毛沢東が、農業と工業の大増産を目論んだら、さあ大変。当初の目論見とは全然違って、4千万人以上の餓死者が出てしまった。西側の学者によれば、総計約7万6千万人の犠牲者が出たらしい。「さぁぁ~すが支那人!」と言いたくなるほどの悲惨な結末である。したがって、1960年代初頭の支那国内はボロボロ。そこで、「何とかしなくては・・・」と考えた毛沢東と周恩来は、「隣の馬鹿」を利用することにした。

  情けないけど、日本にはお金で動く政治家がゴロゴロいる。狡猾な周恩来は農林大臣や文部大臣を歴任した自民党の松村謙三(まつむら・けんぞう)に目を附け、彼を支那に招いて籠絡しようと考えた。周恩来は紳士的な態度を取ることが得意な支那人。日本人の新聞記者や政治家がこぞって騙されたのも無理はない。マスコミは周を漢籍に精通した教養人と見なすが、その実態は吸血鬼が真っ青になるくらいの極悪人だった。要するに、この腹黒い国務院総理は、支那人が理想とする「大人(たいじん)」を演じただけ。老獪な周恩来は、無防備な村松に「平和五原則」を説き、日支は敵対することなく、友好関係を結ぶべき、と囁いたそうだ。ホント、支那人は天性の嘘つきである。しかし、この口車に乗った松村は、帰国すると早速、経済企画庁の初代長官を務めた高崎達之助を口説き、彼に訪支を勧めたという。ただし、当時の外務省は少し“まとも”で、台湾の方を重要と見なしていたから高崎と周の第二会談を認めなかった。

Matsumura Kenzou 1(左  / 松村謙三 )
  それでも、1960年(昭和35年)、高崎は再度支那を訪問し、周恩来や珍毅(ちん・き)、廖承志と会談して話をとりまとめ、二年後には覚書を交わすことで「LT貿易」に漕ぎ着けた。支那人にとって富をもたらす貿易は非常に大切だけど、それ以上に「人的交流」を実現させることは悲願であった。何といっても、心理戦や謀略工作、たらし込み、賄賂漬け、ハニー・トラップは支那人の得意科目だ。一旦、日本の固い殻を破ればシメたもので、あとはドンドン日本の要人を仲間に引きずり込めばいい。まぁ、数名の日本人は抵抗を示すだろうが、ほとんどの企業家や政治家は銭と女に弱いから、忠犬になるのは時間の問題だ。支那人は大手企業に食い込んだ総会屋とかヤグザと同じだから、一度“深い関係”になると、何時までも離さず、骨の髄が無くなるまでしゃぶり尽くす。支那人が仕組んだ“蟻地獄”から抜け出すのは不可能だから、毒を喰った日本人は死ぬまで支那人の下僕となってしまう。それが厭なら、上海領事館員のように自殺するしかない。(平成16年5月、「劉」というホステスと関係を持った外務省の領事館員は、「唐」という諜報機関の支那人に「バラすぞ!」と脅され、協力者になるよう強要されたが、それを承諾できず、自ら命を絶った。享年46。)

Takahashi Tatsunosuke 2( 左 / 高崎達之助 )
  松村謙三と周恩来との間でLT貿易に関する協議が執り行われると、日支両国における貿易事務所の相互設置と常駐記者交換の覚書が取り交わされた。支那は日本に「廖承志事務所駐東京連絡處」を設立し、日本側は支那に「高崎達之助事務所駐北京連絡所」を建てた。今では悪名高い「日中記者交換」だが、当初はその弊害に気づく日本人は少なく、支那人記者の派遣に関しては「廖承志事務所」が窓口になっていた。ちなみに、東京連絡處」の首席代表に選ばれたのは、これまた「日本通」の孫平化(そん・へいか)である。1964年(昭和39年)に高崎が亡くなると、その後釜には衆院議員の古井喜実(ふるい・よしみ)が納まって、支那とのパイプを維持したという。この古井は内務官僚上がりの代議士で、池田内閣で厚生大臣、大平内閣で法務大臣を務めた人物である。

