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突然の辞任表明
8月28日の夕刻、安倍晋三総理が健康問題を理由に辞任することを表明した。それ以前、日本世論の会の三輪和雄会長はチャンネル桜の番組に出演し、安倍氏の即辞任を疑っていたが、やはり安倍総理はきっぱりと退陣することを選んだようだ。なるほど、この辞任表明は一般国民にとって驚きだが、神戸女子学院名誉教授の内田樹(うちだ・たつる)が、二つの新聞社から安倍政権を総括する原稿を依頼されたというから、「もしかすると、本当に辞任かも・・・」と思った人もいるはず。というのも、菅義偉官房長官や首相側近の高官らは左翼メディアと繋がっているから、朝日や毎日の新聞記者に“こっそり”と漏らした可能性も考えられるからだ。いくら菅氏を煙たがる安倍総理でも、何の断りも無く突然、記者会見で辞任表明をするとは思えない。必ず、事前に病気の具合と辞任の意向を伝えたはずだ。それゆえ、安倍総理を引きずり下ろしたい党の重鎮か官邸の役人が、喜んで首相の病状をリークしたのかも知れないぞ。
在任期間だけは最長となった安倍総理だが、その功績とは何だったのか? 緊縮財政で日本経済が低迷したのに、さらなる増税で景気をどん底に沈めてしまった。あれだけ「止めてくれ !」という声が支持者から届けられたのに、消費税を二回も上げてしまったんだから、不景気の元兇と言われても仕方がない。国民の所得が継続的に減少し、雇用だって不安定となっているのに、これに拍車をかけるかの如く、入管法を改悪して社会負担の増大を促進するとは ! 安倍政権は日本を亡国に導く陰謀に加担しているんじゃないか? だいたい、日本の國體を守るはずの政治家が、異質なアジア移民を増加させて日本の構成員を変えてしまうんだから、裏切者と呼ばれても反論できまい。
今年の安倍政権はもっと酷く、武漢ウイルスの対処でも失態ばかり。1月から2月にかけて、感染した支那人が大量に流れ込んでいたのに、それを水際で防止せず、逆に支那人の観光客を大歓迎する総理大臣なんだから、発症者を出した責任の数パーセントは安倍氏にある。もちろん、安倍総理が根っからの左翼とは思えないが、政権維持を優先させるあまり、日本の将来を犠牲にしたとこは否めない。しかも、自分がやりたかった事すら出来ずに退陣なんだから後悔が残る。念願の憲法改正は蜃気楼となって空中分解。拉致事件の解決も程遠くなった。おまけに、北方領土の返還を餌にされ、ロシア人から大金をふんだくられる始末。
ただし、こうした秕政(ひせい)は何も安倍総理だけの責任じゃない。国民が選んだ自民党議員の大半が、売国奴か無能者なんだから、安倍総理だけを責めるのは酷だろう。鳥取県の有権者は石破茂を何度も選んできたし、神奈川の県民は菅義偉や河野太郎を輩出しても一向に恥じることはない。和歌山の有権者も同類で、二階俊博が自民党の大御所になって大喜びだ。大多数の有権者にとって大切なのは、地元への利益誘導であり、日本の軍事・外政とか皇室の安泰などは二の次三の次、どうなっても構わない附録ていど。もちろん、日本の国益や名誉を優先する国民もいるけど、そのような有権者は大海の一滴に過ぎず、選挙区の1%にも満たない誤差である。大衆の中に埋没する砂金のような存在だ。
安倍総理の辞任で次期総裁選はゴチャゴチャするだろうが、どう転がっても暗い未来しかない。保守派国民は石破茂の総理就任に拒絶反応を示すが、第1次安倍内閣が倒れた後、総理大臣になったのは福田康夫なんだから、どんな人物が総理の椅子に坐ってもおかしくはない。福田内閣が誕生した時、朝日新聞やテレ朝は万々歳で、「やはり福田総理だと安心感がある !」と欣喜雀躍の祝賀ムードであった。週刊文春はもう左翼雑誌に落ちぶれてしまい、週刊朝日と義兄弟にでもなったのか、と見間違う程だ。文春の編集部は菅義偉の出世を心から望んでおり、この官房長官が進める女系天皇論に拍手を送っている。今となっては、オピニオン雑誌の『諸君!』が文藝春秋社から出ていたのが嘘のようだ。ただし、左翼メディアの一部は、売国奴の血筋を持つ河野太郎を陰ながら応援している。やはり、ソ連に忠実だった祖父の河野一郎、支那に媚びていた父の河野洋平とくれば、孫で息子の太郎に期待してしまうじゃないか。