  高崎の後継者にはもう一人、重要な人物がいて、それは全日空の社長になった岡崎嘉平太(おかざき・かへいた)である。彼は1954年に「国際貿易促進協議会」の常任理事や「日中覚書貿易事務所」の代表を務めたキー・パーソンで、支那との交流にとても熱心だった。その理由の一つが、若い頃の経験にある。大正5年、岡崎氏はまだ19歳。彼は第一高等学校第一部丙類(独法科)の学生で、寄宿舎に住んでいた。そこに支那から龑德柏(りゅう・とくはく)という留学生がいて、岡崎氏はこの支那人と親しくなったそうだ。しかし、この支那人留学生は岡崎氏の心に毒麦を播く。龑德柏が上海の公園に立てかけられた「犬と支那人は入るべからず」という制札の話をすると、岡崎青年は「犬と支那人を同格にするとは何事だ!」と怒り、「これは支那人だけを馬鹿にする侮辱ではなく、アジア人すべてに対する侮辱だ」と思ったそうだ。西歐白人からの侮蔑に憤慨した岡崎氏は、アジア人を馬鹿にするような連中はアジアから追い出さねば、と鼻息を荒くし、いつか、こういうアジア蔑視の思想を撤廃せねば、と意気込んだそうである。

  これが切っ掛けとなって日支問題に興味を持った岡崎氏は、「人間に上下は無い」、「相手の身になって考える」を信条とするようになったらしい。日本の政財界には、西歐白人による支那人蔑視に憤慨する人が多いけど、支那人自身が強烈な差別主義者であることに気づいていないのだ。そもそも、「東夷」と呼ばれた日本人が、「中華」の支那人に同情するなんて、漫才のネタにもならない。支那人から見れば、天皇陛下だって未開族の酋長くらいだ。とすれば、日本の庶民なんて野良犬以下。せいぜい、漢字の恩恵を受けた劣等民族だ。そもそも、我々はアジア人と違う民族なんだから、アジア人がヨーロッパ人に支配されたって憤慨する義理は無いだろう。アジア人は何時も誰かに支配されているんだから、たまたま第19世紀に白人から支配を受けただけ。アジア大陸には、モンゴル人やペルシア人、ロシア人、アラブ人、支那人など兇暴な民族がウジャウジャいるから、一々被支配民族に同情していたら身が持たない。

日本で暗躍する知日派支那人

Liao Chengzhi 002(左  / 廖承志 )
  話を戻す。日本人が支那貿易にのめり込む際に仲介役を務めるのは、日本語を流暢に話し、日本人の行動様式に通じている“知日派”の支那人だ。日本人は「知日派」と聞けば、日本の事情に詳しく、日本人の複雑な気持ちを汲み取ってくれる優しい外国人と思いがちだが、現実的には、日本人を操るのが非常に上手い工作員という方が実像に近い。とりわけ“日本通”の支那人であれば、詐欺師を騙す“黒詐欺”といった感じである。例えば、先ほど述べた廖承志は、孫文の右腕だった廖仲愷(りょう・ちゅうがい)の息子で、東京の大久保で生まれた支那人。彼はカトリック教会のマリア修道会が運営する暁星小学校に通っていたから、日本人並みに日本語を話す。支那大陸に戻った廖承志は嶺南大学に入り、「支那人」として暮らすが、1925年に再来日する。彼は早稲田大学附属第一高等学院で学ぶも、非合法活動に従事したことで放校となったらしい。ところが1954年、彼は「紅十字会」の代表として再び来日し、LT貿易や日中記者交換の取決めで活躍した。また、この「親日支那人」は統一戦線部の副部長であったという。

Cho 1(左  / 趙安博 )
  そういえば、支那共産党で中央外事工作部秘書長を務めていた趙安博(ちょう・あんぱく)も日本への留学生という過去を持ち、彼は旧制第一高等学校に通っていた。1937年に学校を中退すると、彼は支那に戻って八路軍に加わり、延安日本工農学校で野坂参三の助手を務めていたという。そして、敵軍工作部の要員になっていた趙は、延安で日本人捕虜の洗脳をしていたそうだ。もう恐ろしくなる。(ちなみに、野坂参三は日本共産党の重鎮で、スパイとして除名された人物である。) 周恩来も日本への留学経験があったから、日本人を操る術に長けていた。彼は1917年に来日し、1919年に帰国したが、その間、日本を知る機会がたくさんあったという。観察力が鋭かった周恩来は、日本人を軽く見る同胞に異を唱えていた。でも、周の反論を聞いていると日本人はムッとすることがある。例えば、当時の支那人はよく「東洋(日本)は襤褸(ボロ)の邦(くに)」と呼んでいたそうだが、周恩来は同胞の一知半解を批判し、日本は「襤褸じゃない」と思っていたそうだ。今の日本人が耳にすれば、「おい、こら、支那人 !! テメエの国はゴミ捨て場よりも汚く、豚小屋よりも臭いのに、日本がボロ切れみたいな国だって?! ふざけんじゃねぇぞ!!」と激怒し、膝蹴りとクリンチ・アッパーを噛ますだろう。中華思想に染まった支那人というのは、傲慢の100乗を絵にしたような人間である。

   その他の「知日派」支那人といえば、肖向前(しょう・こうぜん)とか、王暁雲(おう・ぎょううん)、孫平化の名が挙げられる。例えば、共産党の指示で本名の「斉守福」から「孫平化」に変身した知日派工作員は、遼寧省の西三村に住む斉献令の長男として生まれた。彼は満洲の奉天省第二工科高級中学校を卒業すると、満洲国にあった経済部税務局の関税課に就職した。そこで働いている時、日本へ留学するチャンスに恵まれたので、彼は東京工業大学附属予備部に留学したそうである。卒業後、孫は成績は良くなかったけど、東工大の本科に入ることを希望し、大学側の温情もあって、応用化学科に進むことができたという。しかし、留学中に没頭したのはマルクス・レーニン主義の書物であっから、本業の勉強はそっちのけだ。結局、四年後(1943年)に中退(除籍処分)し、実家へ戻ることにしたが、帰郷すると支那共産党に入って地下活動家になった。彼は表向き長春にある「徳泰銀行」に就職し、貯蓄係長になっていたが、十数年後、孫は支那の訪日団を手引きする案内役になっていた。(詳しくは、孫平化 『中国と日本に橋を架けた男』 日本経済新聞社、1998年を参照。)

  北京政府へ6兆円以上のODAを注ぎ込んだ田中角栄については、様々な書物が出版されているのでここでは述べない。ただ、日中共同声明が発せられる前、既に財界が支那とのパイプを築いていたことは刮目すべき歴史である。昭和31年頃、八幡製鐵の常務を務めていた稲山嘉寛(いなやま・よしひろ)は、元三菱商事の鈴木一雄に勧められ、支那を訪問することになったという。鈴木氏は殊のほか支那人との交流に熱心で、しきりに周恩来との会談を稲山氏に提案していたそうだ。(この鈴木氏は三菱商事のインドネシア支店長を務めていた人物で、帰国後は神戸商事に勤めていた。ちなみに、稲山氏は後に八幡の社長となり、三男の稲山孝英は自動車販売会社「ヤナセ」の第三代社長となっている。) 稲山氏は米国側の諒解を得た上で支那を訪問したが、その随行メンバーがすごい。八幡製鐵からは斎藤英四郎常務と中井国臣購買副部長が参加し、富士製鐵からは中島正保常務と太田購買部長、日本鋼管からは清水芳夫常務と安田原料部長、川崎製鐵からは塩博常務が団員となっていた。(稲山嘉寛 『私の鉄鋼昭和史』 東洋経済新報社、昭和61年、p.104.)

  彼らが周恩来総理と会談した時、支那側と交渉が難航すると、支那訪問を持ちかけた廖承志がホテルに現れ、親切な助言を授けてくれたそうだ。日本側と支那の担当者は、鉄鋼の輸入価格で揉めていたが、周恩来による「鶴の一声」で解決し、昭和33年2月26日、日中鉄鋼協定」が調印されたという。さぁ~すが、物事の本質を理解していた周恩来は鋭い。輸入価格といった目先の利益より、日本人を“たらし込んで”長期的な利益を狙っていたのだ。チンケな商取引で日本と決裂するより、多少損を蒙っても、将来の莫大な利益を手にする方が賢い。今は含んでも、その後から、大量の経済援助を吸い取ればいいじゃないか。実際、日本政府は多額の税金を支那に貢ぐことになったのだから。

Matsumoto Chiichirou 1( 左 / 松本治一郎 )
  もう、支那による日本搾取を述べるとキリが無い。だいたい、「日中友好協会」とか「国際貿易促進協議会」なんて北京政府から指令を受ける対日工作機関なんだから、そんな団体に係われば知らず知らずのうちに売国奴になってしまうのは当然だ。「日中友好協会」の初代会長に就任したのは「全国水平社」を率いた松本治一郎(まつもと・じいちろう)で、「部落解放の父」と呼ばれた人物だ。彼は参議院の副議長を務めたが、一般的には松本龍(民主党)の養祖父と紹介した方が判りやすい。治一郎は政治家で松本英一の叔父で、甥の長男である松本龍を養子に迎えたという。松本組というゼネコンを背後にした龍は、父英一の跡継ぎとなるや、衆院議員選挙に出馬し、連続当選した。当時は、社会党左派の祖父と同じく、社会党の議員であったが、後に民主党に合流。そして、民主党政権が誕生すると、環境大臣や復興担当大臣になった。松本龍といえば、例の「恫喝会談」で有名だ。彼は宮城県の村井嘉浩知事に向かって高圧的な態度を取り、「人を待たせるんじゃない。長幼の序が判っている自衛官なんだろう!」と凄んでみせたから、その映像をテレビで見た一般国民は背筋が寒くなった。でも、こんな居丈高の議員であるが、ちゃんと「日中友好協会」の副会長になれたんだから、じいちゃんの威光は凄い。