現在、保守派国民にとって苦痛なのは、安倍総理に代わる政治家を見出せないことだ。何しろ、総理候補と呼ばれる者が、どいつもこいつも「碌でなし」ばかり。岸田文雄は毛並みがいいだけで、総理大臣になっても求心力にはならず、マスコミに叩かれれば直ぐ靡く。しかも、岸田氏の本分は「官僚の操り人形」だから、その視線は日本国民じゃなく「身内(官族)」に向いている。とても、国家の命運を担う宰相の器じゃない。もっと悲惨なのは、自民党に人材が枯渇していることだ。おそらく、当分の間はゴタゴタが続くが、幸運なことに野党がもっと酷い有様だから、総選挙になってもボロ負けはしないだろう。それでも、仮に、自民党が野党に転落すれば、自民党内部から叛乱が沸き起こり、危機感を募らせた議員が再選を目指して、小泉進次郎を担ぐに違いない。たぶん、小泉劇場のシーズン2となるはずだ。こうなれば、お祭り好きのマスコミも便乗し、歌舞伎ファンを真似た評論家が、「待ってました ! 四代目 !」と騒ぐだろう。週刊誌も負けてはおらず、「若手議員による守旧派の一掃 !」といった目玉特集で大はしゃぎとなるんじゃないか。一方、ワイドショーは視聴率稼ぎに奔走し、滝川クリステルの奪い合いとなるはずだ。もしかすると、小泉夫妻を日本版の「ケネディー大統領夫妻」にするかも知れないぞ。馬鹿らしいけど、大衆社会とはこういったものである。
選択肢の無い衆愚政治
日本や歐米では「デモクラシー(大衆が主体の政治形態)」を称讃する人が多いけど、民選議員による政治体制は腐敗しやすい。なぜならば、政治に無関心で知識も足りない不特定多数が有権者となり、気まぐれや羨望、欲望、あるいは他人の扇動で投票してしまうからだ。プラトンと同じく、アリストテレスも「デモクラシー」に対しては否定的である。日本の学校教師は古代ギリシアのデモクラシーを最善と思っているが、アリストテレスから見れば最悪の統治形態に他ならない。僭主政が王政からの逸脱であるように、民衆政は立憲政(politia)から逸脱した忌むべき政体である。アリストテレス曰わく、「僭主制は独裁者の利益を目標とする独裁制であり、寡頭制は富裕者の利益を目標とするものであり、民主制は貧困者の利益を目標とする」、と。(アリストテレス 『政治学』 山本光雄 訳、岩波文庫、1961年、p.139、第3巻、第7章 <1279b>)
アテナイの哲学者は大衆に政治を担うだけの才幹(virtu)、すなわち卓越した「徳(arete)」が欠けていることを分かっていたので、多数派に権力を委譲することを危惧していた。プラトンやアリストテレスにとって、有徳の士が君臨する王政が一番いい。しかし、そういった支配者は中々現れないので、まあまあの貴族と堅気の市民から構成される混淆政体を良しとした。ただし、政治への参加者が多くなると恣意的な行動が多くなるので、人ではなく法が「支配者」となる枠組みにした。ただし、ここで言う「法(nomos / ius)」は「制定法(legislation)」じゃなく、歴史的に形成された「慣習法(commonl aw)」や「國體(国家の体質 / constitution)」に近い。日本人は議員が拵えた制定法を尊重し、この「人定法(positive law)」に盲従するのが「法の支配」だと思っている。(「実証法」なんて意味不明の法律用語である。) それなら、国会が「天皇を処刑する」とか「皇室を廃止する」という制定法を作ったら、一般国民はこれに従うのか? こんなのは明らかに「國體違反」だ。つまり、「日本の体質」に反する「人定法」は間違った法律であり、古来から継承される慣習法にも反している。
デモクラシーの悲劇は、有権者となった国民が、選挙という“娯楽”を手にする代わりに、自らの首を締めるという“苦痛”を味わう点にある。統治能力とは無縁の民衆が、同類の中から立法者や執政官を選ぶ訳だから、代議士に劣等者が増えてくるのは当然の成り行きである。しかも、出馬した者の中から選ぶといっても、候補者が国家破壊を目的とする共産党や立憲民主党の赤色分子なら最悪だ。かといって、創価学会の尖兵である公明党や特殊利権の代理人たる自民党じゃウンザリする。結局、選択肢が無い選挙となり、「どれもイヤ!」という気持ちになってしまう。封建制時代には庶民に選挙権は無く、「人気番付け」という楽しみは持てなかったが、その代わり、頼り甲斐のある武士が各藩にいた。一般的に、武士は幼い頃から統治者となるべく教育され、「末代までの恥」を叩き込まれたから、現在の国会議員とは大違い。武士の気概を持つ議員だと、その立ち居振る舞いが立派で、豪傑や国士と呼ばれる人物も多かった。