  支那と日本を結ぶ「国際貿易促進協会」も対日工作機関の一つで、元々は日本共産党が創った団体だ。そして、この組織に属していた一人が、稲山氏に対支那貿易を説いていた鈴木一雄で、伊藤忠の藤野文晤も一枚噛んでいて、彼は協会の顧問を務めていた。廖承志と同じく、日本で暗躍していたのは「新華社通信社」の呉学文である。彼は日本陸軍士官学校卒の経歴を持ち、田中角栄を裏から支援して田中内閣の誕生に尽力したという。黒竜江省のハルピンで生まれた呉学文は、日本人の母親を持っているそうで、日本大学を卒業後、支那との貿易を促進するため、様々な政治工作に携わり、「中日友好協会」の理事にもなっていた。しかし、彼は表向きジャーナリストであったが、裏の顔はスパイであったから、1964年(昭和39年)スパイ容疑で国外追放になっている。

Tanaka Kakuei 1Mao Zendong 3Shu Onrai 11









(左 : 田中角栄   /   中央 : 毛沢東  /  右 : 周恩来)

  こうした対日工作機関や支那人スパイはゴマンといて厭になるが、支那との関係を深めた田中角栄はもっと厭になる。もちろん、角栄が支那と癒着したのは利権漁りが第一だが、その根底には支那に対する謝罪意識があった。日中国交回復の時に外務省の中国課長だった橋本恕(はしもと・ひろし)や、アジア局長を務めた売国的官僚の中江要介(なかえ・ようすけ)、駐米大使を務めた栗山尚一(くりやま・たかかず)にも共通するが、田中角栄には支那に対する罪悪感があったらしい。1972年3月23日の衆議院予算委員会で、角栄は川崎秀二から贖罪意識を問われ、次のように答えていた。

  ・・・・私は、中国大陸に対してやはり大きな迷惑をかけたという表現を絶えずしております。迷惑をかけたことは事実である、やはり日中国交正常化の第一番目に、たいへん御迷惑をかけました、心からおわびをしますという気持ち、やはりこれが大前提になければならないという気持ちは、いまも将来も変わらないと思います。(服部龍二 『日中国交正常化』 中公新書、2011年、p.47.)

  日教組の洗脳を受けた日本人は、支那事変や大東亜戦争で日本が多大な損害を与えたと思っているが、そんなことは馬鹿らしい妄想である。だいいち、支那大陸では戦乱や虐殺なんて日常茶飯事。毛沢東や周恩来は、日本が参戦してくれたこと喜んでおり、国民党を駆逐するのに役立った、と思っていたのだ。それゆえ、周恩来や趙安博たちから「戦争賠償なんて、そんな、ご心配なく、いいんですよぉぉ~」と赦してもらったら、角栄たちは感謝感激、もう支那人様々だった。この程度の人物が日本の総理大臣となり、「今太閤」とか「闇将軍」と呼ばれていたんだから、本当に情けない。支那人は戦後賠償を放棄することで日本側に「恩」を売り、何百倍もの援助金を得ようと目論んでいたのだ。事実、巨額のODAで支那は潤って、自国の予算を軍備拡大に回すことができ、日本に向けて核ミサイルを配備することができたじゃないか。ついでに、空軍や海軍を増強して、尖閣諸島や沖縄を狙い、その隙に札束を積んで北海道の土地を買い漁っている。しかも、毎年、在日支那人が日本国籍を取得し、「支那系国民」が増えているのだ。支那人は綺麗な言葉を吐いて日本からお金を巻き上げ、戦車を使わずに我が国の侵掠を進め、日本の都市部で大繁殖。支那人観光客だって「日本は快適だぁぁ~」と大喜び。彼らが日本で武漢肺炎の患者になれば、心優しい日本人の医師や看護婦から手厚い治療を受けることができる。しかも、治療・入院費はタダか国民健康保険で格安料金だ。「日本国民」じゃないのに、日本国民のように扱われるなんて赦せない。どうして半年くらいで外国人が「日本人」と対等になるのか! 現在の日本人にとって脅威なのは武漢ウイルスじゃない。支那人に対する警戒心の欠如、支那人排斥への躊躇である。



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