現在の国会議員だと真逆で、立候補する人物には性格異常者が少なくない。傲慢不遜で秘書を怒鳴りつける議員なんて、まだマジな方である。地盤と利権を守るためだけに政治家となった世襲議員がいると思えば、支那人や朝鮮人からカネを貰って平然と構える売国奴、簡単なハニー・トラップに引っ掛かって脅迫される助平議員、立法や行政の仕組みが解らぬ素人、議員報酬だけが目当ての元藝人、税金にタカって反日活動を継続したい極左分子などがウヨウヨいる。とりわけ、世襲議員になると、親の恥を継承をしているのかと思えるくらい、利権構造の相続に熱心だ。例えば、二階俊博が支那人の下僕であることは周知の事実。まだ噂の段階だが、この幹事長は三男の伸康を衆院選に出馬させ、自分の地盤を譲りたいそうだ。もし、この三男が当選して、継承作業が完成されれば、北京政府は大満足だろう。二階俊博に「末代までの恥」という意識は無い。
日本人がデモクラシーの弊害に苦しむのは、ある程度の社会的責任を持ち、家族を養う高学歴者が、左翼思想に染まっているからだろう。普段の生活では常識的な判断をする人でも、政治の話題となれば非常識になってしまうから、日本の宿痾は深刻だ。民間企業の経営者とか大企業の重役などは、日本の国防よりも、会社の利益を優先させるから、支那人に媚びる方を選ぶ。軍隊を創設して国家の独立を目指すとか、移民を排除して祖国を護るといった政策は、目に見える利益をもたらさないから却下。臆病者や卑劣漢と呼ばれようが、「高額所得者になった方が勝ち組なんだ !」という考えの者に、勇気や義務の徳目を説いても無駄である。グローバル・ビジネスを展開する商人は、コスモポリタン(世界市民)というか永久に旅をする根無し草だ。裕福であれば、日本が危険になっても外国に移住できるし、移住先で安全な街を探せばいい。低所得者は自国に留まって不幸になるだけ、と思っている。
庶民が民衆政治に対して閉塞感を抱いているのは、多くの場合、自分が選んだ結果である。「長いモノに巻かれろ !」という信条で選挙を行えば、馴染みの無い小政党には投票できず、「無難」と思える大政党にしか投票できない。今年の東京都知事選挙で小池百合子が再選されたのも、「他にマシな候補者がいないから」という消極的選択と、「有名人だから投票する」といった大衆心理が基盤となっている。日本第一党の桜井誠が出馬しても、一般人は彼の事を知らないし、たとえ報道番組で耳にしても「頭のおかしい右翼活動家」としか思わない。しかし、馴染みの無い政党の候補者でも、その主張や思想が正しければ投票すべきだ。今度の衆院選では、日本第一党や参政党が名乗りを上げると思うが、一般国民は「こんな人に任せても大丈夫なの?」と疑心暗鬼になるが、それなら自民党や公明党は「素晴らしい政治集団」と言えるのか。
それにしても、毎回毎回、自民党は大量の得票数を誇るが、多くの国民がこの政党に投票して日本が良くなったのか? 確かに、自民党にも幾つかの功績はある。しかし、「安泰与党」なるが故に、こびり付いた弊害も多い。仮に、次の選挙でミニ政党が得票数を伸ばせば、自民党だって少しは焦るはずだ。自民党の国会議員は、大看板にあぐらを掻いているから、危機感を持たない連中が結構多い。「小選挙区で落ちても比例で救済されるから大丈夫」と考えている議員に、まともな政治理念は無い。せいぜい、選挙用宣伝車に乗って名前を連呼するだけだ。中には、ウグイス嬢の太股を触りながら、民衆に手を振る奴もいるだろう。一般人なら呆れてしまうが、政治家には隠れ変態が多いから仕方がない。
とにかく、保守派国民は既存の政治家ではなく、たとえ弱小政党の候補者でも、信念を貫く新人に投票すべきだ。選挙の時だけ保守的公約を掲げる「ガス抜き議員」なんて信用できない。もし、有力な支持母体に囲まれた大物議員が、新人候補に敗れれば、他の議員だって少しは恐怖感を抱くだろう。「消費税を上げたって当選できるさ!」と思っている議員に怒りを覚える国民は、自民党に対して愚痴をこぼしていないで、与党に刃向かう小政党を支援すべきだ。自民党を贔屓にして石破総理の誕生となれば陰鬱な気分になるし、かといって立憲民主党の枝野が政権を握れば悪夢の再来だ。それなら、日本第一党や参政党に賭けてみてもいいんじゃないか。
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